2003年08月28日(木)*

大事な人を失った時。+α
今日の日記は激暗い可能性が高い故、苦手な方は読まない方がよろし。
読んだ後で「気分悪くなった」と言われても、吉村は責任取りません。







昼に起きて(ヲィ)、ご飯食べて、パソ子を起動させて。
いろいろとサイト巡りして。
日記巡りもして。
チアキのサイトにアプされてた笠井くんの夢を読んで、胸が苦しくなって(何故か)
夜にフィーバーしすぎたんだな。
とか思ってて、そのうち楽になると思ってたのに。

全然楽にならなくて。
むしろ、パソ子の画面を見るたびに胃がムカムカして。
何でだろうって思って。
ずーっと、ぐてぐて絵とか描いてたりした。
でも、描いたのも気に入らないから捨てちゃう。

すっごく詩が書きたくて。
でも、どうしていいかわからなくて。
詩が投稿出来る掲示板を探してたら、いいところを見つけた。
現代詩フォーラムってサイト。
パソ子を再起動してる時に、涙が出てきた。
中学に上がる前に亡くなったおばあちゃんの事を思いだした。
16歳になって、初めて「泣いた」
改めて、あたしがおばあちゃんっ子だったって事を思い知った。

どう足掻いても、もう会えない事を知っているのに。
「アイタイ」と泣いたあたし。
(その時に、投稿した詩が↓)

あたしはあなたが大好きだった
遊びに行くと遊んでくれる
勉強も教えてくれる
あたしがわがままを言っても
すべて受け止めてくれた

ある日
あたしが中学生になる前に
あなたは逝ってしまった
制服、という姿を見せる前に
大好きだったあなただから
居なくなる、と言う事が考えられなかった

時も過ぎ
哀しみに打ちひしがれた日も過ぎ
あたしは高校生になった

願わくば
今の姿を見せてあげれたらいいと思う

あのときとは違う
今のあたしを見て欲しいから


詩を打ち込んで、投稿し終わった時が涙のピークだった。
胸の重りも取れない。
思い出すのは、優しかったおばあちゃんの思い出。
一度でいいから、おばあちゃんに制服を着たあたしを見せてあげたいって。
ずっとずっと思ってて。
でも、それは叶わないのを知っているから。

その想いが、頭の片隅から記憶の底に沈んでいって。

おばあちゃんが大好きだった。

息が詰まる程苦しくて。

溢れるものは涙だけで。

おばあちゃんが病院に入院してて、亡くなったって知らせを受けた電話を取ったのがあたしだった。
小学6年だったあたし(確か)
お葬式は、天皇誕生日だった(そこだけはしっかり覚えてる)
それから2年ぐらいたって、お母さんとおばあちゃんの知り合い(かはわからないけど)のおばあさんが亡くなったって電話を取ったのもあたしだった。
当分、電話に怖くて出れなかった。
「また誰かが死んじゃったらどうしよう」とか「出て、一番最初に聞こえる声が知らない人だったらどうしよう」とか。
不安と恐怖でいっぱいだった。

「身内の死」がトラウマなのかもしれない(よくわかんないけど)
初めて体験したのが、大好きだったおばあちゃんの死。
しかも、12歳。まだ甘えたい年頃(だと思ってる)
近所でやる「お葬式」が怖い。
「父方のおじいちゃんとおばあちゃんが死んじゃったらどうしよう」って思うと怖い。
あたしの心と頭の片隅にはいつも「身内の死」が張り付いてる。
普段はなかなか気付かないけど。

人はいつか死んでいくものだけど。

それが怖くてたまらない。

ぬぐい去れない不安が怖い。


***付け足し。

割と回復(まだ気持ち悪かったりするけど)
とりあえず、ヤフオクでテニスの同人誌あさりが出来るまでに回復(それも嫌だな)(欲しい本たくさん☆)(止めて)
感情の浮き沈みが激しいというか。

もうちょっと強くなろうね、あたし。