■ゲロッチャ !!■
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2002年03月28日(木) |
今日は私の誕生日。---インド放浪懐古--- |
今朝。 開口一番パパ吉に「誕生日おめでとう」と、お祝いの言葉を貰った。 私は「おめでとうだか何だかね〜〜。デヘヘ」と、 微妙で複雑なオンナ心を、照れ笑いで表現してみた。すると パパ吉「いつまでも誕生日ってのは良いよ。生まれてきてありがとうの日だもん」 ・・・・ ・・・・ ・・・・ こういう時。 あ〜。このヒトと結婚してよかったなぁ〜〜〜って思う。 なんでも、物事を分割して難解にして複雑に考えちまう私には、 真っ直ぐで単純なパパ吉が合っている。
パパ吉と結婚したいなぁ〜・・と、考えたのは インド放浪の末、疲れきってフラフラと日本に帰ってきた その日だった。
インドの気候とスパイスとストレスで胃腸を荒らし、血を吐き、帰国。 成田まで迎えにきてくれたパパ吉。
パパ吉 手作りの おむすび。
貪り食いながら
「あはは。コイツ、いい奴だなぁ」と
「一緒に生活するなら、こういうヒトがいいなぁ」と
乾ききってカラカラのシワシワになったココロが、ジワジワと潤った。
インド放浪は、まぁ、言うなれば「幸せ探しの旅」だった。 自己流「人生哲学の旅」。 愛とか、幸せとか、いつものクセで色々複雑に考えて、考えすぎて、 ひっちゃかめっちゃか こんがらがって 自分すら見失ってた時だった。
こうなったら、なにもかも捨てようと思い立った。 手に持ってるものを全部放す。 そして新しく手に入れる。今度は、本当に欲しいものを。 情報に振り回されることなく。 環境、しがらみ、常識、そんなものに縛られないトコロで。 自分を試したい。 そして 勤めていた住宅会社で築いた「主任」を捨てた。 8年付き合った彼氏にも「さよなら」を告げた。 結婚して家を建てようと、土地の名義変更まで進んだ仲だった。 農家の三男坊で土地付きジジババ抜き。結婚相手の条件には願ったり叶ったり。 趣味も合った。
けど、なにかが違った。
だから、ちょっと出かけようと思った。 帰ってこなくてもいいやと思った。 友達も親も。 私を束縛する一切のものから離れようと思った。
行動をとった。 インド行きは物価が安いから決めた。 親を説得するのに「ヒンズーの神の絵を描きに行く」と言ったのでインド。 親は泣いた。ビックリした。 母親は結婚するとき持っていくようにと、着物を3枚も仕立ててくれた。 「絶対に袖を通してね」と言った。 やばいな.私がどこかで野たれ死んだら、母は着物を抱いて泣くだろうな・・・と 今更ながら親不孝だったかもと、少しだけ後悔した。
インドは面白かった。 あんな冒険は二度と出来ないんじゃないかってくらい、毎日が驚きの連発。 気候は過酷で、マジで、人間は水が無いと死ぬんだ・・・って思った。 出会う人間も狡猾で、頭が良くて、生命力富んでいた。みんな逞しかった。 ダマされたり。ダマされまいと必死になったり。助けられたり。 優しいヒトも。怖いヒトも。 カーストも。 人種差別も経験した。 死ぬかと思うこともあった。 ダライ・ラマには会えなかったけど、住んでる所で神気に触れた。 ヒマラヤは高かった。 血も吐いた。
血を吐いて、気が付いた。 私の居場所はココじゃない。 こんなとき私には、心配して側に居てくれる人が必要だ。 私には、母の作ってくれる、みょうがとナスの汁と手打ちうどんが必要だ。 病床で、毎日毎日マンゴーをジュブジュブジュブジュブ啜りながら、 食べたいものリストを作った。 サラスバティー、シヴァ、クリシュナ。 インドの神々を書き綴ったスケッチブックの最後のページには 食べ物の名前がズラリと並んだ。
私の冒険の旅は「食い気」に阻まれた。
あーーーー。懐かしいっ。 数年前の今日はインドに居たのよねーーーーー。 クリシュナの誕生日祭りが3月28日にあるってんで、 歓び勇んでインドくんだりまでホテホテ行っちゃったのよーーーぅ。 そういえば、WEB上に初めて載っけた画像って、 アナログの油絵「ガンガーで祈る女」だったのよねーーーー。
昨日は専業主婦云々 書いたけど んま。こうなるまでにはイロイロ馬鹿なこともしたんですーー。
で? 「幸せ」と「愛」は? めっけました。 つーか、作りました。 今、腕の中で「おかぁさんと一緒」見てます。
はぁ。 キミを抱っこしながらだと、かぁさん、キーボード叩きにくいんだけど・・・。 とほほ。 愛って、時にウザイ(^^;)
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