相も変わらずの迷走人生だ。 今ごろは夜行バスに乗っている予定だったが…思いきりが悪く実行叶わず。 やってしまった後悔よりしなかった後悔が響くのにな。 久しぶりに漫画喫茶(インターネットカフェと呼ぶ方が普通なのか?)行ったらイッキは相変わらず置いてなかったがアフタヌーンもガンガンもエースも消えていた… がっかり。
闇のパープルアイを読みたくて三時間の先払いで入って全巻読んだ。 …最終話が意外にあっさりしていてヒロインの読者への呼び掛け?が (そーかやっぱ最後は愛…そうだよな)と複雑だった。
ここ十日ほどの間に親族が亡くなり葬式などがあった。 涙は少し滲んできたが故人のためでなく故人に関わる自分の後悔のために悲しくなるのがまた悲しい。 故人は自分より他の人を待っていただろうが誰も来ないより来た方がいいに決まっているのだ。たぶん。自分が自分を嫌いで故人も自分が行っても嫌かも知れないということばかり頭にあって… しかしこの自己嫌悪のすくみ足は他人から見ると全く意味不明なばかりか敵意ともとられかねないのだな… 自己嫌悪はすぐにはどうにかならないだろうがしようとすることを否定して諦めて後悔する悪循環は断ち切らねばいけないな。
その気になれば自分自身の満足のためとはいえ僅かなりとも故人の気の慰めになれたかもしれないというのに。
あまり沢山は会いに行けなかった…
闇のパープルアイの最終話のモノローグを見たとき、真っ先に浮かんだのが故人の遺影を見つめるそのつれあいの姿だ。
自己嫌悪の檻の中から出られるように、または隙間からだけでも何か大切なものを掴んでいられる、自己嫌悪から手放さずにいられるようになったら自分は成長…というかまともになったといっても差し支えないんじゃないだろうか…
そんな日が来る。
確信がどうであろうときっと自分でもそんな日は来るだろう。
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