わわわんわん



物欲の砦:あきらめの境地ふたたび

2004年10月29日(金)

まだまだ内蔵ハードディスクが1GBで広大だなあと感心していたころのこと。

いろいろめんどうだったのでVIrtual PCを導入した。Windowsは素の98だったころ。iMacで(Rev.Bだったかな)おっかなびっくり「花子」を動かしていたことがあった。

トロいけれども、まぁ、使えるね。と、思ったけど暫くしてWindowsに用がなくなったのでそんなこと忘れていた。かなり高かった。古いMacでならまだ使えるはず。






んで、こないだからPCが壊れてくれたおかげで、再びVirtual PCに関心が沸いてきてしまったんですね。





秋葉原も廻ってみたけど、どれもなんかいや〜ん。


なので、手持ちのMacと将来のMacのために「まぼろしPC」でいいよ。もう。







Power Book G4の15インチのやつほしー。


雑感:おたくおとこはおとめにおすすめ?なのか

2004年10月15日(金)

「電車男」が書籍になるニュースでスレッドまとめたページを熟読して暇をつぶしてみる。


あぁ、ファンタジー。

だと思った。


映画「ロードオブザリング」が原作の「指輪物語」と感触の異なる点に最後の艶っぽさというのが挙げられるんじゃないだろうか。映画は力と魔法の世界の終焉を三組の恋愛に纏めて納める剛の技を見せてくれた。サムとロージー、アラゴルンとエルゥインの二組だろうって?最後の最後に船着き場で別れる場面。何でガラドリエルが怪しく誘う一瞬のカットが挟まるのか。別にガンダルフでもいいじゃん。


フロドが捕まったのは指輪じゃなくてガラドリエルなんだな。たぶん。


んで、西の果てに連れ去られてしまうんだ。




「電車男」の結末もなんだかどっかへ連れ去られるようだったんだな。毒男スレからカポースレへの移行とかそういう連れ去られをいいたいわけではなくて。どこからどこへ連れられてゆくのだかわからないが。

無関係だが、「ことえり」は今、「いこう」と入力したら「遺構」と変換してくれた。何を学習してくれたのだ?






夢がかなってよかったねの一方で、やっぱり彼岸に赴くわけでもあるのは両者に共通しているのではないか。めでたしめでたしの、その先がとても不透明なのだ。


霧のかかったようなぼんやりとした「幸せ」、ってファンタジーそのものだと思う。で、こういうファンタジーが好まれているんだろうな、とも思う。具体性のあまりない漠然としたハッピーエンド。



んーっと、すこし前ならもっと劇的なストーリーが好まれていたと思う。こうまどろっこしい展開ではなくて、どちらかが強引に関与してくるような。あまりいい例を思いつかないが、「プリティ・ウーマン」とか。経済的にとか物質的な、よりわかりやすい形のハッピーを伴ったハッピーエンド。従来のハッピーはこう、即物的だったといえるんじゃないか。



従来型のハッピーはいわば「現世型ハッピー」。それに対して、これからのものは名付けて「彼岸型ハッピー」。当人の心の充足感だけが頼りのファンタジー。



んで、時代が求めているのは「彼岸型ハッピー」なのか?





てなことを言うには「ファンタジー」って何という問いに答えておかなくちゃならないのか。定義だよ、定義。

めんどくせえ。





「おたくおとこはおとめにおすすめ」というショートストーリー?(日本語訳オリジナルのページでは論文と表現されている)が数年前に話題になったことがあって、ヲタが恋愛対象資源として有用という乙女のためのお話。ヲタはけっこう面白いヤツでそこそこ稼いでるけど地味でモテないから狙い目よ、んで外見なんて洋服なんかは後からなんとでもなるから先物買い、というような内容だったはず。

たぶん検索するとすぐ見つかる。



と思って検索したけど平仮名だけの表記ではひっかからなかったので検索するときは「おたく男は乙女におすすめ」でどうぞ。

オリジナルはアメリカのヲタだからヲタにはgeekという単語が使われていたんだが。これもある種のファンタジーでそんな都合のよいヲタばかりではないことは周知の事実。

微妙にここで追求されているのが「現世型ハッピー」であるあたりに初出年の限界がありそうだけど、おたくおとこ側から語られると「電車男」のようなストーリーになるんだろうな。


物欲の砦:月の裏側

2004年10月10日(日)

クランプラーのカタログをぼやーんと眺めて「ディセンバークオーター」ぐらい容量があればいいよなーと。12月の四半期、って師走、チョー忙しいってかばんですか。もしや。


カメラバッグとしてはコンパクトで厚みがないので、ドンケのでかバッグは体格的に厳しくともこれならいいかも。店頭で見ても次はこれかなーと暑い視線を送ってみる。


しかし横目で睨んで保留してしまうのも毎回のこと。


躊躇する理由はふたつ。


まず、価格。PCの修理にまわさざるをえなくなったことも影響大。デジカメが故障したのも痛かった。


次に、表面素材。実はこの問題は他のメッセンジャーバッグやメッセンジャー型PCバッグ、カメラバッグ全てに発生する問題。

初期のクランプラーはデュポン社のコーデュラナイロンを表面に使っていた、とサイトに書いてあったし、自分が今ヘビーに使い倒しているメッセンジャーバッグに付いてたタグにもこの素材と書いてあった。んで、2003年からのニューモデルはチキンテックスというオリジナル素材。鳥肌、こいつがくせ者なのだ。


表面がザラザラしているんである。で、メッセンジャーバッグとかだとついたすきがけにしないで片方の肩にかけてぶらぶらさせてしまう。ここに落とし穴が待っている。



ぶらぶらしたメッセンジャーバッグの我が身に面した側と洋服の腰のあたりに摩擦が起きる。んで、鳥肌なごっついナイロンと摺れて綿素材とかの洋服に毛玉状の傷みができてしまう。



洋服の素材によって全然問題がないことのほうが多いとはいえ、薄手の綿パンとかは微妙である。たすきがけにして、補助バックルもしっかり留めて背中に固定していればこんな問題は発生しないんである。横着してしまうからいけない。



んでもなー、いつもチキンテックス耐性の高い服装というわけにもいかないし。つい楽だからたすきがけにしないでぶらぶらさせてしまうし。なんだかなーという部分。ダークサイドというほどでもないか。


物欲の砦:中身は後からついてくる

2004年10月02日(土)

とうとうクランプラーの日本語サイトができた。できてた。

http://crumpler.jp/


いままでは銀一の通販ページが最も充実していたわけですが、新しいサイトでは販売店とか取り扱い店も一覧できるのでぱぱっと検索してゲットできるというわけ。店頭在庫があるところもこれですぐわかるんで、実際のところどうなのよと思ってるなら最寄りの取扱店へGo!


店頭でどばーっと並んでいるのも壮観、で、写真とかと一番違うと思うのは質感でしょう。ポップな色合いでへなへなっぽいのに実物はごつい。かなり頑丈な造りだというのは写真に出ないとこかもしれません。





んで、いくつか使ってみての一人反省会。





1 PCバッグは鏡をみるべし
  例えばリュックサックタイプ最大のチームプレイヤー。相当体格のよい人でないと鞄に背負われて歩いてるみたいになる。15インチのでっかいノートPCを持ち歩くというのでなければ背負ってみてぴったりサイズのほうがいいかも。実際iBook12インチだとPCケースがぶかぶか。何でも入るからこれがよかったが、ときどきもひとつ小さいのでもよかったかなーと思う。
  んで、メッセンジャーバッグタイプだとワック・オ・フォンにするかロール・オ・ノーツにするか店頭だとすんごい悩ましいサイズだと思う。これも自分と鞄のバランスを鏡でチェックするべきだろう。自宅で見ると大きさ二割り増し。店頭で見てるよりモノが大きいような気がする。




2 カメラバッグは「大は小を兼ねる」で吉
  当たり前なんだがカメラだけ持って出るわけではなくて、お昼だとかペットボトルだとか暇つぶしの文庫本だとかも持って、あと予備の電池や予備のストロボやコンパクトカメラもついでに加えたりするからジャストサイズはやはり難あり。肩からたすきがけで固定という方式なのでもうひとつ何か鞄を持つのはとても納まりが悪い。リュックサックとも共存しない気がする。すぱっとクランプラーひとつ、とするためには大きめチョイス。カメラバッグはでかくてあたりまえなので鏡チェックはなし。うーん、しかし三脚があるんだよな。
  そんなわけで二気室になっているリュックサックタイプのカメラバッグはすんごい気を引かれているんだが機材の量から考えるとありえない選択なのだ。んでもちょっとしたおでかけならー、とか気軽なスナップとかーとかとか「その鞄のある日々」を夢想させてくれるあたりがクランプラーの魔力かもしれない。






雑感:本来の備忘録

2004年09月27日(月)

今日は一日ネットで調べ物。検索語を入れるとがーっと結果が出てきてしまう。いいのか、こんなに簡単で。


いいわけがないだろうな。こうなると物量作戦か希少価値追求で、検索結果に出てこないものを探してもってこないと納得してもらえないことになる。



それはおいといて。

今日の調べ物にも関連するけど、ほぼ同年代に出版された海外文献ってどのぐらいのタイムラグで届いてたんだろう。今だったらインターネットで時差がほとんどないというのが実感できる。けど20年前とかだとどうなんだろう。


何年もしないと届かないから知らなかったんじゃないかなーという予測は簡単だが、これ、違うんではないかと思う。あと、ジャンルが違うからとか翻訳が出てないからとかそういうのも疑わしい。




海外と日本、だけぢゃなくて国内でも。昔は電話もなかったしなんとなーく遠くのことは知らなかったんじゃないかとか思いがちだが全然そんなことはない。島原の乱が大ニュースになったから京の町の移転さわぎをこれになぞらえて「島原」の通称があてられたという由来があるとおり、せいぜい数ヶ月のタイムラグで同時代のことをよく知っていたんではないか。


そんなのごく一部だといわれそうだ。んでも一部でも知っていれば、ほかの大半が知らないならなおさら、知らんふりして言って回ってしまえばそれこそ由来はわからなかったんではないだろうか。





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