わわわんわん



昨日わしが学んだこと

2003年08月12日(火)

声高に何らかの技術に関して己の手腕を自慢している人はおおむねその技術にコンプレックスを感じているらしい。








実際にその手腕を発揮してもらおうとすると怒られるのは、そういう理由なんだろう。
















年寄りでも若くても、反応が同じというのがなんというか。年寄りなら、まあ、まだ元気だなあと微笑ましい面もなくはない。若いのにこんなことばかりゆってるのは、げんなり。間違いを指摘すると切れるのもやめてください。とほほ。


物欲の砦:探しに探したその成果、終結か?

2003年07月29日(火)

キャンバス製のコールマン印のリックサックが息絶えたのは購入から約一年が過ぎた頃だった。底の補強合皮が破れ、肩ひもがほつれて取れてしまった。

肩ひもは布製なので縫い付ければ修理ができた。けれど底の補強合皮は針と糸でとじつけはしたが、今にも裂けてしまいそうである。高かったのに!使いやすかったのに!

このリックサックの前に使用していたのがナイロン製の小型のもので、これまた底と背中の間がぱっくり割れてしまい、側面のタブがちぎれかけてしまったために代替わりしたのだ。しかし、執念であちこちを縫い綴じ、今でもなんとか形を保ってはいる。

とうとう二つとも、重い物を入れて運ぶことができない姿になってしまった。おおよそ一年にひとつ、鞄を壊しているわけだ。その後も一年にひとつペースはあいかわらずで、約一年前に購入したおきにいりのメッセンジャーバッグがそろそろ把っ手がばらけつつある。刺子の要領で、滅多矢鱈に糸を縫い込み、なんとかまだ形は保たれているが、これもそろそろ危険。

壊れるのと合わせて、最近必要になったのがA3の画板が入る大きさであること、というサイズ制限。壊れきる前に次を探そうと、コンベックス片手に鞄屋を行脚。ところが、なぜかぎりぎりのところで入らない鞄続出。横幅がちょうどだと、だいたいあと1センチぐらいのところで高さが足りない。姿形がどんなに好みでも、泣く泣くあきらめるばかり。

そんな鞄屋行脚を半年程続けてきたわけですが、それももうおしまい。なんと、A3画板が収容でき、しかも屈強そうな、価格もとてもリーズナブルな鞄を発見してしまった。

ふだんはまったく行かない、GAP。まさか鞄があるなんて思わないで、ふらーっと店内を見渡していたところ、バーゲンになっている鞄の山の中に「究極鞄」はぶら下がっていたのです。


物欲の砦:USB-HUB

2003年07月25日(金)

USBハブがいっぱいになったので増設。
持ち歩きも差し支えないサイズで、電源コードも結束マジックテープが付いていたり、なかなかパッケージをあけるまでわからない部分がよくできていて気に入った。本体もつや消し加工がされていてなかなか感じが良い。ACアダプタもほんとに小さくてこれなら持ち歩きの邪魔にならない。これこれ。こういうのが欲しかった!やったー。



んだが、USBポートに接続する端子に青色LEDが仕込まれていて、これがモニタに反射しまくり。キーボードのUSBハブに接続しているからちょうど映り込む位置にあって、画面の端に青い光がちらちらと。

むー。これは盲点でした。ノートPCでの作業、特にモバイル環境ではうれしい機能なんだけど。

そのへんのメモ用紙を光ってる部分にかぶせてとりあえずごまかす。










パッケージあけてみないとわからないことって多いと思う今日この頃。付属品とかケースとか、思いがけずよく考えられれてる製品だと買って良かったーとうれしい。ちなみにこの製品はサンワサプライの超小型ACアダプタ付きUSB-HUB。ケーブル結束用マジックテープは感涙ものでっす!


新東京図屏風:眺望への所有欲

2003年07月24日(木)

六本木ヒルズの展望台に登って来た。美術館ができる予定の場所で都市展覧会が展示されていて、押井守監修の映像がいくつか並んでいた。

ものすごく混雑していたわけではないけれど、それなりに人が多いなかでふたつを見て来た。ひとつは東京の水、といってもお茶の水あたりまでの堀跡を巡るもの。もうひとつは東京上空を空撮したものだった。

空撮の映像を見ながら、江戸図屏風を作らせた人は現代ならばこれを欲しがるのだろうなと思った。いや、江戸図屏風より先に洛中洛外図のことを連想した。

中世京都の市中を描いた洛中洛外図はどれも巨大な、個人が家に所蔵したにしては巨大な屏風絵の一群である。だれがどのような目的で、これらの屏風を描かせたのか。正確なところはともかくとして、権力なり財力を手にした人が都市の眺めを所有しようとした結果ではないかと想像する。

眺望を所有する。とはいっても、実際に眺めを手にすることはできない。洛中洛外図も江戸図屏風も描かれた当時にこれらの眺めを得られる高さで都市上空を観察したわけではない。いわば想像図である。想像図を並べて得られる眺望はバーチャルな体験であるが、眺望の所有はリアルであった。

現代では眺望がリアルな体験にはなったが、眺望の所有はバーチャルなのではないだろうか。想像図のかわりにリアルであったこともあった(撮影者にとっては)映像を映写している。しかし、映像は映写されたときのみ存在するし映像はバーチャルである。

六本木ヒルズで公開されていた映像は地球外の視点が東京を調査しどこかへ報告するというストーリーになっていた。撮影時のリアルを映写時のリアルに引き延ばす処理だと思った。「報告された」事実を再生している限り、これはリアルだ。だからこの映像を見る時、人はリアルを所有している。

しかし、見ている間だけである。それは撮影時のリアル以上ではない。記録媒体は存在しているが、映像は形を成していない。一方、屏風絵は見られていない間も存在している。

バーチャルであったからこそ限られた人の所有欲を満たした過去のバーチャルな眺望と、リアルであるがためにリアルには所有されない現代の眺望。現代の東京図は歴史の中でどのような存在となるのだろうか。





で、東京図はまあいいとして。
いまいちデジタルカメラの画像が信用できないのはデータの状態では「見れない」からじゃないかと、ぼんやり考えてみる。写真のネガだとプリントしてなくても慣れればまあどんな具合かわかる(ような気がする)けどデータは表示してみるまで分からない。それとも慣れれば文字列の状態でだいたいわかったりするのか?

それに、リアルって?バーチャルって?
対義語じゃないような気もする。この文章はそのうち手を入れるかも。


いぬねこ

2003年07月21日(月)

犬か猫を飼わないと退去、だなんて。
ニュースによれば、交通の便など立地がよいところにできた公営住宅が入居者募集に際して設定した条件が「動物の飼育」。むしろ動物飼っちゃいけません、が賃貸の常識だったのに対して動物も飼えます、おまけに人気がでる場所に建ってるということで高倍率の抽選になったらしいのです。
「当たったー」てなものだったのですが、いざ入居となったときに「犬か猫を飼うことが絶対条件」「犬か猫を飼わないなら退去」とお達しがあったらしい。
新聞記事によれば事前説明では他の動物でも何でも構わないと受取れる内容だったので住人は戸惑っているということなのですが。

この話の釈然としない点。
-立地がよいのでペットを飼いたく無い人も応募しているっぽい
-その場合は犬や猫必須ではないと考えたいので、たぶん都合よく解釈
-どうせ基準はおおはばに緩められてしまうのでしょうが、それじゃあ何のためのペット特に犬猫可なの?

犬猫必須、飼わないなら退去は一見ひどいと思えます。しかし、これから何年も住んでゆくわけです。もともと犬猫に理解のないひとにとっては耐えられない環境になることでしょう。そのうちに「住人から」苦情が出るかもしれません。うちの金魚はうるさくないがお宅の犬は吠える、とか。

さらに、犬も猫も大嫌いな方にとってはつらい毎日でしょう。事前説明の徹底も大切ですが、不都合な情報に目をつぶると損をするなあと思います。大嫌いな動物と毎日同じ建物で過ごさなくてはならないのです。

いままで飼おうとは思わなかったけど、本当は犬猫好きな方ばかりで、犬猫と楽しく暮らせるところだといいなと思います。

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