わわわんわん



ありあまる力を

2003年02月10日(月)

テレビを見ないといいつつ、テレビネタが続く。

朝10時ごろに放送される「答えてちょーだい」。この番組で続けて取り扱われる話題に「二重生活」というのがある。二重生活の多くは、結婚している女性が他にも恋人を持ち二つの「家庭」を維持しているというものだ。

毎回(シリーズ化されているのか、たびたび数人の例が放送される)、いかにしてその二重家庭を維持しているのか彼女達の生活スケジュールが紹介されるが、驚くほどタフなのだ。毎朝、毎晩、二つの家庭分の家事をこなしているだけでも驚くべき作業量である。食事の支度、そうじ、洗濯、加えてパートにもでかけていたりする。

よくそんな毎日が続くものだと感心してしまうが、家庭電化製品が普及する以前の家事労働量はこんな程度ではなかっただろうことを思うと、こんな生活を維持することができるヒトには核家族一家庭分では結構ものたりないのかもしれない。

専業主婦、という言葉には三食昼寝付きなどとのんきな響きもあるが、炊飯器があり洗濯機があり、繕いモノなど遠い昔となれば「専業」してしまうと一人で二つ三つ家庭を維持していけたりしてしまうのかもしれない。おそらくは「主婦」として非常に有能な人たちなんだろう。それがこうしてキワモノ扱いとしての評価しか得られないとしたら、「専業主婦」になるのはなかなかリスキーな選択だとその予備軍は考えるだろうな。有能さを評価される場がないわけだから。

その手腕を生かす「二重生活」という手段の是非を問われると答えようがないんだが。


さらばテレビ、と言えるのか

2003年02月05日(水)

自宅にはテレビがない。

正確に言えばテレビチューナの機能する単体のテレビジョンがない。パソコン用のモニタは無駄にころがっている。

10年ほど前に購入したテレビをそのまま使いつづけていたがパソコンが増えて置き場所がなくなってしまい処分してしまった。捨てたわけではなくて使ってもらえるところへ送ったのである。

手持ち無沙汰でなにも音源がないのも退屈だったのでこれまた10年ほど前の液晶小型テレビを出していたがとうとう液晶が映らなくなってしまった。自宅の最も古いパソコンにはテレビチューナーが付いているから、どうしても見たければテレビ番組を見ることはできるのだがその古い一体型Macのモニタが劣化することを考えると無理してテレビを見ようとは思えない。

つまり感情的な順位としてテレビが最下位に位置している。ときどきテレビの音声だけをラジカセから聞くことはあっても、特定の番組を見たいということがなくなってきている。たまたま付けっぱなしにしていたから見る、だけになってしまった。

コロンビア号の事故も、第一報を目にしたのはインターネットからだった。ほぼリアルタイムでニュースサイトのトップに並ぶ記事を見ていた。

しかし、なにか現実感に乏しいのである。時事刻々、トップニュースは書きかえられ、事態の変化を告げてはいる。通信不能状態から事故が確定的となり、残骸が飛散していると伝える文字列を「見」ながら、何かが決定的に現実的ではないことに気がついた。

それは人間の「声」だ。アナウンサーや報道官、または目撃者の、現実に直面している人間の声が欠けている。ネット上の文字列は、他の情報と同等に非現実的で、そこでなにかが起きていることへの感情が「聴」こえない。

新聞や雑誌の記事は紙面構成や見だし文字の形から緊迫感を感じる余地があったのだ。しかし美しく整えられたウエッブサイトの表示は情報が備える感情を排除してしまうのかもしれない。むしろ受けて側の感受性の問題で、微妙な文字列の隙間に埋めこまれている「それ」は前ウエッブ世代には感じ取れないものなのかもしれない。しかし、見る刺激だけの世界には限界があるのではないかと思う。

私がテレビから受けていたものが視覚情報の洪水ではなく、聴覚情報の洪水だったのだとすればそれは質的に頓着されていなかったがゆえに有用だった。ラジオと比較して音源が純化されておらず雑音も含めて垂れ流されるがゆえのリアリティを得ていたのだろう。

もう見ることはないテレビ。けれど聴くには足りないインターネット。些細な欠けを埋める新たな機械を部屋の中に運び込むとしたら私の座る余地はない。


Mac:OPERA

2003年01月20日(月)

つい先日Safariで喜んでいたのにもう気が変わってOPERAで喜んでいるわけです。やっと、ついに、まってました、MacでもOPERA。以前からあることはあったしインストールもしていましたが、日本語に対応してなかったんですね。Timesのページを気まぐれに覗くとか、そんな機会でしか利用できなかったんです。今ならFotologを見るときに便利だったと思いつきました。

拡大表示でレイアウトが崩れない、画像も一緒に同比率で拡大してくれる。これが視力の乏しい私にとってどれほどありがたい機能であることか。ついでにねっころがってモニタを眺めるときにも威力を発揮するんですよ。首が痛くなるけど。

IE以外は表示が変になるページがあることや、あとプラグインなんかもNCとIEぐらいしかあてにできないので一応これらも常備してはいるし、どれがダメだのあーだのいいたいわけではないのね。見るページによってブラウザも使い分けてるだけのことで。

そういえばAppleの.MacがWindows版OPERAからうまく接続できなくなったんでした。昨年末から今年の初めにかけてサーバが停まってることが続いた後、OPERAでログインできない。実はMacのiCabもSafariも.Macでは挙動不審。どうしちゃったんでしょう。ま、こんなときのためにIEやNNが備えてあるんだから不便はないとはいえ。残念。

残念ついでに、ブラウザから検眼できる激安眼鏡ショップ、眼鏡をなくしたばかりで喜び勇んでトライしたところ「測定不能」といわれてしまいました。ブラウザの問題でしょうか。視力がなさすぎるとダメなんでしょうか。そのうちリベンジ。


Mac:その目的は野良犬狩か?

2003年01月17日(金)

Cyber Dogが野良になってもう何年になるんだか、だんだん分からなくなってきましたが、いよいよAppleからブラウザが登場したようです。OSもアップデートさせていただいいてますよ。ええ。お布施と陰口を(だれも叩いてないけど)叩かれようとも、これだからマカーはダメなんだよとか(幻聴でしょう)言われようとも、しょうがないぢゃないですか。

Windowsも使ってますよ。もともとWindows使ってたんですから。

それはともかく、Cyber Dogはすばらしい統合インターネット環境でした。まだ動作する(動作させている、少なくとも私は)ので過去形はどうかと思う。具体的に述べるのがなかなか難しいのだが、試みてみるべきであろう。ブラウザとしてはOPERAの拡大縮小表示同様の「画像も含めてでっかくしたりちいさくしたりできる」ところが素晴らしかった。メール管理も登場時としてはとてもキメ細やかにフィルタリングができた。そして、なによりも素晴らしかったのはURLもローカルパスもメイルアドレスもなんでもかんでも「ひぱってぽん」でリストにできるブックマーク機能。これがあるがために、たとえフラッシュが見られなかろうとも、たとえ表示ががたがたで変になろうとも(世の中にどんどん置いてかれても)手放すことができなかった。

そんなCyber Dogを泣く泣く奥にひっこめた理由は、2000年問題を解決できなかったから。

で、Safari登場、なんである。いまのメインブラウザiCabもなかなか頑張ってはいるものの、いまひとつしっくりこない。あの「ひっぱってぽん」ブックマークに慣れるとなんだか物足りない。WindowsだとOPERAがある。これもまあ「ひっぱってぽん」ではないのだけれど。

Safari、さっそくひととおり動き回ってみました。まだβ版ということなのでダメダメポイントがあります。しかし、「ひっぱってぽん」は機能しています。ボタン類の表示もそりゃあきれいです。だから、あとはまあどうでもいいです。

野良犬Cyber Dogはいよいよ引退でしょうか。


そんなことに価値はない?

2003年01月16日(木)

オープンソースの話題をあちこちで見るんだわさ。
まほうのおなべ」はだいぶ前に読んだんだけど、その〜、ここでゆわれているプログラマさんたちはどうやってごはんを食べているんでしょうか、すっごく疑問で困ってしまった。

占有権が価値を失った後に残るものは何かということなんだろう。が、そもそも価値なんてなかったぢゃん、と思う。だってさ、あなたは何者ですかと問われたら職業をこたえちゃうでしょ。個々人になんて、もうず〜っと価値がなかったんだよ。クレジットカードが作れないようなヤツはこの世に存在してないことになってたんだよ。

ところが生身の人間がごろごろころがっててさあたいへん。いないはずなのに、いっぱいいるぢゃん、なにこれ。ってのがオープンソースなんぢゃないのかな。

とはいえ、柵を飛び越えてふらふらしてると他の囲いにつかまってもとの木阿弥なんぢゃないの〜て今のところは思う。その柵のことを忘れてるだけかもしれないけれどごはんは柵のなかで食べてちょと遊びにでかけるぐらいどうってことないもん。そのまま迷子になったらどうするんだろう。

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