わわわんわん



たかがメールを受ける、ただちょっと便利にと思っただけなのだが

2002年05月27日(月)

転送設定ができるので「●ほー」のフリーメールから携帯のアドレスへ転送設定したんだが、もともと受信字数制限がある携帯端末とかへは対応してないよんメールが設定時に届いていたとはいえ、設定メールは十分に収まっていたのだし試しに登録してみたんだがまったくうんともすんともいかないうえに一般のメーラーから送受信できない状態。数回設定確認と再送信を繰り返してなんとか受信できたとはいえ、せっかく昨日いちんちかけて(おおげさな、せいぜい一晩である)設定したネットスケープが全然ダメで(送信SMTPサーバが1つしか使えないというだけで、他はとても魅力的で非常に悲しい)いろいろ考えたり試したりを繰り返しながらOSに付いてきたMailはかろうじて使えるみたいだしもうこれでいいことにしようとあきらめつつある。ただし、MailはBCC(ブラインド カーボンコピー)が使えない。


記入領域が日本語で書き込めないのですよ、なぜか

2002年05月26日(日)

テキストエディタで書いてからコピーあんどペーストしているのですね。
MacOS-XでiCabという環境が原因でしょうか。


ウイルス感染と頒布の責任はどの段階で発生するのか

2002年05月21日(火)

ウイルス騒ぎに遭遇。幸い自分の使用するマシンではなかったが今日明日と重要なメールを受信するとのことで空きマシンを移動してセットアップしながら、ウイルスで被害者のはずが加害者にもなってしまうのだが迷惑をかけたからと詫びるにしてもどの範囲になるのかはたまた元の感染ファイルが送られて来たところへは何として連絡すればよいのか、いろいろ考えさせられた。安全のために電信八号をインストールしようと窓の杜へゆくと検索にひっかからず、なんだか適当な近似機能のメーラーを入れてウイルスバスターも入っていたので対策はとりあえず万全とはいかないまでも用心しつつ。感染機はアンチウイルスもなくアウトルック使用のWindowsということで、セキュリティへの自覚が足りなさ過ぎだと以前ならば頭にくるところだが私も4月からはおだやかな気分なのでまあフツーに使ってればこんなものさとか思えるようになったしそれでも挙動不振ならばウイルスがあるということはかなり知れ渡っているのだという事実のほうに素直に驚いたりしながらもまあアドレス帳に名を連ねていた人へは全部連絡したほうがよいのかもしれないが元の感染源が含まれている可能性も高いんだなと気が付いて、メールで連絡するわけにもゆかないしそうなると電話だとか直接だとかになるんだとするといやはや何のためのメールだか、ということになってどうどうめぐりをするのだとしたらウイルス作者はメールやインターネットの利用が減ることを願っているトラフィック減少推進に心をくだいている輩なのか、それでもメール流量はぜんぜん衰えないのか、かえってお詫びメールが飛び交ってメール流量は爆発的に増加してウイルスも流れに乗ってさらに繁殖するのか、などと考え込んでしまった。
Macだとつい忘れるけど。


こいぬ

2002年05月19日(日)

小学生の子どもの足下を弾んでゆく白い小さなかたまりが子犬だとわかるまでに少し時間がかかるぐらい離れたところを子どもと子犬がとことこ駅に向かっているのが見えて、その後ろを子どもの両親らしき大人がふたり歩いていた。子犬は、子どもが先を掴んでいる綱につながれているのだろうとは思ったが綱は暗くて良く見えず、ぴょんぴょん跳ねながら子どもの前になり後ろになりよこっちょへ飛び出しくるくる回って、弾力のあるふかふかころころした子犬の手触りが見えるようで、子どもは犬を飼うことのできる家に暮らしているのだろうし子犬は帰宅すると足を拭われて室内でころげまわるのだろうと思われるし子供部屋で子犬のためのふかふかの座ぶとんが用意されているかもしれないことを思うと子どもの両親は子どもが子犬と楽しそうである様子を見るのが楽しみであるのだろうかそれともそうした生活をつくりだしていることに楽しみを見ているのかそれとも本当に犬が好きなのだろうかと、何年も前に死んでしまった飼い犬のことを思い出してしまった。子犬が家にやってきた日のことはあるいは作文に書かれて残るかもしれないが、行末までを見守られるのだろうか。死んでしまった犬も、以前の飼い主の家ではああして可愛がられていたのだといいと思った。


ななつのこ

2002年05月16日(木)

やけに蒸し暑い日がつづいて、昼をすぎたころに暑さとからすの騒ぐ音で目が覚めた夏、工事作業のトラックが停められた敷地では木造の古い家がばりばり崩され、庭の松の木があっというまに倒され、更地になってしまったところにもとはといえばからすの巣があったらしく取り壊された家にはもう何年も住む人もなかったようでからすには楽しいわがやであったはずなのにその夏は暑いなかをからすの集まる声が早朝から続いてからすのひなはもう孵っていたのかと思うと嫌な夏だった。コンビニから帰るとちゅうに、真夜中だというのにからすの鳴き声がするのでそんなことを思い出して、かといって雨戸の戸袋に巣をかまえられるのはからすに限らず困るのがこの季節。

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