活字中毒のワタシの日記

2017年11月21日(火) 大西寿男『校正のこころ 積極的受け身のすすめ』★★★★☆


大西寿男『校正のこころ 積極的受け身のすすめ

美しい言葉で満たされた一冊でした。
滋養のある食事を摂るような。

時々は、こういったきちんとした日本語に触れないと、と思えました。

帯には「すべての出版人へ そして言葉と本を愛する人へ デジタル・メディア全盛の現代に放つ 画期的な校正論」。

ここ10年くらいで、読み手に対して、書き手が圧倒的に増えました。
いかに書くかはとても重要なのに、それを学んだり考えたりする場は用意されていないし、必要だと感じる人も多くはないかも。

少なくとも自分は、きちんとしていたい。
そのために得るものがあればいいな、と思って読みました。

心に残ったところ。

「言葉には相反する二つの力が働いています。」(p56)
遠くへ、広く届けようという力と、限られた人への排他的な力。

「校正者は、この相反する言葉の二つの力のバランスをつねに意識する必要があります。このとき頼りになる鍵が、何がどうあれば効果的かつ正確に読者に届くかという判断基準と、言葉の生まれ持つ色合い、体温、手ざわりにどこまでも即すという、言葉の自立性の尊重です。」(p57)

問いかけを多く持ち、Aかもしれないし、Bかもしれない。でもここはCだ、と把握できる感覚を持つ。これが校正者に必要なこと。

校正には言葉を「正す」と「整える」の二つの営み、行為がある。
引き合わせの中にも「正す」と「整える」があり、素読みの中にも「正す」と「整える」がある。

著者の恩師、近藤義郎先生の言葉。
「文章を書くときに何がいちばんむずかしいか、きみたちはわかるか。それは、”何を書かないか”だ。”何を書かないか”ではないんだ」(p77)

書かれた言葉が光、書かれなかった言葉は影。
光と影はかならず対になっていて、一方では存在しえない。

「一冊の本をつくり出版するということは、この生まれたばかりの言葉が完全に独り立ちできるように、余分なものは捨て去り、たりないところは補い、世間で立派2通用する力を帯びるようにし、本という肉体を与え、ふさわしい衣装を身に着けさせて、読者という大海原のなかへ、言葉がもって生まれためざすところにまでちゃんとたどり着くように、船出させることなのです。」(p92-93)

海図を書くのが編集者、船体を作るのが製作担当者や印刷所や製本所、水先案内人が広告、営業。
そして
「校正者は、それらのなかの一員として、言葉の秘めもつ力を正確かつ最大限に生かし、編集者の描いた海図に見落としや方角のまちがいがないか確かめ、造本と言葉が響きあうものとなるよう言葉のかたちを整える、そのようにして船出へ向けて、言葉そのものを支え援助する役割を引き受ける者だ、ということです。」(p93)

著者が考える、校正者にとって一番大切なこととは。

「ゲラ(校正刷)の言葉とのあいだに、他の何ものをも介在させない、一対一の信頼関係を築く読みです。相手の言葉が何を語ろうとしているのか、どこへ向かおうとしているのか、どうありたいのか、どんなかたちとして生きていこうとしている”いのち”なのか、ということに、注意深く、心をこらしてゲラの言葉の肉声を聴き取ろうとする、『積極的受け身』の態度です。」(p96)

校正者に必要な相反するふたつのまなざし。
「信じつつ疑うのでも、疑いつつ信じるのでもない、信じることと疑うことを同時に併行しておこなう校正者独特の、重要で特徴的な読み」(p97)

結果、それはニュートラルなのだと私は思います。
どちらにも触れるけれど、ニュートラルな位置から向き合う。

言葉に対する鋭敏な感覚、センスも大事。
「言い換えれば、どれだけ多くの生きた言葉に触れてきたか、さまざまな年齢の、職業の、性別の、立場の、あふれるほど多様な言葉に、校正者である前に、”一人の人間として”立ち会ってきたか(略)その蓄積が言葉についての生きた経験としてどれだけ自分の財産となっているか、ということです。」(p102)

多くの人が発信者となっている今、必要なこと。
「相手に効果的に言葉を発信するためには、言葉を書く(生みだす)力と同時に、言葉を編集する(プロデュースする)力が必要です。」(p123)

これからより必要とされるのは、「校正するこころ」だと著者は言います。

「『校正するこころ』を欠いて世に出された言葉は、不幸です。十分に育つまもなく、厳しい大海原を泳ぐ力を自分のものとすることなく押しだされるのですから。」(p152)

「何を『する』のが答えなのかわからないとき、校正者である私は、自分から何かを『する』のではなくて、ただ黙って、しかし全身の注意をこらして、やってくる相手と一対一で向かい合い、相手の声に耳を傾けましょう、と答えたいと願う者です。つまり、『積極的な受け身』の態度をとりましょう、と。」(p160)

そして、それが聴こえてから能動的に『する』のでも、遅くはないと。

それによって言葉の力を蘇らせることができるのでは、と。

「『校正のこころ』とは、よろこびを『よろこび』と名づけ、悲しみを『どんなに悲しいか』と物語る言葉を、自分に取り戻し、再発見し、客観化する力です。」(p163)

トトノエルがしていることも、校正。

生かすために、積極的な受け身で耳を傾け、それから能動的に動く。

言葉をもっと大切に扱う人が増えるといいな。
美しく、深い言葉が交わされるようになるといいな。

まずは自分から。

大西寿男『校正のこころ 積極的受け身のすすめ



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2017年11月12日(日) 土井善晴『一汁一菜でいいという提案』★★★★☆


土井善晴『一汁一菜でよいという提案

土井先生に感謝。
これならやれそう、やりたい、やってみようと思える愛情いっぱいの著書でした。

以下心に残ったところ。

「暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
それには一汁一菜です。(p9)」

「一汁一菜とは、ただの『和食献立のすすめ』ではありません。一汁一菜という『システム』であり、『思想』であり、『美学』であり、日本人としての『生き方』だと思います。」(p10)

「日常の料理では手を掛ける必要はありません。家庭料理は手を掛けないもの。それがおいしさにつながるのです。」(p22)

「素材を生かすには、シンプルに料理することがいちばんです。」(p23)

「調理の基本である下ごしらえを手間とは言いません。泥を落とさずに生のまま大根をかじることはできませんから、泥を洗い、食べやすく切って、火を入れる。この基本的な流れにあるものは手間ではありません。当たり前の調理です。
家庭料理、日常の料理は、こうした当たり前の調理以上にはそもそも手をかける必要はない、というのが本当です。」(p25)

「今では外の仕事のほうが重要視されるようになってきて、暮らしがおろそかになっている。でも、幸せは家の中、暮らしの中にあるものと思います。」(p31)

「淡々と暮らす。暮らしとは、毎日同じことの繰り返しです。毎日同じ繰り返しだからこそ、気づくことがたくさんあるのです。その気づきはまた喜びともなり得ます。」(p31)

「自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。一人暮らしでも食事をきちんとして欲しいと思います。そうすることで、自分の暮らしに戒めを与え、良き習慣という秩序がついてくるのです。」(p39)

「台所の安心は、心の底にある揺るぎない平和です。お料理を作ってもらったという子どもの経験は、身体の中に安定して存在する『安心』となります。」(p42)

「一汁一菜というスタイルを守りながら、和洋折衷でよい。家では『あるものを食べる』ということでよいのです。」(p77)

「家庭料理に関わる約束とはなんでしょうか。食べることと生きることのつながりを知り、ひとり一人が心の温かさと感受性を持つもの。それは、人を幸せにする力と、自ら幸せになる力を育むものです。」(p82)

「人間の暮らしでいちばん大切なことは、『一生懸命生活すること』です。」(p85)

「和食の調理は濁りを嫌って、きれいに澄むことが大事です。」(p114)

すみません。
から、
すみました。
へ。
日本語、って面白い。

「ハレとケを区別して、ケの日常は慎ましく、必要最小限の食事で暮らすことが心身ともに心地よいことを、身体は知っていたはずです。」(p140)

「毎日手に触れるもの、毎日見るものは、いいものが良いのです。よそ行きのものよりも、毎日使うものを優先して、大事にしてください。人間は、道具に美しく磨かれることがあるのです。」(p150)

「人間は、道具に美しく磨かれる」

ものもだし、使う言葉もそう。

磨けるものを大事にして、自分を磨いていきたい。

土井善晴『一汁一菜でよいという提案



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2017年11月11日(土) 棚橋弘至『棚橋弘至棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』★★★★★


棚橋弘至『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか

彼のおかげで、スクワット50回を毎日継続できています。
それくらいモチベーションがあがった一冊。

「ピッチャーをやりたくて(目立つから)、速いボールを投げられるように小中学生のころは体育館から陸上用の砲丸を借りて、学校のまわりの田んぼに向かって投げていた。」(p28)

「僕は、選択に迷ったときは『やりがいのあるほうを選ぶ』ことに決めている。(略)苦労を乗り越えて達成したときのほうが喜びも大きい。
自分の中にある劣等感が難しい道を選ばせるのかもしれない。」(p48)

無茶ぶりに対して。
「拒否したり、やる気もなくただこなしていたら、それは自分が成長するチャンスを逃すことになるのだ。」(p69)

「おばちゃんは、プラス思考はもちろんいいことだけど、その前に『まず、すべてを受け入れなさい』と言う。プラス思考・マイナス思考の上位に『物事をあるがままに受け入れること』があるというのだ。
『受け入れると、次のことが見えてくるよ』」(p97)

「僕がこれまでの人生で『他の人より得をしている』と感じるのは、落ち込んでいる時間がとても短いことだ。」(p101)

「考え方を変えて、ブーイングもプラスにする」(p110)

「だけど、そうしてカッコつけているうちは、人は認めてくれないことがわかった。人は『カッコ悪い部分』に共感する。『あいつダセえなあ。でも何か応援したくなるな』というのが人情だ。」(p113)

キャッチを公言して自分を追い込む。
「目標を口にすると、『では、これからどういうことをすればいいか?』を自分でリアルに考えるようになる。その効果はばかにできないのだ。」(p171)

「そこは思考の転換で、自己犠牲を払ってでも何かに貢献できたことに充実感を感じられるようになると、それは『そんな役回り、犠牲者』ではなく『やりがいのある仕事』に変わるのだ。」(p206)

真壁刀義さんの言葉
「弱いところも含めて、全部さらけ出してしまえばいいんだ。自分の隠したいところ、恥ずかしいところも、全部さらけ出せば、きっと客も共感してくれる。
そのことを棚橋がわかった時、客のブーイングは歓声に変わったんだよ。」(p296)

新日本プロレスを生で見るのが、今後の目標のひとつ。
割れた腹筋で行きたくて、行けるように、がんばる!

棚橋弘至『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか



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