中野明 『14歳からのマーケティング』マーケティングとは何か。ものすごくわかりやすく、ストーリー仕立てで学べる良書。「マーケティングとは、ニーズに応えて利益をあげること」(p20)中野明 『14歳からのマーケティング』
ちきりん『自分の時間を取り戻そう ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方』心に残ったところ。「『価値あるお金の使い方』を意識するようになると、『自分はなににお金を使うと楽しく暮らせるのか、なににお金を使うともっとも幸せな気分が得られるのか』がわかるようになります。そして、自然とそれら大事なことにお金を使うようになり、反対に無駄遣いが減って、貯金もできるし、生活も楽しくなるのです。」(p112)「お金を有効活用するというのは、貯金を増やすということではありません。できるだけ大きな価値を自分に与えてくれるものにお金を使うということです。」(p112)「家じゅう、要らないもので溢れかえっているのに、『お金がないから好きなことができない』などと愚痴るのは、滑稽なジョークです。使いもしないモノが家に溢れているから(‘お金の使い方の生産性があまりに低いから)楽しいことをするためのお金が捻出できないのだとしたら、本末転倒の極みですよね。」(p112)価値ある支出を増やす。「手に入れたいものが違う人にとっては『生産性の高い方法』も異なるということです。だから誰かが勧める『生産性の高いやり方』をそのまま真似しても意味はありません。その人が手に入れてたいものとあなたが欲しいものは、同じように見えても実はまったく違うかもしれないからです。」(p120)仕事の段取り。「本来は常に、『価値の高い重要な仕事』から手がけ、それらに十分な時間をかけたあと、残った時間で価値の低い仕事に手をつけるべきです。」(p182)「誰でも『重要な仕事からやるべきだ』『重要な仕事により多くの時間を使うべきだ』とアタマではわかっています。でも実際にそうするのは難しい。その『難しいけれど正しい方法』を実践するために役立つのが、最初から『すべての仕事を終わらせる必要なない』と考えることなのです。」(p182-184)「今まで、フリーランスとして『売れる』というのは『多忙になる』ということだと思っていた。でも本当の意味で『売れる』というのは、『自分のペースで仕事を選んでいても、仕事の依頼が途切れない』ということだ。それだけの技術を身につけ、それだけの実績を上げなければ、いつまでも長時間労働の生活からは逃れられない。」(p236-237)ちきりん『自分の時間を取り戻そう ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方』
大西寿男『校正のこころ 積極的受け身のすすめ』美しい言葉で満たされた一冊でした。滋養のある食事を摂るような。時々は、こういったきちんとした日本語に触れないと、と思えました。帯には「すべての出版人へ そして言葉と本を愛する人へ デジタル・メディア全盛の現代に放つ 画期的な校正論」。ここ10年くらいで、読み手に対して、書き手が圧倒的に増えました。いかに書くかはとても重要なのに、それを学んだり考えたりする場は用意されていないし、必要だと感じる人も多くはないかも。少なくとも自分は、きちんとしていたい。そのために得るものがあればいいな、と思って読みました。心に残ったところ。「言葉には相反する二つの力が働いています。」(p56)遠くへ、広く届けようという力と、限られた人への排他的な力。「校正者は、この相反する言葉の二つの力のバランスをつねに意識する必要があります。このとき頼りになる鍵が、何がどうあれば効果的かつ正確に読者に届くかという判断基準と、言葉の生まれ持つ色合い、体温、手ざわりにどこまでも即すという、言葉の自立性の尊重です。」(p57)問いかけを多く持ち、Aかもしれないし、Bかもしれない。でもここはCだ、と把握できる感覚を持つ。これが校正者に必要なこと。校正には言葉を「正す」と「整える」の二つの営み、行為がある。引き合わせの中にも「正す」と「整える」があり、素読みの中にも「正す」と「整える」がある。著者の恩師、近藤義郎先生の言葉。「文章を書くときに何がいちばんむずかしいか、きみたちはわかるか。それは、”何を書かないか”だ。”何を書かないか”ではないんだ」(p77)書かれた言葉が光、書かれなかった言葉は影。光と影はかならず対になっていて、一方では存在しえない。「一冊の本をつくり出版するということは、この生まれたばかりの言葉が完全に独り立ちできるように、余分なものは捨て去り、たりないところは補い、世間で立派2通用する力を帯びるようにし、本という肉体を与え、ふさわしい衣装を身に着けさせて、読者という大海原のなかへ、言葉がもって生まれためざすところにまでちゃんとたどり着くように、船出させることなのです。」(p92-93)海図を書くのが編集者、船体を作るのが製作担当者や印刷所や製本所、水先案内人が広告、営業。そして「校正者は、それらのなかの一員として、言葉の秘めもつ力を正確かつ最大限に生かし、編集者の描いた海図に見落としや方角のまちがいがないか確かめ、造本と言葉が響きあうものとなるよう言葉のかたちを整える、そのようにして船出へ向けて、言葉そのものを支え援助する役割を引き受ける者だ、ということです。」(p93)著者が考える、校正者にとって一番大切なこととは。「ゲラ(校正刷)の言葉とのあいだに、他の何ものをも介在させない、一対一の信頼関係を築く読みです。相手の言葉が何を語ろうとしているのか、どこへ向かおうとしているのか、どうありたいのか、どんなかたちとして生きていこうとしている”いのち”なのか、ということに、注意深く、心をこらしてゲラの言葉の肉声を聴き取ろうとする、『積極的受け身』の態度です。」(p96)校正者に必要な相反するふたつのまなざし。「信じつつ疑うのでも、疑いつつ信じるのでもない、信じることと疑うことを同時に併行しておこなう校正者独特の、重要で特徴的な読み」(p97)結果、それはニュートラルなのだと私は思います。どちらにも触れるけれど、ニュートラルな位置から向き合う。言葉に対する鋭敏な感覚、センスも大事。「言い換えれば、どれだけ多くの生きた言葉に触れてきたか、さまざまな年齢の、職業の、性別の、立場の、あふれるほど多様な言葉に、校正者である前に、”一人の人間として”立ち会ってきたか(略)その蓄積が言葉についての生きた経験としてどれだけ自分の財産となっているか、ということです。」(p102)多くの人が発信者となっている今、必要なこと。「相手に効果的に言葉を発信するためには、言葉を書く(生みだす)力と同時に、言葉を編集する(プロデュースする)力が必要です。」(p123)これからより必要とされるのは、「校正するこころ」だと著者は言います。「『校正するこころ』を欠いて世に出された言葉は、不幸です。十分に育つまもなく、厳しい大海原を泳ぐ力を自分のものとすることなく押しだされるのですから。」(p152)「何を『する』のが答えなのかわからないとき、校正者である私は、自分から何かを『する』のではなくて、ただ黙って、しかし全身の注意をこらして、やってくる相手と一対一で向かい合い、相手の声に耳を傾けましょう、と答えたいと願う者です。つまり、『積極的な受け身』の態度をとりましょう、と。」(p160)そして、それが聴こえてから能動的に『する』のでも、遅くはないと。それによって言葉の力を蘇らせることができるのでは、と。「『校正のこころ』とは、よろこびを『よろこび』と名づけ、悲しみを『どんなに悲しいか』と物語る言葉を、自分に取り戻し、再発見し、客観化する力です。」(p163)トトノエルがしていることも、校正。生かすために、積極的な受け身で耳を傾け、それから能動的に動く。言葉をもっと大切に扱う人が増えるといいな。美しく、深い言葉が交わされるようになるといいな。まずは自分から。大西寿男『校正のこころ 積極的受け身のすすめ』