活字中毒のワタシの日記

2016年12月03日(土) キュステンマッハー,マリオン『世界で一番シンプルな時間術』★★★☆☆


ヴェルナー・ティキ・キュステンマッハー, マリオン・キュステンマッハー 『世界で一番シンプルな時間術

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
時間も「シンプルに!」でうまくいく。「複雑化する時代」を生き抜くドイツ発の世界的ベストセラー。シンプルに「人生の時間」を楽しむー全5章。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 シンプルな時間術で「時間の常識」の一歩先へ(今日、何をしてたんだっけ?-何ひとつ達成できなかった1日/「収穫ゼロの1日」を「充実した1日」に変える4つのコツ ほか)/第2章 毎日を充実感でいっぱいにする「時間のコツと原則」(忙しい毎日を楽しむ原則とコツ/「やるべきこと」を減らしてリストを短くする ほか)/第3章 シンプルに毎日をすごす「1冊の手帳の使いこなし方」(手帳の使い方を見直す/1冊の手帳を使うーシンプルな手帳の使い方 ほか)/第4章 時間となかよくなる「心の持ち方」をマスターする(クマに学ぶ「ストレスから自由になる方法」/アリに学ぶ「情報の洪水から自由になる方法」 ほか)/第5章 休日・朝・夜…オフタイムで「エネルギーを充電」する(幸福は日曜日のすごし方で決まる/1日を最高の状態でスタートさせるには ほか)

こころに残った箇所。

収穫ゼロの1日を充実した1日に変える4つのコツ
1 短時間でも運動する時間を取る
2 毎日計画する時間を取る
3 机の上を片付ける
4 小さな愛情表現をする

どれも確かに!なことばかり。
書きだして、目に入るところにしばらく貼っておきます。

収穫が少しでもあるように。
それを自分でコントロールできるように。

よりよい時間を過ごすことは、よりよい人生を送ることだから。

「あなたは今、気が進まない仕事をしていると想像してほしい。掃除や、ファイリングなど、あなたの嫌いな仕事ならなんでもいい。
 もし、あなたの頭上に横断幕が掲げられているとしたら、そこにはどんな文句が書いてあるだろうか?
『私は一人ぼっち。誰も助けてくれない』
『無意味な仕事に束縛された人生』
もし、そうなら前向きな気持ちになる言葉を考えてみよう。例えば、こんな言葉がいい。
『今こそ、このシンプルな時間を味わうときだ』
『私は、この仕事に謙虚な気持ちで没頭できる』
不愉快だろうがなかろうが、誰でも単調な仕事はしなければならない。気分がよいときに使う言葉を思い浮かべると、実際、気分もよくなるものだ。」(p50-51)

「例えば『ファイル整理』は『家なき子のための家探し』だ。
言葉は、心の内面のプロセスと深くつながっている。つまり、使う言葉を変えることで、自分の気持ちを整えられるのだ。」(p51)

「単純作業を、熟練した手つきで行うことに喜びを感じるーこれは一種の瞑想だ。」(p53)

先延ばしに効く6つの処方箋
・完璧を目指さない
・“助っ人”を探す
・仕事の実行計画を立てる
・整理整頓をする
・解決法を考える
・体を動かす

「きちんと片付いた部屋で目覚めることが精神的によい効果をもたらすのだ。」(p151)

アイルランドの古い詩
「ゆっくりと仕事しようーそれがいい仕事をつくる
じっくりと考えようー思考は力の源だ
大いに遊ぼうー遊びは永遠の若さの秘訣だ
たっぷり本を読もうー読書は英知の泉である
十分に夢を見ようーそうすれば輝く星により近づくことことができる
自分の姿をよく見ようー利己的に生きるには人生は短い
たくさん笑おうー笑いは心の音楽だ
思いやりを惜しみなく発揮しようーそれは幸せへの近道だ
存分に愛し、愛されようー愛情は人生における真の財産である」(p164-165)

アメリカの詩人、思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンが「成功とは何か」について書いたもの。
「よく笑い、十分に愛すること
知性ある人々の尊敬を勝ち得、子どもたちに愛されること
一流の批評家から認められること
美に感謝すること
誰かに献身すること
この世界を少しだけ善いものにして去ること
陽気な子どもをこの世に送り出すのでも、小さな庭を造るのでも、
大きな社会問題を解決するのでも、どんなやり方であってもよい。
全身全霊で遊び、情熱を込めて歌うこと
私が生きた、それだけでたった一人でも心が軽くなった人がいることを知ること
それができたら人生は成功だったと言える。」(p166)

キュステンマッハー,マリオン『世界で一番シンプルな時間術



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2016年11月29日(火) 岸見一郎『幸せになる勇気』★★★★☆


岸見一郎『幸せになる勇気

「嫌われる勇気」を実践してみたものの、困難にぶちあたった青年と先生との対話。
読み進めることで、よりアドラー心理学が理解できる仕組み。

心に残ったところ。

「自分を変えるとは、『それまでの自分』に見切りをつけ、『それまでの自分』を否定し、『それまでの自分』が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。そこまでやってようやく、『あたらしい自分』として生まれ変わるのですから。では、いくら現状に不満があるとはいえ、『死』を選ぶことはできるのか。底の見えない闇に身を投げることができるのか。……これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも『このままでいいんだ』と思いたい。そして現状を肯定するための、『このままでいい』材料を探しながら生きることになるのです。」(p63)

「われわれの世界には、ほんとうの意味での『過去』など存在しません。十人十色の『いま』によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。」(p65)

トラウマについて。
「これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。」(p69)

三角柱には「かわいそうなわたし」「悪いあの人」「これからどうするか」

「存在を無視されるくらいなら、叱られるほうがずっといい。たとえ叱られるというかたちであっても、存在を認め、特別な地位に置いてほしい。それが彼らの願いです。」(p94)

「あなたは、生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として、未熟な、また愚かな態度なのです。」(p114)

冷静に叱っているのだ、に対して
「いわば実弾の装填されていない、空包の銃だとおっしゃるのでしょう。しかし、生徒たちにしてみれば、銃口を向けられている事実は同じなのです。」(p115)

「いまあなたが守るべきは法でも秩序でもなく『目の前の子ども』、問題行動を起こした子どもです。」(p116)

「暴力行為への恐怖とは別に、『この人は未熟な人間なのだ』という洞察が、無意識のうちに働きます。
これは、大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を『尊敬』することができますか?(略)怒りや暴力を伴うコミュニケーションはには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。」(p116)

「幸福の本質は『貢献感』なのだと。」(p123)

「子どもたちが失敗したとき、たしかにあなたは責任を問われるでしょう。(略)ほんとうの意味で責任をとらされるのは、本人だけです。だからこそ『課題の分離』という発想が生まれます。つまり、『その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か』という発想が。」(p124)

「子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは『自分の人生は、自分で選ぶことができる』という事実を学んでくれるでしょう。」(p124-125)

「ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで『もっとほめられること』を求めます。その人は『依存』の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。」(p152)

「『人と違うこと』に価値を置くのではなく、『わたしであること』に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。」(p153)

「他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に『メサイヤ・コンプレックス』と呼ばれています。」(p162)

「不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰ひとりとして幸せにしません。(略)まずは、あなたが自らの手で幸せを獲得すること。」(p163)

「教育の入口は尊敬である。そして尊敬とは、信頼である。さらに、信頼に基づく関係とは、交友の関係である。」(p197)

「アドラーの『大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』という言葉を思い出してください。どんな相手であっても、『尊敬』を寄せ、『信じる』ことはできます。それは環境や対象に左右されるものではなく、あなたの決心ひとつによるものなのですから。」(p199)

「自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。」(p209)

「世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。」(p215)

「いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。」(p215-216)

「人間にとっての試練、そして決断とは、受験や就職、結婚といったしんぼりっくなライフイベントのときにだけ訪れるのではありません。われわれにとっては、なんでもない日々が試練であり、『いま、ここ』の日常に、大きな決断を求められているのです。その試練を避けて通る人に、ほんとうの幸せは獲得できないでしょう。」(p216)

「与えるからこそ、与えられる。『与えてもらうこと』を待ってはならない。心の物乞いになってはならない。」(p219)

「利己的に『わたしの幸せ』と求めるのではなく、利他的に『あなたの幸せ』を願うのでもなく、不可分なる『わたしたちの幸せ』と築き上げること。それが愛なのです。」(p239)
「現実としてわれわれば、別れるために出会うのです。(略)
だとすれば、われわれにできることはひとつでしょう。すべての出会いとすべての対人関係にといて、ただひたすら『最良の別れ』に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。」(p277)

岸見一郎『幸せになる勇気



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2016年11月03日(木) 岸見一郎『幸せになる勇気』★★★★☆


岸見一郎『幸せになる勇気

『嫌われる勇気』と併せて読むと、よりアドラーの教えに対する理解が深まる一冊。

こころに残ったところ。

「自分を変えるとは、『それまでの自分』に見切りをつけ、『それまでの自分』を否定し、『それまでの自分』が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。そこまでやってようやく、『あたらしい自分』として生まれ変わるのですから。では、いくら現状に不満があるとはいえ、『死』を選ぶことはできるのか。底の見えない闇に身を投げることができるのか。……これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくとも『このままでいいんだ』と思いたい。そして現状を肯定するための、『このままでいい』材料を探しながら生きることになるのです。」(p63)

「われわれの世界には、ほんとうの意味での『過去』など存在しません。十人十色の『いま』によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。」(p65)

トラウマについて。
「これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。」(p69)

三角柱には「かわいそうなわたし」「悪いあの人」「これからどうするか」

「存在を無視されるくらいなら、叱られるほうがずっといい。たとえ叱られるというかたちであっても、存在を認め、特別な地位に置いてほしい。それが彼らの願いです。」(p94)

「あなたは、生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として、未熟な、また愚かな態度なのです。」(p114)

冷静に叱っているのだ、に対して
「いわば実弾の装填されていない、空包の銃だとおっしゃるのでしょう。しかし、生徒たちにしてみれば、銃口を向けられている事実は同じなのです。」(p115)

「いまあなたが守るべきは法でも秩序でもなく『目の前の子ども』、問題行動を起こした子どもです。」(p116)

「暴力行為への恐怖とは別に、『この人は未熟な人間なのだ』という洞察が、無意識のうちに働きます。
これは、大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を『尊敬』することができますか?(略)怒りや暴力を伴うコミュニケーションはには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。」(p116)

「幸福の本質は『貢献感』なのだと。」(p123)

「子どもたちが失敗したとき、たしかにあなたは責任を問われるでしょう。(略)ほんとうの意味で責任をとらされるのは、本人だけです。だからこそ『課題の分離』という発想が生まれます。つまり、『その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か』という発想が。」(p124)

「子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子どもたちは『自分の人生は、自分で選ぶことができる』という事実を学んでくれるでしょう。」(p124-125)

「ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで『もっとほめられること』を求めます。その人は『依存』の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。」(p152)

「『人と違うこと』に価値を置くのではなく、『わたしであること』に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。」(p153)

「他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に『メサイヤ・コンプレックス』と呼ばれています。」(p162)

「不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰ひとりとして幸せにしません。(略)まずは、あなたが自らの手で幸せを獲得すること。」(p163)

「教育の入口は尊敬である。そして尊敬とは、信頼である。さらに、信頼に基づく関係とは、交友の関係である。」(p197)

「アドラーの『大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』という言葉を思い出してください。どんな相手であっても、『尊敬』を寄せ、『信じる』ことはできます。それは環境や対象に左右されるものではなく、あなたの決心ひとつによるものなのですから。」(p199)

「自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。」(p209)

「世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。」(p215)

「いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。」(p215-216)

「人間にとっての試練、そして決断とは、受験や就職、結婚といったシンボリックなライフイベントのときにだけ訪れるのではありません。われわれにとっては、なんでもない日々が試練であり、『いま、ここ』の日常に、大きな決断を求められているのです。その試練を避けて通る人に、ほんとうの幸せは獲得できないでしょう。」(p216)

「与えるからこそ、与えられる。『与えてもらうこと』を待ってはならない。心の物乞いになってはならない。」(p219)

「利己的に『わたしの幸せ』と求めるのではなく、利他的に『あなたの幸せ』を願うのでもなく、不可分なる『わたしたちの幸せ』と築き上げること。それが愛なのです。」(p239)
「現実としてわれわれば、別れるために出会うのです。(略)
だとすれば、われわれにできることはひとつでしょう。すべての出会いとすべての対人関係にといて、ただひたすら『最良の別れ』に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。」(p277)

幸せになると決めるかどうかも、自分次第。
人生は、選択。

岸見一郎『幸せになる勇気



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ジャンルでまとめました→本を読んで町へ出よう。
ブログ→捨ててスッキリ。キレイに暮らす。


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