超雑務係まんの日記
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恋愛物語が悲劇へと変わってゆく瞬間は マンネリ化した恋人や夫婦の生活のように
甘いドキドキや自分をカワイク見せたいという ウレシイ緊張感がなくなる時だと思う
まさしく 深く深いところに沈澱してしまった試験管の底にたたずむ 何かのように
誰かがドカンと刺激を与えてくれなければ拡散しない 他力本願の物体に成り下がっていたりする
そういえばの話 19才の時、はるかに年上の人とはじまった恋があったとする
母親にはなれない
言われた事が以前にもあった
都合ががよすぎるくらいにどうしてこうも 穏やかでやさしかった君
過ぎた事や嫌味なことをチクチクと言わない 見て見ぬふりができるやさしさを持っていた
こうして書いてると いつしかの出来事ばかり 過去にすがりつきたくて仕方のない自分が どうしようもなく現れてくる
飲めなかった君は 飲んでる僕を ニコニコ笑いながらいつだって 朝の光が射し込むまでずっとずっとずっと 真剣に話を聞いてくれたから
僕はうまく話せなくなるほど もたれかかりながら 何度も何度も自分の夢を 涙が出るまで声を枯らせていたような気がする
当時の10代の僕が 今の30代の僕と向き合ったとしたら
現在の俺は オマエにどう映りますか?
ねぇ
ねぇねぇ。
教えてくれよ
なんか
言ってくれよ
不倫とか 同棲とか
仕事とか
俺には よく わかんねぇ
昔のオマエなら どんなアドバイスをしてくれるのだろう
ねぇ
10代のオマエと 歳を食った社会人の俺と
いったいどっちがマトモなんだよ なぁ?
ねぇ
ねぇねぇ
星を観てると 君は僕を守っていてくれる
けど 答はいつでも降ってこないから
ねぇねぇ
今は誰にも弱くなれなくて 深夜のインターネットが もしかすると
君なのかもしれません
たぶん 明日(というか、すでに今日)には別冊がでる
ここんとこ 帰宅が3時。寝るのが4時。 月、火、水、木、金、土、ずっと
日曜はなんとか、1時には寝てる これが確実に50日間は続いた
忙しいとかではなく、ただ僕は もう少し時間があったなら たくさんの恋をしていたような(笑)
そう だから諦める勇気も時には必要で
ないものを、ねだっても 悲しくなるだけだから
ついこの前 シリアちゃんと焼肉を食べた(日曜日) やはりお母さんはたくましい
逢う度に あとチョット頑張ってみよう
と思う 自分がいる
信じるものがある限り 変化の先にあるのは きっと「今」の進化に違いない
自分にないものを持ってる人 惹かれるタイプの条件としては、きっと上位
一方で 自分と同じものを持ってる人 こちらも同様に愛着を感じます
前者は 引っ張られる感じ 後者は 自身で接近していくニュアンス
いずれも恐らくは同化を望んでしまう自分がいる
同化とは自分と一体になること
考えてみれば 引っ張られるのか、接近するのかの違いだけで 相手と同化したいという単純な欲求は 恋愛のシンプルな動機
懸命さ、賢明さ、やさしさ、悲しさ、強さ、勇敢さ、弱さ。。。
自分にないものを持ってる人 自分にあるものを同じく持ってる人
どちらも、一緒に向かい合える存在?
こんな単純な何かを求める気持 沸き上がるシンプルなアナタを知りたいという欲求
決して答のない欲求 生涯、正解のでない欲求
本をたくさん読んだ、眉間にシワをよせて考えた 友達を増やそうとした、不毛な人との付き合いに時間をかけた 数えきれないくらいメール交換をした たくさんお酒を飲みに行った
そんな繰り返しで 愛や恋という バカが付くくらい単純な欲求を 悲しいくらいに決して満たす事はできないのです
実に単純で明解でシンプルな欲求なハズなのに 時として 家や経済などの打算的な条件が入り込んだりします
生活とか、世間とか、周囲とか
打算、打算、打算的。。。
ぜんぜん単純に何かを求める気持じゃぁナイ 明日も明後日も裕福でいようとしたら ずっとずっと一歩を踏み出せません
10代の頃に偶然知り合った いまだに一緒にいたら、けっこう歳じゃないですか
先の事なんてまるで考えてませんでした それがイケなかったのかなぁ
飲めなかった君だけど 一度だけ、カクテルを飲んでた時があって その光景が大好きで、たまに想い出すんです
独りでお酒を飲んでると不思議な気分になります
いつもグレープフルーツジュースでした 酔ってる僕の向かい テーブルをはさんで 両手でグラスを抱えてひじをテーブルについてたよ
何もかもが未完成で 毎日がどんな保障もなく、不安定だったかもですが とにかくとにかく、ハッピーだったような気がして
ただ 確実な事を言えば、やっぱりというか 結局完成する事はなかったのです
でも、それでヨカッタと思ってる 僕は
だって、そうだろ?
「今度」と言われたら、信用しないようにしている なぜなら 「今度」をあまり経験してないからだ
なかには二度と「今度」が訪れなかったり 決して逢うことのない「今度」がいくつか存在してたりする
そう 絶対に来ない「今度」が歳を重ねるごとに どんどんポイントのように貯まっていく
本来なら「今度」はいつか消化されるものでなくてはナラナイ
曖昧な言葉は いつでも真剣さと対照的だ その時がこないとわからない、といった日常は 「今度」をずっと呪文のように唱えてるに過ぎない
呪文を唱えれば 劇的に突然何かが変化するなんて テレビゲームの世界以外ではやはり難しい
とは言いながら
流浪を強いられず 最低限のお金があって、焦らずに生活できる環境があれば 人は変化を求めない 仮に劇的な変化を求めたとしても、どこかゲーム感覚だ
ずっとずっと「今度」は今度でいいのだ 未来はその時がこなければワカラナイから
イヤだ そんな感情は泥みたいだ
モンスターでなければ まっとうな人であるならば
「今度」の積み重ねを過去として捉え 現在は「未来」であって 未来は「意志」になるのだと思う
そして 意志は「覚悟」になり 最後には「祈り」に昇華していくのではないだろうか
逆にベクトルをたどってみる 覚悟のない言葉は意志がないから軽いのだ 意志のない考えは未来がないから浅いのだ 未来のない日常は現在がないから辛いのだ
祈りのない生活からは 捧げる覚悟と言葉を、オマエの脳に持ち合わせていない
だから 愛もない
サヨナラ
考えてみれば ずいぶん遠くに来たもんだ
あてもなく家を飛び出したのは10年以上も前 拾ってくれた人は三軒茶屋に住んでいた
その後また放浪し、次は確か。。。桜新町だった さらに次は経堂だったか エリア的には微妙にそれぞれ近い(笑)
それから、東池袋にしばらく居た気がする そして江古田に移り住み、最後は東長崎だった
東京って、どんなところだったっけ もう北国の生活が長いせいか、すっかり浦島気分です
実際のトコロ 東京に戻る理由もなければ、一方でまた北国にいる明確な理由もない
故郷と問われれば 僕はあるようでないような曖昧な感覚でしかなく それほど重要な存在ではないのです やはり「家」を重んじる北国の人とはズレが生じてしまう
「家」とか親戚とか、義兄弟とか そんな環境はよくわからないし、ぜんぜん馴染めない どうやら珍しい事に子供の頃から 僕は親以外の家系に関わる誰とも接していなかったようだ
回顧すれば「家」に関わる結婚式や葬式やその他行事に一度たりとも 未だに出席した経験がないのです
しかしである 「家」は存在しないかわりに 僕には還るところが確かにあるのだ
とくに「家」や親戚や義兄弟から習ったワケでもなく 還るところが、ふとしたことろから出来てしまったのだ
そうさ 君がこっちにおいで、って誘ってくれれば すぐさまの準備はできている
でも君はあまりにも先にいってしまったから 怖いとか未練とか、そんな低俗的な事ではなくて なぜ、そうしてしまったのか この意味を理解できないうちは。。。
やっぱり、還れない
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どいつもこいつも 己れの未熟を正当化するために 価値観の多様化などと 都合のよい言葉を弄して 物ごとの本質を曖昧にし 自立自省を忘れ 自己主張ばかりのさばらせるから 世の中狂っていくんだ
(中略)
自我をへし折ってこそ浮かぶ瀬もある
(つげ義春 著 『無能の人 第三話「鳥師」』)
向田邦子という作家は、すでに過去の人だろうか。
「時間ですよ」などの脚本を執筆してる事から、 イメージ的には人気テレビ作家という人物像が強いかも知れない。
作家論はあまり好きじゃないけど、 僕の大好きな向田邦子について少し書きたいのです。
邦子には新人のシナリオライターだった頃、恋心を抱いていた彼がいた。 仕事を終え、毎日のように彼のもとへ通う邦子。
しかし、彼には妻子がいたのだった。 幸いにも別居中だった彼。 職業はカメラマン。
ここで一つ重要で不幸な事実があった。 彼は脳硬塞で下半身が不自由だった。
邦子は毎日、彼のために仕事を終えてから料理に腕を奮った。 日々、彼のために、自慢の献立を、そう毎日毎日。
刺身、豆腐の味噌汁、胡瓜の酢のものなど、 素朴なメニューだが彼はとても喜んでくれた。
そして
とうとう、彼の離婚が成立した。
邦子は言った。 「これから一緒にごはんを食べようね。何千回も何万回も。」
そうこうするうちに、邦子の作品が市場の脚光を浴びてくる。 多忙のあまり、帰宅が深夜になる邦子。 足の痛みが日々ひどくなってくる彼。
必死の思いでやっと締切りの原稿を下ろし、気づいたらもう夜はかなり更けていた。 バタバタと急いで彼のもとに向かう邦子。
玄関を開けてみると、 彼は充満したガスの部屋で、独り息を絶えていた。
邦子についてはさまざな議論があるが、 僕は向田邦子という作家は幸せだったような気がする。
恋愛という視点からの生涯はとても有意義だったのではないか。
偉そうな事を言わせてもらえば、 愛や恋は、ちょっとした覚悟のような気がする。
けれど、 どちらかに覚悟が欠けていた場合、恋愛は、やはりゲームになってしまう。 テレビゲームのように勝ち負けか、もしくは引き分けが成立し、 気分によっては再チャレンジが何回も可能。
そしてゲームであったが故に振り返れば、 当時を後悔し、反省し、また思い出し笑いなどもしてしまう。
覚悟がないからこそ、自然に消滅するコミニュケーションが存在するのだと思う。 悲しいことにゲームはいつでも、自分の都合でリセットができるからだ。
話しを邦子に戻す。
世の中に作品が評価され、作家という地位を確立し、 名誉ある直木賞までとってしまった邦子。
だがその翌年、飛行機事故であっけなく他界してしまう。
邦子の生涯とはいったい何だったのか。
邦子が売れないシナリオライターだった頃の彼との食卓風景が、 僕は見たこともないのにナゼか幸せそうな気がしてたまらない。
きっと言葉では表現出来ないその風景。 決して気分では左右出来ないその光景、決してリセットなんか出来やしない。
もしかすると邦子の脚本の多くには、 いきいきとした食卓シーンが多用されてるのは偶然じゃないかもしれない。
さぁ、幸せとか不幸とかって、誰がどう決めたのだろうか。
世の中で怖いのものは? 聞かれたら、僕は2つ
1コは二日酔い
もひとつは 別れの朝
前日に逢った人でも、朝にはたいていお別れしてしまう
考えてみたら 10年前に出逢った人でも、いつかは必ず別れが来てしまう
親兄弟に見離され 友達も居なくなってしまい まったく知らない土地で 誰ひとり自分の言葉を聞いてくれる人がいない
ガレージに車をいれた瞬間 そんな不安にかられて泣きそうになった
電話をしてみる 勇気を出して聞いてみた
俺にひとりも味方が居なくなってしまっても 一緒に歩いてくれるのかな。。。
その時の返事は未だにハッキリと覚えてる
別れは朝が似合ってるような気がする 夜の別れは、何だか本当の別れのような気がしない
居なくなってしまったベッドに枕が二つ寄り添っていた 朝のこの光景は、とてつもなく苦しい
生きていればイイ事あるさ、って 無責任に言う人もいるけれど、本当なのでしょうか?
ダレか教えてくれませんか
劇的に突然何かが変化するなんて、なかなか難しい
じゃぁ、どうして 毎日をうなだれながら過ごしてるんだ
オマエ達の声が聞こえてこない限り オレの言葉なんて、ずっと届かないんだ
__________
悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない ただ あなたの顔が 浮かんで消えるだろう
(『悲しみの果て』エレファントカシマシ 詩曲:宮本浩次)
以前お付き合いしていた人たちへ。
すごく仲がよかった時代もありました。 毎日のようにメールしていた時もありました。
中には お電話であれこれと会話したり、 お逢いしてまでも、直接お話しした方もいました。
でも、 何かの拍子にプツンと途切れてしまってから、 突然死んでしまったかのように、 気持のヨイくらい無関係になる間柄へ進展。
自分が自分である為にと、気負いをあらわにしてしまったら きっと自身である「私」を優先させてしまった場合において、 他者との関係に歪みが生じてしまう機会が多く存在しませんか。
気を使うとか、 意見を出すとか、 みんな仲良くとか、 楽しければいいんだとか、 人との関係にあたりさわりなくとか、
そんな事よりも。
もっともっと、 伝えなくてはならない「何か」が人には存在する。
言葉で言えなくとも、態度で示せなくとも、 すべての時間を使って表現しなくてはならない義務が 思考するあらゆる絶対に流れているモノ、そしてコト。
僕はそう信じて信用してしまって、 疑う事をまったく知らないで生きている。。。
いつもいつも、何もかも空中分解。
そこに誰かがいるだけで、 「未来」。
淡い時代の存在は人生のベースになるか、 生涯とらわれる過去の栄光に成り下がるか。
時には鋭利を突き刺し、 血液にまみれても、歯を悔いしばり、 頭が不毛にグルグルりん。
止まらない鼻水を垂らし ワケノワカラン薬を大量に飲み続け、 治さなくてはならない 何か。
眠れなくて、浴びるほどの酒と一緒に睡眠薬をたらふく食せ。 深い夜との闘いに、いつになったら勝てるのか。
我慢、オトナ、忍耐、そんな言葉で表現出来るもんか。 自分の為、誰かの為、そんな悠長な状況なもんか。
ビリビリと生きてる苦悩を1秒毎に感じながら、 薬漬けで上手く言葉が話せなくなるまでに、 瞳から汗がしたたり、全身から涙がこぼれ落ちてきて 足元に崩れ落ちながら、毎日毎日惨く暮らすのだ。
死ぬまでだらしない姿をさらして生きろ。
治す為の死ぬ想い、 窒息してしまうくらいの閉息状況。
それでも、アナタを抱き締めてくれる人がいたならば、 やっぱり居なくなってはイケナイ。
自分の為とか、人の為とか、言ってるうちは まだまだ道徳に沿っているマトモな人格だ。 迷惑というより、社会の模範かもしれない。
でもオレにとっては、 はなはだ迷惑なダケの存在、オマエはフラフラなモンスター。
過渡期に固有な矛盾と混乱は、 それ自身が過渡期であることについての 反省を欠いているところから生まれる (梅本克己)
一度だけ 年下の人と一緒の時があって なかなか気苦労が絶えなかった記憶がある
といっても 相変わらず甘えてばかりで カワイイ、カワイイって言われて喜んでいましたが
ただし相手には一つ問題があって 精神的に病んでいたのだった
私との問題を考える時に ある症状がぼっ発するのであった
本人は認めはしなかったが 明らかな過換気(過呼吸)症候群だった 医者にかかる事をずっとすすめていたけれど まるで聞く事をしなかった
恐らくはパニック発作(障害)だったかもしれない
ある日 また過呼吸がはじまった時 早くおさまってくれよ、神様よどこかでみてるんだろゥ って、必死にお願いしたものです
そういえば 何の原因もなくボロボロ涙を流してることがあって
聞いてみた。どうしたの?
「考える理由が見つからなくて、不安で仕方がないの」
未だに覚えてる言葉だったりする。。
だって 「考える理由」は一体何についてなんだ。。? と自問自答を繰り返してみたが
もしかすると「考える事自体の理由」ならば やっかいな問題となる
思考は止められないからだ 生の間はエンドレス、死ぬまでの間は狂うしかないのだ だから心に異常をきたすくらいなら、マトモな証拠である
無機質に毎日仮面をかぶりながらやり過ごす精神こそ アブノーマルの産物のような気がする 言ってみればモンスターの集まりだ
怪物に食われないようにビクビクしながら 昨日からずっと生きていかなくちゃ
さぁ、手を伸ばせ こっちへ来い
俺が救ってやる
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