超雑務係まんの日記
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「再度、高校受験をするんだ。俺が家庭教師をやる。 もちろん、お母さんからはアルバイト料をもらう。 受験校は○○だ。○○が中途入学が可能だって事は知ってるよな? ココの特進クラスを狙う。 ここにはヒデの仲間がきっと見つかるハズだと思う。 どうだろう?」
両親と主治医以外では、 私だけが外部と接触出来る唯一の人間だったらしく、 実はヒデからはよく電話がかかってきてたのだ。
今、一番イヤであろう、人生の選択を私は迫ってみた。
10代でこんな強いられ方をされるのが、私はイヤでたまらなかった。 しかも、私は家を出てワケワカラン暮らしをしていたから、 両親に愛されているヒデには、早く復活をしてもらいたかった。
ただ、それだけだった。
黙っていたヒデが口を開く。
昨日も今日も明日も明後日も。
ヒデが引きこもってしばらく経ったのだろうか。
高校中退。大検失敗。精神病。
けど、 幸いにもヒデは、まだ若かった。 10代の半ば。
私もヒデと同じくらいの頃、よく聞いた言葉がある。 「若い頃の回り道なんて大した事ない」
が、年が若ければ若いほど、遠回りを絶望的に感じてしまう。 だって、そんな言葉はたいてい若くない人が吐いている。 誰だって苦労なんか買ってまでしたくない。
回顧すると、 昔のある時期の1〜2年、 他の事をしていればヨカッタなぁ、と。 確かに思う時も。
しかし、今だからだ。 あの頃は、粒子のような細やかな時間が超スピードで駆け抜けている。 年寄りの時間と単純に比較してはイケナイ。
「最後のアドバイスになるかもしれないんだけど」 私は電話で真剣に話してみた。
私がヒデに言った事は、至ってシンプルな2つ。
今は病気の状態だという事。 再度、高校受験をする事。
前者に関して、ヒデの母親はビックリしていたけど、 私は本人に本気で言った。 腹痛や、風邪などの症状と同様のもので、 医者や薬が治してくれる立派な病気だって事を。
従って、必然的に医者に診てもらわなければならない、 そんな話をした気がする。
なにしろ、本人(私)が経験してるんで、 トークにも力がこもった。 (もちろん、自分がそうだった事は伏せて話をしたけれど)
ヒデは納得してた。明日の精神科の通院を決意した。
後者に関しては、もしかすると私のアドバイスが失敗だったかもと 今となっては正直なところ後悔したりする。
なぜなら、ヒデは受験を決意しなかった。 彼が選択したのは大検だった。 私は最後まで反対していたんだけれど。
これからヒデは精神科に通院しながら、大検を目指す事になる。
。。。これを書いていると、たくさんの昔の情景が頭を走る。 なぁ、ヒデ? たくさんこの時は議論したよなぁ? 私もマジで15歳相手に討論してたよ、かなりマジギレ気味で(笑) もしかすると、この頃が一番楽しかったって?
でも、その年の大検は×だった。 明らかに準備不足。
ヒデの病は深くなっていく。
ヒデの母親から呼ばれ、私はヒデの自宅へ向かった。
母親から様々な事を聞いている間、部屋からヒデは出てこなかった。 いわゆる「引きこもり」。 当時はこの言葉がなかったけど、ヒデは外出もままならない状態。
母親の気持も何となくわかるような気がしていて、 でもヒデの気持も何となくわかっているような気がしていて、 私は部屋の前まで行き、オロオロしている母親の前で 「ヒデ、俺だ。開けてくれ」
ガチャッとカギはすぐ開いた。
久しぶりにヒデと対面。
ヒデの目はまだ死んでなかった。 (大丈夫。まだまだコイツはイケる。) こう思ったのを覚えてる。
「エライたくさん文学ばっかあるね〜」 初めて入る部屋には本棚に、けっこうな冊数の本が。
「先生、どうしたの?」 「あ、もう先生じゃないから(笑)」 「いや、俺には先生なんだよ」 「へー。ウレシイこと言ってくれるじゃん」
この時の会話は鮮明に覚えてる。
しかし。
ヒデは高校をやめた。 入学してたった3ヶ月。
すでに精神が蝕まれていた。 きっと深くて痛い心の傷を負っている。
そう。 そんなヒデの周りは、この状況に理解を示せない。
まるで昔の誰かを見ているようだった。
もうどうしようもなくなったのだろうか、 とうに教師でなくなった私に ヒデの母親から電話が鳴った。
とうとう高校生になってしまうヒデ。 私立の特進クラスの入学が決まった。
そんなに勉強してどするのかねー? ちょっと嬉しくもあり、かなりの不安あり。
とにかく一段落。 正直、私自身もなんだか目標を失ってしまった感じで。
思いのほか、人に肩入れしてしてたせいか、 自分の事を考える時間が必然的に存在し始めた。
4月。 ヒデは新しい道へ。 私は辞職。捨てました。スッパリと。
まぁ、もうかなり前の話なんですが。
「オレが救ってやる」
言葉に出したのは初めて。
君は昼間から大粒の涙を流していて、 その理由を何一つ語ろうとしなかった。
ただ声を詰まらせてポロポロ、ポロポロ。
そう。 知らぬ間に違う道を歩んでいて、 気がつけば、もうぜったいに戻れない所まで。
「最初にオレからいくね」
別に未練とか、悲しさとかは不思議となく、 ただ実行する前に、 「また、これでひとりぼっちかな」と、よく覚えてる。
ほんのちょっぴりでも、 振り返ってみれば たくさんの間違い、誤り、不道徳。
後ろを向いたら、たくさんの人に後ろ指さされてる、 私はビクビクしながら歩いていた。
思い出すだけで、屈んでしまうほど胸が締めつけられる。
自業自得ながら、 眠れない夜に、何度もひざを抱えて空を見上げてきた。
けれど、 いつも震えて眠ってたあの頃と比べて 今はずいぶんラクになったのかもしれない。
取り残されたぶつけようのない怒りと淋しさ。 想い出は未来の恐怖にしてはイケナイ。
だいぶ昔のお話でした。
さて。
ヒデは合格した。 これで、晴れて高校生。 おめでとう。嬉しいよ。
ウン。 私の役目終了。
そういえば、私が高校受験の時、 雪が、たいそうな大雪が降ったんです。
雪なんか降らない街に住んでいたはずなのに、 なぜか雪がどっさりと。
試験当日にそんなもんだから、 雪のせいで、大切な入試に来れない人がたくさんいて、 学校のはからいで、入試の開始時刻を2時間遅らすことが決定。 (北国の世界では笑ってしまいますね。。。)
懸命な思いをして時間通りに来た私は、試験当日2時間ボーッと。 寒くて寒くて、お腹が冷えてしまったのを覚えてます。 ただ、何があってもこれに失敗する訳にはいかなかったので、 もう後がないし、いやもともと先もなかったんですが。
私の当時の狙いは ある大学に入り、学者になり、さっさと論文を発表して、世に出ようかなと。 つまらない論文ばかり発表している学者たちに警鐘を! そんな意気込みがありました。
その為、付属の高校に入学し、そのままエスカレーターでと考えてました。 私学を志望し、成績にも問題がなかったので、あとは我が道を行くだけで。
ある日の深夜、両親が珍しく遅くまで起きていて、 なぜかケンカをしているようでした。
聞き耳を立てると、どうやら私の進路について。
「アイツが私立なんか受かったら、金はどうするんだ?」 父親がつらそうな声で母親に言ってます。
「でも、あの子は変に勉強が好きみたいで、成績もいいみたいなのよ。。」 「だったら、公立にすればイイじゃないか」 「先生が大学付属にしろっていうのよ。。。本人も望んでるって」 「アイツは大学に行きたいなんて言ってるのか?」 「何でも学者になりたいとか。。。先生が言っていたけど。。」 「ケッ。。。何が学者だ!金はどうするんだ?年にいくらかかると思ってるんだ!」 「そうよね。。」 「私立なんかに入られたら、オマエ。。。家族で生活なんか出来ないじゃないか。。」
中学までしか出ていない両親には、大学までの費用を現実として、 いや現実的に算出することは、まず経済的に不可能でした。
私は私立高校にも大学にも行けないことが、この時ハッキリとわかりました。 この頃から、少し考えが変わってきたのです。
お金のない暮らしに何とも思ってなかった私は、裕福な生活に憧れを感じるようになりました。
結果的に、 私は公立高校1本だけしか受けられませんでした。
現在、中学3年生のヒデの受験校は4校。 いいなぁ、4校も受けちゃってさぁ。 そんな、うらやましさが、ありました。
が、意外にも3敗。
残りは1校、さぁ結果は?
ヒデの成績が落ちてきた。
予想していた懸念が的中した。
小学校や中学校で受験を経験したことのない人は、 一番最初の転機が高校受験ではないだろうか。
試験により、行く末が決まるという初めての出来事。 (本当は行く末まで決まらないけど)
プレッシャーに弱い人はココで、まず様々な葛藤が起こる。 生真面目な性格だとなおさらだ。
もう本番はすぐそこ。 新しい年を迎えたばかりの1月。
私にとっては、正直なところ、 中学3年生の君たちが どこへ行こうが、いや行かなくたって構わない。
冷たい言い方かもしれないけれど、 君たちは、今年、自分で結果を出した事に責任を持つ。 ただ、それだけの事なんだと思う。
今、考えると もっと教えておけばよかった、 たくさんの大切なことがあったのではないかと、 反省や後悔が押し寄せてくる。
私の追いかけた結果が正しいかなんて、まったくわからない。 一方でヒデの選択した結果が正しいのかもしれないと、 冷静になった今では考えたりもする。
結果論としてだけど、 私は明日よりも、今日が。 今日よりも昨日が、昨日よりもその前の日の方が、 怖くて恐ろしくてブルブル震えてしまう。
流れに任せて、無意識で未来に向かっていくなんてムリだ。 毎日の日々を過ごし歳をとるごとに、逃げたい過去が迫ってくる。
さて、ヒデの志望校は4校。 大学付属1校、私立2校、公立1校。
果たして結果は?
相手を「子供」と捉える存在は、 たいていは子供以外の「大人」だけ。
「子供」と自覚している人は まず相手を子供と捉えることをしない。
私はずっと「ガキ」と言われていたので、 もしかすると視点は子供に近かったのかもしれない。
実は未だにコドモとオトナの違いがわかってないのですが。
無関心を装うのがオトナですかねぇ? 適当にお金を稼ぐのがオトナですかねぇ? 安定した生活の中で歳を取ってるだけがオトナですかねぇ?
昔を思い出してみると、 指導をしていた頃を考えてみると、 中学生のヒデは私なんかより、ずっとイカシタ大人だった。
「先生、オレは文学を勉強してみたい。文芸評論の世界で生きてみたい。 こんな考えをしてるオレ、変ですか?」
変なわけないじゃん。 すげーよ、そんな中学生いないんだって。 「文芸評論」なんて、言葉自体は一般的じゃないんだから。
ヒデは「生きたい」って言った。 君たちには、未来がある。 そう、本当に輝かしい将来がうらやましい。
一方で、 私は「死ねたら」って思ってた。
生きたい、という人が、 死ねたら、と考える人が、
どんなバランスで社会に調和してるのだろう。
ヒデが卒業するまで、 私は責任を持って仕事をしなくちゃね。
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