超雑務係まんの日記
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2003年02月15日(土) 休止

姿のないオマエに挑む。

そこに居てもココには存在しない。

どこにいたって、海外だろうが、
インターネットは素晴らしい。

でも、10分1ドルは高いぞ(笑)

国の文化を垣間見る。


耳鳴りは、いつまでも治らない。

もう二度と、って。
そんな気概もあるけれど、
僕は甘ったれだから、誰かが側に居ないと、
きっとダメなんだろうと、感じてる。

求めるのはシリアちゃんクラスだ(爆)

ははっはあああああ。
ハッッハアアアアア!




ココは残しておきます。

すみません。


2003年02月10日(月) 弛緩

北にいる時は、気持がいつも緊張していたのかも。
こっちだと、弛んでいるのか、とても優しくなります。

常に2時間とか3時間とかの睡眠時間だったから、
いつでも熟睡しちゃいけないような気がして、
毎日、たいやきくんのように一つの事ばかりを考えていました。

そして、今。
規制されず目が覚めた時に、隣にいる人を見て安堵します。

追われてない生活のせいなのか、
昔の夢をよく見ます。
ツラかったこと、楽しかったコト、泣いてしまったコト。
でもどれも仕事をしていた時は忘れていたコトばかり。

もしかすると、大切な想いを失いながら生活を続けていたのかもしれません。

一緒にいる事を、これほど切実に感じられる、
明解な答を僕はシンプルに選んでしまいました。
考えてみればあの時に、
嘘でもいいからハッキリとした僕を悦ばせる君の考えを、
述べてくれさえすれば、僕はこんな事をしなかったような気がします。


ああ。
周りが見えなくなるほどあくせく日々働くような、
言ってみれば誰よりも時間が奪われてしまうような、
そんな這いつくばるような、
今までのような生活を、これから新たにする機会があるのだろうか。
出来れば人生の中で1回だけであってほしいと思ってます。


誰かの口から耳にはいるだろうと、
何も言わず僕は卑怯な手段を選んでしまいました。

二度と逢う事は許されないハズです。

これでヨカッタと思います。

僕はきっとお金持ちにはなれないなぁ、と身にしみてます。
経済力のある素晴らしい暮らしは、一度壊してしまったら、
きっと復活は出来ません。

クルマがあったり、大きなお家があったり、切っても切れない血縁関係があったりと、
現実を見渡せば、なかなか計算して捨て去るなんて、そんな簡単じゃないです。

だから、本当は言わなくちゃなりません。
すでにご存じかも知れませんが。
でも黙っていようと思います。


2003年02月05日(水) 高飛び

もう3時30分になろうとしている。

今は環境がちがうからかもしれない。

でも、仮に同じ環境だったとしても、
君はどうなのだろう、と考えてしまう。

きっと、もたないだろう、って。
体力的に、精神的に。

実はここ数カ月で、試していた。
ずるい人間です、僕は。

けど、ココで決めたら、また自己諒解とバカにされるね。

あと1回ダメだったら、
僕の中では、ふんぎりをつけようと思う。


さて、高飛びをしよう。


2003年02月04日(火) ZZZ

ここんとこ毎日、なんかツライ。。。
忙しいっていうか、
ちょっとでもいいから眠りたい。。

頑張る、っていう前に、寝たい。。

布団に入りたい。。


ホントは待っててほしいケド。.


2003年01月30日(木) 忍ぶ

タクシーで帰宅。
終電に間に合う時の方が珍しい。
3時を過ぎるのが当たり前になっているのをマジで避けたい。

けれど、みんな一緒だよなぁ、と思う。
定時に帰る人だって、時間がないと考えてるだろうし。
残業して22:00頃に帰る人も、時間がないだろうし。
日付が変わって会社にいる人も、まぁそりゃあね。


それでも、
じゃぁ、なんで続けてるのさ?
って、聞かれたら。



自己啓発とか、自己実現とか、
いつ頃から流行った言葉だろう。
こんなまやかしで、きっと人は命をかけられない。

使命とか、社会貢献とか、
いつ頃から臭い言葉でなくなったのだろう。
こんな正論で、きっと若者は燃え尽きる事は無理だ。



はて。
じゃぁ、僕はどうなんだと。
自分の為に、だったら。
または金の為に、だったら。

今の仕事は続けてないなぁ。


だって、仕事をすればするほど、
自分の健康を害してる事に間違いはないから。
命をかけてるとまではいかないけれど、
ずっとやってたら、そりゃ死ぬと思う(笑)

そして、すんげぇ安い年俸制だから、
いくら残業しても、まったく給料は変わらないし。
(ヒット作を生み出しても変わらない・涙)


金の為だったらね、
ココだけのハナシですよ。
ネズミ講まがいの商売をやりますね。
だって、そっちの感じは大得意だし。。。(あぁ。。)
多分ね、そこそこ成功すると思います(笑)




じゃぁ、何の為よ?


うん、自分ではわかってる。
人の為だから、我慢出来るという事を。
自分の為じゃない、人の為だから、忍耐出来るという事を。

人の為になる、自分の為は、考えた時点で、
すでに人の為になってない事に、気づけるかどうか。



この「人の為」を理解出来ないから、
いわゆる世の中にはキレる人が増加してるんです。

だから、
ネットで付き合う事が出来ないんです。


2003年01月29日(水) ハム

(カタカナばっかりです。)

おおぅ。
研究したら、けっこうイイコト書くと思ってる。

思わぬトコロからの話の流れなんだけど、
それぞれの環境があるから、
割と面白いなぁ、と。


それとは、別に。
任せるなら、この人しかいないだろうなぁって。
勝手に考えていて。

大したところじゃ、ぜんぜんないから、
管理とか運営なんて、何一つないんだけれど、
昔のしがらみを引きずらず、
新しい試みを柔軟に受け入れる器のある、
そんな人が好きだから。



ドラマ「僕の生きる道」。
ドラマなんか数年ぶりくらいに見てるかも。
ビデオに録ってたりする。

明け方に眠い目をこすって毎週再生ボタンを押してる。
見るたびに、涙が出そうになる。

でも、この内容で泣いてはイケナイ。



ハム=ハーレム、とするならば。

ええ?イッタイ。なにが、どうなのよ?(笑)







いやいや。
さっちさんと、
この世界でなんかやったら、
意外にねェ、アイディアはたくさん生まれてくるよぉ。


んで、例の本屋さんもコラボレートすると、
もっとワクワクするような。


考えるだけで楽しいゾ(しんちゃん風)。


2003年01月27日(月) イミ

『グリーンマイル』。
ビデオ2本分。
先週くらいから帰宅後に、睡眠割いて、小分けしながら見た。
さっき見終って。

あーあ、またもうすぐ朝の4時じゃんー。


この映画、ガキにはわかんねーだろーなー。
ってのが、率直な感想。

何てすごいフィルムだろうと、考えた。
次にカメを飼ったら、みすたーじんぐるす、付けるよ。

「死」というオーソドックスな魅惑(?)のテーマよりも、
「生」という逆説的な贖いに、深い意味を感じたのは、
私だけではないと思います。




某サイトの生ヒザにドキドキした。
これも確実に歳のせいだなぁ、とかなり自己嫌悪(涙)

基本的にはドキドキしちゃイケナイと思ってる(いろんな意味で)



ふふん。
真面目なハナシと、おやぢぃなハナシ。

なんのこっちゃ。
酔ってます。


2003年01月26日(日) オマエ

 「いい女は料理が上手い」というフレーズは古今東西流布しているが、
 これは確かに当っているようだ。

 (メールマガジン『<続々>おやじのための自炊講座 第9号』03/1/22発行)
 http://www.ne.jp/asahi/jimihen/oyaji/
 _______________________________

まったく同感。

いいオンナじゃない人で、料理の上手い人はいないです。
と、思ってます。

もちろんこれは、私の勝手な感覚。
女性蔑視といわれても、文章を続けます。


料理を作る相手は2つしかありません。

自分に対してか、人に対してか。


料理の技術は作った数に比例します。
しかも、どれだけ愛情を持ってたくさん数をこなしたか。

例えば。

自分に対して。
恋人に対して。
子供に対して。
親に対して。
兄妹に対して。
旦那に対して。
奥さんに対して。
友達に対して。
お客さんに対して。


アナタは。
愛情をもって何回、料理を作ったことがありますか?
逆に、愛情を持たずに何度、悲しい料理を作りましたか?




今の仕事を始めてから、たくさんいろいろな自慢の料理を食べました。

それでも。
うどんは「花村」以上のものを食べた事がないですし、
シリアさんの作るハンバーグは、
「レストランはしもと」(http://www.gourmettown.net/hashimoto/)より
私は格段に旨いと思ってますし(かなりスンマセン。。。)、
しかも、シリア作以上のハンバーグ、
ちょっとないのでは、と密かに感じてます。



話しを戻して、
上記の『おやじのための〜』メルマガは創刊当時から読んでます。
もともと筆者自身が単身赴任の境遇から、
世のおやじ達に自炊のワザを紹介する主旨で99年に創刊されて、
すでに4年の月日が経ちます。
(今は単身赴任ではないようです)

創刊号から読んでるのは理由がありまして、
おやじの料理(失礼!)を通じて、毎回心に響くフレーズがあるからです。


最後に一節を紹介致します。


 私にはささやかな夢がある。
 自分では『ユメのままで良い小さなユメ』と呼んでいるのだが…
 まず、ひとつは(中略)

 三つ目は、食卓に布製のテーブルクロスを敷いて、
 家族揃って銀のナイフとフォークで食事をするというもの。
 ビニールのテーブルクロスではなく、必ず分厚い木綿製でないとダメなのだ。
 イタリア映画を見ていると、
 ごく普通の家庭でもクロスのかかった食卓でディナーを楽しんでいる。
 布の上に堅いパンくずが落ちる。
 赤ワインが入ったワイングラスとパスタ皿。
 メインディッシュは子羊のロースト・ローズマリー風味だ。

 (中略)

 こんなにスケールの小さいことで良いのだろうか。
 それに食い意地が張っていて、情けなくなる。

 (『<続々>おやじのための自炊講座 第4号』02/12/18発行)
 _______________________________

ぜんぜんスケールは小さくないでしょう。
スケールが小さいと、食に目が向かなくなるのです。
スナック菓子だけでOKな世界だと思われては、ちょっと困ります。





ああ。
料理が上手いと、いいオンナ?

勝手なオトコの都合なら、
ウマけりゃ問題なしなら、シンプルですよねぇ。

質じゃなくて、シチュエーションです、きっと。
もう、そんな状況は考えられませんが。


2003年01月25日(土) 返信

10年以上、アナタは鬱と闘ってきたんでしょう、きっと。
たぶん苦しかったと思います。
かなりツラかったんだと思います。


人と一緒になる事で、自分を切実に認識出来る状況、
多々に存在すると思います。


でも。
鬱は薬で治ります。
安心しましょう。
本当です。
立派な病気なので、医学でほぼ回復出来ます。


さて、勝手に意見を言いますね。

アナタの存在が社会の迷惑と仮定するなら、
アナタと一緒に居る旦那さんも社会の迷惑です。

アナタが居なくなったら、
旦那さんは独りぼっちで社会と闘っていかなくては
ならないでしょう。
「迷惑」という社会の敵に対して。
そう、アナタがさんざん怯えてきた存在に対して。

旦那さんは、ただ独りぼっちで部屋にひざまずきながら、
居なくなったアナタを思い続けて、
死ぬまで社会に疎まれ続けるでしょう。


考え方の角度を変えます。
アナタが言う社会の迷惑って、旦那さんにとっても、
果たして迷惑なのでしょうか?

仮に旦那さんが、そう思ってなければ、
社会に対する不感症の夫婦として、
上手く暮らしていけますよ、たぶん。
あまり例のない夫婦として、うらやましいくらいです。


一般的な考え方も述べておきます。
何よりも、きっと結婚してからの7年間は、
忘れてしまうのに、あまりにもまぶしい記憶ではないですか?

誰だって、どこに転がり続けるか不明なまま、
迷惑をかけないように我慢してバランスをとってるだけです。

だからこそ、
悲しいほど揺れてるアナタの想いに、
納得なんかさせられる言葉なんてありません。


と、ここまで考えてみて。
終着駅は意外にシンプルかもしれません。
一つの言葉で導き出されそうなのです。

旦那さんが「一緒に死のうよ。」
って、言ったらアナタは何と言いますか?

すぐさま出てくるアナタの言葉、
まさにこれがキーワードだと思うのです。

(続く)


2003年01月22日(水) 過去の時

「先生」だった時代があって。
こんな私でも。


私はもともと国語教育に疑問を感じていたので、
要項通りにはほとんど教えずに。



偉そうな事を言いますが、
古事記、日本書紀、源氏物語、枕草子などを。。。
まぁ、いいです。。。


何を書こうとしてたんだっけ。


今日も帰宅は3:00過ぎ。
朝の、です。


本当は今頃、恋人だったかもしれない。
考えてみると、以前は恋人同士だったのかもしれない。


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