■デイリー・ジャンボリー
歳末は 2004年12月30日(木)
何かとみんな急いだり慌てたり気が抜けたりします。ただ人の迷惑になる事だけはやめましょう!危機一髪、ホントに良かった。。


凍てつくような地元の空気はうまいです。凍死寸前のファミレスでトーキングアバウト正月。みんな疲れてるけど元気そうで良かった。


毎年思うけど年末はなんか静かでいい雰囲気です。人面犬ぐらいに「ほっといてくれ」って感じの時には最高です。

初雪 2004年12月29日(水)
東京で今年初の雪。病院へ行く途中でコケました。。
耳の経過も順調だとお医者さんに頭をナデナデされました。

そして雪の浅草はグレートボールオブファイヤーで燃え上がります!三人それぞれの持ち味を活かした投球は白熱したバトルを繰り広げます。目指せ、郭泰源!

いい酒です、今夜は☆こんな朝までコースは何年振りでしょう!酔っ払いも道の片隅で眠る夜に、輝く僕達のシュ−ズ。

最後のらーめん 2004年12月28日(火)
先輩と別れの味噌ラーメン。話しすぎて時間オーバー。でも、その意思は受け継ぎますゼ!

いつでもオレはアウトロー。独り片隅で日本酒を飲むのさ。。さみしい〜。

まあとりあえずゴクロウサマでした!

コロラドブルドッグ 2004年12月27日(月)
喫茶店でハヤシライス。我ながらシブい。ライスはチャーハンのようにドーム型をしていて崩すのがもったいないくらいです。
さあさあ年末に向かってあと一息!

最後のお別れ 2004年12月26日(日)
告別式です。ホントに親戚の少ない家族なのでわずか7人の親族席でしたが、全員で心から見送る事が出来ました。改めて自分にとっての祖母の存在の大きさを再認識しました。
アッと言う間に一通り終わってしまいましたが、遺影で笑ってる姿を見ると今にも話し出しそうな気がするくらいエネルギーのあるおばあさんでした。おじいさんが亡くなって30年。それから孫である僕が生まれたり、第1・第2・第3の人生と生きてきたワケであります。人生の深さを身を持って教えてくれたのですね。きっと。今はこれくらいしか言えませんが、その気持ちを大事にしようと思います☆

クリスマス 2004年12月25日(土)
お通夜です。実家に帰っておばあさんと会った時は何とも言えない気持ちになりました。昨日考えていたよりも様々な事が思い出されてきました。ボロボロのアコギを弾いていた僕に「エレキが弾きたいだろう」と中一の時に買ってくれた事や、病院で「最近ライヴはどうだい?」って聞かれたりした事。でも一回もビデオも見せられなかったな〜とか。
お通夜では兄も出席し、久々に家族が揃いました。お通夜が始まるとおばあさんのプロフィールが読みあげられました。戦前、若い頃は芸者を目指し京都へ行き、結核になってその道をあきらめたそうです。しかし若いうちはかなり激しく遊んだらしく神戸に住んでいた頃は「ディック峰」とダンスしたりしてたそうです。かなり豪快で明るい人だったので、お通夜で読まれるお経もどことなくメジャーブルースに聴こえてきました。何と言ってもロバートジョンソンと同年代ですからね。僕もそんなキープオンロックンロールな人生を見届けることが出来、そして我が祖母の孫である事を誇りに思ったクリスマス。悲しいけど、最大のプレゼントをもらった気分です。ありがとうございました。

クリスマスイヴ 2004年12月24日(金)
朝におばあさんが亡くなりました。実家からの一報を聞いていろんな事を思い出したりしました。でも最近会いに行ったばかりだったので実感は無く、どうしようかと思いながらいつのまにか夜になりました。
12月10日の誕生日を迎えたばかりで89歳。「早くお迎えが来ないかねぇ」なんて僕の顔を見ては冗談のようなマジのような事を言う事も近年は多くて「まあそんな事言うなよ」って返してはいたものの本当は辛いだろうなとも思ってました。

クリスマスイヴの朝に車椅子に乗ったところで意識が無くなっていたそうです。さんざん病気と闘っては克服してきた彼女なので、最後はおじいさんやお友達が迎えに来てくれたのかな。なんて思いました。しかしクリスマスイヴに…いつまでもロマンチックなおばあさんです。


BackIndexNext




J・鶴田ホームページへ