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最近チャットをする時間を減らして カコログさんとお話するようになりました。 他の人のBBSに足を踏み入れる時間を減らして その人の日記を読むようになりました。 そしたら結構いろんな人のいろんな考えが見えてくるんです。 みんなのBBS書き込むだけじゃつまらない。 そう思って住みはじめたkicks56番地。 みんなの日記読むだけじゃつまらない。 そう思ってはじめたココロノナカ。 いつも「羨ましい」から始まるの、あたしの行動は(笑) それでもきっかけはどうであれここはあたしの居場所。 誰にも邪魔されない場所。 思ったことを書いていこう。 |
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あたしがネットで活動することについて否定的な友達がいる。 どうもあたしがC&Aオンリー!!な感じになるのが嫌ならしい。 いつも思ってることがある。 「きっかけはC&A。だけどそれが全てじゃない関係」 みんなと出会ったのはC&Aが好きだったから。 それが理由でクリックして出会った人たち。 ファン友って言葉は好きじゃない。 それってなんかそれでしか(C&Aでしか) つながってないような気がするから。 今までネットで知り合った中ではほんの一握りだけれど 実際に会って言葉を交わした人たち。 まだ一度だけの人。もう何度も会ってる人。 そこからいろんな関係が生まれた。 それは時に「恋愛」というかたちになることもあった。 いろんな友情も生まれた。 自分の抑えられない感情、 寂しさや悲しみや時に怒りを ぶつけられる友達も見つけた。 そういう時のあたしはネット上の「PUPIL」ではなくて 完全に「瞳」という人間の素の部分であって もちろんそれもC&Aと結びついてる、つながってるあたしだけれども それだけで構成されてるわけじゃない。 あたしが悩んでるんじゃないか、 あたしが嫌な思いをしてるんじゃないか そう心配してメールや電話をくれる友達。 自分の恋愛を語ってくれる友達。 こんな友情を誰がファン友っていうの? 「きっかけはC&A。だけどそれが全てじゃない関係」 もっともっと広がったらいいな。 |
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知ってる人もいるかもしれないけど あたしは3姉妹の末っ子(3女)であります。 普通、3姉妹だと名前に共通点があったりする。 同じ文字が使われていたりとかね。 でもわが3姉妹にはそれがない。 小さい頃お母さんに聞いた、名前の由来。 ま、「瞳」の由来はまた別の機会に語ることにして。 その時言った言葉。 「3人ともに共通して言えるのは省略されない名前にしたかったということ」 つまり、例えば最後に「子」がつくと省略されること多いでしょ? 綾子なら綾ちゃん、直子なら直ちゃんって・・・。 お母さんはそれが嫌だったらしい。 あたしたち3姉妹には「子」がつかないし、省略しようがない名前。 それが共通点。 その話を聞いてから「瞳」って呼ばれたいと思った。 でも当時のあだなは「ひーちゃん」 誰もがそう呼んだ。 誰も「瞳」って呼んでくれなかった。 はじめてあたしを日常的に「瞳」と呼んでくれた人、それは高校のときの担任の先生。 40手前のおじさんでも呼ばれるとドキドキした(笑) せっかくつけた名前だだもん、省略して呼んでもらいたくない。 そんな母のこだわり。 今じゃすっかり「瞳」と呼ぶ人が(ネットでだけじゃなく)増えた。 それがとっても嬉しい。 名前なんて所詮記号。 でもそれに託した親の気持ち。 あたしは自分の名前が好きだ。 確かに画数多いから試験で出遅れる名前だけど(笑) 「瞳」って響き素敵でしょ?<勘違い |
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はじめてHNってのをつけなくてはならなくなったのは共有チャットを前にした時。 本名でもいいかなぁなんて思ったりもしたけど なんとなく「ネット上で本名を出すのは危険」 という固定観念があって 打った文字が「PUPIL」 どちらかというと「生徒」の意味のほうがメジャーな「PUPIL」 でも「瞳(瞳孔)」っていう意味もあるんです。 根本には「瞳」って呼ばれたいという気持ちがあったから ネット上で「PUPIL」って呼んでくれるってことは 「瞳」って呼ばれてるのと一緒。 そう思った。 気がつけば「PUPIL」は結構浸透(?)していた。 でもオフで「PUPILさん」って呼ばれることがめちゃくちゃ嫌だった(笑) 「誰だよ」と思った。 だからメールやオフでは「瞳って呼んで」と言った。 チャットではよく「なんて読むの?」と聞かれた。 その次に来るのは「どういう意味?」 そのたびに「辞書で引いてみて。それがあたしの本名だから」と答えた。 こうして徐々に「瞳」っていう名前も浸透していった。 それからしばらくしてkicksに住み始めたら 海外のお客様が普通に「Hi, hitomi〜」ってカキコしてた。 ま、いっか。 そんな時なんとなく今までの自分とお別れしたくなった。 違う自分になりたかった。 HNを変えよう、そう思った。 チャットでも本名でいっかなと思った時 ある人が「俺結構PUPILってHN好きなんだけどな」と言ってきた。 PUPILのときに出会った人たちが 結構この名前を好んでくれていた。 今、「ぷ〜」とか「ぴゅ〜ちゃん」って呼ばれてるのもその名残だと思う。 なんだ結構人気あるじゃん、PUPIL(笑) そんなわけで カキコはPUPIL ボルチャは瞳 共有は瞳@PUPIL なんとなくそんな感じで落ち着いた。 別にあたし自身ネット上と本来の自分、 PUPILと瞳を全く区別していない。 だからどっちで呼ばれてもかまわない。 好きなように呼んでくれればいい。 ネット上だろうとPUPILだろうと あたしはあたし。 こんなんだから実際に会っても 「ネットと一緒」 とか言われるんだろうなぁ(笑) |
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最近「あたしこの人に嫌われてるなぁ」と思うときがある。 きっかけはなんなのかわからない。 気づけばあたしの嫌なとこばかり彼女には映っていたんだろう。 前に付き合っていた人に 「この人に嫌われてるかなぁって思った時ってどうする?」って聞いたことがある。 彼は答えた。 「とりあえず話し掛けてみる。 それで返事がこなかったら諦める。 それだけでいいんだよ。 自分はやるべきことをしたんだから。」 それ以来なにかあると彼の言葉を思い出した。 「嫌われてるのかな」と思ったら とりあえず話しかけてみる。 それでも反応が冷たかったら 「もういいや。 あたしがやるべきことはしたから」 友達が言う。 「みんなみんなと仲良くしようってのが無理なんだよ」 確かにそうだ。 ネットでもそうじゃなくても もっともっと深く付き合っていける人と この距離でしか付き合えない人がいる。 みんなから好かれてる人なんていない。 あたしはあたしのままでいい。 自分が自分を好きでいれればいい。 「あたしが好きなあたし」の周りに集まってきてくれた人たちを大切にしたらいい。 人の目を気にするのはやめよう。 あたしはこういう人間で もうこういう風にしか生きられない。 あたしの中にはふたつの気持ちがあります。 ひとつはこれを読んでもっとあたしとの距離を縮めようとしてくれる人への「ありがとう」 もうひとつは君とは合わないよって「がしゃん」しちゃった人への「これがあたしなんだよ」 今のあたしはこんなあたしでしかないから あなたの許容範囲には入らないのかもしれないね。 ************************** 自分を吐き出す場所が欲しかった。 最近想ってること、今まで想ってきたことを吐き出す場所が欲しかった。 詩を書くことを勧められた。 でもあたしには合わないらしい。 あたしには自分の気持ちをストレートに書く方法しかないらしい。 それはノートの片隅でもよかった。 中学生の小さな小さな秘密のように。 でもあたしはこのかたちを選んだ。 それはきっと誰かにみてもらいたかったから。 こんな人間なんだってわかってほしかったから。 結構ややこしい人間だけど・・・(笑) それも瞳の一部だから。 さっき何気にネットにつないだ。 書き込みの多さにびっくりした。 こんなに読んでくれてるのか。 恥ずかしさの方が強かった気持ちも全部全部「喜び」に変わった。 読んでくれる人がいる わかろうとしてくれる人がいる とっても幸せ。 でも忘れよう。 誰がが見てるって思ったらきっと着飾ってしまうから。 ここでだけはありのままの自分でいたいんだ。 でもね16日10時から18日18時までメンテナンスの為見れないんだよ(><。 |
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知ってる人もいるけど あたしの好きな人に「星野富弘」さんがいる。 彼が元体育教師で機械体操の授業中に怪我をして 首から下が動かなくなって その後口で絵と詩を書くようになった という話は有名だけれど あたしはそういう「お涙頂戴」的なお話は好きじゃない。 あたしは彼がどんな人生を送っていたのか、そういうことにはあまり興味がないから そういう本は読まない。 ただ彼がそういう経験を経て今書いている絵と詩が好きだから詩集を見る。 この人を紹介してくれたのは小学校の担任の先生だった。 学級通信によく載せていた。 彼の詩にこんな言葉がある。 小学生の時に読んだきり この詩にはめぐり会えていないから 一字一句思い出すことはできないらしい(笑) 「もう悪口をいうのはやめよう 一番近くで聞いているのは自分の耳なのだから」 ずきんとくる一言だ。 あたしの中にはどうも「怒り」という部分が少なかったように思う。 あまり怒った経験がない。 それはこの詩のおかげかもしれない。 悪口を言った経験がないとは言わないけれど なんとなく文句を言ってしまった後には必ずこの詩が浮かんでくる。 「あぁまたやっちゃった・・・」 最近はなぜかイライラすることが多い。 まわりにあたしが思う「常識」からははずれている人が多いのか 自分の心の「広さ」が狭くなったのか それはわからない。 勢いあまって愚痴ってしまうこともしばしば。 「こんな話でごめんね」 愚痴った後は聞いてくれた人にそういうことが多い。 「すっきりしたからもう忘れて」 誰よりもあたしの話を聞かざる得なかったあたし自身に言いたい。 「こんな話でごめんね」 もうすこし我慢してみようよ、ね? |
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あたしの友達が、弟が最近学校に行かなくなったと言った。 もともと遅刻の多い子だったらしい。 行かなくなったきっかけは先生の一言。 「きたくなければこなければ?」 先生の言葉って先生が思ってる以上に生徒に影響を与える。 中学1年の時担任の先生が好きだった。 けっこう放任主義で好きなようにやらせてくれて 守られてる感じがあった。 委員長をやっていたあたし。 先生になりたかったあたし。 「あぁ、運命の先生に会えた」そう思った。 でもその先生への信頼は先生のたった一言でかけらもなくなった。 ある日、もうなんでだったかは覚えてないけど 友達数人と先生の車に乗っていた。 あたしが中1の時2番目のお姉ちゃんが中3。 その上のお姉ちゃんは中学で生徒会長をやっていた。 いつも「〜の妹」と呼ばれた。 友達から見ればお姉ちゃんは美人だったらしい。 それはいつも言われた。 「なんで3番目は・・・」そんなことを冗談で言われることもよくあることだった。 お姉ちゃんに対するコンプレックスは小学生の時からあったけれど その頃のあたしは既にそういう発言に笑って 「え?あたしも血引いてるでしょ?」って言える強さ(?)は持っていた。 先生の車の中、いつもの話が始まった。 「ひーちゃんのお姉ちゃんはほんと美人だよね〜」 「なのにひーちゃんは・・・」 その時その話を聞いていた先生の一言。 「ほんと(あたしの苗字)の姉ちゃんは美人だよな」 この言葉であたしはこの先生の見方が変わった。 先生はあたしと比べてどうだと言ったわけじゃない。 あたしのお姉ちゃんは先生にとっては「教え子」であったはずだ。 3姉妹みんなその先生に習ったことがある。 道行く人を見て「美人だな〜」というのとはわけが違う。 それからあたしはその先生と仲良くするのをやめた。 あたしが本当の運命の先生たちに出会うのはそれから3年後のことらしい。 |
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