与太郎文庫
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| 1971年11月26日(金) |
あまちゅあ・かっぽれ |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711126 あまちゅあ・かっぽれ 阿波 雅敏(K1) すでに十数年も前の、とりとめのない話ばかりである。 高校生だった私は、さるアマチュアのオーケストラの演奏会にチェロ 奏者としてエキストラ出演した。この楽器にとりくんで、まだ一年ちょ っと経った段階であったが、奏者の員数をそろえるために、アマチュア の場合よくあることで、当人の技量など二の次である。そうはいっても、 はじめて譜面を見て、満足に弾けるわけもなく、出演というより出場の ほうが正しい。「未完成」と、ショパン「ピアノ協奏曲」あたりまでは、 本番にのぞんでもだいたい格好をつけたつもりである。 最後の、ベートーヴェン「第八交響曲」になると、さすがに手に負え なくなった。とくに終楽章の湧きたつようなテンポにおよんでは、つい に楽譜を見うしなってしまった。つまり、どのあたりを弾いているのか 判らなくなった。こういう場合、なんとなくそれらしい音型を、平然と 弾きつづける態度が肝要(?)である。もしも途方にくれて、ひと休み している奏者がいては、指揮者だってやりにくかろう。員数のひとりと して、せめてその責任だけは果さねばなるまい。 やがて、そのうちに追いつくだろう、という私の楽観は、どんどん進 むにつれ、この分だと最後まで判らずじまいになる不安になりかわった。 私は第三プルトの外側、つまり第五奏者として坐っていたが、わずかの 小休止に、意を決して隣の第六奏者にたずねてみた。彼はページをめく る仕事を課せられているわけで、おおむねちゃんと弾いているはずだっ た。 「いま、どのへんでしょうか」 一瞬のあいま、私がささやくと、彼は即座に答えていった。 「実は、ぼくも判らんのです」 あろうことか、彼はそのまま、やっぱり弾きつづけているのである。 しかたなく私も、彼とおなじように弾きつづけ、いつの間にか全曲は果 てた。 ひどい話なので、こうした経験のない人には信じられないかもしれな い。オーケストラの弦楽器に関するかぎり、弓の方向をそろえることが 先決で、個々の出す音など、アマチュアの場合、概してでたらめである ことが多い。いつもこんな具合でないにしても、当時、技術水準の底辺 はそんなところだった。 アンコールは、歌劇の間奏曲らしかった。というのは、私に与えられ た楽譜はボロボロになっていて、タイトルの部分は破れてしまっていた のである。 演奏会のあと、チェロの首席奏者が帰り仕度をしながら、わめいてい た。「第八」の第二楽章で彼は、困難にしてはなばなしいアルペジオの 独奏部分を、延々やりとげたはずであった。 「途中でおかしくなってね、わけが判らんようになった。しょうがない から、ずっとドミソドミソ、レファラレファラばっかり弾いてやった。 ははは」 すでに時効でもあり、罪のないエピソードをもうひとつ。 ハイドンの「軍隊交響曲」は、私の指揮する高校オーケストラのデビ ュー曲だった。当日、リハーサルの舞台に上った私は、駆りあつめられ たエキストラの参加で、ふだんの三倍にふくれあがったメンバーを前に して、すっかり面くらっていた。第二楽章でオーボエの受けつぎが、な かなかうまくいかない。それというのも、信じられないような安値でつ い最近買ったばかりの廃物寸前の楽器だからでもある。奏者にしても、 みんな逃げ腰だったのを無理におしつけた事情があって、あまり文句も いえない。 わずか一小節のことだが、指揮者として万全を期するため、私はヴァ イオリン奏者を呼んで、ひそかに懇願した。 「オーボエは、ひょっとすると本番では音が出なくなるかもしれない。 そのとき、いちはやく君が代りをつとめるわけだ。なるべく似たような 音色で弾く」 「?」 「いいか、たのんだぜ」 それでも不安にかられていた私は、念のためフルートの第二奏者にも 声をかけておいた。 「オーボエもヴァイオリンも出ない場合は、君がやってくれ。この部分 でつまずくと、困ったことになる」 「しかし」と、フルート吹きは、かねてよりの疑問を私にただした。 「この曲は、もともとフルート一本しか書かれていないんでしょう。す ると第二フルートのぼくが吹いてるのは、何ですか」 「ハイドンの時代は人手不足だったんだ。遠慮せずに、しっかり吹いて くれ」 さて、本番を迎えた。 オーボエの、例の個処になると、私は目をつむってしまった。なむさ ん、オーボエはもとより、ヴァイオリンも第二フルートも、ついに鳴ら なかった。しかるに意外なことは、私自身に起っていた。たちまちにし て私の唇から、とにかくメロディが流れ出たのである。 演奏会のあと、みんなは狐につままれたような表情で話しあっていた。 「あそこで、たしか何か鳴っていたようだ。いったい誰がどうしたんだ ろう」 まさかのハプニングで、あのとき誰も気づかなかったものとみえる。 みんな、よほど緊張していたらしい。そこへ、最前列で聴いていたとい う人があらわれて、叫んだものだ。 「おどろいたなぁ、ハイドンの交響曲で、くちぶえが入るなんて」 「誰だ、くちぶえなんか吹いた奴は」といって私は、いそいで姿をくら ませた。 私たちのオーケストラは、三年目の夏に、琵琶湖一周大演奏旅行をく わだてた。みんな大胆になっていて、公民館とか、大工場の集会場で、 五回ほど演奏会を開くことになった。 すでに私は高校を卒業していたが、この機会に最後の指揮をすること になっていた。例によって楽器の組みかえに苦労は絶えず、たとえば、 「アルルの女」とか、「エグモント序曲」など、原曲にはほど遠い奇妙 なサウンドになるのはやむを得なかった。 そのなかで、私が気に入っていたのは、なんとモーツァルトの「アレ ルヤ」をクラリネットに吹かせる趣向のものである。当時のメンバーで S君という随一の奏者を活躍させるために、私が探しあてたこの曲は、 ご存知ソプラノ独唱と管弦楽のためのモテットに他ならない。S君のた めには、本来ならかの「協奏曲」を吹かせてやりたかったが、オーケス トラにとって荷が重すぎた。そこで、なにしろトロンボーン、クラリネ ット、フルートそれぞれ二本を無理に加えた大編成オーケストラをバッ クに、ときどきとんでもないサウンドにおびえながら、浮かぬ顔のS君 が、これを独奏するわけである。主として、アンコールに用いて、私は 得意がっていた。 メンソレータムで知られる近江兄弟社の、教育会館が、最初の会場だ った。昼間のリハーサルから宿泊にいたるまで、同社の社員とおぼしき 青年が、何かと世話してくださったそうである。私はすべてマネージャ ーに任せて、いわばお山の大将だったので、あいさつはしたはずの、そ れ以上に話した記憶はない。 本番が無事おわってから、くだんの青年はS君のクラリネットを賞し て、いった。 「ウィーンのかおりがしました」 ウィーンであったか、ミラノであったか定かではない。 実はこのくだりは、十数年のち、ごく最近はじめて当時のメンバーの ひとりから聞いたものである。 さらに、おどろいたことに誰あらん、その青年とは若き日の小林道夫 氏だったのである。知らなかったとはいえ、私はたいへんな人の前で、 でたらめな編曲と指揮を披露したわけで、いまさらに身のちぢむ思いが する。 (前々号に寄せた、拙稿「いそがしい指」では、てっきり初対面のつも りで、すまして話しかけているのが、われながらおかしい。おそらく、 十数年前の珍妙なオーケストラのことなど、氏の記憶にはないであろう けれども)。 ちなみに、当時のメンバーは個々としてみれば、なかなか優秀で、S 君はじめ数人は大学の軽音楽部のスターとなり、弦楽器でも、のちに結 婚するまで京響の定期に参加していた女性ふたり、アマチュアの室内楽 を今日まで続けているグループなど、多士済々である。あのころ、第二 ヴァイオリンの末席で、ちっとも目だたなかったW君にいたっては、目 下さっそうとファゴットをたずさえてパリ音楽院に留学中だそうである。 おそらく、指揮者だった私が、実はいちばん才能のない、下手くそで はなかったか。 (19711126) ── 《関西モーツァルト協会々報・第三号 197112・・ 》 ──────────────────────────────── …… 二十二日に近江兄弟社へいった。なかなか親切で我々も少なから ず希望を与えられた形である。其地には関心のある人が多く、ほゞ成功 のようだ。一切は会社と村田師にまかせきっている。つまり無料の奉仕 であるか、有料の演奏会とするかであるが、いづれにせよ工場内の寮に 宿めてくれ、体育館を会場に整備してくれるようだ。彦根には兄弟社か ら其地のYMAC理事に紹介状をくれよう。近江八幡ではそこの同志社 人会も後援してくれるから心強い。順序逆になるが村田幸男氏は岩倉で 4年間教えて居られた人で、話のわかる同志社人である。この人と上野 出身の小林という学園の音楽教師(ピアニストでもある)が良く理解し てくれている。/モーツアルトのアレルヤをも一度やったらどうか。 ── 吉田 肇(Let'19590622) 上の書簡は、ひとりで演奏旅行の事前交渉にあたっていた“ゴリ”の 面目躍如たるもの。上野(東京芸大)出身の、近江学園のピアニストに 出会って、たちどころに《アレルヤ》を思いつくなど、なみなみならぬ 外交的センスがうかがわれる(この中間報告では、独奏者やメンバーの 人間関係についても配慮している)。 チェロの首席奏者は、同志社交響楽団OB・高田逸夫氏。田中さとる (京都放送アナウンサー)氏の司会で、円山音楽堂における合同演奏会。 マスカーニ《カヴァレリア・ルスチカーナ》間奏曲は、カトリックの 祈祷文《Ave Maria》を歌詞にして、ソプラノ独唱されることもある。 フルートの第二奏者は(実は)前年から器楽部顧問となった森田昭典 (物理)教諭。このあと中国人の陳 正雄君が加わり、第四奏者となる。 最前列で聴いていた人とは高橋勘(数学)校長、さすがに耳ざとい。 S君は佐伯和男、W君は若林通夫(この夏はじめて出会った新入生)。 若林君の先輩にあたる新開一朗君は、高校オーケストラでは唯一ピカ ピカの新品ホルンを吹いていた。“S41年卒”は、大学卒業年度であり、 プルミエ・プル(プル)は一等賞、首席卒業と訳すこともある。 馬場久雄君から送られた《同響七十年誌》のコピーには、セカンド・ マスターだった堀江公麿君の文章《卒業後31年を経て》もみえる。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19950301 ワカバヤシ・ミチオ 〜 カンヌより同響の皆様へ 〜 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ↓=Non-display><↑=Non-display ──────────────────────────────── (20001226-20090820)
| 1971年11月25日(木) |
金くれ三題 〜 非婚・同姓・入籍・別居・離婚・再婚 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711125 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Web Library;お金をちょうだい ── 星野 哲郎・詞/中川 博之・曲/小杉 仁三・編曲/美川 憲一・唱 《お金をちょうだい 19711125-20100602 クラウン》 http://www.youtube.com/watch?v=xkOAGURsnKA
星野 哲郎 作詞 19250930 山口 東京 20101115 85 /籍=有近 哲郎/誤=哲朗 ♀有近 □□ 哲郎の妻 19‥‥‥ ‥‥ 東京 1994‥‥ ? /一男一女の母 有近 真澄 歌手 19580921 東京 /シンガーソングライター/星野 哲郎の長男 http://www.hoshinotetsuro.com/work/index.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%C0%B1%CC%EE+%C5%AF%CF%BA 柴田 練三郎 作家 19170326 岡山 東京 19780630 61 /籍=斎藤 錬三郎“シバレン” http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781104 書いた!稼いだ!倒れた! http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BC%C6%C5%C4+%CE%FD%BB%B0%CF%BA http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND11013/index.html 美川 憲一 演歌歌手 19460515 長野 /籍=百瀬 由一/非婚 [A] 172.5cm http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%C8%FE%C0%EE+%B7%FB%B0%EC 当時のテレビ番組で、柴田練三郎が美川憲一にわざわざ「けしからん」 などと叱ってみせた。たぶん歌詞を読まずにカミついたのだろう。 誰がこういう場面を思いついたのか、NHKでは歌唱禁止になった。 ♀安達 祐実 タレント 19810914 東京 /籍=長谷川 祐実(安達は実父の姓)。 /20050914 井戸田 潤と結婚/200604‥ 長女出産/20090108 離婚。 ── 《家なき子「同情するなら金をくれ」1994-1995‥‥ 日本テレビ》新語・流行語大賞 ♀安達 有里 祐実の母 19570830 東京 /籍=長谷川/タレント・AV女優 安達 哲朗 祐実の兄 19800309 東京 /籍=長谷川/旧称=和也/元俳優・タレント 安達 大 タレント 19921023 東京 /籍=長谷川/祐実の異父弟 [AB] ♀長谷川 □ 祐実の娘 200604‥ 東京 /安達 祐実&井戸田 潤の長女 井戸田 潤 タレント 19721213 愛知 /安達 祐実の元夫 [B]/19981211 コンビ「スピードワゴン」結成 井戸田 富隆 潤の父 19‥‥‥ 愛知 /元小牧市議会副議長/後援会「他抜会(たぬきかい)」/離婚歴 ♀東原 亜希 モデル 19821111 神奈川 /〜《お金よりも大切なもの 2005‥‥ アイクCM》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060216 絶望三業 〜 金より大切なものはない 〜 http://aic.jp/index.shtml [A] H165/B84/W58/H84「SRS」格闘ビジュアルクィーン /20080114 井上 康生と入籍 1018 披露宴/籍=井上 亜希 /20090508 第1子となる女児をエジンバラで出産。 /20101126 第2子となる男児を出産。
(20101231-20110102)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711114 ただいま、新郎佐々木敏男君の同級生というふうにご紹介いただきま したが、実は私、彼より一年早く生れており、さらに高校卒業に際して は一年遅かったのであります。したがってわれわれが同級生であったの は、同志社中学と高校にまたがる五年間というわけです。おわり頃の四 年めあたりで、われわれは全学年を通じて一二をあらそう、つまり最下 位の成績をせり合っておりました。 その結果、私は落第いたしました。ところが彼は、どういうわけか進 級できたのであります。彼はスケートで日本一をとるくらい不勉強で、 私は音楽ばかり勉強していたのに、不公平ではないか、と先生に文句を いいました。すると先生いわく「オマエは初めてやろが、ヤツは毎日、 滑っとった」 (於・京都グランドホテル 19711114 ) ──────────────────────────────── 当時の担任は獅子堂静雄(生物)教諭。佐々木の進級に文句を言った、 など(もちろん)作り話である。 宴の当日、会場にラジオ競馬中継を拡声した司会者・酒井博史君は、 佐々木夫人によれば、五十歳代で癌病死したという。彼もまた落第生の ひとりで、留級をよしとせず平安高校に転校している。ここでは、彼の 学力は進学コースに相当したらしく、家庭教師もあてがわれて、みごと 同志社大学に返り咲いた。全盛期の大映映画重役(伝聞では撮影所々長) のドラ息子で、あたかも別世界を生きぬいたように見える。 ──────────────────────────────── 酒井 箴 映画制作/博史の父 19・・ 京都 生没未詳 大映京都/製作作品82本 1954.12.29 怪猫逢魔ケ辻 1955.01.03 伊太郎獅子 1955.01.09 駕で行くのは 1955.01.22 地獄谷の花嫁 1955.01.29 次男坊鴉 1955.02.12 七つの顔の銀次 1955.02.26 花ざかり男一代 1955.03.04 舞妓三銃士 1955.03.11 麝香屋敷 1955.03.25 次男坊判官 1955.04.08 天下を狙う美少年 1955.04.19 鬼斬り若様 1955.05.15 つばくろ笠 1955.06.08 月を斬る影法師 1955.06.26 踊り子行状記 1955.07.12 銭形平次捕物控 どくろ駕籠 1955.08.09 花の二十八人衆 1955.08.31 かんかん虫は唄う 1955.09.06 お父さんはお人好し 1955.09.06 綱渡り見世物侍 1955.09.13 長崎の夜 1955.10.19 悪太郎売出す 1955.11.01 いろは囃子 1955.11.29 俺は藤吉郎 1955.12.07 怪盗と判官 1955.12.14 帰って来た幽霊 1955.12.21 虚無僧変化 1956.01.03 花の渡り鳥 1956.01.09 又四郎喧嘩旅 1956.01.22 虚無僧変化 鍔鳴り街道 1956.02.05 まらそん侍 1956.02.11 お父さんはお人好し かくし子騒動 1956.02.11 銭形平次捕物控 死美人風呂 1956.02.19 お父さんはお人好し 産児無制限 1956.02.26 柳生連也斎 秘伝月影抄 1956.03.04 お化け駕籠 1957.06.18 怪猫夜泣き沼 1957.06.18 赤胴鈴之助 月夜の怪人 1957.07.09 三日月秘文 1957.07.13 南蛮寺の佝楼男 1957.08.06 万五郎天狗 1957.08.13 赤胴鈴之助 鬼面党退治 1957.08.25 赤胴鈴之助 飛鳥流真空斬り 1957.09.03 森の石松 1957.09.21 赤胴鈴之助 新月搭の妖鬼 1957.10.29 忍術若衆 天馬小太郎 1957.11.10 鬼火駕籠 1957.11.17 不知火頭巾 1957.12.08 清水港喧嘩旅 1957.12.15 桃太郎侍 1957.12.28 赤胴鈴之助 一本足の魔人 1958.01.09 月姫系図 1958.01.22 おけさ鴉 1958.01.29 千両槍 1958.02.05 花太郎呪文 1958.03.11 赤胴鈴之助 三つ目の鳥人 1958.03.18 陽気な仲間 1958.03.25 ふり袖纏 1958.04.16 流れ星十字打ち 1958.04.16 旅は気まぐれ風まかせ 1958.05.19 風来坊一番勝負 (大映東京) 1958.06.10 七番目の密使 1958.06.15 怪猫呪いの壁 1958.06.15 白蛇小町 1958.06.29 口笛を吹く渡り鳥 1958.07.13 女狐風呂 1958.07.27 銭形平次捕物控 鬼火燈籠 1958.08.03 江戸は青空 1958.08.03 人肌孔雀 1958.08.19 消えた小判屋敷 1958.08.26 東海道の野郎ども 1958.08.31 花の遊侠伝 1958.08.31 月の影法師 消えゆく能面 1958.09.07 執念の蛇 1958.10.27 血文字船 1958.11.08 濡れ髪剣法 1958.11.15 伊賀の水月 1958.11.15 赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人 1958.11.29 弁天小僧 1958.12.21 赤胴鈴之助 どくろ団退治 1958.12.21 大映の水戸黄門漫遊記 1959.01.03 人肌牡丹
── http://www.jmdb.ne.jp/person/p0164360.htm
| 1971年11月04日(木) |
職人芸 〜 掛ける、書ける、欠ける、描ける、懸ける、架ける 〜 |
Ex libris Web Library;郊(楷書体) http://kanji.jitenon.jp/kanjic/1401.html 「郊」の部首・画数・読み方・筆順 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711104 【0】 凸版印刷に勤務していた当時、次長に「きみ、宋朝体かけるか?」と 声をかけられた。新聞用のレイアウトで、見出しの《郊外の家》のうち 「郊」が文字盤から欠けているので、それらしく手がきで補うためだ。 そこで「まぁ、書けると思います」と答え、それらしいものを描いた。 むかし、高校入学時に、みずから「名人芸ですから」と言ったことが あるので、こんどは「職人芸」に相当するはずだ。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041114 政商 〜 右向くカリスマ 〜 ↑19711104(木)11:15 ↓《諫争 19550605 山脈 第九号》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550605 名人芸/発禁始末 いちおう用は足せたが、念のため「先輩職人」の上司に確かめてみた。 「ちょっと甘いな」たしかに、毎日々々溝引きの筆を使っていないから、 素人目にデッサンが正しくても、玄人目にはエッジが甘いと見える。 おそらく音楽なら「ピッチが甘い」という傾向の事例であろう。 しかし、いくら正確な周波数でも、耳になじまなければ不自然である。 歌謡曲のベース伴奏譜で、しばしば矛盾が感じられるような難問だ。 【1】 …… 1973年、ナイトクラブ「ベラミ」のピアニストがアルバイトに来 ていたスナック「キンコンカン」を見つけ、いくぶん本格的(?)に歌 いはじめた。http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031017 カラオケ記念日 かねてよりの疑問だったが、テレビで西城 秀樹と五木 ひろしだかが 《想い出のサンフランシスコ 19620202 Columbia》をハモろうとして、 ハモれないことがあった。三者三様のキーで収拾つかなくなったのだ。 こういう場合、バックバンドがどちらかのキーに移調すれば、多数決 で解決するのではないか、と訊ねてみた。いつもママに“お住っさん” と呼ばれているピアニストは、即座に否定した。業界の慣習らしい。 もちろんクラシックのオーケストラでも、そんなことは不可能である。 むかし、将棋の内藤 国雄九段が、キーを半音下げてくれと言ったと かの伝説があるが、カラオケなら簡単でも、実演ではありえない。 …… 半音下げるには、伴奏オーケストラの全譜面を(移調して)書換 える必要がある。新曲の発表時と同じ写譜代(ざっと百万円)がかかる。 http://twilog.org/awalibrary/search?word=%E7%A7%BB%E8%AA%BF&ao=a 【2】 …… 石井宋朝体の制作にあたったのが、若き日の橋本和夫氏であった。 橋本和夫氏は1935年大阪生まれで、1955年にモトヤへ入社した。1959年 に写研へ入社し、石井宋朝体の制作にあたったそうだ。60年代から90年 代の約30年間にわたり、本蘭明朝Lとそのファミリー、紅蘭細楷書とそ のファミリー、曽蘭隷書などの監修にあたるとともに、これらの書体の 和字書体の設計も担当した。1997年写研を退職後は、株式会社イワタの 依頼に応じて、書体設計の監修を行っている。 石井宋朝体について、橋本氏は次のように述べている。 >> 「そのようにして、石井茂吉先生の指導・監修を受けながら、写研に 入って始めた書体が、石井宋朝体です。途中で石井先生が亡くなられ、 悲しい空白もありましたが、この書体の完成までには六、七年かかりま したね。僕が写研で始めたのが二四歳でしたから、終わったときは三〇 歳になっていました。(中略)石井宋朝体は、宋朝体の概念をふまえな がら、石井書体の思想が加味されて、それは優雅な宋朝体が生まれまし た。写植文字のデザインを勉強するために上京し、五、六年で大阪へ帰 る予定でしたが、結局、僕は定年までの三五年余り、写研に勤めること になりました」(字游工房『文字の巨人』インタビューより) << 橋本 和夫 レタリング 1935‥‥ 大阪 /1955 モトヤ入社 1959 写研入社 http://imadakin1.seesaa.net/category/19017900-1.html 今田 欣一《今宋 20130614 文字の厨房[航海誌]》 【3】 この問題は「名人・達人・職人」を考察する前提となるが、実際に、 書いたり描いたり奏したりしない人たちが、好んで論じたがるようだ。 ゴルフや麻雀について、グリーンやテーブルなしに語るようなものだ。 つぎの番組で、むしろ(与太郎は)縁なき衆生だったかと自覚した。 ── 《プロフェッショナル 仕事の流儀 20160613 22:25-23:15 NHK》 http://yo-mu-wa-inko.com/fujitasigenobu-syotaidezaina-2405 …… 書式とやいわむ、書体(文体)とやいわむ。 http://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%9B%B8%E4%BD%93&ao=a ── 《SWITCHインタビュー 達人達 NHK》 【4】 素人が、玄人のいないのを見計らって、みずからの才能を誇示する例 は少なくない。たいがいは笑って済ませられるが、あまり思いあがると ウンザリして気の利いたジョークも思いつかなくなる。 いちばんは、音楽が“わかる”という手合いだ。譜面は読めなくても、 良しあしが分るそうだ。とくにヒットしそうな曲は、ピンと来るそうだ。 最近、プロの音楽家までが偽ベートーヴェンを賞賛して大恥をかいた。 せんだって、文章の巧拙が“わかる”という言語学者も出現した。 (これまで彼女がどんな本を読んできたか、すこしづつ分ってきた) | …… 「あんたの文章は下手や」と、悪女 K子が電話で云ってきた。 「中高の先生には絶賛された」と云っても承服せず「小学校の作文では 市長賞を獲った」で黙りこんだ(父の代作だった、のオチも聞かずに)。 https://twitter.com/awalibrary/status/690559321621471232 【5】 いちおう、楽譜が読めるのに、おかしなことを云う人もいる。 「ジャズのレコードを聴いていると、スィングする姿が目に浮かぶんや」 それはまぁ、瞼の母みたいに、他人には見えないはずだが。 いわゆるタレントが、名だたる展覧会に入選するのは、何といっても 話題性であり、集客力であり、ひいては悪徳画商の食いっぷちになる。 こういう人たちは、さらに獲物を求めて、書画骨董に立ち向かう。 あまり公表されないだけで、実態は惨憺たるものにちがいない。 もっとも安全確実で、おすすめは食いものに行き着く。 なんら才能がなくても、旨いか不味いかは、子供でも分るからだ。 壁にかかった絵画などの“水平”がわかる人たちも、自信たっぷりだ。 与太郎が最初に勤務した看板屋の社長は、常日頃これを自慢していた。 きわめつけは、何が描いてあるのか、分らない、と主張する人々だ。 【6】 ……(1959)ゴリの義兄が祇園で開業し、店内に飾る油絵を頼まれた。 与太郎は、カンバスにペインティング・ナイフで暗黒色を塗りつけ、 H状の三本線を白いまま塗りのこした作品を仕上げた。(略) | 数日後に、ゴリが困った表情で、この作品を返してきた。 「家族会議でな、どうもこの絵は何を描いたんか、分らん云いよるんや。 おふくろは“竹”やないか云うたが、ほかの者は見当がつかんそうや」 与太郎は「やっぱり素人衆には向かなんだか」と笑って引きとった。 ── Fontana, Lucio《Concetto spaziale Attesa & Attese 1959 Milano》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19600318 グリル・キタの客 【7】 与太郎の「竹」に対して、フォンタナは「川」である。 いやむしろ、二年前にヴァイオリンの「H」が出現していたのだ。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19571009 《山脈・第十四号》 さらにその前年、偶然のごとく、二つの「||」が登場していた。 ── 《山脈11 19560600 同志社高校文芸部》(パステル)表紙デザイン ── 《ホザナコーラス発表会11 19560600 同志社栄光館》(パステル | http://d.hatena.ne.jp/adlib/20150729 WANTED! それに気づかないまま「川」や「シ=海−毎」から「空」につづく。 さらに、チェンバロを経て、幻のサパー・クラブに至る(全20年間)。 …… 未完の三部作《わたしたちのうつくしい川・海・空 1961 》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641008 Cemballo Recital 左;Elle Patio 19771206 /右;CHEMBALLO 19641008
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19711104
(20160713) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1971年10月23日(土) |
トリルがハモる 〜 時を盗む人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711023 京響でロストロポーヴィッチがドヴォルザークを弾いたとき、トリル 部分でクラリネットがハモらないことに失望した。後日この不満を語る と、でーやん(出谷啓)は「へぇ、そこまで云うか?」と驚いていた。 このときの奏者が村瀬二郎氏(われわれのOBで、佐伯くんの師匠) だったかどうか、よく思いだせない。彼に会えたら、たしかめたいこと がたくさんある(回想の演奏会・尚永氏への書簡に重複)。 すこし前のインタビューで、巌本真理さんいわく「弦楽四重奏では、 ヴィブラートもそろえるのよ」ということだったので、たぶんトリルも ハモるはずだ。問題は、テンポ・ルバート(tempo rubato)にある。 イタリア語で「時間を盗む」という意味だそうだが、「時間かせぎ」 ともちがう。ここぞという部分で、思いいれたっぷりに遅らせて歌う。 閉まりかけたカーテンを持ちあげて歌いつづけたテノール伝説もある。 演歌の世界では“遅れうたい”といって、オーケストラに嫌われる。 売れっ子ほど長くて、本人が気どるほど陰口をたたかれる。 売れなくなると、さっさと伴奏が終わってしまう(?)そうだ。 むかし久米宏が《夜のベストテン》だかで、沢田研二をからかって、 「思いなしかイントロも短めで」と云ったのがおかしかった。二曲目が ベストテンに入ったので、さきの順位が下がったためである。 練習時に比べて、本番では70%の出来ばえを予想しておく。 メロディに思い入れると、ついつい遅れがちになりやすい。 しかし伴奏者には、思い入れがないことを覚悟すべきである。 馬場君への書簡草稿(19950725)にも書きとめた、すこし後の記憶だ が、江藤俊哉氏のTVレッスンで、天才ならではの面白い発想を知った。 速いパッセージの練習を、速度・音程に分離独立させるのだそうだ。 早い部分は、音程を犠牲にして、速さだけを練習する。 同じ部分を、こんどは速度を犠牲にして、音程だけ(ロングトーンで) 練習する。しかるのち両方を合流するという理屈である。 これを交互にくりかえせば、なるほど飽きずに取組めるはずだ。 ── 「あがる」というのは、人間のすばらしい習性だ。恐怖をのりこ えて人前に出ることができる。── Anthony Quinn 20011225 NHK このようなエピソードを、あれこれ思いだすのは、縞状健忘症か? Let'20061006 for Mr. Tamura, Tadahiko ◆ http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021212 19711023(土)京響第138定期演奏会/渡辺 暁雄・指揮 ── 《音楽京阪神 19710926 十字屋楽器店》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070426 マエストロ“スラヴァ”〜 ロストロの訃報 〜 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display | └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20061006-20070613)
| 1971年10月07日(木) |
同姓同名の人々 〜 希薄な知人たち 〜 |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711007 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Picture; ── 「うちの会社で、お世話になっていた教授が急死されてね。今日 のお葬式に馳せ参じた、というわけです」(その日 19711018 草稿) 先斗町に現われた編集長の云う「急死した教授」は誰だったか。 ふと思いだして調べてみると、該当者とおぼしき人は、同姓同名三人 の一人である。稿了の日付から十一日前だが、その当日が特定できない。 葬儀のあと、ふと空しくなって、気をまぎらわせたくなることもある。 ── 【精進落(と)し】 精進明けに、普段の生活に戻る際に肉食・ 飲酒などをすること。── [ 大辞林 提供:三省堂 ] ── もともと四十九日の忌明けに精進料理から通常の食事に戻すこと。 精進明け、精進上げとも言う。しかし現代においては、火葬場から戻っ た後に行う初七日法要の際に、僧侶や世話役などの労をねぎらう宴席に おいて精進落としが行われることも多い。──(Wikipedia)
辻 修 音楽評論 1928‥‥ 奉天 東京 20040927 76 /音楽之友社編集長 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 佐藤 幸治 心理学 19050318 山形 京都 19711007 67 /京都大学教授 ── 《昭和物故録 19830720 日外アソシエーツ》P232,697 ──────────────────────────────── 佐藤 幸治 憲法学 19370609 新潟 /京都大学名誉教授/近畿大学教授 ── 《分野別人名録 20020301 読売年鑑別冊》P214/──(Wikipedia) ──────────────────────────────── 佐藤 幸治 ボクサー 19801211 福島 千葉 /第40代OPBF東洋太平洋ミドル級王者 http://images.google.co.jp/images?q=%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B9%B8%E6%B2%BB&sourceid=navclient-ff&rlz=1B2GGFB_jaJP222JP222&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wi ──────────────────────────────── 佐藤 幸治 サンコー 19‥‥‥ ‥‥ /営業開発部課長 http://www.adobe.com/jp/products/features/acrobat/sancoh/
その後、こんどは与太郎が東上し、再度再会(別稿に詳述)している。 編集長の訃報に接して、出谷啓にメールを送ったが、返事はなかった。 疎遠になると、よそよそしくなるのは当然ながら、いかにも希薄だ。 ── 入洛中の評論家・志鳥 栄八郎氏と 月刊誌《レコード芸術》の辻 編集長との歓談は遅すぎた、と残念でならない。年表なんて、とんでも ない事業だ、本来は国際的な規模でやるべきものだ。となかばお叱りを うけた。(19680630) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680707 あとがきにかえて http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040927 訃報 〜 音友・レコ芸とその時代 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 同姓同名の例は、さて探そうとすると一筋縄ではいかない。 そこで「はてなキーワード」に登録してみたが「削除予定」だという。 よく分らないが、あらためて出典を追記しておく。 Key Word in Awa Library: http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C6%B1%EF%BF%BD%C6%B1%CC%BE >> ── このキーワードは削除予定キーワードです。7日間処理が行われ ない場合は、自動的に削除されます。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ba%b4%c6%a3%20%b9%ac%bc%a3?kid=276991 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ 本稿の初稿は、いくつかの偶然により、編集長の六回忌にあたった。 (20090927)
| 1971年10月01日(金) |
ネクタイの日 〜 18841001-19711001 〜 |
┌─────────┐ │ │ adlib/19711001 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=18841001 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://note.com/adlib20210301/all │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
ネクタイの日 〜 18841001-19711001 〜 日本ネクタイ組合連合会が制定 …… 小山 梅吉がに初めてネクタイを生産したことを記念して、1971 年に、ネクタイ業界の業界団体であるが、1001 を「ネクタイの日」と定めた[8]。 [nectie] 0520 [tie] 襟締 erijime ネクタイの結び方 https://www.temu.com/ul/kuiper/un2.html?_p_rfs=1&subj=un-search-web&_p_jump_id=960&_x_vst_scene=adg&search_key=%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A4%20%E3%81%AE%20%E7%B5%90%E3%81%B3%E6%96%B9&_x_ads_channel=bing&_x_ads_sub_channel=search&_x_ads_account=176518514&_x_ads_set=520835966&_x_ads_id=1319416327673622&_x_ads_creative_id=82463748698277&_x_ns_source=a&_x_ns_msclkid=3ad401b745df1ba1a18a67ce269ec35b&_x_ns_match_type=e&_x_ns_bid_match_type=bb&_x_ns_query=%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A4%20%E3%81%AE%20%E7%B5%90%E3%81%B3%E6%96%B9&_x_ns_keyword=%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A4%20%E3%81%AE%20%E7%B5%90%E3%81%B3%E6%96%B9&_x_ns_device=c&_x_ns_targetid=kwd-82464591892722%3Aloc-96&_x_ns_extensionid=&msclkid=3ad401b745df1ba1a18a67ce269ec35b&adg_ctx=f-1b5b22dd 〔book〕 0622 ── バルザック/鹿島 茂・訳《役人の生理学 20131111 講談社学術文庫》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B00HCB835E 《役人の生理学(=正/誤=)お洒落の生理学》(Wikipedia) …… 多くのネクタイ論の本が出版された。当時の人々はネクタイをす ることは紳士の最低限の務めと考え、ネクタイを見ればその人の社会的 地位、育ち、政治的意見までひと目で分かると考えていた[3]。 ダンディズム論の論客ロジェ・ケンプによれば、1830年代にはすでに 72種類のタイの結び方が考案されていたという。ユニークで複雑過ぎる ネクタイは、それを結ぶことのできる時間的な余裕や忍耐力を表す、上 流階級同士の相互確認の暗号として機能していた[Wikipedia]。 Balzac, Honore' de 17990520 France 18500818 51 / Maugham, William Somerset 18740125 France England 19651216 81 / モームは、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」 と述べている。バルザックは90篇の長短編からなる小説群《人間喜劇》 を執筆した。── 《世界の十大小説》(Wikipedia) YMDay(20240426)(20240625)unfinished.
| 1971年09月20日(月) |
霧の器 〜 Who done it, How done it, Why done it ? |
┌─────────┐ │ │ adlib/19710920 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710920 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://note.com/adlib20210301/all │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
霧の器 〜 Who done it, How done it, Why done it ? 〜 ── 松本 清張・原作+橋本 忍・脚本+野村 芳太郎・監督 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7 修訂 19710920(=正/誤=)19710月20 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4165090506 ── 松本 清張《砂の器 19710920 文藝春秋》松本清張全集 (5) ── 野村 芳太郎・監督《砂の器 19741019 松竹=橋本プロ》 松本 清張 作家 19091221 福岡 東京 19920804 82 / 橋本 忍 脚本 19180418 兵庫 東京 20180719 100 / 野村 芳太郎 監督 19190423 京都 東京 20050408 85 / 霧プロダクション 197811‥ 設立 1983 確執 1984 解散。 ── 《迷走地図 19820208-19830505 朝日新聞 198308‥ 新潮社》 https://www.weblio.jp/content/%E3%80%8C%E9%9C%A7%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%8D%E8%A8%AD%E7%AB%8B http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20131009 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%D4%BA%BD%A4%CE%B4%EF https://www.youtube.com/watch?v=yUZ_TC9hrX0(20231217) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ YMDay20231217)last up dated.
| 1971年09月09日(木) |
ピンク・フロイド《モア》 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710909 Members of Pink Floyd 〜 Psychedelic rock 〜
Barrett, Syd Guitars & Vocals 19460106 Cambridge 20060707 60 / Waters, Roger Bass & Vocals 19440906 Cambridge / Wright, Richard Keyboards & Vocals 19450728 London 20080915 65 / Mason, Nick Drums & Percussions 19440127 Birmingham / ↑第一期1967-1968『夜明けの口笛吹き』↓第二期1968『神秘』 ──────────────────────────────── Gilmour, David Guitars & Vocals 19460306 Cambridge /
── ピンク・フロイドのリチャード・ライトが死去 ピンク・フロイドのオリジナル・メンバーでキーボード奏者のリチャ ード・ライトがイングランドで死去した。65歳だった。AP通信によると、 ライトは癌を患い闘病生活を送っていたが、詳しい死因は明らかにされ ていないとのこと。 「ピンク・フロイドのオリジナル・メンバー、リチャード・ライトの遺 族は、深い悲しみと共に、短い癌との闘いの末に、リチャードが死去し たことを発表します」とスポークスパーソンは文書を通じて述べた。 独学でキーボードを勉強したライトは、1964年に建築を学んでいた学 生時代にベーシストのロジャー・ウォーターズとドラマーのニック・メ イソンと出会い、後にピンク・フロイドとなるシグマ6というグループ に参加した。1968年にバンドを脱退し、2006年に癌で死去したシンガー /ギタリストのシド・バレットと共に、ピンク・フロイドはイギリスの 音楽シーンにおける最もクリエイティブでパワフルなサイケデリック・ バンドへと成長した。 http://www.mtvjapan.com/news/music/news_music_detail.php?music_news_id=3089 レコード・サロン�� 〜 Paper Concert 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710708 レコード・サロン 〜 Paper Concert 〜 (20080917)
| 1971年09月01日(水) |
英対話 〜 門脇 邦夫とその意見 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710901 四年前、T君の紹介で、さるアメリカ婦人を奈良に案内したことがあ る。T君を有能な同時通訳とすれば、私は英語のできない運転手が役ど ころである。 デボラ・カーに似た美貌の中年女性は、実は三度も結婚して、目下は 独身とのことだった。T君は親しいせいもあって、かなり率直にたずね たりする。 「お子さんは生れなかったのですか」 「まさにモダン・サイエンスの奇蹟ね」 彼女のたえざるウィットに富んだ応答で、その日はすばらしい道中と なった。一行三人が車を降りて寺院に向かうころ、突如の雷鳴一閃とた ちまちの雨、そして一転するや真紅の夕陽があらわれるにおよんで、彼 女は思わず叫んだものだ。 「まるで、自然の展覧会だわ!」 T君も私も、彼女の詩的発想に、すっかり感心してしまった。これこ そ英語的な、英語ならではの表現ではないか、と思われた。 T君の紹介で、門脇邦夫氏に会ったのは、二年前の春である。当時 《毎日英語教室》の主任講師であった彼と、さしたる話題もないまま、 名刺だけ交換して、その日はすんだ。 数日後に、二度も彼の名刺が役立った。 まず、音楽評論家の出谷啓氏から、だれか通訳を知らないか、と電話 がかかってきた。来日中の指揮者、ズービン・メータのインタビューを 採るとかで、かなり急いでいるらしい。私は念をおした。 「彼はインド生れだというが、貴兄の必要とするのは何語の通訳であ るか」 「ウィーン育ちの音楽家ゆえにドイツ語もできるらしい。しかし諸般 の事情からみて、ボクは英語の通訳を望みたい」すぐさま私は門脇氏に ダイアルしたところ、 「私はその日、予定もあるし、音楽に知識のあるだれかを代りに探し てみましょう」といってくれた。彼の適確な手配によって、ある女性が 選ばれ、出谷氏のインタビューは、無事成功した。 この場合、インド語あるいはドイツ語の通訳であっても、やはり彼に 頼ったにちがいなく、後日、門脇氏によれば、 「対手がニヶ国語を話す可能性は意外に多いんです。どんな場合でも 絶望してはいけませんね」とのことだった。 つづいての事態は、全国楽器協会の展示会場で生じた。バイヤーとお ぼしき外国紳士があらわれたため関係者が、居あわせた私をとらえて、 いますぐ何とかならないか、という次第だった。 こんどは、門脇氏自身が不在で、しかも寸刻をあらそうので、私は思 いだせるかぎりの友人知人を当ってみたが、平日の白昼とあっては、即 刻ただちに来てくれる通訳は、さすがにいない。どんな場合にも、絶望 してはいけない、と彼はいったが、この際だれかが絶望しなくてはなる まい、と省りみるうち、ひとつの冒険的なアイデアが浮んだ。 さる英会話教室に通っているというN君を思いだし、 「君以外に、この場の救い主はいない」と説得して、むりやり来ても らった。すでに約四十分経過していたが、 「ぼくには、とても無理ですよ」と連発するN君をなだめて、根気よ く待っていた、くだんの外国紳士に押しつけてしまった。 ずいぶん無茶なことをやってしまったが、 「思ったより簡単でした」とN君が戻ってきた時には、関係者ともど も、ほっとした。 「私が留守でさえなかったらね」と、後日門脇氏も笑っていった。 「N君は、たしかうちの教室の生徒でしたね。緊急の場合には、おそ らく実力以上のことが可能だ、という例でしょう」 彼自身は英語のほかに、ドイツ語の心得があるものの、たとえば8ヶ 月余の海外ひとり旅に先だって、あの広大なソビエト連邦を、たった一 冊のテキストだけで横断したそうである。 「ちゃんと行先を告げて、地下鉄の切符も買ったし、乗ってしまえば、 あとは降りるだけです。この程度のことだけなら、テキストも要らなか ったくらいですね」 「しかし、それじゃつまらないでしょう」 「もちろん、つまらない。つぎの段階で必要なのがホテルとレストラ ンでの会話です」 「黙ってメニューを指さす、というのはどうです」 「対手がどんどん話しかけてきたら、どうします。こちらに尋ねるこ とがなくても、それが重要な内容かどうか、を聞きわける必要があるで しょう」 「ははあ、そのあたりから私には絶望的ですな」 「ふつう中学校から英語を勉強しはじめて出来るできないに関係なく、 十年たったから知識が減ってしまうことはありません。カタカナの外来 語も欠かせない有力な武器です」 「何というか、シャクな気はしますね」 私は捨てゼリフを吐いたものの、その年は十字屋楽器店の月刊PR誌 《アルペジオ》の制作を負って、同時にインタビュアーも兼ねていたの で、後半に米・英・独の順に、各国文化センター館長との対談を控えて いた。 協力者としての門脇氏に、私は全幅の信頼をあずけていたものの、私 自身に荷の重い企画ではなかったか、と怖れた。 日時の打ちあわせから一切を、彼が仕切ってくれ、当日の私は、ひと ことかふたことづつ、日本語をつぶやくだけでよかった。 ただし、話しことばから書きことば、への移行にあたっては、無理を いって彼に、平均十数時間のディスカッションをつきあってもらった。 さらに他国語とのニュアンス、リズムの統一に、私なりの意図があった のだが、彼の熱心な協力ぶりは、筆舌に尽きない。 「日本語の発想は、外国人にとって、きわめて特殊です。用件だけを やりとりするとかイエスかノーかを伝えるだけなら、ことは簡単です。 しかし意見を通じること、一般的な雑談などが実はいちばんむずかしい のです」 といって私を励ましてくれた。たしかに、イエスかノーだけでは、回 答であっても見解ではない。この場合の対手は、いずれも豊富な話題と、 洗練された話術のベテランであったし、とくに言語学者のハモールスキ ー氏に至っては、私の草稿の英訳を要求したほどに厳格であった。それ でも門脇氏はタイプライターに向いながら、 「外国語の試練は、とりもなおさず母国語の探求に通じますからね」 と屈託なかった。 その後の彼は、英語に関するあらゆる仕事を、ひとつづつ丹念に取り くみ、着実にその目標に迫っている気配がうかがわれた。数社の英語顧 問を兼ね、事務机にあっては翻訳に専念するうち、この四月に《北英会 話教室》を開設した。来年夏には生徒を引率してグアム島に修学旅行す るという。 (有人総目録 KK00101 この項未完) ──────────────────────────────── N君は、NHK総務部に勤務する西畑 綾夫君、《アルペジオ》の音楽 番組表の情報源でもあった。T君は、田村 忠彦君、キャセイ航空に勤務。 ミセス・ジェーン・K・アバナシーは、日本の土産品などの輸入と、 バカンスのため定期的に来日するという。有名なニューヨーク大停電の ジョークは、この日はじめて彼女から聞いた。アメリカ人が、それぞれ に小噺をストックしていることを確認した。 田村君は、デボラ・カーのような美人と評したが、むしろイーデス・ ハンソンのような知的女性である。 → 門脇 邦夫氏の近況は、1969年10月09日(木) 一聴一席�Аゝ喘躬仮� http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kkjglkec/ → 田村 忠彦君の近況は、2003年03月19日(水) 《エアライニーズ》 http://www.doshishanet.com/colum.htm ◆ 一聴一席 〜 弦楽四重奏談 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700116 ケンプ《ふるさとドイツ》ドイツ文化センター http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691209 マーティン《My Chin》英国文化センター http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691009 ハモールスキー《Way of Thinking》アメリカ文化センター http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690904 ショーム《異国の楽の音》日仏文化センター http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690815 ケリー《和洋折衷の館》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690626 清水 六兵衛《清水焼・開窯200年》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690519 高山 義三《京響・昨日今日》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690422 大谷 光暢&智子《楽苑二重奏》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690313 富井 清《市長2年尺八45年》 ──────────────────────────────── http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690712 巌本 真理&黒岩 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691112 岩淵 竜太郎 Ex libris Awa Library;Jane(19660812) ♀Abernathy, Jane K. 19200326 America 20080407 88 /Jane Eric Originals http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080712 ハロッズ 〜 英紅茶道入門 〜 (20071107-20080901-20100322)
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