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随筆
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2002年12月28日(土) 大掃除ラスト!

今日は、昨日予告した通り、2台の車の洗車をしました。
一つはおなじみ、マーチ様。
もう一つは、母のミニカ様。

一日ずらしてよかった!少しは気温も温かく、お空は晴天!超青空!まぶしいっつーの!

ミニカ様は、点検の時に軽い洗車をした程度。
毎年、一年に一度しか洗ってもらえないため、ワックスまでみっちりかけてあげましょう。

マーチ様は、明日、明後日、3ガ日と、恐怖の潮水攻撃が待っており、5日ともすべて穏やかな波であるはずがないという理由で、シャンプーのみとなりました。
この子は、キレイな状態で年を越せるのでしょうか・・・。

さて、洗濯物が出揃うまでに、シャンプーまでは終らせたい。
洗濯物が出揃うと、水で洗い流すときに、細心の注意を払わなければならないから・・・。

ミニカ様の最終洗車日は、確か10月あたり。
二ヶ月で水垢が結構目立ちます。
長年の積み重ねにより、全部は取れませんでしたが、汚いので、やりがいがある!

マーチ様なんて一ヶ月たってないのに、潮水攻撃にさらされて、ミニカ様より汚れが目立つ・・・。
でも、こびりついているわけではないので、力を入れずとも汚れは落ちる。
こっちの方が、やりがいがなく、面積も広い分、疲れが倍・・・。

朝ごはんを食べずにやったので(起きたときには、洗濯物があと30分で完了してしまう状態だったので急いで取り掛かった)自然乾燥もかねて休憩。
パンとコーヒーをお腹に入れ、第二幕!

とりあえず、マーチ様を拭きあげ、マーチ様完了!

ミニカ様は、ワックスの前に窓拭き。
内部に、ライちゃんのよだれがこびりついていて、それをふきあげるときに、また色々思い出してちょっとおセンチな気分に。
それを乗り越え、窓拭き、ワックスがけ完了!

実質2時間!
いやー、頑張った!

ん?なんだかお空がいつの間にか曇り空・・・。
やめてね・・・雨でいきなり汚すの・・・。
切なくなるから・・・。



2002年12月27日(金) どうしてもっ!

『木枯らしピューピュー吹いている〜♪』なんて歌が頭をよぎる様な朝。
後2日で窓拭きと車二台の洗車を終らせなきゃいけない!
夏休みの宿題は7月中に終らせるくらいせっかちなのに、掃除だけは切羽詰まらないとやらない。
という事で朝から窓拭き開始。
洗車は今日は冒頭にも書いた様な恐ろしい日なので、明日に回すことに(明日は少しは気温が上がる様)

そんな中、母から、
「布団が何枚もないと寒い。でも布団が何枚もあると重くて胸と腰にくる」
とかいうナゾかけみたいな切り出しを受け、
「羽毛布団にすれば?」
と言うと、それは喘息に悪いとのこと。
何が言いたいのかと思いきや、電気毛布を買いに行きたいとのこと。

近くのホームセンターにあるだろうという言葉を信じて、行ってみると、ない!!
電気敷き毛布はあるけど、掛け毛布がない!

その後、3店をめぐるもない!!
そして4つ目の店に行き、探すけどやっぱりない!!
もうはやらないのか?

母があきらめモードな中、私は、こうなったら意地でも見つけてやる!と闘争心に燃え、そこからさらに10分はかかる店に向かうことに。(そのとき既に1時間経過済み)
一店目であきらめたならまだしも、何店もめぐった後にあきらめる気にならない私。
めぐってるうちに、段々意地になってくる。

鼻息あらく店を出ようとしたそのとき!

「あっ!」

そう。あったのです。その名も『電気掛敷き毛布』!!
掛け布団にも敷布団にもなるという優れもの!?
色、柄なぞ、そのときにはもうどうでもよく、「あればいい」という状態だった私たちは迷わず買い。

その後、家に帰って昼食を作る気なんて起きず、急遽カレー屋さんに寄って帰ったのでした。
そんなもんに精魂使い果たすなよ・・・。



2002年12月26日(木) 餅まき

今日の運転中、餅まきののぼりがたってました。
餅まきとは、新築の棟上の時に行われます。

そういえば、私が小学生、中学生の頃、この周辺は区画整理の真っ只中で、餅まきが頻繁にありました。
帰宅途中、餅まきののぼりが見えると、家に帰るなり、
「今日餅まきあるよ!」
と意気揚々と言ってたのを思い出します。

待ち時間がものすごく長かったことは玉にキズですね。
餅を準備している人をじっと見つめながら、いつ始まるか、いつ始まるかと、待ち焦がれていました。

拾うときに、いかに楽にたくさん拾えるか。
袋に詰めたりするロスをいかに減らすかがポイント。
おばちゃんたちは、エプロンを捲し上げて袋代わりに。
二人一組になって、餅を拾う役と、袋を広げて待つ役とに分かれたり。

私は、基本的に一人で、スーパーでもらうビニール袋を持って、どうしたらたくさん拾えるかを考えました。
敏捷性は低くなかったと思うんですが、人が拾おうとしているのを取ろうという気にはなれなかった。
なのに、おばちゃんたちは、私の手をどけてでも取ろうとするわけですよ。
今考えたら、子供の手を引っかいてまで取るなよ・・・って感じですが・・。
その行為に子供ながらムカついたりしてました。

泥だらけな餅やら、お菓子やらを持ち帰り、母と弟と3人で戦利品報告。
大体皆取る数に差はなかったですねぇ。
人のまで取る図々しさがあれば、もう少し多かったでしょうが・・・。

そんな餅まきも、最近なかなか見られなくなりました。
今日見たときも、「懐かしい」と思ったくらいです。
流石にこのくそ寒い中行きたくないですが・・・。



2002年12月25日(水) 寒い日は・・・

3週間にわたり、病院のベッドで寝ていたせいで、腰の痛みがピークに達し、ほとんど動けない母の変わりに動いた一日・・・。
そんな今日は、ものすごい強風な一日でした。
どこかで、「クリスマス寒波」だとか言っていましたが、そんなロマンチックなもんではなかった。

車運転してる最中、「雪???」って程度の小雪がちらほら・・・
でも本当に雨と雪の中間。

そんな中、私は歩いて買い物へ。
外歩いてると、風にあおられて向かってくる砂の波が見える。
その砂の波が押し寄せて当たると、痛い。
こんな雰囲気の中、ロマンチックな雰囲気にはとてもなれないなあ。
まあ、今ロマンチックなんてまったく関係ないけどさ(洗濯物を取り込みながら)

ストーブがつくと、必ずその前を陣取るクー。
このあたりは頭がいい。
ずるがしこいというのか?
そんなクーが外出。
寒くても外がいいのか?
しかし、外に出したまま、留守にし、昼ごろ帰ってきたら、玄関を開ける私の足に擦り寄ってきて、自ら家に入り、ストーブのある居間へ直行。
ご飯をあげずに出したので、てっきりお腹がすいて家の中に飛び込んだのかと思いきや、どうやらよほど寒かった様子。
ご飯には見向きもせず、ひたすらストーブがぬくくなるのを待っていました。

こんな日は、鍋がいいですな。
今日のご飯はキムチ鍋です♪



2002年12月24日(火) 無事退院できました。

乳癌の手術は日々進歩しています。
今までは、ほとんどが全摘だったのが、温存も可能になりました。
温存で形が崩れるのも、だいぶ防げる様になりました。
以前は大胸筋を取るのが主流だったのに、今は大胸筋は残す様になりました。
これで、術後のリハビリがうんと楽になったし、あばらが見えたり、その部位だけ極端にくぼむことがなくなりました。

以前はリンパを全摘していたが、今は最初に転移する一部のみを摘出する様になりました。
リンパを一部とっただけでも、傷の治りが遅いなどのデメリットがあり、今後のケアが重要になるのに、全部取ったら大変だぁ。
これは、今後、リンパに転移しているかどうかを、遺伝子診断をくわえる(現在は顕微鏡での細胞診のみ)ことにより、リンパを残すことが可能になるらしい。それも近い将来に。

乳房の再建も、今は背中や、腹部の皮膚、筋肉を利用して、胸のふくらみを作ったり、水の入ったパッドを胸壁に埋め込むなどの方法があるけれど、これも今後どんどん発達する分野だと思います。
今現在も、前に比べると、見違えるほど進歩していて、違和感が少なくなっています。

乳癌の検査、手術、術後のケアなどは、めまぐるしく発達しています。
母が入院している間だって、チューブが細くなってたり・・・。
本当に、早期に発見できればできるほど、完治しやすい癌だと思います。
私は、今回のことで、乳癌に関して、たくさんのことを学びました。
また、その中で、進歩していく技術に、驚かされました。
それは、同時に、日本にも乳癌患者がどんどん増えているということでもあります。

欧米に多い病気でしたが、人事ではありません。
若い人でもなっている病気だし、また、年をとってもなってしまう病気です。
今回入院している患者さんたちは、皆明るく、素敵な人たちばかりでした。
それはきっと、完治できる病気だからだと思います。
日々の触診、検査が、命を救うんだと実感しました。
患者さんたちは、皆何かしらの検査を受けて、発見された人が大部分でした。
この日記が、皆様にとって少しでも役に立てば幸いです。
読んでくださった皆様、心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。

ひとまず乳癌日記は完了ですが、今後も薬とか、ホルモン注射とか、リンパ液の吸引とかで、病院に行くことになります。
ものめずらしいものがあったらまたお伝えしたいと思います。

因みにホルモン注射はあまり痛くなく、当初出回っていた「子宮まで針をぶっさす」というウワサは嘘でした。
腹の肉に打たれた模様・・・。

因みに、入院費ですが、健康保険に入っていて、2割負担。
個室(追加料金一日3000円)に9日間、手術代が7万、その他、諸々の検査などを含めまして4日から24日まで、21日間。
合計で18万になりました。
予想してたよりは低くてホッとしました。

今日のほのぼの→母が帰ってきたというのに、クーは一目散に外へと駆け出して行きました。母の第一声、案の定「でぶー!」



2002年12月23日(月) ちょっと愚痴(読みたくない方は飛ばしてー♪)

初の携帯からの更新!
というのも昨日父のあまりの怠惰ぶりにぶち切れ、どうせ今日も朝から飲んでいるので、夕飯の時間が確定しない!って事で、今日の食事当番を放棄し、外食しているからなのです。

しかし、家に金を入れているから、家族に対して思いやりは必要ないってのはどうなんですか?
母が言うには、たとえ母が働いてたとしても、父より稼ぎが悪ければ今の状態は変わらないそうです。
なしか!(大分弁で『何故か』の意。こんな名前のラーメン屋があるほどポピュラー(?)な方言)

どうやら携帯だとここまでが限界!続きは帰ってから→

→携帯からやると、こんなに文字化けするんだなぁ。(訂正済み)
というわけで、パソコンちゃんにて続きです。

なんだか、結局愚痴になってしまったけど、うちの父は、イマイチ協力してくれません。
協力してくれたのは日曜のおだてて作らせたデミグラスソースくらい?
邪魔だけはしないで欲しいという、ささやかな願いも聞き届けられないと、張り詰めてやってるこっちとしては、悔しくて情けなくて、嫌になってしまう・・・。

でも、定年になったら家にいるばかりなんだから、家のことに楽しみを見つけるのも必要だと思うんだよね。
定年になったら、「働いてるから」って虚勢は崩れてしまうのに。
結局人間なんだから、どこかで思いやりとかを持たなきゃいけないと思う。
定年して退職して、最後まで残るのは、人格だけだと思うから。
どうせなら、一緒にいたいと思われたいなぁ。
私はね。

今日のほのぼの→顔を覚えられていないと思っていた、バイト先の、店長より上の人(地区長という。今まで会ったのは二回だけ)に顔を覚えられていて、今日外食で別店舗にいたら「お疲れ様」と言われてしまった。
店長と話してるときに、私がたまたま休憩だったりして長くいたから覚えたんだろうけど、覚えてもらってないと思ってた人から覚えられてると、緊張するけど、なんだかほっこりした気分になりますね。(因みに結構男前♪)

今日の入院日記→最後の夕食なのに、さんま(食べにくい)カリフラワーの酢物(超すっぱい)かぼちゃの煮つけ(昨日も出た冬至メニュー)とかいうメニューでがっかりしてました。明日の昼は散らし寿司だそうで、すごい残念そう。昼までいたいとか・・・。



2002年12月22日(日) 退院後の計画

日曜とは思えない優雅なバイトを終え、見舞いに行き、本日ご飯当番であるはずの父が何を思ったか、「今日の晩飯」と差し出した、スーパーで買ってきた牛丼を病院で食い、帰って参りました。

父よ・・・牛丼って・・・。

退院日が決まりました。24日です。
当初、23日と聞いていたので、一日延びるだけでもぐったり・・・。
まあ、それでもあと一日ご飯を作ればすむ・・・

甘いな。

結局、土曜に一時間歩いただけでも痛い痛い言う始末。
それでも病院に戻ってくると、動いたのがよかったのか、だいぶ痛みが引いたとか。
しかし、急に家事をこなすことは無理。
つまり、実質当分は私が家事をすることに。

そこで、今後の生活を考えてみる。
まず、食事。
これは、包丁くらいは動かせるだろう。
リハビリも兼ねて、母が主、私が補助に決定。

次に買い物。
これは、流石に右手に負担がかかるって事で、ついていくことに。
そして、スーパーまでは近いので、遠回りして30分歩いてスーパーに行くことにする。
運動とダイエット・・・。

掃除くらいはできるだろうが、こたつを全部取っ払っての掃除は私も参加しなきゃなるまい。
洗濯は、腕の上がり方次第だな。
当分、ハンドルの重い軽の運転も控えた方がよかろう。
ハンドル回してる途中で「痛い」とか言って思わぬ事故になっても困る。

そして、日曜の「父の日」(父のための日ではなく、父が当番の日)
これは、当分家事ができないって理由で続行させ、そのまま定着させようという事に。
うまくいくかなぁ?

まあ、少しはリハビリに励んでもらわないといけないので、大部分はやってもらわなくちゃね!

今日のほのぼの→あまりの波の高さに、車の全面のガラスが白くなってしまったお客様から、雑巾を貸してくれとの依頼が・・・それを見たほかの客もこぞって・・・私が帰るときも、案の定すごい潮まみれでした。なんとかならんのか。


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