『木枯らしピューピュー吹いている〜♪』なんて歌が頭をよぎる様な朝。 後2日で窓拭きと車二台の洗車を終らせなきゃいけない! 夏休みの宿題は7月中に終らせるくらいせっかちなのに、掃除だけは切羽詰まらないとやらない。 という事で朝から窓拭き開始。 洗車は今日は冒頭にも書いた様な恐ろしい日なので、明日に回すことに(明日は少しは気温が上がる様)
そんな中、母から、 「布団が何枚もないと寒い。でも布団が何枚もあると重くて胸と腰にくる」 とかいうナゾかけみたいな切り出しを受け、 「羽毛布団にすれば?」 と言うと、それは喘息に悪いとのこと。 何が言いたいのかと思いきや、電気毛布を買いに行きたいとのこと。
近くのホームセンターにあるだろうという言葉を信じて、行ってみると、ない!! 電気敷き毛布はあるけど、掛け毛布がない!
その後、3店をめぐるもない!! そして4つ目の店に行き、探すけどやっぱりない!! もうはやらないのか?
母があきらめモードな中、私は、こうなったら意地でも見つけてやる!と闘争心に燃え、そこからさらに10分はかかる店に向かうことに。(そのとき既に1時間経過済み) 一店目であきらめたならまだしも、何店もめぐった後にあきらめる気にならない私。 めぐってるうちに、段々意地になってくる。
鼻息あらく店を出ようとしたそのとき!
「あっ!」
そう。あったのです。その名も『電気掛敷き毛布』!! 掛け布団にも敷布団にもなるという優れもの!? 色、柄なぞ、そのときにはもうどうでもよく、「あればいい」という状態だった私たちは迷わず買い。
その後、家に帰って昼食を作る気なんて起きず、急遽カレー屋さんに寄って帰ったのでした。 そんなもんに精魂使い果たすなよ・・・。
今日の運転中、餅まきののぼりがたってました。 餅まきとは、新築の棟上の時に行われます。
そういえば、私が小学生、中学生の頃、この周辺は区画整理の真っ只中で、餅まきが頻繁にありました。 帰宅途中、餅まきののぼりが見えると、家に帰るなり、 「今日餅まきあるよ!」 と意気揚々と言ってたのを思い出します。
待ち時間がものすごく長かったことは玉にキズですね。 餅を準備している人をじっと見つめながら、いつ始まるか、いつ始まるかと、待ち焦がれていました。
拾うときに、いかに楽にたくさん拾えるか。 袋に詰めたりするロスをいかに減らすかがポイント。 おばちゃんたちは、エプロンを捲し上げて袋代わりに。 二人一組になって、餅を拾う役と、袋を広げて待つ役とに分かれたり。
私は、基本的に一人で、スーパーでもらうビニール袋を持って、どうしたらたくさん拾えるかを考えました。 敏捷性は低くなかったと思うんですが、人が拾おうとしているのを取ろうという気にはなれなかった。 なのに、おばちゃんたちは、私の手をどけてでも取ろうとするわけですよ。 今考えたら、子供の手を引っかいてまで取るなよ・・・って感じですが・・。 その行為に子供ながらムカついたりしてました。
泥だらけな餅やら、お菓子やらを持ち帰り、母と弟と3人で戦利品報告。 大体皆取る数に差はなかったですねぇ。 人のまで取る図々しさがあれば、もう少し多かったでしょうが・・・。
そんな餅まきも、最近なかなか見られなくなりました。 今日見たときも、「懐かしい」と思ったくらいです。 流石にこのくそ寒い中行きたくないですが・・・。
3週間にわたり、病院のベッドで寝ていたせいで、腰の痛みがピークに達し、ほとんど動けない母の変わりに動いた一日・・・。 そんな今日は、ものすごい強風な一日でした。 どこかで、「クリスマス寒波」だとか言っていましたが、そんなロマンチックなもんではなかった。
車運転してる最中、「雪???」って程度の小雪がちらほら・・・ でも本当に雨と雪の中間。
そんな中、私は歩いて買い物へ。 外歩いてると、風にあおられて向かってくる砂の波が見える。 その砂の波が押し寄せて当たると、痛い。 こんな雰囲気の中、ロマンチックな雰囲気にはとてもなれないなあ。 まあ、今ロマンチックなんてまったく関係ないけどさ(洗濯物を取り込みながら)
ストーブがつくと、必ずその前を陣取るクー。 このあたりは頭がいい。 ずるがしこいというのか? そんなクーが外出。 寒くても外がいいのか? しかし、外に出したまま、留守にし、昼ごろ帰ってきたら、玄関を開ける私の足に擦り寄ってきて、自ら家に入り、ストーブのある居間へ直行。 ご飯をあげずに出したので、てっきりお腹がすいて家の中に飛び込んだのかと思いきや、どうやらよほど寒かった様子。 ご飯には見向きもせず、ひたすらストーブがぬくくなるのを待っていました。
こんな日は、鍋がいいですな。 今日のご飯はキムチ鍋です♪
| 2002年12月24日(火) |
無事退院できました。 |
乳癌の手術は日々進歩しています。 今までは、ほとんどが全摘だったのが、温存も可能になりました。 温存で形が崩れるのも、だいぶ防げる様になりました。 以前は大胸筋を取るのが主流だったのに、今は大胸筋は残す様になりました。 これで、術後のリハビリがうんと楽になったし、あばらが見えたり、その部位だけ極端にくぼむことがなくなりました。
以前はリンパを全摘していたが、今は最初に転移する一部のみを摘出する様になりました。 リンパを一部とっただけでも、傷の治りが遅いなどのデメリットがあり、今後のケアが重要になるのに、全部取ったら大変だぁ。 これは、今後、リンパに転移しているかどうかを、遺伝子診断をくわえる(現在は顕微鏡での細胞診のみ)ことにより、リンパを残すことが可能になるらしい。それも近い将来に。
乳房の再建も、今は背中や、腹部の皮膚、筋肉を利用して、胸のふくらみを作ったり、水の入ったパッドを胸壁に埋め込むなどの方法があるけれど、これも今後どんどん発達する分野だと思います。 今現在も、前に比べると、見違えるほど進歩していて、違和感が少なくなっています。
乳癌の検査、手術、術後のケアなどは、めまぐるしく発達しています。 母が入院している間だって、チューブが細くなってたり・・・。 本当に、早期に発見できればできるほど、完治しやすい癌だと思います。 私は、今回のことで、乳癌に関して、たくさんのことを学びました。 また、その中で、進歩していく技術に、驚かされました。 それは、同時に、日本にも乳癌患者がどんどん増えているということでもあります。
欧米に多い病気でしたが、人事ではありません。 若い人でもなっている病気だし、また、年をとってもなってしまう病気です。 今回入院している患者さんたちは、皆明るく、素敵な人たちばかりでした。 それはきっと、完治できる病気だからだと思います。 日々の触診、検査が、命を救うんだと実感しました。 患者さんたちは、皆何かしらの検査を受けて、発見された人が大部分でした。 この日記が、皆様にとって少しでも役に立てば幸いです。 読んでくださった皆様、心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。
ひとまず乳癌日記は完了ですが、今後も薬とか、ホルモン注射とか、リンパ液の吸引とかで、病院に行くことになります。 ものめずらしいものがあったらまたお伝えしたいと思います。
因みにホルモン注射はあまり痛くなく、当初出回っていた「子宮まで針をぶっさす」というウワサは嘘でした。 腹の肉に打たれた模様・・・。
因みに、入院費ですが、健康保険に入っていて、2割負担。 個室(追加料金一日3000円)に9日間、手術代が7万、その他、諸々の検査などを含めまして4日から24日まで、21日間。 合計で18万になりました。 予想してたよりは低くてホッとしました。
今日のほのぼの→母が帰ってきたというのに、クーは一目散に外へと駆け出して行きました。母の第一声、案の定「でぶー!」
| 2002年12月23日(月) |
ちょっと愚痴(読みたくない方は飛ばしてー♪) |
初の携帯からの更新! というのも昨日父のあまりの怠惰ぶりにぶち切れ、どうせ今日も朝から飲んでいるので、夕飯の時間が確定しない!って事で、今日の食事当番を放棄し、外食しているからなのです。
しかし、家に金を入れているから、家族に対して思いやりは必要ないってのはどうなんですか? 母が言うには、たとえ母が働いてたとしても、父より稼ぎが悪ければ今の状態は変わらないそうです。 なしか!(大分弁で『何故か』の意。こんな名前のラーメン屋があるほどポピュラー(?)な方言)
どうやら携帯だとここまでが限界!続きは帰ってから→
→携帯からやると、こんなに文字化けするんだなぁ。(訂正済み) というわけで、パソコンちゃんにて続きです。
なんだか、結局愚痴になってしまったけど、うちの父は、イマイチ協力してくれません。 協力してくれたのは日曜のおだてて作らせたデミグラスソースくらい? 邪魔だけはしないで欲しいという、ささやかな願いも聞き届けられないと、張り詰めてやってるこっちとしては、悔しくて情けなくて、嫌になってしまう・・・。
でも、定年になったら家にいるばかりなんだから、家のことに楽しみを見つけるのも必要だと思うんだよね。 定年になったら、「働いてるから」って虚勢は崩れてしまうのに。 結局人間なんだから、どこかで思いやりとかを持たなきゃいけないと思う。 定年して退職して、最後まで残るのは、人格だけだと思うから。 どうせなら、一緒にいたいと思われたいなぁ。 私はね。
今日のほのぼの→顔を覚えられていないと思っていた、バイト先の、店長より上の人(地区長という。今まで会ったのは二回だけ)に顔を覚えられていて、今日外食で別店舗にいたら「お疲れ様」と言われてしまった。 店長と話してるときに、私がたまたま休憩だったりして長くいたから覚えたんだろうけど、覚えてもらってないと思ってた人から覚えられてると、緊張するけど、なんだかほっこりした気分になりますね。(因みに結構男前♪)
今日の入院日記→最後の夕食なのに、さんま(食べにくい)カリフラワーの酢物(超すっぱい)かぼちゃの煮つけ(昨日も出た冬至メニュー)とかいうメニューでがっかりしてました。明日の昼は散らし寿司だそうで、すごい残念そう。昼までいたいとか・・・。
日曜とは思えない優雅なバイトを終え、見舞いに行き、本日ご飯当番であるはずの父が何を思ったか、「今日の晩飯」と差し出した、スーパーで買ってきた牛丼を病院で食い、帰って参りました。
父よ・・・牛丼って・・・。
退院日が決まりました。24日です。 当初、23日と聞いていたので、一日延びるだけでもぐったり・・・。 まあ、それでもあと一日ご飯を作ればすむ・・・
甘いな。
結局、土曜に一時間歩いただけでも痛い痛い言う始末。 それでも病院に戻ってくると、動いたのがよかったのか、だいぶ痛みが引いたとか。 しかし、急に家事をこなすことは無理。 つまり、実質当分は私が家事をすることに。
そこで、今後の生活を考えてみる。 まず、食事。 これは、包丁くらいは動かせるだろう。 リハビリも兼ねて、母が主、私が補助に決定。
次に買い物。 これは、流石に右手に負担がかかるって事で、ついていくことに。 そして、スーパーまでは近いので、遠回りして30分歩いてスーパーに行くことにする。 運動とダイエット・・・。
掃除くらいはできるだろうが、こたつを全部取っ払っての掃除は私も参加しなきゃなるまい。 洗濯は、腕の上がり方次第だな。 当分、ハンドルの重い軽の運転も控えた方がよかろう。 ハンドル回してる途中で「痛い」とか言って思わぬ事故になっても困る。
そして、日曜の「父の日」(父のための日ではなく、父が当番の日) これは、当分家事ができないって理由で続行させ、そのまま定着させようという事に。 うまくいくかなぁ?
まあ、少しはリハビリに励んでもらわないといけないので、大部分はやってもらわなくちゃね!
今日のほのぼの→あまりの波の高さに、車の全面のガラスが白くなってしまったお客様から、雑巾を貸してくれとの依頼が・・・それを見たほかの客もこぞって・・・私が帰るときも、案の定すごい潮まみれでした。なんとかならんのか。
昨夜、日本一の巨大ツリーとやらを見てきた。 http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2002dec/18/CN2002121801000011E1Z10.html
その付近まで来ると、遠目にも、ツリーが見える。 「あれを目指していけばいいんだな」 と、安易に考えて、間近に見える所まで接近。
しかし、やっぱり駐車場がない。 予測はしてた。 なんとなく、あの辺に駐車場がなかった気がする・・・と。 案の定なかった。 しかも、夜なので、どこから登ればいいかイマイチ不明。
あまりよく地理も知らないくせに、夜突然出かけようって方が、そもそも間違ってるんだけど。 調べた結果、イルミネーションの点灯時間は22時まで。 迷走開始時間21時半・・・。 でっかい車で細い道に迷い込んだり、同じところぐるぐる回ったりして、当初見かけた公園らしき場所の近くに止めることに。 運良く(って言うのか?)すぐ近くに階段が! これを登ればきっと着く!
この寒い中走って階段を登り始める→当然息が上がり、空気が冷たいので肺に負担がかかることに・・・。 途中、ツリーを見てきたであろうカップルと出会い、「こんばんわー」って声をかけられてビックリ。 ようやく、ツリー付近まで到着・・・あれ?
ツリー付近まで車が止まっている。 ん?もしかして、ここまで普通に車で来れたのか? 階段を駆け上がった意味はなかったのか? しかも車とめていいのかも分からないところに止めてまで来たのに・・・?
まあいいや(言い聞かせ) ほほう、これが日本一のツリーですか!
・・・うん、電飾シンプルですね。 迷走している間に見たものとさほど変わらず、遠目から見た分でも十分キレイ。 という事で、5分くらいで下りることに。 雨も少し降ってきたし?
その後、自宅までの帰り道は豪雨となり、「あと少し下りるの遅かったらえらいことになってた」と思いつつその場を後にしました。 もう少しにぎやかな電飾でもいい気が・・・。 でもあれはあれで、シンプルでいいのかも・・・。 ハート型が可愛かったです。
今日の入院日記→これから、母と外出届けを出して、先生及び看護婦さんへの「お世話になりましたプレゼント」を買う予定。何がいいのかさっぱり分からん!
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