ある雑誌で、幻冬舎社長の見城徹氏のインタヴューを読んだ。 細部は忘れてしまったが、軽い気持ちで投稿してみようか、というのが大嫌いだと氏は語り「(自分にとって)表現は生きるか死ぬかなんだ」という主旨の発言が私を打ちのめした。 ひねくれものの多重層になった心の一部では、「命がけの作品がいくつも作れるものか」とか「生きるか死ぬかで『ダディ』かよ」とか色々反論をしてみる。 しかし、私の根幹を成すような部分では、まさに頭を殴られたような気分だ(陳腐な表現〜)。 私が命がけの表現をしたところでまぁなんだかな、って感じだけど。 ん?待てよ、幻冬舎の出版傾向から言うと命というより、いや、なんでもない。
見城氏で思い出した林真理子氏の作品中の言葉。エッセイか小説か思い出せないけど女は15歳の時の評価で決まると。曖昧ですまん。平たくいうと十五歳の頃に綺麗だ、可愛い、と言われなれた女、モテた女というのは、その評価を自分のものとして消化できる、そういう女だと自分を認識できる。そうでない女はそういう部分で確固たる自信を持てないと。いや、御本人の表現とはかなりかけ離れてるな、まぁいいか。 女が不倫をしないのは夫への貞淑とか言う問題ではなく、自分の崩れた身体を見せたくないからだ、とか言う文章と並んで林真理子大納得大会(どんな大会じゃ)。 私の十五歳の頃って……(遠い目)。
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