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「オイラ」だった。
昨日のるるの日記の更新がやたら早かったのでてっきりあゆが暇に任せて書いたのかと思って見てみたら、いきなり茶色文字で「オイラ」から始まっていたことに驚きを隠せないゆみなです。轟二郎は以前姿を隠したままです。 こんばんわ。 さて今日は私の結婚記念日だ。 正確に言うと私とダンナのである。 不正確にいうと、るるとあゆのダンナの結婚記念日となる。 ダンナと結婚して20年以上になる。 もう20数年経ったのかというのが正直な気持ちだ。 あと何年一緒にいなきゃなんないんだよ!というのがもっと正直な感想だ。 我々のように仕事も一緒の夫婦はサラリーマン家庭の夫婦より共有している時間がはるかに多い。 しかも土日まで競馬だのゴルフだのと趣味まで同じだと、その時間だけで考えると結婚年数も100年くらい一緒にいたように錯覚する。 なのになぜか飽きない。 よく長く一緒にいる夫婦には会話がないという話を聞くが、ウチに限ってはそれはない。 金はないが会話に尽きることはないのである。 仕事が同じなので当然仕事に関しての話もある。子供も3人もいれば日々誰かかれかの話はしている。 競馬新聞を見てはあの馬はどうだ。あの騎手はどうだとかいう話もしている。 しかしよくよく考えてみると、どうもそれだけではない気がするのだ。 多分、どこの家庭でもやっていることなんだろうけど我々はよく別人になりきる。 夫と妻ではなくダンナが従業員で私が社長という時もある。ダンナがやたら敬語で話しかけてきたり私が命令口調で話す。 またある時はソープランド嬢と客にもなる。 「君はどうしてここで働いてるの?」 「おどごに騙されちまっただ・・・・」 「こんな仕事やめて田舎に帰った方がいいよ。」 「田舎さ帰っても兄嫁もいるし、もう帰るとこがないのよ。わだず。」 という会話をする。 ソープ嬢は決まって田舎から出てきた純粋な娘だ。客は会社でも家庭でも相手にされないような気の小さい中年男だ。 ただソープ嬢になってしまった理由はその時々で変わる。男に騙されたときもあれば親の借金返済バージョンもある。 だがソープランドだからといって、実際にお風呂に入りあんなことしたりこんなことをしたりするわけではない。 あくまで会話だけだ。 またこれもどこの家庭でもよくやっているありきたりのことだが、私たちは時々「褒め殺しごっこ」をする。 「あんたほどカッコイイ男は見たことない。」 「おまえの美しい顔を見てると他の女は目に入らない。」などと相手を褒めて褒めて褒めまくるのだ。 しかし残念ながらこの「褒め殺しごっこ」にはひとつ欠点がある。 すぐにネタが尽きてわずか一分で終了することだ。 それでも無理やり褒めようとして、だんだんと 「そんな二段腹を持っているのは世界でおまえと鏡餅くらいだ。」 「いやいや、あんたの足のにおいはどんな高級な納豆だってかなわないよ。」となってきて、 そのうち褒め殺しから、ただの殺し合いになりそうなので適当なところでやめておく。 また「褒め殺しごっこ」の応用として「けなしあいごっこ」というのもあるが、これはすぐに殺し合いになりそうなので、よほどのことがない限りやっていない。 よほどのこというのは、本当に殺したくなった時だ。その時は相当リアルな会話で楽しめる。 ネタにも尽きることはなく延々と続く可能性あるので、これも適当なところでやめとく。 またこれもどこの家庭でやっていると思うが、手旗信号とかモールス信号とかパントマイムで会話する時もある。 これは全身を使うので長時間の会話には不向きだが、ちょっとした会話の時なんかは笑いもとれてなかなか和む。 ただあまり的確にこちらの意図が伝わらないという難点があるが笑いもとれたし、まぁ良しとしている。 このように我が家では常になんらかの手段で会話をとるようにしている。 それも意識的ではなく、気がつけばどちらかがなんらかの方法で会話に持っていこうとし、それに対して片方が無意識にのってしまっている。 喋ってないのは寝ている時くらいなもんだ。と思っていたら、私はしょっちゅう寝言を言ってるらしくダンナは深夜でもそれに反応して返答しているようだ。 夫婦は空気のような存在だと言われるがそんなことはない。人間と人間なのだ。空気であってたまるか。である。 常に自分が今、何を感じ、思い、考え、どんな不満を持っているか、何が満ち足りているか、どんなに自分が幸福であるか、相手のどんな言葉が嬉しかったかなどを言葉に変えて伝えることが大切だ。 ウチのようにいつも喋っていると喧嘩の数もハンパではない。 しかし、喧嘩の数と同じだけ仲直りの数もハンパではないのだ。 そのたびごとに相手のことを知っていく。 知ったところで、別に知ったこったぁないのだが。
rya
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