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るるが昨日書いてたことに驚きを隠せない。
隠さずにパソコンの前で口をアングリ開けていたら家族から奇異な目で見られたので、やはり驚きは隠すことにしたゆみなです。こんばんわ。 せっかくるるがやる気になったところ申し訳ないがはっきり言わせてもらおう。 「アンタんち、変だ。」 ちょっとギョウチュウ検査を軽く見すぎてないか。 ギョウチュウ検査というのは身体の中にギョウチュウはいないかどうか。 あるいは本人がギョウチュウでないかどうかを確かめる非常に大切な検査なのだ。 そんな大事な検査なのに兄弟どっちのウンコでもいいや。というのは間違っている。 検査でギョウチュウが見つかったとしよう。しかし実はそのウンコの持ち主は兄の物だ。つまり実際にギョウチュウを大切に保存していたのは兄だ。だが保健所はギョウチュウ保持者として弟のタッキーを捕まえる。 その時いくらタッキーが 「あれは僕のウンコじゃない!」 と声を荒げても、保健所はギョウチュウ保持者のレッテルから逃れたい一心から出たデマカセだろうと判断するに違いない。 それからタッキーは一生ギョウチュウ保持者の汚名を着せられたまま生きていかなければならないのだ。 また兄の立場も微妙だ。自分の罪を弟に着せてしまった兄は一生贖罪の日々を送らなければならないのだ。 どちらにしてもあまりにも気の毒である。 1200年ほど前に同じようなことがあった。 保健所でギョウチュウ検査を行った際、出席番号13番の河野(かわの)と14番の河野(こうの)のウンコを間違って検査し、河野(かわの)が実際ギョウチュウを持っていた河野(こうの)の汚名を着せられ、クラスのみんなから 「やーい!ギョウチュウんぼ!」と苛められた。 河野(かわの)は自分の体内にギョウチュウがいたことにショックを受け、こうなったら本物のギョウチュウになるしかないと覚悟を決めた。 名前も河野(かわの)から「営 業中」と変えて中国人として生きていく事にした。 後に、あの検査は誤りだったと気づいた保健所は陳謝したが、時すでに遅し、営業中は結婚し、たくさんの子孫を残していた。 修行中、休業中などがそれだ。 以来、このことは「ギョウチュウ取り違え事件」として後世に語り継がれ、 「ウンコには必ず記名すること」と法律で決まったほどだ。 入学式後に数え棒だのおはじきだのに名前をつけたるるが、どうしてウンコに記名することを嫌がったのか理解できない。 魔がさしたのだろう・・・ この「ギョウチュウ取り違え事件」のことをるるが知らないはずはない。 「赤ちゃん取り違え事件」と並び、二大取り違え事件として大きく事件簿にも乗っているのだから。 万が一、るるの家で第二の「ギョウチュウ取り違え事件」としてワイドショーを賑わすことになったら私は友人として辛い。 もし、るる家にマスコミが大挙押しかけてきたら私が代わりに取材に応じる覚悟は出来ている。 いや心配することはない。美容院にも行ってきた。大丈夫だ。 友人として当然のことをするまでだ。もちろん謝礼なんかいらない。でもどうしてというのなら貰っても構わない。 それでるるの気が済むのなら。 さて、話は変わり、おとといあゆが豹柄のスパッツについて書いていた。 さすが大阪人だ。目の付け所が違う。巷に豹柄が蔓延している大阪ならではの感性だ。 しかし私は時々疑問に感じる事があるのだ。 数年前、大阪に行った時のことだが、あのオバちゃんたちは本当にスパッツを穿いているのかと。 中にはどうみても足に直接、豹柄の模様を書いたとしか思えないほどパッツンパッツンの人がいるのだ。 大阪では足に豹柄の刺青を入れるのが流行っているのかと思ったほどだ。 また豹の顔をしたTシャツを着ている人も見かける。 あゆの言うとおり目の部分にスパンコールが埋め込まれ、シャープさを醸し出そうとしている。 しかしTシャツが気の毒になるほど横に伸びきっていて、シャープさどころか、どうみてもニキビヅラのたれパンダにしか見えない豹もあるのだ。 あれじゃ豹に失礼だろう。 それとも大阪ではあれが豹として教え込まれているのだろうか。 大阪という街は本当に不思議な街である。 看板が異常にでかく歩行に邪魔なくらいだ。 思わず蹴ってやろうかと思ったが、足元ばかりに神経を集中させると、今度は頭上にもまた邪魔なほどデカイ看板が突き出ていて危険極まりないのだ。 ここ数年、大阪には行ってないが今年こそは絶対に行こうと決めている。 るるも誘っているのだが 「行きたいねー。」と口先ばっかりで本心ではないことがミエミエである。 一回行ったら当分いいや。という気になる大阪だが、時間がたって身体が忘れたころ又行きたいと思わせる不思議な魅力を持った街である。 まるで私たち3人の飲み会のようだ。
rya
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