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こんばんわ。ゆみなです。
昨日るるに「バカな真似」と言われてしまったので、もう言うのはやめなきゃと思ったんだけどね、よくよく考えてみると一番最初に、そのバカな真似を始めたのはどこのどいつだ?とも思うんだけど。 さて、今日の私。口が臭かったんだよね。 何を食べたんだろう?と思うくらい臭かった。 で、ダンナに「臭いでしょ?」とハァ〜と息を吹きかけたところ 「いや、そうでもない」とあっさり言われてホッとしたのも束の間、 そう答えたダンナの息のほうが私の数倍臭くてもう少しで失神しそうになったよ。アタシャ。 ダンナ曰く、 「おまえ、よく自分の口臭がわかるな」と言うんだけど、 普通分かるだろ。 でもって耐えられなくなって、すぐに歯磨きしたんだけど、やっぱり臭うんだよね。 で、バイトの子と「どうしてこんなに臭いんだろう?」ってことを二人で分析した。 「昨夜、お酒飲みすぎたんじゃないですか?」 「いや、昨日はあゆとるるとチャットしながら缶ビールを一本飲んだ程度だ。」 「じゃあ、にんにく系のものを食べたとか?」 「いや、食べてない。」 「じゃあ、この前みたいに無意識のうちに夜中にうんこを食べたとか?」 「いや、昨日は食べてないはずだ。」 そんなこんなの会話をしてるうちにある一つの理論的かつ画期的な、そして人類において普遍的ともいえる結論に行き着いた。 「鼻が口のそばにあるのが悪い」 そうなのだ。だから臭うのである。 話すたびに口から漏れ出した息は上昇し、その臭いが周囲に拡散される前に鼻の穴に吸い込まれていくのである。 私たちは原因を見つけたことへの興奮にしばし酔いしれた後、ならば、鼻はいったいどこにあれば一番いいのか?という人体構造の根底を覆すまでの論理にまで語り合った。 足の裏だとどうだ? いや、足の臭いもなかなかのものだ。 じゃ、頭のてっぺんは? 髪の毛だって負けてはいないんじゃないか? ならば百歩譲って尻はどうだ? それは一番まずいだろう。 そうか、じゃ一番臭くなさそうな所といえば・・・ そうだ。背中だ。背中のど真ん中に鼻があればたいして臭いも気にならないのではないか!と我々の人体についての意見交換は一応の終結をみた。 だが、この結論にはひとつだけ問題があった。 食事をするときに「美味しそうな匂い」をも堪能したい場合は、いちいち洋服を脱がなきゃならないということだ。 さて、前置きがかなり長くなったが、本日は「我慢強くなる方法」らしい。 自慢じゃないが私は我慢弱い。 世の中で苦手としてることは「根性」と「努力」と「我慢」だ。 これはある意味三種の神器といっても過言ではない。 宅配便の荷物を抱え、根性丸出しで走ってる人をみると 「それにしても君は足が遅い」と言いたくなるし、 地道にコツコツ努力しながらお金を貯めてる人を見ると、 「少し分けてくれよ」と思う。 我慢もその一つだ。 我慢するということは自分の気持ちに反することだ。 ということはだよ。自分に正直に生きていないということなのだ。 人間は悔いなく生きれ、と誰かも言ってた。 そうなのだ。我慢なんかする必要ないのである。 その結果、「激しい後悔の念にかられるかもしれない」と自分で判断したならば、なら、その時にたとえ自分の気持ちに反していたとしても、後の自分のために反した行動をとればいいだけのことなのだ。 ここ大事だ。「後の自分のため」にだ。 それは我慢でもなんでもなく、 いずれ自分に襲いかかるかもしれない後悔を避けるためだ、と思えば 我慢も我慢とは思わなくなるだろう。 つまりだ。何も「強くなろう」などと構える必要はまったくないのだ。 何事もすべて自分のためだ。と受け入れれば、 世の中には何一つ我慢することなどなくなるであろう。
rya
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