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2002年12月23日(月) クリスマスキャロル

こんばんは。
ベン・キバミンで検索されて、なぜかほくそ笑んでいる、るるです。
何が知りたかったんでしょうか、ベン・キバミンの。

しかし、あれですよ。
明日はクリスマスイブですよ。
あゆったら何を言ってるんでしょうね。
イブといったら「やる日」だなんて。
「聖なる夜」を何だと思ってるんでしょう。
「性なる夜」にしてどうするんでしょう。
やけに生々しいですね。
今さらですけど「生搾り」っていうネーミングはどうなんでしょうか。

どうでもいいですけど。
ええ、今日もどうでもいい話です。

クリスマスの思い出ね。
あゆったら、かわいかったんですね、子供の頃。
と、昨日のお礼に「かわいい」と言ってみたんですけど
無理がありましたでしょうか。

ワタクシ、いつまでサンタさんを信じていたのか
全然覚えてないんですね。
起きたら枕元にプレゼントがあった、とか
そういうのも覚えてないんです。
クリスマスに欲しいものっていうのが
あんまりなかったような気もするんですよ。
すっごく欲しいおもちゃとか、あんまりなかったような。
それで、毎年サンタさんへのお手紙は困っていたような気がします。

あ、でも、「ママレンジ」は嬉しかったな。
クリスマスプレゼントだったのかどうか覚えてませんけど
「マ〜マ〜レンジ〜、ママレンジ〜
エプロンつけて〜クッキング〜〜♪」
って、あれですね。
うずらの卵で目玉焼き作ったり
ホットケーキ焼いたり
あれ、好きでしたねぇぇ。

あと、リカちゃんハウスも嬉しかったな。
これも、サンタが持ってきたものなのかどうか覚えてませんけど
よく遊んでいたように思います。

ある年、サンタさんへのお手紙を
自分のベッドのところに貼り付けておいたのですが、
まぁ、その、あれですよ、
母も機嫌の悪いときだったんでしょうね、
その手紙を読んで一言、
「知ってるくせに、、、」
と言ったんです。。。。

ワタクシ、ものすごくショックだったことだけ覚えてます。
サンタさんはいないんだとハッキリしてしまったことにショックだったのか
知ってるということを知られてしまったことにショックだったのか
よくわかりませんが
ガーーーーーン
という気持ちだったことは覚えています。
だから、ワタクシは子供たちには
サンタは絶対いるんだ、というスタンスを崩さないつもりなのでございます。
なんか、訴えてますか、ワタクシ。
涙ながらに。
クリスマスプレゼントがりんご1個だったナイナイの背の高いほうの人と
同じぐらいに。

ま、そんなこともどうでもいいんです。
なんだかんだ言って、子供の頃はクリスマス楽しみでしたし
プレゼントよりも、普段あまり家にいない父がいたり
洋物っぽいノリが、すごく嬉しかったのですから。

クリスマスになると、田舎だったせいもあるんでしょうが
ホンモノのもみの木が大きな植木鉢に入れられてやってきて、
その植木鉢にアルミホイルを巻いてキラキラにして
オーナメントを飾り付ける、というのが楽しみでした。
実家は日本家屋だったので、リースとかイルミネーションとかは無縁でした。
ま、最近ですよね、こんなふうに一般家庭でもキラキラするのは。
だから、我が家で唯一の洋間である「応接間」に
このもみの木が来ると、もうそれだけで嬉しかったものでございます。

そして、その日は「応接間」でクリスマスパーティーをするのでした。
いつもは和食っぽい食卓が
洋食っぽい、もうそれだけでガイジンになったような気がしたものです。
っていっても、から揚げとか、サンドイッチとか、スープとか
そんな感じだったんだと思うんですけど
いつもと違う部屋で、いつもと違う食器やグラスで
とても嬉しかったものでございます。

そしてなぜか、子供たちが一人づつピアノを弾いてみたり
写真を撮ってみたり
ケーキを食べたり
非日常的なことを楽しんでいたように思います。

あの頃の写真を見ると、
母はなぜかミニスカートをはいています。













性なる夜だったんでしょうか。。。








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