つの字の褻の日

2003年10月26日(日) 肥厚性幽門狭窄症体験記2

11月25日(火) 生後42日 手術

朝行くとスケジュールの説明があった。昼前に麻酔科の医師が説明に来た。
今入ってる点滴に、眠くなるお薬を入れます。
コトリと眠りますから、それから口に呼吸器をつけます。
それから、麻酔薬を口から吸わせます。
手術が終わってもしばらくは酔っ払ったような状態です。
すごく激しく泣くかもしれません。
その後麻酔は時間をかけて、ゆっくりと醒めて行きます。

説明が終わり、ずいぶん長い時間待ったように思う。あまり覚えてない。
前の手術が終わったと連絡があって、しばらくして赤ちゃん用の搬送ベッドが来て、それに乗せられた時、ハッチは破裂するかと思うくらい泣いた。泣きながら、手術室に入って行った。
ずっと手術室前で待っていたと思う。1時間ちょいくらいで終わって出てきた。
小児科の一番奥にあるICUに入った。
「明日には病室に戻れると思います」とのことだった。
すごく激しく泣く、ということはなかった。少し泣いたり、眠ったり、していた。
看護師さんに「抱っこしてあげて下さい」と言われたけれど、
自分の術後の痛みを思い出すと、動かすなんてかわいそうで、でもおそるおそる抱っこした。
お腹を切ったはずなのに、全然痛みなんてないように泣いているように見えた。

(赤ちゃんって、ホント、痛みに鈍感なんだと実感することはこの後もいっぱいあったなー)
面会時間を少し過ぎても病院に居たように記憶しているが、泊まった記憶はない。
8時とかに出て、帰ってウッチの世話をした。

11月26日(水) 生後43日
11月27日(木) 生後44日
11月28日(金) 生後45日 退院
11月29日(土) 生後46日

終わってみて思うこと。
診断が下って入院してしまったら、幽門狭窄症なんて一番簡単な病気だった。火曜日に手術して、金曜日に退院して、消毒に来て、抜糸に来て、経過観察に2回来たら全てが終わりだった。
入院していた中で、一番簡単に完治してしまう病気だった。
病室で泣けなかったもんなー

低月齢の赤ちゃんしかかからない病気です。
それ故に先天性の病気と言われていたそうですが、今はそうでないと思われています。
原因は不明です。
2ヶ月を過ぎた赤ちゃんは、普通はこの病気を疑いません。ありえない、と言われました。
胃の出口部分、幽門の筋肉が、なんらかの理由により、厚くなってしまい、中を胃で消化されたミルクが通らなくなってしまいます。それだけです。
熱が出たり、グッタリしたり、ケイレンしたり、食欲が無くなったり、という症状はありません。
ただ、空腹になったら泣いて知らせてミルクを飲む。でも吐く。吐いたら空腹なのでまた泣いてまた飲む。でも吐く。
手術は、全身麻酔して開腹し、幽門筋を引っ張り出し、肥厚している筋肉の束に沿って、筋肉を割るようにメスを入れます。(カニカマを思い浮かべて下さいな。繊維を切断するんじゃなくて、縦に割るんだそうで。)筋肉に切れ目を入れるだけで、中の粘膜部分は切れません。筋肉に切れ目が入ることで粘膜部分が出てきて、中をミルクが通れるようになります。実際に水を通して確認したら、あとは元通りに縫い合わせます。
物理的に治療してしまうので、再発はまずありえないと言われました。後遺症もないそうです。

未完成のままほったらかしですが。
幽門狭窄症 手術費用 で検索して来られた方らいらしたようなので追記。
うちの自治体は、3歳までは月に2回までは1回500円、それ以上はタダという乳幼児医療制度があるので、退院する時1000円払っただけです。オムツは持参。ミルクは食事としてついてた。その後の外来受診時も500円か、無料。
だから、具体的に手術費用がどれだけかかるのかはわからないです。



2003年10月25日(土) 肥厚性幽門狭窄症体験記1

このコンテンツは未完成です。
気が向いたら内容を更新しています。
今は思いついたことを思いついた時に書き足しています。


肥厚性幽門狭窄症体験記 を、書こうと思います。
ハッチがこの病気にかかったのではないか、と思った時、検索しまくったのですが、病気の説明は沢山出てきたものの、私が探していた、実際に経験した人の声は見つけることができなかったからです。
ハッチは手術を受けて、元気になりました。
その時の経験を、記録しておきたいと思います。

執筆には多少時間がかかるので、それより前に情報をお求めの方は、メールを下さい。質問にはお答えできると思います。

11月19日   未熟児発達外来の1ヶ月検診。順調。体重27XXg

11月22日(土) 生後39日

<日記より引用>
吐く回数が多い
飲んだ物全部、又はそれ以上をドバドバ吐くことは、ウッチにもあったことだけど、
ハッチは今日それを3回やった
それ以外にも吐いてた
心配…
<引用終わり>

よく吐くのはゲップのさせ方がよくないのだ、と試行錯誤していた。
泊まりに来ていた義母(当時、資格はないが保育所で保育の仕事をしていた)の発案により、1回分量を飲んでいる途中に1〜2回哺乳瓶を離して、ゲップをさせたりしていた。少ない量では吐かないけれど、それを3回連続すると結局全部吐いた。

11月23日(日) 生後40日

夕方、とにかく全部吐くので、連休が終わる明後日の朝まで様子を見ることはできないと判断し、お世話になったNICUに電話で相談、救急外来を受診するよう指示を受けて病院へ
外来で経過を説明すると、肥厚性幽門狭窄症の可能性があると言われる
体重測定。27XXg。
エコー
外来にて説明を受ける
・エコー(妊婦検診を受けた人なら誰でも知ってるように、写った画面で、長さを測ることができる。)で、幽門の厚さが、4mm以上の場合この病気とされるが、4mm以上あると計測された。
・この病気でなかったとしても、飲んだ全部ミルクを吐いてしまう以上は、入院し、点滴して水分を補給してやる必要がある。
小児科病棟より看護師さんのお迎え、病棟に上がる。
「お預かり」の部屋と、「付き添い」の部屋があるが、どうするか聞かれる。
それぞれがどういう生活を意味するのかは後になって知ることになるが、家にウッチがいることを考えて、「お預かり」をお願いする。
1ヶ月児のお預かりは珍しかったかもしれない。
・6人部屋で、ナースステーションの横にあった。ベビーベッドの開きがなく、大人と同じベッドだった。
・処置をしますので、とハッチは連れて行かれた。
・遠くで赤ちゃんのギャン泣きが聞こえてきて、20分後ぐらいに看護士さんに抱っこされて帰って来た。
「針を刺す時よりも、固定する時が爆泣きでした。」とのこと。
痛みで泣いたのではなく、押さえつけられるのが嫌で泣いたらしい。
点滴は、機械に繋がっているヤツで(私も入院中にはよくお世話になった。)入れる速さとかを機械で変えられたり、輸液がなくなったら音がなったりするやつ。
あと、手足にもモニタが繋がれた。基本的にヒトがつきっきりではないので、異常は音で知らせるらしい。
誤作動が多いので、私がいる間は電源を切ってもらっていた。
9時だったか10時だったか、面会時間をとおに過ぎた頃に、ハッチを置いて帰宅。

11月24日(祝) 生後41日

ウッチもつれて、家族で病室で過ごす。
看護士さんに、明日は何時頃来られますか?と確認された。10時までには来ると伝える。


2に続く



2003年10月22日(水) ベネッセ 双子サービス

こどもちゃれんじに、双子のサービスがあるとは聞いていましたが、
小学校入学を前に、小学講座の申し込みを思い立ち、電話してみました。
ホームページや送られてくる資料には、全く書いてないからです。
わかったことをメモしておきます。

・オペレータにつなぐよう、4を押しましょう。

・入会の申し込みである旨伝えたら、名前より先に、双子である旨伝えましょう。←一人の名前を伝えて、最後に双子なのでもう一人、と言うと、大変恐縮され、別途係から折り返し電話するとのことでした。
ツインズサービス係の人でないと受付できないみたいです。
(特別受け付け期間中の、遅い時間帯だと別の日に折り返し電話もらう形になります。できれば平日昼間の、リーマンが働いてそうな時間帯がいいと思われます)

○双子のサービスは、ツインズサービスというサービスであること
○2つまとめてゆうぱっくで発送
○視覚教材(DVDorビデオ)と、保護者向け冊子が1つだけ
○一人目は通常料金、二人目が(たぶんちょっとだけ)割引
○料金は、1ヶ月約150円程度安くなる。
(えー。それって一人分の送料以下じゃなーい?)

年払い、割引後、二人分、で6万いくら、でした。(チーン。)
(つかちゃんと聞いとけよ)(請求書来たら書きます)

電話切ってから思い出したんですけど、
(なんかすげえ特別な申込みっぽくてちょっとテンパってたかも)

紹介してくれる人がいるならその番号を聞いておいて、
紹介特典ください!一人を紹介してもらい、うちの一人がもう一人を紹介したということで2重にください!と言えばよかった。
後から言っても紹介特典くれるかなーでも電話するのめんどくさい。



2003年10月21日(火) 双子の保育園の送り迎えについて

うちのマンションのお隣は、公立保育所なんです。
子供が産まれたら、そこに預けて働くのね〜なんて確信しつつ、そのマンションを買ったんです。
でも、産まれてすぐ申し込んだにも関わらず、定員オーバーで入れてもらえませんでした。
そして、今の保育園に入園しました。
大人の足で歩いて15分。半分以上が坂道です。上まで登って、下ったところ、という感じ。行きも帰りも、急な上り坂がある道です。

1歳児クラスに4月から、双子1歳5ヵ月の時です。

双子が歩き出したのは、1歳3ヵ月と1歳5ヵ月、入園時はよちよちもいいとこでした。
大人の足で15分の道のり。よちよちの赤ちゃんが歩いて通うことは不可能でした。
電動アシスト自転車を購入しましたが、自転車に双子を乗せる場合、前と後ろ、ということになります。
後ろの座席に子供が乗れるのは、2歳からなのです。
前ならば、何かあったら止まるなり手で支えるなりしてあげられますが、後ろは見えません。
ただでさえドンくさいうちの双子を、後ろ子乗せに乗せる勇気は、ありませんでした。

入園からしばらくは、ベビーカーで登園しました。
ベビーカーで、家から保育園まで行きます。
保育園に置かせてもらった自転車で会社に行きます。
自転車で、会社から保育園に迎えにに行き、
自転車を置かせてもらって、ベビーカーで家まで帰ります。
自転車は、保育園で夜を越すわけです。
何度か、自転車の電池を持って帰るのを忘れて大変でした。
保育所と会社の往復だけ、乗ってるのは私だけ、なので、電池は5日くらいもちました。
(現在は1日ちょいしかもちませんので、毎日充電です。3年目半ばで電池を買い替え、ほぼ新品なのですが。)

雨が降った時は、実家に電話しておじいちゃん号(車)を出してもらいました。
これには、パパがいい顔をしませんでした。
実家の車には、チャイルドシートが1つしかなかったからです。
私とおばあちゃんが乗ると、チャイルドシートは1つしかつけられないからです。
現在もいい顔はされないまま、おじいちゃん号に乗る時はシートもベルトもなしで、双子は乗っています。

日本一暑い大阪で(実際、「今日日本一暑かった都市」としてテレビで名が出ること数回)、30kgほどもあるベビーカーを押して坂を上がるしんどさ。
ベビーカーの上でなぜか靴下や靴を脱ぎ捨てる双子。(無くした!と思っても翌日には見つかってましたw)
それらに負けて、お盆休み明けから、自転車での登園を始めました。1歳10ヶ月の時です。

前後共、子乗せについているベルトを装着。ヘルメットも装着。トロトロいつでも止まれるスピードで。
うちの保育所は、お昼寝布団はレンタル、持って往復する必要はありません。
また、暑い季節など、日に4回も5回も着替えさせる保育園もあるようですが、うちの保育園は多くても2回。
荷物は少ない方の保育園であったから、できたことだと思います。

自転車は見る人にはものすごく危なかしくみえるようですが、恐いのはどちらかというと、乗っている時よりも、子供を乗せて自分は乗らずに自転車を押している時です。駐輪場での出発時など。
自分側に倒れてくる自転車はいくらでも支えられますが、向こう側に倒れそうになったら引き戻すのは非常に難しいです。
ヒヤリとしたことが、2回程あります。倒してしまったことは1回です。一人を降ろした瞬間でした。幸いケガはありませんでした。
倒れてしまった時、前の子の方が高い位置にいるので危ないように思われますが、怪我をする確率は後ろの子の方が高いそうです。
前の子の両側には、ハンドルがつき出ているので、ハンドルが先に地面につくからです。
後ろの子は、足が自転車の下敷きになってしいます。体も自転車と同時に地面に落ちます。

どちらにしても、非常に危険です。
地元スーパーの駐車場で、自転車が倒れたそこをちょうど車が通りかかり、2歳だか3歳だかの子供が亡くなりました。
子供を乗せ降ろしする時は、向こう側にフェンスなどがあって倒れない場所を選んでいます。

雨の日はおじいちゃん号です。
朝自転車で行って、夕方雨で車に来てもらった時は、翌朝が晴れていても車に来てもらいました。
自転車は会社に置いたままだからです。

年少組(3歳児=4歳)の3月現在もこの状況ですが、電動自転車をもってしても坂を上がることが、私の体調によっては困難になってきました。双子の体重は16kg台。坂の頂上5m前で自転車を降りて押すことがあります。
その場合は、押す距離は大したことはありませんし、その場で子供を降ろしてまた乗せる時の危険度を考えると、子供を乗せたまま自転車を押した方がまだ危険度がマシ、と考えてそうしています。

前子乗せの位置が、比較的高くて(自転車をこぐ時、ガニ股にならずにすむくらい)、その分、子供が大きくなると、前が見にくくなります。
傍からは「全然前を見ずに走っている」ように見えることでしょう。(結構見えてるんですが。でないと走れないよ。)
ちなみに前子乗せは12kgまで、と書いてありますから、とっくに制限を越えています。ベルトも長さが足りず留めることはできません。

先日、休みの日に3人で歩いて保育園に行ってみました。20分程で行けました。(自転車なら、乗せ降ろし、駐輪場までの往復など含め、10分程度)
近い将来、歩いて通うことになるかと思います。
双子は、私がうとましく思うくらい、手を繋いで歩きたがります。一人で勝手に走っていくようなことは今まで全くありません。


今、マンションの階段をスタスタ上っていく子供達を見ると、「楽になったもんだ!」と思います。
1歳児の頃は、号泣する2人を前に、荷物をかかえて途方にくれたことが何回もありました。
自分ちのマンションの、駐輪場から家までの距離だけなのに。
ニコニコ機嫌良く家にたどり着けることの方が少なかった。
4歳半の今では、鍵を渡すと走って上がって行って、玄関を開けて待っていてくれます。

1歳2歳の子供、ものすごくかわいいけど、自分の子としては、もう勘弁です。


以上、双子の保育園の送り迎えについて、うちの場合でした。
(20080315記)



2003年10月20日(月) 双子を妊娠する方法

双子関係の検索ワードにはお答えできるページをなんとなく目指していて、
2003年10月の日記ページにはそれなりの記録を残していて、
双子妊婦さんに「お役に立てたかも?」と思ったりしているのだけれど、
(「双子 エコー」とか1日平均3人くらい来てるし)
「双子を妊娠する方法」のような言葉で検索されて来られる方もいらっしゃるので、
私の知っている限りの情報を残そうと思います。

確実に双子を妊娠する方法は現代科学ではわかっていませんので、
以下に少しでも双子を妊娠する確率を上げる、かもしれない、方法を記します。
あくまで、確率が高くなる方法ですので、双子を妊娠できなくても悪しからず。


■科学的根拠なし
○2卵黄の鶏卵を食べる。
○双子ミカンを食べる。
○双子栗(イガの中に3つではなく2つ栗が入っているの)を食べる。
○二股大根、2つに分かれたまつたけ、なすび、ピーナツを食べる。
○骨揚げを2人でする。
○1人の子に2人で服を着せる。
○布や紙を2人でひっぱる。
○双子の母親が履いた履物を履く。
○妊婦が畳2枚にまたがって床を敷いて寝る。
○飯櫃にしゃもじを2本入れる。


■科学的根拠あり(率は上がるはず)
○35-39歳で妊娠する。
○4月に受胎する。
○韓国の全羅南道麗川郡中村にある、双胎山から湧き出る水を飲む。
○ナイジェリアのヨルバ族になり、ヤム(やまいも属のいも)を食べる。
○体重を増やす。
○背を伸ばす。
○初潮がまだなら、急ぐ。
○母親に双子を産んでもらう。
○黒人になる。


・・・・・がんばって下さい。

尚、これらの方法は二卵性の双子が増えると思われます。
一卵性は偶然だそうで、基本的に人種や体格、年齢関係なく、1000人が妊娠すれば、3〜4人は一卵性の双子を妊娠します。
ただし、最近の不妊治療において、一卵性の双子ができる率が上がるような治療法もあるとは聞いていますが、そちらはあんまり詳しくないのでごめんなさい。

二卵性の双子は、要するに一度に複数の排卵をした場合にできる確率が上がります。
(排卵された卵が全部受精するとは限らないし、受精卵が全部着床するとも限らないので、あくまで率が上がる、ということで。)

黄色人種よりも、白人、白人より黒人が多い。
小柄な人よりも、大柄な人の方が多い。
若い人よりも、35歳以上になっている人の方が、多い。
遺伝するのも二卵性が多いそうです。多排卵な体質が遺伝するのでしょう。

黄色人種は二卵性の双子が少ないです。
その中でも日本人は更に少ない方だったようです。
確率としては、一卵性より少し少ないくらい、1000人に2〜4人でした。

過去形で書くのは、現在は違うからで、
それはもちろん不妊治療が増えてきているからです。
今では日本人の双子は一卵性よりも二卵性の方が多くなっており、その結果
日本人が双子を妊娠する確率は、私の妊娠中に調べた時は1%を切っていましたが、双子が生まれた翌年には1%を越えたというニュースを聞きました。
最近は調べてないのでわかりませんが、上がっているのでしょう。

ヨーロッパのナントカいう博士の研究によると、80分の1なんだそうです。
妊婦80人のうち、双子は1人。
三つ子ができる確率は、双子の80分の1、
四つ子ができる確率は、三つ子の80分の1・・・



2003年10月19日(日) エコー写真

双子 エコー写真 で検索して来られる方が割りといらっしゃいますので、ご紹介します。(やっと見つけたの!)

2003年3月22日(6w1d)
初診の時です。胎嚢が確認でき、尿検査の結果「おめでたです。」との診断を受けました。心音が確認できなかったので、2週間後にまた来てとのこと。




2003年4月9日(8w5d)
心音が確認できる筈だったのですが、良い心音ではなかったようで、また来いと言われました。2人分と気付いていなかったので、わかりにくかったかな?





2003年4月28日(11w3d)
つわりの苦しみに対する対応の誠意のなさにイヤケがさし、勝手に転院してみました。(既に何週間も仕事を休み続ける日々でした。)
「そうやねぇ、双子やとつわりもきついからねぇ」と言われたのが最初の双子宣告でした。
「へっ?」としか言わない私に、「ほれ、見てみぃな、二人並んでるがな。」と先生は画面をこちらに向けてくれました。
その後、持ち帰り用の写真を撮ろうとして下さったのですが、一人ずつしか写ってくれませんでした。
会社にいる旦那に「大事な話があります」とメールしたら、色々と心配しながら帰って来たようです。
「大事な話って?」と青い顔で聞く旦那に、「あのね、こっちが4.2cmで、こっちが4.1cmなの。」と双子宣告したのでした。





2003年5月5日(12w3d)
勝手に転院した病院で、「胎嚢が一つしかないから一卵性。胎盤が一つしかないタイプ(=一卵性)の双子はリスクが高く、うちでは取り扱わないので、NICUのある総合病院に転院して下さい。」と言われました。
2週間後ぐらいでいいよ、ということだったのですが、あまりのつわりのつらさに、かなり早めに出産した総合病院に行きました。
つわりがつらいと言うと検査をしてくれ、「ケトン体が下りているからかなりきつい筈。入院したら?」と言われ、そのまま入院しました。
24時間点滴に繋がれたのですが、血管がもろいようで、すぐに針がズレてしまい、毎日のように刺し直ししていました。
5日目にまた腕が腫れた時、「おしっこも大量に出ているし、週明けまで点滴なしじゃダメですか?」と相談したところ、当直の先生が、「一応診察しないと判断できないから、診察させて。」と言うことで診察を受けました。
エコーを見て、先生の第一声が、「か〜わい〜い〜〜」でした。(女の先生。)
「(看護婦さんに)ほら、見てみて、かわいいの。二人並んでるの。かわい〜い。写真とっとこ。」と撮って下さったのがこの写真です。
来る日も来る日も吐き気と倦怠感で仕事どころか完全に寝たきりで、飲める物も食べれる物も極端に少なく、ただ横になって、這うようにトイレに言っては吐く毎日。もう死んだ方がマシかもしれないとさえ思っていた私は、お腹の中に"かわいい"赤ちゃんが二人もいるということを実感して、泣きました。
その先生は病棟の分娩担当で、毎日分娩室から声が聞こえていた先生でした。(管理入院中のMFICUの個室は分娩室の前だった)
この先生に、分娩台でも叱咤激励していただき、最終的に帝王切開手術を執刀していただきました。


「そうか。手ぇあげてんの。挨拶してんの。こんにちは〜って。かわいい〜〜」と言いながら撮影して下さいました。
この2枚の写真を、旦那に拡大コピーしてきてもらって、病室の枕元に置いて、眺めていました。



2003年6月25日(19w5d)
退院して、妊婦検診に通っていた時の写真です。
外来の担当医師は上記の先生ではなく、医長先生でした。
この先生は、持ち帰る用の写真は基本的に撮ってくれず、性別も聞かないと見てくれませんでした。正常に妊娠が進んでいるかどうかが重要であり、写真や性別は、正常な妊娠分娩にはあまり関係のないことのようでした。
「写真を下さい。」と言ったら、頭の輪切り写真をくれました。
(先生が毎回確認されるのは、頭蓋骨の直径と、大腿骨の長さでした。それを入力すると、推定体重が出るのです。下の写真のように、+マークのカーソルを、ココと、ココ、と置くと、「19w4dと表示されます。この日は19w5dですから、ほぼ週数通りの成長ができている、ということだそうです。ただ、うちの双子は頭が大きく、推定体重より1割くらい小さく生まれて来ました。)





2003年7月23日(23w5d)
6月の末から、お盆までは、一応仕事はしていました。ただし、妊娠勤務ということで毎日午後半日だけの勤務。おまけに週に1回は検診の為休んでいました。ずいぶん大きくなって、頭と胴体がいっぱいいっぱいに見えます。2枚目は背骨が鮮明に見えています。どっちがどっちだかわかりません。





2003年8月13日(26w5d)
お盆明けから産前産後休暇に入ったので、最終勤務日の後だと思います。
何がどう写ってるのかよくわかりませんね。私もわかりません。
一人ずつ顔が映ってる?
3つの病院に行きましたが、出産した病院では3Dの写真や、ビデオを撮ってくれるサービスはありませんでした。
もうちょっと元気だったら、3Dを撮ってくれる病院に一度だけ行って、記念撮影してもらいたかったな。
お盆休みまで仕事、と決めたものの、既に体力は限界で、仕事の為だけに起き、仕事から帰ると即寝ていました。晩ご飯は母におかずを作ってもらって配達してもらってました。(それでも仕事には行ってたのよねー)
つわりは出産の翌日ぐらいまで続きました。最後の最後まで、吐いて吐いての妊婦生活でした。



20070502記



2003年10月18日(土) 出産直前のお腹の写真

出産直前のお腹の写真 で検索してこられた方がいらしたので。




11月14日が出産予定日だったのですが、これは10月11日の写真です。
出産はこの3日後でした。
ちょっとお腹をひっこめ気味にしたところです。お尻を突き出した訳ではなく。
腹囲は104cmまで行きました。妊娠線はスイカのごとく出ました。臍の上まで。
でも1年も経つころには、白い線に変わって目立たなくなりましたよ。
皮の余ってるのはどうしようもないようですがー。
帝切の傷はまだ痒いです。(3歳半現在。)修復手術したいと思ってます。いつできるんやろ?
傷の形状によっては、ていうか普通はこんなにいつまでも痒い訳じゃないみたいですが。


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