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.毒親とか添い寝とか

毒親チェックなるものをしたら項目の殆どが当てはまり、成る程と確信したのだった。

最近フラバがちょいちょいやってくる。
忘れていた事を脳内リプレイするのは楽しい事だけでいいのにな。

これは死ぬまでこんな感じなのだろうか。
親を怨んでいない、と言ったら嘘になるけれども程よい距離であまり関わらず暮らせれば私はそれで良いのだ。

親が死んだらチャラになるような事でもないから、思い出さずに暮らすにはどうしたら良いのか。もしくは思い出したらどう脳内で処理をするのが正解なのかというの考えている。

この記憶は小さな頃の納得のいかなかった事だし、大人になった今の自分からみてもドン引きする扱いで
最近は、子供の頃の自分が話かけていると思って聞いてあげているような感覚でいる。
聞いているだけでドン引きして答えられないのだけど。
よしよしするしか無いのかな。

そんな事を思ったらよしよししてくれる人によしよしされたいな。と甘えた事を思いはじめてどうしようもねェ。


話は変わるけ複雑な環境で育ったり色んな思いをしてきた人には優しくしたいと思ってしまう。
同情かと言ったら情では無くてリンクしたりするから傷の舐めあいか、といえばそういうニュアンスでもなくて。
偽善じゃないんだ。寄り添いたいのかな、多分。
承認欲求か、これは。
とか、頭ぐるぐるしている。


複雑な環境だった知り合いの年下の男からさみしいから添い寝してほしいと言われ、それは健全じゃないネ。という話をした。
可愛い子とそういう事しなさいな、と言うと私とがいいと言い出して、そういう線引きはきちんとしていたいじゃん。
利用なんてされたくないじゃん。

とか。

女の子や私に対してせいよく薄そうな男友達ならギュッとしてあげたいとか思うけども。

とか。

添い寝なんかしたらそれだけじゃ済まなさそうだしそういうお友達関係は嫌だな。

とか。

いつも優しくしてくれて嬉しいんだって。言われて、そっかぁ。と思ったり。

頭が廻らないな。

2014年12月01日(月)


.※フラバ注意


口腔アレルギーを久しぶりにおこす。
喉の違和感、腹下し感、体内に熱がこもる感じ、パニックなど非常に面倒臭い。

これが子供の頃なのだけれど、当時は口腔アレルギーなんて言葉を聞かなかったし、
これがパニック障害だなんて知らなかったから今思えば子供の頃から残念な人生である。

ネットが普及してから自分が周りと違う事を知り、また、これらを克服するにはどうしたら良いかを知れるとは有り難い事だ。


10代まで酷いアトピー持ちだった。
不細工な同級生に気持ち悪いと言われて不細工が更に嫌いになった学生時代。
(その中の誰かもアトピーの症状が出てきて別の奴に気持ち悪いと言われて大爆笑)

年頃だった。
汗や日光だけじゃなくストレスでもアトピーは悪化した。
理科の先生は言った。
「産まれた時からアトピーを持っている人はお母さんが陣痛促進剤を使った可能性がある。なるべく女性は使わず産むのが理想だ。まだこのことは世の中知らない女性が多いんだ」
母親が何故あんたはアトピーが酷いのか。と言っていたのでその話をした。
するとヒストリーに怒鳴り散らしたのだった。
「あんたの部屋が汚いからハウスダストのせいでしょ。何で私のせいなのよ。あんたの部屋片しなさいよ!皮膚科の先生だってハウスダストのせいだって言ってたじゃない!」
凄い剣幕で言ったのだった。
「お母さんのせいだなんて言ってないでしょ。どうしてアトピーがって話をしたから理科の先生が言った話をしただけじゃない」
そう言っても私の話がでたらめだと言わんばかりに私を責め立てる。
母は私を陣痛促進剤で産んでいるのだ。

陣痛促進剤の話がメジャーになったのはあれから随分と経ってからだった。
理科の先生は間違っていなかったし未だに私が何であんなに責められた理由がわからない。

そんな話が今日は急に脳内をしめたので此処へ置いていく。


余談だが漢方でほぼアトピーは治り、主治医からは子供の時から使っていたステロイドが5段階中2番目に強烈な薬をだった事を知る。
離脱したのは20歳の事だった。


高三の夏、友達の友達が泣いていた。
どうしたの?って聞いたら急にアトピーが悪化して皆気味悪がっているって言っていた。
うん、私もアトピーだからわかるよって言ったら、話かけてくれて本当に嬉しかった。ってまたその子が泣いた。

陣痛促進剤の話をしたらその子もそうだって言うから、案外世の中悲しい思いをしている子供も居るんだなぁ。

2014年10月07日(火)


.※フラバ注意


フラバはちょくちょく出くわすのだけれど最近酷くてヒントを捜しに此処へ来たのだけれど。

書いていた過去の事は案外クリアしている感じ。
しかし書いてないフラバだらけで涙止まらないし、ネットで検索して同じ事をされた人の話もつらくて読みづらかった。

私は、嬉しさを隠しきれないという気持ちが解るようで解らない。
幸福感が簡単に消え失せてしまう理由を私はやっと向き合う時期なのだろうな。

というのが書けるようになったのも随分と時間がかかった。

嘘つきで有名な同級生が親を巻き込んで 私はやっていない!と言っているのに母親は壁に蹴りを入れながら私に謝れって言った。
やっていないよって何度も言ったのに。

それを後日得意げに同級生の別の親に「壁に蹴り入れたら向こうの親もびびっちゃってさぁ」と言い出して本当信じられないと確信したし、
「ぢゅんちゃんやってないんでしょう?」って聞いていた人が言ったら
やっていないと言った事をムシしたのは向こうに自分がなめられたら困るからとか言い出して、そうじゃねぇーだろって私もその人もそういう顔になった。

いつも私の為じゃない。
自分の為、世間の為。

私が父親にグッタリするまで殴られた時も近所には私が転んだ事になっていたぐらいだった。

「ぢゅんちゃん、転んだの?本当?」って私が一人の時にこっそり聞いてきたおばさんが居た。
私は答えられなくて、転んだのに手や足に擦り傷が無い事を指摘してきたのだった。

そう、聞いてきたおばさんが居たんだよ。
今思い出した。
妄想かな。いや、確かにまさしくんのおばさんに聞かれたんだよな。

でもまさしくんのおばさんも自分の息子に対して暴力BBAだったのも思い出した。

そして ぢゅんちゃんが悪い事したからぶたれたんじゃない?とも言われたんだっけな。
私には何が悪かったのか全くわからなかったのだけれど。

母親と喧嘩になって機嫌の悪い父親が起きてきてグッタリするまで殴られた記憶しか無いもの。

2014年07月24日(木)


.※フラバ注意

昨夜は久々びゅーんとフラバがやってきて わんわん泣いたと言うのに今は何のフラバかがパッと浮かんでこない。
このまま忘れて。このまま無かった事にして。


以前書いた精神的に気の合う友達は消えてしまった。
多分死んでしまったのだろう。

私に話してくれた 俺が死んだら忘れて欲しいと思う。という書き込みを彼はして消えてしまった。

もう一年になるのだろうか。
また会う約束も果たせないままだよ。

彼は一度自殺を失敗していると言った。気付いたらロープが切れて倒れていたんだよ。だから丈夫なロープを買った。そしたら安心した。

わかる。いつでも死ねると思ったら生きていけるよね。

そんな会話を私達は笑いながらした。

彼のツイッターを読み直すと遺書めいた事ばかり。
何で気付かなかったのかなって思ったら私が寝込んでいた時期だった。

そういえば最近つぶやいていないな、と彼のツイッターの最後の文字を読んで血の気が引いたのだ。
顔本もログインがその日を最後。

ネットから離れる事が無かった彼が、ネットの何処にも居ない。

私達は こんなに気持ちが良くわかる人に出会った事が無いと言った。

こんなにも共有出来る人が居るなんて!と笑い合った。

私が死にたくないけど今なら出来そうとメールをした時に、明日にすれば?とか俺の分まで生きてよって返信が来てハッとしたのだった。

彼が欲しかった言葉は最後のつぶやきに書いてあった。
私がすぐ気付けば言えたのだ。


私には君に見せたい風景があって、君には感謝していて、君とまた話がしたいのだ。
君としか話せない話を私はしたいのだ。


忘れて欲しいなんて難しいよ。
またねって言ったじゃん。

2013年10月24日(木)


.※フラバ注意

ネットで、自分の子供が学校に通報されてそのまま隔離されてしまった文章を読む。

しつけと暴力。
叩かずに育てる事をしている人も居るのだろう。

私の弟は子供達に手を挙げるという。
それを姪が嫌だと祖母(私の母)に言い、自分の息子は困ったもんだと言った。

私は両親に暴力で育てられ、父親は私が家を出るまで暴力は止まらなかった。
力の暴力、言葉の暴力。
家族そろっての食事は美味しいなんて一度も思った事が無かった。

時に、父親の機嫌が悪く、父親の箸が私の手に刺さったり、私が殴られたり、そういうのを母は止めなかった。
母はとっちらかった割れた皿や食べ物を不機嫌そうに片し、私が全部悪い空気になり、私が部屋に逃げ込んだ記憶が多い。

えっ私?てぐらい何でこんな事されているのかがわからなかった。
大体、父親の勘違いや機嫌が悪く(理由は野球が負けたとかそんなの)私に突っ掛かってきて私の態度が気に食わないという子供じみたものだった。

妹や弟が悪くても、お姉ちゃんが悪い。てなっていた。

私は抱きしめられた記憶が無い。
私を守るものは私自身だけだった。

弟も殴られたりしていたみたいだけど、妹が怒られるところは見たことが無かった。
それどころか病気をし、病気の妹と私を比べて「あんたなんか比べたら〜」が口癖の母。
実家に居た頃の私は摂取障害だったけれど。
苦しんでいる私に対してあんたなんかに比べたら(妹)ちゃんの方が〜と厭味を言う。
親に一度も摂取障害に関して弱音を吐いた事は無かったんだけどな。
具合悪い私を横目に平気でそういう事を言うんだ。

構ってほしそうに見えたのかな。
構ってほしくなくて私、必死だったのに。何も悟られたくないと思ってたし、どう死ぬかしか考えて無かったんだけどな。

そんな家庭状況だったから、弟が何かしでかして両親が弟をせめても私は「あんたらと同じ事しているだけじゃん」と言うとその場で話がおさまる。

たまに弟の子供達を守る為に実家に行くけれど、子供達が居なければ絶縁していただろうな。

そして今の恋人に逢わなきゃ私は此処に居ないだろう。


許す許さないの話じゃない。
そうやって私達を育てた結果、責任持って背負ってくれと思う。

そのうち殴り殺されてもおかしくないと思うぐらいの。

これは暴力で片付けてきた人達が年老いてから背負っていく事だよ。

2013年07月19日(金)


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