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.女性である事の嫌悪感、とは

今日は自分に対する嫌悪感について。

好きな人と両思いは嬉しい。
一方的に好きで、少しずつ相手との距離が埋まるのも嬉しい。
しかし、好意がある無い関係なしに相手から一方的にアプローチされると逃げ道が無くなった気がして入って来ないで!と思う。
子供の頃からだ。

これをネットで検索すると色々出てくるのだけれど、専門家が書いている内容からして、自分の女性性を認めたくないから。
だという。

うーん。うーん?

自分が女だとは自覚しているのに?

私と同じ体験をしている人の話を読むと、私の場合は母親に関係している事に気付く。

子供の頃、私が女である部分を母親は茶化したり、性的な話をしてきたりする度に私は嫌悪感でいっぱいだった。

自分が女である事が恥ずかしく思えたのだった。

成る程、これか。

と今、思ったのでMemoしておく。

2013年06月09日(日)


.※フラバ注意

ついったーで書いていたけど「どうしたの?」「大丈夫?」の優しいリプがしんどかった。

やっぱり此処がいいや。

※フラバ日記

音楽で救われていた10代、好きなアーティストが亡くなってしまって相当なShockを当時受けた。

その人の命日が母親の誕生日と一緒で、母親が「××(アーティスト)が死んだ日と同じなんて嫌だわ」と言い出し酷く傷付いたのだった。

それがそのアーティストを思い出すたびに脳内で再生される。
死にたくて死んだわけじゃないのに、どうしてあんな事言われなきゃならなかったのだろうか。

母親は私の好きなものを認めない。
Liveに行く事や雑誌などを無駄遣いと言い出し、数年後自分は宝塚にはまり追っかけまでしだす。

考えてくれ。自分の好きな宝塚の人が亡くなった時に命日が誕生日な人から否定された言葉を言われたらどんな気持ち?
それを身内から言われたら更にどんな気持ち?

2013年02月05日(火)


.※フラバ注意

昔住んでいた場所へ行った。
不思議と夢に何度も出てくる町。

あまり良い思い出が無いのにね。


子供の頃の記憶を頼りに町を歩く。
変わってしまったもの、変わらないもの、こんな小さかったっけ?と思うもの。
沢山の発見があった。


帰ってから昔の記憶がパッと蘇りる。

当時私は小学校低学年。
学校から少し歩くとスーパーがある。
たまに母親と出くわす事もあったが今回は幼稚園帰りの妹が居たのだ。
そこには父も居た。

父を呼ぶと私をチラッと見て無視をした。
何でだろう、とまた父を呼ぶとしょうがなく反応した。

一緒に帰ろうと思った。
父のもとへ行くと露骨に嫌な顔をされた。
そして無視をするのだ。

何でそんな怒っているんだろうと思うと「入ってくるな」と言った。
「何で?」と聞くと「ランドセル持っていたら万引きに思われるだろ」と言った。
「××(妹)ちゃんは幼稚園の鞄持っているけどいいの?」と言うと「いいんだ」と言った。
「ランドセルに店の物なんかすぐ入れられないよ。幼稚園の鞄のほうがすぐ入れられるよ」と言うと「早く帰れ」と言うだけだった。

「じゃあ外で待っているね」と言うと「いいから帰れ」と言われたのだ。

万引きなんてした事なかった。
万引きしようなんて思った事もなかった。
ただ一緒に帰りたかっただけだった。

父が他人のふりしようとしたのが傷付いた。
万引きに間違われるからといって親のする態度じゃないし、妹は良くて自分はダメなのが納得いかなかった。

ランドセル背負った子が何人かスーパーに居た。
親を見付けて楽しそうにいた。


帰ると母に、父と妹に会った事を言った。
一緒に帰って来なかったの?と言われたから、万引きに間違われるから帰れって言われた事、妹はスーパーに入れて自分はダメな事を話した。

母は少し困った顔をしていた。

母と会ったら帰れなんて言われた事がなかったからだ。


父は言う。
お父さんもお母さんも先生も言う事は同じだ。正しいんだ。

しかし全てが一致した事なんて一度もなかった。

2012年05月27日(日)


.生きている心地がしない

楽しい事があったのに、それが夢だったんじゃないかと思って。
そんぐらいまた地に足が着いていない。

実感が無い時は調子が悪いんだよなぁ。
もやもやして、もう少し我慢出来なくなったら死にたくなってきて、あとは気分次第でしょ。
皆そうやって生きている。

先日私より若い子と話をしていて、似たような感覚に私達は意気投合した。

それが共有出来て私達はきっと少し安心した。

今、その人に私はSOSを出したい。

2012年05月01日(火)


.※フラバ注意

ここの存在を思い出したので置いていく。


昔、父がダイレクトメールについていた健康食品サンプルを私の目の前で怒り狂いながらごみ箱に思いっきり捨てた。

私なら黙ってそっと捨てるけどな。
何も私の目の前でそんな事しなくてもいいのに。

「こんなわけわかんないもの送りつけて!」と私に言ったけど私に言う必要性がどれぐらいあったんだろうか。
真っ先に電話してクレームつけたらいいのに。
何故、怒りの先が家族なの?


小児科で貰った注射器の玩具。
針はついてなくてプラッチクな可愛い玩具。
バッキバキに折られて「こんなの危ないだろ!」て言った。
折られた破片をごみ箱に思いっきり入れたから私は言った。
「そのままだと危ないよ」と。

すると母親に「おい、こんなもの貰ってくるなよ。危ないだろ。捨てとけ」と言った。
私は「危なくないよ」と言ったら目に刺さったら危ないだろってまた怒鳴った。

しばらくすると的当てゲームもプラッチクの吸盤付きの矢がバッキバキに折られていた。

それを見て傷付いたのを覚えている。
子供の為ならそんなものを見せては駄目だ。
危ないなら黙って捨てたらいいのに何故目につく場所に置いておくのだろうか。

私は悲しくて母親に言った。
すると母は父に「吸盤ついているのにそんな事する必要がないでしょ」と言うと喧嘩になってまた私が悪いみたいな空気になっていた。

だから親に何か言うことを諦めたのも子供の頃からだった。

親が信じられなくて、親なのにね。
守ってもらった記憶もあまりなかった。
誰かに何かされても、担任が贔屓したりしても
お前が悪い、先生の言うことは絶対だ。そんな言葉がいつも返ってくる。

担任が自分に懐いている子が可愛くて、私みたいに冷めている子や消極的な子は大事にしない担任を私は(贔屓は)おかしいと言った。
虐めがあるのに懐いている子が消極的な誰かを虐めても怒らなかったのだ。
消極的な子は不登校になった。
彼のものが壊されたり無くなったりしていた。

親に嫌々連れてこられた彼が泣いていた。
教室で私は声をかけた。彼が少し笑う。

担任がしなくてはならない事をしないのに父親は何故そんな事が言えたのだろうか。

消えない記憶。
早く忘れたい。

2012年03月05日(月)


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