DiaryINDEX|past|will
最近の新聞記事でPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療でEMDRと呼ばれる治療法が国内外で注目を集めているという。理論的な裏づけは不明だが、具体的には「心に宿る恐怖や不安のきっかけとなった出来事を思い出させながら、治療者が目の前で左右に揺らす指先を目で追い、患者が瞳を規則的に動かす治療法で、シャピロ氏がベトナム戦争の復員兵やレイプ被害者などの治療で劇的な効果を上げ、全米で注目され」ているのだそうだ。トラウマと目の動きがどのように結びつくのか素人には見当がつかないが、その解明は後でも一向に構わない。トラウマに苦しんでいる人が楽になるならそれでよいではないか。
私はPTSDというのは災害や、事故、犯罪に巻き込まれた人が何ヶ月かの後にフラッシュバックに突如襲われ、恐怖におののく、というイメージを抱いていたが、そればかりではない。GOOGLEで検索すると、かなり上位にランクされる日本語のサイトがある。このサイトを作った方の経験がそこに記されている。幼い頃からの父親の虐待が未だにトラウマになっているというのだが、その虐待のひどさを読むと、しばし呆然となり、語るべき言葉を失う。暫く経つと、この世にこれほど非道な親がいるのかと、怒りに身が震える。
うつ病になったわが身を嘆いていた自分が恥ずかしくなった。
日本人の一つの特徴に熱しやすく、冷め易いという性格がある。これは良い方向に発揮される場合もあるが、短所にもなり得る。夕食に近所の焼肉屋へ行った。昨年、狂牛病騒ぎの時には、多くの焼肉屋が閑古鳥が鳴いて窮しているという話題が新聞に載っていた。しかし、今日、私の行った店は満員だった。多分、多くの人はあの騒ぎのことを忘れているのである。個人的には、今出回っている牛肉を食べてクロイツェル・ヤコブ病を発症して死に至る確率よりも、癌や、心臓病で死ぬ確率のほうがはるかに高いとおもっているので、皆が焼肉屋へ行く事は少しも構わないと思う。ただ、変わり身の早さに驚く。
北朝鮮を巡る問題は、しかし、これと同じように忘れてはいけないだろう。拉致事件とは、北朝鮮による日本国の主権の侵害であり、殺人の可能性も非常に高い。早くも経済援助とか、米支援とか話が出ているようだが、こういうことだから、日本はナメられるのである。金正日にはこの事件に関して執拗に真相を迫らなくてはいけない。自分が命じて日本人を拉致させたと言わさなければならない。この事件は永久に忘れてはならない。
2002年09月20日(金) |
何故、事実を隠すのか。 |
昨年から、日本ではさまざまな不祥事が起きている、雪印、みずほ、日本ハム、東電、外務省。
これらの事件で共通するのは、当事者が何とか事実を隠蔽しようとし、それが後になって露見して、より大きな問題になるという悪循環をたどる事である。
どうして、人間はこういう「うそ」をつくのか。簡単である。ヤバいことがバレて責任を追及されるのが嫌だからである。よその国でも大なり小なり同じだろうが、日本社会では集団における人物評価が「減点主義」によってなされる事が多い。これが諸悪の根源かもしれない。
ある程度の地位の人間は一旦経歴に「キズ」がつくと、二度と這い上がれない構造になっているケースが多い。特に役人の世界ではそれが顕著だ。だから、何とか、隠そうとする→バレる→ごまかすためにまた嘘をつく→それもやがてバレる→一大不祥事に発展する。
失敗をしない人間はいないのだから、失敗をしてまずい自体が起きたらまず、報告する。そうしたら、罰せられない。あるいは少なくともその人物の将来が閉ざされることが無いような社会的慣習が醸成される必要がある。
大昔にこういうことの大切さを既に述べている人がいる。5世紀にユーラシア大陸を席巻したフン族の首長アッテカは、「悪い事を報告してきた者を誉めよ、悪い事を報告しなかった者を罰せよ」と云っている。それから、1500年の時を経ても、完全にこれが実践できている人間集団は殆ど無いだろう。人間というのは殆ど進化していないのかもしれない。
1日経っても怒りは収まらぬ。横田めぐみさんのご両親を初めとする、拉致された人々のご家族の無念は、子供がいる人間でなければ本当にはわかるまい。
金正日が憎い。できる事なら、北朝鮮と言う国家をこの世から抹殺したい。
小泉首相、北朝鮮訪問。拉致された日本人11人のうち生存が確認されたのは4人のみ。中学生のときに誘拐された横田めぐみさんなど多くは死亡。証拠隠滅のために殺害されたに違いない。あまりにもひどい結末に、しばし茫然自失。25年間待ちつづけたご両親はあまりにも気の毒である。しかし、首相は10月から国交正常化に向けての協議を再開するという。なぜ、それ程早く、国交正常化をしなければならないのか。金や食料など、ただの一円も米一粒すら支援などしてやりたくない。金正日のツラを見ていると、吐き気がする。
以前から感じていた事であるが、小泉首相は冷たい人間だと思う。本心は恐らく拉致された人の生死などあまり関心が無いのだろう。北東アジアの安定に寄与したということで、アメリカは喜ぶに違いない。しかし、拉致された人々の安否は明らかになりましたというときの、あの事務的な口調はなんだ? いつ、どのようにして亡くなったのか。遺体はどこに安置されているのか?それをすべて明らかにさせるべきだ。国交正常化などしたくもないが、百歩譲って協議を再開するにしても、拉致問題に関して詳細をすべて明らかにするまで、一切、話し合いには応じない、と突っぱねるべきだった。何もかも、中途半端な男だ。金はいまごろほくそえんでいるに違いない。口惜しい!
2002年09月15日(日) |
同時通訳に関わる思い出 |
先日、9月11日にブッシュ大統領が演説をしたとき、テレビでは同時通訳が活躍していた。このようなことは現在はごくありふれたことになっている。
初めて同時通訳という技術、また同時通訳者というものの存在を日本人が知ったのはアポロ11号の月面着陸のときだった。鮮明に記憶している。打ち上げ準備の様子を含めて何日にも亘って、NHKで特別番組を放送していた。
初めのうちは今と同じように通訳者は画面に映る事は無く、訳した日本語の音声だけが流れていた。すると、NHKに電話が殺到した。「あの、英語を即座に日本語にする機械は何というのか教えてくれ。うちの会社でも是非使いたいのだ」。NHKの担当者は答えた。「あれは機械ではありません。通訳者が英語を聞きながら同時に日本語に訳しているのです。」 しかし、多くの人は信じなかった。「馬鹿をいえ。英語を聞きながら通訳するなんていうことが出来るわけがないだろう。本当に人間が訳しているというのなら、画面に映してみろ。」ここまで言われて、NHKも黙ってはいなかった。「分かりました。今夜の放送からご覧にいれましょう。」
この日から、スタジオの一角に通訳用のブースが作られた。当時通訳を担当していた、日本の同時通訳者の草分けである、西山千、國弘正雄の両氏が通訳をするたびに画面一杯に映し出された。全ての日本人が驚嘆した。これほど凄い技術があるのか。こんな事が出来る人がいるのか・・・。この感銘はアポロ11号の月面着陸と一体となって、深く日本人の脳裏に刻まれた。日本人は熱しやすい。翌年、日本人がなりたい職業というアンケートで、医者、弁護士を抜いて、「同時通訳者」が1位になった。無論、並みの努力で身につく技術ではないのだが・・。
この当時の日本人は、しかし、ただ熱しやすいだけではなかった。同時通訳者の西山千氏が後に、素晴らしいエピソードを語っていた。アポロ11号騒ぎも一段落した頃、西山氏が外出の折、バスに乗った。すると反対側の座席に座っていた、見知らぬ老婦人が自分の事を妙に真剣な顔で見つめていた。西山氏は服にシミでもついているのかと落ち着かない気分になった。暫くして、やおらその婦人が立ち上がり、西山氏の前に来て深々と頭を下げて、云った。
「あの、アポロで通訳をした方でしょうか?」
「はい、NHKでやりましたが・・・」
「ありがとうございました。私が生きている間に人間が月に行くなどとは夢にも思っていませんでした。でも、貴方が通訳してくださったおかげで、全ての様子が良く分かりました。何とお礼をいって良いか分からないほどです。本当にありがとうございました」
西山氏は感激した。暑いスタジオで汗まみれになって毎日何時間も通訳してへとへとになった苦労を一瞬にして忘れるほどだった。
昔はこういう丁寧な日本人が世の中に沢山いたのだ。私は、自分のことではないのだが、このエピソードを思い出す度に、胸がいっぱいになる。
あまりテレビを見ないので気がつくのが遅れたが、うつ病についての啓蒙的なCMが流れている。気軽に病院に行きましょう。何も特別な事ではないのです。ということをさりげなく伝えている。
私はこれは素直に良い事だと考える。うつ病に罹っていて、自分でもどうも調子がおかしいと思っていても、精神科の敷居が高いと感じてなかなか治療を受けない人は大変多い。本の世界では「精神科へいこう」など、易しく書かれた本がたくさんあるが、そういう本を買うのすらためらわれる、という人もいる。
テレビCMの情報頒布能力は強力である。これを見て、手遅れにならないうちに治療を受ける人が増えて欲しいと心から思う。また、一般の人がうつ病に対して抱いている陰鬱なイメージ、偏見が少しでも払拭されることも願って止まない。
うつ病患者の苦しみは、病気の症状そのもの以外に、周囲の人々(しばしば家族までも)の病気に対する無理解によってもたらされるところが大きいからだ。「気の持ちようだ」「たるんでいるんだよ」「怠け心だろ?」「現実から逃げたいんだろ?」・・・このような言葉で、如何に多くのうつ病患者が傷つき、症状を悪化させている事かはかりしれないのである。
自分が経験した事が無い苦しみはなかなか理解できないものかも知れないが、それを補うために人間には「想像力」が備わっている。「思いやり」は想像力を発揮させることに他ならない。
あまり、景気の悪い話ばかりだと気が滅入る。たまにはいい話を書こう。
6月、丁度ワールドカップの最中だったので、世間の注目を浴びなかった話がある。
ロシアで4年に一度(いつもワールドカップと時期が重なってしまうのだが)、ロシアでチャイコフスキーコンクールというクラシック音楽の大コンクールが開催される。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの各部門があるが、今年、日本人女性がピアノ部門で史上初の優勝を成し遂げた。ピアノに関していえば、チャイコフスキーコンクールはポーランドで開催されるショパンコンクールと並ぶ世界の2大コンクールである。西洋音楽の本場で西洋人に混ざって西洋音楽を演奏して、西洋人の審査員から1位の評価を受けるということは、並みの栄誉ではない。しかし、悲しいかな、サッカーに対して、クラシック音楽の大衆における人気は比べることすら嫌になるくらいのものだ。だから、大部分の日本人はこの快挙を知らないだろう。だが、これは、間違いなく、日本が世界に誇るべき事柄なのである。優勝した上原彩子さんの血の滲むような努力は察するにあまりある。最大級の賛辞を送りたい。
テレビをはじめマスコミは専らこの話題で持ちきりである。世界各地で8時46分には黙祷を捧げる人たちがいるようである。それはまだよいとしても、モーツァルトのレクイエムを24時間リレーして演奏しつづけるという試みも実行されているというのには少し驚いた。今、NHKでは追悼式典を生中継している。式場は無論WTC跡地である。
ネットで色々な記事を読んでいるうちに、坂本龍一のインターヴューを見つけた。そこで、「人類というのはほとんど進化していないのだ、と感じた」という言葉に我が意を得たりと思った。無実の人々が大勢殺された事を嘆くのであれば、何故、ブッシュはイラクを攻撃しようとするのか。アフガニスタンで誤爆を売り返し、女子供を殺すのに躊躇はないのか? 何故、広島と長崎に原爆を投下した時間にアメリカ人は黙祷を捧げないのだ?やはり、人間は愚かである。
私たち日本人は、概してアメリカが好きだが、一度、確認しておくべき事がある。
周知のとおり、白人がヨーロッパから移住する以前に所謂「アメリカインディアン」と呼ばれる先住民族がすでに、暮らしを営んでいた。白人は其処にどのようにして自分たちの領地を確保したのか?
殺したのである。アメリカと云う国は大量のアメリカ・インディアンの虐殺の上に成り立っている。1620年、メイフラワー号に乗ってやってきた連中はインディアンを「悪魔の代理人」としかみなさず、1622年、インディアンの一族、マサチューセッツ族の族長4人を宴会に招待するといって騙し、友好的に訪れたこれら4人をナイフで切り刻んで殺した。そして、彼らの首を某に突き刺して、プリマス砦の上になんと20年も晒したのである。
このような蛮行はその後も繰り返された。中でも、1864年11月の「シビングトンの虐殺」の残虐さは人間のやる事とは思えないほどである。逃げ惑う女性を大勢で追いかけてレイプし、ナイフでその身体を切り刻む者もいた。また、妊婦の腹を切り裂き胎児を引きずり出す者もいた。子供の頭を棍棒で叩き割る者もいた。シビングトンとはこのときの合衆国陸軍の大佐の名前である。
アメリカは無実のインディアンを大量に、言語に絶するほどの残虐な方法で殺したところから、その歴史が始まっているのである。アフガニスタンやイラクをしきりに攻撃したがるブッシュ達には、こういう「人殺しの遺伝子」が受け継がれているのではないかと思えてならない。
なんだか、日本人がどんどんだらしなくなっていく気がする。日本がダメになっていくように 思えてならない。私が、そういう情報ばかりに注目してしまうからかもしれないが・・・。
食品会社の偽りの申告、原発の管理の不備など大きなニュースにも事欠かないし、最近のニュースにはがっかりするような話ばかりが載る。
必ず、来年4月から全面解禁すると小泉首相がはっきりと約束していた、ペイオフも延期されそうだ。
同じく、小泉首相は北朝鮮訪問に「政治生命を賭ける」とはいっていないと、山崎幹事長が必死に弁明した。馬鹿野郎。なんて情ないんだ。
海上自衛隊の練習艦から秘密文書がなくなっていたことがわかった。国家機密が漏洩しているのである。
女性警官が元組員の飲酒事故身代わりになっていた・・・。婦人警官がやくざの情婦になっていたのである・・・。
こういうニュースを探すと枚挙に暇が無い。
あきれて物が言えない。日本は滅亡への道を走っているのだろうか。
世界の株価が暴落している。
日経平均はバブル後の最安値をつけた。無論発端はアメリカである。アメリカは自国の景気が良かった頃は、世界経済の足を引っ張っているのは日本だといい、金融機関の不良債権を早く何とかしろ、と口やかましかった。今回は企業経理の不正が発覚し、米国経済全体への不信感が引き金となって、株の暴落を招いた。しかし、こういう場合、アメリカ人は、絶対に自分からそういうことに触れない。本来は、世界に向かって「すみません。うちの企業監督が杜撰だったので、皆さんにご迷惑をおかけしています」と謝罪すべきところなのだ。
それどころかブッシュは、何とかイラク攻撃を実現して、国内問題のヤバさから国民の目をそらそうとしている。とんでもない話である。911テロの後、ラディンが潜んでいる国だからといって、世界で最も貧しい国の一つであるアフガニスタンをボコボコに叩き、全くアルカイダと関係のない無実の一般市民を大量に殺害したというのに、ケロリとしている。
この上にまだ、平気で人殺しをしようとしているのである。この、独善性。自己中心性。国務長官のパウエルは任期満了とともに職を辞す、といっている。パウエルは滅茶苦茶優秀な男だ。黒人でアメリカの国務長官にまでたどり着くためには、ぬきんでた実力が必要である。彼は白人の独善性をいやというほど目の前で見て、いい加減、嫌になったに違いない。
私は中学生の頃から専らクラシック音楽を聴いてきた。そういうと、人によっては拒絶反応を示す。(気取りやがって・・・)と思うらしい。しかし、人間、気取るためだけにわざわざ嫌いな音楽を何十年も聴きつづける事など出来るものではない。何故かは知らぬが、クラシックが一番自分の心の琴線に触れる事が多いのである。
しかし、何年かに一度、全然関係ない音楽に惹かれることがある。それはたまたまレコード店で耳にして一遍で気に入ったり、仕事の途中に乗ったタクシーのラジオから流れていたりする。今日、久しぶりにそういう音楽にめぐり合った。平井堅という人は前から名前ぐらいは知っているが、普段歌っている歌は全くといってよいぐらい知らない。耳にした事はあるが興味がわかなかった。しかし、今日、たまたま書店に入ったとき耳にした、彼が歌う「大きな古時計」には一遍で心を打たれた。思わず身体が硬直するほどであった。
伸びやかな美しい声が、この、「懐かしさ」というものを歌にしたらこうなるしかないのではないか、と思われる曲に大変良く合っている。そして、歌い手がこの歌を心底すきなのだということが伝わってくる。そういう歌い方だ。躊躇無くCDを買い、何度も聴いた。きいているうちに、シューベルトの有名な「悲しくない音楽なんて知らない」という言葉を思い出した。
2002年09月02日(月) |
世界で最も危険な人々 |
これは、笑える。
CNNによれば、英国で「世界平和にとって脅威となっている人物はだれか?」という世論調査が行われた。結果は次のようになった。
1位 ウサマ・ビンラディン
2位 サダム・フセイン
3位 ブッシュ米大統領
ブッシュ君、分かってくれるかね?