スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
ずっと昔
スカーレットの部屋を作った頃は
色々な窓を開いていた。
そもそも
私がHPを作ろうと思ったのは
私が描いた絵手紙をパソコンに保存するとき
所謂ギャラリーのようなものがあれば良いと
思って始めたことによる。
そして、段々縮小していってしまって
現在に至っている。
数年前にも、
一度止めていた絵手紙を見てもらおうと
窓を作ったが
それも消滅。
作ったり消したりの自分に我ながら嫌になっていた。
ここにも書いたが
成人の日に開催された
絵手紙の創始者であり
書家で絵手紙作家の小池邦夫さんの講演会を聴きに行き
改めて、絵手紙の素晴らしさを思った。
ヘタでいい、ヘタがいい
この言葉は前から先生が仰っていて知っていたが
それでも
上手な絵や文字を見ると
私の絵手紙の拙さに自信を無くし
描くのが億劫になっていった。
心機一転
もう一度チャレンジしようと思い
年賀状以外に
一月の姉の誕生日に水仙の絵手紙を描いた。
そして
それから思いつくと絵筆をとるようになった。
昨日
その絵手紙を見てもらえる部屋を作った。
スカーレットの部屋から入れるようになっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/cutenao104#40740528
楽しみながら焦らず
押しつぶされないように
気の向いたときにアップしようと思う。
昨日は早速、見てくれたメル友さんが
コメントを書いてくれていた。
有難う!
皆さん、良かったら覗いてみてください。
マスコミ報道の偏向については
NHKだけではなく
全ての局で行われているのを
最近つくづく思う。
先日のイスラム国から送られてきた
湯川さんが殺害されたと思われる写真は
一部、ネットで見ることが出来たものの
直ぐに削除されていた。
そして、TVや新聞の報道では
ぼかすまたは見せない報道のやり方をしていた。
確かに、残酷な画像を見せたくないという姿勢なのだと思う。
しかし、今回はちょっと違う。
世の中で起きている殺人事件や事故の凄惨さを
報道してほしいとは思わない。
でも、湯川さんがあのような形で殺されていたとしたら
それは、あの動画の主旨から言っても
日本国民に見せるべきではないだろうか。
日本国民への警告だったのだから。
私たち、日本国民は彼らからの警告を
直視し、その上でどうすべきかを考えるべきだと思う。
また、その後の後藤さんの母親の記者会見の様子も
マスコミが独自で報道しない方が良いと判断したのか
私たちが知るべき言葉や映像は消えていた。
それが真実を報道するのが義務でもあり責任でもある
マスコミのあり方だろうか。
昨日、後藤さんの妻のメッセージが公開された。
全文を読んで、違和感を持ったのは私だけだろうか。
後藤さんが私の元から連れ去られたの文言はおかしい。
後藤さんは日本に居て誘拐されたのか!
拉致されたのか!
否、違う。
彼は自分の意志でシリアに入ったのだ。
たとえ、彼の中で目的が湯川さん救出であったとしても
決して、日本に居て拉致されたのではない。
この点に妻の言葉は矛盾している。
今朝のTVで妻のメッセージを報道していたが
都合の良いところだけをつまみ食いしたみたいに
上手に文をつなぎなおして作っていた。
連れ去られたの言葉はなかった。
こうして
私たちはマスコミ報道に騙されるのだ。
一月も残すところあと4日になった。
2月4日は立春、暦の上では春が来る。
3日は節分。
豆まきをして
恵方巻きを食べて
節分にしかしないことをするはず。
この間、玄関を華やかに飾っていた
お正月の色々な飾りをしまった。
お雛様を出すまでに
節分があるので
小さな風水の鬼を買って来て
飾り棚へ置いた。
風水の鬼だから
幸運を呼ぶものだ。
愛情運、金運、健康運・・いろいろあった。
その中で
私が買ったのは
見た目が可愛かったし
家が和やかで落ち着くように
家庭が愛情いっぱいで
良いものになるようにと願い
赤系の鬼棒を持って立っている鬼を買った。
そして、その鬼を見て絵手紙を描いた。
この間、絵手紙作家の小池邦夫さんの講演会を聴きに行ってから
ヘタで良い、ヘタが良いの言葉に勇気をもらって
時々描くようになった。
それでも、長い間筆を放っていたから
線描きが難しい、もちろん色づけも。
ただ、恥ずかしいという気持ちがなくなった。
ヘタで良いのだから。
絵に添える言葉も
その時にぱっと浮かんだものを書いた。
節分にはまだ早いけれど
出そうと思う。
昨日は二枚しか描けなかったから
今日、明日、また描こうと思う。
何か楽しくなってきた。
今まで絵手紙を苦痛に感じたことがあったのは
やはり、うまく描こうという気持ちがあったからだ。
そうではない!
楽しく描いて私の心が相手に伝わればそれでいい。
2015年01月28日(水) |
ヨルダンの苦しい立場 /名古屋大学女子学生 |
イスラム国に拘束されている
後藤健二さんが
先に拘束されている
ヨルダンのパイロットの写真を持って
ヨルダン政府に向けて
サジダの釈放を訴える
画像が公開された。
残された時間は24時間しかないという。
パイロットに残されている時間は
もっと短いと言っていた。
日本政府はイスラム国と交渉することが出来ないから
ヨルダンに頼るしかない。
以下は後藤さんと思われる人のメッセージの全文だ。
私はケンジ・ゴトウ・ジョゴ。妻と日本国民、そして日本政府へ。私は、これが最後のメッセージになると言われている。そして、私が自由になることを妨げる障壁になっているのは、もはや、サジダ(リシャウィ死刑囚)の引き渡しを遅らせるヨルダン政府だけだとも言われている。
日本政府に対し、あらゆる政治的な圧力をヨルダン政府にかけるように言ってほしい。残された時間は非常に短くなっている。理解するのが難しいように見えるのだが、私が彼女の代わりだ。彼女は約10年、囚人となっているが、私はたったの数カ月だ。彼女が私の代わりだ。直接の交換だ。
ヨルダン政府がこれ以上、遅延することは、彼らのパイロットとそれに続く私の死が、ヨルダン政府の責任であることを意味する。
私には24時間しか残されていないし、パイロットに残された時間はさらに少ない。われわれをこのまま死なせないでくれ。これ以上の遅延工作をすれば、単純にわれわれ2人が殺されることになる。ボールはいま、ヨルダン側のコートにある。
以上のメッセージを聞いたヨルダン政府
ヨルダン国民は
後藤さんではなく
パイロットとの人質交換を望むだろう。
それは仕方ないことだ。
でも、イスラム国としては
あくまで、後藤さんとサジダとの交換を主張している。
もし、これに応じた場合
後藤さんは釈放されるかもしれないが
パイロットの命の保障はない。
もし、パイロットとの交換をすれば
後藤さんは殺害されるだろう。
二人を一緒に交換できれば一番良いが
イスラム国にはその意志はなさそうだ。
ヨルダン国王の立場はとても難しくなっている。
ヨルダンは日本から資金援助を受けている。
日本を無視するわけにはいかない。
しかし、自国の国民を優先しようとする
国民の気持ちは尤もだ。
残された24時間は直ぐに経ってしまう。
どうなるのだろう・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続いて
名古屋大学の女子大学生が
77歳の婦人を殺害した事件。
女子学生は
小さい頃から人を殺してみたかったと
供述していると言う。
それが本音かどうかは
これからの調べや精神鑑定をしたらわかるだろう。
この事件を聞いたとき
名古屋大学という国立大学の学生であり
それも女子学生だったことがショックだった。
以前にも同級生を殺害し
解剖しようとした事件もあった。
この時も加害者の女子生徒は
一度人を殺して解剖してみたかったと言っていた。
今回と同じだ。
このような精神状態になるのは
彼女自身に性格・精神に問題があるのか
それとも、育った家庭に問題があるのか?_
この名古屋大学の女子学生は19歳。
していいことと悪いことの判断はできるはずだ。
ゲーム感覚でやってしまったのだろうか。
自分がネットのツイッターに
色々書き込んでいたらしい。
それを見ていた人が異常性を感じ
通報できなかったのだろうか。
彼女を育ててやっと国立大学に入れた
親の気持ちはいかばかりかと思うと
胸が痛む。
日本がおかしくなってしまった。
これが皆戦後の教育のせいだと思いたくないが
人の心が荒んでいるのは確かだ。
便利な世の中になり
ほしいものはすぐに手に入れることが出来る時代だ。
気持ちを抑えることが出来ない人が
溢れかえっているように思う。
殺伐としてざらざらとしたこの日本は
本当は素晴らしい国なのに・・・
本当に悲しい。
今年の冬はインフルエンザが大流行している。
私は風邪には縁がなく
この10年風邪で寝込んだことがない。
そんな私がインフルエンザに一度だけかかったことがある。
あれは、どのくらい前になるのだろう・・・
娘が小学生の頃だから
13年くらい前のことだ。
その頃は、毎年、私の両親が
私たち親子を正月旅行に連れて行ってくれていた。
今思うと、あの頃は楽しかった。
お正月旅行も色々行ったが
城島高原は何度も行った。
遊園地もあるし別府にも近いし
湯布院も近いし、色々見るところもあった。
あのときも城島高原へ行った。
ホテルから別府港まではタクシーでも良いのだが
時間もありあのときはバスを使ってしまった。
それがいけなかったみたいだ。
バスの中で咳をしている人が居た。
なにか空気も悪い気がしていた。
帰宅し翌日のことだった。
急に高熱が出た。
震えも出た。
医者に行ったらインフルエンザだと診断された。
家族にうつしたらいけないので
二階で過ごした。
お正月旅行でインフルエンザをもらって帰るとは!
そんなことを思い出している。
ところで、夫はまだ入院している。
夫の病院へは週に二回行っているが、
一昨日行ってみると
四人部屋に一人が寝ている。
隔離されたとのこと。
38度以上熱が出ていたが
解熱剤と抗生物質を投与して
36度台に下がったと言っていた。
夫が入院している病院でも
インフルエンザの患者が出て
夫もタミフルを投与されたと言っていた。
だから、今回の発熱はインフルエンザではないとのこと。
一安心。
でも、熱の原因を検査してほしいと看護師さんに頼んでおいた。
今のところ、私はインフルエンザも風邪も
逃げて行ってくれている。
免疫力が高いのかな?
元気が一番。
皆さんも気をつけてね!
早いもので、今日は26日。
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」の
言葉の通り
時間は同じ速さで過ぎるはずなのに
なにか早く過ぎて行く気がする。
クリスマスが済んで
年末からお正月飾りを玄関に出した。
玄関が華やかでそれでいてしめやかに
日本の良さを再確認するような
玄関になっていた。
一月はまだあと数日残っているが
お正月飾りをしまった。
店先にはお雛様が出ているから
お雛様を出しても良いのだろうが
その前に節分、立春がやってくる。
だから
お雛様を出す前に
二月らしいものにしようと
タペストリーは梅と鶯の絵の物を
花は水仙の花
絵手紙も水仙を出した。
可愛い鬼があれば最高!
鬼は節分だけではなく
一年中飾っていても良いと聞いた。
エミフルのふるらんへ行ってみてみよう。
鬼は鬼でも顔の可愛いものを買って来よう。
お雛様は節分が過ぎたら出そう。
4月3日まで
また玄関が春めいて華やかで明るくなるに違いない。
私の状況もなかなかうまく進まない。
でも、
落ち込んでいても仕方ない。
明けない夜はない
春の来ない冬はない。
そう思って一日一日を
大事に過ごそう。
先のことを考えても良いことはない。
なるようになれ!的気分、
一番私にできないことだけれど
そんな気持ちで過ごして行こう。
今朝、起きてNHKのニュースを見て驚いた。
湯川さんが殺害されたという画像を持った
後藤さんが英語でメッセージを流している
動画が投稿されていた。
動画を見たけれど
英語は単語しかわからないし
これが実際に本当のものかどうかもわからない。
後藤さんの釈放と交換条件で
ヨルダンにつかまっている
リシャウイ死刑囚を解放するように言っていた。
身代金の要求はなくなった。
人質交換ということで
また、日本政府としては対応も変わってくるだろう。
私が思うのは
後藤さんは自己責任だと言っていたくせに
動画の中では
妻と二人の娘に会いたいと言っていた。
同じ人間でも変わることもある。
湯川さんが本当に殺害されていたとしたら
怖くなったのだろうか。
結局、湯川さんは後藤さんによって
イスラム国に入ることになり
殺されることになったのだから
後藤さんとしては責任もあるし
その心情は想像以上に苦しいと思う。
もし、人質解放が実現され
後藤さんが帰国したとしても
喜びを表すことはできないだろうし
どんな顔をして会見したらいいかもわからないだろう。
私たち日本国民として
安倍総理に救出のために
ヨルダンの女死刑囚を解放するよう
働きかけるべきなのか?
難しい問題だ。
この数日、私のつぶやきは
この件ばかりになっている。
明日からが違うことを書くので
どうかご勘弁を。
昨日、イスラム国に拉致されている
二人のうちの一人
後藤健二さんの実の母である
石堂順子の記者会見を見た。
一言で言って
「意味不明」
何が言いたいのか全く分からなかった。
頭が悪いと自分でも言っていたが
その通りだった。
自分の息子が今、こういった状況にあるときに
「世界平和、美しい地球を守る、原子力への批判」
の話をするか!って思った。
自分の息子に子供が生まれたことも
今回のことがなかったら
教えてももらえなかったのではないか。
初めて息子の妻と話したとのことだが
お嫁さんからも息子からも
見はなされていたのではないか。
イスラム国とイスラム教を信じている人たちを
混同している。
自分の命を地球を守るために捧げる。
聞いていて何か漫画だと思った。
通訳をしている人は困っただろう。
質問をしている外国人の記者たちも
自分が知りたいことに対して
全く的を射ていない応えが返って来て
呆れているのではないか。
長時間に及ぶ記者会見を見た人は
時間を返してくれと思ったはず。
それにしても、この母は頭が悪いとつくづく思う。
下記はネットであがっていた感想。
その通りだと思う。
石堂順子さん(後藤健二さんの実母)】 ・後藤さんの奥さんを「奥さんと名乗る人」と呼ぶ
・急に原子力で地球を汚すなと主張
・反原子力の為なら死をも厭わないと主張
・原子力を全てをダメにするものと主張
・長々と反原子力について主張
・NHKが急に生中継の記者会見の放映を中断
母は日本政府に「健二の命を救ってくれ」と言った。
イスラムから日本に来たら、自分の家を宿にしてくれとも。
地球を守るために頑張ります!笑ってしまった。
命に代えても云々・・命ってそんなに軽いものなのか。
この会見を親戚や友人は反対したというが
その通りだった。
皆、この母の実体を知っていたのだろう。
最後に、気分が悪くなった。
見た私が馬鹿だった。
昨日、北朝鮮に拉致された疑いが濃い
政府から認定された「特定失踪者」の
ご家族と電話で話をした。
話しているうちに
段々と私の感情が高まってきて
涙が出てしまった。
今回のイスラム国によって拉致され
人質となり殺害予告をされている二人について
話をした。
私は、昨日もここに書いたように
二人の自己責任論は妥当であり
危険な地域に入るなら
自分がどうなろうとも
助けられなくても
それは覚悟しておかねばならないと
今も思っている。
それに比べて
北朝鮮に拉致された人たちには
何の責任もない。
身代金を払うなら
300人以上の人を連れ戻せることが出来る。
そんな話をした。
ご家族もきっと同じ気持ちだっただろう。
勿論、言葉にはないが・・・
私と同じことをもう一人の人からも聞いたと
仰っていた。
公には言えなくても
言わなくても
日本国民の大多数の人たちが
同じ思いなのではないかと思う。
拉致被害者救出は日本国にとって
最重要なことであり
国家としてしなければならないことだ。
それをしないで
目の前のことに振り回されるのは
どうも納得がいかない。
私が北朝鮮による拉致被害者の方
そのご家族のためにできることは
署名・募金活動や
街頭活動
そして、新聞への投稿くらいしかない。
悔しいけれどそれだけしかできない。
今月31日には拉致被害者奪還のための
パレードが行われる。
夫は入院中で、私にとっては
色々な心配事もあるけれど
ご家族の気持ちを思うと
参加しようと思う。
私たち日本国民は
拉致被害者のことを他人事と思わないで
ご家族の心に寄り添い
一日も早く帰国してもらえるよう
自分が何ができるかを考え
せめて、忘れないで居てほしい。
今回の人質になり
殺害予告をされた二人について
ネット上では自己責任なのだから
云々という発言が相次いでいる。
確かに
危険な地域へ
それも戦闘地域へ行くのだから
自分が殺されるかもしれないという
覚悟は必要だ。
また
戦闘の中で相手を殺すこともある。
その覚悟も必要だ。
あの映像を見ていると
可哀そうに思うし家族の気持ちを思うと
軽々に自己責任と言い放つこともできない。
でも
内心ではそう思っている日本人も多いのではないだろうか。
日本は200億円余りの身代金は
支払ってはならないと思う。
それは、人質になっている人が
自己責任だというわけではない。
断固とした強い態度を
示す必要があると思うからだ。
あの二人は自分の意志で行った。
拉致されたとしても
北朝鮮による拉致被害者とは全く違う。
横田めぐみさんたち被害者は
自分の意志とは関係なく
誘拐され今も拉致されたままなのだ。
期間も長い。
もし、身代金を支払うのなら
北朝鮮によって拉致されている被害者を
救出するために使えば良い。
正直そう思う。
今回の映像の真偽もわからない。
中には、やらせだという意見もある。
私にはわからない色々なことが
背後にあるのかもしれない。
二人が一日も早く無事解放されることを
一番願うが
もし、それが叶わなくても
二人は自業自得だと言われても仕方ない。
政府も正念場だ。
アメリカやイギリスは身代金を支払わないが
水面下ではどうなっているのかわからない。
日本もわからないように交渉もできるはず。
そうか、日本人の知らない間に
自衛隊が特殊部隊を組み
救出に行く手もある。
さて、安倍総理はどう決断するのだろう。
2015年01月21日(水) |
イスラム国の人質殺害メッセージ |
昨日、夕食の用意をしようとしていた時間
たまたまテレビをつけて驚いた。
日本人が人質になり、意味が分からない字幕が流れる
衝撃的な映像が放映されていた。
私はテレビに目が釘付けになった。
イスラム過激派組織「イスラム国」
(私は、イスラム国という表現自体がおかしいと思う。
決して国ではないのだから)が
日本人2人を人質に取り、
身代金二億ドルを支払わなければ殺害すると
警告するビデオメッセージだった。
この映像を見て、まずおかしいと思ったのは
人質二人の表情だ。
湯川さんも後藤さんも、
どちらも動揺していなかった。
あのような状況の下で
あんなに冷静で居られるものだろうか?
微動だにしない。
殺される恐怖も感じていない。
本当に不思議だった。
だから
映像の中の二人の姿ばかり見ていた。
そして、次に二人の影の方向が違うのに気づいた。
南京事件の写真の合成と同じだと思った。
また
風が吹いて湯川さんが着ている
オレンジ色の服が風に揺れていた。
後藤さんはそうでもないのに、
湯川さんだけがまるで扇風機が前に置かれているような
揺れ方をしていたのが変だと思った。
この映像は合成されたものではないか?と思った。
今朝、やはり合成ではないかというニュース記事を見て
検証しているとも知った。
安倍総理の会見は当然のことを言ったと思う。
日本がテロの標的になったのは、
安倍総理がイスラエル等のアラブ諸国を
訪問したのが原因だというのもおかしい。
あくまで日本は人道的支援をしていたのだ。
日本はテロに屈しないという態度を示すべきだ。
湯川さんと後藤さんがシリアに入ったのを批判する声もある。
確かに、危険なところ、戦闘地域へ行くのは
覚悟が必要であり自己責任でもある。
だが、今それを言っても仕方ない。
無事解放されるよう
安倍総理の今後の対応に期待したい。
体を休めるためには
昼寝は効果が大だ。
この間から疲れがたまっていて
限界に近い状態に来ていたと感じていた。
なかなか昼寝をする時間がない。
何でこんなに忙しいのだろう・・と不思議だが
時間がない、もっと時間がほしいと思う。
でも、
昨日はお昼ご飯を済ませ
アズキの二回目の散歩を早目に済ませて
2時から3時の間
ベッドの中に入ってうとうとした。
途中で電話があり目が覚めたものの
やはり、体が少し楽になった。
昼寝は長い時間はすべきでないと聞く。
せいぜい30分くらいが良いそうだ。
だから
昨日の1時間はちょっと長かったかもしれない。
1時間以上寝ると
夜、本当に寝る時に眠れなくなってしまう。
安定剤はもらって一回だけ使ったが
後は全然飲んでいない。
飲まなくても寝つきは良い。
夜中に二回は目が覚める。
でも、そのまま眠りの続きに入って行くことが出来る。
ストレスによる不整脈や不眠も
少しずつ改善されているようだ。
今日は大寒。
今のところ風邪をひくこともなく
インフルエンザにかかることもなく
まあまあ元気で過ごしている。
やはり適当な休養が必要なのだと
つくづく思う。
これからも、時間を作って
体を休めることにしよう。
誰も私に体に代わってくれる人はいないのだから。
最近、夕方から夜になると
目がかすれて見えにくくなる。
昼間は大丈夫だが
色々なことで忙しくしていて
机の前に座って本を読む時間がなかなかない。
夜になって寝るまでの間
読もうと思って本を開けるのだが
視野がぼやけて
焦点が合いにくく
目が疲れてしまって
数ページ読むと閉じてしまう。
よく
テレビのコマーシャルで
目にブルーベリーが良いと言っている。
カプセルになっていて
一日数粒飲めば良いみたいだ。
一昨日、近くのドラッグストアへ行ってみた。
目に良いものはないかと探していると
近くに居た男性が私に声をかけた。
「目ですか?」
私「はい、ブルーベリー」を買おうかと」
「ブルーベリーはダメですよ。
ためしてがってんでも言っていました。
あれが効くというのは嘘です」
「ルテインが良いです、僕も飲みだして
パソコンをしていて楽になりました」
私「そうですか!試してみます」
6mgのルテインが入ったカプセル状のものが
60粒入っているものを一瓶購入した。
一日2粒飲むから一か月はある。
値段も安い。
高価なものの方が効くかな・・・・とも思ったが
とりあえずこれをひとつき飲んでみよう思う。
目が楽になったら嬉しい。
眼科へ行こうと思っていたが
ちょっと様子をみてみることにした。
若い頃には考えられなかったことが
次々と起きる。
年を取ったということだ。
75歳になったら運転免許の更新の時に
認知症テストがあるが
その中の16個のものを記憶するものがあると知り
正直とても不安だ。
記憶力の低下が身に染みている。
目も耳も頭も老化が進んでいると思うと
なんだかとても情けない気がする。
せめて
目だけでも何とか今の状態を維持したい。
ルテインが効きますように!
毎朝、4時前に起床していたのが
夫が入院して以来
5時起床と少し遅くなった。
夏場は3時半には起きていたのが
まるで嘘のようだ。
5時に起きるのがとてもしんどい。
もっと寝ていたい・・のが本音だ。
別に5時に起きないといけない理由はない。
6時に起きても良いのに
6時に朝ごはんを食べたい私としては
せめて一時間前には起きていたい。
気持ちを重視すると体が付いてこないことがある。
起床時間だけのことではなく
どうしても、気持ちを優先すれば
無理をしてしまうのだ。
もっと休みたい
何もしたくない
そう思うのに
夫が入院してから
余計に忙しくなった。
義母の病院への送迎もある。
読みたい本もある。
絵手紙も描きたい。
夫の病院へも週に二回は行く。
病院へは往復1時間かかる。
家事もある。
全てを一人でこなさねばならない。
一人暮らしは元気でお金があれば
きっと楽だろうと思っていた。
特に女性は夫が亡くなって
元気になり溌剌といろいろ楽しんでいる人の話をよく聞く。
それは
きっと心を縛っていたものが
無くなって楽になったからだと思う。
今の私の暮らしは全く違う。
一人ですることが増えた。
体はしんどいのに
休めない・・・
気持ちと体の均衡がとれてない気がする。
阪神淡路大震災が起きて
今日で20年になる。
月日の経つ速さをつくづく思う。
地震が起きた
午前5時46分
犠牲になられた6434人の方々の
ご冥福を祈りながら
一分間の黙祷を捧げた。
あの日、
私はTVで震災の様子を見ながら
本当に恐怖を覚えた。
自然災害の前の人間の力の弱さを思い知った。
神戸の街があのような状態になるのが
本当に悲しかった。
でも
人々は復興への道を歩きはじめ
今では震災がなかった時と同じように
復興をしている。
ただ、人の心に大きな傷を残した。
家族を亡くした人たちの心に
かける言葉も見つからない。
ご冥福を祈るしかない。
昨日は天皇、皇后両陛下が
兵庫県に入られ
神戸市中央区の県災害医療センターを視察された。
今日は、兵庫県公館で営まれる
「1・17のつどい−阪神・淡路大震災20年追悼式典」に出席される。
天皇、皇后両陛下の御心を本当に有難く思う。
あのとき生まれた赤ちゃんも
今年、成人となった。
どうか、負けないで
お亡くなりになった方たちの分も
明るく元気で生きて行ってほしいと心から思う。
改めて
亡くなられた方たちのご冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌
私が尊敬して止まないといいうか
今の日本で唯一尊敬できる政治家
西村眞悟先生を塾長として
志あるものが集まり
勉強をしていく
「愛媛西村眞悟塾」を立ち上げようと思い
このたび、いよいよ開講の運びとなった。
塾生募集も済んだ。
あまり大勢だと支障もあると思い
マックス15人としていたが
有難いことに17名が集まってくれた。
来月15日に第一回の塾が開かれる。
西村眞悟先生はぶれない。
先生の政治姿勢には筋が通っている。
先生を評価する人たちは同じ意見だ。
例えば一人例を挙げるとしたら
長谷川三千子氏の言がある
終始一貫ゆるがぬ日本人としての姿勢
「政治家が小粒になった」「見識のある人物が見あたらない」――こうした不平不満は、いつの世にも聞かれる陳腐な愚痴である。しかし、いまや本当に、「見識のある政治家」というものが稀になってしまった。西村眞悟氏は、そのきわめて稀なお一人である。
私が西村氏を応援するのは、なにか特定のあれこれの問題について意見が一致するから、というような理由によるのではない。一人の日本人としての西村氏の姿勢が、終始一貫してゆるがないこと。そして、それが政治家としての氏の基点となっていること――それがひしひしと伝わってくるからである。西村眞悟氏ならば、どんな場にあっても、変らず活躍しつづけてくださるものと期待している。
埼玉大学教授 長谷川 三千子
私も同じ思いだ。
そして
昨日、「愛媛西村眞悟塾」のブログを開いた。
スカーレットの部屋から入ることが出来る。
http://blog.goo.ne.jp/cutenao1004/e/d6fccaeb2a5f24f301097bfeb8f4e35e
私にはまた別の世界があり
その世界の中で
悩みながらも、こうして自分の目指すものを
やれる幸せを感じている。
久しぶりの雨だ。
ベッドの中で、雨の音を聞きながら
何か、ほっとした気持ちになった。
今週は毎日とても忙しかった。
朝から晩まで休む時間がなかった。
昨日も所要で一日出ていた。
勿論、家を出る前には
家事を一通りして、出かけた。
でも、帰宅したらすることが出来て
アズキを散歩に連れて行ったのも
17時になってしまっていた。
だから、今日のように予定が入っていなくて
お天気も悪く、雨の日は
心が落ち着くのだ。
昨日は夕方からずっと不整脈が起きた。
それも、結構ひどいものだった。
このまま心臓が止まるのではないかと思ったくらいだ。
なんとか落ち着いたのは20時頃になっていた。
もらっている薬を飲むのは抵抗感があり止めた。
今も不整脈が起きている。
だからこそ、今日はずっと家に居て
バタバタするのは止めようと思っている。
化粧もしなかった。
もし、近くに出る時は
大きなマスクをかけて顔を隠して出よう。
家で出来る資料作りや本を読んで過ごそう。
雨は私にとって休む口実のひとつとなるから
ちょっと有難い気もする。
四国に生まれながらも
まだ、四国八十八か所を巡拝したことがない。
車で走っていて
たまに、お遍路姿の人が歩いているのを見て
偉いなあ・・と感心するばかりだ。
今は交通手段が発達していて
困難なお寺も近くまで車で行けるそうだ。
今は亡き私の母も
一度は八十八か所をお参りしたいと言っていた。
今ではツアーも組まれていて
週に一度日曜日に
少しずつお参りもできるようだ。
以前、私が巡拝したいと言ったが
心臓のこともあり母に反対された。
もっと若いときにお参りしておけばよかったと思う。
何故、急にこのようなことを思ったのかというと
アメリカの新聞、ニューヨークタイムズが選ぶ
「2015年に行くべき世界の52箇所」に
日本で唯一「四国」が選ばれたと知ったからだ。
新聞には、愛媛県久万高原町にある、
四国八十八か所の四十五番札所、岩屋寺の写真
標高700メートルにあるお寺に向かって歩く
お遍路さんの後ろ姿が写っていた。
日本でただ一つ選ばれたことは嬉しいが
愛媛県生まれの私は
愛媛県が選ばれたのが余計に嬉しい。
これで、外国から四国に来る人も増えるだろう。
四国八十八か所巡拝・遍路道を
世界遺産へ登録しようという動きもある。
賛否両論あるが
今回選ばれたことが
その運動を加速するかもしれない。
霊場巡拝は心を癒し、落ち着かせ
自分を見直し、人生観を変えるかもしれない。
一度は巡拝を実現したいものだ。
昨日の成人の日に
道後温泉「ふなや」で開かれた
小池邦夫先生の
「絵手紙55周年記念講演会」を聴きに行って来た。
小池先生は書家で絵手紙作家だ。
演題は「ことばの旅人〜どのような泉から心をつかむことばが生まれるか」
だった。
「ことばの旅人」という言葉に心惹かれた。
なんて良い言葉なのだろう・・・
言葉は言霊、発する人の魂が宿っている。
口から出る言葉も
なにかに書く言葉も
同じだが、書くということは
その人の本質が出ると思う。
小池先生は口下手で話すのが苦手だったとか。
生まれが貧しくて劣等感を持っていたため
話すのではなく心の中の言葉を
書くという行為に置き換えたと知った。
最近では、メールが浸透していて
手紙やはがきを書く人が少なくなっている。
確かに、メールは簡単だ。
でも、手紙をもらった時は
メールよりも嬉しい。
それは、その人の手書きによって
相手の心が響いてくるからだ。
私が絵手紙を始めたのは随分前になる。
初めの頃は夢中で楽しくて
一人暮らしの親戚の叔母や
入院している病気の友に
毎日描いて送ったこともある。
でも
今は、年賀状や姉や娘の誕生日に
描くだけになってしまった。
昨日の講演会を聴いて
やはり絵手紙の素晴らしさを再確認した。
小池先生は常々「絵手紙はヘタでいい、ヘタがいい」と
仰っている。
下手な字の中にその人の飾らない心が見える。
達筆の手紙よりも
下手ながらも訥々とした言葉でも
相手の魂、心が伝わってくる手紙が嬉しい。
手紙は人間の橋である。
手紙が無くなれば人間が滅びる。
手間のかかるものは良薬だ。
簡単なのが良いは勘違いだ。
私の絵手紙はヘタだ。
でも、これからは自信を持って描こう。
人に見せるのではなく
その人の心を動かすためにも。
10日に購入したiPhone 5s、
今は、まだカバーをしていない。
前のスマホは購入した店にあった黒色のものを
装着してもらった。
そのカバーには日の丸国旗を貼っていた。
私のスマホを見た人は
????右翼?なんて思った人も居たかもしれない。
でも、
日本人が日本国旗を貼って何がいけない!
私は当然のこととして日の丸付のカバーをしていた。
今回のiPhone 5sのカバーは
店には適当なものがなく
昨日は、ロフトに買いに行った。
気に入ったものがなかったので
買うのはやめて帰った。
Amazonで購入することにした。
ただ
色々種類がありすぎて
迷ってしまう。
結局、皮のワインカラーのカバーを注文。
でも
今朝になって
やはり、日の丸のカバーがほしくて
昨日の品をキャンセルした。
そして、大日本帝国陸軍の日の丸と
旭日旗が印刷されたものを注文した。
白地に日の丸と旭日旗と
ARMY と書かれている。
日本製なのでちょっと値段は高目だが安心。
明後日には届きそうだから楽しみだ。
カバーは耐久性の問題があるから
また、別のものにしても良い。
今回はこの大日本帝国陸軍ARMY をつけよう。
人がどう思おうとかまわない。
私のような主婦が
このようなカバーのスマホを持っていたら
不思議に思われるかもしれないな(笑)
今日は成人の日
日の丸国旗掲揚をしよう。
昨年の春、それまでの携帯電話をスマホに替えた。
家にはパソコンやiPadもiPod touchがあり
ネット接続が可能だから
私にはスマホは必要ないと思っていた。
でも、スマホを使いはじめて
こんなに便利なものがあるのか!
手放せなくなってしまった。
WiFi環境で使用すれば
バケットが無料で使える。
家の中でも外でもモバイル通信しなくて良い。
速さも遅くならない。
最近はワードや動画や日記更新以外は
殆どスマホを使うようになっていた。
ただ
月々の料金が馬鹿にならないのが難点ではある。
私はdocomoの携帯とウィルコムの通話だけの携帯と
二つを持って使い分けていたが
それが面倒なのでスマホにした。
テレビでウィルコムがとても安価だというCMを見て
ウィルコムのスマホを使いだした。
今はソフトバンクに吸収され
Y!mobileに統合された。
確かに料金は安いから
スマホにしたい人にとっては良いかなと思う。
そう思っていた私が
昨日からauのスマホに替えた。
これにはいろいろ事情がある。
昨日は夜9時前まで
これにかかりっきりだった。
結局、auのスマホにした結果
夫も娘も私もauのスマホになったので
料金についてお得になり
Y!mobileのスマホよりはちょっと高いけれど
納得できる料金設定になり満足している。
ただ、スマホがiPhone 5sなので
今までのとサイズが小さい。
iPhone6やiPhone6プラスなら
大きくて見やすいが料金が少し高くなっていた。
iPhone 5sは画面が小さくてちょっと見辛いが
文字が拡大できるから何とか大丈夫だ。
今回、auに替えた利点は
かけ放題にしたので
それまでの10分間の無料通話を気にしなくて良くなったことだ。
普通の通話で10分も話すことはほとんどないが
友人や所要で話すときには
10分が気になってタイマーを使っていた。
それでも、ついオーバーしてしまって
先月は500円ほど超過していた。
何をしているかわからない。
その点、かけ放題にしたら
時間を気にしないで話すことが出来る。
ストレスが一つ解消する(笑)
画面が小さいのは段々慣れるだろう。
それにしても
昨日、対応してくれたauの店の店長さんは
本当に親切だった。
親切すぎる人で閉店時間を過ぎても
何もかも設定してくれて
最後まで感じが良かった。
だから、私でもすぐに使えるのだ。
iPhone は自分で何もかも設定しないといけないと
嘗て夫が言っていたから
余計に有難い。
今日は、もう一度店に行く必要がある。
なにかお菓子でもお礼に持って行こうと思っている。
さあ、今日から使うのが楽しみだ。
昨日は、昼間から不整脈と不安感が強くなる機会があり
安定剤を持っていたが
運転することがあるので
飲むのは控えていた。
昨夜はぐっすり眠りたかったので
迷ったものの処方されている
安定剤を一錠飲んで寝た。
寝つきは良いが
二時間くらいして目が覚めて
その後は4時までうとうと状態だったのが
薬が効いたのか
朝4時まで目が覚めることなく
ぐっすり寝ることが出来た。
でも、今、こうして書いている時も
頭がふらふらしている。
まだ薬が抜けていない。
こんな状態になるなら
まだ不眠状態の方が良い。
やはり安定剤を飲むのはダメだ。
やめよう。
もし
今、布団の中に入りなおしたら
まだまだ寝続けるような気がする。
中途半端に目が覚めて
それで気持ちが悪いのかもしれない。
薬に対する私の嫌悪感は正しい。
しんどい
気持ちが悪い。
飲んだことを後悔。
不整脈は治っているから
効くのはわかった。
でも、薬に頼るのではなく
気分転換をして
自分の好きなことをして
もっとのんびりして・・・
そんな日々にしていく方が
薬よりよほどいい。
それにしても
薬が抜けるまでは
後何時間かこんな状態が続くだろう。
ああ〜しんど。
少し前
「断捨離」という言葉が流行った。
私は元々物を取っておくタイプではなく
印刷物でも手紙類でも
もう必要ないと判断すれば
ゴミにしてしまうタイプだ。
でも
大切な人からの手紙や
もらったものや
思い出の深いものはなかなか捨てることが出来ない。
いつかまた使うかもしれないと思って
置いておいたものも
殆どが不要だということは気づいている。
その中で
私を悩ますものが服だ。
二階のクローゼットに入りきれないほどの
服のために新しく組み立て式の回転ハンガーを買った。
そして、それもいっぱいになってしまった。
箪笥の引出も衣装缶の中も
私の服で埋まっている。
どうにかしないといけないと思い
時々は不用品として捨てていたが
この際、思い切って整理しようと決めた。
昨日は大きなゴミ袋4つが出来た。
正直、捨てるのは勿体ないが
ものを大切にするのが
捨てないのではないと思う。
無駄遣いをしないためにも
今、私に必要な枚数を把握して
着回ししながら、買わずに着て行こうと思う。
何でこんなに増えてしまったのだろう。
バーゲンで安いからと買ってしまったからだ。
もう絶対に買わないと思っていても
ついつい買ってしまっていた。
これからは、自分にとって必要なものだけを
大事にして、どうしても買うときは
今あるものとコーディネイトできるものを買おう。
以下は整理するコツだそうだ。
服の中には高かった、思い入れがあるものがある。
でも着ないし使ってない。
もう多分、使わない。
この条件に当てはまるものを、
何でもいいので一つだけ捨てる。
できれば「つい買ってしまいがちなもの」を捨てるといいそうだ。
大切なものをたった一つ捨てることができれば、
心理的に変化が起こり
「不要なものを買わなくなる」のだそうだ。
捨てる辛さを一度味わうと、
モノが増えるスピードは遅くなるらしい。
大切なものを捨てることは
忍びないしなかなか難しい。
でも、
心を鬼にしてやってみよう。
昨日から始めた断捨離、
服だけではなく
他のものにも適用して
もっと身軽に居ようと思う。
昨日は心臓の病院の診察日だった。
前回に、バセドウ病の血液検査をしていたので
まずは内科へ。
結果は正常値の範囲だった。
バセドウ病を発症したのは
7年前
娘の大学受験と父の癌の看護の頃だった。
やはり、ストレスが原因だったようだ。
母の看護をし終え母を看取って
そして
私のバセドウ病も治った。
でも、
頻脈になるので
医者は、今後も半年に一回の血液検査をすると言った。
再発することはないと思うが
やはり検査を受けていた方が良いと思う。
心臓は変わりなかった。
ただ
最近の不整脈のことと不眠の話をした。
原因も話した。
すると
今、もらっている不整脈の薬ではなく
精神安定剤を飲んだ方が良いとのことで
処方してもらった。
不安や緊張、興奮をおさめるもののようだ。
睡眠導入剤とは違う。
一日三回まではOKとのことだが
一日一回、夜飲むという処方をしてもらった。
昨夜は飲むのをどうしようか・・迷った挙句
結局、飲まずに布団に入った。
寝つきは良いのだが
二時間ほどして目が覚めて
その後は朝までなかなか眠れず
うとうとはしたけれど
4時に起床。
ひと月前までは
ぐっすり寝ていたのに
やはり、これは不眠症なのかもしれない。
不整脈も起きている。
安定剤を飲んだ方が良かったのかな・・・
私は薬が大嫌い。
どうしても飲まねばならない
心臓の薬は仕方ないけれど
他の薬は飲みたくない。
今は整形の痛み止めを朝一回飲んでいるが
いつかは止めようと思う。
安定剤には苦い経験がある。
依存してしまう私の性格を思うと
怖いのだ。
医者は大丈夫だと言ったが
薬剤師は依存性があると言った。
段々効かなくなり、量が増えてしまうかもしれない。
自分に自信がない。
だから、眠れなくても飲まない方が良いと思うのだ。
最近は、安定剤や睡眠導入剤を飲んででも
夜は寝るのが良いという方向だ。
今夜も眠れなかったら
安定剤を飲んでみよう。
早く、今のストレスが無くなれば良いのに。
今の状況から
一時的には逃げることが出来ても
一生、逃げることはできない。
直面しないといけないならば
逃げずに面と向かっていこう。
そう思うが
やはり
心は正直で逃げたいと思ってしまう。
気晴らしが出来ない。
小刻みの睡眠しかとれない。
今日は、6週間ぶりの心臓の病院の受診日だ。
主治医に話しても仕方ないことだし
話すのをやめようと思う。
心も正直だけれど体はもっと正直で
考えるだけで胸がドキドキして
不整脈が起き、このまま止まってしまうのではないかと
不安になり、その連鎖反応で
ますます体調は悪い方へ向かってしまう。
この悪のスパイラルから抜け出すために
どうしたらいいのか?
分からない。
出口のないトンネルに入って
真っ暗な中を手探りで進んでいるような
そんな状態だ。
トンネルから逃げることはできない。
明るい光が差してくる
出口を見つけなければ。
何とかなる
何とかなる
そう、自分自身に言い聞かせながら
時間の過ぎるのを待つしかない。
でも、逃げたい。
数日前から不眠状態
また
急に胸が苦しくなって
不整脈が起きるようになった。
原因はわかっている。
フラッシュバックだ。
心的外傷後ストレス障害と言えば大げさかもしれないが
ストレス障害であるのは確かだ。
だから
なるべく考えないようにしよう
と思うが
心と頭とお腹の中に
いつも存在している思いが
なにかをきっかけに
ぱっとよみがえってくるのだ。
気持ちも晴れるはずがない。
何をしていても楽しくない。
気晴らしに
エミフルへ行ってみた。
バーゲンの真っ最中。
いつもなら覗いてみて
試着もして
ほしいなあと思うのに
今回は何も見てもほしくないし
買いたい気持ちにもならない。
食べるものも同じだ。
生きるためには食べないといけない。
お腹が空こうが空くまいが
物を体に入れねばならない。
だから
三食食べている。
年末のことがあるから
買い物にお金を使いたくなく
冷蔵庫の中にあるもので
献立を考えている。
一人で食べる食事は
気楽ではあるが
簡単で早く済んでしまう。
こんな状態がいつまで続くのだろう。
早く、自分を取り戻し
元気な私にならないといけない。
頑張るのではなく
なるようになる・・・・と
流されるのが良いのか?
心身共に疲れ切っている今の私に
何が必要なのだろうか・・
新しい年を迎えて
今日は、早、四日。
例年なら今日から仕事始めだが
今年は日曜日で、一日得をした気分の人も
たくさんいるのではないだろうか。
テレビで、帰省ラッシュや
海外・国内旅行からの帰宅の人たちが
お土産を持って嬉しそうな顔をしているのを見て
何だか、私とは別世界のように思えてならない。
昔
娘が小学生の頃には
私の両親とお正月には家族旅行をしていた。
考えてみたら色んなところへ行けたのも
父と母のお蔭だったのだ。
改めて、あの頃が一番幸せだった気がしてならない。
今年のお正月は
おめでとうの言葉が出てこない。
大晦日に、休職中だった夫が
緊急入院した。
お正月どころではなかった。
私の年賀状は12月15日に出していたけれど
夫は、お正月に書くつもりだったようで
届く年賀状にも返事を書くことが出来ない。
何故この時期に?
二年前と同じだ。
これもまた
私の試練なのかもしれない。
私なら乗り切れると神様が判断したのだろう。
乗り切るしかない。
でも
他の家の楽しそうで幸せそうな様子を
見るにつけて
何だか淋しくなる。
昨年は私の体調が悪く良い一年ではなかった。
今年は良い年にしたいと思っているが
それもわからないな・・・
まあ、一日、一日を過ごしているしかない。
これも、私の人生なのだから。
スカーレット
|