スカーレットの心のつぶやき
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病気入院している時
また退院後も体調が回復していない時は
このつぶやきをはじめ、
それまでほぼ毎日更新していた「スカーレットの部屋」を
半ば放りっぱなしにしていた。
それが気になることもなく
また、反対にHPを見る気にもならなかった。
それが少しずつ体調が回復するにつれて
また元のように更新虫が出てきたようだ。
義務感ではないが、何か落ち着かない。
朝のうちに更新できたら何となく安心する。
これって自分でもおかしいと思うが習性というものだろうか。
というわけでまた更新を始めたというわけだ。
でも、決して無理はしないようにしよう。
何も書きたくない時、書けない時は更新しないままで居よう。
さて、昨日、友人と話をしていて
日韓併合について私が得た知識を
HP「アジアに生きる大東亜戦争」に載せたいという話になった。
友人は是非載せたら良いと言ってくれた。
今年は日韓併合100年ということで
先日は仙石官房長官が韓国に対しての補償について談話を出した。
8月には菅談話が出されるという。
村山談話以上の取り返しのつかないものになる怖れがある。
そこで、日韓併合の真実を書きたいと思ったのだ。
昨日からぼつぼつ始めた。
あまり頑張りすぎずに
それでも、8月中には仕上げたいと思う。
退院して10日が過ぎた。
退院直後のあの体調不良からは少しずつ回復している。
車の運転も家事も大丈夫となった。
食欲も段々回復してきている。
お昼前には「ああ〜お腹が空いた」と思うようになった。
母を病院に連れて行き、
終わるのがお昼に近い時は
どこかへ立ち寄りお昼ご飯を食べることがある。
昨日は冷麺を食べた。
あっさりしていてとても美味しかった。
エビ天が具の中に入っていたが
やはり油ものが食べられない。
カツや天麩羅がダメだ。
下痢も治ったのだから食べても良いのだが
食べる気にならないのだ。
胸のムカムカも大分なくなった。
時々は吐き気を催す時もあるが
油ものを食べなければ大丈夫だ。
それでも、今、一番困るのは
晩御飯が食べたくないことだ。
いつもなら朝のうちに買い物をして
晩御飯のメニューを考え作るのだが
母の分を作っても自分の分を作ることができない。
せっかく作っていても食べないことが多いからだ。
昨夜もきゅうりとみょうがの酢の物、
冷ややっこ、焼きなす太刀魚の塩焼き
大根おろしを用意していたが
いざ、6時前になると熱っぽく感じて
食べる気がなくなってしまった。
わらび餅を一パック食べ
アイスにヨーグルトを入れて少し食べた。
一日の終わりに食べる晩御飯は
私にとって苦痛でしかない。
今日は母の好きなかぼちゃの煮つけを作り
ナスの味噌汁と餃子を考えているが
きっとまた食べることはできないのだろう・・・
いつになったら元のように
少食でも三度三度きちんと食べることが出来るのかな?
ネットでシルクのショーツを買った。
シルクの下着は本当に気持ちが良い。
タンクトップやランニング
半袖や長袖シャツは皆シルクだ。
一度シルクの下着を着出すと
ほかのものは着れなくなってしまう。
一番下につけるものだから
肌への接触感や履き心地着心地ってとても気になる。
夏は特にそうだ。
湿度の高い日本の夏は
じっとしていても肌に汗がじっとりという日もある。
そんな時にシルクの下着を着ると
まるで着ていないような感じになる。
サラサラ感、爽やか感で包まれる。
今回、シルクのショーツを買おうと思ったきっかけは
先日の入院の際に
姉がシャルレのショーツを五枚組でお見舞い代わりに
プレゼントしてくれたことだ。
シャルレのショーツは前から使っていて
その着心地もシルクに劣らないほど気持ちが良かった。
だから、姉からお見舞いにもらった時は嬉しかった。
でも、シャルレが前のショーツの素材を使わなくなり
綿とポリウレタン混合の
ワコールなどと同じ素材のものになってしまっていた。
この素材のショーツは苦手だ。
冬場はまあ良いとしても
夏は肌にじっとりと貼りつく感じがして苦手なのだ。
でも、姉がくれたものだから有難く戴こう。
それでずっと前にシルクのショーツを穿いていたのを思い出し
ネットで購入したのだ。
ネット購入は正直不安もあった。
手に取り、目で見て購入できない分
あたりはずれがあると思うからだ。
でも、今回、買ったシルクのショーツは良かった。
値段も高価すぎない。
穿いてみると本当に嘘のように違和感がない。
穿いていないのと同じ感じなのだ。
嬉しくなった。
母にも是非穿いてほしいと思うので
母のウエストやヒップのサイズを測った。
早速母へのお見舞い返しのつもりでプレゼントしようと思う。
昨日は土用の丑の日で、世間ではウナギを食べる日だった。
このところ、食欲がなく晩御飯もパンで済ますことが多く
ウナギを食べることなど考えてもいなかった。
昨日はいつものように母を整形外科へ連れて行き
その後温熱療法の病院へ連れて行って
終わったのがお昼前だった。
帰ろうと車に乗った途端に私の携帯が鳴った。
誰から?と思ったら従兄からだった。
母の病気のことを心配してお見舞いに来ているとのこと。
暑い中家に入れず車庫で待っているとのことで
急いで車を走らせ帰宅した。
従兄は奥さんと二人で来てくれた。
そして、母へのお見舞いに桃やお菓子と共に
ウナギのかば焼きを三匹持って来てくれた。
話を聞くと松山産のウナギだそうで
有名な魚屋さんが焼いたものだとか。
早速四人分のお昼の支度をして
皆でウナギをいただいた。
ウナギを食べたいと思ったことはあまりないし
丑の日だと言っても食べる気もなかったが
昨日のウナギはあっさりしていて脂っぽくなく
身がとてもひきしまっていて本当においしかった。
食べられない日々が続いていたとは思えないほど
何の抵抗もなく食べることが出来た。
母も同じように美味しいと言って食べていた。
私にとってこのウナギは元気を出す源となったかもしれない。
なんて思っていたら晩御飯の時間になって
胃が重くなりお腹も痛くなって
結局晩御飯はわらび餅とトースト一枚しか食べれなかった。
そんなに急に体調が治ることはないよね・・
でも、食べることはできたのだから喜ぼう。
4日に大阪で行われた
「頑張れ日本!全国行動委員会 関西本部結成大会」に参加して帰宅後
体調を崩して入院、
17日に退院したものの
10日経つが体調は今ひとつといった感じで
なかなか完治しない。
今回の体調不良は大阪の夜に食べた
サンドイッチが原因の
サルモネラ菌による食中毒だった。
24時間後から高熱と下痢、
一日家で死んだ状態になった。
39度7分まで上がった体温は
普段なら少々の熱でも頑張る私を
打ちのめしてしまった。
心臓の調子もおかしい。
下痢は一日20回以上。
脱水状態になったこともあり入院。
一応、検便で原因が判明して安心した。
24時間点滴をしながら水分と食事を取る。
食欲もあまりなく
食べるとすぐにトイレへ走る状態が続いた。
それでも下痢は一週間くらいして治り
熱は微熱程度に下がって退院した。
母のことが気になり退院後も
以前と同じように母の看護が続いている。
医者通いと買い出しと食事の世話をすると
午後からはぐったりとなってしまう。
来月は娘も夏休みで帰省する予定だ。
いつものような元気な私に戻るはいつになるだろう。
体重も36キロを切った状態のままだ。
体力の低下もある。
やはり元気が一番。
熱中症に気をつけ無理をせず
完治するのを待つしかない。
3月に母が退院して以来
昨日、初めて母と一緒にエミフルへ行くことが出来た。
本当に嬉しかった。
母の痛みがひどい時は
二度と一緒にエミフルへ買い物には行けないと思っていたから
余計に嬉しかったのだ。
昨日の朝、母をいつもの整形外科へ連れて行こうと家に行ったら、
母が夏に着る普段着のホームウエアーが欲しい
また、気軽に持てるバッグが欲しいと言った。
じゃあエミフルへ行ってみる?と私が言うと
母がそうしよう、帰りにエミフルで美味しいものを食べようと言った。
去年も同じようなワンピースを近くのフジへ行って買ったので
エミフルへ行く前に伊予市のフジへ行ってみた。
母の好きな紺系統で麻と綿素材の良いのがあり
値段も思っていたより大分安価で気に入って買った。
それから整形外科へ行き
帰りエミフルへ行き、母が欲しいと言っていた
気軽に持つバッグも買えた。
母が買ったのは黒だったが
私が良いなあと思ったのはこげ茶系だった。
母は秋には茶系統の服を着る。
夏は紺系統が多い。
だから、私は母へのお中元のつもりで
茶系統のバッグを母にプレゼントした。
お昼は前に親友とランチをした店へ行った。
あいにく平日ではなかったのでランチはしていなかった。
だから単品のスパゲティを頼んだ。
私は前に食べて美味しかったから
博多明太子としめじのシソ風味を頼み
母は取れたてトマトとナスのニンニク風を頼んだ。
お互いに少し交換して食べた。
母は入れ歯を作っているので
あまり固いものは食べられない。
スパゲティでも歯茎に当たると痛みがあるらしいが
それでもほとんど食べることが出来た。
こんな他愛もない時間がとても貴重に思える。
母が元のような元気を取り戻すことは難しいかもしれないが
それでも、昨日のように母とお昼を食べ
ショッピングが出来たらとても嬉しい。
ちょうど七夕に短冊を書いて皆がつるしていたので
私は「母が元気になり長生きできますように」と書いて
笹の葉に吊るした。
一昨日、参議院選挙の期日前投票をしてきた。
母が今はまあまあの状態だが
いつどうなるか分からないので
それを理由にして投票をしてきた。
選挙区は自民党の立候補者に入れ
比例はたちあがれ日本の中山なりあきさんの名を書いた。
母にも頼んだからきっと入れてくれているに違いない。
選挙の係の人は理由を簡単に聞いただけで
母の手を取り投票箱へ投票するまで
母に付き添ってくれた。
無事に母が投票出来たことを
親切だった係の人たちに感謝している。
期日前投票は組織的にされると言う。
宗教団体などはそうすると聞くが
私の期日前投票はそうではない。
一票を無駄にしたくないからだ。
母は11日に投票に行けるかもしれない。
でも、行けなくなる可能性もある。
だから、母の一票を無駄にしたくなかったのだ。
民主党に過半数を取らせないために
出来ることをしないといけないと思い
周りの人たちにはたちあがれ日本を応援してほしいと頼んでいる。
結果はどうなるか分からないが
今の民主党の裏の顔を知ったら
いくら国民がバカだとは言え
これじゃ日本がダメになると分かると思う。
私の尊敬する西村眞悟先生は
先月末から今月初めまで
たちあがれ日本の広報のために
九州・宮崎を訪れ口蹄疫で大変な状態を視察された。
そして、この大変な時期に選挙をするという
民主党政権を批判されているが
私もその通りだと思う。
日本を解体しようとしている民主党を打倒するためにも
微力ながら頑張りたいと思う。
明日は大阪へ行く。
娘に会ったら投票のことを頼むつもりだ。
期日前投票をするにせよしないにせよ
皆が貴重な一票を無駄にすることのないようにと願っている。
昨日は、急に双海町の道の駅で売っている
じゃこ天が食べたくなって
母とお昼を二階のレストランで食べたら良いと思い誘った。
母の足の痛みはこの間の入院させたい頃に比べると
少し良くなっているが
それでも朝痛みどめの座薬を入れて生活している。
そんな母は毎日の医者通い以外は外に出ることもないので
気分転換にもなると思って誘ったのだ。
ちょうど、姉がお昼頃に母の家に来ると電話があったらしくて
姉も誘って三人で行った。
お昼を何にしようかとメニューを見て迷ってが
結局、夏場限定の「さつま定食」を注文した。
この料理は愛媛県の南予・宇和島地方の郷土料理で
鯛の身と麦味噌を焼き、
だし汁でのばしたものを温かいごはんにかけて食べる。
薬味でネギ、きゅうりが乗っていた。
私は生まれて初めて食べた料理だ。
魚が好きではないから食わず嫌いで食べたいと思ったこともなかった。
でも、姉と母が注文したので、同じものにしてみたのだ。
本当は麦ごはんの上にかける良いのだろうが
昨日は白米を炊いたご飯の上にかけた。
味はまあまあだった。
魚の好きな人ならきっと美味しいと思ったに違いない。
それに揚げたてのアツアツの天麩羅がついていた。
イワシ、キス、エビ、ナス、シシトウ、かぼちゃの天ぷらは
本当においしかった。
イワシは大嫌いだが新鮮で揚げたてだったので
臭みもなく食べることが出来た。
母も私もご飯を減らしてもらったので
残さず食べることが出来た。
母は私の作った料理をいつも美味しいと言って食べてくれる。
昨日のさつま定食も食べることが出来た。
だから、まだ今は安心だ、
機会を作って母と美味しいものを食べよう。
2010年07月01日(木) |
パク・ヨンハさんの自殺 |
昨日、母とお昼を食べようと思い
テーブルの前に座り何気なくTVを付けたら
パク・ヨンハさんが自殺したというニュースが流れた。
目が点になった。
パク・ヨンハ(敢えて呼び捨て)の名前は
大流行した「冬のソナタ」で一躍有名になった。
私は韓流ドラマに興味はないが
母がぺ・ヨンジュンの大ファンで
冬のソナタの話を夢中で私にしてくれるので
再放送を録画して一通り観た。
その中で主役のペ・ヨンジュンと恋仇の役柄を演じていたが
役とは違い、本当はとても優しい男性だとのことだった。
顔も綺麗というより優しい可愛い顔をしていた。
そして、冬のソナタの放映後は韓国での仕事より日本での仕事が多くなり
自殺したのも日本でのコンサートの途中だったようだ。
何より驚いたのは彼が末期がんの父親の看護疲れで自殺したのでは?
ということだ。
韓国は儒教の国。
親を大切にする国だ。
末期がんの父親も家で看護していたらしい。
そして、自分の仕事が忙しく看護があまりできない自分に
悩んでいたとのこと。
これを聞き他人事ではないと思った。
私は仕事を持ってはいないが
母の家に居て、母の看護をしている。
母は末期がんではない。
でも、症状が悪い時は本当に心配で
私はどんなことをしても母を診てあげようと思っている。
時々、その看護から離れ自由になりたいと思うこともあるが
親の面倒を診るのは子供として当たり前だと思うので
自分の気持ちを持ち直して頑張っている。
もし、私が彼の立場だったとしたらどうだろう。
同じように苦しみ、死にたくなるかもしれない。
彼は「親孝行賞」なるものを受賞したそうだ。
そんな人だから余計に頑張ったのだと思う。
しかし、自殺したら一番の親不孝をしたことになる。
残された彼の父が彼の自殺を知ったら
どんな気持ちになるだろう。
自分のために死んだと思うに違いない。
末期がんで苦しんでいる父親にとって
一番の苦しみとなるのではないか?
それは親不孝だ。
だから、私も彼のように自殺はしたくない。
母の気持ちを思うとそれはできない。
自殺にまで追い込まれた彼の気持ちを思うと言葉もないが
心から彼の冥福を祈りたいと思う。
それにしても、辛く悲しい事だ。
スカーレット
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