スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
昨日は本当に嬉しいことが次々と起きた。
最近の私への神様のご褒美かな?・・・なんて思った。
午前中はいつものように母を整形外科へ。
帰りにエミフルへ寄ってお昼を。
ここのセルフうどんが美味しいし安価なので、よく利用する。
他の店のものも一応食べつくした結果、
うどんが良いという結果になったのだ。
昨日も母とかけうどん小と玉ねぎ野菜のかき揚げを一つ。
一人¥280円二人で¥560円也。
味も良かったしお腹もいっぱいになる。
それから、母の日のプレゼントを買ってあげた。
母がほしいと言っていたサンダルにした。
こんなもので良いのかな・・と思いながらも、
母がこれで良いというので、
その言葉を素直に聞くことにした。
家に帰り、
庭に咲いているスズランを一つ摘んで小さなグラスにさした。
牡丹とテツセンを摘むわかにはいかないので、
これは昨日撮影した写真を使って三種類の絵手紙を描いた。
私は本当にヘタだ。
自分が一番わかる。
でも、心は込めて描いている。
先日描いて出した人たちから、お礼のメールが届いた。
皆、喜んでくれた。
これが私の力となる。
絵手紙は心を心をつなぐもの。
そういう思いで、昨日も描いた。
可憐に咲いているスズランも、
華麗に咲いている牡丹も、
上品に咲いているテツセンも、
描いてもらって喜んでくれているかな・・・
私は喜んでくれていると信じたい。
一昨日と違って、昨日はお天気もよく、
暑くも寒くもない気温で、気持ちの良い一日だった。
夫の図書館は休み。
朝からPCに向かって仕事をしている。
5月から導入される電算化で、館長の夫はてんてこ舞い。
連休もまとめて休みが取れないと言っている。
夫に、気兼ねしながら、恐る恐る聞いてみた。
「ねえ、綺麗なツツジを見に行かない?」と。
夫は返事をしない。
ああ〜やはりダメなのだろうな・・・
諦めるか・・
でも、もう一度聞いてみよう。
「お義母さんと母と4人で行こうよ」と。
夫は2時までに帰れるかな?と言ったので、
大丈夫、お昼を食べたらすぐに帰るからと私。
これで話が決まった、10時半になっていた。
義母と母に連絡する。
二人とも大喜びで支度をしたみたい。
出発!
大洲までの高速も平日だから空いていた。
車窓から見る、緑や黄緑の山々、竹の秋や山藤も混じり、
まるで油絵のような景色に、歓声を上げる。
11時過ぎには到着。
冨士山は「とみすやま」と読む。
富士山のう冠の点がない冨士山だ。
嘘か本当か分からないけれど、
冨士山は富士山には敵わないから点がないと言う。
それでも、形は富士の山のようだ。
頂上近くの駐車場へ車を置き、その後は坂になっている道を歩く。
母は杖をついているので、正直不安だ。
後で腰や足に来たらどうしよう・・・
連れてこなかった方が良かったと思うのかな・・・
母は元気で上がっていく、
ちょっと無理をしているような歩き方なので、
ゆっくり上がろうと声掛けした。
山の斜面いっぱいにツツジが咲いているのが目に入った途端、
それまでの疲れが吹っ飛んだ。
素晴らしい景色だ。
大洲平野を流れる肱川沿いの田畑や家々が下に見える。
空は真っ青・そして白い雲。
最高の景色。
来て良かった。
たけのこのちらし寿司のお弁当を広げ、そのあとは写真撮影。
白いツツジが目に眩しい。
山ツツジ・アケボノツツジが自然に生えている。
写真を一枚。
一人ひとりがツツジの前で記念撮影もした。
ツツジの美しさと景色の素晴らしさを目に焼きつけ帰りの下り道を降りた。
丁度午後1時過ぎ。
友人からの電話が入って、これも嬉しいニュースを聞いた。
なんて良い日なのだろう!
心も晴れ晴れ、ついつい笑顔になる。
行きかう人ともにっこり笑ってご挨拶。
上は綺麗でしたよという私に、そう!早く見たいと上って来る人が言う。
夫に心から感謝、ありがとう、お陰で親孝行のまねごともできた。
昨日と違って、今日はとても良いお天気の朝を迎えた。
東の窓から私の居る部屋へ朝日が差し込んで、眩しいくらい。
気持ちの良い朝だ。
今朝、早く新聞を取りに玄関の前の庭に出てみた。
一番に目についたのが、ピンク色の大きな牡丹の花、
そしてその横のにひっそりと紫色のテツセンの花が咲いていた。
このテツセンは、数年前に鉢植えでいただいたものだ。
義母がいつもお花の世話をしてくれるので、毎年花を咲かせてくれる。
上品な色合いに貴婦人を思い出す。
女性ならこうありたいと思う。
牡丹の花の後ろ側にはピンクと真赤なツツジが咲いている。
そして、ちょっとさみしそうに白いコデマリの花。
カメラを持ってきて写した。
私は写真を撮る腕はない。
でも、心をこめて写す。
たとえ、出来が良くなくても、私の心を映しているようだ。
ふと地面を見た。
わーっと歓声を心の中であげた。
今年もすずらんが咲き始めたのだ。
可愛い小さな白い花、大好きな花。
娘が幼稚園のころ、日赤へ入院したのが今頃だった。
ヘルペスが口の中にできて、
食べることができず入院して点滴をしてもらって回復した。
退院できるころだったか・・
日本航空のスチュワーデスさんが、
白いすずらんの花を持って、小児科病棟を回って来たのだ。
そして、娘にもすずらんの花をプレゼントしてくれた。
早く良くなってねというやさしい言葉を添えて。
そのことが愛媛新聞に、娘の写真と共に掲載された。
そのすずらんを家に持って帰り、庭に植えてからもう十五年が経つ。
それでも、毎年可愛い花を咲かせてくれるのだ。
すずらんの花が咲くたびに、あのころを思い出す。
花は良い。
心をいやしてくれる。
今朝写した花の写真を、入院している友人に見せてあげようと思う。
昨日は、朝から雨が降り続き
肌寒い一日だった。
私の親友がインドネシアに旅立った。
息子との二人旅だ。
彼女から9時にモーニングコールを頼まれていて
電話をしてしばらく話した。
昨日は東京の息子の所に一泊して
今日、成田から台湾経由でインドネシアへ行くという。
私は海外へは一度も行ったことがない。
飛行機が嫌いだし、言葉が食事のことも心配だし
やはり躊躇してしまう。
彼女に「元気で、行ってらっしゃい」と言って電話を切ったあと
いよっこらへ。
イチゴが一パック150円、
ホウレンソウが一束60円。
真白なカラーの花が一束100円。
計310円也。
午後からはそのカラーを絵手紙に描いた。
親類の女性から、この間服をいっぱいいただいた。
それも皆素敵な服、
細身にできているので誰でもが着れないと言う。
私にはサイズもぴったりで
色も好きな黒とグレーばかり。
デザインも洒落ている。
これで当分洋服を買わないで済みそうだ。
彼女にお礼の絵手紙を描こうと思っていたから
心をこめて描いた。
落ち込むのも元気になれるのも
皆、自分の心の持ち方ひとつで変わる。
朝、起きて良い日にしようと思ったら
きっと良い日になる。
そんなことを確かめることのできた一日だった。
今朝というか夜中というか
朝生テレビを見るために、
12時に寝て再び1時半に起きる。
眠い目をこらえて画面を見ていると、
いつの間にかうとうとしていた。
ビデオに撮っているから良いや・・と思っていたが、
3時ころからは真剣に見た。
田母神さんが頑張っていた。
村田晃嗣は予てより何かおかしいと思っていたが、
やはり発言が感情的で
田母神さんに反論ばかりしていて見苦しいと思った。
そして、
何と言ってもあの国賊と言われても仕方のない
吉田康彦(大阪経済法科大学客員教授)が出ていたのには驚いた。
何でこんな人を出演さすの?
このひとは拉致問題に関して、
拉致はなかったと言ったり、
帰国した拉致被害者を北へ返せと言った人だ。
顔は善人そうだが、分からないものだ。
4時半まで見てそのまま家事をしながら、
ビデオを見ようとビデオを確かめると、
何と撮れていなかった
残念(ノД`)・゜・。
日付設定を間違ったようだ。
眠くても少し見たからまあいいか・・と思った。
外は雨。
午後には上がるようだが、
雨の朝は気分も晴れない。
朝起きて家事をしている間に
段々と明るくなって朝日が上がり、
気分も上々が一番良い。
それでも、こうして元気で朝を迎えられたことに感謝しよう。
今日も一日、良い日になりますように!
昨日は、寝たきりになっている友人のお見舞いに行って来た。
お見舞いが解禁になってから
いつも私の頭の中の片隅に
彼女の存在がある。
気になっているのだ。
気にしても、私がどうにかしてあげられるものでもない。
だからと言って、それでじゃあというわけにもいかない。
少しでも、彼女の脳への刺激になるかと思い
花々の写真をとってプリントアウトして
彼女に見せてあげるようにし始めた。
前に行った時は
満開の桜の写真を見て
笑ってくれた気がした。
昨日、持って行ったのは
牡丹、ハナミズキ、パンジー、遅咲きの桜、
そして、真っ赤なツツジ。
部屋が二人部屋に変わっていて
静かすぎる部屋に
ただ、目を開けたままじっと天井を見上げている姿に
涙が出そうになった。
泣いてはだめだと気を持ち直し
明るい声で彼女に話しかけた。
彼女は口を尖がらせていた。
何か怒っているのかもしれない。
言葉で表現できないが
意識もしっかりしているから
きっと、色んなことを考えて
不安や情けなさや辛い思いをしていたのだろう。
それでも、真っ赤なツツジの写真を見て
少し表情が変化したように思う。
耳元で明るい声で、きれいやろ?と声をかける。
少しでも彼女の心が明るくなってくれることを期待して。
長い時間は居られなかったが
また、今度は家の庭に咲こうとしている
可愛い可愛いすずらんの花を持って行こうと思う。
2009年04月23日(木) |
ちょっと疲れ気味・・・ |
自分でやりだしたのだから
最後までやりとうそうと思うが
最近、少し疲れ気味だ。
PCへ向かう時間が長くなったのが原因。
そして、自分の考えを論ずる機会を多く持ったのも原因だ。
それらは、自分が撒いた種なのだから
愚痴を言っても仕方ない。
まあ、適当にやるのが良いのだろう。
人とのトラブルはご免被りたい。
昨日は6週間ぶりに心臓の病院へ行って来た。
一般血液検査をしてもらえると思っていたが
先生からの指示が出ていなかったようで
いつもの血液検査しかしてもらえなかった。
変わりなく飲む薬の量も変化なし。
まあ、ひと安心というものだ。
母が一緒に行ってくれていたので
診察後にお昼ご飯を食堂で食べた。
450円で栄養のバランスのとれたお弁当を食べた。
値段が値段だから
美味しい!とは言えなかったが仕方ない。
帰りに買い物によって
帰ったらすぐに夕方になった。
これじゃ疲れるよね・・と自分で思う。
今日は午後から会の集まりへ。
その帰りに入院している友人の見舞いへ行き
姉の家に頼まれたものを持って行く予定だ。
自分の体は自分しかわからない。
無理をしないようにしよう。
疲れたら寝るようにしないと。
昨夜も寝たのは12時半、
そして、起きたのが4時。
睡眠時間が少ないから居眠り運転をしないように
気をつけなくっちゃ。
日本の四季って本当に良いものだ。
今、山々は緑で覆われている。
薄い緑、濃い緑、微妙に違った緑色は
まるでキャンパスに絵の具で描かれた絵のようだ。
その緑の中に時々見られる薄紫色の藤の花。
目が疲れた時に
我が家から見える緑の山々を眺めると
心まで癒される。
田舎に住んでいて本当に良かったと思える。
庭のハナモモの花は散ってしまった。
若葉が茂っている。
その下にはツツジの花。
真緑の葉にピンク色の花が映える。
すずらんの芽も出て葉も出てきた。
今に白い可愛い花を咲かすだろう。
真白なコデマリの花に緑の葉のコントラストも良い。
ああ〜本当に初夏が来たのだ。
「目に青葉 山ホトトギス 初ガツオ」の句を思い出した。
ゴールデンウィークも目の前だ。
梅雨入りする前の良い季節は短い。
楽しまなくっちゃ。
春は別れの季節でもあり
また、新しい人と出会う季節でもある。
最近、私が参加している趣味人の会で
新しく出会った人が数人いる。
皆50代で話も合う。
四国内の人、同じ愛媛県内の人、他県の人、
男性、女性と様々だが
私の心が少しほんわかするお付き合いができそうだ。
めざす会や日本会議、また参加しているMLでは
政治や日本のことの話題が多く
どうしても固い話が多い。
疲れることもある。
公のため、世のため人のためと思って
やってはいるが、時には離れたくなることもある。
そんな時、ぶらっと出かければ良いが
それもできないというかしないから
せめて、心だけでも休みたいと思ったのだ。
人生で出会う人の数は知れている。
だから、ご縁を大切にしたい。
同じ愛媛県内の人たちとは
コミュニティがあったからそこに顔を出した。
話が盛り上がってオフ会でもしようかという話も出ている。
私自身としては苦手だけれど
これもまたお付き合いだと思えば楽しみにもなる。
春はいつの間にか初夏に変わるだろう。
それだけ年を取るということだが
それでも、こうして人と出会えるって嬉しいことだ。
今まで味わった苦い思いを良い経験にして
楽しいお付き合いをしていきたいと思う。
昨日は待ちに待った講演会に行って来た。
「日本の歴史に学ぶ会」の講演会だ。
講師は日本政策研究センターの岡田幹彦先生。
テーマは「二宮尊徳」二宮金次郎だ。
私が子供のころはこの金次郎の銅像を見たのと
彼が勤勉で、
忙しい中薪を背中に背負って勉強したという話を聞いていた。
しかし、昨日の岡田先生の話では
二宮尊徳がいかに素晴らしい人物であったか知ることができた。
先生は時折、胸を詰まらせて涙ぐんだ場面もあった。
感極まるという感じだったのだろう。
「 天地(あめつち)の神と皇(きみ)との恵みにて 世を安く経(ふ)る徳に報(むく)えや」
名前だけは有名だが、偉大なる農夫であり
偉大なる思想家であり、偉大なる変革者だったことは
あまり知られていない。
子供のころ両親が亡くなり
貧しいながらも勉強を重ねていった。
気違い扱いされたこともある。
しかし、私財を売り払い
自分は粗衣粗食に徹し
他者の救済に徹した生涯を送った。
600以上の村を改革した彼の方針は
1. 困窮者の救済(あばら屋の壊れた厠や屋根を修復。勤労意欲の喚起)
2. 善行者の表彰(村民の投票により表彰者決定)
3. 道路・橋・用水路の修復と荒地開墾(大勢で力仕事、高額の賃金で皆が潤 う) 4. 神社・仏寺の修復(皇祖,神々,祖先への報恩感謝)
5. 無利息金の貸し付け(村民の自立心を養う)
それでもなお、ことが成し遂げられなかった時
自分が何故、どこが間違っていたのかを反省し、
決して自分がしたことを誇ってはいけないと気付いた時
彼に反対していた人たちも皆彼のいうことを正しいとしたのだ。
成田不動で断食をした結果
自他一体「一円仁」の心に至った。
「己が身をうちすてて見よそのあとは一つのほかにあるものはなし」
の言葉に心打たれる。
このような人格者が日本にいたことを
世界に発信すると共に
子供たちに伝えなければならない。
日本人が日本人で居るということは
日本の歴史上の人で尊敬できる人を持つことだという
先生の言葉になるほど!と思った。
これからの日本を良くするも悪くするのも教育だ。
私心を捨て、世のため人のために生きることができる
人間を育てないとだめだ。
今のこの日本に二宮尊徳が居たら・・と思ってしまった。
地方の再生、国の再生のために
人材を育成することの重要性をしみじみ思った。
果たして、今の日本に二宮尊徳を尊敬する人が
どのくら居るのだろう。
花は良い。
見る人の心を癒し慰めてくれる。
それがどんな花であれ
生きる意味と希望を持たせてくれる。
昨日はそんな花々を見に
花木センターと緑化センターへ行って来た。
本当は母を大洲へつつじ科シャクナゲを見せてあげようと思っていた。
でも、午後からでは渋滞もあって行けそうもない。
母には次の機会にしようと言った。
でも、入院している友人に花を見せてあげたくて
勿論写真でだが、
夫に花を見に行こうと言った。
夫の母と夫の母の妹と四人で
花木センターと緑化センターへ行った。
ツツジはまだ咲き始めたところだったし
期待していたのが外れてしまった。
桜はもう散って葉が茂っている。
花よりも緑を見に行ったようなものだった。
でも、花木センターの庭に
大きな牡丹の花が満開になっていたのを見つけ
歓声をあげてしまった。
牡丹色、薄いピンク色、
そして圧巻は真白な牡丹の花。
綺麗だった。
私は牡丹の花は派手だから
可憐な花に比べて好きになれなかったのだが
この真白な牡丹の花は素敵だった。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の言葉を思い出した。
義母も義叔母も喜んでくれた。
日差しが強く青い空にはヒバリの声。
日本の春が初夏に移ろうとしているのを感じた。
四季のある日本ってやはり素晴らしい。
昨日は二か月ぶりの愛大受診の日だった。
去年、バセドウ病を再発して
歩くのもしんどくて、
体重も37キロ台まで減少していたのが
投薬によって症状も出なくなり
今では体重も40キロまでに回復。
自分が病気だということすら
すっかり忘れている状態だ。
バセドウ病は長くかかると聞いている。
症状がなくなったからと言って
投薬治療をやめたら
また再発するかもしれない。
と言って、薬の量が多すぎると
亢進していたのが低下になるとか。
やる気もなくなり太ってくる、
機能亢進症とは反対になると聞いている。
昨日は先生にそのことを話した。
でも、検査結果のひとつが
まだ正常値には程遠いので
1錠飲むことになった。
次は二か月先の受診の予定。
まあ気長に病気と付き合っていくしかない。
病気は心が引き起こすと言う。
だから、気持ちだけは元気で居たい。
今日もとても良いお天気だ。
庭のツツジが咲き始めた。
この良い季節を目でも、口でも楽しみたい。
日記を書けるということは
忙しくても精神的に余裕のあるときだ。
今回、つくづくそう思った。
15日は、大叔母のところへ
ハンドヒーリングをしてくれる人を案内した。
そして、腰痛で寝たきりの大叔母の
体をハンドヒーリングしてくださった。
いつもなら15分くらいが目安だけど
大叔母の場合、相当超過して1時間半という長い間
ハンドヒーリングをしてもらった。
終わると、大叔母の顔が赤みをおび
表情にも和らぎを感じることができた。
痛みが楽になったと言う。
涙を流しながらそう言った。
凄い!
後、二三回したらもっと症状が改善されるらしい。
そして、ハンドヒーリングをしてくれると言った。
母も首にしてもらって
帰りに車の中で相当気持ちよくって楽になったと言っていた。
免疫力がアップする、
血液の流れ、リンパの流れが良くなると聞き、
姉が私もしてほしいと言っていた。
私自身も肩こりがひどいので
やってもらいたいと思う。
昨日は娘のことでバタバタしていた。
大阪のアパートの鍵を失くしたと
一昨日の夜中に電話が入った。
嘘!
驚いた。
合鍵が作れないキーなので
落とさないようにと不動産屋さんに言われていたのに・・
私が持っている合鍵を送ってほしいと言われて
一昨日、速達便で送ったのだ。
でも、昨日届くはずのカギが届かなかったという。
もしかして、私が娘が泊めてもらっている
友人の住所を書き間違えたのではないかと気になって
夜中に娘から連絡が入った後はそのまま今まで眠れなかった。
今日、届くと良いが・・
私が大阪まで持って行けば良かったと後悔している。
そして、極め付けが
メールをしているアウトルックがなかなか開かなくなってしまった。
色々なことをした。
容量を少なくして、PCも軽くなったのに
一向に改善されない。
システムの復元もしたけど同じだ。
もうメールする気にもなれない。
しばらく使わないで居ようかと思う。
ああ〜それにしても何でこんなに色んなことが起きるのだろう。
今頃になって眠くなったけど
寝る時間はない。
三日ぶりの日記だった。
昨日は、娘の誕生日であり、
一昨年の6月13日に亡くなった
私の父の月命日でもあった。
母は毎月、父の月命日にお墓参りに行くのを楽しみにしている。
勿論、家では仏壇に毎朝、お茶とやお花を変え
拝んではいるものの
やはりお墓参りには特別な思いがあるのだろう。
私もお盆やお彼岸はもちろんのこと
祥月命日や月命日に父のお墓参りへ行く。
どうしても用事があったり
大阪の娘の所に行っていてお墓参りに行けない時は
姉に頼んで行ってもらっている。
昨日は、姉が風邪をひいたとのことで
母と二人で行って来た。
春のお彼岸に行った時は
ハクモクレンが真白で綺麗だったが
昨日は初夏を思わすほどの暑さもあり
お墓に飾られた花も萎れているのが多かった。
いつものように、お墓周りを掃き清め
父の顔を拭いている気持ちでお墓を綺麗に洗った。
父の好物だったおかきとカステラを供え
御線香を立て、両手を合わせた。
こうして、母と父のお墓参りに行くことができるって
本当に幸せだ。
いつか、母も父と一緒にこのお墓に入るのだなあ・・と思うと
思わず涙が出てきて、母に見られないようにそっと涙をぬぐった。
帰りに、母と二人でお昼ご飯を食べ、父の話をした。
母は「お父さんが生きていた頃に
もっとやさしい言葉をかけてあげたら良かった」と
しみじみ話していた。
人は亡くなって初めてその人がいかに大事な人だったかわかる。
まして夫婦ってそんなものだと思う。
私も夫がそばに居て当たり前の気がしているが
もし、夫が先に逝った時
後悔しないように、感謝の気持ちを持って
やさしい言葉で
まさに私の座右の銘「和顔愛語」を
実践しつづけようと思った。
今日、 4月13日、
娘は二十歳の誕生日を迎えた。
月並みな言葉だけれど、
長いようで、あっと言う間の二十年だった。
タンスの引き出しに大事にしまってあるへその緒と、
出産で入院していた時にはめていた
小さな足の輪を出して見た。
様々な思い出が走馬灯のように浮かんできた。
二十年前、
私は医者の反対を押し切って
娘を産んだ。
夫や母に心配をかけたが、
娘の産声を聞いた時、
頑張って産んで良かったと
涙が頬を伝った。
小さい体で産れた娘を大きくしようと、
嫌がるミルクを何とかして飲まそうとしたことや、
離乳食を工夫して作ったことが、
当時の育児日記にびっしり書かれている。
娘が幼稚園の年中組の時、
私は心臓の大動脈弁を人工弁に置換する手術を受けた。
その時に、御見舞にきてくれた
幼い娘からの絵と拙い文字が書かれた手紙は
私の心の支えになり、
今も大切な宝物だ。
娘が成長する中で、泣いたり笑ったり、
喧嘩もしたが、
それらは皆、懐かしい思い出となっている。
大阪で大学生活を謳歌している娘は、
今日、一人で二十歳の誕生日を迎える。
さっき携帯へメールを送った。
娘が大人になったことは
親として嬉しいような
淋しいような複雑な心境だ。
土曜日に投函した
「お誕生日おめでとう」の
真っ赤なチューリップの絵手紙は
今日、娘に届くだろう。
改めて「お誕生日おめでとう!夢に向かって歩いて行ってね」
昨日は、桜の写真を持って来るねと言ったまま
先日はそれを忘れて行ったので
昨日は、4枚の満開の桜の写真を持って
親友と二人で入院中の友人を見舞った。
行ったのが11時前だったので
午前中の処置をしていて
しばらく待った後部屋に入った。
友人の体調はその日によって変わる。
昨日は少ししんどそうだった。
それでも、4枚の満開の桜の写真を見せると
表情に変化がみられ
少し微笑んでくれた気がした。
そして、いつまでもその写真をじっと見ていた。
桜の時期はもう終わりだ。
葉桜になっている。
短い命だからこそ
桜が日本人の心に訴えてくるのだろう。
まさに桜は大和心、日本人の愛する花になっているのがわかる。
10分ほど居て部屋を出た。
お天気は快晴。
車の中は暑いくらいで
走るときにはクーラーを入れた。
季節は変わっている。
人の心も変わる。
それならば、友人の体調にも良い意味の変化がほしい。
私がハンドヒーリングを取得したら
一番に友人にしてあげたいと思う。
そんなことを思いながら
次に来る時は
花の写真を撮って持ってこようと親友と話した。
今はチューリップが可愛い花を咲かせている。
これからはツツジがきれいだ。
我が家の庭のツツジもつぼみが赤くなり
花開こうとしている。
チューリップやツツジ、すずらん・・
アジサイの花も良いな・・
寝ている友人が花の写真を見て
喜んでくれるかどうかは分からないが
花の嫌いな人はいないだろう。
自己満足かもしれないけれど
写真のお見舞いは良いと思った。
昨日は、母を整形外科へ連れて行った帰りに
本当に久しぶりに高島屋へ行って来た。
母が使っている化粧品を買うためと
来月の母の日のプレゼントを買ってあげようと思ったからだ。
以前はひと月に一回は行っていたのに
私が何かと忙しくなったのと
近くにエミフルができたので
余程のことがない限り
高島屋で買い物をすることがなくなっていた。
昨日は10時半頃に着いた。
化粧品売り場の女の子とは私も顔見知りなので
色んな話をして、改めて思ったことは
母の年齢を考えると、女の人も
いつまでもこうでないといけないということだ。
女として大事なことを母を見ていて思った。
いつまでも綺麗でありたい!
これを忘れないようにしなくっちゃ。
それから、そば吉へ入ってお昼ご飯を食べた。
私はじゃこ天蕎麦、母は今日のランチ。
年よりの方がたくさん食べるねと母は笑っていた。
食事が美味しくいただけるって最高だ。
母が美味しいと言って食べている姿を見て私も嬉しかった。
母にはつっかけを買ってあげた。
米寿のお祝いは去年にあげている。
だから、何も要らないという母に
私の気持ちとして、履きやすいものを選んだ。
母は履きやすいと言っていたから安心した。
母は自分の年を思うともう着るものは買わないと
いつも言っているが、
昨日は、春ごろから初夏にでも着れる
茶色グレーの薄色の花模様のTシャツを買った。
ポリエステル生地のブラウスのような
Tシャツのようなものだ。
¥16800もした。
私などは買えない。
昨日、母が着ていたジャケットの下にとても似合っていた。
母は最近は花見にも行けたし
こうして服を買う元気があるから
まだまだ大丈夫だろう。
母と買い物に行ける私も嬉しいし幸せだ。
タンスにしまっておかないで
ドンドン着ないとだめよと母に言った。
ネットで知り合った人が
ボランティアでハンドヒーリングをされているのを知り
関心を持った私は
一昨日、親友を誘って
その人からハンドヒーリングについて
話を聞くことができた。
私の姑はある宗教団体に属していて
そこではいわゆる手かざし療法で
人の体の悪い部分を治している。
以前、私にもそのてかざし療法をしてあげようと言われたが
何か胡散臭い気がして(姑には悪いが)
断っていた。
でも、よく考えてみると
母親は子供がお腹が痛いと言えば
治れ治れと念じながら
子供のお中の上に手を当てる。
これは無意識のうちにハンドヒーリングをしているのだ。
手当という文字がその意味を表わしている。
話を聞いた人はボランティアで
色々な病気で苦しんでいる人を救ってきたと言った。
そして、話をしている間に
私自身の体が熱くなり
いつもは低体温のために
手のひらの血行も良くないのに
真赤になって汗ばんできたのだ。
着ているものを一枚脱いだくらいだ。
話をしているだけで
そのひとから出ている気をもらったのだろう。
実際に私と親友の左手の上に
そのひとが手をかざすと
最初は何も感じなかったのに
段々とじんじんしてきた。
そして、そのひとが手を離したとたん
風がさっと吹き抜けたように
すっとした感じを覚えた。
ハンドヒーリングによって
色々な物質が出ていることや
血液の流れがよくなること等は
科学的に証明されていると言う。
そして、外国では医療現場で使われているとのこと。
日本ではなかなか導入が難しいらしい。
もし、私がこのハンドヒーリングを取得出来たら
寝たきりになっている友人や
三越へ行くのが生きがいだったのに
腰痛のために家で寝ている大叔母に
してあげたいと思う。
そして、自分自身の肩こりにも効果があると良い。
体操があるというので
今度、また教えてもらおうと話している。
宇宙気功の一種だそうだが
私は信じる。
2009年04月09日(木) |
ちょっと余談ですが・・ |
昨日、ハンドヒーリングの話を聞きに
親友と二人である人と会ったことを
今日はここに書こうと思っていたが
姉からここに書いてほしいと言われて
今日はちょっと余談だけれど書くことにする。
昨日、姉は幼馴染三人で
松山の雲門寺の花まつりに行ったそうだ。
その時に、ちょうど愛媛新聞社が取材に来ていて
姉の写真を撮り、友人にインタビューをしたとか。
その記事が今朝の新聞に載ると携帯メールで知らせて来ていた。
私がたまたま愛媛新聞ONLINEを開けてみたら
トップに姉の写真が出ていた。
そして、その横に下記の記事が載っていた。
http://www.ehime-np.co.jp/
お釈迦様の誕生祝う花まつり 松山・雲門寺
お釈迦(しゃか)様の誕生を祝う「花まつり」が8日、
松山市星岡1丁目の雲門寺(石田義孝住職)であり、
満開の桜の下、家族連れら参拝者が訪れた。
同寺では毎年、「命の尊さを再認識する一日に」(石田住職)と、
まつりを開いている。
境内には、色とりどりの花で飾り付けた花御堂が設けられ、
高さ約20センチの釈迦像を安置。
参拝者はお釈迦様の誕生時に
空から甘い雨が降り注ぎ体を洗い清めたという言い伝えにならい、
像に甘茶をかけ、手を合わせて無病息災を祈った。
全文を読むをクリックすると
友人がインタビューを受けている動画が流れた。
姉に電話をしてこのことを話すと
同じく姉の幼馴染が私のこのつぶやきを読んでくれているので
彼女に記事や動画を見てもらいたいから
その件を書いてと頼まれたのだ。
新聞本体には姉の名前や住所や年齢まで出ているらしい。
ということで
ハンドヒーリングについては
明日、書くことにして
今日は姉の花まつりのことを書かせてもらった。
良かったら見てみてね。
2009年04月08日(水) |
津川雅彦さんのブログ |
俳優の津川雅彦さんが
こんなに素晴らしい意見を持っているとは
正直、驚いている。
そして、心から尊敬したい。
彼のような人が政治家になってくれたら
そこらのアホな政治家を圧倒する票を取り
当選確実に違いない。
見直した!
以下は津川さんのブログの転載。
長いけれど、時間のある人はぜひ読んでいただきたい。
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「北朝鮮のテポドンが発射され、日本海と太平洋に落下したとのこと」 大方の予想通り、日本本土に直接の被害はなく幸いだったが… 事故で日本本土に落下する可能性はあった訳だ。最悪の事態を想定して備えておくのが、本当の危機管理だ。 誰でもが考えられる危険に対して、国が無防備でいるのは、犯罪にひとしい無責任だ。これまでソマリアの海賊に日本の商船が襲われる危険を知りながら放っておいたのもしかり、麻生さんが初めて実行させた功績はすばらしいが、他の政党の政治家達は日本人失格だ。 更に解決しなければならない問題が山積している。当然予測出来る事だが、他国の商船の災難に遭遇した場合。これを救う為の武器使用を禁止されている、未だに集団的自衛権を盾に海賊の攻撃にたいして武器使用を認めない政党の政治家達は人道も道義もわきまえない恥知らずだ。 今回のテポドン騒動でも、北朝鮮と言う、 ビンラデンに劣らぬ、ならず者のリーダーが、我が隣国に君臨している。絶対、油断は禁物。例え衛星であろうが、世界中、どの国も他国の上空を飛ばさないようにするのが常識だ。やむを得ぬ時も人口密度の極端に少ない地区の上空を選ぶ。ポドンを日本の上空に飛ばすのは、非常に失礼な、日本をばかにした挑発行為だ。 更にこれまで、まさか日本の本土には落ちまいと考え、たかをくくって迎撃体制を整えていなかった政治家達が、いかに無責任だったかを、この事件で多くの国民は理解出来たと思う。 もう少し敏感な人は、狂信的憲法九条心酔者と結託したマスコミに洗脳され、平和ぼけしていた事にも気付き、国を守る事イコール家族を守る事に繋がっていると言う実感を芽生えさせた事と思う。今回の事件で問題となった事の第一は、防衛省や秋田の自衛官の誤報ミスだ。 あれは詰まるところは未経験故に冷静な判断と確認作業を忘れた人的ミスだろう。 分かりやすくいえば、子供の頃、きも試しに初めて連れていかれ、お墓の真ん中に放り出された時のことを思い出せば良い。 初めての経験で、何が起こるか予測が出来ず、興奮し怯えているから、破れ提灯までお化けに見え、慌てて悲鳴をあげてしまう。 初めてのテポドン迎撃 の緊急事態に見舞われ、これまで模擬訓練すら許されなかった自衛官が、いきなり戦闘状態に放り込まれた訳だ。経験がない上に、前門の虎後門の狼。 凶暴な北朝鮮と意地悪な日本のマスコミと言う二つの敵に挟まれて、絶対ミスは許されないとなると、さぞや緊張もし固くもなったであろう。 しかし日本のマスコミは、国民の危険を目の前にして自衛官に対し、励ましどころか好意的な応援もない。 『どうせ日本には落ちて来ないのに大げさな』とか、『これで戦争になったら、麻生のせいだ』とか、危機管理意識も護国の愛情も無い左翼根性に犯された連中だ。呆れたガキどもの集団だ。 初めて中国や左翼系のマスコミを怖がらず頑張った小泉さんだったが、後の福田さんが腰の引けた総理だった為に元の木阿弥。 更に左翼に気兼ねする小沢さんが率いる、ごちゃ混ぜ民主党に参議院を乗っ取らせた為に、左翼のマスコミを生き返らせてしまった。 日本の政治家は、またまた、愛国のプライドを無くしてしまい、 そんな政治家にコントロールされて来た自衛官は、田母神氏のように言論の自由さえ圧迫され、士気も上がる訳がない。大事な時のミス続出もさもあらんと、同情に値する。 大東亜戦争以来、命を掛けて国を守った人々を、卑下するように教育されてきた日本国民は、国を守る自衛官を尊敬しない習慣が身に付いてしまったようだ。 しかし今回は麻生さんの頑張りのお陰で初めて北朝鮮への迎撃体勢が具体化出来た。 その結果、防衛省のテポドン発射の報告ミス が起こったが、実はこれが一番有意義な事件となってくれた。 何でも自衛隊のミスを、ヒステリックに罵倒して気持ちよがるマスコミのげすな根性が、幸いしたのだ。連中は異口同音に『防衛省は日本の恥をさらした。平和ボケして、危機管理がなってない』と一斉に叱咤激励してくれた。更に勢い余って『防衛省はこんな事では国を守れない』と、ついに初めて正論まで吐いてしまった。 その通り!今の防衛省は国を守る環境を与えられていない事をマスコミは認知した。 やぶ蛇とはこの事だ。罵倒した限り、今後はお言葉に甘えて、しっかりと国を守る態勢を整えるのに、是非マスコミに協力して頂こう。 例えば緊急配備でパトリオットを東北へ移動する際にも、サイレンを鳴らして走る緊急車両の権限は与えられず、一般車両と同じく、信号待ちをしながら、悠長に移動させられた。 至急改善するべきだ。更に、今!北朝鮮の ノドンが日本に向けて配置されてる数は、100台から320台と想像されている。 まず、これを仮想敵として、最悪320台のノドンが日本に向けて発射される時を想定し、パトリオットがノドン迎撃に有効なのか、有効ならば最低何台必要かを検討するべき。更に最初に発射されたノドンを迎撃しながら、北朝鮮の本土に装備された日本向けのノドンの全てを発射前に、叩かなければならない。ならば日本に何台のミサイルが北朝鮮の本土に向けて常時装備していれば、320台を全て叩いて、日本国土がノドンの攻撃を受けずにすむようになるかも検討して欲しい。
更に先制攻撃されたら、直ちに直接敵地のノドンを日本から攻撃出来るようにする為の、法整備も緊急を要する。憲法改正も当然必要だが、それまで手をこまねいてはいられない。憲法改正と平行して、広義の法解釈を整備して、先制攻撃を仕掛けられた時の速やかな、迎撃態勢を整える事が急務だ。 先日ソマリアでも、 他国の商船が海賊に追いかけられているSOSを我が自衛艦がキャッチし、他国の商船は守ってはいけないと禁止されているにも関わらず、さすが我が自衛艦は果敢にも大音響を発する装置を稼働させると同時に、ソマリアの言葉で日本の自衛艦である事を告げ、威嚇し海賊を追い払い商船を助けた。 天晴れなお手柄だが、マスコミは法に触れないギリギリの処置だったとしか報道しない。 道義的にも、人道的にも、どこの船であろうが、これを海賊から守る為にも、我が自衛官が海賊の攻撃から身を守る為にも、他国の商船を襲う海賊に対しても武器使用を認めるよう法改正するべきだ。これに反対する政治家はもう人間失格だ。 今後は日本も、北朝鮮や中国やロシアが安易に脅しをかけられない軍事的威力を持つ事が大事だ。これは何より武器を使用しないですむ抑止力となり政治力となり、肝心な話し合いの場での説得力に繋がる。 もう日本人も、それぐらいは解る智力を持つべきだ。 国連に最大の援助金を出しながら、安保理にも参加を認められない現状を、いち早く改善出来る道筋は核論議の活発化だと思う。 これが安保理参加の一番の早道だ。 日本は核爆弾を作る技術も国力も世界最高のものを持ち、その点だけは世界中から恐れられているのだ。 北朝鮮が小型核弾頭を開発したら、一番先に標的にし安いのは日本だし、脅しても世界から同情されない日本であることも承知しておくべきだ。 なぜなら世界一の成金国家で、これまで自国の安全を金で解決し、イラクにおいても自衛隊が武力で脅される事があっても、自らは戦えず、他国の軍隊に助けを求めざるを得ない体たらく、外から見れば日本をダメな国家にするために、アメリカに押し付けられた軍隊放棄の甘っちょろい憲法を、気付く事も、改正する事もなく、怠惰に後生大事に守り、本音はロシアや中国は勿論北朝鮮にまで都合の良い日本にしたい左翼と、軍自費を経済に廻して、甘い汁だけ吸いたい金権政治家と企業が結託して作り上げた、実にげすな根性の弱虫国なのだ。 世界中が、日本はいじめられても同情の余地がないと思っている国に成り下がった。 世界の平和には興味がなく、他国任せの無責任国民で、自分の命だけは助けて欲しいと、 アメリカの核の傘に入り、全てを金で解決しようとわする嫌らしい国日本。 『越前屋。お前も悪よのう』のセリフがぴったり似合う悪役を誰がかっこいいと尊敬するものか。 ロシアや中国や北朝鮮の共産国も同じく、 人道上、道義上他国に尊敬される要素が全くない国だ。にもかかわらず、その存在や発言を注目されるのは、 核を持っているだけの違いだと、日本人は早く気付いて欲しい。 核を持てとすすめているんじゃない。持つぞと威嚇しながら、今後は日本も、北朝鮮や中国やロシアが安易に脅しをかけられない軍事的威力を持つ事が大事だ。これは何より武器を使用しないですむ抑止力となり政治力となり、肝心な話し合いの場での説得力にこそ繋がる。 もう日本人も、それぐらいは解る智力を持つべきだ。 …と同時に世界の仲間と力を合わせて、平和の為に血を流す勇気と仁義を持てる日本人になって欲しい。 左翼筋のコメントで、 自衛隊に入れない、 女、子供、老人は国を守る発言権もないと、 言論抑圧、人権無視に気付かず毒づいているおバカさんがいたが、さすが世の左翼を代表する典型的な幼稚さを代表している。 僕は、自分の娘や孫が軍隊を志願したなら、勿論、偉いと肩を叩いて激励してやりたいとも思っている。 但し文化のジャンルで役者として、表現する時は常にニュートラルな立場で、役に対して純粋に近づける環境を保ちたいと思っている。 それがなぜかは、また改めてブログで紹介するつもりだ。
双海のお花見が今年で最後だと思っていたのに、
昨日はあまりにもお天気が良かったし、
夫が休みだったので、
母を誘って三人でお花見に行った。
義母も誘ったが、兄弟たちと花見に行くとか。
さあ、何処へ?行こうかという話になった。
久万のしだれ桜が綺麗だと、
前にTVで言っていたので、
一度見てみたいと思っていた。
久万の役場に電話して、桜の開花状況を聞くと、
残念ながら、今年はもう終わったとのこと。
じゃあ何処へ行こうか?という話になった。
姉から聞いていた「野福峠」という
素晴らしい桜の名所が吉田の方にあると聞いていたが、
遠いのでそれはやめにした。
姉に電話しみると、
東温市の総合公園の桜がとても綺麗だったと言った。
義兄と一昨日お花見に行ったらしい。
そこにしようと決定。
お弁当を買って11時に出る。
車で走ること40分。
丁度良い時間に着いた。
車を降りて上をみると、桜並木が続いている。
母と私は思わず「わー!!」と歓声を上げた。
母は老人車を押していたので、ちょっと遠まわりをしてスロープを上がった。
目の前に桜・桜・桜・・・
感激!
早速、写真を撮った。
桜を見ながらのお昼のお弁当、デザートは桜餅。
「いよっこら」で買った桜餅はやわらかく、
中が粒あんで、桜の葉の香りがして、美味しかった。
母と、来年もまた来ようねと約束。
写真を撮りながら、心の中にも桜を残す。
帰り道は来た道を変えて、緑化センターの桜を見に行った。
母と行った時よりも桜が満開で、花吹雪も舞っていた。
本当に綺麗だった。
今年ほど桜を堪能した年はない。
何度見ても見飽きない景色に、日本の心を見た。
昨夜もまたNHKの「アジアの一等国」を見てしまった。
見てしまったという表現は
勿論、後悔の念があるからだ。
一昨日の放映があんな形であったので
昨夜も初めから覚悟はしていたものの
あまりのひどさに途中で見るのをやめようかと思った。
しかし、最後まで見ないと評価ができない。
もしかして、何処かで日本に対して良い評価をしているかもしれない。
そんなことを思って最後の最後まで見てしまった。
情けない思いでいっぱいだ。
何という報道ぶりだろう。
恣意的としか思えない偏向報道だ。
これを見た人たちは子供を含めて、日本は何と悪い国かと思うに違いない。
NHKは反日どころか、日本を破壊しようとしているのか。
台湾を植民地支配し、民族性の剥奪をした、
教育現場で差別した、
原住民を人間動物園と称して見世物にした、
嫌々ながら日本の姓を名乗らされた。
天皇陛下のために犠牲になった
日本に馬鹿にされた
台湾を宗教弾圧した
神社を建てられて、廟を破壊させられた、
等々、書いたらキリがない。
悔しくて情けなくて、布団の中に入っても眠れなかった。
ここまでよくも反日精神を顕著にするものだ。
視聴料など取っているのは盗人に等しい。
5月は「天皇と憲法」と題する放送があると言う。
また、天皇陛下を貶めるものになるに違いない。
本当にNHKっておかしい。
もしかして、朝日新聞より変かもしれない。
見てああ良かったと思える番組は
朝のドラマくらいのものなのだろうか。
2009年04月05日(日) |
NHK「プロジェクトJAPANプロローグ 戦争と平和の150年を観て |
昨夜、NHKで放映された
「プロジェクトJAPANプロローグ 戦争と平和の150年」を観た。 ペリー来航によって日本が開国をしてから
今年で150年になるのを記念して作られた番組で、
テーマは世界は今、新しい戦争の時代を迎えているが、
その世界の平和構築のために、日本がどのように貢献できるかだそうだ。 この中で憲法9条を擁護する立場で、
いろいろなことが語られていた。 一般的に憲法9条は米の占領下に草案されたとされている。 しかし、この番組の中では、
憲法9条が、第一次世界大戦後のパリ不戦条約、
第二次世界大戦終了間際に作られた国連憲章の第7章、
の中に流れる平和への精神の中で成立されたと言っていた。 第二次世界大戦後、
世界が平和を求める活動の結果として、
必然的に生まれたものであり、
世界中のひとたちの平和への願いが、
この9条に集約されているのであり、
日本人は誇りを持つべきだとも言っていた。 そして、スペインのある町に
憲法9条の条文を刻んだ記念碑があると紹介されていた。 まあ、最後まで観てみようと、めげそうになる気持ちを抑えてみた。 終わりの方に、
今年二月、立命館大学で行われた
「アメリカの帝国の崩壊」という講演の中で、
平和学の父と呼ばれているノルウェー人のヨハン・ガルトング教授
が出て話をしていた。 平和の構築には「力の均衡よる平和」と、
「帝国による平和」があるが、
今はアメリカ帝国による平和は崩れようとしている。 ドイツではナチスに対してNOと言ったが、
日本では自分たちの過去をNOと言えない。
日本は今こそ、過去の歴史を見つめることが大事である。
誤りを二度と起こしてはいけないという気持ちを持つべきだ。
そんな話の最後に、次のような言葉を発した。 「日本には、南京を記憶する博物館が必要であり、
米には広島を記憶する博物館が必要とされている」と。 そうなのだ、南京大虐殺があったとする立場で、
米の原爆投下と同じ扱いをしていたのだ。 あまりにもおかしい発言だと思いました。 そして、ネット検索してみると、
ヨハン・ガルトング教授が
創価大学の客員教授であるということを知った。 東アジア共同体の形成のためには、
市民社会レベルでのネットワークが政府を動かすことも可能だ」
「米国が拒否権を持つ国連安保理や米国自身が力を失いつつあり、
EUやアフリカ連合をはじめとした地域レベルでの決定が
国際問題の解決にとって重要になりつつある」 アジアでは、中国や韓国の関心がインドに向かいつつあるとし、
首相の靖国神社参拝問題や
北朝鮮の核を巡る6カ国協議などでの
日本政府の姿勢を批判したうえで
「このまま朝鮮半島や中国に
戦後補償や謝罪をせず対米追従の姿勢をとり続ければ、
“アメリカ帝国”とともに没落してしまうだろう」と話した。 と分かった。 NHKの意図がみえみえだ。 いつものことながら、
観た後で観るのじゃなかったと思ってしまった。
今年も色んな桜を見に行った。
去年は双海の桜の下で
母と姉と写真を撮ったが
娘の大阪での暮らしが始まり
入学式からしばらく大阪に居たので
愛媛の桜よりも大阪の桜を楽しむことができた。
今年は母を連れて桜見物のはしごをしたりしたが
何と言っても、昨日、姉に連れて行ってもらった
玉川ダムの桜が綺麗だった。
一昨年は鯉のぼりがダムの上に泳いでいたが
今年はそれはなかったものの
対岸の桜は素晴らしく目に焼き付いて離れない。
その桜を見ながら
お花見弁当を開いて食べた。
平日だったので、お花見に来ている人は
仕事を退いた人たちのグループが多かった。
母・姉・私と別々に写真を撮り
ツーショットや三人一緒の写真も撮れて
桜と共にまた思い出のひとコマができて本当に良かった。
帰りに奥道後の山に山桜が咲いているのがまた素晴らしかった。
運転している姉を横目に
母と歓声をあげたものだ。
今日はお天気が崩れそうだから
満開の桜も散るかもしれない。
でも、この桜が散るのも良い。
昨日の玉川ダムの桜も来週には
花吹雪となるとか。
一度、その花吹雪を見てみたいものだ。
母が今年も桜を堪能できて良かったと言ってくれた。
これからも母と桜を見に行ける春が
ずっと続けばいいと心から思う。
桜は日本の心だ。
2009年04月03日(金) |
アリとキリギリスの話 |
昨日は、めざす会の学習会があった。
その時に、以前、問題視した
日本の昔話「かちかち山」について話題に上った。
私が幼いころから知っている話は
タヌキが悪者で
おばあさんをだまし殺した。
そして、うさぎがその仇を討った。
つまりタヌキは背中に背負ったマキの束に火をつけられ
泥の船に乗って最後がおぼれて死ぬという話だったと記憶している。
それが、最近の可愛いアニメ絵本によると
おばあさんも死んではなくて
最後にはタヌキが改心して謝ったので
うさぎはタヌキを許してあげて
おばあさんと一緒にお餅を焼いて
仲良く食べているという話で終わっている。
これには驚いた。
皆と仲良くしようという戦後の教育のお陰で
昔からある日本の昔話が変えられいたのだ。
かちかち山だけではなく
他の話も何かそういうことが起きているのではないか?と思い
昨日話題に上ったアリとキリギリスの話を調べてみた。
イソップ童話のこの話は
まじめに夏の間に働いたアリは
冬になり食べ物がなくなっても困らない。
それに引き替え、夏の間サボっていたキリギリスは
冬になって食べ物がなくなり
アリのところに無心に来る。
アリはキリギリスに食べ物を与えなかった。
結局は楽あれば苦あり。
まじめにコツコツと働くことが良いという意味の話だと思っていた。
調べてみると、面白いことが出てきた。
このイソップ童話のギリシャの原典は
アリと蝉の話となっていた。
そして、戦後(1945年)〜1997年4月に出版された
イソップ寓話107冊のうち、
アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話が65冊 食べ物を分けてやる話が31冊
食べ物をやったかどうか判らないい話が11冊だと言う。
他にもいろいろと興味深い話が出ていた。
これから少し調べてみたいと思う。
それにしても、私が小さいころに聞いた話と
違っている部分があるということに驚いている。
昨日が四月ばか、
エイプリルフールだったことをすっかり忘れていた。
母と緑化センターへ桜を見に行ったが
思っていたよりも綺麗ではなかったし
写真は撮ったものの
お天気が良くなかったから
なんとなく、暗い感じの写真になってしまった。
そして、お昼前から雨がぱらつき始めた。
朝、お弁当をどうしようかと考えたが
天気予報ではあまり良いお天気ではないとわかったので
何処かでランチを食べることにして
お弁当は持たずに出かけたが
これが正解だった。
帰り道にあるゆうゆう亭に寄ってみた。
でも、いつもの定食があまり良いと思わなったので
向い側にあるあこうに行ってみた。
お昼前だったこともあり駐車場が満車で駐車できない。
仕方ないので伊予市まで走ってどんとへ寄った。
ここで日替わりランチを食べていると
娘からメールが入った。
書かれていたのは
「剃髪にしたよ」
一瞬何?と思ってエッツー!!と返信した。
何で?
もしかして演劇で髪を剃る必要があって?
妙だとは思ったが
昨日がエイプリルフールだったことを忘れていたので
疑わなかった。
娘から再び「今日はエイプリルフールだよ〜ん」とのメール。
やられた!
おかしいと思いながら疑いもしなかった自分がおかしかった。
「お父さんにも送るから言わないでね」と言われたので
夫には何も言わなかった。
夜、夫が帰宅したので聞いてみた。
娘は夫に「結婚することに決めました」とメールしてきたとか。
夫もエイプリルフールを忘れていたので
驚いて、うろたえて、それでもここで落ち着かなくては!と思ったとか。
反対してもいけないからよく考えるようにとメールしたらしい。
そして、娘に騙されていることが分かって
参った!と私と同じメールを返したそうだ。
娘も昨日から二回生になった。
演劇部や大学生活を楽しんでいるようだ。
この間はちょっと落ち込んで泣きながら電話してきたから
心配していたけれど
大丈夫のようで安心した。
来年は騙されないようにしなくっちゃ。
2009年04月01日(水) |
桜も満開近いかな・・ |
この数日、晴れの日が多かったこともあり
三分咲きだった桜が一斉に咲き始めた。
昨日は役員会に参加するために県道伊予川内線を走った。
砥部の手前にある会社の桜が、
今年も満開に近い状態で、
思わず見とれてしまった。
この間は二度ほど石手川の土手の桜を見に行ったが、
何故か今年はきれいだと思わなかった。
桜も年数を経て年老いていくと、
花もきれいじゃなくなるのかもしれない。
道後公園の桜は老木が多くなり、
若木を植えたいと思っても、
史跡になっているのだダメだと聞いた。
私が道後に住んでいた頃は、
桜の季節になると毎日のようにお花見に行っていたものだ。
娘がお腹に居る時も実家に帰っていたから、
予定日近くになると、
大きなお腹を抱えて、桜を見に行った。
きっと、
娘にとって桜は特別な花になるだろうとさえ思ったものだ。
今日は少し曇ってくるみたい。
でも、母を誘って、緑化センターの桜を見に行こうと思っている。
来年の桜は見えるかな・・と心配する母に、
いっぱい桜の思い出を作ってもらいたいから。
お弁当を持って母と二人で桜の下で楽しんで来たい。
そして、桜の写真を撮って、
入院している友人に見せてあげようと思う。
スカーレット
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