スカーレットの心のつぶやき
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2007年09月30日(日) ミャンマー

ミャンマーで撃たれて亡くなった長井さんの写真を見た。

ショックだった。

1メートルくらいの至近距離から撃たれて倒れている姿、

そしてビデオカメラを頭の上に置き

まだ撮影しようとしている姿は

最期の最後まで、プロのカメラマンとして生きた姿だと思う。

今治に居る年老いた両親の気持ちを思うと胸が痛む。

治安の悪い所で真実を報道しようとすれば

命と引き換えになるのは分かっていて

それでも、その場へ行こうとしたのは

カメラマンとしての鏡であろう。

命よりも重いものはないという。

でも、この写真を見て

長井さんのプロ意識、

真実を追い求め伝えようとする気持ちは

命と同じくらい重いものだと思った。

それにしても、ミャンマーの軍政府には憤りを覚える。

昔から日本と昔のビルマとの関係は深いものがある。

先の戦争中、植民地支配していた英と戦うため

ビルマ独立義勇軍が結成されたが

彼らを指導していたのは日本部隊だった。

そして、独立義勇軍は英をビルマから追い出すことが出来た。

その後、日本の支配からも独立したミャンマーが

独立のためには武力が必要だと思うのは当たり前だ。

しかし、民主化を阻む軍は許されない。

中国が政府に何か関わっているということを聞く。

欧米ではミャンマー政府への抗議と制裁を始めた。

日本はいつものことながら

人道的な事柄からには二の足を踏んでいる。

ミャンマーが中国だけに傾斜していってもいいのか?

日本は独自の立場でなんらかの対応が急がれるのでは?

一人の日本人が殺されたのだから。


2007年09月29日(土) 要ることを

話は必要なことを言えば良い。

余計なことは言わないのが賢明だ。

でも、必要なことさえ言わない人が居る。

相手にとってそれが大したことではないにしても

私にとっては知っておきたいこともある。

その典型が夫だ。

昨夜、夫は、今日の仕事が休みだと言わなかった。

日曜日と月曜日が続いて休みなのだから

土曜日は仕事だと私が思っていても当たり前だ。

主婦にとって、夫が休みだと自由に動けない。

お昼も自分だけだったら何でも良いが

夫が居るとそうはいかない。

今日は、娘は模試があり登校する。

夫も仕事で居ない。

私一人の時間が持てると内心嬉しかった。

夫が居ても邪魔だというのではないが

一人と二人では何か違うのだ。

束縛されているわけではないのに

何故か不自由さをおぼえる。

今朝、私が嫌だと思ったのは

今日、夫が休みだということを言わなかったことだ。

別に休みはかまわない。

でも、一言言ってくれていれば良いのにと思ったのだ。

要らぬことを言わない人は

必要なことさえ言わないのだ。

夫に何故言ってくれないのか?と聞いたら、

それなら仕事に行くと言った。

そんな問題ではない。

一言前の晩に分かっていることを言ってくれたら良いのだ。

問題のすり替えが上手い、まるで朝日新聞のようだ。

物事の根本と違った方向に思考回路が働くことが

私の理解の範囲外なのだ。

ああ〜こんな人だと思えばいいのかな・・

やはり、要ることは言うべきだと思うのだが。




2007年09月27日(木) 抜糸はしたものの

予定通り、14日に手術

18日に退院した。

昨日は抜糸。

でも、まだ不自由している。

手術は思ったよりも時間が短くて済んだ。

重症だったから医者は1時間はかかると言っていた。

でも、正味15分、

前後の準備と後の処置を含めると1時間かかった。

術前から24時間点滴が始まり

入浴もままならず。

術後は右手に点滴、左手は大きな包帯と

何をするにも不便だった。

たったこれだけのことで

いかに手が不自由なく使えることが

有難いことか骨身にしみて分かった気がする。

術後の痛みは相当のものだったが

それでも痛み止めの薬や座薬を使うことをせず

我慢した私を看護師さんが褒めてくれたのが照れくさかった。

退院はもっと後の方が良かったのだが

娘の体調がよくないとの連絡が入り

心配で寝ているわけにもいかず

また、家事を任せた夫も限界に達していたようで

予定通りに退院した。

退院して直ぐから始まったリハビリは今も続いている。

手術した甲斐がなくなったら

何もならないと思って

痛みをこらえてリハビリしている。

一週間で大分動くようにはなった。

でも、完全に痛みはなくならないとのこと。

何せ、手術する時期が遅かったのだから仕方ない。

来年の初め頃には少しはましになると言われた。

今はまだ水仕事は大きな手袋をはめてしている。

野菜を切ることがこんなにも大変だったと思い知った。

それでも、毎日時間をかけて頑張っている。

どうにかPCのキーも左手を使って打てるようになった。

後は抜糸後の傷口が開かないことを祈るばかりだ。

術後三週間後になる10月の上旬には水仕事も出来るだろう。

それまではリハビリも気をつけながらやろうと思う。

皆さんにはご心配をおかけしました。

励ましやお見舞いのメールをいただいた方々に

心からお礼を言います。

「有難うございました」


2007年09月10日(月) やはり手術することに

色々と迷ったけれど、

将来、母の看護をするときにも

私の指が痛かったら出来ないし、

今がその時期かもしれないと思って

予定通り、手術することにした。

10日間家を留守にするのは心配だし

母のことが一番の心配事だけれど

10日は忘れて自分の指を治すことに専念しようと思う。

色々と気遣ってくれたメル友さん

本当に有難う!

行って来ます。


2007年09月09日(日) 迷っている

あすの入院、14の手術をやめようかと迷っている。

母の膝の具合が本当に悪く、

痛み止めの座薬の副作用で胃腸をやられたみたい。

歩くのも難儀で、本当に放っていられないのだ。

母に「手術を延期しよう」と言うと

母は「私のことは良いから、手術して」と言った。

今のこの時期を逃したとしたら

今後の症状や次の手術が保障されない。

もしかしたら、今のまま症状が一定しているかもしれないし

医者の言うように、その時には手術できなくなり

しても良くならない状態になっているかもしれない。

その不安もある。

娘の大学入試問題より母のことの方が心配なのだ。

迷っている。

明日の今日になってこんなに迷うなんて・・

でも、どうしよう・・

日記は昨日で休むと言っていたのに

つい迷いを書いてしまった。

ああ〜どうしよう・・


2007年09月08日(土) 退院したら

昨日のランチバイキングは

初めてランチタイムを完全に制覇。

何と11時半から3時半まで居て

食べてしゃべって・・

本当に楽しかった!

食べ貯めが出来たら良いけれど・・

これが出来ないのが残念。

でも、栄養補給も出来たし満足だった。

入院は明後日月曜日なのだが

母の膝の具合も悪く、

また買出しやら、家事やらで忙しいので

日記は今日で一応休むことにする。

また、退院したら書くのでよろしく!


2007年09月07日(金) ランチバイキング

月曜日からの入院を前に

買出しや気持ちの準備もあるが

今日は、親友と二人で

前にも行った自然農法のレストランへ

ランチバイキングを食べに行こうと思う。

私が入院する病院の食事はあまり美味しくない。

心臓食だから、塩分も控えめだし

カロリーも1600キロカロリーなので

量的にはちょうど良いが、味付けが今ひとつなのだ。

だから、入院したら必ず体重が減る。

ひどいときは2キロくらい痩せる。

3月にバセドウ氏病を発病して

38キロまで痩せてしまっていたが

最近やっと42キロ近くまで太ることが出来た。

でも、きっと入院したら40キロに減りそう・・

だから、今のうちに美味しいものを食べようと思ったのだ。

今日も朝はスイカだけにしてお腹を減らして

お昼は色々なおかずを心おきなく食べてこようと思う。

デザートも種類がいっぱいあるから楽しみだ。

でも、食べ過ぎないようにしないとね。

親友に笑われそうだ・・


2007年09月06日(木) 最後の運動会

昨日、娘の高校の運動会を見てきた。

幼稚園から高校まで、15回の運動会、

今回が娘にとって最後の運動会だ。

お天気はまさに運動会日和で

西風はあったものの、暑い一日だった。

娘の高校は運動会が一年中で一番意味のある行事になっている。

「がんばっていきまっしょい」のボートレースや

リレーカーニバルもあるが、

何といっても運動会に勝る競技会はない。

4つのグループに分かれて、

それぞれのグループがテーマの下、

心をひとつにして自分たちの手で

運動会を作っていく。

やぐらを組む竹取りから始まり、

夏休みも幹部たちは運動会の準備に余念がない。

後期の授業が始まってたった二週間で仕上げたとは思えない、

手の込んだ企画が次々と楽しませてくれた。

運動会の花形はなんと言ってもリレーだ。

でも、娘は運動会のスターになることはなかった。

走るのが速い親はまるで我が事のように必死で応援している。

家族の崩壊が叫ばれる昨今、

自分の子どもが頑張る姿を応援している家族を見ると

何か嬉しくなる。

今年、グランドで行われる劇の台本を娘が書いた。

台本を書き、キャストの設定から舞台監督までした娘にとって

結果はどうであれ、きっと思い出に残る

感動の一日だったに違いない。

何か大きなことをし終えたように

疲れて眠っている娘の寝顔を見ながら

私は心から「お疲れ様」と声をかけた。

今日から来年の大学受験に向けて

本格的な勉強体制に入るはず。

娘の思い出に残る夏は終わった。


2007年09月05日(水) 免許更新

昨日五年ぶりに運転免許の更新をしてきた。

私の誕生日は10月4日だから

書き換えの有効期間は、

昨日から11月4日までだった。

別に昨日行かなければならないわけではなかったが

私の性分上、どうせしないといけないことを

後に回すことが出来ず、思い立って行って来たのだ。

自宅から免許センターまでは23キロほどの道のりで

時間は40分から50分かかる。

朝8時から9時は通勤時間帯で渋滞するだろうと思い

午後の部、13時から14時の分にした。

車を走らせながら、ふとこの道でよかったのか?

急に不安になり、車を止めて夫にメールを送った。

夫からは、私が行っている道で合ってるとの返事。

無事着くことが出来た。

平日でも、大勢の人が来ていた。

手続き費用を払って、視力検査、写真撮影、講習と

久しぶりのことなので忘れてしまって、

視力検査をする前に写真撮影の部屋へ行き

担当の人に笑われた。

視力は以前より落ちていると思ったが

眼鏡は必要ないとOKが出てよかった。

写真撮影の時は歯を見せて笑ってはいけないと思い、

目と口元だけ笑顔にしたら、

何か変な感じに仕上がっていた。

無事故無違反だから優良講習だったので

ビデオを見た後少しだけ話を聞いて終了。

ビデオを見ていて、交通事故の恐ろしさを改めて思った。

帰りの道は制限速度を守って走る車の後を走ったので

時間は行きよりもかかったが、それでも余裕で走らせることが出来た。

次の更新は五年後の平成24年だ。

娘が23歳になっている。

もう大学を卒業している年だ。

その頃、母はまだ元気で居てくれるだろうか。

私は60歳の還暦だ。

何か信じられない気がする。

でも、次の更新までの5年間も

無事故無違反で走ろう。

免許を取り、

初めて車を走らせた時の気持ちを思い出し。

交通事故を起こさないようにと

気持ちを新たにした。


2007年09月04日(火) 人として

最近のニュースを見ていると

人間の資質とは?を考えさせられる。

この頃、毎日のように流れる

朝青龍の一件は、

彼の横綱としての地位や名声よりも

一人の人間として問われるべき問題があるように思う。

日本人でないから分からないこともあったのだろうが

やはり、人として何かが欠けているような気がするのだ。

また、昨日は、安部改造内閣の遠藤農相が辞任した。

政治家とは何か?

国民のため、国のために

命をかけて働く気概を持った人がどれだけ居るのだろうか。

戦後の日本は経済的に著しい成長を遂げ

豊かな暮らしと平和を維持できるようになった。

でも、その中において

人として何が大切なことなのか?を

忘れているような気がしてならない。

学校でも社会でも

人の命をなんとも思わない人が増えている。

その結果、いじめによる自殺や

凶悪な犯罪が増えてきた。

日本は中国を批判する。

中国という国のあり方や中国人のマナーの悪さを

非難するが、

最近の日本、日本人を見ていると

中国を笑う権利はないような気がするのだ。

戦前の日本人には心があった。

人を労わる心、

目上の人を敬う心、

嘘を言わず

人のために尽くしたいと思う心があったように思う。

私は戦後生まれだから

これらは本で知るしかない。

学校でも教えられることはなかった。

でも、私の両親や祖父母を見てきて

昔の人の生き方と今の人の生き方には

何処か違う点があると思うし、

お互いに分かり合える部分が少ないと思うのだ。

これは、戦後の教育を受けて育ったものに

欠けているものがあるからだと思う。

最近は直ぐに切れる大人も増えてきている。

子どもたちだけではなく、大人の世界も荒れてきているのだ。

公のこころをなくし

自分だけ良かったら良いという

間違った個人主義が蔓延した結果が

今の日本の姿を招いたのだと思う。

人として生きる意味を考えてみたい。

そして、いくら不器用でも金儲けが下手でも

真面目に真っ当な人生を歩んで逝った

父を今になって尊敬できるようになった。

私も父のような生き方がしたいと思う。


2007年09月03日(月) 今夜は豚汁

9月に入り、少し秋めいた風が吹き始めたが

まだまだ日中は真夏のような暑さだ。

こんなに暑い日は

暑気払いをしようと、今夜は豚汁にすることにした。

娘が、「お母さんの豚汁が飲みたい」と言ってくれたせいもある。

深めのお鍋いっぱいの豚汁を作った。

中に入れる具は

冷蔵庫の中にある有り合わせの野菜。

ナス、にんじん、大根、ごぼう、サトイモ、ジャガイモ、かぼちゃ、

たまねぎ、長ネギ、そして豚肉。

ごぼうの笹がきをするときに右手の親指がとても痛かったが、

歯を食いしばって頑張った。

豚肉をいれてアクを取り、数分煮込み

味噌の半分の量を入れて味見。

少し味噌が薄いかな・・・

後半分の味噌を入れて、鍋のふたを閉めた。

食べる前にひと煮立ちさせたら出来上がる。

部屋中にごぼうの香りがしてきた。

ちょっと作りすぎたかな?と思うが

明日の朝、娘が食べていくだろう。

母にも持って行ってあげよう。

来週は私が入院するから

夕食もおざなりになるだろう。

栄養的には不安もあるが、仕方ない。

せめて、入院する前に

ひと手間入れた献立を考えよう。

今夜の豚汁に添えるメニューは

旬の枝豆とトマトにした。

栄養的にも良いと思う。

さて、今夜の食卓で

夫や娘は「美味しい」と言ってくれるかな?

期待しないでおこう。


2007年09月02日(日) 秋の気配

9月に入り、外を吹く風が少し秋めいて来たような気がする。

日中はまだ30度を越える気温で暑いし

冷房をつけてしまうが

夜は扇風機だけで過ごせるようになった。

私が寝ている部屋は庭に面しているから

夜になると

蟋蟀のリンリンという鳴き声や

カネをたたくようなチンチンという虫の音が聞こえてくる。

この間まで蝉の鳴く声がうるさいを感じるほどだったのに

知らぬ間に秋の気配を感じるようになっている。

昔から

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように

今月の秋の彼岸を過ぎると本格的な秋になるのだろう。

朝明ける時間も遅くなっているし

日が暮れる時間は早くなっている。

朝5時はまだ真っ暗だし

午後7時は暗くなってしまった。

秋分の日が来たら、今度は昼が見十買うなっていく。

秋の日は釣瓶落としという言葉を

実感する日ももう直ぐだろう。

秋は、私の一番好きな季節だ。

猛暑の夏を過ぎ、弱ったからだが

元気になれる季節だ。

一日一日が愛しく感じる日がやってくる。

後少し、夏ばてしないように頑張ろう。

10日間の入院も

いつも忙しくしている私にとって

良い骨休めになるはず。

退院する頃には、また秋が近づいているだろう。

生きていることは当たり前ではない。

このことを忘れないでいようと思う。


2007年09月01日(土) 入院&手術決定

やはり手術することに決まった。

昨日は整形外科へ行き、

医者に事情を話して

何とか薬を飲みながらの手術ができないものか頼んでみた。

健康な人なら10分ほどで済む手術だそうだ。

でも、私の場合はもしものことを考えると

最善の方法を取るべきだと言った。

結局、飲んでいる薬を止めて、

その代わりにヘパリンを点滴の中に入れて投与しながら手術になった。

そのためには最低10日は入院が必要だ。

来年まで延ばしたら、

親指が固まってしまって動かなくなってしまう。

出来るだけ早く手術しないと大変だと言われた。

ここまで医者に言われたら仕方ない。

医者に任すしかない。

結局、今月10日に入院して

14日に手術することが決定した。

順調良く行けば19日には退院できるだろう。

家族には迷惑をかけて申し訳ないと思うが

夫も娘も了解してくれた。

でも、母のことが気になる。

母は膝の具合が悪くなっている。

整形外科への送迎や買い物は私が車でしている。

私が居ない間、タクシーを使ってするからとは言うが、

買い物はカートを押して歩いていくことになるだろう。

母に負担がかかって、これ以上悪くなったらどうしようと心配だ。

10日間だから短いといえば短いのだが。

家庭の主婦が入院するとなると大変だ。

やはり健康が一番。

無理をしないで、労わることも必要だとつくづく思う。

今日は、私たち夫婦の22回目の結婚記念日だ。

さっき、夫に「今日は何の日?」と尋ねたら

笑いながら「結婚記念日」だと答えた。

覚えているのだな・・と感心した。

今夜は三人で外で美味しいものを食べて

お祝いしてこようと思う。

家族が皆元気で過ごせることが一番の幸せだ。

不満も色々あるけれど

原点に戻らないといけないと私自身に言い聞かせている。


スカーレット