スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2006年12月25日(月) ささやかなクリスマス

今年はクリスマスどころではないと思っていたが

浮かれてはしゃぐわけではないし

いつもと同じように夕食の時に

プレゼントの交換をするくらいだから良いと思って

昨夜はささやかなクリスマスをした。

手作りのチーズケーキと

クリームシチューと

サラダとシャンペンと

買ってきたローーストチキンは

暗くなりがちだった

最近の食卓を明るく楽しいものにしてくれた。

夫に「お父さんが悪いのにクリスマスなんか祝ってごめん」と言ったら

夫は「いいよ」と笑っていた。

こんなささやかなものでも

やはり気分的には楽しいものになった。

夫からはプリントジェット用の和紙のハガキを、

娘からは来年用の手帳がプレゼントされた。

私は夫にはDVDとハンカチを

娘にはコートをプレゼントした。

義母にはケーキを持っていって食べてもらった。

ケーキは評判がよく

これは売れると言って貰えた。

昨夜のクリスマスはやってよかったと思う。


2006年12月24日(日) 気持ちが・・

この数ヶ月、私の気持ちは色々と揺れ動いた。

父が亡くなり

母を支えていこうと決めて以来

今まで色んなことで思い悩んでいたことから

さよならをした。

そして、とても穏やかな気持ちで日々を送っていた。

でも、義父が入院、父と同じ道をたどっている姿を見て

父が亡くなったときのことが

まるでフラッシュバックのように

私を襲ってくる。

考えないようにしよう。

なるべく笑っていようと思っていたが

毎日義父の病院へ行き

顔を見るのがとても辛くなった。

今日はクリスマスイブ、

お祝いをする気持ちにはなれないけれど

それでも世間並みにケーキを焼き

今夜のご馳走をこしらえた。

ささやかな三人だけのクリスマスをしようと思う。

そして、義父が今年いっぱいもってくれますようにと

心から祈りたい。

お正月を迎えることが出来たら本当にいいな・・

私も来年は決心していることがいっぱいある。

それに向かって一つずつ進んで行こう。

過去とは決別して前だけ見て歩こう。

父の思い出は思い出として

でも、今生きている私自身の人生も考えよう。

私が主人公である私の人生を

後悔しないように歩いていきたい。

切り捨てるものは切り捨てていきたいと思う。

気持ちは日々変化するが

この気持ちだけはいつまでも持ち続けたいと思っている。


2006年12月23日(土) 検査の結果

昨日、娘を整形外科へ連れて行き診察してもらった。

娘は先生に聞きたいことがいっぱいあったようだが

いざ、先生の前に座るとあまり言えなかったみたい。

それでも、痛みの経過をちゃんと話しはしていた。

先生が痛い箇所を動かしてみたときには

悲鳴に近い声をあげていたが

検査(レントゲン)の結果

骨には異常ないとのこと。

股関節の周りが少し炎症を起こしているといわれた。

血液検査もする必要はなく

骨肉腫でもないと言われた。

ほっとした。

同じ痛みは続いていても気持ち的に安心できる。

何か原因は?と尋ねられて

娘は心当たりはないと答えていたが

私にはあのとき?と思うことがある。

それは先週の土曜日に

夫と卓球をしに行った。

きっと横への移動で足の付け根に無理がいったのだと思う。

日にちが経てば治るだろう。

ひとまず安心したが

やはりおかしいと思ったら病院へ行き

検査してもらうのが一番だとつくづく思う。


2006年12月22日(金) 娘の足の痛み

一昨日から娘が足が痛いと言っていた。

大げさな子なのでいつものことかと気に留めてなかった。

昨日は朝から相当の痛みがあったと言い

夕方になってついに泣き出した。

17歳になって泣くとは!

呆れる気持ちが強かったし

私も体調が悪かったのであまり親身になって心配してやらなかった。

これが喧嘩の元。

夜、母に同じことを訴えると

母はシップを貼ってやっていた。

一昨日は、学校でも相当痛んだと言う。

娘は骨肉腫かもしれないと言っている。

私は絶対にそんなことはないと思うのだが

母は診てもらう方が良いと言った。

生憎、昨日は午後は近くの整形外科は休診なので

今日高校へ迎えに行き

帰りに連れて行こうと思う。

以前も同じようなことで行ってレントゲンを撮って貰った。

その時は異常なしで良かったから

今回も多分大丈夫だと思う。

それでも、娘の痛みは辛いだろうし、

検査してもらって異常がないと分かったら

同じ痛みでも気持ち的に楽かもしれない。

私は自分が生まれた時から病気の連続だったから

案外病気について鈍い。

そして心配をあまりしない。

でも、人は皆違う。

病気をあまりしない人ほど

病気を恐れているし大げさなのだろう。

まあ、今日連れて行ったら結果が出る。

その時になって考えれば良い事だ。

でも、私って冷たい母親なのかな・・・


2006年12月21日(木) 嬉しい連絡

今朝、家事の途中に携帯へメールが入った。

思ってもみなかった人からのメールだったので

驚いたし嬉しかった。

大学の時の友人で数年前に偶然再会したものの

それ以降はお互いに連絡もし合わない間柄になっていた。

昨日、新聞の読者投稿欄に載った

私の投稿を読んでくれたという連絡が来た。

そして、やはり大学のときの

フォークソング部で一緒だった

一年先輩の人が私の声を聞きたいと言ってくれているので

連絡してほしいと職場の電話番号を書いてくれていた。

意外だったが懐かしくなって

早速電話を入れた。

何十年ぶりだろう。

お互いの近況報告をして

いつかまたあの当時のメンバーと集まりを持とうという話になった。

毎年皆で忘年会をしているそうだ。

私は大学二年の終わりから体調を崩し

部活もしたりしなかったりだったので

あの頃の思い出は一年の時のことしかない。

でも、知っている人と再会して

四方山話をするのも悪くない。

何かとても楽しい気分になった。

今年は父の死、義父の入院と良いことがあまりなかった。

でも、人生ってやはりうまく出来ているものだ。

喜びと悲しみの帳尻は合うようになっているのかもしれない。

また元気が出てきた。

期待しないで待っていようと思う。


2006年12月20日(水) 体調不良

昨日は義父のためにも体調を崩さないようにしようと思っていたのに

夕方から具合が悪くなって

ご飯も食べることが出来なかった。

夫と娘が帰宅して

洗濯物や夕食の用意をするのが精一杯で

頭痛とめまいと左手の痺れで気分が悪くなった。

この数日前からこんなことが起きるようになった。

眠れない時とは少し違う。

私の場合は人工弁にしているので

血栓が出来安い。

数年前、まだ父が元気な頃同じように

左手がしびれてきて

父がタクシーでいつもの心臓の病院へ連れて行ってくれたことがある。

今回はそこまでではなかったものの

やはり、自分では気づかない疲れが出ているのだろうか。

娘は早く病院へ行ったらと言った。

夫は私のことどころではないから何も言わない。

自分の体のことは自分が一番よく分かるので

これは過労と睡眠不足によるものだと思う。

昨夜も9時に寝たから今朝は症状は起きなかった。

でも、朝から本当に忙しくてばたばたしている。

これから娘の高校の個人懇談に出かけないといけない。

主婦には休みはないものだとつくづく思う。

でも、体あってのこと。

気をつけなくちゃ。


2006年12月19日(火) 義父の看護

義父の容態は相変わらずだ。

毎日病院へ行っているが

私に出来ることはほとんどない。

私の父の時は私が主に付き添って父を看た。

でも、今は義母が付き添っている。

私は頼まれた買い物や

義母の病院への送迎、

義母がお風呂に入りに帰っている間の

義父の看病くらいだ。

昨日はそのお風呂の日だったので

私が義母の代わりに三時間ほど付き添っていた。

義父はほとんど食べなくなった。

モルヒネの貼り薬をお腹に貼ってからは

痛みも不快感も感じないみたいだ。

そして、いつも寝ている。

目を開けたから少し話しをしてみるが

一言二言話すとまた寝てしまう。

昨日は寝たままトイレがしたいというので

尿瓶でとってあげた。

男の人の尿をとるのはこれで二回目だ。

父は亡くなる前日まで自分でトイレに行っていたから

私が尿瓶で取るということはなかった。

数年前夫が入院したときに動けなくて

一晩付き添ったことがあるが

その時に尿瓶で尿をとってあげて以来のことだった。

普通なら息子の嫁にとってもらうのは恥ずかしくて嫌なはずだが

義父は抵抗感もなくすんなりと取らせてくれた。

段々と弱っていく義父を見ていると辛くなる。

父の最期とダブってしまう。

今、私に出来ることは

元気にしていて義母をサポートしてあげることしかない。

体調を崩さないように気をつけて頑張りたいと思う。


2006年12月18日(月) 浅い眠り

この数日、私の眠りは浅いものになっている。

何故か?理由は分からない。

昨夜も9時に布団の中に入ったが

すぐに目が覚めてしまった。

まだ11時頃だったと思う。

それから3時半までうとうとしただけ。

本当に寝たという気がしない。

別に悩みもない。

胃の痛みもない。

むしろ最近の私の心は安定している。

ただ、ひとつ思い当たることは・・・

満足な食事をしていないことだ。

母の家で夕食を食べていた頃は

母が用意してくれたものを美味しいと思って食べていた。

でも、夕食を我が家で食べるようになって

この10日ほどろくなものを食べていないのだ。

夫と娘のためにはきちんと食事を作る。

栄養も彩りも考えて献立を立て作る。

でも、自分が作ると食べたくなくなるのだ。

昨夜も肉じゃがを作りみそ汁と酢物を作ったが

用意した段階で食べたくなくなった。

牛乳を飲み、おかきをつまんで終えた。

寝るときに空腹だとは思わなかったが

きっと満腹感のないお腹が不満を訴えていたのだろう。

これでは体に悪い。

少しはまともな食事をしないといけない。

でも、誰かが作ってくれたらいいのにな・・

たまには休みたいよ!

満腹になって眠ったら

浅い眠りも深いものに変わるかも?


2006年12月17日(日) 変だ

いくら考えてもやはりおかしい。

新聞をはじめマスコミは本来公平であるべきだ。

しかし、最近の新聞やTVを見ていると

反体制側の意見ばかりが強調されているように思う。

特に○日新聞やTV○日は

まるで共産党の手下のような発言や記事を載せている。

そして、その影響は地方新聞にまで及んできた。

私が時々投稿している新聞の意見を述べる欄では

左翼の手先かと疑いたくなるような意見を見る。

例えば、靖国神社参拝問題、

日中関係の問題、

憲法改正問題、

先の戦争問題、

愛国心を含む日本人の心、

そして、昨日参議院で成立した

改正教育基本法問題については

いつも反対意見ばかりが掲載されている。

私だけでなく誰が戦争問題についての事実を投稿しても

愛国心、武士道精神について投稿しても

決して採用されないのだ。

ほかの問題で投稿したときには載るのに

こういった問題について

新聞社側と反対意見を述べた場合は必ず無視される。

しかし、新聞は公平に意見を述べるべきだと思う。

人の意見はさまざまだ。

意見の違いがあるのは当たり前。

でも、それを一方的な意見ばかりを採用するのはいかがなものかと思う。

TVや新聞は人の考え方に影響する。

やはり公平であるべきだと思うのだが・・


2006年12月16日(土) 改正教育基本法成立

安倍内閣が最重要法案としていた

改正教育基本法が成立した。

この改正には反対する人たちが大勢居たが

成立したことはとても喜ばしいことだと思う。

今回の改正は昭和22年以来のことだ。

戦後GHGの占領政策によって

戦前の教育を全て否定して

アメリカにとって都合の良い日本人を作り出すための

憲法をはじめ、教育基本法も作られたことを思うと

今回の改正は日本国として当たり前のことだと思う。

教育の憲法である教育基本法は

「公共の精神」の重要性を強調したものになった。

私が日ごろから思っている

本当の意味での国を愛する心を大切にして

これからの子どもたちへ伝えていくべきだということが

こうして実現できそうだということは嬉しい。

ただ、ひとつ心配がある。

それは学校で子どもたちに教えるとき、

決して強制するのではなく

戦前の日本人のあり方や

アジアで行った日本人の善行などを

事実として伝えていってほしいと思う。

そうでなければ

また左がかった人たちから

軍国主義の再来と言われる。

日本人の心を取り戻すためには

修身の時間を取り入れ道徳教育を

子どもたちの心に伝えるようなやり方で

行ってほしいと思う。


2006年12月15日(金) 灯油

昨日、考え事をしながら

ファンヒーターに灯油を入れていて

きちんと蓋をしめてなかったため

タンクを持ち上げた途端灯油がこぼれた。

「ああ〜〜!!」と思ってこぼれる灯油を見つめていた。

それでも本能的に缶を拾い上げた。

こぼれた灯油の量はそれほどではなかったものの

セメントの床とかかった服の臭いに閉口してしまった。

床には新聞紙を敷き

着ていたものを脱いで洗濯した。

洗濯機を使うと臭いが残りそうで手洗いをした。

それでもまだ臭いが残っていた。

ファブリーズをしたがそれでも気になる。

昨日は雨だったから外へ干すことも出来なくて

部屋干ししたために部屋の中まで灯油の臭いが充満してしまった。

今朝は少しはましだ。

灯油を入れるのってこれだから苦手なのだ。

手についた臭いもたまらない。

この臭いを取り除く方法はないものだろうか?

服に染み付いた臭いを綺麗にのけてくれるものはないのかな?

外へ干して風に当てて気化さすことしかないのかな?

誰か知っていたら教えて欲しい。


2006年12月14日(木) 私の今の心の支え

今、私はとても安定した心を持つことが出来ている。

こんな気持ちで日々を送ることが出来ることは

本当に幸せだ。

毎晩、私の心の支えになってくれる

写真を見ては「おやすみ」と声をかける。

朝は必ず写真に向かって「おはよう」と言う。

いくら忙しくても

いくらしんどくても

決して愚痴をこぼすことなく

心を元気に頑張ることが出来るのも

皆、今の私の心の支えがあるおかげだ。

私は変わった。

これは自分でもよく分かる。

私が変われば周りも変わる。

実感している。

良かった、本当に良かった。

こんな気持ちになれたのも

皆、私の心の支えになってくれるあの写真のおかげだ。

会えなくても、声が聞けなくても良い。

私の心の中に存在してくれるだけで良い。

私はそれで幸せ。

そしてこれからもずっと・・

同じ気持ちで居られると信じている。

今年も色んなことがあったけれど

やはり私には強い心がある。

いつまでも今の私で居たい。

心からそう思う。


2006年12月12日(火) しばらく

土曜日に行った時には

変化なかった義父の病状が

昨日行ったら悪くなっていた。

日曜日は用があり行けなかったことを後悔している。

顔と体が黄色くなっていた。

医者から話を聞くと

やはり急に悪化したみたいだ。

黄疸が出始めたのだ。

肝機能が悪く、

黄疸がこのままひどくなると

食欲もなくなり

吐き気もして食べられない状態になるという。

そして、意識も混濁してくると聞いた。

二十四時間点滴をしても

義父の苦痛を長らえるだけなので

このまま何もしないほうがいいとも聞いた。

6月に亡くなった私の父と同じだ。

もうなすすべがない。

衰弱して意識もなくなるのを待つしかない・・

辛いけれど仕方ない。

後はただ義父が楽に居てくれることを願うしかない。

奈良県に居る夫の兄は仕事が忙しく

お正月にしか帰れないと言っていたが

もし、間に合わなかったら・・と思うと・・

今、まだ話も出来る時に帰って欲しいと思う。

どうか、義父が今月いっぱい持ってくれると嬉しい。

私の今出来ることをしよう。

しばらくHPもできるときに更新することにしよう。

後悔したくないから・・


2006年12月11日(月) 親殺し子殺し

今朝もニュースで

母親が幼い子どもたちを殺したことを知った。

その母親は自分も死のうとして薬を飲んだという。

今年ほど親殺し、子殺しが多かった年はない。

昔、貧困で仕方なく子どもを間引くことがあった。

また姥捨て山という言葉のように

働けなくなった親を捨てる話も聞いたことがある。

しかし、今の世の中のように

原因も定かでなくただ、親や子の一時的な腹立ちや

エゴイズムで殺すことはなかったはずだ。

おかしい。

本当に変だ。

これも、戦後のアメリカが

日本人の心と日本を壊滅しようとたくらんだ

目論見が成功したと言うしかない。

日本人の精神は弱体化され

何をしてもむなしいという虚無感に包まれた若者や

何をしても報われないという気持ちから

働く意欲をなくした人々、

また、自分自身の快楽のためには

人の心を踏みにじってみいいと思う人たちが増えたせいだと思う。

日本は滅びる。

今のまま行けば必ず滅びる。

私はそう思う。

今食い止めなければこのまま暴走する。

私は声を大にして言いたい。

あの日本人の心に流れていた

武士道精神を取り戻そう。

教育改正をして子どもたちに

昔日本がどれだけ素晴らしいことをしていたかを

伝えよう。

そうしないと後悔する。

今しかない。

戦後アメリカによって洗脳された人たちに

目覚めてほしいと心から思う。

左翼的になった国が繁栄した試しがないことを

もう一度考えて欲しいと思う。


2006年12月10日(日) さあ、来年は頑張るぞ

平成十三年の秋、

漢字能力検定試験二級に合格した。

大学卒業後、車の免許を取るために勉強した以外は、

子育てと家事に明け暮れていた私にとって、

さび付いた頭をフル稼働させての挑戦だった。

確かに勉強は大変だったけれど、

自分のための充実した時間を持つことが出来て良かったと思う。

あれから五年、今度ある資格取得のための勉強をしようと決めた。

資料を請求して取り寄せた。

私が以前から興味のある分野の資格だ。

だから、資料を見てやる気が出てきた。

費用も結構かかる。

お金を払って勉強する限りは

途中で投げ出すわけにはいかない。

義父が入院中でどうなるか分からない今、

やめたほうがいいと言われたが

夫に話すとやってみたらと言ってくれた。

娘には「ヴァイオリンは途中でやめたろ?」と言われてしまった。

確かに父の看護で練習できなく今は放っている。

娘に言われなくても分かっている。

それなりの覚悟をして挑戦しなきゃ。

合格するかどうかは分からない。

でも、今の世の中で必要な勉強が出来ることが嬉しい。

四ヶ月間の添削指導を終了後、

資格試験に合格すれば取得できるが、

安易に考えていたら駄目だ。

さあ、資格取得目指して一生懸命頑張りたい。


2006年12月09日(土) 愛国心

「国を愛する心」愛国心って悪なのだろうか。

私は今の時代だからこそ

教育の現場で「愛国心」を教えることが大切だと思う。

修身や倫理、道徳授業をもっと増やすことで

子どもたちへ人としてあるべき心を伝えることが肝心だ。

「愛国心」を持つことが軍国主義につながるという人が多い。

今朝も新聞でその旨を投稿していた人がいた。

私が今読んでいる特攻隊で死んで行った人たちの遺書を読んでいると

決して美化されたことだとは思えない。

そして「愛国心」の中に流れる不安などを覚える方が不思議だ。

あの人たちの心に流れていたのは

本当に郷土や家族、国を愛する美しい心だと思う。

今のこの平和な時代に生きている人が

あの時代の心を否定する権利などないはずだ。

それは今の人たちの傲慢さにつながる。

当たり前だった日本人の心を

今こそ取り戻すべき時だと思う私が間違っているのだろうか。

歴史の真実を知るにつれて

あの大東亜戦争を悪だと決め付けることは出来ないし、

あの時代の人の心が間違っていたとは言えないと思うようになった。

本当に国を愛する心は日本人にとって大切なものだと確信している。


2006年12月08日(金) 木の上の猫

先日の徳島県の「がけっぷち犬」に続いて

今、兵庫県の公園の大きな松ノ木に上がったまま

降りられなくなった猫のことが取りざたされている。

犬に追いかけられたためだという。

5日間、飲まず食わずで寒さに耐えていると言う。

この猫は数年前から公園に住み着いている猫だそうだ。

白くて丸々と肥えた猫だ。

何でこんな木に登ったのだろう。

降りてこられると思っていたのが

犬のいじめで降りるのが怖くなったのかな?

猫って塀の上からも平気で飛び降りる。

体が柔らかいし上手く降りることが出来るはず。

この猫は太り過ぎたのかな?

また救出作戦が取られた。

自分で降りようとするがなかなか降りられない。

自分でどうにか降りてきたら

下で見守っている人から

大きな拍手が沸くだろう。

そして、あの犬と同じように

誰か優しい人にもらわれるかもしれない。

でも、本当は公園で一人で好きなように暮らすのがいいのかも?

見守るしかないな。


2006年12月07日(木) 嫌になる  つながった

5日から今日まで三日間、

ホームページビルダーで作成している

トップページが更新できない。

サーバーとつながらないのだ。

今までもたまにこういうことはあったが

今回のように数日続いているのは珍しい。

だから、このつぶやきや思うままには更新できても

トップが変わらないから休んでいると思われる。

絵手紙も新しくなっているのにな・・・

まあ、それはいいのだけれど・・

早くつながるといいのに。

これって、私にしばらく更新を休めと言っているのかな?

ちょっと嫌になっている。

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半分諦めていたが

今再挑戦してみたら

やっとつながりトップも絵手紙も更新できた。

良かった。

何でもそうだが

あまり深刻にならないほうが良い。

今の私のちょっと不快な体調も

またいつかきっと良くなるだろう。

不快な症状はなくなると信じよう。


2006年12月06日(水) 二日前が・・一番

私は子どもの頃から

何か楽しいことがあるとき

その日よりも

二日前が大好きだった。

わくわくする気持ちを確かめるのが嬉しかった。

何を着ようかな・・

何をしようかな・・

何を食べようかな・・

何を見ようかな・・

何をしゃべろうかな・・・

その楽しい事が違っていても

その日のことを想像して待つ楽しみは変わらない。

前日ではないのだ。

何故か二日前が良いのだ。

前日になるともう明日になってしまう。

今夜一晩寝たら色んなことを想像する日がなくなってしまう。

三日前だとまだ現実感が沸いてこない。

二日前になると本当にその日が来るのだという実感が沸いてくるし

一晩寝てもまだ一日残っていると思うと

安心できるのだ。

でも、これは楽しいことを待つ時だけのこと、

試験や手術を待つ時は

二日前であっても三日前であっても

前日であっても同じ不安がある。

まあ当日に比べると少しはましだけど。

今日は父のお正月を祝う「みんま」

一昨日から色んなものを準備した。

父の仏壇にもいつもよりも長い時間手を合わせた。

「明後日は今日よりも楽しい」

今までの私の経験から出た結論。


2006年12月05日(火) 心境の変化???

足の踏み場もないほど散らかっていた娘の部屋、

カーテンドアーで仕切られた

私の部屋まで占領されたいたもの、もの、もの・・

父が亡くなる前からずっと実家に寝泊りしている私も

そろそろ自宅に帰ろうと思っていたが

あまりにも部屋が片付けられていない現状は

呆れる以上腹立たしくて

娘の顔を見ると小言を言っていた。

最近の数日の寒さで本気で帰ろうと思い始めた。

でも、今の状態では帰ろうにも帰ることが出来ない。

せめて、占領している私の部屋だけでも

元のようにしておいてと言っておいた。

この間の日曜日、

私が親友とかまぼこ板の絵展を見に行っていた間に

娘は自分の部屋を片付けていた。

これには驚いた。

整然としているではないか。

後はベッドの上だけ。

昨日は娘のベッドメイクをし直し、

眠れるようにしておいた。

どうしたのだろう・・・

何の心境の変化だろう・・

不思議でたまらなかった。

でも、娘の言葉で納得した。

再来年の大学受験の志望校を決めたという。

合格は難しい大学だ。

それでもそこを目指すと言う。

やる気が出てきたのだろう。

部活も思いっきりやって後は勉強!

というわけにはいかないだろうが

それでも自分で部屋を片付け

勉強しようとする姿勢は感じられる。

合格不合格は別にしても

それまで努力することが大事だ。

この心境の変化が続いてくれることを祈りたい。

私も明日の「みんま」が終わったら帰ろうかな・・


2006年12月04日(月) 楽しかった!

昨日は本当に楽しい一日だった。

義父の入院以来気分的にも晴れることがなかったから

余計に楽しさが増したのだと思う。

かまぼこ板の絵展を見たことがなかった親友を誘い

彼女の運転で行ってきたのだ。

途中の風景も

城川で出会った作品たちも

皆心を和ましてくれた。

そして、高速ではなく下の道で帰りに寄った場所、

ちょうど木工とそば祭りをしていたのだが

そこで行われたイベントのビンゴゲームで

賞品をもらったのだ。

私はビンゴゲームはついてなくて

いまだかつて賞に入ったことがない。

そんな私が「名前ビンゴゲーム」で

リーチをかけたのが一番だった。

そしてビンゴになったのが二番。

司会者がカナダに行った時に買ってきたという

小さなガラスのコップをもらった。

外で行われたから寒くて寒くて・・

凍えそうな気がした。

出来立ての大判焼きを食べようと思ったら売り切れ・・

そんなこともあったけれど

まるで小旅行に行ったような気がして楽しかった。

また春になって

暖かくなったら何処かへ行こうねと言って別れた。

「友よ、運転お疲れ様、有難う、楽しかったよ」


2006年12月03日(日) 障害者自立支援法

昨夜NHK教育TVで

障害を持った人たちが集まり

障害者自立支援法改正によって

今までと違って生きることが困難になったと訴えていた。

「障害者自立支援法」と言えば

聞こえは良い。

しかし、それまでの法律では

国が費用を負担していたものが

4月から試行された法律によって

障害者が生活していく上で支援を受けていた費用の

一割負担をしなければならなくなったと言う。

例えば、外食してケーキを食べるとき

健常者はケーキ代だけ払えば済むが

一人で食べられない人が

食べさせてもらうサービスを受けると

そのサービス代を含めると倍の値段を払うことになる。

またお風呂に入ることや車椅子を押してもらって外に出ることに対しても

支援サービス代と一割障害者自身が支払うことになる。

街の人の声の中に

「介護保険も皆一割負担しているのだから

障害者も負担すべきだ」という声を聞いた。

老齢者で介護保険を使う人も

昔は元気で働き厚生年金や蓄えもあるはず。

その人たちと一緒に考えるのは変だと思う。

住み難い日本になったものだ。

障害者は自分が望んでそうなったのではない。

弱肉強食の社会ではなく

弱者が少しでも楽に生きて行ける世の中こそ

真の社会だと思う。

障害を持った人たちを自立させるということは

切り捨てるというわけではない。

今健康でいる人たちも

いつ自分たちが障害者なるか分からない。

その時、

自分が福祉を受けられる社会になってほしいと思うなら、

国として考えてもらいたいと思う。




2006年12月02日(土) 母に感心

昨日、ふた月に一度

カラーとカットをしている美容院へ

母と行ってきた。

母は髪の毛が薄くなり

部分かつらをしていたが

二年位前から

白髪と黒髪が混じった全かつらをかぶるようになった。

でも、地毛は伸びるから私が行く時に一緒に行き

カットをしてもらっている。

母はおしゃれな人だ。

髪の毛も放っておいてもあまり変わりないと思うが

いつも気にしていて綺麗にしている。

化粧も自然な化粧をして

服装もきちんとしている。

私はそういう母を小さい頃から見て育ったので

母と同じように髪や服や化粧はちゃんとして

いつ誰と会ってもいいようにしている。

人は見かけより中身が大事だと思うが

やはり見かけも大事だ。

というより、誰かのためではなく

自分自身のために身だしなみを整えている。

昨日行った美容院の先生のお母さんは

母よりも二、三歳年下の方でお元気な様子。

でも、痴呆が出てきているので

家族は大変だと先生が言っていた。

母は自分のことは出来るし、食事も作っている。

腰が悪いから杖をついているが

病院へは自分のためだと言って往復1時間かけて歩いて行っている。

頭もしっかりしていて痴呆はない。

耳が遠いから伝わりにくいことはあるが

理解力もあり時間を作って本も読んでいる。

色々なことを思うと

改めて母ってすごいと思う。

そして、そんな母を見習わなくてはいけないと思う。

父が亡くなって元気をなくしてはいけないと心配もしたが

母は元気でいてくれる。

本当に有難いことだと思う。

「母ちゃん、有難う、元気で居てよ」


2006年12月01日(金) かまぼこ板の絵展覧会

奥伊予の小さなギャラリーで開催されている

「かまぼこ板の絵展覧会」も残すところ後十日。

母と姉と三人で見に行ってきた。

今年の展覧会は忘れられない一生の思い出になりそうだ。

「人生泣いたり笑ったり」と題して描いたピエロの絵が

後援団体賞を受賞したのだ。

思ってもみなかった受賞の知らせは、

父が亡くなった日の朝、私の元へ届いた。

ベッド上の父に「私の絵が受賞したよ」と言うと、

父の苦しそうな顔に、一瞬笑顔が浮かんだ。
 
また表彰式が父の四十九日法要と重なり、

出席できないと諦めていたが、

館長の浅野さんから

「お父さんの遺影を持って出席して」と強く言われ、

法要の途中で抜け出し出席することにした。

父の写真を胸に抱き出席した私は、

審査員はじめ大勢の人たちから大きな拍手をいただいた。

父への最後の親孝行が出来たと思うと、

胸がいっぱいになり、

「有難うございます」と答えた声は震え、言葉にならなかった。
 
一枚の小さなかまぼこ板には、

描く人の人生や物語がある。

まさに「絵はこころの手紙」だ。

来年も私の思いを絵にしよう。

そしてたくさんの感動をもらいに展覧会を見に行こう。


スカーレット