スカーレットの心のつぶやき
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2006年07月31日(月) 授賞式

やはり行って良かった。

昨日は父の四十九日と納骨式と

私の「かまぼこ板の絵展」の表彰式が重なって

どうしようか・・と迷った末

授賞式に行こうと決め、

お寺で法要の準備をし

父に手を合わせてから

父の写真を持って城川まで車を走らせた。

今年の受賞者が集まった会場で

車だん吉さんを初め、審査員や来賓の方々

受賞者の家族の人たち大勢の前で

一人一人の作品が大きなスクリーンに映し出され

表彰をされるときにコメントまでいただくことができた。

父へ最後の親孝行ができたことも

皆の前で紹介してもらった。

涙を流して聞いてくれる人も居た。

父の法要のことはとても気になっていたけれど

母の言う通り

父はきっと喜んでくれたことだと思う。

私にとって一生に一度のことになるにちがいない。

私自身が出席することができ

感動や元気をもらうことができた。

本当に行って良かったと心から思う。


2006年07月30日(日) 四十九日

6月13日に父が亡くなって

明日が四十九日にあたる。

長いようでも毎日がばたばたと忙しく

早く過ぎていったような気がする。

一家の主人が亡くなると

後の色々な手続きが大変だったとは

本当に分からなかった。

また、七日ごとのおまつりや

お香典の整理や満中陰のお返し、

四十九日の準備、

新盆を迎える準備・・・

などなど、毎日

悲しむ暇もなく過ぎていった。

でも、これでよかったのだと思う。

母も私もやるべきことがあり

父のためにも元気で頑張れた。

一日早めて今日法要をすることになっている。

母は早く起きておだんごを作っていた。

昨日も今日の準備で忙しかった。

今日が終われば

母も少しはほっとするだろう。

でも、張っていた気が抜けて

母が倒れないかと心配だ。

三周忌を迎えるまでは

何かと忙しいときく。

母には元気で居て欲しい。

今日の法要と納骨が

無事終わることを心から祈りたい。


2006年07月29日(土) 迷い .でも決めた

迷っている。

どうしたら一番いいのか分からない。

自分自身の気持ちに素直になればいいのだと思うけれど

私の中に二人の私が居る。

明日は父の四十九日の法要と納骨式がある。

父が亡くなって以来

私が準備やそのほかの色々なことを中心になってやってきた。

私が居なければ母は大変だったに違いない。

そして、父の四十九日だから

とても大切に思う私が居るのは確かだ。

でも・・

明日、私の「かまぼこ板の絵展」の表彰式がある。

出席したい気持ちはある。

どちらが大事か天秤にかけたら

もちろん父の四十九日法要が重い。

でも、一生に一度のことだ。

全国的な展覧会でほ受賞だし

今年は私のことを話してくれると言う。

お父さんの写真と一緒に来てくださいとも言われた。

私が行けないのなら代理人に出席してもらって欲しいといわれた。

私の親友に頼んだけれど

不案内の地だから時間までに行ける自信がないと言われた。

誠さんに頼んだら引き受けてくれそうだったが、

誠さんの体調を考えると躊躇う。

私が行けば一番いいのだけれど・・・

今日中に返事をしないといけない。

どうしよう・・・

本当にどうしたら良いのだろうか・・・

数時間考えたけれど

出席しないことは一生後悔しそうな気がする。

父も私が出席するほうを喜んでくれるかもしれない。

そんな風に思って

後のことは夫や姉に頼んで明日は授賞式に出席することにした。

もう迷うのややめよう。



2006年07月28日(金) 心の中で

今、私の心の中で一つ決めたことがある。

それは私自身の心の問題だ。

感情の起伏の多い私は

今まで色々なトラブルも起こしてきたし

後悔することもいっぱいある。

私の性格によるものだから

自分自身で一番よく分かっている。

人に嫌な思いをさせないような人になるために

心の修養をしよう。

そして、いつも穏やかな気持ちで過ごしたい。

昨日が今日に

今日が明日に繋がっている。

私の今までの生き方が

未来の私の生き方を決める。

そうなら今を一生懸命に生き、

自分の心だけ優先する生き方ではなく

周りの人を思いやる人になりたい。

私の心の中で

今何かが変わろうとしている。


2006年07月27日(木) 悲しいことが

父の四十九日を前にして

母と父のことを改めて語り合っていた。

父は良い人生を送り

幸せな死に方をしたのだと思おうと。

そんなとき

今日また悲しい知らせが届いた。

母方の従姉のご主人が亡くなった。

今夜が御通夜で明日が葬儀だ。

数年前母方のいとこたちが集まって

いとこ会を開いたときに

お会いして以来ずっと会ってなかった。

先日の父の葬儀には

従姉が来てくれて

ご主人の様子を聞くことが出来た。

心臓が悪かったことは知っていたが

他にも悪いところがあったという。

とてもやさしい人だった。

あの笑顔をもう見ることが出来ないと思うと

本当に悲しくてたまらない。

人は必ず死ぬ。

それは分かっているけれど

やはり近しい人を亡くすことは

とても辛いしやりきれない思いがする。

残された病弱な従姉のことが気がかりだ。

どうか身体に気をつけて

ご主人の分まで長生きしてほしいと心から思う。

合掌


2006年07月26日(水) 夏到来

昨日は午後から晴れた。

暑くなった。

今日も晴れるみたい。

いよいよ梅雨明けだろう。

これからは暑い日々が続く。

負けないようにしよう。

30日の納骨はお墓もきっと暑いだろう。

母は大丈夫だろうか・・・

来てくれる人たちに申し訳ないような気もするが仕方ない。

今日は母と美容院へ行こうと思う。

二ヶ月ぶりの美容院だ。

カットしてカラーをして

ちょっと綺麗になってこよう。

気分転換にもなるかもしれない。

帰りには母と高島屋へ寄り

お昼を食べて少しぶらっとしてこようかな。

父もよく高島屋へ行っていた。

父の好物でも探してみようか。

泣いていても仕方ない。

悲しみはいつまでもあるけれど

たまには笑って一日暮らそう。

後数日で父はお墓に入ってしまう。

そんなことを思うと何だかまた淋しくなってしまった・・・

夏到来。

今日も心元気で過ごしたい。


2006年07月25日(火) 誠さんの詩集

今日は朝から本当に忙しく

PCを開ける時間もなかった。

夕方、実家から自宅へ家事をしに帰ったら

誠さんから詩集第12集が届いていた。

早速お礼の電話をした。

12集への思いや

城川のかまぼこ板の絵展への思いを話してくれた。

明日からブログ「思うままに」に

また詩集を一つづつ載せようと思う。

誠さんの心の根底にある

ありがとうという五文字、

これこそ人として生きていく中で

一番大切なものだと改めて思う。

この世の中の人々が皆

このありがとうという気持ちで生きていけば

戦争も惨い事件も起きないのだろう。

私も日々生かされていることへ

感謝の気持ちを忘れずに生きて行きたい。


2006年07月24日(月) 水とりぞうさん

この間から、

押入れの中に入れている

湿気取りの水とりぞうさんがいっぱいになり、

取替え時期が来たのが気になっていた。

この梅雨時はいっぱいになるのが早かった気がする。

それはそうだろう。

畳もじめじめした感じもする。

それにしても家の中はこんなにも湿気ているものなのだなあ・・

前に取り替えたのは3月27日だから

それでも4ヶ月近くもったことになる。

水とりぞうさんとは上手く名づけたと感心する。

そしてこの湿気取りを発明してくれたメーカーさんに感謝したい。

昔、こういうものがなかったとき、

タンスの中のバッグや

靴箱の中の皮の靴にカビが生えていた。

押入れの中の布団も変なにおいがしていた。

それがこの水取りぞうさんのお陰で

カビも嫌なにおいもなくなった。

有難いと思う。

我が家は12個の水取りぞうさんを置いているから

これらを取り替えるのも結構大変だ。

前にミスして畳の上にたまった水分を落としてしまったら

すべるような感じでつるつるして畳の色も変わったことがある。

それ以来、外の流しで取り替えることにした。

今日も12個取り替えるつもりだ。

水取りぞうさん、よろしくね。


2006年07月23日(日) 土用丑の日

今日は土用丑の日、うなぎの日だ。

江戸時代の平賀源内が

売れないうなぎ屋の店の前に

「今日は土用丑の日」と書いた紙を貼り

それを見た江戸の人たちが「う」のつく食べ物を

食べると精が出るということで

土用丑の日にうなぎを食べるようになったという。

昨日TVで四万十川の天然うなぎを捕り

色々と料理をして食べているのを見た。

葉っぱのついた木の枝を束ねて川に沈めて

うなぎが寝床と思って入ったのを引き上げて捕る漁をしていた。

養殖うなぎは黒っぽい灰色をしているが

天然うなぎは黄色いっぽい色をして

指の太さくらいの小ぶりのうなぎだった。

今、私たちが口にするのは養殖うなぎだ。

天然うなぎなど食べる機会はほとんどない。

あまり脂っこくなく、

小さい分身が引き締まって臭みもなく美味しいだろう。

私は元来うなぎは好きではないけれど

ビタミンA、コラーゲンなど栄養的にも美容的にも良いというので

今日の夕食はうなぎにしようと思っている。

今年はうなぎのえさのしらすが少なくて

例年よりもうなぎの値が高いという。

それでも皆夏を乗り切るためには食べるだろう。

今日は私たち家族が母の家で一緒に食べる日になっているので

夏ばて予防のためにも食べようと思う。


2006年07月22日(土) 三者面談

昨日は本当に緊張した。

何故だろう?

今まで人と話すときに緊張したことはあまりないのに

昨日娘の高校の担任の先生との面談は

不思議なくらい緊張した。

娘の進路のことだし

私のことではないのだから

緊張なんてしないでいいのに・・

三人で話すのが苦手だったからだろうか。

一対一で話すときとは違い

口を挟むタイミングが難しい。

二人(先生と娘)が話しているのをちゃんと聞き、

私に話しがふられてきたかな?と思うときに

話したいことを話せばいいのに、

二人の話にうまく入れない気がした。

娘に言わせれば、

「お母さんがよくしゃべった」ということらしい。

そんなにしゃべったつもりはないのにな・・

先生と娘に気を遣いながら

それでも、普段思っていても言えなかった

親としての気持ちを話すことをしたかった。

娘の進路は娘自身の問題だ。

親は見守ることと経済的支援しか出来ない。

娘の進みたい大学へ合格して

やりたいことをしてくれたら嬉しい。

私自身が外へ出られなかったから

娘を縛り付けたくない。

若いんだ。

自分の頭で考え、自分の心で決め、

自分の足で歩いていって欲しい。

でも、先生から「何の問題もない」と言われたのだから

娘を信じて見守っていこうと思う。


2006年07月21日(金) 梅雨明け

今年は入梅も遅かったけれど

梅雨明けが本当に遅い。

普通は遅くても20日頃のはずだが、

天気予報を見る限り

後一週間は梅雨前線が停滞しているようだ。

太平洋高気圧の勢力が大きくないために

梅雨前線が北上しないらしい。

そのためにこの数日は大雨が降り

被害も犠牲者もたくさん出ている。

TVニュースを見るたびに本当に水の力の怖さを思う。

土石流によって流された家々や木々は

無残な姿になってしまっている。

夜寝ていて突然家が押し流されたり

倒壊して生き埋めになった人たちは

自分がどうなったのかも分からない状態のまま

亡くなってしまったのではないだろうか。

生き埋めで亡くなるのは本当に苦しいと思う。

こうして毎年梅雨末期や台風の時期になると

日本中で被害が出て亡くなる人が出る。

気候が温暖だ、四季があって美しい日本だと思っていても

実際は過酷な自然条件の下で暮らしているのだ。

自然とは美しさの裏に怖さもあるのだとつくづく思う。

梅雨が明けるときっと厳しい暑さが待っている。

夏が苦手な私にとって梅雨明けは待ち遠しくなないけれど

この大雨によって被害を被っている人たちのことを思うと

一日も早く梅雨明けして

太陽の姿を見たいと思う。


2006年07月20日(木) 自分へ

昨日、本当に久しぶりに絵手紙を描いた。

先日絵手紙コンクールがあると聞き、

描こうと思いながらも

忙しくて描けなかった。

昨日は一日雨でこれといって外出する予定もなく

いい機会だと思って描いてみた。

やはりしばらく描いていないと筆が震えて

線描きがなかなか出来なかった。

それでも4枚描いた。

このコンクールのテーマは

自分自身へ贈る言葉、

未来の私へ、

小さい頃の私へ、

何でもいいから

自分への励ましだった。

実家にある可愛いこけしを描き、

言葉は「いつまでも夢見る夢子さんで居たい」と添えた。

顔がとても可愛くて良い絵手紙になったような気がした。

後はひまわりを描いて

言葉は「昨日でもなく、明日でもなく、今を生きたい」とした。

本当にこの通りだ。

過去を見ても

未来ばかり見ていてもどうしようもない。

今日を大切にして今を生きよう。

自分自身へのエールの絵手紙を描いて

少し元気になったような気がする。

母とのことも自然解消できた。

父への思いも懐かしい思いに変わろうとしている。

後悔をするのではなく

今を一生懸命に生きようと改めて思った。


2006年07月19日(水) だめだな・・

毎晩寝るときには

今日一日私の言動を反省しながら寝ている私。

昨夜は母のことを思ってなかなか眠れなかった。

この最近の疲れから

つい母に当たってしまう。

言ってはいけないと思いながら

母の心を傷つけてしまう言葉を言ってしまう。

昨日も夜、母の言葉に反応してしまった。

言ってしまった後で後悔をしたものの

いまさら引けない思いで意地を張ってしまった。

母が一人、父の祭壇の前に座り

じっとしている姿を見て心が痛んだ。

とても淋しそうだった。

母へ慰めの言葉をかけることさえ出来なかった。

今朝は母の顔を見ずに自宅に戻った。

何か気不味い思いがしている。

今日は一日嫌な気分で過ごすだろう。

気を取り直して母に話しかけよう。

母を支えていこうと思っているのだから

母を悲しませるなんて最低だ。

いくら疲れがたまっていたとしても

母に当たるなんて最低だ。

本当にだめだな・・


2006年07月18日(火) お別れ会

父の四十九日まで後二週間になった。

昨日は五七日で、普通この日にする家も多いとか。

お葬式にいただいたお香典へのお返しのリストが出来上がって

昨日は業者さんから確認のリストが届いた。

お金が絡むので本当に大変だった。

住所、氏名はもちろん、金額を間違っては

相手さまに申し訳ない。

何度も確認し最終的なリストをPCで作成して提出。

その他にも新盆の準備もしなくてはいけなかった。

毎日が本当に初めての経験の連続で疲れた。

胃潰瘍になったのか・・・

朝と午後三時ごろに胃がむかむかする。

相当神経を使うことばかりだった。

母はそんな私の様子を見ていて

父のような葬儀はしないで

お別れ会にしてほしいと言った。

お香典やお花やお供物は一切お断りしてほしい、

身近な人たちだけで見送って欲しいといっている。

私は葬儀の後の煩わしさのために母が言っているのなら

そんなことは気にしないで欲しいと思う。

でも、そうではなく

心から母が簡素にしたいと思うのならそれでいいと思う。

私は自分の場合、

お葬式なんてしないでも良いし、

納骨などしなくて良いとさえ思う。

散骨で良いと思う。

形ではない。

心だと思うから。

私の考え方は極端かもしれないし反発を受けるかもしれない。

でも、本人が望むことをするのが本当だと思うのだ。

周りがいらぬことをいう権利もないし必要もない。

たとえ、それが身内だったとしても・・・言う権利はない。

私は母の意志を尊重したいと思う。

お別れ会はきっと意味のあるものになると思うから。


2006年07月17日(月) 母親

やはりそうだったのか・・

秋田県の母親が起こした事件で

昨日、母親が橋の上から突き落としたというニュースを聞き、

日本中の皆がそう思ったのではないだろうか。

「娘が疎ましかった、邪魔になった」

この母親の気持ちを理解できる人は

確かに居ると思うが数はきっと少ないと思う。

自分が小さい頃からいじめられて育った母親は

自分自身が大人になり

母親としての資格のないまま

ただ、産んだだけの母親だったのだと思う。

最近頻繁にわが子を虐待して殺す親が多くなっている。

皆大人になりきれない親が

自分のしたいことが出来ないときや

自分の欲望を満たすためには邪魔に感じるときや、

また子供を育てる意識が欠落した時に

虐待や殺すという行為に走るのだろう。

私自身、立派な母親ではないし

偉そうなことはいえないけれど

少なくとも

娘を産んでからは少しは成長したように思う。

それまでは自分のことしか考えない

我侭な人間だった。

自分が一番だった。

いつも自分の体のことばかり考えていた。

そんな私が娘を産んでいら180度変わった。

それはきっと私に自分以外に守らないといけないものが出来たからだろう。

自分のことを二の次に考えることが出来る対象が出来たと感じた。

それから今までの私はいつも娘が一番になった。

娘が幼い頃は過保護的にもなったけれど

私の中で「ああしてやればよかった」という後悔はない。

そんな私自身のことを思うとき

今回の母親の気持ちが分かる反面、理解できない。

きっと彼女の心の中には矛盾がいっぱいなのだろう。

自分自身でも分からない何かが存在するのだろう。

どちらにせよ、母親に殺された娘の気持ちを思うと

胸が痛むし、かわいそうでたまらない。


2006年07月16日(日) しんどい

今朝はいつも起きる時間に起きることが出来なかった。

3時45分という時間は

父の看病を始めた時から私が起床する時間だ。

この時間から私の一日は始まる。

決して早すぎる時間ではない。

休む時間もなく、一日がばたばたと暮れていく。

今朝も起きなきゃと思いながら

体に鉛をつけたような感じがして起きれなかった。

母は私の側のベッドですやすやと寝ていた。

母を起こさぬようにと気遣いながら

いつもより1時間遅く起きた。

顔の半分から上がふらふらする。

意識して歩いている私が居た。

それでも、自宅に帰り

いつものように家事をこなしたが

さすが大清掃には参加できなかった。

毎年7月の第三日曜日が市民大掃除になっている。

家の前の溝の掃除をすることが多い。

年老いた義父たちが起きて掃除をしているのに

私が一人じっとしている気にはなれなかったが

今日の私はどうしても動くことが出来なかった。

悪いと思いながら家の中に居た。

それほど今の私は疲れているのだと思う。

この数日の33度を越す日々は

夏の苦手な私にとってとてもきつい。

朝からばて気味だ。

でも、母の前で弱音を吐いたら母は心配するだろう。

母の前では元気にしていなくちゃ。

母もきっと私と同じで疲れているに違いない。

母を労わることが今の私の最優先課題だ。

写真の中の父のためにも

元気で頑張らないといけない。

それにしてもこのしんどさは変だ。

本当にしんどい・・・


2006年07月15日(土) 心の持ち方

父の最期の時、

私は父に頼まれて二階で医者に電話をしていた。

下から私を呼ぶ母の大きな声に驚き

急いで電話を切り下りてきた時には

もう父は逝っていた。

父は吐いたものを詰まらせた。

父が亡くなって一ヶ月経つ今でも

私の心の中には

「何故あのとき上で電話なんかしていたのだろう」

「何故父の側に居なかったのだろう」

という思いと後悔が渦巻いている。

私が側に居たとしても

父に何をしてあげることも出来ず

結果は同じだったに違いない。

でも、側に居なかったことが

それまで私が懸命に看病したことを

全て帳消しにしてしまうような気がするのだ。

この気持ちはきっと私が死ぬまで持ち続けることだろう。

そんな気持ちで居た昨日、

父の訪問看護サービスをしてくれた人が

父にお線香を上げに来てくれた。

その人に今の私の気持ちを話した。

その人は私の気持ちをよく理解してくれた上で

こんな話をしてくれた。

私の性格上、

もし私が父の側に居て父の最期を見届けることになっていたら

きっと今よりも後悔をしているであろう。

あのときに自分が側に居ながら父を死なせてしまったと

今よりももっともっと苦しい思いをするだろう。

そういう風に話をしてくれて

私は初めて気がついた。

本当にその通りだ。

私が二階に居て父の最期をみとることが出来なかったのは

父の最後の私への思いやりだったのだ。

父が私が苦しまないようにと気遣ってくれたのだ。

そんな父の気持ちを思うと涙が出た。

本当に心のそこからやさしかった父。

もう悩むのはやめよう。

父の死が私の人生のトラウマになることは

父へ心配をかけてしまうことだ。

あれでよかったのだと思おう。

心の持ち方一つで人は楽になれる。

父の四十九日まで父の魂は彷徨っている。

父に安心してあの世に行ってもらうためにも

私が心も元気で居なければいけない。


2006年07月14日(金) 暑い!

まだ梅雨明けはしていないのに

この数日は真夏日が続いている。

元々暑さが苦手で夏が大嫌いな私にとって

最近の暑さは拷問に近いとさえ感じられる。

朝4時前に起床したときから蒸し暑く

7時過ぎに家事を終えた頃は汗びっしょりになる。

いつもは6時過ぎから歩いていた私も

ここ数日は歩いていない。

心臓が悪い人の多くは

冬が苦手だと聞く。

風邪が心臓に一番悪いからだと思う。

確かに風邪を引くと

私のように人工弁にしているものにとったら大変だ。

だから、冬は風邪を引かぬように十分気をつけないといけない。

でも、私は何故か風邪を引かない。

きっと神様が私を守ってくれているからだろう。

だから冬は嫌いではない。

あの冬の身が引きしまる感じのする冷たさは

時には気持ちが良いと思うこともある。

それに対して

夏の暑さは嫌いだ。

じっとしているだけでもしんどくなる。

汗をかくのはいいことだと思うけれど

汗をかいた後のしんどさがたまらない。

心臓が締め付けられるような気がする。

クーラーの前に座るとそれまで死んでいた私が生き返り

それまでのあのしんどさがまるで嘘のように元気になる。

今は母と一緒に暮らしているから

冷えるといけない母に合わせて

クーラーを入れないほうがいいのだろうが、

母は私を気遣って入れてくれる。

数日前から部屋を涼しくしていてくれるお陰で

何とか倒れなくて済んでいる。

それにしても7月の半ばからこんな状態で

これからの二ヶ月はどんな毎日になるのだろう。

暑い!

逃げ出したい。

本当に夏が嫌いだ。


2006年07月13日(木) 一ヶ月

先月の13日に父が亡くなって

今日で一ヶ月になる。

何も分からないまま

葬儀を終え、その後の事務的な事柄の処理にばたばたしていたが

それらも大体落ち着いてきた。

今月の30日に四十九日の法要と納骨式を終えたら

母も私も少しはゆっくり出来る気がする。

それにしても、今回の父の葬儀では

人の心が良い意味でも悪い意味でも分かった。

父が亡くなったことを

私の新聞投稿で知り

驚いてかけつけてくれて父の思い出話をしてくれた人、

家を建てたときの大工の棟梁は

父の葬儀では最後まで残ってくれて目に涙をためて

父を見送ってくれた。

私のメル友さんからは父へのお気持ちを送っていただいて

本当に嬉しかった。

人は良い時には見えない事柄が

不幸ごとの時にはよく見えてくるというのは本当だと思う。

そして家を継ぐということは

簡単には出来ないということも身に沁みて分かった。

父のお骨と遺影の前では何もないようにしたいと願う。

まだ父はあの世に行っていない。

この世とあの世を行ったり来たりしている。

もし、残された私達が元気をなくしたり、

もめることがあれば安心して成仏できないはずだ。

母を支えていく決心は今も同じだ。

父が入院して以来、

毎朝4時前に起床し家に帰り家事をする毎日が続いている。

自分でも不思議なくらい元気で居られるのも

きっと父が守ってくれているからだろう。

私が母を支えなくちゃ!

これが私の元気の源なのだと思う。

頑張ろう。


スカーレット