スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年11月29日(火) 鬼になろう

私には理解できない。

理解しようとも思わない。

私とは考え方も生活習慣も違う人なのではない。

生活を共にしているし

私の遺伝子を50パーセントは確かに受け継いでいるはずだ。

それなのに、

何故、娘は私とは全く違うのか・・・

もしかしたら私の子供ではなくて

夫が産んだ子供だったりして・・

そんなSF的なことすら考えてしまう。

娘の部屋と夫の部屋はまるでゴミの山だ。

ああ〜毎日娘の部屋に入り、

脱ぎ捨てられたパジャマを畳み、

乱れたベッドを整え、

燃えるゴミを暑めに行く時

私の精神状態はおかしくなりそうだ。

結婚してから知った夫の片付けない習慣だった。

でも、私と同じ部屋に寝起きしていた頃はまだましだった。

私は部屋の中が散らかっているのに耐えられない。

キチンと整頓された部屋で初めて落ち着くことが出来る。

一度そこに置いたものがそのままずっと同じ状態で置かれていれば

それに越したことはない。

たとえ、動かしたとしても

また元あった所にしまえば済む。

だから部屋はいつも片付くのだ。

出しっぱなしにするから片付かないのだ。

娘が小さい頃から、

私が片付けていた。

これが今の娘を作ったのだろう。

やはり私がいけないのだ。

今になって片付けようと言っても遅いのだろう。

再来年には娘は大学生になる。

そして親元を離れ何処かで一人暮らしをすると言っているが

こんな状態で可能なのだろうか?

一人で家の中を片付けることも出来ない、

自分の脱いだものもそのまま、

食べたものもそのまま、

料理なんて全く駄目だ。

私が専業主婦として

完全にしようとした分

娘を駄目にしてしまったのだ。

後二年のうちに直るだろうか。

娘のために心を鬼にして私が放れば良いのだ。

今日は父の病院に泊まり、

家には帰ることが出来ない私。

残された夫や娘のために

何もかも準備をしてしまった。

これがいいと思っていたが

やはり間違っていることに気付いた。

本当の意味で夫や娘のためになることは

何でも自分達で出来るようにすることだと思う。

私は今日から少し鬼になろうと思う。


2005年11月28日(月) 夫との会話

昨夜夫と2人でTVを見ていた。

最近は私達にも会話が生まれた。

私の考え方を変えたから

きっとこういう風に夫との会話ができるようになったのだと思う。

他の夫婦には当たり前のことでも

私たち夫婦のように殆ど会話がなかったものにとっては

とてもありがたいことだと思える。

私の心が夫以外の人に向かないようになったからだろうか・・・

やはり昔愛したあの人への気持ちが

ようやく吹っ切れたからだろうか・・

訳なんて何でも良い。

今のように何気ない会話ができればそれで良い。

昨夜、夫に聞いてみた。

「あなたの幸せって何?」と。

夫は笑ってちょっとだけ考えて

「不幸だと思わないこと」だと答えた。

「両親が元気で、娘も順調に育ち、家を守る妻が居て・・・

 今の不況でも仕事がありそれなりの収入を得ることが出来る。

 妻の父は病気だけれど、妻がよく診て上げている・・

 元気で過ごせること、

 そんな平凡で小さなことにありがたいと思えることが

 自分の幸せだ」と言った。

私の幸せは心がときめき、

何もかも楽しく理想に近づくことだった。

何かが叶えられると次の一歩上の理想に向って行く。

だからいつまでたっても満足いくことがない。

そんな生き方をしてきた私には

夫の言葉が信じられない気がした。

母も私の親友も夫と同じようなことを言う。

皆思うことは同じなのだ。

私だけが何故違っているのか?

きっと私が先天性の病気で生まれ

その後も命に関わる病気を次々にしてきたから

今以上のものを追い求めるようになったのだと思う。

もう人生の折り返し地点を過ぎたのだから

そろそろ満足しなきゃと思う。

私にとっても終着点が見えてき始めた。

夫以外の人へ目を向けるのはやめよう。

今の私の周りの小さいけれど、心がほっとすることに目を向けよう。

恋をしたいと願ってきた私も

そろそろ年貢の納め時が近づいてきたのかもしれない。

昨夜の夫との会話でほんの少しまともなことを考えた私だ。


2005年11月27日(日) 血液型性格診断

私は元来占いやジンクスを信じない。

そんな私が何故か血液型性格診断だけは信じてしまうところがある。

勿論同じ血液型の人でも

育った環境の違いで異なった性格になる。

でも、持って生まれた本来の気質は共通しているように思う。

先日、小さな新聞の一面に

A,B,O、AB型の男性と女性の性格診断が載っていた。

私はA型で夫はAB型、娘は夫と同じAB型だ。

A型の人は真面目で神経質で几帳面で、

でも、その反面勝気なところもある・・

この新聞に載っていたのもやはり同じようなことだった。

A型女性は、

人格や品行が清く潔い人が多く、

清楚で控えめなタイプが多い。

一途で引っ込みがちな性格だが、

その反面意地っ張りで勝気な面も潜んでいる。

常に周りに気を使い、

他人にも細かい気配りが出来る・・

そんな風に良いことばかり書いていたが

最後には人間関係が上手くいかず

一人でくよくよ悩んでしまうとも書いていた。

私自身のことを考えてみると

当たっている部分とそうでない部分がある。

私が今のような性格になったのはいつからだろう?

確かに結婚して娘を出産するまでは

自分を抑えて、人に気を遣うばかりだった。

相手のことを責めることが出来ず、

自分ばかり責めていたように思う。

でも、今は少し変わってきた。

年を取ったからずうずうしくなったのかもしれない。

これが年を重ねるということなのかもしれない。

世の中の不条理はことに出会っても

何とか対処することが出来るようになった。

今も人には気を使い

小さなことでも悩んでしまうけれど

自分が正しいと思ったことや

信じることは主張できるようになった。

私は小さいころから本当に大人しい子供だったらしい。

でも、内面にはとても激しい情熱を持っていたのだと思う。

その情熱が良いように出ると良いのだけれど

今の私はちょっと違う方向に出るところがある。

残りの人生はもっと穏やかなものにしたいと思う。

この血液型性格診断をまるっきり信じるのではなく

良いところだけ信じようと思う。

AB型男性の診断は夫そのものだった。

冷静で、器用で理想の高い反面、

物事に固執して純粋で・・

二重人格的なところがある。

そんな夫は人から頼りにされると放っておけないタイプだ。

私が甘えて頼んだら何でもやってくれるみたい。

勝気な私が少し甘えることをしたら

まさにベストカップルになるのだろう。


2005年11月26日(土) 決別

もう二度とあなたのことを書きたくない。

今日が本当に最後。

あなたと出会ったことは

私の人生の一番の汚点になったと思っている。

あなたと過ごした思い出は

もう私にとっては美しく懐かしいものではなく

苦い辛い悲しいものに変わってしまった。

人の心が分からなくなり

右往左往した時期もあったけれど

これでもう本当にあなたとさようならできる。

好きだった私が今ではとても不可思議に思える。

まさに美しき誤解だったんだ。

あなたへの今の私の思いは

憎しみと嫌悪のみになった。

怒りもあるかな・・・

でも、あの経験した胸の切なさなんて

もう何所遠くへ飛んで行ってしまった。

私にとっては過去に存在したものだと言うより、

初めから存在しなかったものになってしまった。

あなたの裏切りと

あなたの誠実のなさと

あなたの身勝手とエゴと・・・

あらゆるものから私は離れていける。

本当に終わった。

私はまるで二重人格者のように

あなたへの思いと

あなたへの憎しみを持ち続けていたけれど

今日からはもう二重人格者ではなく

あなたへの気持ちは

憎しみも含めて消そうと思う。

私はあなたの前の私ではなく

私自身が持っている本来の私に戻れる。

明るく元気で気さくな私に。

不安や恐怖やそんなくだらない思いとはおさらばできる。

これで良かった。

本当にさようなら。


2005年11月25日(金) 晩秋

父が入院している病院の屋上から見える

平和通の銀杏並木が黄色く色づき始めた。

今年の秋は例年より遅い訪れだったせいか、

木により緑色の葉が繁ったままのもの、

緑と黄色が入り混じったもの、

そして全体が黄色くなり散り始めたものと色々だ。

同じ人間が存在しないのと同じで

木々も違った様子を見せている。

元気で病気知らずの父が体調を崩し

初めて入院したのは丁度去年の今頃、

銀杏が色づく季節だった。

あれから一年、

父はベッド上の人になってしまった。

生きるということは大変なことだ。

私が尊敬する中村天風先生は

「われわれの生命を維持していくためには心が元気でなければならない。

心と体という命を形成しているものの関係は

ちょうど一筋の川の流れである。

川上が心で川下が肉体だと気がついたら、

心というものはどんな時でもいつも積極的でなければならない」

と言っている。

父も心を強く持ち必ず治るという固い信念を持っていて欲しい。

病に負けないで欲しい。

父の一生を四季に例えたなら、

新しい息吹を感じる青春の春や、

バリバリと仕事に生きた夏を過ぎ、

今やっと落ち着きと静けさを感じる

晩秋に差し掛かかっているのかもしれない。

毎日、屋上から見る秋晴れの青い空の下

キラキラと黄金色に輝いている銀杏並木に

元気な頃の父の姿が重なった。


2005年11月24日(木) 年賀状

今年も年賀状を書く季節になった。

去年の今頃は絵手紙年賀状を60枚描き終えていた。

去年父が倒れる前にしていたので本当に良かったと思ったものだ。

今年は父の看護で忙しく

去年のように60枚を手描きすることが出来ない。

父の容態を思ったら

もしかして年賀状を出せないかも・・・と思ってしまう。

今年は出すのを止めようかと思った。

姉に話すと書いたほうが良いと言う。

ジンクスではないが

年賀状を書いておけば父の容態も安定するような気がする。

昨日は一日用事があり

父の病院は姉に代わってもらって行かなかった。

夜は疲れていたけれど

今日じゃないと書けないような気がしたので

絵手紙年賀状を二枚描いた。

先日父の病院の帰りに寄った高島屋で

来年の干支の戌の置物を買って来た。

可愛い顔をした民族玩具。

目が笑っていたので言葉も笑いを含んだものにした。

これを40枚印刷することにしよう。

手描きには及ばないけれど

私の精一杯の年賀状だ。

この年賀状を元旦に友人の元へ

届けることが出来ると嬉しいな。


2005年11月23日(水) ベストパートナー

昨夜、何気なくつけたテレビの歌謡番組から

聞こえてきたメロディーに、

思わず家事の手を止めて聞き入ってしまった。

歌っていたのは、結婚二十五周年を迎えた「ダ・カーポ」。

歌っていた歌は「ベストパートナー」。

彼らが歌った初めての歌「結婚するって本当ですか」以来、

彼らの澄んだ歌声のファンになった私。

今度のこの歌もシンプルでストレートな歌詞に表現された

相手への思いが私の心の中にすっと入ってきた。

涙が出そうになった。

夫婦なら誰でも、自分自身の思っている気持ちを

相手へかなか伝えることが出来ないと感じたことはあるだろう。

そんな夫婦間の思いが、飾らない素直な言葉で表現されていた。

まるで私の心の中の、

夫への気持ちを代弁してくれているような気がした。

私だけではなくこの歌を聴いた人は皆、

それぞれが忘れかけている

身近なパートナーへの感謝の気持ちを改めて思い起こすだろう。

思っていてもなかなか言えない感謝の気持ちを、

こうして素直に言えるって本当に素晴らしいと思う。

夫婦間にはこんなちょっとした

相手への思いやりや感謝の言葉が大事なのだ。

出勤する夫の背中に「有難う」とそっとつぶやいた。


2005年11月22日(火) 弱っていく父

人が段々と弱っていく姿を見ることほど

心が重く、また辛いことはない。

病気は治るものだと信じていた私。

病気は誰でもするものだが

それはいずれ治っていくものだと思っていた。

私があれほど長い間苦しんだ病気でさえ

数十年経った今では

殆ど全治していると感じる。

それなのに・・・

あれほど元気で病気知らずだった父が

去年の11月に倒れてから

一進一退を繰り返しながら

今はもう昔の父の面影も殆ど感じられないほどになってしまった。

ベッドの上で食事を摂る時も

自分で体を起こすことがとても辛そうで

つい私が体を起こしてしまう。

なるべく自分でさすことが

結局は父のためになると分かっていても

つい手を貸してしまう。

昨日は私の病院の帰りに

夫と2人で父の病院に行った。

一昨日の夜からの高熱のため

体が段々としんどくなったと言う。

顔色はまだ悪くはないけれど

体重も40キロにまで落ち、

それと共に体力も相当落ちていると感じる。

「食べないといけないよ」という気持ちと

「そんなに欲しくないのならもう食べなくて良いよ」と思う気持が

私の心の中で葛藤している。

点滴はしているけれど

やはり人は自分の口から食べものを入れることが大事だ。

食べものが口から入ることによって

胃腸も働く。

脳の働きも良くなる。

だから、父には少しでも良いから食べて欲しい。

段々と弱っている父を見て

長くはないのか・・・と思う。

でも、そう思いたくない気持もある。

治ると信じること、

治ると暗示をかけること。

これこそ天風先生のいつも言われていることではないか!

希を捨てないで居たい。

父のためにも

そして私たち家族のためにも。

父の命が少しでも長くなるように、

今はそれを祈るしかない。

私の再手術の話は来月まで待つことになったが

そんなことはどうでも良い。

段々と弱っていく父の方が

私にはとても大切だから。


2005年11月21日(月) 許せない

私は今、父を看護している人間と

こうして人を憎み

許せない心を持っている人間と

二種類の人間になったような気がする。

人の痛みを分かり、

決して今まで人を憎んだことのなかった私が

こうして許せないと思う気持ちに

支配されるとは・・・

想像もしていなかった。

昔人の裏切りに合い、

心の病気になり

十数年苦しんだ時でさえ、

相手を憎む気持ちにはなれなかった。

もし、あの時に

今の私のように憎む気持ちを持つことが出来ていたならば、

あんな心の病気にはならなかっただろう。

あの頃の私は

どんな時でも相手がYESで自分はNOだった。

だから、どんな状況の中でも

自分自身を責め

心も体も傷つけてしまっていた。

でも、今は違う。

私も随分変わったものだ。

この変わり方が良いか悪いか?分からない。

でも、今こうして人への憎しみや

許せないという気持ちになれることで

私自身を傷つけることもしないし、

ましてや心の病気になどなるはずはない。

自傷行為に走ることもない。

これだけは断言できる。

だから今の私は良い方向へ成長したのだと思いたい。

それにしても私は許せない。

一生許すことはないだろう。

私の心を踏みにじり

関係ないの一言で済ます人を。

私は絶対に許せない。

この怒りや憎しみは

決して肯定できるものではないということは

私自身が一番よく分かっている。

ここへ書く事によって

私の今の心がより強いものになっているのを感じる。

誰がどう思おうが良い。

私の人間性を疑われ

また否定されようとかまわない。

私は今のこの怒りと恨みと

永遠に続くであろう

憎しみを持つことで

生きていけると信じているのだから。

今までの私とは違う。

どんな時でも

どんな立場に追い込まれようとも

決して憎しみを感じることもなく

数日したら気持ちが変わっていた頃の私とは

全く違っている。

私はあなたを許せない。


2005年11月20日(日) 憎しみは・・

「憎しみからは憎しみしか生まれない」と言う。

確かにそうかもしれない。

でも、憎しみが生きる原動力になるということも確かだ。

憎しみを持って生き続けることは

いつまでも相手に関わっていることになる。

自分が憎しみを感じる相手の下に居ることにもなる。

もし本当の意味で生きようと思うのなら

相手を憎むのではなく

存在を自分の心の中から

完全に消してしまうのが一番だ。

でも、なかなか出来るものではない。

いくら忘れようと思っても

相手に言われたりされたりしたことを

いつまでも覚えている。

楽しかったことや

幸せだと感じたことは

勝手なようだが忘れてしまう。

そして、相手を憎む気持ちだけ残ってしまうのだ。

今、私の生きる力は

この憎しみだ。

毎日車の中で一人で運転している時、

心の中でつぶやいている。

「最低、人間のくず、地獄へ落ちろ」と。

こんな私を人は軽蔑するだろう。

でも、誰にどういう風に思われても良い。

私が気が済むまで

憎しみをぶつける言葉を唱え続けるつもりだ。

憎しみが憎しみを倍増させ、

私の中から何もかも消える日まで。


2005年11月15日(火) 頭と心のアンバランス

姉の疲れとストレスがもう限界状態に近づいている。

私が側に居て傍目に見ていても感じられる。

そんな姉が昨夜の電話で

とても気弱な面を見せた。

父の言葉、

父の態度、

父の細かなことへの文句・・

本当にここに上げたらバカみたいなことだけれど

看護している私たちにとっては

とても疲れることばかりだ。

体を使うのは何ともない。

体の疲れは一晩寝ればそれで元に戻る。

でも、心の疲れはなかなか治らない。

姉は父の病室を出て

病院の駐車場に行き

車に乗ってもすぐには発進できないという。

「はあ〜」という大きなため息をつき、

心を180度転換してからでないと

運転して帰宅する気持ちになれないと言う。

私が午前中から午後の4時前まで

姉が5時から7時過ぎまでという

交替の看護のシフトを組んでやっている。

姉が帰宅して晩御飯を食べるのは

もう8時を過ぎることになる。

私は朝4時に起き、

家事を済ませていても

帰宅したらしたで用事があり

落ち着くのは午後の7時頃になる。

こんな日々が一年続いている。

夏は父の具合がまあまあの状態だったから

姉も私も少しは楽だった。

でも、後は毎日の看護だ。

土日もない。

忙しくてもやらねばならないと思う。

頑張らない看護を目指して・・・

その言葉の通りの看護をしようとは思う。

でも、頭で分かっていることと

心で感じることが一致しない。

これがきっと自分自身を苦しめている原因なのだろう。

頭と心のアンバランスな状態が

後数年間続いたとしたら

姉も私も壊れてしまうのではないか・・・

昨夜の姉の電話と

今朝起きた時の私の大儀さで

そんな不安な気持ちになった。

父が一番しんどいのだ。

私達はその父を温かく見守らなくっちゃ。

心を取り直して今日も父の病院へ行こうと思う。


2005年11月14日(月) 心の中の闇

その人が何を思っているか、

そんなことは誰にも分かるものではない。

言葉に出さない以上

自分が思っていることが

相手に伝わることはない。

たとえ、言葉に出したとしても

心とは裏腹な言葉を言っていたら

それはその人の心ではないのと同じだ。

結局人の心ってその人しか分からないものだし、

他人に理解して欲しいと願うのは傲慢なのかもしれない。

今新聞紙上を賑わせている事件でも、

犯罪を犯した者の気持ちなんて

誰にも分かるはずはないと思う。

母親を毒殺しようとして

薬物を飲ませていた少女や

同級生を殺害した男子生徒の心の闇を

理解するのは難しいと思う。

私もあの地獄の日々の頃の心を

誰かに分かってもらいたいと思ってはいなかった。

反対に放って欲しいと思っていた。

あの頃の私は他人に危害を加えることはしなかったけれど

自分自身を痛めつけ、

自暴自棄な心で毎日を過ごしていた。

あの頃の私も

今、こうして心を元気にして生きようと思っている私も

同じ私だ。

今の私があの頃の私に逆戻りする可能性も大だ。

それをしないのは

年を重ねて心が昔よりも図太くなったからだろう。

まるでガラス細工のような心だと医者に言われた私も

今では親友に固いコンクリートのような心だと言われている。

同じ人の心が、こんなにも変わるものか!と

自分自身でも驚いている。

心の中の闇を抱えて暮らしている人は多い。

でも、いつかその暗いトンネルを抜けることが出来ると信じて欲しい。

朝の来ない夜はない。

耐えるしかないのだ。

自分の心をようく見つめ

自分の心の中に住む不可解な者と向き合い、

決して負かされないようにしてほしい。

自分自身に負けたら

人生に負けることになる。

他人に勝つことは大事なことではない。

大事なのは自分自身の弱さに負けないことだと思う。

どんな人でも皆心の中の闇はあるのだから。


2005年11月13日(日) 奇蹟

奇蹟って本当に起きるものなのだ!

今までTVの番組で色々な奇蹟が起きたという話は聞いていた。

でも、実際に自分自身に起きなければ

なかなか信じることはできないと思っていた。

昨日参加した健康セミナーで

奇蹟を体験した人の話を聞くことが出来た。

これは事実なのだろう。

決して嘘でも作り話でもないはずだ。

本当に治ったという事実があるから

あのように大勢の人の前で自分の体験談を話すことが出来るのだと思う。

私の母が小さい頃に体験したことも

今思えば奇蹟だったような気がする。

治ると信じる力がその人の自然治癒力を高めるのかもしれない。

病は気からという言葉の通りなのかもしれない。

でも、いくら気持ちを前向きに持ち

頑張っていても治らない病気は多々ある。

それは人が持って生まれた遺伝子の損傷が原因なのだから

その遺伝子を修復出来なければ

いくら気持ちがあっても治るものではない。

「病は気から」はなく、

「病は遺伝子から」という時代だ。

奇蹟は起きると信じたい。

私は今その奇蹟を信じて

毎日自分自身の体調を見守っている。

大学病院の医者から「再手術出来ない」と

言われた傷が治ったとしたら

私は信じる。

そして皆の前でその体験談を話したい思う。


2005年11月12日(土) 笑う門には福来る

昨日ちょっと落ち込むことが起きた。

お昼を食べる前に起きたので

食欲も落ちて何も食べたくなかった。

でも、父の看護のためにも食べなきゃいけないと思い

下の食堂でラーメンをすすった。

味も分からず

頭の中にはさっき起きた出来事ばかりが

ぐるぐる回っているばかりだった。

夕方帰宅したのだが

途中の車の中でも心は上の空状態、

無事に帰宅したものの何も手につかない。

そんな時、

友人と話すことが出来てとても良いことを教えてもらった。

その人は今年の夏、ある修練道場に参加したのだが

お昼ごはんの前に必ず笑わないといけなかったそうだ。

一日目は笑えなかったという。

でも、無理にでも笑っているうちに

その笑いの意味が理解できたそうだ。

大きな声を出して笑うと、

それまで悩んでいたことが

とてもくだらないことに思え、

心の中からその事柄を追い出すことが出来るようになったという。

私に電話口で笑ってみてと言った。

可笑しくはないし今は笑う気分ではないと思ったけれど、

大きな声をだして「ワハハ」と笑ってみた。

電話を切った後で何度も同じように笑ってみた。

そうしたら不思議なことに

それまで落ち込んでいたことが

本当に何でもないことに思えだしたのだ。

心に引っかかっていたことが

すっとなくなって楽な気持ちになれた。

鏡の前に立って同じように笑ってみた。

そうしたら余計に楽になれた。

笑うということは先日もここに書いたように

心の中の鬼を退治してくれる。

昨夜は楽しいことだけ考えて床に就いた。

良く眠れた。

今朝起きて新聞を開けてみると

先日送った投稿「頑張らない看護」が掲載されていた。

本当にこの言葉の通り

頑張らない看護をしなくっちゃと思う。

そしてこれからも思いっきり大きな声で笑ってみよう。

心の中の雑念や妄想念を追い出そう。

「笑う門には福来る」


2005年11月11日(金) 病は気から

病気という文字は「気を病む」と書く。

この文字が示すように

やはり気持ちの持ち方一つで

病気にも健康にもなれるのだろう。

8日(火曜日)に一旦退院した父が

一日家に居ただけで

弱ってきて昨日また入院した。

これで五回目の入院だ。

退院するとき

父はもう病院には居たくない、

家に帰りたいと言った。

とても心細そうだったし

その言葉を聞いてこのまま病院に居るよりも

家に帰って好きなように過ごせば良いと思った。

でも、一日帰っている間、

食事も殆ど摂らず、水分も飲まなかったので

体力が落ちるのは分かっていた。

昨日の朝病院へ行った時は

目もうつろで

話しかけても返事もしないし、

じっと下を向いて座っている姿を見て

これは大変なことになったと思った。

入院してベッドに横になり

点滴をしてもらってから

少しずつ話す声も大きくなり

食事も少量ではあるが食べることが出来た。

自分の行く末がどんなになるのか・・・と

考えているような父の様子を見ると

本当に心が痛む。

人は自分がもう駄目だということを感じると言う。

父もそう感じているのだろうか・・・

私は父に言った。

「頑張って元気になるぞ!と思わないと病気に負けるよ」と。

気力を強く持って欲しい。

そして治ると信じていて欲しい。

信じる力は偉大だ。

奇蹟を呼ぶことだってある。

父の生命力と気力を信じたい。

そしてまた家でのんりと過ごして欲しい。

「じゃあまたね」と言って病室を後にした。


2005年11月10日(木) 「男の食彩」その2

初めて味わう男性の手料理は美味しかった!

季節の野菜をふんだんに使った「芋炊き」をご馳走になった。

野菜は綺麗に飾り切りされた

ニンジン、ダイコン、里芋、しいたけ、

それにハクサイ、銀杏、結び昆布に鶏肉。

ダシは昆布と鰹節で取ったしょうゆ味。

シンプルイズベストという感じそのものだった。

鍋の中から立ち上がるいいにおいと湯気に

少食の私のお腹もぐ〜っと鳴った。

ご飯がまた初めて口にする

むかごの入ったご飯にごま塩がふられたもの。

むかごというものを知らなかった私は

小さな丸い黒いものが何か分からなかった。

食感は柔らかくてほっこりとしたものだった。

炊きたてのご飯と芋炊きを食べながら幸せだと感じた。

人は美味しいものを食べると幸福感を得られるのだな・・・

まさに昨日の私がそうだった。

鍋料理は簡単で人との会話が弾む。

一つの鍋を囲みながら話をしていると

旧知の友のような気がしてきた。

年齢は私よりも20歳近く上の方だ。

奥さんを亡くされてお独り住まいをされている。

でも、綺麗に掃除された庭や玄関、

また整頓された部屋や台所を見ると、

本当に一人暮らしを堪能されている様子がうかがえた。

昨日の芋炊きを食べていた感じたことがある。

それは女性の料理と男性の料理の違いだ。

私もそうだけれど、

女性は家事の一つとして義務感を伴ってしているような気がする。

中には料理が大好きでたまらないという女性もいるだろう。

私も若いころは好きな方だった。

でも、最近はなるべく簡単で手間をかけない料理をしていた。

これはいけないと思った。

家族の健康のためにも

凝った料理でなくてもいいから

ちょっと手間をかけたものを作ろうと思う。

今度はじっくり焼き上げた「焼きおにぎり」を

ご馳走してくださると言う。

「いつでもいらっしゃい」と言ってくださった言葉を素直に受け取ろう。

食欲の秋にぴったりの私の心のほっとする時間だった。



2005年11月09日(水) 男の食彩

何だか今朝は妙にワクワクしている。

今日は「男の食彩」が楽しめるのだ。

私は母以外に食事を作って

食べさせてくれる人は居ない。

私がまだ高校生の頃から

自分のお弁当は自分で入れていたし、

時には家の食事も作っていた。

大人になっても姉の通勤弁当を作っていた。

そして、結婚していらい専業主婦として20年。

夫は食事を作らないし、

娘も学校の調理実習以外作ったことがない。

どんな時でも私が作っていた。

だから、私以外の人が作ってくれた食事を

味わう機会に恵まれなかった。

それも、男性が作ってくれる料理は

今まで食べたことがない。

勿論外食すれば男性のコックさんの料理を食べてはいる。

でも、私の周りで身近に作ってくれる人は居ない。

そんな私が今日「男の食彩」を味わうことが出来るのだ。

先日の私の新聞投稿「黄色いリンゴ」が縁で

女の子のお父さんとの交流が始まった。

そのお父さんは今年71歳になられるが、

色々な活動をされている人である。

その人の活動の中に

「男の食彩を楽しむ会」というものがある。

奥さんを亡くされた時、

それまでは一切家事をしたことのなかった人が

奥さんのてほどきで相当の腕前になったらしい。

昨日その人から電話があり

今日昼食をご馳走してくれるという話をいただいた。

母や姉は良かったねと言ってくれた。

夫にも話しをして了解を得た。

今日のお昼はどんな料理をしてもらえるのだろう・・・

何だかワクワクしている理由がこれなのだ。

縁って本当に不思議だ。

私があの投稿をしなければ

こうしてお父さんと知り合うこともなかった。

人生の中で出会いを大切にしようと思っている私だ。

この人の家には小さい子から

お年寄りまで毎日のように人が集まり

わいわい楽しく食事をご馳走になって帰ると聞いた。

私もこの一年、

心の晴れるときはなかった。

これからもまだまだ色々なことがあるだろう。

でも、こうして新しい出会いがあったことを大切にしたい。

そして毎日を心元気で過ごしたいと思う。

それにしても今日はどんな料理を食べさせてくれるのだろうか。

黄色いリンゴ「王林」を手土産に買った。

今日は女の子のご仏前にお供えしようと思う。




2005年11月08日(火) 大喧嘩

とうとうやってしまった。

久しぶりの夫婦喧嘩。

昨日は本当に疲れていた。

朝7時半に家を出て父の病院へ。

明日が退院だということだったので

一応荷物の整理をしたり、準備をしていたりした。

でも、その後の心臓と首のエコーで

梗塞しているところも見つかり、

腎臓の働きを表す数値も悪くなっていたので

また長引く可能性も出てきたのだ。

循環器と泌尿器科の主治医との話を数回、

薬剤師との話を二回、

主治医との話では間違ったことを話してもいけないし

医者の話も正確に理解しようと思い

相当の気を遣った。

緊張もしていた。

帰宅したのが午後7時前だった。

疲れきった体で「ただいま」と言って

玄関を開けたけれど

休みで家に居た夫からは何も言葉がなかった。

別に何をしてもらいたいとは思わない。

ただ「お帰り、お疲れ様!」の言葉だけを

かけてくれたらそれで疲れも吹っ飛ぶ。

こんな小さなことから

その後色々と気持ちの食い違いが起こり、

とうとう大喧嘩になってしまったのだ。

当分冷戦状態になると思う。

父の看護も続く。

せめて家が楽しければ

疲れきった心で帰宅してもほっとできる。

何かがあったときこそ家族の有り難さを感じると言う。

でも、今の私は家族なんていらない。

一人ならどんなに気が楽で

父の看護を思いっきりしてあげることが出来ることだろう!

そんなことを思って昨夜は気が晴れなかった。

でも気を取り直すことにした。

夫が言った「帰ってこなくてもいい」と云う言葉、

この言葉で相当腹も立ったし、

傷ついたけれど

いつまでも拘っていては夫の言葉の奴隷になってしまう。

あの人がいつも言っていたように

嫌なことは自分の心から追い出そう。

今日も帰りは遅くなりそうだ。

父の退院が決れば良いのに・・・



2005年11月07日(月) 笑い

今朝新聞を取りに行った時、

分厚い新聞の間から

はらりと落ちた冊子があった。

そして表紙の瀬戸内寂聴さんの優しい笑顔が

私の目に飛び込んで来た。

何とも言えない心が和む笑顔だった。

瀬戸内寂聴さんも年を取って

昔よりも尚ステキな方になられたようだ。

「人間笑ってないと幸せは来ないんですね。
 
 貧乏神も病気も、
 
 笑わない人が好きなんです。」

この言葉を読んでなるほど!と思った。

癌の人たちも笑うことで

その癌細胞が消えたという話も聞く。

やはり笑うということはとても大切なことなのだ。

今TVではお笑い番組が全盛だ。

どんな笑いにせよ

お腹の中から大きな声を出して笑うって良い。

悲しみも辛さも体の中から出て行く気がする。

昨日は親友と久しぶりに長い時間おしゃべりをした。

父が入院してから

私にこんな楽しい時間はなかった。

彼女との話は他愛も無い話ばかりだ。

他人が聞いたらきっとバカにされるだろう。

でも、彼女と話ていると

本当に心の底から明るくなれる。

彼女の心底からの優しさが私を勇気付けてくれる。

昨日も大いに笑った。

場所柄も弁えず思わず大きな声を出してしまった。

色々なストレスが消えたような気がする。

「ハハハ」と笑うだけで

心の中の鬼やゴミが出て行く。

心の疲れが取れる。

今日からまた父の看護が始まる。

退院予定がまた延びそうだ。

これからいつまでと分からない看護になりそうだ。

いくら心を元気にしようと思っている私でも、

時には挫けそうになるだろう。

そんな時は

思いっきり大きな声で笑ってみよう。

可笑しくないことでも笑っていると

いつもどんなことにでも笑いを見つけることが出来そうだ。

発想の転換で楽な生き方をしよう。

毎日の生活が少しでも楽に思えるように

私なりに考え向上している。

これって年を取ったために出来ることなのかもしれない。

もっと若い頃に気付いて

笑いを取り入れた暮らしをしていたら

今の私はもっともっと元気で明るい私になっていただろう。

でも、今からでも遅くはない。

私自身が楽で幸せになったら

周りの者も幸せになる。

寂聴さんが言うように、

とにかく

「自分は元気だ」

「幸せだ」と思うようにしよう。


2005年11月06日(日) どうでもいいこと

何かをするときに

一番必要なのは

それが今の自分にとって大切なことかどうかを見極めることだと思う。

一度に二つのことをしなくてはいけない時でも

どちらが優先するかを考え

どうでもいいことは放っておくに限ると思う。

今までの私は何でも完璧にしないといけないと思っていた。

だから一度に二つのことが来た時も

そのどちらもやろうと頑張ってきた。

そして完璧に近い状態で出来る時もあったけれど

殆どの場合自分では満足できない結果に終わった。

悔しい思いと情けない思いが湧いてきた。

ストレスもたまるというものだ。

この頃はこういう無理で無駄な努力をやめようと思い始めている。

今絶対にしないといけないことだけしようと思い始めたのだ。

それは相手の居ることの方を優先させ、

自分自身のことは二の次にしようと思い始めたということかもしれない。

人と付き合う上で相手の気持ちを大事にしたいと思う。

そしてたとえ家族同士のことであっても

夫や娘のことを優先させたいと思う。

今父が入院している。

私の生活のリズムは父に合わせている。

父が優先順位一位だと思うから。

夫や娘よりも大事にしているかもしれない。

これはどうでもいいことだと放っておくことが出来ないからだ。

父のことではどんな無理でもしようと思う。

頑張らない看護を目標にしているが

時には頑張る気持ちを持つことも必要な気がする。

気持ちの張りを持っていたい。

父には元気になって欲しいから。

私一人の力ではどうにもならないことでも

父の周りの色々な力を寄せ合えばきっと上手く行く気がする。

私にとって害になるようなことはしたくない。

私の気持を欝的にするような人とは付き合いたくない。

どうでもいいことに思える人とはさようならしたい。

勝手なように聞こえるかもしれないけれど

私自身の幸せのためにも心が動揺するようなことはしたくない。

今の私はただ父の回復を祈るだけだ。


2005年11月05日(土) 生きるということ

人間が生きるということは

同じことの繰り返しなのだと思った。

吸っては吐く呼吸、

食べては排出する行為、

起床と就寝、

化粧と洗顔、

食事を作っては食べ食器を洗う、

働いてお金を稼いではそれを使う・・

挙げれば限がない。

それが生きるということか。

虚しいと感じるときがある。

それは心が疲れているとき。

何ともなく平気で居られるときがある。

それは充実していると感じるとき。

結局ものは皆考えようだということだ。

その人の心で決るというものだ。

私がときに虚しく感じ

たまに一人になりたいとか、

無性に誰かに会いたいとか、

そんなことを思うのは決って心が淋しいときだ。

忙しいということは

そういう心の淋しさを忘れさせてくれる。

これが良いのかもしれない。

忙しくてくだらないことを考えないで済むことが

私にとっては一番の薬になるようだ。

思ってもどうしようもないことを

くよくよ考えないようになった。

夜寝るときは楽しいことや明るいことだけ考えるようになった。

父のことも

私自身のことも

考えてもなるようにしかならない・・

開き直るのではなく

諦めるのでもなく

良いようになるだろうと思えるようになった。

生きるということは楽しいことだけではない。

人は言う言わないに関わらず

色々な悩みや苦しみを持っている。

でも、それを突き詰めて考えないで

いい意味で気にしないということが大切なのだと思う。

愚痴を言っても仕方ない。

ただ今日一日を明るく元気に過ごすことのみ考えよう。


2005年11月04日(金) 主婦の値段

「ああ〜休みたい!」

「朝寝坊をしてみたい!」

この数日の私の心の中で聞こえる悲鳴だ。

私には休日というものがない。

外で働いている夫や

高校へ行っている娘には休みがある。

でも、私が一日ぼ〜として骨休めの出来る日はない。

毎朝4時20分に起床する。

夏場は良いけれど

これから寒くなる冬の早起きは辛いものがある。

いくら早起きが好きな私でも

たまには思う存分朝寝坊をしてみたいと思うときがある。

でも、哀しいかな・・・

専業主婦にはそんなことが認められない。

中には遅く起きて家事を始める人も居るだろう。

夫や子供たちが出て行く時に

まだ蒲団の中に居る人もいるかもしれない。

私には考えられないことだけれど

世の中は広いからありうることだ。

私の一日の労働をお金に換算したらどのくらいになるのだろう。

朝食の支度、

娘のお弁当作り、

夕ご飯の準備、

掃除、洗濯、アイロンがけ。

これらが終わると

父の病院へ行き看護。

夕方帰り道の途中でスーパーに寄り買い物をする。

帰宅したら洗濯物を取り入れ収納。

夕食の仕上げと済んだ後の片付けもの。

お風呂に入って一日の汚れ物を洗濯して干すと

やっと私の時間がやってくる。

好きな本を読んだりTVを見たりして

11時過ぎには寝ることにしている。

計19時間の労働だ。

ベッドに寝るまで体を横にする時間はない。

座るのは食事を摂るときだけのような気がする。

以前TVで主婦の労働は月30万円になると聞いた。

そんなものかもしれない。

でも、主婦には賃金は支給されない。

本当は家の家計を預かってやりくりしている大蔵大臣、

健康を守る厚生大臣、

子供を産み、育て教育のことを考える文部大臣、

少しでも気持ちの良い暮らしのために

掃除や洗濯をして環境を整え考える環境大臣・・・

色々な仕事がある。

そんな仕事は派手ではないけれど

とても大切な仕事だと思う。

外に出て働いてお金を稼いでくるだけが価値のある仕事だとは思わない。

結婚して専業主婦として過ごした20年、

この仕事は死ぬまで続くのだろう。

時には一人で何処かへ出かけてみたいと思う時もある。

気晴らしをしたい時もある。

でも、考えようによったら

身障者である私が

こうして毎日元気で家族のために働くことが出来るって

幸せだと思う。

小さな幸せだけれど

今の私にとってとても大事だし

これからもずっとこの幸せが続けば良いとも思う。

贅沢を言っていても仕方ない。

今は私の出来ることをしようと思う。


2005年11月03日(木) 体の疲れが心に

ここに生活環境の良く似た2人が居る。

一人は男性でもう一人は女性だ。

共にシングルで子供を育てている。

2人に共通することは忙しい日々を送っているということ。

休日も無い日々を過ごしているということ。

自分のしたいことをする時間も取れないこと。

でも、この2人に違う点がある。

それは彼は忙しいと機嫌が悪くなり

周りの者にきつい言葉を投げかける時がある。

一方、彼女は忙しいと言いながらも

私に笑顔を見せてくれる。

彼女の笑顔の裏には疲れも不機嫌も存在するのだろう。

でも、私の前では見せたことがない。

だから私は彼女の忙しい立場をつい忘れてしまって

自分のことを一生懸命に話したり相談してしまう。

彼女は疲れていても私の話を聞き、

答えてくれる。

彼女の誠意がとても嬉しい。

彼は直ぐに不機嫌になり

私にきつい言葉を投げかけたり、

私の存在を否定するようなことがある。

そんな時はそっとしておくのが一番だと思うようになった。

しばらくそっとしておいてあげると

いつの間にかまた元の明るく機嫌のいい人に戻ることが分かったからだ。

この2人はとても対照的だ。

どちらは良いとか悪いとか言いたくない。

人それぞれだから。

その人の性格も考え方もそれぞれだから。

体の疲れが心に出て、

周りの者達に当たるのも良いのかもしれない。

そういう人はストレスがたまらないと思うから。

彼女のように我慢していつも機嫌良くしている人の方が心配だ。

本音でぶつかってくれたら良いのにと思うときもある。

でも、それも彼女の性格だから

私がとやかくいうことでもない。

私自身の性格はどちらかというと彼に似ている。

体が疲れるとついイライラしてしまう。

そして家族に当たってしまう。

天風先生の言うように、

心元気で積極的な心で過ごすことがいつも出来たら

どんなに疲れていてもイライラしたりはしないだろう。

私はまだまだ修行不足だ。

父は明日退院の予定だったが

血液状態がまだ一定していないので

今日は輸血をして様子をみることになった。

退院は延期になった。

しばらくは病院通いが続くだろう。

でも、心は元気で父の前では疲れを見せないようにしよう。

父に優しくしてあげたいから。

そしてそうすることが私自身の元気にも繋がると信じている。

日々、感謝の心を忘れずに居たいと思う。


2005年11月02日(水) 手紙が届いた

昨日書いた「黄色いリンゴのお父さん」から

丁寧なお礼の手紙と黄色いリンゴの元の文章がコピーされたものが届いた。

やはり私の記憶違いのところがあった。

みかんが入っていた黄色いネットではなく

白いネットしかなかったとか。

また亡くなったのが夏ではなく春だったことも分かった。

本当に申し訳ないと思う。

早速お父さんに電話をかけて話をすることが出来、

色々な話を聞くことが出来た。

新聞のエッセイの投稿欄の会長さんをされていて

私に入会して一緒にしませんか?と言ってくださった。

私は今まで色々なことをしてきた。

絵手紙、ピアノ、そして柄にもないヴァイオリン・・

でも、父の入院で皆ストップした状態だ。

本を読むことと文章を書く事だけ続いている。

父は4日に退院できるが

いつかまた入院する日が来るだろう。

父が最期の時を迎えるまで看護は続く。

気分転換をしたくてもなかなか出来ないかもしれない。

絵手紙は墨を摺り、机に向わねばならない。

ピアノもヴァイオリンも家で時間を作って弾かねばならない。

どうしても無理が行く。

家事と看護以外に無理はしたくない。

でも、文章ならいつでも何所でも書ける。

父の病室でも書く事が出来る。

そんなことを考えると

私にとって文章を書くということが一番あっているのかもしれない。

黄色いリンゴがきっかけで

私の書くということが広がっていく可能性も出来た。

これからも私が思ったことを素直に、衒いの無い言葉で書いて行こう。

私の「黄色いリンゴ」は私に新たな出会いを贈ってくれたような気がする。



2005年11月01日(火) 人に感動を与えること

こんな私でも誰かの心に感動を与えることが出来るんだ・・・

この間の誠さんのことを新聞に書いた時も

誠さんから本当に嬉しいという電話をもらった。

そして今回投稿した「黄色いリンゴ」で

再び喜んでもらえることが出来た。

前につぶやきにも書いた「黄色いリンゴ」を

少し変えて新聞社に送った。

新聞に載った日の夜、

編集者から電話が入り、

私が書いた黄色いリンゴに出てくる女の子のお父さんが

私へのお礼の手紙を書きたいと言っているという話を聞いた。

嘘のような気がした。

内心は実在する人のことを書いたので不安があった。

もし事実と違ったことを書いて

クレームがついたらどうしよう・・と思っていたのだ。

勿論あの投稿も

誰かのために書いたのではない。

自分自身の心を見つめて書いたものだ。

でも、それが読んでくれる人の心を動かすことが出来るって

本当に嬉しいし私の幸せでもある。

私の文章は拙いものだけれど、

難しい言葉や分かりにくい内容ではなく

私が思うことを素直に文章にしている。

だからこそ詠む人の心にす〜っと入っていくのだと

私の理解者でもある人から言われた。

今の世の中の人はあらゆる意味で疲れている。

でも、その疲れを人に知られたくなくて

肩肘を張って生きている。

自分の内面の弱さや葛藤や悩みを

人に話すことなく

自分自身の胸の中に収めて

ストレスを貯めている。

そんな時、

自分と同じように悩んだり苦しんだり、

また疲れた心を素直に書いている文章を読むと

何故か心がほっとする時がある。

そんな意味で私の書く文章はとても大きな意味があると

これも私の理解者が言ってくれた。

大きな夢を持っている人から

そんな言葉をもらうと

私も勇気が湧いてくる。

今回の「黄色いリンゴ」の投稿のことで

「駄目で元々だから

一度今まで見せてくれた文章を原稿にして

出版社に送ってみたら?」とも言われた。

恐れ多いことだと思ってしり込みをしている私が居た。

そんな大きなことは無理だと思っていた。

でも、物事は行動を起こさないと始まらない。

何でも挑戦することが大事だと思う。

人に感動を与えようと意識するのだはなく

私が感動したことを書けばいいんだ。

やってみようかな・・・

そんなことを思っている私。

黄色いリンゴのお父さんからの手紙が待ち遠しい。


スカーレット