スカーレットの心のつぶやき
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今日で4月も終わりだ、本当に月日の経つ早さを実感する。
もう一年の4分の1が過ぎ去ったのだなあ・・・と思うと 何となく怖い気がしてならない。
絶対時間というものは、昔から変わらないし 生きている人には平等に与えられているものだと 思っている。
人はそれぞれ違った顔を持ち、生活する環境も異なり 自分に無いものを人が備えていると 何故か「神様は不公平だ」とつい愚痴ったりするのだけれど、 時間だけは本当に万人に平等に与えられたものだから 神様もやはり考えているのだなあって妙に感心したりして・・・
その平等である時間も 日によっては時間の経つのがとても遅く感じたり 又反対に「えー!もうこんな時間?」と 時間のたつ早さに驚く時もある。
一般的に楽しい時間は早く感じるし 反対に辛いことや、しんどいことや嫌なことを していると、なかなか時間が経ってくれないと感じる。
父ははじめての入院生活を送り昨日無事に退院した。 私も若いころ、幾度と無く入院を体験してきている。 そして、その入院生活の時には時間が止まったままだと いつも感じていた。
これは父もそうだったようで、夜、もう遅い時間かと思って 時計を見るとまだ7時や8時だったと言っていた。
家に居ると用事はないようで結構あり、 体を動かし働いていると 時間の経つのを忘れて居る時さえあるからだ。
昨日、私は父を退院のため病院へ迎えに行き 父の家に連れて帰ったその足で 友人に会いに行った。
11時から4時まで、その友人との時間を過ごしたのだけれど 話し込んでしまって、気がついたらもうこんな時間と びっくりして、急いで岐路に着いた。
このように、話の合う友人とのおしゃべりの時間は 女性にとっては一番のストレス解消になる。
別に話題はなくても、取り留めの無い話だったとしても 心から笑い語ることができると、本当に幸せだと感じる。
私の夫は無口で、自分からはなかなか口を開くことは少ない。
付き合っていた時は2人で何時間も喫茶店で話した思い出が あるのだけれど、結婚してからは2人で弾んだ話もしなくなって 久しい。
私は話すのが好きだし、相手に自分の気持を伝える手段は 会話だと信じている。
だから、家でも話したいのだけれどこの頃は 一方的に終わってしまうので いつの間にか話すことが少なくなってきている。
その代わりと言ってはなんだが、昨日のように友人と 心から打ち解けて、数時間話し込むことが多くなった。
でも、このことで私の心が浄化され、家の中での不満が 無くなればこれに越したことは無いと思っている。
時は待ってくれない。
過去を取り戻すことはできない。
未来をきめて予行演習することもできない。
今この瞬間しかないのだ。
だから、私は今という時を大切にしたいと思う。
そして、過去から今へ、今が未来へと繋がっているということを 胸にしっかりと刻んで、後悔の無い時間の過ごし方をしたいと 思っている。
今日、父が退院する。
今月22日に入院したから、8日間の入院で済み 本当に良かった。
父は8月で82歳になるが、今まで本当に元気で 病気らしい病気をしたことがなかった。
刑事時代に足の捜査をしたお陰で、 今も足腰が丈夫で、その歩き方は年齢を感じない。
刑事を定年退職した後の第二の就職では 電車やバスの一駅二駅は平気で歩いて通っていた。
昔から、足の衰えが体全体の衰えに繋がるということを 聞いていたが、父のことを思うときそれが納得できる。
父と同い年の母は、足や腰の痛みを訴え 整形外科を受診し、杖をついての歩行をしている。
勿論人それぞれで比べることはいけないけれど、父の元気には 頭が下がる。
今回の入院は胆石の手術をするかどうかの検査入院だった。
以前、父が入院するときっと色々と不都合なことが起きるだろうと 思っていたが、案外父は入院を苦にすることもなく 出される病院食も全部たいらげ、私達を安心させた。
検査の結果、手術はしないで、薬の投与を続けて 様子を見ることになり、本当に良かったと思う。
胃にも大腸にもポリープが発見されたが、 今すぐにどうこうする必要もないと先生の診断をもらい これも嬉しいことである。
元気だった父が今回こうして入院したということは 今までの父の生活の仕方や、食べ方に対する神様の警告 だったように思う。
父は人間ドックに入って検査をしてもらったような気分だと言う。
それは確かにそうだ。
これからは、今までの自由気ままな食事を改めて 母の作るバランスのとれた良い献立を文句言わずに 食べると言っている。
今までの我儘な父にお灸を吸える意味でも今回の入院は とても有意義なものだったと思う。
昨日は統一地方選挙だった。
私の友人たちは親せきの人や先輩の立候補で、 皆一生懸命に応援し、できる限りのお手伝いを していた。
だから友人たちから当選の知らせを聞いて本当に良かったと思う。
まずは☆;:*:;☆;:*:;☆“Congratulations”☆;:*:;☆;:*:;☆
当選した今の感激を忘れずに持ち続けてほしいと思う。
又公約に掲げた自分の信念をどんな状況の元でも 貫いてほしいと心から願う。
当選の喜びは私の想像するよりはるかに大きなものなのだろうが これは自分だけの力でなく こうして支えてくれ、応援してくれた人たちの一票一票のお陰だと いうことを、いつも胸の中に入れていて欲しいと思っている。
新しく当選された人、又再選された人、皆同じ気持で 自らの信じる道を歩んでほしいと思う。
信じることは未来への道に通じているはずだ。
何か一つを信じそれに向かって歩いていくことは とても大切だと思う。
選挙だけではなくて、誰でもそうだと思う。
只これが間違った道だと困るけれど。
麻原の信じた道は間違った道だった。
そして、その麻原を信じ付いていって大きな大きな間違いを 起こしてしまった人たちも居る。
信じるっていうことはとても大事なことなんだけれど それが間違っていたら、信じないほうがましだと思う。
人はお互いの信頼関係の上で生きている。
信じるものこそ救われるという言葉もあるように 信じるということはとてもとても凄いことだ。
人間不信になると自分までが信じられなくなってしまう。
このことは私自身が今までに体験したことだ。
人を信じられなくなったら生きていくのがとても辛くなる。
信じられるものは一つで良い。
何か一つのものがあればそれで生きていける。
間違った道なら引き帰せば良い。
そして、又新しい道を歩けば良い。
昨日当選した人たちも、昨日までの自分たちの一生懸命さを 忘れずに、自分たちに一票を投じてくれた有権者の気持を 裏切ることのないようにしてほしいと思う。
昨日の夜、寝る前に虫が知らせたというか、予感がしたというか 心配はしていたのだけれど・・・
毎年この時期になると、伊予市の五色浜という 風光明媚な海岸で写生大会が行われる。
娘が小学生の頃からいつも参加していた写生大会だ。
去年も確かこの頃だったと思うが参加した。
絵が好きで、写生大会にはいつも参加している。
いつもなら、学校からの連絡事項の中に今日の写生大会の ことも書いてあり、プリントももらって帰っていたのだけれど 今年は何もなくて、 たまたま、昨日の夜に私が5年日記を眺めていて この写生大会が去年の昨日に行われていたのに気づいたのだ。
娘に聞くと、先生からは何も聞いてないという。
時間も11時を過ぎていたので、娘の友人に電話で聞くことも できず、心配しながら休んだ。
今朝は日曜日ということもあり、いつもは4時半には起床 する私が5時半まで寝ていて、ふと昨夜のことを 思い出し、7時に娘の友人に電話をしてみると なんと、その写生大会は今日あるとのこと。
娘はまだ寝ていたので起こし、私は急遽あり合わせのもので お弁当を作り、画板や絵の具や、色々の準備を娘に言って させて、忙しい思いをした。
今日はラッキーなことに夫が休みの日だったので 9時までに会場に連れて行ってもらい、 迎えも頼むことができた。
普通なら私が送り迎えをするのだけれど、 今日は試験外泊で家に帰っている父を病院へ 送っていかないといけないので 本当に夫が居てくれて助かった。
虫が知らせるというか、予感がしたというか もし今日のことを知らないでいたら、娘はきっと残念がったと 思うし、私の心配もたまには良い結果を生むのだなあって 今改めて感心している。
上手く描けなくても良い。
娘が自分が描きたいと思ったものを自分らしく 描ければそれが一番。
本当なら夫とデパートへ買い物に行く予定になっていたのだけれど それは又の機会にすれば良いと思う。
自分らしい思いを描くことができることを私も願っている。
2003年04月26日(土) |
案ずるずるより生むがやすし |
物事は心配してもしなくても結果は同じだと思うけれど やはり、何かあるとそのことについてつい心配してしまう ことが多い。
今回の娘のこともそうだった。
一昨日の夜、娘がイスの足で自分も右足の、小指を 轢いてしまって、「骨折した」と騒ぎ出したときは 私もやはり骨折の心配をして、考えても どうしようもないのに、悩んでしまった。
昨日、娘は朝は病院へは行かず、放課後学校の帰りに 行くと言った時点で、少しは楽なのだろうという 気持はしていた。
もしも、去年のように本当に骨折していたら、放課後とは 言わず、今すぐにでも連れて行けと言っていたはずだから。
だから、私も骨折に対しては心配と躁でない気持が半々だった。
今は父の入院や退院のこともあり、 毎日忙しい思いをしているので、 できればなんともなくて欲しかったし もしも、骨折などとなったら、ちょっと嫌だなあって思っていた。
でも、本当にありがたいことに、診察してもらい レントゲンを撮ってもらった結果、 今回は何ごともなく済んだのだ。
本当に嬉しかった・・・
本当に心から安心した・・・
いつも思っていること、それは「心配はしないで置こう」ということ。
でも・・・
でも・・・
でも・・・
何かがあるとすぐに悪いほうを考えてみる私の悪い癖。
これからもいろんなことがあるだろうが 悪く思ったり心配をしないように心がけたい。
昔から言うように「案ずるより生むむがやすし」ということなんだな・・・
ようやく父の病気のめどがついてほっとしている所に 今度は娘が・・・
昨夜、娘の悲鳴が聞こえた。
私はお昼に疲れているからベッドに居たのだけれど その声に驚いて目が覚めた。
何事が起きたのかと思って聞いてみると 自分の足が机のイスの下敷きになり、右の足の小指が折れたという。
まさか?とは思ったけれど 去年、剣道の練習中に左の足の小指を骨折したことがあるので 安心しているわけにもいかず、
そうかといって夜中のことゆえ、何もできず冷蔵庫から氷を 持って来てやり冷やしてやるしかなかった。
娘は去年の経験から痛みが同じだと言う。
もしかしたら骨折しているかも?
湿布をして寝るように言ってやるしか私のなすすべはなかった。
父のことで、毎日病院通いをしていて、肉体的よりも 精神的に疲れ気味だったので 昨日の夜の私には心の余裕が少し欠けていた。
娘にとっては父のことより自分のことを気遣ってほしかった に違いない。
でも、私はつい口にしてしまった。
「お母さんはじいちゃんのことで大変なのに今怪我をしてどうするの? 知らんよ。 明日はじいちゃんを迎えに行かなきゃならないのに。」と。
娘にしたら、よほど冷たい母親だと思っただろう?
もっと心の余裕を持たないと駄目だなあ・・・
今朝は娘はまだ寝ているが 登校前に医者に連れて行ってレントゲンを撮ってもらわないと いけないと思っている。
やっとほっとできると思っていたのに・・・
でも、娘にしてもしたくてしたことではないから あまり冷たくするのも駄目だと思うし・・・
どうか骨折などしていないように祈るばかりだ。
今回の父の入院で改めて考えたことがある。
医者はどんな医者が良いのかを。
昔から「医は仁術」と言う言葉もある。
腕は良いが偉そうな態度や難しい医者が良いか?
少々腕は?だけれど優しい医者が良いか?
母は「少々偉そうでも腕の良い医者が良い」と言った。
確かに一理ある。
でも、私は腕が少し?でも、接する態度や物腰の柔らかな医者が良い。
勿論外科の医者は優しくても腕が悪くて手術に失敗する医者はいやだ。
でも、内科や心療内科、小児科、 お年寄りを専門に診る科 産婦人科の医者などには、患者の気持になって 話のできる医者が必要だと思う。
この頃よく聞く言葉に「セクハラ」ならぬ「ドクハラ」がある。
医者に心無い言葉を言われたりぞんざいな扱いを受けて 傷つく患者が多いとか。
これは絶対に許せないことではないか?
勿論医者も人だから、その日の気分で機嫌の悪い時もあるだろう。 体調のすぐれないときもあるだろう。
でも、医者はプロだ。
プロならどんな状況の時にも自分のやるべきことには 責任を持ってやりとおすことが大事だと思う。
幸い今回の父の入院では、そんな心無い医者には会わなかった。
看護士もそうだ。
若くてまだ慣れていない看護士はほとんど優しくて心遣いの できる人が多い。
そんな看護士も年が経つにつれて 患者の扱いにも慣れ、仕事の量も増えてきて 患者の気持は分っていてもついものの言い方がきつくなる人がいる。
患者は自分の病気にために体も心も弱くなっている、
だから、患者の気持になって、たとえ患者が少々の我儘を言っても やさしくなだめるくらいの裁量が欲しい。
父は高齢のために耳も遠くなり、物覚えも悪くなり 理解力も落ちている。
だから、私がいつも側に居るのだが、私が帰った後は父はひとりだ。
だから、帰るときには看護士に頼んで帰る。
父が少しでも不安のない入院生活を送れるようにと願うから。
幸い父の入院も長くはならないようだ。
だから、父も優しい医者や看護士に接することができて 快適に生活を送ることができたようだ。
主治医は見かけはちょっと大柄で怖い感じのする人だったが 話してみると、笑顔のステキな優しく話してくれる医者だった。
患者は素人だ。
だからへまな質問もすると思う、 その時にはプロの医者は気分を害することなく 説明をしてほしい。
今日は父にとっては一番嫌な検査だ。
どうか無事に済みますように・・・
そう願いながら今日も今から父の病院へ行こうと思っている。
人って何かあると初めて自分の周りの人たちの愛を感じるのでは ないかな?
今の私がそう。
先日のパソコンの故障に続いて、今回の父の入院と 私にとっては本当にハプニングの連続だった。
私にとってこのPCで知り合った人たちが 私を支えてくれることが本当にありがたい。
愛っていうものは男と女の間だけの愛ではなくて 家族の愛、
友の愛
見知らぬ人の優しさや気遣い
医師や看護士さんの愛・・・
人は自分の周りに多くの愛をもらって生きているんだと 改めて感じている。
人は一人では生きられないということはわかっていた。
でも、時には自分以外の人のことが信じられず、 心がとても不安になったり、ひがんだりしていた。
これって自分が自分の心を苦しめていたんだなあって思う。
人を信じて人の心を受け入れるとこんなにも楽になるなんて・・・
今の私は幸せ。
確かに物理的、肉体的には疲れているししんどいし・・・
でも、今の私の心はとても幸せな気持で居られる。
そして、自分の心が幸せならば、少々のことで へこたれたりしない。
父のことも笑って話せる。
父の理解の無さにも優しい気持で言ってあげることが出来る。
私の周りには愛が溢れているから・・・
感謝の気持でいっぱい。
本当に°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°
今日父が入院した。
朝荷物を持ち父と母との3人で日赤へ。
手続きをして先生の話を聞く。
今の父の状態は先生も手術をしないといけないとは 断言できないみたいで、今回の入院で検査をして 結論を出すと言う。
この間の胃カメラの結果、6ミリのポリープがあったのだけれど これは組織検査の結果、全く大丈夫とは言えないし、反対に 癌ではないし、今は様子を見るしかないとのこと。
まあ一安心。
胆石には3種類あって、コレステロールからできた石と カルシウムからできた石と もう一つの石があるそうな。
コレステロール性の石は薬で小さくなるけれど 後の二つは手術をしないといけないとか。
今の父の胆石がどの種類なのか分らないので 検査をして見るという。
薬では一年に1ミリしか小さくならず、 父の年齢も考えるとちょっと・・・という感じ。
今の医学では手術と言っても開腹手術ではなくて 穴を3つ開けてカメラのようなものでのけることが できるとか。
父は今年82歳になるので、放っておいて痛みが激しくなり その時になって手術してほしいと言っても 体力的にできない可能性もあるので 私の考えは今のまだ元気な時にのけてもらうのが良いのでは ないかと思う。
今回の入院で検査の結果、先生の言われる通りに 父にはしたがってほしいと思う。
今日は心電図、肺機能検査、レントゲン検査をした。
明日は循環器受診と大腸透視の検査のための準備がある。
父も理解することが難しい年齢になっているので 明日は早くに行ってあげようと思っている。
正直疲れた。
一昨年に娘が入院した時はずっと付き添って 寝泊りしたけれど、こんなにはしんどくなかった。
やはり一年一年年を取っているのだなあっと思った。
無理をしては私が倒れるのではないかと又皆に心配をかけるので このHpも日記くらいしか毎日の更新をするのを止めようと 思っている。
見てくれる人たちに返事もできないかもしれないし 皆さんのHPにも行けないと思うけれと ここでご了解してもらいたい。
(^∧^) オ・ネ・ガ・イ♪
パソコンのLAN接続部分の接触が上手くいかなくて 修理に出していて、ずっとパソコンが出来なかった。
今日は来ていたメールに返事を書くことができて ほっとしている。
私は今度のこのことで、自分でも驚いたことがある。
それは、私にとってパソコンは必需品になっていたから 一日でもできないと、きっとイライラして、たまらなくなるだろうと 思っていた。
でも、実際はこの12日間淋しくなかったのだ。
これは本当に驚きだ。
絶対に私にとって必要不可欠のものだったはずなのに・・・
パソコンがなければないなりに、時間の過ごし方が とても上手くなるということが分ったのだった。
時間がないないと言いながらピアノを放っておいたのに 今度は思う存分弾けたし、 又絵手紙を描くこともできたのだ。
好きな本を読むこともできた。
そして、何より気持が乱されずに済んだことも大きな 発見だった。
只、メールを携帯へしてもらったので 思う存分返事が送れなかったのが辛かった。
それでも、毎日メールをくれた人や 掲示板へ書き込みをしてくれた人たちが居た。
本当にありがたいと心から思う。
多くの人たちに支えられているんだという気がする。
本当に°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°
この12日間に色々なことがあった。
父が体調の悪さを訴えて、病院通いを毎日したこと。
胆石があることがわかり、入院が決ったこと。
親友とまた楽しい時間が持てたこと。
カラオケで思う存分歌えたこと。
ピアノの練習がいっぱいできたこと。
パソコンがなかったことで、時間を有効に使うことができたこと。
明日父が入院することに決った。
折角直って帰ってきたパソコンだけれど 又しばらくは忙しくなるので HPの更新もできないと思う。
又こうして日記を書くことのできる 心の余裕もできるだろう。
それまで又皆さんによろしくと言わないといけないな。
よろしくね!!
この間から上の歯茎に何か違和感を覚えていた。
でも気にしないでいたのだけれど、昨日はちょっとその感覚が 違ってきたので、鏡を見ながら自分の歯の左奥を覗いてみた。
すると、なんと吃驚( ¨)¨)¨)¨)¨)¨)¨) エー!! 左上の奥に「親知らず」が生えてきているではないか!!
ずっとずっと昔には、この「親知らず」には随分悩まされた。
痛いのも痛いが、抜く時のあの大変さは凄かった。
まだ心臓の手術をしていない時だったから、良いようなものの 今抜くとなれば薬のこともあり、面倒なことになる。
今のところはまだ痛みもないし、生えてくるのが全部か 今のまま止まってくれるか分らないので なんとも言えないけれど・・・
私もまんざら捨てたものではないよ・・・
若いじゃない!なんて一人でにんまりしてる。 ( ̄ー ̄)ニヤリ( ̄ ̄ー ̄ ̄)ニヤリ( ̄ ̄ ̄ー ̄ ̄ ̄)ニヤリ
親知らずが生えるなんて、絶対に若い証拠だよ。
50歳を過ぎてから、生えてくる物ではないだろう?
だから、私の肉体はまだまだ若いんだなんて変に納得してる。
若さはどんな人にもあるものだし、それが又段々となくなるのも 本当だ。
でも、この若さくらい、人によって差があるものは無いと思う。
同じ年齢でも若く見られる人とそうでない人が居る。
このことはたまに同窓会に出席してみると一目瞭然だ。
女性なら顔のしわやしみ、また白髪 男性なら体型、頭の髪の毛の多さ、しわ、白髪
この違いで随分見た目は違ってくるものだ。
私は若さを保つものは勿論日頃の自分自身の管理能力が 大事だと思う。
いくら昔綺麗な人であっても、見苦しいほどに肥えると その美しさも半減する。
顔はそうでもなくてもスタイルの良い人はそれなりの お洒落もできるし、いつまでも綺麗にいたいと思う気持も 長く持って居られると思うから。
そして、一番の秘訣はいつまでも心がときめく対象の存在だ。
それは人でなくても何でも良い。
いつまでも夢を持ち続けることも大切だ。 そして、その夢がその人の若さを保つものだと思う。
又誰かのことを想い胸を焦がすのも若さの秘訣だと思う。
宇野千代さんや瀬戸内寂光さんのように いつも誰かを想い恋する気持を忘れないで居たい。
今誰かが居なくても良いのだ。
夫婦なら夫に対しての恋心を持つのも良いだろう。
一人ならできなくても相手が居るとお互いに そう想う事ができるのではないかな?
夫でなくても良い。
私はいつまでも誰かに恋をしていたいと思っている。
実現はしないかもしれないけれど、いつまでも胸をときめかせていたい・・・
誰かを想い続けることによって、いつも心が輝き それは私自身の全ての魅力を引き出してくれるだろう。
朝起きて顔を洗い化粧をして自分に向かってにこっとしてみる。 そして、私が私自身にほっとしたり、元気をもらったり 慰められたりしている。
こんな私になれたのも、いつまでも恋をして心をときめかせていたいと 望むようになったからだと、一人でにんまりしながら納得している 私が居る。
甘えという言葉は、何故か良い意味に取られないことが多い。
でも、甘えうということはそんなに悪いことなのだろうか?
誰かに甘えることができる人は幸せではないかと思う。
その人を心から信じているからこそ甘えることが できるのだと思う。
小さな赤ちゃんや子供は母親に甘えて生きているのが普通だ。 この頃に甘える心がいっぱいあって、その甘えを心から 受け止めてくれる人がいることが、その子供の成長には 良い影響を与えるのだと思う。
子どもの頃に充分甘えることができた人は 大人になる過程において、信じる心、又人を愛する心が 正常に育つのだと思う。
私は幼い頃は母に甘えた思い出があまりない。
確かに母は私が弱かったし、自分が守ってやらねばという気持が あって、過保護に育てた。
甘えさすのと過保護に育てるのとはちょっと意味合いが 違うのではないだろうか?
過保護は母の気持でする行為だと思うから。
過保護はイコール過干渉だ。
過保護に育った子供は、そのあまりにも過保護すぎる 母親に反発を覚えるのが当たり前だと思う。
私の場合はやはり健康でなかったから、母の過保護の 意味が理解できていた。
分っていた。
だからこそ、その過保護や過干渉が母にとっては 私への愛だということが充分分っていた。
だから、反抗する気持もなくて、母を安心させるためにも 私は母のいうことを聞いて育った。
そして、自分が母親になった時、母から受けた愛や 保護を私は当たり前のごとく娘に与えてきた。
だから今、娘が私に対しての反抗が凄いのだと思う。
娘は私と違って健康なのだから、私が受けた母の愛とは 違う形の愛を求めているのだと思う。
私は母と同じことをしてきたし、それで良いと思っていた。
でも、それは間違いだった。
私に甘えている娘も、私に反抗している娘も同じ子だ。
だからこそ、私が母としてちゃんとした姿勢を持って どんな娘も受け入れてやるということをしなければいけないと 思っている。
甘える心をいっぱい持って育ち 今度は甘えさせることができる人になってほしいから。
50年生きてきてこの年になった私でさえ、 時には心から受け入れてくれる存在がほしいと思うのだから・・・
今日は親友と2人で、小旅行へ出かける。
お天気も良いし、きっと楽しいものになるだろう。
自分のための時間を過ごせる喜び・・・
行き先は未定の楽しさ。
胸がわくわくする。
行って来ます。
JRに乗って、、さて何処へ行こうかということになり 結局終点の高松に行くことにした。
行きの早い電車の中の風景。
何故かうとうとしている女学生。
昨夜勉強で遅くまで頑張ったのかな?
隣で携帯のメールを一生懸命打っている女の子。
誰に打っているのだろう?
彼かな?
中学生と思えるカップルが2組、こんなに早くに 何処へ行くのだろう?
なんて、オバサンの悪い詮索をしながら 2人で話しながらの道中はとても楽しかった。
高松へ着いて、まずは一息、 喫茶店で美味しいホットミルクを。
バスで栗林公園へ。
人が多かったけれど、2人でぶらぶらと歩きながらのおしゃべり。
楽しい時間。
お昼は今人気の出ている「讃岐うどん」を。
その後玉藻公園へ行き、桜を堪能。
そして4時の電車に乗って帰る。
帰りにおにぎりを買って帰って、簡単な夕食を取る。
楽しかった・・・
本当に気晴らしができた・・・
時々こうして自分自身のための時間を持ちたいな。
今朝、14歳の男の子が家で毛布に火をつけて火事を出し 両親が怪我をするという事件を読んだ。
14歳といえば、私の娘も4月で14歳になる。
一番難しい時期の子だ。
彼は「良い子ぶっているのに疲れたから火をつけた」と言ったそうだ。
多分彼はいつも本当の自分の気持を押しこらえていたに違いない。
「本当の僕はそんなに良い子ではないよ」と皆に分って もらいたかったのだろう。
確かにいつも良い子で居ると疲れる。
どこかでその反動が来ても仕方がないと思う。
想像するだけだから、間違っているかもしれないけれど 多分、彼は勉強もできる子だっただろうし、 学校でもなんの心配のない、教師にとってもとても楽な 子供だったに違いない。
家でも親に反抗することもなく、 両親にとっては本当に育てやすく、 親孝行な息子で自慢の種だったのではないだろうか?
今の両親の心を思うと、心が痛む。
今度の事件できっと、両親はショックを受けていると思う。
「こんなことは何かの間違いだ、絶対にうちの子に限って こんなことをする子ではない」と・・・
こんな思いでいっぱいなのではないか?
私は思う。
「良い子は疲れる。
良い子はいつかは切れる。
良い子は親には良い子でも自分自身はいつもしんどいのだ。」と。
私の娘は外では良い子だ。 でも、家では全く違って親をこまらせ悩ませる子だ。
いつも私は娘のことで自分自身の心の中で葛藤している。
ある程度の年齢になると、外ではこれだけしか 自分を見せないと思い、人にも気を使うだろうし 幼い子のように、本能のまま行動する子供は居ないはず。
だからこそ、本当の自分を出せるのが家なのだと思う。
今日の彼のように、いつもいつも良い子であり続けることは 本当に辛かっただろう。
どうして家でくらい自分を押さえず 自分の本当の気持を出せなかったのだろう?
両親を喜ばせたい、両親に悲しい気持にさせたくないという 彼の優しい気持から、家でも自分自身を出さずにいたのだろうか?
とてもかわいそうな気がする。
私の娘は家では本当に我儘で自分のことも完全にできず いつも私のイライラの原因になっている。
何度泣きたくなり、家を出たいと思ったことか。
でも、娘は外で良い子にしている分、こうして家では自分自身を 出しているのだと思う。
もしかしたら、これってありがたいことなのかもしれないな?
そうだ、そうなのだ。
家で私に当り散らしながら、自分自身の心のバランスをとっているのだ。
だから、私が娘の気持を理解さえしておけば、そのうち 気もつくはずだ。
今は一番心が不安定で揺れ動く時期なのだろう。
私が母親として、もっと大きな心を持ち、 ゆっったりとした気持で、娘を暖かく包み込んでやらないと いけないのだ。
喧嘩も反抗も成長の印、私はもっと自分自身の楽しみや やりたいことに夢中になろう。
娘と距離を置くためにも・・・
今日は日赤で胆のうの検査を予約しているので、 もうすぐ行くことになっている。
先月の半ばに、鳩尾付近の痛みに襲われ、 その痛みは今までにも経験したことのない痛みだった。
2,3日で治まり、今はあの痛みはないけれど、 先日先生に話して今日、胆のうを検査することになった。
多分異常はないと思う。
私の場合は、原因の分らない痛みが今までにも起こっていたし その時も調べると異常なしだったから。
今日の検査でも異常なしと言われる可能性が大。
でも、まあ、検査はしてこよう。
行ってきます。
行ってきた、
検査の結果異常なしだった。
胆のうも肝臓も脾臓もすい臓も全部異常なしだった。
安心したけれど、何か拍子抜けした感じがする。
病気になりたくはないけれど、じゃああの猛烈な痛みは どこから来ていたのだろう?
本当に息がすえないくらいの痛さ、胃が破れたのかと思うくらいの 痛み。
あれはいったいどこからの痛みだったのだろう?
検査して異常なしと分ったから、これからもし、前と同じ 痛みが襲ってきても、我慢してその痛みが通りすぎるのを 待てば良いのだとは納得した。
人間は生きているからこそ、痛みがあるのだ。
死んだら痛みを感じたくても感じないようになるのだから もうあまり神経質に考えないようにしよう。
悪ければ悪いと分ってからのことだ。
今を大事にしていけばきっと明るい未来に続いていくはずだから。
いくら良い条件の下であっても、その人にやる気が無ければ 折角の環境や条件も生かされないと思う。
私が若い頃と今とを比べてなんだかんだと言うのは 野暮かもしれないが、 今の子どもたちは恵まれ過ぎていて、そのありがたさに 気づかないのではないだろうか?
やる気の無い子に塾へ行かせても成果は出ないと思う。
又やる気の無い子にいい教材を与えても、しなければ何にもならない。
私のところは一人っ子ということもあり、経済的には 一人分で済むので、今まで色々と娘にはしてきたと思っている。
成果もそれなりには出ているとは思うのだけれど、 親から見ると今ひとつ、娘に自分から進んでうやるという 気持が見えないのは情けない。
中学になってからは塾へ行かずに自分の力で勉強をするのだと いうことを話し合いによって決めた。
家で自分でやると言う言葉を信じて、教材はPCを使う新しい 方法を取り入れ、それなりに金額も張ったが、 教育費ということで、家計の中でなんとかしてきた。
でも、PCは諸全遊びに道具に過ぎなかったようで このPCをめぐって、娘との戦いの毎日になってしまった。
中一の勉強は満足いくものであったとは思うのだけれど これから高校入試に向けて、今のままのやり方では 絶対にいつかだめになるという危惧が、私の胸の中にはあった。
だから、今度は本当に自分の力でやりたくなる方向へ もって行って欲しい。
約束は守らなければ約束した意義はない。
一度自分が言ったことには責任を持てる年齢だ。
私のためでもなく、勉強は自分自身のためのものである。
これからの娘のやる気を少し離れた所から そっと見守っていきたいと思っている。
春は雨が良く降る。
卒業式、入学式は雨が多かった。
水不足が心配される今日、雨はとてもありがたいものである。
でも、昨日の「座敷雛」を見に行ったり、 お花見をしようと思うと、残念だ。
こちらの地方は旧暦でお節句を祝うので この2、3日は皆楽しみにしている。
手作りのお弁当を持ち家族で又仲間で桜を見に行き、 桜の木の下で、賑やかな話や歌声で楽しむ。
花見は日本だけのものかもしれないな?
桜を好むのを日本人が特別のようだ。
あの桜の咲き方、散り方にその原因があるのではないかな?
それは武士道に通じるものがあるのかもしれない。
「散り際を潔く」と願うかもしれない。
短い間に咲き、満開になり、そして散っていく。
桜吹雪も又良いものだ。
毎年母と一緒に花見をしてきた。
高齢の母と一緒に桜花を見ることがあと何回できるだろう?
いつまでも続くはずはないと分っている。
だから、毎年母が元気で桜を見ることができることは 私にとってとても幸せなことだ。
雨お早く上がって!
お弁当を持って、母と一緒に花見ができるように お願いよ。
雨よ上がってね!
今日は生憎の雨。
でも、予定通り「座敷雛」を見に行くことにした。
TVでは見たことがあるのだけれど、実際には見たことがないので 楽しみ。
車で結構かかる遠いところまで行くので、姉の車とは言え、途中で 運転を代わるだろう、気をつけて行ってこよう。
朝10時に家を出て大洲までは高速で、園跡宇和島周りで 広見町へ。
2時間半で着く。
「座敷雛」は真穴地区が有名で、今日行った広見町は あまり人に知られていなくて穴場だと聞いていた。
実際に見ると本当に感激した。
10畳ほどの座敷に 自然の風景とお雛様を合体させて一つの風景を描いていた。
制作には4日かかったとか。
「座敷雛研究会」の人たち7名が作り上げた素晴らしい世界だった。
石の端には苔、稲の苗、つくし、たけのこ、いたどり、タンポポなど をまるで本当のように植えて自然の味を出していた。
砂で川を表現し、そこには魚が泳ぎ、釣り人も居た。
お殿様の大名行列もあった。
雛段には本当に年代物の綺麗な顔をしたお雛様が ならび、周りの木々や自然との調和がなされていて 言葉では言えないほどの素晴らしさだった。
元々は、今年初節句を迎える女の子の居る家が 座敷いっぱいにお雛様も飾り、この自然の山や川 田んぼなどの作って祝うものだそうだ。
本当にこれはここで話でも感激は伝わらないと思う。
「ひろみの里のひなまつり」是非一度見てもらいたいと思う。
スカーレット
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