スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2002年06月30日(日) またもカラオケ

今日は 雨が一日中降った。湿度が 高いだろうと
思うくらい ムシムシしてじっとり感のあった
一日だった。

娘が 期末テストを終え、友達と一緒に カラオケに
行くから 保護者として 私に来てくれとのことで
またもや カラオケデーになった。

都合のいい時に利用されている気がしないではないが
仕方がなく 行った。

3人くらいなら 私の歌うチャンスもあるが
今日のように 5人で行くと ほとんどが
彼女たちの出番で 私は 少ししか歌えなかった。
 
時間は午後1時から6時まで 結構あったのに
途中で あきらめて 娘たちが歌う歌に付き合った。

その後 実家の両親も一緒に 夕食を食べに行った。
いつも何かの世話になっているので 今日は
私が招待した。30日に待望のボーナスが出たから
感謝の気持である。

今私はあまり食欲がないので こうして気分を変えて
食事をすると まあまあ食べることが出来たので良かった。




2002年06月29日(土) ピアノ

私は幼い頃から ピアノにとても憧れていた。

その頃は 戦後の日本が経済成長をしていたころで
景気は良かったと思うのだけれど、なぜか家は裕福でなかった。

父は警察官で 家族はまだ祖母が居て その祖母が病気で
お金もかかったのだろう。
ただ、 私は二つ上の姉と二人姉妹で 兄弟が多いというほどではないから
生活に困るという感じはなかった。

そのごろは私のクラスでも ピアノを習っている子は 
ほとんど居なかったと思う。

ピアノは女の子 否 私には本当に夢の世界だったことを
覚えている。

親戚の家(従姉弟)に行くと そこには オルガンがあった。
行くと必ず 弾かせてもらった。習ってもいないのに
今思うと どんなにして弾いていたのだろうか?と不思議だ。

家で 白い画用紙を買ってきて それに鍵盤を書いて
指の練習になると思って 弾きまねをしていた。

従姉弟の家に ピアノが来る日 私はオルガンを貰えるとばかり
信じて 楽しみにしていたが 結局そのオルガンは 誰かに
あげたらしい。

従姉弟とオルガンを私にあげると約束をしていた私にとって人生はじめての
裏切りに会ったような気がして くやしかったのを覚えている。

ピアノが無理だと確信した私は小遣いをためてギターを買った。
本を買い 自己流でコードを勉強し 楽しんだ。

このおかげで 大学時代はフォークソング同好会に入り
学園祭で 皆の前で弾いたり歌ったりできた。

娘が産まれ 私は当たり前のように 4歳から ピアノを
習わせ今思うと怖くなるが 毎日 2時間は弾かせていた。

小学生になってからは 朝登校する前の一時間が練習時間になった。
私は4時に起きて何もかも用事を済ませ 娘のピアノについた。

今はこれが 大失敗だたように思う。

娘は音楽は好きなようだけれど ピアノが大嫌いと言っている。
まだやめないで続けてはいるが いつやめても可笑しくないほどで
練習は全くしない。

アップライトから グランドへ変えたとき 娘のためというよりは
自分のために買ったような気がする。

だから 今 誰も弾かないのはかわいそうなので 私は幼い頃からの
夢のピアノを 少し先生について習い その後は 自分で本を買ってきて
好きなように弾いている。

昨日から 「学生時代」を弾きながら歌っているが 嫌なことも忘れて
夢中になれる。

絵手紙が今ちょっと描きたくない分 ピアノの前に座っている時間が
多くなってきている。

私の夢はショパンの「別れの曲」を 弾きこなすことだ。

いつになるか分からないけれど 夢は大きくと思い 頑張っている。


2002年06月28日(金) 疲れて

今とても疲れていて 何もしたくない気分の今日の日だった。

それでも 母として 主婦として 又娘として

しなくちゃならないことは した。

自分がもう限界に来ているのがわかる。

でも言えない。

休むこと=さぼり の意識が強くて 倒れない限り

動き 何か用事を見つけやっている私が居る。

絵手紙が描けない、いや 描く気がしない。

でも描かないとという強迫観念が作用する。

娘の帰る時間だ。

母になり 又動く。

もう嫌だって どうして言えないのだろう?

自分が情けない。

今日の体重、この頃で一番減少。39、8キロ。

しんどい。馬鹿な私・・・


2002年06月27日(木) 病院

今日は一ヶ月に一回の 私の心臓のほうの病院へ行った。

朝7時にでたので 道はすいていて走りやすかった。

それでも着いたのは 7じ45分頃になってしまった。

いつものように血圧を測ったら やはりいつものように
低かった。上が78下が64だった。

別に低くても何も異常は感じないので大丈夫と思う。

前にも書いたように 今日は今の先生の最後の診察だった。

先生は大阪から単身赴任で こちらへ来ていたので

7月から自分の地での診療で 家族も先生もほっとされている事と
思う。

患者としては 担当医が変わるのは 不安なものだ。

今の先生に変わった時も 慣れるまで時間がかかったから

今度も初めてお会いする先生なので 正直なところ不安がある。

だんだんと慣れるだろうけれど。

今の先生は本当に良い先生だったので残念だ。

次は8月に診察がある。

どうか いい先生であって欲しい。


2002年06月26日(水) 映画

今日 夫と一緒に映画「アイ アム サム」を観た。
考えてみたら 夫と二人で映画を観たのは 昭和54年に
初めてのデートで 大竹しのぶ主演の「ああ 野麦峠」を
観て以来、20年ぶりのことだった。

実は 今日は先日したダニ退治のバルサン噴霧の
二回目をすることに決めていて たまたま、今日が休み
になった夫と 家に居られないので 映画でも観ようと
誘い出かけたというわけだ。

「アイ アム サム」は 感動して涙がいっぱい出てきた。
7歳の知能しかないサムが 娘を一人で赤ちゃんのころから
育て 娘が7歳になったとき 社会は 彼から娘を引き離そう
とした。
 サムは 弁護士と共に戦い 最後は育てる権利を
サムが勝ち取るのだが その過程で 色々な障害があって
すんなりとはいかない。

でも 周りでサムを支えてくれる人々の力と サムの娘への愛
で 勝ち取ることが出来たのだ。

夫と一緒に出かけることの少ない今日この頃だが
バルサン噴霧のおかげで 楽しむことが出来て
本当に嬉しかった。

今日は忘れられない日になりそうだ。


2002年06月25日(火) 今日も雨そして・・・

今日も雨。
梅雨だから、でも私の心も雨模様・・・

人には 間違いというものは 付き物だと思う。

神様で無い限り 誰にでもあるものだと思っていた。

そして それを許すということも 神様が人間だけに
資格として 与えてくれたものだと思っていた。

でも 、私の思うこととは違っていた。

私は自分の心と向き合い 間違っていたと
反省し 相手に許しを乞ったはずだが それが
相手に通じないで 誤解されたままで そのまま
離れていくのは その人の心が狭いからではないかと思う。

自分の物差しで人を測るのは いけないのだけれど
どうしても 私だったら? と思ってしまう。

私なら 相手が間違っていて 私に非がないとしても
相手が私に謝っているのを 受け取り許すことが出来る。

だからそれが出来ない人は よっぽど心の狭い人か
それとも 人の心が分からない鈍感な人だと思う。

本当に良い勉強になった。
これで良かった。

青い鳥は 探しても居ない。私のすぐそばに居たのだ。

もう考えるのはやめよう。

この苦い経験を 明日へのステップとして 未来へ踏み出していこう。
いつか 相手は気がつくと思うから。
そして 多分その人は 自分の愚かさに気づくはず。

でももう遅い。

明日からは思い出に浸らず 新しい一歩を踏み出そう。

「明日は明日の風が吹く]


2002年06月24日(月)

今日は 朝から本格的な雨だった。
梅雨に入ってから 晴れのひが多かったから
夏に渇水にならないかと 心配していたので
今日のように降ってくれると 安心だ。

でも いつもより 気温が低くて 汗はかかなかったけれど
肌寒く感じ 風邪を引きそうな一日だった。

今日 メル友の人から 手紙が届き さくらちゃんという
娘さんから 可愛い絵とともに メッセージが入っていた。

本当に嬉しかった。
今13歳の娘が幼かった頃の思い出が 頭の中を走った。

本当にこどもらしい 可愛い絵だった。

早速さくらちゃん宛てに 「ペコちゃん」の絵手紙を
描いたので 明日一番に出そうと思っている。

本当にありがとう。


2002年06月23日(日) もろみ酢

今日は 曇ったり晴れたりの天気で わりと過ごし易かった。
金曜日に 「いよてつ高島屋」の健康食品売り場で
色々買った中で 今日から 「もろみ酢」を
飲み始めた。

友達から 紹介してもらって初めて 名前を知ったので
本当にどういうように 良いのかは知らなかった。

「もろみ酢」は 沖縄の泡盛を蒸留した時に出来る
もので 黒麹菌、酵母の発酵から 生成されたものだそうだ。

良質のクエン酸とアミノ酸を含んでいるので
健康と美容に良いらしい。

味はすっぱさは少しはあるけれど とてもさっぱりした味で
飲みやすい。

これから苦手な夏がやってくるけれど 今年は私にとって
強い味方ができたので 本当に良かった。

今年の夏は もろみ酢でガッツ!!
今年の夏は もろみ酢で乗り切ろう!!


2002年06月22日(土) 韓国が勝った

対スペイン戦で韓国が 勝った。

PK戦で、スペインのゴールを阻止し

アジア勢初の準決勝に出場が決まった。

これ程 韓国が強いとは 思っていなかったから

本当に驚いている。

顔も日本人と似ているので 今日の試合は

日本勢がおこなっているような気がした。

次は 対ドイツ戦で勝って、横浜で決勝戦を

してほしい。

今まで サッカーを知らなかった 俄かサッカーファンとして

アジアで初めての優勝をしてほしいと つくづく思う。

日本が惜敗した雪辱を晴らしてもらいたい。

頑張れ韓国!!


2002年06月21日(金) 健康食品

今日は 一ヶ月に一回の 日赤の受診日だったので
母と一緒に行った。
いつもの薬をもらい 母も別に悪くなく一安心した。

帰りに いよてつ高島屋へ寄り 健康食品を
買って帰った。

私は 娘が飲む 「陽命源」を買い 今はやりの
「もろみ酢」を買って帰った。
これは前に友達から いいよと薦められていたので
試飲したら 思わぬ美味しさで これからの夏場に向けて
元気で居たいから これからも飲み続けていこうと思った。

母は そのほかに 「サメの軟骨」、「大豆レシチン」、「プロポリス」
などを買った。体に 良いものを飲んでいるから元気でいられると
思うから これからも元気で 絶対に長生きしてほしい。

娘は 今日はテストの二日目だったが 後、月曜日が
残っているのに 今日は 休んでゆっくりすると言う、
まあ それもあの子の決めたことだから 明日をみて見よう。


2002年06月20日(木) 久しぶりの雨

朝雨の音で目覚めた。
梅雨に入ってから あまり雨が降っていない。
渇水になって 時間給水になると 本当に困る。

昔は梅雨の末期になると 抜けるように雨が降り
被害がでるほどになっていたが
この頃は やはり 地球環境が悪くなっているせいか
雨も少なくなっているように思う。

でもその貴重な雨も昼までには やみ そのあとは太陽が
差し込んでいた。

明日は曇りのち晴れとか、 もっともっと降らないと
安心できない。

今日は娘の期末テストの第一番目の日だった。
英語は100点と思っていたらしく 私に間違いを
指摘されると 怒って自分の部屋へ入ってでて来なかった。

今度は悪い結果をとるほうが 可哀想だけれど
娘のためになるような気がする。

明日は理科、社会、家庭科。
見てやろうかと思ったがやはりやめた。
勉強は 自分の力でしなくては 何にもならないから。


2002年06月19日(水) 日本語ネットワーク

今日は月一回の「日本語ネットワーク」だった。
去年の初級では 実習を何回かしたが
今年のクラスでは 初めてだった。

学習者は中国の人で 趙さんと李さんという女の人だった。
初心者だったし 李さんは日本に来てまだ一ヶ月しか経っていないから
勉強の内容は 挨拶、自己紹介だった。

「趙です。はじめまして、よろしくお願いします。」
この文章で 初めに 「私は・・・」ということをしないで
すぐに 名前を言う方が良い、また
中国人という言い方は 自分のことや 遠くに居る人を言う時に使うので
相手に直接聞くときは 中国の方と言わなければいけないと
教えた。

教える側の 私たちは 自分のことを 「先生」と言ってはいけない、
教師と言わなければいけないと 習った。

そのほかに 住んでいるところ、電話番号、職業を尋ねる
言い方を勉強した。

日本語で数字を言うのは結構大変のようで
1から10までの言い方にも色々あるので
日本語を理解してもらうのも 本当に難しいと実感した。

まだまだ勉強は続く。


金魚が死んだ。
娘が6月の最初の土曜日に 夜市で取ってきていた 二匹の金魚の
最後の一匹が今日死んだ。
昨日エサをやった時には まだ死にそうではなく
元気にエサにぱくついていたから 今日金魚鉢を覗いて
死んでいたのを見つけて驚いた。
二週間以上生きていると 大丈夫と聞いていたので
この分では 長く生きていてくれるかな?と思っていたが
やはり 例年と同じように死んでしまった。
前のと同じように 庭の土に中に埋めてやった。
可哀想だ。


2002年06月18日(火) 新垣 勉

今日 「徹子の部屋」で久しぶりに 新垣 勉さんの歌声を聴いた。
去年 番組で初めて彼のことを知ったとき 私は涙が止まらなかった。

新垣さんの過去は 一言で話すことは出来ないくらい波乱万丈だった。

生後間もなく、助産婦のミスで目が不自由になり、物心が
つく頃に 両親が離婚 父はアメリカに帰り 母は 彼を祖母に預けて再婚した。

そのことの事情を知り彼は世間を憎み 母を憎み 父を憎み そして
助産婦を憎み 生きていくこと=憎しみの人生を送った。

それが ある人との出会いで 彼のそれまでのすさんだ
人生と別れることが出来た。
 牧師が彼の憎しみを全て聞き 受け入れ そして彼に
生きることの意味を教えた。自殺は未遂で終わったが
彼の心は 死んでいたのかもしれない。

歌をとうして 彼は生き帰ったのだ。
大学へ進み 牧師になった後 今度は声楽を
極め 40歳でテノール歌手が生まれた。

もし 牧師との出会いがなかったら 今の稲垣勉は居なかった
と言っても 過言ではない。

彼が言った言葉は彼の歌声とともに 私の心の中に響いてきた。
  
彼は言っている。
「憎しみからは何も生まれない」
「ベストワンよりオンリーワン」
彼のコンサートはいつも満員とか。

彼のコンサートを聴く機会があれば 聴きに行きたいと思う。


「サッカー」

日本が トルコに負けた。
くやしい。でもここまで来たことは凄いことだ。
今日の試合は トルコより 全て上回っていたように思う。
ペースは日本のものだった。
惜しい。
トルシエ監督の力は凄かったし 日本中のサポーターの力も凄かった。
日本がひとつになって 応援したと思う。
今日の悔しさをバネにして次のワールドカップに臨んでほしい。


2002年06月17日(月) やっぱり

今日は ラッセルクロウのビデオを2本見た。
「逃走遊戯」と「プルーフ オブ ライフ」

「逃走遊戯」は豊川悦司が共演。
日本的には ラッセルより豊川の方をメインに
持って行きたかったようだが
私的には 何と言ってもラッセルの魅力の作品だと思う。
(豊川のファンの人はごめんね)
とにかく ラッセルの顔 声 姿 全てが好き。
あの二の腕がまた良い。

筋肉質な体と 優しさのある声と顔に参ってしまった。

「プルーフ オブ ライフ」は これで4回目。
でも見れば見るほどラッセルに惹かれていく。

母に言うとそんなに思う私が不思議だそうだ。
誰に何を言われてもいい。
私はラッセルの顔を見、声を聞くだけで
胸キュンになる。
ずーと昔に 初めて人を好きになったような気持とおんなじだ。

この年になって こんなにも誰かを好きになるなんて・・・
笑われるかもしれないけれど 私の心は今ラッセルのことでいっぱいだ。


2002年06月16日(日) 今日は父の日



今日は父の日だった。

私の父は 大正10年生まれで今年の8月で81歳になる。

本当に 父は元気だ。

母は 4年前に手術をしたり 腰や脛が痛くて 

整形外科通いをしているが

父はこれと言って病気はしたことがなく

今も趣味で毎日家の掃除をしている。

父の足腰が丈夫なのは 長年刑事として歩きまわったからだろう。

昔の刑事は とにかく歩くことが基本だったとか。

そのおかげで 今もこうして元気で居られるのだから

昔は 父が忙しくて私は寂しい思いをしたが

有難いことだと思わなければならないかな?

父さん 有難う。

いつも言っているように 100歳まで生きて元気でいてね。


2002年06月15日(土) 勉強

娘の期末テストが 20日から始まる。

今日は久しぶりに 一緒に勉強をした。

昨夜は 英語をしたが 中一の英語も

わかると侮ってはいけなかった。

学生時代には 英語は好きな科目だったので

中一の英語ぐらいと思ったのがいけない。

結構忘れていることが多くて

返って 娘に馬鹿にされそうになった。

今日は5教科以外の 音楽、美術、家庭科を

勉強した。

音楽はテストに出るような 学習の仕方を

していると 絶対に音楽嫌いになると思った。

その点 美術のスケッチの仕方や

ポスターの描き方はとても面白かった。

一枚の絵を鑑賞するのにも 色々な

観点から 見ると いい勉強になるものだ。

家庭科は 栄養や 健康な食生活が

テスト範囲なので 昔習ったことを

思い出しながら 娘と一緒に勉強できて

楽しかった。

この頃は漢字検定2級の勉強以来

何もしていなかったので いい頭の体操になった。


2002年06月14日(金) 私って変わっているのかな?

今日、娘の参観日だった。
問題の 先生の授業だったので
興味もあって 参観した。

子どもたちが言っていることが
私には感じられなくて どこが みんなの問題に
なっているのか 私には分からなかった。

熱心に授業を進めているように思われたが
親が来ているから 本当の姿が見えなかったのかもしれない。

その後の 学年Pで 思ったのだが
どうして皆群れるのだろうか?

私はああいうように グループで集まって
何かをしたり おしゃべりをするのが 嫌いだ。
私語が多くなるし 集まっていないと寂しいのかな?

どうして 一人で話を聞けないのか分からない。

私は買い物に行くのも
カラオケに行くのも
映画に行くのも 
一人が良い。

要らぬ気を使うことも無く 快適だ。
端から見たら 多分友達も居ない寂しい存在に
見えるだろう。

でも 私は群れないと何も言えない人や
行動を起こせない人が大嫌いだ。

私って変わっているのかな? 


2002年06月13日(木) 日本語って難しい

今日 中一の娘の数学の試験問題に
3より小さい数を書きなさいという
問題が出たそうな。

娘は前に習ったか何かに書いてあったと
思い 3,2,1と解答したらしい。

でもほかの子は 2,1と書いたとか。

以上、以下、未満と 紛らわしいことが多い。

以上、以下はその数は入る。3以上なら 3,4,5、・・・

3以下なら3、 2、1だ。

未満はその数は入らない。

3未満なら 2,1だ。

じゃあ 「あなたは 40歳より若い」といわれたら 
40歳は入らないのだ。

買い物に行って 「この商品は 一万円より 販売しています」と
言う日本語は変なのだろう。

レジで 今若い子が「1000円よりお預かりします」
と言うが このときは1000円は 入っている。

この日本語が間違っているのだろう。

微妙な日本語を上手く使うのが だんだんと難しくなっている。


2002年06月12日(水) 心の中

みんな 心を持っている。

そして いつも何かを思っている。

今の私の心は ちょっと幸せなことを思っている。

人は 何歳になっても誰かに恋をするって いけないことなのかな?

結婚しているから?

子どもが居るから?それで 駄目のかな?

心の中で 誰かを想っているということは 私は 決して

悪いこととは 思わない。いくつになっても 心がときめく

相手が居るっていうことは 大切なんじゃあないかな?と思う。

具体的にどうするってことではなく、ただ何か嫌なことや

辛いことがあった時に 誰かのことを想っていると

確かに 嫌な心が少しだけ ハッピーな心になるもの。

私は今、心の中で 恋をしている。

誰にも邪魔されない 幸せなひととき。


2002年06月11日(火) ピアノの調律

今日は 一年に一回のピアノの調律に来てもらった。

前のアップライトから今のグランドピアノに買い換えた時にも
お世話になった ピアノの調律士さんだから 
いつも丁寧ないい仕事をしてくださる人で
こちらもとても安心して任せられるし
話しやすくて とてもいい人だった。

彼は42歳でまだ独身なのだが お父さんが
病気になり 毎日通院しなくちゃいけないので
お母さん一人に全てをまかすのは出来ないと
いい腕を持ちながらも 辞めて家に帰り
当分はお父さんの看病やら 病院への送り迎えをすると決めたらしい。

「一人っ子が困るのがこんな時だ。」と言っていた。
 今まで ずっと 一人で自由にさせてもらっていたから
今が親孝行する時だと思って 惜しまれながらも
会社を辞めたらしい。

仕事より親を取ったと言うことだ。

とても 惜しいけれどあれだけの腕があるから
もし仕事復帰の時には きっと いい仕事ができるだろう。

それにしても 身につまされる話だ。

家も一人娘なので 私は自分のことで 娘を縛るつもりは無い。
自由にしてほしいと思う。
でも子どもとしたら 何かの時には 全てを一人でしないといけなくなるということだから 可哀想に思う。

彼のお父さんが一日も早く少しでも良くなられることを
祈っている。


2002年06月10日(月) 情けなくって

こんな事を日記に書くことが情けなくって
書こうかどうしようかと迷ったが
やはり書いておこう。

今 娘は反抗期真っ只中の13歳の中一である。

いつも 私にぶつかってくる。

外ではとても良い子しているようで 皆の評判も良い。
我慢していることが多いのだりうが 帰ってきて
私の顔を見たとたんに ここには書けない言葉で
私に悪態をつく。

私も気にしないでおこうと思うのだけれど
私が本当に正しく 娘への愛情で言っている時に
ぼろくそ言われると悲しいし腹立たしくなる。

こんな時 普通 父親は 普段は何も言わなくてもいいが
娘が母親に向かって「汚い」や 「ハゲ」そのほか
悪態をついているときには 「母親に向かってそんな言葉は言うな」と
娘を叱るのが本当だと思う。

でも夫は 娘が言っているのをそばで笑って見ているだけで
叱るどころか 一緒になって私のことを悪く言うのは
本当に許せない。

情けないしこんなことを書くこと自体恥ずかしい。
ああ 今からどこかへ行ってしまいたい。


2002年06月09日(日) 美味しかった

今日の夕食は すきやきだった。

お年玉年賀葉書で 「ふるさと小包」が当たり

何を貰おうかと考えて しゃぶしゃぶ用近江牛にし、

今日はその肉で 両親と5人ですきやきをして食べた。

日記に書くほどのことも無いけれど やはり

味は良かったし  皆が喜んでくれたので

嬉しかった。

牛肉は狂牛病が言われだしてから 食卓に上る回数も

減ってきていたので 特に美味しく感じたのかもしれない。

私は肉は別に食べたいとは思わないのだけれど

やはり、育ち盛りの娘は 美味しそうに食べていた。

普段 私は 家では 本当に経済的な献立しか

しないので 今日のように肉をいっぱい食べることが

できたのはラッキーだった。


2002年06月08日(土) いい勉強

今日午前中に、メル友と気持の行き違いがあった。

 メールの交換を始めて 二ヶ月。

他人は自分とは違うということは

分かっていたつもりだったが、

やはり、自分のものさしで測ってしまっていた。

 「私だったら」というのは見方を変えると

傲慢なのかもしれない。

 お互いに誤解をしたまま 分かり合えることが無かったのだと思う。

 顔を見ながら話すのとは違うから

相手を自分の思う理想像に近づけようと

したところに 無理があったのだろう。

 メールの交換を始めて、最初の別れだった。

これからは 今日のことを教訓にして

良い友達関係を作っていこうと思う。

 Kさん、有難う。思い出として心の1ページに

残しておきます。

 さようなら。お元気で。




2002年06月07日(金) 楽しかった

今日は 朝から ブロバイダーの接続ミスで

パソコンがずっと出来なかった。

無い時は別に何とも無かったのに

今では できないと何かイライラして

自分でもおかしい。

あきらめて 直るまでは どうせ時間がかかるだろうと思い

 一人で 午後カラオケに行った。

二時間休むことなく 歌いっぱなした。

キーの調節を記録して 楽な歌い方が出来るようにしたので

本当に楽しく二時間があっという間に 過ぎてしまった。

私は本当に歌うのが好きなんだと認識を新たにした。

何曲歌ったかな?

30曲は歌っている。同じのを何回も歌ったし。

「あなた」「秋桜」「桃色吐息」「別れの予感」「つぐない」

「恋人たちの神話」「無縁坂」「亜麻色の髪の乙女」

「野に咲く花のように」「瀬戸の花嫁」「小指の思い出」

「君といつまでも」「津軽海峡冬景色」「夫婦橋」

「主人公」「時の流れに身をまかせ」後は忘れた。

ひとつの曲を何回も歌ったので30曲くらいかな?と思う。

娘と一緒に行くと 遠慮してなかなか自分が歌えないので

カラオケは一人が良い。

又一人で行って歌って ストレス解消しようと思う。


2002年06月06日(木) こんなに暑くていいの?

この間から ずっと暑い日が続いているけれど

これって 大丈夫なのかな?

前のように 水不足になって 断水なんてことに

ならないようにと祈るばかり。

今月の二十日過ぎから 娘の学校の

期末テストがあるのに 娘は 何にも勉強していないけれど

本当にどうするのだろう?

一番初めの実力テストが まあ良い結果だったから

本人は大丈夫と勘違いしているのでは?

でも 私が勉強の「べ」の字を言っても 怒るから

今は私はとてもしんどいけれど 黙っているのに、

本当に こちらのほうが心配でたまらない。

ああ、本当に親の心子知らずとはよく言ったものだ。


2002年06月05日(水) 今日も本当にしんどかった

今日は昨日に引き続き とてもしんどかった。

毎年しているのだが 今年もイエダニ、ゴキブリの駆除

のために バルサン噴霧をした。

噴霧する前には 食べ物、衣類、精密機械をのけたり

カバーをして 直接あたらないようにしたり

準備がいり 噴霧の後は3時間は家には入れないので

その時間を利用して

両親を 父方の祖父の祥月命日が今日なので

お墓へ連れて行った。

帰ると今度は 掃除機を丁寧にかけ、拭き掃除をして

今やっと 一息ついたところ。(PM3:00)

本当にしんどかった。

3週間後に もう一度今日と同じことをすると いいらしいが

それを思うと気が重たい。


2002年06月04日(火) しんどかった

今日は朝から 働きづめで疲れた。

この季節は嫌い。

衣替えの季節で 夏のために 今まで

敷いていたカーペットをのけ い草のに

敷き変えた。洗濯したり クリーニングへ

持って行ったりした。

私が普通の人のように元気ならいいけれど

やはりいつものことより余分なことを

すると とても疲れる。

家の中はとても涼しく夏らしくなって
 
気持はいい。

午後は少しゆっくりとしたい。


2002年06月03日(月) 金魚が死んだ

6月一日の土曜夜市で 娘が採ってきた

金魚2匹のうち 一匹が今日死んでいた。
 
毎年採ってきては 死んでいたので 

今年も?という感じ。
 
可哀相に、名前も付けていたらしい。

庭へ埋めてやった。
 
生き物を飼うと こうなった時が嫌だ。
 
一週間生きていれば 育つらしい。今年こそ

がんばって長生きさせようと思っていたが 残念。
 
水も違うし、酸素も少ないし、金魚にしては

夜市のままのほうが良かったのでは?

本当にかわいそうだった。


2002年06月02日(日) 表彰式

今日は 先日の動物園の写生大会で
娘が 金賞を取りその表彰式があって
行った。
 写生大会は 幼稚園の頃から 色々と
行き、賞は貰っていたが 今度は金賞だった。
 マンドリルを描いたのだが 親が言うのも
変だけれど 最後の一筆まで 気を抜かず
丁寧に仕上げていた。
 もし賞がもらえなくてもあれだけ心を
込めて描いたから納得で褒めてやっていた。
 やはり 小さい子が多くて 中学生になると
賞を貰っている子の数は少なかった。
 帰りに カラオケへ行きたいというので
友達も一緒に連れて行ってやった。
 「時間がもっと有ればいい」と娘は言っている。
ああ疲れた。


2002年06月01日(土) 買い物

今日は朝 近くのスーパーへ買い物に行った。
冷凍食品が半額、和牛が半額というチラシに
つられて行った。
 やはり考える人は同じで とても混んでいた。
お目当てのもののほかに 枇杷が安くて
美味しそうだったので買った。
 それとなにを買ったのか 荷物が
とても多くなって重くて疲れた。
 帰って、自分のHPの絵手紙作品を
更新しようと何度も試みたが失敗。
私のパソコンにウイルスが感染したのだろうか?
ページが白紙になっている。
 今晩にでも 又やり直して 更新できるように
やってみよう。 


スカーレット