2002年09月30日(月)

■ 25 or 6 to 4

午前3時半。
10時になんか寝てしまうと、こんな時間に目が覚める。
では12時に床に就くと5時半には起きるかというとそんなことは絶対になく、
目覚ましをかけていても7時前に起きるのがつらかったりする。

10時就寝ならたっぷり8時間寝ても6時起床。
すがすがしい朝を迎え、ゆっくり新聞に目を通し、
余裕を持って新しい1週間を始める作戦だったのに。

というか、夕べは9時半を過ぎたらもう眠くてしょうがなかったのだった。
そもそも日曜日の朝、6時から起きてしまったことからしてまちがいだ。
子供か? 仮面ライダーはもうやっていないぞ。

しっかし、なんで6時なんかに目が覚めてしまったんだろうなぁ。
前の晩、というかそのほんの数時間前である2時半まで、
桐野夏生の「玉蘭」を一気読みしていたのだ。

そう。「玉蘭」ね。これ凄くいい。深い。
特に後半、ぐいぐいと切なさや悲しさが増して行くあたり、
他人の不幸にぞくぞく。我がことのようにぞくぞく。
「光源」を抜いて、最も印象深い桐野作品に決定。

で、2時半まで本を読んでいた土曜日は、
朝の10時近くに寝て、夕方4時に起きるという生活だった。

なんか、もう、めちゃくちゃ。
ひとりにしとくと生活のリズムもへったくれもない。
そういえば学生時代、みんなこんなだったから、
一堂に会するということがなかなかできなかった。
ワシら全員が起きてる時間てないんか、ってな具合で。

しかし、ぼくは学生でも、ましてプーでもないわけで、
こうして改めて就寝時間と起床時間をみてみると、
しょーがねーなーと思わないわけにはいかないのだった。

さて、これからもう2時間ほど寝て、
すがすがしく朝を迎え、ゆっくり新聞に目でも通しますか。

 ☆彡

とかいいながら、さっき届いた朝刊を
寝る前に開いてしまうことは必定。

だったらコーヒーでも飲みながらとかいうことになり、
のんびり読みふけっているうちに、
ありゃあ、もう寝てる時間ねーなーとなって、
ハードな1週間がこうして始まるわけで、ひぃひぃ。

なんてぐずぐず言ってないで、さっさと寝ろよな、もう、まったく。


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    2002年09月28日(土)

■ そゆことはBBSかメールでな

音で巡る世界をテーマにCD作成。
マリからヌビア、レバノンを経て欧州をデンマークまで北上、
一転アメリカへ渡るも、しばしインドシナ方面をうろうろし、
台湾、香港、韓国、日本ときて、
なぜか最後はインドネシアで終るという全20曲。

ひとりで聴くのがもったいない出来なので、
無理にでも誰かに聴かせたい欲求がつのる。

みんな、よかったな。
こんなぼくがひとり北海道にぽつんといて。

 ☆彡

図書館で借りてきた大沢在昌「心では重すぎる」。
主人公に敵対する憎々しげな少女、
これを京極堂ならどう落とすだろうかと、
わくわくしながら読みふける。

いや、それはちがうだろう、猿君。
そんな突っ込みに飢えている。

 ☆彡

会津若松なぁ。ぼくも行ったことがある。
白虎隊の格好して、ラジカセから流れる曲をバックに
刀振り回して踊る女性に、妙な違和感を覚えたり。
貸し自転車屋の親父は、薩摩への敵愾心を隠そうとしなかったっけ。

ところで、「お坊さんに憧れてお寺に入ったの」と
軽やかに歌う尼さんをご存知?

 ☆彡

妙な存在感を示した1行は「19歳です。うふふ、あはは」。
これが「56歳です。うっしゃっしゃっ」だったらどうか。
あるいは「ふっ、36ですがなにか?」だったり、
「に、23です。ぐふふ」だったりしたら。

「26ですぅ。うふん、あはん」。却下。

 ☆彡

ねぇ、凄いよね、石狩川。
この川がぼくを途中下車させたのさ。
きみよ、ここでうたを詠んではくれまいか。
詩をうたってはくれまいか。

逝く秋を、来る冬を、
きみのコトバでからめとってくれまいか。

 ☆彡

いいな、疾走感のある文章。
適度な韻、小気味のいい繰り返し。
そのリズムに乗ってしまえば、どんなに論理を飛躍させても、
たとえ1行抜け落ちてても、きっと気にせず納得しちゃう。

しかしな、ぼかぁ、遅れずついていく。
どんなにそこが土砂降りの雨でも。



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    2002年09月23日(月)

■ 『狂気』を知らないじゃ通らない

PC上のCDプレイヤーが勝手にインターネットにアクセスして
曲名だとかアルバム名だとかを拾ってきたときは驚いた。
そういうことを勝手にしてもらっては困るのだった。
まだダイヤルアップでその都度ネットに接続していた頃の話である。

そんな迷惑な機能はすぐにオフにしてしまったし、
常時接続環境を手に入れた頃には、
単機能の軽いプレイヤーを使うようになっていた。

なので、すっかり忘れていた。
CDプレイヤーとはそのような振舞いに及ぶものであることを。
PCを新調し、ああそうだったと思い返した次第である。

そんなわけで、ぼくはそういった機能や仕組みに疎かったのだが、
プレイヤーによって、情報をゲットしてくる先が違うのを先日知った。

たとえば、外盤にはからっきしのデータベースがあって、
平気でそこにアクセスし、平気で未知のアルバムだと抜かすプレイヤーがある。
外盤とはいえフロイドですぜ。『狂気』ですぜ。
知らんはなかろう。それは通りませんてば。

別のプレイヤーなら、もちろん一発。
ジャケ写やアルバム評まで出てきたりする。

作る方もわかっているだろうに。
その差でもって、プレイヤー自体の出来不出来まで左右されてしまうことを。
アクセス先をユーザーの選択になぜ委ねない。
そのへん、どうなっているんでしょう、健太さん。ねぇ、萩原さん。

とはいっても、ぼくの所有する音盤の大半は、
アジアものやアラブものだったりするから、
即座にフロイドの『狂気』を判別するデータベースも
結局は使えないものであることに変わりはない。

中途半端に使えるものは、しかし、
まったく使えないものより始末が悪い。

アルファベットで表記することが可能なアラブものだけでなく、
漢字だらけの華人作品まで、その日の気分次第では、
じゃあぼくが入力しといてやろうかという気になってしまうのだ。

というわけで、これはまるこめの仕業だなというのを見抜いた方への
豪華景品を当コーナーでは用意しております。


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    2002年09月22日(日)

■ あらすじ作家の果実

ええ、無理やり端折って終わらせましたとも。
3回とか4回とか20回とか続くと、もうあらすじじゃなくなるんで。
いえ、30回とか平気で続きそうな勢いだったんですよぅ。ホントだってば。
そいで、いろいろ夢想しちゃいました。

あとがき作家に対抗しうる、あらすじ作家登場とかね。
あとがき作家はそれを書くために曲がりなりにも本編を書き上げるけれど、
あらすじ作家は本編はいっさい書かず、あらすじばっか書いてるの。

本編は80巻を超える長編になりそうな気配、
編集者にも読者にも迷惑かけるし、
なにより20年も同じ話を書き続ける自分が苦しい。
なので、全3巻ぐらいであらすじのみお伝えします、とかさ。

スピーディーなことを望む現代人にこれはぴったり。
だって、この人たちはだらだらした野球中継なんかより
ハイライトシーンを手際よくまとめたプロ野球ニュースの方が好き。
連続ドラマも毎回見ないで、最終回とその直前に放送されるダイジェストで十分。

どんどん省き、ばっさり切り、要点だけを手短に。それが時代の趨勢。
何文字以内でまとめよという問題は、ずっと学校でやってきた。
それはまぎれもなくひとつの才能。
花開けば、あらすじ作家への道が。

 ☆彡

できあがった本はこう呼ばれる。
歴史の教科書。


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    2002年09月21日(土)

■ 「これまでのあらすじ」第2回

なんだそれは。
「これまでのあらすじ」第2回。
1度で終らせろよ。あらすじだろ。
300字以内とか原稿用紙1枚とか制限あるだろ、ふつう。

というわけで、その気がなかったぼくに、
にわかにホームページ作りを意識させた出来事。
それは北海道への単身赴任を打診されたことだった。

これはごねても逃れられそうもないなと思った。
したらば、ひとり北海道でなにをして過ごそうか、と。

それで決まった。
そうとも、ぼくはホームページ持ちになる。
サイト持ちとかいうと、もっと格好よさそうだ。
わはははは。よし。

となると、リンクだ。
どこにもリンクしない、どこからもリンクされない、
そんなホームページ、ぼくはイヤだ。
考えただけでイヤだ。作る前からイヤだ。

前述の憧れのふたつのサイト、あそこに張らないでどこに張る。
ほとんどそれが目的のような勢い。
肝心のホームページの趣旨とか方向とか、そんなこと知るかいな。

善は急げというか、思い立ったら吉日というか。
実際に北海道へ単身赴任する半年も前に、
こうして「茅ヶ崎風雲堂」はオープンした。

とりあえず入れ物を用意しておいて、
北海道でひとりの時間を確保したらガシガシ更新する。

そんなつもりがあったのなら、
なぜ「蝦夷地疾風堂」とかにしておかなかったのかと、
ちょっぴり疑問が残りもするが、
ま、そんなことどうでもいいわいな。

以後のことはご覧の通り。
皆々様の知るところ。
「あらすじ」は書いても「次回予告」はもうしない。


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    2002年09月16日(月)

■ これまでのあらすじ(のようなもの)

ぼくが。
というより、ぼくのパソコンが。

そいつがネットに繋がったのは、
@niftyがまだニフティ・サーブという名で、
会員数が30万だか35万だかいってた時代。

居ついたのは音楽フォーラムとゲームフォーラム。
そして、そこで意気投合した者がこっそり、あるいは大っぴらに集う、
いくつかのパティオとホームパーティ。

ホームパーティ。
HPといやぁ、当時これを指した。
でなきゃ、ヒットポイント。
まるこめは35のダメージを受けた、ぐはっ、というアレ。
ヒューレット・パッカードのことだとは今もって誰もいわない。

などと冗談を言ってる間に、HPといえばホームページを指す時代がやってきた。
が、3.1で初めて経験したWindowsはまるで使う気になれず、
95の狂騒も、MS-DOSにバッチ処理させながら冷たい目で見ていたぼくは
インターネットというものにすっかり乗り遅れてしまったのだった。

というか、長らくパソコン通信に親しんだぼくは、
インターネットで文字を読む気にはなかなかなれなかった。
んじゃ、なにをしていたかというと、画像を眺めてむふふと過していたりした。

ああねぇ。正直でいいじゃないか。ねぇ。
そうさ。見たさ。探したさ。あんなのやこんなの。
こういうのが18、9の頃に手に入っていればなぁと悔しい思いだってしたさ。
飽きるほど見たさ。そいで、飽きたさ。
飽きるのに2年ぐらいかかったけどな。
そいで、その間にきっちり常時接続環境を手に入れたけどな。わはは。

で、ようやく、ぼちぼちと字面を追う気分になってきた。
そうして、初めて面白いと感じ、居ついてしまったのがここ
けっしてうまい文章ではないし、正しい日本語でさえなかったが、
文字から伝わることが、やはりぼくには一番面白いと思えるのだった。

その掲示板で知り合った方のホームページにもいつしか顔を出すようになった。
遊び心満載だったそこはすでに閉鎖され、今はこのように進化しているが、
このふたつのホームページがぼくの手本になった。

いや、そのときはまだ自分のホームページを持とうとは露ほどにも考えていなかった。
他人の掲示板でえへらえへらと過すのが気楽でいいと思っていた。
そんな心境に変化をもたらす出来事がやがて起る。

って、続くのか? 続けるのか?
あらすじ(のようなもの)を。



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    2002年09月12日(木)

■ そんなに住みたいのか、茅ヶ崎に。

毎度毎度「茅ヶ崎に住む」なんてのをキーワードにやって来る人がいて、
むしろ奴とか輩呼ばわりしたい気分だったりもするが、
なんなんだ、そのキーワードはと、まず言いたい。

その妙なキーワードで検索かけると、
一等最初に表示されるのがなぜか「茅ヶ崎風雲録」なのだ。
だからって読みに来るか、わざわざ。
もうちょっと下にある「三井の住まい」なんてのが本筋じゃないのか。

いや、そういうまともな目的を持つ者なら、
そもそも「茅ヶ崎に住む」で検索かけたりはしないだろう。

いや、するかも。怖いけどするかも。
「茅ヶ崎に住みたい」としないだけ、まだましなのかも。

検索におけるキーワードというと、
なにか希望とか願望とかを入力するものだと思っている人。
いないか。

いや、いるかも。信じられないけどいるかも。
「茅ヶ崎に住みたい。できれば海側」としないだけ、ましなのかも。

 ☆彡

もっとワケのわからんケース。
検索キーワード「松嶋ももこ」。
来るか、それでウチに。

そりゃあさ、ウチはももこさんとこにリンク貼ってるさ。
だから、検索すれば何番めかにヒットだってするだろうさ。
でも、来るか、それでウチに。

 ☆彡

以上の事実から導き出される答えはこうだ。
表示された検索結果を前に、人は往々にして気が変わる。
あるいは。
表示された検索結果を前に、人は当初の目的を忘れてしまいがちである。

というわけで、当コーナーでは、
アナタが体験した不可解な客人の
意図不明な検索キーワードを募集中。


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    2002年09月11日(水)

■ 落としどころは人生

この町での生活もそろそろ3ヶ月。
どこにあるのかずっとわからず、それとなく探していた図書館が、
「ゆめっくる」なんぞという名の施設のなかにあるのを発見。

その施設、別名を生涯教育センターとかなんとか。
図書館は図書館という名で、
それ単独で在るものだとばかり思っていたよ、ワタシは。

っていうか、隠蔽しようとしてないか? 図書館を。
知ってる者だけの秘密にしたいとか?
アピールしろよ、その存在を、もっとな。

毎日その前を通る、徒歩3分の距離にあったと知って、
ぼかぁ、ちょっと馬鹿を見た気分であるぞ。

でまた、帰省時に書評で見かけて読みたくなって、
飛行機の時間を遅らせてまで探し回っていた本が、
そんな人を馬鹿にしたような図書館で
あっさり見つかってしまうという事実。
しかも、ページを繰られた形跡すらない状態で。

まるで人生の縮図みたいでないかい。
何事かを示唆しているような。
格言とかことわざとかがいろいろ浮かんできそうじゃないか。

徒労とか。
いや、それって格言でもことわざでもないし。

えっと、猫に小判とか取らぬ狸とか。
ちょっとちがうか。

まぁ、あれだ。
どう落としたらいいのかわからない文章は、
人生で締めればいいという話だ。

そんな話をした覚えは全然ないが、
どう落ちをつければよいのかわからなくなっているのは本当だ。
だから、ぼくは言ってしまおう。

それもまた人生のひとコマなのだと。


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    2002年09月07日(土)

■ 坊ちゃん、嬢ちゃんはついてこれまい

田中っていったっけ。ココリコの片割れ。
彼がさ、その田中がさ、中華料理の修業をしてたのさ。
帰宅してまずつけたテレビでさ。

そんなことは、でも、どうでもいいのさ。
問題はそのときバックに流れていた、いかにもな曲さ。
なんかさぁ、勇ましい男声コーラスの中国語の曲。

それ聴いて、ぼかぁ、びびびと思ったね。
おら、この曲知ってる。それどころか持ってるかもしんね。
でも、なんで持ってるんだ、こんなもの。
そもそもなんなんだ、この曲。
誰だよ、歌ってるのは。

というわけで、家捜し。
使い道がありそうな600枚ばかし、赴任先まで持ってきているのさ。
ちゃあんとな。そこいらへんに抜かりはないのさ。
「聴きそうな」ではなく、あくまでも「使い道がありそうな」やつな。

で、発見。
「太極張三豐」という映画のサントラに収められていた曲。ううむ。
観たこともない映画のサントラなんぞを、ぼかぁ所有してたってわけだ。
93年リリースの本作、今となってはそれを買い求めた動機は謎だが、
ひとつ嫌な考えがよぎった。……ぼかぁ、オタクなのかもしれん。

 ☆彡

サントラつながりでもうひとつ。
先週、テレビで観た映画の最も感動的なシーンで流れていたのが
シルヴィ・バルタンの「あなたのとりこ」。
この春から夏にかけてお茶のCMにも使われていたこの曲、
ぼくが自分のお小遣いで初めて買った洋楽シングルだった。

今また彼女の「アイドルを探せ」がCMに使われているが、
来るのか、シャンソン。
というか、すでに来ているのか、シャンソン。
来てるよな、シャンソン。

 ☆彡

音楽つながりでもうひとつ。
あのさ、「ツーハンマン」で流れる曲、インスト、
あれって「アイム・ア・マン」のパクリですか。
今にもパーカス軍団が躍り出てきそうな勢いなんですが。
「あ〜むあまん」とか口々に叫びながらね。

なんつう話題。
坊ちゃん、嬢ちゃんはついてこれまい。
ふはははは。


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    2002年09月03日(火)

■ これがなかなか、なのでぼちぼち

困ったね。
PCが2台もあると。
どちらをメインに使ったらいいんだか。

って、それはもちろん新しい方を使いたいに決まっているんだが、
これがなかなか。
なので、ぼちぼち。

と、これだけで話がほぼすんでしまうところが
「なかなか」と「ぼちぼち」のすごいところだが、
そんな曖昧な物言いのなかにも、
深くは聞いてくれるなという思いが見え隠れしているあたりがまた。

などと言葉を切ってもそれなりの意味が付加されてしまうので、
実はなにも語っていないことを知りつつ、
あたかも何事かを語っているかのような顔をして、
今日のところは許してもらおうと思うわけだ。

平穏な生活は、安定したPCライフの上に成り立つ。


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  目次とか 前回とか次回とか 掲示板とか