母のタイムスリップ日記
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2013年09月30日(月) 母とのおしゃべり


もう9月もおしまい。
賑やかだった虫の声も大分少なくなってきた。
虫の声が消える頃には 気温も下がって来るなぁ。

昨日 娘が母のために玄米スープを作って来てくれた。
辰巳芳子流の玄米スープ。
昼と夕とに汁物として母に飲んで貰った。
ちょこっと味見させてもらったら香ばしい味がして美味しかった。

娘曰く 辰巳氏は褥瘡を直す食べ物というのも提案しているという。
牡蠣をつかったりするらしい。他にもあるという。
栄養不良で褥瘡が起きやすくなるのだから…確かに…と思うが今の私にそれを作る気力は不足しているなぁ。
出来る限り食べ物に配慮していきたいとは思っているけれど…。

今朝は早起きしてゆっくりペースで朝の介助をした。
結果 デイの迎えのバスが来る前に支度が整い余裕の朝となった。

デイでの様子は相変わらずのようだった。
帰宅した母はうつむき加減だったがトイレ誘導して「大」を排出後母とおしゃべり…。笑顔と頷きを見せてくれた。

デイの職員もけがをする前までの母の様子が良すぎたのでそのギャップを感じているようだ。
それは私も感じている。
感じているからもう少し頑張ってみようと思うのだけれど…。
職員はちと違うよう。

いろんな症例を見ているから見切りが早いのか?
無駄な力は不要ってことか。
…ああ 言い過ぎだね→これは妄想であり真実ではない…

夕食後も母とおしゃべり。
母から帰って来るのは 視線と頷きと笑い。
懸命に聞こうとしている母がいた。

口腔ケア後 トイレ誘導し眠そうなので就寝。
ようやく定刻に眠くなる様子。
すぐにzzz。


2013年09月28日(土) 今日は すぅっと…


臨時のデイへおでかけ。
昨夜は ぐっすり眠っていた。
夜間のトイレ誘導はちと大変だったけれど1人で奮闘。

夕方デイから戻った時に職員から「3人がかりでも大変で午後の1回はベットで替えました」と報告があった。
連絡帳を見ると同じことがしっかり記入されていた。
「がーーーん!」大変なのは先刻承知しているんだけどなぁ。
追い打ちをかけるように言わなくとも…。

1人介助で多少の苦労はあるけれどできないほどの無理をしている訳ではないのだけれどなぁ。
そりゃね 時折夫や娘の手伝い(下着やズボンをあげるときくらいだけれど)があるときにはラッキーと思うけどそうそうあるわけではないよ。

デイでは大変だったようだったけれど 帰宅してからのトイレ誘導では片方の足を軸にして立位で介助できた。もちろん1人介助でね。

なんとなくだが言われる言葉は目に見えている。
「家族のように1人だけを介護するわけではなく大勢の人を介助していますから…」→これは過去にずっと昔に言われたことが耳にしたことがあるんだ。

あぁ 愚痴っぽいね。やだなぁ。
さぁさ 忘れようっと!

母は 夕食の食べっぷりもよく 就寝も泣かずにすっと眠りに入れた。
今日は叫び声も聴こえない…。
ゆっくり眠れているのだと思うと嬉しい。


2013年09月27日(金) ゆっくりリハビリ。


月末の作業完了。
夕方 母が帰宅。

今朝「摘便」で大排出できているという報告だった。
が表情が冴えないのでトイレ誘導し多量の大を排出できた。
ゆっくりと笑顔が戻った。

夕食やフルーツ等程よいペースで食べ終えた。
口腔ケア後休息しトイレ誘導。

                                    起きている間は何も問題ないのだけれど」…ベッドに横になると始まる。
今日も始まった。

入眠用のアロマを使ったのでひとこと・ふたこと大きな声が出た。

その後も安定している。
このまま 静かになって欲くはあるが…どうなりますか?


2013年09月26日(木) 慣れなくてアタフタ。


昨日から2泊3日のショートステイ利用中。
私は月末のPC作業中。
以前はこの作業XPで仕上げてからMacに送って微調整をしていた。
Macオンリーだとまだ慣れない。
「8」にも慣れなくて…作業にアタフタして時間がかかる。

お昼は気温が上がったが夕方になって気温が下がってきた。
母の着替えは 気温が下がっても大丈夫なように準備して送り出したので寒い思いはしていないだろうが…。

お迎えの職員に「今回も入眠用のアロマオイル使いますか」と聞いてみたら「前回夜間 目がパッチリしていました」と言われたので持たせることにした。ショート先でもアロマの効用があるということだろう。

明日は帰宅する。




2013年09月25日(水) 弱り目に祟り目

 自ら招いてしまったことだけれど母にとっては迷惑な話。
介助も厳しい日が続いている。

母はほぼ全介助だったが 両手介助でも立位を維持できない状態が続いている。
更にベッドに入ると泣く。それは夜間繰り返されている。

母も私も十分睡眠不足。
母は昼夜逆転しつつある。
「デイでは傾眠してました」と報告を受ける。「そか じゃ今日も寝ないね」と覚悟を決める。

先週夫から風邪をプレゼントされて 自覚症状がでたので通院した。
弱った体は正直で…発熱してしまった。
それも夫はその日早朝に法事に出かけてしまった後。
娘も出張帰りでお手伝いの要請も躊躇われた。

母の朝の介助を前にして大きなため息が出た。
マスクを装着して手を消毒して…それでも気力が湧かない。
「自分の責任でしょ」とわが身を叱責しながら何とか介助した。
今日いちにちどんな風に過ぎるのだろう…と思った。
「やるしかない」のだった。

それでも朝食の介助を済ませて弱気のメールを娘へ送信。
娘は 都合をつけて我が家に来てくれた。
夕食持参で…。

幸い熱は下がったが風邪は抜けきらず…毎日ひやひやの連続だった。
まさに弱り目に祟り目の日々だった。

今回は ほんとに訪問介護・看護を受けようかと迷った。
たまたま連休でケアマネへの連絡にも歯止めがかかった。
出来る人が訪問してくれるとは限らない。
「3人介助です」と言われると来てもらってもどうなんだろうと思ったりした。時間の制約を受けるのも辛い。

風邪は治りきっていないが山は越えられたみたいだ。

体調に配慮しながら月末の仕事に取り組んでいる。







2013年09月20日(金) 収穫?


昨日 デイサービスの職員に「今日は㏠傾眠状態でした。介助も3人で行いました」と報告を受けた。

安全のために3人介助だと思う。
けれど「素人で夜間の1人介助は無理ということか」と思ったり「1人でも何とか介助できるものだけれど」…と思ったり実に複雑な思いがした。

「ショートステイ帰りなので持ち直すまで時間を要するかもしれないが頑張りましょうね」と言っていただけたら励みになるのだけれど…なんてことを1人呟いた。

ショート中は不眠はなかったというけれど 昨夜も大きな声で叫んでいた。
朝や夕方は叫ぶこともないので夜間に何か問題があるのだろう。
体位を替えているうちに左下にしてみると大きな声が消えた。
療法士さんの指摘通りだ。

でもねぇ。体位を替えないと褥瘡ができるし…。
というわけで 午前2時ごろまではコロンコロンと体位を替えた。
トイレ誘導後は 5時まで同じ体位で。
そして起床までは仰向けで…。

就寝するときには 仰向けでは大きな声で叫ぶことが多かったが明け方はぐっすり眠っていた。
不具合はあるのだろうけれど心理的なことも影響しているのかなぁ。
あくまでも推測の域。

眠りが足りない分 朝の目覚めは快調ではない。
「おはようございます」のあいさつににっこり笑顔が戻って来るまでにはまだ時間を要するのかな?

それでもトイレ介助で軸足での立位は瞬間できるようになってきた。
結局は 家族の努力以外に道はないのかな?
安定する位置を探すって介護士や看護師さんでは無理ってことなのかなぁ。
人によって意識の差があるって考えておくことにした。

夫が家を出る直前に合わせて…トイレ誘導。
今朝のトイレ介助は 夫にトレパンをあげるのを手伝って貰った。
今日は パットもうまく収まった。
共同作業にも下準備は必要で上げて貰うだけで大丈夫という準備を整えた結果のことだ。
介助経験のない人に手伝って貰うにはそれなりの工夫がいると前回の失敗で学んだこと。

母に苦痛を味あわせたが1つ学べたことは大きな収穫。 


2013年09月19日(木) 十五夜


 少し長めのショートステイを利用した。
この間に あれこれと作業をしたが 全て終えることはできなかった。

母は無事に帰宅したが…。
手足の可動域がずいぶん狭まった。
もちろん覚悟していた。

母も辛かっただろう。
家に戻った時顔をみて「ふふ」と笑ってくれたのは救いだった。
またすぐに果物を食べて貰ったら目をみてにっこりしてくれた。

帰宅当日の尿の量が非常に少なく 色も濃かった。
OS1ゼリーを持参したのだが 足りなかったようだ。

これから手足の可動域を広げるために意識して手足を動かして貰うことにする。

骨折後 汗が多量に出るようになった。
褥瘡も小さいながら時々出没。
起きている間の姿勢や夜間の体位をこまめに観察し対応しなければならないだろう。


そんな訳で 日記の更新も時間の許す時にとなって行くと思う。
睡眠不足は 母も私も…。

2人の健康維持をますます意識していかねばならない。
2人で笑って過ごせる日を1日でも増やして行きたい。

秋風が立ち 季節は秋へと動き出した。
身体介護時の汗も大分減った。
今日は 十五夜だ。
お天気もよいので今日は見えるだろう。


2013年09月12日(木) スワッ!


母と暮らす日々は 朝にご近所さんと話し込むことは少ない。
今朝は門前の植込みの枝を払っていたのでちょっと立ち話。
この夏 茶毒牙に射されたご近所さんが 今朝茶毒牙を発見して取り除いたと言っていた。

我が家も椿があるので ちょこっと様子見。
まだ見当たらなかったけれど用心のため早目に剪定した。
できれば消毒を避けたいから。

結局花芽も大分切ってしまった。
もみじも紅葉分を残しながら剪定。

我が家は言われていないが お隣さんの落ち葉が雨どいに入って困る。
窓を開けれないと言っていたので 迷惑を考えて…。
そのほかどうたんつつじも剪定。
これも紅葉分を残して…。
剪定している間に大きなアゲハが飛んで行った。
山椒の木をみたら一匹いなかった。

夕方 夏にお便りをくれた友人に電話をした。
忘れたころに声の便りで…ほんとうに横着になった。

「今度手伝いに行くわよ」と言ってくれたけれど「我が家におしゃべりにきて」とお願いした。
母と二人だとまともな会話のない日も時折ある。

夫は仕事仕事で家は眠る場所みたいな日々だから。
少し 暮らしに変化を取り入れないと…。

今日は買い物に出ないで冷蔵庫・冷凍庫のありあわせで夕食。


2013年09月11日(水) 庭の手入れ


 この2週間近くの間に小さな傷があちこちにできた。
母の爪でできた傷だ。
母も不安だったから仕方がない。
以前なら「痛いよ」と言えばハッとしてやめたものだが椅子から転倒してからは通じない。

これは「倍返し?」うそうそ…。
介助が不安定だったのと痛みがあったからだろうと思う。
順繰りに傷は消えて行っているので心配なし。

母のいない間に あれこれと取り組んでいる。

昨日今日は草取りが中心。
広い庭ではないが雨戸を開ければ見たくなくとも目に入り気持ちが落ち込んでいた。

ドクダミの根を引き抜くのに悪戦苦闘。
前回中途半端な作業だったためだろう。
草取りをしている間に土の中に眠っている幼虫に出会った。
山椒の木には アゲハの幼虫が5匹。まだ小さいものを入れると10匹。
当然山椒の葉は幼虫に食べられてしまっていた。
そんなこんなの虫たちとの出会いもあった。
今日で草取りは終了。

まだ伸びた枝の剪定が残っている。
今日は フェンスを越えて枝が張ってないかをチェックし伸びているところは剪定した。
家の方に伸びてきている草の弦や枝もあるのだがそこは目をつぶる。
荒れた庭が少しはきれいになるだろう。

雨上がりの庭なので枝から落ちる滴と湿った土で泥だらけとなった。

夕方買い物に出た。
途中で介護仲間とばったり出会って立ち話。
この方極初期の認知症の方の介護中。
「まだできる筈」という想いが強くついつい「そうじゃなくて…」と言ってしまうとのことだった。
振り返ればわが身にも覚えのあることで…。
そんな話をちょこっと。ぽつりと落ちた雨に慌てて買い物へと急いだ。


2013年09月10日(火) 「あ・ぶ・な・い!」といった母


椅子から落ちて数日経たころから 母の言葉が減ってきていた。
増えたのは「あ〜ん」と泣く声。
特に就寝してから明け方まで。
つまり睡眠時間が減った。
その分 日中にぼ〜っとすることが多くなった。

先週末から少しずつ頷きで返してくれるようになり 笑顔も戻ってきた。
光明を得た思いがした。

言葉は減った儘 食事の呑み込みが悪くなり 夜間は泣く…の日々。
母も私も辛かった。

土曜日 娘が来てくれた。
車を出して貰って美容院へ。
午前中入浴して洗髪も済ませていたが美容院でも洗髪して貰った。
車椅子から洗髪する椅子へ。その後鏡の前の椅子へと移動するたびに美容院の方は 滑り止めのシートをパっと移してくれる。
私には当たり前の風景となっていたが 娘にはその連携プレーに感動したようだった。

外に出て力を貸していただけることにあらためて感謝の気持ちが湧いた。

帰りは遅くなったのでファミレスで外食。
パンやスープやハンバーグを食べてもらった。
少し厳しい食事介助だったが母はとても嬉しそうな顔をしていた。
いつもと違う場所を意識していた風だった。

家に戻って休息して眠そうなので就寝のための一連の介助でベッドへ横になってから 目をぱっちり開けてしまった。
一時間以上目をパチリンコ。
娘が 不眠用のアロマを母に塗った。

このアロマは しばらく前に私が夜間幾度も目覚めて不眠症状が出ていた時に取り寄せてくれていたものだ。使う機会もなくいたのだが…。

母に使ってみた途端に目をつぶって寝入ってしまった。
あまりの効き方に二人で目をぱちくり!
この夜 トイレ誘導後にも目をぱちくりして手を動かしていたのだ…アロマを使ったら動いた手がピタッととまってすぐに眠りに落ちた。
「優れもの!」と驚いたが 日中の疲れもあったのだろうとも思った。
気持ちが落ち着かなくて眠れないのは辛いものだろうし かといって睡眠誘導剤を使うのも躊躇われたのでアロマで眠れられるならそれも一つの手段としていいかななんて思った。

ちなみに その後娘も私もためしてみたけれど特に強い効果があったわけではないので体に毒になるようなものではないと思った。
弱っている人に効果があるものなのかもしれない。

翌日も目をパチクリ症状が出た。
そこでアロマを使ったが前夜のような劇的な変化はなかったが 目を閉じてうつらうつらとして30分後には寝入っていた。
眠れないときには 11時過ぎまで起きていたのだからまあまあの効果ということだろう。

昨日は 母をショートステイに送り出した。
上がり框から玄関の床に介助で下した時 私が少しだけグラッとした。
転倒の危機はなかったのだが…この時母が「危ない!」とはっきり言った。

母の頭の中には言葉が残っているのだと強く感じた。

全てを理解しているということはないと思うが こちらの話は理解できているのだろう。だから頷くこともできるのだろう。

認知症を侮ってはいけない。

母を送り出してから 家事を済ませてお昼前にちょこっと眠ったら本格的に寝入ってしまった。
2週間近く 平均睡眠時間が3時間ちょっとくらいだった。
慣れない身体介助もあり疲れもピークだった。
これだけ介助しても本格的な腰痛は幸い起きていない。



2013年09月05日(木) 嵐の夜だったけれど…


昨夜 母は久々に9時前に寝入った。
布団に入っても目をパッチリと開けて10時過ぎても寝入ることがない日が続いていた。

就寝後のトイレ誘導も割にうまくいくようになった。
介助がうまくいかないと母も私も非常につらい状況に陥ってしまうので介助力が平均して安定させて行く必要があるんだなぁ。

今朝までは家の中に車椅子を置いていた。
家の中で使わなくなっても非常事態のためおいていた。
でも夕方からは車椅子は外のみ使用にした。

抱える介助なのだが片足をつけるようになって大分楽になった。
でも 母の足は支えがあっても交互に出ない状態だ。
もとに戻る可能性は低いかもしれない。
それでも母の気力を維持していくために少しだけ努力しようと思っている。

昨日の夕方 焦点の定まらない表情の母の耳元で賛美歌を口ずさんでみた。
母は目をパッと見開いた。
数曲歌ってからCDに替えた。
母はジッと聴きいっていた。
それから母の表情が戻り姿勢も乱れなくなった。
♪よ・か・っ・た・♪良かった。

昨夜は 強い雨とツンザクような雷鳴に眠れない夜を過ごしたが母はぐっすり眠っていた。

今朝も笑顔はなかったけれど穏やかに目覚めて着替えをした。
食事はゆっくり目で摂取し水分補給の途中でデイのお迎え」がきた。
残る分はデイで補充していただくことにした。

夕方 母はシャンとして帰宅。
職員も「前回より良い状態になってきましたね」と言っていた。

夕食も順調に食べ終えた。

就寝前に気持ちが不安定になって時折泣いた。
アロマオイルを垂らして 耳元で賛美歌を歌い頭を撫でていたらすーっと寝入った。

認知症の人は自分で気持ちを立て直すことは難しいので 自分に出来る事を探りながら接して行かねばならないなぁ。


2013年09月04日(水) 教えて頂く」


母が足を痛めてから1日に表情が変わる。
ついさっきまで笑顔でよく頷いていたのに…急に反対側を向いて呼んでも反応が返ってこなかったりもする。
日内変動が大きい。

昨夜も「あ〜ん」と泣いた。
こういう時には話しかけても返事もしない。
頭をなでても無理。

訪問リハの療法士さんがみえたので 転倒してから今の状況を伝えた。
「認知症の人は 転倒の恐怖を引きずって怖がるという方が多いように思います」とはなされていた。
また足等を痛めるとつま先(末端)までの血の巡りが悪くなって浮腫み易いとも話されていた。
股関節の骨折の場合は骨折した側を下に寝ることは無理ということだった。

母と共に立位の方策を探っているうちに 痛めていない方の足を軸にすれば立てるということに気が付いた。
それを療法士さんに伝えると「そうです。軸を探すことも大事です。ただやみくもに正しい動きを求めても無理なんです。痛みを共有していくことも必要です」と話された。

お話を聞きながらなるほどなるほどと学ばせて頂いた。





2013年09月02日(月) ようやく光が・・・

 長い夏休みを取ってしまいました。
このページに訪れてくださった皆さんにご心配をおかけしました。

そろそろ夏休みも終えようと思い始めたころでした。
24日の土曜日 母が椅子から落ちてしました。
少し気ぜわしい朝で まだ眠気の抜けない母を椅子に座らせてその場を離れました。
ごつんという音に慌てて戻ると…椅子から落ちていました。

額が真っ赤で他に打った場所も見えなかったのでベットに横になって貰って
額をせっせと冷やしました。
額は数時間後には赤身も消えたのでやれやれ良かったと思いました。

さて朝食摂って貰おうと思い離床してもらおうと介助をしましたところ 足がクロスしてしまって立位できません。
足をそろえて再度チャレンジしましたが無理でした。

母を抱えて椅子に移乗してもらって足をみました。
弁慶の泣き所が紫色になっていました。
その時に腫れはありませんでした。

食事を済ませて トイレ誘導して通院しました。
立位や移動は母を抱えてでトレーニングパンツしかない着替えはかなりきつかった。
1人介助の難易度が急激に上がってしまった。
それもこれも自分の責任なので致し方ありません。
痛くて辛い思いをしている母なのですし…。

通院して「骨はずれていないよ」ということでした。
「股関節じゃないといいね」と医師。

痛み止めと湿布薬を頂きました。
待合室にいたら隣に坐したご婦人が「可愛いおばあちゃんね」と声をかけてくださった。
「はい。この笑顔に支えられています」というと「笑ってくれるだけでも救われるよね」と「はい」と即座に返事しました。

とても落ち込んでいて これから先の介助の重たさを想像し暗い気持ちになっていましたが この言葉に元気を頂きました。

あれから10日を経過しました。
この間に立位できない母の介助に悪戦苦闘。

夜間のオムツ替えで失敗を重ねました。
敷き布団カバーから尿漏れシート シーツ 寝返り介助シート等ぐっしょり濡れて全て取り替えるという事態も。

少し ぎゅぎゅっとオムツを替えて母に辛いおもいをさせたり…。
転ぶ前は 夜間寝ている時だって「ふふふ」と笑ってたのに ここ数日からは「あーん」と哀しそうな声をあげます。
デイでも泣いたりしたようです。

トイレでのパンツの上げおろしが非常に困難だった。
ベッド上で替えるのがよいのか迷いましたがリハビリの意味でもトイレの方がいいかなと思ったり…。
対応にゆらゆら揺れました。
「○ちゃんも痛くて大変だけれど 私も重くて大変なの。一緒に頑張ろうね」なんて手前勝手なお願いをしたり…。
とにかく母にとってオムツ替えは非常なストレスとなった。
母のストレスは同時に私のストレスとなった。

金曜日のデイでは熱があったという理由で入浴なし。
篭り熱だろうと思ったが お願いする気力も失せていた。
(デイから帰宅して検温したら6度6分 6度5分で平熱だった)

水・木曜日とショート利用でその間も入浴していなくて土日を迎えるのは非常に気が重くなった。
母の気持ち悪さを思って 土曜日に1人で母を抱えて浴室に移動してシャワー浴。

そして今日。
デイから帰宅後 どうにも母の表情がさえない。
笑顔は消えて反応も薄くなっている。
「これじゃいかん」と思い 母の手を擦りながら「頑張って偉いね」「いっぱい我慢していて偉いね」「○ちゃん 可愛いよ」といっぱい話しかけた。
すると 母の笑顔が戻ってきた。

そうだねぇ。緊張や苛立ちで私の話しかけは激減していたな。
ここ数日は 夜間の睡眠が良くない。
だからデイでもうとうと。
よろしくない状態なのです。
食事の摂取量も微妙に減ってきているし…。

食後のトイレ誘導 以前のような誘導に戻した。
母の手を私の肩に誘導して母の手も立位を保つための手段として使っていたことを思い出したのだ。
すると…母は痛くない足を軸にして立てた。
10日を経たからできるようになってきたのかもしれないが今朝はだめだった。

実は昨日から足のマッサージと上げ下ろしを始めたのだ。

とりあえず光が見えてきたということで今日の日記を終了します。

★心配でメールをくださった皆様 ありがとうございました。
 まだ完全復活とは行かないかもしれませんが のんびりと向き合って参り
 ます。またよろしくお付き合いくださいませ。


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