母のタイムスリップ日記
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2010年06月30日(水) もう大丈夫かな?


「 もう寝なくちゃ」と幾度も呟きながら とうとうおしまいまでテレビを消せなかった。2時過ぎて母をトイレ誘導して就寝。

朝は普段通りに起床。
熟睡できたのか 眠くはなかった。

ご近所さんが入院中なので 郵便受けの朝刊・郵便物・夕刊毎日整理に伺っている。
昨日は 宅配の不在連絡の記録が入っており 電話連絡した。
「薬の副作用は特に問題が起きていないので 退屈な毎日で家に早く帰りたいのです」と話していらした。

母は薬の効果が出たようでようやく落ち着いた。
しかし 下痢止めで便秘になってしまうのも怖い。
だから 強い薬は今朝から止めている。
何とか治まりつつあるようだ。
食事は いつもより少なめだが ほぼ定量に近い形だった。
お昼からは 食材は柔らかめだけれど 量的には通常に戻した。
夕方のバナナ復活。
おやつにチョコ一粒も。
夕食もしっかり食べて...。

日中に入浴させたかったが 清拭に留めた。
お腹の不快感が消えたのだろう 穏やかな表情が戻った。
朝刊を読んでいたら とんとんとんとテーブルを叩く音が大きくなった。
母を見て腕を撫でたら「どうもありがとうございます」と言った。
サインを受け止めたお礼か?
それとも手当てに対してのお礼か?
何しろ トイレ誘導の度に私のほっぺたや頭や腕をせっせと撫でてくれるのである。
記憶が継続しているとも思えないのだが「お世話をかけている」という意識が残っているようにも見えるのである。
「うちの大事な〇ちゃん」と耳元で話しかけるといつもなら「うふふ」と笑う母なのに 涙をいっぱい溜めているのである。

今日は 言葉も大分戻ったし 傾斜も弱くなり歩行も改善されてきているように感じた。

夕方介護仲間が 菜園の作物を届けてくれた。
奥様は特養に入所してる。
嚥下の検査が出来たのだろうかと気になっていたので聞いてみた。
検査は2回出来たそうだ。
特養の食堂で鼻からカメラを入れて 食べ物を食べて貰って気管の蓋が閉じるかどうかを検査したとのこと。
問題なかったそうである。
特養で検査してくれるなんて凄いなぁ。
ただ 刻み食からミキサー食に変わって 咀嚼力が落ちてきているように感じるとも話して居られた。
咀嚼によって 唾液と食べ物が口の中で混ぜられるのに それが出来なくなることにジレンマをかんじておいでだった。
これが在宅だったらもう少し家族ペースですすめられるのになぁ。
検査まで出来るのなら も少し食への対応も考慮できないものだろうか?


2010年06月29日(火) いやはや...


概ね元気で...と書いた昨日の日記だった。
しかし...夜のトイレ誘導の回数と長さ...。
母には しんどい夜だっただろう。

ショートステイから戻る前日お通じがあったと報告を受けた時点で緩かったのだろうと想像してた。
緩くなければ 自力で出す事は出来ないのが今の母の状態。

家に戻ってのトイレ誘導で 水分摂取が足りないと感じたので多めに水分摂取を心がけたのだった。
冷たいゼリーとは言っても 凄く冷えたゼリーではなかった。
迎えに行く前に冷蔵庫から出しといたから...。

夕食後のトイレ誘導で「大」完了と思っていた。
が その後トイレへ誘導するたびに「大」
それも 綺麗に洗浄してあげないと爛れてしまいそうな状況。
だから 誘導のたびにぬる目のお湯で洗浄し 乾かしてワセリンを塗った。
それが朝まで...。

起床時検温したが6度8分。
平熱の範囲内だけれど ちょっと微妙。
先に水分摂取して様子をみた。
ちょっと離れた隙に「ウォッ!」と言う音。
スワッ!嘔吐か?と思ったが そうではなかった。
ゆっくりと水分補給してその後朝食。

まづは デイに「おやすみ」の連絡を入れた。
それからつらつら考えた。
今の状態をピークとして 落ち着いてくれるならそれでよい。
だが明日は罹り付けの医師の休診日。
家の薬をみると下痢止めが残っていた。
これで落ち着いてくれるならそれでよい。
熱や嘔吐はないので 心配無用とは思うが...。

今朝から夫はまた泊まりがけで仕事に出かけて緊急時頼める人もいないのである。

ちょっと介護仲間に相談。
同じように「夕方まで様子見がいいんじゃない」ってことで 様子を見ていた。朝食も昼食もホドホド食べた。
消化の良い物を温かくして量は控えめ。
4時近くにこれまでと変わりない「大」
相変わらず熱は6度8分で 笑顔も見られるしグッタリしていることはない。

そこで通院した。
血圧は安定しており お腹もそんなにゴロゴロしていないね。
「脱水によるものかなぁ」
「今朝から水分摂取量増やしています」と伝えた。
という事で お薬を戴いて家に戻った。
外出ついでに 水分摂取のためのゼリーや介護に必要な物を購入した。

夕食はご機嫌で食べた。
が また...。
朝から4度目。量は多くないのだが...。
一時より良くなったようにも感じるが...でもまだまだである。

お薬も戴いているので 後は様子見しかない。
さて 今晩の様子は...?

只今 サッカー中継見ながら ボチボチと...。


2010年06月28日(月) 概ね元気で家に戻った


母をショート先に迎えに行く。
昨日「大」排出。今日入浴したとの報告があった。
特に大きな変化は無かったとのこと。
時に笑顔も見られたし 立ち上がりの歩行はよい時悪い時があったそうである。
入れ歯は今朝 母が手に持っていたので紛失を避けるために入れ歯を収める容器に入れてあります。
というのが 職員の報告。

迎えに行った時の母は 呼びかけても能面の如し。
家に戻って立位介助すると膝の伸びがよくない。

一応予測の範囲内。
ショート利用のダメージは 歩行力が落ちること。

暫くしてショート先から電話があった。
「入れ歯 お返しするのを忘れました。これからお返しに参ります」

暑いので冷たいゼリーを食べて貰い水分摂取。
充分水分が取ってくれるかどうかは 担当の人次第。
尿をみていると予測が付く。

暫くして 入れ歯が届いた。
程なく夕食。
それまで能面のようだったが 食事が始まるとニコニコ笑顔。
時折言葉も出た。

遅れないで食べる事が出来た。
食後 口腔ケア。
それから一休みしてトイレ誘導。
一時間ほどトイレで格闘。
お腹がゴロゴロしていて お腹と腰の後ろをマッサージ。
母も辛そうだった。

トイレ後少しお茶を飲んで貰い 母の部屋へ移動した。
その時電話が来て暫く話し込んだ。
古くからの知り合いの介護の話しというか相談。
自分の親とご主人の親の介護。ふたりとも軽度の認知症が見られる。
ご自身も手術をなさって体力が安定していない。
当事者よりも介護者の体力や気力の維持を優先してプランを立てるケアマネだそうだ。
その方友人のケアマネは 当事者優先で本人のことを優先するケアマネだそうだ。
だからその知り合いは「いいわね」と言うそうだ。

私も知っている大きな事業所だったので ケアマネ替えてもらえばいいのに...いろいろの人がいるから大丈夫よ」と言ったが...。
どうやら 私のように面の皮が厚くないみたい。
いや 私 ケアマネ替えたことなんて無いけれど...。
まだ どうにもならないケアマネに逢ってないから...。
許容範囲内だから恵まれているのか?

さてあなたはどっちがお好み?
なんたる偶然 ある所で知り合った介護士のブログでその事が論議されていたのである。

正しい正しくないなんていう結論は野暮。
介護者の声に耳を澄まし何故そうしたいのかを推し量る技量と言うものを身に着けて欲しいと思うのは家族の我儘か?
初期のころ人を介護する時は 逃れられるなら...と思う家族は多い筈。

ケアプランって セルフだってできる訳でケアマネにどうこう言われる事も無いのだけれど...ねっ。

今後どんな言葉が書き込まれるのかしばし傍観。

母は 落ち着いて寝ている。部屋は除湿をかけている。
寒くは無いみたい。。.


2010年06月27日(日) 今日の収穫


 今日でイヴェント終了。
これから 記録集の制作に入る。
担当したところの記録 また全体のことまた会議を重ねていく事になる。
毎年の事ながら...。

このイヴェントで 以前から存じ上げていたけれど更にちょい心の交流が出来た。生きると言う話で盛り上がった。
家庭という枠に留まらない話でよい時間を過ごせたと思う。
少し休息したい気分ではあったけれど 参加して良かったと思う。

今日は 講師接待と言う役目もあり 講師の方とちょこっとお話する機会もあった。この講師の選定も紆余曲折した訳だけれど 集客力は噂通りのものだった。
イヴェントの趣旨を理解して話の中に織り交ぜてくださる所などさすがと思った。

パタパタと動き回っている時弟から電話があった。
弟からふるさとの蕨が届いた時「此方に電話ください」とメールを入れていたが音沙汰なし。昨日も荷物が届いていたのだが忙しさにかまけて届いたことを連絡していなかったのだ。
きっとそれを深読みし 電話をかけてきたのだろう。
用件は言わなくとも判っていたようだ。
此方も会場を動き回っている最中だったので 余計な一言も言わずに済んだ。

今回のイヴェントは 関わった人は例年の半分以下。
どうなる事かと案じていたが 少ない人数ながらやり遂げられホッとしている。

明日は母を迎えに行く。
今朝までは 母のこと気になっていたが 今日はそれどころではなかった。
今日もイヴェントの仲間と話したが 介護もここまでくるともう「介護しています」なんていう思いもないし...といったら「うん そういうものかもしれないね」と受け止めて貰えた。
自分の踏ん張りよりも母の踏ん張りの方が格段と上をいっているとつくづく感じる此の頃である。


2010年06月26日(土) 当事者の方も同じ輪の中で...


担当の役目はひとまず済んだ。
地域に住んで居られる当事者の方が足を運んでくださった。
やはり該当する人は存在している。

実は 役所に問い合わせた時把握していなかった。
窓口がひとつと限られないので...。
でもその後 あれこれと調査し 実際にいると言う事は判った。

今日お見えになった方は 極一部の方。
最初は とても厳しく硬い表情をなさっていたのだ。
自己紹介の時にも言葉すくなだった。 
でも交流会も半ばを過ぎた頃にやわらかな笑顔になり 胸の内を語られた。「認知症になった人となっていない人の違いって何でしょうね」と話されたことが深く印象に残っている。
高齢者の方が自らの想いを語ることは少ないが 若い方は話できると講師の方も触れていた。
「違いはなんでしょうね」という言葉は 高齢者の方だって言いたい筈と思うのだ。

同行なさった介護者の方が デイでは物足りなくなり仕事がしたいという希望を持ち始めているので それが叶えばなぁ...と思った。

役目を終えて 他の催しにも参加するつもりでいたのだが 昨夜追加で資料を作ったりしてちょっと疲れたので明日のこともあり帰宅する事に。
家に戻って ちょい先の下準備にとりかかった。


2010年06月25日(金) 思いもよらない風が...


昨日家に戻った時 ご近所さんからの手紙が入っていた。
またご自身の治療のために入院し その間認知症が始まった家族はショートステイ利用なさるという連絡だった。
留守中のことの頼みごとがあるので朝訪ねますともあった。

今朝 門前で話し込んだ。
自分の医療費とご家族のショートステイ利用料が今後も続くと家計が心配になるとも話されていた。
その心配は良く判る。
今 要介護1のご家族の使える介護サービスは僅かである。
まだ初期と思われるので 当事者がショートステイ利用を納得されていない。それで結構料金のかさむ有料老人ホームを利用してのショートステイなので利用料もかなりの額となっている。

今後自分の健康も含めどうしたら良いのか...と話されていた。
そこで情報を提供させて頂く。

この辺はケアマネの出番の筈だが ご家族の不安な想いを何処まで汲み取って居られるかは不明。
ご家族もそういった事も含めて訴える事もなさっていないのではないかと想像できる。

こういった話は 初期の認知症の介護をしている家族からよく聞く話である。相変わらずの介護風景だとつくづくと感じる。

もう一方では 介護仲間の知り合いのことも気になっている。
複雑な事情のある方だが ケアマネとうまく行かなくてケアマネを替える事を考え始めているらしい。
ところが 心配な事に介護している家族もどうやら認知症ではないかと思われる節がみえて 先日 役所に相談に出かける折同行なさったそうだ。
その時役所の対応が 分厚い事業所一覧表の冊子を出してこの中から選んでくださいといったそうだ。
認知症の症状が出始めている家族にそれが出来る筈もないので その辺りの事情を仲間が説明してきたそうだ。
それから 少し動きがあり 今の担当するケアマネが訪問してくれる事になったという。
過去に ケアマネとの話の場に他人が同席する事はならないといわれたそうである。

規則はそうであるが いろいろの事情を聞いてケースバイケースで対応すべきとおもうのだが...。

介護者に認知症の気配が忍び寄ってくる事はこれからはだんだん多くなってくるだろう。誰が言ったか「認々介護」。
そういう時には臨機応変の対応が必要だと判っている筈だけれど なかなか進まないのだなぁと思った。

何故に気にするかって...そういったことがわが身に起きないと言い切れないからである。

今日 明日のイヴェントの件で会場に出向いた時 そのイヴェントが意外な方向に走り出していると知らされた。
大見得を切って取り組んでいるイヴェントではないが 地域にちょっとしたきっかけ作りをしたいと思っての企画だった。
これまでもこういうイヴェントを組んだことがあるが...行政が絡んでくる事は無かったのだが...。
今回はどうも違う風が吹き始めているのである。
役所で担当する課長には「きっかけ作りをしますよ」とは企画している事は伝えていたのだが...。

予想外の展開にいろいろ考えさせられている。
地域の住人だけに任せられも困る。
介護中の身では これ以上の取り組みは出来ないから...。
でも地域に支援の輪が広がるようにこの風を利用しない手はないだろう。

さて どういうことになるのか風任せながら 淡々とイヴェントを執り行なうだけである。
母をショートステイに託しながら できることをちょこっとずつ...である。

読んで下さっている方には 判り難い日記だろうなと感じています。
日記を公開を始めてから大分長くなり 検索がヒットして筆者のことが見え始めそうな気配を感じています。
この日記で私自身が 表に出ることを希望していなのです。
介護者の会の個々の協力があって母と私の歩む道が支えられ また地域との連携も作れていると感じています。
今あるのは 仲間のおかげで個人の力では到底できることではないと思っているからです。
きっといろいろの立場の方が読んで下さっていると感じます。
それぞれが この中から介護や支援活動のための小さなヒントを掴んでいただけるだけで嬉しいでのです。取り組む人には きっと判っていただける筈と思っているのです。


2010年06月24日(木) 母はショートだし...


母をショートステイに送り出した。
土日にイヴェントがあり 母との時間が取れないからである。
本当は 用のある時間だけ母を預かって貰えると1番よいのである。
そんな都合の良いサービスは 地域にはない。

今日も会議があり 出かけた。
家に戻り家事をしながら 母が家にいるような錯覚を覚える。
母が家に居る時には 一瞬「アッ 家にいたんだっけ」と思う時もある。

ショートに行く時は 施設の送迎車を利用する。
迎えにみえた職員に 母は笑顔を見せていた。
「笑ってくれてホッとします」と職員は話してた。

職員に笑顔を見せることは相変わらず少ないのだろうか?

母がショートに行っているのだから サッカーの中継見ようかな?
いやいや 休息休息かなぁ。


2010年06月23日(水) すいすい水曜


また 夫は早朝に船に乗って仕事へと出かけた。
日帰りの予定といってたが お天気次第だそうだ。

送り出して 朝茶を戴きながら朝刊を読んだ。
食事の支度をして ゆっくりと母を起こした。

今日は 家にいる日。
家に居るからと言って午後一で療法士さんが見えるので 食事の時間をずらす訳にも行かない。

朝のトイレ誘導で「大」排出。
朝食が済むと「うふふ」とご機嫌な母。
その間に 洗濯をしたりキッチンで洗い物をしたり...。
雨が降っているので室内に干すしかない。

ちょっと水分補給して貰ってから掃除機をかける。
母は「うふふ」とその様子を見ながら笑っている。

別の部屋に移動すると「おかちゃん」と小さな声で呼ぶ。
そうそう 言葉といえば今日は「何かいる?」と聞いた時「みず」と言った。
「水がいるのね」と聞きなおすと静かに頷いた。
そして水を飲ませてあげるとごくりと飲んでいた。
会話として成り立ったのは 偶然かな
こんなことは 最近有り得ない事である。
不思議な面持ちとなった。

お掃除が済んでも時間があるので ちょこっとお手玉キャッチボール。
受け取れるように投げるのでちゃんとキャッチできる。
が返す事は出来ない。
一方的ではあるのだが それでも呼吸を合わせられるので楽しいみたいである。

午後療法士さんが見えた。
「最近 前屈が使ったり左に傾斜が強いのですよ。ベッドに横になってもくの字に腰を曲げているのです。寝付けば 足を伸ばしているのですが...」
「どっか辛いのでしょうね」と療法士さん...。
今日は 居眠りもなくリハを終えた。

その後 水分補給したりおやつを食べて貰ったりした。
キッチンで煮物を作ったりしながら 母のおしゃべりを聞いていた。
残念ながら何をしゃべったか忘れてしまった。

夕食前 「おかちゃん」と呼ぶので トイレ誘導。
今日2度目の「大」排出。
別段ゆるめではなく良かった。

それから夕食介助。
噎せはなくゆっくりと食事ができた。
食後は プリンを食べてもらった。

食後一通りのケアを済ませ 母の部屋に移動しテレビを見てもらうが眠そうなので着替えて トイレ誘導後ベッドに移乗。
そのままzzz。
2時間ごとのトイレサインで誘導。今日もトイレでの「小」 タイミングが合った。

夫は波が高く船が欠航という事でお泊りとなった。


2010年06月22日(火) トントントン♪


土日は 睡眠時間3時間程度だった。
母の起きている時間は 母と共に過ごしていた。
何とか 差し迫った依頼ごとに関しては 役目を果たせてホッとした。

しかし 母と共に過ごしている土日 身体は何とか動いても食事介助が済むと情けない事に眠くて堪らなくなる時があった。
そんな時「〇ちゃんごめんね」と言って 母をベッド向きに座ってもらって 母のベッドに横になって 母と手を繋いでちょっと居眠りもした。
母は 部屋に飾ってある義兄の富士山の写真を眺めてにこにこしていた。
そして 寂しくなったり トイレに行きたい時には 私の腕をトントントンと叩いてサインをくれた。
15分から20分程度の時間だが...それでも助かった。

夕食後突然ウンともスンとも反応せずじっと私を見つめるだけのこともあった。
後で気付いたのだが 夕食後お風呂のお掃除をするために浴室に行ったので姿が見えないことの苛立ちだったようだ。
ベッドに移動して 風船遊びをしているうちに笑顔が戻った。

自分の意思を直ぐにキャッチして欲しいのだろう。
自分で動けない・言い表せない...これはとても不自由だろう。
母が施設を嫌がるのはその辺にあるんだろうなぁ。

母の意志を確実にキャッチしそれを100パーセント叶えてあげることなんて不出来な娘なので不可能。
自分の至らなさを自覚しておきたい。
自分を責めるための自覚しようなんて考えていない
ともすると元気印のペースで歩んでしまう自分にちょっとだけブレーキをかける意味で...だ。

昨日・今日と 久しぶりに夜間のトイレ誘導がぴったり息が合っている。
夜間でも トイレに行けば目をパッチリで笑顔を見せてくれる。
嬉しい♪


2010年06月19日(土) 元気です♪

急遽の作業がまだ片付きません。
日中は母が中心。暫く他にもあれこれの作業があり夜間の作業が続きそうです。少し更新が滞るかもしれません。
母も私も元気です♪


2010年06月18日(金) 介護者の会。そしてショートお迎え


 朝まで一気に眠ったもののいまひとつ。
若い頃は これ位のことなんでもなかったが やっぱ無理が利かなくなってきているんだなぁ。

午後には介護者の会があり その前に家事をしておく必要がありいつもより15分くらい遅い起床。

母が戻れば夕食。
煮物をコトコト。魚もコトコト。
それだけ揃えば後は何とかなる。

急な依頼があって それも準備しなくちゃならないが頭が起きていないので難航。
時間ぎりぎりで介護者の会へ出かける。
今日は 今追い込まれてど真ん中の人も見える予定だし ケアマネ同行で見えるという方もいるので外す訳には行かない。

みんな揃った所で 母のショートの迎えがあるので先に帰る失礼をまずお詫びした。

暫くお休みの続いていた方が見えてホッとした。
何しろ看取りの時期に差し掛かっての在宅介護なので 当事者も介護する方のことも心配だったのだ。

介護仲間といり口でばったり。顔色が悪い。
当時者がショートで暴言を吐いて他の方に迷惑をかける気配なので来月のショートのプランが上がって来てないのと在宅でも暴言・暴力が出始めて追い込まれているとのことだった。
ショートがとれてようやく在宅で介護できているのにそれが出来ないとなったらどうしようと眠れなくなり ご自身の健康も悪化。通院して見えたそうである。

他にも追い込まれている方がいたり げっそりと痩せられた介護者だったり...。毎日の大変さがずしんと伝わってきた。
ここを頼りにしている方たちなので...。

3時ぎりぎりに母を迎えに出た。
生憎雨が降り出して タクシーを呼んでも直ぐに...とは行かなかった。
滑り込むと母は車の前にいた。
直ぐに清算してショート中のお話を伺い家に戻った。

家に戻ってからはいつも通り。
今日は ここまで。


2010年06月17日(木) ショートステイへ


今日は 施設見学とちょっとした会議のため母をショートに預けた。
いつもならこの時期に3泊ないしは4泊のショートステイを予定するのだが
今回は 来週にイヴェントを組んでいるので今週末ショート予定なのである。それにしても...6月は母受難の時かもなぁ。

今朝 デイの迎えのバスがきてひやりとした。
日にちを間違えてショートを取ってしまったかと思ったのである。
前回のショートの時 日にちを確認したしケアマネとケアプランの打ち合わせした時もショート日の確認をしていたので間違いはないと思った。 
でも いつも記憶違いしていないかとひやひや物なので自分が間違ったのかもと考えてしまう。
気持ちの何処かでケアマネかデイの事務方のミスと思っているんだろう「その場でケアマネへの電話確認は取らなかった。
それからケアプランの用紙を見て「確かに今日に間違いない」とショートステイの迎えを待った。
でも ひょっとしてケアマネ「施設側にも伝えてない?」なんてひやりともしていた。迎えのバスが来て芯からホッとしたのである。

別にケアマネを責めているのではなく 自分の記憶が実に曖昧になってきている事を自覚せざろう得なかったと言う事である。

昨夜 午前1時過ぎに就寝し明け方夫を送り出した。
また お泊りの仕事である。
夫を送り出して もう一度眠る事の時間の余裕はあった。
でも 再び眠ってしまうといろんな場面で支障を起こしそうな感じがしたので其の儘起きていた。

待ち合わせにも遅れることなく行けた。
施設見学は多くの仲間と共に出来た。
施設の職員とも話ができた。
グループホーム 小規模多機能 高専賃が併設されている所。

施設の悩みや介護者の希望等率直に話せる場所となった。
そこを利用する家族ではないから言えることもあった。
丁寧に接して貰えたと思うし 利用する当事者や家族への配慮もなされている所だと感じた。

見学が済んで その足で会議のある場所へ移動。
仕事が終わってから見える方もいる会議なので夕方が定例となっている。
いくらソフトに話しても 通称「怖い家族」なんだろうとは 自覚している。

会議が済んでから 娘と落ち合い食事した。
母が家で過すようになってから なかなか一緒に外食なんてことも出来なくなってきている。
母も夫もいない日で娘と時間がとれるなんて滅多にない。
娘の所に泊まることも考えたが 翌日は生協の荷受また介護者の会そして母が戻ってきてからの準備を考えたら 無理だと思いとりやめ。

通勤帰りの人の間でうつらうつらしながら乗り過ごさないように気をつけて家に戻った。
しなくちゃならない事もあったが 今日はもう寝るだけ。
朝まで一気に眠ってエネルギー保持することにした。


2010年06月16日(水) 訪問リハと認定調査日


水曜日は 母のデイがない日。
朝はいつもの時間にいつものように起床した。
ニコニコ笑顔でトイレ誘導から朝食まで過ぎて行く。
朝は結構感度がよいと思う。

洗濯物をしたりしている間は母の様子を見ながら...。
テーブルの上には風船を置いておく。
風船を叩いたり撫でたりして待っていてくれる。
いつ自分に目を向けてくれる方と待っている風なのだが...。

一段落してテーブル上で風船送りをして遊んだ。
遊ぶのは私で 母は送られた風船に手を出す...それだけ。
でもその間自分に目を合わせてくれているということだけは判っている。

昼食後訪問リハビリを受ける。
今日も 右足の伸びが鈍いとのことだった。

訪問リハ後 認定調査の訪問までの30分でトイレ誘導した。
「小」排出し母の居室に移動中にチャイムが鳴った。
「訪問だな」と判り慌てて椅子に座らせようとしたら 胸倉を掴んで「◎×@…△▼〜!」と大きな声で叫んだ母。
こんなことは初めてだった。
勿論 慌てたのも初めてだけれど...。
よほど嫌だったのだったのだろう。「ごめんごめん」と慌てて謝り許して貰った。急がば回れで行かなくちゃね♪

訪問調査は 役所の介護保険科の職員だった。
おそらく介護保険改正後初めて。
これまでは 前回と比べて...と聞かれたものだが 今回は前回の資料なし。

でもねぇ。
それにしても名前を名乗れなくなって随分経過しているし 年齢だって言えないのに 毎回同じ事を聞くのって決まりとは言えどうなの?
認知症になって 18.9年と言ったら 治ること等ないのに...。
手足は動くけれど寝返りは打てないって言ったらなかなか理解して貰えなくて...。でも「自分で勝手に動かせるのですね」と合点したようだった。
さて 今回の認定調査でどんな判定が出るんだろう。
「腰を痛めたりなさらないでくださいね」と言ってくれたけれど…。
「腰を痛めないようにするには どうすれば良いのか...」って教えてくれればいいのに...と思った。

顔は見たことのある人だったが 私の事を覚えてはいない様だった。
それは 良い事でもあるような...。でもどうなんだろう。

認定調査が済んで シャワー浴。
明日 一泊でショート。
夫は また船に乗ってお仕事。
それぞれの荷物を纏めてバックに詰めた。

夕食は順調に済み 洗濯物を畳んでいるうちに眠そうになったので トイレ誘導後ベッドへ。
今日の口腔ケアは 嫌がらずに一発で口をあけてくれた。

2度のトイレ誘導が済んだが 今日はベッド上で動きタオルケットを剥いでしまう。夫は「ベッドから落ちるぞ」と心配してくれた。
暑いのかなぁ。
今日は さすがにエアコンをドライにした。
ほんの少しの時間だけれど...。


2010年06月15日(火) 身体が付いていかない季節 


母をデイに送り出して 夫の持ち帰った衣類の洗濯をしながら雑用の処理をした。

お昼前に 郵便物を投函がてら買い物を済ませた。
明日は 母が家に居る日で 訪問リハと介護保険の認定調査日なので外出は無理なので...。

お日様が顔を出して気温が上がり 湿度も高い。
昨日は涼しかったが...。
気温差も影響あるのだろうけれど 湿度が高いのがちょっとしんどい。
この時期は母の身体も自分の身体もずっしり重たく感じる。
季節だもの仕方ないね。

家に戻って家の掃除や夕食の準備。
火曜日は 5時に帰宅の母なので 帰ってから準備では遅くなってしまうのである。
調理しているうちに 煮物が焦げそうになる。

母が戻ってトイレ誘導し 水分補給後夕食。
夕食後 洗濯物をたたみ あくびが出たので トイレ誘導。
デイの帰りから前屈が出てきていたので お腹をマッサージ。
「大」を排出。結構時間を要し1時間近く格闘。
母はすっきりした顔。
居室に戻るとしきりに私の腕を撫でてくれた。
感謝の意味なんだろうな。

パジャマに着替えて就寝。
直ぐにzzz。


2010年06月14日(月) みぃつけた!


午後に予定があるので 午前中のうちに買い物に出た。
買い物を終える頃 友人にばったり出会った。
これから 岡山まで帰るという。
親御さんがようやく施設に入所なさるのでそのための帰省する所だった。

数年前から 相談を受けていた。
時に介護保険のこと。時に施設のこと。
ハウツウではなく 選択できるようにいろんな事例を挙げて説明した。
地域の情報を集めたり 専門職の方に事情を伝えるのに役に立ったと電話を戴いたことがある。

最近は此方に引き取るかも悩んでいたのだったが...。
施設に託することに決めたのは ご主人の健康問題が生じたように思われた。ご主人の事を話された時冷静な筈の友人の目に涙が浮かんでおり
「そういうことなんだな」と感じたのである。
それも初耳。
何しろ 出かける直前のバスターミナルでの事なので長く話し込む事も出来なくて…。
「気をつけてね」と肩に手をかけて応援した。

午後役所主催の認知症の介護者の会。
昨年まで担当した医師とバトンタッチして新規の医師。
今日はかなりの人が集まっていた。
思えば 地域に介護者の会ができた時参加する家族って数名。
6ヶ所の在宅支援センターの職員が2名ずつ見えて保健所と役所の人と医師。大勢の職員に囲まれた贅沢な会だった。
今では 10倍以上。数の上では専門職と介護者が逆転している。
認知症の理解が深まったこともあるだろうし それ以上に患者数もかなり増えて来ているのだろうとも思う。
おそらく 役所主催としては記録的な参加者だろう。

会が終わって 介護仲間とちょこっとお茶して別れた。
朝 用事があるので帰宅が遅れる可能性があると伝えていたが何とか間に合う時間に戻れた。

母が帰宅して 其の儘トイレ誘導「大」排出。
激しい下痢をして以来 排出量が少なめだったので 昨日辺りから下剤を使う時を探っていたのだが 使わずに済んで良かった。

ご飯の準備...と思った時炊飯器のスイッチを入れ忘れていたことに気がつき慌ててスイッチを押した。
それからバナナを食べて貰った。

急いで夕食の支度をして副食だけ先に出来た。
炊き上がるまであとちょっとなので おかずを先にチョコチョコ食べて貰って後半ご飯を加えて...。
いつもより少し遅れて夕食を終えた。

食器を洗っているいる内に大きなあくびが出ていたので 母の部屋に移動して暫く遊んだ。
じゃんけんをしてみたけれど もうグー・チョキ・パーが出せない。
手を握らせてみたり開かせてみたり...。
それだけでもスキンシップになるようでニコニコの母だった。
母の手の爪が黒ずんで見えたので「あれ」とよくみるとマニキュアの跡。
除光液で落とした。
「爪綺麗にしてもらって嬉しかった?」と聞くと静かに頷いた。
そうかと思って 娘の部屋に残っていたマニキュアを持ってきて塗ってあげたのだが...それほど興味を示さなかった。

眠いので反応もイマイチなのかと思った。
食後一時間以上たったのでパジャマに着替えてベッドへ。
其の儘軽い寝息を立ててzzzz。

そうそう 昨日消えた靴下が見つかった。
洗濯物を干す時に見つかった。
片方しかない靴下だったので 今日は洗濯機にいれなかった。
脱水を終えて干そうとしたら底に靴下が残っていた。
昨日だって洗濯機の中見たんだけれど なかったのだが...。
慌ててよく見なかった?いや2.3度見たんだ。
何が悪いか...丁寧さかな?早く早くと自分を追い立てていたんだろうなぁ。


2010年06月13日(日) 迷子になったよ♪


 今日は 自治会の総会の日。
参加予定のつもりでいたのだが 母を放置する訳にも行かず取りやめた。

午前中は シャワー浴。
午後 何気なく付けたテレビが田辺鶴瑛の介護風景だった。
数年前 田辺鶴瑛の介護講談を聴いたことがあるので 其の儘見入ってしまった。悩みながら 鶴瑛の介護の形を仕上げているのだろう。
認知症の症状が出て5年経過と言う。
脳梗塞によって腕や足が固まっているようだが まだ動けるし 言葉にも良く反応し冗談を交わせるようだった。
5年ぶりに外出がショートステイ初利用と言う所で放送は終わった。
放送だけで全てが見えた訳ではないので そういう介護もあるんだなと受け止めた。

夕方 夫より滞在を1日延長と電話が入った。
今晩も母とふたり。
のんびりと穏やかに1日を過した。
夜 眠そうになったのでベッドに移乗し 直ぐにzzz。
でも1時間半経過したら もそもそしたので トイレ誘導。
「小」排出。
時々様子を見ていたら 目をパッチリ開けて静かにしている。
暫くして またもそもそ。トイレ誘導「小」排出。
「ゆっくり 寝てね」とベッドに横になってもらったら zzzz。

夕食後 ティラミスやチョコをちょこっと口に運んだので少し刺激されているのかも知れないなぁ。
これが体力もある元気な頃だったら ヒョコッと起きて来て「うちに帰る」とか「誰かが来ている」と言い出す場面なのかもしれない。

そうそう シャワー浴する時脱衣室で靴下を脱いで貰ったのだが片方が消えてしまった。
いくら探しても見当たらない。
迷子の靴下...何処で見つかるだろうなぁ。


2010年06月12日(土) 独り暮らしの人のこと


昨夜 深い時間に汗ビッショリになっていたので 着替えて上掛けを一枚はいだ。それからは ぐっすり眠っていた。

昨夜眠りが浅かったので 今日は日中眠いのではないだろうかと様子を見てたが 格別の変化も無かった。
むしろ私の方が眠くて…苦戦した。

食事は いつも通り。
水分は 昨夜の発汗もあり今日も暑いのでいつもより多めに摂取して貰った。トマトやみかんやバナナも食間に食べて貰う。

日中は お風呂場でシャワー浴しその後手足の爪きりをした。

夕食が済んで口腔ケアを済ませ トイレ誘導後母の居室に移動。
洗濯物を畳んでいるうちに こっくりこっくりし始めた母。
慌てて パジャマに着替えて貰って就寝。
今日は 身動きもせずぐっすり眠っている。
それでも 時間が来ればトイレサインを出してくれる。

話は変わるが…。
利用者さんがなくなった後 次の利用者さんの紹介がない。
母を在宅に戻した事を知っているので大変と思って依頼しないのだろう。
それと訪問困難な方が 近くにいないということもあるのかもしれない。

先日 介護仲間が頼まれて見守りに出かけている先での話をしてくれた。
独り暮らしのその方は軽い認知症の症状がある。
ガスは危険なので止めてあるという。
以前から「怖いよ。いつ球根を食べてしまうか判らないのよ」と心配していたのだが とうとう水仙の球根を食べてしまったようだというのである。
他にも草を食べている形跡があるという。
「食べないように…」と本人には伝えているし「どうしたの?」と聞くと「いや もにゃもにゃ」とごまかすのだそうだ。
当然 事業所の方に報告を上げているが「これまでもそうだったし 死ぬ事はなかったし…」という感じらしい。
独り暮らしの方の実態。
施設入所にも動かないし役所に報告しているのかも不明。
おそらく こういう人一人ではあるまい。

これから先の事を考える時 こういう状態になっても独り暮らしを継続していく人が増えていくような気がしてならないのだ。
それを仲間と嘆いたのである。

「今だって不安なのに 自分達の時はどうなっているか?」
余裕のある人は それなりに質を確保できて それで良いのかなぁ。
そういった事も 少しずつ考えてくれる人が出てきているようだけれど...
大丈夫かなぁ。


2010年06月11日(金) もそもそしてるなぁ


 朝 デイに出かけ 夕方帰宅。
バスを降りた時 私を見つけて「やぁ」と言った風に手を挙げた。
珍しい事である。

家に入って 先ずはトイレ誘導「小」排出。
それから何時も通り 水分補給とみかんとバナナ。

暫くして夕食。
食欲もあり 追加でフルーツも食べられるほどだった。

後片付けの時も「うふふ」と笑い声が聴こえるほど元気。
トイレ誘導後 母の部屋へ 私が洗濯物をたたむ間じっと見ていた。
暫くして 眠そうなのでベッドへ。
直ぐにzzzだったが 3・40分ほどしたらトイレサイン。
トイレ誘導「小」排出。
1時間ほどしてまたトイレサイン。
トイレ誘導し「小」排出。
今日は 眠りが浅い。
ごそごそ足や手を動かす。
熱もないしお腹もゴロゴロしていないしなぁ。
暑いのかなぁと思って汗が出ていないかと見るけれどそれもない。

ちょっと様子見と言う所かな?


2010年06月10日(木) 注意を払わないとなぁ


今日のデイサービスは ファミレスでおやつの日。
日中の気温が上がるので 綿のポロシャツに薄手のチョッキを着て貰ったが外に出てみると涼しい。
慌てて 薄手のブラウスを重ね着して貰った。
1日の気温差が大きいと困るなぁ。
これからは 冷房も入ってくるし…。

昨夜は あれから急行列車は止まり 朝まで穏やかに寝入っていた。
今朝も機嫌は良かったが 念のため検温。平熱でひと安心。

急行列車の原因を考えているうちに「冷たい物のせいかもしれない」と思い当たった。
昨日も気温が上がり みかんやバナナは冷蔵庫から取り出して直ぐに食べてもらった。水分補給も冷たいものだった。
母は 体調に拠っては冷たい物も響く。
認知症になる前からそうであった。
気をつけなくちゃね。

そんな訳で デイの送りの時には「乳製品は避けてください」とお願いし「みつまめにしましょう」と職員が言ってくれた。

母を送り出して 洗濯を済ませ 仲間と落ち合ってイヴェントの下打ち合わせと準備。
終わってみんなと別れて母の薬を取りに行った。
すると処方箋期限切れで 医師の確認をとる決まりとなっていると言われた。小さな文字で書いてあるので見落とした。
以前は大丈夫だったのになぁ。
まだ薬の予備はあるので良かったけれど これからは注意しなくちゃ。

母の送りに間に合うように帰宅した。
デイの送りは 通常より少し遅れた。

今日は 母「ほら みてごらん」とか単語でない言葉を2.3度言った。
見て欲しい場所もあっての言葉だった。

食事も順調。
「大」はさすがにお休みだった。別に下痢止めを使った訳でもないので通常の範囲内のことと受け止めて大丈夫そうだなぁ。


2010年06月09日(水) ショート帰りに…


たった1回 日記にある人の事を記した事があるのだが 急に関心が向けられたのか 検索にかけられてこの日記も出ていたようだ。
実は 先日新聞を広げて「お目にかかったことがあった人?」と思ったばかりだった。
あの頃の評判は 仲間内では悪くなかったが 今はどうなんだろうなぁ。

今日は あれこれとメールの作業。
メールといってもなかなか馬鹿ににならないものだと思う。
9時頃からお昼少し前まで かかった。
何とか 用向きは済んでホッとした。

午後買い物に出た。
ついでに新しい時計に電池を入れてもらうため時計屋さんに立ち寄った。
先日 使わない日が1日あると自動巻きの時計が止まってしまうので見て貰ったのだ。
その時「部品を購入すると新しい時計買えますけれどどうします?」と言われ まだだましだまし使えそうなので 修理はしないままにしていた。

7年位前に戴いた時計まだ使わずにいたので それを併用して使う事にしたのである。
自動巻きって 電池替えが不要なので助かっていたのだけれど…。
この時計何年持つかな?
壊れかけている時計は 5年くらい使った。
その前の時計は 24・5年使えた。
時計の寿命って当たり外れがあるのかな?
それとも最近の時計は持ちが悪くなったのかな?

3時に 母を迎えに施設に向う。
途中 精神科の病院医師の所にお願いの文書を運んだ。
診察の時間だろうからと受付でお願いしたら「予約されていますか?」と尋ねられた。患者家族と間違われたのである。

施設は病院の隣。
支払いを済ませると母が下りてきた。
頭はボサボサ。朝起きた儘の感じがした。
「昨日は泣きそうになって昼食を食べたがらなかったので 一旦寝て貰ってから食事してもらいました」ということ。
またトイレ介助も立位ができず ベッド上で替えたとの説明を受けた。
担当してくれた方は男性。
入浴の確認をすると入浴日で無いのでしていませんとのことだ。
昨日出かけた時の服装。靴下も替えていなかった。

ショートは入所者が入院中だとベッドを共有することもあるそうだ。
今回は ショート用だった。

家に戻って 水分補給してみかんを食べてもらった。
それから トイレ誘導し「大」「小」排出。
「大」はぽろぽろでほぼ一日分だった。
夕食の支度中は テーブルに向き合ってビーチボールで遊んで貰う。
ビーチボールを抱えてぽんぽんと叩いていた母。

夕食は順調に介助でき通常通り食べた。

食後暫くして トイレ誘導し母の部屋へ移動。
明日のデイの支度をしながら テレビを見て貰った。
眠そうになったので着替えてベッドへ移動し就寝。

30分ほど経過して 自分の夕食をとろうとテーブルに並べ始めた時「コホッ」と咳き込む音がしたので母の所に行く。
するとベッドが少し臭った。「これは…」と思って 手当て用の準備をしてからトイレ誘導。
案の定だった。
それから1時間余 トイレにて手当て。
すっかり排出を終え 再びベッドへ。
「お腹痛かったのね。辛かったね。でももう安心ね。家で良かったね」
そんな話をしていたら うっすらと涙を浮かべた母。
ベッドに入って暫くは 静かに目を開けていたが…そのうちに寝入った。
腹痛も治まったようで あれからもう「大」の排出はない。
寝顔も静かである。

まるで下剤を使ったような勢いだった。
食べ物かなぁ。乳製品でも摂ったかな?
時にクリームシチュウとかでもそうなるから…。
明日の朝は しっかり水分補給しておかないといけないなぁ。


2010年06月08日(火) 中途半端だらけ…


 母をショートに送り出す前 相談電話があった。
トイレ誘導しようとした時で時間を区切って電話を受けた。
続きは 介護者の会で…ということになった。

電話を切って トイレ誘導し「小」。
実は デイで午前中にトイレ誘導で排出という事は殆どなく パットが半分濡れ手しまってからかが多い。
家では 大概 午前10:00〜10:30頃には排出の筈だが…。
母のように 自分でトイレに行けない人や言葉を発せ無い人は やはりどうしても時間誘導になってしまう傾向になる。
パットやトレーニングパンツは そのために着用している訳で仕方ない事なんだけれどね。

母は 朝から機嫌が良く笑ってばかり。
ショートに行かせるのが ちょっと後ろめたく感じた。
それでも 予定通り利用してしまうのだが。

施設に着いても違和感ない表情にホッとする。
「あした迎えに来るから勘弁ね」と言ったら頷いていた。
ちゃんとわかっていたかな?

家に戻って 庭木の剪定。
南側のお宅に枝が延びて 迷惑を掛け出して久しい。
毎日心苦しく思っていた。
今日一日で終わる物でもないのだが とにかくできる所まで。
昼食を挟んで夕方5時50分頃まで…。

それから 慌てて家の中をサクッと片付け 夕食をササッと食べた。
携帯をみると留守電。
昨日も戴いた議員さん。
2度も留守電では申し訳ないので此方からかけた。
イヴェントのことでの電話だった。
このイヴェントの会議が今日あるのだ。

お話を伺って ふむふむと思った。
このイヴェント広報で先日広く知れわたったのだが「一体誰が企画したのか」と役所に問い合わせしていたようだ。
此方の心つもりにうまくリンクした形だ。
イヴェントは 本来担当すべき課ではなく 別の部署に持ち込んだ企画。
でも担当課の課長には「きっかけ作りしますよ」と伝えてある。
議員は 担当部長に問い合わせたようだ。

そこで不明で 持ち込んだ部署に出かけ私の連絡先を知ったようだった。

この議員さんの動きが 結構な刺激となってしまった。
良い意味でも悪い意味でも…。

会議に出て あれこれと配慮のお話。
「あまり大げさに考えないで 大丈夫ですから」と担当の方には伝えた。
そうでなくとも 本当に丁寧によく協力下さる方たちなので…余計なプレッシャーを与えたら気の毒である。

会議を定刻で終えて 家に戻って軽食。
それから 今日庭で刈った蕗の筋を取って調理。

気が着くと11時をとうに廻っていた。
フルに動いても片付かず1日が終わる。
ま そんなものだわ。のんびりとできる所まで取り組んで行くしかない。
出来ただけでももうけものだわ♪


2010年06月07日(月) 気温が定まらないと…


冬物やっとこさクリーニングへ出せた。
かくれんぼしているみたいにクリーニング屋さんと行き違いばかりだった。
「うわぁ すみませんんでしたねぇ」とクリーニング屋さんが言っていた。

自分で持っていくにも多すぎてどうにもならなかった。
仕方ないから小分けして出そうと今朝思ったところだった。

近所のクリーニング屋さんが廃業してからちょこっと困っている。
一週間に一度来てくれるのだが にタイミングが合わないと季節の変わり目には溜まる一方となってしまう。
今年のように何時までも寒い日が続くと母の冬物はなかなか出せない事情も加わり大量になってしまうのだなぁ。
「お母様の物が殆どですね」と言われるほどだった。


母は デイから戻って「大」を排出。
昨日は 2度の「大」排出だし…。
明日 ショートステイ一泊なので不安材料が消えてよかったわ。

明日夜は 会議があり 急遽後から一泊追加したのである。
「空きありますかね?」と先日のショートの帰りに聞いたら「入院中の方がいて退院は無理なので大丈夫ですよ」ということだった。

そういえば 先日 ご家族が特養に入所して緊急入院なさっているという介護仲間が ショート枠のベッドとして使われて消毒をお願いしたといっていた。ベッド共有って 難しいんだなぁ。

母の利用する施設で入所者のベッドを使うのかどうかは聞いていないので判らない。ショート用のベッドと以前説明があったので 入所者とは別だと思うけれど…。
どうんなんだろうな?明日聞いてみようと思う。


2010年06月06日(日) 「その通り!」だって…


 真っ青な空。洗濯日和。
母はテーブルに向き合って貰って せっせと洗濯機を回す事数回。

「おかちゃん」と呼ぶ回数も大分少なくて 今度はおしゃべりできなくなったかと心配した。

でも足裏をマッサージしたら「痛い。すんな!」と言う。
「判ったよ!」といったらしっかり頷いていた。

就寝前 トイレ誘導の時「小」がなかった。
「出ないの?」と聞いたら「その通り」と返事されてガクッとしてしまった。
誘導時「出る?」と聞いた時頷いたと思ったのだけれどなぁ。
こんなこともたまにはある。

なんだか おちょくられてしまった感じ。
でも腹が立つ訳ではない。
言葉が伝わっていると確認できただけで なんだか嬉しいのである。


2010年06月05日(土) 散歩日和に…


夫 早朝仕事に出かけ 其の儘起床した。
母のトイレ誘導を済ませてまたベッドへ。

母が寝ている間に母の夏物を引っ張り出した。
これまで 気温が上がらないので薄手のブラウス等はしまった儘だったのである。さすがにこれからは出番だろう。
ついで厚手の半袖も出した。
そうそう長袖の下着や長下ズボンもしまうことにした。

ある程度できてから母を起こして朝の介助を順番に。
食事が済み後片付けも済ませて 通院する事にした。
今日は お散歩日和なので車椅子を押して3・40分。

途中でタクシーでも拾えばいいかと思っていたが 通りは結構車が多く渋滞気味。下手をすると車椅子の方が早かったりするので呼んで待っているのもイライラしそうな気がしたのでのんびり押し続けた。

母には程よい気温でも押す者にとっては結構な運動量。
診療所についた時には 汗が流れるほどだった。

診察していただき「ほど良い所で…」ということで安心。
「あれ まだ薬あるよね」と医師。
「はい。あと10日分です」
これから あれこれ予定が入っており 通院可能な日が限られてくるので…お天気をみて今日と思ったのだった。

帰路は 昼食の時間もあるのでタクシー。
家に戻ると歯科通院のため戻った娘と3人で昼食。
食事介助は娘が担当してくれた。
娘は泊まる予定ではなかったが 結局泊まる事にした。

トイレ誘導の介助も「やらせて…」と手伝ってくれたけれど立ち上がり介助でもかなり苦闘していた。
何回か介助のチャレンジをしてくれたのだが コツが飲み込めない様子。
娘は 以前手伝ってくれていた。
でも まだ母の立位の意志もあり実際歩行力も安定していたので出来ていたのだが 最近は介助者への依存が重くなり難しくなってきているのだなぁ。

夕食は母が先。
私達が食べようとする頃には 眠くなっていたので先に着替えてベッドで眠って貰った。母はすぐさま zzzz。
それから2時間ごとにトイレ誘導。
今さっき 就寝後3回目のトイレ誘導が済んだ。
いつも書いているけれど 母のトイレサインがあるので…それにあわせての誘導である。


2010年06月04日(金) あれっ?これは…!母が?


ゆっくりとした時間でデイの迎えがくる日である。
迎えの時間になるまで のんびりと介助。
食事も済んで 休息したのち車椅子を門前に置いて 玄関から両手引きで車椅子まで移動した。
暫く外気浴。
まだ真夏のような強い日差しではないのだが 冬の日向ぼっこと言う訳にも行かない。陽を避けながら迎えを待った。
近所の方が「おはようございます」と母に挨拶してくださった。通院帰りだと言う。デイに行く前に もう用事を済ませているんだなぁ。

母を送り出して 買い物メモを記してパソコンに向った。
近日中に提出するための一覧表を昨日のメモを見ながら打ち込んだ。
もっと時間がかかるだろうと思っていたのだが 案外早目に仕上がった。
とはいっても 結構な時間を要したのだが…。

気がつけば お昼をとうに過ぎていて 慌てて昼食を摂った。
それから ゆっくりとお買い物。
土日は買い物が難しいので 母に必要な物だけは確実にチェックして買い出しておかねばならない。
他に 種類別にクリアファイルが必要になりそれも買い足した。
母のファイルも結構種類が多い。
それから食料を調達して家に戻った。

鉢植え等に水遣りをして 道路の掃除をしているうちに母は帰ってきた。
車椅子から降ろして 車椅子をたたもうとマットを外したら…。
なんとリモコンが出てきた。
今朝は無かったのだから デイしか考えられない。
母は リモコンを手にしたとしてもマットの下に置くなんて出来ない。
利用者さんがやったのかなぁ。
明日もデイがある筈だから困る事だろうと思って電話をした。

デイのものらしい。母をトイレ誘導する時リモコンを持っていたのでマットの下に置いて忘れてしまった人がいたようだ。
暫くして顔馴染みの職員が取りに見え 少し話し込む。
デイの職員が母に対して感じていることのお話である。

母にはみかんを剥いて皿の上に載せていた。
それを数粒自分の手で取り口に運んでいた。
ちょっと嬉しくなって 夕食の支度を始めた。
ふとみると母クリップを口に運んでいた。
慌てて取ろうとしたが 納得してくれない。
「危ないからね」と言いながら 母が納得するまで待ってようやくクリップを取り戻せた。
午前中 書類の整理をした時にクリップを外して そのままにしていた私が悪いのである。油断禁物。

夕食も順調に済んで トイレ誘導後に母の部屋に移動したが右傾斜が強い。疲れているのかも…と思い 食後からの時間をチェックしてパジャマに着替えてベッドに横になって貰った。
夫の帰宅とほぼ同時。
珍しくふたりで夕食となった。夕食とは言ってもね 大分遅いのだけれど仕方ないよね。

夜間のトイレ誘導は 少し遅れ気味でパットに少量で残はトイレへといった具合。
でも今さっきは ジャストミート。

明日明後日は デイがお休み。
またゆっくりペースですごす事になる。


2010年06月03日(木) どう捉えたのかな?


母のことだけで済む朝は 気遣い要らずで気分が楽。
「気を使え」なんて言わないけれど やっぱりちょっと違う。

母はご機嫌で目覚めた。
起床からデイに出かけるまで順調だった。
送迎バスを見たら中に利用者さん風の方が乗っていた。
いつも母が一番だったので新人さん?と思った。
バスに乗り込む時介助してくださる職員が「じっと見られるのですよね」とニコニコ。
少し興味が湧いて「じっとみるのは母だけですか?」と聞いてみた。
すると「そうでもない」と言う返事だった。
割合的には じっと見る人がやや多いということだった。


母を送り出してから 午前中の集まりのための資料をPCより引き出し人数分コピーした。昨夜のうちに済ませて置くべきだったのだが どうにも気が乗らなくて今日に延ばしたのだ。

予定の時刻に遅れて着いたが まだ一人だけしか来ていなくてホッ。
でも先に来ていた人は 間違って来てしまったかと不安だった様子。
ルーズで申し訳ないことです。
いつも几帳面で時間前に見える方なので 遅れている時「わるいなぁ」って思っていた。

昼前から昼食を挟んで 話し合い確認しながら作業をして 終わったのは3時少し過ぎ。
それから クルクルと買い物を済ませて家に戻り 家の前の落ち葉を掃いた。常緑樹の葉が入れ替え時期なのである。

送りのバスは10分くらい遅れて到着した。
母の後に降りる人がいないので「今朝乗っていた人は?」と尋ねると「今朝は特別だったのです」とのことだった。
送迎は いろいろ起きるんだろうなぁ。

帰宅した母をトイレ誘導し「大」「小」排出。
その後水分補給とバナナとみかん。
そして夕食。
順調に終了し トイレ誘導後母の部屋に移動。
今日も歩行を試みてくれたらしい。ありがたいことである。

普段は 結構疲れた感じになるのだが今日はきらきらにこにこ。
そこでNHKTVのニュースを付けて見た。
鳩山関連のニュースだったのだが じっと見ていた。
国政に関わるニュースと理解できていないのだろうけれど 笑いもせずにみていたので何かが伝わっているんじゃないのかな?
その間に食器を片付ける事ができた。

先のトイレ誘導から2時間経過したのでトイレ誘導するとタイミングばっちりだった。
パジャマに着替えてベッドへ。
2時間後再度トイレ誘導。これまたばっちり。
ピタピタッとタイミングが合うと心地よい。
きっとそれは母も同じだろうなぁ。
寝息を立てて眠っていたのだけれど 誘導するとしゃきっと目覚めてニコニコなのである。

一泊の仕事を済ませて夫も無事帰宅して それはそれでホッとする。
あらら また母をトイレ誘導する時間になってしまうわ♪


2010年06月02日(水) 理解し切れていない…


デイの無い日。
1日ゆっくり母と過ごす。
夫は早朝に仕事へ。
船に乗って一泊の予定。
昨夜のうちに 支度を済ませて置いた。

今夜は母とふたりきり。
夕食の気遣いも帰宅時間も気にせずにいられるのんびりタイム。

昨夜の「大」のその後が気になって 繊維の少ない食事となった。
1日変わりなく過せたので一過性のものなんだろうと思う。
ただ 食べ物によって 少し噎せが出るので風邪気味なのかもしれない。
検温に異常はない。機嫌も悪くない。
ただ飲み込みがややスローペースとなっている。
噎せないように自分でコントロールしているようだ。
そこまで理解できているならいいかな。
言葉が出ている訳ではないが 噎せそうになると口を開かないし 大丈夫になると口を開くのでそうだろうなと想像できる。

昨日「大」が緩かったので 水分も多めに出ているだろうなと水分摂取量もいつもより多め。
噎せがでるので 飲みやすい健康飲料ゼリー等も取り入れて食感に意識的に摂取してもらった。

午後 訪問リハ。
療法士さんに「介助するようになって膝の周辺の筋肉がぴくぴくしたり軽い痛みを感じるのですよ。何処の筋肉を使っているのかが見えてきますねぇ」と話した。
すると「気をつけてくださいね」といった後に…。
「介助する時自力の力を待っているその時の姿勢も影響するのですよ」と言われた。
「ストレッチなどしていますか?」と聞かれた。
これまでの経緯を伝え 毎日ストレッチしているし更に介助の後にはその分床に仰向けになって身体をまっすぐにして伸ばすように心がけていることも伝えた。
仰向けに寝転がってみるとマッ平らになっていないと感じる時がある。
その時には 意識してマッ平らにして仰向けになるようになおすのである。
ま それでも 逃れない事もあるだろうと思っているが…。
ぴくぴくと言えば 母が家に戻った頃は両脇腹の筋肉がひくひくしていたこともあった。じっとしていてもひくひくとして「力んでいるな」と自覚してリラックスリラックス…と自分に呼びかけていた。
今はもうそのひくひく現象は消えている。
これまで2度母の身体介助が必要な時期があったので 自分の身体がどう変化して行くかはぼんやりながら予測できる。
注意深く対処していくしかないのである。

母のことでは 先週アドバイスして貰った足を伸ばす事について取り組んだ時の様子を伝えた。
母の右足が少し弱ってきているので「かかとを曲げてまっすぐに足を伸ばし膝の上の方を撫でてみると良いですよ」と言われたのだ。
そうやって見ると 母は左足を少し持ち上げてしまうので 両方の足を順番にまっすぐにして見ましたと伝えた。
「バランス感覚でしょうかね。不思議ですね」と療法士さんは言っていた。
ついでに今日の失敗も…。
手が冷たいので 両手にレンジでチンしたものを母の両手に持たせた。
私が持っても熱い物ではなかった。
そこで一番下にチンしたものを置いてその上に右手その上にチンしたものを置いてその上に左手。
10分も経過していないと思う。
左手の甲がまだ冷たいので順番を入れ替えようとしたら右手の甲の部分が赤くなっていた。またしても低温やけど。
幸い酷くなっていないので助かったが…。

母の手は動く。熱い時は熱いといえる。
でも低温だと気付かないのだろう。

不快なら…熱いなら…離せばよいのにそれが出来ないのである。
またしても配慮不足だった。

歩けるのに…ベッド上で足を延ばしたり曲げたりできるのに…賭け布団を引っ張り上げることが事が出来るのに…寝返りは打てない。
不自由なことだろうに…。
その不自由さを まだ完全に理解し切れていないことだろう。


2010年06月01日(火) 夕方から3回目だわ!


母をデイに送り出して 電話を受けたりこちらからかけたりパタパタ。
午後介護者の会。
今日の会で 骨折や手術の話題となった。
骨折で手術をしたり治療を必要とする時 高齢者世帯や就労している人はその対応に頭を悩ます。
骨折で入院対応してくれる所はあるが 何れも短期。対応できる所も少ないのが地域の現実。
でも高齢者世帯で生活リハビリなんてかなりの負担となる。
現実には気持ちがあっても体力がついていかない。
ある高齢者世帯では リハビリと安全のためベッドより布団に寝た方がよいと言われたそうだ。
布団から骨折の人を起こすのはかなり難しい。
医師がそういった指示を出すなら その家の環境を良く見て欲しいし起き上がるための介助の方法をきちんと療法士さんに習うようにアドバイスすべきと感じた。

また併発した病での手術で迷うご家族もいた。
対応は 本人が決められない時には 家族になる。
家族は 手術のリスクの他に その後の生活も踏まえて考えなくてはならない。施設に入所している時に退院後どの状況なら受け容れて貰えるかも施設側とよく話し合う必要がある。
手術して病は改善できたとしても 入院によるリスクが出てしまって機能低下もありえる。
よくよく話し合って決めていかないとこんな筈ではなかったのに…と言う結末を迎えてしまうこともある。

こういう時介護者の会だと多くの事例を聞けるので自分にあう介護の選択のヒントを得られる…。

介護に向き合うって 勿論認知症の人を優先させて考えるのがベストだが 人によってそれぞれ向き合い方は異なるので一概にどれがベストなんてなかなか言えないものである。
人には言えない気持ちのしこりは 消そうとしても消えるものでもないし それを人に話したくない人だっているのだ。
その人の傷となっている場合もある。
だから一概に「これが正しい」なんて言えないのだとつくづく感じる。

さてデイの送りに間に合うように家に戻った。
先ずはトイレ誘導で「大」「小」排出。
「大」は最近 少なめだったので相当量に安堵。

食事も順調に済んで 母の部屋で洗濯物たたみ。
眠そうなのでパジャマに着替えて…と介助始めたら どうも臭う。
先に準備してトイレ誘導…予測通り。
お腹がキュルキュルしているお腹が治まるまでトイレで踏ん張って貰った。
しかしもう1回くらい来ると予測してベッドへ。

幾度か様子を見ていたが変化がなかった。
が ついさっき3度目が…。
お腹の張りやゴロゴロも消えていたのでこれできっと大丈夫。
手当てが済んで「良かったね」と言ったらとっても嫌な顔をしてギュウッと手をつねられてしまった。
「ごめんごめん。嫌だったのね」と詫びたが立位介助は1度拒否された。
眠いの半分も手伝っているのだろう。
こういう不機嫌な時もたまにはある。

下剤とか使っていないので 食べ物だろうとは思うが心当たりは野菜多めくらい。しかしそれくらいの量でうんともすんとも言わない時だってある。
野菜だけではないかもしれない…。
ちょっと様子見だわ♪


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