母のタイムスリップ日記
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2009年08月31日(月) 変化


 昨日の夕方 庭のカイズカイブキを剪定した。
雨が降り出す前の1時間ちょっとの時間。
剪定の厄介さは とげとげの葉と隣の家との境なので相手方に枝が落ちないようにしなければならないこと。
先に 枇杷の木とサンゴ樹をパッチンパッチン。
それから カイズカイブキをパッチンパッチン。
いつもは もう少し枝にはさみを入れて透かすように仕立てるのだが 今日はとりあえず 飛び出した枝を切り落とした。
 
夜は選挙速報を見ながら なだれる様に民主党に流れた票のことを考えていた。じっくり民主党にお付き合いできる票はどのくらいあるのだろうかなんて事を…。

午前零時少し過ぎる頃に眠りについたが 明け方寒くて目覚めた。
まだ8月なんだけれど この涼しさ…。
慌てて 肌がけを引っ張りだした。

今朝 早い時間に電話が鳴って「ドキッ」とした。
が ご近所さんのお手伝いの依頼だった。
手首を骨折なさってお掃除が出来ないのでちょっとお手伝いの手が欲しいということだった。
今日はフリーの日で 家の用事をしようと思っていたので返事に窮した。
でもお手伝いするなら今日しかない。
いろいろ考え 今回だけは受ける事にした。

降りしきる雨の中外に出て 肌寒いと感じた。
でもお手伝いで作業してみると汗ビッショリとなる。
気温は秋でも 湿度が高いと言う事なんだなぁ。

夜 暗闇に虫の声が賑やかである。
でもよく耳を澄ますと蝉の声が聴こえてくる。
暑い夜には 蝉の声は聴こえた。 
でも 賑やかな虫の音と蝉の声の合唱なんて 初めてのような気がするのだが…。聞き逃していただけだろうか?


2009年08月30日(日) あぁ 選挙


夫を送り出してから1人で投票所にでかけた。
北の空が真っ黒い雲に覆われているので 雨が降らないうちに投票しておこうと思った。

娘と夫は期日前投票。
小学生の頃「例え家族であっても 投票した人は言わないでいい」と習ったけれど 実家でも今の家族でも「誰に入れるの?」から始まって「だれそれに入れた」まで お互いに話してる。
結局の所 家人はほぼ同じような投票をしている。

投票が済んで 母の所に出かけた。
母は 少し深く眠っていた。
起こしていると「おい 起きろよ」と新しい入所者の声。
この人の駄洒落が非常に面白い。
「ご飯食ってねえよ」は入所した当日の声。
今日は この方とのおしゃべりで笑わせて貰った。

のど自慢の審査委員にこの方も加わった。
視力が弱い分 耳が良くて 協力メンバーとなりそう。

母は そこそこの状態。


2009年08月29日(土) 認知症の人の社会参加


認知症の人の社会参加を考えると言う実践報告会に出かけてきた。
最初は 認知症のご本人の思いをお聞きした。
ご本人は お話の最後に落語絵本の朗読をしてくださった。
ご本人がステージに上られた時は緊張気味の表情だったが お話を始めるとにこやかな表情となり極々自然にお話なさって入らしたのがとても印象的だ。
そうそう同じ日ばかりではないだろう事は 母の介護を通して教えられてきている。帰宅なさってから お疲れのない様に…と祈るのみ。

母は若年認知症ではないが 施設入所した頃は 入所者の方に絵本を読んで差し上げていた事もあったので そういう時期もあったなぁとタイムスリップした。
母が絵本を読んでいた頃の状態と今日のご本人の状態は大分違う。
母は その頃の介護度は 要介護4である。

考えれば この介護度施設に入所して以来 要介護4をキープしているのだなぁ。実態としては介護度3に近い4から 介護度5に近い4と変化はしているのである。そう考えると4の幅って大きいんだなぁ。
母の病は 介護保険施行前に発症している。
介護保険制度が始まって認定を受けた時には 要介護2だったと記憶している。その少し前から 母はしきりに働きに出たいと言っていた。
つまり 若年でなくともそういう気持ちはあるということだろう。

ご本人の話の後 おりづる工務店とジョイントと若年認知症グループどんどんと木曜会の報告会。
ジョイントとの支援者の方やご当人方とは時折お目にかかることがあるし どんどんの方のお話も伺った事があるし 電話で話したこともある。
だが おりづる工務店の方のお話を伺うのはお初。
スタッフはとても若い方だった。
地域に働く場を探して行く最初の一歩が難しかったと言うお話に「そうでしょうそうでしょう」と思った。でも認知症の理解を得るためには 病を知って頂くことが1番と思う。
認知症のご本人が皆就労するのが良いとは思わないけれど…。
でも 仕事ができて満足感を得られる様子は 母の様子を見ていても感じられた。そういう場所が人にとってはよいと言う人もいるのである。

本人が就労して 小額でも収益を上げると介護保険の絡みで面倒だというお話は 今の就労支援の課題のようだった。

この認知症のご本人の社会参加の様子をお聞きして 地域で出来る支援について模索しているのである。
だから 役所の保健士さんもこの会に参加なさった。

若年認知症に限らず 高齢者の認知症だってこういう柔らかさは必要だと感じている。勿論 今のデイのあり方にも良い所はある事は充分承知した上で多様なデイができればいいなと思う。

今進行中のイヴェントの準備で集う専門職の方の中でも そういうことを考えておいでの方もいる。
そういう方たちと手を携えている所である。

と言う訳で 母の事は施設の職員にお任せしての一日となった。
母は デイと言う場所がお客様的存在になりつつあるので 母のように進行した人に合うデイサービスだって欲しいのだけれど…。


2009年08月28日(金) ケアプラン


友人から頼みごとのメールが届いた。
つい先日外出した折 友人のことを思って購入したものが 今回のメールの頼みごとの商品だった。この偶然にお互いが驚いた。
そういうことが時たま起きる。

今朝も涼しい朝だった。
家の周囲は 只今古いガス管を替える作業が続いていた。
昨日、今日は我が家の番だった。
庭木のあるところ掘り返しての作業。
よくよく考えるとこの手の作業 機械の改良と共に随分早くなったと思う。
昔では考えられない。便利な世の中になったものだと思う。
母の所に行って戻ったら工事は終わっていた。
我が家の場合 土の掘り起こしだったが ご近所さんはコンクリートの下を通したと思うのだが…。
実際はどうだったのだろう?

母は この所 日中深く眠っている事が少なくなった。
何が原因で起きるのか判らない事が結構ある。
手足の浮腫み 眠り 食欲 笑顔等。脳神経の影響?
特別に大きく変化する事もないので様子を見ながら対応するしかない。

今日も「大」「小」の排泄があり。食事に要する時間もほどほど。
全てにおいて下降気味ではあるけれど…。

午後担当職員とケアマネと9月のプランの確認。
その後 施設長と話し合い。
家族の意思に添う形で本人支援を続けるように努力してくださるそうだ。
つまり今の形態の続行ということである。


2009年08月27日(木) 利用者さん訪問


今朝 雨戸を開けたら青い空が広がり 涼しい風が入り込んできた。
こんなに早く秋が来ていいのかしら…。

今日は 利用者さん訪問日。
8月は草取りに終始。
今日は 北側なので日陰の作業なので多少汗ばむけれど 比較的涼しかった。この場所は どくだみが主流。でも茗荷も顔をのぞかせていて それらを収穫した。
30個ほどあったと思う。
利用者さんは 調理できる場所がないので私に持ち帰るように言ってくれた。
でも我が家にも茗荷はあるので 作業なさっていた大工さんに持ち帰ってもらったら…とアドバイス。大工さん 喜んで戴いてくれた。

草取りは 今日が最終回の予定らしく 利用者さんも熱が入って2時間びっしり作業する事ができた。

我が家の2倍近くもある敷地なので 草取りも大仕事。
これまで良く踏ん張ってこられたと感じ入ってしまった。

午後は 会報送付の作業があり 仲間と落ち合って準備した。
無事作業を終えて 投函。
毎月数名ずつ会員が増えており それに伴い作業も増えていている。

午後になると日差しも強くなって今朝の涼しさは何処へやら…。
我が家の庭の手入れもまた始めなくてはなぁ。


2009年08月26日(水) ごめんごめん 手抜き介護だわ


今日も早目に母の所に出かけた。
午後会議の予定がありリハ途中で 移動しないと会議に間に合わない。
また週末には ちょこっと講演会を聴きに出かける予定があるから 母との時間を少なくなってしまうから せめてもの罪滅ぼしである。

おそらく これから先 外出も儘ならなくなると思われるので 少し欲張り傾向にある。どんな言い訳をしようと母の所に行かないという事実は変わらないのだが…。

母は ソファーに座っていた。
「おはようございます」と挨拶すると「おはようございます。ご苦労様」と言う返事が返っていてギョッとした。
通っている事を判っているのか はたまた職員と間違えているのか…。
そして何より 明瞭な言葉を久しぶりに耳にしたことも驚きだった。
母といる間 目だけで推し量る状況が多い現状なのでギョッとはしたけれど それは嬉しいことである。

トイレ誘導して「大」「小」排出。
それから顔を拭いて整髪。
明日のデイの着替えの準備をして連絡帳に書き込んでリハの支度を済ませた。そして ゆっくりとホールに移動して食事介助。
1時間半程度の時間で何とか終了し 急いで居室に移動。
直ぐに療法士さんが見えて リハを始めていただく。

後はお任せして 施設を後にして 電車で移動。
今日は遅刻せずに何とか間に合った。
毎年行うイヴェント準備の会議だが 今年は結構速いテンポで進行しているように思う。
今年は 会場を一回りすれば 介護の流れを知ることができるという工夫をしている。特に興味があるのは 体験コーナー。
工夫をしているデイの体験とか 看取りのコーナーでは 実際訪問看護を利用した場合 吸引とか吸入とかの体験コーナーも準備。訪問看護の利用料とか 具体的に知りたい事を学べる仕組みになっている。

それぞれ担当する方が無償で協力してくださっている。
仕事の合間に本当に頭が下がる思いがする。

ネットワークは 介護者を中心にしていろんな形で交差して広がっている。
今日もいろいろ話し合って方向性を更に具体化できた。

会議が済んで帰宅ラッシュの始まる電車に乗って家路に着いた。
大急ぎで夕食の支度。
あれこれとメールの返信をして1人夕食。

その後夫が帰宅して 延々のお話を聞く。
いつもなら聞く余裕があるのだけれど 今日はちょっと立て込んでいる事が多くて 内心「何時終わるの…」と言う感じになってしまった。
至らぬ妻です。

今さっき 原稿が届いて これから書き込み。
メールで送ってもらえると助かるけれど ファクシミリ通信。
皆がパソコンが出来る訳ではないので仕方ない。


2009年08月25日(火) ドキドキ ドッキン


今朝 夫に「食事ですよ」と伝えに行ったらTVで地震の予告がピコピコ。
「ギョッ」として玄関のドアを開けたりして身構えた。
でも何時までたっても地震は来なかった。
ラジオでは「テレビでは警報出ておりますが 地震は今のところありません。気象庁のホームページには『地震がありました』と出ていましたが 震度等については何も出ていません…」と説明があった。
その時に「誤報ね」と気がついた。
でも 個人的には「誤報」とわかっても 交通機関ではそうも行かない様子で電車の遅れが次々報道されてた。

この予知情報を キャッチしたのは今回が初経験。
でも正確さがないと信頼も薄れて行きそう。
結局の所 震度の20倍で予想してしまった機械の誤作動との事だった。

母の所へは いつもより早目に出かけて 居眠りしていた母を起こしてトイレ誘導「大」「小」排出。
その後 食介助。今日は 後半居眠り…。ほぼ完食したが残量あり。

入浴の前にトイレ介助 口腔ケアをして 入浴。
ここは 職員にお任せ。
入浴後 水分補給はゼリーとポカリ。

それから そうっと家に戻った。

夕食の支度中に電話が鳴った。
役所からの紹介と言う事で相談の電話だった。
本人対処の相談だった。
通院が決まっているのに通院拒否があり困っているとの事だった。
ゆっくりとお話を伺っていると拒否も困っているけれど 高齢者世帯なのでこれからどうして行けば良いのか…等介護の不安がいっぱいの様子だった。
骨折して入院中に認知症と診断されたとの事。
それも 入院に拠る一時的な変化ではなくて病と認定されたとの事で極々最近のことの様子。
介護保険の申請もこれからと言う事だった。
きっと 前から症状が出ていてそれゆえに怪我をなさったものと想像できた。

認知症初期の介護が始まった方の話を伺うと必ず過去の自分の介護が思い出される。
病を受け止めきれずオタオタして 母も動揺して…という悪循環。
でも「過去だけか?」と胸に問うてみると局面局面でオタオタしている自分がいる。肉親を介護するって 自分の一部みたいな気持ちになるからなんだろうなぁ。これからも きっとオタオタドキドキを繰り返していくんだろう。

同じ病の方で介護中の方は結構多いので「良かったら会にいらしてみてください」とお誘いした。

食事の済んでパソコンの作業を始めたら「ワードの保存が出来ない」と言う警告文。その後ワードは固まってしまった。
こういう時すぐパニくるのがお決まりの私。
何をやっても駄目で…。
若い若い パソコンの達人に電話。
何とか繋がって状況を説明したら「強制終了してみましょう」と言われて 作業を始める寸前にそれまでフリーズしていたワードが動き出した。
「話だけで解決する神通力…凄いなぁ」といったら「暑さでおかしくなったのでししょう。私の力ではないですよ」と笑っていた。

文書は保存されており胸を撫で下ろした。
これでデーターが消えてしまったらかなり大変なことになってしまうから…。


2009年08月24日(月) 夕立


利用者さん訪問。
朝「誠に恐縮ですが 本日も草取りの活動を…」との電話があった。
暑いし汚れるし…というのが恐縮の理由。
でも此方としては 活動に綺麗も汚いもない。
そう説明しても「はなさん位です。嫌な顔をなさらないのは…」と言われる。
そんなことはないと思うのだが…。

と言う訳で 庭の奥の背丈以上に伸びた草をバッサバッサと切り根を引き抜いての作業。
小さな草を抜くのも面白いけれど 大きな草の処理もまた楽しい。
ただ花が咲いて綿毛を持っているので 帽子に種が飛んできて真っ白になるのは ちょっと面倒。
どうせなら 花の咲く前に…と願いたいかな。

一時間も経たないうちに「はなさん 上がってください」と言われた。
まだ作業途中だし そうも出来ない。
でも利用者さんがお疲れになったのだろうと想像した。
「先に休憩なさってください」と返事すると「そうは行きません」と言われる。
そこで「あと少し作業させてください」とお願いして続行。
隣接する家の塀に蔓が絡んでいるので それらを始末して終了。
ちょっとフェイントを掛けて「今入ります」とアクションを起こして 利用者さんが洗面所に移動なさったのを確認して また庭に出て草取り。
利用者さんが戻られて苦笑いなさっていた。

時間が来て 持参したお茶で水分補給し記録を記入した。
それから 先日行かれた旅行の話を伺う。
そのうちに「こんなに話しちゃって…あなた 早く帰りなさい。これは命令です」と言われた。

こんな風に利用者さんはいつも気遣いをなさるのだ。
あまり気にしないでくれると助かるのだけれど…。

活動を終えて家に戻ったら娘からメール。
今日は 会社を休んで不在者投票と転出届けをするためこっちにやってくるのである。
お昼を一緒に食べて それから役所へ。
此方も役所に用事があるので同行。

役所に入ってお互い別の場所へ移動。
介護担当の窓口に行くと生憎 会いたい方は相談業務で外出中だった。
別の方が「丁度良かったと」とこれからの予定と介護者の会へのボランティアさんの紹介があった。
介護施設でホーム長をなさっていらした方らしい。家族の介護経験もあるということだった。
心配は 経験をカサに物を言われるようだと会の趣旨に反するから大丈夫だろうかと言う事だったようだ。
「会に来て貰えば 会の趣旨は理解できると思うので大丈夫でしょう」と伝えた。

お互いの用事が済んで 今度は私の用事でボランティアセンターに移動。
そこは 廃校になった小学校にある。
この学校は 娘が6年間通った所。
「車で待っていてくれていいよ」と言ったら「中も見たいよ」と言う事で一緒に入った。用が済んでから校内を一回り。
「まだ あるかなぁ」と卒業記念制作物を探した。
ちゃんと残っていました。
ひとりひとりが作った木製のレリーフをつなぎ合わせて姿見のフレームに仕上げたのである。
その中に自分の作品を見つけて 小学校のころの事を思い出していたようだった。携帯カメラで何枚か写していた。

学校の敷地内は 子供達の声が賑やかだった頃と比べると荒れた感じがした。それは 伸び放題の草のせいだ。
更にお掃除等も行き届いていなかった。
もう少し手入れする方法がないものかと思った。

その後ちょこっと珈琲タイムをとって家に戻った。
凄いにわか雨で 洗濯物が気になった。
なのに家に着いたら ガス会社の方が待っていらして立ち話。
長くなりそうだったので「すみません 洗濯物を取り込んでからでいいですか」と話を遮って家の中にはいり洗濯物を取り込ませて貰った。

金曜日工事に入ると言うお知らせと手順の説明だった。
実は今朝 そういう説明を受けたのだけれど…きっとどちらかがガス会社でどちらかが工事する業者さんだろう。
説明は 1回で端的にやって欲しいな。

洗濯物は 少し濡れたが部屋干しで乾きそうだった。
雨の後 気温が下がって涼しい風が吹いている。


2009年08月23日(日) 「快」?

母の所に行く準備をして家を出た。
母は 笑顔いっぱいでソファーに座っていた。
ソファーには 入所者のご家族が子供連れで見えていて 総勢6名が談笑していた。その楽しさの中に交えて戴いていたのだ。
子供の笑みは 何よりの刺激となっている様子だった。
母がその会話の中に入っているのではないが…。
それでも 思いもかけない笑顔に出会って 嬉しくてご家族に感謝だった。

居室のトイレに誘導してもその笑みは消えず あれこれと母なりのおしゃべりを聞くことが出来た。

トイレから出て 洗面してアイスをちょこっと。
直ぐに食事となった。
今日はメンチカツがメイン。
これに変わるものとして アボカド1個とカマンベールチーズ2分の1とイチジクとオクラとトマトと煮豆。
メンチを除いて 全量摂取。
食事中も良く笑っていた。
日曜恒例のテレビ視聴も。

その後トイレ誘導し口腔ケア。
ちょこっと歩行して別の入所者の方のお部屋を訪問。
直ぐに訪問介護の職員が見えたが 手当て後ということで 一緒に遊んでくださった。ボール遊び。
母は ボールをキャッチして仲間に入れた。
ひところのようにボールを回すことは難しくなってきているが 失敗しそうになりキャッチ出来た時は破格の笑顔を見せてくれた。
ボールを捕まえるという事を意識できているのだと伝わってきて嬉しかった。
職員もそれを感じ取ってくれていた。
今日は 感度が高かった。

今日は 戴いたメールへの返信や買い物他の作業があるので ちょっと早目に施設を後にした。

野菜等を購入して家に着いたら 同級生から電話が入った。
同級会の案内だった。
「うーむ」友人には逢いたいが…。
娘は 母の介助するから出かけてきたら…と背中を押してくれた。
友人は「参加費送って申し込みしておくよ」と。
ま ぎりぎりまで待って見よう。
あわよくば母を連れての帰省なんてことも出来るかな?
母が変わりなくいれば…ということだ。


2009年08月22日(土) 贅沢な時間


朝食後に オクラを茹でて刻む ブドウの皮を剥く サトイモの皮を剥いて人参と煮物を作る。焙じ茶とお湯をそれぞれポットに詰めた。

朝一番に洗濯して干したので 出かける頃にはほぼ乾いていた。
予報では雨。洗濯物を取り込んで出かけた。

母はソファーで居眠り。
施設長が「排便はあった方が良いですね」と言われた。
母は 腸閉塞を起こしやすいかも…とも。

排泄に関しては もう少し食べ物その他でもう少し考慮したい所だ。

トイレ誘導して「大」「小」排出。
生姜入り焙じ茶出水分補給し 洗面・整髪。

その後ホールに移動して昼食。
今日の食事も見越して副食物を運んだので 昼食の鶏肉は外して貰って豆腐と煮豆とブドウとチーズとイチジクと刻みオクラで補う事にした。
主食はおじやだった。
副食は口当たりが良いのでスムースに食べた。
おじやは 水分で少し噎せたので 水分を避けながら介助した。
水分と米粒の混合は どうも噎せやすい。
水分だけなら 少量ずつゆっくり運んであげれば 噎せはない。

施設の副菜キャベツのサラダは噛み難そうだったが 少量ずつ運んで全量摂取。結局 準備したものは全て食べきった。時間も少し短縮できた。
ただ 噛む事も大事なのでもう少し噛む事を重視した食材を考えなければならないなぁ。

食後口腔ケアをしてトイレ誘導。「小」排出。
母の機嫌も悪くないので そうっと施設を後にした。

今日は この足で志の輔の高座を聴きに行く。
電車に乗って移動。
娘の住まいを訪ねて昼食を食べ それから一緒に劇場へ。
「ぼたん灯篭」が演題。
志の輔らしい切り口で今を取り入れながら…。
衆院選の話は笑った。
出口調査のところでは 同じ事を考えたことがあったので大笑いしてしまった。
今の選挙は 開票率一桁で当落がわかってしまって面白くないというのだ。
だから出口調査の時に嘘を言いましょうというくだり。
聞くところによるとそういった話は別の方も話しているそうだ。

志の輔が言うのには 速報を楽しむために ゆっくりと…らしい。

ぼたん灯篭もおどろおどろしてなくて良かった。
筋はある程度判っているのだが それでも充分楽しめた。

聴き終え場外に出て 娘が予約してくれた整体へ出かけた。
1時間コースで身体を解して貰った。
その間娘は 別の場所で時間を潰してくれた。
私には 贅沢な時間だ。
あちこち痛みやコリはあるのだが そこに気をとられてはいられない現状。
ストレッチ等を試みながら身体を解している毎日。
今日は 娘の好意に甘えさせて貰った。
以前にも予約してくれたのだが 追い込まれてそういう気分に慣れずに断った事もある。
志の輔なら何はさておき出てくるだろうという推測も娘には あったのかな?

その後夕食等も済ませて帰路に着いた。
娘の子供ころ この街には日曜ごとに二人で通った時期がある。
慣れてからは 娘1人で出かけていたけれど…。
今度は 娘に誘われて…。時の流れを感じた。

託している介護だから こんなゆとりも出来るという事を自覚しながら 贅沢な半日を過した。


2009年08月21日(金) スワッ!


朝7時に電話が鳴った。
この時間に電話を下さるという事は 何かが起きたと考えるのが妥当。
「何処からだろう?」と電話をとると母の施設からだった。
一瞬怯む。
「起床時 少量の嘔吐が見られました」という報告に安堵し「連絡ありがとうございました」と受話器を置いた。
目覚めている時間とは言っても 頭はまだ本格稼動していない。
夫に朝食を出して「大丈夫か?」と聞かれ「少量らしいから…」と夫を送り出した。
それから洗濯機を回しながら つらつら考えてみると朝は 職員も忙しい時間だということに気がついた。
朝食・デイへ送る準備・引継ぎ…。
不安がっている母を想像して やおら冷蔵庫を覗いて準備。
バナナをカットしてレモンを絞ってかけた。生姜を摩り下ろした。豆腐を出して容器に移す。お粥も作ったけれど ちょっと硬めに仕上がったので 欲張らずバナナでやり過ごす事にした。
お湯をポットに入れ ほうじ茶を淹れ別の容器に移した。

生協の荷受までに戻れるか判らないので 注文書を外に出して ごみ収集の袋も門前に置いて 慌しく家を出た。

母は布団に横になっていた。
「おはようございます」と挨拶するとパッと目を開いてにっこりと笑った。
これまで 嘔吐で施設に走った時には 具合が悪そうで反応も鈍かった。
「心配ないかも」という予感がした。
母を起こし 口腔ケア。
最初は 生姜を入れた焙じ茶で。口を空けて綺麗にしていいよといった風。
口の中がさっぱりしてから 熱いタオルでそうっと顔を拭いた。
気持ち良さそうに頷いた。

その後シーツを替えて ベットメーキング。
それから トイレに誘導。
誘導しながら ハッとした。「大」を背負っている。
最初に パットを外して便器に座ってもらう。
腰の辺りまで汚れが広がっていた。

持参したお湯で流し 手当てをした。
着替えもトイレで…。
結構大騒動の着替えとなったが 母は笑顔が増えて行く。

この頃 職員が見えたので状況を説明し 機嫌も悪くないので排便に拠って起きたのではないかと感じると伝えた。
職員も忙しい中 夜勤の職員と見えたりしてくれた。

綺麗さっぱりと仕上がったら 手を手すりに誘導して立位を促すとゆっくりと自力で腰を上げてくれた。
整髪をして 再度顔を拭いて椅子に座って貰って 一口生姜入り焙じ茶を飲んで貰って反応を見た。
美味しそうな表情でゴクリと飲み込む。
次にバナナ これも大丈夫そう。次に お豆腐。
結局バナナを全量食べてお茶を飲んで終了。
その後ホールに移動してソファーに座ってもらう。
この間 血圧と体温の計測をして頂き 特別の問題のないことを確認。

これで様子を見て貰う事にして一担 家に戻った。
生協の荷受は間に合わず スチロールのボックスに入った商品が玄関前に置かれていた。
それから 朝食の片付け 洗濯物を干して…。
午後にある介護者の会の支度をして 再度母の所まで移動。

トイレ誘導すると「小」排出。
それからゆっくり ホールに移動して昼食介助。
ご飯は 初めから定量の3分の1を別の器に移した。
副菜がお魚のフライだったので中身だけ食べてもらった。
お豆腐も持参した分を食べた。
グリンピースの煮豆とご飯。味噌汁。茹でキャベツの半分。ご飯3分の2。
これ等を様子を見ながらゆっくり食べてもらった。
無事予定した量を食べられ 落ち着いているのでソファーに移動し 後は職員にお願いして介護者の会の会場へ向かった。

最悪 通院もありかなと想像していたのだが 症状が軽くてよかった。
飲食だって 食べられる可能性はないかも知れないことも予測していたので一通り食べる事が出来た事で 介護者の会に遅れて向かうことができた。

「何かあったら 連絡してください」とお願いしてきたが 特別連絡がなかった。
予定より遅れて 様子を伺いに施設に連絡を入れたら「落ち着いています」という事で 今晩はお任せすることにした。

それからパタパタと買い物を済ませて 家に戻った。


2009年08月20日(木) 新型インフル


今日は 町内の集まりの日。
いわゆるサロン活動日。
社協の人もきてくださってワイワイと話した。
民生委員さんから 認知症サポーター養成講座を開きたいと提案があった。
その話を受けて「認知症とアルツハイマーって違うの?」と質問を受けた。
そこで ちょこっと話をした。
皆さん「はぁほぉ」と聞いてくださった。
まだ本質の話まではしていないが 地域での理解を深める事が未来の自分の助けになると伝えて行ければいいなと思う。
この会には 町内に住む 看護師の方も参加してくださるが 他に介護士
の仕事をなさっている方も参加をしてくださることになった。
サロンは 認知症のことを主体としたり 高齢者限定ではない。
介護以外でも 深く専門的知識をお持ちの方も多いので それぞれの知識を伝授して知恵を重ねる場所に育っていけばいいなと思う。

集まりが済んでから 会の案内の配布の仕方や補助金の申請の書類に記載すること等諸々の事を打ち合わせた。
皆さん 介護中であったり それぞれ別の活動や仕事もあり集まった時に済ませた方が良いという事になった。
一時間ほど話し合って終了。

家に戻るとイヴェントのことや記録誌のこと等諸々のメールが入っていた。
先に処理すべきことから順番に片付け。まだ 片付いていない。

夕方菜園に出て 最後の枝豆を収穫してきた。
夜 それらの処理をして ちょっとさっき仕上がったばかり。
今夜は ここまで。

あそうだ 娘から電話があった。
会社で新型インフルエンザ感染者が出ており 緊急対策が実施された部署もあるらしい。
お互い手洗い・うがいの励行に努めようということに。


2009年08月19日(水) よく噛んで…


少し早目に施設に向かった。
今日は お湯を忘れないように一番先に準備した。
午後 研修会がありその後打ち合わせがありリハビリには立ち会えない。

施設に着くと母ソファーで居眠り中。
直ぐに目を覚ましてくれるが まるで幻を見たかのように俯いて眠ってしまう。
こういうときにも良心の呵責に苛まれる。
でもそうは言っていられないので 今日も両手を持ってリズムを取ってみた。
これが 母には有効。
もともと快の時には 手でリズムを取る母だったから。

何とか目覚めて 立位。前に引きながら母が自力で腰を上げられた。
それでもへっぴり腰で後ろ体重になる。
ちょいと姿勢を立て直して床にしっかり足を着いたのを確認してから 両手引きでトイレ誘導。
「小」が間に合い「大」も少量。

その後整髪して 明日のデイの支度をし リハビリの準備も。
職員には デイ利用の時に持参するゼリーのこと またリハ後の片付け 食事介助のバトンタッチをお願いした。
忙しい職員なので ゼリーを冷蔵庫からの出し忘れもあるのでデイの荷物の上にゼリーをいれる袋に「ゼリー入れ」と記入して置いた。

その後食事介助。
今日はおそばだった。
食べ始めは順調だった。
が途中で よく噛まないうちに飲み込んでしまって目をウルウルさせた。
「〇ちゃんは 噛むのが得意。唾液と混じるまで良くかむのよってよく言っていたよね」深く頷く母。
「よく噛まないと 喉に詰まるから よく噛んでね」「モグモグ」
と何回も話しかけた。
向側に座っている入所者が「どうして?」と聞いてきた。
「かむことを時々忘れてしまう事があるから 危ないから思い出して貰うために言っているのよ」と伝えたら「あら そうなの」と驚いていらした。

時計と睨めっこしているのをみて 他のご家族(最近看取り終えたご家族)が「私が介助するわ」と変わってくださった。

母は さっきの職員のやり取りが記憶の隅に残っているようで 視線で私を追っていた。言葉は全くないのだけれど…。
ご家族が うまくカバーしてくれたので そうっと施設を後にして バスに乗って電車に乗り換えて少し遅れて会場に着いた。

研修が済んで 打ち合わせをして夕方の電車に飛び乗って家に戻ったのは7時を廻っていた。


2009年08月18日(火) 忘れ物


庭の手入れをしていて 蝉の抜け殻を見つけた。
これまでは 大概紫陽花の葉の裏が多かった。
でも今年は 鉢植えのパイナップルリリーの葉の裏でも見つけた。

菜園で作業をしている時には シオカラトンボが胸にとまった。
自分が自然に溶け込んでいるのからかと失笑。
不思議なのは ちょっと身体を動かすと瞬時に離れるが 動作が止まればまた肩やら腕に止まった。
子供のころ シオカラトンボは飛び立つのが早くて捕まえられなかった。
今では 捕まえようなんて微塵も考えない。
そんな人間の心理を読み取っているかのように思えた。

母の所に行く時には川べりの道を自転車で走る。
初夏にはカジカの声も聴こえた。
最近は ウシガエルの声が聴こえる。
姿を見ることはないのだが…。

もっと多くの昆虫や鳥達や草木に出会って 気持ちをほぐして貰っているのだが日記を書く頃には すっかり忘れてしまっているのだ。

お弁当を持って母の所に出かけた。
母はソファーで居眠りしていた。
この所目覚めている日が続いていてホッとしてたのだが…。
何回かぽんぽんと肩を叩いて名前を呼んでみたが ちょこっと目を開いて目視して目を瞑ってしまう。
両手を持って リズムを取ったらニコッとしてまた目を瞑ってしまった。
再度 両手を取ってリズムを取って 頭や顔を撫でたら ようやく頭を上げてくれた。「さぁ 立ちますよ」と肩を抱いて前に引くと 自力で腰を上げてくれた。
それから 居室まで両手引きで歩行介助。
トイレ誘導。「大」「小」を排出できた。

その後 昼食介助。
味が濃いようで 結構食べてくれる。
相変わらず すいすいと口をあけて噛んで飲み込むのは ある程度の時間が必要だ。食べたくないのではないという事だけは伝わってくる。
それでも 元気な頃のペースよりかなり落ちてきている。
脳の回路の障害が強くなっているような気がする。
母の踏ん張れる所まで根気よく付き合っていくしかないだろう。

母が一番最後まで食べていた。
他の方は 食後の休息でテーブルに着いていた。
その時に1人方が呟いた。
「頑張れって言われても頑張ってもどうにも出来ないのよね」
「頭が モヤモヤとして…」と。

その言葉を 他の認知症の入所者に「頑張っているのにどうにも出来ない事ってありますか?」と投げかけてみた。すると「ありますよ」と深く頷いてにっこりなさった。
「頭がもやもやする事ありますか?」ともお聞きすると「そうですね。そういう日がありますね」と。
心情を吐露できたように感じる時には 皆さん笑顔になるように思える。

食後 母をトイレ誘導し「大」「小」排出。
口腔ケアを済ませていると入浴介助に職員が見えた。
着替えを準備して手引き歩行で浴室に移動。
後は職員にお任せした。

居室の片付けを済ませてそうっと施設を後にした。
今日は お湯を持っていくのを忘れてしまって 母には迷惑をかけた。
「ごめん 冷たいよ」というとじっと我慢してくれた。夏だから出来た事だわ。


2009年08月17日(月) 追われる夢


朝 昨日の草や枝を門前に出しながら気がついた。
「利用者さんとこの草は纏めてあるけれど敷地内だったな」と。
大急ぎで伺い 勝手知ったる…で門前に運び出した。

家に戻るとご近所の方に声を掛けていただいた。
独り暮らしのご婦人だが ご家族がお孫さんを連れて一泊なさったそうだ。
アナログのゲームが好きでお相手をしたそうだ。
ルールを覚えきらなくて「時にこんなことも判らない?」というような顔をされりでとても疲れたという事だった。
お孫さん まだ 幼稚園。
お孫さんと一緒に普段使わぬ部分を使えたのだから大分刺激されたんじゃない。これが 脳内刺激となって脳が活性化されるんじゃないかな。
そんなお話をしていたら 別の近所さんも見えて お孫さんが泊まりにきたというお話となった。
そう遠くない所に住まわれているが 夏休みは やっぱりじいばあの所へ何だな。

滞っていたお便りを書き上げた。
1人は91歳になるおば。
先日 3枚の便箋びっしりのお便りを戴いた。
文面もしっかりしていた。
足は弱っているので杖歩行だが 生活は自立している。
ご家族と住まわれている。
此方は はがきで返事。
本当なら電話で済ませたいところが 耳が遠くなっているのでそうも行かないだろう。

今日は 家の掃除。
パタパタはたきを掛け 埃を落としてから掃除機を掛けて拭き掃除。
和室の障子の桟は はたきでないと…。

少しすっきりした所でPC作業。
急に眠たくなって ちょっと一眠り。
追い立てられる夢「この夢 同じ設定でこの所良く見ている」と思った。
続きのような そうでないような…。

夢 最近記憶に残る夢って随分減ってきていたのだが…。
もう少し 気分転換が必要かな?

日の傾きかけた頃にお便り投函方々買い物に出た。
お日様が 雲に出たり入ったり…この時期にしては 涼しい風が吹いていた。


2009年08月16日(日) ゆっくり ゆっくりの食事


今日までお休みの夫。
「今日は 母の所お休みしようか?」と問うたら「いいよ。行っておいで」と夫。
母の所に行くという事はお昼は 定時に食べられないという事になる。
さすがに申し訳ないなと思う。
でも お言葉に甘えて出かけることにした。
ついで「送って戴ける?」「あぁ いいよ」という事で 施設まで送って貰った。

早目に着いたので すぐトイレ誘導。「大」「小」排出。
腰周りも含めての洗浄しクリームを塗るのも毎度の事。

お部屋でほんの少量アイスを口に運んでみた。
「えへへ」と母。好みに合ったようだ。
昼食前の刺激である。

ホールに移動して昼食介助。
今日ものんびりペースだが 豆腐・ゼリー等を使いながら 1時間半近く掛けて介助。ご飯と豚肉は 一口ずつ残量。
でも 豆腐とゼリーでカロリーや栄養面で補えていると思う。

食事の後半で 恒例のテレビののど自慢。
みんなでワイワイ。

のど自慢が終わってから トイレ誘導。「大」「小」排出。
今日は2度目。これでもまだ足りないかも…。

口腔ケアをして 居室の椅子に座ってもらって 手足の爪きり。
後始末を終えた頃 訪問介護。
終えた後なので その旨を告げて母とおしゃべりして頂くことにした。

その間に そうっと施設を後にした。
尿も透明で 水分摂取も順調と思われる。

バスを乗り継ぎ 家に戻っておそ〜い昼食。
その後 庭木の剪定。
丁度明日は ゴミ回収の日だ。
日陰を選んで順繰りに…。
今日も ええ加減モードで チョキチョキと手早く。
本当は 東側だけで終える予定だったのだが…やり始めると止まらなくなった。
南・西と気になっている場所をちょこっと整理できた。
草取りも含め 作業を終えたのは6時半。昨日は もっと後だったので 早いほうかな。

それから夕食の支度。
自前の野菜で夕食は美味しいけれど 野菜たちに追い立てられて仕方なく…という感じもする。


2009年08月15日(土) 介護も菜園もええ加減


昨夕 デイサービスの職員から「利用半年となりましたので プランの再チェックをしたいのですが ご都合如何ですか」と電話があった。

本音を言えば お盆休みの夫のために1日母の面会を休もうと思っていた。
来週になれば 後半予定が入り込んで来ており 休むなら今日明日というという所だった。
話の感触で 急いでいる様子だったので今日ということで約束した。
お昼の介助の様子を見てプランを考えてみようという事になった。

施設に着くと母はソファーに座ってテレビを観ていた。
トイレ誘導し「大」少しと「小」
それから 頭皮マッサージをして整髪。

ホールに移動して食事介助を始めたが 口は開くけれど飲み込みがイマイチだった。ふるさとの夏の副食物を持って行き 容器のふたを開けた時は「わぁ」と喜んだが それもそこまで。
噛む事を忘れたかのような感じだった。
「喉に痞えると大変だから良く噛んでね」と話しかけるのだが 頷く割に噛む動作に繋がらない。
そういう時期に差し掛かってきているのだろうと思う。
でもやっぱり 噛む事にもう少し拘りたい。

冷たい豆腐 紫蘇ジュース 煮豆 西瓜を総登場して貰って介助をした。
約束の時間にデイの職員が見えて 食事の様子を見て頂き デイでの様子と比較して貰った。
結局 職員もこちらも同じ判断で此の儘 様子を見ることにした。
ただ デイにゼリーなど持ち込むことに決めた。

デイから持ち帰った作品は母の居室に飾ってある。
図工や縫い物や編み物等が大好きだった母だが もう作ることは叶わないのだが みんなの隣で様子を見ており職員が作った作品を持ち帰ってくるのだ。
母の居室に入って頂き 飾ってある様子を職員にも見て頂いた。

もう少し前なら それも良く見ていたのだろうが 今の母にはそういう注意力も消えつつある。
足らない事を嘆いている訳ではなく 今残っている機能に感謝しながらいる訳なのだが…。

今日は 食事に要した時間が大分延びてしまった。
食後口腔ケアをしてトイレ誘導。

居室の椅子に落ち着いた頃に職員が訪問介護に見えた。
介助が済んだ事を伝えて 他の対応をして頂く。

後は職員にお任せしてせっせこ家に戻った。
今日は暑いけれど カラッとしており気持ちが良い。

家に戻って 遅い昼食を取って 菜園に出て草取り。
夕方は 丁度マンションの影になるので日差しを避けて草取りが出来た。
根気よく作業をして 気がつけば7時だった。
それでも予定した所までは片付いてはいない。
秋野菜の種を蒔ける準備までのつもりだったのだが…。

夕刻前お隣の菜園の方が見えた。
実は昨日 きゅうりが蔓を伸ばしていて「あれれ」と思った。
自然に出てきたとは思わないまでも 種を蒔いて忘れていたかと思ったり…。
「きゅうり 勝手に植えちゃったけれど…」とお隣さん。
最近 皆さん あれこれお手伝いくださって…。ありがたいことです。

うちの所には 春に種を取るために暫く放置していたルッコラがあった。
種は勿論取れたのだけれど 自然落下した種が トマトやきゅうりの根元で勝手に育ってくれている。
この時期のルッコラはやわらかくて美味しい。
そこで おとなりさんに「勝手に取っていいからね」と。

以前 自然農法を推奨する方の本を読んだことがあった。
有名な方でもう亡くなられてしまったのだが…。(名前が出てこないのです)
その方は「種をパラパラ蒔いて 勝手に育つのがそこに1番合った環境なのです」と書いておられた。
こちらは いい加減で手抜きで 零れた種が勝手に育っているわけだけれど。
少なくとも自然に任せて ゴーヤとルッコラは 予想以上に収穫できている。

考えれば 介護も菜園もええ加減。
人の手を借り 手抜きもして しゃかりきにならずにええ加減。
自然の力を借りて 時に良心の呵責に苛まれながらも 何とか踏ん張っている。 これが 私流なのかも知れない。


2009年08月14日(金) 菜園の夏野菜


今年は 昨年ほど気温が上がらないけれど 蒸し暑い日が多いように感じている。
「スコーンとした青空 入道雲がもこもこ」って風景にはならない。
今日も そんな1日だった。

昨日 夫は まだ娘がいると思って西瓜を1個購入してきた。
嬉しいのだけれど 冷蔵庫を西瓜が占領するのはちと苦しい。
昨夜 半分にカットして冷やして 朝 西瓜を戴く。
食べ切るのは 何時になるかな?
母の所にもカットして運んだ。

母は ソファーに座ってテレビを見たりで 起きていた。
直ぐにトイレ誘導し「大」「小」
その後 ポットからお湯を出してスチーミングのアロマを数滴。
タオルを湿らせて顔を拭いてあげた。
母にっこり。

暫くするとドアをコンコンとして職員が見えた。
ホールへ誘導して昼食。
ゆっくりペースで 普通食を全量食べた。
プラスアルファーは豆腐とお豆と西瓜。
昼食は 菜っ葉の味噌汁 鶏肉のオイル焼き ブロッコリーのミモザソースがけ オレンジゼリー。お茶。
鶏肉を少し食べてみると薄味。

そこで ほぐした身にオレンジゼリーをまぜて介助してみた。
昨日 あるところでトマトと蟹のグレープフルーツゼリーがけを食べたばかりで 鶏肉とオレンジの相性も悪くないし…と思って試してみた。
これはOKだった。
豆腐もお醤油をかけてから 一口分だけのご飯に お豆腐をのせたりして介助した。ちょっと 変化をつけながら食べてもらった。
施設でありがちの混ぜこぜご飯は 極力避けたい。
入所者の人の言葉を借りれば 猫の飯だそうだ。

食事時間 1時間20分位かな。
目をしっかり合わせて 食べる様子を見ながらである。
呼吸が合わないとね。

食後 居室に戻って口腔ケアをしていたら 訪問介護。
トイレまで誘導して後は職員にお任せ。

それから 再度アロマを施して整髪。
椅子に座って膝や足首の屈伸をして貰った。
母の意志で出来る訳ではないので こちらで介助。
でも膝をまっすぐにして足の裏をグッと押すと母は逆に押し返してくる。
そういう反応が戻ってきて嬉しい。
それから ホールを2回手引き歩行でくるくる。
膝が痛むようだが 何とか踏ん張ってくれた。

母の昼食が済んで食べ終えた食器をキッチンに運び戻ったら 母が自分の鼻を指差した。みると鼻水。
急いでティッシュを手に戻ると糸の様に鼻が垂れていた。
慌てて拭いた。
こんな風に 言葉を発しなくとも目で訴え 指差してくれる。
見逃すと意思表示しても伝わらないでおしまいである。

おやつの水分補給をして そうっと帰宅した。

家に戻って放置していた菜園に出向く。
昨年零れた種から ゴーヤが育った。
これまでは 小さなものを収穫していた。
が今日は 大きく育ってた。
トマトは予想に反して収穫は少なかった。
枝豆は 程よく育って3分の1を収穫。
思いのほか育っていたのは ナスだった。
お化け茄子3本。食べがいがある。へへへ 本当はもう少し小さいのがベストなのだけれどね。
それでも 味噌汁に入れるとだしをたっぷり吸ってくれて美味しい。
ルッコラも柔らかく育っていた。
赤紫蘇も大きく育ち 道を塞いでいた。
通る人に迷惑をかけるのでバッサバッサ。
風を受けて菜園に出たけれど 作業するうちに汗ビッショリ。

夕食は 収穫物で…。
食後 枝豆を茹で 紫蘇ジュースを作った。
食後は キッチンに立つ気力が萎えてしまうのだが 明日に回す訳にも行かずちと踏ん張り。


2009年08月13日(木) あせ 汗

利用者さん訪問日。
「朝 暑いのにごめんなさい。今日も草取りお願いしてよいですか?」と。
勿論OK。

日焼け止めをばっちり塗った。
でも 汗で効果の程はねぇ。
帽子も被り 長袖のブラウス。

せっせこせっせこ 利用者さんと二人で庭の草取り。
「日陰を選んでくださいね」と利用者さん。
90歳でも腰を屈めてしゃかしゃか草取りをなさっていらした。
この動き 私がその年齢になった時出来るかなぁ。

朝 出会った時には 険しい表情に見えた利用者さんだった。
集団で暮らすこと 大変だろうと思ったりしてた。
でも草取りを済ませた時のお顔は ニコニコの笑顔。
やっぱり 動けば輝きを増すんだなぁ。
二人とも汗ビッショリ。

「家を離れて暮らすと草は伸びる一方です。やはり 毎日チョコチョコ出来たほうが楽ですね」と利用者さん。
えへへ。
我が家 家にいながら草取りの手抜き。
酷く伸びるところまで放置していないが でも見苦しい状態。
気合を入れて踏ん張らなくちゃ。

午後 娘と買い物とお食事。
久々に お出かけ。収穫あり…。

思ったより疲労感は少ないのだが…。
非常に眠い。

母のデイのある日なのでフリーに1日を過せた。


2009年08月12日(水) 自分の中でウケた話


今日もいつものように母の所に出かけているのだが ちょっと介護を離れた所でのお話。

最近話題のドラックの話
・「何もねぇ 若いうちから頭をモヤモヤさせなくとも 年を重ねればモヤ  モヤと 訳が判らなくなるのに…。私達 そうならないように…って気  が気じゃないのに ね」
・「ワイドショーの番組は ドラック使えば気持ちよくなるんです。それは  こうや って使うのですって 言っているように感じるのよね」

今年の花火大会は 打ち上げの間隔が長く 単発が続いた。
大人からみると不景気の影響で資金不足かと感じられた。
 その時の子供の声
 「こんなのじゃなく もっと大きいのが好きだな」
 「カラフル カラフル」→ 多色の花火が上がるたびに言っていた。
 「もう終わり これで終わり?」
 
思い出しては クスって1人で笑ってしまう。


2009年08月11日(火) 台風より先に…


台風の影響での大雨を覚悟していたが 今朝は地震で目が覚めた。
直ぐ母の事が気になったが 倒れる物もないし鉄筋だし…大変なこともないだろうと思い直した。

震源地に近い所の方は大変だったろうと思うし 毎日幾度も目覚めている介護者の方が 寝入った所を起こされ大変だったろうと思う。
被災地の方に地震お見舞い申し上げます。

朝 おにぎりを作って母の所へ出かけた。
周囲が夏休みモードで お店もからから。
だから 何となく気持ちが夏休みモードになっている。
気持ちだけなので 生活リズムは通常ダイヤ。

母はソファーで眠っていたけれど 声を掛けると目覚めた。
いつも目覚めて直ぐは 私を見ても「やぁ」とはならなくて 窓の外に視線を向ける。まるで「置いていったくせに…」と責められているような感じ。
でも 暫くするとニコニコ笑顔で「よく来たね」という感じ。
これは こちらの思い込みなのだろうけれど…でもそう感じてしまうのだ。

トイレ誘導して「大」「小」排泄。
お手当てしている時も「うふふ」と笑っている。
トイレの手すりをみて「うふふ」だったりもする。
でも快でなければ笑いも生まれないのだろうから それもよしだよね。

昼食の時間となりテーブルに着いて食事介助。
今日は モグモグなかなか進まない。
箸やすめというか…冷たい豆腐や豆の甘煮に登場願い ゆっくりペースで食事を終えた。
味のせいなのか 具材のせいなのか はたまた体調のせいなのか…。
でも今日は 他の方も進みが悪かった。

食後トイレ誘導して 口腔ケアを済ませて休息。
その間に入浴の準備。

母の入浴している間に ドラックストアまで買い物。
母に準備したゼリーが無くなるのが早いなぁ。

買い物を済ませて戻ったら 母はお風呂上り。
水分補給した。
職員もポカリとアイス珈琲を運んでくれた。
水分補給後 みんなで折り紙を折った。
暫く折ってないと 皆さん 折り方まで忘れてしまっているみたい。
母は 最近は全くしないのだが…。
本当は 早目に帰って菜園の手入れをしようと思ったが 折り紙を始めたら帰れなくなってしまって 暫くみんなで折りあげた。
3時には お茶を出して飲んで戴く。
暑いので 水分は補給していて欲しいものね。
普段飲まない方も 多めのお茶をしっかり飲み干されていた。
「ありがとう」ってお礼も言われた。

夕食の前にそろりと施設を後にした。


2009年08月10日(月) フェーン現象?


昨夜 遅く 海外から一時帰国して介護環境を整えている家族から電話を受けた。
1番最初にメールを戴いたのは 2ヶ月ほど前。
その時は 同じ地域にお住まいの方だと思い込んでいた。
その時には 海外で地域を検索して辿りつかれたのだという事だった。

介護をしていると当事者が寝付いてからがフリータイムとなる。
その方も夜間であることに恐縮していらした。
1時間足らずだったが 滞在中にすべき事が決まった様子だった。

今日も地域包括からの紹介という方から電話を受けた。
こちらは 高齢者。介護暦は長いが 初期の認知症の症状がみられるようになり 怒ったりしては 自己嫌悪に陥ってしまって情けないとお話をなさっていた。
介護者の会に参加したいが 日にちの都合がつかないということだったのでもう1つの会を案内した。

夕方 在宅介護センターと地域包括に足を運んで お願いやら報告をした。
地域包括の連絡協議会へのお願いも託した。

また地域の医療情報で知りたい事もあり尋ねてみたが 空振り。
こちらで得ている情報の方が早いようだ。
詳細情報が入ったら 教えて戴くことにした。

昨夜は 熱帯夜でごろごろ寝返りばかり。
はてさて今夜はどうだろうな?
台風が来るって言うし…ちょと難儀かな?


2009年08月09日(日) 夏のお楽しみ


 今朝 朝刊を取りに出ると郵便受けに 白い封筒がビニールに包まって入っていた。
最初は「?」と思ったけれど 通り向の方と察知した。

この地域は ご近所付き合いがあまりない。
門構えから 1歩入り込むことは殆ど見たことがない。
今日で2度目の連絡。

ご主人が認知症のグレーゾーンとなって 本人を前に電話も出来ない様子。
先日 会報と一緒にお手紙を入れて郵便受けに入れた。
先に ご主人が単独で郵便受けを見られるかどうかを電話で確認した上で。
そこで お互い 郵便受けに手紙を入れることになった。

今回は認定調査の結果が届いたことのお知らせと前回のお便りに対してのお礼が書かれていた。
この連絡を民生委員さんにも伝えてくださいというお願いもあった。

早速 民生委員さんには連絡を入れた。
暫くは こういうやり取りが続くのだろう。
デイサービスの利用を拒否するのではないかと不安な様子だった。
今晩 報告がてらお便りを入れようと思っている。
介護者が孤立しないように…と思う。

今日は お日様が隠れているのに もやっと暑い。
母を美容院に連れて出てから自分の髪の毛をカットしようと思っていたが 耐え切れずに 母の所からの帰り道に美容院でカットした。
髪型はさておいて さっぱり気分となった。
束ねるぎりぎりの所まで我慢していたけれど 結局諦めてカット。

日曜日で夫が仕事に出るのがゆっくりだったので おつきあいで 母の所に出向くのが遅れてしまった。
食事前のトイレ誘導が誘導が出来なかった。

昼食の主食は焼きそば。
麺類は食べさせ難いと以前介護仲間が話していたが 母の場合は結構食べる。ご飯より介助しやすいと感じている。
好みにもよるのだろうなぁ。
父は麺が大好きだったが 母は不得意だった。
でも今 よく食べている。ちょっと不思議な現象だ。

食べる割にスローペースで時間を要した。
後半で恒例ののど自慢となり みんなでわいわい。
今日も施設の審査委員長が審査してくれた。
のど自慢の最後はゲストの歌。
今日は都はるみ。
「ねぇ はるみちゃんに鐘幾つ鳴らすの?」と質問してみた。
すると テレビのはるみちゃんが人差し指を一本立てた。
すかさず「本人が1つといっているもの。鐘は1つだね。あははは」と委員長。冴えている委員長でした。

のど自慢の後は 噂の東京マガジン。
入所している方 結構長く見ていられた。
合間にお話を振ると結構長くテレビの前で過せるように感じる。

食後は トイレ誘導。
既にパットは濡れていた。これが昼食のスローペースの原因になったかな?
その後「大」も排出。
ここまで出来ればひと安心である。

ホールに移動した所で「訪問介護」の時間となった。
既に手当て後と告げたら 母を中心にしてボール遊びをしてくれた。
こういう配慮は 施設の形態が変わっても 有り難い。
職員が叱責されない事を願っている。
遊びを通じての交流しているとみんなに自然の笑みが出てくるのだもの…。
母はボール遊びの名人だったと紹介してくれてた。
多少のことが出来ていた母の事を記憶している人は少なくなってしまっているのだもの。

施設前の公園に 盆踊りのやぐらが立った。
近くの河川敷では 花火大会見物客のために階段が設置された。
夏のイヴェント目白押し…。


2009年08月08日(土) 逢っても 逢わなくとも どうせ…


家事を済ませて いつものように母の所へ出向く。
今日は 曇り空。でも 動けば暑い。
髪を束ねて帽子を被って 自転車を飛ばす。

「美容院行けたらいいけれど この空模様では…」なんてぼんやり考えながら施設に着いた。
母は今日も起きていた。
直ぐにトイレ誘導。「大」「小」排出できた。
ちょこっと時間があったので 髪の毛を梳いたりした。
昼食の案内があって ホールへ移動。

今日は 皆さんデイに出かけて ホールで食事するのは2人のみ。
定席を替えて 向き合うように座った。
先週は 正面に向き合って母の笑いに不機嫌になったので ちょっとずらして座った。

昼食の献立は 鳥から揚げの野菜ソースがけ 茹でキャベツのサラダ つぼ浸け 味噌汁である。
から揚げ大丈夫かなと思ったが 何とか噛んで飲み込んでいた。
でも 時折こほこほした。
部屋で食事している方もこほこほが目立つ。

衣もせいかなと思って ちょこっと母の物を失敬して舌で食べてみた。
鶏肉の筋が多少口の中に残る部分があった。
噎せるのはどうやらこれみたいだな。
それから 肉の切り分けに工夫しながら 母の介助。
すると噎せがすくなくなった。
ちょっとした事だけれど ただ刻めば良いのではないんだよね。
でも関われるのは母の分だけだけれど。

母の飲み込みがゆっくりなので ちょこちょこ席を立って作業していた。
かみ終える頃に母の所に戻るように心がけた。
ちょこっと居室に戻った時携帯をチェックした。
すると弟から2度の着信があった。
折り返し電話をするとなんと下の中華料理のお店で食事中だという。
「何処にいるの?」と聞かれて「母の所」と伝えた。

直ぐに職員に振り替え可能なら 訪問をこの時間に済ませて貰うと助かると伝えた。
OKを戴いて 訪問に入った頃弟2人が来た。

多少残量して 口腔ケアを済ませて 外出。
弟の車 今回はワゴン車。
ステップも高かった。2人で腰と膝を抱えて車に乗せた。
2人で抱えればこんなに楽に出来るんだと思った。

母は弟の顔をみると「うふふ」と笑う。
さて これからなのだ。

夫の会社は車なら5分くらいで行ける。
夫がいるかいないかは判らないが 来ているのだから顔だけ見せて置くべき。
だが 顔を見せても 見せなくとも気分を害するのは同じ筈。
こちらで介護することは承知していても 兄弟の関わり方には不満を持っているのである。
逢っても腹が立つし 来なければまた文句も溜まる。
どうせ 後でいろいろ言われるのは私だし…だったら「きてましたよ。お世話になっています」の挨拶に連れて行ったほうが良いと思った。

生憎夫は外出していて 弟達とは逢えなかった。
其のまま ちょこっとドライブして 私は食事 母はケーキセット 弟達は珈琲を飲んだ。

弟達は 仕事でこちらに来て帰路に立ち寄ったのだそうだ。
帰省ラッシュの中戻るので早めにこちらを立ちたい様子。
本音で言えば 私が遠慮なく「こうして」と頼めるのは弟達である。
それは 姉と言う立場もあるけれど介護を担当していている事もある。
母のために必要と思うことは当然のように頼める。
勿論言い難い用件もあるけれど こちらに滞在して労力提供なら遠慮はしない。

それでも 明日は従姉妹の奥さんの法事があるということなので どうしても戻る必要があったみたいだ。

施設に戻って直ぐに弟達は帰った。
昨年 一斉に帰ったら母が大泣きしてしまったので今日は慎重に。

少し居室で母と遊んでからホールに移動し それからゆっくりと施設を後にした。

夫は大分遅くに帰宅したが やっぱりもごもごと文句。
これは 致し方ない。
不出来な弟のため 黙って承った。

自分の兄弟ながらあきれる事だらけなのだ。
苛立つ時期もあった。
だから いまだに許せなくなる夫の気持ちは判る。
ただ ずっと介護しているとそんなことにかまける気持ちの余裕がない。

夫は 私が 弟達に甘いと感じるようだ。
そこに拘ると決着がつかないので黙って話を聴き「すみません」と謝るしかないのだ。基本 母を引き取って経済支援をする夫は弟達より優しいことは 間違いないのだ。


2009年08月07日(金) 行きつ 戻りつ


この所 母はソファーに座っていても眠ってはいない。
身体の傾斜もちょっと落ち着いてきている。
多少のアップダウンはあると受け止めて良いのかなと思っている。
歩行も自立は無理だけれど 手引き歩行ならまだ可能である。
でもきっと筋力の低下は間違いなく起きてきているだろう。
散歩に出ていないからなぁ。

母と過ごしている時間は 出来る限り母の力を借りるように心がけている。
トイレでの立位の時にも手すりに確実に掴まらせる。
「頑張って立ってね」と言葉を掛けて母の意志を確認してから 腰に手を当ててバランスを崩した時に備えてる。
母は懸命に自力で腰を上げる。
「わお 凄い。頑張っているね」というとニコッと笑顔を見せる。
言葉はなくとも こちらからの呼びかけは通じていると感じている。

水曜日リハ終了後 職員が1人で立位介助してくださったそうだ。
「ちょっと怖かったけれど…とやってみました」と。
すると母は 自分で膝を立てて立ち上がる努力をしてくれ 立位が出来たということだった。
判って貰えて嬉しかった。きっと母もそうだろう。
ただ 職員の負担が強いなら 無理はしないでいいのだ。
でも ひとこと声を掛けてから介助して 母の力を引き出して頂くと有り難いのだ。

今日の昼食介助は ちょっと難航気味。
口はちゃんと空けてくれるが 噛む力が少し弱い。そのため 飲み込みにくそうだった。
考えれば よく噛むのが母の特性で 噛み切れていないから飲み込まないというのは 母らしいことなのだろうな。

ご飯少し カリフラワーときゅうりの酢のもののきゅうりは残した。
ゼリーとお豆とぶどうで少し刺激しながら…。
冷たくて甘いので その時にはよく噛むようになる。

トイレ誘導では「大」少量排出。
便秘の傾向にある。水分かなぁ。

今日は みんな何となくぼんやり気味だった。
お天気のせいなのかなぁ。

昼食後 口腔ケアをして それから お茶を戴いた。
ぶどうも残っていたので ぶどうとゼリーを更に追加して介助。
全量食べられた。それでも 水分は多少不足かな?

遠くで雷鳴が聞こえてきたので帰る準備を始めようとしたら母がべそをかく。
ホールに移動しようとしたら「やんだぁ」(嫌だ)
気持ちが落ち着くまで暫くそばに居て 手を握ったり髪を撫でたり…。

切り替えが出来たところでホールに移動。
そばに人形やら冊子等を置いて 興味が移ったところでそうっと帰宅。
雨に降られずに無事帰宅できた。


2009年08月06日(木) 朝の黙祷

真夏の夜に蝉が鳴く。
今年は 日が暮れると多少涼しくなることもあって 夜に蝉の鳴く声はなかった。が ここ数日は午前零時を廻っても蝉の声が聴こえるようになった。

夕方 菜園に出た時には みんみん・じいじい・つくつくと数種類の鳴く声が聴こえた。

夏も後半になれば 選挙カーの連呼も加わるのだろうなぁ。

午前中は あちこちに電話したり 電話を受けたりとなった。
合間に地域作りのチラシのサンプルに手を加えて 2度目の校正。
仕上がったものを手に 運営に関わる方のお宅を廻って手渡した。
前回 文字が小さい等があげられたので 文字を大きくした。
充分大きくしていたのだが 更に大きい文字となった。
文字数に限りがあるので 前回の文を削除したり 噴出しを作って工夫したり…である。何分 素人仕事なので 手際が悪い。
皆さんの感想を伺いながら もう少し手直しして行こうと思っている。

今月の会報が郵送では重量オーバーするため メール便で送付したのだが
今日 数通戻ってきた。
住所に部屋番号が記載されていなかったり 記載ミスがあったためだ。
これまで確実に届けられていたので ミスに気がつかなかった。
JPの職員の方の配慮があった事を偶然知ることとなった。

会報の届かない方にお詫び方々 電話を差し上げた。
そこで 在宅介護の工夫を聞かせて戴いた。
介護する側は「これでいいのか」と悩みながら究極の選択をなさっていた。
安全を確保するために知恵の限りを使って居られる姿に教えられた。

動ける方の夜間の対策では 過去に取り組んだ事を伝えたら「やってみる」という返事。
認知症本人を支えるために 家族の余力は残しておく必要がある。
本人にも家族にも許せる範囲の妥協案は 在宅介護には大切なんだろうと思う。

朝 原爆投下で犠牲になった方のご冥福と世界の平和を願い黙祷。
オバマ氏の原爆に関する記事が この所新聞に記載されており 目に付く限り読むようにしている。
本当に アメリカが変わるのかな?


2009年08月05日(水) 助け合って…

施設に着くと母は ソファーに座ってニコニコ。
職員の話では 今朝はテーブルに向き合って 朝食前にうとうとしてたそうだ。

トイレ誘導し「大」少量。
その後居室の椅子に座ってもらった。
その間に明日のデイの着替え等を準備した。
コーディネイトした洋服をみて「あら いいねぇ」と一言。
久しぶりの言葉で こちらがすっかり嬉しくなってしまった。
ハンガーごと母の膝に置くとにこにこと見ていた。
言葉が聞けると重たい現実に光りが射したように思える。

デイの支度が済ませてホールに移動して食事開始。
今日は おそうめんと上げ茄子の煮びたし。味噌汁。水羊羹。
プラス自宅から運んだ デラウエア一ひと房(身のみ)
今日も比較的順調に食事が出来た。
全量を摂取できた。

食後口腔ケアとトイレ誘導「小」排出。
リハの体制に入って療法士さんをまった。
程なくしてリハが始まった。
母はzzzz。

午後 会議があるので今日は ここで施設を後にした。
尿量から 水分摂取が少し足りないような気がしたので 職員にゼリーでよいので途中介助をお願いした。

それから とっとこ電車に乗って会議の場所へ移動。
秋のイヴェントのコーナーに関しての会議。
介護の始まりから終末期まで 様々なサービスの紹介。
デイやショートの実際の体験に近いコースを設定をする。
在宅での終末期に関する所では ベット 吸入 吸引 イロウ等も含めて実際に器具を置いて体験できるように配置する。
実際 訪問看護をなさっている所のボランティア協力で成り立つ。
訪看ばかりではないのだが…。

そんな会場準備に人員を配置する事は ボランティアで賄うので四苦八苦。
細かな点検作業 次回までに何をどうするか そんなことを会議で話し合う。

今日の会議はコーナーの会議であって これから 会場全体のことも詰めて行かなくてはならない。
介護者の目線で…を中心に据えているのだ。

会議が長引き みんなそわそわ。
次の仕事が待っている人がいるのだ。
都合を繰り合わせて みんな介護者のために踏ん張っている。

帰路の電車は帰宅ラッシュの時間帯。座る事も叶わず電車に揺られて地元に戻った。

昨日の会で相談を受けた人との電話相談もあり 夕食は9時半を廻っていた。一人の方の相談は 認知症グレーゾーンの方。
親の介護を1人で受け止める。
認知症を認めつつ 受け容れきれずにいる介護者である。
ネット経由で入って来た方。
医師のこと ケアマネのこと 地域包括のこと ちょっとした言葉に傷ついてしまっていた。関係した人の中には 良く知っている方もいらした。
些細なことでの躓きで 孤立感を感じ自分を追い込んで行く…。
程よい加減を掴むまで 介護者はしばしば迷い道に入り込んでいくんだよねぇ。

そんなこんなで 1日が過ぎてしまった。
母が比較的落ちついているので 出来ることだ。


2009年08月04日(火) 介護者の会


昨夜 どういう弾みか布団に入っても寝付けなくて 2時近くまでごろごろ。
深夜放送に耳を傾けながら ケラケラ笑ったり。

今朝は 夫の出勤が早いので朝食の支度のため早起き。
夫を送り出して眠る事も出来ず たらたらと家事。

介護者の会がある日でお客様も見えるということで資料等も準備しているうちに 母の所に行く時間が遅くなってしまった。

施設は昼食前で 大急ぎでトイレ誘導。
食事前に「大」排出できた。
その後 食事。
きょうも割合順調なペースだった。
が汁物摂取が残った。後は職員にお任せして介護者の会の開かれる場所に自転車を走らせた。

今日もお客様を含めて定員オーバー気味。
初期介護の方から後期の方まで参加者は幅広い。
今日も結構深いお話が出た。
時間はぎりぎりまで 話が途切れる事はなかった。

客様からの質問を受けて 今時のお話を伝えた。
この客様は ふた月前に問い合わせがあり休暇をとって見えた。
これまでは 介護関連の方が多かったのだが 今日は看護関係の方。

そうそう劇団の方も見えて チケット購入した人数分をキャッシュバックしてくださった。運営が厳しい事もご存知で 寄付金も加えてくださった。
本当に 周囲からの手助けに感謝・かんしゃである。

今日は 見事に睡魔に襲われているのでここまで。


2009年08月03日(月) ちょっとした事で…


今日は 珍しく予定の入っていない日。
家の事はあるけれど 気になっていることもあっておじの家に電話をした。

おじが出たけれど名前を告げても「はな」と理解していない。
「おじちゃん 今日家にいる?」と聞くと「これから出かけます」と言う。
「デイ?」と聞くと「違います。ちょっと用事があって 話をしてきます」と言う。
後ろのほうから「これから出かけます」っておばさんの声が聴こえた。

普通ならおばさんが変わるはずなのに…。
そう 先日も同様だった。

おばさんが電話をくれて「桃どうもありがとう」と言った後直ぐにおじさんと変わった。
おじさんは よそよそしい言葉で あれこれ話していた。
「はな」と理解していないと感じていた。
その時は おじちゃんの相手が出来れば…と思って 暫く話し込んでいた。
おばちゃんが しばしの休息ができれば それでよいと思っていた。 

何を言いたいかというとおじさんは「せん妄」と言う病であると聞いているのでちょっとづつ進行していると理解できる。
病の事を理解しつつあるおばさんだが 基本的なところで悩みが深い。
介護者であるおばさんのことが非常に気になっていた。

だから 今日のオフ日を使っておじの家に出かけてみようと思ったのだ。
でも電話の様子で察知して訪問は取りやめた。
おばさんは 誰からの電話であったか判らない筈。

昼の間に ちょこっと外出し 夕方玄関前の鉢植えを整理した。

それから 再度おじの家に電話した。
「ひょっとして…」という思いが湧いたからである。
夕方もおじさんが真っ先に電話に出た。
「はな」と名前を告げても「はなさんね」と言うだけでそれ以上の反応はない。
そのうちに「ちょっと待ってください」とおばさんに取り次いでくれた。

おばさんは「はな」である事は認識できたが やっぱり今朝電話が来た事は認識できていなかった。
こちらが「今朝訪問しようと電話したけれど お出かけの様子だったので電話を切りました。」と話しても「桃をありがとう」というお話だけ。
話は一方的で じっとお話を聞くことに決めた。

見えてきたことは おじさんおばさん共にデイを利用し それが不定期だと言うのだ。
ここがイマイチ理解できない。説明しきれない状態だろうから 突っ込んで聞いて不安を感じさせてはいけないと思ったので真相は藪の中。
おばさんが転倒骨折して以来 外出も儘ならず「介護弁当?」の利用を始めている事。
整形に通っても意味がないので 療法士さんに家に出向いて貰ってリハビリを受けていること。
「はな」に逢って いろいろ愚痴を零したいということ。
こんなところだ。

ところで「おじちゃん何歳?」咄嗟に出ないので「何年生まれだっけ?」で引き出す。「おばちゃんは?」こちらも「何年生まれ?」で解決。

おじ夫婦は末の息子さん(独身)と同居している。
が息子さん(はなのいとこ)は 仕事で帰宅が遅いらしい。

心配が現実のものとなった感じがする。
先ずは 訪問が先だろうと思うが…。


2009年08月02日(日) みんなと一緒に


重ねた歳月は 全ての人の平等である。
母が認知症と診断を受けてから経た歳月。手探りで今日まで共に歩んだ歳月は同じ。
母を見て年を取ったなぁと感じれば 例外なく私も年を取ってきているのだ。

数年前の母の写真を見たという職員の方が 「お元気だったのですね」と驚かれていた。
施設で出会った時には 介助なしでは過せなくなりつつある頃。
施設に入所した頃だって 84.5歳の頃だ。充分年寄りだった筈。

今は 更に年寄りになった。
家族は 病のない元気だった母の姿も記憶されており 年取ったなぁとしみじみ思うのだが…。
他の方が見ると母は若く見えるようだ。
93歳というと「若くみえますね」と言われる。

実は 最近の俯き加減の母を見ると 顔の筋肉が緩んで目元から口元までに顔の表面の皮膚だけが垂れ下がる。
顔をあげているときには 特別痩せたとも感じないのだが 俯くと脂肪がそぎ落ちたという感じがする。

今日は 殆ど言葉らしきものを発することもなかった。
でも目や表情や頷きで 母の状態が察知できた。
意志の疎通が出来ていたということである。

残念なことに食事前の母のサインを感じたが「大丈夫そう」と決め食事介助を始めた。
きっと我慢していたのだろう。そして我慢できていたのだ。
が食事があと少しで終わるという頃 再度母のサインがあった。
「出るの?」と聞くとじっと目を見て深く頷き 困った顔をしていた。
判っていたが どうする事も出来ずに続行。
しばらくすると 多少の臭いも生じた。

食後 「ごめんごめん」とトイレに誘導。
少量付着していたが座って直ぐにドドーッと。
我慢の限界を越え堪えていたのだと判った。
やはり母自身はちゃんと判っているのだな。
サインを受け止める人がいて介助できる人が必要なのだと感じた。
手当てをする私の顔や腕をそうっと撫でてくれた。
失敗したらから 判る事だなぁ。

その後 口腔ケア。360度歯ブラシは 舌や歯茎と頬の間に残った食べかすも綺麗に取れる。
気になっている口の中もすっきりするのが判るようだ。

撫でてくれるといえば 先日泊り込んでいた家族が 早朝母の居室に入って隣に横になった時 その方の頭をそうっと撫でてくれたと話してくれた。
その方が 暫く隣で母の頭を撫でてていたら再度眠ったそうだ。
我が家にいても同じ。また他の職員からも同様の話をお聞きする。

そうは言っても 認知症の後期の言葉を発せられなくなる症状は不憫だ。
数日前 友人からガン闘病の末亡くなったというお父様のお話を伺った。
ぎりぎりまで会話が出来て食べ物を口にしていたという。
父の事を思い出してみても 口数の少ない父だったが会話は可能だった。
そして少量でも美味しそうに食べていた。

母は話できなくとも 人の話はじっと聞いていると感じている。
今日も母の昔のお話を職員としていたら 母はニコニコと笑顔で聞いていた。

そうそう 今日も日曜恒例のNHKTVののど自慢。
みんなでワイワイ見た。

話せる人に話を振れば その時感じた事を言葉に出来る。
毎日「歯を磨きましょう」「食事ですよ」等日常の会話は用件のみ。
でものど自慢を見てると共通基盤で会話が弾む。
その雰囲気を話せない人も穏やかに楽しまれる。
今日もみんな充分に楽しみ笑いあいました。


2009年08月01日(土) お見送り


 昼食介助に出向いた。
母はソファーで眠っていたが 名前を呼んだら直ぐに目覚めた。
トイレ誘導し「大」「小」
程なく昼食。

今日は テーブルで食べる人は2人。
他の方はデイサービス利用。

一緒に食事する方のご家族が風邪をひかれて面会に来れない。
その方は しきりに寂しいと話されるので 母と向きあって食べる事にしてくれた。
母は 今日はご機嫌で誰の顔を見ても「うふふ」と笑う。
向き合って食事する人は 最初は「よい」と思ったようだが 顔をみては笑われるのでご機嫌斜め。
原因はそれだけではないだろう。
家族がきっちり付いているので「羨ましい」という思いもあっただろう。
そこで その方が昔着いていた仕事の話を振ったりして母の話を絡めながら食事した。
そのうちに「笑っている顔が黒いけれど 優しい笑顔ね」と母を受け止めてくださった。

母は 食事終わりまで「うふふ」と。
食事に要した時間は 1時間位。まぁまぁってところ。

その後口腔ケアをしてトイレ誘導し爪を切った。
爪が床に散らばってしまったので 居室に掃除機をかけた。

その頃に訪問介護の時間となった。
職員は 手のマッサージをしてくださった。
そこでマッサージクリームを渡してお願いした。

マッサージが終わる頃に 母の昔の話となった。
母は ちょっと哀しそうな表情をしているので 判っているのかと思った。

が訪問介護が済んで母をみたら トイレサインを出していた。
「御トイレ?」と聞くと頷いたので急遽トイレへ。
それから30分トイレで踏ん張る。
ゆるゆるだった。
お昼に枝豆スープが出た。牛乳が入っているので意識してスプーンですくって少量のみ飲んで貰った。
おそらく それしか原因が考えられない。

いる間に全て排出できたようで 良かった。

夕方から お通夜があるので早々に施設を後にした。

母と同時入所した方のお通夜である。
今年に入って大分気力を無くされ 梅雨時からは 更に機能低下。
吸引と吸入が繰り返されていた。
一昨日 とうとうお別れとなってしまった。
人との出会いは様々あるけれど 施設入所で知り合い 過した年月は 下手な親戚よりも思い出がいっぱい詰まっている。
認知症を呈する病であっても 同じ時を過した重みは 本人にも家族にもある。いわば同志みたいなもの。
顔を合わせるだけで 励ましあえた。
もう 施設でお会いする事もない空っぽになったベットは 寂しさを誘う。

お通夜には娘も出たいというので 一緒にお通夜に出向いてお別れをした。

帰りみち 何れ来るだろう先のことを娘と話した。
やっぱり どうするかはそれぞれ考えておくべきだねと。

終電少し前に 娘は自分の住まいに戻って行った。


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