母のタイムスリップ日記
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2009年01月31日(土) 迷いどころ。


お昼前に施設に向かった。
昨日 朝昼と食事が出来なかったと聞いていたので 様子見である。

母は 居室で横になっていた。
母の名前を呼んで起きて貰った。
布団からの立位の時 膝を立てて協力してくれた。

職員が見えて 今朝も昨日同様 目を瞑り突っ伏して朝の食事介助が出来なかったと報告を受けた。
トイレ誘導し「小」「大」
トレパンを取り替えて 手洗いをしていたら「昼食は?」と聞かれてお願いした。

食卓に移動する前に ホールを一回り歩いてテーブルに着いた。
食事中 目を瞑る事も多かったが 普通食を全量摂取できた。
昨夕もそうだった。目を瞑る以外は昨日と変わらないのだが…。

母は ゆっくりの食事なので 後片付けが始まると非常に申し訳ない気分になってしまう。
また トイレ介助の時間に間に合わなくて迷惑を掛けるのも心苦しくなる。

これまでは 家族が介助するからといえばOKだったが 職員に介助して頂かないと介護保険の申請が認められなくなるとのことで 非常に厄介である。
大概の家族は 職員にお任せなので問題はないだろうが…。

家族が介助に当たる事でスキンシップも図れるし 今の状態を把握できることが多々ある。
職員とこれからを話す時 実態を掴めているのといないのでは 少し違うように感じる。
あ これは あくまでも私自身の介護の向き方で 人それぞれ考え方は違うと思います。

昼食後 居室でプリンとプルーンジュースを摂取。
食事が一回分飛んでいるので 軽く水分とエネルギー補給のつもり。

トイレ介助に入って頂き 手洗い。
昼食後 居室でプリンとプルーンジュースを摂取。
食事が一回分飛んでいるので 軽く水分とエネルギー補給のつもり。
そのあと 歯磨き 整髪してから ちょこっとお散歩に出た。
両手介助で 施設の周囲をコートなしで。
室内では 後ろ体重気味の歩行で目を瞑っていることが多いのに 外に出ると ゆっくりだけれど普通に歩く 目も開けて…。
お正月の頃と比べれば 若干バランスが悪いのは否めない。
でも 歩く事は 嫌がらない。
無理はしないで 施設に戻った。

そしておやつ。
家から持参したおやつに切り替えた。
施設の分と両方とも思ったが 夕食もあるので…。

おやつ後トイレ誘導した。
鼻水がたらたら落ちてきた。散歩不味かったかなと焦る。
が 戻ってから肩がパンパンだったのでバンテリンを塗布した事を思い出した。

職員には 出来れば寝かせないでソファーで過させて欲しい旨をお願いした。
母と一緒にいる間 傾眠は 一度もない。
目を瞑っているけれど 名前を呼べば「はい」と返事するし 質問すれば首を動かして返事が出来る。

しかし 起きている時間のほぼ半分は母と過したけれど 後半分は見てないから なんとも言えないけれど…。

一時帰宅して様子を見ればいいのかな?
一応 夫には 調子が良くないと伝えてあり「家に連れてくるか」といわれている。
が 来週末の準備があって 間にちょこっと予定が入っているので自分が迷っている。


2009年01月30日(金) 風邪?薬のせい?


施設から電話が入ったのが昼過ぎ。
傾眠が続き 食事の時には口も開かないので 休んで戴きますという事だった。緑色の鼻汁も見られたそうだ。
昨日もそんな風だったらしい。

状況は大体理解できたし そういう処置も正しいと思った。

早目に母の所に行こうと思いながら モタモタしていた。
夫が午後戻るし 娘も出勤せずにいるので 施設に行く時間が読みきれなかったこともある。

結局 戻った夫の車に乗って駅まで送って貰い デパートで 食べやすいプリンととろりとしたジュースを購入して施設に向かった。

母は居室の布団の中で半身を起こしていた。
右まぶたは相変わらず腫れている。
何がどうなっているかは判らない。
転倒の影響かも知れないし 痛み止めの効きすぎかもしれない。
風邪かも知れないし 小さな脳梗塞を起こしているのかもしれない。
医者に行くほどもないように見えるのは 職員も私も一致している。

他の家族が見えていて母の所に来てくれた。
顔見知りなのだけれど「この人 誰?」と母は聞いて来た。
「あら 知っているでしょ」と言いかけてから「良く話せるわね」と驚いたご家族だった。
私も「お 話しているわ」と驚いたのだった。

それから 母に立位して貰い ホールを両手介助で歩いて貰った。
結構歩けた。
それを職員もご家族も「わぁ歩ける。笑っている」と驚かれた。

「お腹が空いた?」と聞くが そうでもないらしかった。
考えれば 布団で半身起こしていたということは トイレだろうと思って誘導したら 既に出た後だった。
でも 少量の「大」
職員に拠ると傾眠の後に「大」が出たということだ。
きっと痛み止めと一緒に胃腸薬も服用している筈でその影響だろう緩めだった。

居室の整理をして ホールに出た。
夕食の配膳がなされてた。
夕食介助。
最初は目を開けていたけれど だんだん目を瞑ってしまった。
食事は しっかり食べる。
話しかけると目を瞑ったまま 表情が緩む。
「目を開けて食べようよ」というと時折目を開けるが又瞑ってしまう。
不快そうではないのだが…。
この状態 脳出血時の頃と似ているかもしれないとも思うが 思っても通院するほどではないので…。
今の血圧も通常だし…。

1時間かけて普通食を食べ終えた。
職員も「よかった」とよろこんでくださった。

午前中腰も上げなかったという事だったが 私なりの想像では 胃腸薬の影響で「大」の気配を察知して腰を上げなかったのではないかと思う。
食後 痰が絡んでいたので 風邪気味なんだろうと思う。
だから傾眠したのではないかと…。

その後 居室に入りトイレ誘導。
「小」音を立てて。
「大」も切れが悪いが少量。

トイレ後歯磨きを済ませて ソファーに座ってもらった。
職員には 推測も含めて母の様子を伝え アロエエキスと乳酸飲料は止めて貰うようにお願いした。

それから そうっと施設を後にした。


2009年01月29日(木) 追い込み


朝の目覚めが娘の帰宅と同じ。
ひょんなことで 早朝家族全員が揃う事となる。
平日の我が家は すれ違いが多いので こんなことは滅多にない。

滞っていた仕事を順繰りに取り組んだ。
午後は会議。
 
行きの電車で考えようと準備したが 電車の揺れが子守唄代わりとなってウトウト。帰路は ラッシュで手付かずとなった。

今日仲間に聞いてみようと思っていたが 目いっぱいに時間が掛かり
1人だけに相談。
事情は理解して貰ったが 複雑に絡み合っていて何処に打診すべきか結論は出なかった。
このことは 家に戻ってから長電話で話し込むこととなった。
もう少し整理されるまで 様子見。

締めの期日が一件あって それも仲間に確認後 申し入れをした。
その後 明日の締めの分をあれこれと考えた。
何とか仕上がり 安堵。

まだ 残っている事があるんだなぁ〜(ため息)
明日 人と会う約束になっていたが キャンセルの留守電が入っていた。
正直のところ助かった。


2009年01月28日(水) 想像力で推し量る


日記に掛けない事項も時折生じる。
本当は 書き留めて意見を聞きたいと思う時もある。
昨日の日記は まさにそういうことだった。
暫くは この事であれこれ考える事になるだろう。

ネット以外の手段で意見を聞けるので助かっている。

リハビリの日なので施設に向かった。
昼食は始まっており 大方の人は食事が済んでいた。
母は まだ途中。
「今日は 目が腫れていて…午前中は それでも目を開けたのですけれど…」と職員。

母は目を瞑って食事していたのだ。
スプーンで運べば 噛んで飲み込める。
この数日 少し噎せる時があり のどの調子がいまいちかなと感じている。今日も 少し水分に噎せていた。

途中から食事介助をバトンタッチ。
噎せないように配慮して介助。
食事の時間が少し遅れ気味。
そうなると今度は 排泄誘導の時間にかかり その上訪問リハに響いてしまう。

これまでは こちらのペースで調整できた事が 非常に面倒なことになってきている。

トイレ介助を受けた後 居室の椅子に座ってもらった。
その時何気なく首筋を軽く揉み解したら 痛がった。
どうも首の調子が悪いみたいだと感じた。

ここからは想像。
何らかの事情で首の調子が悪く うっとうしくて眠りが浅く 夜間 幾度か目覚めて泣いた。
だから まぶたに腫れが生じた。
今も首に異常感が残っているが 痛いという訳でもないが重苦しくうっとうしい状態にあるので気持ちが沈みこんでいる。

そんな想像が出来た頃に 療法士さんが見えた。
療法士さんに様子を伝えた。
「頭を打った後に 首に痛みが下りてくるという現象があります」と説明を受けた。
それで 当たらずとも遠からじの感触を得た。
療法士さんに丁寧に見ていただいて 腰には響いてない様子と言われた。

母は トイレから出て二人になった時 激しく涙を零して泣いた。
それで 何かを訴えたいのだなと思い 想像をめぐらせたのだった。

その後 看護士さんに伝えて 今晩夕食後に痛み止めを服用させて様子を見てくださいとお願いした。
これで 母の症状が改善できたらよいのだが…。
なにせ 母が不快に思う症状の1番の症状が「痛み」だからなぁ〜。

リハの終わった後 トイレ誘導し みんなで歌を唄った。
丁度 入所者のご家族が見えていたので その方も入って頂き唄った。歌の合間にはおしゃべりも…。
母とは向き合って 手を繋いでいた。
いつもならリズムを取る母も 今日は不安げだった。

職員のトイレ誘導があり それを機に施設を後にした。
昼食を飛ばしたので 途中エネルギー補給。
その時に 腰の曲がったお母様をつれた親子に出会った。
「90歳なんですよ。毎年 こうやって出かけてくるのです」と言われ 大きな荷物を持たれていた。
認知症はなく 穏やかな笑顔を見せてくれた。
見知らぬ方だけれど ちょっと幸せ気分を分けて戴いた。

その後 地域の方と打ち合わせ。
打ち合わせを重ねるたびに 皆さん認知症の理解が深まってくると感じている。
認知症になっても地域で暮らせるように…という地域の取り組みは 無駄には終わらないだろう。


2009年01月27日(火) 調べごと


少し調べたい事があり 情報を得るために知り合い数人に電話してみたがいずこも留守。
自分の問題なのだから 自身で考えるべきだろうとネットの情報を拾いながら考えてみた。

大分整理されたが どうするかの決断がつかない。
明後日の会議で出会う方に 疑問を投げかけてみることにした。
きっと それぞれの立場で受け止めてくれるだろう。

正しいと思って進めて いい結果になるとは限らないので その辺の判断を聞いてみようと思う。


2009年01月26日(月) 転倒?

午後母の所に出かけた。
テーブルに向かって車椅子の方と並んで座っていた。
「あら いいわねぇ」と言ったが 困った顔をしていた。

居室に入って 手荷物を置いたらテーブルにアイスノンが置いてあり驚いた。
慌てて「熱がでたのでしょうか?」と尋ねた。
「いいえ 熱が出たという申し送りはありませんでした」
「判りました。部屋にアイスノンがあって 熱でも出たのかと思ったのです」

暫くして 職員がみえ「昨日 転倒して後頭部を打ち その手当てでアイスノンを使ったそうです」と伝えてくださった。
ホールで椅子に座っており 職員の居ないホールで転倒したようだ。
がたんと音がして「痛い」と言う声が聴こえて 職員が駆けつけたら壁に頭をぶつけていたという事らしかった。
その後手当てをして トイレ誘導し「大」の手当てをしたそうだ。

転倒場面は見ていないのようだが 状況が読めた。
母の排泄サインは 立ち上がりである。
立位のできる椅子に座っていたので 自力で立ち上がったのだろう。
立ち上がって 後方にバランスを崩し しりもちをついた弾みで壁に頭を打ち付けてしまったのだろう。
打撲の跡の位置から考えても間違いはないだろうと思った。
トイレサインは 立ち上がりで 椅子に拠っては立ち上がれることも
あることは 職員に伝えていたのだが…。

他に異常が見られなかった。

今日は 入浴できればいいかななんて考えていたのだが 止めた方が良さそうだった。

トイレ誘導したら ゆるめの「大」
「大丈夫。良かったね。まかせてくれてありがとう♪」そんな風に話していたら「やんだぁ〜」と言う声が消えた。
そして頭や腕を撫でてくれ 言葉の一つ一つに頷いてくれた。

それから お散歩に出た。
ゆっくりと母の様子をみながらの散歩。
「歩ける?」と聞けば「歩ける」と言う返事。
表情も悪くない。
足の運びも悪くない。

近くの新聞販売所では夕刊の配達に出かける方たちがスタンバっていた。母は「あそこ」といい「そうね 夕刊配達に行くのね」というと頷いていた。

コンビニに行くと通り向かいにあるファミレスを指差す。
「そうだね」というとまた頷いた。
コンビニを出ても やっぱりファミレスをじっと見ていた。
「今日は 行かないよ」と言うと 歩き始めた。

近くの公園に行き 小山を上った。
頂上まで行くと母の息がはぁはぁしていた。
「ちょっと無理させてしまってごめんね」と言ったら 首を振っていた。
ゆっくりと小山を降りて施設に戻った。

転倒の後遺症はみられなかった。
いや 後頭部の打撲の跡があるけれど…。


2009年01月25日(日) ちょっとだけ休日気分


 抜けるような青空。風もない。
「今日は 歩くよ」と夫。

お天気を予測していたみたいだ。
二人で川辺りをお散歩。
2時間近くゆっくりと歩いた。

お下がりのカメラを手に撮影を試みた。
「撮ってくれ」とのことで 撮影。
「後でプリントしてくれ」だって。
「デジカメは嫌いだ」といって 撮影しようとしない夫。

帰路会社に立ち寄って休息。

帰りは車で スーパーに立ち寄って買い物。

夕食の支度をして二人で夕食。
後片付けしようと思ったら 休日出勤した娘が帰宅。
久々に みんなが家で夕食を摂れた。

ちょっとだけ休日気分。





2009年01月24日(土) 聞き取り調査


母の所に出かけたのは 昼食も済んでほどない時間。
入り口で 少し職員と話しこんでいてホールに入ったら母の姿が見えなかった。

入浴?と思ったら 排泄誘導中だった。
居室に入ったら「おかちゃん」と声が聴こえた。
職員は「みかちゃん」と聴こえたらしく「そうね」と同意なさっていた。

用を済ませて出てきたところで 職員とバトンタッチ。
手洗いを済ませて歯磨き。
その様子を職員が見ていらした。
「昨日 私もさせて戴きました」と話してくださった。
「口を漱ぐ時 水を飲み込まれてしまって…」と話されたので「そういう時もありますが気になさらなくていいですよ。でも 噎せたでしょう?」とお聞きすると「そうなんですよ」と教えてくださった。
「噎せた時が苦しそうなので できれば避けたいですけれど いつもうまく行くわけでないですから 仕方のないことです」と伝えた。

今日は しっかり水を吐き出せた。
洗面台から外れることもある。それも 配慮してもなお起きる事だと伝えた。後は床が濡れた時動く前に綺麗にふき取って滑らないようにしてあげれば それで大丈夫です。

漱ぎの回数が多い事とブラシを掛けるので「丁寧なんですね」と言われた。本当はもう少し時間を掛けてあげたい所なんだけれど 綺麗になればそれでよしと言ったところである。
「無理なさらなくてもいいですから…」と伝えた。
でも口腔ケアをこれだけちゃんと見てくれた職員は初めてである。

その後 顔を綺麗に拭いて 爪きりをした。
母の手を取って「のびたわわね」というとじっとみて「そうだ」と言った風な返事が戻ってきた。
「じゃ 爪切りましょ」と爪切りを始めたら ちょっと嫌そうな表情。
「のびたのよね」と話しかけながら納得して貰い切った。
酷い拒否にはあわずに手足の爪きりが出来た。

暫くして デイの相談員さんと看護士さんが見えた。
母と同席して聞き取り調査を受けた。
母は ニコニコ笑みを浮かべ 細かく私が説明をしていると「そうだ」と言わんばかりに私の顔を見つめた。
立ち上がりの状態とか着替えの様子は 実際に見ていただいて確認して貰った。

ひところ「自分の事を管理されるのは嫌」と言っていた事を思い出し 病の進行と安心してゆだねてくれるような関係になったのだとつくづく感じいってしまった。
施設の職員も入るはずだったが 同席するタイミングを逸してしまった様子である。
職員とよく話して協働で介護していると言う事を感じ取って貰えたようだったのでホッとした。

後半で 母が急にニコニコし始めたので 排泄のタイミングと思ってトイレ誘導。
「大」お見事。ちょい緩めだった。

それから 手洗いを済ませて 持参したおやつを食べて貰った。
ケーキと凸ポン。
食べている途中で 排泄誘導に職員が見えたが済んだばかりなので
デイの職員とのやり取りの間の母の様子を伝えた。
施設内で またお別れがあったと知る。
母よりお若い女性の方。
喫煙なさる方だったので 1日1本の喫煙。珈琲を飲み新聞を読まれる方だった。入所者同士で決まった人と「ばぁか」と言い合い 喧嘩を楽しまれる方だった。
私たちには いつもニコニコと笑顔を見せてくれていたのだが…。

母の施設は システムがかわりつつあることは 幾度か記しているが 
その事に関して 触れようと書きかけたが纏めきれなかった。 
そのうちに感じるところをアップしたいと思っている。


2009年01月23日(金) 迷い 考える


朝 母に利用して貰いたいデイサービスの事業所より電話が入った。
担当ケアマネが 動き出し デイ利用開始日のこととデイ1日無料体験の設定のお話となった。
こちら側の聞き取りをしてケアマネに伝え それから本人と職員と家族の聞き取り調査に入ると言う事だった。

幾度か電話のやり取りをして調査日と体験デイと利用開始日が決まった。
調査は 早い方が良いとのことで「今日 明日」と言う事だった。
今日は外せない用があるので 明日にして頂いた。
その旨 こちらからも施設に連絡をいれた。

母が施設入所した頃に「デイ利用できたらなぁ〜」と思っていた。
その時期から考えると本当に夢のようだ。
施設の形態も時の流れで変化してきていると言う事だろう。
もっと早くからそれが出来ていたら…という思いもあるけれど 別の意味では間に合ったのだから「ま いいんじゃない」と思う。

次の介護への展開ができればいいかなと思っている。
暫くは 母に混乱を与えるかもしれない。
でも ちょっと辛抱して貰おうと思っている。

午後は ちょっと離れた地域の介護者の方達と認知症の介護について学ばせて戴く。
男性介護者も多く 現在89歳の方が 要介護4の奥様を在宅で介護中。トイレ介助で共に倒れてしまって往生してしまうお話や食事の介助に2時間近くがかかるお話を聞かせて戴いた。
特養入所は考えていないとも。「わたしが 一緒にいたいのです」と。
「アクシデントに備えて申し込みだけなさったら どうでしょう?」との問いかけに…。
「前向きに考えてみます」と言われ「自分の介護が良いのか 施設に託すのが良いのか…」と少し迷われている本音も話してくださった。

介護者は「自分が介護したい。自分の介護で良いのか?」と迷う。
昨日も ベテランの介護職の方から「在宅で個に向き合っての介護と
ショート利用とでは 違っていて ショート後家に戻って家族が大変な想いをしてしまうしねぇ」と施設では なかなか個に応えられない状況にあることを受け止めていらした。
介護形態については それぞれの立場で悩みがあるなぁ〜。


2009年01月22日(木) 地域で



暮れに行きそびれた美容院にようやく出かけた。

夕方から会議。
地域で認知症を考えているのである。
会議としては 今日が最終回。
この会議で いろいろ学ばせて戴いた。

実は 昨日もその関連で 地域の方とお話を重ねた。
その時も 深く話し込んだ。
元気な者が気付かずに話す言葉に 認知症の方を差別している事があることを知って戴けたと思う。

誰のためでもない これからの自分の老いて行く先の整備が出来ればいいのだ。

明日が済めば 来週は家で作業するだけで済みそうだ。
31日利用者さん訪問があったが インフルエンザの影響で外出禁止・面会禁止となってしまったのでキャンセルとなったのである。
体調の変化の休みではないので気分が楽なお休みである。


2009年01月21日(水) あめがぁ〜♪


お昼に間に合うように パタパタと家を出た。
夕方から雨という予報が気になった。

食事が始まっていたので 職員とバトンタッチ。
今日の母は 食べ物をなかなか飲み込まなかった。
「喉が痛いの?」と聞いてみるが 反応はいまいち不明。

特別に食べ難いものはなさそうだが 強いていうなら白菜かなぁ〜。
菜っ葉の繊維が苦手なのだ。
やすみやすみ食べて貰って 何とか全量食べ終えた。

食事が済んでやれやれと思っていたら「トイレ誘導の時間です」と職員の予告。
先に排泄の事を確認を取っており 母の表情から「大」ありと感じていたのだが ここは 職員にお任せするしかない。
正直言わせてもらえれば 私が介助した方が「大」「小」の誘導が出来る…。
でも いろいろあって 今回はお任せした。
洗面台で オムツの準備をしていて トイレで「小」が音を立てているのが聞こえた。
職員が「ありがとう。よかったですね」と母に呼びかけていた。
「大があるかも」と伝えていたので 注意して向き合ってくれていた。
1度立ち上がり また座って…を繰り返してた。
療法士さんの見える時間なので バトンタッチ。
職員には 充分時間を使って貰ったと感謝を伝えた。
それから 暫くお腹をマッサージ するすると「大」が。
その後もちびりと…。
そこへ療法士さんが見えて 暫く待って戴くことになった。
もう 大丈夫と感じて 手洗いをしてリハの体制になって貰った。

リハが始まったが 今日は何となくそわそわ。
このところ 面会している時間が短いので「いつ帰ってしまうか」と見られているような気もするが…。母は そこまで覚えているだろうか?
排泄後で 何となく落ち着かないのだろうか?
特別痛いところもない様子だし 調子が悪そうでもなかった。

リハが済んで 直ぐに起きて貰い トイレ誘導。
「小」を排出。
その後 手洗い 歯磨きをして頭のマッサージをした。
そこに 職員が見えて「入浴」の時間を伝えられた。
ここでも ひとつ譲って職員にお願いした。
夕方から集まりがあり 入浴に関わると遅くなってしまうと言う事も理由のひとつ。

居室の椅子に座って貰い 手のマッサージをした。
指の先をマッサージしたら「いたい」と言う声。
酷く痛いわけではないようだったが 気持ちのよい状態になるように力を加減した。

母の入浴の着替えの準備をして ホールに移動。
母が入浴に入ったので 他の入所者の方のハンドマッサージ。
ベットにもお邪魔して ゆるくハンドマッサージし胸にギュッと手を当てている方の腕をすこしずつほぐして 緊張を緩めて貰った。

今日は ここまで。
それから 自転車を飛ばしてエッチラオッチラ約束の場所へ。

メンバーとあれこれ談義しながら仕上げ。

終わって外に出たら 予報通りに雨がパラパラ落ち始めていた。
真っ暗な公園内の道をライトをつけて家へ向かう。
あまり通らない道なので 公園から道路に出る道が探せなかった。
遠回りをして 見慣れた道に出てホッとする。
迷子になるほど迷った訳ではないのだが 予定した道に出られなかったのだ。雨が降る中 時間短縮したいのにロスタイム。

家に着く頃には 大分濡れてしまい大急ぎで着替えた。
今週は風邪をひいていられない。


2009年01月20日(火) セラピー効果


家事を済ませてパソコンと睨めっこ。
午後 役所の介護者の会に出かけた。
自転車を漕ぎながら「あ 参加するっていわなきゃ良かった」と反省しきり。追い込まれていて ちょっとでも家で作業を進めたかったのである。

今日は 介護者のリフレッシュ+本人のリフレッシュという事で アロマセラピー ハンドマッサージの講習を受ける。

会場に着くと講師がアロマを炊いて香りで迎えてくださった。
すこし気分が改善された。

製油の特徴のお話を聞いた後 ハンドマッサージの手ほどきを受け 隣合わせた方のハンドマッサージを試みた。

時折 母や施設の方にハンドマッサージもどきをして差し上げるが それは本当に手の甲のみ。
講習を受けてするのは初めての体験。
少しの緊張が走った。
説明通りに出来ているかが気になった。
「手の温かさを感じます」と言われ 何とかできているんだなと感じ嬉しかった。
今度は マッサージを受ける役。
して貰っている間 眠くなってきた。
きっと張り詰めたものが緩んでいるのだろう。

酷いコリコリ状態が緩和されたと感じた。

会が済んで 今度は母の所に向かう。
夕食の少し前。
母の意識は はっきりしないものだったが トイレ誘導したり居室でギュッと抱きしめたりしていたら 私と認識できたようで「おかちゃん」「おかちゃん」と言って落ち着いてきた。
腰の上がりも少し重かったが 幾度か立ち上がりを繰り返したら改善された。

夕食介助を少ししてから 職員にバトンタッチしてそうっと施設を後にした。

夕食後 また パソコンの作業を進め半分までは出来た。


2009年01月19日(月) 気がつけば…


 パソコンに向かって作業の1日。
焦ってしまうけれど まだ終わらない。
ふうっ!
気がつけば 今週は予定がびっしり。


2009年01月18日(日) 不安げ


午前中は家族もゆっくりしていたので こちらも家の用事の片付け。
夫は仕事に出て行き 娘も夕方から用事というので 午後 母の所に出かけた。

玄関を入った時には しんとしていていつも通りと思った。
が ホールに入ったら 別のフロアの方も見えていて驚いた。

母は困惑気味にソファーに座っていた。
居室に誘導してギュッと抱きしめてから トイレ誘導。
待っていましたとばかり「小」が見られた。
それから 手洗い 歯磨きをして貰って 椅子に座って貰った。
椅子に座る時 うぉんうぉんと泣いた。
まるで置いていかれる…といった風。
干し柿を渡すと美味しそうに食べ始めた。
トイレの後始末や居室のお掃除を済ませて 職員に排泄の確認をした。昨日今日と「大」は見られないとのこと。
居室に戻ると「大」のサインを出していたので 再度トイレ誘導。
お見事「大」を排出できた。

母を居室に置いて ホールに移動。
他のフロアの方も何となく元気がない。
というか気力がない。
知り合いの方が手を振ってくれたので そばに行ってスキンシップ。
少しおしゃべり。
反応はあるのだが どうにも落ち着きがない。
もともとせわしい人だが それにしても…と思う。
職員に伺うとこれでも良くなってきているという事だった。
せめても…と頭や背中を撫でて差し上げた。

デイ通い始めた方に「どうですか?」と尋ねると「知らない人の所に行くのは ちょっとね。いろいろこれまでと違って困る」と話してくださった。
認知なく入所なさっているので 時系列に出来事や想いを話してくださる。
これで認知があれば 更に参ってしまうのかなぁ〜。

居室に戻って母とおしゃべりしていたら ホールが静かになってきた。
どうやら 今日は清掃業者さんが入る日だったみたい。
母も別のフロアに移動だ。

職員がアロエエキスが切れたと教えてくださったので 薬局まで走ることにした。
いまいち元気がないので母は同行せず。

職員にアロエエキスを渡して施設を後にした。
銀行の用や購入すべきものがあり電車で出かけた。


2009年01月17日(土) リフレッシュ


元同僚と志の輔ライブに出かけた。
新作落語は 偽装を枕にして始まった。
笑わせて貰った。 
古典落語も2話。
そのうちのひとつは 工夫を凝らしたものだった。
あまり書くと これから出かける人の楽しみを奪ってしまうので…。

ライブ前に 韓国料理のお店で食事。
友人から韓国旅行の話を伺った。
よくあちこちに旅行なさるので そのお話を伺うのも楽しみ。

ちょっとリフレッシュの1日となった。


2009年01月16日(金) 変化


寒い日が続いている。
今朝 水が足りなくてしおれていると思って ビオラに水をあげた。
30分して外に出たら 鉢の下から出た水が凍っていて驚いた。
午前中のこととはいっても 日がさしている時間なのだ。
しおれていたのは 冷え込みのせいだったみたい。
いやぁ〜 久しくこんな経験をしていなかった。
ふるさとでは 当たり前のことだけれど 暖かい冬に慣れすぎかも。

午後母の所に出かけた。
風呂上りにおやつを戴いてた。
不機嫌そうな表情で入浴時騒いだのだろうと想像できた。

おやつ後トイレ誘導したら ジャストミート。
それもあったのだと思った。

母の施設では 今 介護体系が変化している。
詳しい事は 良く判らない。
でも 家族が来て介助したらその分の介護保険の利用料はカットと管轄の役所から指導されたということだ。
だから おやつ介助も職員がしている。
これまでだって 職員がしてくれていたけれど 面会に行けばバトンタッチできていた。
家族の面会は 介助に入る以外の時間に...と自制を迫られる感じがする。
他にも 時間でトイレ誘導しなさいと指導されているという。
在宅では あたりまえだから...と。
紙の上ではそうできても 人の生理現象なので割り切れない思いがする。
いや ヘルパーさんがいない時は家族がするだろう。
家族のいない人は やむなくそうするのであって…。
施設の職員を通しての話なので 実際どういった指導なさったのかわからないので 何ともいえないが 少なくとも今 何となく不自由さを感じる。 

母は最近 施設でも会話が成立したり 歌を唄ったりしたそうだ。
唄わなくなって一年程度経過しているのだが…。
こんな風に行きつ戻りつの様相 職員も驚いているそうだ。

10日間の在宅の影響なのだろうか?
それとも小さな梗塞が起きて 出来なくなった事が何らかの形で多少改善されたということなのだろうか?
何しろ 脳に作用するサプリや薬は何も使っていないのだから…。


2009年01月15日(木) 居眠りで赤面


ランチしながらの会議。
出かける直前にもたついて少々遅刻。

規則を作らずざっくりとした形で縛りのない介護者の会議。
会費も不要。

以前は 介護者の会は保健所で行うものが多く それはそれで大事だった。だが 介護者の会の連携 情報交換と言うものは無かった。
自分の地域の状況と他所はどう違うかが見えなかった。

今日も時間から溢れてしまうほどの情報交換があった。
介護者の声が集まるこの会議は とても貴重だと感じている。
運営の方法は様々である。

この会議 来年度より更に進化する。
お知らせできる機会があれば また 更新時に載せてみます。

会議帰りの電車の中で 居眠りをしてかばんをひっくり返した。 
静かな電車内でどすん からころと音を出し物が飛び出した。 
一斉に視線を浴びてしまった。
気の毒に...という視線に赤面。

以後 バックの取っ手に手を通して落ちない工夫をした。
懲りもせず また電車の振動を子守唄にし居眠り続行。
初めから 工夫して眠れってことで...しゃんしゃん!


2009年01月14日(水) 「情けないったらぁ〜」って!!!


リハビリの日なので 昼食に間に合うように出かけた。
施設では 昼食が始まったばかりだったので 直ぐに食事介助。
今日は うどんだった。
でもその量が 少ない。「足りるのだろうか」と一瞬考えた。
家だとしたら この倍はある。
職員は のびたら美味しくないからと汁と別にしてくれてた。
でも 伸びてしまっても汁がしみこんで美味しいと思うのだけれど...。
考え方の違いかな?

食事が結構早目に終了。量が少ない分終えるのも早い。
そこで 唄い始めた入所者の方に合わせてちょこっと唄う。
その間 誤嚥の危険が起きそうな人に起きていて貰う為に 母と手を繋いで貰って上体を起こして置けるようにしたり じゃんけんをしたりして睡魔を避けるようにした。

幸い 乗ってくれて3.40分は 目覚めていらしたので激しく咳き込む事も無かった。

母のトイレ誘導をしようと思ったら 新顔のパートさんが自己紹介をして母の介助に入らせて貰うと言った。
母の施設は 今 介護体系が変わりつつある。
詳しくは 後日に。
そこで 12時半から1時まで母の排泄介助の時間だという事だった。
今日のところは 職員にお願いしたが この辺は 施設側と良く話し合って行きたいと思っている。
何しろ 行政の指導が入っているようで 少し面倒なことになっているらしい。

母は あれこれ おしゃべりをしていた。
大分 意志伝達できている。
前回の一時帰宅の折 母に「出来る事なら言いたい事はちゃんと言ってね」とお願いした。
その効果が上がっているのだろうか?
昨日もおやつを「あなたも食べなさい」と言ったそうだ。

さて療法士さんが見えてリハが始まった。
その間 職員と介護計画についての説明を受けていた。
リハが済んで 療法士さんが帰られて暫く横になって貰っていた。
居室で母の声が聴こえたが...直ぐには行けず説明の終わるのを待った。

説明が済んだので急いで居室に入ったら 母が半身を起こしていた。
トイレだと判ったので 直ぐに誘導。
すると母は泣き出した。
さては もう出たかと思ったらパットは濡れていなかった。
「良かったね」といってたら 音を立てて排尿。
手当てをして立位介助している時「情けないったらぁ〜」とはっきりとした言葉を口にした。
そう 母は自力でトイレに行こうとしたけれど 起きられなかった事を悔しがっていたのだろう。

排泄は 本当に微妙な課題である。
果たして 自力で排泄できるようにして上げられるのだろうか?
出来ないとしたら どうやってカバーしてあげれば良いんだろうなぁ。
折角意志をあらわしてくれたのだから...。
きっと 他にもそういったことがあるんだろうなぁ〜。

夕方から会議があるので 後は 職員に託して そうっと施設を後にした。
夕刻の会議も意義あるものだった。

日もとっぷり暮れてから帰宅 食事の支度をして夫と夕食。
その後 パソコンで資料作り。
年末年始の付けは順繰りに響いている。


2009年01月13日(火) ぶるぶるっ!


 冷え込みの強い朝だった。
庭には ガチガチの霜柱。
起き抜けに 外に出て霜柱を踏もうと言う気力は起きなかった。

暖房を目いっぱい使って暖めて 食事の支度。
食事中 窓ガラスから寒さがじわんと伝わってくる。

今日は 利用者さん訪問日。
出かけると庭先のお掃除をなさっていた。
ご挨拶をして門を入っていくと 庭の隅に水の入った火鉢があり氷が張ってた。
指先でつんつんと数回突っついたら 半分に割れた。
「まぁ お若いこと」と利用者さんは笑って要らした。

利用者さんは 一足先に自宅に着き暖房を入れてあったが さすがに住んでいない家の冷え込みはきつい。
直ぐに活動に入ったが 靴下だけでは 足先がジンと冷たい。
スリッパをお借りして お掃除。
窓も開けず 人が住んでいないのだから綺麗そのもの。

時折戻られてレース編みをなさったようで 作品がのり付けされて広がっていた。
年が明けて91歳になられた利用者さん マイペースで頑張っておいでです。

ハンカチを取りに戻ったら 利用者さん暖房機の前で温まっており
「すみませんね 自分だけ温まって」と謝られた。
「それくらいでいてくださるとホッとしますから...」と伝えた。

おそらく施設内はエアコンで程よく温まっている筈で 温かい生活環境に過されてしまうと寒さは堪えるだろうと思う。

2時間ほどの活動で終了。
活動記録を記入している時「昨日 新しい方が入られて しきりに家に帰りたがっておいでなんですよ。何だか 可哀想で…」と言われた。
「認知症がおありですか?」「そうですね」
「『家に帰りたい』と言われたら『お帰りになりたいのですね』と答えて上げて 折に触れて 肩等を撫でて差し上げてください」
「否定しない方がよいのですね」
「そうです。後は職員の方にお任せして...。

利用者さんは 施設内で認知症の方と共に暮らしていくことの意味を学び始めれたご様子だった。

今日は 暮れに見えない屋根裏にしまいこんでいた書類を下ろした。お正月の間は 頭に浮かぶ事はあっても目にしないで済んだ分少し楽をした。
ずっしりと重たい紙袋を取り出して やりかけの作業を再開である。
私の仕事(?)初め。


2009年01月12日(月) 施設でも穏やかに...


早昼食を摂り母のところへ出かけた。
途中 買い物をした。
今年は 思いの他カレンダーが少なくて(好きなものが)暮れに買って置こうと思っていた。
が「年が明ければ安くなるから」という娘の言葉に 買い留まってた。

お店に並んだカレンダーは安くなっているものとそうでないものがあり少し迷ったが 安くなったものの中で選んだ。

購入してから介護仲間とばったり。
あれこれと話をしてから「カレンダーなら 印刷所から戴いたものが余っているから上げるよ」と言われた。

仲間と別れて母の施設へ。
公園の梅の花がほぼ咲きそろっていた。
我が家の紅梅まだ咲いていないのだけれど...弱っているのかな?
もう 観梅の季節なんだなぁ〜!

施設では 昼食も済んでゆったりとした時間が流れていた。
母はソファーに座っていた。
介助しようとしたら臭ってきた。
慌てて トイレ誘導。
リハパンから横漏れしていた。
下着から全て準備して 手当て。
出きっているわけではないようで 暫くトイレで踏ん張って貰った。
「出きってない」と母の視線が言っていたのだ。
暫くするとトイレでも排出できた。

篭った臭いを窓を全快して外に逃がして その後アロマを焚いた。
ついで 整髪して居室で暫く過ごした。
汚れた物をトイレの水で流して ビニール袋に詰め込んだ。
職員に報告したら昼食後トレパンに1度排出していたそうだ。
出来っていなかったのだなぁ〜。
「アロエや乳製品は止めますね」と職員から言われたので「そのように願います」と返事した。

それから 居室に掃除機を掛けた。
比較的綺麗だったのだがついでホールも。

おやつを頂き室内歩行をした。

施設長から家での様子を聞かれた。
母の健康面では報告済みだけれど 詳しい暮らしぶりは話していなかった。
施設に戻ってからの母は 食卓テーブルの周りを伝い歩きしていたそうだ。笑顔も多いと言う事だった。
「やっぱり在宅の方が動きが良くなるって本当ですね」と。
「大変だったでしょ」とも言われた。
大変じゃないとは言えないが でも楽しんでいたから...。

大変な部分は 夜間のトイレ誘導だったと思う。
これで随分腰にきた。立ち上がりの介助も母の自発力を待ちながらだったので 腕も大分しびれている。
でも 合間合間にストレッチを繰り返していたので酷くはない。

午前中 今週の予定をチェックしたら 結構予定が入っていた。
今週から 本格始動となる。
少し慌て始めている。


2009年01月11日(日) 在宅10日間のあれこれ パート2


一時帰宅中で一番多い手当ては トイレ誘導かなぁ。
今回 便秘薬は漢方や自然食品を含めて 一度も使っていない。
それでも マッサージ等でほぼ毎日排泄できた。
不消化物は見当たらなった。

次に多いのが食事介助?
全体的に お正月ということもあって葉物が少なかったのだが...。
ジャガイモ サツマイモ サトイモ レンコン ゴボウ ニンジン等根菜の類が多かった。
それも 大ぶりにカットしたもの。
それらを全て母の入れ歯で噛んで貰った。
食べている時の笑顔が嬉しかった。

冬場のほうれん草は柔らかいし甘みもあるので出してみたが 繊維がいつまでも残ってしまった。
結局は その繊維を口から取り出してあげることとなった。

お正月に ネットで刻みにすると葉ものも綺麗に飲み込めるというデータに出会った。
そこで 白菜とさつま揚げの煮びたしを作り 仕上がってから白菜のみ取り出して刻み母用にしてみた。
すると繊維も残らず飲み込めていた。
今の母に刻み食は必要ないが 葉物だけ刻むと言う方法は 菜っ葉に関しては有効と感じた。

豚ひれ肉を使ったポトフを作った時 「ひれ肉はどうかな」と気になったがほろほろとした仕上がりで全部食べることができた。
大きくとも母の入れ歯で咀嚼できるということだ。

が 鯛のおすましの鯛は 口の中にぱさぱさとした身が残った。
魚の類は 煮ると案外食べ難いと介護仲間からも聞いていた。
お刺身の方が食べやすいのである。
以外だったのは 大根おろし。
これも水分がなくなった大根おろしが口の中に残っていた。

そばやうどんも食べさせ難いと聞いていた。
が これが結構美味しそうに食べられた。
もっとも主食として考えるとどうなのかはわからない。
でも 母は口にするすると吸い込むほどではないが ゆっくりと舌を使って口の中に運んでいた。
少しのびてしまった方がスプーンで運べると言う事もあった。
麺類の他に長い物。今回は すき焼きに入れた白滝。
母の好きなもので これも美味しそうに食べていた。
勿論肉も。

かまぼこは 口の中で纏まり難いからと避けた。
が 同じようにバラけるもので数の子。
これは ぷつぷつとした触感がありバラけるだろうと思って最初は避けた。でも好きだったなぁと思って小さな一切れを上げたら これが実に嬉しそう。なので 様子を見ながらだんだん大きくしてあげた。
それでも噎せもなく食べられたのだった。

大根膾より菊花蕪のほうが 食べやすそうだった。
ただ 酢に噎せる事が少しあった。

昨年までは 蟹脚はとてもよろこんで食べていた。
今年は 身が口の中に残るようで昨年ほど食べられなかった。

メカブとか長いものようなぬめりのある食品を使うことも無かった。
鰊の昆布巻きも柔らかいので喜んで食べていた。

食べる事自体を拒否することは無かった。
朝食の始まりは なんとなくぼんやり感があったのだが 暫くすると美味しそうな表情が増えてくるのだった。

夕食の始まりも 時折ぼんやりしていた。
でも食べ進むうちに笑顔になっていくのが見えた。

「お腹がすいた」とは言えないので 若しかするとお腹が空いていてある程度満たされてくると笑顔になるのかなとも考えたりした。

着替えは 全介助が必要。
でも袖を通す時等は 時折自分で腕を通せた。

家に来た当初は 腰の上がりが悪く少し心配した。
でも自発の力を待っていると支えさえしっかりしていれば 自分で腰を上げられるようになった。

言葉の数はめっきり減った。
特に問いかけに 言葉で答えることはすくない。
でも自発の言葉は 時折。
感謝の意であったり 怒りの意であったり 内側から出る言葉は はっきりと言える事があった。
問いかけに関しての答えは 大概首を縦に振るか横に振るかだ。
時折 曖昧になるけれど 足りない部分は目の表情で推し量った。

外出時「遊びに行くよ」の問いかけには 必ず笑顔で答えた。
元気な認知症だった頃「遊ぶの大好き」と言っていたのだから その心は今も健在と言う事だろう。

手当てとは違うが 母の表情を読み取ったり言葉を引き出すことは 1日の中で最も多いのだろう。
言葉が出なくとも 意志伝達の手段は 一番時間をとりたいと考えている。
だから アクションを起こして貰う時には「立つよ」「座るよ」と声にし更に介助の手を下に上に力を入れながら「いち にのさん」と号令を掛ける。
時に「もう少し小さな声で」と母に叱られたりするのだが...。
そんな交流が沢山出来て 嬉しかった。

今回は 室内でのボール遊びはしなかった。
でも 日記にも書いた通り 1人遊びが出来た。
お元気な方の1人遊びとは 意味合いが違うが そばにあるものに興味をしめしてあれこれと試してみる遊びだ。
それでも そういったことに興味を示さない方もいるので それを考えれば興味を抱けると言う事は「〇」と考えている。

今回 お茶のみの茶碗を浅いものに切り替えた。
一回の水分の量が少なくなるが浅い方が飲みやすそうに感じたのだ。
温かいものを温かいうちに飲みきれたらいいかなと思ってのこと。

認知症発症から もう18.9年経過している現在。
施設の職員の力を借りながら歩んで7年目に突入である。
脳出血 やけど 転倒骨折 血尿 内臓からの出血?いろんな山坂を越えてきた。
もう駄目かなと幾度も思ったが 私の我儘を受け容れて協力くださっている職員初め医療機関の手助けと母の気力と運とに支えられて歩めた道のり。
また日記を読んでくださり 力を下さった多くの皆さんや介護者の会の仲間に支えられている事をしみじみと感じます。
どうぞ 本年もよろしくお付き合いください。

あっ! 忘れていました。
1番そばにいる家族の事を。
「母」在ってのはなであることを受け止めてくれている夫と娘に深謝しています♪ ありがとう♪
至らぬ妻・母ではありますが 今年もよろしくです。


2009年01月10日(土) 在宅10日間のあれこれ その1


昨夜 布団に入って直ぐに寝息を立てて深い眠りに入った母。
確しかめてみた事もないのだが スムースに眠れると目覚めも良いのだろうか?
6時少し前に目覚めてトイレ誘導し 再度眠った母だが 7時過ぎには覚醒していた。スキッとした表情だった。
7時半には トイレ誘導し起床してもらった。
今朝も冷え込みはきついが 元気いっぱいの母。

熱いタオルで顔を拭いて 朝茶を飲んで貰って入れ歯を装着。
夫用にと ゆで卵を半分にカットしてお皿に載せてテーブルに置いた。
他の準備をしてテーブルに戻った時 ゆで卵の皿が母のそばに引き寄せられた。
「ははぁ〜ん」と思って またキッチンに戻って作業をして戻ったら ゆで卵を手に持って食べ始めていた。
お腹が空いているということが判るし 自分で手を伸ばして口に運べると言う事は素晴らしいので更に様子を見ていた。

食事の支度が出来て テーブルに運び夫を呼んでテーブルに着く頃には ゆで卵1個を1人で食べ終えていた。

夫が 母の手が汚れていると言ったのでお手拭で綺麗に拭いたら 母が頭を下げた。
手で食べることが 行儀は良くないなんて母は考えないだろう。
元気な頃なら夫も私も「箸があるでしょ」と一言発しただろう。
でも 自力でたべることのない今 1人で食べたと言うことにえらく感心するのである。

それから 食事介助しながら朝食。
夫は ゆっくり目に仕事に出かけた。

母の食事は 続き投薬し水分補給して その後ゆったりタイム。
施設に戻す衣類を纏めたりしながら 洗濯機を廻した。

トイレ誘導し 大小排出。
そこに娘が起きてきて 施設まで送ってくれると言う。

昼ごはんに間に合うように施設に戻ると伝えてあった。
配膳が始まる時間に施設へと滑り込んだ。

多少の違和感はあるだろうけれど 顔見知りなじみの場所なので酷く落ち込む事もなかった。
少しの間 視線で私たちの姿を追っていた。
が昼食が始まり 職員に介助して頂き 多少興味が緩和された様子だった。

看護担当の職員に 家での様子や健康に纏わるお話を伝え そうっと施設を後にした。

今回の一時帰宅でのひやりハット。
一つは 転倒。
お散歩に出ようとして 玄関前の階段で転んだこと。
危険は十分承知しているので両手を介助していた。 
が 母が玄関脇においてある自転車に触れて その手を離して貰おうとしている間に母が足を踏み出した。
私もバランスを崩して 母を支えきれなくなった。
危ないと察知していたので 自分の身体のバランスを取れるぎりぎりまで踏ん張り 最後の少しで力尽きてドシン。
「いたい!」と言う母の声に「しまった」と思った。
立ち上がって貰って 動きを確かめたが 歩行で痛む様子はなくホッとした。
けれど トイレ介助の時左腰の少し上のところに触れたら「痛い」というので打ち身はあった。
でも青くなるようなことはなくてホッとした。
通院も考えたが 通院しても痛み止めと湿布薬が処方されるとわかっていたので 家にあるもので対処した。
毎日変化を見ていたが 特別大きな変化もないので 安心した。

次は 錆びた釘で出来た傷。
傷自体はたいしたことはなかった。
実は浴室のすのこが古くなって釘が少し飛び出していた。
普段通過せずに済むところなので注意を払えば何とかなる場所。
ところが その日 入浴時拒否が多くて出る時にトタパタとし母は浴室内で腰をおろそうとした。
体が冷えたら...とおもい 強めに誘導し引きずる形となり 釘のある場所の方に足が行ってしまった。
踏んだ訳ではないのだが 少しすれてしまって出来た傷。

判っていることだから きちんとしておけばこういうことは起きないで済んだ事である。母には 悪い事をしたと思う。

もう一つは 夜間のトイレ誘導。
以前なら 起こすうちに目覚めてくれたので誘導の際には母の協力が得られた。
今回は 軽い眠りのように見えても 目が覚めきっていないと膝を立てると言う行為の協力が得られなくて身体を起こしても腰が立たない状態となってしまうことが2度ほどあった。
だから とんとんと軽く肩を叩いて母を呼んで目覚めなければ 立ち上がっての誘導は避けるようにした。

そのために 夜間8時過ぎの水分補給は中止。
日中に水分補給を多めにした。
母のトイレタイムで朝方に尿量が増えるようだったので朝には注意を払うように努めた。

お布団から起きる時に 母は膝を立てて立ち上がるための協力が出来るようになってきている。
これは 介護する者には 助かる。
自分で膝を立てない時には こちらで膝を曲げてあげるとよいみたいだった。


2009年01月09日(金) 胸がつん!


昨夜は 午前零時にトイレ誘導し 後は 6時少し前までトイレサインなし。6時にトイレ誘導して また眠って 8時に目覚めた。

其のまま起床して貰い 朝食。
夫は先に送り出した。

その後 娘が起き出して 朝食。

家人のサイクルは 相変わらずのペース。
みんな なかなか厳しい。

母は 母のペースでのんびり。
施設の暮らしぶりとは 時間配分が違うのでくたびれないかと気にしてみていたが 就寝時間が遅くとも疲労は無いようである。

午前中 餅をみたらカビが出始めていて 慌ててカビを削った。
もっと早く冷凍保存しておくべきだった。
昼食は餅にした。
お汁仕立てにしないと母は食べられない。

食事するたびに こちらはあくびの連発。
母とお昼寝しようかと思ったが 夜眠れなくなっても困るので諦めた。

片付けをしている間 テーブルの上の蜂蜜のキャップを廻していた。
零すことはないが 開けるのに熱中する。
蜂蜜をなめたいというものではなく 開ける事が楽しそう。
そういった楽しみ 熱中する事をみつけてくれて嬉しい。
でも きっと 目を離したら蜂蜜のボトルの中に何かを入れてしまう筈。
だから そこは注意深く見守る。

テーブルに新聞を広げれば 新聞の隅に触れてみたり...。

母は時折言葉を発する。
はっきりとした言葉は一日に数回。

昨日のコートの時には 驚いた。ちゃんと文になっていたから。

今日は 就寝前のトイレ誘導をした時「お世話かけます」といった。
眠そうで歩くのも大変そうだったので 意識がはっきりしていたと思えないのだが 反射的に出たのだろう。
つまりは 普段もそう感じているのだけれど 言葉にならないだけなのだろうと感じた。

31日からの一時帰宅は 今日で終了の予定なのだが それを見透かされているような気がして 胸がツンとした。


2009年01月08日(木) 「おはよう」って返ってきたよ!


昨夜は 午前零時近くまで 浅い眠りの母だった。
中途半端に眠っているので トイレ誘導は諦めた。

明け方近く「おかちゃん」と呼ぶ声で目が覚めた。
トイレ誘導したら ストンと眠りに落ちた。
それから いびきをかいてぐっすりと眠り続けて 起床は8時を過ぎた。

夫を送り出し 洗濯をしたところで 母起床。
機嫌は悪くない。
耳元でゆっくりと「おはようございます」と言ったら「おはよう」と言えた。
やったぁ!今回初めてである。
朝茶も噎せることなく飲めた。

朝食も順調に食べた。
トマトスープを作り ウインナーを入れたが 皮を噛めないのでは...と危惧したが ちゃんと食べることができた。
今朝は 母の目をじっとみつめて「1人で食べられる?」と聞いてみた。
何事かと言った風に私の目を見つめ返して 頷いた。
「嬉しい。1人で食べられるのね」と念を押すと深く頷いた。
それから 箸を持たせると自分でご飯茶碗を持ち 箸でご飯を口に運んだ。
言葉は無いけれど こういうところで言葉を理解していると感じる。

明け方帰宅した娘は ぐったりしながら起き出して 朝食。
仕事を また振られてげんなりとして 頭痛止を服用し重い足取りで会社に向かった。

娘の話を聞きながら頷いていた母。 
母がどれほどの理解が出来ているか判らないが それでも娘も「ほら 頷いてくれた」と...。
娘の癒しに母もちょっぴり貢献しているかな。

午後 通院。
昨夜 錆びた釘でかかとを傷つけた母。
痛がってはいないが 万が一のため通院した。
消毒薬と抗生剤の塗り薬を戴いた。
医師も心配は無いようだが 抵抗力が気になるからねと言い特別の手当てもせずに診療は済んだ。

待合室で 母の膝の上に畳んだ母のコートを置いた途端「やんだ こんな重たいの置くな」とのたまった。
「はいはい 失礼しました」とコートを移動。
すると待合室の付き添いの家族がクスリと笑い「懐かしいふるさとなまりだわ」と言われた。
同郷ではないけれど 転勤でわがふるさとで暫く暮らしたこともある方だった。
たいした話もしないけれど 先に席を立ったら「ごきげんよう」と挨拶くださった。

その後 買い物をしてお茶を飲んで休息し タクシーで家に戻った。

疲れたのだろう むっつり気味の母。
でも戻り時間を気にしないで出来る通院は楽だ。

夕食の支度をしている間 母にみかんを食べて貰った。
2房 自分で食べた後は遊びだしたので ストップをかけた。
夕食を始めようとしたら電話が入り 少し出遅れた。
お腹が満たされたら 笑顔が戻って 夕食後もあれこれ1人遊びをしてくれていた。

9時半に寝室に移動し 洗濯物を畳み 眠そうな表情になったので パジャマに着替えて就寝して貰う。
入浴は 中止。
お布団には湯たんぽを入れて...。
歯磨き 洗面は食後直ぐに済ませるのが我が家流。

幾度か 母の様子を見に行くがzzzと軽い寝息を立てていた。


2009年01月07日(水) この勝負 母の勝ち!


 昨夜 母をトイレ誘導してようやく就寝したのが 午前1時すぎ。
程なく娘が帰宅して...ちょこっと話した。
「疲れた顔してるね」と娘から言われた。

今日は 自宅に療法士さんから来て頂いたが やはり「お疲れの様子ですね」と言われた。

自分では 生活用品が買えないと言う不自由さはあっても 施設に通うより楽と思っているのだが 人様から見ると疲れたような顔をしているのだろう。

依頼されていることで しなければならない仕事が控えているのがだんだん気になってきているので焦りも出始めているからかなぁ〜。

ひやりハットも少し起きている。
何でもしておこうと言う気持ちがその原因。

今回 母のトイレ誘導で母が腰砕けを起こして幾度か焦った。
起きる気持ちがあるので起こしたが 眠かったようでそれが原因。
せめて家にいる間位 ちゃんとしてあげたいとつい思ってしまう。
起きられないことに怒りは湧かない。

ムッとしてしまうのは 入浴時かなぁ〜。

しかし なんの設備も無い状態での生活は やはり困難に直面する事が多くなってきていると感じる。

精神面では 穏やかと言っていいだろう。
ちょっとおへそを曲げてもそのうちになおる。

そうそう 母はテーブルについている時 独り遊びをする。
瓶の蓋を開けてみたり パッチワークの鍋敷きを手にして見入ってニコニコしたり。
パソコン用のアームレストを持ってぽんぽん叩いてみたり 広告を細く丸めたものを持ってテーブルの上のものを集めてみたり...。
夢中になってやっている。
そんな遊びを中断させて トイレに誘導したり家の中を歩いて貰ったりするのだが 戻ってみると夢中になって遊んでいた事は忘れてしまって暫くはぼんやりする。
次の遊びを見つけるまで そばに座ってお茶を飲んでもらったり 手遊びしたり...。
いちにち そんな繰り替えしで過ぎていく。

昨日は 言葉の数が多かったが今日は ちと少ない。
でも 反応は良い。

今日も大小排出できた。

食べる量も十分。
七草だったので 朝はおかゆ。
家族も食べて 残っていたのでお昼は おかゆとうどん。
おせちもまだ残っているので...。
ひたすら 母と二人で胃袋に収めている。

煮物もそろそろ終わりそう。
煮豆が残っているがこれも明日くらいで終えるだろう。

昨日・今日とスチューベントというぶどうと干し柿を食べてもらった。
皮から実を押し出して口に入れてあげるのだが...。
これが 口の中で種を分けて 出す事が出来ている。
干し柿の種も出せた。
舌を使って分けられると言う事は まだ良いと考えるべきだろう。
お餅も小さく切って食べさせているが 更に歯で噛み切って食べてたので凄いなぁと感心した。

母の耳にラジオの音が聞き取れているか疑問なのだが 音楽がなっている時には手でリズムをとって機嫌が良くなる。
昨日は単に偶然かと思ったが 今日もそうだ。
TBSラジオのカキーンである。
母にとって馴染みの曲ではないと思うのだが...それでも確実に反応している。

今日は 入浴して身体を洗い 洗髪も出来た。
ご近所に 母のおたけびが聴こえてたことだろう。
「わぁ〜!」「なにするの」「やんだぁ〜!」
母の不安を推し量り 叫び声にはひるまないけれど アクション停止に出逢ってしまうと瞬間「危ないよ」と声を出したくなる。
我慢した分 着替えの時にこちらがむっつり。
すると母が申し訳なさそうな表情をする。
むっつり顔も「しょうがないなぁ〜」と変化していく。
この勝負 母の勝ち!


2009年01月06日(火) 刺激の効果


昨晩もぐっすり眠っていた。
最近にしては 珍しい事である。

今朝は 夫の出勤前に起きてもらった。
夫に朝食を出して食べて貰った。
どうも母がむっつりしている。
起き抜けだから眠いのだろうと受け止めていた。

夫を送り出してから 母の食事を準備し 介助を始めたら途端に笑顔が出てきた。
つまりは 母もお腹が空いていたのだった。
言葉がないと探りきれないなと思ったけれど 本当は 朝 私のテンションが上がらなくて 母へ話しかけることが少ないせいだろうと思い当たった。

今日は 午後介護者の会があるので 蒸しタオルで母の寝ぐせを直した。それから 外出用の服を揃えて...。
洗濯機を廻した。

起床から3回目のトイレ誘導で「大」を排出。
健康的なもの。
施設での排泄は マグをやめても緩めが多い。
家では 程よいもので それもオムツに出すということはない。
勿論 マグもラブレもアロエエキスも使っていない。
食事はしっかり取って貰っているので残量はない。
水分も起床時のお茶から始まって 就寝前まで 確実に摂取してもらっている。
水分摂取量が結構多いので 小は こちらの誘導ミスで遅れてしまうことがある。

今日は 外出先での昼食を考えてお弁当を準備。
とはいっても 特別に作ることはなくて おせちの残りも含めてありあわせのもの。自分の分はおにぎり。

昨日のお散歩の時もそうだが 外に出ると母の表情がかわる。
今日も「遊びに行くよ」と伝えたら 目がキランと光った。
つまりは お腹の調子も含めて 体調が良いのである。

交通手段は 危険回避のため往復タクシーを使った。

会場のある場所に着いて 先にお弁当を広げた。
有り合わせではあるけれど 一人前はある。
食べ始めたら介護仲間が見えた。
新年のご挨拶をして 母の食べっぷりをみて「結構な量を召し上がるんですね」と言われた。
1時間弱で食べ終えて珈琲を砂糖なしで飲んで...。

食べ終えて 会場に入った。
皆さん 次々に母に挨拶してくださる。
母は 笑顔を見せて頭をちょこんと下げた。
会の間中 私の隣に座って ボールや広告を丸めたもので遊んでた。
介護仲間も母の相手をしてくださったり...。

会の中身については 別立ての方に記録するので...。

会が終わって 家路に着く時 明日のななくさかゆの準備が足りないのでスーパーで買い物。
その間 介護仲間が荷物を持って待っていてくださり タクシーに乗り込むまで一緒にいてくださりありがたかった。

今日の会で 母に元気を貰ってくださった方もいると思うけれど 母も皆さんから元気を戴いた。
家に戻ってからも笑顔が続き 言葉の量もかなり増えた。

年末年始 母が言葉を発しないので やきもきしたが 沢山の仲間達に囲まれ にぎやかに会話している中にいたら言葉を思い出したように感じた。

家に戻って直ぐ 少しお茶とおやつを食べて貰った。
みかんをむいてお皿に載せて 洗濯物を取り込みに上がったら 自分でみかんを全部食べてた。
これには びっくり。施設や家で自力で全量食べるなんてことは最近は全くなくなっていたのだから...。

夕食の支度をして 炊き立てのご飯をテーブルに載せた時「美味しそうだ」と言った。
歩いたとことも手伝って 食欲もあり全量を美味しそうに食べ終えた。 

夕食後 片づけをしていたら 眠そうな表情。
足湯をして トイレ誘導で大小済ませて 湯たんぽの入ったお布団に入って貰う。
今日も パタンと眠りに入った。

朝 仕事をなさっている介護仲間から電話があった。
昨年12月に施設入所できて 順調なすべりだしだった。
が 今朝 本人が亡くなったという知らせだった。
普段と変わりなく過されていて 今朝も5時にはいつもと同じようにお元気だったが その後グッタリなさっていて 救急搬送 亡くなられたということだった。94歳 年に不足は無いから...と電話の向こうで話されていらした。


2009年01月05日(月) 6日目にして 初散歩


昨晩 最終トイレ誘導が午前1時。
それから パタッと眠って 目覚ましで起き出した。
母 ぐっすり眠っていた。
ただ 布団に入ってから寝入るまで時間が掛かっている。
10時半過ぎても起きていた。
11時過ぎに見たら寝息を立てて眠っていた。

朝 トイレ誘導し着替えをしたのは 夫が出勤してから。
食欲もありご機嫌の笑顔。
洗濯を済ませ 娘が仕事に出てから 手遊び。

母の手とぱちんと手を合わせると笑顔が飛び出す。
おへそが曲がって反応しないときでも 手合わせをして遊ぶと笑顔を取り戻せる。
おへそを曲げる時って 洗濯物をしたりで母に向き合っていない放置気味の時のように感じている。

昼少し前 近くのコンビ二までお散歩しながら買い物。
途中 急斜面の道がある。下りも上りも踏ん張って歩き もう少し歩くというので 更に足を延ばす。それも上り坂。
下の通りを車が走るので 動く景色に刺激されて「ほら」「あれ」と言葉が飛び出した。
あと一息で上りきると思う頃 疲れたという表情なのでUターンして戻った。家からだと1キロ弱というところだろう。

家に戻って昼食の準備をしたら「ありがとう」という。
何のお礼かなと思っていたら テーブルに昼食が載ったら「こんなに ありがとう」と言った。
食事の支度ありがとうってことだったみたい。
でも「おはよう」「おやすみなさい」っては いえない不思議さよ。

今日は 眠そうで危ういので入浴はお休み。
一応 湯たんぽ入れてあるけれど 部屋を暖め 少しテレビを見てパジャマに着替えて 就寝。
直ぐに寝息を立てて眠った。

初期の頃は 途中起き出したものだが 今は 布団からは自力では起き上がれないので 横になってくれている分には 心配がないので助かっている。

朝 昼 晩 と良く食べて 大小もあり 機嫌もよかった。
ただ 買い物に出るのに少し力まないと腰が上がらないなぁ〜。家の中で過す分には 何とかなるのだけれど...。


2009年01月04日(日) 良いと思えば 良いことなんだよね♪


介護環境になく デイも無い在宅介護の5日目。
家人はそれぞれ用向きもあるので 家事もこなしながら母と過す日々。

年末年始は 買い物もほぼなく おせちもあり家に篭りきり。
散歩に連れ出そうと思うが この所北風が吹いて思うように外出できない。
仕方なく 家の中のお散歩。

部屋の出入り口は 2センチほどの高さがあり うまく越える時と敷居をふんずけてしまい ふらつく事もある。

注意を払う言葉をかければ スローモーションながら それを理解しようとする母。
面倒といえないでもないが 考えれば言葉を理解し行動するという良い機会になっているとも感じる。

歩くだけではない。
キッチンに立つ時にも隣に立っていてもらう。
流し台に掴まるので 朝は「冷たい」って文句を言った。
感じて言葉を発するのならそれもいい。

昨日は キッチンに立っていたら足がプルプルして やっぱ散歩しないと駄目かななんて感じたけれど 今日は しっかり立っていた。

3時間おきに 室内歩行を試みた。

夕食は すき焼き。
それまで不機嫌だった母の表情がころりと変わった。
笑顔で 沢山食べた。
施設の食事時間と比べると大分間合いがある。
夕食は7時ごろ。

就寝も大分違う。
9時過ぎから10時過ぎ頃 下手をするとそれ以降だって布団の中で目覚めている。特別疲労感も見えないし...。

昨日は 眠そうになってしまって 入浴は危険だと思って中止したが 今日はちゃんと入って身体も洗った。

食事に掛かる時間は どう頑張ってもやはり一時間はかかる。
母のペースに合わせて上げればの話である。

昨年より 言葉の数が減った。
「おはよう」の言葉に返って来るのは お辞儀のみ。
まいいか 通じているし アクションで返してくれるのだから 母健在ってことで...。




2009年01月03日(土) 刺激物のせいだったかも


昨夜は コトリと身動きせぬまま寝入った母。
午前一時に とんとんと肩を叩いても目覚めぬ母。
そこで こちらも諦めて就寝。

3時50分「おかちゃん」で目覚めて トイレ誘導。
また寝入って 5時30分ごろ「おかちゃん」という声で目覚めてトイレ誘導。

6時ごろには 夫が起き出していて わっとこちらも起きたら「まだ寝ていいよ」との言葉に甘えさせて貰って もう一眠り。

食事の支度をして母の着替えを済ませて テーブルに着いた。
が お茶を飲んで貰っても口に含んだきり呑み込まない。
呑み込むのを忘れてしまったかと「ごっくん」と伝えたが 一向に呑み込まない。
眠いのかなと思ったけれど 上体を起こしていたくらいだから目覚めていた筈。
「トイレ?」と聞いたら頷くので トイレ誘導。
そこまで お茶を口に含んだ儘だった。
トイレから戻って「出して」といったら ちゃんと吐き出せた。
「ふう〜!」
意志を確認できるまで なんと時間の掛かることか。
トイレを飛ばそうとしたこと見透かされている感じ。至らぬ娘だ。

朝食は ご飯。
量は気持ち少ないが 十分食べている。
数の子を口に運んだら それから 手を伸ばして皿から数の子を取って食べていた。
今日は 幾度か数の子をよろこんで食べているのが判った。

夫がふるさとに行って来るというので 急ぎ支度。
母は 放置気味。
南からの日差しがたっぷり入るので時折うとうとと居眠りをしていた。

昼ごはんを食べていくという夫。
お餅を焼いて しながわ巻きとぜんざい。
ぜんざいの小豆は 地元で採れた物を使った。
甘さは控えめなので 好評だった。

夫を送って後片付け。
その間 母にはテレビの番をしてもらった。
結構 見てた。

合間に 廊下や和室を歩いてもらった。
午前と午後「大」を排出。
それも サインを出してくれた。

今日は 夕暮れ症候群が無かった。
昨日が酷い状態だったので気になったが 今考えると お昼にカレーを食べたせいだったかもしれないと思う。

母は 刺激物に結構左右される。
珈琲やチョコも影響が出る時があるのだ。

他にもいろいろあったが 今日はここまで。


2009年01月02日(金) 入浴効果


朝 5時前「おかちゃん」の声で 目覚めてトイレ誘導。
間に合わず パットがずっしり。
けれど これだけ重いということは 水分は摂れているという事だろう。

パットを替えたらまたすうすう寝息を立てて寝たので こちらも一眠り。
7時前に「うふふふ あはは」の笑い声と羽枕をぽんぽんと叩く音で目覚めた。母は上体を起こして枕の模様の所を叩いているのだった。
「起きる?」ときいたら 頷いたので 起きて貰う事にした。
階段を下りるのは これまた大変な事だけれど 独りで何とか降りてもらえた。

着替えをして 顔を拭いて 朝食。
笑いが多いので 食べ方もよい。
小さく切った餅を更に歯で噛み切って食べていた。
でも 自分の箸で食べる事はない。
箸を持っていても 遊んでいるばかり。

3時のおやつの時 イチゴやラフランスや苺とねりきりをテーブルに置いて
その場を離れた。
戻った時 食べられる分は自分で食べていた。
口に運べないわけではないんだよね。
受動的になってしまったのかもしれないなぁ〜。

おやつ後から急に不穏さが増した。
不穏というよりも寂しさのようである。
施設にいてもそうだが 夕暮れ症候群の感じだ。

でも夕食をとる頃になったら すっかり落ち着いてきた。
食べ始めは 口を閉じたりした。
母のペースに合わせていたら 後半はするすると食べられるようになってきた。

就寝前 入浴。
今日は ひとりで介助。
昨日 良く洗ったので 垢は出なかった。
だから しっかり温まって上がって貰った。

大小 共に適量があり 体調は悪く無いと感じている。
今日はしきりにしゃべる日だった。
しゃべるとは言っても 殆ど外国語。
きっと何か言いたいのだと思うけれど ぽちっとも判らない。

お風呂から上がって お布団に入ったら 今日はコトンと夢の世界へ。
初日入浴しなかったせいだったのだろうか くの字に縮こまっていたのだけれど 入浴して眠ると ゆったりと手足を伸ばしている。
入浴効果ってあるんだなぁ〜。


2009年01月01日(木) 元旦に...


 あけまして おめでとうございます。
新しい年のページが開きました。
どんな年になるのか判りませんが あるがままを受け容れて無事に1日を過ごしていければ...と願っています。

母と共に過すお正月です。
今朝 布団にもぐりこんでいる母を見てびっくりしました。
歯磨きをせずに寝かせてしまったのです。
可哀想な事をしました。
お布団の中からテレビを見て笑い なかなか寝付か無かったのです。

就寝前のトイレが22時半。
2時過ぎに お布団をとんとんと叩く音で眼が覚めました。
私が就寝して程なくのことでした。
これは トイレの合図です。
よいこらしょとお布団から起こして トイレまで誘導。
ちゃんと我慢できていました。
トイレで音をたてて小。
施設から戻って 足にむくみがみられ 小も就寝前まで出なかったので気になっていました。

それから朝までぐっすり眠っておりました。
先に起きて おせちの準備をして 部屋が暖まったところで母を起こしたのですが...ゆすってもとんとんしても目を開けませんでした。
よほど眠かったのでしょう。

顔を拭いて 入れ歯を入れて お食事が始まり にこにこ笑顔を見せてくれ ほどほど食べました。
お雑煮のお餅は 大き目のもの一切れです。
勿論 小さくカットしていますが...。
筑前煮のサトイモは 美味しそうに食べていました。
サトイモは大きくカットして煮ていますが...それでも大丈夫でした。
今年の栗きんとんは甘さが勝ってしまって 母には好評です。
うずら豆は わさんぼんでほんのり甘いかんじに仕上げました。
それも美味しそうに食べていました。
酢だこはさすがに線切りにしましたが それでも食べ難そうでした。
沢庵等は噛み切れるのに 酢だこは 噛みにくそうでした。

食事が終わる頃「目が覚めてきた…」という母でした。

お昼前に 賀状が届いて母宛てのものがあり 手渡しましたところ大事そうにしっかり手に持って眺めていました。
声に出して読むことは無いのですが どうも読めているようです。
特にふるさとからのものには 敏感です。
母の賀状を急いで作りました。
貼り絵と母の名の一文字かな印を押して 後はパソコンで住所と名前を印刷。
試し刷りを母に「これでよいですか」と聞きましたら「わたしのだ」と言っていましたのでOK。 
宛名を書いて 急いでポストに走った。
とりあえず母の分だけは先に。

今日は 1日食事に追われるような感じがした。
そうそう テーブルの上にペットボトルが置いてあったのだが その栓を幾度も開けた。
中身が入っているので零れるかと思ってきつく閉めるのだけれど その度にゆっくりと栓をあけてしまうのだ。
栓が緩んだ瞬間の母の嬉しそうな顔をみて こちらまで笑ってしまうのだった。

昼の間は トイレ誘導でパットは一度も汚れなかった。
「大」も少量。

夕刻には 情緒不安定。
涙ぐんだりおかちゃんを連発したり...。
それらも 夕食になるころにはすっかり落ち着き笑顔を取り戻していた。

夕食ものんびり1時間。
結構食べ 飲んだ。

就寝前には入浴。
予想していたが 湯船に使った時に背中をこすったら垢がぼろぼろ。
入浴時前半は夫が 後半は娘が手伝ってくれた。
足の上がりが悪い所を夫も見て 手伝う気になってくれた。
家人の手助けがあり 状態を知って貰えることは 嬉しい。

入浴後 ドライヤーで頭を乾かして 今日は2階に上がって貰う。
これは 3人がかり。
夫は母が何故力を入れてしまうの理解できないようだった。
余計なところで力を入れるのでかなり手がかかってしまうし危険なのである。
「不安だから 余計な力が入るのよ」と伝えたが 何処まで理解できたかなぁ〜。
「だいじょうぶ」という言葉が 緊張を溶かすのだけれど...。今日は うまく行かなかった。

入浴できたので 母はぐっすり眠っている。


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