母のタイムスリップ日記
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利用者さん 訪問日。 術後 初めての訪問だった。 草刈りをしていると腰が痛み お腹も少し落ち着かない様子だった。 「便秘薬が処方されているようなので 若しかしたらそのためかも知れないけれど 気になるようなら 通院なさってはいかがですか?」とお勧めした。 何時も通りの活動で終了。
家に戻って 昼食を摂ってから母の所に出かけた。 母は車椅子に座っていた。 昨日から痛みがあるようで今朝は立位も難しかったと言う。
様子をみてから 車椅子から立位して貰った。 肩を抱いての立位である。 暫くその場に立って貰い安定してから トイレに誘ってみた。 痛みはある様子で 足がピクッとするのが判った。 それに不安そうでもあった。 ゆっくりと歩き出すと歩行はそう難しいことではなかった。
職員には 痛み止め服用優先で 車椅子は出来る限り避けて欲しいとお願いした。
立位拒否の場面は見ていないので同程度か判断できない。 職員の報告がオーバーとは思わない。 判断も難しいだろう。
2日続けて面会していないので 歩行も少なかっただろう事は想像できる。 これは 私の責任だろう。
外出は避けて 施設内を3回に分けて 3周した。 片手介助でも歩行可能になった。 でも 片手の時には テーブルや手すりに空いている手が伸びていた。
トイレ誘導で 便通あり。小水もあった。
全般的に 心が不安定で泣き出したりであった。 幾度か ぎゅっと抱きしめた。 スキンシップがあると 声を立てて笑った。 自力で気持ちの建て直しが出来ないみたいだなぁ〜。
娘 今日は病欠。 通院した足で施設に出向いてくれた。 久しぶりなので 誰か判らなかったのか 帰ると感知したのかわぁ〜と泣いたりもした。
おやつを食べて お茶を飲んで 今日は帰宅。
六月は今日でおしまい。 一年の半分が過ぎた事になる。
2008年06月29日(日) |
仕方がない…で逃げる |
公民館スペースでの活動展示の手が足りないと言う事だったので 仲間と当番を引き受けた。 とは言っても 在宅で介護中の方は無理で 介護を卒業なさった方と施設入所なさっている方の中で できる方が参加してくださった。
団体登録をして 場所の予約を少しだけ優先させて戴いているので ほんの少しの恩返し。
それぞれ用向きがあるけれど 調整なさって協力してくださった。
今年は ボランティアという形を汲み取ってくださったようで1日の交通費が出た。 交通費と弁当代を加えれば 足が出るのだけれど それでも 心配りが嬉しかった。
会場では ミニ介護者の会が展開された。 新しい仲間も立ち寄ってくださり あれやこれやの話題となった。
家族への思いや病の理解はあっても どうにも受け留めきれなくなる瞬間の事。 そして訪れる自己嫌悪…。 みな それぞれに思い辺りがあり うんうんと…。
と書きながら 母の所に行ってない。 気がかりな事もあるけれど…仕方ない…と逃げ道を準備する悪い娘。 それより何より 今日は夫の休日だった。これも 仕方ないで逃げ切ってしまう…。
昼食を挟んで午後少し廻る頃までは 用事があり公民館スペースにいた。 夕刻から「立川談志・談春の親子会」があった。 娘がチケットを購入してくれていた。
車を飛ばして出かけた先は 歌舞伎座。
入場する前にトイレタイム。 開演近い時間なので混雑を避けてコーヒーショップに入った。 前に1人居たので暫く待つ。 その間にどこかで見た顔の人が近くの席についた。 でもどうしても思い出せない。 いや どういう人かは判るのだ。名前が出てこないのだ。
そのうちに その方私の後ろに並ばれた。 でも「あなたのお名前なんていうの?」なんて聞けない。 どうもしっくりしないまま トイレを済ませて自分の席に戻った。 娘に「ほら あの…」といったら 入れ替わりで娘がトイレに並んだ。
戻ってきて「柳 美里だったね」「そうそう そうだった」とすっきり。 その間に 彼女は会計を済ませて外に出て行った。
私たちも早々に引き上げた。
開演の時刻となったが 一向に幕が上がらない。 こんなことは慣れっこなので 仕掛けかはたまた遅刻かと思っていた。
談志の体調が悪く開演が遅れたようだった。 結局 談志は最後までは残れなかった。 最後の演目「芝浜」を談春が演じた。 今日の日記は その親子会を聞いての感想ではない。
幕間に 再度トイレに入った。 出る時に また 柳 美里とばったり遭ったのだ。 私も驚いたけれど 彼女も記憶に残っているようだった。
トイレでの偶然に唖然としてしまった。
談志や志の輔の独演会では 結構有名人を見かけるけれど 今日は特別だったような気がする。 他にも あちこちに見えていた。 出版関係者が多かったような気もする。
朝日新聞に人生の贈り物と言うコラムがある。 このコラムは殆ど欠かさず読んでいる。 今週は 死の哲学を語るデーケン氏だった。 最終回の今日は 遠藤周作さんに触れていた。
このところ終末期医療について いろいろ考えさせられる事があり 何処かにしまいこんでるデーケン氏の本をさがしてみようかなと思った。
午後母の所に出かけた。 直ぐにトイレ誘導し 着替えて貰った。
汚れた衣類と大判のバスタオルを持って 母と共にコインランドリーへ向かった。 今日の母は 膝がカクンと曲がってしまう事が多かった。
コインランドリーに洗濯物を入れたら 施設に戻ろうかと思ったがどうにもその気にならなくて 乾燥するまでずっとコインランドリーで過ごした。
母と隣り合わせて座って さくらんぼを食べてもらったり お茶を飲んでもらったり…して過ごした。 心の中で幾度も母に「ごめん」と謝った。 自分だったら出来る限り避けることだが 施設だから仕方がないと幾度も自分に言い聞かせ心を整理した。
心を空っぽにして施設に戻った。施設近くまで来た時母の足が止まった。 「戻りたくない」意思を示した。 「どうしようかな」と思って玄関に目をやると入所者のご家族が立っていた。 挨拶をしたら「電話番号教えるから…」と唐突に言われた。 このご家族 おそらく介護鬱。人と話すのが苦手と聞かされていたので 挨拶程度に留めていたのだが...。 「施設に向かう足が重くて 歩いている内に涙が止まらなくなるのです」と以前吐露なさった。 「私にもそういう時がありますよ」と伝えたら驚いていた。 その頃から きっと何か感じるところがあったのだろうと思う。
母に話しかけてくれて 挨拶を交わしているうちに母の気持ちも和らいだ様子で一緒に中に入った。
母をトイレ誘導して居室の椅子に座っていたら そのご家族が見えた。 居室に入ってもらい 電話番号を交換した。 居室が明るいこと 一人部屋であることに驚いていらした。 「いつでも遊びに来てください」と伝えたら 「ここなら来たら楽しいですね。今度は是非そうさせてもらいます」と言われた。
この変化に気がついたのが施設長。 「人見知り溶けていたんですね」と言われていた。
在宅で頑張っている方と比べれば ずっと楽に介護している身なのだが 託しているが故の悩みはある。 多くの家族が おそらく同じ思いを抱いているのじゃないかなぁ〜。 だから 施設の介護者の会が必要なのだと思う。
銀行や郵便局に用事があり 今日は早目に引き上げた。 自転車を飛ばしてぎりぎりすべりこんだ。 窓口は閉まっていたけれど…。
家に戻ってから 菜園に出向く。
トマトやナスの枝を支柱に留めた。 ナスやきゅうりを収穫した。トマトも3個初収穫。
週末から来週にかけては いろいろあって 菜園に行ける機会がないかも知れないから…。
予報通り 気温の低い1日だった。 長袖を引っ張り出して外出。
ついでに傘を捜して歩いた。 お気に入りの傘が そろそろ寿命みたいなのだ。 時折 気に留めて眺めていたけれど…見つからなかった。
大きな傘が好き。 母との相合傘になるので 大きいのがベスト。
今日は見つからなかった。 今が 傘の旬。 きっといろんな種類の傘がお店に並んでいるのだろうから…。 今年こそ 決めたいなぁ〜。
リハビリの日である。 昼食介助 滑り込みセーフ。 今日は ラーメンとデザート。 口をもごもごさせて飲み込みが良くない。 「何が入っているだろう?」とちょっと口をあけて貰った。 メンマだった。 母と時折しなそばを食べる時 苦戦するので1本 それも柔らかそうなものを選んで食べてもらうようにしている。 メンマは 母が好きなのだけれど 最近は難しくなっている。 でも 食べさせてあげたいし…。 最終的には 味を楽しんだら後は出してもらってもいいし…と思っているのだ。 今日もメンマは出してもらった。 それとチャーシューも 油身の少ないものだと噛み切れなくて…。 今日も結構長い食事介助となって 終わったのはリハビリの10分前。
それから 歯磨きを済ませて トイレ誘導して…。 トイレ誘導で 大 排出。母も安心で来た様子だった。
母は今日も何時帰るかと様子を窺っているように見えた。 手を握って暫く傍に居ることにした。
リハビリが始まっても様子を窺うことに変わりなくて 今度はそうっと頭を撫でてあげた。そのうちに眠った。 足を動かす時に痛がった。 やはり 痛みがあるようだった。
リハが終わって トイレ誘導後 お散歩に出た。 外に出ると我意を得たりって感じで 往来する車を「あれ」「これ」と言っていた。 行き先は決めてなかったが 久しぶりにファミレスに入った。
中に入ると他のフロアの入所者と職員がちょうど帰るところだった。 きっと お誕生日なのだろう。 お誕生日の時に職員と一緒にファミレスでお食事するというのが 最近多い。 「あら」「こんにちは」と挨拶を交わした。母も頭を下げていた。 顔見知りとわかる様だ。
自分の昼食が未だなので ここで食べてしまおうと思った。 和食でおかずを選べるセットがあったので 母が食べやすいオクラのおろし合え 冷奴 とろろ を頼んだ。 母のメインは プリンパフェ。
少し混雑していて テーブルに運ばれてくるまで時間が掛かりそうだったので 持参したさくらんぼを母の口に運んだ。 さくらんぼが口に入ったら 軸を引く。 母は さくらんぼを歯の裏側に入れて口を閉じてくれるのだ。 それから 噛む様子を注意深く見守る。 昨年までは 種を出せたけれど今年はどうか…と。 口の中で噛んでいるんだなと判ったけれど 種を飲み込んでしまわないかとひやひやした。 実と種を舌で分けているように見えて 少し安心した。 「種を出してね」と言ったら 舌で押し出した。 やったぁ!うふふふ!
でも昨年は 種を自分の手のひらに出していたのだが…今年はこちらが受け取らなければならなかった。 ほうって置いたら テーブルにペッと出していたかも…。
追加の1個。 これも 同じように出来た。 で結局 10粒のさくらんぼを食べた。 食べるに従い 母の表情が明るくなり 実と種を分けるのも早くなった。
実は先日 さくらんぼを同じフロアの仲間と食べてくださいと運んだ。 その時に 種を取り出して皆さんに分けていた。 「え〜っ」と思ったけれど 個々に状況が違うので仕方ないことなのだなぁ〜と考え直したのだった。 でも 私の勘では きっとテーブルに出てお食事できる方は きっと種を出せると思うのだ。
実は 口の中で実と種を分ける動作は いろんな意味で大事だと思うのだ。 舌を使う動作は 嚥下にも関係してくるような気がする。
元気な人には 無縁だけれど 食事が難しい時期にさしかかると楽しみながら機能維持訓練かわり…なんて 素人考えをしているのである。
病がなければ 自分で判るだろうけれど…。 楽しみながら機能を見られるって介護者の役得かな? 出来た時は 本人も介護者も嬉しくて うふふふっとなってしまう。
母の所に出かける。 母はソファーに座って左に傾きながら うたたねしていた。 声を掛けるともしゃもしゃと話してた。夢を見てた様だった。 職員が「お通じ 後ちょっとかも…」と教えてくださったので トイレ誘導。 無事 良い感じのものが…。
その後 洗濯した物をロッカーに収めようと移動したら椅子から立ち上がろうとした。「荷物を片付けるから待ってね」と言ったら 椅子に腰を下ろした。 置いて行かれる…と感じたようだ。
施設に着いた時 歯科医の訪問診療中で皆さん治療を受けていた。 「入れ歯を直さなければいけないけれど 歯根があり それを治療しないと入れ歯のメンテも役にたたないですね」と医師が付き添う家族に説明していた。 訪問診療も徐々に細かく対応できるようになってきたなぁと感じた。 母は まだ 訪問診療を受けた事がないが だんだんそういう事も視野に入れておく必要がありそうだ。
昼食が始まると 介助の度に口をつぐんだ。 「お腹痛いの?」「頭痛いの?」「気持ち悪いの?」とゆっくりと聞いてみるけれどどうも違うようである。 食事が始まった時 職員に「今日は早目に引き上げます」と話したことが母に理解できたような感じなのだ。 途中で施設長が見えたときも 少し話し込んだら母の機嫌が更に悪化した。 それからは 背中を擦りながら介助。 何とか全部食べたが 食事に要した時間はいつもの倍近くかかった。
水分摂取は積極的で 口濯ぎの時はごくりと飲み込んでしまう事が多かった。 対応はいつもと変わらないのだが…。
片方の手の爪だけ切ってあったので もう片方の爪を切った。 昨日 片方だけ切ったが後は嫌がって出来なかったのだそうだ。 親指の爪を切ってから「綺麗になったね。こっちは未だ伸びているから切っていくからね」と伝えたら 何とか拒否なしで切る事ができた。 今日はここまで。
夕刻から会議があるので そうっと施設を後にした。
家に戻ると家電の着信履歴がいっぱい。 判る番号から折り返し電話した。 夫の会社 地域包括…順次解決。 でも2日連続で掛かってきている番号がある。 折り返しかけると相手も留守電。 急ぎではないけれど 連絡を取りたい人が居るのだろう…。 介護者でなければいいのだが…。
会議はターミナル駅の所まで出向かなくてはいけない。 医療関係の会議である。 いつもいつも 困った事例だけを挙げているので 今日は良かった事例を話の種にした。 会議の始まる前に 訪問看護をなさっているナースとお話した。 その話の中に医師も巻き込んで話し込む。 医師は メモを取って「そうですね そこが課題ですね」といって下さった。
介護保険が導入された頃の訪問調査は 本人の前でいろいろ話さなければならなかった。これは よろしくないと状況のメモを渡したものである。 最近は 調査に伺うときの注意がありましたら書いてくださいという欄が出来た。 こんな風にゆっくりと認知症専門職の方に理解していただけるようになった。
医療の現場にもそういった理解を深めるために認知症理解の底上げを検討していると言うお話を医師から伺えた。 他にも胃ロウ設置についての判断を口腔外科及び耳鼻科の医師の判断も加えて検討すると言う準備に入っているそうである。
これから 終末期医療の選択についてもゆっくりと論議されていくだろう。 医療を受けるのに 本人の意思 家族の意思を確認しながら それぞれの思いに沿えるようになっていくのでは…と思う。 それには やはり本人及び家族の思いを伝えていく事が大事だと感じる。 そういう役目を感じながら会議に出席させて戴いている。 それには 耳を傾けて貰えるための環境を作る事が 初めの一歩なのだろうなぁ〜。
家に戻ったのは とっぷりと日が暮れてから。 大急ぎで夕食の支度。家族の帰りが遅いのが救いになる日である。 今日の晴天で 湿っぽい洗濯物が 久しぶりに乾いた 万歳!
展示の仕上げのため 自転車で会場に向かった。 ボツボツと集まっていた。 取りまとめの人たちは 先に出て準備していた。
仲間とワイワイと準備に取り掛かった。 一時間で終了と思ったがそれよりちょっとオーバー。
飾り終えて 仲間と昼食。 今日は 軽めにと言う事で なかうの酢だちおろしうどん。 我が家でも これを真似て 夏の昼食に登場する。 家で作るとおろしの量が倍にできる。だしの加減も我が家流。 最も 好みの問題で 汁を切ったおろしの好きな人も居るのだろうけれど…。 仲間には この酢だちおろしうどんは好評だった。 なかうを使った方でも これを召し上がった事はないと言われており 今度はこれもいいなと話されていた。
雨雲が気になり 急いで家に戻った。 飾り付けをしている時携帯に電話が入ってた。 折り返し電話するが応答なかったので気になっていた。
先日 相談に見えたご高齢の方なので 家についてから電話をした。 「これから 時間を作っていただけますか?」と言う事だった。 介護以外に背負っていることの話だった。 この話は 個人の特定されると困るので書かないが 極めて異例ずくめのお話なのだ。 私たちに話したり 信頼できる知人に話して 方向性が見えて気持ちが楽になったと伝えたかったようだ。 ただただ 聞くだけしかないのだけれど…気持ちが楽になって介護に向き合う荷物が軽くなるなら それもいいかと二人体制で聞き役。
相談者と別れた後 地域の介護サービスについて話し込む。 立ち話のつもりだったが うんと長くなって駅のロータリーのベンチに座り込んでの話となった。 その前を施設の職員が通り過ぎたので 挨拶して母の様子を聞いた。 「今日は とても機嫌がよくてニコニコです」と教えてくださった。
午後には 母の所に行くつもりで居たので 職員にあえてホッとした。
雨が降ったり 晴れたり 洗濯物を出したり引っ込めたり…なかなか 乾かない洗濯物…この季節ならではの悩みである。あと一息なんだけれど…。 あしたは晴れ?
午前中 菜園に出た。 草が蔓延っていた。 いくら綺麗に抜いても 日にちを経過すればまた芽が出てくるのは自然の摂理だから仕方ないけれど…。
トマトは枝を広げ きゅうりは蔓を伸ばし… 花がたくさん咲いていた。 きゅうりは 太いのが3本。1本で冷やし中華に使う3人前は出来てしまう大きさである。放置しすぎの結果である。 トマトは 実をたくさんつけているけれど皆青い。 前回の時も青かったので1個くらい赤いのがあるかと思ったが…。 ナスも実をつけており 食べ頃の大きさのもの5本。 レタスは放置しすぎで2個溶けていた。 ピーマンも採れた。 春菊は花を咲かせてしまっており ばっさりと茎をカット。 ルッコラは 天道虫がついていて 有機消毒液を塗布。 少しだけ収穫。 青唐辛子も 漬けものに香りつけ出来る分だけ収穫。
子供達が種まきしたブロッコリーは順調に成長。 でも その後子供達が来ている形跡はなく「おばちゃん 時々みてね」の依頼に応えている。 トマトが赤くなる頃に誘って見て貰う事にしようかな。
時折小雨が降ったが 粘って草取り。 しかし 本降りとなって引き上げた。 玄関で「おとうさぁ〜ん!」と呼ぶけれど 返事なし。 数回呼んで ようやく出てきて「そんなに濡れるまでしなくとも…」と言われたが 雨音で「どうしているかな?」って思ってくれないのだな。 「タオルを取ってきてくださいな」と言うまで収穫物をみていた夫。 自分が放置されたら ぶりぶりなのになぁ〜。 テレビを観ていたとはいえ 仕事前なのだから文句は言うまい…。
夫を送り出してから 明日から始まる展示物を袋に詰め込み会場へ向かった。会場に着いて 昨日作りかけた物を入れ忘れた事に気がついた。 完成させる筈だったが 途中までで切り上げた。 なんともドジな話だ。
担当の方が日直で出ており 少し話をした。 イヴェントの手が足りないと連絡が入ったのが数日前。 昨年と比べると一歩下がった形の展示だけの参加なので 情報が入ってくるのが遅い。 出来る範囲でバックアップする旨を伝えた。
夜 仲間にメール配信 返事がぽつりぽつりと戻り 何とかなるかも…とホッとした。
薬を届けに母の所に出かけた。 水曜日から連続している。 今日は 足の痛みはそれほどでもないみたいだ。
風呂上りという母だったが なんとなくブスッとしている。 頭を洗うことは嫌がったようだ。 「気持ちよかった?」と職員が聞いたら 首を振ったそうだ。 入浴は やはり週1だなぁ〜。 大変になってきているのは間違いないけれど…。
居室に誘導して椅子に座って様子をみた。 押し黙っている。 若しかして…と思いトイレ誘導したら 少しパットが濡れていた。そして音がした。我慢していたのだろう。 「気がつかなくてごめん。悪かったね」と言ったら 小さく頷いていた。
その後歯磨きをして 着替えてお散歩に出た。 アロエエキスが今朝で終了したので 近くのドラックストアまで。 トイレでは 自力で手すりに掴まって立位していたので 今日は足腰に強い痛みはないのだろう。 歩いても辛そうではなかった。とはいっても 自力で歩行は無理なのだが…。 休息なしで 買い物を済ませ帰り道の3分の1くらいまで歩いて休息。 おやつは済んでいるので アイスをちょこっと戴く。
それから また歩き出して施設に戻った。 結構 汗ばんでいた。
お散歩に出る前に 私の首にネックレスが光っているのを見つけた母は「それは…」と言った。 「つけてみる?」と聞くと小さく頷いたので 母の首にかけてあげた。 手で触れて嬉しそうな表情を見せた。 鏡の前に行ったら 髪の毛や洋服をきちんと自力で直していた。 普段 ネックレスは避けるけれど したいと言う意思を見せた時にはつけてあげてもいいのかなぁ〜。 濃い紫の無地のTシャツにゴールドのネックレスはぴったりだった。 私がしているよりも似合っていた。
トイレ誘導しているうちに 夕食となった。 相変わらず視線で追う母だったが 職員が気を利かせて母の傍に移動してくださり そうっと施設を後にした。
今日は薬だけ届けて 家に戻るつもりだったのだが お天気に背中を押されお散歩できた。
帰り道 美容院に立ち寄りカット。 外に出たら雨。 生憎傘もなくて 小走りにかけてスーパーに入って雨宿り。
家に戻れば 諸準備があって気が重い。 菜園も気になる…。
先日 相談受けた日に地域のイヴェントの打ち合わせの予定があった。 あの日 長い時間 いろんなお話を伺って予定をすっかり忘れていた。 時間的にも無理だったのだが…。 欠席の連絡をしなかった。 メンバーから何の連絡もなかったので その日1日欠席した事も忘れてしまっていた。
今朝 慌てて電話をしてお詫びし 打ち合わせの内容を伺い その他の事でもいろいろお話をした。
電話を切って 母の通院をどうしようかと考えた。 午前中は無理な時間となって 午後の診察にしようと決めた。
それにしても 通院自体が結構ハードルの高いものとなってきたなと感じる。 通院のための足。 予約制の移送の団体に電話してみた。 車椅子対応車もあるけれど普通車もあるそうである。 会員制なのだが 介護者も同行しようとすると 介護者も会員になる必要があるのだそうだ。 年会費3000円。 1時間枠で1000円。30分ごとに500円。ひと月に一度の通院なら 交通費2000円となる。 タクシー往復でも2000円を少し越えるのでメリットはある。 ただ 予約しなければならない。 キャンセル料金は1週間前なら無料。 でも 殆どの場合キャンセルは直前だろう。 通院の帰りに調子が良ければ 足を伸ばすがキャンセルなら料金が派生するなあ〜。
料金の差なんて微々たるものだけれど 最近の値上げで微妙に家計が圧迫されているものなぁ〜。
タクシーだと気を使うことがあるけれど…。 さてなぁ〜 どっちが良いかなぁ〜。
やっぱ 車の運転開始したほうが良いのかなぁ〜。
つらつら考えながら 母の施設に向かった。 施設に着くと今朝 母は排泄の失敗で泣いてしまったそうだ。 直ぐにトイレ誘導したら かなり緩かったそうだ。 職員もこんな母を見るのは久しぶりで驚いたそうだ。
昨日 紫陽花見物に出かけた折 ソフトクリームを食べた。 それもヨーグルトのソフト。
ちょうど2日ほどお通じがなかったので「これくらいなら…」と量はかなり控えたのだが…その時ひょっとしたらと言う予感があったのだ。
母は失敗した事は記憶に残っていないかも知れないのだが 何かしくじったと言う事だけは記憶にあるようで 非常に不安な状態だった。 居室に入るとしがみついてウォンウォンと泣き出した。 「大丈夫 だいじょうぶ」と言いながらギュッと抱きしめるしかなかった。 直ぐに薬を貰いに行くわけにも行かない雰囲気で 室内歩行したり頭を撫でたり 足の痛みをチェックしたり…様子をみた。 昨日もう少し配慮したなら 辛い目に遭うこともなかったのだ。 あいたたたた!と言う感じである。
足の運びもちょっと良くなかった。 これで通院はちょっと負担が重いような気がしたので 母は同行しないことに決めた。
薬を処方して頂き 買い物をして我が家に戻った。
帰路 近所で昨年まで地区の民生委員を務めていた方と出会って立ち話。 民生委員さん 体調を崩されて辞められたとうかがった。 今は 特養に食事介助のボランティアをなさって言われていた。 自分の楽しみだけ追っていると虚しくなって来るので 社会とかかわりを持つようにと思っていると話してくださった。
…昨日の続き… 多くのケアマネさんは 本人のため 介護者のために真摯にお仕事なさっていると思う。
けれど その方のお話をお聞きして まだ こういう方が居るんだと哀しくなりました。
「ご家族が ショートやデイケア利用できるようになったのは 私が懇意にして居るところなので可能になったのです」と言われたそうだ。 ショート利用の事業所 デイケアの事業所 いずれも誰でも利用可能な所。 母も同じ事業所で デイもショートも利用させて戴いたことがあり どちらも顔なじみです。
もうひとつは ケアプランをケアマネが立てて 何の説明もなく「来月はデイケア3回のみです」と言われたそうです。 おそらく 他のサービス利用が増えて 介護保険利用限度を超え 全額自己負担になるので そう言われたのだと想像できます。 けれど それならそうと説明をすべきでしょう。
「ケアマネは 替えられますよ」と以前から 詳細を説明していたのだが…。 ケアマネを替える話をしたら 離れて暮らしている家族にその旨を伝えて 家族から「替えない方がよい」と言われたそうだ。 いずれ世話になるかも知れない家族から言われたら 萎縮してしまうと話されていた。
この方は ご高齢ではあるけれど 十分自立なさっており 前向きに介護なさって居られるのである。 ケアマネについては 役所に出かけて相談なさった事もあり そこでも「ケアマネを替えた方がいいですよ」と言われたそうだ。
どの話を聞いても 本来ケアマネの業務をしているだけなのに 自分がしてあげているという姿勢を感じた。
実は ケアマネのトラブルは介護仲間にもう一件ある。 1度事業所に申し入れをして事業所内で話し合いをして貰った事がある。 ケアマネを替えないまま 今に至って居る訳だが…。 また 似たようなことでトラブルとなってしまった。 この方にも ケアマネを替える事を薦めているのだが…。 替えて 事業所と気まずくなるのも嫌だなぁ〜と言われている。
ケアマネを替えて介護がしやすくなったという体験談は 介護仲間もお話しているのだけれど…。 踏み出すのに勇気が居るみたい。
地域包括の存在や役目も含めて ゆっくりと説明して理解して戴いたので これから改善されて行くと思う。
さて 今日は家で作業をする予定で居たのだが 施設から「紫陽花を観に出かける」という連絡がはいった 。 事前の打ち合わせで現地で合流という事になっていたが 急遽変更し施設から一緒に出かけることになった。 午後 施設に向かった。 椅子から立ち上がった瞬間に両膝がカクンとなった。 やはり筋力が落ちてきているかも…。
トイレ誘導後着替えを始めたら 出かけることを察知できた母だった。 「でかけるよ」と伝えたら小さく頷いていた。 付き添いは 職員と私。母と入所者の4人でドライブ。
目的地につくまでは 不安そうな表情も見られたが 次第に落ち着いてきた。 母は幾度も来ている場所である。 昔から来ている場所なので 園内の様子は十分わかっている。 紫陽花も眺めながら あちらこちらを廻った。 紫陽花も綺麗だったが 復元した水車や古い民家は同行した入所者や母には昔の風景を思い出すよいきっかけになった。 古い民家は 囲炉裏のにおいまでして…柔和な表情になった。 わらを打つ小槌をみて「これでわらを打ったものよ」と話したり…。 イナゴを採って佃煮を作ったお話とか…。
他の入所者も先に来ているのだが 職員は古民家の存在までは知らなかったみたいで「良いところがあるのですね」と驚いていた。
雨の心配もあったのだが 降られずに済んだ。 車椅子や身障者トイレも十分にあるので デイで来ている人たちも見かけられた。
施設に着くともう夕食の時間となった。 帰宅しようとしたが 母がずっと視線で追い続けるので配膳されて食べ始めた頃にそろりと施設を後にした。
母とのお出かけの時は楽しくて いろんな事をすっかり忘れてしまったけれど 家に戻れば現実に引き戻されて ため息が出た。
リハビリの日である。 が 重なるように用事ができた。 介護仲間の相談。
お弁当を持って早目に母の所に出かけて トイレ誘導したり食事介助したり…。 椅子から立ち上がって歩いて貰おうとしたら 膝がカクン 足が思うように出なかった。立ち止まった儘 右足上げて 左足上げて…と向き合って動作を付けて話しかけた。 母は 右足も左足もちゃんと上げられた。 その後 ゆっくり歩くと傾きながらも 介助つきで歩けたのでホッとした。 まだ 足が痛むようだ。
いつもおいでの介護者が今日はお休みだった。 ご自身も体調管理の必要があるので 時に 休まれればいいのに…と思っていたので良かったと思う。
昼食が終わった頃 白内障を手術なさった入所者の方が家族と共に戻られた。 前回は 眼帯の後がくっきり残って痛々しかったが 今回は綺麗だった。 「良かったですね」と話しかけたら「はい ほんとに良かったです」と経緯を軽く話してくださった。 2泊3日の付き添いは 介護者もさぞかし苦しかっただろうと思う。 でも お疲れの筈だが 活き活きとした張りのある表情がとても不思議。 そして ご本人も笑顔に満ちている。
とても難しい方のなのだが…病院での2人3脚の日々が自信に繋がっているように感じた。
リハビリが始まり 母も静かにリハビリを受けていた。 そのときに携帯が鳴った。 介護仲間である。 ご高齢で耳が遠く こちらの話が届かなかった。 「静かなところに移動して 再度電話します」と言われたので 療法士さんと職員に後を託して 直ぐに移動。
介護に詳しい介護仲間に連絡して 先に行ってもらう。 移動中に 再度電話があり 何とか通じたが細かい話は聞きにくいだろうと思ったので 待っている場所を確認して電話を切った。
ようやくお会いできて 話し合う場所に移動し介護仲間と合流。 そこで じっくりとお話を伺う。 介護のお話と思ったのだが…最初の話は 終戦近い頃の体験談だった。 これには 聞く私たちには 戦争体験から何が引き出されるのだろうかとあれこれ想像した。 戦争体験のお話は その方の背負っている重い荷物だったのだ。 介護と同じくらい いやそれ以上にその方にとって 重たいものだったのだ。 留まる事を知らない位にその話は続いた。 でも 介護の話があるはずと思い 途中で「デイは何時までですか?」と切り出してみた。 時間に制約があることを感じてくださり 途中の話を端折りながら介護の話となった。
高齢者世帯なのだが どうもケアマネの対応がおかしかった。
介護についてのお話は あしたにします。
これまでかりかり梅漬けにチャレンジしているが 最初はかりかりでも結局普通になってしまってた。
今年 小ぶりの青梅を頂いたので かりかり梅を作ってみた。
冷蔵庫で保存すれば良いのだろうけれど 3キロを保存ってなぁ〜。 重石も入れたら6キロになってしまうもの。
軸のところを楊枝で取って 水に浸して 水からあげて 綺麗に拭いて…。 塩でよく揉んでから 卵の殻を入れて漬けてみたけれど…。
さて どうなることか?
今朝 メールチェックして不要のメールを削除した…つもりだった。 画面が切り替わる直前に 操作の過ちに気がついた。 取り返しのつかないミス。 6月に戴いたメールが 全て消えてしまった! あちゃ! と言う訳で 迷惑をおかけする方もいるかと…。
今朝は 珍しく8時前に 家人はそれぞれの職場に出かけた。 そんな訳で 洗濯物を干して 早々に庭に出て草取りと剪定。
どくだみは 今 白い可憐な花を咲かせている。 可愛いからと放置しておくと繁殖率が高くて…面倒な事になってしまう。 根こそぎ抜くのが一番だが ついつい手抜きも多く 先日抜いたところにまた新しい葉を広げていた。 と言う訳で 夏の間は 追いかけるように草取りとなる。
オキザリスも放置していたらピンクの花を咲かせていた。 道端で見かけると「綺麗」と眺めるのだが 屋敷内では勘弁してほしい。
1時間ちょっとで 何とか予定のところまで片付けた。
ぶどうの棚をみたら 実が少し太ってきていた。 でもつるもずいぶん延びており 他の木に絡まりかけているので 誘引した。
施設から連絡がないので 今日はお出かけしないのだろう。 昼食を大急ぎで食べて 母の所に出かけた。
母は機嫌よく ニコニコ笑顔。 午前中のうちに 大を排出したという事だった。
居室に誘導し 歯磨き。 口を数回すすいで貰ったが 下の歯茎のところには 食べかすが溜まっていて取れなかった。手でちょっと取り除く必要があった。 入れ歯 少し合わないのかもしれない。 通院どうしよう? かみ合わせのチェックが難しいからメンテで改善何処まで出来るかなぁ〜。
その後トイレ誘導。 小を2回。
居室の椅子に座ってもらい 衣類の入れ替えを見守って貰った。 パジャマもキルティングのものは片付けた。 家に泊まった時には 薄手のものに切り替えたが 施設の状態が判らないので職員に伺った。 「蒸し暑いとエアコンが軽く入ることもあるので まだ 冬物でも大丈夫かと…」といわれた。確かに 大勢の方のオムツ換えでは 汗だく間違いなしだものね。
長ズボン下や長袖シャツは さすがに要らないだろう。 長袖シャツは2枚のみ残して 後は片付けた。 薄手の長袖セーターや厚手のブラウスやトレーナーも片付けた。
残したのは 麻やサマーニットの長袖カーディガンや綿の長袖ブラウスは未だ残しておいた。エアコンが入ると必需品だから…。
しまおうとして汚れが目に付いたものがいくつか有ったので コインランドリーへ行く事にした。 母がおやつを食べ始める時に 先に出かけて洗濯機を廻して 食べ終えてから母と共にお散歩しながら出かけた。
出掛けにトイレ誘導しなかったので 母には気の毒な事をしてしまった。 出るというサインをくれたのに 歩行中で対応できなかった。 母の哀しそうな表情をみて「ごめんね」と詫びた。 母は 小さく頷いてくれた。
コインランドリーは エアコンが効いていて気持ちよかった。 持参していたお茶とチョコをひとかけ。 帰る前にトイレ誘導してから…。 足が痛み出しているようだった。 施設に戻ってから シップ薬を塗布。
夕刻になって 母は「帰る」を連発。 寂しそうな表情だった。 ギュッと抱きしめたら 安心した様子となった。 帰る時間だと何となく感じているようで視線で追ってきた。 夕食の配膳が始まる直前に そうっと施設を後にした。
父の日を前に夫が言っていた。 「父の日には 食事の準備はいらない。自分が奢るから…」って言ってた。 「いいのかなぁ〜」と思ってた。
今朝「夕方から仕事」って言い出した。 結局 食事はお流れ。
プレゼント準備していなくて 娘と夕刻からお買い物。 仕事に向かう時は いつも歩く夫。 タオルは必須。 細長いタオルを使ってもらっているが そろそろ買い足す時なので こじゃれたタオルと今より細いタオルを購入。 汗だくになるので せめてタオルくらいおしゃれに と思う。
娘は カメラのほこりを取る道具とフィルムを購入。 実は 最近 夫は古いカメラを集め始めている。 もともと 写真が好きで 若い頃は自分で現像していた。 でも結婚してからは だんだんカメラから遠ざかっていた。
最初の一個のカメラは「郷愁の念?」と思っていた。 次の時も「あら そうなの?」と思ってた。 それが あっという間に6.7台のカメラが並んだ。
収集だけなら 誰でも出来る。 次のステップへのつもりで フイルムとレンズの埃取りのセットにした。
さて 行動に移ることはあるだろうか? 飾るだけの趣味で終わってほしくないのだが…。
今朝の地震 水遣りをしていて気がつかなかった。 家に入ってラジオから「地震がありました」と聴こえて 慌ててテレビをみた。 夫が テレビをみており「かなり強かったんだなぁ」と話していた。
それから 家事をしながら時折テレビに見入る。 しかし 情報が入ってこなかった。 いとこや友人も住んでいる地域で電話確認したい気持ちになったが こういう場合遠慮すべきとじっと我慢。
もう 夜になって 震災の地域では どんなにか不安な事だろうと思う。
午後 母の所に出かけた。 足の痛みが気になるし 入浴も…。 母は じっと頭を下げたりして 調子が良いとは思えなかった。
職員のお話に拠れば 午前中 昼食はニコニコ笑顔を見せていたようだった。 痛み止めが切れて足が痛むのか?それとも腹痛か? 聞いても曖昧で 判断が付かなかった。 話しかけて 一瞬笑顔を見せるのだが 直ぐに曇ってしまう。 ギュッと抱きしめてみても その時だけ。 少し 室内歩行をした後で「いつも頑張って偉いねぇ〜 有難う♪」と言ったら 涙がいっぱい溜まってきていた。 母も頑張っているという意識があるんだろうと感じた。 しかし「おかちゃん」以外 言葉が出ない。
歩行は 足を引きづる程ではないが 付け根から足先まで軽く押していくと痛がる。やっぱり 足なのかなぁ〜。
職員に浴室でシャワーを浴びさせたいとお願いした。 幸い 空いているというので おやつ後シャワー。
脱衣室に移動して 服を脱がせようとしたら袖をギュッと握っていた。 「あ ごめんね。ちょっと洋服脱いでみようかぁ〜」と母の気の緩みを見ながら脱衣。浴室に入る頃には 落ち着いていた。
椅子に腰掛けてもらって 足浴。 それから体を洗う。 少し嫌がったので タオルを渡して「自分で洗ってみて」とお願いした。 不信の視線を浴びせていたが 自力で体を洗い始めた。 こちらは背中から洗う。 シャワーで洗い流してから 頭の後ろ側にちょこっとシャワーを掛けたら…。 「これが 1番嫌なんです」とはっきりとした言葉で言った。 「ごめんね」と声を掛けて タオルをぬらしてゆっくりと頭を拭いていく。 これだと強く嫌がらない。 歌を唄ったり 話したりしていたら「話さないで!」と訴えたので 話すのをやめてシャンプーを頭に塗って ごしごし。 そんなことを繰り返しながら 何とかシャンプーも済ませ 再度シャワーで流して終了。終われば 安心したような表情になる。 「ごめんね。嫌な事して。浴我慢してくれたね。有難う」と数回伝えた。
洋服を着用した頃には 何事もなかったようになっていた。
居室でドライヤーをかけて 持参したお茶で水分補給しホールに移動したら もう夕食だった。 定刻何だけれど でもきっと母のために少し待ったのかも知れないと思い できるところまで食事介助。
3分の2ほど食べ終えたところで 職員にバトンタッチ。 そうっと施設を後にした。 気になってた体を洗ってあげられ良かった。 10日ぶりと思う。 シャワー浴にしたのは 足の痛みがあるようなので用心のため。
家に戻ったら 友人から電話が入っていた。 折り返し電話をしたら 地震地域の友人と連絡が取れ無事だったという事だった。そして 月曜日に 家元の所に用があって こちらに来るけれど逢える?という聞かれた。 残念だけれど 時間の余裕がないのでお断りした。
夫が帰宅して 友人が両親にグループホームに入所して貰ったという話を聞いた。なんと一月25万円。二人で毎月50万円の出費だそうだ。 離れて暮らされて 何となく認知症気味というお話を伺って居たけれど 引き取られて介護なさっていらしたことは知らなかった。 決めるまでに 悩まれた事だろうし 更に費用も大変なことだなと感じた。 よく空いていたなとも思うけれど 費用の高いほうの施設だから空いていたのかもしれない。 他のグループホームも終の棲家というよりも特養入所の通過施設になっているみたいだ。 なかなか 厳しい現実である。
午前中は 依頼されていることのマトメ。 何とか仕上げて ファクシミリ送信して一仕事終了。 追い込まれないと動かない悪い習性だなぁ〜。
午後一で母のところへ。 母は 椅子に座ってニコニコ。 他の入所者の方に順繰り挨拶し最後に母のところへ。 直ぐにトイレ誘導。 ずっしりと重いパットだったが 便座に腰を下ろしたら音を立てて小。 その後 中量に足らない位の大。 職員の話に拠れば 昨日もあったと言うので 3日連続排泄があると言う事だ。 細めだが 良好なものだった。
トイレ誘導の時の立位で足の運びがおかしいと感じた。 そこで 膝をあげてウォーミングアップをしてから 歩き始めた。 また痛みが出ているようだ。 後で職員から報告を受け 今朝足の痛みを訴えていたと言う事だった。 今日は 痛み止め服用することにした。
今 施設では 様子を見ながら 順繰りにアジサイ観賞にお出かけが続いている。母もそのうちに出かけるだろう。 移送の車の人数制限があるというので 出かけるときには連絡を戴く事にした。 現地で落ち合う事になると思う。 今日もお出かけの方がおり おしゃれなその方のために紅を引いて差し上げた。 化粧も 本人にとって迷惑な時もあるので全員にと言う訳ではない。 ただ 外出しなくともして欲しい方にも紅を引いて差し上げた。 いつもなら 母はそんなに喜ばないが 他の方の様子をみて「忘れていませんか?」と言う表情だったので 母にも紅を引いた。
夜 会議があるので長居出来ないのでお散歩には出かけず 室内歩行をした。 母は 直ぐに座りたがった。 腹痛かと思ったが どうも足の痛みがあるからのようだった。
おやつの介助をして ベットでお過ごしの方と少しおしゃべりをした。 今日は 笑顔が少なかったが でも話しかけに対して頷きが見られた。 「元気で居てくれて 嬉しい!」という言葉に強い反応があった。
おやつ後 職員にお願い事を伝えて そうっと施設を後にした。
今日のトイレ誘導は 初回の重たいものを除けば ばっちりとタイミングが合っていた。
夜の会議の後 懇親会があった。 家に戻ったのは 11時半過ぎていた。 ある事業所の方が「地域での活動はお金に関しない働きなので とても興味がある。是非参加したい」と話されていた。 今 介護者の会とは別に 地域に出来るサポートに取り組んでいる。 秋に向けてのイヴェントに強い味方が出来たと思う。
そうそう 先日地域包括につないだ方から 相談日の確認があった。 地域包括では 解決しなかったのかなぁ〜。 それとも ゆっくりと傾聴する事で解決する事なのかなぁ〜。 なるべく人の居ないところで…というのがご希望だった。
昨夜 介護仲間から電話があった。 時折相談を受ける方だが まだ介護者の会にお見えになっていない。 認知症気味ではあるけれど…まだ 介護保険とも縁がない。 地域包括への相談も知らせてある。 が 難しい事例ですねと言われたそうだ。
「介護者でもないのに すみません」と言われたので「十分な介護者ですよ」と伝えた。
今日 お会いして「十分介護者と言われて 私も介護者かぁ〜としばし考えた」と笑って居られた。 案外すると 初期または入り口近くにいる人は 介護と言う言葉に馴染まないかも…と思う。
でも 予備軍なのだと思う。
実は 今月会の開かれているところまでお見えになったそうだ。 でも 真剣に話しているところに遅れて入るのも憚れ 帰られたそうである。 「介護者の会は 遅れても早退しても自由だということは伝えてあったのだが…」 「次回には 足を運んで見ます」と言われてた。 2時間余 じっくりと話し込んだ。 取り留めのないお話だけれど 肩の荷が下りたと言われていた。
家に戻って 少しパソコンで纏めの作業をしていたら 電話があった。 役所からで 明日の会議の確認とその他2点ほど。
受話器を置いた途端 また電話。 今度は 美容学校から。 昨年 介護者と本人のリフレッシュのためのミニデイを試験的に開始すると言うお話とボランティアのお話だった。 ハンドマッサージやお化粧療法等を施すミニデイの話は 昨年から相談を受けて「介護者のためにも ぜひ実現してください」とお話していた。 母の体調が良ければ 是非とも参加してみたい。 ただ ここからは少し遠いのだ。 ボランティアのお話も 間に入って協力させてもらうと伝えた。
こちらからもイヴェントへの参加協力をお願いした。 昨年は イヴェントが学祭と重なっていたので無理だったが 今年は前向きに検討くださるとの事だった。
電話を置いて 介護仲間に電話した。 頼みたい事があったから…。 いつも溌剌と頑張っておいでの方でも やはり皆さんぎりぎりのところで介護なさっておいでだなぁ〜と感じた。 介護者の周囲は それぞれ事情がある。 本人を支えるため 相応の忍耐と努力を重ねられている。
「依頼に応えれなくてごめん」と謝られたけれど「余力があれば…」の前提のお話だからと伝えた。 「役所のリフレッシュ事業のお誘い」のお願いだったのだ。 皆さん リフレッシュは考えて居られて 広報にも目が留まっていた。 参加できないのは デイの送迎時間の関連や戻ってから また介護すると思うと参加できないという。 もっともな事で「無理ですよ」と役所には伝えてあるのだけれど なかなか改善されないなぁ〜。
2008年06月11日(水) |
階段はやっぱり無理か? |
リハビリの日である。 早目に昼食を摂り 母のところに向かった。 天気予報に拠れば 午後 所により雷雨との事だったが自転車で…。
湿度が高く なかなか蒸し暑い。 昼食 あと一息と言うところで 職員とバトンタッチ。 介助していて 食器を片付けにキッチンに行き 戻ったら汁椀を手に持って自力で飲んでいた。 「やったぁ〜」 思わず母の頭を撫でてしまった。
食後 居室に移動してトイレ誘導。 小のタイミングがばっちり 何となく臭って母も痛みのある表情なのでお腹をマッサージした。程なく「大」少なめだが 調子よいみたい。
リハビリが始まり「おかちゃん」も発せず リハを受けた。 途中 うとうと始めて終了する頃にはぐっすり眠っていた。
母が寝ている間 ホールに出て 入所者にハンドマッサージ。 家からマッサージのクリームを持参した。ついでに爪磨きも…。 実は 少し前 母の手に誰かが 爪をコートするものを塗って下さっていた。 どなたが施して下さったかは不明。 でも 心当たりはある。 以来 時間にゆとりがあり 母も安定していたらハンドマッサージもいいかなと思っていたのだった。
「手をマッサージさせていただけますか?」と伺うと ニコニコ笑顔で「いいのですか?」と聞かれた。 クリームをゆっくり伸ばし始めると 穏やかな表情でお話してくださる。 おそらく 私を褒めていてくださる。 認知症といえども 心地よいと感じた時には「ありがとう」という気持ちでいる事を何らかの形で表してくださる。 「もういいですよ」と言う言葉を合図に もう片方の手に。 終わったら 爪に花のシールを貼って差し上げた。 その時 なんとも言えぬ 女性らしい表情となった。
ホールにいるもう一人の方にもハンドマッサージ。 この方 手に触れるとギュッと握る方で時に爪でギュッと握られるので痛い思いをなさっている方もいる。 でも マッサージしている間 リラックスなさって握る事もなかった。 穏やかな表情となっていらした。 自分が迷惑をかけていると思われているようだった。 時に強くアクションしたり言葉が荒れる事もある。 自覚しておいでだろうと思っていたがやはりそうだった。 「笑顔がなんとも言えないほど素敵です。そして優しいですね」と話しかけたら「そんなことはないのよ」と話された。
母の様子を見に行き そろそろと立位してもらう。 立ち上がってからも安定していた。
母にもハンドマッサージ。
トイレ誘導後 お散歩に出かけた。 近くの公園まで。 薄着に着替えてのお散歩だったが 母の顔にも汗が滲んでいた。
本当は 今日のようなお天気の時には 入浴させたいのだが 生憎 順繰りに入浴してたので 自粛。 でも 家で入浴したのが一週間前なんだなぁ…。
公園では 中学生が水飲み場で水遊びしていた。 近くに行ったら 中学生直ぐにやめて 通り過ぎたら またキャーキャーと遊んでいた。人に迷惑をかけないと言う意識があるんだなぁ〜。
騒ぐ声を聞きながら 公園のベンチに座って休息。 中学生のいる公園より一段下にあるところに腰を下ろした訳だが 手作り風の4.5段ある階段を下りる時 母は怖がった。 肩を抱いて ゆっくりと下りた。 帰りは ロングのスロープを使って別のルートにした。 坂道なら 上りも下りも何とか行けそう。
ベンチに座って上を見上げると緑色のもみじが重なって その隙間からうす曇の空が見えた。 二人で飽きもせず 空を仰いでた。
それから 家から持参した梅ジュースと梅羊羹を食べて貰う。 梅ジュースは 冷凍しておいた梅で作ったものだ。 新しい梅も出てきたので 残り物処理といったところ。 薄めに作ってきたので 飲み口も軽く ちょうど良かったみたい。
エッチラオッチラ 施設への帰り道 分岐点で「こっち!」と母の強い意思表示があった。 汗ばんでいるのに早目に帰ったほうが良さそうだったが 母の意思を汲んで遠回りした。
施設に着いた時 ドアに鍵が掛かっており往生した。 チャイムを幾度か押したけれど無反応。 中から職員の声は聞こえるのだけれど…。 車椅子の方が気がついて ドアの傍まで見えて 鍵を開けて下さろうとしたけれど 高いところなのであとちょっと足らない。 危ないので「無理しないでいいですよ」とドア越しに伝えた。 すると自力で移動して 職員に伝えてくれた。 言葉も不自由なかたなのだが 職員がキャッチしてくれ ようやく開けて戴く。
トイレ誘導しジャストミート。 その後 汗を拭いて手を洗って みんなでおやつを戴く。
落ち着いたので そうっと施設を後にした。 雨は降らず 無事帰宅できた。
昨夜 庭師さんから電話があり「茶毒蛾の消毒伺います」と言う事だった。初期に見つけて 枝を払ったり 消毒したりで応急処置はしておいたので酷く繁殖している様子はなかった。
「昨年 消毒して貰ったのに椿が坊主になった」と伝えたら「初夏から秋までに3回繁殖時期があるから 一回逃れても次の時に繁殖する事は考えられる」と言う事だった。
午前中は もみじや山椒やヒイラギ南天等 軽く剪定をした。 山椒やヒイラギ南天の剪定はとげがあるので苦手だが 仕方ない。 特に山椒は お隣の軒下近くにあり 背が高くなっているので 秋に風が吹くと迷惑をかけるので…。 ついでに 山椒の実を採った。 これも 追加で佃煮にする。 だしを取ったあとの昆布で佃煮を作る時や冷奴の時に香り醤油に使うのである。
さて ガビチョウのホームページのURLの貼り付けのお許しを戴いたので 掲示板に貼り付けてあります。 良かったら ご覧ください。
鳥ついでに 少し前 ホトトギスが夜鳴いていたと記したが…。 ホトトギスは 夜鳴くものだったと思い出した。
「ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる」
もう 忘れっぽくて…♪
庭の隅に 何年か前鉢植えの花が咲き終えたので地植えした。 南側だけれど日の当たらない木の下に植えたので 成長も遅かった。 でも生きているなと時々確認していた。 今日見たら つぼみを持っていたのだが…。 それが 植えたものと違う様子だった。 花の名は忘れたが オレンジ色の花だった。 が どうもアガパンサスみたいなのだ。 アガパンサスは 今年 株分けしたけれど その場所に植えた記憶がない。 狐につままれた感じである。
お弁当を作って 母の所に向かった。 時折霧雨が降りだし 予報では夕方から雷雨と言う事だったので スタコラと歩いて駅まで それからバスに乗って…。
ホールは 何となく人が少ない。 聞けば 一人は通院で一人はアジサイ観賞のため外出だそうだ。 「今日 認定調査だそうですね」と話す前に職員から言われた。 行事があるとは伺っていなかったので 当日早めに出向けば大丈夫かと思っていたのだが 何となくそういうことでもないような雰囲気だった。
着いて程なく昼食となって 食事介助。 のんびりとだったが 全量摂取できた。
食後 ミキサー食介助なさっているご家族が 気持ちが揺れているように感じたので 一緒におしゃべりしながら過ごした。
私にも経験があるので判るのだが みんなが食べ終わってからも 食事介助をしていると「早く食べて欲しい」と言う思いと 遅くなって迷惑をかけると言う思いに駆られ 辛くなってしまうのである。 「食べさせたい」「食べてもらいたい」の思いが根底にあるのだが それでもじりじりとした気持ちになってしまう。
お付き合いしているうちに 母のトイレ誘導が遅れて 食後の誘導は失敗。 でも「大」のタイミングがあって 結果オーライみたい。
歯磨きを済ませて顔を拭いて 椅子に座って貰った。 その間に別の方のお部屋を訪問して 足をマッサージして屈伸運動。 上体を自力で起こして 表情が戻った。 以前のように 言葉を聞き取ろうとして頷く。 ある程度は 出来ているのだけれど 歩けてお食事できていた頃のような表情となられ 嬉しかった。
そこに職員が見えて シーツ交換と入浴があるので車椅子に移乗して 30分ほど起きていて貰うということで 車椅子移乗後 母の居室で過ごして戴く。 部屋で足のマッサージしていたら 気持ちよさそうな表情となった。 その表情を見た母も嬉しそうにニコニコしていた。 認定調査の方が見えたので 20分程度で切り上げる事となった。
認定調査は お約束の通り 「お名前は?」「お年は?」と質問を受けるが答えられる筈もなくて…。 調査なさる方も十分承知しておいでだ。
前回の時は 骨折後の後遺症が未だ残っていた頃である。 後遺症ゆえに足の動きが悪かった。 でも今回は 違う原因で動きが悪い事を伝えた。 前回の調査を踏まえながら 質問が続いた。 良くなっているところ 悪化しているところ でこぼことあった。
その後 職員からも聞き取り調査があり 全て終わった時 母の所に再び戻って挨拶なさって帰られた。
おやつの時間となって お茶と饅頭。それと家から運んだあんこ玉。 お腹も満たされ 再度トイレ誘導して その後室内をくるくると歩いてもらった。
程よいところで ソファーに座ってもらい テレビに見入ったところで そっと施設を後にした。 家について程なくした頃 雷があってにわか雨。
夜 介護仲間から電話があった。 少し込み入った話で話し込む。ショートのトラブル ケアマネとの事の話等だった。 笑ってお話くださったけれど 介護者は 苦しいなぁ〜。
さて 昨日の日記に書いた名前の判らない鳥が判明した。 掲示板に経緯を記してあります。 「ガビチョウ」という名前でした♪
昨日の日記は 後日あらためて書きます。 いろんな事がありました。
今朝は 小鳥の賑やかな声で目覚めた。 この鳥は? ヒヨドリ気持ち小さく 体は茶色 くちばしは黄色。 起き抜けの頭では 特徴すらつかめなかった。
この鳥 このところ結構鳴いている。 一羽だけかと思ったら 庭を見下ろしたら5.6羽いた。 でも 枝や電線に止まっている時は 殆ど一羽。
午前中 躍起となってネット検索したが 見つからなかった。 けして 珍しい鳥ではないと言う事はわかっているのだが…。
鳥の図鑑を屋根裏に取りに行けばよかったのだが…。
今日は 家族揃っての休日だった。 昼過ぎ 夫と久しぶりに散歩に出た。 3時間余 川べりをスタスタ…。 アジサイの名所が折り返し地点。 薄日のさすお天気で 少し蒸し暑かったが 休息に受ける風は 格別の涼風だった。
家に戻って夕刻 また鳥が鳴いていたので 今度は双眼鏡を持ち出してウォッチング。頭の両サイドに白い紋があった。 今日は 探しきれなかったが これなら探せると思う。
夕方からは 今度は娘と外出。 買い物があった。 我が家で使うしょうゆは生協で購入していたのだが 扱っている生協の配達時間が遅いので 別の生協に切り替えたため購入できなくなった。 一般の所でも小売しているところがあり そこまで買いに出かけたのだ。 娘は娘の用があり 合致したと言う訳である。
他にもあれこれと用を足して 家に戻ったのは11時近く。 そんなこんな雑用で一日が過ぎた。
明日は 母の介護認定の調査日である。
2008年06月07日(土) |
介護者が病だったら… |
いやはや 1日てんてこ舞い。 今日こそは 菜園の手入れと思っていたが 出向けたのは夕方だった。
梅雨時 きゅうりやトマトの病気がきがかりだ。 やはり ベト病ぽかった。 早く手入れしなくちゃいけないが 消毒薬を持っていかなかったので 病の葉を取り除くだけの応急措置。
子供たちと種まきしたブロッコリーも ゆっくりと成長しており 間引きして定植しておいた。 トマトも大きく枝を伸ばしていたので 下枝を切り落としておいた。 レタスが案外育っていて驚いた。
午前中 友人から介護の相談の電話があった。 結構長い時間となってしまった。
実は気がかりの介護仲間がおり 電話をした。 「2.3日後に電話します」と留守電に入っていたが ぷっつりと音沙汰がなかった。 本人が大変な時に介護を受ける側はどうなっているかが気がかりだった。 高齢者の方は できれば自分のできる限り頑張るとなってしまうからである。 案の定 入院を勧められたのに「介護があるから」と退院なさってきたようだ。ケアマネも把握しているのだから大丈夫かなと思ったけれど ショート利用もしてなかった。 そのうえ 追い討ちをかけるように「来月のデイケアは 休んでください」と言われたと話されていた。
「これから詳しく検査するので 検査結果がわかった当日に相談に乗ってください」と言われ 携帯電話の番号を伝えた。 相談したい事は相変わらず 困ったままの状況であることを知った。
現況を把握するため また改善できる方策を考えるため 担当地区の地域包括に連絡して 訪問していただく事にした。 幸い 面識もあるようだったので 良かった。
2008年06月06日(金) |
♪いいものみ〜つけた♪ |
雨が続いた後のお日様の顔。 ヴェランダには 湿った洗濯物がずらりと並んだ。 母も来ていたので 家族4人分のもの。 夕方には カラッと乾いて気持ち良かった。
午後一で 母の所に向かった。 ニコニコ笑顔に向かえられ嬉しかった。
職員の方が「良くなって戻って調子良いです」と話していた。
おもむろにトイレ誘導。 ジャストミートで大小。 大は気持ち緩め。でも 辛くない状態だろうと思ったが その後母の表情は曇って行った。 お腹の痛みがあるようだ。
今日は 4時から打ち合わせがあるので 長居はできない。 お散歩に誘い 近所を歩いた。 歩きも安定してきて お天気も良いのでお散歩しておかないと…。
蒸し暑いので コンビニに立ち寄り アイスを購入しようと思った。 アイスのケースを覘いていたら りんごを凍らせた物を見つけた。 どんなものかと購入してみた。
施設に戻って みんなにひとかけらおすそ分け。 試食してみたら キーンと冷たいと言うほどでないし 食感も柔らかい。 食べきりサイズで100円ちょっとなので 値段も手ごろ。 みんな美味しいと評判。 この夏は 使ってみるのも良いみたい。
さてお散歩中の母は「あっち」「こっち」と行く方向を指図してくれた。 強く主張するわけではなかったので「そっちじゃない方がいいみたい」と寄り道せずに戻った。
おやつを食べながらテレビに見入る母。 職員に挨拶して そうっと施設を後にして 打ち合わせの場所に出向いた。 移動時間が足りないので チャリを駅前の駐輪場に置いてバス利用。 ぎりぎり間に合う。
地域の方と地域包括・役所の方と一緒に来週の会議の打ち合わせ。 地域の人が あれやこれやと地域の見守りのお話をしていた。
昨夜 久しぶりに家族が揃った。 娘が 先日 横尾忠則展に出かけ 感動したと言う話から始まり 話が延々と展開。 親世代は リアルタイムでその存在を知っており 娘は 話には聞いていたけれど原画を見て 凄さを知ることとなった。 横軸でその世代の写真家の話にもなり ちょっとした芸術論が展開された。 午前1時過ぎのことで みんな 眠い目をこすりながら…。 翌朝は 皆出勤も早いので 適当なところで切り上げて就寝したが 時折そんなことで我が家は盛り上がる。
さて 日記を読んだ仲間が「褒めてもらいたい時もあるのね」と言われた。 日記には 褒めてもらいたいという言葉は使わなかったが あの部分は幾度も書き直していた。 やはり そういう気持ちって 文に現れるものだとつくづくと感じた。
午後会議のため外出。会議ふたつ。 駅に向かう途中で 介護仲間と出会った。 介護者の会は お休みしている方で どちらかの具合が悪いのかと思いをめぐらせていた。 が 二人とも変わらず お元気だということを知り安心した。 「デイに送り出した後 街に出てちょっと一杯で息抜きをするので 介護者の会にいけなくて…」と話されてた。 呑んでリフレッシュできるのなら それも良いのではないかと感じた。
飲みすぎているわけでなく ほんとに気持ちよさそうにほろ酔いなので…。 「もう 在宅で踏ん張ってみようかと思っている」と言われ「介護の事も知りたいので 来月には行きます」と話されていた。 定年退職して独身。ヘルパーさんの手助けとデイ利用で 介護なさっている。
昨夜 9時半に眠って 12時前に最終トイレ誘導。 朝5時半までひと寝入りだった。 「おかちゃん」の声で トイレ誘導し半分間に合った。 それから再度眠り 7時30分には 起床してもらった。
4日目となると布団からの立位も協力的で 膝を立ててくれた。 こちらから 要求したわけではなく 母が自然に動いてくれた。
朝食を摂ってから 少し休息後 入浴。 入浴前にトイレに入ったら 座る直前に大。 これが 絶妙のタイミングだった。 母のサインを読み取った訳ではない。 ほんとに偶然の事で 驚いた。
排泄に関しては 家に戻っている間 少しづつ毎日出ていた。 今日は 普通量で柔らか気味だが 程よい感じがした。
終わったと思って 脱衣室に移動したら またトイレに逆戻り。 洋服を脱がせた後だったので 服を羽織らせて移動。 それから上だけ着衣し膝には大判のバスタオルをかけた。 寒い時期じゃなくて助かった。
暫く格闘して ようやく入浴。 浴槽に入る時 すこし拒否した。 浴槽に入って「こういうのじゃなかった」と怒った。 きっと「お風呂はいる?」と聞かれて 頷いたのが本意ではなかったと言いたかったのではないかなぁ〜。 ただ お湯に浸かったら 気分よさそうで「お風呂 気持ちいいね」と押し付けた質問をしたら頷いていた。 浴槽への出入りも 割合スムースだった。 湯上りに体を拭いていたら 私の腕を撫でてくれた。
急いで 髪にドライヤーをかけて乾かして 昼食準備。 実は 母は食事を摂ったが 私は家事に走り回って朝食抜き。 ついつい自分のことは後回しになってしまう。 毎日在宅介護している方が そういう具合だったら体を壊してしまうだろう。 期限があるからこそできることなのだと自覚している。
お昼は一緒に食事。 母には うなぎとお野菜と味噌汁である。 私は朝食の残りを 母のうなぎを目で食べた。
そうこうしている内に リハビリの時間が近くなったのでトイレ誘導。 ここでまた大で 時間が掛かった。 ピンポンとチャイムがなり 療法士さんには入っていただいて 少し待って貰った。
療法士さんが言うには 家だと体が柔らかいそうだ。 「おととい 昨日とずいぶん動き廻りましたから そのせいでしょうかね?」とお聞きしたら「それもあるでしょうね。緊張がないということもあると思います」と話されていた。 排泄も済んで お腹も満たされていたと言う事もあるだろう。
家では マグと血圧の薬だけは服用し 後はアロエベラとぬめりのある食品をとり ラブレ等の乳酸菌を4日で2回のみ飲んだだけなので 腹痛も起きていない。 お腹のキュルキュルはなかった。
リハが済んだら 深く眠りに入った。 療法士さんが帰られ 暫くして目覚めた。 排泄のサインがあったので トイレ誘導。 ここで大小。
荷物を纏めながら 帰り支度をしてタクシーに乗り込み 施設に戻った。 母は黙りこくっていて 少し辛かった。 帰ることが判るのかと思ってしまう。 何処まで 判っているかは 母にしか判らない。
家での様子を職員に報告し 上がりかまちをかくんとならずに上がれたと話し「やはり歩いたのが功を奏したのでしょうかね?」と言ったら「たまたま 調子良かったのでしょう」と言われ ガクッとした。 自慢に聴こえて 嫌だったのかな? 少し言葉を慎まなければならないのだなと思った。
本音の部分では 家族の頑張りをちょっとだけでも認めてくれたら嬉しかったのになぁ〜。だって 一緒にバスに乗った事もないし 小さな段差でも凄く用心深くなってきていると言う事も バリアフリーの施設内では 見えてないと思うのだけれどなぁ〜。
ま 自分と母の間で確信が持てれば それでいいのだ。 今回の事で 母の様子がある程度把握できたので それでいいのだ。
パートさんが「お帰りなさい。お疲れ様」と双方に声を掛けて下さったから まっいいかぁ〜!
母がテレビに見入り始めたので そうっと施設を後にした。 帰路 買い物があり立ち寄った店で 以前 お隣だった方とばったり出会い 立ち話をした。 その後 一人になった時 これから母の所に向かうような錯覚に陥った。 妙な感覚だった。 家について「かたずけなきゃ」と思いながら「なぜ 母がいないのか」なんて思ったりしてまた 妙な感覚に陥った。 いずれも 程なく消えた感覚だけれど 始まっちゃったかな?
2008年06月03日(火) |
「どっちにしたらいいか判らないねえ〜」だって! |
昨夜は零時半に最終トイレ誘導。 早朝 4時半に「おかちゃん」の呼ぶ声で 誘導した。 その後 6時に「おかちゃん」で誘導。
そこで 今日は起床して貰う事にした。
寒くないように椅子に腰掛けてもらって 母の傍を離れて 家事をした。 離れる時は「すぐ 戻るから待っててね」と言い残し 笑顔と頷きを得て離れるのだけれど…。数分後に戻ると 涙を浮かべている。 「あれ 泣いちゃったの?」と聞くと頷いて「判らなくなるの」と言うのだった。 勿論 記憶に残らない事は重々承知している訳で 言い訳をして離れるのは 母に対してでなく 自分に対して言っているのだなと感じたりした。
家に戻ると 不明な言葉も多いけれど 結構 単語で適切な言葉を発している。施設だと 介護者がずっと傍にいる訳ではないので 聞き取れないと言う事もあるので話さなく成ってしまうのかなぁ〜。
母の意味のわからない言葉に返事するようになって 母が自信をもって訳のわからない話をしているような気がする。 病の進行と言う事もあるのだろうけれど 落ち込んでいくよりも良いのじゃないかなとも感じる。
午後介護者の会があり 朝から土砂降りの雨で気持ちが萎えてしまい 今日は休んでしまおうかと考えた。 私の無理を通してしまうことも母にとって迷惑かも知れないし…。
が 娘が今日は少し遅く出勤すると言うので 母の分だけ急いで昼食を作り大急ぎで身支度を整え 娘の車に乗って出かけた。 昨日も書いたけれど 外出の足は いろいろ気遣いがあって悩むところである。
雨にぬれずに外出できてホッとする。 みんなが集うまでの間 母にゆっくり食事介助。 初参加の方が見えて 母の様子を見ながら「はなさんも お母様もお幸せです」と言われた。 昼は 水分も噎せることなく飲めた。
母は 比較的機嫌が良かった。 大勢の方に声を掛けていただき 笑顔を送って頂いたおかげである。 もう3泊目で 殆ど一人介助でヘルパーもデイもない状態なので エネルギーも減少気味だったのだが 元気にして貰えた。
今朝 夫が「あんな格好で歩かせたら本人は 苦しい筈だから車椅子を使うべきだ」と知り合いから言われたと話してくれた。 それも 微妙に疲れを増幅させた。 そういう言葉も 心の隅にしまっておく事は必要だと思う。 でもその場で聞いていた一人の方が 90歳も越えて歩かなくなったら あれよあれよと言う間に寝たきりになってしまい 命を失っていくと経験を話されていたそうだ。 確かに 歩くのが苦痛であれば 無理をさせることはストレスになるので 無理はいけないと思う。 適度の距離で判断して行かなければいけないだろう。 母の場合 歩く事が好きなので 酷い無理を強いているつもりはないのだけれど…。
会が済んで 残れる仲間と会食。 母も同行し 個室でお食事。 皆さん 介護している方なので 母の状態を理解してくださっていたので母も安心して笑顔で食べていた。 ただ 後半 少し噎せが出て 食べる事飲むことを嫌がった。 仲間は 気にせずにゆっくり食べさせてあげてといってくれたけれど そういう問題でもないので 無理をさせずに切り上げた。
お店を出て仲間とは別れて トイレ誘導してからタクシーに乗って帰宅。 家に戻って ご飯を出したら 結構食べて フルーツやらアロエベラも美味しいと言ってた。 お腹がいっぱいになったら「もういらない」といったので終了。 水分摂取は 母初体験 ほうじ茶にとろみ剤をいれてみて様子をみた。 母は 違和感がないようで安心して飲んでいた。 ほうじ茶だから 良かったのかもしれない。
「お風呂どうする?」 「入る?」「入りたくない?」と聞いてみるが 両方に頷く。 「どっちかなぁ〜」と聞いてみたら「どっちにしたらいいか判らないねえ〜」だって!
でも 昨日遅くまで起きており 朝は早い起床だったので 眠いだろうと想像できたので入浴は明日に廻す事にした。
昨日 大分歩いたので足の具合を見たが あまり影響がないみたい。 帰ってきてから 玄関の上がりかまちを両手介助を受けながら上がれた。 この段差 バスのステップどころの騒ぎではない。 痛みが消えている気配はないが 痛み止めは使わず過ぎている。
起床時の立ち上がりも 膝の屈伸をさせた後だと自然に膝を曲げて立位に協力体制をとってくれている。 「疲れたでしょ」は 寝ていなくとも言ってくれて…不思議体験をしている。
9時半には 布団に入った。 未だ起きているかなと思っていたが ものの数分で寝息を立てて眠り その後10分置きに様子をみたがぐっすり眠っている。
昨日は 良かれと思って塗った薄荷油で 興奮させてしまったのかもしれない。 今日は 緩やかな雰囲気で楽しかったのだろうか?
2008年06月02日(月) |
しっぱい しっぱい! |
昨夜も 午前一時に最終トイレ。明け方 トイレ誘導。 その後も母は 8時過ぎまで ぐっすりと寝ていた。 揺り起こしても目を開けない状態だった。 8時半過ぎに 足をマッサージして 目覚めを促して 立位して貰った。
9時過ぎには 朝食にしたけれど 頭は眠っているようで 食べ始めても眠そうだった。半分食べた頃から 目が覚めたようだった。 目覚めのきっかけは 晩疳の酸味と思う。
今日は 用事が出来て 外出しなければならない。 ゆっくりのんびりと支度をして 外出。
今の母の状態ではバスのステップを上がるのは無理。 さりとて 家からタクシーと言うのもなぁ〜と悩んだ挙句 歩けるところまで歩いてみようと思った。 幸い下り坂。ベンチも多少もあるので…。
母は 銀杏の木を見上げたり 桜の木を見上げたり…「ほう」等と言いながら ヨチヨチと歩いた。 ゆっくり歩いて10分の距離を休息6分位入れて40分ほどのペース。 荷物が重いから母には持たせないつもりだったが 「自分で持つ」という意思表示をしたのでショルダーにして…。
10分でちょうど半分の距離。 母は汗びっしょり。 一休みしてもらおうとベンチに腰を下ろしてもらったら 垣根越しの椿の木に茶毒蛾がぽつぽつ。 触れないように ひやひやしながら休んで貰った。 そこから タクシーを拾い駅まで。
ところが 用事があっていった先は 今日は一斉休館の日で閉まっていた。 出る前に電話して確認しておけば良かったとガックリ!
帰ろうとエレベーターの前まで戻った時 ここなら身障者用のトイレがあると思い出して トイレ誘導。 用を済ませて エレベーターまで戻ったら 行き先の職員とばったり出会った。 そこで お話したら 今日受理してくださると書類を受けてくださった。
トイレに寄って 徳がふたつ。助かったし良かったし やれやれである。
それから スーパーに立ち寄り最小限のお買い物をして 出し忘れの便りを2枚投函。
帰路は 迷わずタクシー。 家に着いて 遅めの昼食。
外出は 母にとって大変だったけれど 爽快感もあったようだ。 信号近くのベンチに座って休息がてら 街の様子を眺めていたら「〇さん」と母の呼ぶ声が聞こえてびっくりした。 先日出合った以前 母の施設で仕事をなさっていた方だった。 母も顔は覚えているようで お辞儀していた。 そうそう 近所の知り合いと出会った時も帽子を取って 深々とお辞儀していた。 母に視線を合わせて気に留めてくださる方は そう多くないので 嬉しかったのだろう。
タクシー利用は相変わらずで なかなかのものだった。 やはり 介護タクシーを視野に入れるべきかとも思った。 それよりも 運転再開すべき頃かなぁ〜。 自由に乗り物を利用できないって 辛いところだなぁ〜。
外出後の足の具合を気にして注意してみた。 立ち上がり最初の踏み出しの時に 両膝カックンが起きた。 しっかり介助しているので転倒はないが 不安げな母の表情。 「大丈夫だよ」というと頷いていた。
家の中では 半そで素足の私なので 目に付く度に「冷たいでしょ」と母は言っていた。相手への気遣いも出来ている。 少し横になると「疲れたでしょう」とも言っていたなぁ〜。 自分だって大変なのに…。 気がつけば 適切な言葉を発しているではないかと驚く。
夕食がずれ込み 遅いので低カロリーのものにした。 お刺身と蒸し野菜。トマトのバジルサラダ。味噌汁。 空腹のためか 母はむっつりと押し黙っていた。 いろいろ話しかけて見るが無反応。
「ごめんね」「今日はお付き合いしてもらって有難う」と言ったら ようやく「いいえ」という笑顔が戻った。 食事が始まると だんだんニコニコ笑顔になっていった。 介護者に振り回される母もかわいそうだなぁ〜。
食後 暫くしてから足湯に浸かってもらった。 足湯のバットに足を入れる前「足冷たい」と言っており 入れて最初は熱がったが 冷めてくると気持ちよさそうだった。 と言うよりも「気持ちいいねぇ〜」と誘導したのだ。 母は「うん」としか言いようがなかったのだ。
疲れているだろうから 足や腰に薄荷油をたっぷり塗ってマッサージ。 安眠の筈だったが…。 せっかく温まったのに 布団を掛けたら「ハックション!」とくしゃみの連発。 しまったと思った時は時すでに遅しである。 布団に入ったのは 10時少し過ぎだけれど 久々に布団の中から「おかちゃん」の連発で寝息を立てたのは11時過ぎとなってしまった。 失敗 失敗。
2008年06月01日(日) |
痛みはあるようだけれど… |
昨夜 最終トイレ 午前1時 娘に手伝って貰って 試みた。 寝た状態から どんな風に痛むのか知りたかった。 二人で起こせば そうたいしたことはなかった。
が明け方は 往生した。 痛がって膝を曲げないのである。 仕方ないので 寝た状態でパット交換。
昨夜は 尿量も多かった。
朝 起床する時も同じように痛がった。 起きる時は やはり膝が曲げられない。 寝た状態で少し足の屈伸で助走してようやく起こせた。
立位しても 最初の一歩が踏み出せない。 向き合って両肩を抱いて 母の安定を図り いちに♪と声を掛けながら ゆっくりと歩き出した。 10歩ほど歩くと 慣れてきて両手で介助でも良くなるのだが…。
一旦椅子に座ってしまうと似たようなことが起きる。 最初の一歩が 大変そう。 「大丈夫?」と聞くと 首を傾げてから「大丈夫ではない」といった。 「言えるじゃん!」 但し 何処がどうしたと言う事は言えないのだ。
意識して 家の中を 2時間置きに歩いてもらった。
食事の自立は 相変わらず無理だが 食欲はあり 普通食を私と同量食べられる。但し 食べ終えるまでの時間は かかる。
お昼に 汁物を器から飲んで貰おうとおわんを口元に持っていったら「嫌だ」とはっきりと言った。 いつもなら こんな時口を貝のように閉じるだけれど 言葉で応じた。 汁物が嫌なのは 口の中に食べ物が少し残って噎せるという予測が立つ時のようだ。だから 無理をしないで ぬめりのある食品(今日は 蕨や長いも)を少量口に運んであげて 口の中を空にしてから 水分摂取を図った。 噎せれば 苦しいと予測が立てられるだけ良いのかな?
夕方 近所の床屋さんに出かけた。 以前は 時折 使っていたが あくまで緊急の時だった。 今回も緊急。
我が家の門から玄関まで 4段ほどの階段を怖がった。 だから 美容院の階段を上ることは無理と判断できた。
床屋さんでは いつも洗髪はしない。 前向きでの洗髪は 母が嫌うからである。 床屋さんも覚えていて「カットだけでいいですね」と言われた。 そして すまなそうに 「平日なら 高齢者割引があるのですが 今日は 日曜なので…ごめんなさい」と言われた。
床屋さんは 母が不安そうにそうにしているので「僕を怖がっているようで…」と言われた。 「いえ 場所が把握できていないので不安なのです。怖がっているわけではありませんよ」と伝えた。
程なく カットが済んで 隣のコンビニで買い物をして家に戻った。 実は 床屋さんは 坂の下にある。 10メートルくらいの坂で急勾配である。 この坂 大丈夫かと思ったが上りも下りも両手介助ながら 何とか歩けた。 段差でなければ 何とかなるようだ。 歩いている時は 痛みを訴えないし痛がらないし 足を引きずることもなかった。
戻ってから 入浴。 私が 短パン半そでに着替えたら 母の六感が働き 脱衣する時嫌がった。 足に不安を覚えているので嫌がるのだろう。 なんとか 納得してもらって半ば強引に入浴。 浴室に入り 浴槽に入るまで あっさりと入れたので拍子抜けしてしまった。 洗髪も 酷く嫌がる事はなかったので助かった。 最初は浴槽にお湯満タン。 途中で 半分抜いて上体を洗い シャワーで流して お湯を抜いて下半身を洗った。最後にシャワーで流した。 浴槽の底には 滑り止めマットを敷いたのが良かったのかもしれない。
お風呂を出たところで 夕食準備。 先に水分摂取してもらい それから バジルトマトと長いもと粕漬けをテーブルに置いた。すると 半分遊びながら 自力で食べていた。 おかずが出来て 一緒に食事。 この頃には もうニコニコ笑顔で 介助を受けながら食事。
後片付けの時は たらこちゃんの抱き人形と向き合ってもらってブラシを渡したら ずっとブラッシングしてくれていた。 苦肉の策だが 落ち着いている時は こういうことも出来るのだと知った。
今日は なかなか眠くならないようで 10時ごろまで椅子に座っていた。 眠そうになったので パジャマに着替えて就寝。 横になって ものの数分で寝息を立てて寝入った。 その後も様子見に行って見るが ぐっすりだった。
考えれば 昨日は施設で痛み止めを服用していたのかもしれない。 昨晩も今日も 痛み止めは使わず様子見した。 最初だけ 痛そうだけれど なくとも 何とかなる。 後は 転倒骨折しないように注意しなくちゃ。 母は 椅子に座っていても 痛いので 自力で立ち上がることはしないからちょっと安心。
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