母のタイムスリップ日記
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2008年04月30日(水) やっぱりそうか!


リハビリの日なので 母の所に向かった。
施設は 昼食中で 母の食事介助をバトンタッチ。

機嫌はよく ニコニコ笑顔。
でも時折 考え込むように俯く。
これは きっと排泄のサインと思い 食事が終わるまで無事でありますように…と願いながら介助した。

職員の動きや入所者の様子などよく気がついて忙しいくらいに視線で追っていた。

食事は全量摂取できた。
時折 自力で箸を使い 口まで運ぶのだが食べるところまでは行かない事が多い。ほんとに奇妙なことである。
もう少し 観察して原因を探っていこうと思う。

食後 早々にトイレ誘導。
トイレに誘導する時は 私は後ろ向きになり母を誘導する。
トイレに入ったら母の肩を抱いていてダンスのステップを踏むように体の動く方向に誘導しながら足を少しずつ動かしゆっくりと体の向きを180度替える。

いつもと同じようにトイレに背を向けて誘導していたら「もっと前に…」と母が言った。
私が便座にぶつかるという意味のようだった。
いつも私の手を引っぱるので そういう意味なのだろうと感じていたのだが…。今日の言葉で やはりそうだったかと確認できた。

また 向きを変えて便座に座ってもらう時「急がないで」と言っていた。
便器外へ排泄してしまわないように 素早く動くのがこの時なのだが 母はそこをもう少しゆっくりというのだろう。

この数日 排便がないということだった。
直ぐに出るかと思いきや其の気配もなかった。
思い違いかとも思ったが 様子見に手袋を装着して摘便。
嫌がるかと思ったら「とって頂戴」と言った。
最近 摘便を嫌がる時と助かったという表情の時があると感じていた。
それが 言葉で確認できた。
嫌がる時(言葉はないのだが)の状況は 下り坂の時。おそらく「下って迷惑かけるからしないでいい」と言うサインと感じていた。
言葉では判断できなかったけれど きょう 間違いなさそうだと感じた。

リハビリも落ち付いて受けられた。トイレ誘導直後だったのに血圧も安定していた。やはり 感情も血圧に微妙に影響すると言う事なのだなぁ〜。

母の言葉が良いタイミングで適切に発せられる不思議。
別に脳に関しての薬を使っているわけではない。

母は自分の体の中の変化を感じ取れるのだと思った。
それを伝える手段が取れなくなっていたのだが…それが言葉で伝えられるようになってきている。

今日は 夕方から会議があり 最近遅れてばかりだったので 早めに出向くためにリハ終了後 そうっと施設を後にした。

会議は 認知症の人の医療環境整備について。
時間枠いっぱいを使ってのものとなった。






2008年04月29日(火) 入浴できたね♪

 午後 娘と一緒に母の所に出かけた。
母は ご機嫌な様子でニコニコ笑顔だった。
娘と遊んでいたので 私は他の方とお話をさせて頂く。

母のお天気が変わりそうだから…とバトンタッチ。
居室に入り トイレ誘導。

今日は 入浴との事だった。
空いたら 使わせて戴く事になった。

入浴の支度をして 順番が来て入浴開始。
浴室に入ったら「ごめんね」「ごめんね」としきりに母が言う。
入浴を嫌がるのは怖いばかりでなく そういった遠慮もあるのかと感じた。
これまで 入浴で「ごめんね」なんて言葉を聴いたことがなかった。

今日こそは ゆったりと…と思った。
暖かくなってきていて 湯船に浸かる前から体を洗っても寒くはないだろう。
足からごしごし。
強めにシャワーで流すと嫌がるので 量を加減しながら取り組んだ。
体を洗い終えて 頭髪も洗う。
少し嫌がったけれど 大きな声を出したり暴れたりうる事もなく入浴できた。

所要時間は35分くらいかなぁ〜。
洗いが中心だったので ゆっくり湯船に浸かる時間が足りなかったかも…。
やはり1時間くらいかけて入浴のほうがいいかな?

湯上りに水分補給と果物少量。

程なく夕食。
今日は そこでそうっと帰宅した。

今日は おそらく お正月以来 初めての家族揃っての休日だった。
娘が このところの神経を使った日々の疲れを思って ふるさとのおそばを購入してくれてた。 久々に ゆっくり出来た1日だった。


2008年04月28日(月) これで良かったの?


この半月ちょっとの間に 命について そして看取りについて また 葬儀について考えさせられてた。

家族ではないのだが 長く夫と共に仕事をしてきた方だった。
仕事の合間に 病院に通う日々の夫だった。

いろんなことがあって 葬儀の済んだ今も「これで良かったの」という思いが強い。

亡くなった彼が 1番戸惑っていたのでは ないだろうか。
でも できる限り彼の意思に沿うように 踏ん張った。

これから ご家族同志の間に入り 調整が続くだろう。
でも ひとまず間に入ってとりなしながら 葬送の儀も終えホッとしている。

そんな訳で 母のところには行けずに過ぎてしまった。
明日からは また いつもの生活に戻って母と歩んでいこう。
亡くなった彼の86歳になるお母様の元気さに救われて過ごした数日だった。


2008年04月26日(土) 菜園にて…


今日は 菜園に出た。
来週は 結構パタパタしそうで 菜園の作業が出来そうもない。
本当は 仲間がフリーマーケットに出展してくれているので出かけようと思っていたけれど そんな訳で顔見世に行けなかった。

朝 農協まで出かけて トマトやきゅうりやしし唐の苗を購入して 菜園に出た。
葉物も程よく育っており 子供たちに貸した小さなコーナーにもブロッコリーの芽が出ていた。
子供達は 雨の日も水撒きに出ていたそうだ。

スナップエンドウが伸び つるが喧嘩していた。
そうっと離して 支柱に誘引。
よくみると収穫できそうなさやもあった。嬉しい!

雨がぱらついてきたので 種まきやら苗を植えたりを急いだ。

アスパラが育っていた。
隣で菜園をしている人は 同じように植えてみたけれど育たなかったと言ってたし 以前種を蒔いても育たなかったので駄目元の気持ちだった。
今日は 更にアスパラを追加で植えた。
何とか収穫できそうで嬉しかった。

芽がなかなか出なかったわさび菜もようやく…緑色の葉を広げ始めていた。

雨が本格的に降り出したので 急いで家に戻った。
それから 庭に出て ポットに種まき。
枝豆と落花生と…。
枝豆は これから畑に直播すると 鳥達の餌食になってしまうので家で苗に育ててから植えようと思っている。

ジャガイモもヤーコンも順調に育っている。
未だ余裕があるのだが 後はゆっくりかな…。

気温が上がらなくて ストーブを片付けられないでいる。
寒いと言うほどのこともないのだけれど…。
連休が終わる頃にはさっぱりとしたいなぁ〜。


2008年04月25日(金) よくぞ ここまで…


昨夜 夫が病院から電話してきた。
夫の会社の人で 以前から 闘病中の方。
ここ両日が山場と言う事だった。
夫は深夜帰宅したが 今朝 亡くなられた。

実は 先週 遠縁のおばが亡くなった。
闘病中であることは 親戚の人から聞いていた。
おばは 亡くなる1週間前までキッチンに立ち食事を作っていたそうだ。

先週は 母の施設でも同じ時期に入所なさっていて 母と同じ仕事をなさっていらした方が亡くなった。

亡くなられた方を悼みながら 思い出を辿ってみる日々である。
春は 気温差が大きいので 臥せっている人には負担な季節なのだろうか?

訃報を耳にして 母が90才であることの重みをずっしりと感じている。
生かして戴いていることに感謝しながら 毎日を大切に過ごせますように…。

施設に出向くと施設は昼食の時間だった。
職員とバトンタッチして食事介助。
入所者の皆さんとおしゃべりしながらランチタイムだった。

食後 トイレ誘導。
母が困っている様子が見てとれた。
今日は 摘便。
瞬間 嫌がったがでも直ぐに納得してくれた。
結果 オーライ♪
母もなぜそうするのか 理解できていたようだった。
トイレから出ると ホッとした表情が見て取れた。

その後手洗い 歯磨きをして 居室で暫く過ごす。
母は しきりに私の腕を撫でてくれた。
きっと「ありがとう」と言う意味だったのだろうな。

トイレで不安そうにする母。
其の不安は「迷惑をかけて…」と言う意味であると最近感じている。
だから 自分の胸をこぶしでポンと叩いて「大丈夫 まかせてね」と言葉を添えている。母は ちょこっと頭を下げる。
サイレントの世界だけれど…でも通じていると感じる。

散歩に出てみようと ジャンバーを着用させた。
それだけで外出すると理解で来たようで するすると袖を通してくれた。
外に出ると足取りは軽かった。
昼食が未だなので お隣の中華料理屋さんに入った。
いつものワンタンメン。
母は大きなどんぶりで 私は小鉢で。食べる量は逆なのだけれど…。

食べ終えて 其の足でお散歩を続けた。
このところ 結構歩ける。
40分近く歩いた。距離にして1.5キロくらいかなぁ〜。
休息は一度だけ。
途中で職員が健康診断に出かけるところに遭遇。
車から手を振ってくれたら 母も手を振って答えていた。
以前は こういう時の反応が鈍かったのだけれど…ずいぶん変化したなぁ〜。

施設に戻る頃に 臭いに気がついた。
そういえば 時折俯いていたなぁ〜。もっと早く気が付くべきだったなぁ〜。

居室のトイレにまっしぐら。
汚れている事も自覚できていて不穏になったが 綺麗になったら落ち着いた。
手を洗って 椅子に座って水分補給。
また 私の腕を撫でてくれた。

病の始まった頃 母は「私は一人だから どうなるか…」とよく言っていた。
下の心配をしていたのだ。あの時 すでに私は「いとこの〇ちゃん」だった。
「大丈夫。忘れていると思うけれど 私は娘。お下の面倒任せなさい」と話していた。あの時もそうっと頭をさげて「ありがとう」と言っていた。

付け加えるなら これは私が冷静だった時の言葉で イライラしていた時はこんな具合ではなかったので…くれぐれも優しい人なんて思わないでくださいね。

母のお天気が良い時悪い時があるように 自分にも そういう変化がある。
そんな日々をひっくるめて歩んできた道。
「ここまでしかできないよ」という居直りで えっちらおっちらの珍道中の我儘娘です。


2008年04月24日(木) 地域の課題


 日中 パソコンの前で唸っていた。
ちょっとは 学習していると思うけれど…。
毎度毎度時間が掛かるなぁ〜。

夜 会議。
地域の認知症の理解を深めるためるための会議。
地域で法律に関わる人 医療関係者 事業所 地域の住民等が集っている。

人の話に耳を澄まし 自分の思いを伝え みんなで知恵を絞る。
少しずつ 方向性が出来てきた。

帰路 専門職の方の車に乗せて戴いた。
気になっていることを聞いてみた。
薬の事である。
進行を遅くするという唯一の薬の事。
現場での状況を伺った。
服用している人は 多いそうである。
明らかに合わないと感じた時には 変化を医療機関に伝えてストップしてもらう事もあると言われていた。

母は一度も使用していないので 事例としてあげる事も出来ない。
でも 周囲を見ていて感じるところが 以前からあった。
それを どう伝えるべきか…と考えていた。

さて どういう風に仲間に伝えるべきかなぁ〜。


2008年04月23日(水) ちょっとみせてぇ〜

 
今日は リハビリの日。
昼食介助できるように出かけた。
母の機嫌は悪くなかった。
が食事の途中から うつむく事が多くなった。

食事後 職員に排泄の確認をすると「朝 コロンと一個でました」と言う事だったので トイレに誘導した。
パットが重たくなっていて母は 嫌がった。
出てしまったことを認識しているようだった。

便座に座って程なく 程よいものが出て 安心した。
これで お腹の調子も戻ったと言う事だろう。

その後 歯磨きをした。
濯ぎも何とかできた。

それから 療法士さんを待って リハビリ開始。
リハビリの始まる前から うとうとし始めていた。
このところ眠そうな日が続いている。

リハが済んで居室の椅子に座っていた。
私が メールをチェックしていたら「ちょっと みせてぇ〜」と携帯をみて話した。「エッ!しゃべった!」と驚いた。
母が言葉を発するのは「痛い」「帰る」「すんな」「やんだ」等限られているのだ。長いセンテンスでのおしゃべりは 多くの場合 断片の単語から連想して見当を立てる。
それなのに 携帯を見て「ちょっとみせて」なんて…。

電話だと判っているわけではない筈。
「何なんだろう?」と思ったのかな?
携帯を渡すとしげしげと見つめていた。
画像を出して 母の顔写真を見せたが 其の事はあまり興味を示さなかった。
要は「何か?」と疑問だったのだったのだろう。「電話よ」と伝えたが 判ってはいないと思う。

しかし こちらはすっかり嬉しくなって 母を散歩に誘い出した。
着替えをしようとして一枚脱いで 別のものを着せようとしたら 脱いだものを「私のだから…」と言わんばかりにしっかりと握り締めており離してくれなかった。
今日は こういう所有の主張することが多かった。
意思表示は有難いのだが…困る事も起きる。
流れに逆らわず 暫く待って風向きの変わり目を探して対応した。

足取りはしっかりしていて 横断歩道を急いで渡る事も出来た。
だが 左折車や右折車が来ると直ぐに立ち止まってしまう。
「危ない」と私の上着を引っ張る。
「大丈夫よ。止まってくれるから」と言う言葉をかけると同時に母を引く手に力が入る。
瞬間 母は怒る。
でも車が止まっていると判るとこちらの思いに合わせて歩き出してくれる。

傍のファミレスに入った。
3段ほどの階段を上ろうとしたら拒否。廻ってスロープを使って入れた。
僅かでも階段は嫌な状態なのかなぁ〜。

今年初のファミレスである。
どうなるか不安だったが 比較的空いており 壁向きに座ったので不穏になることはなかった。
人の姿が見えて それが動いたりおしゃべりしていると落ち着きを無くす母なのである。

母には プリンとオレンジジュース。
少し酸味があるので噎せはしないかと気がかりだったがセーフ。
プリンも美味しそうに食べた。

今日は 入浴させたかった。
以前なら 家に連れ帰って入浴させて戻ったものだが…。
今は 食事の時間までには戻れそうにない状態。

認知のない方が「お風呂入れる?」と聞いていた。
すると「14日に入ったから 今日は無理だね」と職員が答えていた。
そこでギョッとしてしまった。
入浴は10日もできないのだ。
母を入浴させるのは 私としては構わないのだけれど…他の方が入れないのに母だけと言うのは 気が引けてた。
結局 言い出せなくなってしまった。

ファミレスを出て 遠回りして2度休息をとって 施設に戻った。
施設では おやつも済んでおり お茶だけ頂戴した。

トイレ誘導も何とか間に合い 久々にゆったりと過ごしたような気がする。

そうそう お昼に入所者のご家族が見えて お散歩に連れ出されていらした。戻っていらして 職員の姿が見えず トイレに誘導なさったもののパットの替え方や便座からと車椅子に移乗も大変そうで…。
見かねて パットかえと移乗を介助させていただく。
傍で見ていたお孫さんが 職員だと思ったみたい。
家族と知り「ありがとうございます」と深々と頭を下げられてしまった。


2008年04月22日(火) 活動日


利用者さん訪問だった。
先日の台風を思わせる日に 90歳になる利用者さん 友人と旅行に行く予定だった。
「中止なさったんだろうな」と思っていたら お出かけになったそうだ。
電車を乗り継いで 4時間は掛かるだろう所まで。

着いた日は 雨で宿にじっとして 翌日晴れたら ガラス工房までお出かけになったそうだ。
気力 体力共に強靭な方だなぁ〜と改めて感じた。

昨日 夕方戻られた筈だが お掃除を始めたら ご自身は 庭に出て草取りを始められた。

ゆっくりと休息なさればいいのに…と思ったが…。
きっと 傍らで仕事していると休んでいるのが申し訳ない気持ちになるのだろうなぁ〜。

活動は いつも通りのお掃除で終了。

午後は 事業所の集まり。
今年度の活動についてと これからの活動について意見を集めていた。
地域力に変わるものを育て上げたいという狙いがあるのだろうけれど…
難しいなと感じた。

思うところはあるが もう少し整理してから…。


2008年04月21日(月) お手伝い


朝 母の施設にチャリで走った。
約束の時間ぎりぎり。

母やフロアの方に 挨拶をして にこやかな笑みを返して戴いた。 
荷物を母の居室に置いて 担当するフロアに移動した。

「お母さんは元気?」と顔なじみの入所者の方から聞かれた。
「はい お蔭様で…」と返事をした。

朝食の済んだ人 まだ食事中の方といらした。
食事介助が必要な方もおいでなので 入所したばかりの方を視線に置きながら介助させて戴いた。

食事介助が少し難しい場面に入ると 視線も途切れる。
すると古くから居られる方が「あ〜」と声を出してくださり助けられた。
非常に危険と言う状態ではないのだが 出来る限り配慮して危険を回避の必要がある。

職員から 入所したばかりの方の健康上の留意点を教えていただく。
膀胱炎の前兆と思える状態であると言う事があった。

食事介助を終えて 入所したばかりの方のそばに行くと「トイレに行きたい」と言われた。
頻繁に訴えがあると昨日伺っていたので 気をそらすようにお話したりしていたが ヒステリックに話されるようになったので トイレに誘導してみた。すると きちんと排泄。尿はやはり にごり気味だった。

席に戻って直ぐ「横になりたい」と言われた。
「今は 食べたばかりですので 消化するまであとちょっと起きていらした方が体に良いかと思います」と伝えると了解してくれた。
が数分たつと「横になりたい」と言われる。
「もう少し…」と繰り返したら またオクターブ高い声で訴えるようになった。

「尿が濁っていたので 毒を出したほうが良いかと思いますので お茶を召し上がってから休まれた方が良いですね」と伝えたら「そうね」とお茶を飲んでくださった。

ベットに誘導したら 程なく深い眠りに入られた。
職員に「深く寝入っているんですよ」と伝えると 様子をみて「入所して初めて位に深く寝入っている。疲れが出てきたのかもしれませんね」と話されていた。30分位をめどに起こすことにした。
昼夜逆転は ご本人も辛くなるからである。

その間に他の入所者の方の整髪やトイレ誘導をし おしゃべりしたり テーブルを拭いたり…。

目覚めた時に排尿を訴えられたので誘導。
尿はやや綺麗になったけれど 少し汚れがあった。

食事まで 少し時間があるのでお散歩に誘ってみた。
「外は好きです」ということだったので 車椅子で外出。
施設のバスタオルを膝にかけた。
が昨日お話している時に「寒がり」だと感じたので 母の居室に立ち寄って 小型の毛布を持ち出し膝にかけて差し上げた。
風が少し強い事は 施設に向かってきた時に感じていた。

近くの公園は ソメイヨシノは葉桜となってしまったけれど 其の奥の八重が見ごろになっている筈である。
タンポポやイチハツの花をみては 喜ばれた。
八重桜の下で「このバラ桜 きれいですね」と。
…うん バラ桜良い命名だわ…と思ったが 口にはしなかった。

くるっと一回りが済んだ頃「そろそろ戻りましょうか」と自ら話された。
「そうですね」と返事して施設に戻った。

昼食の支度が始まっていた。
テーブルを拭いたり お手拭を置いたり 配膳したりのお手伝い。

お弁当を作ってきたが 食事も準備してくださったので ご飯を省いてご馳走になった。
その後 食事介助。
朝は 何処か頼りなげな食事の摂り方をなさっていたのだが 午後はしっかりなさっていらした。
汁物のみゆっくり介助させて戴いた。
朝は 離れた場所で見守りさせて頂いたが 昼食後は 直ぐ後ろに座していただき食事介助した。
その間 じっと座って こちらの様子を見守って下さっていた。
やはり 直ぐそばに介護者がいてくれる事が安心なのだろうと感じた。

介助が済んだ頃 トイレを訴えられたので誘導。
少しの濁りはあるが だんだん改善されていると感じた。
排泄後の痛みを 誘導の度にお聞きしたが 痛みはない様子だった。

水分補給も拒否なさらずにいたので それも良くなった理由だろう。

午後も「眠りたい」と言われたので 少しの間ベットに横になって頂く。
其の間に 食器洗いをさせて頂き テーブルも拭いた。

キッチンが片付く頃に目覚められたので 席に着いていただいた。
便秘の訴えがあったので トイレ誘導。
「どうして でないでしょうね」としきりに気になさって入らした。
「水分を多めに摂ると良いかも知れませんね」と伝えた。
後で 職員に確認すると昨日きちんと排出できていると言う事だった。

そうこうしている内に 職員の体制が整ったと言う事で お手伝いは放免して頂いた。

そこで 母のフロアに戻って 母のトイレ誘導や歯磨きをした。
機嫌は悪くなかったが どうにも眠そう。
母には珍しい事である。
そこで ソファーに座ってもらい 毛布をかけて眠っても良い体制になって貰った。
うとうとしては 目覚める状態だった。
おやつの準備が始まったので そう長い時間寝ることもないだろうし…と思って 施設を後にすることにした。

今日 お手伝いさせて戴きながら 感じ入る事があった。
それは 母も含めてお漏らしをしたら…という心配が常にあるということである。「オムツがあるから大丈夫ですよ」は 介護者の都合なのだ。
母を介護している時も 其の認識は持っていた。
時に オムツに頼る事も多かったから 今更ながら 反省。

排泄は 初期から 後半まで 其の時に応じた難しさがあるのだなぁ〜。

また お散歩も古くから入所なさっている方が 家で過ごされていたペースがあるので 慣れるまでは合わせてあげないと…と話され救われた。

職員に今日の様子を報告すると「排尿の間隔が結構短いようですね」とか「誰かが傍にいると穏やかな表情を見せてくれますね」とかを発見くださった。
ずっと 傍につきっきりと言うわけには行かないだろうけれど 工夫次第で不安解消ができるようになると判っていただけたら それだけで嬉しい。


2008年04月20日(日) 風向きをみながら…


日曜日の朝 久しぶりに家族揃って朝食。
みんな家に戻っては来ているけれど すれ違いが多くて一緒の食事って数ヶ月ぶりくらいかなぁ〜。

子供が幼かった頃は どうあっても家族揃って食事を心がけていたけれど…。もう 子供も大きくなったので 無理のないペースで…といった所。

ゆっくりとした朝だったけれど 昼を境として 家人はそれぞれ仕事へ向かい 私も母の所に出かけた。

施設の入り口で他のフロアのご家族とばったり出会った。
危険な状態の様子だと話されていた。
最初から入所なさっている方である。

母のフロアは テレビの音が聞こえて 数人がフロアで椅子に腰掛けていた。母の姿は見えなくて 居室のトイレから声が聞こえたので誘導中なんだなとわかった。
職員とバトンタッチして排泄の続き。

が排泄後 どうも滅入っている感じがした。
「大?」と聞くとこっくり。
再度 トイレ誘導し 踏ん張ってもらうがいきまない。
仕方ないので 摘便。
普通より少なめだが 何とか排泄できた。

これなら 乳製品を取り入れても大丈夫だろうと判断 職員にその旨を伝えた。
しかし お腹が落ち着くまで 苛着いているようで怒ってみたり 元に戻ったりと変動が大きかった。

今 施設に危機状態にある人やご家族の不幸があって外出なさる方もおり 入所して3日目くらいの方が不穏な状態で 他にもいろいろあるようで 人手が足らないとの事だった。
あちこち手を尽くしたが見つからないと言う事で あしたちょこっとお手伝いに入らせて戴く事になった。

入所なさったばかりの方を中心にお手伝いさせていただく事にした。
母のフロアではないので そこで ちょこっと顔合わせ。
単に不穏だけならいいのだが 転倒の危険があるので目が離せないらしい。
別のフロアとは言っても 顔なじみばかり。皆さんにご挨拶しながら…。

入所なさったばかりの方が慣れないのは致し方ない。
環境の変化で不安は増すばかりだろう。
お話を伺うと見知らぬ人とうまくやっていけるか…と不安な様子だった。
勿論 入所という自覚も記憶には残らない。
人のお付き合いの他に 費用も心配なさっておいでだった。
具体的な金額までは理解なさっていないようなので 
「年金の額から差し引いても多少の余裕があるとお聞きしていますよ」と伝えた。
ご主人は亡くなられたのだが 其の記憶が消えてしまっている様子。
だから 否定はせずにいると「主人が そういったのですね」と言われるので「そうですね」と答えた。

暫く 話していたら「話しにくいことを よく丁寧に教えてくださりありがとうございました」と言われた。
「また 明日 ゆっくりお話させてくださいね」と挨拶してフロアを後にした。

母のフロアに戻るとおやつが済んでいて 母の機嫌はまた悪化していた。
「散歩にでかけませんか?」と誘えば 手を振り切って「何すんの!」と怒り出した。
「ごめんなさいね」と謝って 風向きの変わり目を待ち玄関へと誘導。
ジャンバーを着せたり 靴を履き替えたり…風向きの変わり目を見極めながら 何とか外出体制に入れた。

外の風に吹かれながら 賛美歌を耳元で歌う。
ご機嫌は 良くないけれど…何かをキャッチしている様子だった。

20分ほど歩いて公園で一休み。
そこでも 賛美歌を…。
すると母は両手を組んで祈る体制。
言葉にして祈る事は出来ないが クリスチャンである事を自覚したように見えた。

今日の母は 拒否したり怒ったりの言葉は はっきりしていた。

散歩でやや落ち着きを取り戻せたようだった。
明日は 朝から入るので 夕食前にそうっと施設を後にした。

本来なら 活動日だったのだが 利用者さんに予定が入って 明後日に変えたばかりなのだ。
きっと そういう役目を負うために活動日が移動になったのではないかななんて感じたりした。


2008年04月19日(土) 感謝しつつ…


今週初め 以前訪問させて戴いていた利用者さんが亡くなられた事を知った。

2年前の秋まで訪問させて戴いたと記憶しているが…。
グループホームに移られて 程なく脳出血を起こして 入院なさったところまでは知っていたのだが…。

訪問をさせて戴いていた頃から 病は始まっていたと思うが 手助けがあれば十分暮らせる方だった。

それまで 散らかりがちな家の中も ちょっとした手助けで綺麗を維持できるようになられた。
食事の支度や片付けも 意欲を持たれて取り組まれた。
何よりも ヘルパーさんや私に どういう仕事を頼むかをしっかり考えて準備なさるようになった。
利用者さんも だんだん自信を持たれて 積極的に行動なさるようになり いろんな方と交流をなさっていた。
同じような状態の人から相談を受けて 独り暮らしの知恵を伝授なさってもいらした。

施設入所する一年前だったろうか…。
「来年主人の13回忌の準備をしなくちゃ…。これが済めば もう何時お迎えがきてもいいし ここらでもういいかなと思う」と話されていた。
お返しの品の準備もしようとなさっていた。

病の症状が目立つようになり 定年退職なさったご家族が夜間泊り込むようになって 混乱が激しくなった。
ご家族が良かれと思って発する言葉が 次々と混乱を招いて 出来る事も出来なくなられた。

其の様子を見ながら 自分の過去の母との接し方を思い出し いずれ…と思っていた。

利用者さんは「寝たきりになっても 施設に入所しても来て下さいますよね」といつもいつも話されていた。
其の度に 「はい」と返事していたのだが…。
それを叶えて差し上げられなかった事が悔やまれる。
勝手に訪問と言う訳には行かないのだから…。

利用者さんが亡くなられた事を知ったのは マンションの管理人さんと偶然出会って教えられたのだ。
管理人さんも 業務外でずいぶんと手助けなさっておいでだったのだが
ご家族は 気がついていない。
亡くなられた事も知らなくて… 売りに出されて初めて知ったと言う事だ。
「荷物が運び出されていたので あの時には亡くなられていたのですね」と話されてた。

独り暮らしを選択なさってマンションに住まわれ 独りで生きていく事をあれこれと考え 命の限りを予測なさっていたようにも思える。

利用者さんは 訪問の度に「ありがとう」と言われたけれど 其の度にこちらも「私も教えられています。ありがとうございます」伝えていた。

亡くなられた事を知り 独り暮らしできるぎりぎりまで関わらせて戴いたことに改めて感謝し ご冥福を祈った。


2008年04月18日(金) はんぶん? そうだったかぁ〜!


台風を思わせるお天気の一日だった。
「明日 10時過ぎに連絡します」と言う事で 電話を待っていたが 来ないので 母の所に出かけた。
電話を待っていた分 出遅れてしまった。

母は結構ご機嫌で笑顔だった。
職員が「今朝からちびりちびりと出ていますが お腹は痛くないそうです」と伝えられた。

暫く 入所者を交えておしゃべりをした。
難しい方が 居室から職員を呼ぶ声が聞こえた。
すると「機嫌が悪いと 怒りっぽい声で話すから…何とか普通になってくれればと思って 穏やかに話すのだけれど…」と入所者の一人が話された。
この方 認知症が進行しており 判らない事が多くなっている。
難しい方は 認知症ではないので この方を「そばに来るな」とか「うるさい」とか言われている。
でも やっぱり 判っていて それでも懸命に普通にお付き合いしようと努力なさっているのだなと感じた。

母を居室のトイレに誘導。
気配で 出るのだなと感じ「出るの?」と聞くと頷いてくれた。
其の通りで 良い形で排泄があった。
その後 居室で水分補給したりしてた。
が 何とはなしに落ち着かない。辛そうだった。
そこで「トイレ行く?」と聞くと頷き「はんぶん」と言った。
「なんだろうな?」と思いながら トイレに入ったら 程なくして小水が…。
なるほど 大・小という表現は量の表現だわ。
大の半分という母なりの表現だったか…と恐れ入った。

その後 おやつの時間となって ホールでおやつを戴く。
でもお腹が落ち着かない様子で 食べ方がいまいち…。

お腹をさすったり うつむいたりが続く。 
何とはない気配で 再度トイレ誘導。
今度は 緩めのものがガスと一緒に…。
ガスが出る前は 苦しそうだった。
お腹に触れるとお腹が張っていた。
お腹が不安だから落ち着かないのだろうと想像がついた。

その後 少し気分が悪そうだった。
隣に座していると安心するようだったので 暫く隣で過ごした。

徐々に周りのものに興味が出てきたようで テレビにも見入る。
折りよく プラハの教会等の映像で 興味を示して見ていた。

雨が小康状態となっているので そうっと施設を後にした。


2008年04月17日(木) 徘徊って 昔より減っている?


朝 菜園に出向いて 掘り起こしたヤーコンを自転車に積んで家に戻った。結構重く 自転車がふらふらとした。

家の中の用を済ませて 夕方から会議なので 買い物に出た。
久しぶりに 農家の市に立ち寄れた。
スーパーと違うのは 旬の野菜しかない。

たけのこがたくさん出ていたので 購入。
後 めぼしいものは 高菜。
漬物としても売られていたが 生を購入した。
大根と高菜と人参を細かく切って 塩で揉んで漬物にするのだ。
ほんとは ここに生干しのきくいもと紫蘇の実や菊の花なんかが入ると嬉しいのだけれど…。いまどき きくいもなんてないものね。
だから ぬるっとする海藻を入れることにした。
「がじめ」とか「根昆布」とかである。

雨が降り出したけれど 傘をさして荷物を持ってとっとこ歩いて家に戻り下ごしらえ。

それから バスに乗って会議の場所へ。
地域包括。役所の方。地域の方。等が集まった。
皆が集う前に 地域包括の方に 昨日の疑問を投げかけてみた。
お薬手帳の事である。
みなさん「?」だった。
お薬手帳が大事である事を認識をしているけれど…。
やはり「?」である。
後期高齢者の説明書にもお薬手帳の説明書にも「義務」と言う記載はない。
お薬管理している人には シールを貼るということも在ったらしいが…。
不明なので これは薬局に問い合わせてもいいだろう。
昨日は母を連れていたので 面倒は避けたかった。
高齢で認知症のある人を同行していては ちょっと無理。

皆が集まるまで 今時の生活を雑談。
やはり 高齢者のおさいふ直撃だと言う事で一致した見解。
これから 罹りつけ医制度が本格化してくると直接病院に行く事も難しくなるかもしれない。
そして診断料と紹介状に料金が掛かってくるかも…。
とすれば 実質医療費がまたかかるようになるのかな?
この制度を作ったのは小泉政権。
靖国だ やれ 郵政民営化だと騒いでいた陰で審議日数も少ないまま通過してしまったのだ。

高齢者を支える人口が減ってきているから 対策が必要と言う事は理解できるけれど…。
高齢者負担が増えていくと…いろいろ不安要素が出てくる。
このことは もう少し考えて行かなくちゃ。

さて ちょっと課題が出ていて 徘徊について…と聞かれていた。
でも 最近 介護仲間内では 徘徊の話は出ていない。
気になったので 地域包括にも伺ったが 以前と比べると事例がないと言う。外に出ても 戻れる場合が多いという事だった。
サービスに繋がって落ち着いてきたのか?
情報が入らないだけで 依然として困っている人がいるのか?

でも 実は 昨日 近くで「この辺に 大きな 〇マンションが在ると思うのですが…」と高齢の方に聞かれた。
身なりから 近くをお散歩中と思われた。
「〇マンションはここです」と答えた。
マンションの前で聞かれたのだ。
「いえ ここではなくて…」と言われたので何となく不自然さを感じた。
そこで「何丁目にお住まいですか?」と伺った。
するともじもじとポケットを探られていたが 探し物が見つからないようだった。
「いつもと違う道を歩いたり 夕暮れ時ですと道が違って見えて 判らなくなって 困りますよね」と話しかけてみた。
「そうなんですよ。ちょっと出たつもりだったけれど…」と返ってきた。

再度「何丁目ですか?」と聞くと「6丁目」といわれた。
「6丁目ですと 大分遠いですね」と言ったら暫く考えて「一丁目…マンション…」と言いかけた。
「それでは…坂を下りてみましょう。道が見つかれば帰られますものね」と言葉をかけた。
用心深そうな表情をなさったので「道が思い出せたところで 私は引き返します」と付け足した。
そしてゆっくりと坂を下りた。
「あそうそう あれがあって あのマンションのそば…」と話された。
「これで 大丈夫ですね」「はい」
とこんないきさつがあったのだった。

用心深そうな表情は「また わからなくなったの?」と家族から言われるのが嫌だったのか それともプライベートな部分を知られることが嫌だったのか…。
認知症の方だって プライドはある。
判断力がありそうだったので 見送って別れたのだった。


2008年04月16日(水) すれ違う会話でも笑顔


リハビリの日。
朝は ちょこっと菜園へでかけた。
介護仲間が もう ざっくりざっくり耕し始めていてくれた。
作物の植え方を伝授戴いた。

ブロッコリーは 根っこから引き抜き 掘り返した。
今日は ここまで。

家に戻って洗濯と昼食を準備して母の所に出かけた。

母ともう一人の方が まだ食事中だった。
職員とバトンタッチして介助。
オムレツだったのだったけれど 母はもぐもぐしてなかなか進まない。
母はオムレツが好きである。
でも今日は いまいち。
調子が悪いのか オムレツに原因があるのかわからなかった。
ただ 飲み込みが悪いので 喉か歯の調子が悪いのかなとも思った。
リハの時間迄に食べ終えるかと心配だったが 歯磨きとトイレ誘導の時間が取れる感じで食べ終えた。

食事の終わる前に別のフロアから 昔からの知り合いの入所者が遊びに見えた。
少し挨拶をして 母の誘導のため居室に入った。
リハビリが始まり 後半母はうとうと。
今日は 結構足の筋肉が硬かったそうだ。
足の屈伸の時には 少し痛がっていた。

リハが終わって ホールに移動。
母と知り合いの入所者と並んで座ってもらう。
二人ともにこやかに笑顔をかわす。
笑顔が笑顔を呼んでいるという感じ。

二人とも記憶には残っていないだろうが 病になる前に一度くらい言葉を交わしている筈である。
孫の手編みのセーターをいつも褒めてくださっていたのだ。
「自分の孫にも編んであげているのでヒントになるわ」と言っていた。

穏やかな空気が流れていた。
話はかみ合っていない。
特に母は 言葉を受けて言葉を交わすことは殆ど無理。
でも 言葉を発するタイミングだけは合っているので「私 わからなくてね」と相手は受けてくれ笑っている。
母の話が判らないと言っているのではなくて「判らなくなっている自分だから…」という感じなのだ。

この方も 私と深い知り合いである事は記憶にあるが どういう関係だったかは消えてしまっている。
今日 気がついたが この方幻視が出ているようだ。
誰もいない方を向いて しきりに手を振っている。
「どなた?」とお聞きしたら 女性だったり 男性だったり 其の時々で違うが二人みたいだった。
かなり はっきりしているように思う。
でも 急にうつむいて塞ぎこむ一面もあった。
それでも お孫さんの名前はちゃんと覚えている。

夕方から雨との予報なので 遅くならないうちに施設を後にした。


2008年04月15日(火) 通院


今日は 定期健診と誕生月健康診断の結果を聞くこともあって通院。
不評の後期高齢者の保険証初使用の日でもある。

後期高齢者という表現を良いとは思えないけれど 其の方式で言うなら母は 末期高齢者と呼ばれてしまうのではないのか…。
ほんとに 失礼な話である。

昨夕 介護仲間が「菜園の土が固いから掘り返してあげるけれど 何を植えるの?」とメールをくれた。
申し訳ないので 朝 畑に出て一緒に作業した。
土は 其のつど掘り返して石灰を撒き 肥料を入れてはいる。
「女性だから無理なんじゃないの」と言われたけれど 見ていると掘り返している深さは さほど変わらなかった。

其のことを伝えたら 腐葉土を入れないから固まってしまうのかも…と言われた。
お互いに通い介護なので 時間が来て「またあした」と切り上げた。

支度をして母の所に自転車で出かけた。
早昼飯ですっ飛んでいったら 母は食事中。
職員とバトンタッチして介助し全量摂取。
その後 歯磨き トイレ誘導 着替え。

排泄は やはりゆるめ。
職員は「昨日 1日出なかったです」と言う事だった。
「でも 今朝ミルクティーだったので それかも知れませんね」とも言っていた。難しい判断である。

施設を出てとことこ歩いてバス停へ向かった。
大きな道路を渡る時左折車があった。
停車してくれたのに 母も危ないと察知して立ち止まる。
「大丈夫よ」と再度歩き始めたが…。

実は 初期から中期にかけては 信号も車も見ないで道を渡っていた。
あの時「判らなくなったんだな」と思っていた。
でも そうではなかったのだろう。
心がむしゃくしゃして 本来判断できる事も出来なくなっていたということだったのだろうと最近は感じている。
それほどまでに 認知症初期から中期に掛けての本人の混乱は大きいのだろう。
今だって 混乱は起きているのだけれど…。

バス停でタクシーが来ればラッキーくらいに思っていたが バスがきた。
縁石近くにきちんと停車。
母の右足がバスの車体に乗ったので 手を引いてバスのほうに重心を移行させ両足がバスに入った。
手すりに掴まる手を離さなくて 座席に座るのに手間取った。
ようやく座ったのでミラー越しに運転手さんをみて「ありがとうございました」と一言。運転手さん にっこりしてドアを閉めて発車。
とても気持ちが良かった。
下りる時も きちんと縁石近くに停車してくれて無事降車できた。

次のバスが 生憎 ノンステップバスではなかった。
母は嫌がった。観て判ると言う事だろう。
幸い 運転見習い中のようで指導の方が着いていて 母の手を介助してくださった。下りる時も同様。

今日の行きの道は 何とかクリアできた。

診療所では 午後の診察まで暫くあるので椅子に座って待った。
待合室には この度の制度改正に関しての説明の張り紙がしてあった。
結構 曖昧なところがあって助かっていたものとしては いろいろ面倒になったものだと感じた。

母の機嫌少し下り坂。
隣で両手をしっかり握って座っていた。
おそらく 緩めのものがチビットのはず。
順番が来て診察。
医師が母の両手を引いて下さり 診察室へ。

検査結果は「大きく心配するところなし」と言う事で母と医師が握手。
血圧は 高かった。
これの原因は「お腹のゆるみに拠るものだと思う」と医師に伝えた。
医師も了解。

無事診察を終えて トイレ誘導。
やはり 想像通り。
パットを取替え 綺麗にして手洗いを済ませて薬局へ。
ここでも改正の余波が…。
お薬手帳が必要というのだ。
「必須ですか?」と問えば「義務です」と言われた。
張り紙をみると 手帳記入に場合料金がかかるようだ。
勿論 お薬手帳の意味はわかっている。
でもどういう薬か言える場合には 別に必要ないと感じた。
窓口でもめるのも面倒なので 今回は戴くことにした。

施設に戻っておやつとなると食事の時間に近くなるので 今日はケーキ屋さんに入った。
コーヒーブレイク。母にはプリンとコーヒー。

それから 外に出た。
まだ 歩きたい様子だったので 気の向くままに歩いた。疲れれば ベンチで一休み。
帰路はバスを諦めてタクシー。
これが難関だった。

どうして母は タクシーに乗るのを嫌がるんだろう。
帰るイメージがあるのかなぁ〜。
多少強引な介助をしてしまうこともあるからかなぁ〜。

乗車に難儀したので 降車時を想定して降り易い座り方になってもらった。おかげで 降車は割合スムースだった。
強引なことをした時は 母は怒る。
でも「ごめんね」と謝るとこくりと頷いてくれるのが救いである。

考えれば 初期の頃「ごめんね」と謝るって難しかった。
気持ちの何処かで心から謝れなかったように思う。

今月もバスを使って 通院できた。
移動に手間取ることって 母にとってどうなんだろうなぁ〜。
見守る側としては も少しの間公共の交通機関を利用できれば…と願うのだが…。


2008年04月14日(月) 健康であればこそ


 昨日 母のところに出かけた時 入所者のお嬢さんが脳梗塞で倒れて入院なさったと入所者の方から伺った。
お嬢さんのピンチヒッター役で ご主人が通院介助してくださったそうだ。

いろいろの経緯がありお嬢さんは 再婚。
とてもよい方とめぐり合ったと伺っていた。

お嬢さんのご主人 奥様とお義母様の通い介護。
それもこちらまでは 結構遠い。
他にも兄弟が居られるのに「よくなさるなぁ」と思った。

入所者の方に「誰にでも出来る事ではないですよ。ほんとに心優しいお婿さんですね」と伝えたら「そうなの。みんながそういうのよ」と笑顔を見せてくれた。

病については「こういう家系だから仕方ないのよね」と達観されていた。

そういえば 介護仲間が「テレビからの情報だけれど…」と断って「4月は 脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすい季節だと言っていた」と話してた。
介護仲間も狭心症を起こしかけて 検査を受ける予定だと話されていた。

介護に当たる介護者は 健康に留意して欲しいと思う。
勿論 自分も含めてである。

健康であればこそ出来る介護である。


2008年04月13日(日) 美味しい時間


日曜日だが 家族は出勤。それも帰宅も遅い。
と言う訳で 母の所に出かけた。

途中コーヒー豆を購入。
施設のおやつの時間に淹れてあげようと思った。
飲めない人には 酷だが でも香りがたてばそれも気分転換になりはしないだろうか…と思ったのだ。
外出も儘ならず 毎日ベットの中で過ごしていたら 香りだって刺激になってくれはしまいかと思った。

職員には「おやつの時間に ちょっと我儘させてください」とお願いをし 了解を得た。

着いた時は 最高の機嫌の母だった。
がトイレ誘導の後 少し変化した。
何かを我慢している風だった。

母と視線が合った時「お尻からなにか…」と言いかけた。
瞬時に「そうか」と感じ トイレに誘導。
2度目も危機一髪。
止まっては出るので 母もトイレを離れられない様子で立ち上がろうとはしなかった。

職員に報告して乳製品を摂取してないか確認したら 今朝ヤクルトをのんだとのことだ。
職員に 1日排泄が止まるまでは 乳製品をとめていただく事にした。
マグやアロエは通常通りと言う事にしてもらう。

おやつの時間が近くなり お湯を沸かしたりコーヒーを淹れる準備。
カップを温めて ドリップで淹れて…。
途中で入所者の家族も4名ほど見え入所者の方と一緒に飲んで戴く。
ついでに 日曜出勤の職員の方にも…。

「皆さんの部屋まで いい香りがしています」と職員の声に 良かったと思った。

でも その間 母は放置。
自分の分を持って居室に入り 持参したスィートポテトでコーヒータイムを取った。
母は 少し寂しそうだったけれど でもこれで取り返せた。
この時 母は 私の顔をみて「感謝です」と言ったのだった。

夕食は 外食と決めていたので 母と外出。
先にお散歩。
母の足取りは軽く ちょっと早めに歩けて 驚いた。
施設の下で食事しようと立ち寄ったら「5時からです」とシャットアウト。
母も歩き疲れていたので 別に食べるところはここだけではないと思い直しなじみの店まで出かけた。
こちらのほうが 安心できるし美味しい。

2階からは 賑やかな歌声が聴こえた。
注文すると「お母さんが召し上がるんだよね」と確認され「だったら 半分の大きさにするね」と言ってくれた。
其の時は 包丁でカットしてくれるのだと思ったが 軍艦巻きは初めから半分の大きさのものを二つになっていた。
こういうちょっとした気配りは いたく心に沁みる。

作るタイミングもきちんと時間を読んでくださり 最初からさりげなく確認してくれた。

母は 軍艦巻きを手で口に運ぶ度に「にっこり」してた。
「海苔巻きが 食べ難かったら…」と思って 私の分はうなぎにした。
でも半分は 母が食べた。
うなぎを口に運んだ時も「にっこり」
違うものをたのんでおいて 良かった。
こういう表情だと ちょっと贅沢かなと思っても「笑顔があるなら まいいやぁ〜」という気分になる。

お腹がいっぱいになったようで ご機嫌も戻った。
今日は 不思議とむせたりしなかった。

施設に戻り 歯磨きをしてお布団を敷いて 母をテレビの前に座ってもらった。

入所者のご家族 施設で一緒にお食事なさったようで まだ残っておいでだった。
その後 ベットまで誘導されていらした。
心温まる風景だった。

母がテレビに見入っていたので そうっと施設を後にした。
今日の母は 言いたい事の極々近い言葉で表現できた。
排泄のことばと感謝と言う言葉。
感謝は「あら まだいたのね 嬉しい」の意味だと感じている。


2008年04月12日(土) 食べられない「まめ」


菜園に手を加えるのには ほどほどのお天気。
昨夜 乏しいIT知識を使って メールを送信。
何時までたっても 使いこなせない自分にうんざり。
でも何とか出来た。
自分がしたい方法を模索。
今日になって ようやく 理解できた。

メールを送信して 返信が届く。
其の中に 入院中というものがあった。
命拾いした仲間が 予後が良くなくて再治療のための検査を受けているらしい。最後に「頑張ります」とあった。
ちょっと気になっている。
病も心配だけれど お連れ合いの方も調子がよいと言えない状態なのである。家庭の事情も以前から伺っているので 不自由していないかと気がかりなのである。
介護が終わると次は自分の身…。
他人事に思えない。

野菜の苗を届けると言うメールも入った。
仲間が 種から育てた苗である。
返信して菜園で作業していたら「これから ちょっと施設まで…午後に拠らせてもらう」と言う事だった。
施設入所のご家族に食事介助に行かれるのである。
この方は 毎日1日2回通っておいでである。

土を掘り返す作業をしていたら…。
手に豆が出来てしまった。ふらふら状態。
畑の仲間が「一度に頑張るから」と笑われてしまった。
其の通りだから 返す言葉もなかった。

家に戻って昼食を作り娘と食事。
娘は今朝5時過ぎに帰宅。残業というやつである。
以前の会社と比べたら 時折なので可愛いものだが…。
それでも 今日休んで 明日はまた日曜出勤である。
夫も連続月 土日がない状態である。
「貧乏暇なし…」といったところである。

その後 近所の子を連れて 再び菜園へ。
小学生のやんちゃざかり。
水遊びをして上着がぐっしょり濡れていた。
「着替えたら…」といったら「大丈夫」といい そのまま出かけた。

菜園には もう 仲間が苗を植えていってくれた後だった。
そこで 子供たちには ブロッコリーや春菊やルッコラを摘んでもらった。
勿論 それぞれ家に持ち帰るのである。
出来る限りいっぱい持ち帰りたい様子で 夢中で摘んでいた。

それから 菜園のコーナーを子供達用に開放。
そこを自分達で耕してもらい 種まきをして貰った。
自分の作物を育てるために これからせっせと通う事だろう。

子供達の親が「やんちゃな時は叱って下さい」と言っていた。
でも 最初にルールを教えたら きちんと守っていた。
「学校でも言われるよ」と言っていた。

夕暮れ時となり 子供達は それぞれの家に戻っていった。

夜になって友人からメールが届く。
新設された施設の情報で 理事長のワンマンで職員が次々辞めたという内部情報だった。
だから そこを利用しないほうがいいし 仲間にも薦めないほうが良いというものだった。
やめていった人は きちんと仕事をこなせる良い方達という。
もうすでに 別の場所で立派にお仕事をなさっている様子だった。

しかしなぁ〜と思う。
入所者は いい迷惑だろうなぁ〜。


2008年04月11日(金) おやおや…!


 午前中 介護仲間と話し合い兼打ち合わせ。
今年度 少し役割分担して活動する事が決まった。

仲間で時間の都合のつく人たちで会食。
ひとり暮らしの方は賑やかに食事できて良かったという事。
また 日中のみ独りの方は 手抜き昼食になるので良かったという事。
こういう機会もよいと思う。

その後 母の所に出かけた。
施設に着くと母は入浴中だった。
其の間 入所者の方とおしゃべりして過ごした。

母がお風呂から上がってきて職員とバトンタッチ。
居室にて水分補給。
この時に ちょっとびっくりするような事が起きた。

私自身 肩に凝りを覚える事が多い。
そんな訳で ついつい 無意識で肩に手をやって揉み解す事がある。
母に水分補給しながら肩に手をやっていた。
そこに母の手が伸びてきて 私の肩をそうっと撫でてくれた。
それも 結構長い時間。
思わず母の顔をみると「いいの いいの」と言わんばかりの表情だった。

認知症初期から中期にかけての時期には「疲れるのね」と揉んでくれたし 夫の肩も揉んでくれていた。
しかし 中期の後半からはそういうこともしなくなってた。
「ちょっと揉んで」と言っても通じなくなっていた。

そうそう それと私の呼び方にも変化が出てきている。
「おまえ」というのだ。
母は「おまえ」とは 殆ど言う事がなかった。
認知症発症前は 呼び捨てで名前を呼ぶか さん付けで呼ぶかだった。
発症後は いとこの名前で呼び。
つい最近までは「おかちゃん」だった。
それが「おまえ」に変化してきている。

こういう事って 他の人も同じように起きているのかなぁ〜。

今朝の朝日新聞に「排尿ケア 脱オムツ」の見出しで 膀胱の働きを調べてきめ細かく対応していると言う事例が載っていた。
認知症に限った対応ではないので 認知症の人にどの程度の効果が在るのかは判らなかったが…。
地道に努力している地域のあることを知り 嬉しくなった。


2008年04月10日(木) シンプルに…


雨の一日だった。
雨が上がったら 活動後銀行まで行くつもりだった。

訪問は ひとり暮らしの方のお掃除活動。
この方には 実にたくさんの人が関わっていらした。
うちの事業所の方 後見人 障害者支援団体等。

物を整理するのに 今日1日で 6名の人が動いた。
実際片付けに関わったのは 事業所のボランティア2名と後見人。

主に押入れの整理と言う事だった。
かなり時代物のレコードやテープやビデオテープやCD。
レコードは 保存状態が悪く盤自体がほこりをかぶり反ってしまっているものも多くあった。
洋服も新しいものと廃棄しかないものとがごちゃ混ぜとなっていた。

作業内容が想像できたので 汚れ覚悟の服装で出かけたが 手袋まではちょっと憚れた。
普通に暮らしておいでの人のところに手袋をつけることは 私には出来ない。
もうひとりの男性は 割り切って軍手を持参なさっていた。

一間の押入れの半間分を完璧に整理。
後は 居室をザッと整理して掃除機をかけて ゴミを分別して纏めるのに2人で2時間。

本当は 今使っているもの以外は 全て廃棄にしても良いくらいだったと思う。
探そうとしても探しきれないだろうと思われる量なのである。
ただ ご本人のこだわりもあるということだったのでお聞きしながら作業を進めた。

以前 ある方から近所の方の苦情を受けて清掃業者の方に協力して頂き 清掃に当たったというお話を伺ったことがある。
それに近い状態ではないかと感じた。

もうひとりの方は 次の仕事があるとかで終了時間は守りたい様子だった。
分別し纏めたゴミをの様子を障害者支援団体の方に引継ぎをしなければならないので 残って説明する役目を受けた。

遅れて見えて ドキドキしたけれど 無事 説明しバトンタッチ。
バス停まで遠いので テクテク歩いてバスに乗り込むと一緒に活動なさった人が乗っていた。
バス時間が間遠いので 結局同じ時間だったと言う事。

今日の活動を通して感じたのは 先を予測して出来る限り 物は少なくしていたほうが良いなと感じた。
毎日の暮らしの中で 探し物が多くなっているわが身なので…。
「シンプルイズベスト」なのだろうなぁ〜。


2008年04月09日(水) 効きすぎた?


リハビリの日なので お弁当を持って母の所に出かけた。
昼食前に着いて トイレ誘導。
これが危機一髪だった。
緩めすぎて…。
それからが 止まらない。

ホールでは 昼食が始まっている気配。
何とか立ち上がった時 また…。
トイレで2回パンツを取り替えたなんて久しぶりの事だ。

何とかすっきりとして 昼食。
早い人は食べ終える時間だった。

食事は 程よいペースで食べ終えた。

直ぐに歯磨きトイレ誘導。
ここでもまた…。

職員が今朝 タイミングよく出たので 状況からヨーグルトは止めたと言う事だった。
一昨日の八朔一個 効き過ぎたかな?
きっと昨日 ヨーグルトも摂取しているだろう。
「タイミング難しいですね」と職員も話されていた。
暫く トイレで過ごしタイミングを見て リハの準備。

割りに静かだが…お腹が痛いからだろう。
リハビリも静かに受けていた。
足の屈伸の時には 右の時も左の時も何やら声を上げていた。
少し痛んだのかな?

リハが済んでまたトイレ誘導。
まだ 治まらない様子だった。

ホールに移動した。
今日は 歌舞伎のテレビをやっていた。
また じっと見ていた。
歌舞伎に連れて行ったら 母は鑑賞できるだろうかとふと思った。

空が暗くなってきたので 降り出す前に施設を後にした。


2008年04月08日(火) 活動日


 訪問活動日だった。
いつも笑みを絶やさず 穏やかなお人柄の利用者さん。
91歳でも なお老人会出活動なさっている。
地域の公園清掃ボランティアもなさっている。

活動中に電話がかかってきて対応なさっていらした。
どんなお話かは判らなかったが いつも手短に電話を受ける方なのに 今日は長いなと感じていた。

その後 掃除で移動して利用者さんのいる部屋に入った時 珍しく窓辺に佇んで 雨の降る景色をぼんやりと眺めていらした。

「あらら 私は別の部屋に移動しますね」と掃除の終えた部屋のほうに移動なされた。

電話のある部屋の掃除を終えて玄関の方に移動したら…話し声が聞こえた。
来客かと思ったら 利用者さんが電話中だった。
どうも 先ほどの電話の事で誰か友人に相談なさっているようだった。

そうか さっき窓辺で佇んでいらしたのは どうしようかと考えていらしたのだろう。
困ったような表情に 心配事があるのだろうかと気がかりだったが お友達に相談できて重荷も少し軽くなったのではないかとほっとした。

人のお付き合いは いくつになっても難しいのだと教えられた。
でも めげないでいろんな方と交流していくことも大事だと いつも利用者さんに教えられています。


2008年04月07日(月) 晴れ間をぬって…♪


二日面会をお休みしたので 気になってお弁当を作って母の所に出かけた。

昨日は お天気も良かったので また お花見の散歩に連れ出して下さったそうだ。
お散歩が気になっていたので 嬉しかった。

母は 職員ににこやかな笑顔を見せており 私が着いた事を知らせてくれても気がつかなかった。
程なく昼食が始まると言うので 居室に入って手洗いをして貰う。

テーブルについて 一緒に昼食。
母は 自力で食べようとはしなかったのでほぼ全介助での食事となってしまった。
食べ方も少しゆっくりペース。
全量摂取できて 一安心。
体調が悪いようには見えなかったので 心配ないと思う。

食後居室に入り トイレ誘導。
食後のフルーツに八朔を食べて貰う。
家で皮を剥いてきたので 母自身の手でつまんで食べていた。
大きな物だったが 予想通り ほぼ全部食べられた。

その後 雨の晴れ間をぬって お散歩に出た。
ドラックストアまでは順調な歩きだった。
が店内を歩いているうちにお天気が変わり 手押し車から手を離して
スタスタと歩き始めた。
体を傾け 何時転んでもおかしくない状態なのに…。
ハラハラしながら「あぶないからね」と声をかけ手差し伸べても其の手を振り切る。
「危ないから 転ばないでね」等と頻繁に声を掛けていたら お店の方がその場から逃げていってしまった。
頼ろうなんて考えてなかったけれど…「なんだかなぁ〜」と思った。

母は 判っていた訳ではないけれど チョコレートの棚の前で立ち止まったので チョコレートを一個籠に入れた。
それを転機に 母の機嫌も戻った。
母がひとりで歩き始める前に静止したりの言葉もなかったので 突然の変化に面食らってしまった。
今日は 前触れがなかった。
きっと 母の頭の中に何かがイメージされてしまったのだろう。

買い物を済ませて とっとこ歩いて 施設前の中華料理屋さんに入った。「ラーメン食べる?」と聞いたら軽く頷き「すこしだけね」と答えたからである。
お店に入って 注文してお約束のように 小さな小鉢が母用についてくる。最近は 小さな小鉢は私用にと決めている。
母は なるとまきを箸で取って食べて ラーメンも箸で2.3回食べた。

こういう時は 箸を使えるのだ。
潜在能力としては まだ 箸を使えると言う事だと感じている。

お店を出たら ぽつんと雨が手に当たったようで不思議そうな顔をしたので「雨が降ってきたね。戻ろうね」と伝え 施設に戻った。

戻って手を洗ってから 水分補給。

ホールに座ったら「トイレ行きたい」と言う方がいた。
「暫く待ってね」と声を掛けて 歌を唄ったりして気を紛らせてもらう。
職員は 他の方の対応中だったのだ。
対応が済んでホールに戻られて「さっき行って空振りだったでしょ。でも行ってみましょうか」とトイレ誘導してくれた。
今日は しっかり出たようだった。

それから じゃんけんをしたり テレビを観たりして過ごして 夕食になった。それを機に そうっと施設を後にした。

母の事で「おや?」と思うことがあったのだけれど 思い出せないのでまた思い出した時に…。


2008年04月06日(日) やさしいお天気


 明日からお天気が崩れると言う。
母の散歩と菜園とどちらを選ぼうかとしばし悩んだが 結局 菜園の手入れをした。

作業をしていると 近くのグループホームの方が車椅子の方も含めてお散歩なさっていた。
車椅子の人3名。歩きの人 4名。
緩やかではあるけれど坂もある。
車椅子を押すのも大変だろうと思う。

職員同士が話すことはなく 入所者の方とゆっくりと言葉を交わしながらだった。
よく散歩なさり いつも入所者とも丁寧にお話している。
安心できる風景である。

ブロッコリーや春菊の収穫は 殆どわき芽が育ったものである。
家だけでは 食べ切れないほどが収穫できる。
花芽を持ったりしているので そろそろ終わりだけれど…。
でも まだ 倒せないでいる。欲張りである。
十分やわらかいので…。

欲張りと言えば 庭の蕗が大分増えてしまった。
ほんとなら 根を始末したほうが良いのだが…。
食べてしまってからにしようと放置している。
今朝も蕗を刈って 葉と茎とを別々に炊いた。
まだ 葉もやわらかなので ほろ苦さを味わっている。
これで お茶漬けにしたらおいしいのだ。

菜園の作業を済ませてから 毎日買い忘れているラップを買いに出かけた。他にも補充が必要なものがあったので購入。
今日は 取りこぼしなし。

桜も早いところは 葉桜となった。
変わってしだれ桜が見ごろとなった。
これから 八重桜まで 順繰りに楽しめる。

これくらいの気温の時が 体に優しいような気がする。


2008年04月05日(土) 選ぶって大変!

 今月 単発で新規に訪問するお宅の案内が届いた。
活動を減らしているのだが 単発型ならお手伝いできる。

今回は 片付け。
それも2名で押入れの片付けである。

認知症ではないのだが ひとり暮らしの出来る精神に少しの障害のある方

2名での活動と言うのは 初体験である。
一応2時間だが 延びる可能性もあるということだった。

今日は 久しぶりに衣類の買い物に出た。
いつも自分の物を調達しようと出かけるのだが ついつい夫の物になってしまう。夫は 自分で購入することは 殆どない。
シルクのニット なかなかいい値段でかなり迷ったが購入した。

買い物を終えて 朝から仕事に近い形で外出した娘と連絡を取った。
結局 地元を通り越したお店で落ち合う。
そこで また買い物。
娘が 私の分を購入してくれた。

しかし 買い物とはとんとご無沙汰だと選ぶのも大変だ。
第一 自分の体系の変化と服のサイズがいまいち繋がらないのだ。

ついこの間までは 好みの色と柄とサイズでパッと決め 試着なしでも大丈夫だったのに…。
今は そう簡単に選べない。

何でも着られた時代から比べると面倒になってきたなぁ。
それに流行に着いていけない…。

オーソドックスな物が1番安心なのだけれど…。
なかなか見つからない…。

愚痴を零してしまったけれど 1日かけてあちこち眺めて 人様のおしゃれの仕方をしみじみと見入ってしまう楽しい1日だった。


2008年04月04日(金) 画期的?


 万里の長城に出かけた夫の兄弟たちから 昨日 お土産の便が届いた。いろいろ不穏な状況だったけれど出かけたそうだ。

中国は 歓迎ムードだったそうだ。
そして日本人観光客が結構目を引いていたそうだ。

この季節には珍しく雪が降って 視界は良くなくて それでも積もった雪の上を気をつけながら上ってきたそうだ。

お礼の電話をして 楽しかったお話を聞かせて貰った。
兄弟の中で 参加しないのは我が家だけ…。

今日 母の所に出かけようとしたら 電話相談があって話が少し長引いてしまった。
母の所に出かけてから 用足しに行くはずだったが それは断念した。

母は入浴中だった。
我が家で31日に入浴しているので 少なくともこれくらいの間隔で入浴できれば良いのだが…。

母の入浴中は 入所者の方と遊んだ。
「あなた お昼ごはん食べた?」「未だです」
「私も未だなのよ。早く食べたいね」「そうですね。早く食べたいですね」
そんな会話を交わした。

昼食後なので空腹と言うわけではない筈で 何か他の事をすれば気が紛れるのだろうと思って 手遊びをした。
ゆっくりとしたテンポで取り組んだら 歌にあわせて出来た。
「あ〜久しぶりにちゃんとできた」と話されていた。
母もそうだったけれど 認知症の人は 自分から歌を唄ったり 遊びを始める事は難しい。
最初の一歩に少し関わってあげれば出来たり 抜けそうなところを埋めてあげるとちゃんと出来て達成感を味わえることが多い。
次に 興味を示したもう一人の方も一緒にじゃんけんをした。
後出しをしようとするのだが 入所者の方の方がもっと後だしなのだ。
私がチョキをだすと それをみてパーをだすのだ。
そして「負けちゃった」と…。
「まけてくれているんでしょ」と言ったら「私 負けてばかりなんだよね」と言われた。
タイミングをみて 私が負ける場面で今日は終了。

その後 母がニコニコ笑顔で浴室から出てきた。
水分補給をしてから ホールに移動。
今度はみんなでキャッチボール。

其のうちに おやつの時間となってみんなでおやつを食べた。
母は おやつも全介助だった。

風呂上りだし 風が少し強くなったのでお散歩は休みにして そうっと施設を後にした。
久々に ご機嫌の笑顔を見せてくれた母だった。

そうそう トイレ誘導した時「ご不浄ね」と言ったと思う。
言葉は一度きりだったので聞き間違いということもあるかもしれない。
でも トイレの前に来た時 頷いたから…間違いないと思うのだけれどなぁ〜。だとしたら 画期的なのだけれど…。


2008年04月03日(木) ようやく逢えた


昨夜 友人に「桜が咲いたね」とようやくメールを送信した。
返事がないので やきもきした。

昼少し前に返信が届いた。
「元気を取り戻しつつある。そのうち そっちに行けるかも…」というものだった。
すかさず 返信をした。
「きょう そっちに出かけてよいか?逢いたい」と。
直ぐに「いいよ」との返信。

畑に行って 少し収穫して 朝 庭の蕗を刈って 葉と茎をそれぞれ炊いた物と手作りのママレードを瓶に詰めて それらを持ってエッサカ ホイサカと電車を乗り継いで出かけた。

「お土産なし 身一つでこい」との事だったのだ。

お互いに逢う事を目標に立てて 逢えない儘 何年も過ぎてしまった。

こちらから出かけようとすると「体調悪し…逢いたくない」と言う事も幾度かあった。

おそらく母の満88歳のお祝いに来てくれたのが 最後の筈。
まる4年だわ♪
電話での会話は無理になって メールだけが連絡手段。
家族と話そうとすれば あいつはきっと嫌がるだろうし…。

愛犬が玄関で「ワン」とほえて 私が着いたと感じてくれ戸を開ける前から「よく来てくれた」と言っていた。
お互い「ひさしぶり」と感激。
心配だったけれど 思ってたよりずっと元気そうで一安心できた。

彼女は 言葉を発して 私は言葉と筆談を交えて…。
昨年は キッチンに立って調理する事すら出来なくなる日も多かったのだ。

今日は 朝 パンを焼いたりしていたらしくご馳走になった。

一番下の高校生になった双子ちゃんは春休みで 出かけた先から戻ってきて逢えた。
突然の訪問だったので 二人とも「おばちゃん 久しぶり…」と驚いていた。今年から 社会人となったお嬢さんも仕事が終わって帰ってきて「わっ
 おばちゃん 久しぶりです」と驚いていた。

彼女が吐露した言葉が 耳にこびりついている。
うつ状態に陥って 元気そうに頑張ってる明るい人に出会うと殺意に似た気持ちが沸いてしまう。
昨今のニュースをみると その人の気持ちが何となく判るというのだった。
だから 私と逢って大変なことを口走ってしまうのではないかと怖くて逢えないと言う気持ちもあったと言うのだった。

「そんなこと百も承知のこっちでしょ。もう20年余の付き合いだよ」と言って あはははと笑ったら「全く 高笑いするんだから…」と言われた。

3時間近く過ごしてさよならした。
帰りは 駅までお嬢さんに送って貰いながらテクテク歩いた。
この子の生まれた時 彼女は入院した。 
上の子と4人で我が家に遊びに来ていたんだ。
保育園にだって 子供たちが迎えに行っていたんだ。
其の子ももう社会人一年生だ。

彼女と一緒に桜を観る事は叶わなかったけれど 元気な彼女とコタツの中で庭の梨の花を眺めておしゃべりできて…幸せ気分になった。

「今日は 儲けたよ。ありがとう♪」と言ったら彼女も同じだと言っていた。

次は あいつが出かけてくる番だわ。
それより何より あいつが先におばあちゃんになる。
元気の元は…きっと 長女さんの出産なのかもしれない。
でかしたぞ「○ちゃん♪」

でもいっぱいおしゃべりした彼女は 今頃疲れているんじゃないかなぁ〜。
こっちは 元気もりもりとなったけれど…。


2008年04月02日(水) 春の味


 リハビリの日なので母の所に出かけた。
母は緩めの排泄らしく ちょっと気分低調。
昨日の夕食 油が多かったかなと反省。

昼食介助を職員とバトンタッチ。
全量摂取できた。 

昨日家を出る時 玄関前で私がバランスを崩してしたたか母の足を踏んでしまった。
其の時の母の怒りようは 凄かった。
再度 歩こうと誘った時「これだから 心配で…」と怒った。

痛かったのだろうけれど 関連性のある言葉を発している事に驚き そして嬉しかった。
母にとっては とんでもないことだけれど…でも 経験から感じた言葉を使えるなんて 殆ど消えてしまっているからだ。

今日 足の様子を見てみたが 特に変わりなくて 足もよく屈伸できて動きは良好だったのでホッとした。

リハビリは 順調だったが 寝ることもなくて 直ぐに起き出した。
おやつを少し口に運ぼうとして 振り払われた。
お腹の影響かなと思う。

数日前 母自身が爪が伸びている事気にしていた。
家にいる時爪切りが出来なかったので 居室で爪切り。
少し嫌がったが「危ないし 汚いから我慢してね」と伝えたら頷いた。
でも爪を切ろうとすると直ぐに嫌がる。
判っていても 嫌なんだろう。
鬼の爪ようにまで伸びていたわけではないのだけれど…。

トイレ誘導は 今日もばっちりだった。
特に時間を計るわけではないのだけれど 誘導時にジャストミート。

ホールに移動して テレビを観てもらう。
ちょうど 歌舞伎の番組だった。
落ち着きがないのだけれどチラチラと見入っていた。
その後 渡良瀬川の葦の原の手入れの画面。
じっとみていた。
テレビを観るのは 文字が出たりアクションだと観やすいのだろうと思っていていたが そういう番組にも興味を示す事がわかって嬉しかった。

おやつの時間となったので そうっと施設を後にした。
帰路 河川敷に沿ってテクテク。
土手に出ていた筑紫を摘んだ。
夕方 佃煮にした。
苦味のある春の味。


2008年04月01日(火) 排泄誘導


昨夜の最終トイレが午前1時で空振り。
午前3時「おかちゃん」と言う声に目覚めて トイレ誘導。
これは すでに出た後だったが 追加が出た。
その後午前6時と7時半に誘導。これは 成功。
明け方の尿量が多かった。

6時に夫を送り出したので それからは布団の中でうつらうつら。
7時半には 起床して朝茶を2杯。

洗面 歯磨き後 朝食は8時過ぎ。
ご飯を食べ始めたら 急にニコニコが始まった。
食事は 全量摂取。
このところ また 自力の食事が少なくなった。
箸は持つけれど 箸捌きが下降気味。
ほぼ全介助で食べ終えた。
食後 投薬。

洗濯は夫が出かけて直ぐに廻し始めたので 食後には干した。
洋服に着替えたのは食後。

片づけをする間 母には百人一首の本を渡した。
母は 大分長い事 それを見ていた。
以前なら 声を出して読んだものだが…今はじっと見入っている。
興味がないなら 読みはしないのだから ある程度文字を追っているように感じた。

昼前に 何となくそわそわ感があり トイレ誘導したら見事「大」排出。
昨夜も 入浴前 大が少し出たのでこれなら良好と言う事だろう。

少し早めに昼食。
今日は 午後介護者の会がある。
母を連れて出かけた。

会には もうひとり本人を連れての参加があった。
新しい方も4名ほど参加。
其の中のお一人が 今度 連れて参加しようかしら…ひとりで置いておくのは心配だから…と話されていた。
本人の参加が多くなったら ミニデイもいいかもしれない。

新しい方は 回覧に会の案内が出ていたから 出かけてみようと思ったというお話だった。
会独自で 広報活動はなかなか出来ていなかったが 役所のお知らせで広報されるようになり 認知してもらえる様になったようだ。

地域の歯車が少しずつかみ合ってきているのだと感じた。

新しい方も加えて いろんな話題となった。
この間 母は私の隣に座っていた。
果物 お菓子 そして小道具を準備していたのでそれらを有効に活用した。
だが 時折不穏になったが 小さなものだった。
前回は トイレに連れて行けず 失敗したので今回は その辺を配慮して同じ失敗は避けられた。

会が終わると4時過ぎ…。
施設の食事は4時半。
無理に施設に合わせず 母と食事を済ませてから のんびりと施設に戻った。
日が長くなったので 食事を済ませてもまだ明るいので助かる。

今日の排泄誘導は 100パーセント成功。
これだとオムツの使用量はかなり節約できる。
自力では無理なので 誘導しか出来ない。
ゆとりがないとサインや感覚をつかむのは難しい…。



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