母のタイムスリップ日記
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2007年07月31日(火) 出来たね♪


母の所に行く途中 あれやこれや用を足した。
この所 食後の口の中には食べかすが残っている事が多い。
痛そうではないし 入れ歯を外すこともない。
入れ歯が少し合わないのか それともほほの内側の筋肉や舌の動きが良くないのか...はたまた 食後の水分摂取が足りないのか気になるところである。
それで メカブをせっせと運んでいる。
メカブを食べると食べかすが残らない。
面会に行ったときは 歯磨きをするので良いのだが 面会のない日の対策にもなる。

用を足しながら スーパーでメカブを購入。
乾燥したガゴメも購入。
メカブは 日持ちしないので急場にはガゴメを汁物に入れて貰おうと思ったのだ。

施設に着くと 母はソファーで湿布交換してもらっていた。
そばに行くと困った視線を送ってきた。
午前中は機嫌よかったが どうもパンツを汚しているようでそれで機嫌が悪くなっているのだろうという事だった。
湿布替えを終えて直ぐにトイレ誘導。
こういう場合 母は拒否が始まるので「〇ちゃん 大事な〇ちゃん」と耳元で囁いた。「大事だって...」と母は呟いていて私の顔を見た。

トレパン着用の儘便座に座ってもらい 替えの下着やトレパンを準備した後で 汚れを綺麗に拭いた。
昨日も出たという事で2日続き。
マグラックスもアロエも服用していない事を確認。
何故緩めなのか 探っていただく。
朝食にヤクルトがでたという事だったので それが影響しているかも知れない。

母のお腹は 時にヤクルトだけでも過剰に反応する。影響がない時もあるのだから厄介である。もともとそういった体質だったのだのであまり心配はしていない。

便座に座っている間にまた緩めのものがでた。
腹痛も有るようなので 薄荷油を少し塗った。

トイレからでて暫くすると機嫌が戻ってきた。
そばで アサガオを折って ドアに飾った。
折紙をしている時 折途中で母に渡すと出来る所まで折り始めた。
作品を作り上げるほどまでには 出来なくなっているが それでも勘が働くようである。これは 嬉しかった。
母も嬉しそうだった。
やはり できるって嬉しい事なんだね。

歌も同じ。
通して唄う事は無理だが 母が思い出せそうなところで唄うのをやめると続きの歌詞が口にするのだ。
直ぐ止まってしまうので また私が歌いだすのだが 歌詞を口にできた時の母の表情は嬉しそうである。

折紙も歌も母の十八番だったのだから 断片的であっても引き出せればこちらも本当に嬉しくなる。
今日の歌は♪みどりのもりのかなたから...♪だった。

湿布を替えている時 職員が湿布薬の所にプツプツが有ると言われた。
一昨日に私も気がついていたので湿布をやめようかと思ったのだった。
今日は 指の所だけに湿布してもらい甲には塗り薬を塗布するに留めた。
職員はかぶれと見ていたようだが おそらく違うと思う。

痛みも落ち着いてきているようなので 外して様子をみて行きたい旨御願いした。

今日は 娘が帰国するので 早めに面会を切り上げた。
こってり系の食事で胃袋が参っているだろうから あっさり系の夕食を準備した。 


2007年07月30日(月) ヒヤリハット対策


 少し前の事だが ドアの危険性についての記事に目が留まった。

取っ手のある方に指を挟む事も有るが蝶番のある方で指を挟むこともある。
また 車のドアだったりもする。
ドアの開閉の時には注意を払わなくてはならないが 風でいきなりドアが閉まったりする時もある。
そういう時は 木製のドアであっても危険だそうだ。

母も幾度か ドアの開閉時の怪我を経験している。

最近は 手すりがあってもドアの隙間に手をかけることが目立ち始めた。
手すりのある所では 母の手を手すりに誘導するようにしている。
手すりのない所では 蝶番のないほうに向くように誘導している。

最初のヒヤリハットは タクシーのドアだった。
以来 母の手足は軽く抑えてから「御願いします」と運転手さんに伝える事にしている。

次は エレベーターのドア。
体が外に出ても 手は内側にあったりするのでこれも自分の足でドアを止めて 母の両手を取ってから 足を離すように心がけている。

ドアといえば 最近富に几帳面になって 自動ドアを出入後もドアを閉めなくては…と手を伸ばす。
「締めないでも 大丈夫よ」と声をかけるようにしているが「どうして大丈夫なのか」が判らない風で 自動ドアの時は 少し急いでドアから離れるようにしている。

蝶番のあるドアの場合 指鋏み防止に牛乳の紙パックを蛇腹に折ってドアの間に挟むとすきまが見えなるそうだ。
介護用品として特許をとり 販売もしているようだ。

危険なときは「危ないよ」と声を出して 母に伝えるようにしていた。母は 少し学習しているようで その言葉でハッとする時がある。言葉掛けと目視で危険回避に努める日々である。
忘れることが多いのだけれど 「危ない」「汚いよ」は結構 記憶に留まってくれる事がある。
穏やかに根気よく続けると 必ずではないけれど伝わっていると感じている。
いつも記しているが 母の言葉は大分消えていて痛む場所すら伝えられない。「暑い」「眠い」「お腹が空いた」という事さえ話せない。

あちゃ 雷がすごいのでパソコン電源切ります。


2007年07月29日(日) 入浴できたね


今回の参院選は娘は 期日前投票 夫は仕事前に 私 家事終了後にとバラバラの投票となった。
組織票の政党支持ではないのだが 我が家では棄権しないことが原則。
ただ 母はもう文字が書けないので棄権である。

昼食ギリギリに施設へと滑り込んだ。
食べるのは 比較的順調。
熱は 既に下がっている。
今朝は 座薬も使ってないという。
けれど 母の表情はちょっと浮かなかった。

食後 トイレに誘導すると出掛かっていた。
トイレに座る事4.50分 何とか排出できた。
緩めでゆっくりなので 幾度か立ち上がってもらい 慌てて座ってもらう繰り返しだった。
それでも トイレで済ませられて良かった。
腹痛もあり アロマのスプレーをお腹に塗ってあげた。
娘が 母の為に購入してくれた。

其の後 水分摂取。
その間に 居室の掃除。
施設内リフォームだったので 荷物がバラバラ。
それに 何となくゴミも目立っていた。

ついでに ホールの掃除機を掛けた。

職員が「入浴はどうですか?」といわれたので 入浴介助することにした。
入浴の難しい方の誘導を先にどうぞと伝えた。
職員がトライするが のらりくらりと拒否の言葉を発していた。
そこで 髪の毛を梳いてみて 様子を見ることにした。
いつもなら「ありがとう」と言う方だが 今日は「痛い」と訴えられた。
今日は 無理かも知れない。
職員はめげずに ゆっくりと言葉掛けを続けていた。
一押しかなと思って その方の手にアロマオイルを塗って見た。
「ありがとう」とにこやかだが 入浴はやはり無理だった。

母の入浴の支度を始めると その方が見えてスカートの裾の解れをしきりに気にしていたので 糸と針を借りてまつって差し上げる事にした。
着替えのスカートは すんなりと替えてくれた。
解れを直して 職員に洗濯物として渡した。

それから 母の入浴介助。
左足の甲まで浮腫みが広がっていた。
でも腰も随分軽くなっており 歩くのも普通に近い状態だったし痛みの訴えはなかった。
でも湿布をはがすと「青くなっているね」と足を見ていた。

体全体を洗った。
身体を擦ってみると垢がポロポロ。
今日も3.4回 石鹸を付け流しての繰り返したが なかなか「これでよし」にならなかった。
頭髪はシャンプーハットを使って2度洗い。
お湯を掛ける時は さすがに嫌がった。
「ごめんね」と謝りながら 我慢してもらう。

1時間ほど格闘して入浴終了。
身体を拭いて 足に塗り薬を塗布後湿布を貼り付けた。
職員が 水分補給のお茶を準備してくださった。
それから ドライヤーで乾かしてホッと一息。

程なく 夕食の配膳が始まった。

暑くて汗だく。身体はグッタリ。お昼も出かける前にちょこっと食べただけでお腹ペコペコ。
夕立も上がったようなので 急いで家路についた。

家について暫くしたら 雷鳴と共に激しい雨。
慌てて 窓を閉じた。


2007年07月28日(土) 束の間の休息


古い友人と待ち合わせて NHKホールへ。
街頭は 参院選の立会い演説会で賑やかだった。
今日が最終日だから力も入るだろう。

NHKホールでは コンサート。
娘が2枚チケットを購入してくれた。
娘から見れば 遊びの部分が少ないので 少し力を抜いて楽しみなさいという思いがあるのだろう。

♪人生が2度あれば この人生が2度あれば...♪の歌を聴いているうちに涙が零れてきた。コンサートで涙を零すことなんて初体験。
この所の弟達の様子を見るに付け 感じる所があって その上追い込まれたような日々に少し余裕をなくしていたのかもしれない。
暗いホールだし止まらなくなるほどではないので拭き取る事もしなかった。
新しい曲も好きだけれど 懐かしい曲も今風にアレンジされていて心地よかった。

出かけてよかった。
束の間 介護を忘れていたのだから 贅沢な時間だったのだろう。

コンサートホールから出て携帯電話をチェック。
メールも着信もなかったのでホッとした。

ホールから 人の流れに逆らわずに歩く。
すごい流れである。
町並みも随分変わったが 古い建物も残っていて友人とおしゃべりしながら歩いた。
カフェで 友人と余韻を楽しむ。

友人と別れて 久しぶりに深夜の電車に乗った。
かったるいような雰囲気のする車内は いつも見る風景とは随分違う。

オーケストラの演奏も好きだし ジャズも好き。
自分から出かけることは殆どないので こういう時をプレゼントしてくれた娘に感謝。

コンサートのチケットは 娘の以前の職場の同僚の分も購入していた。
隣り合わせる人が知り合いのみと言うのも肩が凝らなくていいなぁ〜。
娘の友人から荷物を受け取った。
娘の興味のありそうなものが詰まっている荷物だった。
帰国までのお楽しみ。


2007年07月27日(金) 自分が悪いんだわね。


 朝 電車に乗って会議に出かける。
昼過ぎに戻って 母の所に出かける。

今日も施設改装中。
大勢の人がいる中で 玄関を入っただけで 何かを感じたのだろう。
私の姿を見ると「ここだよ」といわんばかりに手を上げた。
お散歩中だって見知らぬ人に手を振ることもあるのだが その時と違うと感じるのは 親子だから感じるのだろうか?

母の居室は使えないので 職員に靴とオムツを取って貰い お散歩にでた。
今日は 外履きは痛がって履けなかった。

入浴出来ていないので 洗髪して貰おうと美容院に立ち寄る。
母は洗髪したいらしい。
でもシャンプー台の椅子を倒すと怖がって拒否。
何回かチャレンジしたけれど無理だった。
母の拒否振り 私とのやり取りを見ていた美容院の方が みんな揃って母を囲み「ははは」と笑う。
「あちゃ 失敗したわ」と思った。

今日は 無理と思って美容院の方に謝って 取りやめた。
その事は 美容院の方も快く了解してくださった。
取りやめると決めた時 母が「笑わないで下さい」とはっきりと言った。
この言葉 美容院の人に通じかどうかは疑問。
はっきり聴こえたのは 私だけなのかも知れない。
でも ほんとにはっきり言ったんだけどなぁ〜。
これからは ここでは無理かも。
ひょっとしたら ここだけではないのかも知れない。

「まだ出来る」いや「無理」そんな思いが行ったり来たり。
考えても仕方がないので その時々で考えていこうと思った。

トイレ誘導したいので 近くのファミレスに入った。
夕食に影響しない程度に デザートとお茶。
美味しそうに自力で食べていたが 途中から介助。
母は口を開けるだけ。
まいいか 口を開けるという事は 食べる意思があるとわかるものね。

少し涼んだら 落ち着いてきたようだ。
トイレに誘導して排尿。

更に水分を摂取してから お店を出て テクテク戻った。

少し熱く感じたが 平熱だったので安心した。
夕食の配膳が始まったので そうっと家を出た。

しかし 昨夜は暑くて寝苦しい夜だった。
つい先日まで 涼しかったのに...。

家に戻ったら 宅配の不在連絡が2枚。
慌てて 再配達を依頼したのだが...。
その間に携帯の会社から電話が入った。
娘の電話が壊れて 修理に出しておりその預かり証を取りに来てという事だった。そうだった 頼まれていたのだった。
慌てて 再度自転車に飛び乗って出かけなおした。
この暑い中 3度も坂道を上った。
忘れた自分が悪いのだわさ。 


2007年07月26日(木) お・さ・ん・ぽ ♪


 娘は 昼 仕事で サンディエゴに向かって出発。
この数日 体調不良で仕事しながら通院していた。
注射を打ってもらい 薬を頂き備えをして出かけたので大丈夫と思うが...。
無事の帰国を祈るのみ。

娘と駅まで一緒 その足で母の所に向かう。
母の介助で手首をやられてしまった。
手首を前に曲げるとピクリと痛む。
不自然な形で介助したのだろう。

施設は今日から改装工事が再開。
母は別のフロアで食事介助を受けていた。
今日は 起床前に座薬を入れたので 其の後は機嫌が良く過ごしているとの事で食事も順調に進んでいた。
がお隣の方が いつにも増して進まない。
職員も忙しく1人の人にゆっくりと介助できないので こちらで受けた。
2人の介助なので うまく行かなかったが 母が終わったのでその方専門に介助。職員は「眠そうなので後にしましょうかね」と言われたので「できるところまでこちらが介助します」と申し出て 副菜を少しずつ小皿に取リ分けた。4.50分かけて8割がた食べられた。
後半はじっくり向き合ったので口を開けてくれた。
口に残っている事が多いので「良く噛みましょう」と声をかけたら 突然しっかり噛み始めたのには驚いた。話しかければ こちらの気持ちを受け止めてくれ嬉しかった。

食後暫くしてから 入所者をお散歩に連れ出した。
工事中なので 皆さんストレスを感じられると思ったからである。
それに母を遠くに連れ出すのは無理な状態という事もあった。

食事介助させてもらった人は 昨日ご家族が見えていたが食介と入浴介助をなさったのでお散歩はしていないと判ったのでお連れした。
声をかけるとスッと立たれて 意欲満々。
疲れると歩きたがらないのだが 今日は川向こうの公園まで歩いた。休息を取って戻った。疲れた様子はなくて 笑顔を見せてくれた。
こんな者にも笑顔を下さりありがたかった。

その次は車椅子の方。
コースを変えて花屋さんまで。残念ながら花屋さんはお休み。
でも「ありがとう」とお礼を言われた。

その次は 歩き。
また別のコース。
草むらを歩く時転倒が怖いので腰の辺りに手をかけたら「あなた 疲れるわよ」と声をかけてくださった。
いろんな場面で強い拒否が有る方だが 気遣いを下さった。ありがたいことである。
最後は母。
母は無理させられないので 昼食抜きの私のお付き合いでお隣のお店まで同行してもらった。
エアコンが効いていて 私は人心地付いたが母には寒かったようだ。
やはり 夏は上着を持ってないと困ると反省。
ふと外をみると雨が降り始めていた。
「雨降る前に戻ろう」と家を出たので洗濯物が出しっぱなし。
急いで施設に戻って 家路についた。

母のトイレ誘導は今日は出来なかった。
「沢山でていました」と職員に言われたが...。
居室が使えないので他の方のトイレを使うのは少し気がひけたのだ。
母には悪い事をしてしまった。


2007年07月25日(水) 経過観察中


利用者さん訪問。
6畳ほどの部屋とトイレと浴室の掃除 後は洗濯が今日の活動。
普通なら 1時間あれば出来る感じ。
けれど 結構細かい事を依頼されるので 2時間たっぷりかかった。
病のせいなので止むを得ない。
活動中は 利用者さん「眩暈がする」という事でベットの上に休まれていた。
薬のせいなんだろうなぁ〜。
今日が最終日なので その旨を伝え挨拶すると「ギブスが取れても直ぐには動けないと言われたので 来て頂けますか?」と言われた。
「事業所に電話をして依頼して調整してください」と伝えた。

活動後 母の所に向かう。
今日はリハビリのある日である。
昨日「どうしようかな」と迷ったが いつも通りにと決めた。

施設に着くと みんな昼食を摂っているのに 母は食べていない。
一瞬終わったのかと思ったが そうではなかった。
今日も痛みを訴えたので 母自身が半身起こすまで居室にいてもらったそうだ。
朝食が終わったのが 11時過ぎだったので 昼食をずらしているという事だった。
痛み止めの座薬を使ったそうだ。

母はニコニコしているので 機嫌は悪くないようだった。
トイレ誘導すると少し緩めのものが少量。
消炎剤を服用しているのでお腹に来ているのかな?
医師も慎重に薬を選んでいたけれどなぁ。
臀部が赤くなっており 小さな水泡も見られた。
この事は 職員に伝えて注意して貰う様に依頼した。
職員によると 夜間 体の向きを変えたがらなかったと報告が上がっているという事だった。

歯磨きをして手を洗って リハの体勢で療法士さんを待った。
リハが始まる前から ウトウト始めた母。
リハ中もぐっすり寝入っていた。
痛いはずの足も寝ていると動きが悪くなるのが見ていて感じたので 痛いほうの足首やふくらはぎを揉み解して頂く。

夜間 身体を仰向けにしたまま寝ていることで 療法士さんとお話した。
「寝返りを打った時 指先が床に触れて何回か痛い思いをしたのではないか」と言う想像は一致した。
療法士さんは 股にクッションを挟んで 指が床に着かないようにしていた。
その様子や説明を療法士さんから職員に伝えて頂く。
基本は職員と同じという事だった。

寝ているときもそうだが 起き上がる時の対応を知りたいという事だったので 私が立ち上がり介助をしている様子を見てもらった。
介助の方法は 同じだと言っていた。
母は拒否もなかった。

きっと座薬が効いているせいかもしれないと感じたので 朝 早めに座薬を使ってみてはどうかと進言。
起き上がってしまえば 痛みの訴えは殆どない。

リハが済んでから 階下にある料理屋さんに下りて母と遅い昼食を摂った。
勿論 歩きで移動。
支えさえあれば 歩行は問題なかった。
昨日履けなかった外履きも今日は問題なく履けた。
自力で履こうとかかとに手をかけるほどだった。

煮魚定食を頼んだが カレイの煮付けをいつまでも口の中に溜めていたのが気になった。
魚の身って結構口の中に残っている事が多いと介護仲間の話題になった事を思い出した。
煮魚より刺身の方が飲み込みめるという事を思いだしたが時既に遅し。
もっと早く気が付けば良かったわ。

今 母は 口を濯げない。
濯ぐまでは出来てもペッと出さない。
体調の変化で 今 普通じゃないのだろう。「落ち着いたら 治ってよね」と祈るような気持ちだ。
昨日は 手洗いも出来なかったが 今日はちゃんと洗って水で流せた。
「その調子だぞ」と心の中で応援した。

施設に戻って 熱を計る。昼は 消炎剤を省いたので体温が気になる。
水銀が上がるのでドキドキしたが 6度9分でとまり ホッとした。
其の後 おやつの抹茶ゼリーを頂く。これは 飲み込みが良かった。

今日は「おかちゃん」の連発はなかったので やや落ち付き始めているのかもしれない。


2007年07月24日(火) まさか そんなことないよね。


久しぶりの青空に午前中は 洗濯機を数回 廻した。
昼ギリギリに 母の所に向かった。

母は ソファーで食事中だった。
職員が「今朝 股間節に痛みがあるようで起きなかったので 朝食は食べずに昼食前に起床しました」と言われた。
その後 「足の親指が最近打撲した様子があったので湿布してあります」との説明もあった。
「職員に心当たりを聞いたが 誰も判らないという事で 職員の居ないところで何かが起きたのだと思います」とも言われた。
「起床してからは 朝ほど辛そうな様子はありません」という事だった。

食べ終えて 母の手を見ると 片手の指の爪が黄色に染まっていた。
「どうしたんでしょうね?」と聞いて見ると 施設長が「私も今朝気が付きました」と言われた。これも職員には心当たりが無いという事だった。

食後 トイレ誘導の時立ち上がって貰ったが 腰が重い。
「やはり股関節かなぁ〜。でも一体どうしたと言うのだろう?」
歩き始めると股関節に痛みがあるようには見えなくて でも少し足を引きずる感じがあった。痛そうである。

トイレに入ると お腹をさすって辛そう。
排便の状態を職員に伺い 昨日出た事を確認。
一昨日 便秘4日目という事でマグラックス夕朝服用させてくださいと御願いしていたので それが効いたのだと思った。

昨日の排便があったので マグを含めアロエエキスも止めたそうだ。
効きすぎだったのだろうか?

腹痛は辛そうだったが 出ないので様子を見ることにした。
母の身体介助をしながら「何だか熱いな?」と感じたので 体温計を借りて検温。7度3分。
首筋や足の関節に触れると痛がるので 熱が上がる前触れのような感じがした。

足を見ようと靴下を脱がせたが 湿布してあり打撲の具合が見えなかった。
これを剥がせば 母は痛がるだろうから そうっと靴下を履かせた。

打撲と聞いた時には 整形外科に連れて行こうと思ったが この感じだと熱の方が心配になって 罹り付けの医師のところに通院することに決め 職員にもそう伝えた。
医療機関まで 送ってくれると職員は言ってくれた。

ゆっくりと着替えをしながら 爪も切った。
黄色に染まった爪は 使わない歯ブラシに練り歯磨きをつけて 少し擦って水で洗い流したら取れた。
濡れたタオルで拭いても変化はなかったので 取れないかと思ったので嬉しくなった。
表面に色が染み付いていたのだろう。  
でもどうして?こんなこと初めてである。

通院なので 外履きに替えようと思ったら 痛がって靴を履けなかった。
上履きは 柔らかなので大丈夫だったが 外履きは 打撲の足にはきついのだろうと思い片方は 上履きの儘通院する事にした。

座っているときは痛がらないが 歩くと「おかちゃん」を連発。
痛いところはどこかを確かめるが 全てに頷くので判断できなかった。
足だけは 確実に痛いと判る。

熱もあり打撲もあるので 家で様子を見ようかとも思うが 明日は訪問活動が朝一なのだ。
金曜日も予定が入っているし…。
「受けなければ良かった」と悔いるばかりである。
命に関るなら 休みも止むを得ないが…。自分の調子の良さに情けない思いがした。

診療所に着いて 程なく診察。
医師が湿布を剥がす時 母は「ばかぁ〜」と嫌がった。
でも勢いもないので 暴れる事はない。
湿布を剥いだら 真っ青になった親指の付け根が見えた。
これだけ青かったら さぞかし痛いだろう。

「歩行時に足を捻ったのでしょうかね」と聞くと 
医師は「それは有り得ない。この様子だと相当重いものが落ちたのでしょう」と言う。
施設に重いものなどない。

母は口も開かないので喉も見られなかった。
でも確実に熱が上がっている事だけは 判った。
内科的 外科的に処置していただき 薬も頂いて診療所を後にした。
こういう時 母の罹り付けの医師は助かる。
これで 内科と整形を廻ったら 母の疲労度は高まるばかりだからなぁ〜。

今回は 薬が多いので 錠剤は全て砕いて粉にして貰った。
薬局に頼めば 粉砕して貰える。

施設で排尿した時 少し臭っていた。 
また膀胱炎を起しても困るので 車に乗り込む前にミスドに寄って 飲み物を飲んで貰う。150ccほどとドーナツを半分。
夕食に響かないように…。
母は 熱が有るがドーナツを自分で持って食べ始め 飲み物も自力でストローで吸い始めているので ホッとした。
これなら 悪化するほどではない。体全体に熱感がある。

母は 通院後 少しずつ落ち着いてきた。
ただ 通院時使ったトイレは 使いにくかった。
ドアが内側に入り込むので 出る時は1度便座に座ってもらい足をずらしてドアを開けなければならなかったから。
障害者用のトイレさえあれば もう少し楽だったのになぁ〜。

タクシーに乗り込むときは 少し大変だった。
帰路は様子によっては 迎えに来てくれると言われたが 夕刻の忙しさを考えて自力で帰る事にしたのだ。

施設に戻って 診察のことや薬の事を職員に伝えた。

熱の原因は判らないが 先日の内装工事がストレスだったかなぁ〜とも話されていた。
他のフロアでも怪しげな様子の入所がいるという事だった。
工事は 少しストップして 変更しているという。

話しながら検温したら7度8分だった。
夕食が始まったので 母もフロアに移動して食事を始めた。
少し介助したが 食欲はある様子なので 職員にお任せして帰ることにした。

出来る事は 一応対応済みだし 食欲もあるので大事には到らないだろう。

認知症で言葉をなくしつつある人の身体的変化は いろんな方面から勘を働かせないと見えてこない事が多い。

最近の打撲という事で 一昨日の自分の動きも考えてみた。
弟はソファーでおやつ介助だった。
弟の帰った後 頭髪のドライシャンプーは 洗面台の前に立っていた。
母の足も洗った。
指で足指や底や甲を洗った。
その後 ガーゼを使って足指を1本1本洗った。
その時 いつものように足先に触れるのを痛がったが 特に大きな変化は見られなかった。
フロアに移動する時も引きずる足取りではなかったなぁ〜。

念のため 弟にも確認の電話を入れて聞いて見たが 心当りはなかった。

歩行…後退しなければ良いなぁ〜。きっと大丈夫信じるしかない。
気持ちの良い朝だったのになぁ〜。

そういえば 今日も母は職員にも医師にも私にも「ありがとう」と言っていた。
他の言葉は 意味不明だったけれど「ありがとう」だけは はっきり言っていた。
職員には 通院から戻って出迎えてくれた時 私には 爪を切って黄色の色を落とし終えた時 医師には診察の終えた時である。

今朝 施設長が午前中添い寝してくれたようだが…そういう事を時間を経ても思い出せているように感じた。
記憶泥棒と言うけれど…実際の所どの程度のものなんだろうなぁ〜。
こちらが「ありがとう」を誘導したのではない。自然に出ているのだ。
「ありがとう」って最近 良く耳にするなぁ〜。
まさか お迎えが近いなんて事ないよね!まさかね!


2007年07月23日(月) 認知症ネットワーク 大丈夫なの?


今日は 夜の会議なので日中はオフ日だった。
家の中の片付けをしようと思っていたけれど これが気持ちだけで腰が上がらない。
ただ 昨日 夫が菜園で収穫してきたトマトの身割れのしたものだけは 早急に処理しておかないと痛んでしまうのでキッチンで作業。
30個近いとまとの内 15個くらいが身割れしていた。雨のせいだろうか?

私が菜園に行けないと夫が出かけている。
どうなっているか心配な事もあるが 夫の気持ちが菜園に向かってくれる事は嬉しい。
菜園を借りたのは 夫のためなんだもの…。

今日は 久々にカレーを仕込む。
それも 身割れしたトマトを仕上げに入れてコトコト。
ちょっと酸味を帯びたカレーに仕上がりました。

朝は雨が降っていたので 洗濯はお休みと決めたが 雨も上がったので急いで洗濯。
ちょっとだけ 日に当てた。
でも 夕刻に霧雨が降って 湿っぽい儘取りいれた。室内干しとなった。

軽く食事をして会議に向かった。
6月のイヴェントの反省会。
会議の開かれる場所に到着したら ひとりの方が「相談がありますので 会議後時間下さい」と言われた。

会議は9時半過ぎに終わり 帰る道々 お話を伺う。
介護相談だった。
知り合いのご主人が若年性アルツということで 今 入院中なのだそうだ。
病院から退院を勧告されているという事だ。
が これまでの在宅でのいろいろのトラブルで在宅介護に踏み切れなくて悩んでいるという事だった。女性が介護者である。
いろんな道を探るため 1度 その方と介護者と3人で逢って貰えるかと言う打診だった。
日程調整のため お互いに都合の付く時間を確認して逢う方向で動く事になった。

介護者は役所に介護保険の申請に出向いているのだそうだ。
でも その後特に何処からも問い合わせがないそうだ。
介護保険は自己申告が原則だけれど「どうなさっていますか?」という訪問は 何故行われないのだろう?
地域包括に情報を出しているのだろうか?
最近の相談が 介護者から直接来る事が多くなってきている。
地域包括や認知症ネットワークがフリーズしてないだろうか?
介護保険改正前の方がもっと機能していたよ。
役所主導の介護者の会が機能していない事に関連しているのではないかと感じた。


2007年07月22日(日) 介護者の心は いつもピーカン?


昨夜 末弟の話を聞いて 心配な事が起きていると思った。
がまだ きちんと整理して書けないので 後日に。

一昨日 母と散歩している時 こちらに向かってお散歩している方が見えた。だんだん 私達に近くなってきた時「ちゃんと 頭下げなさい」と私に言った。「はい」と返事して すれ違う時に「ぺこり」と頭を下げた。
まるで 私が小さい子供で躾けられてるような感じ。
母は「それでよい」と言わんばかりの目で私を見た。
こんなこと 何年ぶりだろう?

今日は 午後弟と母の所に出かけた。
弟が母のそばに行くまで 私は姿を見せないようにした。
弟の顔をみるとニコニコしている母。
弟が母の隣に座ったら 弟の膝をそうっと撫でていた。
「誰か判らないだろう」と諦め気味に呟いていた弟だったが 名前は判らなくともちゃんと判っていたと感じたようだった。
いつも 私と一緒の面会でそういった配慮を欠いていたので 今日は忘れずに出来てよかったわ。

居室に入って暫く時を過ごして弟は先に帰った。
その後 母のドライシャンプーをして 背中やお腹を拭いた。
その後 容器に水を張って 母の足を洗った。
母は嫌がったけれど 暴れる訳ではない。
擦っただけで垢が出てくるので 水を替えながら 数回ずつ洗って その後石鹸をつけて洗って 濯いで拭いて 洗濯の終わった靴下を履いてもらう。
今日の母は言葉はあまり出さなかったが 嫌がるときは「アー」とか「寒い」とか大きな声を出していた。
「ごめん」「堪忍ね」と声をかけながら洗った。
拭き取る頃になって 自分の足をみつめてから 急におとなしくなった。
洗っている意味がわかったのだと感じた。
ひとつひとつの事が 理解し難い状態になってきているんだなあ〜。

時間との睨めっこなので ゆっくり対処できない時もあり 悪いなと思う。

家に戻ると 相談の電話が入ったようで夫が番号を聞いていてくれた。
折り返し電話すると 先日の地域で開かれた 学習会の参加者だった。
あの時 介護をしていると言う話はなさっている人は 1人もいなくて 皆さんこれからの為に学習会に参加していると思ったが...。
実際介護中の人もいたんだなぁ〜。

いろいろのお話をお聞きしながら この所 ケアマネやデイの職員さんの対応に「?」と感じた。
一例だが「怒っちゃ駄目ですよ」と言われたというのだ。
確かに 正論だけれど...。追い込まれた介護者になんて事を言うのだろうと感じた。
介護者だって 怒らない方が良いと判っているのだ。
それでも どうにもならない気持ちになる時があるのになぁ〜。
私の知っている担当者では 無いと思うのだが...。

また 医師の対応も「?」と言うのがあった。

介護者への対応が置き去りにされている表れなのではないかと感じた。


2007年07月21日(土) え〜っ!

 末弟が宿泊中。
心配な事が...。
あした 更新します。


2007年07月20日(金) まだ 工事中


地域で介護の周辺を学ぶ学習会に出かけた。
前の会では 役所から2名の方が見えてデータを含めて実情を話されたそうだ。
きょうは 地域包括と介護者の会と全国マイケアプランネットの方の話である。

地域の環境は 役所が把握している事と介護者側が感じる事は 違っているように思える。
今日は 図らずも話し手が今の状況はおかしいという事で一致した。
つまり この所感じている不満や不安は 私1人だけが感じている事ではなかったのだ。
建設的な意見を述べても 却下。先走れば ブーイング。
「住民の声をお聞きします。ご意見を聞かせてください」と長は言うけれど そういう体制が整っていないという事である。
先の見通しなんて どれほど出来ているのだろうと感じる。

会が済んでお天気が怪しくなったので 家に戻って洗濯物を取り込み 食事をして母の所に向かった。
途中 用事があって チョコチョコ片付けてからだ。

施設に着くと 珍しく母がこいこいと言わんばかりに手招きをした。
数年ぶりである。
そばに行くと困った表情をした。
そのまま トイレ誘導。今にも泣き出さんばかりの状態であった。
人口密度の高い日々を送っているのでストレスなんだろう。

居室でふたりでいると 少しずつ落ち着いてきた。
おやつの時間は もう1人の方と誘って一緒に食べた。

その後 お散歩に出た。
外に出る意思を確認をとると「行きたい」と言う意思表示。
歩き始めると 更に落ち着いてきた。
この所足の上がりや立ち上がりの時の腰の重さが気になっていたので 久々に公園の小山を上ったり降りたりした。
1度目より2度目 2度目より3度目と次第に自分の体を支え方の感覚を取り戻していた。

唄って きちんと唄いこなせると母自身も自信を取り戻して笑顔になっていく。
こちらからみるとたいした事はなくとも母にとって至上の喜びを感じているようだった。

散歩から戻って 程なく夕食。
夕食介助し 完食を見届けてからそうっと帰宅。

夜 別の友人から相談の電話。
相談が来る時は 纏まってやってくる。


2007年07月19日(木) 電話相談

 朝 友人から電話。
ご家族の相談だった。
認知症ではないのだが これまでふるさとで両親を見守ってきた姉妹が 自分たち家族の看護の事で手いっぱいとなってしまった。
ご両親は何とか自分達の暮らしを守っておられるが 姉妹の家のことが非常に気がかりな状態となってしまったという事だった。

もう 自分たちもそういう年齢に何時突入してもおかしくない状況になってきていると感じた。

電話を切って 程なくして介護相談が舞い込んできた。
介護者の会を独自で見つけて 電話なさっていらしたのだ。
「相談できますか?」と言うご家族のお話に耳を傾けて 解決策を探した。

おそらく相談できると言う感触を得たのだろう 主たる介護者を呼び再度電話を下さった。
若年認知症だった。
今 相当苦しい状況に置かれている様子が生々しく伝わってきた。
暫く話した後「近日中にお会いしたい」という事だったので 予定を睨めて土曜に直接会うことに決めた。

これまで 病院に通院 役所に出向くなど いろいろとSOS発信なさっているようだったが 納得できる状態になっていないようである。

出来る限りの情報を整理し できる範囲で情報を集めて土曜日に会うための準備を整えた。

2時から 会議が2件入っていて 遅れる旨を伝えて電車に乗り込んだ。
会議には 若年性認知症の彩星の会の干場さんもお出でになるという事でパンフレットも準備して貰えるように頼んだ。
会議の合間に干場さんともお話した。
幸いというか 彩星の会の7月の定例会が22日にあるということを知った。
この情報もお伝えできるだろう。
ここでは 希望者には ソーシャルワーカーさんの個人相談も受けられるようだった。

会議が済んで6時。宿題多し。
電車に乗って我が家に戻り 直ぐに似たような経験をなさった介護仲間に連絡して 土曜日に一緒にお話を聞いて欲しいと頼んだ。
予定が入っていないので快く了解を頂いた。

何が機能していないのか ボンヤリと見えてきている。
後は 介護者が何を知りたいのかよくお話しを伺ってみてからだろう。

しかしなぁ〜 認知症と判ってから実際に診察を受けるまでの道は遠いなぁ〜。

明日の準備でパソコンと睨めっこしていた。
印刷して終わるはずだったのに 文字間が矢鱈に開きすぎて(その手のボタンに触れていないのだが...)失敗 しっぱい。
10時の約束なので 少し早めに起きて作業しなおす事にした。
パソコン調子悪しだわぁ〜。


2007年07月18日(水) 活動と面会


利用者さん初訪問。
事業所の方と落ち合って訪問。
ドアを開けると メルヘンチックな世界が広がった。
足にギブスを付けた利用者さん。
骨折のため生活援助が必要なのだ。

依頼された仕事を確認。
今日は お掃除中心と言われたが どう考えても1時間足らずで終了しそうな感じだった。

掃除機を掛けていると じゅうたんのしみを取って欲しいと言われた。
普段 どうやって染みをとっているか訪ねると漂白剤利用という事だった。
良く見れば 薄っすらと白くなっている所があり色落ちするのだと判った。
古い歯ブラシを借りて ポイント染み抜きをこころみた。
すると直ぐに綺麗になった。
ひょっとすると歯ブラシでゴシゴシしただけでも綺麗になったかも知れないと思った。
でもいつもドバッと漂白剤を使うので 少なめに済んで綺麗になってよかったという事だった。 

居室が済んで浴室やトイレ掃除。
ここでは 配水管を掃除してと言われて一瞬「ギョッ」とした。
それは 業者さんの仕事と思ったのだ。
でも「髪の毛が…」と言われたので 排水口だとわかった。
浴槽を洗って 洗面台を掃除して トイレ掃除して排水口を綺麗にした。

その後 玄関。
ここは 拭き掃除するという事で 下駄箱を移動して拭き掃除を済ませた。

そしてキッチン。
流し台 レンジ周り 壁 グリル 順繰りに掃除。

ここまで取り組んでも まだ 30分の余裕があったので 買い物に出かけた。
調理して差し上げたいが 食材はない。
お惣菜を購入希望だったので 好き嫌いを伺って購入。
スーパーは 長い坂を下って 緩やかな坂を上がった先にある。
往復でギリギリだった。
榎通津報告書を記入して来週入る日を決めて終了。

今日は 母のリハの日でバス移動を覚悟していたが 娘が振り替え休日を取っていて送迎してくれたおかげで 昼食の時間が取れて助かった。
来週も水曜日なので 来週こそ昼食抜きの筈。

母の所に行くとフロアがいっぱい。
今日から 施設の改装工事が始まったのだ。
いつも静かな施設内がザワザワしていた。

リハビリの前にトイレ誘導すると緩めの排泄あり。
職員に昨日から今日にかけての確認をするとなかったという事だった。

珍しく「頭が痛い 肩が痛い」と訴えた。
時間を置いて確かめたが やはり同じ場所を押えて痛みを訴えだった。
血圧も高め。
普段と違う環境でストレスかな?
療法士さんに状態を伝えて 頭と肩を中心にリハしていただく。
今日の母は 多動で直ぐに目を瞑って直ぐに身体を起した。
試みに ぬいぐるみを抱かせたら 落ち着いた。
ここまできっちり抱くのは初。 ストレス性の不安が起きているのだろう。

リハ終了後 ホールに移動して みんなで歌を唄った。
リハビリを意識する人がいたので 歌を唄いながら腕の運動も兼ねた。
ついでに ♪夏も近づく♪の手遊びを 1人ずつ順繰りにして遊んだ。
したくない人には無理をしないで見守って頂いた。
母がストレスを感じるという事は 他の人だって同じである。
少しでもみんなの気持ちが緩んだ方がベストだから。

これで 夕食後までこれが続くのだし 職員だって大変だものね。

おやつが始まるのを機に施設を後にした。
帰り際 この数日面会に見えない一人暮らしの方の事が気になって職員に尋ねた。
この方 介護仲間であるので…。
やはり 見えてないようなので 心配になってこちらから連絡を入れることにした。
この続きは あしたへ。


2007年07月17日(火) 気分の山坂


利用者さん訪問。
今日は 離れの書籍を片付けて欲しいと言われていたのだが 生憎のお天気で 先延ばしとなった。
私は 別に構わないのだが 本は外に出しながら整理したいようで 雨降りだと無理なのだそうだ。
それで いつも通りに活動。

今日は 2匹のゴキちゃんと顔を会わせた。
活動時間が限られているので ゴキちゃんと格闘と言う訳にも行かなくて 見逃した。
物がたくさん置いてあるので そのスキマに入り込んだらお手上げだから。

玄関マット等を外に運んでパタパタ叩いた。
掃除機だけでは 吸い込めない所もあるので 時折そうしている。
時間の許す限り 順番に特定してお掃除するようにしている。
自分のうちでもそう出来れば良いのだけれど 我が家の掃除は丸くまるく 手抜きである。

網戸も掃除したいが まだ余裕なしなので 雑巾でササッと拭き レールは拭いて 土ぼこりは掃除機で吸い込んだ。

2時間の活動はひたすらお掃除である。
利用者さんは 半袖の私をみて「寒いでしょ」と言われるが 活動中は汗びっしょり。

活動を終えて 家に戻り 昼食を摂って 夕食の下ごしらえを途中までして母の所に向かった。今日の内に通院しておかなければならない。

玄関で 先日のご家族とばったり。
「写真撮ってくれてありがとう」とお礼を言われた。
あの日は 娘がいたので我が家のデジカメでとり 電池切れとなって ご家族のデジカメを借りて150枚写したのだ。
普段見られない穏やかな笑顔は 親戚の方へのお土産になるという事だった。
私じゃ なかなかうまく写せないけれど。

母の機嫌は悪くはなかった。
トイレ誘導して 通院の支度をした。
肌寒い日なので 肌着からしっかり着替え サマーセーターの上に身ごろの部分が2枚仕立てになっているブラウスをきて 七分丈の下着にサマータイプのズボン。
冷房が効いていたらこれでも寒がるかもしれない。
丁度 綿のマフラーを持ってきたので それを使うことにした。

出かけようとしたら ご家族が帰るので 送っていくと言ってくださり 車で通院できた。
今日の母は腰が重く 立ち上がりの介助も引っぱってあげないと立ち上がれない状態だった。歩きが足りないかも知れない…。

真っ直ぐ診療所に向かった。
なにやらおしゃべりをするのだが 今日は 外国語を聞くような感じである。
でも 診察室から出てきた先生が 母の手を取って診察室へ連れて行ってくれた。
少し機嫌が怪しくなっていたが これで無事診察室へ入れた。
聴診器を当てたら「しないで下さい」と母。
それでも 直ぐになれて何とかなった。血圧 少し高め。
気配で腹痛があるだろうこととひょっとすると排便も…と予測できた。
そのせいで 血圧に反映している可能性があると思われた。

ただ 時折 ゲフッとするので胃腸の調子が気になったので 胃腸薬を処方して頂いた。

薬局で薬を頂き トイレに直行。
排尿のあと 何となく気配を感じて暫くトイレで様子を見ていた。
施設や我が家のトイレなら「いきんでね。いち に のさん」と言えるのだが 人の気配を感じるとつい口篭ってしまう。

暫く格闘して 健康的なものを排出できた。
この4日間 マグは止めてアロエエキスのみにしていた。
薬がなくともこれ位出ると嬉しい。
やはり 薬の影響で緩い便になってしまうのだ。
出ないときは仕方ないけれど 緩めが続いたら薬は止めたほうが良いようだ。
いきむ事も思うように出来ない母には この加減 実に難しいのだが…。

真っ直ぐ帰るのも…と思い 階段を1階分下りた。
それから パン屋さんに寄って アイスティーを飲んでもらう。
診療所でも お茶を少し飲んで貰っていたので トータルすれば適量の水分補給できたと思う。施設に戻れば夕食だろうから パンは諦めた。

帰りはタクシー利用。これも ちょっと危うい状態の母。
身体的にではなくて 乗車拒否若しくは降車拒否が出そうな雰囲気だった。
乗り込みは無事だったが 降りる時 予想通り始まった。
「私 降りるけれど どうする?」と聞いた時は 下りるそぶりを見せた。
が 足を外に下ろした途端「私 ここにいます」と立腹し車の中に足を戻しかけた。
思わず 運転手さんの顔を見てしまった。
人に拠っては 嫌な顔をするからである。
今日の運転手さんは ニコニコ笑顔で見守ってくれた。
再度「降りようね」と足を外に出して 強行突破。
降りてから「ごめんなさいね。一緒にいたいんだもの…」と言うと 母はコクリと頷いてくれた。
運転手さんに会釈して 車を離れた。
施設の前なので 傘も差さないで入り口に向かった。
「やばついね」と声を掛けたら「やばついね」と繰り返した。
やばついとは ふるさとの方言である。

施設に戻って 職員に通院の事を報告し薬を渡した。
程なく 夕食が始まったので そうっと施設を後にした。
そうそう 今日は 通院前のトイレ誘導の時に汚れたパットを替えただけで
後は 誘導ジャストミートだった。

あしたは リハビリの日。
でもその前に 訪問活動が急遽依頼されている。初訪問である。
精神の方で若い女性である。
ちと緊張するが 単発であるしご指名なので…。
何事も経験。共に今を生きる人してお役に立てれば…と思う。


2007年07月16日(月) 台風 地震 思い出すこと


台風・地震と災害が続いて 被災地の方にお見舞い申し上げます。
特に避難所で過ごされている方 疲労や困難が起きていないかと気がかりです。ネット環境もないのかもしれないと思うと心配です。

ニュースを聞きながら 在宅の頃の母を思い出してしまった。
日記を書き出した頃に一度書いているのだが...。

台風が接近すると テレビで情報を得ていた。
母は テレビに映し出される様子をじっと見て 
その後 決まって「洪水とかになったら 私は 年寄りだから 放置していってね。あなたたちは まだ若いのだから 年寄りのことまで考えなくて良いから」と言うのだった。
台風に限らず 地震の時もそういうのだった。

でも その頃は マンションの9階に住んでおり どうあっても水浸しになることや流される心配なんてなかったのだ。

そういえば 子供の頃 父が出張や泊まりで居ない日(年に数回)は 枕元に着替えと紐を置いていた。
台風が来る時も 同じようにしていた。
あの頃は 停電もあったので ろうそくやら水やらも準備していたと記憶している。
停電は 台風でなくとも起きた時代だが...。

子供の頃住んでいた家のそばには 川もなくて...。
家だって まだ新しかった。
弟達は不安がって 母の腕と自分の腕とを紐で繋いで安心を得ていた。
私は 子供ながらに そんなに用心深くなくとも良いのになぁ〜と感じたものだった。
でも母は その時も真剣なまなざしだったし 認知症になってからも真剣だった。

普段の生活で「今 〇△さんが また来ていたのに...」と怖がったり「家に帰ります」と言ってみたりの日々で自分中心で他の人の心配なんてあまり気にしなくなっていたのだが...台風や地震の時には 妙に私たちの事を気にかけてくれたものだった。

寝室の片付けをしていたら 母向けに書いたメモが2枚出てきた。
早朝覚醒しても まだ寝ているように...という事を書いたメモだった。

そこには 3つの事が書いてあった。

ここは 〇〇の家ですから 安心してください。

みんな 夜遅くに寝たので 目が覚めてもお布団の中でじっとしていてください。

〇さんが 迎えに来るのは 1週間後ですので それまでは どうぞゆっくり過ごされてください。

このメモは 何年も続いていた。
毎日 文言を変えていた。
今でこそ 母の隣に寝ているが その頃は「夜位は家族に迷惑をかけないでね」という私の意思表示だった。

メモはあっても 読む時もあれば読まない時もある。
読んでも忘れてしまう時もあった。
目覚めてゴソゴソしている時には 起きていってメモを読んで貰ったこともある。
ある時には メモをぐしゃぐしゃに丸めていた時もあった。
そういう時は「そうまでしなくともわかっている」と抗議の意味を感じた。

今 考えれば 隣に眠ってあげれば 起きる事もなく眠っていただろうに...と思うが あの頃は 昼は目いっぱいそばにいたので ゆったりしたかったのだ。

暗いと不安がるので常夜灯をつけ 雨戸も一枚は開けておいて 外が白み始めたら部屋も明るくなるようにしておいた。
明るくなると置き出して外の景色を見て 安心してまた眠る母だった。

今の母は トイレの時に目覚めるくらいで 途中起き出す事はなくて 具合が悪い時は「おかちゃん」と幾度も呼ぶ。
その都度「はい」と返事をして「もう少し眠ろうね」と声掛けして手をギュッと握ってあげていると 其のうちまた眠ってしまうのだ。

眠れない夜の恐怖は なくなっている。
随分と共に歩んで来たんだなぁ〜と感じた。
まだ 暫くは続くだろう母との日々 ちょっとは ましな娘になったかしら?


2007年07月15日(日) 機嫌の変化


雨は ほんとに良く降った。
これで 雨が上がれば草も伸びるんだろうなぁ〜。

母の所に出かける。
薬ストップかけているので 気になる。
娘も同行した。
母は 困ったような表情をしていた。
娘が「出てるかも」と言っていたが 出ていなかった。
どうやら 隣にいた方が出ていたみたい。

母は トイレに入ってもイマイチはっきりしない。
言葉をかけても「わからない」と言う返事。
質問の中味が理解できないという事だと感じた。
おそらく 腹痛とは思うが その割りにお腹に手が行っていないのだ。
頭?背中?足?とアチコチゆっくり触れてみるが 場所が特定できない。
気持ち悪いのかも知れないが 顔色は悪くない。
でも 何処かに変調が有るんだろう事は察せられた。

母のそばを離れている時 娘から呼ばれて居室に行くとちょっとツバを出していた。
どういう状態でそうなったか判らない。
その後も様子を見たが 大きく変化する事はなかった。
職員に伺うと 今日は何回も立ち上がってウロウロしているという。

玄関の方で賑やかな声がした。
この所体調の良くない方のご家族が見えたのだ。
台風が接近中と言うのに 遠くから面会に見えたのだ。
ご家族に同行したと言う親戚の人は 早朝新幹線で出ていらしたのだった。

この方は入所当時 おしゃべりを良くしていた。
母が帰りたがっていると「みんな我慢しているんだから…」と言ったり「みんなと一緒だから楽しいよ」とはなされていた。
不安だという事は 表情で判るが けしてそういう事を言わない気丈な方だった。

その頃と比べると 今は寡黙。
話す言葉もめっきり減ってしまったのだ。自分の定位置を決めている。
でもフロアをアチコチ歩かれて 椅子のある所にちょこんと座っておられることも多い。
物集めも多かったが 最近はめっきり減っている。
表情の変化は母ほどではない。笑顔は少ない。

その方が 妹さんや親戚の方に囲まれて 和やかな表情をなさっていた。
素敵な表情に 家の娘にデジカメを渡して撮影してもらう。
なかなか見られない良い笑顔であった。
おやつの時間でも自分で手を伸ばして召し上がっていた。
食事の時は口を閉ざすことが多くなっているのに…。

妹さんと親戚の方とご家族は 沢山話しかけておりその度に頷かれていた。
折角 遠くから見えたので 「今日はいつもと違って良い表情ですよ。言葉は出ないけれど嬉しいと思われていることが良く伝わってきますよ」と伝えた。
アルバムを手にして 昔のお話をなさっていた。
普段 本などもあまりご覧にならない方が じっと写真に見入っておいでだった。

その方が何処まで理解できているかは 想像でしかないのだが 少なくとも見覚えのある人が自分だけに向かって笑顔で話しかけてくれる事が心地よく感じて居られるのだろう。
途中で 私が声を掛けたら「うるさいよ!」と言われた。
この言葉に その方のご家族と2人でにんまりしてしまった。
こういう言葉がポンポン飛び出すのがこの方の本来の姿なのだ。

母は 時折うなだれている。
居室に移動して気分転換を計った。
機嫌が直ったり 機嫌が悪くなったり 今日のお天気と同じような変わり具合だった。
大きな変化は見られないので 変動の範囲と見た方が良いのかも知れない。
若い頃から 母はこういった症状が多かったのだから。

職員から「通院時に血圧の変動表持って行くか」と聞かれた。
今月は 血圧の薬が弱い方に変わっているので その変動を記録をみて確認。
血圧の変化は見られなかった。
薬を減らしたのは 消化器系への影響を考慮したものだったので 暫く今のお薬で対応してもらう事を確認し血圧の変動に関しては 口頭で医師に伝える事にした。
何等かの変化のあった時に 再度対応をすればよいだろうと思う。


2007年07月14日(土) 雨の中


 朝から雨降り。
でも プリンターを探しに出かけた。
この所 毎度毎度 夫の会社にメール添付で送って印刷してもらい ファクシミリで送って貰っていた。

月末にかけてそうもしていられなくなるので プリンターの購入を決めた。

近くの大型家電店で 種類と値段は一応調べていた。
今日は 郊外のお店に出向いた。
そして 決めてきた。

戻って 取り付け。
ようやく プリンターが使える環境になった。 ヤレヤレである。


2007年07月13日(金) 雨に唄えば♪


台風接近中と言う。
お天気も心配。
出掛けに 急遽戻らなくても良いように 洗濯物を室内に取り入れて テクテク歩き始める。アッと思って 引き返した。携帯忘れ。
再度 家を出て歩き始めたら オムツの配送業者さんの車が見えたので 慌てて引き返した。いつも留守の所に配達してもらっているので 見えた時ぐらいは 直接受け取らなくちゃ悪いような気がした。
業者さん 笑いながら「いいんだよ。わざわざ戻ってこなくとも」と言ってくれた。
領収印を押して「今度こそ」と歩き始めた。

施設では 昼食が始まっていた。
母は 食介を受けていた。
顔を見るとニコニコ。今日は穏やかみたいだ。

お隣にいる方は相変わらず 食欲不振。
家族の差し入れたものもいつもほど召し上がらない。
ほんとに口の中の問題なんだろうか?
消化器系は 大丈夫なのだろうか?
精神的なものはないのだろうか?

母は 食べるのに時間がかかるが 全部食べる。
認知症による変化なのか 体調の変化で 機能が下り坂に入ると介護者は 暗中模索となる。母の食べ方がスピードアップされる事は 年齢から考えてもないだろうと思うけれど
入所仲間のさしかかっている状況は まだ好転する可能性がありそうな気がするので 頑張って欲しいなぁ〜と思う。

食事が済んで立ち上がってもらおうとしたら ふよふよと臭いがしとような気がした。
ゆっくりとトイレ誘導。
今日は 嫌がることもなかった。
座ってからも出ていた。緩いのである。
職員に確認すると朝のマグラックスとアロエエキスのみ。
それだけで緩いなら 薬なしでも良いような気がした。
便秘の不安を感じるなら アロエエキスのみで対応で様子を見て欲しいと御願いした。

その後 母と散歩に出た。
母は 外に出たかったようだった。
歩行も安定していて やや前のめりだが酷いものではなかった。

一回りして私の昼食のため中華料理屋さんへ入った。
母にもお子様用を頼み 一緒に食べた。
今日は 久々に美味しそうな表情を見せてくれた。
外食は 冷や冷やしていたのだが そろそろ大丈夫かもしれないと感じた。

食べ終わってから もうひと歩きして施設に戻った。
今日は 結構歩けた。
雨がしょぼ降る中 あいあい傘で歌いながら…。
雨に唄えば♪って感じ? 


2007年07月12日(木) 朗らかな地域包括


 今日は お隣の町の地域包括の研修会にお邪魔した。
わが町の地域包括の方との交流は地域の介護者の会で時折お会いする。
介護に縁のない方は 地域包括がどういった事をしてくれるところかあまり認知されていないのが現状である。

でも 今 それぞれの地域で地域包括は 試行錯誤している。

今日 お訪ねした地域では 介護者の応援するための道を探って居られた。
勿論 普段のお仕事もこなしながら 忙しい中 学ばれているのだ。

認知症のご本人を支えるには 主たる介護者を支えることも重要と位置づけて考えられての事の様だ。
そのため 介護者の様子を知るために他の地域の介護者の会の方とお話して
介護者の会の果たす役割を知ろうと考えられたのだった。

集っている地域包括の方は すこぶる前向きで ざっくばらんだった。
横の連携が取れているんだなぁ〜と感心した。

研修の後半のグループワークで 最初の一歩を踏み出さないと前に進んでいかないぞと結論付けたところもあった。
そういった話も 他のグループの人も笑いながら受け止め「そうだよな」と考えられて...。
私の隣に座した方は「借りた部屋があるから そこを開放しようかな...」なんて呟いていた。

途中で知ったのだが この地域の福祉公社は 解体となった時独立して公社の仕事を立ち上げ 今は 特養まで作ったという事だ。
そういうパワーのある人たちのいる地域包括だから活気があるのかなぁ〜と感心した。

活気だけではなく 和みがある。
気負いこまない分 とてもよい雰囲気があると感じた。
以前は こういう雰囲気 うちの地域にもあったんだけれどなぁ〜。

介護者一同がみんな感じたようだった。

介護者が会を立ち上げ準備していくのは 結構大変だ。
だから 地域包括の方がハード面だけでも助けてくれるこの地域の動きは羨ましいと感じた。

研修会が済んだその足で 日本フィルの定期演奏会に出かけた。
娘が取ってくれたチケットである。
介護仲間とおちあって 優雅な時間を過ごした。

母の面会が2日お休みで 後ろめたさがある。
後ろめたさだけでなく 様子が気になっている。
出かける前に立ち寄ろうかなと思ったけれど 少しの時間で直ぐ消えてしまうのでは 母にも良くないだろうとおもい断念した。

実は 明日も用事が入っていたが 気になるので休ませて貰う事に決め 母の所に行く事にした。

介護者の会は 自然の流れで介護者同士助け合うようにもなってきていて 地域に根を下ろし始めている。
こういう輪が広がっていけばいいなぁ〜と密かに願っている。
気負わずに自然の流れの中で育てば それが1番良いと感じてもいる。


2007年07月11日(水) 他の地域の介護者との交流

 今日は 離れた地域に住んでいる介護者の方たちとの出会いがあった。
認知症の介護は 介護以外の場面での悩みは多い。
本人と向き合うにも それまでの関係も色濃く反映されてしまう。

世の中には 良い関係の家族ばかりではない。
病になったからと言って 病を受け容れるのが難しい場合もある。

介護者は そこで悩む。
寄り添わなければ。。。と思いながらも出来なくて 自分を責めている方もおいでだ。
そこそこ介護できている人だって 大なり小なり そういった責めを背負っているんじゃないかなと感じる。

介護の向き合い方は 人それぞれ異なって良いのだと思う。
例えば 経済的に大変な場合。お金を借りて生活を維持する人もいれば ないなりにその範囲で生活する人もいる。
介護だって そう考えて良いのだろうと感じる。
自分が出来る範囲で介護に向き合えば良いんじゃないかなと思う。

と言いながら身内の介護の向き合い方には「おかしくない?」なんて考える自分がいて
矛盾しているんだけれど…。

自分を縛りすぎないで 心身のゆるみを保ちながら 過ごしたほうが良いんだろう。

今日は 母のリハビリの日だったが 立ち会わずにリハビリとなった。
今週は 忙しいから来週はきちんとしようと思っていたら 急遽 訪問活動の依頼があった。緊急で入れる人も居ないというので受ける事にした。
来週の水曜は 訪問活動後真っ直ぐ母の所に向かう事になりそう。
おそらく 滑り込むことになるだろう。


2007年07月10日(火) お天気に左右される日々


 母の所にお弁当を持って出かけた。
数日前 故郷の友人が美味しい昆布巻きを送ってくれたのでそれをおかずにいっぱい入れた。
この昆布巻きのすごいのは 昆布がグルグル巻いてある。
鰊の何倍もの量。
これが とろけるほど柔らか。溶けてしまっているわけではない。
自分で作る昆布巻きは ここまで昆布を巻いたら中まで味がしみこまない。
これは 芯に近いところまで均一に味がしみている。
聞けば 8時間以上コトコト煮るのだそうだ。

施設に着くと昼食は始まっていた。
直ぐにお弁当を広げて 食事介助。
母も昆布巻きを美味しそうに食べていた。

機嫌は良かったが 午前中はご機嫌斜めだったらしい。
「娘さんが来ると…」とよく言われるけれど 私と一緒でも良い時ばかりじゃないのだけれど...。

お隣に座っている入所者の方 今 食欲がない。
先日「口の中の変化ないのかなぁ〜」って呟いたら「歯科検診しても異常がなかった」と職員に自信を持って言われた。
でも 今日は「口の中に腫瘍が見られると歯科医から言われている」と言われた。

好転しないなら いろんな角度から考えて見るのが基本でしょ。
新しい方だし若い方だから仕方ないとは思うけれど…。

入った時は 床が汚いからってせっせと拭いていたのに 今では 食べかすが落ちていても全く素知らぬ顔なんだ。
この人と話すとムッとしてしまう事が多い。
こういうのは 新人いびりなのかな?
おそらく 相手もそれを感じているんだろうなぁ〜。

こういう時は 自分自身にトゲが有る時だから 自戒するに限る。

職員「食べないから」と判断して 食事介助より先に高カロリー食を与えながら「これは 大好きだものね」と飲ませていた。
「もう少し 食べると思うので介助させてください」と御願いして 暫く食事介助。

スプーンを箸に替えて 自力の食事も試みる。
「元気でいてもらわないと 哀しくなるから 頑張ってね」と励まし 一口でも食べたら「ありがとう」と感謝しながら対応。

ご飯は 口を閉ざして無理だったが 汁物やお野菜は 自力と介助で食べて貰った。
全量とは行かないけれど 介助の時も口を開けてくれた。

経口摂取は 諦めないで無理のない範囲で根気よく取り組まないと…元に戻るまで時間がかかってしまうものね。
以前 ご家族ともこの話をしていて 施設の限界もあるから 面会の折には頑張るからねと約束していたのだった。

母とその方の食事の時間は1時間ちょっとかかった。
そうなると申し訳なさでいっぱいになり 母の空になった食器は 居室で水洗いして返却。
その方の分は 残量も有るので そのままキッチンに運んだ。

職員が残量をみていた。
「ありがとう」も「頑張ったね」の一言もなかった。
「認知症でない人には いろいろの言葉掛けをするのになぁ〜」とまたもや恨めしい気持ちが湧いてしまった。

テーブルを拭いて 床に落ちた物を拭きとってから 母をトイレ誘導。
ジャストミート。緩めだった。
その後 腹痛で顔をしかめ始めた。

自分の分と母の水分補給に持参したお茶を飲んでから 傘をさしてお散歩に出た。
今日の母は いつもより唄えた。
歩きながら 4曲の歌のメドレー。やはり 少し続ければ 多少歌詞を思い出すようだった。
程よい量を歩いて「もっと 歩ける?」と聞くと 最初は「歩ける」といったが 直ぐに「駄目かも」と言いなおした。
結構 いい反応に驚いた。

母の言葉を尊重して Uターンして施設に戻った。
直ぐにトイレ誘導して ちょこっと出た便を始末。
母の「駄目かも」はきっとこのサインだったのだろうな。

母には休息してもらい 他の入所者をお散歩に連れ出した。
「寒くない?」と聞くと それまで 一言も発せず首で頷いたりだけだったのに「少し 風が冷たいね」と返事してくれた。
ちょっとの変化でもこんな風に替わるって 嬉しい。

歌を唄うと腕でリズムを取ってくれた。これも嬉しかった。
おやつの時間が近いので 施設の周りをぐるりと回って戻る事にした。

直ぐにおやつとなった。

家を出る時1度は家の中に干した洗濯物だが 薄日がさして来たので「降らない」と決めて洗濯物を干しなおした。
それも自転車に乗ってきたのだ。

本降りにならないうちに帰る事にした。
帰路は 施設に置いてある傘を片手に自転車を漕いだ。

電動自転車のバッテリーの残量表示が2メモリのみ。
最終の心臓破りの坂までは 電動にしないで踏ん張った。

♪いきはよいよい かえりはこわい...♪
相変わらずの道のりですわ♪
自分の健康のためには 良いのですわ♪


2007年07月09日(月) この年になると...


先日 義妹と笑いながら話したことがある。
義妹は 同じ年代の生まれである。

仕事についている義妹だが この所 仕事に取り掛かる前に 探し物に追われてしまうと言うのだった。
これには 激しく同意。

以前なら 何処に片付けたか忘れても勘で思い出せていた。
ところが勘は鈍るし 更に気力が失せているし...。
わが身も同じだと大声で笑った。

ふと 母が定年できっかり辞めたことを思い出した。
退職に関しては慰留されたし まだ十分仕事できると私は感じていたのであの時は本当に驚いた。
認知症が始まったのはあの頃かと つい最近まで考えていた。

でもその年齢に近くなって あれが認知症の始まりではないと確信がもてるようになった。

つまりは この年代気力がなくなってしまうことが多いのだ。
義妹の周囲でも 次々と退職していく人が多くなったそうだ。

母は気力がなくなったと言っては いなかった。
でも 根が続かなくなっていたのだろう。

今日 友人から届いた手紙にも「疲れる...」とあり 忙しさのせいではなく
年齢のせい?と書いてあった。

同じ年代の人の多くは 今 越えるべき壁の前に立っているのだ。
この壁を上手に乗り切っていかねばならないのだろう。

今 役目を持って動いている事が 少なくとも気力の維持に役に立っているのかもしれない。
そんなお話を 義妹とした。

そういいながら 忘れる事は多い。
実は 依頼されている事があり 取り組まなくては...と思っていた。
でもまだ時間があると思い込んでいた。
だから 娘の出張に合わせて母を呼んだつもりだった。

が 今日になって手帳を広げて確認したら なんと 今週は 予定が組み込まれており 変則的な面会しか出来ない事を思い出した。
予定が入っているので その埋め合わせのために家に泊まってもらおうと最初に考えたのだった。

その上 依頼されたことの準備は 昨日仕上げる予定でいたのだった。
今朝になって 其の事にきがついて大慌てをした。

母の面会の予定は取りやめて パソコンに向かう。
午後までかかって ようやくある程度のところまで仕上げた。

夕方には 娘が出張から戻る。
油が多くて閉口していると連絡が入っていたので あっさり系の食事の準備もしてあげたいし...。
トタパタと夕食作りに取り掛かった。

本当は 美容院にも行きたかったが そんな時間は取れるはずもなく1日が終わってしまった。



2007年07月08日(日) フォーラムへ


 介護者のためのフォーラム2007に介護仲間と共に出かけた。
認知症を介護する介護者の悩みは 万国共通という事だ。
勿論 認知症ご本人の悩みも万国共通なのだが...。

イギリスにおける介護者支援政策として 三富紀敬静岡大学人文学部教授の基調講演。
その後 シンポジウム。
シンポジストは 
行政の立場から 厚労省老健局振興課 課長 
精神科医からは 高崎健康福祉大学教授。
研究者の立場から東洋大学社会学部教授
民間支援の立場から NPO法人介護者サポートネットワークセンターアラジン

その後質疑応答。

それぞれの立場から 介護者支援の必要性を話された。
介護をしていて感じる事 昨今の地域の流れも頭に置きながらお話に聞き入った。

介護の社会化という事で介護保険が導入され 個の責任と言うルールでそぎ落とされてしまった 行政の福祉の部分が有る事は 一致した見解である。
だから ネットワークの強化という動きに地域は躍起となっているわけである。

おそらく聞き手も同じように感じていたと思う。
研究者や行政が少しずつ動き始めているが...。
形になるには まだ 先の事。

ある所で行政の方とお話した時 救わなければならない人たちの為に動こうとするとお金が必要となるが お金の捻出は無理な状況。
住民負担でとなると これまた重い。

何処も同じところで足踏み状態なのである。

さて どう動いていくのか 自分の事も含めてじっくり考えなくてはいけない。

今日のシンポジュームに 都道府県レベルや市区町村レベルの担当者が見えていたのだろうか?

さて 年金問題同様 介護保険も財源の問題がある。
国政レベルで検討なさる方は おそらく年金も含め比較的生活が安定している方々である。
だから 国民の費用負担は止む無しという事になっていくだろう。
医療負担も改正の動きもあると聞いている。

弱者切捨てにならないようにと願いながら 地道に地域の役所や住民の方に介護者の現実を知っていただいて 考えてもらうしかない。

さて 朝畑に出向いて野菜を収穫。
トマトがモザイク病になっている。
よその所でも同様になっているので 気候のせいなのかなぁ〜。
それでも 赤くなったトマトやナスが山ほどとれて ご近所におすそ分けした。今青いトマトも直ぐに赤くなるだろうな。


2007年07月07日(土) 出来る事をすこしずつ


昨夜の入浴で母は 珍しく怒った。
夜 遅かったので眠くなっていたのかもしれない。
入浴前シャワーで流している時は 平気だった。
ナイロンたわしで洗い始めた時 ちょっと嫌がる程度。
足に手で触れた時 垢がボロボロでた。
こりゃいかんと洗い場に腰掛けて石鹸を付けて洗い出したら怒り始める。
しかし 1度洗い流して 再度触れてもまた垢が出てくる。

母はお風呂が大好きだった。
身体を良く洗って湯船で洗い終えた腕を擦って「つるつるするよ。ありがとう♪」といつも言っていた。
前の晩は 疲れているだろうと思って 湯船に浸かって身体を洗ったのだった。
その時にも湯船は垢が浮き シャワーでよく流したのだった。

2日続きで入っても まだこうなのかと思ったら 何だか哀しくなってしまった。
それで つるつるするまで洗おうと気負ってしまった。
勿論 怒る度に「ごめんなさい」と謝りながらである。
「何をするのですか」「しないで下さい」から始まり「もう!しなさんな!」「嫌だといったら嫌だ」「あ〜!!するなと言ったらするな!」といった調子である。
謝りながら手を休めないで 洗髪を除いて全て満足行くまで洗った。
当然のことながらかなり立腹した状態での湯上りとなった。
1時間お風呂場で格闘したのだった。
あれだけ嫌がったのだが 洗い終えた時 怒っていながらもさっぱりとしたような表情をしていたのがとても不思議だった。

布団に入って直ぐ寝入ったが30分もしない内に目覚めた。
就寝前に興奮させてしまったからなぁ〜。
でも そのままトイレに誘導して排尿できた。

その後 ぐっすり眠り 夫を送り出す時もちょっと目覚めたが 直ぐに寝入ってしまい夜間のトイレ誘導はゼロ。
勿論 入浴後の水分補給もしてある。

今朝は夫を送り出してから 珍しく2度寝をしてしまって 次に目覚めたのは7時だった。
急いで 食事の支度を済ませて朝食。
今朝は ご飯だったが 箸を持つまで時間がかかった。
介助して食べ始めその後自力で食べ始めた。

食後 包装紙を丸めて貰っていたら「中村屋って 何処だっけ?」と聞いてきた。
中村屋と読んで 何か頭に過った事が有ったのだろう。
昔々の記憶なんだろうと思う。
「新宿中村屋ね」と言ってみたが それ以上は繋がらなかった。

昼食も スムースに食べられた。
少し休んで 今日は洗髪の為に入浴。
嫌がるかなと思ったが 問題なく浴槽に入れた。

ただ洗髪は 嫌がる。
昨日は 強行突破したので 今日は緩やかにタオルで濡らして母の嫌がる事はしないように極力配慮。タオルも大小様々なサイズの物を準備して対応。
お湯を含ませる時は手の平サイズのタオル。
顔を拭くときは お手拭サイズ。
シャンプーを取るときは 浴用タオル。
それらを数枚ずつ準備して手の届く所に置いて備えた。

それでも「ながれるぅ〜」と幾度も訴えていた。
「ながさないよぉ〜」と伝えながら…歌を唄ったりして汗びっしょり。
腕に触れてみたが 垢でざらつく事はなかった。

入浴後 デザートに林檎のコンポートと珈琲。

暫くしてから散歩に出た。
「歩ける?」と聞くと「あるける」と言う返事。
でも前のめりが強かった。
言葉とは裏腹に 疲れた様子だったので程よい所でUターンした。
玄関先で休息してもらい 帰る荷物をまとめて タクシーを使って施設に戻った。

トイレ誘導がうまく行ったのか この3日で使ったオムツは以外に少ない。
おそらく施設の1日半分くらい。
母の動きを良く見ての判断が必要だった。

腹痛も気がかりだった。
通院も視野に入れていたが 何とか落ち着いて着たようだった。

母は 殆どの場合 私と2メートルと離れない所で過ごした。
私の移動の度に 椅子を移動させた。
がそれでも不安そうな表情を見せたので そういう時は30センチと離れない所に立ってもらった。疲れくるのが見え その時はまた 椅子に座ってもらった。

面白いなと思うと同時に驚いた事があった。
頂き物のらっきょうの瓶がテーブルに載せてあった。
時にそれを持って 蓋も開けずにコップに注ごうとしてみたり ちょっと離れた隙には きっちり締めてあるらっきょうの瓶の蓋を開けていたり…。
零れたり食べたりの形跡はなかったのでホッとしたが やはり油断禁物だと感じた。

帰路のタクシーの車内から 俯き加減で切なかった。
母の様子から 何処まで判っているか推し量るしかないのだが…なんとなく察するのだろうなぁ〜。
出来る事をすこしずつ...そうしてやりくりするしかない。


2007年07月06日(金) 腹痛の1日


 朝は爽快に目覚めた母。
朝食も自力で食べ始める。
でも長くは続かず 母のペースに合わせて介助。

薬は迷ったが いつも通りにした。
夜間は落ち着いていたせいである。
食後小さなヨーグルトを食べさせた。
これが 良くなかったように思う。

其れから 数時間後泣き出して腹痛を訴えた。
柔らかいが 昨日のような下痢ではなかったし量も多くはなかった。

其れから 幾度もトイレ誘導しても出なかった。
水分は無条件に飲む。

昼食は軽めに。
三時のおやつは 林檎のコンポートを作って食べさせた。
4時には プリン。冷たくしないで食べて貰った。

夕刻。どうしても必要なものがあってコンビニまで買い物。
急な下り坂を下りた。
帰り そこを上る。
上りきったところで分岐点。
母は真っ直ぐ行くと要求したので 更に坂を上り遠回りして家に戻る。
日中暑かったので お散歩を避けたが外に出たかったのだろう。

戻って直ぐに夕食。
夕食はしっかり美味しそうに食べた。

熱も血圧も特に変化はない。
見た感じは 食欲もあり普通なのだ。

食事が済んでのんびりモードで こちらは梅ジュースを造っていたら弟がやってきた。
母が来ていることを知っており 自分の会社の書類を取りに方々きたのだ。

そこへ夫も帰宅。
2人であれこれおしゃべりしていた。

母は穏やかに1人遊び。
弟が帰ったのが10時過ぎ。
其れから 母をお風呂に入れた。
お風呂の騒動以後は また明日にでも...。

明日は夫早朝出だし 母の事もあるので...。


2007年07月05日(木) 美容院に行く


早朝 娘は出張のため家を出た。
眠いけれど もう眠られないので其のまま置き出した。

今朝は 思ったより気温が下がって寒かった。
でも昼の気温は 30度を越えた。

母を施設に迎えに行く。
機嫌は悪くないけれど 俯いている所をみると腹痛だろう。
顔をあわせると困ったような表情を見せたのでトイレ誘導。
間一髪だった。
トイレの気配で昨夜か今朝か排便があったと感じたので職員に尋ねた。
緩いものが大量だそうだ。
結構長い時間トイレで奮闘。
こういう時は出きってしまうまで待ってあげた方が本人も気持ちよいだろうと思う。

あまりに緩いので 熱でもあるかと思ったが熱はなかった。
着替えをして外出準備。

歩きはやや不安定なので両手で介助。
程なくバスが来て乗り込む。
機嫌が悪い訳ではないけれど 良いとも言えない。
乗客をじっと見つめるので怒り出さないかと冷や冷や。
何とか我慢しているようなので これなら美容院にいけると判断。
バスを降りて美容院へ。

受付を済ませたら直ぐシャンプーとなった。
母にとって まだ どこか判らない状態なのでシャンプー台を倒すといきなり不穏。
今日は初めての美容士さんで若いという事もあるのか「シャンプーはやめましょう」と鏡の前に移動した。

程なくオーナーがロットを巻き始めた。
その内に美容院モードに入った母。
おとなしく椅子に座っていた。
パーマ液も順調につけられた。

薬が定着するまでの間 母に飲み物を飲んでもらった。
積極的に飲んでいた。
便が緩かったので 体内で水分を要求している風。
待っている間 持参した手ぬぐいを使って遊んだ。
母は キャッキャッと笑った。
そして フェイントをかけたりする技も使う。
手ぬぐいの模様を見たり始めるので 長く続けられないが それでも気分を変えればまた遊べる。

問題はロットを外して流す時である。
その時がきて ドキドキしながら望んだが...。
スムースに出来た。
強く嫌がる事はなく「薬を流さないとね」と言うと納得できた。

鏡の前に戻ったら 鏡をじっと見入っていた。
カールしている事が判っているようで 表情が変わってきた。

眠気も襲ったが母が鏡越しに視線を合わせてくるので眠る訳にも行かなかった。

綺麗に仕上がり満足そうな母の表情にホッと出来た。
そこから 歩いて駅まで。
駅でトイレ誘導したら 勢い良く出た。

歩く時 前のめりが強くなってかなり疲労しているようなので タクシーで家まで。

おそ〜い 昼食。
時折遊びながらだった。
食後暫くしたら 急激にお腹が鳴り出し痛がっているのでトイレに誘導。
でも空振り。
夕食前まで 痛みは続いていたので トイレに入ったり出たりの繰り返し。

全て空振りだった。

夕食の支度を始めるのでキッチンに向いて座ってもらい様子を見ながら調理。その内に腹痛も治まったようだった。

食事は全量食べられた。
最初から自力で食べた。

食後 ゆったりしてから入浴介助。
これもうまく行く。
身体を良く洗えた。

そのままお布団直行。
たらこの抱き枕をしっかり抱いてお休み。

今晩は どんな夜になるだろう?


2007年07月04日(水) 調子良いみたい


明日から娘 お隣の国へ出張。
娘 感じる所があるようで 午前中母の所に立ち寄り食事介助していた。

母は昨日から ご機嫌らしい。
昨日 入浴時の洗髪も拒否はなかったということだった。
娘の食事介助を受けながら始終ニコニコ。

リハビリも順調に終了。
そうそう リハビリ終了後 母の立位の介助をした時 横になった状態から上体を起して それから片足の膝を立て立ち上がろうとした。
すごいことだ。
「膝を立ててみて」と手を使って膝を曲げようとしても全く出来なかったのに...。数年ぶりの事だ。
これからもそうできるのか判らないけれど...でも これなら寝ている状態からの立位もたやすくなりそうだ。
後退するばかり...と思っていたけれど こういう事も起きるんだなぁ〜。

トイレ誘導で排便も出来たが その後に腹痛も起きず調子良好。

今月 薬を大幅に減らして様子見をしているが それが良かったのだろうか?未だに血圧も大きな変化は見られないし 排便も順調。

体調の変化で 少しずつ薬も増えていたが 減らしてみて良かったいう事なんだろうかな?
そういえば 母を呼び寄せた時も 徐々に薬を減らしたのだった。

あの頃は 母も自分である程度話せたので 説明をして納得を得られ 薬の減った事を母自身も喜んでいたっけなぁ〜。

今は 説明しても判らない部分が多いし その時の意思が本意と言える状況ではないので 判断はこちらにお任せの部分が多くなっている。

リハビリの済んだ後 美容院に連れて行こうかとも思ったが 新規のプリンターを探して置きたかったので 今日は止めにした。
明日から3日間は家にお泊りなので その間に連れて行く機会もあると思う。

さて 明日は 早いので今日はここまで。


2007年07月03日(火) パワー不足

プリンターの調子が良くない。
絶対必要と思う時には 難なく動いたりして機械にも状況判断が出来るのかなんて感じてしまう。
午前中に不調の原因を探るため 操作してみた。
この手の作業をしているとアッという間に時間が過ぎていく。
午後には 介護者の会の予定があり 結局解決できないままとなった。

介護者の会も今回から新たな展開が始まる。
地域包括から介護者の会に出向いてくれるという事になったのだ。
介護者の現状を知って 役所主催の介護者向けの会の課題を拾い上げながら対応してくれるそうだ。
いろいろ問題もあるが 動いて見なければ判らないので 様子をみながらである。

地域包括から3人 役所から1人と言う電話を受けて そこは勘弁してもらった。
会員の中には 専門職の人が多いと言葉を発し難いという方も居られるからである。
地域包括から2人。そして役所の人は顔見世程度に留めて貰う事で調整。

暫く前に話し合いをして そういう方向に動いてくれた事はありがたいことなのだ。

今日の集まりは 参加者はいつもより少なめ。
地域包括の方が見えても 会員の方は動じる事はなかった。
「いつも 言いたい事を言うので驚かないで下さい」と言う人もいたほどだった。
介護者主流の会が定着してきたのだなぁ〜と感じ入った。

ただ こうなると会のあり方も微妙に違ってくるような気がしている。
介護者の現状を知っていただく事は嬉しいことではあるのだが…。

毎回 地域包括の人が最初から終わりまでついているという事を 運営委員会で1度検討して見なければならないだろう。

今日の介護者の会の話題は医療の話やショートの話が多かった。
病院の受け入れ態勢。施設の受け入れ態勢。
また 重度に移行していくと 介護+看護+食事と配慮する事が多くなり介護者の負担も増えて行くので 食事の面では出来合いの副食を使って介護食を作り 負担の軽減を図っていると言う話が出た。
お弁当と言う手段よりも副菜のみの方が良いようだった。
出来合いの惣菜で高齢者向きと言うものは今のところないので そういう選択が増えれば良いのだろう。当然 安くて美味しいが条件だろう。

今回の話で介護負担が重くなると介護者のストレスも重く そのはけ口が本人に向けられてしまう事も多くなってくるとくると改めて感じた。
介護者の年齢が高くなり1人で向き合っていると深刻である。
勿論 会員の方は 認知症を理解して露骨な事はしないのだが…。
介護保険で いろんな制限が設けられて介護者が追い込まれているのではないかと感じた。

若い世代は まだ体力はあるだろうし 複数で介護できる環境にある人も入るだろうけれど…。

介護と無縁に過ごしている方や余裕のある生活の出来る人は 予算がないのなら負担も止む無しといえるだろうが…一般の人には 介護がずしりと重たくなってきている。

午前中に母の所に行くつもりで準備していたが行けなくて 会が終わってからと予定変更したら 今度は空が真っ黒くなって慌てて家に戻る事になった。梅雨時で どうにも体が重たくてパワー不足を否めない。


2007年07月02日(月) 健康だからこそ


利用者さん 訪問。
いつも通りの活動。
90歳に手が届きそうな 利用者さん。
「予報で雨と言っていたので 昨日草取りしました」と言われた。

この間まで 作品展に出すためにレース編みをなさっていた。
今日 お話を伺って驚いてしまった。
利用さんは 今住んでいる地域と以前住んでた地域(電車で30分ほどの所)のふたつの地域の会に参加なさって 作品を出展なさっているそうだ。
他にも多彩な趣味があり 地域の公園の草取りのボランティアもなさっている。

訪問を利用されなくともきっと大丈夫な方と思う。
先の供えのために利用なのだろう。
いつも笑顔で 人を褒めたり心配なさる話題が多い。
穏やかなお人柄である。
お元気だからこそなのだろうと思う。

予定通りに活動し今日は終了。

戴きっ放しの方へお礼の品を探しに隣の地域のデパートに出向く。
久しぶりに歩くデパートで おしゃれな人たちが多いのに驚いた。
結局はウィンドウショッピングで終わってしまった。
物を選ぶって なかなか難しい。
食品なんだけれど…地方のお店にもあるものは避けたいし かといって地域の特産といってねぇ〜。
時間の余裕はないけれど もう少し 探してみることにした。


2007年07月01日(日) 新しい入所者


朝 夫と菜園に出かけた。
夫の担当は ニガウリとトマトの支柱の延長。
これが 独特である。
正統派の支柱の立て方ではない。
夫は「それぞれ個性があってよいのだ」だそうだ。
確かに支柱は つるや枝を支えるための物なのから役に立てばそれでよいのだが…。
大丈夫かなぁ〜。

私は 草取り。
草は抜いても抜いてもまた茂ってくる。

勿論 収穫も忘れない。
しかし 一斉に種を蒔いた 葉ダイコンやルッコラ。
毎日同じ野菜の食卓は飽きがくる。
まだ 冷蔵庫に眠っている 葉ダイコンが有るのに「今日も収穫する」と言う夫。
「家にまだあるのよ」と言うと「いい 俺が食べる」と。
でも夕食の葉ダイコン「明日食べる」って残した夫。
折角新鮮な野菜が食べられるのに 冷蔵庫に寝かせるのは勿体無い。
畑にいれば 必要な時新鮮なままで食べられるのに…。

トマトも収穫時になった。
でもカラスがいたずらして行くみたいだ。案山子でも立てればよいか?
きっとネットをかけるのが良いのかも知れないなぁ〜。

昼食を摂ってから 母の所に出向く。
超ご機嫌と言う訳ではなかったが 反応は良い方。
でもトイレ誘導後から 突っ伏す姿勢。
腹痛なんだと思うのだが ガスが一回抜けて…。
それでも まだ 腹痛は続いていた。
歌を唄っても乗ってこない。

みんなでおやつを食べた後 お散歩に出た。
室内では 足がもつれ気味で少し気になったが 外に出たらしっかり歩けた。
途中で水分補給していたが途中から拒否。
「あのね 水分取らないと頭が爆発してしまうから」と言うと その後また飲み始めた。
言葉が通じており理解できているのだ。
今日は 最近の中で歩いた方である。
腹痛がありながらも 車や自転車は良く見ていて「あれ」とか「ほら」とか言葉を発していた。

今日は フロアに新しい方が入所なさった。
母と同じ年の方は 別のフロアに移動なされた。

新しい方の入所により 施設内は波風が立っていた。
新しい方は 遠慮がち。でも 職員も不安を抱かないように配慮なさっていた。
車椅子で認知症はない様子。麻痺もないように感じた。

母は 新しい方が入所なさった事には気がついていない。
認知症のある人は やや重いので母と似た様な感覚みたいだ。

フロアは また違った雰囲気になってくるのだろうか?


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