母のタイムスリップ日記
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2006年06月30日(金) 外食効果


 利用者さん訪問。
今日は通院があり その時に誕生月検診を受ける予定なので 余裕を持って家を出た。
利用者さん お着替え中だった。
きちんと覚えておいでなのだと思った。

お話を始める利用者さん 着替えの手が止まってしまった。
その間に 冷蔵庫をのぞいて食べ物チェック。
昨日 ヘルパーさんは調理なしの様子だ。
きちんと作っておかないと明朝デイがあるので パタパタが目に見えた。
そこで 南瓜を切って甘煮を作り 大根を切り塩を振っておいた。

「お支度宜しいですか?」と伺い 外に出た。
健康診断が結構長かった。
1度帰って 食事の支度をしようかと迷った。
でも早く終わっていたら それも困るので 途中抜け出して 皮膚科に診察券を出して戻った。
それから 大分経ってから定期健診。
「お薬は…」という医師の声。「いりません」と利用者さんの声。
ちょっと腰が上がった時「2週間経ってますから 薬出しておきますね」と医師の声が聞こえたので座り直した。
薬局でお薬を頂き 時計を見ると遅くなりそうな気配。
普段なら 一度家に戻って 活動終了時に利用者さんと再び家を出るのだが…。利用者さんの歩調に合わせていると 午前の診察に間に合わなくなりそうだった。
そんな訳で 利用者さんには 皮膚科に行って貰い 買い物して戻り 炊飯器のスイッチを入れ 洗濯物を干して 南瓜を煮て 大根膾を作って 皮膚科に向かって 利用者さんに鍵をお返しした。
それで 活動終了。
後半は駆け足で それでも時間オーバーだった。

家に戻ってから 母の所に出向く。
美容院に連れて行こうと思っていた。
母ともうひとりの方が 絵を描いていた。
それを見守るうちに 美容院に行く機会を逸してしまった。
予定変更。
歌の好きなメンバーが揃っていたので みんなで歌を唄っていく。
歌える人 歌えない人いるけれど 手で拍子を取っているので 十分楽しんでいるのが判った。15曲くらい歌っただろうか?
「おやつですよ みんなで喉を潤しましょう」という事で小休止。

今日は 絵を描いていた事もあって トイレ誘導をしなかった。
歌っている時 少し便の匂いがした。
職員が排泄処理をしているからだろうと思っていた。
おやつ後 多分お小水は出ているだろう…と想像していた。
が においの元は母だった。
気付かれないように オムツを畳みながらトレーニングパンツの中に折り込んだ。もう少し出ないかとお腹をマッサージしたが「臭い 嫌」と母は言いだす。実は臭いより「痛い」なのだが…トイレ内に匂いが篭っていたのだ。

歩けば刺激するかと思って散歩に連れ出す。
出た途端 もそもそ。「トイレ?」と聞くと「そうだ」と言う母。
折角 申し出たのだから 戻ってみようと直ぐに引き返して トイレへ。
出たのはお小水。排便は空振り。
再度 お散歩。
テクテク歩きだして「近くの美容院で洗髪いてもらおう」と思いつく。
ちょっと 勿体無い気もしたが この所洗髪が大変なので きちんと洗ってもらった方が良さそうと思った。
洗髪だけなら500円。
ところが 最近 1000円に上がり その上ブロー等別料金となった。
前髪も伸びたので 前髪カットも頼んだ。
櫛を入れて 2回ほどすチョキチョキしただけだった。それで500円追加。
しめて2000円ちょっと。
私がセットしたり 切ってあげた方が綺麗に仕上がりそうだった。
この美容院の嫌な所はここだったと思い出した。
施設の直ぐ傍にあるのだが…やむを得ない時ちょこっと利用させてもらう。

やっぱり いつもの所の方が良いわ。
値段は少し張るけれど…もっと丁寧。安かろう悪かろうではね。。

美容院を出て「美味しい物でも食べる?」と聞くと「美味しいもの食べたい」と言う母。
時計を見ると施設の夕食の時間だった。
遠くまで出かける時間はないので 施設の下の割烹屋さんに入る。
母をお店に置いて 施設に上がり夕食を断った。
そして 食事。
この当りから 母に笑顔が出てきた。
きっと便が詰まっている筈と思い メニューから良さそうなものを選んだ。
レンコンの揚げ物。長いもの揚げ物。海草の酢の物。トマトサラダ。それに冷奴。ご飯は握りずし(2人前)。ジャンボ茶碗蒸し。味噌汁(2人前)。お刺身。
これらを 母にほぼはんぶんこ。
母はおいしそうに ニコニコしながら食べた。
歯が抜けた事等 全く関係がなかった。
「美味しい?」と聞くとコックリ頷き ニコニコ。
久しぶりに ゆっくり外食した。
いや 私は 母の隣に行ったり来たりで食事介助。。。

こちらのお腹が満腹なのだから 母だってそうだろう。
でも 食べる速度は変わらず 嫌がる事もなく食べ続けた。

かなり 満足したらしい。
お店を出てからも「美味しかった?」と聞くとコックリしてニコニコだった。

施設に戻って トイレに誘導。排尿した後「未だ出る?」と聞くと「大」と言う。

いくら 娘が出張で大阪泊まり。
夫が遅いとは言っても 夕食の支度せねば…。
という事で 職員に頼んだ。

「母が出ると言っているので トイレに座らせています」と伝え職員に介助してもらった。直ぐに帰る予定だったが 施設長と少し話しこんでいたら「出ました。ありがとうございました。『出たっ!』って言ってました」と知らせてくれた。
便秘で5日目だったと思う。
最近 牛乳を飲ませてくれていたが 腹痛を伴うので 職員も避けてくれた。食べ物さえ しっかり食べれば 自然排便が可能だ。
この方が「出る時」を感知できるので トイレできちんと出来る様な気がしている。
職員の協力に感謝。

日もとっぷり暮れてしまって バスに乗って帰宅。
久々に母と夕食をとった。
母も外食がわかるんだなぁ〜。言葉は発しなくとも 十分嬉しさが伝わってきた。


2006年06月29日(木) 蟻…


 今日もお天気。
洗濯したり お布団干したり お掃除したりで1日を過ごした。
気になっていたブラインド ようやく拭き終えた。

重い腰が ようやく上がったという感じだ。
ちょい置きしていた暖房器具をしまいこみ 替わりに扇風機を出した。
少しずつ 夏準備。

押入れも ちょこっとずつ整理中。
少しずつ 整理されてきた。

でも こういう時が要注意。
片付けている時は 何の迷いもなく振り分ける。
これが 後に「何処?」になってしまうからである。

物が増えた事も一因だが 明らかなる老化現象。
嘆きはしない。
老いとも仲良くして行かないと…。

で何故 重い腰が上がったか?
この所 ゲリラ的に家の中に蟻が出没する。
これまで なかったことだ。
1度 砂糖を零した時に蟻が行列した事は有ったが それ以外にはない。
出没しない部屋もあるが…。
2階にまで出るのだ。

心当たりと言えば 晴れた日に窓を開けた日。
雨の日も晴れの日も窓は開けてきたが こんな事は初めて。
昨日も 夕方 目いっぱい窓を開いて 外の風を入れた。
今朝 もそもそするのでハッとしてみたら 蟻さんが 数匹。
あまり 気持ちの良い物ではない。

蟻を払うために 布団を干して お部屋を掃除したのだ。
侵入経路を探してみるが 窓以外に考えられなかった。
でも窓を閉めておくのは 好きじゃないし…。
これから 夏場に向かい 困ってしまう。

何故 出る部屋と出ない部屋があるんだろう?
暫く また 様子見だわ。

夕方 各部屋を見て廻ったけれど 蟻の姿はない。
今晩は大丈夫かな?

1日家にいたので 夕食の準備もゆったり出来た。
やっぱり こういう1日がいいな。

今日は みんな10時ごろには帰宅して…早めに就寝できそうだし…。
嬉しい わんわん!


2006年06月28日(水) 「出来ない」って言ったよ!


 リハビリの日だ。
母の所に出向くと 昼食中だった。
口の中 モグモグさせていた。
先だっても「口の中に いつまでも物をためているなぁ〜」と感じていた。
職員が傍に来て「歯が抜けました」と金属根を渡してくれた。
「そういう訳だったか」と納得。
たった一本抜けただけの事だけれど 入れ歯は当然緩むはずで そうなれば口の中に食べ物も残ってきてしまうだろう…。
「歯がおかしい」と言えないので 起きてみて初めて判る認知症の難しさ。
直ぐに歯科の予約を取った。
今 混みあっているので来週という事になった。

それでも 介助すると全量摂取できた。
隣に座してしまうと 母は口を開けるだけになってしまう。
出来る限り 自分で食べるように誘導。

療法士さんが見える直前に居室に誘導。
トイレで用を済ませて 歯磨きをして 椅子に座った。
療法士さんが見えた時 畳に移動。
この所取り組んでみようと思っていた事を実行。
以前 立ち上げる時は向き合って母が私の肩に手を置き 私は母の腰に手を当てて一緒に立ち上がるようにしていた。
今日は 座る時に この逆バージョンをしてみた。
療法士さんの見守る中 これは成功と言うか腰を下ろす寸前まで。
この考えが甘かったのは 母が正座は無理という事を忘れてしまっていた事。途中で気が付いて足を崩すように手を緩めて行く。
しかし 崩しても膝を折って長く座らせて置けないので横にさせようとした。
いつもの体勢に横になって貰おうと身体を倒し始めたら「出来ない」と母は言った。
私は右側から横になって貰おうと思ったのだ。
母の言葉にハッとして 左側から横になって貰う事に変更した。
これで 一応リハの体勢を取れたので良かったのだが…。

療法士さん曰く 母は左に傾きが強いので 右側に身体を倒すのは難しいという事だった。良い勉強になりました。

その他にも 療法士さんからアドバイス頂いた。
やはり こちら側から積極的に動いてみて良かった。
これから そういう事を念頭に置いて練習を重ねてみようと思った。

しかしなぁ〜。
お腹が空いたとも 眠いとも言えない母なのに「出来ない」と言う言葉を発するって…。
「出来る」「出来ない」って そう言えば 時折口にしているなぁ〜。
そういう瞬時の判断は出来るんだなぁ〜。
瞬時だからこそ出来るという事なのかな?

リハビリ終了後 立ち上がりも頑張ってもらった。
うつぶせになる時はやはり無理はあるが 四つ這いから椅子に掴まっての立ち上がりは 前回より腰が軽くなっていた。
「わぁ〜い 偉いね」と言うと「ありがと」と母は言ってくれた。

その後 入所者の家族と共にドライブ。
先日 母と出かけた紫陽花の綺麗な所に。
車の乗り降りも 大分良くなってきていた。
4月いや5月頃までは 車に乗り込むのに「腰を先に…」と言葉をかけながらヨイコラショッと介助が必要だった。
今日は 迷うことなく手を車の中に導いて上げると 後は足をステップにかけるまでは自力で出来た。
腰をちょっと引き上げたら 浅い位置ではあったが座れた。
随分楽になったものだとつくづくと感じた。

時間が足りないので 車内から見ただけ。
それから ケーキ屋さんへ。
私達は昼抜きだったので サンドイッチを注文。
1人はシュークリームとミルクティー。 母はソフトクリームとカフェラテ。
二人とも 私たちのサンドイッチもそれぞれお相伴していた。

昼食の時の食べる速さとサンドイッチを食べる時の速さとは段違い。
「この差は どうして起きるのだろうね」という話題となった。

母ももう1人の入所者も外の空気を十分楽しんだ。
ケーキ屋さんではテラスだったので 室内とは違う楽しさを感じた様子だった。

施設に戻るとちょっと休息。
今日も暑い1日で 汗だくになり職員が出してくれたアイスレモンティーが有り難かった。

ほんとは なかなか外出出来ない方も外に連れ出したいのだが…。


2006年06月27日(火) お日様の匂い


 「暑くなる」って聞いて 洗濯機をクルクルと2回廻した。
全て干し終えて 出かけようとした時「夕方にわか雨…」と言う予報を思い出す。しかし それが今日の予報だったか 記憶がイマイチ。
こんな事が最近 多い。 ちょっと危ないかな?
「ええい 儘よ!濡れてもいいや!」と不安を振り切って其の儘外出。

会議があって出かけた。
会議が始まる前に 介護の事で気になっている事を「似た様な状況の人は居ないか」と仲間に聞いてみた。
以前にいたが 最近は居ないという事だった。
不安に思う疑問を投げかけてみた。
やはり 同じ考えだった。
つまりは 嫌がる事は無理をしないで気長に待つという姿勢。
いや 放置しても死に至らない場合だけれど…。
医師の考え方もそうだったと言う後ろ盾もあり 意を強くした。

介護は人間相手の事で それぞれ対処が異なる。
自分に取って良くとも 別の人には良くない事だってある。
だから 情報を得てどうするかは 個々に異なって当たり前だと思う。
でも 自分の持ちうる情報ではお手上げの場合 他の情報を得る事で新たな展開を図れると感じている。

会議を終えて 外に出たら未だ雨の気配なし。
この時期は 雷雨ゲリラが出没するので安心は出来ず 電車に飛び乗って帰宅。
地元の駅に降りてお天気だったので スーパーにまっしぐら。
カマンベールチーズが半値と記憶していたから。

我が家では 昨日の「べにあかり」を茹た後 カマンベールを乗せてオーブンで焼いたものが 人気。
チーズをストックしておきたかった。
家に残っている数を思い出して 2個購入。欲張るとろくな事がありませんから倹しく2個。

ゆっくり家に戻って 乾いた洗濯物を取り込んだ。
今日の洗濯物は 久々にお日様の匂いがした。

西の方では かなりの雨の様子…。
この時期に成ると 水害やらがけ崩れが多くなる。
危険地域の高齢者は大丈夫かな?


2006年06月26日(月) 今日の収穫


利用者さん訪問。
建物の近くにポンプ車が止まっていた。
火事だったのだろうか?
利用者さんの所ではないだろうが パニック起していないかと気になった。
幸い 2重サッシなので音は耳に入っていないようでホッとした。

土日の様子をひとしきりお話くださった。
お天気もまあまあという事もあり 1人で買い物にも出かけられた様子だ。
信号を渡るのも問題なかったみたい。

お話を伺いながら 煮物を作り棚の拭き掃除。
以前のヘルパーさんは お掃除が中心だった。
だから 週3回の訪問で家の中は比較的綺麗だった。
が今は 家事援助で1時間半の活動という事で 洗濯とお料理と掃除機を掛けるので時間がいっぱいになってしまうようだ。
お掃除の取り残しは こちらに掛って来る。
トイレの汚れが目立ち 棚の埃も目に付くこのごろだ。
サッとのお掃除では間に合わない位。

以前は 利用者さん自ら「ここ御願いします」と言えたけれど 今はそこまで気が廻らないように感じる。

と言う訳で 今日は料理 煮物 酢の物 お浸し 天麩羅の4品を作り トイレ掃除 棚の拭き掃除 キッチンの汚れ取り 買い物に同行し 冷蔵庫に収めた。これで2時間。5分オーバーした。
ゴミはまとめて帰る時にダストシュートへ。

金曜日は通院と確認して活動終了。

家に戻ると 故郷から果物が届く。友人からだった。
いつもながら 感謝。

お礼の電話を入れて ひとしきり話す。
子供事や故郷のことや母の事。

その後 手を付けた儘仕上がってない仕事を片付けた。
これで 今月の分は終了。

ふと 思い出して 植木屋さんに電話した。
先日 事業所の集まりで登録活動している植木屋さんに名刺を頂いたのだ。
出先だったので 戻ったら 見積もりにきてくれるという事になった。
事業所での活動は 有償ボランティアで低価格だが 我が家の場合そうは行かないだろう…。
毎年 私が切っていたが 今年は毛虫でお手上げなので致し方ない。

先に剪定した樹木を見て「いやぁ〜 思い切りよく切られまししたね。植木屋は こうは切りません」と言われた。
見栄えが 大事なのは重々承知しているのだが 手入れのしやすさが前提条件の素人なので…。
ひょっとして 御願いしても こちらの思うような剪定じゃなく見場が優先されるかな?
雨で 松の剪定が遅れているので 我が家に来てくれるのは7月に入ってからになりそうみたいだ。
以前頼んだ植木屋さんは 頼んだ木のみだったが 今回は サラサラと家の周りを見て廻っていた。 何処までやってくれるのかな?

仕上がり具合をみてみないと何とも言えない。
同じ技術料でも 夫のふるさとと比較すると倍額なんだなぁ〜。

夕方前に 傘を差して畑へ出向く。
「べにあかり」という種類の物が収穫。
これは 北海道の友人が 昨秋送ってくれたもののひとつでこちらで冬越えして春先に種芋として植えたのだ。
この芋 家族の評判が上々なのだ。
うまく育つか心配だったが 大きなイモに育っていた。
と言う訳で 夕食はべにあかりとなった。
ポクポクとして美味しかった。


2006年06月25日(日) 二人三脚?


 母はソファーに座って検温していた。
いつもと違う位置に座していた。

夏物の補充のため 今日は荷物がどっさり。
その上 母の新しい靴も購入したのでそれも持参。
朝 弟からさくらんぼが届いたので それもお土産に持参。
○さんが「気が利いているわね」とお褒めの言葉を頂く。

検温後 母を居室に連れて行き 先ずは靴を履いてもらった。
新しいと判るので「可愛い靴ね」と言う。
「○ちゃんのよ」と言うとニコニコして「ありがとう♪」
履かせてみると「ぴっちりしていて気持ちがいい」と言う。
  …ハッ キツイのかな?…
でも 痛いとは言っていないのだ。
実は私が 試し履きして 素材がとても柔らかく気持ち良く感じていた。
昨夜 夫も試し履きして きちんと履け 良い感触だと言っていた。
男物があるなら 自分も欲しいとまで言っていたのだ。

いつもなら 靴選びは母を伴っていくのが通例。
母の足は 年の割りに大きくてその上外反母趾。 板広で4Eサイズが必須。
でも 最近 なかなか一緒に行く事が出来なくて…新しい物を買い足せなかった。
今の靴もくたびれては居ないのだが 先のほうがどうしてもこすれて少し剥げている。

歩かないと判らないので 着替えて散歩に出た。
大分歩いたが「痛い」とは 言わなかったので大丈夫そうだ。良かった。

雨がポツポツ落ちてきたので 早々に戻った。
居室で 寝転んで起き上がる練習。
やはり前回と同じで 上体は起せても腰から下はどうしても動かせない。
腰をくるりと押して上げると「あ 嫌」と同じ言葉が出た。
でも それから 這い這いは容易だ。
何処までも這い這いして行く。
椅子の所まで来るように伝えると 椅子に手をかけ立ち上がろうとするが やはり腰が重いようだ。
ちょっとズボンに手をかけて腰を軽くしてあげたら 立ち上がれた。

それからがちょっとおかしかった。
立ち上がれば 椅子に向き合う形になる。
そこで「座って」と言ったら 椅子に膝を乗せて椅子の上で正座するかのような動きをした。
「いやいや そうじゃなくて…」と右手を椅子の左側に置かせると初めて 背を向けて座る事に気が付いたようだった。
当たり前の事が 当たり前に理解できなくなっていると改めて気が付く。

暫くして おやつ。
みんなでさくらんぼを頂く。
ミキサー食の方にも 生のさくらんぼをミキシングして出してくださった。
だから 全員 ちょっとづつ 季節を味わえた。
みんな「あまいね」と言っていたので 良かったわ!
私は 未だ食べてない…。

その後 みんなで歌を唄う。
「箱根の山」「あめ」「叱られて」等 いろいろ。
母は 時折忘れるので 歌詞を思い出して繋ぐが…それを聞いていた○さんが「二人で一人前ね♪」と言った。
そう それは間違いない。私だって忘れている。補って一人前…(苦笑)
二人三脚みたいだ。

そうそう 今日は○さん 別のスカートを着用していた。
上着も別物だと思ったら…中に同じ物を着て重ね着だった。
ドライが入っているとは言え 暑いだろうに…。でも○さんは 涼しい顔をなさっていらした。

今日 職員が母に塗り絵を出してくれた。
母の隣に座して 言葉をかけながら誘導してくれていた。
暫くは きちんと綺麗に塗っていたが 暫くして認識できなくなったうようで 目をオレンジ色の鉛筆でなぞっていた。
母に違和感はないようだが 仕上がりを見ると怖かった。


2006年06月24日(土) 偶然


 数日前 友人からメールで植物の名前を質問された。
添付された写真は開けなくて 文章から判断し返信した。

名前を図鑑で調べた友人は「間違いなかったありがとう」と再度メール。
その折に 数年来気になっている植物をまた質問された。

私は 植物の名前にそれほど詳しくないのに 友人が私を買被っているだけの事なのだが…。

2度目の質問の植物は全く想像も付かなくて「そのうち写真を添付するよ」と言っていた。

が 今日 用事があって 初めての場所へ出かけた。
行きは バス→電車→バスで目的地へ。
帰路 駅まではテクテク バスの路線を外しながら歩いた。
駅に大分近くなった所で ふと花に目が止まった。
知らない花だったせいもある。
「ひょっとしてこれか!」と思い携帯で写真を撮った。
ゆっくり歩く事もないなと思って デジカメを持たずに出てきたのだ。

駅に着いて 直ぐにメールに写真を添付して送った。

家に着いて メールを開くと友人から「おお〜!」と。
それから 写真を見ながらネットで調べてみたら 名前が判ったので再度メールした。
私が見たのは 花が開いてないもの。
だから 確証はなかったが一応 そうじゃないかと思えるものだった。

すると 友人また図鑑で調べて「間違いないと思う」と返信がきた。

友人は 名前が判らないとせっせと調べる。
植物の特徴もきちんと把握していて ちょこっと折ってにおいをかいだり 葉の特徴から考えたりする。
私は 最近 調べる事は 殆どしなくて放棄状態。
友人の姿勢に自分の事を反省した。

それにしても 偶然ってあるんだな。
私は 友人のメールに気を止めていた訳ではなくて 何れメールの写真が送られてくるだろうと思っていた程度。
帰路 バスに乗ったら… 道の右側の歩道を歩いたら… 他の道を選んだら… きっと この花と出会う事もなかっただろうになぁ〜。

最近 物忘れも多くてげんなりしていたけれど メールの内容を覚えていたという事でホッとしたり…が正直な所。

友人も 驚いたらしく「昔 電車でばったり出くわしたわね。やっぱり切っても切れない縁だわ」とメールしてきた。

…エッ あいつ 私と切れようとしてたのかな?ギョッ!そりゃ殺生だわ…
…近い内時間作ってあいつの所に行かなくちゃ。すっかりご無沙汰だもの…


2006年06月23日(金) …ギブアップ…


 利用者さん訪問。
月曜日に「これから 葬儀に出かけます」と帰ったのだが 利用者さんはしっかり記憶なさっていて「お疲れありませんか?」と聞いてくださった。
数字に関する記憶は少し曖昧だけれど 行動に関しては よく覚えていらっしゃる。

「今日は通院なんです」と言われ支度なさっていた。
「具合の悪い所 ありますか?」
「いえ 定期通院」
「先週の金曜に通院なさって検査も受けておられるので 通院は来週ですね」
「あら そうだった。その時に皮膚科にも行ったのね」
「はい カレンダーに記録してあります」
「じゃ 今日は お買い物だわね。何を買おうかしら?」
「冷蔵庫 見てきます」
「御願いします」
と言う訳で お買い物リストを作る。

テーブルの上に 誕生月検診のお知らせがあった。
利用者さんは これをみて通院しなくちゃと思ったのだろう。
でも 検診は来週でも間に合うし…。
その旨 利用者さんにお知らせした。

冷蔵庫の中を少し整理して 冷凍庫から肉を出し 野菜も準備。
そして 買い物に出かけた。
メモに沿って お買い物。
途中で 利用者さん知り合いに会われて立ち話。
長くなりそうだったので 会計を済ませて もうひとつ別のお店でお買い物。全てが済んで 戻ってみると利用者さんもお話が済んでいた。
デイ利用で お友達と出会う時も少なくなっているので ばったり出会った方とはゆっくりお話なさった方が良いと判断したのだ。
傍で待っていると活動時間がオーバーしてしまうので…。

戻って 急いで購入した物を冷蔵庫に収め 調理を始めた。
それから トイレを掃除し キッチンを片付けて活動終了。

家に戻ってから 母の所に出かけた。
母は ニコニコとして機嫌が良かった。
程なくして おやつ。
みんなでティータイム。

職員が「○さんの着替えに取り組んだけれど 駄目だった」と言われた。
「ちょっと 私がチャレンジして見ます。着替え下さい」と御願いした。
○さんのご主人「娘さんが居られると何かと良いですね」と言われていたので 手助けできないかと思った。
無理を通すつもりはない。
人が替わればすんなり行く事もあるかと思った。

おやつが済んで 母の着替えを済ませてから ○さんを母の居室に呼んで暫くおしゃべり。
これは とてもにこやかに談笑。話しも弾んだ。
「あのね 今日はご主人から着替えをお預かりしてきたんです。『帰りにクリーニングに出したから 着替えて置くよう』に言ってました。
「これ礼服なのよ」…普段着で昼食のシチュウが零れている…
「あら 大切なものですね。それでは 着替えましょうか?」
「いいえ 私 風邪を引いていて熱が下がったばかりなのです」
「どれどれ…あれれ 熱私のほうが高いですよ」
「そんなことないわ!」
「クリーニングは 私の知り合いの方が 生活が苦しいから 自分の所を使ってと頼まれているので そこに行かなくちゃならないのです」
「はい。ご主人もそう言われていました。そこのクリーニング屋さん 早じまいだそうで…」

「誰かいるところで着替えるなんて嫌だわ」

それからも ご主人の愚痴 お母様の事 等々で話題を二転三転させる○さん。着替えを拒否するための口実を次々となさった。

傍にいた母の機嫌が見る見る内に悪くなって行く。(表情だけだが)
○さんも 母の表情をみて感じたようで 「ご気分 悪い御様子ね。貴女のお母様 大事にしてあげて」
「はい」
…それにしても 人の心の内を読める○さんって素晴らしい…

…ギブアップ…
居室の外に出て 職員に「今日は無理。母の機嫌が悪くなってしまったわ」と謝る。

職員が見えた時 トイレに入られた○さん。
慌てて 下着を渡して「着替えられた方が…」と言ったのだが…。
中で 着替えをクチャクチャに丸めて 怒っていらした。

トイレから出た○さんに 別の職員がお仕事を頼まれて 気分転換を計った。

母のご機嫌を直すために お散歩に出た。
1対1になると 母の機嫌は見る見る良くなっていった。
やはり 他の人と長く話しこんでいると嫌なんだなぁ〜。

歩き疲れた様子だったので 公園の石に座って休息。ジュースで水分補給。小山を上って下りて 施設に戻った。

直ぐにトイレ誘導。
お腹を強くマッサージしたら また機嫌が悪くなった。
嫌がる事は避けておこうと思い直ぐやめたが…機嫌が直らない。
そのうち 夕食の時刻となり テーブルに着かせた。
機嫌は 良くならない…。
あ〜最悪。
こういう日もあるさ♪

誘導自体は 成功したんだけれど…。


2006年06月22日(木) 菜園便り


今日は 菜園の草取り。
トマトは未だ青いが 大分大きくなっている。
これで 日照時間が多くなれば赤くなってくれるだろう。
トマトの栽培は 初めてでちょっと楽しみ。

ナスは 苗があまり育っていない。
肥料不足が影響しているかな?
それでも 3個のナスを収穫。
肥料を購入して来なくちゃだわ。
なかなか 買い物に行けない。

水菜の成長がイマイチ。
初めに蒔いたものは ちゃんと出来たのにな…。
どうしてなんだろうな?

大根の成長はまあまあかな。
でも未だ 収穫までは行かない。

ポットに種を蒔いたきゅうり 駄目だろうと思っていたら小さいながらも黄色の花を付け 小さな実も付いていた。ばんざい!

ニガウリも種から 芽が出て蔓を伸ばしていた。
まだ 苗としては小さい。

ニガウリときゅうりは定植した。
明日は雨と言うので 信じて…。

春菊は 途中で摘んでは葉を茂らせている。
毎回 お店で売っている2束分くらいの収穫はある。
これは 柔らかなのでサラダにも使えて助かっている。

ルッコラは 種が零れて双葉を広げていた。
葱も 自家製の種で芽を出していた。
ピーマンは 小さな実を付けている。

空芯菜も未だ双葉状態。成長はこれからだろう。

自家製種を蒔いた落花生は未だ小さい。それでもしっかり育っている。

じゃが芋 赤い色のものが成長が早い。
大分大きくなっていた。そろそろ収穫かな?

ヤーコンは 葉を始めた。
アチコチに分けたが それでも多かった。
畑に日陰が出来ないかと気になる。

草自体は大きくなっていないが それでも随分あった。
それらをひとつひとつ抜いて行く。
これが 実は一番手がかかる。

母とのお散歩で 畑を見るとと いつもとても綺麗だ。
農家の方が 手間隙をかけて手入れしているのがわかる。
小さな菜園で手を余してはいられないと思う。
昨日の散歩の時に 新しい苗が植えてあった。
畑に農家の方がいて「サツマイモですか?」と聞いてみた。
「そうだ」という事だ。
「サツマイモはこれからでも良いのですか?」と聞くと今月中までなら良いという事だった。
実は 今 サツマイモを切って水栽培中。
葉を広げ始めている。
この茎を植えつけてみようと思っている。
どうなるか 判らないけれど 苗を購入するには お店を探さなくては成らないので ちょっと無理だから 試験的にやってみようと思っている。

家に戻ってから 義姉から教えてもらった梅漬けを作ってみた。
小梅を塩昆布で漬けた。
これで カビないのかと思うが…様子を見てみようっと。








2006年06月21日(水) ずるいけど ごめん。


 リハビリの立会いのため施設へ。
面会を2日間休んだのでちょっと気になっていた。
母はホールで食事中だった。
他の方は 皆さん食べ終えていて母一人がモグモグ。
未だ 4分の1しか食べ終えていない。
「機嫌悪そうでしたか?」と職員に伺うが「機嫌は悪くなかった」という事だ。介助をしても 飲み込みが遅かった。
何処か調子が悪いかと思って 「元気?」と聞いてから 頭から順繰りに痛いところはないか 気分が悪い所は無いかと聞いていくが 特別 痛んだり気持ちの悪い所はなさそうだった。

それでも やっぱり食べる速度はいつもよりずっと遅かった。
療法士さんが見える時間が迫って来たので おかずだけは全量摂取でご飯は半分以上を残し終了。
トイレに誘導し 支度をした。

それにしても 今日の母 いつもと何処違う。
「判らないの」と幾度か言っていたので きっと記憶がいつもより途切れてしまっている可能性があるかなと感じた。
小さな脳梗塞かな?

療法士さんも いつもと違う事に気が付かれた。
血圧は良好で問題なし。
神経をくまなく見ても 特に問題となるような所はないとの事でホッとした。足のリハでは懸命に動かしていた。

リハが済んでから 暫く横になって貰っていた。
すると 母は仰向けから横向きになり肩肘で頭を支えて周囲を見渡した。
まるで 初めて来た場所のような目で見渡していた。
やはり 記憶のせいかもしれない。
こればかりは MRI等で検査しないとわからないだろう。

それから 先日 横になった状態から立ち上がる練習に入った。
母の視線に入るように私が四つんばいとなった。
が母は真似る気配はなかった。
仕方ないので 先ずは横向きから腹ばいに成るように右手を右側に抜いてみた。「う〜いや」と瞬間言ったが 直ぐに左手で上体を起し次に右手も付いた。右膝を押し曲げたら 左膝は自分で曲げた。

骨折以来 寝返りも無理かと思っていたが 左手の痛みが消えているなら可能だろうと気が付いたのだ。
やはり 筋力的には問題はなかった。
後は思考回路の問題。
身体を動かすという事は 長年自然に身に付いた事だろうから 思い出せれば可能だろうと思ったのだ。
四つんばいから椅子までのはいはいは 私を真似て出来た。
椅子まで来ると 後は母の回路が回りだして椅子に手をかけて立ち上がろうとした。
母が 椅子にどの程度依存するか判らないので 椅子をしっかり押えた。
どうも腰の上げ方がつかめない様子なので 椅子を押えながら母の腰を少し持ち上げた。
後は 何とか自力で立ち上がり 母はニコニコ。
何となく 母に 達成感が生まれたようだった。
骨折以来 半年以上こうやって立ち上がる事をしなかったのだ。
1人で出来るようになるには もう少し時間がかかるだろう。
でも やってみて良かった。ちょっと先の展望が広がった。

「お散歩行こうよ」と母を誘う。
母には 言葉が理解できないようだったが玄関まで移動すると外出を理解できたようだ。
外に出ると「やっぱり外がいいね」と初めて言葉らしい会話が成立した。
「元気?」「元気よ」オウム返しの会話でも 通じている事が伝わってきた。
 
橋の中央のベンチで休息。川の先のほうを指して「真っ直ぐ」と言う。
「そうだね。ずっと先まで見えるね」と言うとコックリ頷いた。
川べりで休息している人を指して「何かある」と。
「そうだね 一服しているんだね」「人?」「そうよ」

少し休息後 また歩き出す。
今度は母の気持ち任せのお散歩。
大きな道を目指して歩き出した時 昼食が半分だった事を思い出し
「お腹空いた?」と聞いてみた。
「そうだね。空いている」
そこでファミレスに入る事にした。
お店に入って間もなく「お便所は何処?」と聞いてきた。
即座にトイレ誘導。今日は母の意志でトイレに行け 成功した。
「やったね。よかったね。嬉しい」と言うと母もニコニコ。

こうやって 少しずつ言葉を取り戻した。
いや 会話と言ってもほんの僅かな単語なのだが…単語ひとつでも十分伝わる会話が成立なのだが。

ファミレスを出て 更に遠回りして 施設に戻った。

みんなでおやつとなった時 他の方とおしゃべりをし話が弾んでいた。
母の表情に変化はなかったのだが…。
その後のトイレ誘導の時 母は堰をきるように話し始めた。

「あの事をする時に…どうなるかと言うと…」→…の時は 言葉を捜すように必死で考えている様子だ。
「うん判るよ」と言うと 直ぐに
「だから あの時こうして… …」言葉に詰まる。
「そうだったのだね。大変だった?」
「そうだね」

こんな具合で 何を話したいのか理解できないけれど「判ったよ」と言う合の手をいれてようやく会話らしき事が成立するが 意味は判らない。
でも 母はきっと他の人と話をしているのを聞いて 自分も話ししたかったのではないかと思い当たる。
確証はないが 勘は間違って居ないような気がした。

拗ねられるよりも こういう方が私はちょっとだけ気が楽だ。
私って ずるいんだね。


2006年06月20日(火) 早起きして…


 昨夜 ひょっとして蛍がいるかも…と言われて 近くの川まで出かけた。
残念ながら 蛍は見つからなかった。
そういえば 子供が小さかった頃 一度くらい蛍を見たような気がする。

今朝は 遠くでカッコウの声を聴いた。
そうなんだ。そういう季節だと改めて感じ入った。

娘は 早起きして 早朝 故郷の風光明媚な場所まで車で連れて行って頂いた。残念ながら 直ぐにガスに包まれてしまったようだった。

義父や義母や義兄の眠る墓に娘と足を運んだ。

以前は 1年に数回はお参り出来ていたが この所 なかなか難しくなってきていた。
娘の方が 訪問回数は多い位だ。

義兄たちから
「こんな風な形でなく ゆっくりと来なさい」と口々に言われた。
ありがたい言葉である。
夫の兄弟の中で 親を抱えているのは我が家だけである。
もう 看るべき親もないので みんなで看るから母も連れて来なさいとも言われた。
いつも優しい言葉に…いや言葉だけではなのだが…ひたすら感謝だ。

気軽に電車でなんて…と踏み切れない私の背中をポンと押してくれる。
そうなんだなぁ〜。
駄目かも知れないと制御しないで飛び出す勇気が必要なのかもしれない。

葬儀のあと 兄たちに誘われるままに温泉に浸かった。
作ってしまえば 出来る時間もあるんだよね。きっとそうなんだよね♪

思ったより 遅い帰宅になった。
身体は かなり重い。でも心は大分軽くなった。
 


2006年06月19日(月) 叔母さん ありがとう♪


先日 夫の叔母が具合が良くないと聞いた。
近いうちにお見舞いに行こうと話していたのだが…。
一昨日の朝 亡くなったとの知らせを受けた。

お通夜と葬儀に家族で参列。
叔母は 今年転倒骨折し入院して 大きな病が見つかり其の儘入院生活だったそうだ。

夫の母は 若くしてなくなっており 義母の面影を感じさせてくれる叔母たちだった。
帰省の折立ち寄ると「よく来た よく来た」ととても喜んで迎えてくれるのだった。
義母の話しも良く聞かせて戴いた。
私は勿論だが 娘も叔母たちのから義母のお話を聞き 在りし日の姿を想像できた。

結婚依頼 初めて出会う親戚の方もいた。
初めてなのに以前から良く知っていたかの様な錯覚してしまうほどだった。
結婚式と言うのは 集って頂くのに制約が出来るが お別れの儀は 故人を偲ぶ大勢の方が見えるからなのだろう。
夫も久しぶりに出会い「兄弟中で1番やんちゃだったのに…」等と娘の前でバクロされたりだ。

明るく いろんな事にチャレンジなさっていたおばが亡くなった事は寂しくもあり 哀しくもある。

叔母のおかげで知りえた義母の姿をしっかりと胸に秘め 叔母を偲んで行こうと思った。


2006年06月18日(日) あめに唄えば♪


 今日は父の日という事で お食事会があったと言う。
我が家は母がなので お声がかからなかった。
施設に着くと男性入所者のお好きな「座頭市」のビデオを見ていらした。
母もソファーに座ってニコニコ見ていた。

認知症初期の頃 映画なら少しは落ち着くかと映画館に行ったり ビデオを見せたりした。
がテレビの前でじっと見入っている事はなくて「家に帰るんだ」とソワソワと始めたし 映画館は不安がってしまった。
母の好みの物を選んでも変わりはなかった。
また 偶然見たニュースやドラマの怖い場面では 後に尾をひいて混乱に拍車をかけてしまった。
だから テレビは子守にならないと肝に銘じていた。

そういう訳で 母がテレビを見ていると変わってきたのだなといつも思う。

座頭市に興味が深いわけでない事は承知しているので 母の手を取って居室に誘導。
着替えて外出の準備。

「雨がザアザアだけど お散歩行く?」コックリ頷く母。
今日のお散歩は コインランドリー。
娘が洗い終えた物を乾燥しに来ているのでそこでデート。

傘を差して母を連れては少し難儀。
でも外に出ると更にニコニコ。
ついでに
♪あめが あめがふっている きいてごらんよ おとがする♪と歌い出すと
母も一緒に歌い出す。手のふりまで付けてだ。
いくら大きな傘でも手を広げたら傘の外に飛び出す。
「雨に濡れるよ」と言うと慌てて戻していた。

途中コンビニに立ち寄り ゼリーとポテチとアイスを購入。お茶は持参。
アイスのショーケースをみて手を触れて「あつい」と言ってから「冷たい」と言い直していた。
ゼリーを選ぶ時も「あつ…」と言ってから「冷たいんだね」と。
言葉が曖昧になっているが違いに自分で気が付き …良かったね…と思う。

歩道に大きな水溜り。避けようもない。
「水溜りだよ どうする?」と聞くと「仕方ないよ」と水溜りに足を入れた。適切な言葉が出て来る事が ちょっと嬉しくて 足が濡れてもいいやと思ってしまう。

コインランドリーは 混雑していた。
娘を見つけると「あ〜」と言う顔。
隣に座ってアイスを食べて貰った。
ゼリーを上げようとしてスプーンをつけてくれなかったので断念。
お茶で水分補給。それからポテチを少し。
母は 周りをキョトキョト見ながら 特に嫌がるでもなくお付き合いしてくれた。
乾いた洗濯物を畳んでいる時 母も触れて暖かさを感じていた。

乾燥も済んで 娘と別れ雨の道を歩き出した。
娘は送ってくれると言ったけれど 雨の中のお散歩も楽しいので…。

帰りは多少濡れても良いやと傘から腕がはみ出しても好きなようにして貰った。雨に濡れても楽しそうだった。

施設に戻って 着替えをして スプーンを借りてゼリーを食べて貰った。
母のニコニコは相変わらずだ。

ご機嫌が良いのでテレビの前に座ってもらってテレビ観賞。
我が家の父の日の準備のため家に帰る事に。


2006年06月17日(土) 実がなるみたい♪


 数年前 植木職人さんに庭木を剪定して貰った時 椎の木に見える木とヤマモモに見える木の事を聞いた。
「お宅にのは 両方とも実の成らない種類だよ」と言われた。
ヤマモモ好きの私は「接木出来ないの?」と更に質問した。
「無理だよ。聞いたこともないよ」と言われた。
兼六園までも仕事で出かける腕のある職人さんなので 言われた事は真実と思ってその後実がならなくても気にならなくなった。

しかし 今年はちょっと様子が違う。
今は 古い葉が落ちてくる時期で毎日お掃除が欠かせない。
ウンザリしながら 毛虫も嫌だしと剪定放置を決め込みせっせとお掃除の日々。
それが…「どうもどんぐりの花らしいな」と思われるものが葉っぱに混じって数個見つかった。
風で飛ばされてきたのだろうと思っていたが 風のない日もある。
ふと木を見上げると木の枝に垂れているではないか!
「へぇ〜 実が成るんだ」と驚いてしまった。

おそらくせっせと剪定しているので花が咲かなかっただけみたい。
そうなると俄然ヤマモモが気になってきた。
ネットで調べると「雌雄の木があり一本の木にどちらかを接木して実を成らせる事も出来る」と書いてあった。
職人さん 知らなかったんだなぁ〜。
専門家と言えども盲点ありという事かぁ〜。

しかし 散歩コースにあるお宅の庭にヤマモモがあるが ある年 鈴なりに実が付いていたのに それ以後実にお目にかかっていない。
だから たまたま実が付いただけという事も有るかと少し気になる。

それでも なんだか道が開けたようでとてもウキウキしてきた。
大きな木は 落ち葉が追われるので 小さく仕立て直詩実を成らせないか…なんて考えたりだ。
そう簡単には 行かないだろうけれど…。

秋に 椎の実が付いたら…と想像するだけでも楽しい。
しかし 軒の上まで枝を茂らせた状態で…此の儘放置して置けるのか?
さぁ〜 どうしようかな?

昨日 モロコシのお礼方々 義兄の家に電話した。
すると義姉が「ね 小梅いるようなら送るよ」と言ってくれた。
数日前 友人も「能登の梅 何キロ 青梅?熟し梅?」と聞いてくれた。
毎年 梅は頂き物。
地域の梅はもう後半だが…。

今年は味噌も作れなかったのでちょっと気落ちしていた。
でも梅干は作れそうだわ♪
小梅は施設にも運んでみんなで漬け様かなぁ〜。
一昨年作った施設の梅干しは 綺麗さっぱりなくなった様だし…。


2006年06月16日(金) 拗ねた母


 利用者さん通院日なので少し早めに訪問。
利用者さんは 通院準備なさっていた。
「今日は 特にお買い物はありません」と言われたが冷蔵庫を見ると…。
牛乳 パンがなくて お醤油も切れていた。
この事を伝えると「あそうだったわね。ひじき煮付けて欲しい」とも言われた。 ちょっと振ると思い出せるようだ。

その後通院。
しかし交差点の信号って 高齢者への配慮が足らない。
青に変わる直前に踏み出しても 渡りきらないうちに赤になってしまう。
注意を促すように背中に手を触れ気持ちで押すように(押しては居ない)して居るのに…。
車優先・若い人優先で作動しているように感じてしまう。

診療所は空いていて 直ぐに診察 検査だった。
気になったのは 診察に入って利用者さんが座る前に「お変わりないですか」と問診する医師の事。
座って一呼吸するまで 何故待てないのだろう?
特別混んで居るわけではないのになぁ〜。
利用者さんは「デイが楽しい」とお話していた。
それもすっと聞き流し…。
利用者さんが信頼している医師なのだから 私がブツブツ言っても始まらないのだが…。

帰路 皮膚科の診療予約をし買い物して戻った。
キッチンで調理している時 デイの楽しいお話をしてくださった。
生きがいデイを含めて 今までで1番楽しい場所となっている様子だった。
ここのデイは 職員の気配りがほんとに行き届いている。
「入浴ね タオルの持ち帰りが面倒だから 次回からは利用をやめようと思って…」と言われる利用者さん。
「プールにお出かけになる時 タオルもちゃんと準備なさっていましたよね。じゃ 私が準備しましょう」と言うと「それもそうね」と言われた。
明日がデイなので 入浴の準備をして袋に詰めて下駄箱の上に置いた。
「折角 大きいお風呂があるのですもの 利用しなきゃ損してしまうわね」と言われていた。良かった。
ともすると億劫が先になってしまうので ちょっとだけ背中を押して良かった。

掃除 調理を済ませて今日の活動終了。
帰りは 利用者さん皮膚科通院のため途中までご一緒させていただく。

家に戻ると宅配。
夫の兄からモロコシが届いた。
店先に並んだモロコシを横目に過ごしていたが…。嬉しい!
「ありがとう」と言いながら毎年当てにしてしまっているわ♪

母の衣類にアイロンを掛け モロコシを持って施設へ行く。
母は入浴中だった。
みんなでボールで遊んだり 歌を唄ったり お話をしたりして過ごした。

母がお風呂から出てきた。
職員は「遅くなりました」と恐縮していた。がこちらは もっと恐縮。
汗びっしょりの姿だもの…。
窓を全開にして風を入れたら 他の入所している方が「薄ら寒い」という事で…なかなかうまく行かないもんだ。

母も仲間に加わって歌を唄ったりおしゃべりしたり。
母もニコニコしていた。
とうもろこしを施設のレンジで皮ごとチン。
今日のおやつとなった。

おやつ前「お腹が空いたでしょ」と○さん。
自分が空いたとは言わない。
そういうところは ほんとに母と似ている。

何でもがみんなよりできる○さんなので 時折「どうして出来ないの?」と言う気持ちになられる。
そういう時は 「それは無理なの」と言うよりも「こうなのよね」と言われた方の代返をしてあげる。
すると ○さんは きちんと察してそれ以上は追求しないし 言われた方もニコニコなさる。
曖昧決着とでもいうのだろうか…。

微妙なところで感じてあげる能力って結構後まで残っていると感じる。
自分ができない所を突かれるのが嫌だという認識が残っているからのような気がするのだが。
○さんのお話を聞いていると そういう思いが伝わってくる。

歌のレパトリーも広く 歌詞も完璧に覚えておいでだ。
それでも「母は90で亡くなりました」と言った数分後には「80になる母は 故郷で臥せっています。帰ってあげなければ…と涙ぐむ。
ご自身は85歳である。

母もそういう時期が有った。
今なら 流して聞けるが 母の頃は 覚えていて欲しいという気持ちが強くて その度に 家族の年表や家系図まで作り母に見せていた。
時に母はびりびりと破るので 何枚もコピーしていた。
誤りを指摘させるのが嫌だったのだろう。

ある時期には そういった事も必要だが それも状態に合わせて…と言う事に気が付いたのは 随分経ってからだ。

さてみんなでおやつを食べてから 散歩に出た。
○さんのご主人も見えて 一足先にお散歩に出られていた。
「出来る限り近くの施設で お散歩したい」という願いをお持ちのご主人だった。念願かなってお散歩できるようになり 良かったと思う。

今日の母は前のめりが強かった。
出て直ぐに感じて「帰ろうか?」と聞く。
母は強く首を振る。歩きたいのだと感じて予定より遠くまで歩く。
夕刻なので休息なし。
帰路は疲れた様子だった。
それでも 機嫌が悪くなかったので余程外の空気を吸いたかったのだろうし一緒に居たかったのだろう。

施設に戻ると程なくして○さんご夫婦も戻られた。
ちょっと ご主人と話しこんでいたら 母の機嫌が悪化。離れた所で私を睨んでいた。

「どうしたの?怒っているの?」と慌てて母の傍に行くとコックリと頷く。
「ごめんね」と言っても未だ睨んでいる。
「ごめんなさいね」と更に言うと今度は下を向いていた。
母の葛藤が始まったのだ。
自分に向き合って欲しいという思いと我儘な思いとが湧いているのだろう。
「どうして怒ったの?」と近くにいた入所者の方が聞いてきた。
「自分とお話して欲しかったのだと思う」と言うと
「そうね そういう気持ちになる時あるよね。判るわ」と言ってくださった。

暫く 頭を撫でて気持ちが落ち着き始めた時朝刊を渡した。
新聞に目を運び出したので そうっと帰路。

本日も トイレ誘導 2回とも成功。失敗なし。


2006年06月15日(木) 雨に助けられ?


 最近 面倒が先に立ち 非常に宜しくない状態。
今日は 幸い外出もないので庭の手入れをした。

手始めは 草取り。
前回の草取りからそう時間を経ていないと思うのだが 取り残しもあったのだろう 草が地面を這っていた。放置すると手に負えなりそうだった。

抜いた草を袋に詰めようと立ち上がった時ブルーベリーが食べ頃になっているのに気が付いた。
見る間に手の平いっぱいになった。
出勤前の娘に一粒あげた。
「あまいよ」と言った後 舌を出して見せた。
舌が真っ青に染まっていた。

娘が出た後も作業は続く。
次は 皐月を刈った。
今年の皐月はいつもよりいっぱいの花を咲かせている。
花が咲いているので 刈るのも惜しくて今日まで来てしまった。
ギリギリまで刈り込み小さく仕立てた。

大きな方の皐月をパッチンパッチンしていたら 枝影にピタッと付いた毛虫を発見。
この時期の剪定は毛虫との出会いがあるんだった。
大きな木のほうは 今 木の下に毛虫の糞が毎日いっぱい落ちている。
だから 怖くて手が付けられないのだった。

たった一匹の毛虫に負けては居られない。。。(ちとオーバー?)
一匹なので殺虫剤をひとふき。

南側半分が済んで片付けながら 西側に移動。
敷き詰めた小石の上に カタバミ草が蔓延っていた。
これも厄介。
小石を移動させて 土を出して更に掘って根こそぎカタバミを抜き小石を元に戻しての繰り返し。何とか西側を終了。

さぁ〜今度は 北側。
常緑樹の葉が入れ替わる時期で落ち葉が多い。
道側に落ちた物は綺麗に掃いているが 塀の中は放置気味で落ち葉がいっぱいだった。これは手でかき集め袋に詰めた。
さて 今度は小枝の処理…昼を廻ったけれど続行した。
ここにもカタバミ。この部分は土が出ている所なので丁寧に抜いて行く。

ポツンポツンと雨を感じた。
直ぐに強い雨になった。
家に入り 2階に上がって洗濯物を取り込む。
庭仕事は雨で強制終了となった。

ヤレヤレだ。
でも ちょっとだけ気持ちが楽になった。

それから 遅ればせながら家の掃除。靴の手入れ。
やり始めると限がないほど すべき事がある。
でも 根が続かない。やっぱり 宜しくないです。


2006年06月14日(水) 可愛いって!


母は昼食が終わりくつろいでいた。
お茶を介助で飲んで貰い 居室に行く。
トイレ誘導後 歯磨き。
昼食の食べかすがいっぱいだった。
おかずによって 食べかすが口の中に残っている事がある。
食後の歯磨きは 欠かせない。

窓辺で外の景色を楽しんだ。
車や自転車が行き交うのを母は「来たよ」「行ってしまった」と言っている。「そうだね。行ってしまったね」と相槌を打って会話。
療法士さんの車が見えたので リハの体勢をとって待つ。
温熱の療法が始まると母は寝息を立てた。
かなり硬い所があるが揉み解すとやわらかくなるので年相応なんだと療法士さんは言われた。
足首や足を動かす時は 眠たそうにしながら動かしていた。

身体を整える時には またzzzz。

昨日の疲れが残っているという事だろう。
療法士の方も「よく動かれたからでしょう」と言われていた。
見た感じは 特に疲労感は見えない。

リハが済んでから ちょっと外に出た。
今日は お散歩の予定はなし。外の空気に触れるだけ。
母は特に歩くのを嫌がらないし 戻る時に不満そうにもしなかった。
適量だったという事か?

戻って 居室のカーテンを新しい物に替えた。
今回は夫任せなので ちょっと不満も残るが 母の事を考えてくれただけでもありがたい事。

カーテンを替えておる時 ○さんが居室に見えて「お手伝いしましょう」と古いカーテンを受け取ってくれた。
「貴女も大変ね。よく動かれるわ」と労っていただく。
「○さんは 何をして過ごされるのがお好きですか?」とお聞きしてみた。
「そうね 書道だわね」
「昨日 見せて頂いた文字 素敵でした」
「ちょっとだけね」
「今度 色紙を持ってきますので 書いていただけますか?」
「昔なら 良い時も書けたけれど 今は駄目よ。とても…」
「お若い頃は 力溢れる文字だった事でしょうね。でも 年を重ねたの力を抜いた文字が私は好きなのです」
「そうね 弱った文字も雰囲気があっていいわよね」
「そうです。いろん事をふっきった様な文字が好きです」
「今度 良いでしょうか」
「それがお望みなら いいわよ」
と言う事で了承して貰えた。
母もニコニコ笑顔。

母をみながら「可愛いわね」と○さんは言う。
どう見ても母の方が年上。
「嫌ね」と言われるより嬉しいわ!
実は 娘も私も娘の友人も母の笑顔のファンなのだ。
ほんとに可愛いのだ。(手前味噌ですみません!)
でも ○さんにもそう思って頂けて嬉しかった。

ホールに移動した○さん 別の入所者に「貴女のお家は何処?」と聞かれていた。その方は ただニコニコ。質問に適切に答える事は出来ない方だ。
「この辺は 良い環境ですよね」と更に話しかけていた。
返事が返ってこなくとも ニコニコの笑顔で満足らしい。良かった。

でも 危うい関係になるつつある方もいる。
二人の行動を見ながら どっちもどっちと思うけれど…。
それでも 嫌な攻撃を掛けない人には とても優しい。

先日「施設内の意地悪は本人より家族が嫌がるんですよ」と理事が言っていた。しかし これは 違うと感じている。
正義をかざすつもりはない。
でも 言葉にしなくとも 傷つくと思う。
そこをうまく調和を計って行くのが職員の技量じゃないかと思う。

意識しないでも迷惑をかけてしまう人と意識して意地悪をする人は 根本的に違うと感じている。
それを認識できる人も要るのだから…。
説教ではない形で知らせる事は出来ると思うのだが…。

母が頭が痛いと訴えた。喉に触れると痛がった。
「そん風にしないで 可哀想よ」と○さんが忠告してくれた。
「はい。そうですね」と返事して 職員に体温計を借りて計測した。
熱は2度計って 2度とも6度4分で熱は出ていない。
やはり 疲れかな?


2006年06月13日(火) 褒められた母


 突如として明るみに出た問題は 未だ解決していない。
夜間にお互いに連絡を取っては 相変わらずだ。
私は 離れているせいもあり本人とも会っていないし話してもいない。

けれど 周囲から聞こえてくる話では 責任転嫁の様相という事だ。
どちらの親族からみても 本人の責任は明確なのだが…。

とても頭が痛い。
昨夜は 寝付かれなかった。
こんな日が何時まで続くのだろうか?

母の日記が とんだ愚痴零し日記だ。
介護とは直接関らないのだから この辺で辞めておこうっと。

今日は 母の介護保険の更新のための調査日だった。
母の介護度は この数年要介護4だ。
調査の度に思う。
微妙な変化をどう伝えるかである。

昨年の調査の時はどうだったろうかと日記を見てみたら…。
トイレ誘導時 1人で立位出来ていたし 不安な時は自分から手すりに掴まれた。が今は トイレに誘導する時には 先ず手すりに掴まるように手を手すりに誘導している。
状態的には 立位は出来ても手すり優先になってきているのだ。

食事も介助が必要なのは変わらないが 介助の確率がかなり高くなってきている。

歩行は 昨年 足の浮腫みもあり足首の動きが悪く転倒危険だったが 今は足首の動きよりも バランスが取れないための転倒が心配。

おそらく 今年も要介護4だろうな。

調査が始まった。
名前を聞かれても「それは?」と調査の方のノートをみたり。
質問には 答えられない。
生年月日も名前も自分でいう事は出来なかった。
確認するように名前を呼ぶとコックリと頷ける。

最初から 質問に答えるのは難しそうだった。
ちょと助け舟を出してこちらが質問の言葉を繰り返すと母は答える。
質問の仕方で変化があると調査員さん気が付いた。
それでも その事に気が付く方は案外少ない。

認定調査を受けながら「妄想」の事を聞かれて フッと思い出した。
昨年は 何かの薬(風邪かな?)を服用した後で そういう事が多かったのだと思った。
一見 認知症の症状と思えるが 通り過ぎてしまわないと何が原因と判らない事があるなと思う。

先に書いた立位の所では 言葉での説明は難しかった。
実際に椅子からの立ち上がりも出来なかった。

調査が済んで ホールに移動する時の様子を見られて ソファーに着席する様子を見られた調査員の方は「あ〜なるほど ドンと据わってしまうのですね。そういう事ですね」と納得なさっていた。
座る先は 母自身 あらかじめ確認するのだが 座る段に椅子にきちんと合うように座れるかはみないし 半分お尻が椅子からはみ出て危険なのだ。
だからそこまで細かに配慮する必要がある。
ここまで丁寧に見てくださる調査員は居なかったなぁ〜。

調査員の方が帰られてから 施設の昼食を断って外出。
家に連れて行き入浴させようかとも思ったが 紫陽花観賞に出向く事にした。バスに乗って出かけた。
今日は 脚の動きがまあまあみたい。
バスのステップも無難にこなせた。
運転手さんの配慮も良かったのだが…。
隣り合わせて座っても不穏になる事はなかった。
バスを降りる時も人に迷惑をかけるほどのろのろしていなかった。

バスを降りて 昼食の場所を探りながらトコトコ歩く。
前のめりは相変わらずだが 両手介助も安定している。
歩く気力は十分。
バスを降りてから2キロ弱は 休息なし。
1度腰を下ろして休息しお茶を飲んでもらう。
それからまた歩く。
昨年 庵でお抹茶を頂いたので庵の方に行ってみた。
生憎 茶会はなかった。
 
庭を歩いてみた。
飛び石があった。
最初は飛び石を使わないようにしたが 興味もあって飛び石を使って歩くように声をかけた。
最初は うまく行かなかったが「次の石にポン」とリズミカルな声掛けをしている内に次第に上手に渡れるようになった。
私は 湿った苔の上を歩くので歩行注意で両手介助。
でも 上達していく母の誘導は 楽しい。

母と私の二人連れは かなり目立つ。
足元のおぼつかない母の誘導なのだから 声も高いし…。
幸い 母も嫌がって居ないので過酷な姿には見えないみたいだ。
今日 出会った方は 異口同音に母を褒めて下さった。
だから 嬉しかった。母を褒めてくれる人って案外少ないのだもの。
一緒に楽しめるのも 母の努力の賜物なのだもの…。

介護者に労いをかけてくださる方が多いけれど 母の努力あってこそ叶っているんだもの。

昼食は何処も混雑。
お蕎麦屋さんに入った。
母は元来麺類は苦手。
でも今日の天麩羅蕎麦は「美味しい」と言っていた。
1人で食べる事など到底無理。ごった返す店内で全介助。
1人で食べられるように 湯飲みを借りて小分けする工夫したけれど…。
空いたテーブルの隣に座った方 先に庵の庭で言葉を交わした人だった。
笑顔で「先ほどはどうも…」という事に。

お店を出て 駅のトイレにまっしぐら。
しかし 構内工事中だった。
エスカレーターと階段を使って トイレまで行くしかなかった。
上りのエスカレーターは何とか乗れるけれど 下りるのはちと心配。
でも広めのトイレはここしかないので「どうにでもできるさ」と自己暗示をかけてトイレに向かった。丁度良いタイミングだった。
下りるのは階段を使うことにした。
手すりもあるし 行き交う人も少ないので 時間をかけて 何とか無事下りられた。

更に歩き「ケーキでもどう?」と母を誘う。
「要らない。ホラ あそこまで…」と何かに向かってまっしぐらに歩き出す。幾度聞いても「要らない」と。
正面からの誘いは無理と判断。
「あの 向こうに渡りますよ」
一度は撥ねられたが 2度目には受け容れてくれた。
其の儘 ケーキ屋さんに入った。

ケーキを見ると目が光った。
先ほどましっぐらに歩いていたのがまるで嘘のよう。
ケーキとハーブティーを頼んだ。
こちらはソフトクリーム。
ケーキセットと私のソフトクリームの半分は 母がぺろりと平らげた。
良かった!

ここでようやく 少し落ち着きを取り戻せた。
それからバスに乗り込み施設に戻った。
バスを降りても元気は変わらなくて 更に遠回りをして施設へと戻った。

玄関に○さんが要らした。
目に付かぬように外鍵を開けたら…。
「あらら 大変。私閉じますよ」と言ってくれた。
ドアを背にして 後ろ手で鍵をかけてから「ありがとうございます。お願いします」と。
でも 閉じたドアに何の不思議も感じて居ない様子にほっとした。
○さんは 母の大変さが心配の様子。
「いいですね。私も こうなったら 面倒見てもらえるかしら?」と聞いて来た。
きっと「母のようになったら…」と思われての事だ。
「はい。大丈夫ですよ。だって ○さん 優しく思いやりがある方ですもの…」「そうかしら?だったら嬉しいわ!」

○さんは 進行した認知症の方には とても優しい。
もともと攻撃を掛ける人ではないみたいだ。
ただ すこし出来る方には お節介が目立ちそして努力すれば出来るという言葉が目立つ。これは 少し厄介かも。

職員が○さんのために 書道の道具を準備なさっていた。
書き始めるまで様子を見ていたが 嫌がる様子は全くなく すんなりと筆を持たれ書き始めた。
「天下」と言う文字を見て吃驚してしまった。
師範並みの文字である。
しっかりしていて 力強く バランスも良い。
ご主人のお話を聞く限り 発病したと思われる時期から4年は経過している。
きちんと診断が出来たのは昨年でアルツハイマーだった。

歌唱力と言い書道の事と言い そこから見る限り認知症は 想像できない。
施設に入って10日あまり 鬱を思わせることもなくて…。
ただ 見えないものが見える様子だ。
今日「公園に人が居るわ あんな所に立って…。見て御覧なさい」と言われたが 公園には人っ子一人居ないのだった。
おそらく 薬のせいだろう。
職員は 服用する薬が多いと言っておられたから。


2006年06月12日(月) 電話と認知症

利用者さんは 新たに通い始めたデイが楽しかった事を次々にお話くださった。
入浴はなさらなかったようだ。
金曜日に「ちゃんと準備が出来るか?」と気がかりだったのだが 時間が気になって「出来るだろう」と決め 其の儘にしてしまった。
今日訪問したら きちんと入浴の支度がしてあり「点検してください」と言われた。きちんと濡れたタオルを入れる袋まで準備できていてパーフェクトだった。
「これで 大丈夫ですね」と言うと安心なさっておられた。

「携帯が最近かからないのです。これで良いのか見て下さい」と言われた。
順番は間違っていないのだが 番号の押し間違いまでは 何とも言えない。
私の携帯を使おうかと思ったが 電話番号は知らせない約束になっていて出来なかった。
この部分は ご家族に確認してもらうしかないかなぁ〜。
金曜までに出来ていなかったら ご自宅の電話でやってみようかな。

認知症になると電話の番号に困る事多くなる人が多い。
母もそうだった。

金曜日に沢山副菜を作り ご飯も炊いて パンも購入し食料は多い位あったのだが…。
今日の冷蔵庫は 殆ど空。
ご家族も見えた様子はなかった。
「雨降りで外に出る気持ちになれなかったので 作って頂いて助かりました」と言われた。

買い物も お金の支払いが少し面倒になっているかも知れない。
これからは 時折買い物に行くように足らないくらいにして様子を見ることも必要になってくるかも知れない。
一人暮らしなので 自己申告が頼りで危険枠をこちらが掴んでおかないといけない様な気がする。

冷蔵庫をお掃除して買い物に出た。
レインコートを求めたいという事なのだ。
売り場まで出向いて品物を手にしてから
「雨に濡れる事は有りますか?」とお聞きした。
初めから聞こうかと思ったが 折角出かけようと思われているのに否定するのは憚れた。
即座に「ないのです」と言う返事。
「それでも必要ですか?」
「そうね 濡れないのだから要らないわね」となり コートの購入は中止。

それから 食品売り場で メモに沿ってお買い物。
他に棚を見ながら 買いたくなった物も足して行く。
よく見ていると 売り場が更に判りにくくなっているようだ。
基本的には売り場に変化はないのだが「魚」と言いながらレジに向かわれたりがある。
全体のレイアウトは理解されているが 購入しようとした事を忘れてしまっている可能性が高いように感じた。

今日は野菜もや果物もお餅も…で手荷物3つとなった。
レジは今日もお任せコースだった。

バランスよく召し上がれるように 野菜のした茹でをして お魚も下調理し
肉やベーコンも小分けにして冷凍庫に収めた。
鶏肉に塩を振ってカレー粉をまぶして小麦粉を叩いて ソテーした。
付け合せはレタスとブロッコリー。
「旬のインゲンの方が美味しいので冷凍室の使いかけのインゲンは要らない」と言われたので 捨てるのは惜しいので 揚げと人参とで炊いた。
ご飯も炊いた。

これで 何とか木曜日まで大丈夫かな?

活動は 7分ほどオーバーして終了。
其の儘 展示の準備会場へ。

程なくして仲間が見えて 相談しながら展示の飾りつけ。
今回は 執行部の誘導が少なくて いろいろな作業が遅れ勝ち。
でも 何とか2時間足らずで終了した。
会の存在を知らせるためなので こういう展示は小まめに参加していかねばならない。

悩みを抱える方たちと共に学べる場所は 必要だと思うから。

仲間と一緒に農家の野菜市に立ち寄る。
いつも寄りたいのに 時間がなくて…。何とか足を運んでも既に終わりだったりしていたのだ。
市で破竹を購入。スーパーには出ないものだ。

家に戻ってから 畑に出向く。
時間ができた時に雨という事が多く 今日のような晴れ間は貴重なのだ。
暫く来ていなかったので 草が伸びていた。
傍らから草を抜き取る。
作物は 思ったより成長が遅い。草の方が生長が早いと感じてしまうほど。
追肥を施した。
それから春菊を摘み取った。
菜園仲間が レタスやらルッコラを「少し食べて」と持ってきてくださった。
「わぁい 今日は レタスとルッコラと春菊でサラダが出来るわ」

日が暮れかけ 急いで家に戻って夕食の支度。


2006年06月11日(日) 少し辛かった?


明日から展示する家族会の展示の下準備に午前中動く。
午後 母の所に行く。
母はソファーに座っており 全体的にくつろいでいた。
しかし 母の表情は 笑顔全開ではなかった。

今日は 諺と慣用句の書いてあるワークを持って出かけた。
母も1.2年前までは このワークで遊んだ。
今はかなり難しい。
それでも ゆっくり対応すれば引き出せる諺や慣用句は残っているのだが…。

このワークは ○さんに使って貰えればと思ったのだ。
ちょっと読み上げるだけで すらすらと続けられる○さん。
1人で話しの中に取り入れる事は出来ても 句だけを言うのは結構大変そうだった。

母もそうだった。
1人でワークに取り組んで行くまでは出来ないのだ。
傍で読み上げてあげれば 続けて言ったりできるし 文字も埋められる。
ちょっとの助けがあれば 十分楽しめるのだ。
○さんは 未だそういう力が十分に残っていると感じたし そういう事がお好きなのだ。

お手伝いしている時は 楽しそうに「貴女 よく判るわね」と言われた。
「いえ私は見て読んでいますから ○さんには敵いません」と言うと
「それだけ 言えればできるという事ですよ」と言われた。
母も思い出しながら言うのだった。

「負けるが勝ち」という時の事。
「負けたら 負けよね。勝たなくちゃ。これは負けた時に庇う言葉よね」と○さんは 言われた。
「そうですか?私は 兄弟げんかの時や友達との喧嘩の時に この母に良く言われましたよ」
「そうね 喧嘩の時は 確かに…。貴女のお母様 良きお母さんですね」と。

こういう会話…聞いていて認知症の人の発言と思えますか?
母も初期の頃は実際こうだった。

しかし 認知症の症状ははっきりとあるのだ。
○さんの場合は入浴。○さんの入浴は未だ実現していない。
エレベーター点検中と言う貼り紙は未だ効力を発揮中だ。
○さんの見ている前で エレベーターに乗り込んだが ○さんはエレベーターが動く事に不思議を感じない。
「出たいと思った時なら ひょっとしたらあれれ」と思うかも知れないが。

時間の流れも今ひとつである。
でも時計は未だ読める。
母も入所して暫くは 時計が読めていたのだが…今は 読める確立はかなり低くなっている。

おやつの後「片付けならお手伝い出来るわ」と自分から言っていた。

母を散歩に連れ出した。
長袖ブラウスにカーディガンを羽織って 七部の下ズボンを着用させたのだが「寒い」と言ってしがみつきながら歩いた。
出て直ぐは「帰る」と言っていたけれど 暫くすると「もっと歩く」に変化して 1キロ位お散歩。
歌を唄ったけれど メロディ程に歌詞がついて来なかった。
何処か浮かない様子。
「調子が悪い?」「お腹?」「頭?」と聞くが「何処も痛くない」と言う。
「そろそろ帰る?」と聞くと「帰る」と言うので施設に戻った。

洗髪の替わりにヘアトニックでドライシャンプー。
その時○さんが見えた。
「○さんもしませんか 気持ちよいですよ」と声をかけると…。
「昨日 風邪を引いたので 大事を取って今日は遠慮します。でも気持ちよいのよね」と答えられた。
それでも 母の部屋の櫛を使って 綺麗に梳かされていらした。

母をホールに連れて行きソファーに座る。
違うフロアから入所者が見えていた。
先日 きゃっきゃっとボール遊びをした方である。
私を覚えてくれていたようで「この間は…」とニコリと笑顔を下さった。
これまで とても難しい顔をなさっていたのに…良い表情だと感じた。
入所なさって未だ日が浅い方である。
持ち込んだワークで遊んでみた。
この方も達者だった。やっぱり楽しそうである。
母も一緒に始めようとしたら 母はとても浮かない顔をしハッとした。

母は出来ないと判るから嫌なんだ。
そう感じて母を巻き込まないで その方とワークをして遊んだ。
「こういうのって ほんとみたいで おかしいのよね」とその方はニコニコなさっておいでだった。
あまり長くすると隣の母のお天気が悪くなりそうな気配なので通りいっぺんだけ読んで終了した。
母がわかる時にこのメンバーだったら きっと楽しめたんだろうなと思った。

母のトイレ誘導を済ませて 施設を後にした。
誘導の成功率は100パーセントだった。
訪問して直ぐは既に汚れてしまった後だったのだが…。


2006年06月10日(土) 思い出せない 気になる事


昨日 父の日のプレゼントと言って「3丁目の夕日」のDVDを贈った娘。
夫はとても喜んでいた。

この映画 観ていないのは私だけ。
誘われるがままに DVD観賞となった。
夫が帰宅してからなので10時を廻ってから。

途中から「これみた事あるな」と言う感覚。
コミックは読むこともないし 一部だけなのかも知れないのだが 物語としても記憶しているのだ。

観終わってもどうも気にかかる。
思い出せないことが気にかかる。

娘に「何か 何処かで見た記憶があるんだけれど…」というと娘も映画をみてそう感じたらしい。
けれど「気のせい」と思うことにしてその思いを消去したと言うのだ。
という事は 娘も観ていたんだな。

今日一日 その記憶の引き出しを探っているのだが どうにも思い出せないくて とても気持ちが悪いのだ。

認知症って こういう現象とも違うのだろうけれど…。
思い出せない不快感 嫌だなぁ〜。


2006年06月09日(金) 小雨の中の散歩


利用者さんのお宅の前に立ったら 新聞受けに新聞が入った儘だった。
一瞬ドキリとした。
これまでない事だからだ。
恐る恐るチャイムを押した。ちょっとの間返答なし。
ドアノブを廻すと施錠されてなかったのでドアを開けた。
「はぁ〜い」と言う声を聞いてホッとした。

月曜日に施設見学に行き トントンと事が運んで 新しいデイ利用の契約を昨日なさった様子だった。
明日から新しいデイに利用となった。
利用者さん 明るい。4月に決めた時より不安が少ない様子。
やはり 下見は大切かなと思う。

トイレ 浴室を掃除して お買い物へ。
少し遠回りをして歩いた。
買い物を済ませて 調理。
海老と玉葱のかきあげを作った。
冷凍室にご飯がないので 利用者さんに伺ってから お米を研いでおいた。明日はデイできっとパタパタの予測が立つ。
ブロッコリーと人参を硬めに茹でた。
お刺身を作り 残りは切り身にして冷凍保存。
今日は ここまで。
天麩羅の後始末もあって ちょっとオーバー。でも10分も越えていない。

家に戻ってから 母の所に出向いた。
母は今しがたお通じがあったとの事で パンツではなくオムツ使用だと職員は伝えてくれた。
別の職員が母にユメルちゃんを抱かせる所だった。
きっと腹痛とオムツで嫌だったのだろうと思う。

一人一人に「こんにちわ」と挨拶していると「あなた 丁寧に挨拶なさるのね」と○さんに褒めて頂いた。
いつもだけれど褒められるのは初めてだ。
○さんは綺麗な声で歌を唄われていた。

母に「元気?困った事は?」と聞くと「困った事がある」と言うので居室に連れて行く。身体を寄せてくる事もないので きっとお通じの時の嫌な感覚が残っていたのだろうと思った。

トイレに誘導して オムツからパンツ型のものに替えた。
オムツを外す時「赤ちゃんみたいなの」と言った。
やはり それだわ。
聴こえないふりをして「私のお手本だから 頑張ってよね」と。
母は暫く黙って頷いた。
お互いに通じているよねきっと♪

その後小雨の中散歩に出た。
こちらが誘導すると不機嫌になったので母の言うまま歩いて行く。
薬局に寄って 買い物。

寒そうでちょっと疲れた様子なので施設へと戻った。
おやつが始まっていた。
トイレ誘導後手を洗っておやつ。

それからみんなで小さなボールでキャッチボール。
母の勢いが強く受ける人の顔に当たってしまったので 大きなビーチボールに変えた。

みんなとてもうまい。
笑い声を上げながら きゃっきゃっと遊んだ。
 
思い切り遊んだ後で休息。
今度は 手の自由が効かない方と小さなボールをテーブルの上で転がす。
疲れないうちに終了。

母と居室で個人的におやつ。
おやつと言っても「トマト」1個分ほど食べて残りは施設の冷蔵庫に預けた。

○さんの入居で少し風が変わりつつある。
良い面もあるが気がかりな事もある。

良い方に動き出せばいいなぁ〜。

今日のお散歩は傘をさした。
母は傘を持ちたがり 背中が曲がってふらつく母。
傘を持って体勢を維持するって難しかった。


2006年06月08日(木) 続きの話

続きです。

さて 編み物に夢中になって行く○さん。
少し前から「あら 今日はお風呂のお掃除当番だわ。お掃除得意じゃないのよね」と職員がウロウロ。
職員がお風呂掃除が嫌いなんて事はこれまで言った事もない。
職員は ○さんのお風呂に誘導する前段階に入っていると感じた。
「あらら お掃除嫌だなんて…誰かに手伝っていただいたら?」と言ってみた。施設長が「お手伝いしましょうか?」と答えた。
「いえいえ 怖くて 恐れ多くて結構ですわ」と職員。
「誰か 優しい人居ないかしら…○さん」
「お風呂掃除は 主人の仕事でしたわ。私は夕食の支度があるので 主人がいつも『僕がやるよ』といってくれましたもの」と○さん。
「それに 私が手伝う必要性はありませんよ」手厳しい。

○さんはお風呂に入る事はかなり強く拒否される。
在宅でも デイでも無理だった。
病院では3人がかりで何とか入浴できたそうだ。
ご主人は入浴が気がかりの御様子なので 出来る限り希望に応えられる様に施設側も鋭意 努力中。

編み物の途中で「○さんの洗濯物仕上がりましたので 取りに入らして頂けますか?」と職員が誘導。
入浴の言葉はやはり今は禁句かな?
15分近く 職員と脱衣室で押し問答。別の職員が助っ人に入る。
離れていたので 会話までは聞こえないが…。
強行突破をする様子はない。

暫くして 怒りながら浴室から○さんは「なんて事なの」と出て入らした。
「大変でしたか?」と声をかけると「ありがとう 助かったわ」と。
私は 何も関っていなくて単に声をかけたに過ぎない。
入浴はかなり嫌な様子だ。

落ち着いた頃 ○さんを私に紹介してきた包括支援センターの方が見えた。
「○さん お久しぶりです。私を覚えておいでですか?」
「ぇ 勿論」しかし 顔はわかっていても何処の方かは判らない様子。
暫く談笑しているうちに 断片的に思い出された様子。
「髪の毛 短くなさったのですね」と包括の方が言うと
「私 もともと短髪です」と言い切った。
包括の方は さらりと出身地のお話に変えて行かれた。

当たり障りのない話しは食べ物の話。
出身地の名産品等の話しになった。
「なんだか食べ物の話ばかりになってしまって 私食いしん坊で恥ずかしいです」と言うと
「あなた 名言。そうよね お腹が空いてきたわ」と○さん。
母は ニコニコしながら聞いている。

職員がキーボードを持ってやってきた。
「○さん 歌がとてもお上手なんですよ」と包括の方に伝えた。
包括の方は「知りませんでした。聞かせてください」という事で入所者みんなで歌える歌を選び唄い始めた。
高いソプラノの歌声に 包括の方は また驚かれた。
「初めて知りました」と。

程なくして おやつの時間となった。
○さんは 私におやつがないのを見て分けて下さろうとしたので 
「美味しい珈琲を入れて貰ったので十分です」と伝えると「そう」と自分のおやつを召し上がっていた。

そこにご主人が見えた。
ご主人は ○さんが編まれた物をみて こんなこともう随分なかったなぁ〜と感慨深げだった。
そして 思いもかけない奥様の笑顔にも驚かれた御様子だった。
母と包括の方と○さんと4人の会話。そして職員の様子。

おそらく帰宅願望と徘徊で大変だろうと思っておいでだったのだ。
「こんな笑顔 もう久しく見ていないです。病院でも見せた事のない表情です。安心しました」と深々と頭を下げられた。

未だ3日目。
貼り紙効果もあり 玄関まで行っては 貼り紙を読んで戻られる。
母の居室も気になるようで時折覘かれる。
「どうぞ」と言うのだが 未だ入ることはしない。
心の内は見えないけれど 戸惑いもいっぱいなのだろうと思う。

カバーする職員は 実に丁寧にフォローなさっておいでだ。
「大変でしょ」と声を掛けたら
「入所して間もないですからね。病院内を激しく徘徊なさっていた事を思うと随分落ち着いておいでだと感じます」と言われていた。

母をお散歩に連れ出そうと思っていたが 出そびれてしまった。


2006年06月07日(水) 気を取り直して…


 いやぁ〜 参りましたわ♪
今日は 早めに日記を書いて 後は手直しして更新の筈だったのです。
結構 長いものでして…。

ところが 帰宅した娘が自分のパソコンに向かう前に私のPCでチョコチョコとチェックしてましたわ。
こういう事は ママあるんです。

が…あろうことか…。
開いたものを 順繰りに閉じて行き 書きかけの日記まで閉じてしまいました。あわわわという間にスッと消えてしまいしたわ♪

この所 他の方のブログで「消えた」の話題が多いと感じていたのですが…
こういうのって感染してしまうのでしょうかねぇ〜。

と言う訳で 気力を出してチャレンジしますが…。

さて 母の所に向かってテコテコ歩いていましたら 昨年の11月頃に触れた事のあるパーキンソン氏病のご婦人と出会った。
「こんにちわ お変わりありませんか?」と声をお掛けしますと「足の塩梅が良くないのですよ」と言われた。
「歩いてお出かけできて良かったですね」
「お弁当を買いに行くんですよ。さぁ〜 私は歩くのが遅いから 先に行って下さい」
「はい じゃまた 大変でしょうけれどお大事になさって下さいね」
「うん でもね。私は 大変と苦労が大好きなんだ。はははははっ!また声かけてください」
…う〜ん そうか そうなんだ。時折辛そうに歩いておいでのお姿をお見かけするけれど 笑顔はぴか一なんだよね。まだ きっと お1人で頑張っておいでなんだろうなぁ〜。年はお聞きして無いけれど 70後半から80ちょっと位のお方…
「大変と苦労が大好き…」言えるかなぁ〜私…。

母の施設に着くと母のフロアの入り口に
「○さん エレベーター故障中です。直ったらお知らせに上がります」と言う貼り紙。
うふっ!職員との知恵比べだわ♪

ホールでは みんなが食事中だった。
先に食べ終えた○さんは 急須に入ったお茶を「如何ですか?」と勧めて居られた。

母はもう直ぐ食べ終える状態だったので少し介助して全量摂取。
リハビリがあるので居室に移動。
トイレを済ませて リハビリ体勢に入ってもらった。
今日はとっても腰が軽い。
療法士さんも「1月の状態では『もう無理かな』と思えたけれど ほんとに良くなりましたよね」と言われた。
左肩を下にしても痛がらないし 左腕も大分上まで上げられるようになった。しかし 安心していると急にバランスを崩すのでちょっとも目は離せないのだが…。これで 更に怪我は致命傷だから…。

母は足の筋力のトレーニングと肩の周りの筋肉を揉み解すリハを受けた。
後半は気持ちよくzzzz。

その間に 母の編み掛けの手芸品と折紙を取り出した。
○さんは 歌を唄ったり新聞を読んだりなさるのだが 1人で集中できない。何か夢中になれるものが見つかれば 職員も他の仕事に移れるだろうし
○さんご自身だって 気持ちよく過ごせるだろうと思ったのだ。

○さんが入所して3日目。私と会うのは2度目。
お話がお上手で 諺や詩句がお好きで 会話の中にポンポンと諺や詩句を取りいれられる。
要介護4と言われていた。歩行はしっかりなさっておいでだ。
今日の様子を見ていると入所して間もない人には見えないほどだ。
帰宅願望もある。
職員のお話では 他の入所者を就寝時 お部屋まで誘導なさり 電気を付けて上げたりなさったそうだ。
徘徊が強いのでかなり大変だったと伺っている。

五月の連休に相談の電話を貰い ラッキーとはいえ ほぼひと月で入所までこぎつけ こうして奥様と出会うなんて考えもしていなかった。

リハが済んでもzzzの母なので ホールにいる○さんに 折紙と編み物を持って行った。
「すみません。鶴を折りたいのですが わからなくなりました。鶴の折り方をご存じでしたら教えて戴きたいのですが…」
「あら 鶴?簡単よ」
「最初は どう折るのでしたっけ?」
「ホラ ひし形に折るのよ」と言葉で説明。
「はい これで良いでしょうかね」と三角に折ってみる。
「そうよ それで良いのよ」
「それでは この先を折って見せてください。私は順繰り真似して折って行きますから…」
「あら 私 あまり上手じゃないのよ。失敗したらみっとも無いから…」
「いえいえ 私はもっと判らないのです、直ぐに忘れてしまって恥ずかしいくらいです」
「ここまで折ってみましたが これから先はどうやって行けばよいのでしょうか?」と折紙を渡すと折り始める。しかし なかなか折れない。
その間に先に渡した物の更に先まで折り「この先がわかりません」と質問して折紙をトレード。
こんな事を繰り返して ○さんの努力も甲斐あって2羽の鶴が完成。
しかし 折紙は今は得意で無い様子なので次の一手に進む。

「次々とごめんなさい。編み物を途中までしたのですが忘れてしまって思い出せません。どうしたら良いのでしょう?編み物お得意ですか?」
「そうね 子供のもの主人のもの編みますよ」
「良かった。是非とも教えてください」と編み物を手渡す。
「これはこうやってこうやるのよ。やってみて」と返された。
「こうですかね」
「そうよ 出来るじゃないですか」
「エッ 褒められてしまった。嬉しい限りです。あれ また忘れてしまった。どうでしたっけ?」
「鈎針を入れて糸をかけて引き抜くの」
「ウム 言葉だと判りません。もう一度お手本見せてください」
ここで母の事が気になり中座。
職員にバトンタッチ。

母は丁度目覚めたばかりの様子。
「よく眠れた?」
「…」
「気持ち良さそうだったよ。起きようか?」
母を起してホールへ誘導。

職員と○さんの間を 編み物が 先ほどの折紙状態で 行ったり来たりの繰り返し。しかし 次第に○さんが編む時間が増えて行く。
しまいには かなりの集中度で1人で編み始めた。
隣に座る母は 玉になっている糸を緩める係り。
まるで共同作業をして居るみたいだった。

とても良い雰囲気だった。

さて どう頑張っても今日の傑作なお話は記録しきれない。
明日へと続きます。


2006年06月06日(火) 時間いっぱい…足りないくらい

 月1回の家族会である。
認知症の介護をなさっている方 介護を卒業なされた方が集ってくる。

この日を心待ちにしておいでの方だ。
ちなみにこの会でネットの利用できる人は 極々一部の方だ。
ネットはかなり広がっているが みんなが利用できるとは限らない。
また 直接顔をあわせてみると 疲労感でいっぱいの人もおいでだ。
人の息遣いを知る事で 力を得られる方もいる。
文章が苦手な方もいる。
相手が見えて安心できる事もある。
地域の情報を得る事もできる。
こんなところが家族会のメリットでもある。

この所 病の進行や怪我によって 介護状況の変化してきている介護仲間が多い。
これまでの介護の形の変更を余儀なくなされている。

また介護保険改正によってデイ利用の制限があり困った状況になった人もいらした。認知症を二人抱えての介護の方だ。
夜間起きたりするのでご近所から「五月蝿くて眠れない」と言う苦情を受けたりで その苦労は半端無いものである。
「デイ利用の回数減は苦しい」とケアマネに訴えてみてくださいと伝える。取り合えず苦しい事を訴えて 改善を求める事も大事だと思う。
また 介護保険のデイ利用が出来ないなら 医療保険を利用したデイを使うという事もある。幸い 家の地域には医療保険を使ったデイもあるのだ。
これまでも会では話してきたのだが やはり必要と感じないと頭に残らない事も多いみたいだ。
これからも同じ情報でもどんどん流したほうが良いのだと感じた。

これまでドアを開けられなかった方が 自力でドアを開けるようになって困った。と言う話も出た。火も使い始めたりするらしい。
突然 できるようになる事は母を見ていてもあったので理解できる。
注意するとかなり激しい反発が出るらしい。

今日はイロウ設置を医師から宣告された方が 近況を話してくれた。
これについては 改めて書きたいと思う。

家族会は2時間と決めてあり遅刻早退自由。
が最近の傾向としては 話し足りなくて伸びる傾向にある。
今日も一旦解散した後 話したい人は残り1時間オーバーした。

容態の変化があると時間が足らなくなる。

 ☆☆☆☆ 
6月7日(火)
 ある方のホームページに この日記に関しての質問がありましたので補足させて戴きます。

この日記のホームページをクリックしますと掲示板に入れます。
念のため、URL http://www.free-bbs.jp/mbs2/bbs.cgi?room=0505 です。

日記に関しての質問やご意見は 掲示板かメールをお使い下さい。
今回に限っては いろいろ考えて 日記に補足する形を取らせて頂きました。


質問は
1.ケアマネに訴えてみてくださいと・・・これは具体的にどういうことでしょうか。
2.医療保険を利用したデイを使うと・・・こんなデイってあるのですか。

1.に関して
 私の地域では ケアマネは 介護している家族のフォローの役目も有りま す。(おそらく 何処の地域でも同じと思いますが…)
 介護保険改正後は ほんとにこのサービスで大丈夫か?(必要以上に介護 保険を使っては居ないか?も含めて)個々のケアプランをチェックする  システムが出来ました。
 だから サービスが削られ困ってしまった部分を検討して頂くという事  です。
 正当な理由があれば どうしていくかも含めて検討してもらえる余地があ りそうです。(必要性が認められればのお話です)
 不明の時は 担当のケアマネや役所の担当の方に質問なさってみてくださ い。
2.に関して
 これも私の地域に関しての状況です。
 介護保険の枠でなく 医療保険の枠でのデイが出来ました。
 健康保険で利用できます。
 全国の何処にでもあるかは わかりません。
 医療保険ですので 利用料も介護保険より低額だと利用している方のお話 でした。
 病院が行う 認知症専門のデイです。
 ただ 制度上どういう位置づけなのかは不明です。(形の上ではデイです が 正式には別の名称があるのかもしれません)
 これも 役所なりケアマネに問い合わせて見てください。

いろいろ探してみるとそれぞれ地域の特色があるのだと思います。
私の地域には無い良い制度が 他の地域にはあるかも知れません。
サービス利用は 隣あわせた町でも利用可能かと思いますので 近隣の情報を集めて見ると良いかと思います。(通所可能と判断できればです)
 
以上です。 


2006年06月05日(月) うまく融け込まれるますように…


利用者さん訪問。
玄関を入った時
「今日はお天気も良いので 朝から働いてます」と言われた。
もう 洗濯も済み 食事の後片付けも済んでおり ケアマネさんにも電話なさった様子だった。
一番先に お風呂の事を聞かれた。
「お風呂を沸かしてみてください」と御願いすると 利用者さんは正しく操作なさった。
「ちゃんと出来ていますよ」と言うと
「お湯と水の切り替えが…」と言われた。
「じゃ やってみて下さいますか?」と御願いすると
お湯の栓をひねって「お湯を出します」といわれ「水を出す時は…」と迷いながら水の栓をひねられた。
「出来ていますよ」と言うと
「昨日は 水を出そうとしたけれど シャワーから出てきて…」
「蛇口とシャワーの切り替えがうまく出来なかったのですね。このままですと大丈夫です。きちんと出来ていますよ。慌てないで…」と言うと「そうですね。大丈夫なんですね」と安心していた。

それから突然に通い始めたデイがどうしても納得できないので 夕方ケアマネさんに来て戴く事にしたとの事。
昨日家族に相談したら ケアマネさんと相談するように言われたとも。

今のデイの不満なところは 訪問の度に伺っていたが再度お聞きしてみた。
お風呂が雑多な事。トイレの仕切りがカーテンという事。
この2点が大きな理由のようだった。
デイの作業にも不満がある様子もあった。
ケアマネさんとお話しても 他のデイを見てみないと次のデイを探せないなと感じた。
「これから 近くのデイに見学に行って見ませんか?」とお聞きした。
「行って見たいです」と言われたので 出来る事は済ませて 直ぐデイ見学に出かけた。

突然の訪問でも嫌がらないデイがあるのだ。
玄関を入った途端「まぁ〜ホテルみたい」と喜ばれた。
椅子に座り靴を履き替えている間に 受け付けに行き「見学させてください」と申し出て事情を説明した。
直ぐに職員が玄関まで出向いて利用者さんにご挨拶。
トコトコ歩き始めると担当の方が見えて 直ぐデイの部屋へ案内してくださった。
受付の前を通る時も感嘆の声で手作りの作品を「素敵」と眺めておられた。

デイは一般デイ 認知症デイと合同でお茶会だった。
師範の先生が御点前。茶道を学びたい方は 1番前に座ってお勉強。
お茶を味わい方は それぞれおしゃべりしながらお抹茶を頂く。
お茶よりも手芸と言う方は 一番後ろで編み物をなさっていた。
自然な流れで好きな事に取り組まれていた。
久しぶりに見る風景だ。母もこんな風に過ごさせていただいていたなぁ〜と懐かしくなった。

利用者さんは 緊張することなく「いいわぁ〜ここならいいなぁ〜」としきりに話された。
「デイの定員はどうですか?」と訪ねると「今 空いている」という事だった。利用者さんは「なんてラッキーなんでしょう」と喜ばれる。
「ご家族に相談しないで決めて大丈夫ですか?」と伺うと「わたしが大将ですから…」と笑われた。

夕方 ケアマネの訪問があるというので その時に相談なさればいいだろう思った。

デイ見学後 買い物をして戻り 調理して今日の活動は終了。
帰り際に 見学したデイの事をメモにしてケアマネさんに見せてくださいと御願いした。

家に戻り 昼食。
今日は娘が眼科通院するために 会社をお休みした。
娘と共に施設に向かった。
介護仲間の奥様が今日 入所なさるので立ち会う役目もある。
娘は久々に母と会いたいというので中に入った。

母は娘の顔を見てニコニコ。娘に手を引かれて 居室に入った。

介護仲間の奥様は塗り絵の作品を持ってきていらした。
とても綺麗に塗られたので「あら お上手ですね」とお話したら「弟が画家ですの」と。
「教えて戴きたいですわ」と伝えると「あ〜いいですよ。今度ご一緒に」と言って下さった。
とてもはきはきなさっておいでだ。
それでもお家でも病院でも激しく徘徊なさるという事だった。

職員が様子を見るために ご家族にちょっと席を外してもらい様子を見られた。が離れる時は 少し動揺したが 職員や私との会話で気がまぎれ 直ぐに落ち着かれた。
お話はとてもお上手であった。

今日は 入所者のご家族とドライブに出かける予定だった。
介護仲間の入所は後に決まったのだ。
それで 母と入所者のご家族と4人で近くの公園までドライブ。
母の機嫌が悪くなったが 気温が上がったせいもあるので上着を脱いで調整した。1時間足らず外で過ごして戻ると 介護仲間の方は1度戻られてもうお帰りになった後だった。
それでも 奥様は大きな変化もなかった。

歌がお上手という事で聞かせて戴いた。
すると80を越えているとは思えない すき透るようなソプラノの声だった。
歌詞もしっかり覚えておいでで 母と同じように身振り手振りが入るのだった。
「わぁ〜 素敵な声です」と言うと「そんな事 恥ずかしいです」と言われた。こう書いていると普通の方ように思われるかも知れないが この方の年齢は息子さんが未だ幼い時の年齢なのだ。 現実のギャップがある。
ここに来るまでの道のりは遠かったのだ。
近くで面会なさりながら この数年の心痛を乗り越えて 良い関係に修復できますように…と影ながら祈るのみである。

さて 家に戻ってみると娘からメール。
「眼科で思いがけない人と出会ったのでお茶します」と。

「誰かな」と想像を巡らせていたら…。
数時間後に帰宅した娘から 同じ棟に住んでいて 偶然同じ幼稚園に通った幼馴染と再会したと聞かされた。小学・中学までは同じだ。

幼稚園の頃は 徒歩で20分ほどのところに通園。
これも稀。皆さん もっと近くの幼稚園だった。
2人で通う道すがら 2時間近くかかって通園。時に門を閉められた事もあるのだ。
2人は「がまくんとかえるちゃん」よろしく 確かその役割まで二人で意識していたと記憶している。

そんな幼稚園の頃のお話からこれまでのお話を延々と話したようだ。
今の状況は お互いに知らなくて風の噂位に知っている程度。

久しぶりの出会いに お互い驚き 嬉しかったり楽しかったりの様子。
今日は平日。お互い「目のため」に休暇をとる。
偶然と偶然が重なったのだが なんか出会うための必然があったようにも思える。

通園時 二人ともベリーショートで短パン。
娘はオチビで首ひとつ以上違っていた。
今は 二人ともロングな髪。
背丈もやや娘が高いくらいでほぼ一緒。


2006年06月04日(日) お決まりのところで涙ぐむ母


この季節のお風呂場はカビが出やすい。
それで 午前中 浴室掃除。ゴシゴシ ゴシゴシ。
これで 暫くは快適な浴室を保ってくれるでしょう♪

その後畑に草取り。
先日抜いたばかりだけれど やっぱり草は生えてきていた。
お隣の畑の方も見えていた。
お隣の方は 病だったのか暫く見えていなくて こちらもあまり出向かなくて久しぶりに出会った。
ご夫婦でお見えだった。
「自分の分の草取りを済ませたら さっさと帰る支度なのよ」と笑っていらした。「何処も同じか」と1人苦笑してしまった。
我が家も先週 10分足らずで引き上げたようだ。

お昼を摂ってから 母の所に向かう。
休日で夫は DVD三昧。悪いけれど放置を決めて…。
「ごめんね。ちょっと母の所に行ってきます」と家を出た。

母はテーブルに向かって座っていた。
私を見つけると「ここに座りなさい」と言うように隣の椅子を指した。

トイレ誘導するため席を立って歩き始めた時 ソファーのカバーがよじれているのが気になったようで直し始めた母。
半分ほど直した所で「アッ」と後ろを振り返り「おしっこ」と一言。
急いでトイレに誘導するとちょっと出ていた。
さほど気にする様子もないのでホッとした。

髪の毛が細くなったせいか 後ろの髪の毛がホワホワしている。
ヘアトニックでマッサージして頭髪用の水スプレイで濡らして整髪した。

持参したトマトやおせんべい お茶で休息。

それからお散歩に出た。今日は腰が軽い。1人で立ち上がれる程ではないのだが…。
歩きながら歌を唄う。
♪ひとつ頂戴さくらんぼ 胸の勲章にするのです。さくらんぼ兵隊さん…♪
母は大きく手を振りかざして 振り付けをしていた。
歌詞は切れ切れだけれど…きっと唄う気力はあるんだろう。
数回唄うと 歌詞を思い出した。
♪幻の影を慕いて 雨に日に…♪と唄い始めると母も唄いだした。
♪つつめば燃ゆる…♪この当りに来るといつも母は 涙ぐむ。
今日もしっかり声を震わせて涙ぐんでいた。
3回目に歌う頃には 完璧に歌詞を思い出せ歌っていた。
こちらが忘れて唄えなくとも 補足できていた。

歩きながらなので 息が大分切れるので 途中休息。

再び歩き始めても 疲れが出たようで大儀そうだったので今日は回り道をしなかった。でも公園の小山を上って下りて施設に戻った。

居室でちょっと休息し みんなでおやつ。
その隙に 施設を後にした。
帰り際 入所者の方がバイバイと手を振ってくれる。
母の興味がこっちに向くので 入所者の方にそうっと「またね」と挨拶して玄関に向かう。

今日はみんな揃って夕食なので 急いで帰宅し支度を始めた。


2006年06月03日(土) ふたつのニュース

・05年の65歳以上の高齢者人口は、前年より72万人増の2560万人(10月1日現在)と過去最高を更新
・合計特殊出生率(1人の女性が15〜49歳の間に産む子供の数の平均)は1・25と前年より0・04ポイント低下し、過去最低を更新

これは昨日のニュース。

昨日 TBSラジオのスタンバイで 森本毅郎と小澤遼子がこのふたつの話題を絡めて話されていた。
私も以前からそう感じているので「そうだ そうだ」と思ったのだった。
出生率が下がるから 若い人を優遇しなければならないという発想がある。
しかし 結婚して子供が出来たとしても その先には親の介護がある。

介護保険改正により 高齢者の負担は増えている。
子供の世話にならないで過ごしたいと願っても 負担額が増え その上消費税も上がって行くと年金暮らしの高齢者は暮らして行けなくなりそうな感じがするのだ。
足りない所は 子供が負担するしかなくて 子育ても介護も…と 負担がかかり苦しくなるような気がしてならないのだ。

介護保険は 若い世代に無縁のように見えるが 実は深く関っていると思う。若いから関係ないと思っている人は多いように思う。
でも 今の状況のまま行くなら かなり大変なことになって行くような気がしてならない。杞憂であって欲しいと願うのみである。

この所 落ち着かなくて 音を聞くのも嫌気がさして ラジオも朝聞くだけで音の無い生活をしていた。
今日は久しぶりに永六輔の土曜ワイドに耳を傾けた。
この番組には 以前野坂昭之が出演なさっていたが 今はお手紙のみの出演になっている。
野坂氏は 脳梗塞以来 リハビリの日々という事だ。
しかし 6月1日の新宿末広亭での「永六輔流・桃屋寄席」にひょっこりと婦人と共にお顔を見せてくれたそうだ。

永氏が「病で会いたくないといわれたら その人を慮って会いに出かけないが 今回の事で 会いたく無いと言われても会いに行くという事の勇気も必要かな」と言われていた。
今回は 小林亜星さんが そのきっかけを作られたという事だった。

昔は割合単純に行動できたものだ。年を重ねるといろんな事を考えてしまいブレーキがかかる。
しかし そのブレーキは ほんとに必要なものかと思ったりする。
どっちがいいんだろうな?
必要以上にブレーキを踏んでいないかとわが身を振り返って見たりした。


2006年06月02日(金) 利用者さんも母も通院


利用者さんは少し混乱気味だった。
昨日ヘルパーさん来訪中に 皮膚科に受診の受付をしにお出かけになったという。戻ってみると ドアが開いていてヘルパーさんがいなかったらしい。
ヘルパーさんは 暫くすると戻っていらして「整形院まで 探しに行ってました」と言われたそうだ。
寸での所で騒ぎになる所だったと言う。

「皮膚科と断ったのに…」と利用者さんは言われる。

真偽の程は判らない。
でも 行き先を間違って言う事は殆ど無い利用者さんである。

混乱とは 今日は内科と皮膚科に通院予定と言われた事だ。
昨日通院した皮膚科に何故?と思ったが口にはしないで 2件の診察券を準備して出かけた。
内科に行くのに 皮膚科から頂いた薬の処方箋をお持ちになろうとした。
開いてみると「次の受診までに 内科から血液検査の数値を聞いてきてください」と言うメモが入っていた。
だから 持って行こうとしたのだと判った。

道すがら 先に皮膚科に寄ろうとなさったので 内科を受診してから帰り道に受け付けて貰いましょうとアドバイスした。

内科を受診する時 最初に私も入り皮膚科のメモを医師に渡した。
「肝機能の数値を知りたいのだろうけれど こちらはその項目は検査していない」と口頭で言われた。
「はい承知しました」と引き下がる。
すると利用さんが「皮膚科でもう既に血液検査済ませました」と言われる。
やはり 肝心の事が時に抜けて 後で思い出すという事が多いようだ。
特に異常は無いとの事で 薬の処方箋を頂き薬局に寄った。
待合室で腰掛けていると「飲み薬の副作用で足が浮腫むので 飲み薬は中止し塗り薬のみにしましょうって言われました。次の通院は1週間後という事でした」と利用者さんは言われた。
「それでは 皮膚科通院は今日でなく 来週ですね」と確認を取って見た。
「あらら そうね。来週で良いのですね」
という事で 買い物して帰ることで了解頂いた。

買い物を済ませて戻り 南瓜を煮て残っているもやしとキャベツを生姜を使ってナムル風を作り インゲンを硬めに茹でる。
その間に 貯まった新聞を縛ってゴミをまとめ 汚れたレンジ周りを掃除した。
新聞とレンジ周りは昨日 ヘルパーさんが出来なかったところだ。
利用者さんが気にしておいでだったので 片付けた。

今日は通院もあり遠い方のスーパーに出かけたが ほぼ時間内に活動を終えることが出来た。

午後母の所に出向く。
母は笑顔で「暫くね」と言ってきた。
確かに1日置いているし前回は用事があって少ししか話してない。
ほんとに判っているのかな?
真偽よりも「暫くね」と言えて良かったと思うことにした。

他の入所者の方の頭を撫でてお話していたら 母もニコニコ。
入所者の方がニコニコ笑顔を見せてくれると「笑顔いい」と言う母。

少し施設長と話しこむ。
母はその間もニコニコ。
この数ヶ月 母は時折施設長を私と間違えることが多いと聞かされていた。
今朝も 施設長が出勤すると大きく手を振って挨拶したそうだ。
間違えて喜べるなら それ程良い事はない。
気持ちがへこむよりずっと良いもの。

話し終える頃母の表情が曇ってきた。
「どうしたの?」「お腹がチクチク痛い」と言う。
直ぐトイレ誘導。「大」だった。いきむ事も何とかできた。今日は感度良好みたいだ。

それから 通院。
バスを乗り継ぐ。毎度の事ながら バスの停車は腹だたしい。
折角のノンステップバスなのに 歩道から離れて停車なのである。
でも今日の母は踏ん張って膝かっくんならずに乗り込めた。ばんざい!

診察室から先生が母をお出迎え。母の手を引いて診察室に入ってくれた。
母は先生に頭を下げながらニコニコしていた。
診察を終えた時「上等だって」と言うとまたニコニコ。

お薬を頂き診療所を後にした。
さてと おやつタイム何処にしよう?
雨は降っていないので外のベンチに腰掛けて 持参したおやつでお茶。
すると施設に1本で行けるバスが止まった。
1日に数本しかないバスだ。タイミングが良いと思い おやつを片付けバスに乗り込む。
発車まで数分あったので 悪いけれどバスの中でおやつの続き。
お菓子を食べ終えた頃発車。
バスはかなりクルクル回っていくので お茶もバスの中で飲んで貰ってしまった。少し蒸して汗も出るので 水分補給は必要だ。
幸いバスは空いているので…助かった。

ひとつ手前でバスを降りて テクテクテク歩く。今週は お散歩の回数が少ないので…。

母はちょっと疲れた様子。
気持ち上り坂に差し掛かると「重たい」と言う。『その感覚間違いないよ』と思った。

すれ違った人に挨拶。ニコニコ笑顔を交わしたら「兄弟では無いのです」と説明する母。慌てて「そうね 親子よね」と補足してしまった。
通りすがりの人にこんな説明要らないのに…。

施設に戻って着替えを済ませるともう夕食だった。
急いでテーブルに着かせてから持ち込んだ蕨を包丁で叩き味噌で和える。
「叩きワラビ」ミキサー食以外の方にわたるように準備。
母もご機嫌で食べ始めたので 施設を後にした。

今日のトイレ誘導 4回中3回成功。 
1回の失敗はバスの中だったので止むを得ない。大量に水分を取ってからバスに揺られて更に歩いたので仕方ない。


2006年06月01日(木) オフ日


オフ日。
やるべき事は決まっている。
荒れかけた庭をなんとかしなくちゃならない。
幹を切った儘 放置していたので 小枝を切り落とし幹をのこで切って落ちた葉を集めてゴミ回収に出しやすいようにした。
ぶどうも放置していた。
今年は剪定が殆どされてないので伸び放題の蔓にぶどうの花がいっぱい付いている。これを放置すると 夏の暑い時期熟れた実に小バエが寄ってきて大変なことになりそうだ。
今年は ほんとに追い立てられるように過ぎてきた。
オフ日には雨という事も続いていたので仕方ないのだ。

気持ちが奮い立たず 気力が続かない…。ちょっぴり情けない。
出来る時に少しずつでも…と自分に言い聞かせながら片付けた。

作業をしながら考える事は 今抱えている問題ふたつ。

故郷の事であり 母の施設の事だ。
ふたつの問題の共通する所は ルールを守る事と情の絡み。

娘が「母も看て費用も負担しているのだから 故郷に義理立てする必要なし」と忠告。 それでもついつい。

父の姿を思い出す時「未だ父に追いついてない」と思う。
骨と皮になっていても 認知症の母のために 普通なら8分位で行ける病院に休み休み1時間半かけて 母の薬を取りに行っていた姿である。
同居している者に出来る限り頼らないその姿勢…。
まだまだと感じる。


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