母のタイムスリップ日記
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2006年04月30日(日) 洗髪


 世の中ゴールデンウィ−クなんだけれど…。
我が家は あまり関係ないみたい。
夫は昨日も今日もお仕事。娘は土曜の深夜に帰宅し今朝は大阪に出張。
大阪の出張もこれで最後かも知れない。
しかし 随分足を運んでいたなぁ〜。
肉まんや水茄子のお土産もこれからはないんだな。残念!

母の所に出かけた。
母は もうニコニコ。何をしてもニコニコ。
ご機嫌はいいみたいだった。

美容院に連れて行こうと思ったが通り道にみたら混んでいる様だったので断念した。
おせんべいとチョコレートとお茶でおやつにした。
チョコレートを口に入れると「あまい」とニコニコ。
おせんべいもポリポリ。。。袋に包んでポリポリ。

職員に御願いして洗髪させて貰った。
シャンプー台が少し高くて 母は顔に水がかかると嫌がってしまい動き出すのすので床までびしょぬれとなった。
幸い 今日は午後気温も上がったので多少濡れても寒くはならないので助かった。
母も頭が痒いので洗いたい気持ちはあるのだが 濡れてしまうとそういう気持ちも吹き飛んでしまうようだ。
「ごめん♪」と謝ると「いいんだ」と言うのだが 再開すると嫌がる…。
そんな繰り返しをしながら こちらはのんびりと洗髪した。

洗髪後 居室でドライヤーで乾かし アイロンで前髪をカールさせた。
やはり全般に伸びてきているので うまく纏まらない。

明日は気温が上がりそうと言うので 七分袖のセーターを出してきた。

排泄は3回。誘導によりきちんとできた。
洗髪後落ち着いて ソファーに座りテレビに視線を移したので家に戻った。


2006年04月29日(土) 偶然


 昨日 母の罹り付け医で娘の小学校時代の先生とばったりお会いした。
この先生 カメラが趣味で植物や子供たちの写真を沢山撮影なさっていた。
他の教師から「はがきにして…」と頼まれて 植物の写真は絵はがきになさってて格安で分けてくださった。

この先生のファンが私の友人で 先生退職して友人も転居した後もずっと交流が続いていたのだが…。友人もそれから更に2回転居しているので…音信も途絶えていたのだろう。

昨年 友人がその先生の行方を気になさっていた。
若しかしたら はがきが欲しかったのかも知れない。
しかし 私もその地を離れていて情報が全くなかった。
同じ町なのだけれど…生活する場所が全く違ってきているので…。

早速友人に知らせようと先生の住所を伺った。
が 携帯を持っている事を思い出して写真を撮らせて貰った。
メールに添付して映像を送った。

先生も連絡が取れなくて…と言っていらした。
元気にしてますよと言うと嬉しそうな顔をなさった。
今 写真を写されているかは伺わなかったが 俳句を作っては投稿なさっている様子で取り上げられた俳句のコピーを下さった。

この先生 退職間際に息子さんを病で亡くされてお出でだ。
それも友人が心配していたのだが…。
今もご自分を磨かれてお過ごしで素晴らしいと思った。

今朝 友人からメールの返信が来た。
一晩考えて…「○先生?」と。
やはり 年月を重ねるたのだなぁ〜。生身の先生は 相変わらずで直ぐに判ったけれど…静止画像だと判断出来ないのかも…。
(私の腕のせい?それも否定は出来ないが…)

相変わらず笑みを絶やさないお姿だった。

先生は どんな病でお見えになっていたのだろう?
これまで そこでお会いする事はなかったのだが…通院暦は短いのかな?


2006年04月28日(金) 通院


昨日 利用者さんは ケアマネさんとご家族と介護保険の利用計画を立てられたようだ。
具体的に何処を利用するかはケアマネさんが利用者さんの希望に沿って選ばれるようだった。
ヘルパーさんが入られるので 私は引き下がっても良いのだが どうもそういう訳にも行かないようで これまで通りの訪問が続くようである。
買い物は いつ持つ通りに利用者さんの動きにあわせながら メモを引き出して篭に入れた。
レジの所まで来ると今日もお財布を渡された。
私はサッとレジの前に移って「自分でなさってみませんか?」と聞いてみた。「それもそうね」とお財布からお金を出された。
少しもたついたが 混雑していないレジを選んだので利用者さんも慌てないで会計を済まされた。

会計が済んでから「実は 母のお財布を預かって失敗したなぁ〜と思っているんですよ」と話すと「判るわ。自分の事は自分でするのが良いのよね。頭の体操」「そうです。少しくらい間違えても良いのです。自分が思うほどレジの人気にしないと思います。あら 間違った?とけろっとしてればいいんですよ」と話すと「それもそうね」と納得してしてくださった。

昨日 テレビを見ていて貰ったヒントだ。
やっぱり 出来ない事は出来なくとも良い。レジだし隣に私にいるのだから誤魔化されたりはしないのだから…。混雑しない時間に行けば きっと勘を取り戻しそうな気がする。

途中 利用者さんのお知り合いと会ったので立ち話をなさった。
ずっと後ろに下がってじっと待った。
時間が勿体無いので郵便受けから郵送物を取り出した。
10分近くお話なさり お話を終えた。

急にスポーツジムや生きがいデイを辞められたので そういう方たちとの交流が減ってきていて 立ち話であっても大事な時間だと思ったから 暫くお待ちしたのだ。

戻って大急ぎで卵を茹で 米を研いで お刺身を作った。
煮物は昨日ヘルパーさんが作っていらしたのが残っていた。
更にお風呂にお湯を張った。

全て終わって時計を見たら 15分オーバー。
それでも活動記録に印を押してもらっていたので その分ははみ出さずに済んだ。

活動を終えて急いで家に戻った。

罹り付け医に電話をして連休中の診療を伺った。
暦通りという事だった。

母の所に出向いた。
ドアを開けると「おかちゃん!」と母の情けないような響きの声が聞こえた。慌ててホールに行くと偉い剣幕の車椅子の方。そしてテーブルクロスは見事に外れていて それ以上外れないように押えていた。
「あら ピンチだったね」とそうっとテーブルクロスを元に戻した。
そこに職員が戻り「ボタン押したのはこれだったの?」と車椅子の方に聞かれていた。
母は 車椅子の方を見ながら「あの人がモニャモニャ…」と職員に向かってお話しした。
「口は悪いけれど 良い人なんだからね」と私からフォローを入れた。
でも やはりちょっと辛かったようで 居室に入ってから涙を零していた。

「お散歩行こうね」と母を着替えさせて外出。
バスに乗って通院。
バスを乗り継ぐつもりだったが 通院後楽しみたい事もあり途中からはタクシーに乗り換えた。
母の機嫌は悪くなかった。
診察を受けたが血圧高し。
先生も幾度か計りなおしてくれたがやはり高いままだった。
「俺の顔を見てドキドキときめいちゃった?」と冗談を言うが今日の母は言葉を理解できない様子だった。
「心配ないって太鼓判だってよ」と言うとニコニコしていた。
薬を貰って次の場所へ。

バスで移動。
先日「可愛いのが欲しい」と言っていたので 一緒に選ぼうと思った。
でも その前に遅くならないうちに おやつにしなくちゃ 水分も取らないと…。とお店に入った。
母は嬉しそうだった。
ケーキとジュースと杏仁豆腐をぺろりと平らげた。
それから デパートの移動開始。
下りのエスカレーターの前まで行って「こりゃ無理だわ」と判断。
上りなら何とかなるけれど下りは タイミング重要なのだ。
それで 良い機会と思い階段を使って移動。
デパートの階段は広いし手すりもある。人も居ない。
リハビリにはほんとに良い場所と思う。

2階分下がってフロアを廻っていたら「疲れたぁ〜」と言うので 買い物は諦め もうひとつ階段を使って下りて後はエレベーターを使った。

帰路はバスを諦めてタクシー移動。
「疲れたぁ〜」とは言っていたけれど タクシーを降りたら「それほど疲れていない」と言うっていた。「じゃもう少し歩く?」と聞くと「帰る」と言うので玄関をくぐる。

やはり 歩き通す事はかなり難しく途中休息は必須。
歩く早さも落ちてきているので…予想以上に時間がかかる。
それでも 歩く事を楽しみたいと思う母でなので 何とか踏ん張って行こうと思う。

母は「可愛いの…」は既に記憶から消えている筈だけれど…でも季節も変わるのだから…新しい物を購入しても良いだろう。。。


2006年04月27日(木) 「…」


 今朝 役所の介護保険課に電話をした。
実質移行は9月までだから 具体的変化を確認し家族会の会員の中にサービス変化が起きて来たら 切り抜ける方法を伝えておかなればならないと思ったのだ。
役所に電話して 具体例を挙げながら「こういう変化は改正後起きるのですか?」と聞いてみた。
「それは 改正される前から同じですから…」とするりと抜けた。
「それでは これまで受けてきた方がサービスを受けられなくという事は有りませんか?」と切り替えした。
「それは ケアマネさんの判断ですから?」
「それでは ケアマネさんの判断が個々に違ってくる事はないのですか?」
と聞いてみたら…。
「ケアマネさん1人で判断できる事では有りませんので…大丈夫です」
「ケアマネさんのいう事に納得できない時はどうすれば良いですか?」
「はぁ〜モグモグ」
ここで 電話の相手が替わった。
初めて自分の名前を名乗った。
相手は先日お話した方。
やはり スルスルと抜ける。
こちらも会員の困った情報を掴んで居ないので…質問し難い。
これから使うと言う人の心当りがあるのだが 今の状態で変化があるかも…と言う人は居ないような気がする。

結局「厚労省の通達の質問に関る部分をコピーして送る」という事になった。

がファクシミリを受けたがこちらのインク切れでコピーが出来なくなってしまった。夕方 コピーしてみたら…。12年度の通達部分だった。
基本は そこに有ったのか!

あちらが役者が一枚上だった。

でも 考えてみるにケアマネさんお任せとなると 利用者と役所の板ばさみになり悪者になりかねない。そう考えると地域の考え方はずるい。
そして 思い当たった。
昨日の話しの中で ケアマネさんが先走りしているのではないか…と言う話になったが 実はケアマネさんも締め付けにあっているのだと。
余分なサービスはすべきでない…と言う通達は 私達から見えない所でなされている可能性が大のような気がしてきた。
ここまで来て「そういう事だったのか」と繋がって来る事が多くて参ってしまう。

でも このままでは行けないので 家族会で意見を集め1度家族会に説明しに来て貰うつもりだ。そのためには 介護保険をみんなで理解しないと始まらない。

「ハートをつなごう」の最終回を見た。
昨日 ある方から お話を伺っていたので生放送が気がかりだった。
自分の映像を見られて変化が会ったと聞いていたからだ。
確かに硬い表情に思えた。初回の方がもっと柔らかな感じがした。
でも病には波が有るので…テレビだけのせいではないかも知れないのだが…。

認知症は 育った環境や家族関係 環境 性格が微妙に関係してくるので 対処は人様々だと思う。
この日記も母への対処の部分を介護のヒントになれば…と随分記してきた。
自分以外の介護の仕方を知り それを自分の中で消化させて介護できれば良いのだと思う。
いろんな方の介護の取組みを知り現実に見せてもらい 母に合うやり方を探して来た。

今 こうやって認知症の方のお話を聞けるようになって また教えられた。


2006年04月26日(水) 認知症の番組


リハの日である。
施設に着くと昼食が始まっていた。
おかずの減り方が早くてご飯が多く残っていた。
他の方を見ても同じようだった。
食べやすいおかずなのだろうが塩分も少ないのだろう。
残ったご飯を少しのおかずで母には 完食して貰った。
が お隣の方はご飯が残っている。
職員に御願いしたら 佃煮のりを下さった。
それまで手付かずのご飯をスルスルと召し上がる。
こういう時は食事介助なのだが…。

食事は完璧に食べ終える。
おかずのレタスが残っていたが 食事の済んだ後も口をモグモグさせていた。ご飯は口の中に残っているって少ないのに…葉ものはレタスであっても口の中に残っている。これは母も似ている。

食後お茶のお変わりも…。

母に居室に移動して貰って トイレ誘導。
既に出た後だったが 誘導により排泄も出来た。
その後歯磨きをして貰った。

リハに立ち会えないので支度だけ済ませ施設を後にした。

今日は会議。
施設に出向くとついつい手を変えてしまう。
駅に着いたら 予定した電車は発車後で次の電車に乗り込む事に。
ターミナル駅のホームに立っていたら 横に気配を感じて視線を向けたら会議に出席なさる方だった。
「あらら」とだって遅刻かと思っていたのにお仲間がいらしたので ちょっと安心。

今日の会議はメンバーも増えて…。
今までとは違った雰囲気の会議となった。
介護関連の人たちなので みんなが揃うまで情報交換となる。
同居者のいる場合に家事援助サービスが受けられなくなると言う件に関しては 家事援助を受けられるようになる手段が見つかり 利用できるようになったと言う報告があった。
でもこれは 地域で違ってくるので 先ずは自分の地域で確認を取った方が良いという事になった。
他にもいろんな話題があった。
後日 その事は記していきたいと思う。

介護保険の中味に長けている訳ではないので 皆さんのお話が100パーセント理解できる訳ではない。何しろ 皆さん素人ではあっても それぞれの分野を極めておいでの方ばかりなのだ。
介護保険が設立された当初の目的から随分離れた所に来てしまった…と呟いたら…。いや 介護保険は 手助けする目的と自立を促す目的とが当初からあった。当初は手助けの方に重心を置いたのだがだんだん自立を促す方に重心が移ってきたのだ。このバランス感覚が悪いのだ。という事だった。

確かに…。
でも 介護を受ける側 また介護家族としては 暮らしやすい介護が出来る環境があればそれが1番なんだけれど…。
財源が理由であっても 家庭なら必要とする事を最優先にして他の経費を出来る限り詰めていくというやり方だろう。
国や自治体は そういう生活に根ざした視点で取り組んでいるのだろうか?
財源ありきは 家庭も国も同じ。
何を省くか…なんだけれど…。ほんとに今の削減しか方策がないのだろうか?

この所 母の介護から外れ気味の日記だ。
改正後の介護保険は どうなっていくのか…。
混乱は 思わぬ所でも起きている。。。実は 母の上にも降りかかっているのだ…。だから いろいろ気になってのことなのだが…。

今 介護関連の仲間たちと そういった事で動き始めてみようか…と声が上がり始めている。

今夜のハートをつなごうで 認知症のご主人が奥様の肩を叩いていらした。
母も夫や私の肩をよく叩いてくれた。
「有難う もういいよ」と言っても「もう少し」と叩いてくれた。
母も「仕事をしていると言う感覚」と「迷惑をかける分のお礼」が有ってそうしてくれたと思う。

明日は…生放送という事だった。
それと金曜日のNHKの生活ホットモーニングも…と彩星の会の干場さんが言われていた。


2006年04月25日(火) はざまで…

 
 昨日 活動中にあった場面。
お散歩中に私の知り合いと偶然出会った。
街中なので こういう場面は割合多い。
知り合いは 殆ど活動をしている事を知っているので会釈程度で済ませる。

昨日は 知り合いが私に手を振ったので いつものように軽く会釈した。
が 利用者さんは「お変わりないですか?」と声をかけた。
「え〜」と知り合い。
「それは 何よりですね」
「おかげさまで」
「それでは ごきげんよう」
利用者さんとは 住んでいる所も違うし接点もなく 顔見知りでもないのだ。
通り過ぎてから利用者さんが ポツリと言われた。
「ご存じない方だけれど…向こうが挨拶してくれたのだから 失礼があってもいけないから挨拶だけはしておきましたの」と。

ふと 母が通りすがりの人に挨拶するのを見ていて「?」となっていたが こういう事も有るのかなと思った。
母の場合は 相手が御辞儀なんてしなくともペコりと頭を下げるのだけれど…。判別がつかないくらい判らなくなっていてとりあえず「ご挨拶」なのかも知れない。
だから「誰か来たよ」と母が言った時は「私は知らない人だけれど ○ちゃん 知っている人?」と聞くことにしている。

今日も「ハートをつなごう」を見た。
九州の方で自ら「バリバリの認知症です」と公言なさっている方。
この方の存在は 新聞で知っていた。
クリスティーンさんが来日後 認知症を公開なさる方が増えたと思う。

普段の生活で不安に思う事は有るけれど 今できる事を取り組んで行こうと決めたそうだ。
ほんとに底抜けに明るい方だった。

でもカラオケで十八番の「マイウェイ」を熱唱している姿をみていて感じる所があった。

「一番して欲しくない事はなんですか?」と聞かれ「怒らないで欲しい」と。「ついつい怒ってしまいますが…」と聞き手が言った時「我慢してください」と言われていた。
「自分がこの立場だったら…と考えてみてください」と言う訴えも有った。

今日 ある所でちょっとお話しする機会があった。
その会で「気になって訪問すると感情的になってしまって…かなり苦労します」と言われる方がいらした。
「病ですから我慢してください」と御願いしたのだった。(聞き手は 認知症の家族ではないし介護の専門職でもない)

認知症の曖昧さに振り回される現実にある。
その典型が家族だろう。
家族以外と言うのは 近隣になるのかな?
社会で受け容れる体制がないと これから先ほんとに大変だと思う。

実は今朝 役所の方から電話を頂き「ご相談というかお聞きしたい事が有りまして ご都合はいかがでしょうか?」と言われた。
結局 その会の終了後会場でお会いする事になった。

話しは オフレコ会談。
だから 詳しくここに書けないのだが…。
オフレコと言っても「どうしたらよかんべな」部分で介護家族からの意見の聞き取りである。

最初に「介護保険改正後 地域密着型の領域で情がなくなってないかなぁ〜」と呟くように言ったら…。
「責任を負うという事で かなりピリピリしておりまして…」と微妙な呟きが返って来た。

その折に 縦割り行政の現実と財源不足の話をなされた。
勿論 全てを事実として受け止めた訳ではない。特に財源に関しては 何等かの工夫で乗り切れないものか…と思うものだから…。
それでも 流れとしては 利用料の値上げも視野にあるみたい。
今後介護保険利用料の一割負担が 三割負担位まで引き上げられそうな気配が有るとよく耳にする。

加えて 箱物も作らないと言う姿勢だ。
だとしたら 社会の受け入れしかなくなってくるだろうと想像する。

「自分は在宅で見るけれど 若し介護を受ける身になったら 施設に行きます」とは良く聞くけれど… その施設に簡単に入れない状況になるかも知れないのだ。
行政の考える枠では「施設は足りています」と言うけれど 将来的に4人に1人が認知症と言う時代に突入したらどうなっていくんだろうか?

あ〜どうなって行くんだろうなぁ〜。

オフレコ会談も 急激に結論を出さないで欲しいと御願いした。

そうそう 就労者世帯の介護の話しも検討課題として考慮してくださいとお願いした。単身の介護事情もあるけれど 小学生や中学生を抱えた家族のしわ寄せって…深刻と思うからだ。
今は対象者も少ないかもしれないが 切実な問題ですので…と。
ただ 縦割り行政なので 何処まで伝わるか…。


2006年04月24日(月) 「はないぬき」


 さっきまで教育テレビを見ていた。
ハートをつなごう
▽認知症・涙と笑いの本音トーク

昨年出会った方がご夫婦で出ていらした。
緊張の様子はなく 普段の儘だった。
涙は 見た事がないので驚いた。
VTRで映像をみて涙を浮かべたのだ。
ご自分の困難な時代を思い出されての事と言われていた。

皆さん 明るかった。
ご家族との距離が安定してしだしているからだろう。

でも本人にも言われている事は理解出来てもできない事が多々あるようだ。
それが 本人の苛立ちとなるようだ。
こういう時 テーブルをひっくり返したりするようだ。
自制力のある方は 誰も居ない時にひっくり返すと言われていた。
激しい動作は 本人が不安でたまらなくなった時に出るものなのだろう。

家族も受け容れるのが困難な時もある様子だった。

仕事を手伝われたり 餃子を作って居られる映像を見て 母の在宅の頃と姿と重なってジワリときた。
「もしも 在宅で踏ん張っていたら 餃子もまだ作れたかな?ハンバーグも作れたかな?」

母が我が家に来た時「お客さんではないのだから 何でも手伝うよ」と言った。「ガスが危ない」と家事からはすっかり遠ざかっていたのだが…。
火を使わないでも できる仕事があった。
食器洗いや編み物。野菜洗いや野菜の皮むき。大根おろし。ハンバーや餃子作り…。

母も作ってくれた日は夫や娘にも伝えておいた。
夫も娘も「凄いねぇ〜。美味しいよ」と言ってくれていた。
それが 母にはお世辞と判っていても「とんでもない。ちょっとしか作らないのよ」と嬉しそうに笑っていた。
そういう夫や娘の配慮が嬉しいと母はよく言っていた。

食器洗いも 綺麗な時とそうでない時があった。
手を出す事が躊躇われて任せていた。洗って布巾で拭く所まで。
洗いが完全でない時は 布巾汚れを拭く形になった。
だから 布巾に汚れがかなり付いた。
でも その布巾も母が洗ってくれた。
「汚いよ」という言葉を出す事が時に出来なくて 後からそうっと洗いなおした。

編み物は 母が編みやすいように目数を増やさないストンとした物を編んでもらった。目数を増やすとどんどん大きくなってしまう。
「こんな 形じゃおかしい」とよく言っていた。
「今 流行でね。こういうのを作ってって言うのよ」と娘と二人口裏を合わせて訴えた。

作業をして貰ったら「有難う。助かった!」とお礼を言った。
「こちらこそ 粗相結構で…」と恐縮する母だった。

母とは冗談も良く言いあい笑い転げた。
ちょっとの事もオーバーに笑っていると「あんたは ほんとに楽しそうだね」と貰い笑いをしていた。
今日のテレビの出演者の中にもそういう方がいらした。

教育テレビでは 後3日続けてこの様子を放送するそうだ。
そういえば NHKの取材を受けテレビに出るって言ってたっけ。

今日は お散歩に出た。
外出する時「財布が…」と言った。
「ほら 預かってるよ。何か欲しい物が有るの?」と聞くと…。
「可愛いのを…」と言った。
「うん 判ったよ。次に可愛いの探しにお店に行こうね」
コックリ頷く母だった。

お散歩しながらリズムの良い歌を唄った。
母も歌った。一度目は歌詞が曖昧。回を重ねると思い出せることもあった。
が今ひとつ満足できないらしく「歌はいいやぁ〜あんた唄いなさい」と言う具合となった。それでも 私の歌に合わせて右手でしっかりリズムを取っていた。それでいいんだよね♪

かなり疲れた様子となりベンチで一休み。
「ほら 赤いのと白いのと綺麗な花が見える?」
コクリと頷く母。
「あれは ハナミズキだよ。綺麗だね」
「うん 綺麗だな」「は・な・み・ず・き」
「そう はなみずき」
それから 施設に戻るまで「はなみずき」と記憶に刻むように繰り返し言っていた。時に「はないぬき」になった。
その時も「そうよ。ハナミズキ」と伝えた。

施設に着いて職員と顔をあわせた。
「お帰りなさい」と言われニッコリ笑顔を返した。
「何が見えた?」
「ハナミズキ」
「ハナミズキ 綺麗だったでしょ」
「綺麗だった」
会話が成り立った。
それも今見て来た様子を思い返せているのだ。
職員もそれを感じているようだった。
凄いと思った。

午前中は 利用者さん訪問。
介護保険の認定の通知が届いたと言っておられた。
介護保険証を見せてくれた。

この所 落ち込み気味なので 遠回りしてお買い物に出かけた。
垣根越しでは有るけれど 見事なふじの花や芍薬をしばし眺めた。
梅林の梅の木には小粒の梅がいっぱい付いていて 二人で思いがけない風景を楽しんだ。


2006年04月23日(日) あちゃ!

 この所 パソコンの調子が悪くて 閉口気味だった。
昨日娘の友人が 暇を作ってはるばると見に来てくださった。
ハードには何の問題もなくて 知らないうちに 余計な操作をしてしまったことが原因のようだった。
ようやく元に戻り 気持ちを楽にパソコンに向かえるようになった。

相変わらずのパソコン音痴だ。
学ぼうとする意欲はあるのだが 自分で理解するための努力を怠るのだ。
また 反省。
娘に聞いても 面倒がって教えてくれない事も娘の友人は教えてくれる。
(あっ こう書くと娘怒るかな?)
「面倒じゃなくて時間がないの『Windows』は詳しくないの」と言うだろう。


朝からパソコンに向かって唸っていた。
資料作りである。伝えたい事はいっぱいだ。でも欲張ると焦点がぼける。(この日記を読んで下さる方なら整理して伝えることが如何に下手かが お分かりになるだろう)
変換間違いや打ち間違いも日常茶飯事なので 注意しなければならない。

時々認知症の方のブログに目を移した。
短歌のコーナーである。
忘れる事全てが 病のせいにしたくないと言う風な短歌があった。

確かに 忘れるという事が病だが 病がなくとも忘れる事はある。
最近の自分は「忘れる天才だ」と思うほどだ。

病でない人は「良性の物忘れ」と言う表現をする。
でも 病の人に良性の物忘れってないの?
介護仲間が「アルツの初期に 通院時に自分よりもしっかり覚えていたのでアルツなんて感じなかった」と言われた事があった。

長い経過をみれば やはり病の進行による物忘れは歴然と区別されてくるが…初期の頃は やはり混ぜこぜ。
母もそうだった。
判ったり 判らなかったりが傍にいるとややこしいのだ。

また 母もそうだったが 病の方は「頭に霧がかかったようだ。とか靄がかかっているようだ」と言う表現をなさる。
この状態がなかなか理解できない。
記憶が靄に包まれているという表現だろうと思うが…。
私達が思い出そうとしても思い出せない状況の時に似ているのだろうか?
それと何処が違っているのだろうか?と思う。

初期においては 良性の物忘れも病の物忘れも混在しているのだろうと素人ながら考える。

さてと 1日かかっても資料は完成しなかった。
「これからは 基礎資料を作って置こう」と呟いたら 娘が「パソコン遣っているなら当たり前でしょ」と何を寝ぼけているのか…といわんばかりに突っ込まれてしまった。「あちゃ!」


2006年04月22日(土) 私には心地よくとも 母には…

 今日の母は 言葉も的を得ていた。
先日置き忘れたお菓子が其の儘お皿に残っていた。
居室に戻った時に初めて母が気が付いたようで「あれ」と言う。
袋を開けてあげたら 早速食べ始めた。
どうやら 非常に美味しいらしい。

二日ほど面会してなかったが その間全く気が付かなかったのだろうか?
それとも食べたいと思っても手を出せなかったのだろうか?

お散歩に出て直ぐは とても気分良さそうだったが 途中で疲れてしまったようで「帰りたい」と言う。
しかし 帰りたいのが家なのか施設なのか判断は付かない。
程よいお天気なのだが 母には風が冷たいらしかった。
手にしたブレザーを途中で羽織った。

施設に戻ったら ホッとした表情だったので 疲労が原因だったと判った。
今日もドラックストアに入ったが やはりお客さんの姿が多いと不安になってくるようだ。

90歳にもなると体力もなくなってきても仕方ない。
故郷で行われる葬儀への出席 無理かも知れない…。
母に聞いても 明確な返事は返って来なくて…それでも 亡くなった方の名前を思いだせる…。
無理したくないという事なのだという事なのかも知れない。

排泄 今日も完璧。でも 自発的訴えはなかった。


2006年04月21日(金) どうなって行くの?


 利用者さん訪問。
穏やかにお過ごしの御様子で安心した。
今日は通院の予定なので 冷蔵庫を見ながら買い物のメモをする。
いざ出かけようとしたら…電話。
利用者さんは玄関に移動なさっていたので 替わりに電話を受けた。
ケアマネさんだった。
昨晩「『未だ ヘルパーさん来ないのですけれど…』と電話が有ったので心配で電話してみました」という事だった。
しかし これを私が知っては不味いので 利用者さんには「お変わりないかと思って…」とのお電話でしたと伝えた。

通院の道すがら「買い物に行ってレジでボーッとしてお財布出すの忘れたの」とか「近くを出来る限りお散歩しました」とかお話くださった。
それとなく「夜間はよく眠れますか?」と聞いて見ると「気が付くと2時だったり 3時だったりして チョコチョコ目が覚めますが眠れています」という事だった。
今日は 始めからお財布を私に渡して来たので 会計時意識してお財布を利用者さんにお返しした。きちんとご自分で会計をなさった。
会計の金額も記憶しておいでだった。殆どの場合同じなのだ。

買い物もメモに沿って…。他に希望がないかを陳列棚を見て廻り 希望の物を購入して頂く。
レジ近くでお財布を渡して ご自分で支払って頂く。

「時々 おつりを忘れてしまうのよ」と言われた。
外出の機会が減っている事でそうなって来ていると感じた。

家に戻られてから キッチンカウンター越しに 昨晩 ケアマネさんに間違った電話をした事を自分から話された。
初めて聞くようにお聞きしていたら…。
「最近 何もする気が起きなくて…。でも 同窓生も似たような事を言っていた。大学教授までしていたのに…最近 施設に入られてそれからおかしくなったの。私もそうなっていきそうな気がしてね」と話され始めた。
「利用者さんは 頭がしっかりなさっておいでですから 面倒になっても少しずつ 小さなお買い物なさったり 外出なさって見てください。そうすると 勘が戻ってきますよ」と伝えた。
利用者さんは 家族に迷惑をかける事になる事を非常に気になさっていた。
「迷惑なんて思わないと思いますよ。結構 自分の勉強になるものです。ほんとに良くしたものですね」と言うと「そうかしら…」といわれ「買い物に出るようにして見ます」と言ってくださった。

活動を終えて家に戻った。

今日は 会議のため電車に揺られてお出かけ。
持ち寄りの課題も出ていた。
会議では 皆が揃うまでの間も 介護保険の話題で持ちきりだった。
かなり歪みが出てきているようだ。
家族会の運営もかなり苦戦するのは何処も同じ。
ある会が 賛助員とサポーター制度を取り入れたと言われていた。
介護職の方が賛助会員となってくれたり 友人にサポーターになって貰ったというお話に「そういう方法も有るな」と教えられた。

でも自分の地域で実現できるかは別問題。
人様のお金を預かると会計処理が面倒になったりしていざこざも起きやすいとも思う。介護しながらそういったストレスまで抱え込む事は辛い物だから…。それぞれ一長一短あるものだ。

持ち寄りの課題も無事終了。

今日は 話題びっしりだった。
終わってからも情報交換が続く。

どうも各自治体に運営が任された事により 措置時代に戻ったような感覚に陥るほどの出来事が起きている…と言う話が多かった。
エッ?何それ?と言うのが…。
「同居家族がいたら 家事援助はしない。同居でなくとも同じ敷地内で居を構えていると家族がいるとみなされ同様の扱いになる…」という驚くべき情報を聞かされた。
それが各自治体に広がり始めていると言うのだ。
「どうなっていくんだか…」


2006年04月20日(木) 添付されてきた記事(未完成)

メールに添付されてきた記事。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/060301.html

この初公判が昨日有ったそうで…。
地裁の裁判官が目を赤くし声を詰まらせ 刑務官も涙をこらえるように瞬きをして…法廷は静まり返ったとの事。

裁判で検察側が被告人に有利な情状酌量の冒頭陳述を行うのは極めて異例な事だそうだ。
このニュース こちらでは見られないし…報道もない様子。

メールを送ってくださった方 有難う♪

今日は事前に調べて置きたい事があって 包括支援センターに出向いた。
調べたい事の他に個人的に聞いておきたい事もあった。
電話を入れると空いている時間を教えてくださり その時間に訪問した。

オフレコがいっぱいで…日記にかける事は制限されるが…。
あまりにお寒い介護・看護環境でゾッとしてしまった。
そして 先日の在宅看護の集いに何故行かなかったか…と猛反省。
しかし 嘆いていても始まらない。
訪看もふくめ 地域外の利用を真剣に考えなければ…と思った。

介護保険の改正で利用をやめる人が増えていると聞く。
利用料が負担できないという理由だ。
病になっても病院にも行かない(行けない)人がいるように 介護保険も利用料が払えないからと申請しない人はいるだろうと言っていた。
「低額所得者は保護されると聞いたが…」と聞くとやはりボーダーラインと言うのが実に厳しいという事だった。

今までは本人の非課税額だけだったが 改正により世帯全員が住民税非課税で、課税年金収入額と合計所得金額の合計が80万円以下の方となった。

つまり 以前は本人の年金額のみで判断されたが…。
改正後は世帯全員の合計所得を合算しその額が80万以下の人が対象と言うのだ。同居している家族がいたら 軽減措置は絶望的で利用料の支払いは家族が捻出しなければならないのだ。
80万って月に直して6万ちょっと。
月に6万円ちょっとの収入があったら軽減措置はない。
でも利用料の負担は増すばかり…。
言いたくないけれど…貧乏人は限りなく黙殺されてしまいそうだ。

「デイに通える人は未だ良いのです。
家族会に出かけられる人も未だ良いのです。
申請できない人が埋もれている筈なのです」と言われた。
つまりは 一番最初に記した事が関係してくる。。。

介護保険開始時は利用者の選択出来た。
でも これからはいろんな制限があるので選択の幅がなくなる。
ショートの制限も出てくる。
お金のある人は良いけれど…ない人に取ってはきつい。

更に 暴言暴力のある人は サービス利用や入所出来ない事情が更に強まる。今までだって大変だったのに これからは失敗はケアマネの責任となりそのリスクを背負う事は命取りとなりかねないらしい。

ケアマネも追い込まれ 利用者も追い込まれて行く。

これで虐待が起きない方が不思議とも思えてくる。

病院も変わりつつある。
病気が有る事は苦痛だろうが 入院できる人は未だ良い。
今は 命に関らないと判断されたら入院なんてできない。
例え高齢者世帯であっても 退院を余儀なくされる。
昼はデイ等があるからいいが 夜間はどうだろう?
不運にもベットから落ちてしまって ベットに戻せない。
ベットから落ちても警備会社と提携していれば 飛んできてくれる。
でもその利用料は馬鹿に出来ない額だ。
ここでもお金。

介護保険って在宅介護のための物だったけれど…。
フルに使ったら 生活が成り立たないのが現状。

あ〜纏まらなくなってきた。
今の所 母に関しては何とかやっていけるだろうけれど…。
ギリギリの人たちは…どうして行くだろう。

未だすべき仕事が残っているので 途中ですが今日はやめておきます。
1人で地団駄を踏んでも仕方ないのですが…。
認知症を介護する人にこんなに差が有る。
楽に介護していると思うけれど「お手上げ!」と言いたい時も有る。
サービスの選択余地が有るという事は恵まれているのだと深くふかく自覚する一日となった。


2006年04月19日(水) 機嫌は上々。。。


 母はご機嫌だった。
何故かは判らない。
でも職員が今朝 頭髪を蒸しタオルを使って直してくれたみたいだ。
それでも 母の頭はボサボサだったので申し訳なさそうだった。
「水で濡らすだけの方がいいですよ」と伝えた。
頭が痒そうだったので ドライシャンプーをして頭髪をスプレーで濡らしてからヘアエッセンス(油)を塗った。
それから 昼食。
今日は残りご飯でオムライスを作り 後は長いもとトマトを持参。
施設の昼食は麦トロ。母はオムライスの方が好物なので半分強分けた。
やはり自分から箸を伸ばして食べていた。
後はカジキマグロ。今日のカジキマグロはパサパサ感がなくて食べやすそうで美味しかった。(ちょっと味見程度だけ貰った)
とろろはトロロ昆布のお澄ましに入れて食べて貰った。
長いもは 大を出やすくしてくれるので多めに切って全て摂取して貰った。
酷く息まないでもいい筈だ。

食事が済んでからリハビリ。
教育テレビの健康で認知症のお話だと介護仲間が教えてくれたので 今日はリハビリの見守りをせずにテレビを観た。
リハビリ中も居眠りをするほどゆったりしていたようだ。
「おかちゃん」が一言も出なかったそうだ。
そう言われてみて 私にも 一言も「おかちゃん」と言っていないと思った。

リハが済んだら 職員から「今日はSさんのお誕生会でお茶のみに外出するのですが参加できますか?」と聞かれた。
おめでたい事なので 同行させて頂く。
行き先は「お花屋さんのカフェ」
コーヒーとケーキとサンドイッチを食べた。
今日は お店を見渡せる向きではなく 顔見知りと向き合っての席だったので終始ニコニコ。お話にも「あはは」と幾度も笑った。
こんなに笑い続ける事は久しくなかった。
水の入ったグラスを紅茶の器に入れようとしたり…フォークの手の方を吸おうとしたり…いろんな場面は有ったが それは注意していればどうって事もなくて声をたてて笑ってくれる方が やっぱり嬉しい。

そこで入所ご家族から「近所の方がね…。認知症を遅らせるお薬を飲んだら
暴言が酷くなって 同居していた家族が逃げ出してしまったの。どうしたらいいんでしょうね?」とお話された。

この事は お祝いの席にはふさわしくないので 施設を出てからゆっくりとお話した。
「他にお薬飲んで居ないの?」と聞くとどうやら別のところにも通院なさっておいでという事だった。
薬の関係かも知れないし ひょっとしたら脳血管やアルツ以外の病かも知れないし…と伝えた。
進行を遅らせる薬は 精神科で処方された様子。
という事はCTやMRI検査も済んで居る筈で…。
でも病の特定は専門といえども 難しいと聞いている。
現在1人で過ごされているが大丈夫だろうか…。毎日のように家族に電話してきて家族は電話に出るのも嫌と思われている様子だという。
「ご家族のショックあると思うので…あまり責めない方がいいかも。
民生委員さんか役所に連絡して事情を伝え ヘルパー導入してみたらどうでしょうね」と伝えた。
経済的な事を伺うと余裕ある暮らしの方だったので…暫くは大丈夫だろうと思われた。
しかし ご家族が別居なさる折 お財布を全て持ち出しておられるという事でどうなって行くかが気になった。
しかし 入り込めるのはここまでだ。

話しの流れで 最近ご家族のお金持ち出しが多いという話しになった。
後見人となっても本人のためにお金を使う人だけ出なくて…お金を残して遺産として受け継ぐ…という事も現実には起き始めているようである。
なかなか難しそうだ。

さてと 今日も排泄誘導率は完璧。
今日のような上機嫌の日がいつもとは限らないけれど…こういう日は 母も私も快適だ。


2006年04月18日(火) 畑仕事


 お仲間から「畑になすとトマトの苗を 置いておいたよ」と言う留守電に
朝から畑に出向く事に…。

種まきはボチボチと始めており 大根が双葉を広げた。

じゃが芋は 10センチ位に伸びた。
3種類のじゃが芋なので 芽の出方や葉の色も違っていて面白い。

水菜も種を蒔いたが 未だ芽が出ていない。

ニラは3回目の刈り込みをした。
ニラの花を食べたいので 植え替えをして間隔を広げたいのだが 未だ出来ていない。

ルッコラや葱は 種を取りたいので花を付けさせるまで育てている。
ルッコラも頂いた物と種を取って蒔いたものと買った種があるせいなのか 葉の感じが少し違っている。

今日は ブロッコリーとカリフラワーと葱の最終の収穫。
冬の間 放置していたのに…家で旬を楽しめる位の量は確保できた。
土と水と日の光に感謝。

土を掘り返す度に ほど芋が出てくる。
かなり収穫したのだが…予想以上に土の中に広がっているようだ。
小さなイモで数珠のようにつながっており 茹でるとぽくぽくとして甘い。

ナスやトマトは連作が出来ないので 場所を思い出して植えた。
土を石灰で中和させ その後 鶏糞も混ぜて 暫く経過しているので今日は植えるだけだ。
小さな菜園なので 植える場所も少なくて…。

今日は ついでに五月菜としゅん菊の種も蒔いた。
少し遅めかも知れないが…。

今日の夕食は葱やカリフラワー。
葱は肉で巻いて天麩羅。カリフラワーは 海老とホタテとの炒め物でドレッシングをかけた。
しかし 葱の天麩羅は家族には不評。
カリフラワーは 大概残ってしまうのに 今日はみんなの口に合ったらしく
残らなかった。

これからは だんだん 畑の仕事も増えてきそうだ。


2006年04月17日(月) なかなか厳しい…


利用者さん訪問。
今朝は 朝食の後片付けまで済んでいた。
鉢植えに水遣りしながら お話を伺う。
「今日は 帰り際に浴槽にお湯を張ってください」と言われた。
それから「家族が運動が足らないと言うのでお散歩もしたいです」
「シチューも食べたいです」「厚揚げも使ってしまわないと…」
「買い物は…」
「はい。冷蔵庫をみるとシチュー用の肉がないです。パンもないですね。
後は お店で決めましょうか?」
「そうします」
という事でお買い物同行。
歩き込みが少ないせいか 信号を渡るのに道路中ほどで点滅から赤に変わってしまった。信号は ひとつ待ってから渡ったのに…。

レジに並んでいたら「入り口で待っていますから…」とテクテク歩いていかれた。いやぁ参った。お財布預かってないのだ。
幸い 少し待つようだったので利用者さんを追いかけてお財布を預かった。
良くないなぁ〜。会計の時は 自分でやり取りなさった方がいいのになぁ〜。ちょっと やり方考えなくてはと思う。

戻って 頼まれた調理を済ませ お湯を張って 今日の活動を終える。

家に戻ってから 母の所に出向いた。
母はテーブルに向かって座っていた。
顔を見つけるとニコニコ。
トイレ誘導。既に出た形跡があったが 予告通り出た。

それから 着替えて外に連れ出した。
「遊びに行こう」と言うと嬉しそうな表情。
ところが バスに乗った途端「あの人 大きな声で何をおしゃべりしているの?」「どうして 私を見ているの?」と他人の事がとても気になる様子。
外の景色に気持ちが移れば良いのだが どうしても声のする方が気になってしまうようだった。
終点まで乗っていられるかと気になったが何とかトラブルなく終点に着いた。それでも 人の視線がかなり気になる様子で「どうして?…」と周囲の人を睨むように見ていた。
きっとバスに途中から乗り乗客も大勢で 足のふらつく母を気の毒そうに見られた事が嫌だったのかも知れない。
 
昨日今日と母自身の記憶がつながらないようで不安そうに見える。
終点について「○○(故郷)じゃない」と怒ったりもした。
何かを聞いても「判らない」を連発した。
幾度も来ている場所ですが 記憶から消えてしまったようだった。
「大丈夫よ」と声掛けしたが「何が大丈夫なの?」と言われ「そうだよな」と一人納得。
母の気持ちを落ち着かせると言うより私自身を落ち着かせる為の言葉だったのだろうなぁ〜。
「大好き」「だいじな人」「傍にいてくれて嬉しい」と安心できる言葉を矢継ぎ早に使ったら
「嬉しい」が心に留まったようで バスが来れば「嬉しいがきた」お店を見ては「嬉しいがある」と
出るわ出るわ…。

見知らぬ人にも聴こえるだろうし…機嫌悪そうな言葉よりも 耳に優しい言葉の方が安心だったりもしたので「そうね 嬉しいねぇ〜」と呼応していた。

帰路のバスは 一番前の座席にした。
外の景色に視線を移して「綺麗だ」と言っていたのでホッとした。
施設が近くになるに連れて落ち着いてきた。
バスを降りた時 母の安堵したような表情に「安心した?」と聞くと深く頷いた。
施設に付いた時もホッとした表情で「判る?」と聞くと「判る」と呼応。

これまでは 私と一緒だと安心と言う感じだったが…。
更に記憶が途切れてその修復を計ろうとして 私の存在が見えにくくなっていたのかな?


2006年04月16日(日) 伝わってくる事


母は ニコニコ笑顔で迎えてくれた。
向かい側に座っている人に私が来た事を伝えていた。
向かい側の人は 何を言われたのか理解で来ていない様子。
それで そうっと頭を撫でたら ニコニコと笑顔を見せてくれた。
今日は いっぱいお話ししてくださっていると職員は話されていた。
良かった。一時は言葉も失い トロトロ居眠りが多くなってたので 喜び一塩である。
母も 何となくそれを感じ取って話しかけていたのだろうと思う。

トイレに誘導する。
母は「トイレ行く」と言ったが トイレ迄行くと「怒られる」と哀しそうな顔をした。
空ける前から 状況がわかったので そ知らぬ顔でパッと早業でパットを外した。「ここに…何か…」と母は言ったが「何かある?」と聞くと「ない」と言っていた。
誰も怒ったりはしてないと思うけれど…幼い頃の思いが甦るのか はたまた良くないと思っているからなのか…?
その後予告通りに排泄。

居室で 故郷の教会から送られてきた母宛の荷物を渡した。
普通なら 差出人が教会とわかってくれるのだが…今日は判らないらしく「?」と言う感じだった。
包みを解いてみたらイースターのカードと故郷のお菓子が入っていた。
「イースターだよ。判る?」と聞くとコックリ。
そこでお祈り。母は涙を零した。
教会にもなかなか行けないけれど…でも母にとって一番大切な方である事を忘れていない。私も母の唯一の頼みごとだけは 守って上げられているとホッとした。

お菓子は 母に持たせて「みんなで分けてください」と職員に渡しておやつにみんなで食べた。

母を居室に座らせていると「面白くないんだもの…帰る」と独り言を言っていた。
他にも「これから家に帰る」と言ってから「行けないんだもの…」とワッと泣き出した。「1人では判らない。どうせ帰れない」とも言っていた。
一気にそういう話をした訳ではないが 合間合間の話を繋ぐとそうい事だ。

勤務の職員をみて「あの人誰?」と聞いてきた。
いつも居る人だって判らないんだなぁ〜と感じた。

教会の事も判らないと言う位だから 記憶が飛んで訳がわからなくてクレバスの中で不安になっているだろう事は想像できた。

こういう事がより一層理解できるようになったのは やはりアルツハイマーの方のブログを読ませて頂けているからである。
今までは 想像していたのだが(いや今だってその域を脱してないのだが)
より具体的にそうなんだろう…と感じるようになってきた。

私の事も判らないのは当然だが 以前に言った「私の一番大事な人」として未だ理解できているんだろう。

「外に出る?」の聞くと怖がった。
一度「行く」って言ったので エレベーターホールに出ると「行かない」とくるりと後ろを向こうとした。「判らないから」と。
母の一連の言葉や動作に一貫性がなくなっている時母の言葉が理解できなかったりしたが 今 どういう状態かがわかるようになり 言葉の意味も記憶に留まるようになってきた。
以前なら「疲れているかだるいのだろう」と思っていたのだが…。

それでも私が一緒だし 外に出た方が母には良いという事は判るのでお散歩に出た。
風が冷たくて母は嫌がった。コースを変えたら気持ちが変わったようである。お散歩に歌が付き物だったが この所母は時に歌詞を思い出せなくなって限られた歌しか唄えなくなってきている。

それでも 歌い出すと涙を零して歌う。

歩く事は嫌がっていないが とても寒そう。
お店に入りたがったが お休みで入れない。
母は残念そうだった。

寒いのに玄関を入るのを躊躇う。
「あと少し歩いた方が良いか」と歩き出したら「寒い。帰る」と言うので再度施設の玄関の前に行くと今度はスムースに中に入った。

ホールに足を入れると職員が出迎えてくれた。
「どうも 今日は記憶がつながらなくて不安な様子です」と伝えると職員も理解してくださった。

居室でお茶を飲んでトイレに行くとこれも成功。

それから 紙風船で遊ぶ。
暫く遊んでから 施設を後にした。
玄関で靴を履いていたら 職員が母やみんなと遊んでくれて居る声が聞こえてホッとした。
母の様子を伝えて良かったわ♪


2006年04月15日(土) いいのかな?


朝から外出。
1日外を歩く。
昨夜は遅くまで音楽を楽しみ…今日も自分の事で動きまわる。

贅沢だと思う。
が 何処かで後ろめたさが残ってしまう。

あまり いい状態ではないのかも知れない。
自分が消えてしまったような気がする。
楽しむ時は 思い切って楽しんだ方がいいんだと思う。

母が安定しているからこそ出来ることなのだから…。



2006年04月14日(金) 新日フィルへ…


利用者さん訪問。
生きがいデイとスポーツジムをやめられた利用者さん 運動量が減り始めた。介護保険の認定が出るまで あと少しだが 大丈夫かと気になる。
ご自身も気になっているようで「今日はお散歩したいです」との希望だった。

散歩とお買い物と調理。
この所 利用者さんは買い物チェックリストを準備しなくなった 
ヘルパーさんが変わって 調理もしてくださるようになったが 買い物はしていない。だから いつも冷蔵庫が空っぽになっている事が多い。 
だから 何を作るか そのためには何が必要か…考えなければならない。
その上 散歩コースも…。

おそらく もう少し落ち着けば ご自分であれこれと計画を立てられるようになると思うけれど…今の利用者さんは 自分がどういったサービスを受けどういう生活サイクルなるかが気になっておいでなのだろうと思う。
後暫くは こういう活動になるのだろう。

今日は お散歩が先か買い物が先かと迷いながら…。
だから コースを利用者さんの流れに任せてしまった。
お店に入られると思っていたら「さて どう廻っていきましょう」と聞かれてお散歩が先とわかった。
出かける前に きちんと伺っておけば良かったと反省。
散歩で一回りして 近くのスーパーでお買い物を済ませ。
戻って調理。
時間内に活動を終えた。

家に急いで戻り 生協の荷を受けて母の所に向かった。
母はみんなとテーブルを囲んでいた。
顔を見るとニコニコ。
トイレ誘導し小も大もめでたく…。
しかし トイレでかなり粘った。

それから散歩に出た。
川べりの桜はもう散り始めていて…。それでも 新たに八重桜が咲くのでは…と裏手に廻った。
白っぽい八重桜は 咲き始めていたが 濃い色の八重は未だ蕾だった。
母と二人で 見上げながらテクテク。
考えれば ひと月前には ここまで出てくる事も無理で それもかなり息を荒くして苦しそうだった。
今は 次第に左側に傾斜してくるが それでも足は達者。
小山だって 意欲を持って上る。
右手を構えて 意識して腕を振って上ろうとするのだ。
今日は 途中で止まる事もなかった。
母は小山登りで学習を重ねている。
私は片手しか出さないが 大変だと感じると自分の方から両手を使って手繰りついてくる。私は力は出さない。母自身の判断で 手繰りつきを強めたり弱めたりの調整をする。
たった数メートルの小山上りだけれど 母なりに考えて居るように見える。

今日も帰リ道 隣の中華料理やさんで「ラーメン」
母はおいしそうに食べた。母と半分子だ。

施設に戻って 少し遊んでから家路に着く。

今日は またお出かけ。
新日フィルの定期演奏会へ。娘がまたチケットを取ってくれた。

出かける直前まで どうしようと悩んでいた。
会場を間違って覚えていて 思ったより遠かったのだ。
チケットを無駄にしたくないと思い 出かけた。
素敵な演奏で 気分一新。


2006年04月13日(木) アンチエイジングを考える。(後日書き足します)

つもりだったけど、
今日はめんどくさくなったんだって。

呆けちゃったかしら?

そういえば今朝、今更コエンザイムがどうとか言ってたなあ。
と言う訳で…また明日とのこと。

帰宅した、はな娘。
ゆべしを食しながら代筆。(合掌)


2006年04月12日(水) 低気圧の影響?


 お弁当を作って母の所に出向く。
お弁当は 自分の分だが 母も食べられるようにおかずを多めにした。
今日 分けてあげたいのは 生たらこの煮付け。
案の定 母の箸はたらこの煮付けに動く。
母が好きなのは 千切り大根と白滝と生たらこを解して煮付けたものなのだが…。たらこを解すのが面倒になって たらこだけを煮付けた。

今日は 入所者の皆さん 一応に箸が動かない。
施設の昼食は「若芽の味噌汁 鳥から揚げの大根おろしがけ キャベツと青菜の辛し和え 炒り豆腐」彩りはとても綺麗だ。

でも 何だかみんな食が進まなくて…。
ご飯だけが残ってしまったりだった。
母の副菜を味見すると 全体に味が薄い。
から揚げは単品だけなら 程よいのだが…。ご飯と一緒にだとやはり塩気が足りないように思った。
栄養士さんの方針で減塩食を徹底させていると以前伺ったことがある。

塩分だけのせいではなくて 湿度も高く気圧も下がっているから…そういった事も影響しているのかな?
怒る気力も湧かないのか…施設内はほんとに静かだった。

リハビリが始まった。
今日は 肩の関節の痛みがあるようで 姿勢を変えずにリハビリを受けた。
少しウトウトしていた母。
療法士さんに介護保険の影響を聞いてみた。
送迎の費用を取らなくて 介護保険が低く抑えられたが リハビリの項目で料金が設定出来るのでトントンかなと言われていた。
介護予防の枠の人が徐々に増えてきているとも言っていた。

リハビリは やはり 生活の中に取り入れるのがよいそうで そういう体制を取れるように本人及びご家族に勧めるそうだ。
病院では リハの手順を教えるが家庭に戻ってからは リハビリだけを続けるのはかなり難しいという事だった。
飽きが来る…のだそうだ。

リハが済んでからお散歩に出た。
バスに乗って行こうと思ったが バスを待っている間にじっと立っているのが辛くなったようだったので 近場を歩く事にした。
最近は 片手若しくは腕組でお散歩できるようになった。
危ういと思う時はやはり両手での介助だ。
母自身も体勢が不安定になると自分の方から両手で掴まる。
母自身の希望に合わせながら取り組んでいる。

母の今日の言葉は そのものずばりではなくて含み言葉が多かった。
例えば おしっこは水。大は塊。そんな調子の話し方だった。
また 話そうとして言葉が出なくて言葉を飲み込んでしまうこともあった。
ただ タンポポが目に付いたようで はっきりと「いっぱい タンポポ」と言え「綺麗だ」とも言っていた。
それだけ言えればいいだろう。

ご飯はあまり進まなかったが(全量摂取はしている) 果物やケーキやお茶は喜んで積極的に食べていた。
体調が悪い訳でないので安心できた。

言葉での表現が更に難しくなってきているので 食欲や機嫌は 体調のバロメーターともなるので 注意しておかないと…。

排泄は 全て成功。ただ 大きい方は 昨日も出ていないようで…。あと一息と言った所だった。

雨が上がったら蒸し暑くなって 汗が滲むお散歩となった。
公園での小山の上り下りは 片手でも出来た。後半は 疲れて上る事に苦労していたが「頑張れ」という声援に応えてくれた母。有難う。

しかし かなりくたびれた様子。
これで電車の移動は問題が多そうだ。 


2006年04月11日(火) 探し物をしてたら…


 母は帰宅願望が強かった。
ピーク時は 1日に百回以上。
日記にも折に触れ書いて来たが…。
編み物に夢中になっていても 時計を見て「あら 家に帰らないとおかちゃんに怒られるわ…」だったり。
お腹が痛くなってくると「長々と御世話になりました。これから 家に帰ります」とか。
夕暮れ時に ソワソワとし始めて「帰るはぁ〜」と始めたり。

そういう時は 出来る限り母が夢中になれるものを準備。
玩具のバトミントンだったり 紙風船だったり ビーチボールだったり。
塗り絵だったり 刺し子だったり 編み物だったり。お散歩だったり。
食事前の時は 食事の支度の手伝い。
野菜洗いだったり 皮むきだったり 切り方だったり…。
調味に関る事はないが 味見の役目も担っていた。
コロッケや餃子の時は こねる仕事。
丸める時は テーブルについて一緒に取り組んだ。
「上手ね」と感心を示したら「手伝ってよ」と御願いした。
手伝って貰わない方が早いのだが 何もしないで居ると違う世界に突っ走り始めない為の予防策だったりした。

帰宅願望が見えてくると…。
「今 忙しくて送って行けないので 誰かに迎えに来てもらった方がいいよ」と先手を打つ事が多かった。
すると「紙と鉛筆頂戴」と催促されて…
下記のようなお便りを書き始めるのだった。

これは きっと母親宛だと思う。

「今日は 日曜日で皆お休みですが 私は 家に帰りたくてたまりません。
でも 1人で帰れません。
もう 混んでゐて 1人で行くにのに 大変でせう。
それで 明後日帰ろうと思いますが それも億劫です
   …途中で終わったようだ…

これは きっと息子宛と思う。

毎日暖かくって好い日が続(旧漢字)きますね。などと喜んでゐると 突然雪降りが続いたり 明日あしたと心待ちにする日が続きます。
やっと天気になりました。でも東京だけの事せうか。
そろそろ 帰りたくなりました。
大変迷惑をお掛けして申し訳ありませんが 迎へに来て戴き度いのです。
ほんとに ご迷惑ですが明後日あたり迎えにおいで下さい。
御迷惑誠に恐れ入りますが迎へにおいで願いたいと思います。


これは はがきで 宛先は 現実にはない母の実家。 母親宛の者。

大変久しくご無沙汰したようです。
○○へ帰へらうと思って汽車時間を聞きますと 今直ぐでは行けない 少し時間をおいてからにしなさいと云われました。
命にさしさわるとおどされて びっくりしてあやまり 急に考へるの悪い事を知りました。好くよく考えて 近日中帰へります

これも母親宛の手紙

毎日 寒い朝が続きます。お元気せうか。
毎日 寝る時 そして 朝起きた時に おかちゃんを思い出してゐます。
私は相変わらず元気です。ご安心ください。
でも 寝起きの朝 寝る時の夕などおかちゃんを思い出して居ます。
朝寝坊は まだ 直りません。
でも どうにか起きて元気ですから御安心下さい。
いつ ○○に帰れるか その日を待って居ります。
こちらでは ○○より暖かい朝を迎えて居ます。御安心下さい。
毎日の朝の生活は おかちゃんは 相変わらずでせうね。
暇があったら 御手紙下さい。
少しづつ こちらの生活になれてゆきます。

これは 母の叔父宛。
母は一人っ子で 父親が早く亡くなったので 祖母の弟が父親の役目を果たしていたようだ。

随分御無沙汰致して居ります。
いよいよ明日○○へたちます。
すっかり御世話になりました。
朝 ここを発ちますが 何しろ1人で発ったものですから 途中心配です。
無事に汽車に乗る事が出来ますように祈ってください。
では 明日を待って  
        
  ○○叔父上様
               ××

 無事に○○のお家まで着くよう祈って戴きたいと願って居ります。

お便りを書き終えると数時間は「帰るはぁ〜」は消えるが 終身時になると復活したりで…朝方まで続くことも多かった。

母親や叔父に向けての便りは 中期になってからだと思う。
初期から中期のはじめ頃は 未だ 弟や母の友人に向けて書いていた。
しかし そういう時は文章に出来なくて 母の気持ちを聞き 書いていく順番をメモにして渡していた。

けれど 母親や叔父や息子に向かってのお便りは 自分で考えて書いた。
お便りを書くという行為は 文章を作り上げる訓練にもなったが 気持ちを静める効果もあったのだと思う。

あの頃は 母親が生きていると思っている事が多かった。
今 母親の話を向けると「もういない」と言うのだ。

手紙の文字は 現役だった頃の片鱗が残っていた。
今 文字を書く時はかなり考え込む。ひらがななら何とか書けるかな?

そうそう 不思議な事がある。
母は 父をとても大事に思っていたし頼りにしていた。
それなのに…父に手紙は書いた事はない。
亡くなった事を理解しているのではないかと思ったりする。
それとも 母は 父と出会う前にタイムスリップしたままなのかな?

探し物をしていたら 数年前の母の手紙が出てきたので 記憶を遡って見た。


2006年04月10日(月) 初めてかな?


利用者さん訪問。
久しぶりに「はぁ〜い」と高いトーンの声がインターン本越しに聴かれた。
調子戻されたかな?

ご家族が 最近怒らないそうだ。
「しっかりしてくれよ」と励ますように言ってくださるそうだ。
スポーツジムをやめたら すっかり外出が減っている事を心配なさって居られるようで「今日は 外に出た?散歩しないと 呆けてくるよ」とも言われるらしい。この辺までの言葉掛けは 割りに気にならない様子だ。

ご家族は お風呂にお湯を張っていかれたそうだ。
きっと 先だっての面談で 利用者さんと買い物に出かけた時 説明を受けられたと思う。
スポーツジムをやめられたので 入浴も家のみとなったので ご家族も配慮なさっているのだろう。

「昨日 テレビを見ていたら 歩くのに優しい靴があるそうですね」と言われ それを購入したいと言うお話だった。
買い物に出たついでにデパートに寄ってみた。
しかし 見た限りお好みの靴はない。
お持ちの靴も 十分歩きやすい靴。
後は スニーカー型の靴になるのだが どうしても馴染めないのだ。
母も スニーカー型のシューズは どうも嫌みたいで いつも利用者さんと似た様な靴である。

「紐があってもファスナー付きも有ります」と店員さんは勧めた。
利用者さんは 履いて見られたが いつも立ったまま靴を履かれる事を思い出し「無理ではないでしょうか?」と伝えた。
利用者さんは「?」と言う顔をなさったので「ファスナーをしめる為にかがまなければならないのでは?」というと「そうね」と納得なさった。
「今お召しの物は 歩きやすい靴ですよね」と店員さんに言うと「そうですね」という事で 今日は購入せずに戻った。

他に野菜や魚等を購入し戻った。
後はいつものように調理して お風呂にお湯を張って終了。

午後は母のところへ。
母は 今日は頭がボンヤリしている日のようで反応が遅かった。
「頭 はっきりしない?」と聞くと「うん」と言っていた。
雨も降り出したし 母の手足も冷たいのでお散歩は断念。
居室で持ち込んだものを食べてもらう。

その後居室でキャッチボール。
「五月蝿い」という人がいるので 遠慮していたのだ。
始めは50センチ位離れて…それから徐々に離れる距離を延ばして 3メートルくらいまで離れた。
離れる度に「そんなに…」と言う母だった。
が見事なコントロールでボールを返してきた。
母は一球入魂でもするように 掌でボールを転がし息を吹きかけてから投げていた。
とうとう 居室のドアを開けてキャッチボールとなった。
すると職員が 他の人も呼んでくださり みんなでキャッチボール。
おやつを挟んでキャッチボールは続いた。

いつもなら「五月蝿い」と言う方も 今日は「私 得意なの」と満面の笑みでボールを投げた。
フロアの女子全員が皆でキャッチボールを楽しめた。
朝から「肩が痛い」と寝ていらした方も ボール投げを楽しみ「あれ 肩大丈夫?」と聞かれて「全然 痛くなくなった」とご機嫌だった。

みんなで機嫌よく楽しめるって きっと始めてかも知れない。

母のトイレ誘導は全て成功。



2006年04月09日(日) 友人と…


 待ち合わせの場所に滑り込むと友人は未だ到着していなかった。
「時間は 気にしないで…1時間は待てるから…」と昨夜伝えておいた。
15分ほどで彼女は見えた。
ひと月に数回 はがきが行き来しており 電話でも話すので「会っていない」と言う感覚はないのだが…。
出合った時に「あれ 髪短くなった」と言われて 大分 お会いしてないのだと思った。
短くしてから もう4.5年は経過していて 自分の中では 長い髪だった事はもう記憶から消えかかっていたのだ。

最初の話題が…。
娘同士の情報交換から伝わっている話だった。
彼女とは もうかれこれ 25.6年来の友人である。
この時代のお仲間が4人いる。
女の子1人と言うのが3人で あと1人は男のお子様2名。
最近 この男子2名のお家で めでたく結婚という事のなったのだが…。

この方が 私と今回会った人以外の方に「いやぁ〜 ○ちゃんと△ちゃんと◇ちゃんは 一生結婚しないんじゃないかなぁ〜」と言われたのだそうだ。
(○、△、◇は うちの子も含む娘たちである)
この数年 娘の事は「仕事が忙しくてね」と伝えてはあるが 毎日の生活等は特別話していないし ましてお会いしても居ないのだ…。

普通 年頃の女の子の親に向けてこういう事は 言わないでしょうに…。
噂ならまだしも娘のお母様に…。
若し 必死でご縁を探しているとしたら…大変な言葉である。

娘たちはそれぞれ 楽しんでいる事もあり 「というか 早くない?勿体無くない?」と言う反応である。
でも やはり 人様から見たら…そう見えるのか…と改めて思った。
かといって 焦る事もないし マイペースで幸せの道を探して…とそれぞれの親は思っている。
結婚が全てとも思わないし…こればかりは ご縁と当人の意思の問題で…。
親としては 幸せな結婚をして欲しいと思ってはいるのですが…。

と言う訳で 最初はこんな話しで 盛り上がってしまったのでした。

今回は お宿はご親戚の方が準備下さったという事で 我が家へのお泊りはなし。

彼女は 昔の洋服を今風に手直されていた。
とても器用な方なのである。
素敵な仕上がりで 私には真似できない。。。
私は ジーパンにブラウスとシンプルに。

沢山お話したけれど…。
印象深かったのは…食事の支度の事。
彼女も私もお料理を楽しむ方だ。「季節を取り入れて 美味しい物が食べたい」派。
ところが 最近 省略が目立つのだ。
彼女は 仕事して戻ってご主人と二人なので「今日は疲れたから…」と省略。私は「食べるかどうか判らないし…残っている物もあるし…」と省略。
これが 何とも情けなくて自己嫌悪に陥ってしまう…と言うお話である。
一応 栄養のバランスだけは 気を使っているけれど…。

でも 彼女のがんばる所は 週末には必ずパンを焼かれる。
時折 こちらにもおすそ分けがはるばる届くのだが…。
これが 美味しい。
美味しいパン屋さんと言えども 彼女のパンの美味しさには叶わない。

ぺチャぺチャおしゃべりしながら 麻布界隈を散歩。
彼女のためにパン屋さんも廻った。
「ここ」と思ったお店でクロワッサンを購入。
彼女は おいしいと思われるお店ではクロワッサンを買い 試食して味比べするのだそうだ。

それから ヒルズに出向く。
初めて 説明つきで周囲を歩く。
これが 恥ずかしかった。
申し込んだのはいいけれど…。説明を聞き易いようにとイヤホンを耳に。
胸には 迷子にならないようにとプレートを下げる。
「おのぼりさんだね」と二人で苦笑してしまった。

しかしメリットは多かった。
2000円で 散策案内と300円分の食券を貰えて展望台と美術館にも入れた。
展望台の広さも相当のものだった。
ヒルズができた頃は 行列で何時間も待たなければならなかったが…。
今は スイスイ。人も多くなくて…。
美術館も広かった。
展示されていたのが 「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」

「日本におけるドイツ年」の最後を飾る大規模展「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」は、日本とドイツそれぞれの首都である2つの都市間で、19世紀末から繰り広げられてきた文化・芸術的交流の軌跡をたどる展覧会です。二度の大戦、大地震、高度経済成長、イデオロギーの崩壊、不況など、両都市ともに崩壊と再興を繰り返してきた20世紀、美術の歴史に限らず、建築、写真、デザイン、演劇など幅広いジャンルで多くの興味深い交流や接点がありました。展覧会もその歴史を追いながら11のセクションに分け、約500点をご紹介。

戦争や震災での変化…そこから現代までつながっていて…。
生まれる前の事とは言え 多少は映像の記憶などもあり興味深く観覧できた。友人も同様だった。

年代的に母の生きてきた歴史に近いと思った。
母も連れてきたら面白いのでは…と思った。
来れるかな?

ヒルズから麻布界隈に戻って 予定のお店でお食事。
ほんとは 麻布の温泉に入る予定だったのだが 展望台と美術館で時間がかかってしまって諦めた。

彼女は空港でお子様やご主人と待ち合わせなので大門まで送ってお別れ。
もう 今頃はお家に着かれている事だろう。

私は歩く事が当たり前の毎日だけれど 彼女は車を使うし10分かかると思うと車に乗ると言われていたので…疲れているだろうなぁ〜。

と言う訳で 遊びほろけました。
明日からのエネルギーを蓄えました。


2006年04月08日(土) ひと月過ぎれば見えてくるかな?


今朝の朝日新聞の投書欄には介護難民を生む療養病床廃止が投稿されていた。せめて 要介護度4.5の重度の人だけでも介護保険で療養病棟に入れるように…と締めてあった。
社会的入院が多い為の廃止なのだろうけれど…。
間には 社会的入院と言いきれない方も居られるのだ。
また 診療報酬改定「リハビリ中止は死の宣告」という記事もあった。
この改定も医療費抑制を目的としたものである。

財政難と言う理由で 介護保険も医療報酬も改定されている。
でも やはり納得できない。
認知症が進行して行くといろんな機能が衰えて行く。
そのきっかけが 骨折だったり梗塞だったり 風邪をこじらせたり肺炎だったり…。
一度衰えるとそこからの快復は ほんとに難しい。

今回の介護保険の改訂は 介護予防で能力維持を努め介護保険利用を先延ばしして 介護保険利用者の抑制すると言う目的だ。
でも 予防のプログラムは現場では出来上がっていないと言う話をアチコチで耳にする。
筋トレのトーンは大分下がったが それでも何等かの設備が必要になってくるのじゃないかな?
そこに予算を注ぎ込む?

以前役所の説明会でも質問したのだが 実は要介護3.4.5の人だって寝たきりにならないような対策も介護保険利用の抑制につながると思う。
寝たきりは 作られる…とよく言われるが…。
寝たきりにならない為のプログラムだって必要だと思う。

施設でも同じだ。
これから 療養型の病院がなくなれば 特養だって管理料金が派生してこないだろうか?
ちょっと目にしたが 末期の人のために個室を準備しそちらに家族も一緒に介護出来るようにする…みたいな事が書いてあった。
そういう時には 個室料金等も加算されるだろう。他にも特別な管理もなされるのだから…そこにも管理が加算されるだろう。

考えて見ただけでも やはり利用者負担がどんどん増えてくる様な気がする。年金世代は お金があるから…と言うけれど 

ケアマネが適切な計画を立てて 介護度が軽くなったら報酬が出るという事だが…。

昨日 利用者さんが「スポーツクラブは解約しました。生きがいデイもやめました」と言われた。
やはり 監視されているような状態になっていく事で行動を抑制していくようである。
認知症の人が引きこもって行く…と言うのは 病のせいと言うよりもそういった監視されるような生活のせいではないかと感じたりもする。

認知症と言う病の理解は 本当に浸透しただろうか?

あ〜書き出すとあれこれ止まらなくなってしまう。
明日は 友人と会うのでそろそろ就寝しないと…。
北海道から昨日出てきたのだ。
今日は 案内する所を決めて 帰路の飛行機に間に合う時間を逆算して予定を立てた。出来れば 温泉なんかも浸かれたらいいなぁ〜なんて考えている。


2006年04月07日(金) 雨がポツポツ…


暫くパソコンの調子がイマイチで「?」
掲示板には 入り込めなくなっていた。少なくとも今朝まで…。
が 何もしていないのに…元に戻った。
さくさくとページも開けるようになった。「何だったのだろうか?」

今日は利用者さん 訪問の日だ。
とても気になり 少し早めに訪問した。
チャイムの音が出ない。ドアは開くので 大きな声で挨拶して中に入った。

利用者さんは テレビを見ながらお食事中。
「今朝 ゴルフの中継があってね。それを見てから食事の支度をしたものだから…遅くなってしまって…」と話された。
それから30分程 先日の介護保険申請の時の不満を話された。
私は その間一言も発しないで ただただ 頷きながらお話をお聞きした。
ご不満は 聞き取り調査のやり方のようだ。
介護保険のポイントになる「立ち上がる動作」の時ベットに寝てもらい 起き上がる様子をかなり細かく実行させられた御様子。
「何だか 見張りされている気分になってね。とても嫌だった」という事だ。

母も面談調査の時には 立ち上がりを見られる。
今では 言葉で言わなくとも居室からの移動の様子を見てもらえば一目瞭然である。
初回の面談も 通所しているデイのケアマネだったので「ごめんなさいね。ちょっと立って貰えます?」と母の嫌がらないように動いてもらうように配慮していただけた。

介護保険が改正されて 担当ケアマネの調査は出来なくなった。
出来る事なら 調査に入る前に調査を受ける方の性格や注意すべき事をケアマネに聞いてくれればいいんじゃないかな。
 
今回 動きを見る時にどういう説明をなさったのか見ていないので何とも言えないが…。
少なくとも 申請後 サービス利用になる訳だから 嫌な気持ちにさせない工夫も必要だろうと思う。
これで印象が悪いと「デイやヘルパー利用をしたくない」と言う気持ちにさせてしまうのではないだろうか。
家族が一番気になるのは サービス利用への移行がうまく行くか…なんだろうと思うからだ。

今日は通院介助がご希望なので 30分経過した頃に「お支度なさった方が良い頃かと…」と準備に掛かって貰った。
その間に冷蔵をチェックして 簡単な調理に取り掛かる。
「戻ったらお風呂に入りたいのです」と言われたので タイマーでお湯を張って出かけた。
歩きながら 介護保険調査の説明をさせて頂く。
利用者さん 納得してくださったようでホッとする。

診察を終えて 会計と処方箋を頂いた。
その時に薬の確認をしたが 利用者さんの服用の仕方は間違っていなかった。やはり 身体的な状況で違ってくるようだ。
2週間に一度の血液検査を受けていらしたのは きっと状態をチェックしているからだろう。
ちょっと 安心した。

帰路にお買い物を済ませて戻った。
今日は買い物後 先に帰られることもなかった。

ご飯を炊いて おかずを3品作って今日の活動を終えた。

家に戻ってから 母の所に出向いた。
テーブルに付いていた母は「困った」といわんばかりの目で訴えていた。
直ぐにトイレ誘導。
出て時間を経過している様子。でも 便器に座ったら待っていましたとばかりに小水が…。それで 終わる事はなくて…大もしっかり。
訴えるような目は 言えなくて困っていたのだろうと思う。

職員が入浴させてくださるというので御願いした。
脱衣室まで同行 服を脱がせ始めると「嫌」と言う拒否。
母の思いを尊重しながら 脱いでもらった。

入浴中は 入所者のおやつとなり皆とテーブルを囲みワイワイとお話した。

母がお風呂から上がって来たので 髪を乾かしてあげた。
職員にこちらで乾かすから…と御願いしたのだ。
最近の母の髪の毛 少し細くなった見たいで パーマをかけた後怒髪見たいみたいに立ってしまう。
だから ドライヤーは上からそうっとかけたほうが良いのだ。
それにヘアーアイロンでカールを補強する。
湿っぽさが残っているうちに ヘアエッセンスで押える。
今日は 無事綺麗にまとまった。

遅れておやつを頂く。
風呂上りなので 水分を多めに準備くださっていた。
母はとてもご機嫌で ニコニコしておやつを食べていた。
「腹減った」と言っていたので 持って来たおやつも食べてもらう。

気持ちも安定して来たようで 出してあげた絵本を手にして 読み始めたのでそうっと施設を後にした。

帰路 雨がポツポツ落ちてきたので 洗濯物を取り込むため 用事は後日に回す事にしてひとまず帰宅。 


2006年04月06日(木) 若年性アルツハイマーの記事

 4月3日から 読売新聞の医療ルネッサンスで若年アルツハイマー病で彩星の会のメンバーの特集されている。実名を出し写真も配置されている。
読売の取材が続いている事までは知っていたし 取材記者はとてもお若い方だった。

この記事の方とお話した事がある。
日記に書いたかな?と遡ってみたけれど 書き掛けてからプライバシーに関ると別の事を書いたんだった。
取材の入った頃は かなりアチコチから取材の申し込みがあり 周囲では 病の事も良く知らないで興味本位な記事になっては困るというので神経を尖らせていた。が 当の家族会の会員の中には「公開しても良い」と言う人も居られたのだった。

取材に応じた当のご婦人とは 介護なんでも文化祭の準備をお手伝いして貰った仲である。
夕方 ご主人がお勤めに出かけると私達と一緒にお仕事をした。
作業しやすいように準備さえすれば 黙々と作業してくださった。
何も言わなければ アルツハイマーとは判らない位。
お仕事に出かける時 ご主人は深く頭を下げられたが…。
もう 仲間と言う雰囲気で特別な存在ではなかった。
作業部屋から外に出かける時は 迷って他の部屋に行かないようそうっと見守りをする以外は。

あの時 当人が病を告知されていたとは知らなかった。
記事を読んで 既にご自分の病をご存知だったのだなと知った。

認知症の介護って ほんとに人それぞれである。
彩星の会の干場さんも言われていたが 本人が介護されていると気が付かない介護が出来ると進行もかなり遅いという事らしい。
しかし それ程完璧に介護できる人は稀だろうと思う。
理屈でそうすべきと判っていても 通常のライフスタイルを維持していると介護者の方がダウンしてしまいそうだ。

認知症の方のプライドを出来るだけ傷つけないよう配慮していく事が 大事なんだろうと思う。
前にも書いたけれど 理屈で判っていてもそう出来ない現実がある。
私もこちらの思い通りに母が動いてくれない事でかなり苛立った。
目いっぱい母の方を向いているのに これ以上は無理。。。と言う思いがくすぶっていた。
時にちゃんと出来たりする母がいて 判ったような言動が出たりすると無性にイライラしていたように思う。

母のプライドを傷付けないための策とは。
例えば通院の時は 受付で先生に向け母の様子を書いたメモを渡す。
心配な事も含めて…。
医師もメモに目を通してから 気になるところを聞き出してくれた。
母と医師の関係と思って貰う事も大事だった。
人から管理されるのは嫌と感じる母のために引き下がったのだ。
今では 母は母で私は私で医師とお話している。
聞かせない方が良い時は 先ず電話で相談が定着している。

失敗もいっぱいだ。
母が 感情で突走っていると判っていても 真っ直ぐ受け止めてあれこれと説明し違うという事を認識させようとしたり…だ。

今でもトイレで母との攻防が繰り広げる時がある。
強めにマッサージする事や摘便は母の嫌がることである。
そういう時は 必ず「ごめん」と謝る。
すると 母は許してくれる。
過ぎないように 母の表情を読みながら 引き返したりやめたり…である。
便が詰まっては身体に良くないし腸閉塞を起したりと心配だが…それでも無理をせずに…程よい距離を保ちながら…だ。

無理をして お互いの信頼関係を失い生きている楽しみをなくしてしまわないようにと思って日々過ごしている。母も私も…だ。

今朝の新聞で絵門さんが亡くなられたと言う記事を目にした。
つい先日まで記事を書かれていらしたのに…。
直接お目にかかった事はないが それでも生きる質を保ちながら過ごされていらした事にすがすがしさを感じた。
認知症の人だって そういう生きる質を保ちながら過ごせるようになれば良いなとあらためて思った。


2006年04月05日(水) ロボット亀だぁ〜


何となく落ち着かない…特に思い当たる事もないのだが…。
時折 そういう事も含めて生きるというのだろうとのんびり構えるたちなのだが…。いつも 何処かで気になる日がある。

母の所に向かうバスの中で ふと自分の好きな風景を思い浮かべようとまぶたを閉じた。いえ「まぶたの母」ではありませんよ。

これは 友達が教えてくれたイメージ療法なのだが こうやって自分のお気に入りの風景をイメージする事によって心地良さを感じ 体内にアルファー波を増やし 一つ一つの細胞が活性化させる方法という事だった。
もっときちんとした論拠が有ったのだが 論拠云々より「あっ いいかも」と思い取り入れて18年くらい経過していると思う。

思い浮かべる風景もだんだん多くなったが 最近は 手っ取り早く浮かぶ風景を思い起していた。以前なら毎日のようにそうやっていたけれど この所イメージする機会も大分減ってきていた。

最近抜けるような青空と桜の風景が印象に残っていたので ふとそれを思い浮かべてみようとした。
しかし なかなか像が結べない。こんな事初めてである。
他のお気に入りの像に変えてもさっぱりだ。
幾度か繰り返しているうちに 青い色がポチッと浮かんできた。
が 空みたいに広がって行かない。
じゃ 桜と思うが 頭で構図が浮かんでも像が結べない。
どうやっても像が結べない。
やっぱバスの中では無理かと思った頃 バスは 母の施設の近くまで来てしまっていた。

新芽の出揃う時期 ちょっとしたクレバスに入り込んでしまったのかも知れない。

母は 食事中だった。
一緒に食べるつもりだったが 母は終わりそうだったので介助のみに留めた。職員が母の見守りをしてくださっていた。
母ともう1人の入所者の方の間に座ったら「ご苦労様」と母が言った。
お隣の方もニッコリしてくださった。
二人とも 食事は残り僅かだけれど これから先がなかなかなのだ。
丁度 味噌汁をお皿に移そうとなさっていたので 他の人に気付かれないように「おっとと こっちの方が良いみたいよ」と皿と茶碗を入れ替えて「こうした方がグッドグッド♪」「上手に出来ました♪」と声をかけた。
ちと 興味を替えれば 皿の事は忘れてしまう。その隙に空の皿を片付けた。それから 味噌汁を飲んで貰って…。あらら 今度はおわんにお茶を入れてある。これは セーフ。
母も そういう事が大分増えてきていたが…ちょっと減ったような感じがする。そういえば 人様に五月蝿がられるテーブルを撫でる事も殆ど消えている。そういう一連の動作を忘れてしまったのか それともそうしなくても気持ちが落ち着いているのか…。

母の食事も済み 居室に誘導し歯磨き トイレ誘導。
便秘と聞いたけれど 特に不安な様子は見られない。
タイミングよく誘導できた。
療法士さんが見えて母のリハビリが始まった。

この間にちょっと施設長さんと話しこむ。
頼まれていた事もあったので…それらを含めて。
自治体の中のGHの方向性等と介護者ネットワークで介護者の抱える課題の情報交換を図ってみることに。

リハビリが済んだので 雨の中散歩に出た。
雨脚はそう強くないけれど 風に押されて斜めに降る雨にパンツの裾が濡れてくる。「ここに入ろう」と母。近くのドラックストアに入る。
チョコチョコとお買い物をして外に出て 遠回りする元気もない様子で足早に 施設に戻った。
わざわざ 雨の中を散歩したのは 便秘のため。
けれど 未だ 母がいきもうという気持ちになれる所まで来ていない様子で空振り。きっと あと少しなんだろうけれど…。
便秘と聞いたので 水分だけは多めに摂取を心がけた。
職員が牛乳とジョアを与えてくれており「これからまた牛乳与えてよいでしょうかね」と聞かれたので「機嫌は悪くないし腹痛の訴えもない事。パイナップルを食べさせたが多い量ではないので 牛乳は飲ませても大丈夫と思う」と伝えた。

明日あたり 排便できればいいなぁ〜。

さてと この所終電を挟むように帰宅していた娘。
今日は 帰宅が早めだった。
地元で深夜まで空いているお店に立ち寄った所で電話してきた。
「あのね。ちょっと喜びそうな玩具見つけたから買ったよ。楽しみにしていてね」と言うのだった。
その玩具とはタカラから発売された「ウオーキービッツ」。フリーランスのデザイナー「マウンテンマウンテン」とのコラボしたものだそうだ。
どんなもの?
チョロキュー位の大きさのカメさんで 甲羅を押すと1分ちょっと小さな音を出して歩き出す。歩き方も3パターンある。スイングモードでは「玩具の交響曲」を電子音で出して歩く。甲羅を3秒くらい押すとお眠り体制となる。
どうやらボタン電池で動くらしい。
このカメさん コラボの分はもう品切れ状態らしいが コラボ以外は在庫も有るようで…甲羅を変える事が出来るらしい。

暫く 遊び相手になってくれそうだわ!


2006年04月04日(火) 情報交換…

 
 家族会だった。
「会に行きたいのだけれど…緊急の通院や予約でお休みします」と言う方が多い今月の会。
参加者も少ないだろうな…と思っていたが この所お休みが続いていた方がひょっこり見えた。
また 介護士の資格を取り 仕事もなさって居られる方や民生委員さんが 学びたいという事で参加くださった。

今日は 360度歯ブラシを購入し 持参して下さった方がいた。
ある介護仲間は 500円と聞いていたけれど展示販売で1000円だったと言う人もいらした。同じメーカーは不明だが…悪質な業者も要るものだと思う。

久々に参加くださった方もいた。
この所お休みが続いていたが お義母様の介護が大変と言うのでなく ご主人様の病のためと話されていらした。ご主人様のこれからの治療も在宅で…と決められた御様子。
いつも 達観なされた御様子に頭が下がるばかりである。
その方が コタツに足を足して高い高さのコタツを作られ 車椅子のお義母様でもコタツを使って下肢を温めるように工夫なさった。そのリユースの足の作り方を現物を持参して教えてくださった。
牛乳パックの中に同じ形の缶を積み重ねて 上を缶ひとつ分残す。
同じように牛乳パックに缶お詰め込んだものをその空間に差し込みつなぎの部分をガムテープでグルグル巻きにして行く。そうやってつないで適した高さにするのだそうだ。
コタツの足を乗せてそこも固定すれば 大人がドタドタと乗ってもびくともしないのだそうだ。
みんなが感心なさってお聞きしていた。

介護仲間の救急の搬送や病院の対応についてお話しすると にわかに民間救急や介護タクシーの利用してみての実態に話が及んだ。
介護タクシーが出現して あるタクシー会社では 介護の学びをしていませんのでお手伝いは出来ませんと言う所も出ていると言う。
しかしその手伝いなるものは 別に乗り込むための本人介助の依頼ではなく
移乗する時に車椅子が動くので 車椅子を押えていてくださいという極単純なお願いだったと言う。
これなら トランクに重い荷物を入れるより容易な頼みごとだと思うのだが…。「介護」と言うものに過剰反応しすぎではないか…という話しになった。
企業努力や職員研修している社風も見えて来て介護者として利用しやすいタクシー会社の情報交換ともなった。
介護者みんなが運転免許を持っているとは限らないし 高齢の場合 自主的に免許を返す人もいる。
じゃ 介護タクシーを…と思うが 介護タクシーは 大概予約が必要で キャンセルや急場に対応できないという事もありえる。

今日の家族会は 話が尽きず 予定時間オーバー。
盛りだくさんの情報交換がなされた。
救急体制の事。24時間訪問介護の地域の実態。介護保険の改正の事。先に触れた搬送の足の地域の情報。また 現在の施設の状況の情報。。
罹り付けの医師の情報。

これらを踏まえて 介護者は それぞれ 自分にあった所を選び出していく知恵を持つ事。
また 介護者からみた不都合な部分を洗い出して改善できる道を切り開いて行く必要性をそれぞれが感じたと思う。
また 緊急時の知恵や介護者同士の助け合い(知恵も含め)も再確認。
目いっぱいに介護に追われている人と比較的余力のある介護者の支え合いみたいなものかも知れない。。。


2006年04月03日(月) 認定調査…


今日は 利用者さんの認定調査の日。
訪問日を調査日にした理由が何となくわかった。
ご家族が掴みきれて居ない面のフォローの役目があったのだ。

これまで 利用者さんの認定調査に立ち会った事はない。
その上 介護保険改正後の調査。
これまでと大分様変わりしたと感じた。

利用者さんから伺った調査の時間が30分違っていた。
だから 訪問前に ベットからの起き上がりの様子等を見られた後だった。
立会いは ご家族と利用者さんの妹さん。
調査の方を加えると3人に囲まれた形。

しかし ご本人の居られる前であれこれお話する様子にいたたまれない気持ちになった。
調査が認知症に関る部分では特にそう感じた。
調査員は 必要な事を伺って行くのだから職務をきちんと遂行なさっているし手落ちはない。
本人確認も大事な事だ。
そう判っていても 次第に追い込まれていく利用者さんが この後お1人になった時にどういう気持ちになられるか…気がかりになった。

ご家族の話の中から 認知症に関する部分の特記事項はなかった。
が 心配していた事が調査によって明らかになった。

それは お薬の事。
調査員の方が服用している薬の事を伺った時。
利用者さんは「朝1回 3錠のワーファリンを…」と言われたのだ。
一同ギョッとしてしまったのは言うまでもない。

おそらく これは 最近になってだと思う。
服用しない日も有るだろう事は 通院している状況から気が付いていた。
だからこそ 早めに認定調査を受けてご家族が実態を知り何等かの方策を立てられた方が良いと感じていたのだった。
通院介助と言っても 診察は利用者さんの依頼がない限り診察室に同行はしていない。
通院するための道のりでの同行だった。
処方箋も利用者さんが戴いていたので…。

しかし この事で利用者さんを一斉に責める形で「ワーファリンは1日1錠に決まっているだろう」と追いたて 利用者さんは「これまでも 1日3錠だった」と言い張り 緊張状態となってしまった。
調査員の方が 「医師と確認を取りましょう」といった事で治まったが…。
この出来事がかなりショックだった様子で 利用者さんが落ち着きをなくしてきた。

調査の方が 記録の確認を取った後で こちらに日常の聞き取りをなさった。調査員の方も状況を察して 利用者さんから離れた所でお話しする事になった。
気がかりな事項を具体例を挙げて お伝えした。
調査員の方は ここで初めて認知症の部分での申請になると言われた。
「う〜ん これから先も 暫く大変な道のりになるなぁ〜。

こちらのお話が済んだ後「お買い物どうしましょうか?」と利用者さんに振ってみた。利用者さんは ふっと我にかえられて「そうね」と言われたらご家族が「お そうだ。食べ物確保した方がいいな」と言われ 二人で買い物に出かけた。

おそらく その間に ご家族向けにきちんとお話がなされたと思う。
利用者さんに向けても お天気の事を話したり ご家族の心配なさって居られる事 そして 強く言われても私の弟たちより ずっと優しいご家族である事をお話をして「良いご家族に恵まれてお幸せですよ」と伝えた。
買い物も 出来る限り利用者さんが選ばれるようにして…気分転換を図ったが…。
買い物が済んで荷物を詰めている間に 利用者さんは 1人でスタスタ歩き始めていらした。いつもなら決まった場所でお待ちになるのだが…。
かなり動転して居られる御様子だ。

買い物から戻ったら 調査員の方はお帰りになった後で ご家族と妹さんもこの間に少しお話なさった様子だった。
程なくして ご家族は帰られて 妹さんが残られた。
冷蔵庫に買い物した物を収めている時 妹さんがキッチンに見えたので「かなり動揺なさっておられるので 心配です」と伝えると「それを踏まえて 昼食まで一緒に過ごしますので…」と言われ その後「今までは 私はうるさいおばさんと言われていたけれど…『御世話をかけます。有難うございます』と言われたの」と話された。
「良かったですね」と言うと「ほんと」と言われた。

しかし 今晩大丈夫だろうかと気がかりである。
ご自身も不安に思っている事が沢山おありだろうに…。
何事もなく 無事におやすみになって居られる様にと祈るのみ。

認知症と言う病の理解が深まれば 良いのだけれど…。
病となられたご本人も含めて 病を理解して行けたら…とつくづくと思う。
特に 認知症になられたご本人のブログを読ませて頂く度に 目から鱗の日々なのだ。


2006年04月02日(日) はざまで…


朝 施設から電話があった。
「お日様が射しているので 時間を繰り上げてお花見します」という事だった。そりゃ できれば外でみんなで楽しめた方がいいもの…と思い 早めに出かけた。職員も早めに出勤して仕込みをしてくださった要る様子だった。
雨は落ちてないが 風が出てきていた。
外で職員が椅子を片付けていたので 声をかけると…。
「今日は 中で行います」という事だった。
「残念!」

と言う訳で 2フロアに集っての分断お花見となる。
それぞれのフロアからは 桜並木が見えるのでお花見気分は出る。
職員が作ってくださったお食事を皆さん美味しそうに召し上がっていた。

途中で 昨年亡くなられた方のご家族が ボランティアで手品を見せてくださった。母は ある手品をみて つぼに嵌ったらしく「あははは…」と声を立てて笑い転げた。
ようやく表情が戻ってきたのだと嬉しくなった。

母は職員の作ってくださったご馳走をお変わりしながら随分沢山食べていた。他のフロアの方とも楽しくおしゃべりできた。(母は他の人と会話は無理で…)

お花見が済んで 母とお散歩。
母の足取りは軽くて…歩くのもかなり早かくなっていることに驚いた。
歩き始めたら 介助なしでも10歩位はスタスタと歩いた。
時折 不安定になるので目は離せないのだが…。
良い方に向かう時もやはりググンと言うタイミングがあるんだなぁ〜。
後は立ち上がりだなぁ〜。

実は お花見の始まる前に 4月からの施設が変わると言う説明を受けた。
理事長と施設庁 家族は2家族。先に遠距離にお住まいの1家族には説明済みという事だった。

お話を伺い これまでと違って施設を立ち上げ時の経緯から 今回の役所との問答についてきちんとお話くださった。
おそらく 制度的に見ると施設側ピンチ。
私は 入所当初から気持ちの上で求めていた事を役所の係長が取り組んでいている事を知った。
ただ これまでの歳月を通じて介護を受ける側の環境もかなり厳しい状態である事も施設内に限らず見てきて学んだ事もある。
こういう説明をもっと早く話して頂ければ…と思った。

結局の所 入所者として近々に困る事はない。
要に行政対業者の構図。
しかし 決裂すると 母は1ユニットのグループホームに移動になるため居室を移動という事になる。
これは きっと母だけの事かもしれない。。。
ここに来て(病の進行)の居室を代わるという事は 痛手。
母の居室は 角部屋のため ベランダの他にもうひとつの大きな窓があってその景色で母は随分慰められて来ている。
移動するフロアの角部屋は空いていないそうだ。
今は 母のためにそこに役所からのクレームが入らないで欲しいと思う。

施設側も 入所者に迷惑をかけないよう配慮すると言ってくださった。
役所と事業所の問題ではあるけれど 実はボーダーラインの入所者の存在がある。そこをどう救って行くかを慎重に探って欲しいと願っている。
経緯を聞く限り 事業所に依存してきた役所の姿もある。

役所に聞けば「事業所の受け入れがあれば…」と言うし事業所は「役所側の認定が下りれば…」という事がひとつの事業の立ち上げで言われる。
この辺が 住民にはなかなか見えてこない所である。
双方が住民の状態や現状を真摯に探り 猶予と言う期間を持ちながら住民のために解決して欲しいと切に願わずにいられない。

在宅のサービスも利用者には見えてないが こういった役所と事業所のやり取りが潜在的にあると想像している。
医療面でも大きく変わってくる。
社会的入院を排除する試みの中に 投げ出されて困る人の出ないことを祈る日々である。
どちらの問題も財政難が大きな理由だ。
それも これから先の財政難を見込んで…と言う。
何をどう削っていくのか…住民としては じっくり見ていく事が必要だろう。


2006年04月01日(土) なんか おかしくない?


先日 ご主人が救急搬送となった介護仲間に 検査の結果も出た頃だろうと思って電話をした。
「あれから またおかしくなって 在支の方から来て貰ってまた入院したの…」と言われた。

聞き違いと思った。

「救急搬送の翌朝 病院に出かけたら『退院して下さい』と言われてね。
自分ひとりでタクシーに乗せることも出来ないから 介護タクシーを呼んでね。それが 直ぐには来てくれないでしょ。2時間以上待ったわ。それでも 家の中まで介助してくれたので助かった」

…なんて事だったのでしょう…
もう お気の毒を通り越している。
その翌日(?ひょっとして当日かも)には また変化があって また救急車で搬送。
それが 今度は違う病院だと言うのだ。
…どうなっているんでしょ…
結局 また 何処も心配が無いという事で1日入院し翌日退院。

今は割りに落ち着いていて 今日は 頑張って入浴させたというけれど…。

何だか おかしい。
介護仲間が動転しているようには見えない。
在支の方が 駆けつけて緊急と判断なさったというのだから…。

高齢者世帯と言う事を十分考慮しての判断だと思うのだが 医療の世界にはどうも通用しないみたいだ。

介護仲間の話しに寄れば「病院では CTやMRI診断で問題がないと言っていたから…自己判断で 軽い脳梗塞を起したのでは…と思う。今 話が出来なくなっているの。時々は話するけれど…モニャモニャと言うので 判らなくてね。幾度も聞き返すともう諦めて喋らなくなってしまうの」
立て続け入退院をし環境が激変だったのだから そうなって当たり前と思う。ショートも使わずに奥様が介護なさっていらしたのだから…。
「言葉は きっと快復すると思うから 諦めないでね」と伝えた。
「在支の方のほうが 専門だから連絡つくときはそちらを優先して 連絡が取れなかったら いつでも言ってね。特に夜は零時過ぎまで起きているから…気兼ねしないで」と伝えた。

どうやら 遠くに住んでお出でのご家族が見えて 罹り付けの医師に3人で相談にいかれると決められた様子だ。

医療の世界に何が起きているのだろう?
母の時は緊急の検査は受けられないという事で遠くの病院だった。
その方が1度目に運ばれたのも同じくらい遠い病院だった。
2度目の病院は 地域の病院だが…。

何故 同じ病院に搬送できなかったか?
おかしいと思われても数日入院で様子を看て貰う事は出来ないのか?
私は未だ若いから入院しない方向で頑張れると思うけれど 老々介護で転倒し 夜間だったら置き上げることさえ無理だ。
これは 別の介護仲間も同様の事が起きたのだ。

おそらく 在支では施設入所も視野に入れて動き出すだろうと思う。
ただ ご主人の意思を尊重なさっていらした方だけに…踏み切れるだろうか?胸が痛む。。。

それにしても… こういう場合 これまでなら数日入院は出来た。
いやぁ〜何とも厳しい状況になって来たなぁ〜。

ちょっと 介護仲間と手助けの方法考える必要がありそうだ。

話しは変わるが…。
昨日 食事を終えて外に出た時 外は闇に包まれていた。
目の前に満開の桜の木があった。
「ほら 桜よ」と言うと 母は両手をまあるくして見せた。
きっと 夜桜が闇にふんわりとしていると言いたかったのだろう。
その表現が 言葉よりもリアルに感じられて 何だか特別な嬉しさに包まれた。言葉を失っていく事は辛いけれど…変わる能力を使って表現できるって人の脳は捨てたもんじゃないなぁ〜。

明日は 施設のお花見。
昨日の帰りがけ 職員がお花見の支度で動き廻っていた。
予報では雨なのだ。
そうなんだけれど…やはり予定したからには準備しない訳には行かない。
職員の労のために そして入所者に綺麗に咲いた桜のあるうちのお花見が実現するように…と祈るばかりである。 


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