母のタイムスリップ日記
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2006年02月28日(火) あ〜爪切り


 昨日 利用者さんを訪問している時「ちょっと足を見てください」と頼まれた。足の指が痛いという事だった。
爪きりがなされたばかりのようで その時に指を傷付けられた様子だった。
この部分には カットバンを使って保護。
痛みは改善された様子だった。

それと 1人で爪を切られなかった所も有った。
利用者さんは ベットサイドの引き出しから爪切りを出された。
「ほら 商売できるほどでしょ」と言われた。
みると 真新しい爪きりが4個もあった。ニッパが2個。
ニッパがあれば あの爪も切れるのに…と思った。
でも 利用者さんは「使い物にならないのです」と言い切られた。
ふと 母の事を思い出した。
ニッパを使う時真ん中のレバーを支点のところまで挟み込まないと使い物にならないのに レバーの意味がわからなかったのだ。
「この爪切りは こうして使われると良いですよ。ほら よく切れそうでしょ」とお見せすると「あらら ほんとだ」と言われた。

記憶に留めて貰おうと 数回使って貰った。
「ちゃんと切れるわね」と驚く利用者さん。

母と同じように使い方を 忘れてしまっていたみたいです。

利用者さんは 生きがいデイの今後の説明を受けられた様子だった。
生きがいデイの人たちは「つまらなくなりそうだから やめようかな?」と話されていると言う。
「自分たちで勝手に集ってみようか?」とも話しになった様子だ。

介護保険改正での混乱 ちょっとずつ広がっているみたいだ。
特に生きがいを使われている皆さん…。


2006年02月27日(月) 迷いつつ…でも喜び連発!


 利用者さん訪問。
いつものように活動。
昨日 ご家族が揚げ物を運ばれた様子なので「煮物でも作りましょうか?」と伺う。
「そうね 先日のきのこが手付かずだから…それを使って頂けたら…」と言われた。
買い物同行時に何と煮合わせようと棚をキョトキョト。
いつも豚肉はロースを購入されて居られる利用者さん。でも今日は豚バラを勧めてみた。ちょっと躊躇なさったが「お任せします」と言われたので購入。ついでにコンニャクも。
これで 煮物決定。豚バラ肉とコンニャクと人参とシメジと椎茸の煮物。
他にもメモに沿ってお買い物。
生姜を千切りにしてバラ肉と炒め それから他の物も軽く炒めて後はグツグツ。お砂糖と醤油で味付け。味付けは砂糖を先に少し入れて 後はお醤油を少しずつ足して薄めに仕上げ 最後にまた醤油で調整。
仕上がってから 煮汁が少し残っていたので 急いでキャベツの外葉を刻んで煮汁で煮た。
これで2品仕上がった。お野菜を食べやすいように…お好みの形に…。

訪問した時「どうもトイレで水が流れる音がするのです」と言われた。「水道メーターが上がるのはこれか?」とトイレに行ってみた。
確かに音がする。でもタンクに流れ込む音でタンクから流れ出ている形跡はなかった。
買い物から戻っても未だ流れる音がしていた。
煮物を煮ている間に 再度トイレに。
今度は音がしない。
再度水を流してタンクに注ぐ水が止まったのを機に タンクのふたを開けてみた。ひょっとして中がヌルヌルしているせいではないかと思ったのだ。
チョロチョロと出ている注ぎ口をスポンジで擦ってみた。
するとピタッと止まった。
ふたを閉めて再度流してみたら ちゃんと止まった。
「これで大丈夫か?」一応止まった事を伝えて暫く様子を見ましょうという事にした。

活動を終えて しばし迷う。

家に帰って食事してから母の所にいこうかそれとも直行しようか…。

昨日 一昨日とこちらの都合で母の所に行っていないので「迷っている場合か!」と直行する事に。
途中で母も食べ易い物を見繕って昼食を購入してバスに乗り込んだ。
施設に付くと 母の居室のお隣の方からお礼を言われた。
「お人形のおかげで 音はしなくて良く眠れました」という事だった。
「それは 良かったです。また 何か困った事有ったら遠慮なく言ってくださいね」と伝えた。
どれ程の効果があるか判らなかったが 解決できたようでホッとした。

母をトイレ誘導。失敗はなく待っていたようにトイレで出来た。
手を洗っている時 また母が頭を気にしていた。

「美容院かな?」「観梅かな?」とまた迷う。

外は寒いし観梅にはあまり適さないお天気なのだ。
でも気持ちの中で「ふるさとの方言」に早く接してあげたかった。
今日は 帽子を被せて誤魔化して観梅に行く事に。

外に出て また迷う。

バス?タクシー?

とりあえずバス停までテクテク。
バスに乗れば 次は電車に乗り換えねばならない。
母にとってストレスにならない方がいい。梅園に行けば 坂をかなり上らなければならない事を考えるとタクシーの方が良さそうだ。
「タクシーを拾うわ」と母に伝えると 目の前を過ぎる車を「これか?」と言う。「これは 違う」そうこうしている内にタクシーが見えた。
空車かわからないけれど 手を上げたら止まってくれた。
基本料金で梅園に着いた。配車を頼んだら割高になるので助かった。

しかし梅園の前で立ち尽してしまった。
手すりのない階段が8段ほど。
母は「嫌だ」と言う。

帰る?入る?
「ここまで来たのに…」と言う思いが沸々と湧いた。
娘の友人で訪看している友人がいて「バリアフリーになったと言うけれど 車椅子でも大丈夫か」と聞かれていた事を思い出して「無理だわ」と思った。階段を上ってしまえば手すりはあるようだ。
「なんと中途半端な…」と腹が立ってきた。

「無理は禁物。引き返そう」と思った時 階段を上りかけていた外国の方が階段を下りてきた。言葉は出さないが私たちの前に立ち止まった。
「手を引いて貰えますか?」と聞いたらコックリと頷かれた。
母は何の迷いもなくその方の差し出した手に掴まり階段を登り始めた。
一段ずつ両足を揃えれば何とか上れた。
外国の方は 母の歩調に合わせるようにゆったりと優しく介助してくださった。母は その方を見て頭を下げていた。
嬉しい光景だった。
案内所の叔父さんは 受付から出てくる事はなかった。
「バリアフリーになったと伺ったのですが…」と精一杯の言葉を出し「あの階段はどうにかならないのですかね」とも付け足した。
「あれはどうにもならないんですよ」と即座に言われた。
「今 助けて頂きようやく上れました」と駄目押し。

そんな言葉を交わしながら 入園料を払ったら ようやく叔父さんが外に出てきて この先がバリアフリーになっています」と言いながら 私たちの後ろを付いてきた。
母は右手で手すりに掴まり左手は私が支えているのだ。
バリヤフリーの坂まできて「大丈夫ですか?」と聞いてきた。
「はい 何とか行けます」

この梅園には 幾度も着ているので急勾配である事は十分知っていた。
母も幾度かここまで来ているが覚えては居ないだろう。

ふと 母が足元ばかり見ていて梅を見ていないことに気が付いた。
「ホラ 梅の花よ」と声をかけた。
母は首を上げた。「わぁ〜」と呟き声がくぐまる。涙が光っていた。
「ありがとう」と言った。
バリアフリーとは言っても 勾配はきつい。両手を引いて坂を上った。
ベンチを見て「あそこへ…」と。ベンチで一休み。
赤白の梅の花が咲き始めたばかり…。
頂上に行かないと「ふるさとの方言」は聞けないので またゆっくりと歩き出した。途中「寒咲きのあやめ」が咲いていた。その後ろには福寿草が背を伸ばして咲いていた。とても不思議な景色だった。

頂上まで着いたら露店が半分閉まっていた。
お目当ての叔父さんは つい今しがた「人が少ないから…」と引き上げて行かれたという事だった。残念無念!
茶屋に入って お決まりの甘酒とお饅頭を頂く。
母は寒い様子で お饅頭を口にした時「冷たいんだね」と言った。
私のダウンコートを脱いで 母に掛けてあげた。

甘酒やお茶で手を温めながら休息。
売店の荷物を搬入する出入り口があると判り 茶屋の人に「車椅子の人はあの入り口から入れないのですか?」と聞いてみた。
「前もって連絡頂ければ あちらから入れます」という事だった。
入り口の叔父さん そういう事も説明してくれなかったよ。。。

でも 大変だったけれど階段や坂道も上れたのだもの…良かったんだわ!
帰路の途中でトイレがあった。
「トイレ行かない?」と聞いたら…「もう 出ちゃったからいい」と。
これにも驚いた。こんな事言った試しがないのだもの…。
どういうトイレか判らないので 無理をしない事にした。

下り坂も無事降りられて 階段も無事下りた。
梅園の前にある児童公園のベンチに座りタクシー会社に配車を依頼。
程なくしてタクシーが来た。
公園内の私達を探せない様子でウロウロ。「ちゃんと公園内にいます」と伝えたのに…。

母をベンチに座らせた儘 タクシーに向かって走り出し ハッとして後ろを向いたら…。

母が荷物を持って立ちあがろうとしていた。
「ギョエイ!また同じ事が…」慌てて母の傍に戻りセーフ!危ない危ない!

公園内の人の気配に気が付いた運転手さんが車を止めてくれた。
これで ようやく施設に戻った。
母は 車に乗り込む時「ありがとう」と運転手さんにお礼を伝えた。
降りる時 料金を出したら「お受け取りください」と言った。
「何でだ?」頭を下げてお礼の意を表すけれど 今までこんな事言った事もないのに…。

迷いに迷いながらのお出かけだったけれど…出かけて良かった。
お正月の母の様子を思い出しながら 良くぞここまで…と思う。
母の気力でここまで来られたんだと思う。
やんちゃな娘は いろんな事をさせるよね。
でもその度に「嬉しい顔と感動の涙」を見せてくれる母だからここまで来れた。三歩進んで二歩下がる歩みでは有るのだけれど それも溜まっていけばこんな事もできていた。ほんとにほんとに有難う♪

嬉しくて 施設の仲間にお饅頭のお土産を買った。
施設に着いた時 丁度おやつが始まっていた。
お饅頭を渡したら職員がみんなに分けてくださった。

トイレ誘導で母の言った通り パットが濡れていた。
「やっぱり 排泄 わかっているだね」


2006年02月26日(日) 残されているものは?


母の出来なくなった事を数えたら限りがない。
Tさんが 食事時の風景を日記に書かれていた。
「意味もなくコップを移動、時にはいきなり倒される」と。
母もそういう動作は しょっちゅうだ。
こちらから見ると遊んでいるかのような感じだ。
この動作は 母に限った事ではなくて 入所者にも見られる。
ご飯にお茶をかけるくらいなら「お茶漬け」と思えるが とんかつの上に味噌汁という事もある。
何故 こういう現象が出るのだろうと不思議に思う。

「食べ方は自由に…」とは思うけれど とんかつに味噌汁をかけたら 美味しくないだろうと思うので さり気無く汁物を遠ざけたりもする。
水分が必要かなと思う時 汁物を前に持って行き おかずを少し下げる。

でも 時々思う。
母は 言葉を発する事は出来ないが 聞き取りは出来ている事がある。
だから「おかしいよ」と言ってあげたいと思う。
でも 施設の場合 比較的軽度の方の耳に入ると食事のたびにその事を注意されてしまい 母にはストレスになりそうで…言えない。
二人きりの時には そうっと伝える時もある。
これで 治る時もあるから不思議。
いや 治ると言うよりも その事を意識すると感じる。

先日の歯科通院の時 洗面所で手を洗っていたら鏡を見て 頭髪を手で撫でていた。櫛は目の前に有るのだがそれは使えない。
だから 手櫛なのだろう。
髪の毛が伸び始めている事もあり それが気になっている様子だ。
でも よくよく考えると その少し前に入所者の一人の方が 私に向かって「あんた その頭で出かけるって言うの!」と激しく言って来た。
「ぁ そうだね。風でぐちゃぐちゃになってしまったわ。直してから行くわ。有難う」とそんな会話を交わしたのだった。
そういった話を傍で聞いていて 記憶されていたのかなと思う。

具体的な会話は思い出さないのだろうけれど…関連した事を思い出すような…そんな気がしてならない。
そういう側面があると信じて 母に話しかけることも多い。

母は 入所者の人の服の乱れを「おかしい」とは言わない。
でも 気が付いた時その人のそばでそうっと直してあげたりする。
これには 母自身のルールが有るようで「怖くない人」が原則のようだ。
喜んでくれる人を察知しているような気がする。
言葉がなくとも 以心伝心 伝わる人には伝わる。
たとえ認知症同士であっても…。

母のトイレのサインに気が付いたら 他の入所者にもサインがあることに気が付いた。職員の配置が薄い時はそうっとトイレに誘導する事もある。
でも トイレで私からの介助を受けるのは やはり恥ずかしいと言う思いがあるように感じた。その時には 無理に介助せず 職員を呼んであげる事にしている。
自分で排泄を訴えられる人は良いのだが そうでない人の場合 そうして差し上げても良いだろうと思っている。
トイレの介助は嫌でも 食事の介助は嫌がらなくなった。
食事時には よくご一緒しているからだろうと思う。

残っている能力は僅かになっても 心は失っていない。
介護に関る保健士さんや介護士さんに伺っても皆さん異口同音にそう言われる。私も母を通してその事を学べた。

能力維持のためリハビリはとても大切。
でも維持するために運動に取り組むより 普段の動きをしているうちにリハビリになるように…と思っている。
歩く事も 食べる事も 排泄も…。

何だか同じような事を 毎日記しているような気がする。いいのかな?


2006年02月25日(土) 変わり始めたのかな?


昨夜遅く 新しく入った仲間から電話が入った。
「先日は有難うございました…」と言う話から始まったが ほんとの所は 相談だった。
認知症が始まって数年しか経過していないその方は 介護保険利用も始まったばかり。

ここに来て 最初のケアマネさんから別の方を紹介された様子。
紹介されたケアマネさんが頼りなくて不安な様子。
その上 今利用しているデイから同じ系列の医療デイの方へ移る事を勧められているという事だった。

話を伺いながら「?」と思うことばかりで…。
「誰に 何と言われたか その理由は?」と整理して考えてみた。
この動きは おそらく介護保険改正と関連しているみたいだ。
家族会の仲間は 割りに古くから介護保険を利用なさっているので あまり判らなかった。

例えば 担当したケアマネさんから 次のケアマネさんを紹介される。
これは ケアマネ1人が担当する人数の制限から来ているようにも見える。
また 最初のケアマネは おそらく包括支援センターに属する筈。
この人たちは 今まで担当していた人から外れるのかな?

新しいケアマネは いろいろ質問しても判らない様子。
認知症の人の多いデイを推奨なさったというが 認知症のデイは それ以外にもある。その説明が抜けていた。
週2回のデイ利用で 目を離せない事情もあって地域の情報がなかなかつかめない様子だった。
他に介護保険を使われてない御様子だったので「ヘルパーさんを使ってその間に見学なさったらいかがですか?」とお話した。
ケアマネからは「入浴介助」でヘルパーさんを導入してみたら…と言われたそうだ。
でも この方は ヘルパーさんを使うにも「大丈夫かしら?家の人おかしいから…」と言われた。
「大丈夫とは思いますが 気になるようなら男性のヘルパーさんを御願いしてみては?」と勧めてみた。

認知症専門デイの所在を送付する事にした。
「空きがあるかも確認が必要なので それはケアマネさんでも良いし自分で電話で問い合わせても良いんですよ」と伝えた。

役所には 事業所一覧表やケアマネだって写真つきで紹介されているのだが…。役所まで行かないとないし。
でもな 最初に介護保険使うようになった時 役所から送付されなかったのかな?ケアマネさん運ばなかったのかな?それとも持っていらしても気が付かないのかな?
介護をしていると 書類に目が届かないと言う事あるものね♪

質問は 生活費の事まで…。
年金を使ったほうが良いのか…という事も。
この事に関しては あまり詳しくないので 来月彩星の会の干場さんを呼んでいるので その時にお聞きしてみては?と勧めた。

室内徘徊や言葉も理解で来ていなくて「ここに座って」と言ってもわからない風で「何故こんな事まで 判らないのだろう」と素朴な疑問もぶつけられた。「かなり早いピッチで進行しているのかな?」と感じた。
お若いだけに…気になる。
丁度 母の事がいろいろあった日で「実はね こういう事が起きましてね」とお話した。「本人にも止められない動き」を説明しまた先日の家族会でご一緒だった方のお話も引き出しながらお話した。
「毎日 目も離せない状況で辛い事も多いでしょうし 全てを受け止めるなんて到底無理ですから…。そういう事が背景に有るという事だけ心の隅に留めて上げてください。本人もかなりお辛いと思いますから」と伝えた。
「あ そういう事も有るんですね」とホッとなされた御様子だった。

介護していると 落ち着けば見えて来る事も多い。
こういう事は きっとこの方も判っておいでだと思う。
ただ 何となく不安で確かめてみたくなるのだろうと思う。
自分を振り返ってみても そういう時期が有ったし 今でも時折そう感じるのだから…。
ネット社会と言っても パソコンを自由に使える人ばかりではない。
また 見知らぬ人にパッと書き込める人ばかりでもない。
この方は 信頼できるケアマネさんから紹介されて会に足を運ばれた方。
人と人の繋がりは こういう方法で広がる事もある。

話しは変わるが 地域の介護保険事業計画で利用者として意見を発せられて来た方から最終案を見せて頂く。
「補足事項があったら言ってください」という事で2.3お願いした事があり箇条書きでメモを渡した。
その方は 言葉足らずの私のメモを きちんとした文書に仕上げてくださり「このような形で出しました」とコピーで下さった。
家族会としての意見として集約してくださった。
とても素晴らしい文であった。がさつな自分には出来ない事である。
こういう方の存在があって 家族会も成り立っているのである。

夜 地域の活動団体の交流会があるので参加。
40団体と言っても それぞれの団体が複数でお見えになり 更に役所関連の方も大勢いらして 80名近くの方が見えた。
交流会の形が見えていなくて 戸惑った。
参加費もあったし 立食で軽食も。
会場が細長くて皆さんのお顔も見えなくて 資料を置く場所もなく…。

活動紹介もなされないので 無理に参加することもなかったなとも感じた。
でも 時間を割いて参加費を払ったのだから「認知症の理解を深めるために」と思い 後半 持参したチラシをそれぞれに配布して廻った。
出かけて説明する事も結構しんどい。


2006年02月24日(金) かちゃむけているって?自分が見えるんだね♪


ねぼすけ娘が 今朝は早朝からバタバタ。
「取ったよ!」荒川ちゃんをずっと応援していた。
リアルタイムで見てその後またzzz。

メダルの数や色に拘りは持っていない。トリノでの初のメダルが金かぁ〜。
この所 世の中ごたついていて気持ちの良いニュースにスカッとした。

今朝は 利用者さん訪問。
昨日のヘルパーさんの動きにとても感謝して居られた。
おかずも2品手早く作って下さった御様子だ。
お洗濯もなさって居られた様だし…。良かった。
「これが普通なんですよ。特別という事はないのですよ」とお伝えした。

副菜が十分にあるので 今日はお料理をせずにレンジ周りや床を掃除をした。

今日は 月曜にパンツの裾上げを依頼したので受け取りに行く事になっていた。利用者さんに同行して取りに出かけると…。
店員さんが言いにくそうに「この裾が吊れていた所 素人さんが裏布を折り込んでまつられたようだ言われまして…お心当たりありませんでしょうか?」と言われた。
利用者さんは「そんなことないです」ときっぱり言われた。
でも…。思い出すと「私縫ったんですけれど…」と言われた記憶がある。
私は もうひとつの方だと思っていたので「もうひとつの方に縫った形跡ありましたか?」と伺うと「ありませんでした」と言われた。
「はて 確か裾上げをなさったとおっしゃっていらしたような…」と向けると「あら 忘れてしまっていたから…」という事に。
結局 利用者さんは思い出せなかったが 忘れる事が多い事は自覚なさっておられるので…何とか解決。
裾上げの費用1050円をお支払いした。
さすがにお店の方の対応も良く「こちらも注意が足りませんで失礼しました」「いえ こちらこそ」という事で収まった。

戻られてから「そういえば そうだった気がする」と言われていたので混乱はないだろう。でも 落ち込まないか…それが少し気がかり。

買い物をしたので 小松菜だけサッと茹で 冷蔵庫におさめた。

活動を終えて急いで我が家に戻った。
今日の生協の配送は 帰って直ぐでセーフ。
昼食をかっ込み直ぐ母の所に走った。
今日は歯科通院。余裕を持たないとまた不穏になってしまうから。

昼ごはんが済んだ所で みんな未だテーブルに付いていた。
母をトイレ誘導。
少し出掛かっていたがこれもセーフ。
それから寒くないように長袖シャツ長下ズボンを着用し 薄手のウールの物を2枚着用 パンツは厚めの物を着用。
首にはスカーフを巻いてショートコート。
帽子を被り 手袋をはめていざ出陣。

出かける事は判る様子。ウキウキ気分が見えた。
外に出た時「さて 今日は何で行こうかな?」と考えた。
「バスに乗れる?」と聞いてみた。
母は即座に「乗れる」と言う。
しかし こういう言葉は 母の感覚的な言葉であって現実は「?」なのだ。
それでも バスにもチャレンジしたいし…。
転倒しないことだけに細心の注意を払ってチャレンジしてみようと思った。
幸い ノンステップバスが来て 歩道と車体が離れすぎない形で停車した。
段差が殆どないので 乗り込みはスムースだった。
バスの中では 少し混乱。停車する度に「出よう」と言う。
「うん あと少しね」と耳元で囁きながらターミナルまで着いた。
ところがここでバスは追い越し車線に停車した。
ちょっとの段差が生じた。先に下りて母の両手を引いて降りてもらった。
後ろに控えている方も「ゆっくりどうぞ」と声をかけてくださり助かった。
バスに乗っている間 1人の乗客を見て「家の嫁さん」と言った。
その時は あまり気に留めなかったのだが…。

歯科医に向かいながら「階段上れる?」と聞いてみた。
「上れるよ」と母。
「出たとこ勝負」と思い階段の前までいって見た。
「上れる?」と聞くと「何処まで?」と聞き返された。
「上まで」と言うと暫く考え込んだ。
「やめよう。エレベーターがあるからそっちで行こう」と言うと「うん」と。会話が成り立っているし 言葉も出ている。
やはり 切羽詰った状況やいつもと違う刺激は 変化を生み出すようだ。
不安さえ少なくしてあげれば 何とか落ち着いてくれそうだ。

裏に廻って 受付を呼び出す。
がロックがうまく外れなくてもたついたら 母が少し不安定になり「行かない」と言い出した。
再度呼び出してロック解除できた。「苦労しているな」と察知して受付の人がわざわざ降りてきてくださった。
何とか玄関までたどり着く。
ここでまた段差。外履きからスリッパに履き替え。
椅子をお借りして何とか履き替えた。

待合室に移ったら 扉に書いてある「歯科医」を読んでまた不穏になった。
「かさこじぞう」を取り出して 母に読んでもらった。
昔取ったきねずかで感情を込めてゆっくりと読み始めた。
ひらがなが多く読みにくそうで読み間違いもあったが1冊きちんと音読できた。この頃になるとすっかり落ち着き 次は「3びきのこぶた」
幸い 待合室には誰もいなくてゆっくりと音読できた。
順番が来て診察室へ。
ここでも多少不穏になったが「痛い事は何もしないのよ」と伝えた。

看護婦さんをさして怖い顔で「あの人は?」と聞く。
「かんごふさん」「ありがとうだね」と。
「かちゃむけて…」と母。
→かちゃむけるとは「ささくれ立つ」というような意味の方言である。
「誰が?」「われ」→自分
母は 母親として子供たちにこういう言葉は使った事がない。
おそらく 子供時代に使った記憶が引き出されたのだろう。
私は 周囲でこういう言葉を使っていたので知っているのだ。

母は いつも自分のする行為がどうなのかを考えているような形跡がある。
自分の僻みという事も気が付くようだ。
行動した後で悔いているようなそんな感じが見える。
やはり 認知症とは 本人でさえも自分をコントロールできなくなってしまうものなんだなと感じる。
この事にもっと早く気が付いて上げれば良かった。
ただただ 目の前に起きる事に降り廻されていたなぁ〜。
でもなぁ〜。毎日普通でない話しばかりで夜も眠らずなったら 疲れ果てて受け止めることさえ出来なくなってしまってしまうんだよなぁ〜。

きっと 何もかも普通にできる人への僻みなのかも知れない。
こういう思いが母の中に芽生えていると感じた時 辛い。
こればかりは どうにも出来ない。。。

歯科医は 椅子を倒さなかった。
治療し難い姿勢だろう。でも 無理をさせないで取り組んでくださった。
母に口を空いて貰う時も「すみません」と言った。
これは 母にだけでない私達が治療を受ける時だっていつも言われる。。

母の入れ歯の仕上げる手順と仕上げの限界についてきちんと説明下さった。
病が進行すれば 入れ歯すら作れなくなる事は 私も良く知っている。
ただ 母の状況がだんだん 下り坂になっているのだ。
噛む事が疎かになってくると 脳への刺激も少なくなる。
飲み込みも悪くなり ミキサー食に変化して行かざろう得ない。
多少 入れ歯が合わなくとも噛む能力を維持してあげたい。
食べる楽しみを奪いたくない。
便秘も出来る限り薬に頼りたくない。
医師もその過程を見てきているようで そういった事を話してくださった。
「訪問歯科医も良いのですよ。ただ 僕はしていないので…」

「存じています。通院のために外出すると母の刺激になりますから。できる所まで通院していきます」と伝えた。
「いつでも良いですから…。遠慮しないでいらしてください。歯茎を良く観察して傷が出来るようならまたいらして下さい」と言われた。

母の治療はさぞかし面倒だろうに…嫌な顔をせず普通の人と同じように接してくださる医師に深謝。

外に出た時「デパートに寄る?」と聞いてみた。「行く」と言うのでデパートに寄った。
一番先に目が付いたのがケーキ。
「食べる?」と聞くと「うん」と。
ケーキを選んで席に着いた時「有難う」と母は言った。
「ケーキが食べたい」とか「デパートに行きたい」と自分からは言わない。
でも こうして「有難う」と言う言葉を発するのは「来て良かった」という事だろう。
1人で全量摂取。
冷たい飲み物は嫌だったようで 私のホットコーヒーとトレード。
これだって 言葉ではないけれど意思表示出来る。

食べ終えて 母の希望でデパートの中をウロウロ。
途中 両膝がカックンとなり支えている両手に相当の比重が掛った。
店員さんも気が付き直ぐ傍に来て「椅子で休んでください」と。
更に「車椅子お持ちしましょうか?」とも言ってくださった。
車椅子は丁重にお断りをして 更に歩いた。
トイレで用を足し セーフ。

疲れた様子なのででタクシーにのり施設に戻った。
母の気持ち的には 未だ 歩き廻りたかったみたい。
バスも使えそうだから また 連れ出しましょうっと!

施設に戻って「入れ歯ちゃんとできて良かったね。よく頑張ってくれて…。
ほんとに嬉しい。有難う」と言ったら目をウルウルさせていた。

そうだ。初めの方で触れた「家の嫁さん…」
記憶に残っていたようで 居室に入って着替えている時「○ちゃんが来た」と言う。数年来 いくらこちらが会話の中に入れてみても「?」の母だったのに 数年来口にした事もなかったのに…。どういう訳か突然口にした。
母の中で いろんなゴタゴタは消えているのだろうか?


2006年02月23日(木) 自分に課したノルマ


 地域の活動団体のパネル展示の準備が夜に有った。
地域の40団体が参加という事だ。

家族会として参加する事にした。
少し早めに会場に出向く。
準備もあまり良くないので 早めに出かけたほうがよさそうと思ったからだ。でも 会場に指示を出せる人はなくて…。
実際の動き出したのは 予定を10分ほど過ぎてからだった。

既にパネルに準備してあるところが多かった。
説明会には 予定が重なり出られなかったので 電話でお聞きしたのだが事前準備の話しは無かったので焦ってしまった。

貼り付ける物は 下準備し小道具も持参した。
小道具のひとつに母がデイで作った折り紙で作った雛人形を持参した。
赤い布を毛氈に見立てて貼り付け重ね折りで仕上げたお内裏さま。顔も母が描いた。
もう 6.7年前の作品。紙に包んで保存してた物を出してきた。

今回の展示場所は お店の中の広場。
そこで 作業する訳にも行かないと言うので 別の場所に移って作業。

作業していると展示の場所が決まったと知らせに来てくれた人がいた。
同じ所に所属して活動している方である。
迷いながら作業していると執行部の方が「8時までには作業を終えてください」と言う。
それを聞いて気の毒に思った同じ所属の方がお手伝いしてくださった。
「こういう展示で お仲間が増えるという事有りました?」と伺うとそれはないという事だった。
「こういった パネル展示に参加する意味は どうなのでしょうね?」と伺うと「自分に課したノルマなんです」と言われた。
その方は いつもお1人で展示なさっている。
趣味や遊びでない活動をしておいでなのだ。
うちの場合 誰かしらお手代いしてもらえる。

「そうか ノルマね」
声を出さずにこの言葉を 心に刻み込んだ。
会の広報をするため認知症の理解を深めて貰うために パネル展には参加している。
今日は お手伝いの人が少なくて80歳を越えた方がお1人。
とても心苦しく 申し訳ない気持ちになっていた。
これからは こういうパネル展示の時は前もって準備して 当日は私だけで動く事にすれば良いのかな?
展示の度に「面倒だなぁ〜」と思うことが多くなってきていた。
私もノルマと言う負荷をかけて行かないと タラタラしてしまうなぁ〜。

考えてみれば 母の所への面会だってある意味では自分へのノルマだろう。
施設では 一応介護して頂ける。
でも 在宅で介護しないのだから 母のための時間を意識して作らないと母が見えなくなってしまいそうだもの…。
このノルマは 産んで貰った感謝もあるが 利息も付く。
夫が先日言った「あなたのお母さんは 認知症になっても教えてくれている」という事はおそらく利息だ。

病にならないに越した事はないが それでもこの病から学べる事は多い。
病の本質を知ることもそうだが こうやって地域と関って行く事も母の病が有ればこそだ。

夫が「家族会の会員は何名?」と聞いてきた。
「立ち上げた時の8倍」と言ったら「凄いな」と。。。
夫の理解も深まり 活動で留守になっても機嫌が悪くなる事はなくなった。
これは 我が家では凄いことです。はい。


2006年02月22日(水) 噛み付き ばんちゃん。


 いろんな事がいっぱいあって…。
施設に向かうと職員から「入れ歯日々が入っていました。それと立っている時後ろ倒れそうになる」と報告を受ける。

入れ歯チェックしておこうと思いながら 磨く時にいつも忘れていた。
職員は「すみません」と謝るけれど「言って頂いて有りがとう」と感謝。

予定していた事は即座にキャンセルし 歯科医に電話をした。
午後の診察で…という事で割り込ませて貰った。
職員に予約できた事を伝えると…「今日は火災訓練で…」と言われた。
その時間に割り込まずに済む時間だったので助かった。

今日はお弁当持参なので みんなとお食事。
母の隣に座ってお弁当を食べた。おかずは分けた。
でも 下の入れ歯が使えないので噛み切れない物は省く。
「ちとご飯の量少なめだな」と思った。が リハも有るし 仕方ない。
車椅子の方が 食事の時間になっても目を開けない。
暫く手をトントンと叩いてみたり 身体を起そうとしたりしたが 深く眠ってしまわれているようで ピクリともしない。
ほうじ茶ゼリーを運んでみたら ちょこっと目を開けてほんのちょっと口にしてまた眠ってしまった。

職員も様子を見ながら 少しづつ介助を始めた。
「可哀想だね。消化に良くないね」と考え込んでいらした。
今日は 時間をずらすと火災訓練にぶつかってしまう。。。

それでも 何とか目を覚まして食べ終えた。
食べている間 誰かが「ハックション」と何回もくしゃみ。
「大丈夫?」と聞くと笑顔で「だいじょうぶ」と。
あまりに繰り返すのでおかしくなって笑ったら みんなに笑いが伝染。
「あはは おほほ」と賑やかになった。
くしゃみした当人の笑いも。。。

食後トイレ誘導。大小成功。
トイレから出て手を洗っている時 ほんの1.2秒離れた隙に母の体がス〜ッと後ろに倒れかけた。
慌てて母の身体を支えてセーフ。
やはり立って直ぐはバランスが崩れるのかも…。
先日の膝カックンとは また違う。
ほんのちょっとの油断もダメなんだなぁ〜。
この事は職員にも伝えた。
ほんとは 車椅子を使っても良い位なのだ。でもあと少し…と頑張って貰っている。

トイレ後から 母が不安定になってきた。
「おかちゃん」を連発。療法士さんが見えても続いた。
でも リハが始まって暫くするとスウスウと寝息を立てていた。

この頃から 消防署の方が見えて職員と念入りな打ち合わせ。
火災を発見してからの行動を詳細に指導されていた。
この訓練には 火災報知器のメーカーさんも見えていた。
外を見るとはしご車も出動していた。
入所者には 火災報知器が鳴るけれど訓練だから…と紙に書いて一人一人に説明する職員。
これまで 避難訓練はあったがここまでの訓練はなかった。
訓練なのにドキドキとしてきた。
今日は昼だけれど この訓練は夜間を想定したものだ。
だから夜勤に当たる人も出勤なさって居られた。

夜勤体制は2名になったので 2人とも一時的に出勤。大変だなぁ〜。

いよいよ訓練開始数分前。
その頃には 消防署の所長さんまで見えた。消防の職員がいっぱいで普段と違う風景に入所者の目は 点になっていた。
人の数は 入所者より多い。

実際火災報知器を鳴らし 消防車が出動。その時間までも計っていた。
消防車には「訓練」と言う旗が付けられていた。
施設脇に消防車が止まりはしごがグングンと伸びた。

避難するのは 入所者に変わって職員。
施設内の様子は 消防士さんも見ておられた。
今回はベランダに避難と言う想定だった。

目の前ではしご車が伸びる事等ないので 母にもベランダで見学してもらった。はしごが伸びる所をみて驚いていた。
先に避難した職員を見つけて「あれ ホラ」と言った。判るんだなぁ〜。
こんなに 病が進行しても 人の顔は覚えられる。。。

言われた通り 火災発見から丁度30分で訓練は終了した。
今日は大勢の人がいたけれど 深夜勤は2名のみ。
ここまでスムースには行かないだろうけれど…。
訓練する意味は有るだろう。

おそらく長崎のGHの火災を受けての事だろうとは思う。
ホームの飾りや植物もいろいろクレームを付けられた。
施設内が殺風景になったのは否めない。
出来る限り在宅の雰囲気でという思いは 伝わらない。
火災の起きる確立は高くない…。そのために施設内の様子が変わってしまうことは ちょっと哀しい。
これが家だったら ここまで厳しくない。たとえ認知症の人が在宅であってもだ。
この辺 考えさせられてしまっている。。。

訓練後 母をタクシーに乗せて歯科医へ向かう。
今日もパタパタとしている。乗車拒否や降車拒否が起きるかなとドキドキ。
しかし 厄介なのは車よりも階段だった。
昨日 一昨日と面会に来ていない事もあって母の腰は重くなっていた。

階段をほぼ上り終える頃にくるりと下のほうを向いてしまい 動かなくなった。後2段のところで立ち往生。
助けを求めに離れれば母は転倒するかも知れないし…。
試行錯誤でようやく方向転換し上りきった。
しかし次は歯科医の玄関で立ち往生。
段差が低く腰を下ろす事も出来ない。
エレベーターにしておけば良かったと反省。
母の恐怖心を煽ったので 落ち着くまで苦労した。

母の順番が来て治療椅子に座り 医師が何気なく椅子の背を傾けたら母の恐怖心を煽ってしまった。
「ごめんなさい」と医師は即座に母に謝った。が母の不安は解消しない。
落ち着くまで医師は待ってくれた。
更に傾けるとまた母が不安がると判断くださって緩い傾斜で止めて「ここでいいです」と言ってくださった。
口を空けるのだって指示通りには行かない。
こちらが母に指示して空けて貰う。

母はここの医師がどんなに偉ぶらずに治療してくださるかよくよく知っていたのだが…。今の母には そういう記憶すらない。。。
それでも医師は相変わらず 優しく受け容れてくださる。本当に感謝。
肝心の入れ歯は今日仕上げる事は無理で金曜に調整という事に。
入れ歯は歯医者さんにお泊りだ。

帰りは何とかなるだろうと思い再度階段にチャレンジ。
玄関でてこずったのをみた患者さんが手伝いのため 出てきてくださった。
案の定 階段で立ち往生。
後ろから患者さんが支えてくださったのだが これが母の気に入らなかったらしい「やめてけろ!」と大きな声で拒否。
気まずい空気が流れた。
「認知症」とわかっておいでだとは思うが…単純に体が不自由な人と思われていたら…と思ったが言い訳する暇などない。
「有難うございました。後は何とかできます」と言って引き取って頂いた。
気まずそうな ショックそうな表情が今も思いだせる。
多少手こずりながらも 何とか無事降りられた。

直ぐ目の前にタクシーが見えた。歩かせたいけれど…という思いがあったが
これ以上ドタバタは回避するため 手を上げた。
しかし ここで母の乗車拒否。
押し込める訳にも行かず 母のペースに合わせて乗り込んだ。
運転手さんも 気持ちよく待ってくださった。
降車時も拒否。

運転手さんが気を利かせて反対のドアを開けてくださり 先に下りて外から母を外に誘導。

ヤレヤレ やっと施設到着だ。

母は お腹を空かせていた。
歯科医で待っている時「お腹が空いた」と言う意味の言葉を数回発していたのだ。持っていた飲み物を飲んで貰ったが まさか食べ物を食べさせる訳にも行かなかった。
職員が水分でも…と言ってくれた。
「持ってきているので大丈夫です」と伝え居室でおやつ。
でも夕食の30分前くらいだ。響かないとは思うけれど…食べるのは遅くなるだろうなぁ〜。

排尿もパットに出ていた。これも不機嫌なる理由だっただろう。
それでも トイレで更に排尿も出来た。

急な事だから仕方ないが…。

さてと 施設に来る往診型の歯科医と通院型の歯科医とどっちが良いかなぁ〜。少なくとも「即」と言う意味では 通院の方がいいかな?
それに外出は 刺激にもなるしリハビリの意味も持つ。


2006年02月21日(火) 悩みの種。。。

 
 今朝の朝日新聞オピニオンに医療制度改革関連法案が閣議決定されたのを受けた記事が載っていた。
社会的入院を減らすためと言われているが…。
ほんとに大丈夫なのだろうか?
制度をコロコロ変えても結局の所 在宅で見られない人は病院から施設に移るだけでかかる費用の抜本的改革にならないような気がしてならない。
それに 施設職員の仕事量が増えて負担にならないだろうか?
そうでなくとも腰を痛めたり 腱鞘炎を起す人が多いのに…。
現在入院中の人は 考慮して貰えるのだろうか?

病院には 介護士は居ないから寝かせきりや拘束も多い。
施設だって 危険回避のための拘束は存在しているし 積極的にリハビリに取り組む姿勢の所は多くない。
現場の職員から聞くと 見せかけも多いという事らしいし…。

それに 療養型病院に入院で月20万円と言うけれど これが老健や特養だったら 今の料金での運営は無理で新たに追加料金徴収なってならないのかなぁ〜。

在宅となると 現在のサービスでは 仕事を持ちながら介護だと足りない物がいっぱいだ。 身の安全を考えてめいっぱいサービスを利用すると働いた分だけでは足りなくなりそうな感じ。
20万から30万近く掛ると聞いた事がある。
家族が関れる人はいいけれど…。そういう所ばかりではないだろうし。

ニュースに寄れば 所得格差が広がっていると言うし…。
庶民の介護ってどうなって行くのだろう???

闇雲に不安がっても仕方ないが それでも医療制度や介護保険の改正でいろいろ気になることが多い。
管理を国から市区町村に任される部分が出て 役所も説明会が開いている。
介護者は忙しくてなかなか出向けないだろうけれど…でも自分の町を住み易くする為に是非出かけて欲しいなぁ〜。
外出可能な家族なら本人も連れて出かけて 現状を見てもらうという事も良いのかな?
役所によっては 在宅介護の現状を知らない人も配置されているらしい。

「地域での助け合い…」と言われて 役所でもいろんな試みが始まっている。でもねぇ〜 かなり難しそう。。。
言われて動くのと自発的に動くのとは随分違うような気がする。
いろんな補助金をカットして 地域力をつけるように仕向けられるけれど…。どうなんだろうな?

地域のふれあいという事で アチコチの集まりの案内が来て活動展示後交流会が繰り広げられている。 仕方なく 無理をして出かけるが…。
役所の説明会も含めて そういった所に集う人たちって 見たことの有る人が多い。
こういった事に無縁できたので 以前からの知り合いは居ないし…。
動いている人は ごく一部の人ではないかなと思ったりする。
そんな状態で助け合いが広まるのだろうか?
それに 私が若い部類…と言うのも気になる。

アバババ…。
なんだか話が違う方に行きそうだ。。。まっいいかぁ〜。

今週もそのパネル展示があり 資料作りで1日がパー。
母の泣き顔が浮かぶが…もう数日後なので…。
パソコンに向き合い目がシバシバする。
慣れないイラストレーターを使ってみたが 挫折。
時間の割りに ちっとも仕上がらないのが 悩みの種。。。
ため息交じりで夜も更けて…明日は明日の風が吹くんだわ…


2006年02月20日(月) エンヤコラショッと!


 利用者さん訪問。
お元気な御様子で何より。
今日は 暮れに購入したパンツの裾が長すぎるので直しに出したいと言われた。
お店でちゃんと計って裾上げした筈なので先ずは 家でチェック。
「あれれ 靴はいて計ったいらしたなぁ〜」と気になった。
でも靴の底の厚さ分を足しても少し長いかなと思った。
もうひとつのパンツを見ると裏地と表地の縫い目がちょっとつれていた。
これは 完全にお店のミス。

出かける時直して貰うパンツをすっかり忘れてお出かけなさろうとした。
「肝心の用事が…」と言うと苦笑いなさっていた。

「呆けてはいられません。足もせっせと動かしていて 見てくださいホラ」とリハビリする様子を見せていただく。
「頑張りますねぇ〜」と言ったら「自分の身体は自分で守っていかなくちゃ」と言われた。

…家に帰って 新聞を読んだら 高齢者の介護予防の記事があり 利用者さん読まれていたのだなと知る…
ちゃんと読めるのだから 未だ大丈夫だわ♪良かった!

気力の持続は 自発的が一番。
時にご家族から「お袋 頑張ってくれよぉ〜。気をつけてくれよぉ〜」という励ましの声が意欲を高められる様子だ。

今日はぬたを作った。
あおやぎがあればいいなと思って お店で探したが見当たらなかった。
烏賊だとかたい時もあるので「さつま揚げでやってみましょうか?」と伺うと「あっ それいいな」と言われたのでさつま揚げで調理。

利用者さん宅にいる間に水道メーターの検針の方が見えた。
「何か変わったことが有りましたか?」と聞かれた。
「別にありません」と伝えると「使用量が倍近く増えていまして…」と言われた。利用者さんに伺ったが 特別の事は無いと言われた。
漏水かと思い水道栓をチェックしたが 異常なし。
ひょっとして水道栓の締め忘れなかったかな?ちょっと気になった。

電気量と含めて やはりケアマネに報告しておいた方が良さそう。。。

夕方 介護仲間から電話があった。
どうもご夫婦二人で暮らしておいでの仲間のご主人が緊急入院なさった様子だ。それと悩んでおいでと言うお話だった。
急遽 電話をしてみると涙声になった。
「施設も視野に入れたら…と言われた」とも。
「お気持ちはどうなのですか?」とお聞きすると「未だわかっている事が有るので入所は可哀想。。。」と言われた。
ゆっくりお話を伺うとご家族から「大変だろうけれど オヤジ判っているから面倒見てくれよ。出来る限り応援するから…」と言われている御様子だった。ご自身は ご主人に対してあまり良い思いをなさってないという事で『何で見なきゃいけないの?』と言う思いも有るという事だ。
おそらく お気持ちが激しく行ったり来たりなさっておられるのだろう。
バシッと決められないのは ご家族の思いを尊重なさってのことだろう。
施設に託すって 踏み切るまでには相当悩みが付き纏うものだ…。

認知症の介護の難しさは 介護家族と介護を受ける当人との関係がとても複雑に絡み合い 理屈通りに行かない所だとつくづく感じる。
人の心や思いは 当事者にしか判らないものだと…。
これに疲れや忙しさまた介護を受ける当人の不安も加わるのだから…。
制度上の事や身体的な介護の部分ではアドバイスできるけれど…。

ひとしきりお話を伺って電話を切った。

食後 メールをチェックしていたら 介護仲間からメールが…。
別の方のご家族が手術。
手術中に脳梗塞が起きて退院の目処が立たなくて 毎日病院に通っておいでだと言う。この方は家にも認知症で対応の難しいご家族がおり仕事もなさっており「ふぅ〜っ!」とため息交じりのメールだった。

何となく心重たい感じの今日だったが 仲間のお話を伺い背筋がピピッと伸びた。何のこれしきエンヤコーラ!もひとつおまけにエンヤコーラ!


2006年02月19日(日) 取り戻せたかな?


先日 夫の知り合いが58歳で亡くなられた。
今日がご葬儀。
夫はここ数日 何回かお訪ねしてご家族や友人たちと思い出話をしていた。
今日は夫婦でお見送りに。。

が…。普段スッピンの私が鏡に向かって 下地クリームを点々とおいていこうとしたら…もろに目にクリームを塗ってしまった。鏡がぼやけて見えなくなった。
慌てて洗面所に走って 目を洗い流した。そして点眼。
これだけでも十分粗忽なのに…。

注意深く 黒のストッキングを履こうとしたら ピピピーとデンセンしてしまった。ストッキングに縁がなくなっているので 新品在庫は黒・肌色それぞれ1足しかなくなっていた。
「どどどどうしよう〜」
落ち着いて 洗濯して収納している方にないかと探した。
2ミリくらいの穴が空いたのが見つかった。
こちらは ちょい安めのものでデンセンしないみたい。
「助かったぁ〜」「これでいいやぁ〜」お店に寄る時間ないんだもの。。
家には娘もいるが この娘 私以上にストッキングと縁がない(苦笑)

忘れない内に黒を補充しておかないと…♪

お見送りさせて頂き家に戻ってから 母の所に出向いた。
頂き物のクリップシキドリップコーヒーとクッキーのセットが有ったので施設に運んだ。
我が家で使う事は無いから。
おやつの時間に皆さんにコーヒーを淹れて差し上げる。
先日バレンタインデーで夫が貰った生チョコを届けたが それも施設の冷蔵庫に残っていた。
コーヒーと生チョコでティータイムとなった。
お茶オンリーの方も居るのでその方を除いて みんなで楽しんだ。
生チョコと言っても ほんの僅か…1人3粒。。。
それでも「美味しい」と言われて召し上がっていた。

トイレ誘導 4回。全て成功。
母は この数年 トレーニングパンツに出てしまうことが殆どで 替える時「汚れた?」と聞く程度で 出た事が気になって居ない様子だった。
お正月当りから 出る前にちょっと不安そうな表情をするようになっていた。だから 気をつけるようにしていたし「頑張れ」と応援しトイレで排泄できた時は褒めていた。
今日 トイレに入って出そうに無いかなと立ち上がらせようとした時「おしっこ出る」と言えた。
直ぐに座ってもらったら 予告通り排尿。
その後も 出そうになると不安そうでトイレに連れて行くと 待ちかねたように排泄。母はちゃんと我慢して誘導を待っていたのだ。
思わぬ発見に嬉しくなった。
自分で「トイレ」とは言えないし立ち上がる事も出来ないから 誘導以外に排泄は考えられない。

排泄の感覚 もう取り戻せないだろう…と思っていたが出来るんだなぁ〜。
面会の間 オムツの使用量がグンと減っている。
「夜間は寝たままテープ方の大型オムツを当てる」と施設から宣告されている。誘導の負担は重いだろうと思い「はい」と承知しているが…。

今日の母は足取りも軽い。
昨日 お風呂に入ったようで 頭が良いにおい。
入所者の1人が「昨日 お風呂に入られたのよ。気持ち良さそうだった」と話してくれた。

お散歩に連れ出す。
歩いている時「楽しい?」と聞くと「あなた 見せて いろいろ 行く」と言った。母の話しはこんな風だ。
単語がはっきりしている時は 過去の言葉を思い出しながら 単語の順番を入れ替えてみる。
「あなたが いろいろ連れて行って見せてくれるから…」という事だ。
「足痛くない?」「もう帰ろうか?」と聞くと「未だ」と言う。
近くのコンビニに入り お買い物。
品物に興味を示しお菓子の名前を読んでいた。
買い物を終えてお店を出ようとしたら「あっちの方」と更にお店を廻りたい様子だった。
だから もう少し先にあるドラックストアまで足を伸ばした。
一回りして 疲れたようなのでお店を出た。
ベンチが無いので 施設近くまでは 休みなし。
さすがに足が痛くなったようで「足痛い?」と聞くと足を擦り始めた。
公園の生垣のコンクリートに腰を下ろして一休み。

程なく施設に戻った。


2006年02月18日(土) 誰のDNA


 今朝 5時に夫を送り出した後 また寝入ってしまう。
夢の中でカワセミのホバリングを見た。
それも 私が獲物で有るかのように私の目の前でパタパタ!
こんな夢 初めてだ。
先日の久しぶりにカワセミに出会ったので そんな夢を見たのだろうか?
この所 夢なんて綺麗さっぱり忘れ記憶に留まっている事等無いのになぁ。
ちょっと得した気分でもある。

この所 娘の体調がイマイチ。
あっちが痛いこっちが痛いと連日だ。
通院もしたが 解決していない。
病名が付くような症状ではない所が悩みの種。

私は生きているんだから仕方が無いと受け止めるが 娘は症状を改善して気持ちよく過ごしたいと思うらしい。

医師に 症状を伝えると「妊娠の可能性は?」と聞かれたようで「ブスッ」としていた。「お医者さんなんだから 職務上やむを得ない質問でしょうが…可能性ゼロじゃないでしょ」と言い聞かせたが…。

でも 今日通院した所は 初診の問診表に妊娠の可能性という記入場所があり 目の前での確認は無かったと言う。
やっぱ デリケートなお年頃の娘でしたわ♪

ここの医師は 患者と10分以上の問診をなさる。
先ず患者のお話を良く聞かれる。そして 薬の説明や何故そういう症状が出るかをきちんと説明なさり 懇切丁寧なのだ。
消化器系で心配になったら ここに通院と決めている。

弱点は 問診が長いので 待ち時間はいつも1時間以上になる。
信頼できるが 時間の無い時は敬遠。
娘の性格なら この医師がぴったりと思って勧めた。
やはりドンピシャだった。

アチコチ受診して 納得を得 薬の説明も医師の体験談伺い 合点が行った様だ。ヤレヤレである。

親子でも いろいろ違う物です。
夫は 大の医者嫌い。一体娘は誰のDNAを頂いたのでしょう?
想像するに 母のじゃないかな?

体調の優れない娘 今日は遠方から友人が見えているという事で お出かけです。体調の悪さはその程度のことなのです。。。
娘 これを読んだら怒るかな???


2006年02月17日(金) 明日は寒そう。。。


利用者さん訪問 玄関を入るとカレーの匂いがした。
「わたくし 大仕事しましたの」と笑って話された。
朝食はカレーだった御様子。「ご飯が食べたくなってカレーを作った」と言われた。

でも不思議なんだわ!
インスタントルーをお使いと思われるがルーは鍋で溶かして 具は別に作って最後にルーと混ぜた御様子。それもフライパンで…。
「美味しい」と言われるので「良いかなぁ」と思った。

「冷蔵庫が空っぽですの」と言われた。
昨日はヘルパーさんが訪問なさっている筈なので ちょっと理解できなかった。よくお聞きすると「ヘルパーさんには お掃除 洗濯 新聞紙の後片付け」を頼まれた御様子だった。だから お買い物は してないらしい。
そして 外出も控えておいでの御様子で 残り物を食べられていたご様子で副菜とご飯が空と言う意味だった。

今日は状況を理解していくのに お話を引き出さないとなかなか判らない事が多い。利用者さんの頭では 判っておいでなのだが…。

「今有る物で煮物を作って欲しい」と言われ 直ぐとりかかる。
その間にお買い物リストを作っていただく。
こちらは冷蔵庫をチェックしながら確認し追加すべき物をお伝えした。

安全点検の業者さんが見えて 緊急のチェックをなさった。
利用者さんは ガス利用料の明細を広げ「昨日 検針に見えて利用利用料が少ないのでおかしいと言われた」と言って業者さんに聞き始めた。
この業者さんはガスとは無関係の方なので「あ それ見せてください」と言って見せてもらった。
すると 先月分と今月分の利用料が倍になっていたのだ。
きっと「先月は少なくて今月は馬鹿に多いので漏れていないでしょうか?」と言われたのだろう。

それでも 検針するガス屋さん「漏れている」と言うだろうか?
漏れていたら それこそ爆発だ。緊急体制になるではないか。
利用者さんが のんびりしておいでだから 違う事を聞かれたのだろうと思うのだが…。

使用量の倍増はきっとガスエアコンを一晩中つけたり 温度設定が30度だったりのせい。
でも利用者さんは 入院して留守にしたから…と言われる。
今は きちんと使えるようになっておいでなので 今日は特に何も言わないで置いたが…。
さて この事 どう処理していこうかなぁ〜。
ケアマネさんは ご存知の事だけれど…。

買い物を済ませ 使いやすい形にして冷蔵庫・冷凍庫に収納。
お惣菜を2品作って 今日の活動終了。

マンションを出る時「時間前ですね」と管理人さんに言われた。
今 こちらの都合で30分繰り上げて活動させて貰っているとお話した。
でも よくきちんと把握為されておいでだなぁと感心した。
これぐらい 配慮してもらってれば安心だ。

午後 母の所に出かける。
フロアに見知らぬ若いお嬢さんのお姿があった。
ボランティアの方の様子。
「眠そうです」と職員が母の様子を教えてくれた。
でも眠いのではない…と直感。お腹がおかしいので俯いていると感じた。
立ち上がって貰おうとしたら母が怒って「ここ 動かない」と言う。

こういう時は リセットに限る。
座って貰ってから 再度立って貰う。せいこう せいこう。。
トイレに誘導。

トイレで母はキュッと私に抱き背中を撫でた。私も母の背中を撫でてあげた。母の目から涙がポロポロ零れた。
便座に座ったら排尿できた。
その後大も成功。
やはり 排泄不安だったみたい。

「あのね お話はよく判るから心配しないでいっぱいお話してね」と言うとまたまたポロポロと涙を零した。
トイレ行きたいときは「トイレ」と言えば先生(母は職員の方をそういう)はちゃんと連れて行ってくれるよ。「○ちゃんも 先生の時迷惑なんて思わないでそうしてあげたでしょ」と言うとまたポロポロ涙。

トイレを出る前に「う〜ん」と伸びをしたら「○×△」(方言で「伸びた」)と笑った。→久々に聞く方言で何と言ったのか忘れてしまった。

トイレから出るとホールでボランティアさんがお話を聞きだしている声が聞こえた。「お名前は?」「○△」 おお 久しぶりにはっきり話している。
「素敵なお名前ですね。どなたがお名前を付けられたのですか?」
「…お寺さん」
…そうか お寺さんか。そういえば 昔はご住職さんが付けてくれた事も有ったと聞いた事があるなぁ〜…
ゆったりと向かっておいでのボランティアさんで 引き出し方がとても上手だった。

母はトイレの用が済んだら 穏やかな笑顔を取り戻していった。
眠そうな表情はなく いろんな方と共にボール遊びを楽しんでいた。

夕方近くになって 雪が舞って来た。
明日は寒そう!


 



2006年02月16日(木) 見学


 介護仲間と一緒に地域にグループホームを見学に出かけた。
母の施設は第一号 今日見学した所は ふたつめの施設。
昨年の秋 開設された所だ。

私がこの地域に転入した時から 老人対象の病院としてあった。
弟がこちらに住んでいた頃 弟の勤める会社がこの病院の空調管理をしていた。そして弟の中学時代の友人がこの病院でインターンとして研修中だったという事もあった。

この医療法人は 地域に根を下ろし広がった。
現在リハビリ中心の病院や老健も運営。24時間の訪問看護や往診 支援センターもある。デイサービスも…。

母は この医療法人を利用した事は一度もない。
遠い訳ではない。
たった一度だけ ここのデイを使ってみようかと考えた事は有るが 踏み切らなかった。

家族会の仲間で利用している人は数名いる。
皆さん 信頼なさって居られる様だ。

1ユニット9名という小さな施設だ。
夜間体制は1人。医療法人の施設なので夜間の緊急時は 24時間体制という事だった。
認知症外の病で入院が必要になったら 同じ系列の病院への移行もあるようだ。
日中の職員は3名。
食事は職員と共に作るとの事。献立もみんなで考えるそうだ。
みんなの希望が順次叶えられるように配慮なさっていると言う。
食材は職員と共にお買い物に出かけるそうで 時には外食をしたり出前を取ったりもあるようだ。
カロリー計算は 職員がなさっていると言う。
朝食は7時半だそうだ。

入浴は 自立している人は1人で 介助の必要な人は職員が介助。
1日置きに入浴。希望すれば毎日だそうだ。
浴室は南向きでかなり広かった。

トイレは各個室にはなくて 3室のトイレがあった。

居室の広さは母のところより少し広め。洗面台…あれれ あったかな?
8畳くらいかな?全員ベット。
母の所は半間のロッカーだが ここはロッカーダンス。収納間に合うのかな?

ひと月の利用料は 20万円位でそのうち家賃分は7万ちょっと。
献立により食費に動きがある様子だった。

内科 外科の部分は同じ建物に病院がある。
診療していない部分は 通院介助なさっているという事だった。
ご家族が依頼して ヘルパーさんに通院介助して貰っている方や ヘルパーさんに依頼して散歩と言う方も有るという事だった。

ごくごく普通の年金暮らしの方が 利用するには利用料は かなりの負担だろうと感じた。

私は常日頃から グループホームで終末期を迎える時の興味があった。
「若し 後見人制度で 延命拒否 診察拒否の希望が有った場合 本人の意思を尊重して頂けるか…」と聞いてみた。
即答を避けられた。
当然の事だろうと思う。私自身も直ぐに答えを求めては居ない。
これから先 こういう事が大事になってくるので 考えて貰いたいなぁ〜と思うから聞いてみたまでである。

見学を終えて それからちょこっと通院。
待合室に 施設の職員らしき人と通院なさっている風の人が3名入られてきた。軽い認知症があると感じた。
診療カードに書く住所がわからなくて職員に聞かれていた。「何処の施設だろう?」と耳を澄ますと これから見学に行こうと思っている有料老人ホームだった。
職員に「見学って出来ますか?」と伺ったら 明快な返事はなかった。

職員の入所者に接する態度は実に丁寧で 入所者同士も思いやりがあって出来る人ができない人を見下すような言動は一度もなかった。
ちょっと興味が強くなった。

時間が空いたら また仲間と見学に出かける。


2006年02月15日(水) 春のお日様


うららかなお天気だ。
少し歩けば 汗ばんでくる。上着を脱いでテクテク。
ようやく 庭先にふきのとうが頭を出した。
早速収穫。早い時は12月に出てきた事もあるから 今年はゆっくりだ。

朝のラジオで 夏の予想をしていた。今年は猛暑と…。
立春を過ぎて間もないのに…。それも暖冬と言う予報が大きく外れてしまっているので 信じる気にもなれない。

母のリハビリの日だ。
丁度昼食が始まった時に着いた。
母は食事もだんだん自立し始めた。
今日は豚ヒレのトマトソース煮だった。
これが 結構口の中に残るような気がした。何時までもモグモグしていた。
けれど 適度に水分を送り込むと口の中に食べかすが残らなかった。
一時水分で噎せる事が多く心配したのだが 大分よくなった。
首を延ばす機会が増えて筋力も戻ってきたのだろう。。
先日 精神科医に「骨折で機能低下が起きてきていて心配です」と言ったら
徐々に戻るでしょう…と言われていた。
そういわれても 目の前の母は はっきりしない事が多く何となく心細かったのだが…。良かった。
食事の自立と言っても 未だ完全ではないが…。
同じ年の方が食事中も眠ってしまうが 母はそれはない。
そういえば 同じ歳の方 今日の昼食 配膳まで待ちきれなくて眠ってしまわれた。手を触れても寝息が聞こえて ピクリともなさらなかった。
職員の介助までには目を覚ませるようにと 根気よく刺激を続けた。
目を開いた時「お食事ですよ。ほら」と声をお掛けすると配膳をみてニッコリなさった。癒される笑顔である。

昨日から役所の方から電話が入っていた。
今日は 母の所にいると伝えたら施設まで来てくださった。
母の居室に入って「まぁ〜広い部屋ですね」と。
いえ そんなに広くはないのですが…窓が2ヶ所にあり何となく開放的かも知れない。。それにベットもないので 昼は広々と感じるかも…。
「お母様 お元気そうで良かったです」と言われた。
酷い時の母の様子をお話していたので もっと大変かと思われていらしたようだ。今の様子からは 想像できないだろう。

携帯に残した母の画像を比べてみると歴然だ。
眉が下がって 辛そうな表情の画像だ。それでも 良くなる予感が生まれた頃の画像なのだ。

今日もトイレ誘導成功。2回ともである。
大のほうもトライしたが今日はあと一息。
「もっと後で」と言う母の言葉を信じた。
しかし 本当は 私のいる間ならトイレでの排泄は可能なんだけれど…欲は出るけれど諦めた。

リハは 間接をまっすぐ延ばしたりをすると母は嫌がっていた。
「我慢できる?」と聞くと首を横に振った。
それでも そろそろ動かさないと思い「少し痛いけれど 歩けるようになるためちょっと我慢して貰える?」と聞くとコックリ頷いた。
先日も左腕を上に上げてもらったら90度近くまでは上げられるがそれから先は「痛い」と言ってあげようとしなかった。
療法士さんは「90度まで上がるからもう少し戻りますよ」と言ってくださった。今後に期待。

お散歩に出た。
安定してお散歩できていたのに 信号待ちで立ち止まっている時急に両膝が
カクンと曲がった。
両手で介助していたので 何事もなくて良かった。
久々にファミレスに入った。
あまり沢山食べさせると食事に影響しそうなので程ほどのところでやめた。

帰路の歩行は 1回だけ休息した。さすがに疲れる様子だ。
でもこの分なら 桜の咲くころまでには もう少し改善されているような気がする。ひとつ良くなると 次のところまで…と欲が出てしまう。
無理をしないで…頑張ろう。。



 


2006年02月14日(火) 書くことって・・・


今朝の朝日新聞文化欄の大江健三郎さんの伝える言葉で「面白く話す」と言う話が載っていた。
大江家にネズミが出没した事。その駆除の様子のお話。
何処にでも起きる家の中の小事件を面白く表現なさっていた。
大江さんは小さい時から面白くお話しする癖があったという。
それをじっと聞いてくださったおかげで今があると言うようなお話だった。

私の好きな作家の串田孫一さんも 土の中にいた虫たちが這い出す様子を細かに表現された。周囲の景色も目の前に浮かんで来るような細かな観察だった。

今読んでいるのは「裁判大噴火」は若手芸人 阿蘇山大噴火の書いた本。
ラジオで聴いていている分には 語り口も面白い。
が活字になると受ける印象が違って来る。
つまらないと言う訳ではないのだが…。

書くと言えば 月に1回の会報作りがある。
私の場合 駄文を如何に切り落とすかがいつも課題で 汗だくになる。
日記を読んでくださる方は 重複する駄文に嫌気がさして来る方も多いのだろうと思っている。

その私が 少し前から 字数制限の多い家族会の案内欄の記入に取り組んでいる。簡潔に書くのが苦手で 途中まで書いては休むの繰り返しだった。
そんな所に 介護仲間から電話が有った。
届けたい書類が有るという事だった。
「しめた」とばかりに「私もちょっとご相談したい事が…」という事でお会いする事にした。
手助けを請うたおかげで ようやく仕上がった。
ついで 下書き中の会報にも目を通して頂いた。
頭脳明晰な仲間に深謝。

その後 地域の介護保険サービスの行方や奥様や母のお話。また施設内の風景等を 小半日話できた。

今日は 暖かな1日で昼の外出の行きも帰りもテクテク歩いた。
その上 深夜「頭が痛い」と言う娘に付き合って 町内を徘徊した。
ついこの間まで 深夜に歩くには防寒着が必須だったのに…今日は フード付きトレーナーで十分だった。
我が家の紅梅も大分ふくらみ ひょっとしたら明日当り開花するかな?


2006年02月13日(月) 不機嫌


利用者さん訪問後 次の用事まで2時間空いた。
郵便局と銀行の用を足すので家に戻る程の時間はなかった。
そんな訳で フラッとスーパーに寄って パンと飲み物を買って河原に出た。美味しいパン屋があるので そこで買おうと思ったら生憎のお休み。
スーパーのおにぎりを食べる気にもなれなくて…パンと飲み物にしたのだ。

お弁当も売っていたが ゴミの捨て場所がない。
ゴミを持って出かける訳にも行かなかった。

今日は 風もなく陽射しがあたたか。
河川敷をゆっくり歩いた。
この道は 母と夫と3人でよく歩いていた。
今でこそ 1年に数回くらいしか歩く事はないが…。

休む場所も決まっていた。
だから ベンチのある場所もわかる。
でも あえてベンチに座らず河川敷に降り ベンチくらいの流木の上に腰を下ろして昼食を摂った。
20メートルと離れていない所には ホームレスの人のテントが張ってあった。普段は ホームレスの家は葦の中に隠れて見えないのだが 葦はすっかり刈られてしまっていた。
火災の危険があるからなんだろうなぁ〜。

近くにカワセミの巣が有ったのだが 今も有るのだろうか…と耳を澄ますがカワセミの声は聴こえない。替わりに白セキレイがチチチッと幾羽も飛んでいた。
この当りには 川鵜や鷺も良く群れているのだが 今日は姿がなかった。

川底には 空き缶やスーパーの袋 ボール等が半分埋まっている。
それでも 川面は 晴れ渡った空を映している。

川のせせらぎが耳に心地よく響く。
小さな川が大きな川に合流する場所なので少し浅瀬になっているせいだ。

母と堤防の上から河川敷に降りたなぁ〜。
「怖い」「危ない」と言いながら 口ほどに嫌がらずにいたっけなぁ〜。
野鳥の声やせせらぎは 耳が遠い母には 届かなかった。

冬の河川敷の母の楽しみは 空が映った川面と広々とした視界だったような気がする。

もう さすがにここまでは来れないだろう。。。

時計を見て立ち上がろうとしたら カワセミが水面ギリギリの所を直線で飛び立った。草の陰になり魚を食べる瞬間を見られなかったのは残念だった。

家族会の登録している会の情報交換会に出向く。
新しいメンバーも加わり 情報を交換。
地域の議員さんも見学に見えていた。ほんとはこの方も登録している団体の代表では有るのだが 議員と言う立場もあり静かメモを取っていらした。

母の健康診断が有るので途中で引き上げた。
便検査の物をあまり放置できないので…今日当たりに行っておかねばならないのだ。
母はテレビを見ていた。
割りに落ち着いていたのだが…。
パパッと着替えさせて タクシーに乗り込んだので 母の機嫌が悪くなっていくのが判った。頭の切り替えが蛍光灯より更に遅い。
実際の所 何が起きるのか不安でたまらなかったのだろう。
先生とお会いしてもとても不機嫌。
「あら 見て戴いて有難うでしょうに…」と言うと それだけは理解できて
「有難うございます」と言っていた。
レントゲン撮影も大変だった。やはり診察の限界かなぁ〜。
きちんと説明して瞬間は「うん」と判るのだけれど 行動が持続しない。
ま立っていられるだけでも喜ぶべきなんだろうけれど…。

血液検査では 針が入った時はなんともなかったのに暫くしたら「痛い」と叫んだ。こちらは「偉いねぇ〜頑張るねぇ〜」の声をかけて 腕だけはしっかり動かないようにした。
心電図だって「何するの!」と怒り出した。

やはり 何事もゆっくり時間を取ってあげないと母の不安は高まるばかりだろう。

行き道帰り道共にタクシーを降りるのを嫌がった。
目まぐるしい変化に 頭が付いていかないように見えた。
こちらの都合で母に合わせてもらう形だった事反省。。。

今日は 利用者さんも何となくイライラなさっていた。

ひょっとして そういう日だったのかな?

急いで家に戻り夕食の支度。
1人で食べて…片付けた頃 介護相談の電話が入り一時間余お話しする。
「難しい…!」来月の家族会に見えるそうだ。
みんなとお話した方が きっと気分が解れるだろう…。


2006年02月12日(日) 記憶


1日家に篭っていた。
家人も皆お休みだった。

いろんな用事が片付かない儘だった事に気が付いた。
「あっ あれしなくちゃ。それとこれも。こんな風にしてみようかな?」等と考えただけなのに そのうち忘れてしまい したつもりになったり 忘れてしまったり…が多くなっているのだ。
全く 都合の良すぎる話だ。

1日3回の食事の支度をしながら 合間に溜まった仕事を片付けた。
今週手際よく行動できるように準備。

それでも 未だ片付かない。
ラジオから「脳のトレーニング」の話が聞こえてきた。
手を休めて聞き入る。
「海馬を使って どんどん未知の事を覚えていく時は 時間が経つのは遅い」と言っていた。
子供の頃の時間の長いと感じるのは そういう事が影響しているらしい。

この所 毎日が過ぎて行くのが早くて 1日で片付かない事が多く1日がもっと長ければいいなと思っている私は 覚えられなくなっているのかな?
訓練するには 新しい事にチャレンジしていく事と言っていたなぁ〜。

先日 娘が「がま君とかえる君」のぬいぐるみを買ってきた。
幼稚園時代に娘のお気に入りのひとつだった。
シリーズで購入し今もきっと何処かに残っている筈。

娘が生まれて首が据わった頃から 絵本を購入し膝の上で読み聞かせをしたり 眠る時には毎晩 昔話を聞かせていたなぁ〜。
だから 今でも話しの一節を暗記していたりもする。

「このくに どのくに みゅんへん…」とかの言葉遊びや「「わっほい きゃっほい そうらんみょう ととんきぽんき なんてんぼう…」と言う長い名前だって 娘は今でも言える。
私は ほんの1部しか思い出せないのに…。
がまくんとかえるくんのお話だって 娘の記憶は鮮やかである。

やっぱ 私の脳は衰える一方だ。
新しい事にチャレンジして脳を鍛えないといけないみたいだ。





2006年02月11日(土) ハピハピ バースデイ


 紀元節である今日は 夫の誕生日。
昨夜から お赤飯を仕込んでおり「明日はお誕生日ね!」と言うと「もう めでたくもない」と。。。

そうは言ってもね。この世に送り出してくださったお母さんに感謝する日でもある訳です。

私は お義母様とは面識がないが(若くして亡くなられたので) それでも夫から聞く限り 四男である夫を何時もいつも「この子は良い子だ」と言い続けてくれたそうだ。
男の子が四人で一番下が女の子…。そういう環境なので四男の存在は 強烈にアピールしないとちょっと陰が薄くなりがちだっただろうと思う。
お義父様は厳しく(私が出会った頃は とても優しくて 季節ごとにお便りを下さったのだ)やんちゃな四男は 叱れる事が多かったらしい。
夫は 今でも お母様の優しさにいつも感謝しているようだ。

お誕生日のおすそ分けに お赤飯を持って母に面会。
母に届ける分を先に蒸した。
黒胡麻あった筈だけれど…と探し回るが 焦れば焦るほど見つからない。
近所のコンビニまで走ったがここにもなくて…仕方なく胡麻なしで…。

ところが 施設の昼食は五目チラシだった。
おかずがあるなら ご飯だけ差し替えるが そういう訳にも行かなくて お赤飯は一口ずつ 同じフロアの皆さんに分けた。
「紀元節です」

母をトイレ誘導し歯磨きをして ホールに職員が消えたと思われた頃「そっちはダメ!!」と強烈な声がした。また「いたずらするんじゃない!!」とこれまた別の方の怖い声が響いた。
ホールに出て 怒鳴られた2人を母の居室に招いた。
残る二人は お話も合うしテレビを見ておいでで ホールで遊ぶと迷惑がられるので…。
2人を招き入れる事で残った方に嫌な気持ちにさせるかも知れないが…。
ようやく笑顔が戻って言葉も出るようになって来た方なので 緊急避難も止むを得ないと判断。
4人でボール遊びをした。
遊び始めて暫くすると職員が姿の見えない2人を探しておいでだったので「こちらにいます」と伝えた。
訳は言わなくとも理解していただけると思う。

トイレ誘導後母も少し不穏になったのだが みんなと遊んでいると表情が安定してきた。ひとりの方はボール遊びをしていても時折居眠りなさるので母のカーディガンやひざ掛けをかけて差し上げお日様の差し込む場所に移動。
「寒くない?」と伺うと「温かすぎる」とニコニコ。
手足はひんやりしているので 熱過ぎる事はないだろう。
居眠り途中でも目をパッチリ開けたときは ボールを飛ばした。
ニコニコ笑顔で受け取ってくれた。
笑顔の交換は みんなの穏やかのもとになる。
母ともう1人の方もせっせとボールを渡して気にかけていた。
入所したての頃は 構われれば「うるさい」と言う人はいらしたが 人様の動きを怒鳴る人はいなかったのだけれど…。
「おかしな事するなぁ〜」と思っても そのままを受け止めていらしたものだが…。
怒鳴らなくても もそもそ言ったりは有ったけれど…。

今日のメンバーは 判らないなりに お互いを思いやる気持ちがある。
発する言葉の端々にそういう言葉が出ていた。

ひとりの方がソワソワ始めた。
きっとトイレ信号と思って居室のトイレに誘導したが 自分のトイレとは違う事がわかる様子で入らなかった。
「お部屋のトイレに行きますか?」と聞くと「そうする」と言われるのでそちらに誘導。すんなりトイレに入られたが…。
私の介助は 違う人という感覚がある様子だったので職員に介助を御願いした。

未だホールに出ておる方がいらしたので 再度母の居室に戻り遊びを再開。
おやつの時間が近くなり 休息にしホールに移動。

母を外に連れ出す事が今日の目的なのでおやつ前の時間を使ってお散歩。
無理のない距離を歩いた。
外は気持ち良さそうだった。母も長い距離は不安そうだったので 小山を上って下りて公園を一回りして施設に戻った。

みんなはおやつが済んでいた。
手洗いを済ませて母もおやつを頂く。
ゆったりとしている母なので 今日はそこで施設を後にした。

アッシー君の娘。お買い物を済ませて家に戻った。
夫も帰宅しており 急いで夕食の支度に取り掛かった。
久々に 家族揃っての夕食だ。

子供が小さい頃は 無理をしても時間調整をしての食事をしたが 今は殆どバラバラである。
教育が足りないので 自分で揃え片付ける所作も身についていない家人達。

お赤飯に夫はウキウキ ワイワイだ。
黒胡麻 夕方見つかった。慌てると気持ちが焦って探せないんだなぁ〜。
整理が足りないのがバレバレかな?

いつもなら 食後はテレビの番に走る夫だが…今日はゆっくりおしゃべりタイムだった。
バースデイケーキを切って貰い みんなに分けて貰った。
挽いて貰ったばかりのコーヒーを淹れて…。

「ありゃ プレゼントの準備忘れたわ!」










2006年02月10日(金) 咲いたハイビスカス


 利用者さん訪問。
ハイトーンな返事が返ってきたので 今日はお元気みたい。
ヘルパーさんが今週だけ木→土に変更。
いつもとパターンが逆なので 利用者さんは私に「何もしないで良い」と言われる。
「ヘルパーさんに御願いする仕事がなくなってしまうから」と言う理由らしいが そういう訳には行きませぬ。

常々感じているのだが お料理の材料が揃っていれば いつもと違うものが直ぐに取り掛かれるのだ。
今日は そのために利用者さんが どんな物を召し上がりたいのかを伺いその材料を調達しておこうと思った。

最近の利用者さん マリネとか煮物というパターンばかり。
以前には 干し椎茸とか切干大根とかひじきとか昆布の乾物も有ったのだが…。最近は 全くない。

それで「切干大根とかひじきとかお好きでしたよね」と誘導尋問。
「はい」
「じゃ 今日のお買い物リストに入れては如何でしょうか?準備があれば ヘルパーさんも作って下さるのでは?」
「そうね。以前の方は『私苦手で…』と言うので頼めなかったけれど 今の方は 大丈夫と言っていましたから…」

と言う訳で お買い物同行。
乾物の他に 牛蒡を購入。「キンピラも食べたい」そうだ。

戻ってから 冷蔵庫で傷み出しそうな残り物を取り出した。
レンコン 茹でたけのこ さつま揚げで キンピラ風のものを作る。
キャベツの外葉と使いかけの玉葱 人参 ウインナーで野菜スープを作る。

「ねぇはなさん これの使い方…見てください」
新しく買い換えたばかりのガスエアコン。
リモコン操作で使えるのに…見ていたら エアコン本体のスイッチで起動。
温度調整だけリモコンを使われた。
そうか。だから 凄い温度になったりが有るんだと納得。
そこで使い方を説明した。理解されたのだが…。
持続して記憶できるかは 危うい。次の月曜日までは覚えていられるかな?
「家族に言うとね。『また忘れたのか?頭大丈夫?』って言われるでしょ。
私もムッとしてしまうのでね」と言われる。
家族も一応ご存知だし ケアマネさんからも報告行くから 調整しながらまた伝えていこう。
ま 自慢じゃないけれど 私だって謝った使い方をする時もあるし…。

今ひとつ それはカーテン。
「私って慌てものだから キューッと全部を引いてしまうから…」
カーテンの端は止めて有るのが普通だが どういう訳か両端が動くようになっていた。だから一方を固定させた。

利用者さん宅のハイビスカスが咲きはじめた。
購入したのは一昨年の筈。昨年植え替えて差し上げ 入院と言う時期に枯れかけたが 何とか復活。
めでたし めでたし。
利用者さん「ハイビスカス」が出なくて…四苦八苦なさっていらした。
私にもあります。思い出せない固有名詞…。

家に戻ってから母の所に行く予定だったが チョコチョコ連絡等をとっていたら遅くなり今日はお休みにした。
母 大丈夫かなぁ〜


2006年02月09日(木) 夢なんですが…


ちょっとした会議があって出かけた。
その時に認知症の人が免許更新できないシステムにするという事が話題になった。
昨年11月の「介護なんでも文化祭」の打ち上げの時永田久美子さんを交えての席で其の話題も出た。
傷つけないで免許を返す方法を考えなければ…と。

事故を起したら 大変なのだけれど…。
認知症の人の負う心の傷…そこから起きる混乱を思う時いたたまれない思いがする。集った人の一致した気持ちだった。
「運転卒業カード」とか 免許証と引き換えに変わるカードのような物を出してもらえたらいいのかなぁ〜とも話しになった。
「ある年齢になったら免許証を返そう。。。」と言う人もいた。

どういうシステムを取るのか気になっている。

この数年 地域の中で動いてみて気が付く事は 施設が欲しいと行政に訴えてみても 現実には なかなか難しい事みたいだ。
行政直接の運営なら可能性も高いのだが この財政難では望み薄。
事業所が乗り出すには 採算が取れるかという事が課題となる。
さりとて 自分で事業を立ち上げるほどの技量もなくて…。

そんな訳で ちと試み始めた事がある。
住民のニーズと事業所のニーズが合えば 地域にマッチしたサービスが生まれるのではないか…と。
うまく行くかどうか判らないのだが…。
家族会のニーズを纏めてみて 更に近隣地域の家族会からもお聞きして動いてみようと思っている。
事業所 利用者 双方の程よい妥協が取れれば 夢は現実になっていくだろうなぁ〜。
そう 探り始めたばかりの夢なんだけれど…。

今日は 近隣に新しいグループホームが出来ると言う情報を得た。
母が利用するには離れているのでチト無理。
でも見学に出かけてみる価値はありそう。





2006年02月08日(水) 気になる近隣の状況


 昨日 タクシー乗り場でお見送りをしている時 顔見知りのケアマネさんの姿が見えた。そばに高齢者が座り込んでいて通りががり上知らぬふりが出来なくていらしたのだろうと思った。
スーパーで買い物。レジに並んでいたら同じ事業所の男性のケアマネさんが
前の方で高齢者のお買い物に同行されていた。
この高齢の方 レジで大分もたついていらした。

活動でいろんな方に買い物同行しており ゆっくりなのは 気にならないのだが この方は 焦るでもなく かなりのマイペース。
ケアマネさんが 会計の済んだ篭をテーブルに移動しておられた。
忙しそうなので 声をかけずに外に出た。

すると さっきのケアマネさんが未だ座っている方の傍に付き添っておいでだった。「今日は何か有ったのですか?」伺うと「いえいえ 未だ介護保険申請していない方で ヘルパーさんの依頼は出来ないし お買い物があるというのでこちらで同行させて貰ったのです。でも買い物ついでのルートが決まっておいでの様子で…なかなか終わらなくて…。ご自身 そういう緩さが出ている事に気が付いていらっしゃらなくて…」と話された。
「介護保険を使わなくとも大丈夫やっていける」と言われる方を介護保険利用に繋ぐために苦慮されていらした。
高齢者世帯なのだろう。。。

ケアマネさんのこういう場面に出会うのは 初めてで なかなか大変だと思った。

今日は リハビリの日。
少し早めに出かけた。昼食は済んでいた。
母の表情はにこやか。職員が見えて「今朝は ご自分で歩こうとなさりました。足の腫れもないので湿布もしていません」と嬉しそうに伝えてくれた。
「調子が良い事を喜んで頂けて…ありがたいね」と言うと母は 深々と頭を下げていた。相手にお礼を伝えられるという事は かなり落ち着いているんだろう。。。

トイレ誘導をするとジャストミート。大の気配を感じて お腹をマッサージしていたら自力でいきんで排泄。今日は両方の排泄成功。
検便も2回分揃った。わぁ〜い。
昨日の根菜の煮物ばっちり効いた。

牛乳や下剤は緩みがちで 腹痛を伴う母で出来れば安定した形で排泄して貰いたかった。
いつも煮物を運んであげれば良いのだけれど…。そこまでは なかなか出来ない。。

療法士さんが見えた。
母は椅子に座るように勧めていた。
言葉では言えないのだが…そういう意思だと読み取って貰えるアクションをした。
「あ〜良かったですねぇ〜。今日も良い調子で…」
「ほんとに良くなられて…。こういう例は 多くないですよ」と言われた。
母が気持ち良さそうにしている間 近隣の地域の事をお話した。
療法士さんが 隣町から通っておいでの水中リハビリの方を地域で出来るように陳情なさっていたが いつの間にか大きな施設の工事が始まり 水中リハビリ業者が決まっていたそうだ。
「ご存知でしたか?」と聞かれたので「はい」と伝えた。

実は母が骨折して以来 在宅で利用できるデイや施設を隣接する地域の情報を ネットで探していたのだった。
いろんな事情でデイを少し長くお休みすると次の利用者が決まっていてデイ復帰できないという状況が生まれるという事を小耳に挟んでた。
だから 急に母を在宅に戻したらデイ利用が希望通り取れないと予測したのだ。
そんな経緯で知った事を伝えた。

療法士さんは まったく知らなくて工事中の現場をみて驚いたそうだ。
連絡先をメモって調べてみたけれど 事業所に行き当たらなくて…と言われた。ネットではきちんと表示されており 写真まで掲載されていたのでメールでお知らせする事にした。

私がネットで知ったのは 隣町のホームページではない。
更に隣の町の介護者のホームページの情報だ。
そこの地域にとても興味があって 一度訪問させて貰おうかな…と思っていたのだった。
家族会といえば 保健所から隣町の家族会の連絡先を知らせて頂いた。
隣接する地域の事業所情報は 家族会の利用者に伺うのが一番と思われるから 情報を集める意味でも是非とも連携を組みたいと思うのだ。

介護保険 医療保険他諸々 負担が多くなって行く。
この所 介護疲れの殺人が目に付く。
少なくとも 地域の中からはそういう人が出ないように…と願って祈る日々である。
介護の山坂 ほんとに大変だけれど 力み過ぎないように…!


2006年02月07日(火) 軽やかな姿勢


 昨夜遅くから降り始めた雪。。
朝は銀世界。でも湿った雪で気温も上がると言う予報に気をよくして 洗濯物をいっぱい干して 母の所に出かけた。

家族会の日で ほんとはゆっくり準備してから行きたかったのだが 施設で負担になっては…と言う思いと母の事が案じられて…。

予想に反して母はニコニコ笑顔だった。
今日は予定時間通りに食事が始まる気配。
母には昨夜 沢山作った煮物を持参した。
大根 人参 牛蒡 レンコン コンニャクを大きめに切って鶏肉と共に煮込んだもの。

考える所があって 今日は居室で食べて貰う。
居室のカーテンを開けて「雪が降ったのよねぇ〜」と言うと「あの白いのは雪か?」と聞いてきた。「そうよ 雪いっぱいね」
先に煮物を口に運んで貰う。
「んまいよ」と食べる。大きな野菜だが入れ歯や歯茎には食べかすが溜まらない様子だ。いっぱいいっぱい ほおばってもちゃんと咬んで飲み込んでいる。やはり口の中に食べかすが溜まるのは 食べ物に寄るような気がする。
施設の食事はカレーライスとサラダとフルーツ。
こちらもきちんと食べ終えた。

歩きの方は 今朝は大丈夫だったという事だった。
しかし ホールから居室まで歩く様子を見ていると 足を引きずっているので注意は必要。

職員が「外出の時 石に躓いたりとか なかったですか?」と聞いてきた。
「足が痛い」と訴え 歩きも大変そうだったので手を引きながらだったので躓く事はなかったと伝えた。
ただ 直前にバランスを崩し椅子にうまく座ったがあの時にくじいた可能性は有ると思うとも伝えた。
私も職員も傍にいて 思いがけない展開にヒヤリとしたのだ。
しかし 何故 そうなったか…そこがイマイチ不明。
手は繋いでいたので気配で危ないと感じて椅子まで…と身体を持って行ったのだ。私の手には 着用前のコートとバックがあったので足の所までは目が届かなかった。平らな場所なので。

同じように腫れて 通院して骨がすかすかと言われる人も多いらしい。
圧迫骨折以前に自然に骨に穴が開いていたという事もあったそうだ。
母の快復振りをみて「骨が丈夫なんですよね。骨折以来の様子を見ていても感じます」とも言われた。
母との暮らしの中で 一番気にして努めて来た事である。認知症初期には5キロ近い道を毎日歩き デパートでは階段を上り下り…。
母自身も若い頃から カルシューム摂取と日光に当たってビタミンD摂取と心がけていたし…。

今日の母の様子では 何とか乗り切れるかな…という感じがしてきた。
しかし やっぱり 何時何が起こるか判らないという事を つくづく感じた。

昼食が済んで早々に施設を後にした。
私の昼食は 一昨日急遽作ったアップルパイ一切れ。
会が始まる前に急いで食べた。

家族会には 新しい方が2組見えた。
1組は地域のケアマネさんの紹介だった。
もう一組は 広報で会の存在を知ったと言う方。
お二人とも 大変な時期を過ぎた方だった。
「よく 踏ん張られたなぁ〜 さぞかしご苦労なさった事でしょう」と言う方だった。
広報で知ったと言う方は若年性認知症の妹さんを通院させた帰り道に寄ってくださった。「来るのがとても楽しみで…」とも言われた。
今朝は雪が降り 通院だって相当苦労なされたと思う。

妹さんは 身体がすっかり硬直なさり車椅子移乗だってかなり大変だと思う。それを電車で3.40分は掛かる所まで通院だったのだ。
行きはタクシーで 帰路は電車を使われた御様子だった。
お住まいは 私も知っているが1階のフロアから地面まで 階段。スロープはあるが 結構急だ。
降雪の後だし…。

それでも にこやかな笑顔でお話くださり 教えられる事が多かった。

もう一組の方も若年性認知症だった。
ご主人を介護なさって居られた。病となって数年を経過なさっているのだが初期の頃の対応がとても大変だった御様子だ。
男性の場合 仕事に向かうという事の対処に苦慮される。。。

幸い 若年性の方の介護をなさっている方が居られるので 早めに進行なさった事を体験を通してお話していただく。

本当は 高齢の認知症と若年性の場合と事情が異なるのだが…。
認知症というくくりの中で 共通する部分も多くあり お仲間に入って頂いた。高齢の方の介護をなさっている方に勉強になることも多い筈である。

幸い 2組の方とも「参加できて良かった」と思われた様子だったのでホッとした。
おそらく他の介護者も圧倒された所があったと思う。
皆さん「ご苦労様。。。」という心底からの表情でいらしたから…。

家族会には 正面から介護に向かわれる方 すこし弾けた視点で介護に向かわれる方様々だ。そういう様々な介護をなさっている方が集うので 助かる側面が多々ある。

他に先日役所の家族会に見えた隣町の方も見えて 家族会の様子を見学なさった。ご自身の介護体験も語って頂いた。

用のある人は 順次帰って行かれたが 残って話される方も多くいつもより30分以上オーバーした。

帰路 妹さんを同行なさった方をタクシー乗り場までお見送り。
人に頼ることなく淡々とタクシーに乗り込まれる。
お手伝いする隙もなく 日ごろの生活ぶりが想像できた。
この方は ご自身のお母様も介護中なのである。
家族会に出向いて 少しは肩の荷がおりてくれればいいのだが…。


2006年02月06日(月) 電話。。。


利用者さん訪問。
インターホン越しの声が低い。
あれれ 何が起きたかな?と玄関に入った。
土曜日に失敗なさったらしい。
新しいヘルパーさんが今週の木曜だけは 都合が付かなくて土曜に変更になったのだが それを先週の土曜と勘違いをなさり 待てど暮らせど見えないので支援センターにお電話をしたらしい。
勘違いとわかった様子だが…失敗が少し気になっている御様子だった。
「勘違いは 私もやってしまいますよ。あまり気になさらないで…」と伝えた。

週末 ご家族が見えた御様子。
今 奥様が遠距離介護で帰省なさっているご家族が見えた時 利用者さんが煮物やらを勧めると「美味しい」と持ち帰られたそうで 今朝も「美味しかった」と言ってくださったそうで「やっぱり 幾つになっても親だわ♪呆けてなんていられないです。お役目未だ残っていましたわ」と言われた。
確かに時間的な過ちは起きるけれど 思い返して上げる事はお出来になる。
役目を背負えば 張りも生まれてくる。

母が在宅の頃 私も随分困ったふりをして母に手伝ってもらった事がある。
完璧に出来る事は少ないのだが…「助かったわ 有難う」で母の笑顔を貰った事が幾度もあった。
「張り」って気力の元なんだなとつくずく感じた物である。
しかし 本気で頼み込んでしまうと思わぬ事で腹立たしくなる事もあり そこは程ほどで双方が心地良いと感じる程度という事なんだけれど…。

ご家族も奥様が不在で不自由さもピークなのかもしれない。
奥様も向こうで大変な日々を過ごされておいでだろう。
それでも利用者さんを見ていらして学ばれた筈で きっと役に立っているのではないかと思う。
現に「お袋 歩けなくなったら ベットから動く事も出来ないんだぞ。気をつけながら リハビリしてくれよ」と言われるそうだ。

私も父の介護母の介護で 子連れで我が家を長期に渡り 幾度も留守した。夫には ほんとに寂しい思いをさせたし 不自由な思いをさせた。
介護真っ只中の時には「遊んでいる訳じゃないし…」と言う思いのほうが強かったが 今振り返ってみると「悪かったなぁ〜」と素直に思う。
夫も夫の兄弟も「大事にしてやれ」と言ってくれたのがほんとにあり難かった。そういって貰える人って そう多くない事を知るに付け 感謝の念を強くする。

今日もお買い物同行し お料理。
以前から「わかさぎのマリネ」を希望されていたし 再度煮物もリクエスト。おそらくご家族に食べさせたいと言う思いもあると思う。
利用者さんが召し上がる範囲の中でちょっとだけ多めに作った。

活動を終えて 今日は会議。
地域の認知症ケアのネットワーク作りである。
警察や消防署 民生委員さん 在支 医師 保健士 後見人のアドバイザーと地域の人と関る人たちとのネットワークを考える会議。
今日は 交流と顔合わせを兼ねている感じ。

会が始まる直前に 携帯が鳴った。
母の事だった。昨日 あれから歩けなくなり 今朝も車椅子を使用しているという事だった。足も腫れており湿布をしているという事だった。
「後で寄ります」と電話を切った。
「会に出ている場合か…」と自分が情けない気分になった。

民生委員さんから家族会の事を聞かれた。
どうやら気になる方がおいでのようだ。
「誰でも気軽に参加して良いのですよ」雰囲気や会の趣旨を伝えた。
警察には 若年認知症の方を理解して戴ける様に御願いした。
諸事情で名前や写真を公開できない場合もあるのでよろしく御願いいたしますとも。
「若年性認知症」という言葉始めて伺いましたと言われた。
席も離れていたので詳しく説明できなかったが どうも若年=青少年と思われた節があって…。役所の人気が付いてくれたかな?
後でパンフレットでも持参した方が良いのかな?

事例に沿って 関った人のお話をして行く。
本人の事は勿論 ご家族のフォローも含めてである。
個人名は挙げられていないので 他の人にはわからない。
ただ どういった手順で関っていくかという事が 良く判る手法だったと思う。

隣り合わせに精神科医と座った。席次は決まっていたので。
そこで ちと母の事を相談。
「排泄の失敗等 本人もかなり意識があり泣いたりするが…やはり判ってるのでしょうかしら?」と。
医師は 認知症の進行で寝たきりになった方に関った時期もあり そこから感じるのは やはりそういった感情や感覚は末期になっても残っているといるという事が多いという事だ。
他にもいろいろ伺い 今後の母の介護のヒントを頂く。
チョクチョク顔を合わせていても 自分の事の相談はなかなか出来ない。
話の途中で会が始まり中途半端の終わったら 会終了後残ってくださりきちんと教えて下さった。感謝である。

会が済んで 保健所の保健婦さんと話す。
若年性の人とご家族を救うための手段である。
いろいろと情報を交換して 少しずつ具体化出来そうな気配だ。
それも自分の住んでいる町だけでなく近隣の地域との連携で…。
家族会の存在も見えてきた。
今まで見えなくなっていたけれど どうやら隣の町にもあるという事が判ったそうだ。そちらも何とか繋いで行ければいいなと思う。
更に 先日の家族会を作りたいという方に朗報が入った。

お話を終えて 急いで母の所に向かう。
夕食間近になっていたが「行きます」と伝えてあるので…。
母は不安そうにテーブルに向かって座っていた。
目が合うと「待っていたのよ」と言う。
そうか 来るのを待っていたんだ。母は 其の訳を説明できるほどではないのだが…。

様子を見ながら母を立たせてみた。
両手を引いて居室まで歩いた。
足は痛そうだ。でももっと気になるのは排泄だ。
母の表情から濡れている事を直感でき 更に出そうだというサインと感じた。

やはり正解だった。
排泄は壁だなぁ〜。
それから暫く母は泣いていた。

「水が飲みたい」と言うので水道水をコップに汲んで飲んでもらう。
コクリコクリと飲んで噎せる事はなかった。

程なく夕食。
一度テーブルに着いたが 皆揃っていたら母がカタカタと震えだした。
チラッと視線をやる先には…。気のせいだろうか?
母は話せないので どうにも困ってしまう。
また迷惑をかけたのだろうか?
認知症になっても 笑顔を見せる相手と言うのが決まっているみたい…と感じたりもしてしまう。

あ そうでした。
母の足の腫れ。。
湿布してあり肝心の場所を見る事は出来ませんでした。
でも 触れてみると右足の左側の甲の辺りが痛む様子だった。
それがどうしてなのかは判断できない。
骨折かなぁ〜。
一応 湿布薬の上からサポーターで固定してみたら痛みが和らいだ様子で暫く様子見…。
通院してもまた母の感情が昂ぶる事も予想できるし…薬で痛みを抑える事位なのかなと思うと 通院も迷う。
またカルシュームが溜まったかな?
でもかなり歩いた日から数日は痛みはなかったしなぁ〜。

認知症の重症期ともなると ほんとに悩みます。
どうする事が母のためになるのかな?

血圧も少し上がり始めているし…2月は要注意の月だしなぁ〜。
あ〜今週 予定がびっしり…どうしよう。。。


2006年02月05日(日) 寒さのせいかな?


とても寒い朝だったけれど カラリと晴れ渡った良いお天気である。
母の所に出向くと 昼食の残りを食べている途中だった。
荷物もあるので 居室に入ってロッカーを整理。
あれれ 一昨日間違っていた洋服お返ししたのに また入っている。
あの時靴下も違っていたけれど…靴下はないなぁ〜と思ったら 母が履いていた。着替えの時にお返ししよう。

食後トイレ誘導すると 大小両方…。
でもトイレの様子から朝のうちに出ている気配もあった。
お腹が少し痛む様子でお天気が曇り勝ち…時に雨模様だ。
全部出てしまうまで 少し時間が掛った。

トイレ誘導の時両手で介助して 腰が少し重そうなのに 手の介助だけで立ち上がろうとした。「大丈夫?」と聞くとコックリしたので「良いのだろう」と思った。

検温後「お散歩行く?」と聞くとお天気を確かめるようにチラッと外を見て
「うん」と言ったので「外は風が冷たいからね」と伝えた。
室内から見れば 寒さは感じないのだもの…。

外に出ようと玄関前まで来た時 母の体制が崩れた。
幸い直ぐ近くに椅子があり 手もしっかり握っていたので椅子に滑り込むように座らせた。セーフだった。
職員2人が見守る中の出来事で みんなハッとしてホッとした。
靴を右足に履く時「痛い」と母は言った。
「何処が痛いの?」と聞くと「?」
履いた直後に痛いといったのだからつま先かも知れない。
でも 着替えの時(シャツから靴下まで)何処にも異常はなかったのに…。
靴下が指に引っかかっているかなと点検。それも異常なし。
「出かける?」と聞くと「うん」と言うので散歩に出る事にしたが…。

今日はデパートに連れ出そうと思っていて 支度が出来たら娘に電話して来てもらう予定だった。しかし 玄関の様子でデパートは断念。 
直ぐ傍の美容院で洗髪してもらおうと計画変更。

どうも右足を少し引きずっている。
注意深く歩いた。
「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と言うので少し遠回りをして出かけた。
駐車場で施設長と合って少し会話。
それから美容院に向かう。
美容院に入るには階段ひとつ分の段差がある。
様子を見ながら「ドッコイショ」と上がったが上がった途端膝がカックンとなってしまった。
こちらは 予測が付いたので転倒は回避できホッとしたが母はとても不安そうだった。

其の儘 美容院に入ったので母の不安定さは強まるばかりだった。
そこにお店の方が3人揃って 母を見守ってくださり混乱は加速した。
お店の人は 母と私の言動を聞きながらケラケラと笑われる。
母の気持ちはしぼみ込むばかりだった。
「いつもの所の方が良かったな」と悔やむが後のまつりだ。

シャンプー台に座っても3人の目が母に注がれ母は穏やかでない。
「大丈夫よ」と声がけして手を握る。
椅子を倒し始めると更に不安。
今度は両手をしっかり握る。
「綺麗にしましょう」と言ってくれるけれど母には其の言葉が入り込まないほど不安な様子。
「大丈夫です」と母にともお店の人にとも言うように言ってみた。
そろりそろりとシャンプーが始まり次第に母は落ち着いた。
が今度はお店の人の方がドキドキしているのが見える。
「良かったね 気持ちいいね」とお店の人を慰めるように母に向けて話してみた。「耳だけ気をつけてくださればいいですから…」と伝えた。
「お風呂の時もシャンプー大変なんです」と言うとお子様用のシャンプーハットはどうでしょうね?」と言われた。

シャンプーが終わるとドライヤーで乾かす。
母の毛は多く時にぱさぱさして広がる事もあり ドライヤーを当てるのにもコツがいる。母は仕上がりに不満げな表情。
帽子を被らせて「綺麗よ素敵よ」と声をかけた。
鏡を覗き込み後は何も言わなかった。

美容院には加湿器があり 白い蒸気が出ていた。
それを見た母が「あれはなんだ?」としきりに言っていた。
母が見て疑問に感じた事を聞いてくるって 少なくなっているので嬉しい質問だった。

また遠回りをして施設に戻った。
今度は左腕が痛いと言う。風も冷たく気温も低いので痛みを強く感じるのかなぁ〜。

戻るとおやつが待っていた。
ウールのシャツにウールのカーディガンなので普段着に着替えて手を洗っておやつを頂く。
食べ始めたら安心したようで ようやく落ち着いてきた。
体調との睨めっこだなぁ〜。

今日は血圧も高くて…。
それでも尿量は多い。
排泄誘導は2回とも成功だ。今日は 大の方も…だ。

母の足の痛み 気温が上がればよくなるかなぁ〜。


2006年02月04日(土) 共同生活って…。


「あのね うるさいよ」と昨日施設で入所者と遊んでいる時 別の入所から言われた。
途轍もなくうるさくしていた訳ではないが 耳障りだったのだろう。
「ごめんなさいね」と言うと…。
「昨日も隣で 壁をカタカタさせていたから眠れなくてね」と怖い顔で言われた。隣の部屋は母で 夜間 迷惑をお掛けしたのだなぁ〜。
「ごめんなさいね」と再度詫びると「いや お互いさまなんだけれど」と言われたが…。

母をトイレ誘導して ちょっとホールに戻った時 其の方が隣に座っている方をティッシュの箱でポカポカ殴っていた。
殴られている方は とてもおとなしく時折テーブルを撫でたりする人で人様に迷惑を掛ける人ではない。
昨日は 其の方のご家族が久しぶりに面会に見えていた。

私の気配を感じて箱で叩くのをやめたが 職員に言われるのではないかと様子を伺っていた。

職員には ちょっと報告して置いた。
その後 叩かれた人は 手の届かない方に移動 そして双方にさり気無く話しかけて気持ちを和らげておられた。

認知症だから いろんな事で迷惑をかける事がある。
母が壁を叩いたのはどういう訳だったのだろうなぁ〜。
私が想像できるのは 排泄かなと思っているのだが…。
1人で布団から起き上がる事は出来ない母なので そういったことしか考えられない。

普通に近い人からしてみれば 訳も判らない行動を目にするのは たまらないと言う気持ちも生まれるだろう。

でも 訳もなく怒鳴れたり馬鹿にされたりも される側にとってはたまらないだろうし…。

少し席を離してトラブルを避けて貰うか 若しくは ストレス回避の策を講じてもらうようにした方が良いのかな?
母の夜間の音は 壁から離して布団を敷くとかかなぁ〜。

暫くは様子見だけれど…どうした物だろうなぁ〜。

 


2006年02月03日(金) 節分 恵方巻き。。。


 利用者さん訪問。
「はなさん 昨日からヘルパーさんが変わりました」
「どうでしたか?」
「良かったです。表と裏みたいに違いました」
「良かったですね」
「はい。ちょっと話しただけで 用向きを理解してくれて…気が付けば 仕 事が終わっているのです」
「ね ゆっくりが好きな方 早目が好きな方…いろいろだから。変える事が 良いとか悪いとかないのですよ」
「そうですね。変えてもその人と会うわけじゃないから…いいですね」

ヘルパーさんの苦情を随分聞いていたので 2回ほど変えるようにお勧めした事があった。ケアマネさんにも 伝えてもいた。
でもケアマネさんと会うと「今 変えないでも…」と言われて変える事にはなさらなかった。最初から来てくれた方だから…と言われていた。

今回の件の少し前 ケアマネさんとお会いした時「利用者さんのこれからを考える時 気働き出来る人の方が必要だと思います」と伝えていた。
今回もは利用者さんの希望のみを伝えて…2週間足らずで変わった。
「気が楽になりましたよ」と言われ ホッとした。

今回はヘルパーさんだけれど ケアマネさんだって同じ。
勿論 ボランティアだって 無理かなと思ったらチェンジした方が良いと思う。変える方にメリットがあると思ったら変えたほうが良いと思う。
若し 私が利用者さんにとって メリットがないなら チェンジして貰って構わないと思う。
でもいきなりでなく それとなく指示してみて変わらないようなら…という事であると思うが…。

買い物同行。
予定された物の他に 見ていて欲しくなって購入された物も…。
料理は煮物が希望だった。
大根 牛蒡 椎茸 こんにゃくを購入だった。
冷蔵庫には 鶏肉 さつま揚げ 揚げがあったので どれが希望かお訪ねすると鶏肉という事で…。
実はメモに牛蒡はなかった。
牛蒡がお好きと知っているので「牛蒡はいかがですか?」と伺うと「だって面倒でしょ」と言われた。
「いえいえ ちっとも面倒じゃないですよ」と言うと「じゃ 御願い」という事で牛蒡も入れることになった。
利用者さん「自分が作る訳じゃないから…」と 遠慮が先に立ってしまう。

お料理している間 利用者さんは 乾いた洗濯物を畳んで居られた。
1人で出来る事は1人でなさろうとする前向きな方である。

今日はこちらの都合で30分繰り上げて活動に入らせて頂いた。
帰り ゴミ捨てに行くと管理人さんが「お姿見えたから…」とダストボックスの前で待っていらした。
「ヘルパーさん変わったのですね」と言われた。
「はい」
「丁寧な方でしたよ」
「そのようですね。良かったです」
「いえね 貴女はお買い物に一緒に出かけるけれど 他の方は 行かれないですね」
「そうですね。役割の違いです」
「私はボランティアで殆ど何でもしますから…」
「そうなんですかぁ〜」
この管理人さんは 利用者さんの電球の取替えやガスの調整までやってくださる方だ。
マンションによっては きつく叱るだけの管理人さんも居られる。
アチコチ訪問するうちに いろんな管理人さんが居られるのだなぁ〜と知った。

活動を終えて急いで家に戻った。
生協の方が時間調整をしてくれると言うのでようやく注文を出せるようになった。けれど 約束の時間になっても…待ち人来たらず。
電話をすると今日は 遅れるというので注文用紙だけ置いて 母の所に出かけた。
暖かなお天気でお散歩日和。早く行かないと出そびれてしまう。。。

今日の母は とっても機嫌が良くて何をしてもニコニコしていた。

施設では節分の行事があるという事で豆まきが済んでからお散歩に出る事にした。
職員が手作りの金棒を持ちやってきた。
母は 怖がって後ずさりした。
そうだった。小さい頃家での豆まきで「鬼に豆を投げるのは可哀想」と母は言っていた。
だから 心の中の鬼に豆を投げるのが通例だったのだ。
母の手に豆を握らせても投げる事はしなかった。

行事を終えて外に出た。
思いがけず 公園の小山に上った。
途中で足が重くなったみたいだったが上って下りられた。
これなら バスのステップも大丈夫そうだ。
テクテク 歩いた。
立ち上がりにフラッとしたので向き合って両手を持つと「危なかった?」と聞いてきた。状況が読み取れたのだろう。。
「うん ちょっとね。でも もう大丈夫だね」と元の体性に戻った。
疲れは出たようだが 歩く速度も上がってきているようだ。

戻って 恵方巻きのおやつを頂く。
かぶりつくような大きな物でなくて ちゃんと食べやすいように切ってあった。

恵方巻きと言えば この数日スーパーやデパート すし屋さん。。。
アチコチで恵方巻きの宣伝が目に付いた。
今日は 恵方巻きの売り場は大混雑していた。
恵方巻き定着したんだなぁ〜。

家は青豆を炒り 鰯を焼くというスタンダードな豆まきだ。
でも ここ数年 太巻きを作るようになった。

今日も 椎茸、かんぴょうを煮て 厚焼き玉子を作り 春菊を茹で 海老を茹で 牛蒡の漬物を細く切って それで太巻きを作った。
もともと太巻きを作るのは苦手だったのだが…。
この数年で腕を上げた。
巻き方のコツがつかめ始めた。
太巻きは 夫の妹や義姉達がとても上手で…。
ようやく 一歩近づけた感じがして嬉しくなった。

家人が帰る前に 1人豆まきをした。
鰯を焼いて柊に鰯の頭を刺して門前へ運んだ。
それから 南南東の方を向いて黙々と食べてみた。
願い事?ないしょ・・・

夫が帰宅して恵方巻きを食べた。
いろいろおしゃべりして…食べ終えた。
ねぇ〜 願い事したのぉ〜? 

その後 娘も帰宅。
娘は 南南東を向いて 黙々と食べていた。
何を願っていたんだろう???


2006年02月02日(木) これ なぁ〜に?


今日は 何の予定も入っていないので 気になりながらも訪問できなかった夫の友人宅に出かけた。

しかし 母の薬が今日で切れる事に気がついて 出かける前に急いで通院しお薬だけ処方して頂き母の所に届けた。
母はテーブルに向かってつまらなそうな顔をしていた。
顔を合わせれば きっと時間を割いて遊んでしまいそうで 職員を呼んで玄関先で薬のみ渡して施設を後にした。
やはり 見てしまうと心が痛む。

友人宅は 1時間ほどかかる。
駅から更に車若しくはバスに乗り継ぐので 簡単に出かけられる所ではない。車なら道路が空いていれば1時間足らずで行けそうなのだが…。
友人宅には 20数年前に出かけたきり。それも 夫の運転で出かけているので 駅と家の距離がはっきりしない。

昨年暮れに こちらに戻られたのである。
住んでいた所は 私のふるさとの近くで 家族で帰省すると夫はいつも友人宅を訪問していた。
弟も相当御世話になっている。
友人は 体調を崩しており自宅療養中。
一粒種のお子様は 20数年前に亡くなり ご夫婦でお過ごしである。
我が家の娘より2歳年上だった。

もともとこちらの人で ご両親の住まわれていた場所に家を建て直しお住まいだ。
駅までは 友人の奥様が迎えに来てくださった。

「引越しおめでとう」「あけましておめでとう」と遅ればせながらご挨拶を交わす。
いろんなお話をしたけれど…。
コタツの中に引き込まれた蛇腹のホースが妙に気になった。
「これは?」と聞くと…。
「知らないの?北国ではこれは必須よ」とご夫婦でニヤニヤ。
蛇腹のホースの一方の端は ファンヒーターの前に置いてある。
丁度 温風を受けるように…。
そうなんです。
ファンヒーターの風をお布団をかけたテーブルの下に引き込んでコタツ代わりにしているのです。
柔らかな温かさで 温風を強くすればもっと熱くなるというのだ。

省エネ商品だ。
ファンヒーターの風の一分だけを取り込むので 部屋とコタツ代わりと一石二鳥だ。
「これ こっちで探したらあったのよ。近くのホームセンターで購入したのよ。1800円位。。。」
家にはファンヒーターはないけれど温風器があるのを思い出した。
それで 帰り道にホームセンターに寄って貰って 購入してきた。

蛇腹は1メートル位だが 引っぱれば伸びるし 押して戻す事も可能だ。
温風器の前に置いて お布団に引き込めば 布団を温める事だって出来そうだ。これなら湯たんぽだって要らないみたい。
お部屋を温めながら布団も…。

未だ試みてないので…結果は後日に…。

友人は 最近様変わりした道路状況に驚いていらした。
出かけても「あれれれ」になってしまうとも言われていた。
我が家まで来るにも 古い道ならわかるけれど 新しい道はわからないと言う。これから 少しずつ訪問して外に連れ出し 案内しましょうという事になった。お嬢さんが生きていらしたら きっと「閉じこもってないで…」と外に連れ出されていたでしょうに…。
我が家の娘の事も良くご存知なので 娘の若い力も借りて外に連れ出してみようと思う。


2006年02月01日(水) れいすい!!


 誰にも見えないけれど…。
日記書き上げ…と言う所で 操作ミスで全て消してしまった(涙)

母は今日も順調に良くなっていた。
療法士さんも先週との変わりように驚いておられた。
一度機能低下したら戻るのは難しい事を良くご存知なのだ。

母の状態を見ていて 多くの介護者はそう感じていたと思う。
私もそう感じていた。

でも 今 母が特別ではない…と感じている。
同じ年齢の方は車椅子でお過ごしだ。
嚥下障害が出て ミキサー食になって久しい。
母も危ういかなと危惧したが 何とか戻れそうだ。
この線引きは難しいけれど…。初期の内なら 改善の道を開けると感じた。
何れ来る事は間違いない。
でもそれを先に延ばして行けると思う。
いや 嚥下障害の事を言おうと思っているわけでない。

言葉や動きである。
今日も母とはキャッチボール。母と同じ年齢の車椅子の方とはお手玉で遊んだ。おとといはギュッと握ると言う動作をして貰った。
今日もそれから入った。
一昨日は 遊び始めてからもウトウトがあった。
でも今日は 違っていた。
お手玉を渡すと握る。それからポンと投げようとする。
おまけに 暫くお休みしてもらっていると 投げようと手を動かされた。
途中でげっぷが上がり「大丈夫?」と聞くと「酸っぱい」とはっきり言われた。この所ベットに寝ている事が多く 起きてきてもウトウトなさっていることが多くなっていたけれど 明らかに変化がある。

ユメルちゃんも抱いていた。
以前より興味を示し始めた。
3月の誕生日まで 少しでも元気を取り戻して一緒に楽しめればいいなぁ〜と思った。

母のトイレ誘導は 排尿に関しては成功。初回は少し出掛かっていたが大丈夫。そして母もそれを認識できていた。
問題は大のほうで…。
もう 排泄できる状態になっているのに不安がって出せなかった。
今日は 無理を通す事は避けて 職員にお任せした。
前回の脱肛があるから。
脱肛事態は ある程度治まり元に戻っているのだが…。

母の言葉も面白い。
手を洗い始めた時「冷たいよ」と言うと普通はオウム返しに「冷たいね」と言う程度。最近はそれさえ出来なかったのだが…。
今日は「水 冷たいよ」と言うと「冷水」という言葉が出てきた。
療法士さんが「これから マッサージしますよ」と言うと今まではこちらの誘導のままで言葉を返す事はしなくなっていたのに「マッサージ…」と言ってニコッとした。
ちょっとずつ 戻って来たみたいだ。。。


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