母のタイムスリップ日記
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2005年07月31日(日) 晴れのち曇り…かぁ〜


「お祈りしてますか?」と書いたメモを母のぬいぐるみの仲間の所とテーブルの上に置いたのは 先週の事。
おそらく 母の目に留まっている筈。
時折でも良いから クリスチャンである事を思い出して安心して欲しいと願っての事だ。

「カエル」と書いた紙の上にはカエルの指人形を置いている。
どうにかなるものでもないのかも知れない…いろんな事が思い出せない状態になっている今 せめても…の願い込めて置いてみている。

今日は 夫が仕事に出かける車に乗せてもらって施設に出向いた。
美容院が午前中なら空いていると昨日 言われたから。
昨日は 母より一足先に私が美容院でパーマをかけてきたのだった。

施設に着くと母はトイレに誘導してもらっていた。
手当てをしている間の会話は 私とする会話と殆ど同じだった。
桃を持っていたので キッチンに勝手に置かせて戴く。
この時期は 水分摂取に心がけなければならないが お茶やジュースだけだと嫌になってしまいそうで みんなと食べてもらえば…と思った。

トイレ誘導後 歯磨きが途中だったようなので続けて磨いてもらう。
その後 タオルと靴下を洗って貰う。
今日の母はにこやかだ。反応も比較的良い。
「今日は 髪結いさんに行くから 支度しましょう」
「有難う。。。」
洋服を着替えて帽子を被って…お出かけ。
足のむくみが出て来てる。。

この所横断歩道を渡る時は 両手を引く。
信号待ちの時に二人でスキップする時のように両手を繋ぎ合わせるようにしている。道路を横断中 何が起きても大丈夫なように…。
両手を引く事で母も何処かで意識しているように見える。

丁度バスが来たので乗り込む。
ステップも順調だった。

バスを降りてテクテク歩くとたちまち汗びっしょり。
今日は ハンカチを取り出して上手に顔の汗を拭いていた。
珍しい自発的行為である。
美容院は2階にある。
手すりを使って上れた。足取りは比較的軽いようだった。
美容院の入り口で「髪を綺麗にするからね♪」と言うとまた「有難う」と言った。
お店に入ってもにこやかな笑顔を振りまいていて「今日は機嫌悪くないですね」と言われた。

オーナーが「今回は 短くカットしましょう」と言ってくれた。
パーマは飽きてしまうけれど カットだけなら割りにじっとしている。
未だウエーブも残っているし…。
洗髪中もおとなしかった。
振り返って 私を探す事もなかった。

程なく仕上がった。短髪が良く似合っていた。
「短い」と嫌がる事もなかった。

美容院を出てスタスタ歩く。
今度は お食事の場所に移動だ。
「暑気払いしましょ。何が食べたい。お肉かな?」
「そうだ お肉がいい」と母。
「暑気払い。。。」「暑気払い。。。」と母は繰り返した後「お金が…」と付け加えた。「大丈夫 預かっているよ」と言うと「有難う」と。

「暑気払い」は夫の専用では ないんだもの…。

レストランも2階にある。
階段を交互に足を出して上り終えた。ニコニコ笑顔は続いている。
お肉が希望なので 母の分は鉄板焼き定食。
お肉を確かめると「切り出し」と言っていたので大丈夫と思った。
がテーブルに配膳されて食べ始めるとどうにも固そうで口をもごもごさせていた。一口食べてみたら 筋張っている所があった。
「ハンバーグ」にしておけば良かったと反省。

家でお肉を食べる時は 筋切りをして食べやすくするか 薄切りのお肉を焼いてあげる。やっぱりお肉屋さんのレストランと言えども やわらかいと決まっていないんだなぁ〜。
家で作ってあげればよかった。
ご飯は半ちゃんにしてくれると言っていたのに 通常盛だった。
これは こちらに半分戴いた。
私は完全にカロリーオーバーだ。
母の肉は 箸で筋を除いてあげ 全量摂取。
きっと お腹がいっぱいのはずだ。
お茶も水もしかり飲んだ。
時折冷房が強くなる。母は「涼しくて気持ちよい」と言っていた。

満腹後は トイレで用を済ませて 近くのデパートに逃げ込んだ。
かなり 歩いたので疲れたようで背中が丸くなっていた。
椅子に腰を下ろすとほっとしていた。
家に連れて行きお風呂に入れようと思ったけれど この調子では無理と判断した。「帰りましょうか?」と聞くと暫く考えて首を横に振った。
未だデパートに飽きて居ないのか それとも外に居たいのか…。
階段を使って更に上に上った。
洋服がバーゲン。。。
「これどう?」と聞くと「いいねぇ〜」というので鏡の前に連れて行きあててみ見せた。嬉しそうな顔をしていた。色違いをあてると先のほうが良い様子だったので それを購入。
久しぶりの洋服購入である。

「さてと帰りましょうか?」と聞くと「うん」と言うのでバスに乗り込み施設に戻った。

その辺りから 母の雲行きが怪しくなってきた。
どうやら 腹痛のようだ。
頭を突っ伏しているので 着替えて横になってもらった。
じっと横になっていたので居室を離れて入所している方と少し遊んだ。

なんとはなしに 気配を感じて居室に戻ると立ち上がって お皿に置いてあるおやつに手を伸ばしていた。
皆 ホールでおやつを食べているので ホールに誘導。
しかし 母は何も食べたがらない。お茶だけは飲む。

職員には腹痛の訴えが有る事を伝えた。
その後 トイレに誘導。
「いきんでね」と言ってみるが 理解できないより痛い方が先でいきんでくれない。「ガスなりが出たほうが楽になるのに…」と思うが 母は頑としてマイペース。少しイラッとして「帰ろうかな?」と言ったら「帰らないで…」とはっきり言った。
やっぱり 言葉は伝わっているんだ。
でもいきみたくないんだと思い 諦めた。

暫く様子をみて 周囲に気を取られ始めたのを機に施設を後にした。




2005年07月30日(土) 私だけのせいじゃ ないのよね♪

 陽射しは強くないのに暑い日。
湿度が高い。。。
午後「ひぇ〜 生きてる?」と娘から電話。
どうやら 大阪も負けずに蒸しているようだ。

夫のふるさとから桃が2箱届いた。
いつもながら ほんとに有難い事である。

お礼の電話を入れて暫く話し込んだ。
先ずは「お母さん 変わりない?」である。

友人たちもそう。
メールやお便りの最初には必ずといって良いほど「お母さん 変わりない?
この暑さで参っていない?」と聞いてくれる。

そして 最後に「自分の体 大事にしてね」である。

でも これも距離の問題かもしれない。
若し 弟たちから電話で聞かれたら「会って見れば判るわよ」と言う気持ちが先行してしまうかも知れないのだ。
わだかまりが残っている。。。
だからこそ 電話しにくいのだろう。。。

感情とは全く厄介なものである。

今日は 暑くて何をする気も起きない日だった。
昼過ぎ 投函した郵送物が2通戻ってきていた。
切手を張り忘れたのだった。
「がーん」であった。
まとめて出したので抜けたんだろう。。。間抜けな話しだ。。

娘が読んでいた本を 読んだ。
今回の出張直前に読み終え 涙をポロポロ零していた本である。
リリーフランキーという人の「東京タワー オカンとボクと時々オトウ」と言う本だ。

お母さんを見送って書いただろうこの本。
アチコチにはないだろう家族形態。。。
この本の結末に感動したようだ。
娘には娘の読み方がある。私には私の読み方がある。

帰宅したら 間違いなく話題になるだろう。。。

夫の仕事仲間だった方が ホームページを作られたというお便りを下さった。興味もあって そのページに寄らせて戴いた。
主に仕事をベースにしたホームページだった。
デッサン画等があるそのページには 夫も関った仕事も経歴に載っていた。
まだ 開いたばかりのページで訪問者の数も少ない。
ひっそりと…という感じである。
でも きっと先の事を考えて取り組まれたのだろうなぁ〜という事だけはジワリと伝わってきた。
帰宅した夫に「ホラ」とページを開いて上げた。
「メール出してあげれば良いのに…」と言うと「明日 直接電話するわ」とつれない返事。。。
これは 夫が私に「携帯持つべき」と言い 私が「持たない」と言い方に似ている。 だから それ以上は突っ込まない事にした。

そうだ。義姉との電話で判った事があった。
先日掘り起こしたじゃが芋の事。
どうやら 今年は4.5月の雨の少なさが じゃが芋の成長に影響があったようで 何処も粒が小さいのだそうだ。
我が家の育て方や時期の問題でない事が判ってホッとした。

義姉も「今年はおかしい」と思っていたら 本業の方が「何処も今年はそうだ」と聞き納得したそうだ。
「妙な話しだけれど 不作が自分の手入れの不味さと思うとやるせなくなってしまうけれど…みんながそうだというと安心するのよ」と義姉も言っていた。。 私だけのせいじゃないのよね♪


2005年07月29日(金) 難しいスタンス。。。

 
 利用者さん訪問
利用者さんは お中元のメロンをカットされて待っていらした。
それも綺麗に種を取り除かれていた。
「一緒に食べましょう。そしてお話しましょう」と言われた。
訪問して直ぐ 鉢植えに水をあげるのだが それも出来ないほど直ぐのお言葉だった。
「ちょっと 待ってくださいね」と先に水遣りとゴミ処理を優先させた。

訪問時にこういう事はしないほうが良いのだ。
でも 一人暮らしを思う時 そうも言っていられない場合がある。
ご一緒にメロンを頂き お話を聞かせて戴いた。

メロンを戴いた後 それらを片付けキッチンのお掃除をした。
その時「ちょっと クッションのカバーの縫い方 見ていただけますか?」と言われた。
先日買った布が仮縫いされていた。
でも横がブカブカだった。
それを どう調整してよいのか わからなくなってしまわれていた。
判らないというより自信がなくてカット出来なかったというのが本当だろう。カバーをきっちりと作るか 少しゆとりを持ちたいのかを確認して 待ち針を差してみた。
すると「あと 余計な所は切ってもらえば 一人で出来ます」と言われたので 指示された通りに作業した。
「こんな事 お嫁さんに御願いすれば 快くやってくれるのだけれど…私の意地…変な意地がねぇ〜」と笑われた。
「判ります。私も 指しでがましい事をして機嫌を損ねてしまった事ありますから これは どっちもどっちなんですよね」と笑った。
「そうそう…」と利用者さん。
良かれと思った事が 以前には喜ばれていたのに 急に嫌がられたり…はある。我慢していたと言うよりも 何かがきっかけで嫌がられるという図式。
また 変なプライドが出たり…。
これは お互い様で…どちらの立場でも同じような事が起きているのだ。
ほんとに 程よいスタンスって難しい。。

活動を終えて 家に戻り 1日遅れの鰻を娘と食べた。
昨日の朝までは 土用と覚えていたのに夕方にはすっかり記憶の彼方に消えて他の物を作っていたのだ。。。おぼけちゃんです。。。

その後娘を大阪出張に送り出して 母の所に出かけた。
岐路は名古屋に立ち寄り 日曜に帰宅予定。。いつもながら ご苦労様な事です…。土日の仕事って結構多いようだ。

母は 居室で浮かぬ顔をして椅子に座っていた。
私の顔をチラッと見て 直ぐに難しい顔に戻った。
暫く話しかけた。
蛙の指人形を「これは 何でしょうね」と質問。
母は質問の意味がわからないといった。
「これは トラですか?」と聞いた。
「うん トラ…」と言いながら首をかしげた。
「そうか これはウサギですね」と言うと
「うん ウサギ」と言いながら また首をかしげた。
「あれれ おかしいかな?」
「これは カエルですか」と言うと合点がいかない風だ。
文字と両方から聞けばどうかな?と思い 紙に「かえる」と書いて更には…
♪カエルの歌が聴こえてくるよ♪と唄うと初めて納得できたように「カエル」といった。♪グェ グェ…♪と母は続けて歌った。

ひとつの言葉を引き出すのにこれほど時間を要するようになっている。

そして 引き出された事は 次のアクションにも引きずって行くのだ。
と言うのは その後みかんを母に渡すと綺麗に甘皮を取って 後は食べるだけなのに「かえるをどうしましょう…」とみかんの房を手にどうしようかと迷っているのだ。
切り替えるために みかんの房を口に運んで上げた。
それからは 順次みかんを食べ始めた。

使用頻度の高い「トイレ」は理解できる。。。
この辺りの推し量りが難しいなぁ〜。

トイレ誘導し大は成功。排尿も散歩の時の1回を覘けば これもトイレで排泄できている。
みんなとおやつ。
母はところてん。先日置いていった物だ。
今日は 口に運ばないと食べなかった。

それから散歩に誘った。
「暑いけれど 汗は出ないよ」と言っていたけれど かなりの暑さだ。
家電店やコンビニに逃げ込みながら 何とか切り抜けてお散歩が出来た。
木陰で アイス最中を半分こして食べた。
母は アイスだけは拒否しない。。。

汗を流しながら施設に戻った。
出る前にエアコンを少し強めに設定して出た。涼しい居室に入ってポロシャツの襟を開けて 団扇で扇いであげた。
「気持ちいいなぁ〜」とほっとしていた。

時折 不機嫌の気配もあったが 概ね機嫌よく過ごせたのでよかった。


2005年07月28日(木) 行事。。。


朝から気温がグングン上がった。
からりとしたお天気なので 扇風機でもやり過ごせるのがありがたい。

施設では 8月10日夏祭りを開くと言う。
入所者は 浴衣を着用。
一斉に着るので 面倒を省くため先に「おはしょり」を縫い上げるそうだ。
いる間にお手伝いしようと思ったが リハが入って…。
その間に別の家族が持ち帰られ 家で縫い上げて来て下さる事になっていた。

小さな事だけれど 家族が出来る事をお手伝いするというのはボランティアに近いものがある。
職員との交流の中で お互いに学ぶ事もある。
でも お手伝いできない事情の方だってある。
それはそれと割り切って 出来る事を少しずつ手伝える関係になれば良いと思う。

小さな事といえば ある入所者のご家族は 同じフロアにいる方にハンカチでお人形を作ってくださったり 折鶴を折ってきて下さってる。
それぞれのお部屋に飾ってある。

面会時間も異なるので ご家族とお会いするのは行事の時のみと言う場合も多い。それでも 見えないところでお互いを思いやる事が出来るって素敵だと思う。

母の夏の着物を 夏祭りに着用するため出した。
浴衣を買ってあげた方が良いのかなとも思うけれど…。
ふるさとにあるのだしなぁ〜。

職員が浴衣を着るのだから…「ご家族も…」と言われた。
でもねぇ〜 浴衣なんて持っていません。。。
どうしましょうねぇ〜。

そして 地域の敬老日の行事の案内の話しになった。
わが地域では演歌歌手のショーが主流。今年もやっぱりそうなった。
昨年 利用者さんが「興味がないし 時間とお金の無駄」と言っていた。
確かにそうなんだ。
でも 1日3回入れ替わりショーを見る方もおいでなのだ。
地域に住み始めて8年余 母は一度も出かけた事はない。
行きたいとも言ってない。
でも 大勢の方が行かれるというのだし 中にはそれを楽しみにしていらっしゃる方もいると聞いている。
難しいなぁ〜。
役所の申し込み用紙の中に 来年の希望を書き入れてくださいとあった。

いつもは放りだしているのだが 今年は申し込みをし アンケートに書き込んだ。用紙に設定のない部分に書き込んだ希望とは 浪曲 謡曲 浪花節 講壇 だ。
ラジオの時代には じっと耳を傾けていたに違いないし 今は演じても減ってしまい 聞く機会もなくなっているように感じたからだ。

今年 申し込みをしたのは 施設の方のためだ。
施設の中には 地域に住んでなかった方もおられる。
その方には 案内は来ない。
だから 母の申し込みによって 母に変わる行きたい人のために申し込みをしたのだ。

今時 成人式だって ふるさとと今住んでいる所の両方に参加できる。
高齢者だって そうしてあげて良いだろうと思う。
それも 母のように呼び寄せの方だって おられるだろうと思う。
知る人もなく 出る喜びすら感じられない方もおられると思う。

呼び寄せ老人は 今 切ない状況になっていないだろうか?
行政のいろんな事情で近くに呼び寄せられなくなっている人はいないだろうか?
我が地域は 他の市区町村からの流入を防ぐため 地域にグループホームを立てる計画は見合わせている。
突然来た 高齢者に税金を食われるのは困るという理由からだ。

介護保険って 全国共通で何処のサービスでも使えるって言っていたのに…。何時の間にこうなってきたんだろう?

見えてないことがいっぱいだなぁ〜。
あれれ 敬老日の行事から 違う話題となってしまった。
暑さのせいかな?


 


2005年07月27日(水) 明るい所に行かない方がいい


 リハビリの日だった。
お腹も空かないので昼食はせずに家を出た。
リハビリが済んだら散歩に出て 何か食べればいいなと軽く考えていた。
時間が過ぎても療法士さんは見えなかった。
40分ほど経過してから 治療院の電話番号を調べて電話をしてみた。
携帯を持たないし 出先で電話帳すらない。
どうやら 療法士さんは自宅に向かってしまったようだ。
確かに 先生は家にしかみえて居ない。
今日からは 先生がリハに当たってくれる事になったのだ。

電話してから10分ほどで療法士さんは見えた。

母はやっぱり記憶に残っていないようで ちょっと「ぎょっ」としていた。
「あれれ 忘れちゃったかな?」と聞くと「怖い」と言う。
「○チャンの体をほぐしてくださる先生よ」と言うと納得した。
療法士さんは約2年ぶりに会った訳で「お変わりないですねぇ〜」と喜んで下さった。
先生は 若い療法士さんと比べて丁寧に治療に当たってくださった。
おそらく1時間近くかけて取り組んでくださったと思う。
先生は 水中リハビリも取り組んでいらして地域のプールでも指導に当たって居られる。

先生が当たってくれていた頃は 1人で横になることができていた。
今は しっかり支えてあげないと座る事はなかなか出来ない。
足腰の筋力が落ちている事は伝える事をしなくとも 様子で判って貰えた。
「でも 歩く事ができるから良いですね」と言われた。
「そうなんですよね。歩く事 食べる事…出来る限り自立で…と願っているのです」と伝えた。
立ったり座ったりは 程よいリハビリになるそうだ。
しかし 母のような状態になるとどうしても介護者の負担が強くなってしまい続かなくなってくる…とお話なされた。
「いやぁ〜 家の場合は託していますので 面会の時くらいパワー全開してあげないと申し訳が立ちませんよ。。。」と言うと笑っていらした。

リハの途中から眠ってしまった母を見て「以前は起きていらしたのですよねぇ〜」とちょっと驚かれた。
リハが終われば目を覚まして 起き上がり両手を付いてお礼を言っていた頃の話である。

でも 今日は リハが終わったら気配で目覚め 起き上がってお礼を言っていた。

リハの後 遅めのお散歩に出た。
トレーニングパンツが足りなくなっていたから薬局まで…と思った。

施設に1日に使うトレーニングパンツの枚数を聞いた。
足りないようなので 来月からもう2セット増やして様子を見ることにした。
そろそろ限度いっぱいになるかな?
今は Lサイズのトレパン2セット 2種類の尿漏れパットを2セットと3セットである。これの1割を負担している。
1割負担の限度額があるので オーバー分は全額負担となる。
だから 様子を見ながらそのつど調整である。
排泄に関して職員から説明があった。
もう いちいち書類を見なくとも状況を説明できるようになっている。
母は夜間 排泄がある時それなりのモーションを起すそうで それが見えた時は トイレに誘導してくださるようになったようだ。
誘導すれば トイレでの排尿もできると言っていた。

ただ 朝の時間は 忙しくて誘導できないので パットを使っているとも言われた。それで 最近パットの減り方が少なくなっていたのだなぁ〜と思い当たった。

連休に我が家に泊まった後 職員と夜間対策について話し合った。
その話し合いの結果が反映されているのである。
これは 嬉しかった。

話はちょっと逸れるが 今朝 母が御世話になっていた支援センターの方から電話を戴いた。
頼みごとがあったのだ。
この話の後「お母さんは 如何ですか?」と聞かれた。
昨日のお便りの話や言葉を失いつつある事等を伝えると「在宅の長所短所 施設の長所短所 それぞれあって完璧な介護は難しいですからねぇ〜」と聞かされたばかりである。

でも施設側も 個々のケースに合わせて取り組んで貰えれば 小規模の施設の良さが発揮されるという事だろう。

さて 外に出た母「暑いね」と言いながらも足取りはしっかりしていた。
背中も伸びていた。
薬局で買い物した後 少し遠回りをした。
木立の中を出た後 夕日がジリジリあたる所に差し掛かった時…。
「明るい所に行かない方がいいね」と言った。
「日の差す所を歩くな」と言う意味と感じられた。
今日は 何とか類似する言葉を使って話せた事が嬉しかった。

施設に戻った後も水道水をコップに入れて渡すと「美味しい」と言い 更には「雪が入っているみたいだ」と言った。
単に水道水なのだけれど 外がかなり暑くて 水が冷たく感じたのだろう。
「お水飲む?」と聞くと「飲みたい」と言っていたくらいだから…。
これも類似する言葉を探し当てていた。

いつも これくらい水分を取ってくれれば良いのだけれど 母の勘ピューターは腹痛を感知すると 水分を含め繊維物も受け付けなくなるのだ。
記憶が途切れがちな割りに この勘だけは 機能しているように感じる。

排泄は 大トイレ誘導で成功。排尿はトイレで3 オムツ2だった。
リハの前に誘導して成功したものの リハ後には出た後だった。
きっと目を覚ましたのが その時だったと思われる。

でも未だ自覚できる部分がある。いいぞいいぞ!



2005年07月26日(火) これが現実。。。


 今日 施設の母から暑中見舞いのはがきが届いた。
お便りを貰う度に実に妙な気持ちに陥る。

母とは高い頻度で会っているので 託しているという感覚が薄い。
これが問題なんだろうな。
だから お便りを貰うと託しているという現実を思い知るのだろう。
頻繁に会ってはいても 託しているのだと…。
この感覚は 以前からあった事。

今日のお便りを読んで 判読できない文字が並んでいた事。
文字が下手になった事は言うまでもないが 見たこともない文字が並んでいるのだ。
母は 私の間違い文字を厳しく指摘していた。
これは 認知症が進行しても続いていた。
記憶違いでなければ 在宅中はそうだった。

自分で文章を書けなくなっても 間違い文字だけは 厳しかった。
文字を忘れ始めても 書く時はきちんと「できない私」に聞いて 正しい文字を書くようにしていた。

それ程拘っていた文字が書けなくなっている。

今年の年賀状 母が書いた。
でも 鉛筆で書いて貰い 間違えたら消しゴムで消した。
そうやって 何とか仕上げて鉛筆書きのまま そして幾度も消した後が残る便りとなった。
文字も斜めになっていた。

施設からの暑中見舞いは ペン書きである。
僅か6行のお便りだけれど 読めない文字が9文字。
文も一行はどうしても意味が汲み取れない。

母の文字だから…良いのか…。
未だ書ける所もあるし…。
と思い直そうとするのだが…ちょっぴり辛かった。

このお便りを書くために 職員は苦労なさったのだと思う。
感謝しなければ…と思うのだが はがきを見ているとぼやけて見えてきてしまう。

もう 書けないだろうか…と思ったりする。

いろんな現実がある。
能力がひとつずつ消えて行っているのは判っている。
出来ない事がいっぱい増えていている事も判っている。
それでも希望を捨てずに 前を向いていたのだが…。

自分が母の病を受け止めきれて居ない事に愕然とした。

「おいおい しっかりしろよ♪お母さんが困るよ♪」と父の声が聞こえた。

気が付けば 数通の暑中お見舞いに返事を書いていない事や返事を書いていないお便りが あった事を思い出した。    …駄目じゃんね…







2005年07月25日(月) 出来る事 探そうっと!


利用者さん宅をピンポン。。。返事がなかった。。。
再度押しても。。。
まさか…と先日の事が過った。
暫くして「ごめんなさい」とドアを開けてくださり胸をなでおろした。

週末にご家族とお墓参りに出かけると言っていらしたので お話を伺う。
無事 お墓参りを済まされた御様子で楽しいお話を聞かせて戴いた。

「子供の為す事に 親として多少不満な部分も出る…」と言うお話のくだりがあった。
「そうそう」と相槌を打つ。
「でもね 育てたようにしか育ってないという事に行き当たりますね」と。
お互い深く頷いた。

今日は「シャケのマリネ」をご希望だった。
買い物を済ませて 早速作る。
利用者さんが作られた事が有ったので それに沿うように作らせて戴く。
確か 人参 ピーマン 玉葱 林檎 レモン パセリだったなぁ〜。

玉葱は薄くスライスして氷水に放す。人参は薄くスライスし千切り。
林檎は薄くスライスした後塩水につける。
ピーマンは頭をちょっと落して種を取り出す(外皮に付いている所に包丁を入れるとポロンと種全部がそくっと外せる)それを薄く輪切りに。
玉葱の切り残った所をみじんに切ってピーマン、人参とパセリのみじん切りを入れて塩して暫く置く。
バットにオリーブオイル 酢 レモンの絞り汁 塩を入れて混ぜ合わせる。
そこに良く水を切った玉葱のスライスを敷く。
その上にシャケを一枚ずつ敷いていく。
最後に林檎を良く水切りし 玉葱 人参 ピーマン パセリのみじん切りと和え オリーブオイルとレモン汁を入れてからシャケの上に載せる。
最後にレモンの薄切りとパセリを飾る。
これで修了である。後は 冷蔵庫で冷たく冷やす。

その間に 人参の残りとインゲンとアスパラを茹でた。
「お野菜を沢山取りたいけれど 暑いとやる気が出なくなって…」というお話を聞いたので 少し硬めに茹で あとは好きなように調理できるようにした。
他にピーマンも全て種を取り除いて冷蔵庫に戻した。

やる気の出ない時は ちょっとの下処理してあると苦にならなくなるという事は自分自身の経験で判っている。
利用者さんは 前向きなので 全部オンブにダッコにならない事は判っているし…。

ゴミを纏めてから 洗濯物を干して 鉢植の水遣り トイレ掃除を済ませて今日の活動は終了。

急いで家に戻り 母の所に運ぶ物と準備した書類を持って 家族会に出向いた。時計と睨めっこしながら 昼食を口に運んだ。

今日の家族の会は 役所主催の会である。
クリスティーナさんのビデオを見て 認知症のケアを考えると言っていた。事前に役所から「今回は 介護家族だけでなく 老健や民生委員さん等からの申し込みが有った」という報告を受けていた。
地域密着…を思えばよい傾向だと思う。だから 形態を変えての家族会は良かったという事なのだろう。

ビデオを見た後医師を交えての懇談。
介護家族の困惑談等 いろいろ在った。
この中で先日の地震が介護の見直しが出来たと言う方がいらした。
揺れた後で「関東大震災の時…」と言うお話をなさったというのだ。
そこで初めて正面からその話を聞くことができ それをきっかけに昔のお話を引き出せたいう事だった。
そういう経験をした後でクリスティーナさんのビデオを見て「なるほど」と思えたという事だった。

介護していると どうしても元気な頃をベースに話してしまう事があり「また 古い話をして…」とウンザリ顔になってしまう。
これは 過去に幾度も経験してその度に 気まずい空気を作り上げてしまっていたので 気持ちが良く判った。
母の心底安心する顔を見ると「こういう事か…」と学習してきた。
みんな それぞれの関係の中で学んでいく事があるものだなぁ〜と感じた。

きっと お話くださった方は お母様との距離が近くなって嬉かったのだと感じた。
介護は お互いの距離が近くなったと感じるとほんとに感動なんだもの…。
これは 何にも替えがたい喜び…である。

有益な時間を満喫した後で 母の所に向かった。
時間的には遅いのだが 会場が母の施設の傍だったから…。
母は 私の顔を見るなり「待ってました」とばかりに「あのね…」と話し始めた。直ぐにトイレ誘導 パンツは少し汚していたけれどトイレでもちゃんと排尿できた。「良かったね」と言うと「有難う」と返してきた。
トイレに行きたいタイミングで面会できて良かった。
その後 タオルを洗ってもらった。
がタオルを洗うというよりも自分の腕を洗うといった風だった。

お散歩に出る時間でもなくて 仕方ないので居室で窓の手すりを使って屈伸運動や足を上げる運動などをした。
母は懸命に体操し「くたびれた」と口にした。
「偉いねぇ〜頑張りやさんだね」と言うと負けず嫌いを発揮して更に頑張っていた。

夕食も近くなったので ホールのソファーに座り手を使ってゲーム。
これも母が好きなゲームである。
テーブルの上に手を広げて置くと母は私の手を叩こうとする それをひらりとかわす…叩きはぐれた母は失笑する。
その隙に交わした手でポンと母の手を叩く すると今度は大笑い。
それを幾度か繰り返した。
手遊びは 母とのコミュニケーションをとるひとつの方法である。
いろいろ聞こうとしても 話せない事が多くなってきているのでこうやって遊ぶことでスキンシップをはかり 更に刺激しあうのである。

言葉を引き出したくて 窓から雲の様子を見て話したり通過する車の色を言って見たりである。色を言い当てる事は困難になってきている。
でも「自動車」と言う言葉は使えた。
それだけでも良しとしておかないと マイナス面ばかりに目が行ってしまうこのごろの母である。

その後 急激に機嫌が悪くなって行った母。
私の顔を見てもにこりともしなくなってしまった。

職員に畑に行くタイミングがなくてごめんなさいと詫びられた。
「ケースバイケースで お互い無理は禁物」と伝えた。
そして 外階段で育てている野菜を見せて貰った。
これまで 何回か失敗をしてきたのを見ているが 今度はきゅうりやナスやピーマンが小さな実を付けていた。
感動である。
入居者に管理育成は難しい。職員の手助けがないととてもできない。
仕事の合間に育て上げた職員のご苦労を思った。
育てる喜びが見えないと なかなか続く事でない。
入所者のために…もあるけれど きっと育てる感動も味わえる筈と確信している。

これから歩ける人は外階段に出てみてもらうと言っていた。
更に 成長したら室内に持ち込みみんなで収穫するそうだ。

以前「肥料袋なら育つよ」と伝えた事がある。
施設ではプランター以外に持ち運びやすいように肥料袋で育てていた。


 


2005年07月24日(日) 爽快感


日曜日で家人は久々の休日。
午前中家事や明日の準備。昼食の後片付けを済ませてから 畑に向かった。
一応 夫にも娘にも声をかけたけれど 動く気配はなかったので1人で…。
 
曇り日で涼しいと思ったけれど 屈みこんで草取りを始めると汗が流れて来た。眼鏡にもポトポト落ちて何も見えなくなってしまう。
眼鏡を外しての作業となる。
今年は 草取りの度に畑の隅に穴を掘って そこに取った草を埋め込むようにしている。
大きな草はそれ程なかったけれど それでも草取りだけで2時間はかかった。
それから 水遣り。。。

その頃になったら 夫がお茶を持って畑にやってきた。
どうやら娘が「畑に行くならお母さんにお茶を持って行ってあげて。お父さんが飲んじゃ駄目だよ」と言われたらしい。
「母親思いの善い子だね」と皮肉混じりに言われた。(悪意もないみたいだけれど)

折角 夫が来たのだからトマト等のわき芽を摘んでもらおうと頼んだら…。
「何も手を出す所はないみたいだ」と言われた。
いつも 細々と口を挟むのに…まあまあの出来という事かな?
「じゃがいもが駄目になる…」と追い立てるように言っていたのでその作業を御願いした。
が 未だ少し早かったようである。
家は平均より後に植えたので成長もその分遅いと思っていた。「やっぱりね」と思う。しかし 農業に詳しい夫の言う事なので逆らえない。
私は ほんとに何も判らないのだから…。
「みようみまね」でやっているに過ぎないのである。

ルッコラもおろ抜きをしてくれた。
ルッコラと蕪には てんとう虫が着いていてちょっと迷惑。。。
見つけてはつぶしている。嫌だけれど 軽く薬をかけた方がいいのか迷う所だ。

それから順に収穫。
ニラを刈り 蕪を抜き ナス トマト 紫蘇の葉 空芯菜。
それから 枯れたところ等を取り除く。
それから土を洗い流した。
一連の作業をしながら 農家の人はこの何倍もの量を収穫なさっているんだなぁ〜。

ようやく夫の持ってきてくれたお茶を飲んだ。
汗でとんだ水分を取り戻せる。。。

枯れた葉も含めて 穴に放りこんで土をかけて今日の作業は終了。
その間に夫はバケツやら如雨露やらを車に積み込んでくれた。
帰りは車。。。

虫に刺されないように長袖長ズボンでの作業だったので ちょっときつかった。おかげで今日は虫に刺される事はなかった。

休む暇もなく 収穫した物をそれぞれ整理して冷蔵庫に収納。
直ぐに夕食の支度である。
「外食しようか?」と娘は言ってくれたが 夫が嫌がるのは目に見えるので
「どっこいしょ」とキッチンに立った。

ナスを焼いて皮をむき レタスとルッコラとトマトのサラダ。
小さめの塩鮭を焼く。 豚肉を軽く茹で茗荷と梅干で和える。インゲンを茹で 生姜を摩り下ろす 蕪とその葉っぱと揚げの味噌汁 戴いた味噌漬けを刻んで…  そう 後は生協の大根もちを焼く。こんな所が今日の夕食。
しかし さっぱりしすぎて満腹感がなかった。
腹八分目。。。といった所。

出来れば施設のみんなとじゃが芋堀りと行きたかったが 暫く外出はできそうもない…との事だったので…ざ・ん・ね・ん

それにしても 曇り日なのに 暑かったなぁ〜。
菜園の仕事は 大変さもあるけれど 楽しみもある。
畑が綺麗になって作物を収穫して 爽快感を味わう。


2005年07月23日(土) 取り込み中でも容赦ないんだぁ〜


 「じゃが芋堀り 今日はどうでしょう?」気温も高くないし 職員の都合とこちらの都合が合致している日なので 電話してみた。
今日は どうも調子の悪い入所者と職員が出たようで緊急体制で無理という事だった。

それでは…とこちらから母の所に向かった。
母の入浴をしてくれると言うので御願いして その間入所者とおしゃべり。
食後だったので「お食事済みましたか?」と聞いてみた。
「ハイ 朝ご飯を戴きました」
「今日の夕食は何にしましょうかね?」
「そこの魚屋さんで見てみましょう」
「さて 魚屋さんで何を買いましょうか?」
「…」
「秋刀魚なんてどうでしょう?」
「良いですねぇ〜大好きです」
「大根おろし つけましょうかね」
「そうですね」
「八百屋さんに行かなければなりませんね」
「ホラ この崖の下に畑があります。いつでも持って行くなといっていますよ」
「あ そうですか」
「じゃ 畑で大根掘りましょうか?」
「そうですね」
「他にどんなおかずにしましょうか?そういえば 南瓜お好きでしたね」
…コックリ…
「南瓜の煮つけは如何ですか?」
「ハイ ようございます」
「お汁の実は何にしましょう」
「それより 爺さんがお酒飲むから…」
「あ そうでしたね」
「じゃ おつまみですね」
「いや 爺さん1人で酒を布団に運ぶから…」
「おかんしないで良いのですか?」
「そうだよ おっぽっておけば良いんだよ」
こんな 取り留めのないお話をした。
全て 入所者さんの思い出の場面に沿って話しを進めた。
お風呂から上がって来た母に「夕食のメニュー」を知らせると「善いね」とニコニコ。
「秋刀魚の塩焼きと南瓜の煮つけと味噌漬けと大根おろし 後はお汁」
これが 万人好みの夕食なのだろうか?

「外にお散歩に行きましょうか?」と聞くと「行きたいよ」と言うので直ぐに外に出た。
歩く調子は良くて 車もきちんと「止まっている」といえた。
歩く方向もほぼ予測していた。
ドラックストアに入ると「チョコアンパン」を棚から篭に入れていた。
買い物する意識はあるようだった。

お店を出て公園で腰を下ろした。
購入した「チョコアンパン」をあげると嬉しそうに食べていた。
ついでにアイスも…。
少し休息後 更に歩いて 小山を上り下りして施設に戻った。

トイレに寄らないで出かけたので 直ぐにトイレ誘導。
パンツを下げて うんを見つけたのとグラリと揺れたのがほぼ同時だった。
折角座っていたのに 揺れと共に母は立ち上がった。
「あ 大丈夫だから 座ろう」と再び便座に座ってもらう。
出来る限り便座を汚さないように…。
ここで便座を汚すと足や洋服にまで汚れが移ってしまうので 脅かさないように慎重に座ってもらった。
久々の要注意状態だった。

揺れている間中 お尻の清浄といきみの誘導。。。着替えの準備。
長い揺れだった。そしてかなり大きいと感じ 「我が家は大丈夫か?」と頭を掠めた。

施設内の様子を耳を傾けてみると…割りに冷静。
職員が居室に確認に来てくれた。
「こちらは 大丈夫です。他の方をどうぞ」と伝えた。

全ての処理が済んだころ 揺れもおさまり 施設内は何事もなかったかの様子。。。

大変な時に母の傍にいられた事 また施設内は冷静である事をみてホッとした。

母はお散歩でかなり疲れて やっぱり強い前屈みが出てしまったので 居室で横になって貰った。

家に戻ってから 介護仲間の高齢者世帯に電話。
慌てない人 慌てた人 それぞれだったが 皆さん 大きな怪我もなくてホッとした。連絡の取れなかった人もいる。何事もありませんように…と願うのみである。
地震より 連休中に熱を出して大変だったというお話を伺い デイもなく心細い思いをなさっていらした事を知った。
「遠慮しないで…」とお話したばかりだったのに…高齢者の方の辛抱強さに脱帽だ。「ほんとに困ったので これからは 遠慮なく電話します」といってくださったので胸をなでおろした。
私だって何れ誰かの世話になる。お互い様の事だから…。


2005年07月22日(金) 介護文化…作れるかな?


利用者さん訪問
「お散歩を中心に帰路 お買い物を」と言うご希望だった。

が 其の前にお話を伺った。
利用者さんは 80を越える方だが 困っている人をみるとお役に立ちたいと思われたり情報提供しようと考えられるようである。
ご近所に自分よりお若くて 病の方がいらして其の方に「生きがいデイ」「「配食サービス」の利用を勧めたり ご自分のケアマネさんに相談したり…となかなか積極的。
こういう姿勢が共に生きる地域作りになって行くのだと思う。

ところが 利用者さんは 途中で線引きをなさってしまった。
それは ご近所さんどうしのプライベートゾーンの話しになってしまったからである。
「あの方は 息子さんがいらっしゃるのにお嫁さんと相性が悪いんですって」というお話が耳に入り そこまでご近所で噂するのか…という事で後ろに下がられた御様子だった。
「家族の折り合いなんて うまく行っている所なんて そうあるもんじゃないのに…なんであんな風に言うのでしょうね」とがっかりなさっていた。

「困っている人に情報を伝えるって ほんと難しいですねぇ〜」と話されていた。

おそらく利用者さんが感じられた事は 世間一般の割りに多くの方が感じられている事だろう。。。

日陰を探しながら散歩をして 買い物を済ませて活動は終了した。

ちょっと寄り道をしてから家に戻った。

今日は介護者ネットワークの定例会である。
改正介護保険の事も話題に上る。
改正介護保険に関しては いろいろと判り難い所があり 先ずは値上がりしてその影響の話しが一番先になった。
値上がり分は サービスの利用量が少ない人は それ程多くないけれど 限度いっぱいにショートを利用する人は それ相応の跳ね返りが出てくる。
負担増はかなり重くなるだろう。
けれど 其の介護環境によって止むを得ずいっぱいいっぱい使わざろう得ない人もいるわけで そういう人には厳しくなってくる。
そういった時
デイ利用の時に「お弁当持参だったらどうなるんだろう…」と言う発言があった。
一同「なるほど」と頷く。
おそらく 多少は軽くなるだろう。
ただ 施設側からすると問題も多くなっていくだろうねと言う話となった。

市区町村レベルで未だきちんと決まっていない事もあって 直接の説明会があったという報告はない。
「でもね。未だ決まっていないのです」と数回繰り返した後「もう 決まったのです」までの過程が明らかにならないから注意深く居ないとねという話にもなった。
また 介護家族も高齢だったり 忙しかったりで知ろうとする気持ちがあまりないところもある。
後で「あ〜っ」っとなってしまわないかと心配と言う声も上がった。

勿論 所得の低い人や高齢のご夫婦のみの世帯に関しては 引き上げるシステムも準備されて入るのだが…。

他にも 秋に開催する「介護なんでも文化祭」の話し合い等もあった。
介護者発信のイベントである。
医師もボランティアでカウンセリングしてくださる。
また食に関する事 介護保険に関する事 施設に関する事 その他諸々の専門に学んできた方も相談にのってくれる。介護家族も勿論在宅介護の共有する悩みを聞く…。そして認知症になった本人のコンサート…。
そして認知症の人もお連れ頂き「ミニデイ」も併設。
介護をみんなで共有して考えて行けるスペースになれば…との企画である。
そして家族の手で介護文化なるなるものを作り上げたい…と言う願いもある。

この所 ネットワークのメンバーの「マイケアプラン…」や「彩星の会」また「アラジン」等がテレビや新聞に出たり載ったりで その反響も話題となった。


2005年07月21日(木) なんだかとっても近しい人みたい


 朝 母を迎えに行く。
一昨日 排便が有ったと職員から報告を受けたのでほっとした。
今日は通院なのでバスを乗り継ぎ 何処にも寄らずに家に向かった。
暑いので 途中持参したハーブティーを数回に分けて水分補給。

足取りは特に悪くなく 姿勢もまあまあの状態だった。
しかし 相変わらず 会話が「?」
トイレに入って 排尿を促すと「じゃ トイレに行かなくちゃ」と言う。
トイレに入っているのも判らないのか それとも言葉が出ないだけなのか…。強く訴える事もなかったが 肋間の痛みは未だ残っているようだ。

今日の昼食は素麺にした。
トマトや煮物を小皿に盛って 先に食べて貰って 素麺を茹でテーブルに運ぶと お茶の入ったコップの上にトマトの器を重ねようとしていた。
「危ないよ」と声をかけるとニコニコ笑っている。
仕方ないので 重ねた器を元に戻して 汁椀に薬味を入れ 素麺を少量入れて母に渡した。
それでも またニコニコしながら 煮物の器をお茶のコップに重ねようとした。「危ないよ」と言っても 特に気にする風でない。

食べる動作を始めるまで 副食の器は 少し離してみた。
それでも食べ始める様子がない。
私が先に食べ始めると ようやく素麺を口に運んだ。
自分から素麺を取ろうとしないので 様子を見ながら少しずつ素麺を足してあげた。そうやって ようやく順調に食べ始めた。
お腹が空いていないのかなぁ〜と思った。

食後 娘のお土産を渡した。
無地の薄紫色の半袖に花柄の長ズボン。別々に購入したというがパジャマにしたらよい…と娘は言っていた。
半袖シャツをみて「綺麗ね」と言う。
「これは お土産だって」と言うと「あら 悪いわね」と。
これは正常な反応だった。
ズボンを手に取ったが どうもズボンと認識できなくて 裾の片方をタオルでも巻くかのようにクルクルと丸めて とうとう ズボンと認識する事はなかった。未だ記名していないので 施設に運ばなかった。

それから入浴。
洗髪をして身体を洗う。特に嫌がることもなく入浴できた。

上がってから水分補給。
お茶を準備したが積極的に飲まないのでゼリーを出した。
これは 自力で食べた。

頃合をみて通院。
待合室はいっぱいだった。
土日月と連休 そして水曜は休診日だったせいなのだろう。。。
30分近く待って 診察を受けた。
先生の顔を見るなり…
「ニコニコしていて 何だか とっても近しい人みたい」と医師に向かって言った。医師は「うん 近しい人だよ♪」と言いながら 母のお腹を撫でてくれた。母もニコニコ。
しかし じっと30分待っていたのに…血圧が高かった。
ちょっと要注意かな…。

暑くなって 歩く事が少なくなって来ているせいかもしれない。

診察を終えて施設に帰った。
間もなく夕食と言う時刻になっていた。

施設から戻って 畑に向かう。
雨が降っていないので 小さな作物には水が足りていないだろうと思ったからである。
なすがお化けナスほど大きくなっていた。
オクラも大きくなりすぎて食べられない物も有った。
オクラは 大きくなるとどうしてあんなに硬くなってしまうのだろう。
蕪はほど良く育っていた。
ルッコラとトマトを収穫。




 


2005年07月20日(水) アクティブケア


 おそらく 今日の夜はお土産のお話でいっぱいになりそうなので早めにアップにしておく事に。
娘は 最後の日フリーなので「メキシコに行く」とメールが来ていた。
がどうやら メキシコには飛べなかったようだ。
「諸々の事は帰宅してから…」という事だったので お話がいっぱいありそうと言う予感がしている。

さて 飛び込みの用が出来て 事業所の地域懇談会に参加できなかった。
そして リハビリも今週はこちらの用と療法士さんの都合が合わなくてお休みとなる。

予定変更で今日の午後の時間に余裕が出たので 施設に電話して「じゃが芋堀にこれますか?」と伺う。
予定では 今日は大丈夫な日だったから。
ところが 今日は業者さんが入っての清掃日で外出は出来そうもないという事でこれもおじゃん。

折角空いた時間なので 今の内に日記更新する事にした。

今朝 新聞を読んでいたら
「介護の先輩国から」…質を守る…と言うコラム記事(朝日新聞)が目に留まった。
ドイツ各地の介護施設で90年代後半高齢者虐待が次々に明るみに出たそうだ。「介護殺人」とまで呼ばれるほど大スキャンダルになったそうだ。
これを受けて02年「介護の質確保法」が制定されたそうだ。
柱は「メディカルサービス」による介護施設の監査だそうだ。
この監査で1施設に付き担当者2名が2日がかりでチェックや聞き取りをするのだそうだ。
「入所者に水分や栄養を十分に与えているか」「介護記録は適切か」等数10項目を調査して「施設のやる気を引き出す姿勢」で臨むのだそうだ。
また緊急電話相談も無料で受け付けているそうだ。
相談件数が年間1500件と言う。
此処には在宅の家族からも相談電話がかかってくるそうである。

こういう所で「質の確保」をしているという。

加えて「アクティブケア」が再評価され始めているという。
「良い介護とは至れり尽くせりのことでない」という事でボタンかけを忘れかけている人に自力でボタンをかけられるように工夫しているという。
そういった事で「出来る喜び」を取り戻せる事が介護であるそうだ。

問題もある。
「一定の時間に一定の作業をこなすように求められる今の保険報酬では 時間のかかるアクティブケアは難しいそうだ。

日本でも第三者評価が取り入れられているが…。
個々の実態をどれ程 把握できているだろうか?

今の体制での職員数の限界もあり おそらく入所者が満たされて居ないところは多々ある。
此処をどうやって乗り越えて行くか…。
一部であっても良い。対処できる家族の協力も受けながらでも 何とか質の確保 アクティブケアが為されるようになればいいと思う。
そうして動き始めれば 職員だけでも有効に出来るケアのの方法が見つかるのではないだろうか?
また 預けっぱなしの家族も少しは減少するのではないかな?
いや 状況によって止むを得ない預けっぱなしもあるから 全てがそうだといえないのだが…。

食事 排泄…施設の抱える課題は多いと思う。いや 施設だけでない 在宅でも同様である。
介護の負担感をどうやって軽くしていくか…。
サービスの種類 またヘルパーさんの質。。。
「家事援助」がお手伝いさん代わりに使われているという感覚にならないような工夫が望まれるだろう。

さて自分はどう変われば良いんだろう…。
今の所 適度な距離で 真摯に向き合い介護に取り組ませて戴くようにするしかないかなぁ〜。

余談だが…。
今日の懇談会に参加できなかったお詫びの電話を事業所に入れた時の事。
とても疲れたような やる気の出ない状態が一目瞭然の電話の受け方をしていた事業所の人でビックリするやら腹が立つやら…だった。
一言発しようと思ったが やめた。
電話の相手が誰か判らない時点での話なのだ。
若し これが利用したいという人からの電話だったら…きっと辞めるだろう。今 とても忙しい状態である事は十分理解できるけれど でも 時間が来れば終わる仕事である。
十分な補償のある人たちなのに…。どうしちゃったんだろう。。。


2005年07月19日(火) 汗ダク。。。


 昨日 表示圏外と言う電話の履歴があった。
「ん〜」と考え込む。
娘からメールで「非通知解除して」と有ったので「それか」と思い「非通知」を解除しておいた。
しかし今朝見るとまた「表示圏外」という履歴。
あらためて 電話機能を見てみると「表示圏外解除」の項目があるではないか…。

全く 使っている物の機能も知らないでいるなんて情けないなぁ〜。

表示圏外を解除したとメールを打っても娘は娘の動きがあるから こちらの都合通りには行かない。
夕方 ようやく 再度電話が来て ようやく話せた。
つまり 携帯が使えたという事。

娘は携帯を2個持っており 片方は海外で通じない。
だから 通じない物と思っていた。
全く 思い込みと言うのは困った物である。

ようやく通じるとわかっても 向こうは深夜に入っており 電話しては可哀想。

でも ひとつ 賢くなりました。
アナログ人間が時代の波に押されながら 学んで行きます。

娘に気を付けてメールを送った後 意図しないでキーを押したみたいで ネット接続が出来なくなりました。
もう パニック状態です。
其の間に娘からメールや他の方からメールが入っており ますます焦って…。夕食の準備も途中でパソコンの前でカチャカチャ。。。
数時間格闘して 自力で解決した。
と言っても パソコンに自分で解決させたのだ。
「システム復元」という物で…。
このシステムは きっと私のようなメカ音痴のためのものなのだろう。。。

介護者のためのパソコン教室で講師が「今時のパソコンは 自力復活してくれるのですよ」と言っていた事を思い出した。

日中もワードやエクセルの慣れない作業をしていて…頭が芯から疲れてしまった。


2005年07月18日(月) 泣かせてごめん♪


 どうやら 梅雨明け?のようですね。
今日もやっぱり暑かったぁ〜。

そろそろ やせ我慢・強がりを言わないと前に進めなくなりそう。
先日も「暑いあつい」という娘に「これが冬だったら気持ちの良い温度でしょ。だから 良い気持ち…って思うのよ」なんて 偉そうな事を言ったばかり…。こういう言葉が出てくると暑さに抗体が出来始めた…と言う自己分析なのだ。

とはいえ 日が暮れれば文明の利器に助っ人を頼む日々。

午前中に 夫の車で母を迎えに行った。
夫の車は車高が有って 今日は乗り込むのに苦労した。
こんなことは初めて。あまり夫の車には乗らないのだけれど…。
あまりにてこずるのを見て 夫はイライラ。
小さな声で「怠けてんじゃないの?」と。
ちょっとムッとした。
バスのステップだってようやっとで それでも がんばっているのに…。
でも 普段の母を見ていない夫に全て判れというのも無理な話だと思いなおした。

「途中おかいものをしたい」と言うと乗り込む苦労を思って 今度は夫がムッとしていた。
それでも 母のためには涼しい所で少しでも多く歩いてもらいたい。

こういう時 家族のお手伝いがめんどくさく感じてしまう。

「30分だけ待つ」と夫がいってくれたのでスーパーに入った。
ちょこまかとお店を見て周り メモしたものを買い込む。
会計を済ませたところで夫とばったり。
あと20分時間延長…という事で ありがたく 別の売り場に移動。
母の衣類を見て回った。
母も動く事が楽しそうで また 衣類を見て楽しそうであった。
無理を言って良かった。
これだけでも 今日の目標達成だ。

家に戻っお昼の支度。
今日は夫の希望で冷やし中華。
ちょっと工夫して長いもを摩り下ろしメカブも足してみた。
が 今日は 気分にのらないみたいで 夫は「普通の物が食べたかった」と言い母もまた麺を好まなかった。
母のほうは 仕方ないのでご飯に替えてあげた。
ご飯も思ったより進まなかった。やはり便秘のせいかな?

食後折紙で遊ぶ。
母はパタパタと折っていたが…作品にはならなかった。
こちらは 折紙を幾重にも重ね折りにして 小さく切って 花形になるように台紙に貼り付ける作業をした。
これは 最近グリーティングカードにもなっているようだが 利用者さんがデイで作られているのを真似したのだ。(これに 関しては別の機会に)
それを見ていた母が「綺麗だな」といった。
人の作業でも楽しんで眺められている様子だった。

その後トイレ誘導後 入浴。
今日もこの辺りから ご機嫌が斜めになって行った。
頭を洗う時も頭を下げないし「この辺でいい」と作業打ち切りを申し出るし…。「石鹸が付いているから 悪いけれどもう少し我慢してね」と何とか切り抜けた。その後 身体を洗い始めると「きつく洗わないで…」と。
「はて?いつも通りだけれど…」と思ったが 一つ一つ確認しながら無理のないように洗い浴槽に入って貰った。
あまりに機嫌が悪いので♪京の五条の橋の上…♪と唄ってあげたら 母も一緒に唄い始めたが 唄いながら泣き声に変わってしまった。
感情の起伏が激しいだけなのか はたまた調子が悪いのか?

風呂から上がった時に今度ははっきりと「此処が痛い」と言った。
どうやら肋間神経痛のようだ。
優しく身体を拭いて上げた。

その後 再度トイレ誘導。。。
何とか家にいる間に排出できればと思うが 全くいきめない。
言葉も通じない。
思い余って「パンツに出てしまったら気持ち悪くない?」と聞いてみた。
其の言葉はストレートに伝わった。
そして「嫌だ」と言って 涙を零し止らなくなってなってしまった。
私も「誰だってパンツに出てしまうのは嫌だよね」と思い切なくなってもらい涙…。
やっぱり 判っているし気にしているんだ…と思う。
けれど 母がいきまなければ 出るべきものも出ない。
あまり 追い込みすぎると良くないと思い 切り上げた。

手洗いを済ませてから 言うべきでなかったと猛反省。
切なくて母を抱きしめて「大事な大事な○ちゃん」と言った。
母は 更に涙を零した。
おそらく 不安なんだろう。
肋間の痛みはあるし 何となくお腹がおかしいし…。
そういえば 最近「大事な人」という事も少なかった。

その後洗濯物を取りれたり ドライヤーを取りに言ったりと母の傍を離れるとウォンウォンと声を出して泣いていた。
髪を乾かし終えた時 痛みを取り除けるなら…と思い 胃腸を痛めない鎮痛薬のタイレノールを一錠服用させた。
だんだんに落ち着いた表情になってきた。
今度はテーブルを挟んで「じゃんけんポン」
母はパーを優先させるのでグーで対応。
母が勝つ度に「凄い 強い」を連発すると「そんなに強くない」と言いながら笑顔も出てきた。
時折 こちらの勝ちパターンも入れながら 遊び続けた。

ちょっと仕事に出た夫も戻ってきたので 車に乗り込み施設に送った。
夫が混雑する道を避けて いつもと違うコースを取ってくれたのでドライブ気分で帰る事が出来た。

最後は笑顔になり 先日のような事にならずに良かったが…。
言葉の壁が更に厚くなっているような…そんな気がしてならない。。


2005年07月17日(日) かぁ〜つ!! 


 強い日差しはないのに あっつい。
家の中も外も同じようにあっつい。
動いても 動かなくともあっつい。
水に触れていれば 多少は涼しいかと洗濯機を2回まわして それから洗濯機の掃除。。。全自動洗濯機のカビはほんとに厄介だ。ふうっ!
だから「全自動嫌」って言ったのに…と 普段助かっている事も棚に上げて一人呟いてしまった。
浴室のすのこも磨いた。
水遊びの延長みたい。。。

午後一で 夫が仕事に出たのを機に 掃除機をかけた。
「出るなら出ろ お化けだって怖くない(ぁ違う)汗なんて平気!」と言う気持ちになった。

昨日 母のいる間にチーズケーキでも焼こうと思って 生クリームとレモンを買っておいたことを思い出してキッチンに立った。
ついでに即席の柴漬けも作ろうと冷蔵庫を開いた。
赤紫蘇が少し疲れだしていたので 紫蘇ジュースも作ろう。
暑いピークをキッチンで扇風機をまわして踏ん張った。
これでもかと言うほどの汗 首にしっかりタオルを巻いた。
人が来たらどうしよう…。

柴漬け 紫蘇ジュースが出来上がり ケーキを焼いている間に洗濯物を取り込みアイロン掛け。。。

ようやく一段落し時計を見ると5時を回っていた。
鉢植えに水遣りをする頃 気温が少し下がり始めた。

家に入って夕食の支度。
南瓜を煮て インゲンを茹でた。朝 夫に約束したカツレツを作る。
カツレツと言っても 玉葱とシメジを炒めた物を薄切りの牛肉で包みパン粉をつけて揚げる 安上がりで低カロリーのカツレツである。
レタスとルッコラを手でちぎって氷水に浸す。
炊飯の熱も加わり 家の中は熱帯と化した。
そこへ夫が帰宅。。。
「いやぁ〜 キッチンの暑さが広がってるわ」と騒いだ。

冷奴と漬物を足して 夕食のセッテイングをしてから ようやく冷房を入れた。日の暮れるまでの長いこと…。

それでも「暑い」とだらけていた気持ちにカツが入った。

冷たい紫蘇ジュース…美味しい。。。




2005年07月16日(土) 参ったよ!


 洗濯を済ませて母の所に向かう。
ゆっくりと過ごそうと思っていたがどんな風に過ごすかは母次第と。

始めに目が合った入所者の方に いつものように手を振ってみた。
が視線を合わせようともせず無視された。
幾度 チャレンジしても無視…。「あ〜あ」と言うと笑っていた。
からかわれているような雰囲気。
其の時 職員が「朝から 珍しく機嫌悪いのですよ」と言われた。
「毎日 毎日 朝になると起きろ起きろとうるさいんだよ」と言われたそうだ。いつも 柳に風のごとく あまり動じる事のない方なのだが…。
たまには それ位 好きなように言った方が良いのかも知れないなぁ〜。

もう1人の入所者の方は にこやかだった。

母も最後に声掛けしたが 特に機嫌が悪くなる事もにこやかだった。
しかし トイレ誘導でも着替えでも 言葉を聞き違えて通じなかった。
耳が遠いから と言う理由ではないし落ち込んでいるとも思えない様子。
言葉を理解できない様子だった。
それでも 着替えた後鏡の前に連れて行くと きちんと身なりを整えていた。外出と言わなくとも 雰囲気で感じている様子に見えた。

外に出ると「暑い あつい」を連発。
ハンカチを渡すと汗を拭いていた。
バスに乗った時は「あ 涼しい」と。
ほんとに 流れる汗がスーッと引いていくのが判った。

バスターミナルで降りて お買い物。
「どうしようね 美味しいもん食べる?それともお風呂?」と聞いてはみたが言葉の理解を得られない。また 汗が噴出してきたので「風呂しかない」と思い家に向かった。
バスを降りて ついでに畑に寄った。
お風呂の後の畑では また汗にまみれてしまいそうだと思ったからだ。

しかし 母は大分疲れているようにみえた。
畑に足を踏み入れて ミニトマトを収穫して貰おうとしたら足元がふらつきトマトの支え棒にしがみついた。
危ないので こちらがしっかり支えてトマトを収穫してもらう。
このときだけは 楽しそうだった。
トマトをポケットに入れたり…だ。
危なっかしいので 早々に畑を離れた。
歩道橋を登って我が家に向かう足取りは非常に重たく 前に前に屈み背中もまぁるくなって行った。
「疲れたよ」と何時になく弱気の言葉が出た。
この暑さだから 体力消耗も激しいのかも知れない。

家に着いても玄関で靴を脱ぐ気力すらなかった。
椅子に座ってもらい 直ぐに水分補給した。
あまり 飲まないのでコーヒー寒天に変えた。
冷たくて適度の歯ざわりがあるせいか全量食べた。
程なく昼食。
ご飯の上に好物のお肉を焼いてのせてあげたが 肉は食べてもご飯が進まない。たけのこと蕨の煮付けは少し箸が進んだ。トマトも食べていた。
大根の味噌汁も大丈夫だった。
ご飯だけが残ってしまい 仕方ないので漬物のみじんきりをのせて混ぜてあげ何とか全量摂取できた。
食事に要した時間は40分程度。まあまあの所だ。

冷たいお茶を飲んで貰った。
食器洗いをして貰おうと下準備したのだが 疲れている様子なので中止。
新聞を見てゆっくりして貰う。

気のせいだろうか 話しかけると「判らない」と言う言葉が実に多いように感じた。話しはほんとにかみ合わない。

言葉を発しない訳ではないのだ。いつもと同じようにと言うより発している言葉は多いのである。
「小さいあの子は○×??」と聞くので「次男?」と聞くと「うん 」と言う。「仕事しているから…後で来るって」と言うと「四角が○×だから」と全くかみ合わない。

何かを訴えようとしても 言葉が出てこなくて 言葉を捜しているうちに 何を話そうとしたかすら 忘れていると言う感じである。
こちらも 安心するように「判った」「そうだね」「大丈夫?」と頻繁に声をかけていた。
苛立っている様子や嘆いている様子もなかったのだが…。

お風呂に入るときも特に機嫌が悪くなかった。
だが 浴槽から出たいのに適切な言葉が出なくて「出るの?」「まだ入っているの?」の両方に頷いてしまうと言った具合である。
こういう 現象がずっと続いた。

風呂上りに アイスクリームを出したら「甘い」と嬉しそうな顔。
更にところてんを出したら「美味しい」と言っていた。が食べた量は多くない。

意思疎通がうまく行かないって なかなか大変だ。
言葉のヒントすら掴みきれない。。。

足の爪を切っている時に「こっちが痛い」と訴えてきた。
左足の外側である。
丹念に確認して行くと どうやら腰から来ている痛みのようだった。
時折こういう事が起きるので 湿布薬を4カットにして腰のつぼと足のつぼにそれぞれ張ってあげた・「どう?」と聞くと「気持ちよい」と言う。

帰路はタクシーにした。
タクシーに乗り込むとバックと携帯電話が座席にあった。
「忘れ物でしょうかね」と言うと「先のお客さんかな?忘れ物ありませんか?と言ったのに…」と運転手さん。
バックにはお財布も入っていそうだった。
「暑さのせいでしょうかね」と言うと「具合が悪そうだったのです」と。

施設に付くと 母の機嫌はますます悪くなっていった。
家を出る前 腹痛がある様子でトイレ誘導したが 空振り。
腹痛もあるようだし足の痛みもあるのだから…機嫌悪くなって当然だろう。

夕食が配膳され母もテーブルについた。
が一向に箸を持つ気配なし。職員が食べやすいようにと器を移動させるとするなと言わんばかりの厳しい目付き。
他の入所にも文句ありげな目付きだ。
「あんた どうしているの?」と私に文句を付けた。
「あら 居ないほうがいいの?」と聞くと「そんなの 自分で考えればいいでしょ」と言う。「そうか じゃ 来ない方が良いかな?来た方が良いのかな?」と聞くと「来た方がいいんだ」と。
筋の通らない話だ。
黙って帰るわけにも行かず 職員と入れ替わり様子を窺い構って見たり引いてみたり…。
少し食事を運んであげると食べた。
ふと見ると 今日はみんな自力で食べる様子はない。

やっぱり急激な気温の上昇が堪えているのかも知れない。
少しずつ 食べ始めて介助をすると嫌がるようになってきた。
時にお茶の中に豆腐をポチャンと入れたり。
慌てて取り出そうとすると「するな」とまた機嫌が悪くなる。
あらかた食べ終えたのをみて そうっと施設を後にした。

職員には 足の痛みと腹痛があることのみはしっかり伝えておいた。

今夜も暑い夜になりそうだ。
ゆっくり眠れればいいが…。適度に冷房も入るだろうから 大丈夫とは思うが…。

母の天気の悪さに 参ってしまった。
次回の面会までには こんな事 すっかり忘れているんだろう。。。


2005年07月15日(金) 可愛い子達


 利用者さん訪問
いつもなら 娘を起こしながら時計と睨めっこの朝なのに…。
拍子抜けしてしまって スタートが出遅れ 小走りで家を出た。
生憎 朝から湿度・気温が高く 汗だくとなった。

ギリギリセーフで滑り込む。
利用者さんは 鉢植えに水遣りなさっていらした。
玄関に置いてある鉢だけは こちらでベランダに移動させて水遣りをした。

「今日は 何も仕事がないんです」と言われるので「キッチン磨きましょう」と言うと 汗だくの私を見て気の毒と思ったのだろうか「デパートに行きましょう」と言われた。
例のギフトの冊子を見ておきたいという事だった。


私もお歳暮等でご馳走便を利用する時がある。
最近は 結婚式や葬儀の際にこれが送られてくる事が多い。
そういう時は 殆ど雑貨の類が多い。

デパートのコーナーで冊子をみて…。
今更ながらだが…ギフトの冊子って ご馳走便も含めてピンキリあるのだと知った。
一昔前とは比べ物にならないほど細分化している。

一通りみて安心なさった利用者さんだった。
エスカレーターを降りながら 売り場も見て回った。
夏物バーゲンも始まっている。
そこで ボーダーの半袖Tシャツを買い求められた利用者さん。
なかなか おしゃれである。

戻られて直ぐに 試着。
「丁度良い。着易い」と満足。
ふと気が付くとTシャツを着たまま 首の後ろにある値札を鋏で切ろうとなさっていた。
「危ないですよ」と言って 値札を外して差し上げた。
ちょっとの隙にこんな事もある。

活動を終えて家に戻った。

お天気が良くて 洗濯物もぱりっと乾く。
暑いけれど のんびりアイロン掛け。
おかげで汗びっしょり。
夕方 水遣りをしているとお隣のお子様がスイミング教室から戻られた。
この所 お隣さんの子と遊ぶ事が多い。
5歳の男の子と1歳ちょっとの女の子である。
お話が好きで愛想が良くておしゃべりが止まらなくなる。
鉢植えをみて「これ なあに?」と聞いてくる。
ワイルドストベリーが赤く色付いてきているので 目に留まるようだ。

今日も家に入りたくなくて ママさんの「帰りましょ」も無視。
「はい これ」と赤い実を数個分けて 「お家で洗ってから食べてね」と言葉を添えた。
「はぁ〜い 有難う」とお家に帰っていった。

娘には こんなに優しくしなかったのに…。
自由に遊ばせはしたが 帰宅時間だけは守らせた。
遅れるものなら ドアを開けない…きつい親だったのに…。

他人様のお子様でもあるし 私自身 年を重ねたせいもあるのだろう。 




2005年07月14日(木) 母親業優先


 夕方の便で娘は成田を飛び立った。
1週間のアメリカ出張。

昨夜 午前零時近くに帰宅した娘に夜食を出して「おやすみ」と言うと…。
「冷たいなぁ〜」と。
「しょうがないねぇ〜」とトランクに詰め込むのを見守った。
手伝いをする事はないけれど…。

気が付けば 午前2時。
「今日は 此処まで」という事でようやく就寝。

「通院して薬を戴いてから家を出る」という事だったので 夫を送り出してから娘を起した。
夫も声をかけたい様子だったが…伝言だけ残して出勤。
「気をつけて!もしもの時の為に 大使館の電話番号だけは控えていくように…」

ほんとは 此処で母のリハビリに立ち会うため出かける予定だった。
が 何とはなしに「家にいて…」を発信しているので 急遽 療法士さんと施設に今日は立ち会えない旨を電話連絡。

娘が「いてよ…」と言うモードを発信している時は やはり親業優先だ。

通院してお薬を戴き お茶を飲んで 娘は出て行った。

午後一で 母の所に向かう。
気になっていた排便は特に心配なかったようだった。
ニコニコする母に胸をなでおろした。
入所者のご家族もいらしており 入所者も含めてちょこっとお話。
我が家の菜園でのじゃが芋堀りの日にちを職員と調整した。
お互いの都合の悪い日を洗い出して 後はお天気次第という事になった。

母と散歩に出た。
少し遠くまで歩こうと思ったが 途中まで行ったら 疲れた様子だったので
公園で休息。
公園にはモニュメントがあって 其のひとつが球形だった。
それを見て「あの マリは 良く転がらないね」と驚いていた。
説明をするよりも同意していた方が良く伝わりそうだったので「そうだねぇ」と頷いた。
「ひとつ ふたつ みっつ…むっつ」と数えだした 良く見るとモニュメントの数を数えていたのだった。
「あたりぃ〜」と言うとニッコリしていた。

場面が繋がらない事が判るようで「判らないんです」と幾度も言っていた。

それでも 歩き始めると「大丈夫」と気合を入れて歩いていた。
疲れが出る様子だ。
元気は元気なのだそうだ。

汗も出たので ファミレスに入って お茶を飲んで軽くおやつ。
「美味しい」と言う言葉はなかったけれど 黙々と食べていた。

涼んだ後で 再度歩いた。
畑で作業する人の様子を見たりしながら…。

施設に戻ると おやつタイムだった。
ご家族と一緒にテーブルを囲んでワイワイみんなでおしゃべりしながらティータイムだった。

ちょっと居室に入った時 何かを書きたそうにしていたので カレンダーの裏を使って 落書きできるようにエンピツを渡してみた。
カレンダーを表に直して 数字の下になにやら記号を書き出していた。

娘が成田から飛び立つ時間が来たので 家に戻った。

今回はイギリスでのテロが起きたばかりで 何となく不安げな表情だった。
きっと 飛び立つ前に電話してくるだろう…と思っての事。
家に着いて数分後
「これから 乗り込むよ」と電話が来た。

この1週間はメールが行き交う事になるだろう。
30年近く前に夫がヨーロッパに出かけた時の連絡は「はがき」が主流だった。
「それに比べれば 距離感は大分埋まっているんだなぁ〜」としみじみと言う夫だった。

今頃は飛行機の中…きっとあいつはグーグー寝ている事だろう。


2005年07月13日(水) 今日のチャレンジ


 朝から庭木の下を這うように草取り。
桜草の種を アチコチにばら撒いた物だから 草と区別しながらの作業。
めがね無しで出来る作業でなかった。

常緑の葉が入れ替わり 古い葉は落葉するのでそれも集めた。
ほんとは 庭の隅に穴でも掘って埋めてしまえば いい肥料になるのだけれど…。 伸びすぎている枝もチョコチョコ剪定。

どくだみも綺麗に抜いた筈なのに 根っこが残っているようで小さな葉を広げ始めていた。
車を止めっぱなしの後ろにはいつの間にかアイビーの蔓が広がっていた。
地面に這い蹲るような作業をしていると普段見えない土の様子も見えてくる。葉を集めた後にはミミズがピンピン跳ねていたり 蛙かもぐらかが穴を掘ったような後がアチコチにあった。
げじげじや団子虫が慌てて動き出す。
ありんこたちも同様である。
突然の襲撃に驚いているのがわかる。
そちらも怖いだろうけれど…私も怖い。お互い害は加えない関係だけれど…。

午前中は それでも完全防備で顔だけ出しての作業だった。
それでも耳たぶを蚊に刺された。
午後 半袖に着替えて作業。
「美味しくないよぉ〜」とアピールしたけれど 通じる筈もなくて…腕のアチコチを刺された。

この冬 ローズマリーを枯らしてしまった。
それでも捨てがたく 水をあげていたら…育った木の方は枯れて駄目だったけれど根が生きていたのだろう ひょっこり柔らな葉を広げ始めた。
最初は別の植物かと思ったが 触れてみると葉から良い香りが放ったのだった。がんばっても駄目だった物もある。
5.6年育てたミニバラが枯れてしまった。
いくら水をあげても復活しなかった。
鉢出育てた山椒もアボガドも…。
そんな鉢植えをひっくり返して根を抜いて土を払って…処分。

家の周りぐるりの草取り…最後はもうやけっぱち気味に草抜きでちゃちゃ…と仕上げた。

最後は煉瓦の上の土や葉を掃いて デッキブラシで磨いた。
何せ 土の上を歩きまわり靴底の泥で汚れてしまったのだ。

未だ 庭の作業は残っているけれど…ボチボチやるしかない。

珍しく在宅で パッチンパッチンやっている物で お隣さんも出ていらして垣根越しにぺちゃくちゃ。。。
あっちもこっちも ご亭主殿の苦情。。。
お庭に良く出て手入れなさって居られるご主人で羨ましい…と思っていたが
「隣の芝生は青い」現象で「見えるところはやるけれど…」と零していらした。
もう一軒の方も ご主人様が掃除魔で埃を見つけると直ぐローラーでクルクル 換気扇をゴシゴシ…庭先をシャッシャッと良く動かれて羨ましい限りだったのだが これも「隣の芝生…」らしい。
先回りして お掃除しても「ふん」と言う感じでお褒めの言葉もないのだそうだ。

我が家の夫は 何もしないけれど…「綺麗になったね」位は時折言って貰える…。いつもとっても偉そうだけれど 時折「母さん有っての我が家」と言ったりもするなぁ〜。
えっ?調子よく 使われているだけ?
あ〜 そうかも知れない…。そこまで気が回らなかったわ♪
そういえば ほんと 時折…思い出したように…だわ♪

そうそう 今日 ちょっとチャレンジしてみました。
例の野菜スープでないんです。「簡単柴漬け」です。
今まで幾度かチャレンジしたけれど うまくできなかった。
レシピも見ずに 自己流の繰り返し。梅酢を使って塩辛すぎてばかりだった。
数日前から 昨年の梅干を瓶に入れて水に浸していた。
昨年の梅干は 干し過ぎてちょっと干からび加減だったから。
今朝 食べてみたら ふっくら感が戻って塩分もとれおいしい物となっていた。其の浸した水をちょっとなめてみたら 程よい酸味と塩分があった。
これこれ…と思い きゅうりとしょうがと蕪を薄く切って軽く塩を振り 良く絞ってから 生の赤紫蘇を刻んで入れてみた。
茗荷の在庫がなかったのが残念だったが…。
浅い柴漬けに仕上がった。
保存は利かないだろうから…今日の内に食べきる事に…。
ひとつ バリエーションが出来て嬉しい。。。
これから 調味梅干にもチャレンジ予定。
レシピはない。自己流で…。


2005年07月12日(火) オサボリのつけ。。。


朝 畑に出た。
昨日 ご近所の介護仲間が「葱 余っているから 植えてあげる」といってくれた。「暑くなってしまうと嫌になるから…」と言われたので「朝8時」と言う約束をした。

だが 我が家の家庭事情…。
殆ど 午前一時近くに就寝。家族の帰宅が遅いのである。
昨夜も同様。朝 家を出る時間も一定していない。
この所早めに家を出る夫だったのだが 今朝に限って8時。
娘も体調不良で起きない。
夫は8時には出るからいいけれど 娘を起すまでは気が気でない。
「間に合わないかも」と思い電話したら もう家を出られた後だった。
自分の畑を人任せにしてしまう事も出来ず ひとまず畑に向かった。
「何処に植えていいですか?」「この辺なら…」と伝えると 畑の様子をみて「ちょっと家に道具を取りに戻ります」と言われた。
「娘を起したら直ぐ戻りますね」と伝えて私も家に戻った。

暫くして 畑に出向いたら…「何とかしよう」と思いながら放置してあったホド芋のつるを支え棒を立てて絡ませてくれていた。
すっかり恐縮してしまった。
畑の草取りは 先日覚悟を決めて抜いていたが 数日の雨で また延びてしまっていた。
私は 草取りに専念。
其の間に 介護仲間は ミニトマトの枝を差した所にも支え棒を立ててくれ更に葱を植える所を掘り起こして下さった。

2時間近く畑で仕事して 帰宅した。
介護仲間は数日前 奥様を施設に託したばかり。
少し前から「体力勝負なんです」と言っておられた。
門前に奥様をデイに送るための昇降機をご自分で取り付けた方だ。
ご自身が思わぬ診断を受けたところで 特養から空きの連絡が入り託されたのだった。

今は昼食と夕食時に施設に向かわれていると言われていた。
食べるという能力を守ってあげる事と歯を磨いてあげる事が目的だと言われていた。

奥様の入所なさった施設は 母の施設に近い。
今は車で面会に行かれているようだが 駐車スペースが少ないので自転車を買って通う事にしようとも言われていた。

私も始めの頃は 自転車で出向いていた。
が天候が悪かったりすると自転車は無理で 其の上 帰路の上り坂…いくらギアが付いているといっても なかなか大変で 最近はギブアップしていた。「帰路が 大変ですよ」とだけ伝えた。
この方の家も家とほぼ同じ坂を上って来なければならないのだ。
年齢も一回り以上上の方である。

どうなさるのかなぁ〜。

午後 母の所に出向く。
ホールで生け花の本を読んでいて 職員と話している時も全く気にも留めない様子だった。
話し終えて傍に行くと「あら○ちゃん」と娘の名前で読んだ。
「へへへ 当たらずとも遠からじ…」とからかうと 母は間違いに気が付いたようで苦笑いした。しかし 間違った事は判っても 肝心の名前は思い出す事はない。

居室に入りトイレ誘導。
ちょっとだけ水溶便が出た。臭いがきつかった。
職員に聞くと昨日 今日と便が出ているが普通便という事だった。
じゃ 残っている分が出たのかも…と共通認識で特に心配しないで置いた。

昨夜作ったコーヒー寒天を出してあげたら「美味しい」とスプーンですくって食べていた。しかし 排便のあった割りに お菓子には手を出さなくて水分だけは取っていた。

洗面台で洗髪した。冷たい水で可哀想だったけれど 昨日の暑さを思うと洗わずにはいられなかった。
身体も乾布摩擦をした。

程なく 散歩に出た。
外に出た直後は足取りも軽かったが何となくだるそうだ。
近くのお店に入り飲み物を購入して施設に戻った。
長い時間歩かなかったのに 背中がどんどん丸くなって行った。
同時に少しづつ 機嫌も悪くなって行くのが見えた。

施設に戻るとおやつタイムだった。
トイレに誘導するとオムツにちょこっと水溶便が出ていた。
どうやら下り坂のようだ。
おやつも進まない。
お茶で水分補給。購入したジュースでも水分補給。
でも ジュースも半分とちょっと飲んだ所でノーサンキュー状態となった。
居室で横になってもらおうと思ったら 母は 他の方の湯のみを持って居室に戻ろうとして 他の入所から怒鳴られていた。
慌てて母の手から湯のみを受け取ると「これは 部屋に持って行くのだ」と頑として言う。其の激しさに圧倒された。
「判った。これは ○×さんのだから 別の湯のみ持って行くから…」と言うと半分納得 半分憮然とした表情となった。
飲みたくもないお茶を何故部屋に運ぼうとしたのだろう。。。
私のためかな?

居室に入り 直ぐ横になって貰った。
逆らう事なく 横になったところをみるとだるかったのだろう。
布団をかけると眠りはしないけれど目を瞑ってじっとしていた。

職員に便の様子と機嫌の悪さを伝えた。

後は特にすることもないので 施設を後にした。

ちょっぴり気になるのは 数日訪問をオサボリして陰部や臀部の荒れが酷くなっている事。そして この下り坂…悪化しないかと気がかりである。
マメにトイレ誘導できれば こういう事もないのだろうけれど…。
連れて帰る事も出来ず ちょっぴりため息が出る。



2005年07月11日(月) 留守?事故?ドキッ!


 利用者さん訪問。
いつもより早めに着いてチャイムを押した。
が 返事が帰って来ない。
「トイレかな?」と思い 暫く置いて 再度チャイムを押した。
やっぱり 応答がない。
今まで 訪問前に「通院」「銀行」にいらしていてギリギリに戻られた事も有ったので 時間まで待ってみる。

更に活動開始時間から出先より戻れる時間を想定して 其の時間は待った。
行き違いが有ってもいけないので玄関前で待った。

若し 何事か有ったら…とドキドキもした。

ひょっとして 「お休み」の連絡が事業所に入っているかなと思い近くの公衆電話に走った。
が 事業所には連絡は入っていなかった。
事業所の人が「家族に連絡しましょうか?」と言われた。
が 金曜日の様子や通院なさって「とてもよい状態」と医師から言われていたので「もう少し待ってからにします」と伝えて また玄関に戻った。

其の時 お隣の方が外出のため出ていらした。
「?」と怪訝そうなお顔をなさったので「留守なんです」と言うと「ご家族に…」と言われたので「ちょっとプールまで行って見てからにします」と伝えた。

急いでプールに出向いた。
受付の前で オタオタしている利用者さんの姿を見つけてホッとした。

利用者さんは プールに入ってから いつもと違うメンバーに「?」と思い今日が訪問日だった事を思い出して 「家族に電話しなければ…」と焦っていらしたのだった。
受付で電話は貸せないと言われ 外の電話を使おうとしていらしたのだった。

私を見つけて「とんだ ボケをしてしまってごめんなさい」と謝られた。
そして「家族には…」と言われたので「連絡していません」と言うと…。
本当に安堵なさった表情をなさった。

プール帰りにお買い物をして 時間の無駄をなくそうと思い「お買い物をしてから戻られますか?」と伺うと「荷物を置いてからの方が良い」という事だったので お家に戻った。
丁度 お隣さんが戻られていらして 利用者さんの姿を見て「良かった。これは 3人の秘密ね」とウインクなさった。
利用者さんも 笑っていらした。

室内に入ってから直ぐ事業所に「見つかった」と連絡。
事業所の方も「良かった」と一息つかれていらした。

今まで 多くの方を訪問したが こういう事は初めてであった。
他の活動者は 訪問先が留守で大騒ぎになったという事を聞いた事は有った。

こういう場合は 本来ご家族に連絡するのが妥当と思う。
でも 今回は ちょっと様子見をした。

お元気の筈と言う確信があったから行動したのだが 40分の間(15分早めに着いたので 正式には25分だが)ドキドキした。

ご家族に連絡しなかった事で 利用者さんのダメージは極力少なくて済んだから良かったのだが…。難しい判断だ。

利用者さんが 水着を干されてから 冷蔵庫に行かれ バットに入ったきゅうりを出された。
「これの作り方 教えてください」と言うのだ。
「タタキきゅうり」だと判ったがこの間はちゃんと作れていたのに…。
今日は叩いた形跡がなかった。
直ぐなら思い出せても 1週間以上のブランクとなると思い出せないのかも知れない。

ひとつ取り出してすりこ木でポコポコ叩いて見せ 後は利用者さんに取り組んで戴く。「この叩いて割れた所に汁が浸かるようにすると味が程よく付いてくれるのです」と説明を加えた。
どうか 暫くの期間を置いても忘れないように…と祈るばかりだった。

それから お買い物に出た。
「何も 困る事や心配事はなかったのに…」と留守にしてしまった事を気になさっておられた。
が 買い物時に「法事の時の準備しようと思ったものが見つかったので 見てください」と言われた時 気が気でない思いがあったのだろう…と想像できた。
法事とは言っても 来年10月の話しで それも先日「見つからなかったらカタログギフトもいいですよ」と伝え 安心なさっていたのに…。
やはり決めてしまった方が良かったのだろうかなぁ〜。
「印傳のメモ帳カバー件カード入れ」の売り場に行かれた。
「いいですね。私もこれ 法事のお返しに戴いた事有ります」と伝えると「そうでしょう。いいでしょう」と言われた。
「これは定番だから 無くなる事はないですから これもひとつに加えて置くと良いですね」と言われた。
「夫の13回忌を済ませれば 私の用もなくなります」とも言われた。

「はて 何処かで聞いたような言葉だなぁ〜」と思ったら 母が良く口にしていた事に思い当たった。
これは 高齢者に共通した思いなのかも知れない…。
どうか 認知症の始まりでありませんように…。

買い物を済ませて 今日の活動は終了。

家に戻る前にスーパーに立ち寄ったら 縮緬でない赤紫蘇の葉が出ていた。
これを待っていたので 迷わず買い求めた。
こちらの方が梅干にした時香りが持続するという事を義姉から聞いていたので探していたのだった。
昨年 農家の人に種を戴き 蒔いてはみたものの発芽しなかったのだ。

家に戻って 梅干の色づけに赤紫蘇を揉んで…梅酢で揉んで綺麗な紫の色を出せた。香りも良い。

そんなこんなで 母の所には行けなかった。
行けないお詫びに 寒天でコーヒーゼリーを作った。
あしたはこれを持って母の所に行こうと思う。

 


2005年07月10日(日) 人の迷惑顧みず…キッチン勝負


さっきまでダンボールの整理をしていた。
荷物で届いたダンボールを放置していて ウンザリしかかっていたから。
さくらんぼの箱が6個有った。という事は6キロ戴いた事になる。

昨夜から今日にかけてさくらんぼジャム作った。
さくらんぼのジャムは おそらく 結婚以来初めて作ったと思う。
ふるさとでは 戴き物のさくらんぼに食べ飽きた時 父が作っていた。
毎年と言う訳ではない。
其の年によって 戴く量が違うのだから 沢山戴いた時に限り作っていたように記憶している。
それも母ではなく父が作るのだ。

初めて それを見た時 ちょっとショックだった。
さくらんぼは生で食べる物と言う固定概念が有ったから。
痛み出す寸前の物だったので ちょっと茶褐色になっていた。

そんな事を思い出しながら 作業した。
簡単ジャムは イチゴやブルベリーや林檎で旬に作っている。
簡単ジャムとは お鍋を使わずに電子レンジでチンで作る。
さくらんぼもそれで出来るだろうと思った。

さくらんぼを洗う。
軸を取り実にナイフを入れて種を取り出す。
下準備はそれだけ。
耐熱ガラスのボールにさくらんぼを入れて 多くならない程度に砂糖をまぶしてレモン汁をかけ
30分ほど放置。その後ラップをかけて500ワットで数分チン。
此処で甘み調整。甘みが薄ければ 此処で砂糖を入れてかき混ぜる。
ラップを外して 更に数分チン。
今度は水分調整。
好みの水分になるまで 数分単位でレンジでチン。
ジャムとは言っても煮詰める訳ではないので 水分多い目である。

夏みかんでママレードを作る時は 火にかけてコトコトだから後半は目が離せなくなるが レンジでチンのジャムはタイマーで勝手に切れるので助かる。

空き瓶に仕上がったジャムを入れ 生のさくらんぼと一緒にご近所さんにおすそ分け。おいしい方のさくらんぼを渡すタイミングを逃してしまい 分けそびれていたので…ジャムを作って正解だった。

調子づいて 冷凍庫に保存してあったベルーベリーもジャムにしてしまった。冷凍したものを砂糖なしのヨーグルトに入れて食べるのもこれからは良いのだが…。やりだしたら止まらない…悪い習性である。
ブルーベリーは レモンは使わない。それだけが他の果物と違う所だ。
濃い紫の汁…。これが冷凍のブルーベリーを使う時の違いである。

考えれば 最近でこそさくらんぼ酒とかジャムとがお店に並ぶようになったけれど…。昔のさくらんぼは色をつけて砂糖漬けかシロップ漬けだったと思う。色も赤か緑色だった。
自然志向が強まったからかなぁ〜。
昔 家でさくらんぼに色をつけるのは 梅干の赤い漬け汁に入れていた。
デザート用ではなくて お弁当の飾りに使っていた。

昨晩は 未だ紫蘇を入れていない透明の梅酢でさくらんぼを漬けた。
これは ふるさとのお店で見かけて きっと梅酢だろう…と想像したのだ。
こちらは 仕上がって見ないと判らない。。

仕上がってしまう…と言えば。
昨日 TBSラジオの永六輔の土曜ワイドで 簡単料理を聞いた。
簡単と言うと直ぐに飛びつく私。
早速 夕食に作ってみた。
ラジオでは 夏野菜(何でも良い)を一口大に切って 好きなように火を通して(素揚げしてもいいし 茹でても良い) それをボールに入れて水をたっぷり入れてしろ醤油で味を調えるという事だった。
時間を置くと野菜からそれぞれの味が汁に出て来るとも言っていた。
器に盛る時は 茗荷を刻んで入れるとも言っていた。

昨夕は蕪とパプリカをさっと茹で 人参 インゲンは程よく茹で 玉葱 茄子 南瓜は素揚げした。
それらをしろ醤油入りの水に入れ しょうがと青葱と茗荷の灰汁を抜いた物で食べてみた。
油のきり方が不味くて 少しくどい感じに仕上がった。
夫は手付かず。。。夫にしては 珍しい事で余程口に合わなかったのだろう。娘は 見た目 カフェにある雰囲気だけれど ちょっと茗荷と合わないし口に味が残る…と言っていた。パンチが足りないと言うのが共通していた。

これで懲りれば良いのに「人が美味しいから…」と勧めてくれたのに 上手に出来ないとムキになってしまう私。
それで 今日も作った。
野菜ならいっぱいあるんだもの…。
今日は 南瓜 インゲン 人参 じゃが芋 玉葱 全て時間差をつけて茹でた。今日は茹で汁に水を加えて沸騰させしろ醤油で味付け。
そこに沖縄の「こーれぐーす」を入れて少し辛み味を付けた。
汁を冷ましてから 茹でた野菜と半分に切ったミニトマトを入れて漬け置いた。 食べる時 ルッコラの葉を散らした。

これでも 未だ 満足できる味ではない。不味くはないが…。

これから 味が決まるまで 時折このスープが我が家のテーブルに登場するだろう…。家人は迷惑するんだろうなぁ〜。



2005年07月09日(土) 作りまひょっとこ


洗濯物が乾かないので アイロン掛けをした。
後ちょっとのお日様さえあれば…と思うのは この時期 贅沢というもの。
浴室乾燥とアイロン掛けとどっちにしようと思ったけれど アイロン掛けの方が手っ取り早いと思った。

ラジオ(TBS)を聴きながらアイロンをかけていたら 芸人発掘のキムラマリさんのコーナーになった。「…神田京子さん」という声にハッとして 娘を呼んだ。四文字熟語講談。。。
神田京子さんは 娘が学生時代にビデオを使ったショーをやったとき出演を快諾して下さった方である。頑張って居られる事は存じ上げていたが 木村まりさんの目に留まったんだぁ〜と嬉しくなった。
娘とラジオの前で聴き入った。永六輔氏も 褒めていた。
気さくで美人の京子さん。私はお会いした事はないけれど 娘から其の人となりを聞いて素敵な方と思っていたので…良かったねぇ〜と思った。

学生時代の娘は 様々な事を学業よりも精をだして取り組んでいたのだった。娘の周りには 年齢を飛び越えた知人 友人がいっぱいだ。
神田さんも其の1人だろう。。。

午後 母の所に行った。
先日「さくらんぼ狩りには行けないけれど 枝付きのさくらんぼから実を取らせて上げたい」と言うお話を伺い 友人に御願いしてみた。
友人は快諾してくださって 昨日施設に送ってくれていた。
入所者には こちらの名前は出さないで下さいと御願いして…。

花瓶に見事なさくらんぼの枝が活けてあった。
入所者は勿論 職員までもが感激していた。

更に今日 我が家に追加のさくらんぼが届いた。
「ジャムを作れば…」と言って送って下さったのだが…。傷もなく立派な物でジャムにするのが惜しいよう。。。
お礼の電話で其の事を伝えると「好きなように使ってください」と。
送ってくれたのはナポレオンと言う品種である。
昔はナポレオンが主流だったのに…と懐かしくなった。

母と散歩に出た。
新しく出来たスーパーまで トットコ歩いた。
途中で入所者のご家族とパッタリ出会った。
「どちらまで?」と聞かれ「新しいスーパーまで」と言うと「遠いのに…」と言われた。2キロ強と言う所か…。

近道をしようと路地に入り込んだら 遠回りとなってしまい お店に付く頃には雨もポツポツ 母の背中はまぁるくなってしまった。
お店の中のパン屋さんで チョコ入りクロワッサンと飲み物で休息。
しかしチョコ入りクロワッサンのチョコ四角の棒状のまま焼きあがっていた。高熱で焼くのに どうして融けないのだろう…と不思議だった。

休息しても 雨は止みそうになかった。
近くにタクシー専用のガススタンドがあった事を思い出して立ち寄った。
丁度 出てきたタクシーを拾って 施設に戻った。
バス停まで歩く事も考えたが 母もかなり疲れていると思われ ステップを上がりきれるか不安だったので…。

出かける前 お店で 施設に戻っての3回のトイレ誘導で 排泄失敗はなかった。母自身がトイレと言い出す事はないのだけれど…。
それでも やっぱりトイレでの排泄が望ましいと思うから…。

施設に戻った母は落ち着いており 私の姿を追う事もなく ソファーに座って絵本を読み始めた。
きっと腹痛もなく 安定しているのだろう。

さ これから さくらんぼジャム作りまひょ。ついでに梅酢も上がっているからさくらんぼ漬けも作りまひょっとこ。



2005年07月08日(金) 今日の失敗


利用者さん訪問
「あのねぇ〜 私 のおかしな体験聞いてくださいな」と利用者さん
月曜の訪問後の翌日「生きがいデイ」に出かけた時 バスの高いステップを降りられた時 特に問題はなかったけれど何となく違和感を感じたそうだ。
一緒にお出かけのお仲間が「足 良く上がるなりましたね」と褒めてくださったそうだ。だから 其の時には異常がなかったと思う。
帰路 定期健診の結果を聞く為 かかりつけ医に立ち寄ったそうだ。
医師も検査した数値を見て 更に全体的に様子をみて「良い状態ですよ」といわれたそうだ。
が家に戻る時 足が重いと感じられたという事だった。
翌日も足は重いような気がしていたらしい。
木曜日 ヘルパーさんが見える日 ベットから降りようとしたら腰が痛んだという。シーツ替えをヘルパーさんに御願いしてあまり動かないようになさり腰と足に湿布を貼ってひと晩置いたら 今朝は何処も痛くないのです。
「どうしたのでしょうね?」というお話だった。

他愛のないお話だけれど 何事もなくて良かったと思う。

今日は お買い物。
先日の額を飾る為 フックを買い求めた。
更に ペーパータオルを購入。

少しお店の中を歩き はぎれを購入したいと言われた。
クッションの中綿を抜いてしまうので 中綿にカバーを作りたいから…と。
パッチワーク用の小さな物しかないといわれ 諦めて帰ろうとした時に大き目のはぎれのコーナーがあった。
そこで見ていたら…。
はぎれにしては ちょっとお高い値段だが 利用者さんが気に入った御様子のため寸法確認してレジに向かった。
「これで よろしいのですか?」と確認された。
手芸に縁遠い私は 仕上がり寸法だけを考えていた事に気が付いた。
「もう一枚ないとカバーは作れなかったです」と伝えた。
倍にすると4000円になるのだ。
利用者さん 暫く考えられて「そこまで出す必要はないわね」と諦められた。 すっかり錆付いてしまった我が頭だなぁ。

ネットニュースで哲学者でエッセイストの串田孫一さんが亡くなった事を知った。89才だったという。この方のエッセイは好きだった。
時間を忘れて野山に入り込む様子や観察力がとても魅力的だった。
母と同じ年齢だった初めて知った。










2005年07月07日(木) パタパタ…遅刻


 母の所に出ようとした時 電話が鳴った。
「今日のリハビリ 急病で行けません」と。
療法士さんが 今 個人的に忙しいだろう事はお聞きしているので仕方ないと思っているけれど…。
これって もっと早く教えてもらえないかな…と思った。

施設にリハお休みを伝えて 少し時間をずらして出かけた。
「おこうこと味噌汁があれば…」と言う方のため糠漬けを持参した。
母は ソファーでコックリしていた。
急いでトイレに誘導した。排尿はしっかりトイレで出来た。
オムツをあげる時「便」の匂いがしたので 今朝出たかこれから出るかどっちだろうと思った。

着替えをして 職員に挨拶した時「今朝 少し排便がありました」と教えて戴く。

今日は娘が車を出してくれたので 途中買い物をして家に向かった。

急いで昼食の準備。
其の間 テーブルの上にあった「新じゃがの醤油煮」をうまそうに食べ始めていた。
3人でテーブルを囲む。
母のために薄切り牛肉を醤油で焼いた。母はやっぱりうまそうに食べていた。トマトやオクラも。冷奴は薬味だけ先に食べていたので「こりゃ こりゃ」と言うと母は笑って反応。
そういえば 迎えに行った時洗面台に入れ歯がお置きっぱなしになっていた。「あれれ」と言うと「ほんとにアレレだね」と母は言っていた。
タイミングが合っただけではなくて ほんとに判っているようだった。
今日は 判る隙間があるようだ。

食後「疲れた」と言うので横になって貰った。
暫くして「おかちゃん あの○×△(?)出してくれた」突然起き上がった。「あ〜 はい 出して置いたよ」と言うと「良かった」と安心していた。

トイレ誘導。此処でいきんで貰った。
予想通り 排便できた。
それから 浴室へ。
洗髪し身体を洗って浴槽に浸かった。
アクシデントは 未だ少し便が残っていたようですのこの上にちょこっとお土産。慌ててティッシュで拭き取った。
これは こちらのミスだものね。

お風呂に入れたらこちらは汗びっしょりとなる。
髪を乾かした後 アイスクリームを食べてもらう。
その後歯磨きをして 施設に送る。
今日は会議で外出せねばならず 娘の好意に甘えて 私は駅で降ろしてもらい 施設までは娘が送って行ってくれた。

家を出るタイミングが悪くて 会議に遅刻(泣)
家を出る時もパタパタで…普段着の延長で…(汗)

母は前の座席に座っており 後部座席から降りた私には全く気が付かなかったようだ。
娘は施設に戻る前に 母とお散歩してくれたようだった。
途中 雨が降り出し土砂降り前に施設に戻ったと言っていた。
そこにもう1人のご家族も戻っていらして 暫くみんなと遊んだようだ。
風邪で休んでいるのに…用とはいえ 悪い事をしてしまった。

会議が済んで家に着いたら8時少し前 夕食を終えたら9時過ぎていた。

介護者ネットワークの会議で ネットワークの仲間の若年性認知症の介護者の「彩星の会」の干場さんがNHKTV 福祉ネットワーク7月13日(水)(20:00〜20:30)に出演とお聞きした。撮影には時間がかかったが放送は10分程度と言っていられた。また 今月末の講演会ももう既に満杯だそうだ。
「何とか参加させてもらえない?」と聞いたら今回は無理と。
また 介護者サポートネットワーク アラジンの牧野さんも読売新聞に載ったそうだ。


2005年07月06日(水) ようやく漬けた


 昨日 生梅が届いた。
友人の弟さんが能登から送ってくださった。
能登の梅は熟れるのが遅い。
のんびり家の私には丁度良い。
今年の梅は 大きくて良く熟れていて立派な物だった。
是非とも 美味しい梅干に仕上げたいなぁ〜。

 軸を取り ひと晩水に漬けて 水を切り 焼酎で洗ってから 平らに並べて塩を振りを繰り返して 倍の重石で梅酢が上がるのを待つ。
ふるさとの漬け方とは違う。

未だらっきょうは漬けていない。
地元のものが店に出ているので そろそろかなぁ〜。
でもひげ根を取って頭も取って綺麗にする手間を考えると…面倒。
さて どうすべいか…。

少々 風邪気味。。
夫は2週間ほど コンコンと咳。
うつったかな?
娘も同じ症状で私より酷いようだ。来週は海外出張1週間なので大事を取ってお休みし 通院。
何せ 会社に行くと診療時間内に帰る事は出来ないのだから…。

そういう訳で 母の所は面会休止。
夫が6鉢のブーゲンビリヤを貰ってきたので 知り合いに分けた後 数鉢を大きな鉢にまとめて植えた。
来年は見事な大きさに育つ筈。育つだろう。育ってくれ。。

夕方畑に出向いて 沢山の野菜を収穫してきた。
作物も大きくなっていたけれど…草はそれ以上に育っていた。
見なかったことにして 帰ってきたけれど この付けは何れ倍になって返ってくる…恐ろしい…。


2005年07月05日(火) 介護だけでは 済まないんだよね


 家族会だった。
認知症の介護をしていると ほんとに疲労困憊状態に陥る。
病と判っていても どうにも寄り添えなくなってしまう時がある。

介護のみならず 家族関係まで悪化して介護環境が泥沼化してしまう事例は多い。

他人事のように書いているが 私自身も 泥沼の中でもがいた口で大層人を傷つけ わが身も傷ついた。
そういった時間を過ごして 今 ようやくマイペースを取り戻せているのだ。それも 施設に母を託しながら…である。
母を捨てたような…人間失格であるかのような…実に複雑な思いで過ごしてきた。今でも 其の思いは捨てきれないが デモ でも 施設に託したからこそ 母にいつも優しく接する事が出来ているのだなと言う自覚もある。

どちらを選ぶかは 介護者それぞれである。
良い 悪い等の物差しでは 計りきれないだろう。

でも いつも思うのは「母の思い」である。
母は どう感じているのか?
母も寂しさを感じながらも「これで良い」と思っている節はある。
我が家にいる時
「あなたに迷惑ばかりかけているから 私は宿に泊まります」とか「この近くにアパートを借りて暮らしてはどうだろうか」と言う話を幾度も言っていた。現実に認知症は進行しており夜間だって落ち着きをなくしてしまう状態で一人暮らしなど無理な状態だったのに…。
時折 真顔で「私 就職したい」とも言っていた。

おそらく こちらが目いっぱい母に合わせていても そういった言葉は出ていたと思う。「迷惑をかける」事は重々承知しているのである。
言葉で言い表せなくとも おかしな行動もそういう思いから派生しているだろう事は容易に想像できていた。

それでも そういう母の言動は「私の介護に未だ不満がある」と責められているような気持ちになってイライラした事も事実である。
「目いっぱい 介護しているんだから」と言う 私自身の高慢な思いが透けて見えたのだ。

介護とは ある意味で合わせ鏡のような物で  時として自分の醜い姿を写し出してしまう。
今でこそ 自分は醜いという事を自覚しているが 介護を請け負わされた時には「私しか出来ない 私が看るしかない」と言う自負が強かったんだろうと思う。

あの時期は 今とは別の苦しみが母には有っただろう。

そう言った事を踏まえながら 今日のご家族のお話を伺っていた。
おそらく 1人の方のお話を他の方全員で受け止めていたと思う。
溜まりに溜まった澱のような思いをみんなの共通の思いとして受け止めていたと思う。強い負のエネルギーは 1人では受け止めきれない。。。
家族会のよさは 皆で受け止める所にもあるのだろう。

そして 人の話しを聞いている間に 自分の抱えている問題はそれ程でもないなという思いに行きつく時もある。
ほんとに不思議な空間である。

いろんなお話を聞いている内に 自分の内側に微妙な変化が生まれている。
弟自身のプライド 未だ受け止めきれないけれど屈折した思いが見えてくる。そして お嫁さんの思いも…。こちらから 折れるべきかとも思うが…。
この部分は 私1人が折れたところで解決に至らない事情もある。

夫や娘の内側には 私自身より強い不満が残っている。
表には出さなくなっているけれど 捨てられた母に対する哀れみとでも言うのだろうか…。

掛け違えたボタンは 何時戻るだろう。

父の苦い表情が見えるような気がする。
「未だなんですよ。お父さん♪ 勘弁ね♪」




 


2005年07月04日(月) きっかけ…


利用者さん訪問。
土砂降りの雨の中をテクテク。
パンツの膝から下がびしょぬれ。
着替えなど持たないから 濡れた儘で失礼した。

先日 傘をお借りしたので 忘れずに持参したが差さない傘まで濡れてしまった。酷い降りだった。

お買い物リストを記入中の利用者さんだったので 玄関に置かれている観葉植物をベランダに運び水をあげた。
先日植え替えたハイビスカスも新しい葉を広げ始めていた。
植え替えは 上手な方ではなく我が家の鉢の植え替えは遅々として進まないのに…。利用者さん宅で学ばせて貰っている。
やっぱり マメな手入れが大事だと…。

何故 自分の家のは放置してしまうのだろうなぁ〜。
「あなたは やれば出来るのだから…」と言っていた母の声が聞こえるようだ。用はやる気の問題なのだ。

お買い物リストが出来たので 一緒に買い物に出た。
雨降りなので傘を使わずに買い物できる場所にした。
今日は 買い物した物でお料理も頼まれているので 早めに切り上げた。

買い物から戻ってキッチンに立った時「ペーパータオル」がホルダーから外れてイライラするのよと言われた。
見るとペーパーホルダーの芯の穴が合っていないのだった。
幾度も外れるので其の穴が変形していた。
新しい方も見たけれどやっぱり穴は小さめだった。
仕方がないので 紐で穴を通して一時しのぎできるようにした。
使い終えたら 穴の大きいペーパータオルを購入するようにしないと…。

先に煮物の準備をした。
煮物を鍋にかけてから 購入した物を整理しながら収納。
残っているきゅうりと人参とキャベツとしょうがと茗荷と今日買ったカブで即席の漬物を作った。
カブの葉は先日同様 軽く茹でて冷蔵庫に。
お刺身は柵で購入したので レタスを敷いて盛り付けて冷蔵庫へ。

ゼリーも外側のパックを剥いで収納。
めざしもパックから取り出して3連ずつラップで包んで冷凍庫へ。
この時期は痛みやすいので 直ぐに使わなければ冷凍庫の方が安心。
野菜も それぞれ袋に入れて野菜室に収納した。

なるべく使いやすい状態にしてあげれば 思った時に直ぐお料理できるから。この事に利用者さんは気が付いていて「助かる」といわれる。


「さぁ〜」と思った時に行動できるきっかけを作って置く事はものぐさの私の知恵で 飛んだ所でお役に立てる。
煮物が出来上がった頃 丁度時間となり 利用者さん宅を後にした。

午後は母の所に出向く。
どうにも怠け心が出て家を出るのが面倒。
トマトの皮をむき器に入れ おやつを準備して母の所に出向かなければならないように自分を追い込んで 家を出た。
施設に付くと直ぐにおやつだった。

今日は「蒸かし芋」だった。
食べやすく切ってあった。
おやつは私もお相伴。みんなとテーブルを囲んだ。

この所 食の進まない方もお芋には手が出た。
「お味は どうでしょう?」とお聞きすると「甘みが足りないかな 未だ季節初めだから…」と言われた。
この方 普段季節はあまり認識できない方である。
更に「茎をね…」と続けられた。
農家で育った方だから 育て方に詳しいのだ。
これを機会に…と思い
「ね ○ちゃん 知っている?サツマイモはどうやって植えつけるか」と職員に声を掛けて見た。
「芋を植えるんでしょ」と。。。
私は待ってましたとばかりに「あら △さんに聞いてみてよ。茎を植えるのよね △さん」と言うと彼女は「うふふふ」と笑った。
職員も「あら 茎を植えるんですかぁ〜知らなかったぁ〜」と応じてくれた。「土を少し掘ってそこに茎を植えて行くんだよ」と手振りしながら話して下さった。
「甘みが足りない」と言いながらもあっと言う間に召しがってしまわれた。
他の方も同様だった。

「いろんなもの混ぜたお料理より素材そのものの方が食べやすいかしらね」と職員と話した。
「おいしい物を食べに出かければ また 食べられるようになるかしらね」と職員が言った。
やはり 食欲が落ちている事が気になっているようである。

母は みんなのやり取りを面白そうに聞いていた。
機嫌は悪くなかった。
おやつの後片付けを手伝ってから 母と居室に入り折り紙をした。
今日も順調に折れた。
比較的落ち着いているようである。

歯磨きをして 頭をヘアトニックでマッサージしてさっぱりして貰った。




2005年07月03日(日) アルツハイマー暦5年の方のコンサート


 少し離れた地でコンサートがあるので出かけた。
今日は 全国マイケアプランが企画するシンポジュームがあり そちらに参加予定をしていたが 急にコンサートの案内があり予定変更をした。

アルツハイマー暦5年 現在79歳の男性である。
アルツ発症年齢は きっと母と同じだろう。
穏やかな表情の彼を見て 母の5年目を思い出そうとしていた。

激しい鬱状態は脱出していて それでも帰宅願望が強くて 毎日帰る支度をしていた。
それでも穏やかな日は 1日数枚の刺し子に取組み 更には塗り絵を楽しむ。
ビーズでネックレスを作ったり 友人の子の体操着袋ズック袋も手縫いで作っていた。
勿論 細かな所では助け舟を出したけれど ほぼ 母の手で作り上げた。
集中力も1.5時間はあったと思う。

作業を始める時は「何で私がしなくちゃいけないの!」と怒っていても 作業を始めると「楽しい」と言っていた。
身についている作業は 楽しめたのでそこだけの時間を切り取れば「痴呆」なんて判らないほどだった。

今日の彼も 歌を唄っている間は アルツハイマーと思えない。
両手で力強くリズムを取られる。

そうだ 母もそういうところが有った。
歌詞がわからなくなると歌詞の意味を考えて 歌の流れを思い出して唄い続けていた。譜面があれば 譜面を読み取っていた。

彼は プロだったのだから 歌詞はある程度身についていて譜面も読めるようだった。それでも唄が何処に差し掛かっているかわからなくなるようで 隣にはプロの方が指で譜面の場所を追っていらした。

ピアノやアコーディオンを受け持つ方は 彼の停滞する時間をキャッチし微妙に調整し ずれた事を感じさせなかった。

病が進行してコンサートが危ういとお聞きしていた。
が 今日は しっかりなさっているように感じた。

アルツハイマーになっても しっかりご自分のお話をなさったクリスティーンさん。昨年 講演会に出向いて驚いた。
彼の姿もまた感動であった。

今日のコンサートの入場料は2000円である。
これを高いと見るか 安いと見るか それは人それぞれ違ってくるだろう。

コンサートの最後に 今年北海道でコンサートを開き その折にグループホームにも寄られたという事だった。
其の時 入所以来 言葉を発しなかった方が「アンコール」を願い出たそうだ。「アンコール」と言う言葉を使ったわけではないようですが…。
職員も言葉を出された事に感動し 奥様も音楽が伝わった事に感動なさった様子だった。

彼の日常がどんななものかは DVDを見て判っている事もあるが詳しくは知らない。
けれど 母の5年目を想像してみて 空白も感じられる時も有った。

彼もまた 日常の中で空白を感じる時もあるのだろう。
しかし 歌っている姿には 空白を感じなかった。
お子様もなく ご夫婦での暮らし 寄り添う奥様の苦労も多いのだろう。

知り合いのケアマネも仕事の合間に 応援なさっておられるご様子だった。
今日のコンサートにもバックで支えていらした。

アルツハイマーの就業も考えられるようになっている。
どうか 認知症の理解が世の中に広がり 真の意味での支えあいが出来るような社会を実現できるように…と願わずにいられない。


2005年07月02日(土) 夕食風景


梅雨なんだから…と判っていても やっぱり湿度が高いと辛い。
行動に移るのもしんどい…。

昼過ぎ 母の所に出向く。
娘がお出かけだったので車に乗せて貰って 楽チン。

施設では七夕の準備をしていた。
飾り作りをお手伝い。
今日の母は 元気だけれど 話しは通じ難い。
おそらく 話しかけられている事は理解できているのだ。
でも 答えがトンチンカン。
トンチンカンを気に書ける様子もない。

違う答えが返っても「うん そうだね」と相槌を打つ。

私が行く前に書いたという短冊を職員が見せてくれた。
「立ったり座ったり 立ったり ○× △◇(名前)」
名前の文字も違っていた。
書き直させたいなぁ〜と思ったけれど 言い出せなかった。
飾り作りは 母にも手伝って貰った。
こういう事は 母は得意だったのに 今日は 無理な様子なので 指示を与えながらだった。
小さな笹竹だったので 直ぐに出来上がった。

おやつを食べてから お散歩に出た。
其の頃から 母のお腹がゴロゴロしているようで 気持ち悪い様子だった。
「お散歩行く」「行かない」を繰り返した後 行きたいという気持ちになるのを待って外に出た。
外は陽は出てないものの もやぁ〜としていて暑い。
足の方は 問題なく上がりも良かった。
暫く歩くと 背中が丸くなってきて 腰が痛いと訴えた。
「背中 伸ばそうよ」と声がけしても 出来ないようだった。

「暑いから アイスでも食べようか?」と言葉を向けると暫く考え「少しだけ アイス食べたいな」と言った。
これ位の受け答えが出来るようなら 心配ないだろうと思いファミレスに入った。
母の望み通り 小さなコーヒーゼリーにアイスが少し乗っている物を注文。
少しずつ 口に運んでいた。
ただ 母の後ろ側の座している青年たちが大きな太い声で笑ったり 話したりするので 怖かったようで幾度も振り向いていた。
耳は遠いのだが 音の種類によって敏感になる母だ。

少し涼んだので 大分楽になった様子だった。
更に歩いて 公園の小山に登った。
最近 夕方の公園には 犬を放して遊ばせる人が増えた。
今日も 小山の上には犬が2匹いた。勿論 飼い主も傍に居られたのだが…。
飼い主は「どうぞ」と犬の頭を撫でるように仕草した。
母は 怖がった。
「何も しませんから。おとなしい犬です」と言われた。
確かに 母のほうを見るわけでもなく 安全そうだった。
それでも 母には無理。
玩具の声に反応する犬だって 怖くて後ずさりするくらいなのだから…。
軽く会釈をして 小山を降りた。

すると其の先にも 犬が2匹 遊んでいた。
こちらは 飼い主とボール遊び。
やはり 母に向かってくる様子はなかった。
それでも 怖そうだった。
もうひとつの小山も登って降りて 早々に公園を離れた。

もう少し 小山で遊びたかったけれど 犬がいたらしょうがない。
不安だけが強くなるだけだからなぁ〜。

施設に戻って トイレ誘導手洗いを済ませた頃に「ご飯ですよ」と言う声。
テーブルについて夕食が始まった。
帰ろうと思ったけれど 母が視線で私を追っているのが判ったので 夕食も少しお付き合い。
幸い 今日も 家族の帰宅は遅いと判っているから…。

母の見守りをしながら 他の方の食事介助に回る。
夕食の進み方は みんな遅かった。
母の好きなお肉なのに…。
刻みやミキサーの方も お肉を「嫌だ」と言った。
あまりに 母が食べないのでちょこっと食べてみた。
ちょっと 美味しくなかった。
これじゃ みんな食が進まないわけだ。
作ってくださった方に悪いけれど 素材の方が悪そうだった。
見た目は綺麗なんだけれど…。
なるべく残さないようにと無理のない範囲で介助して回った。
食べないと 体力が落ちそうで…。

みんな半分以上 食べたのを見計らって帰路に付いた。
試食した職員も「これは あまり食べたくないかもね」と言っていた。

母は 相変わらずお腹が気になる様子だった。
排便は 未だと思うけれど…。




2005年07月01日(金) 素敵に収まりました


利用者さん訪問。
直ぐに 手作りのクッションを見せてくださった。
もう一年位前に購入為されたパッチワークのクッションキット。
型紙を取られるくらいまでは見せて頂いていたが それから先は 生きがいデイに持ち込まれていた。
「もう直ぐできる」と言っていて「出来たのよ。暫くデイに飾るの」と言われていたが ようやく自宅に持ち帰られたのだった。

「近くで見ないでね」と言われたけれど どうしてどうして 立派な物に仕上がっていた。やっぱり 凄いです。
時折見せる 不安定な状況。
そういう場面も切り抜けて仕上げられたのである。
根気と努力の賜物である。

「あのね これを額に入れたいの。額を探しにお出かけしたいのです」と言われ 近くの画材やさんに出かけた。
勿論 失敗のないように作品を持参した。

画材やさんのお兄ちゃんは 始めはそっけなかった。
油絵用のガラスの付いた額に入れようとしたら「これは 特注しないとサイズがありません」と即座に言われた。
「油絵を描いたことあるから判るって言うの」と思いながら 言葉にはしなかったけれど…。

それでも 利用者さんの気持ちに沿うように ひとつひとつ 聞いていく。
其のうちに 何かが伝わったのだろう お兄ちゃんも一緒に考えてくれた。

持参した作品を額に入れて いくつか按配を見てくれた。
最終的に利用者さんが 納得できる物が見つかった時 お兄ちゃんは 額のガラスを丁寧に拭いて 作品をきちんとはめ込んで下さった。
それも後ろの紐まで取り付けてくださった。

利用者さん とても嬉しそうでした。良かったです。
努力の賜物ですから…。


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