母のタイムスリップ日記
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2005年03月31日(木) ♪ハッピーバースデイ♪

 母は 今日89歳のお誕生日だった。おめでとう♪
施設でのお誕生会は済んでいるので 今日は二人だけでお祝いをした。

朝は通常通り リハビリである。
その後 昼食をとっている間 職員との面談をした。4.50分位だったと思う。来年度フロアを担当してくださる方2名と施設長と私の面談。

主に排泄関係の事についてだった。
夜間の様子の変化や対応を説明してくださった。
こちらは家に外泊する時の様子を説明した。
両者の話を聞き合い 改善できる所は改善していく事になった。
特に施設利用の布団 シーツ 防水シートは 職員も取り替えるように努力するが 万が一できてなかった時は 家族が申し出て取り替えて良いと言ってくださった。
家のものを持ち込むと業者に出すのと混同しやすいそうで…。そういった事故を防ぐ目的も有るようだ。

持ち込んでいる毛布は 個人で洗濯と言う事にさせてもらった。
冬場は2枚の毛布を準備して置けば そうそう困らないだろう。。。

オムツとパットの併用に関してもこちらの希望を伝えた。
母のオムツとパットの組み合わせを来月から数を変えてあるのでそれも伝えた。足りない部分に関しては 施設に有るもので補充してくださるという事だった。

排便に関しては 私も誘導するので今の状態を続け お互いに情報を交換して行く事にして貰った。
職員から 排泄誘導の仕方を教えて欲しいと言われたので いきみ方を忘れかけているので お腹に手を当ててちゃんといきんだら褒めてあげて再度促す…という間の取り方が必要みたい…と伝えた。

施設で入浴は嫌がりませんか?とお聞きすると…。
お風呂は大好きです。ただ 洗髪を嫌がるという事だった。
洗髪はシャワーを使っているようだった。
「家では 耳にお湯が入るのをとても気にするので 洗面器から手でお湯をすくい耳に入らないように加減しながらやります。シャンプーが取り切れない時は母自身に少しやってもらうようにしてみてください」と御願いした。
但し 母自身 言葉が理解できない時が多くなって来ているので 様子を見ながら御願いしますと付け加えた。

また食事のお聞きすると時間がかかるようになってきている。特に食事が始まると箸で遊ぶ事 また空になった容器をいつまでも箸でつついているとも言われた。

家でも同じような状態で その対策として…。
食事が始まって箸で遊んでいたら 一口運んでみると食べ始める事が多く 空になった容器をつつく時は その容器を下げて残っている物を前に持って行く事を御願いした。
時にそうされる事を嫌がる時も有ると言っていた。
そこもやっぱり様子を見ながら…としか表現できなかった。

体の傾きに関しては この所あまり気にならなくなっているので 引き続き観察を御願いした。

おそらく これまでの面談で一番納得できる形になったと思う。
職員もこちらもお互いに距離を縮ませる事が出来たのではないかな?

面談が済んで 母と外出。
バスに乗って 少し遠くの町までお出かけ。
景色を眺める母の目が久々にいきいきしていて「人が小さいよ」とか「川面が光る」とかのお話もしていた。
少し環境を替えると刺激も生まれるような気がした。
母は昼食を摂ったけれど こちらはお腹ぺこぺこ。。。
「KIHATI」でスパゲティーとピザを頼んだ。母と半分こ。デザートはひとつだけ注文したが 母の食欲も有るようなので追加した。
しかし レストランでフォークやナイフで遊び始めたりグラスをナプキンで持とうとしたり…目が離せなかった。
それでも いつもと違う場所と言う意識も有るのだろう…ちょっと気取っていた。
帰路につく前にアチコチ見ていたら…「歩かなくともいいかな」と言い始めた。「帰る?」と聞くと「まだいい」と言い 母自身 楽しいんだけれど疲れて…という複雑な状態であった。
これからは 暖かくなるので時折 気張っての外出してみよう。。

帰路「虎屋」の羊羹と「丸善」でこいのぼりのモビールを買い求め フロアの人へのお土産にした。

施設に戻って 整理して帰宅。
こいのぼりは 早速 天井から吊るしてくださった。

今日は母の耳元で「89歳おめでとう」を何回も囁いた。
その度に「誰が?」と。「ほ〜私が?」を繰り返した。。。
元気でいてよね♪

♪付けたし♪
夕刊に載っていた事 厚労省が「医療行為」の範囲の見直しをしたようだ。
薬の内服介助 爪きり 検温 湿布の貼り付け 軟膏塗布 座薬挿入 浣腸
点眼 ネブライザーの介助 火傷等のガーゼ交換等が見直されるようだ。
今更って感じもする。
でも 放置しておくよりも良いか。。。
それにしても…痰吸引やチューブ栄養などは やっぱり今のままだって!

でもね 爪きりは 医師にも断られた経緯が有るから…。
決まったからと言って やって貰えるとは限らないかなと思うのは ひねくれているからかな?


2005年03月30日(水) 家に篭っていると…


利用者さんは ご夫婦でウォーキングにイベントに参加なさるという事で今日は活動無しである。
こうやって 少しずつ元気を取り戻していく姿に接して行ける事も訪問して良かったと思うことである。

夕方 利用者さんから「4月からは週1にしてください」と連絡が入った。
「今日のウォーキング良かったわよ。帰ってからも庭に出て片付け出来たのよ♪」と明るい声で話してくれた。

母とウォーキングしたコースだった。
今は もう そのコースを歩く力は無いだろう。
今 私1人でそのコースを歩けるかな?
80を越えて歩いて貰ったのだから「歩けない」とは言えないなぁ〜

3月は無我夢中で走ってきた。
結婚以来の我が家の危機も何とか乗り越えられるかも…と思うところまできた。生きている限り いろんな山坂が有るのだとつくづく感じた。
出来る限り波静かであってほしいけれど…例えそうでなくとも楽しみながらそして楽しみを作りながら過ごして行ければいいなと思う。

国家試験の発表が続いている。
厚労省の行う試験に受験している人が2名いる。
1人は無事合格と昨日知った。
今朝の新聞に今年から合格者名は載せないと断り書きが有った。
本人に聞くわけにも行かないし…と厚労省のホームページをみた。
番号だけで名前が無かった。受験番号までは知らないしなぁ〜。

丁度娘が掲示板を見に行くと言っていたので お願いした。
夕方「有ったよ」と電話をくれた。
「バンザーィ♪」だ。1人感激した。
その上 掲示板上の番号と名前をパチリと写してくれた。
これは 私の宝物だ。本人は知らない事だけれど…。

その内に合格の知らせが届くと思うが…一足先に合格を知ってホッとしている。

「来年 町内会の当番御願いできますか?」と朝 訪問を受けた。
当番が回ってくるのは 10年以上先と思っていたので驚いた。
「成り手が無いなら 受けるしかないですね。でも 順番はどうなっているかを古い方に聞かれた方が間違いないかも知れませんね」と言うと「私も良く判らないから聞いてみます」と言われた。
暫く経って「お宅は4年後位になるそうです」と知らせて下さった。
今受けるも4年後に受けるも私にとっては同じ事だけれど…順番を飛び越えると不快に思われる方もいるだろうから…慣わしに従った方が面倒が無くていいものね。
でもね きっと今と4年後は確実に状況が変わっている筈だ。。。
難しい問題も出てきそうな気がする。
その時は その時のことだわね。





2005年03月29日(火) コインランドリーの風景


 母の所に出向く。
母は みんなとテーブルを囲みゆったりとしていた。
何だか こちらの気力が出ない。
通院は 職員との話し合い後にしようと思っていたが…。

母の入浴。。。連れて帰りまた施設に戻る気力が湧かない。
でも 母の頭が汚れている。。。
おととい ヘアトニックでマッサージしたままである。

毛布が外に干してあり シーツが外されていた。
また 漏れたのだろうなぁ〜。
布団を動かしているうちに カバーが臭った。しみは無いけれど…。
「今日も やっぱり洗濯だ」と思い支度にかかる。

母をトイレ誘導。
来た時から浮かぬ顔なのは きっとお腹がおかしいのだろうと思ったので排便を促す。お腹をマッサージしていきんでもらう。
声がけしても思うようにはいきむ事は出来ないが 少しいきんだ時に「偉いその調子」と褒める事にしている。
その声掛けで 多少タイミングを掴むようである。
今日は そんなに時間をかけずに排便が出来た。
でも その後も腹痛が続くようだった。
体調が優れないのだから 機嫌も比例してよくない。

手で洗える物は洗面台で洗い あとは職員に脱水してもらった。
職員の手を借りるので その間 職員に代わってお掃除代行。
別に言われた訳ではないが 他の家族とのバランスを考えないと 言った者だけ特別扱いと言うのもね…。
職員だって 自分の仕事が有るのだろうし…。

脱水した物と毛布を仕上げ剤で湿らせたタオルで拭いた物をもってコインランドリーに行き 乾燥機を廻しながらコンビニに行く。
母のおやつを買って戻り 乾くまでおやつタイムとした。

コインランドリーには 若いカップルや学生さんが多かった。
母は「自分を睨めている」と被害妄想的思考に走る日だった。
「みんな お洗濯に来ているだけで 悪い人は居ないから大丈夫よ」と声掛けを続けた。
そうでもしないと 相手の耳に入るような声を出しそうだったから。。。

仕上がった洗濯物を持って 少しお散歩。
「重そうな荷物ね 私も持つよ」と言ってくれた。「デモね 手の骨がポキポキって折れると怖いから今日はいいよ♪」と言うと笑っていた。
公園に職員が車椅子を押してお散歩に出ていた。
桜の様子を見上げていた。
「未だ固いですね」と言うと「そうなんですよね」と言う返事。。
「別の所 見て帰ります」と更に回り道をして 施設に戻った。


戻ってから 敷きカバー掛けをしてると かけ布団も臭っていた。
仕方ないので 掛けカバーと 椅子の敷物を持って 再度コインランドリーに行く。こんな事なら 初めからちゃんと見ておけば良かったと反省しきりである。

夕方なので 母には施設に残って貰った。

夕方のコインランドリーは 主婦が多かった。
子連れの主婦もいるが 60を越えている主婦もいる。

時間帯によって利用する世代が違っているんだなと思った。
夕方 家族が帰ってきて洗濯物が下がっているのも嫌だから乾かない物を持ってくるのかな?

駐車スペースのあるコインランドリーなので 殆ど車で来るようである。
そして ナンバープレートも様々でアチコチから見えるようである。

早い時間での若い世代の人の洗濯する量はとっても多く また カーペットまで洗っている人がいた。

夕方の時には 25分の洗濯時間を利用してスーパーに走った。
戻って乾燥…で終わった時には5時を回っていた。

掛け布団カバーをかけて 乾かない物をハンガーにかけて終了。

何とも 洗濯のために通っている…そんな気さえしてきて…。
母は十分楽しめているかなぁ〜と気になる。。





2005年03月28日(月) 車の両輪の家族の会


利用者さん訪問。
訪ねる道すがら 桜並木を見上げたら 2.3輪の花が咲いていた。
ワワッ!春だわさ♪
一部咲きと言うまでには もう少し掛かるのかな?
気温さえ上がれば 咲き出さすんだろうなぁ〜。

利用者さんは お元気でお過ごしの御様子で 今朝 炒め物を作られたようだった。
「自分の出来る事は 出来る限り頼ら無い方が良いのですよね♪」と言われた。落ち込んでは 復活する利用者さんに出会うのが私にとって励みとなる。

今日はお買い物が沢山有った。
多くは食料品である。1人で買い物に出ても荷物が増えると持ち帰れなくなるのでセーブして 買い物同行の日を待っておられると言うお話だった。
1人で暮らしの術を事前に学習させて戴けて貴重な活動だと改めて感じる。

食料品を調達してから 料理とお掃除に入った。
食べ物が有るって 安心できるのですよ♪それも出来合いじゃないって事がいいんですよ♪自分で何でも作れた時は あまり感じなかったけれど…。
食べる楽しみは生きる支えになるんですよ♪と言っておられた。
お掃除の時 コタツの下敷きが歪んでいたのできちんと敷き直す。
これが躓く原因になりやすい事は母の介護で体験済み。
安全に暮らせるように…といつも思う。

活動を終えた後 家に戻って昼食。
この日は いつもかき込むように食事を摂る。
今日は役所主催の家族会である。

持ち運ぶ資料を準備した。
例の講演会の時の資料と「頭の整理箱」である。
座る暇も無く家を出てバスに乗り込み 時間少し前に着いた。

介護仲間が 先にいらしていた。
仲間がデジカメで写した春の風景を戴いた。
紅梅のピンクと後ろの竹の緑がとても綺麗だった。
竹の緑と紅梅とのそれぞれの濃淡に早春の息吹が感じられた。
素人の私には そういう表現しか出来ないのが ざ・ん・ね・ん。
見ていると心ウキウキと言う気分になってくる。

会では ひと月の様子をそれぞれ語りあった。
それと 講演会の報告と頭の整理箱の紹介をした。
会で購入希望をしてくれた人が数名いた。「いい物ですね」と言って貰えた。早速 島村さんに御願いのメールを打つと「4月に会うときにお持ちします♪」と言う返事のメールが届いた。

会では今年の会の感想と来年の活動について話し合われた。
家族は提供を受ける側であるけれど この場所では率直に話しできる。
専門職の人には 当たり前に判っている事でも家族には 何処にどういって行くか 何処に相談するかがわからない。
医師との話だって後に待つ人がいたりするとセーブしてしまうし ケアマネや業者の方にもなかなか言い出せないことも有るが 会に出向けば 時間を気にせず話るし 解決の道も見つかりやすい…という事をそれぞれの家族が経験を基に会の持つ意味を話した。

今日はしっかり受け止めて貰えたと思う。
2ヶ月に一度の集まりになってしまうけれど 家族で作っている会と役所の会とが両輪となって認知症の事を学びあって地域に広めて行来ましょうという事になった。これは 他所には無いと思う。自慢できる事だろうと思う。

事業所の方に「ひな祭り」の心配りに感激した事とその効用も伝えた。
他の事業所さんにもお伝えした。
嬉しい事も不満なことも率直に伝えて行くべきだろうと思う。


2005年03月27日(日) コミュ二ケーション…


 今朝 聞いたお話。。。
母の施設の近くには 畑や田んぼが残っていて 農業を営んでおられる方が僅かばかり居られる。
農家の方が 農作業のためカマを手に畑に出向いたそうだ。
それを見た住民が「カマを持って歩いている不審者がいる」と110番通報したらしい。何台ものパトカーが来て尋問されたと言うのだ。
パトカーの音に「何だろう?」と思っていたら自分だったという事だった。
警察の人からカマを持つ時は新聞紙に包むように…と指導されたという事だった。
他の人がどう考えるかはわからないが 私は「そんな馬鹿な事って…」と感じた。通報したのは新しい住人らしい。

新旧入り組んだ住民構成でギャップが有るのだろうか?
それにしても 母とのお散歩では この田園風景が気に入っているのになぁ〜。農家の人は 農業を営むが嫌にならないだろうだろうか…と心配になった。

今日はイースターだ。
気になりながら母の施設近くの教会には足を運べずに来たが 今日は思い切って出かけてみた。
クリスマスの時だって 教会にいるという意識が継続しなくてかなり大変だったので少し心配だった。
でも 小さな子供たちも集っての礼拝だったので家庭的な感じがあり安心した。
今日も時折窓を見ては笑ったりもあって 少しドキドキしたけれど 聖句を読んだり賛美したりの時は断片的に理解できたようだった。
礼拝が済んで自己紹介の時に「近くのグループホームに御世話になっています。施設には母のほかに3名のクリスチャンがいます」と言うと牧師さんは驚かれた。「出来れば 母の居室で賛美出来る時間が与えられると良いのですが…」と言ってみた。
すると牧師は 別の場所ですが系列の教会でグループホームがありそこで理事を務めていますので施設の事情はわかります」と言われた。
そして「良い時にお訪ねしましょう」と言ってくださった。
帰る時に週報とイースターのチラシをグループホームの方の分まで戴いた。

施設に戻って「今日は イースターです。教会に出かけ週報を戴きました。御言葉が書いてありますからどうぞ読んでください」と一人一人に手渡した。3人ともとても喜んでくださった。
1人の人はウルウルなさった。
それを見た別の方が「羨ましい」と言った。
その方は 母と同様に開設当初から入所されている方である。
その方の側に行くと「冗談よっ」と言われていたけれど…話しかけると喜ばれていろんなお話をしてくださった。
息子さんが良くお見えになり 昨日もチラッとお姿をお見かけした。
「あなたのお母さん お元気?時々洗濯物でお名前を見て元気なのだなと思ってはいるんだけれど…」と言われた。
そして「あなたの姿を見て嬉しいわよ 良く頑張っているわね」とも言われた。「息子さんだって 良く見えているじゃないですか 昨日もお見かけしましたよ」と言うと「うん いい息子だよ。私の事心配してくれるのよ」と言われた。「あなたのお母さんは静かだから…」とも言われた。

入所したばかりの頃は 母のような人を我慢して受容してくれた方である。
今 また そうやって応援してくださる言葉を受けて嬉しくなってしまった。

そう 教会から施設に戻る時 職員が2階の窓から母と私に手を振ってくださった。施設に付くと昼食が始まったばかりのようだった。きっと母を待っていてくれたのだろう。。。有り難かった。

人とのコミュ二ケーション。。。施設に住んでいてもちゃんと育つのだなぁ〜。


2005年03月26日(土) いい事 いっぱい有ったよ♪


 利用者さん訪問のため家を出て歩き始めたら鶯の初音が聞こえた。
「おっ 幸先がいいな 今年初めてだ!」と嬉しくなった。
利用者さん宅では いつも通り活動したが その後地域の情報を教えて…と言われた。
地域の介護予防がゆっくりと動き始めている様子だった。
30分程 いろいろ話しこんだ。
この地域の別の方からも聞かれているので 情報収集のニーズがじわりと出てきてるのだな感じた。
そして ふと思った。私が 持っている手頃なテキストが役に立つかも知れない…と。

それは マイケアプランで出している「頭の整理箱」である。
マイケアプランは自分でケアプランを立てる人たちの団体なのだが…「頭の整理箱」はこれからの準備にはいい材料だと思う。
事業所に依頼する時にきっと重宝すると思う。
一部500円だが 介護保険利用前から準備して置くといいと思う。

活動を終えて 昼食を終えてから母の所に向かった。
居室の窓が少し開けてあって 職員の配慮を感じて嬉しくなった。
窓が開けて有るだけでもにおいは大分解消されるのだから…。

それから 母と散歩に出た。
春の日差しを受けながらゆっくり歩いた。
公園で桜の木を見上げた。
日当たりの良い場所では 青いつぼみの先がほんの少しピンクに染まっているのが見えた。
風が冷たくてちょっとドラックストアに避難した。
ついでに 洗濯の仕上げ剤を買った。これからの準備である。

また 外に出て散歩を続けた。
今度は畑の有るほうへ…。
鮮やかなピンクの小花が咲いていて「これなんだろうね」と母に聞いてみた。母があまりに反応しないので「これは タンポポかしらね?」と聞いてみると「違うようだね」と言った。
「違うのか?それじゃ ひまわりだね」と言うと「そうかな?」と言われてドキドキしてしまった。
「桜かしら?梅かしら?」と言うとじっと花を見つめていたが「わかんないね」という事になり通り過ぎた。
すると 後ろの方から「あのう〜」と鋏を持って追いかけてくる人がいた。
「はい」と返事すると「いつもお散歩なさっていますよね。お花 持って行ってください」と言って枝を切ってくださった。
「生憎下のほうからしか切れなくて枝振りがよくないけれど…」と申し訳なさそうに言ってくださった。
通りがかった時に犬が激しく鳴いて気が付いたと言って居られた。
「近くのグループホームに住んでいます」と言うと「あ〜そうでしたか。お元気で何よりです」と言っていただいた。
母の持ちやすいように小さな枝も準備してくださった。
知らない人なのに…声を掛けて頂き嬉しかった。

更に進むと 今度は道の草を取っている人と出会った。
「ね 見て。草を刈っていられるけれど ちゃんと食べられる物は残しているわね♪」と言っていたら その方が「野蒜を食べますか?これは未だ小さいから無理だけれど 大きくなったらここから黙って持って行っていいよ♪家の庭には いっぱい有るから…」と話しかけてくださった。
「時期が来ましたら頂戴させて戴きます」とお礼を言ってお別れした。

何だか今日は沢山の嬉しい事をプレゼントされたなぁ〜。
優しさのプレゼントという事だろう…。

おやつを食べ始める頃にそっと帰路についた。

今日は娘の誕生日だから…ちょっと早めにだ。
デパートをうろついていたら 知り合いのケアマネさんから声をかけられた。そこでお互いの愚痴。。。
仕事をする上で上司とのトラブルが有るようだった。
これからの介護保険の事 介護のあり方について熱く語り合った。
どっかでお茶でも飲んで話せばよかったと後悔した。

介護保険で利用者本意の話しの出来るケアマネさんはそう多くない。
それも こちらは 今 介護保険を使っているわけでないし…御世話になっている訳でもないのに…。
こういう熱意の有る方は とても貴重な存在である。

そして ケアマネさんが話した事で印象深かったのは…。
「最近のケアマネさんは 利用者情報をパソコンから得る人が多い。でも 本当はパソコンで利用者さんを知るよりも 直接本人や家族と会って 顔を見て知ることが大切なのだ」と。
そうなんだよね。私もそう感じる。
「直接 出会うこと」これがやっぱり大切なんだ。古いって笑われるのかな?



2005年03月25日(金) さて どうなるかな?


用事が重なる日って そう多くないけれど 今日は特別だった。
朝 利用者さん訪問。
月曜が祭日振替日で休日となり訪問も休みとなっていたので 今日もお休みと言え出せなかった。
用事のためにスーツを着込んでいたので「お忙しいんでしょ」と悟られてしまった。「あ〜ちょっと重なってしまって でも大丈夫ですよ」と答えた。
「今日は買い物に行きたいんです」メモを見せてくれた。
早速 お買い物に出た。
開店したばかりのスーパーは混雑が無くて レジでお金を探しても他の方に迷惑を掛けないので ゆったり出来ていた。
チラシの目玉も今日はしっかり合っていて 希望のものを購入できた。
「食べ物が冷蔵庫に入っていると安心していられるのよ♪」と利用者さんは笑っておられた。
買い物した物を整理しながら水周りのお掃除をして ベットの棚を拭いて植物に水をやって ゴミを纏めて今日の活動を終えた。

それから 急いでバスターミナルに走った。
今日は 母の施設で3月のお誕生会がある。
活動の終える時間が集合時間だったのである。
丁度バスが止まっていて すぐさま乗り込んだ。
約束の時間に15分の遅刻となったけれど間に合った。
今日はレストランでのお食事である。
メニューから母が選んだのは…海鮮丼。折角だから特上にして貰った。
それぞれ好みの物を注文。
お料理が届いて 母に丼の蓋を開けてもらった。
その時の母の笑顔は輝いた。
それを同席した職員も見逃さなかった。
母の良い所は 一度開けた丼を閉じて また開くとまた喜ぶ。。。
つまり 開いた記憶が無いから幾度でも喜ぶのである。
職員もその様子をしっかり見ていてくれたと思う。
食事のペースもいつもよりずっと早い…と驚かれた。
そうなのだ。母にとっておいしい物は 食べる速度もほんとに速い。
別に今日のように高級でなくとも 美味しいと思ったら食が進むのだ。
気が付いて貰えて良かった。
母だけのためにワザワザ対応を望む事はしないけれど…でも知っていてもらえるだけでも随分違うと思う。
食事が早かったのはそれだけではないと思っている。
それは 隣に人がいて少しの介助がいるのだ。
ずっとそばにいなくとも ポイントポイントでさり気無く声掛けすればスピードはアップするように感じている。

職員から誕生日カードを頂きみんなの前で母は音読した。
きちんと理解しているかと言うとそこは無理。
だって「おめでとうございます」と言われても「そういわれても…何がおめでとうなのか…」と戸惑うのだもの…。
でもきっと嬉しかっただろう。。。

お食事会にもう1人の主役が参加できなかったのは残念だった。

お食事が済んでから居室に戻った。
お布団が外に干してあり その配慮が嬉しかった。
だから居室ににおいは篭っていなかった。
トイレ誘導しオムツ換え それから排泄誘導 時間をかけてちゃんと排泄できた。昨日から出るだろうと予測していたが未だ出てないと聞いたので頑張った甲斐があった。
お出かけ服から普段着に着替え 職員にバトンタッチして 次の用を足すために施設を後にした。

そうだ 母の対処についてお話合いをしましょう…と職員から言われた。
こちらと職員の都合を繰り合わせて 今月中には話し合いがある。

今度は電車を乗り継いで行くのだ。
これも滑り込みセーフ。
成年後見人制度のお話を弁護士さんから伺った。
制度の背景や説明を伺った。
今 金銭的な面での後見人利用が多いが 介護保険利用の面でもやはり必要だという事だった。
話しの後の質問等で利用率が伸びないのは 手続きの面倒さが有るという話しになった。
有るところでは 利用料の負担の軽減と手続きの簡略化を探り始めている所も出てきているようである。
これは 私たちの住む町でも訴えていく必要がありそうである。
これも 良い勉強になった。
駄目だ 面倒と嘆くよりも 改善に向けて動く必要も有るのだと再認識である。これからは 家族がいる人ばかりではない世の中になるのだから…。

研修会を終えた後 介護フェスティバル(仮称)の企画に取り組む。
ネットワークグループとアラジンとで協力して取り組むのである。
案の提案はグループ側で交渉は主にアラジン側で…。
今日は 大まかな構想と期日を決めた。
今のところ 公にできないけれど…これが形になったら 一歩前進だろう。
ちょっとワクワク。
「認知症でも出来る。。。」と言う取り組みも考えている。
しかし 話をしながら現況の介護周辺事情がエンドレスにあり 幾度も横道に逸れた。包括支援と言う所での混迷…包括支援センターに下りるお金の少なさと仕事量の多岐に問題がありそう…だという話も出た。

それと スウェーデンのオムツが優れていると言う話しも聞いた。
この情報は 正確な入手ルートを教えてもらえる事になっているのでその時に日記にアップします。
母の夜間の対策にパッと明るい日が差すような気がしています。

やはり 情報を集め 何処が問題かを判らないなりに考え 厚労省に訴えていく事が大切のような気がする。
決まってからでは 覆すのが大変だから…。

会が終わって 家に着いたのが9時近かった。
これでも 我が家には誰も帰宅していないから こんな事もできるのだな。

ほんとは もうひとつ夫から頼まれていた事があったのだが これは明日に回す事にした。

夕食を作って食べ始めたのは10時近くて…食べ終えた頃夫が帰宅。
また テーブルに食事の用意…。ま いいか。動ける幸せと言う事にしようっと! たまには こんな日もあるんだな。


2005年03月24日(木) 思うように行かない日々…


 今朝はリハビリの日。
できる事なら 通院しようと予定していた。
駅に向かって半分程歩いた時お財布が入ってない事に気が付いた。
どうしよう。。。と思ったが時間の余裕が無い。幸い小銭入れが有ったので戻る事はしなかった。

施設では 朝食の終わった みんなとテーブルを囲んでいた。
少し職員と話してから居室に入った。

居室はおしっこの匂いが充満していた。
お布団と毛布が部屋に出ていた。においの基だろうと 一応外に干した。
「どうしよう。。。」とウロウロしてしまった。
職員は「一応干して 消臭スプレーを吹きかけたと報告がありました。尿量が多かったようです」と言われた。
なおさらうろたえてしまった。
やっぱ 此の儘 この布団に寝るんだと思うとどうにも切なくなった。
子供が寝小便した時だって 生渇きの布団は使わないし 濡れた所を熱湯をかけて それを古タオルで拭き 風にあてるだろうに…。
洗濯物ですら乾かないお天気だから 布団だって乾き難いだろうし…。
毛布だって大分湿っている…濡れている所すらある。これをまた今晩かけるという事なんだ。。。
「長い防水のシートを使った方がいいでしょうかね?」と聞くと「蒸れるから家では使ってないのです。若し家族が希望して使用するならそれでもいいですよ」と言われた。

急いで母を居室につれて行った。
母の靴を脱がせるとポロポロとお菓子の紙が出てきた。
療法士さんが見えて 靴下を脱がせるとまた飴の紙が更に出てきた。
二人で笑ってしまった。
今日は 動く日のようでじっとしていなかった。
手をアチコチ動かしていた。

リハを終えてから…やっぱこっちでやるしかないんだなと覚悟を決めた。
その間に 母の着ていた洋服も洗面台で洗って干した。

こんな時に限って お財布を忘れるなんて…情けないなぁ〜。
母は施設で食事してもらい 急いで家に戻った。
陽射しが出てきたので ついでに洗濯物を外に干した。
昼食を摂って 他の用を足し防水シートとシーツも持参して 再度施設に向かった。

母の部屋はやっぱり臭かった。
居室にも何とかしないといけないなぁ〜。こういうのって 施設では当たり前の事なのだろうか?こみ上げる思いを堪えた。
やっぱり 限界かな?
排泄対策が思い浮かばない。。。

毛布と洗濯した物を持って 母とコインコインランドリーに出かけた。
実は毛布は土曜日に持ち帰り洗濯したばかりなのだ。
1週間の内に2度も。。。
洗濯しながら母におやつを食べてもらった。
茶を入れる時間もなかったのでジュースを2本買ってきた。
母は 機嫌が悪かった。
職員から「午後になると娘さんを探して機嫌が悪くなるのです」と言われた。でも 今日の母は私に対しても機嫌が悪い。
「いろいろ 言われて面倒。。。」と母は言っていた。
この言葉が何を意味するかわからない。
でも 今日は私も「顔を洗う事 歯を磨く事 トイレに行く事 頑張ってね」とさり気無く言った。これも機嫌を悪くさせた原因だろうと思う。
今の母にこういった記憶を強いる事は無理なのだ。
出来た事を褒める。。。それが母を安定させる事になると判っていても どうしてもカバーしきれない現実となってしまい 気持ちが焦るばかりである。在宅だったら こういう事はしないよおおお〜。

何とか洗濯を済ませたけれど 毛布に匂いが染み付いている。
やっぱ 家に持ち帰ってちゃんと洗濯して仕上げ剤を使わないと駄目なんだな。

敷き布団の上に防水シートを敷き それにカバーをかけて シーツを敷いてその上に更に防水シートを敷いた。
でもなぁ〜 根本的に布団が乾ききって居ないしにおうのだから 解決ではないのだ。
押入れに布団を入れるのも嫌になってしまった。
結局押し入れに匂いが篭り 他の衣類にも匂いが沁み付いていきそうだ。

とっても重たい気分で帰宅。

これまでは 汚れたパジャマが入っていてもこちらが洗濯したし シーツだって数回洗濯している。衛生上の対策は出来る限りとってきた。
コインランドリーで出会った知り合いが「えっ 施設で洗ってくれないの?」と聞いてきていた。答えようが無くて苦笑いを返しただけだった。
これまでの対策では追いついていかなくなるなぁ〜。

これから 暫く 朝にボランティアの人に入ってもらい洗濯を頼もうか…とも考え始めている。。。
どう考えたって このままでよい筈はないし…。

あっ やっぱ通院出来なかった。
後 行けるのは土曜日かぁ〜。
またぼやき日記だな。。。




2005年03月23日(水) あばばばっ…


 昨日の講演会で本間氏が「あなたは 施設で看取って貰いたいですか?」という質問をなさった。
介護関連の仕事をなさっている方も含めて「はい」と言う人はゼロだった。

講演の最後の方で同じ質問をした時パラパラと「はい」と言う人が出た。

これからの若い世代は 子供の世話にならないで施設入所…を望む人が増えてくるだろう…と言う予測を立てていらした。

でも 団塊の世代の多い参加者で既に介護を終えた人もいるのに 施設を希望しないと言うこの現実。
ほんとにそうなるだろうかと言う思いがある。
「おそらく止む無く入所と言うケースだろう」と想像する私が素直じゃないからなのだろうな。

施設の介護は間違いなく変わって行くだろう。変わらざろう得ないと思う。
どう変わるべきか…意見を発する事は自分のためでもあるんだろうな。

同じように認知症への理解も変わって行くだろう。
これは変わる必要があると思う。
団塊の世代が80歳以上になったら3人に1人は認知症になると言われている。避けて通れない程に増えてくるのである。
母を見ていても どんなになったとしても感情は残っているようだしなぁ〜。迷惑をかけずに生きていくのが理想だけれど 現実はそうも行かなくなるだろうしなぁ〜。
母との暮らしも そういう意味において大切にしていきたいと思う。
と言いながら 施設に託していると言う矛盾を抱えた儘の情けない私である。

講演会の講師にお礼のお便りを書きかけて仕上げられなかった。
講演会の報告を纏めようと思うだけで書き上げられなかった。
昨日 会に足を運んでくださった方から「これ 先日の報告…」と封筒を渡された。今日 それを開いて「アッ」と叫んでしまった。
「行きます」と言っていた会合をすっかり忘れていた。
読むまで気が付かなかった。
自分の頭の中では これからあるという認識だった。
こんな風に 何かと抜けてくる。。。
「報告有難う すっかり忘れてしまっていた」と言うと「お忙しくて急な用が出来たのでしょうと思っていました」と言われ暖かな配慮に恐縮してしまった。

ドジはこれからも増えるだろう。。。
ギャギャッ…これ以上の恥を晒し出す事は辞めたほうがいいみたいだワン!


2005年03月22日(火) 無事終了

 今日は家族の会主催の講演会。
「終の棲家の選び方」という演目で 
特養ホームを良くする市民の会の本間郁子氏からお話戴いた。
講演会には 介護家族 また 地域に暮らしている方 支援センターの職員
母が世話になっているグループホームの職員等が聞きに来てくださった。
全国の施設を見て廻り また 第三者評価もなさっておられ 介護される側の視点のお話は心打たれる事が多かった。
聞いていられる方も涙が出たと言う方も多かった。
会場も狭いため 少ない人数だったので もっと多くの人に聞いて貰うようにすればよかったと言われた。
初回なので そういう反省も含めて 次年度は広く告知して取り組もうと思った。

家族と支援センターと施設。。。それぞれ立場が違いながら同じお話を聞くという事は大切な事だと思う。
それが出来るこの町は 恵まれていると感じた。

講演が済んでの質問コーナーでも 率直な質問や意見が出た。
これは少人数ゆえの利点でも有ろうと思う。

その中で 現在の施設の職員の数と言う話題が挙がった。
きめ細かな介護を受けるためには 職員数の確保とその保障を高めるべきと言う物だ。
これは ネット上の介護関連のホームページでも再三 話題に上がる事だ。

本間氏もそれには同意。
そのために値上げになるのも仕方が無い。けれど 経済的に困難者を救い上げる事も必要で有るとも言われた。
更に介護士のレベルアップを図り その代わり義務違反が出た時は 免許取り消し措置もすべきと言う物だった。

また 施設に置ける看護士と介護士の給与の差も家族から質問が出た。
施設で働く場合の看護士は介護を学ぶ必要も有るのではないかという事で有る。

質問は大分長引いた。ひとつひとつの質問に丁寧に答えられた本間氏だった。

施設の介護・在宅サービスをよくするためには 家族の声を厚生労働省に届ける事が大事とも言われていた。


と言う訳で…特養ホームを良くする市民の会の集会の案内です。

日 時:平成17年4月5日(火) 18:30〜20:30
場 所:東京ウイメンズプラザ 第一会議室 A・B
     〒150-0001 渋谷区神宮前 5−53−67
           (渋谷国連大学隣)
講 師:厚生労働省老健局 総務課課長 山崎史郎氏
参加費:一般 \1,000 会員 \500

だそうです。
「厚生労働省の方も見えますので 直接意見をぶつけて下さい」と本間氏は話されていました。お近くの方 是非お出かけください。。。

さて 講演会が済んで片付けを済ませてから 母の罹り付け医に飛んだ。
薬が今日で終了で 明日通院と思ったら明日は定期休診日と気が付いたから。薬を受け取り施設に届けて家に戻ったら もう7時を回っていた。

夕食の支度を始めたら電話が鳴った。
隣の町の介護家族からだった。家族会に参加させてくださいという事だった。ひとしきり介護の話をして「4月の会には行きますので宜しく」という事だった。
仲間がまた1人増えるかな。
そして その地域に家族の会が出来ればいいな♪
その地域には 親しい人もいるので力になれる事も有るかも知れない♪

あ そうそう 講演会のお話で もうひとつ。
それは 支援センターの人が偉く感激してくださり「私たちも 本間さんのお話を聞く機会を作りたい」と言われた。
とっても 嬉しかった♪
そしてグーループホームの職員もすっかり感激なさって 今日聞かれなかった人に今日のお話を伝えて下さっていたという事だった。
これも 嬉しいことでした♪


2005年03月21日(月) 迷い込んだ道


 母の病と適度の距離を保っていた筈なのに…。
どうやら 感情の波に飲み込まれてしまってようだ。

昨日 綿飴を母の口にほおり込んだ。
それまで テーブルの上の綿飴の袋を幾度も手にして「わ・た・あ・め」と読んでいた。だから てっきり判っているのだろうと思った。
しかし 母にとって読み込みは 意味がない。。。
「綿飴」と読めても 食べられるものと言う繋がりが出来ないようだった。
ほおり込んだ綿飴は 口の中で溶ける前に押し出されてしまった。
それでも 甘さは残っていて感覚を思い起こすだろう…と期待したが駄目だった。一度「嫌」と思ってしまうとそれを取り消すのは容易でない。
お正月に耳で測る体温計で「痛い」と思い込んでしまったので耳で計る事が出来なくなった…あの現象である。
嫌いではない綿飴は 今回 母に味わってもらう事は出来なかった。

昼過ぎ 散歩に出る前にちょっと寂しそうな顔をして「また 一杯勉強しなくちゃならないの?」と言った。
我が家に来て施設に帰る感覚を思い起したようだ。
「今日はここに泊まるのよ♪」と言うとホッとした表情になった。

昨夜は パジャマを濡らす事無く過ごせた。
10過ぎに最終トイレ 午前1時にトイレ誘導。その時もぐっすり寝入っていて
目覚めて動いた形跡は全く無かった。オムツは濡れていたけれど 更にトイレで排尿できた。
午前4時 その時もぐっすり眠っていた。
オムツはかなりぐっしょりしていたが…漏れる事は無かった。
(但し これには多少の工夫がある。以前 書いただろうか? トレーニングパンツの中に尿漏れパット2枚を使用する。肌に付く方のパットに穴を開けて置くのが コツなのだ)
パジャマが濡れないので 母もぐっすり眠れたのだろう。
それと就寝時間は 施設よりずっと後の筈である。
それから更に6時半までまた寝入っていた。

7時過ぎに夫と3人で朝食。
ミルクティーとバターと柚子ジャムをたっぷり塗ったトーストとコーンと卵のバター炒めとトマトをアッと言う間に食べた。
食欲は十分有る。
後片付けも手伝ってもらう。

それから 母の教会にあてて手紙を書いて貰う。
文面を写すだけれど…。今までの母は ゆっくり丁寧に書いていたが…今日は せっかちだった。文字も幾度か間違えた。その度に消しゴムで消した。
そう 手紙は もう エンピツにして貰っている。

洗濯の間は 母にテーブルを拭いて貰った。
これは もう 大得意でエンドレスだ。だから 様子を見 声掛けしながら洗濯機と物干し場を行ったり来たりができた。

針仕事をしている間 母は新聞を読んでいた。
が時折テーブルの一点を見つめ寂しそうな顔をしていた。
「どうしたの?調子悪い?」と聞くと「何処も痛くない」と言うのみ。
それまでも 何か話し始めて 言葉を探し出せずに会話が途切れていた。
でもそんな事は 今までもあった事でそう珍しい事ではない。

お昼近くなって「何が食べたい?焼きそば?うどん?ご飯?」と聞いた。
母は考え込んだ。答えが出ないので再度「焼きそば?うどん?ご飯?」と。
すると母は思い出すように同じ言葉を反芻した。
ちゃんと反芻できて「3個くらいなら覚えていられるんだな」なんて妙に納得したのだが…。
実は 単語は反芻できても 具体的な物を思い浮かべられなかったようだった。「ご飯?」と聞くとコックリ頷いた。

お昼はご飯に決定。
生の梅干の紫蘇の葉を刻み炒りシラスとをご飯に混ぜた。
ミートボールを作った。きゅうりを大刻みにして味噌を置いた。
キャベツとオクラをさっと茹でて鰹節で和えた。トマトの櫛切りと味噌汁。
炒ったシラスを異物と間違えて口から出した。
「それはね シラスを炒った物よ」と言うと ちゃんと食べ始めた。

昼食もスムースに食べていた。が あと少しと言う所で急にペースが落ちた。
お腹を刺激したようだった。
幾度か俯き 声掛けを繰り返しているうちに治まったようでまた食べ始め終了した。

食後 母の教会のホームページを見せた。
画像を中心に見せた。教会堂や礼拝堂の写真にじっと見入っていた。
「判る?」と聞くとコクリと頷くが言葉が出ない。
話そうとするのだが…言葉が出なくて俯いて諦めてしまう。

「判らなくなるから 心配なの?」と聞くと「大丈夫 悪くなっても大丈夫って言ってくれたから…」覚えているんだなぁとつくづく感心した。
「お祈りするからね」といって母のために祈った。
「…いつも見守ってくださって有難うございます。今 思いだそうとしても思い出せなくてとても哀しい思いをしています。どうぞ 主の力でお支え下さい。喜びを持って過ごせるように導いてください…。 アーメン」祈り終えた時母は泣いていた。目に一杯涙を溜めていた。。

そうなのだ 母は言葉を発せ無い事に気が付いているのだ。母の言葉が更に狭まっている事に気が付いていて どうなっていくかがとても不安なのだ。
痴呆症も進行して 大分わからなくなっているからそういった事まで判らないだろうと思っていた事を悔いた。
さりとて それをどう食い止めれると言うのだ。
言葉を繋ぎとめるには 頻繁に会話するしか方策が見当たらない。
でも 質問すら理解できなくなっている母に。。。

そう考えるとどうにも堪らなくなってしまった。
距離を保っていた筈なのに…。
埋め切れそうにない現状を前に これから先が真っ暗闇のように思えてきてしまう。

いや 大丈夫 きっとまた 良い波も来るだろう。。
それを信じるしかないし それも受け容れながら できる事の喜びを見出していくしかない。
先の心配は 無用の不安を掻き立てるだけと判っているのに…時折迷い込んでしまう。。。


2005年03月20日(日) 母 お泊りの夜


昨夜 夫が「明日はおはぎだよね♪」と言った。
慌てて 小豆を仕込んだ。
今朝 もち米を研ぎ下準備をして母の所に向かった。

「今日は 外泊します」と職員に伝えると施設長が薬を持って来てくれた。先日 母がふらつきが有ると伝えていたので 経過観察報告をしてくれた。
午前中は未だいいけれど 午後に傾きが強くなってくるとそれぞれ報告があった事。昨日 私が来ないからと思われる泣き顔が見られましたとも。
日中は出来る限り1人にしないように心がけていますとも言われた。

これを受けて 今日1日 母の傾きを見ていた。
歩く時は 確かに多少の傾きは見られた。(今まで以上に)しかし 今日見る限り時間との関連は無かった。母は 10時を回って布団に入ったが傾きが酷くなる事は無かった。
ただ 立ち上がりや立っている時のふらつきは強い。
立ち上がって落ち着くまでは見守って居ないと心配。

もう少し 経過を見てみる事が必要みたいだ。
施設長は脳出血を思い出されていたようである。
母の脳出血は2月26日で 季節的には過ぎたと胸をなでおろしたばかりだったが…。やはり 注意しておく必要も有るだろうなぁ〜。
小さな脳梗塞を起こしている事も考えられる。
脳神経外科に行こうか悩む所である。

家に来るまではバスを乗り継いで来た。ステップの上がりも何とかできた。
しかし椅子に座ったりがのろい。「座って」の指示が理解できないように見えた。

家に着いたときは「初めてきた」と言っていたが母の定位置につくと「あ〜そうだ。ここに来た事があるな」と思い出せた時は嬉しかった。
お泊りは お正月以来だな。寒かったしなぁ〜。

お昼を食べてから 散歩に出た。
その前にトイレ誘導したのだが…ポロリと排便があって 更にいきんで貰おうと声を掛けマッサージしてみるけれど いきむ動作が出来なかった。
散歩は 家の周辺だが いつものコースの4分の3位でギブアップだった。
それでも着実に歩き頑張る意志もあった。
花に目が行く事は無かったが 行き交う人に対しての興味は強かった。

散歩から戻って夕食の支度に掛かる。
母にも手伝って貰うつもりだったが どうにも理解が出来ない。
布巾を洗って貰うつもりだったが ただお湯に浸けて絞るだけ。
無理だと判断して テーブルで塗り絵をして貰う。
これも一色塗りである。ただ線からはみ出す事も無くて これでOKとしておこうと思った。
塗り絵に集中する度合いは まだ良くて1時間近い間できていた。

ほんとは ゴマを擂ったり 豆をつぶしたり 炊き上がった米をつぶしたりを手伝って貰おうと思っていたのに…残念!
側でパタパタ動いていても何の興味も示す事は無かった。

手伝えたのは 最後の最後 ご飯を丸める所と餡で包む所だった。
おはぎは 小豆とズンダと胡麻の3種類だ。
外出は無理と思ったので少し気張った。

夫が早めに帰宅したので3人で夕食を囲む。
メインはおはぎだけれど…母の箸は筑前煮やカジキのタコソース炒めに向かった。「美味しい物は後に廻す」と言った風だ。

ようやくおはぎに箸を付けると…外側のあんこだけつつく。
夫が「可哀想だから もっと餡を足してあげて」と言うので少し足してあげるとまた餡だけつつく。
夫と二人で思わず笑ってしまった。母も釣られて笑う。
3回ほど足して上げた。

食後は後片付けをして貰う。食器はいつものように洗い終えたものを更に洗って貰う。すり鉢やお鍋は其の儘洗って貰った。
これは 上手に出来ていた。
少し遣り出せば 勘を取り戻すようである。

入浴前のトイレ誘導で 最後の踏ん張りをして貰った。
その前にも数回誘導しているが…うまく行かなかった。
いきみ方を思い出してもらうために 少しでもいきんだら褒め上げた。
2.30分トイレで格闘した。
「ごめんね」と母が言い出した。
「○○チャンの娘だから気兼ねなしよ♪が・ん・ば・れ・だ・い・す・き」と言うと「ごめんて言わないと…なんて言えば…」と言っていた。
もらす感覚も消えつつ有るけれど でも下の世話をかけているという意識が有るのだろう。この事に関しては 母を責めた事は一度も無いけれど…。
やはり申し訳ないという思いが強いのだと感じた。
うまく排便が出来て…頑張った甲斐があった。

入浴時は 一時「熱い!」と騒ぎそうになったが「勘弁ね」という声掛けで何とか凌げた。。。
浴槽に入ってしまえば「気持ちいい」に変わるとわかっているから そのための儀式みたいなものだと最近富に思う。
浴槽では歯を磨いて貰った。
これは 阿吽の呼吸みたいなものとなった。
口を濯ぐ時は コップに少量の水を入れ口に含んでもらいコップに出してもらう。それを捨ててゆすいでからまた水を含む…の繰り返し。

お風呂から上がった母は 2階に寝室に上がって直ぐにzzzz。

今は 体調が下降気味…注意していないと。
きっと また良くなる波が来ると信じている。
母の口から「頑張る」という事が出てくるもの…。


2005年03月19日(土) 春はそこまで…♪


利用者さん訪問。
大分お元気になられて大勢のお客様の対応も出来るようになっているようである。玄関には4.5名の来訪者が有ったと思われる形跡が…。
「お客様 大勢見えたのですね♪」「そうなのよ。でも疲れてしまって朝起きられなかったわ」と利用者さん。
それでも 訪問を始めた頃と比べれば随分変わられた。
訪問の回数も減ってきているし…。

訪問卒業が近いかな?

訪問卒業はややもすると入院と言うケースが多いのでお元気になられての卒業は大歓迎である。

今日は 母の所に行かなかった。
娘が出張だと言う。夕方少し前に家を出て行った。
世の中は3連休だけれど…我が家に休みは無いんだな♪

娘が出た後 鉢植えの整理をした。これまた一気にと言うわけには行かないのだが…。今年は冷え込みが厳しくて 寒さにやられてしまったものも多い。それと忙しさにかまけて また 寒くて外に出たくなくて 水遣りをしなかった事も影響している。
ミニバラは相当大きく育っていた。夜とう虫に葉っぱを食べられて駄目になりかけても何とか元気を取り戻したのに…今回は水遣りが足りなくて…。
よく見ると赤い新芽がポツポツあった。「これは助かるかも…」と一息ついた。木の鉢植えは もう少し様子を見るしかない。
落葉しているので 判断が難しい。
君子蘭は霜に当たって散々な状態。でも株分けした小さな方は未だ良い状態だった。シンビジュームは強い。花芽を日に日に膨らましている。
明日葉だって 元のものはとうに枯れたのに種が零れた分が新しい芽を出している。
鈴蘭は生きているのかなぁ〜。地上に葉っぱが見えないから…これも時待ちだなぁ〜。

室内のヒヤシンスは2度目の花を咲かせているが 外に置いた物がようやくつぼみが見えてきた。

もう少ししたらチュウリップも咲き出すだろう。
そうそう ミニ水仙も花を開かせている。

いよいよ 花咲く春が来るかな?
寒かった冬を乗り越えた植物たちから力を貰う日も近いだろうな♪



2005年03月18日(金) 手抜きのつけ…


利用者さん訪問
先日の落ち込みは解消されたようだった。
買い物のリストをチラシに印を付けられていた。
以前 日替わりの商品に印をつけて居られたので 今日は見直してみた。
やはり 日替わりの物に印が有ったので その旨を告げた。
指摘を受けて あまり気になさる風でなく「それなら それで他の物を見るから…」と言われた。
どうか 落ち込まないように…と願うのみだ。

買い物を済ませて 荷物をそれぞれの所に治めていると…。
「昨日ね ヘルパーさんがお掃除してくれたのだけれど…椅子やテーブルの下などかけてくれないのよ。だから『椅子の下も御願い』と言ったの。
それで やって貰ったけれど…。洗濯物だって ちゃんと干してくれなくて…だから他の用を頼んでいない時に干しなおしたのよ」と苦情を言われた。
私が直接見た訳でないので 何とも言えなくて…。「そうでしたか。時にはきちんとして欲しい事を伝える事も大事ですね♪」と応えた。

ヘルパーさんが入るのは2時間の筈で仕事の中味は 買い物同行がない分時間にゆとりが有ると思うのだが…。
これは 利用者さんに合わせないで 自分流に仕事をしているということなのかなぁ〜。
さて どうしたものかなぁ〜。

実は 私の事もヘルパーさんに 言われているかな?
少し ケアマネさんに確認してみようかな?

活動を終えて 我が家に戻り久々にお掃除した。
何せ 埃が目に付いて気持ちが悪くなっていた。
訪問では お掃除するけれど我が家の分は いつも後廻しとなっていた。
掃除機かけて 拭き掃除をして…。ついでに靴磨き。。。
サッと汚れを拭いた後 ホホバオイルのしみこんだ布で磨いた。
ブーツだって 皮のスニーカーだってみんなピカピカになった。
母の靴も。。。
冬の間 掃いていた靴がつま先とかかとの部分が擦れて剥げてきている。
形の崩れは無いので 未だ十分履けるのだけれど…ここいらで靴屋さんに修理に出した方がよさそうだ。
そのために 別の靴を出しておかないと…。

お掃除の後 門前のお掃除。
大分手抜きをして来たので 丁寧に掃いて鉢植えの枯れた葉を取り除いた。
今 門前には 白とピンクのプリムラが花を咲かせている。
全て昨年 種が零れて自然に芽が出て花が咲いている。
今日見たら 日当たりの悪い場所にも花が咲きかけていた。
強い植物だと思う。

こんな風に書くと大層綺麗になったように感じるかも知れないが…手抜きの日々は一日や二日で綺麗になるほど甘くない。
ちょっと情け無いけれど…現状維持のためのお掃除みたいだな…。


2005年03月17日(木) 気を使わせているかな?


 リハビリの日なので急いで母の所に向かった。
母は朝食を終えるギリギリの所だった。
食後直ぐにトイレ誘導した。髪が撥ねていて口の周りが汚れていたので顔を拭いてもらい 髪の毛を梳かした。

何となく眠そうで動きが重いなと感じた。
トイレ誘導でも感じたが 母の歩行が不安定でそのためにアチコチに触れてしまうようだ。
この所 歩くのが億劫そうに感じたのは 体が不安体だからだったとようやく気が付いた。
1人で歩くと結構ふらつきがある。
だから 昨日もエレベーターから出る時に いつまでもドアのところに手をかけていたのだろう。
自分がボーッとしていてそういう母の様子まで感じ取れなかったんだと思った。

療法士さんが見えて リハビリが始まると直ぐに母は高い鼾をかいて寝入ってしまった。朝早く目覚めたのかな?それとも夜 眠れなかったかな?

リハを終えても未だ寝入る母だったので 体調を崩している方のお部屋にお見舞いに出かけた。
「こんにちは♪ 早く元気になってよね♪ 調子はどうですか?」と聞くとニコニコ笑って「そうね 元気にならないとね」と言われた。
少しずつ 元気を取り戻されている様子にちょっと安心した。
だって 明後日には89歳のお誕生日なのですもの。

居室に戻っても未だ眠っていた母。
ロッカーの中を整理していると目覚めた。
「お出かけするからね」と言うと起き上がった。

バスを乗り継いで家に戻る途中から雨の降りが強くなった。
家の近くでバスを降りてから 私の綿のマフラーで母にホッカムリして貰った。いくら春雨でも濡れる訳には行かないもの…。

家について椅子に座った時「おかちゃん ごめん」と言った。
「どうして ごめんなの?何か悪い事でもしたの?」と聞くと「悪い事はしていないけれど…でも こんなに…」と目を潤ませた。
そうか…「おかちゃん ごめん」と言っていたのは世話をかけるという意味もあったのだなぁ〜。
こちらもウルッと来てしまって「大好きだから…何でも無いよ」とギュッと抱きしめた。

昼食を摂り フルーツを食べて 更におやつまで…。
その後 入浴した。「熱い」と言われたが何とか乗り切った。
足元が不安定なので すのこにタオルを敷いて滑らないように注意を払った。身体を拭いていると「ありがとう」と言ってきた。
今日は随分 気を使っているんだなぁ〜。

施設への帰り道は バスターミナルまで歩いた。
少し 私に身を任せる風だった。それでも まぼろしの…♪と唄いながら息が切れるなぁ〜 声が出ないなぁ〜と言いながらも歩き通せた。

施設に付いて塗り絵をして貰った。
先日 新聞のチラシに「チビまるこちゃん」の塗り絵があったので切り取ってコピーしたのだ。
母は「わぁ〜 可愛い! 面白いね」と絵に見入っていた。
良かった 興味を示して貰えて…♪


2005年03月16日(水) あ”!! やっちゃった…


 母の所に出向く。
エレベーターに乗り込もうとすると 職員が「今日は業者さんが入ってお掃除しているので別のフロアにいます」と言われた。
母は違うフロアで椅子に座って職員とお話していた。
「午前中 他のフロアの方が見えて昼食を食べなくて 後から食べました」と言われた。普段と違うリズムだったからと思いますとも言われた。

お腹が少し痛むようだったのでそのせいなのかもしれない。

暫く職員を交えて母ともう1人の入所者と談笑。

掃除が終わって エレベーターでフロアに戻った時 全員エレベーターから降りてドアが閉まった時「痛い」と言う母の声がした。
見るとエレベーターに指が挟まっていた。
キャー。。。側にいる職員に伝えてからドアを開いた。
母は例によって 何処かしこに手をかけるのでドアから手が離れないうちにドアが閉まったのだ。
丁度母の姿が前に有って手が見えなかったのだ。
幸いゆっくりとドアが閉まったので大事には到らなかったが指にはくっきり挟まった跡が付いていた。
急ぎ居室に戻り湿布薬を貼っていると 職員も湿布薬を持って来てくれた。
バンソウコが無いのでお借りした。
指をグーパーして貰うと普通に動かせた。
今は良くても後で腫れない事を祈るのみ。
私の不注意猛反省だ。

今日は とっても暖かく散歩日和だ。明日には雨が降るという事なのでお散歩は今日の内に…と思った。
歩き出すが今日の母は 頭の回転がスローモーションである。
質問にも応えにくそうで上の空風である。

途中公園のベンチに座っておやつタイム。バナナとゼリーとレモンティー。
ゼリーとレモンティーだけ美味しいといった。
美味しいと言えるからまだ良いかと1人納得した。
「歩く?」と聞くと「うん」という事だったので更に歩いた。
が途中薬局に寄るころには 疲れてしまったようで体がどんどん傾いてきて私に体を預けて来るほどとなった。「大丈夫だけれど 疲れたな」と言うので施設に戻った。
この所 歩くと大分疲れるのが見える。
一時的な事だと良いのだけれど…。
もやっとしている日は どうも足腰も疲れやすいような気がする。

施設に戻ってから施設のおやつを戴く。
食欲は有るようである。

指の様子を見ると 一本指だけ少し痛そうだったが 特に腫れている様子もないので湿布は一本の指だけにした。
外しても良くないの指用のネット包帯をしてあげた。

色画用紙に顔の輪郭を描いてあげ「目鼻を描いて…」と言ったら髪の毛を足し始めた。その間に施設を後にした。
急に気温が上がったせいだろう。。。私もボンヤリとしている。


2005年03月15日(火) ひゃー 卒業シーズンなんだね


 頼まれ事があって 久しぶりにラッシュの電車に乗った。
と言っても ピークを少し外した時間なのだが…。

人込みを避けるように 袴姿の女子大生と思しき方が目に入った。
3月も中旬だからなぁ〜と改めて季節を感じた。

ターミナル駅に着いても地下鉄に乗り換えても やっぱり ポツリポツリとはかま姿のお嬢さんがいた。

朝は 親子連れは見かけなかったけれど 帰りの道では母子連れを大分見かけた。

娘の卒業から もう4年も経ってしまったのだなと思った。

有るホームページで「なるほど…そうだわね」と感じた事が有る。
中高年に人気の高かったNHKの番組に「プロジェクトX」があった。
それが好きでない。ついでに中島みゆきも好きじゃないと…。
私自身は嫌いという事も無く「凄いなぁ〜。みゆき節もいいじゃない…」と思っていたので正直少し驚いた。
でも そういう人がいて 当たり前なのだ。
特に疑問も感じないで 現状に流され感覚で生きている部分が私にはあると認識した。
ともすると 自分の持っている情報が偏ってしまう事がある。
ひとつの事を多方面から考えてみる事が大事なのだろうな教えられた。

昨夜 どのラジオ番組か忘れたが「卵の値段から考える」…と始まり 物の値段からインフレの話題に移った。マスコミでは「インフレ」と流しているから人々は株などをして現金を溜め込む方に流れているけれど 実はこういう時に得てして「不動産の高騰」という事も有り得る話で…という話だった。

大川興業の阿曽山大噴火は法廷の傍聴を続けている。
私たちが もうすっかり忘れかけている事件なども今の法廷では裁判が繰り広がれている。
ラジオで時折レポート報告しているのを聞いて「あ〜あったね。そうだね」と思い出させて貰う。
裁判の過程で真実が見えたり…もある。
その時の話題でワッと盛り上がり 後は忘れる…そんな自分がいるなと教えられる。

世の中は 勢いで流れているように感じるこのごろ。でも立ち止まって考えたり 全く違う方向から考えて見たり…そんな情報整理をしてみる事も大事かなと思う。
一所に留まっていると 其処だけが絶対と固まっていきそうで 私は怖いのだ。







2005年03月14日(月) 迷った挙句…


 利用者さんを訪問した。
家に入った時 焦げ臭い匂いがしたので 何となく気になった。
キッチンをさり気無く見たけれど特に変わりなかった。

「今日はね 何もしなくて良いの。。。教えて欲しい事が有るのよ。。。」
「洗濯は?」「昨日 全部洗ったから大丈夫です」

「デイでね こんな事やっていたのだけれど…出来ないのよ。みんな できるのに…最後くらい合わせ様と思うけれど…それもね…」
と片手の親指を折り曲げ それから順番に両手の指を折り曲げていくと言う動作をして見せた。
とても早い動作である。「何とかしなくちゃ」と焦って居られるのが手に取るように判った。
「ゆっくりしてみましょう」と向き合って同じ事をした。
けれど 先に先にと急ぐ利用者さんは 中指から薬指にかかりだすと両手を握ったり開いたり…で混乱してしまう。
気分を替え様と思ったけれど 利用者さんの姿は必死な姿に抗す事は出来なかった。

ふと 母の事を思った。
何かがおかしい…それを言い表せないけれど 何かが起きるかも知れない…と思い始めたころの事である。
ボケてない事の確かめ作業…とでも言うのだろうか?

「森 光子さんは 私よりひとつ下なの。あの方 でんぐり返しも出来るし…。普段訓練なさっているのだろうから 同じと言う訳には行かないけれど これくらいはねぇ〜」と利用者さんが言われた。 

「ゆっくりね。心臓の音にあわせるつもりでね。ゆっくり取り組めばきっと出来ますよ」と繰り返し伝えた。

30分ほどして ようやく成功した。
いや 正確には 両を同時に順番に折っていく事に切り替え それが出来たという事である。
「ほおら ちゃんと出来ますね。今度は 自分で号令かけてください。私も追いかけて行きますから…」

こうして 成功する確率が高くなってきた。
けれど「大丈夫」と言う所までは 行っていない。

「何故急に 気になったのだろう?」と考えているうちに 思い当たった。
明日は デイがある。
また 人前でできない事を思い知る事が嫌なのだなと感じた。
だから「デイのお仲間は 一回りもお若くて 比較したら辛くなりますよ」と言葉を添えた。
すると…。
「そうねぇ。同じくらいの方は『これは 出来ない』と言われてやらないわねぇ〜」と言われた。
「少しずつ動かしていけば きっと出来るようになりますよ」と言うと「そうかしらね。そうよね」と納得なされた。

その後 「オーブンレンジの使い方をゆっくり教えて下さい。金曜日に教えてもらったけれど…曖昧だったから 焦がしてしまったの」と言われた。
焦げたにおいの原因が判りホッとした。
ゆっくりと教えて 利用者さんにおさらいして貰った。

その間にも 先日の銀行の失敗の話しも加えて話された。

「ひょっとして この所眠れないのじゃないですか?」と聞いてみた。
「よく判ったわね。そうなの あれこれ失敗続きで 考えると眠れなくなってしまって…」
「心配性も過ぎると 余計混乱して出来なくなる事が多いから…考えすぎない事も大事と思いますよ」とお話した。

その後 僅かに残った時間で お買い物に出た。
いつも行くスーパーだけれど 買い物が済んだ後 少し違う方向に歩き始めた。すこし急いで遠回りして 利用者さんの先に行き「こちらから行きませんか?」と言うと「そうね」と言いながら「こっちだったわね」と気がつかれた様子だった。

帰路 いろいろ考えた。
まだまだ 一人暮らしは可能である。けれど この時期に脳の診察を受けられた方が良いのじゃないか…。
ご家族も これからの事をゆっくり考えて 良い方法が探せるのではないか…と思った。
まだ 認知症と決まった訳ではないし 落ち着けばまたちゃんとして来るかもしれない。

さてどう伝えようかと迷った挙句に…。
事業所に報告した。
今すぐ困る事はないと思うけれど 徐々に移行したほうがベストかもしれない事。3.4年かけながら 介護の方法を考えられた方がご家族にとっても良いと思う。くれぐれも 本人に「出来なくなった」と告げずに 方策を考える程度に…。と。

うまく伝わってくれる事を祈るのみである。

午後 母のところに出向いた。
今日も掃除機を使って掃除してもらった。もう1人の利用者さんにも御願いをして手伝って貰った。
ニコニコしながらお掃除してくれた。
運んだおやつを食べお茶を飲んでから 散歩に出た。
風が冷たいので沢山着込んで貰ったら「ゴロゴロすよ」と言われた。
「ごめん 寒いから我慢してね」と言うと「うん」と納得してくれた。

母の足取りは安定していた。
凸凹も視野に入れて 予測して歩けた。
良い時有り 悪い時ありだとつくづく思う。



 


2005年03月13日(日) 焦ってしまうと…


講演会の準備で 講師からプロジェクターとスクリーンの依頼を受けた。
少し 慌てた。
会場準備に助言くださった所に問い合わせてみると それは公民館に願い出る必要が有るという事だった。
仕方がないので 公民館に出かけて聞いてみた。
受け付けた方は使う部屋の機具一覧表を見て「そこには プロジェクターはありません」と言われた。
「どうしよう」としばし絶句してしまった。
でも 其処になくても何処かには有るという事だと思い直して…。
「当日 他の所でプロジェクターの使用願いでているんですか?使わないとしたら それをお借りする事は出来ないのですか?」と聞いてみた。
「わかりませんので課長に聞いてみます」と聞きに行ってくれた。

ジャジャーン♪
使う部屋にはプロジェクターは有るという事だった。
で 課長曰く「使用願いを出してください」と。
「それをするために来たのに そちらがないというから…」と言おうと思ったけれど あればそれでよいのだから黙って書類に書き入れた。
また 課長とやらが言った。
「プロジェクターは 有るけれど 使う時はこちらはノータッチですから…」と言われた。
「…はぁ〜はい…」
なんだか変だ。聞きたい事は有るけれど…どうも聞き難い…。
「有難うございました」とお礼を言いながら家に戻った。

それから 慌てて講師の所にプロジェクターを自分で使えるか確認した。
本人は不在で「いつも持って行くので 使えると思います」と言われた。
そうだ 昨年講演会を開いた方なら分るだろう…と電話した。
「いや こっちは 役所の人が付いてくれたから…」と言うではないか!
こりゃ 大変かも…と焦りながら 会場準備に助言くださった所に再度電話をした。「プロジェクターの使い方 分りません…。使い方分りますか?」と聞いてみた。
「有る程度分ります。当日は 自分も聞いてみたいのでお手伝いします」と言って貰えた。やっと一息ついた。
「公民館では 自分たちでやってくださいと言われて 焦ってしまいました」と言うと「誰でも最初は使い方 分りませんから使い方の説明はしなければなりませんよ」と言われた。

ようやく冷静になれた。
自分の知らない機械だから オタオタしてしまったんだなぁ〜。

そうなのだ。
先ず機具が有るのにないと言い切った人。
機具は貸し出すけれど のタッチですから…と言った課長

あの言い方だとどうにも上からの貸し出してやる…と言う言い方だったな。

「あ間違いました。ごめんなさいね」とか
「機械は貸すけれど使い方分りますか?当日は立ち会えませんが 使い方は説明しますよ」とか言い様が有るのじゃないかな?

自分の慌てぶりにも困ったものだ。
きっと 住民の中には自分たちで使いきれずに約束を破って自分たちでしない人も多いから そういう言葉が出たのかも知れない。
 
それでも 地域によって 立ち会ってくれる所も有るのだからなぁ〜。
家の地域は 不親切かな?いや 頭の体操をした方が老化防止になるという親切心があったのかも…。

先日の中津川の事件の続報
これも考えさせられた。





  


2005年03月12日(土) 切り紙

 午前中 娘と話しこんだ。
娘とは実にいろんな事を話す。
介護関連の話しになった時 会社でふとした事から祖母の話しになり 当然認知症の事にも及んだらしい。
娘が「○○ちゃん」と祖母の事を言った時に複数の方から「それは おばあちゃんをバカにしているんじゃないの」と言われたらしい。
娘がいくら違うと言っても無駄だったという事だった。

確かに 私自身も 始めは 母を名前で呼ぶ事に抵抗があった。
でも「おばあちゃん」で反応しなくなる事が出てきて「○○ちゃん」には反応したりで…特に嫌がらないので流れに任せてそう呼ぶようになった。

我が家では「おばあちゃん」はもう死語に近い。

しかし 軽んじている訳ではない。
むしろ 尊敬の思いを込めて「○○ちゃん」であり 今を同じように生きて行く仲間として「○○ちゃん」である。

母は 言葉遣いには厳しい人だったから 病にならなかったら怒るかも知れない。

「○○ちゃん」と呼ぶ事が良いか悪いか…は分らない。
苗字は変わるけれど 名前は変わらない。だから 受け容れやすいのかも知れない。。。

午後 母の所に出向く。
母はソファーに座って歌詞を読んでいた。その少し前までは 歌ってもいたらしい。穏やかな表情だった。
「隣に座って」と言う仕草をしたが 持ち込んだ物の整理を先に済ませ 母を居室に呼びトイレに誘導。
下着を替えて 清拭をしたらどうやら便が出そうな感じだったので 数回いきんでもらう。その内に自力でいきむようになり 排泄完了。
職員に報告すると6日目ですねと言っていた。
という事は 先週の土曜日に私が排泄させて以来かぁ〜。

その後 少しお茶を飲んでから散歩に出た。
来た時には 寒くはなかったのに 外はお日様もかげり 風も強まり寒かった。「雨でも降るのかしら…」と言う言葉を聞き 自然から感じ取って予想できるんだなと思った。
何でもかんでも 分らなくなって行くような錯覚に陥るが 残っている能力はまだまだあると分り 嬉しくなった。

パタパタと急ぎ足で歩いてみたけれど 母のホッペは冷たくなった。胸から腰にかけて風が抜けるようで「ここが寒い」と訴えてきたので 散歩を切り上げた。施設に付いた時職員が出迎えてくれた。
「寒かったので 早めに引き上げました」と言ったら 職員が母のホッペにホッペをくっつけ「わ ほんとに冷たいね」と。
私も最近 他の入所者にそういった事をするけれど…職員までそうしてくださる事に嬉しくなった。

実は今入所者のお1人が寝込んで居られる。
食事も出来ないので点滴をしている。幸い針を抜く事はないが 目が離せないのである。手を動かさないようにいろいろ工夫を重ねていらした。
そのひとつがソックスを握らせる事だった。それでは あまりに殺風景だったので「ぬいぐるみはどうでしょう?持ってきますね」といって母の居室から彼女の好きな猫ロボを運んだら…施設のぬいぐるみを2個腕にのせていた。話を聞き入れてくださった事が嬉しかった。
猫ロボを枕元に置いてその場を離れたら…更に猫ロボも上手に使って動かさない工夫を重ねていた。

こういう場面が多くなった。
いろんな壁があったけれど…その壁もだんだん低くなってきているような気がする。

職員が出してくれた熱いお茶を飲んで 身体を温めてから 母と何か出来ないかな…と思って棚を見ていたら…12月に百均で買ったミニ色画用紙が見つかった。それにチューリップの花を描き 鋏で切り取って貰った。
3色のチューリップを何とか切り抜けたので それを居室のドアに貼り付けた。「これはなぁ〜に?」と聞くと「チューリップ」と言えた。

残った色画用紙を組み合わせていろいろな事を始めた母。
それを見た職員が見やすいように…と白い紙を準備してくれた。
母の創作活動が久々に見られた。
母の後ろで職員に手を合わせ「宜しく御願いします」と言い施設を後にした。

外を吹く風は冷たいけれど 施設の中を吹く風は暖かだった。












2005年03月11日(金) アンバランス

 気持ちは軽やかな春。。。でも身体は 重たい冬だ。
逆に身体は軽やかなのに 気持ちが沈み込む時もある。
こういうギャップが春先に出てしまう。
花芽や新芽が膨らみはじめる季節に始まる。

利用者さんも 似たような状態だったのかも知れない。
「ラップの使い方 見ていてください」と言われた。
いつも 何の気なしに使っているのにどうしたのだろう…と思った。
右手にラップの切れ端を丸めて持ち 左手にはラップの箱。
箱が変わったら 切れなくなったようだ。
昨日 ヘルパーさんに「ラップ」の買い物を頼まれた様子だった。
その時に「どういうラップにしますか?」と聞かれ「普通のラップだけれど他にどんなラップが有るの?」と質問なさったようだ。
「簡単に切れるラップが出来たんですよ」と言われ「それじゃ それに…」という事になったらしい。
所がこのラップが利用者さんにとっては使いにくく 今までどうやって切っていたかを忘れられた様子だった。
ラップの箱には 丁寧に親指の押える場所等が記されていた。
この丁寧さに利用者さんは いつもの事を忘れてしまったのだろう。
利用者さんに説明しながら いつも自分がどうやっていたか…を思い出してみる事となった。もう 毎日の生活にしみこんでしまい 切る事を意識しては居ないのだ。。。

もうひとつは オーブンレンジの使い方。
今まで 何の苦労もなく使えていたのに きっといろんな落ち込みに気が滅入ってしまって自信をなくされていらしたのだろう。
オートのオーブンの使い方を忘れてしまわれていらした。
ゆっくりと使い方を伝えて 更にご自分で操作していただく。
「あ〜 そうだったわ」と思い出された御様子だった。
これだって あまりにも多機能になりすぎているのだ。

小さな親切 大きなお世話…そんな気持ちになってしまった。

また 銀行に行かれて 暗証番号は覚えているけれ数字の入力の仕方を忘れてしまい 往生したとも言われていた。
銀行の人に使い方を教えて貰って 何とかなったけれど…。
入院時等は ご家族にお金を下ろして貰ったし 下ろしてもらう事自体は気にならないらしい。けれど 機械操作を忘れたと言ったら 家族から何を言われるか分ったものでないしね。
今度 分らなくなったら銀行の人に聞くようにするわと言われていた。

こういう感覚 若い人に理解できるだろうか?
おそらく ひとつ困った事が起きるとまるで全ての事が出来なくなったように思われてしまう事が苦痛なのだろうと思う。
残っている能力を上手に使って行く努力も実は大切な事なのだろうと感じる。

デイに行かれて 皆さんが 細かい仕事をなさって 自分は出来ない…そのギャップに多少不安も覚えておられる。
でも お仲間がフォローに回ってくれているようである。
自分の失敗を話すと似たような事があってねと話してくれて できない所は上手にカバーしてくださる様子だった。
「普通はね こういう時 家に篭ってしまうようになるのよね。でも みんな上手に励ましてくれるし 出るように心がけないとね…」と前向きに話してくださった。

年を重ねてくると こういった出来事が多くなってくるのだろう事はわかる。なぜなら 利用者さんよりもずっと若い私にも 似たような事が起こりつつ有るから…。
そして 忘れてしまう事を素直に話せなくなる心境も理解できてきた。。。

こうやって 訪問時に いろんな事を学ばせて貰える。。。

肉体と精神のアンバランスな時期。
自然の力を借りながら そしていろんな人と支えあいながら乗り切って行く事になるのだろう。。。


2005年03月10日(木) 駄目な親だね♪


 母のリハビリを受けた後 我が家に向かった。
途中 バスを乗り継ぐまで 時間が少し出来たので久々にデパートに寄ってみた。何せ89歳のお誕生日が近くなっている。。。

大した事も出来ないけれど 季節の変わり目だし…やっぱり靴か洋服をお祝いの品にするしかないだろう。

母は この所自分の洋服と言う意識が高くなっている。
以前 母が衣類を「私のではない」と脱ぎ捨てて行ったのは「一緒に買ったでしょ」と言い切られる辛さがそういう行為に走らせたのであって 記憶の欠落ではなかったのかも知れない…と感じたりする。
双方の焦りや意地が悪循環を起してしまったのではなかったのかと言う思いに突き当たるのである。
いや これは 私と母の間の事であって他の人に当てはまるかは わからない。悲しい事だけれど 母の病は進行して 言っても始まらない現状であり母の全てを受け容れるしか方策がなくなっているので焦りや意地が随分減ったのだろう。だから 母の内面も穏やかになってきて「わかる 分らない」を自然に考えられるようになってきているのかも知れない。

デパートを回った後 バスに乗って我が家へ。。。
一緒に昼食を摂った。母は おかずだけ先に食べていく。
「このままじゃ ごはんと味噌汁だけになってしまうな」と思ったけれど静止する気持ちになれなかった。
ここは家だから 漬物や佃煮等有るから…いかようにでも対応できる物…。
しかし よく食べる 食前にタンカン1個。味噌汁。南瓜とサツマイモのコロッケ。ほうれん草のお浸し。かぶときゅうりとオリーブのサラダ。ひじきの煮つけ。それらを先に食べて ご飯が半量残った。
「ねぇ〜」と言いながら青唐辛子の味噌漬けを細かく刻んだ物をご飯に混ぜ込む。「からいよ」と言うと「辛いねぇ〜」と言いながらも食べていた。

その後 暫くして…「チョコ食べる?」と聞くとふふふと言う顔をしながら「チョコ 食べるよ」と言う。ほんの少し上げた。あまりにおいしそうだったのでケーキを出すとチョコを休止してケーキを食べた。
ケーキと言っても家で作ったもので少しだけ切ってあげたのだ。
お茶入らないと言いながら出すとしっかり飲んでいた。
「もう 満腹でしょ」と言うとニコニコしていた。

その後 お風呂に入った。
入浴前 トイレ誘導したのだが…出なかった。が 着替えを始めてパンツを脱ぎ終えてた時始まってしまった。
全く 緊急事態となった。母も止める術を知らず私も言葉を失った。目の前で展開する事態を二人で顔を見合わせながら過ごしてしまった。
今 思えば止める術を伝える良い機会だったのだ。
「ギュッと締めて!」といえる良い機会だったのに…。
結構 量が多かったのだ。
残念ながら 母に羞恥心はなかった。其処が救いでもあったわけだが…。

洗髪し身体を洗って浴槽に入った。

入浴後は手足の爪切り。特に痛がる様子もなく助かった。

おもむろに駅に向かった。
その途中に「○○ちゃんの子供は何人だったかなぁ〜」と聞いてみた。
「ふたりよ」
「へぇ〜。名前は なんて言ったかしら?」
「…」沈黙後「忘れちゃった。駄目な親だね」と笑った。
自分が子供を産んだ記憶は有るんだなぁ〜。
二人の名前を告げると「そうだった」と言う。
「可愛いでしょ」と言うと「うん」と言う。
「素敵な息子さんだから 褒めてあげなくてはね」と言うと…。
「いや…。駄目だって教えてあげないと…」
「だって 二人ともいい息子さんでしょ」
「いや…駄目なんだ」
「じゃ こらこらって怒れば良いの?」「そうだね」
こんな具合だ。
母が何を基準としてそう言ったのかは 分らない。
でも「娘の○○さんは…?」と聞くと「あの子は何も言わないから…」
「怒った方がいいかな?」「いや 黙っている子だから…怒らないでもいいんだ」
母にとって私は従妹であり 娘と言う存在ではない。
それでも 何処かで従妹と娘が溶け合っていて 多少の遠慮があったのかも知れない。

ついでに父の事も聞いてみた。
「○×さんは 何処にいるの?」「ふるさとだよ」
「○×さんと結婚して幸せ?」「うん。幸せだよ」
「良い人とめぐり合えて 良かったね」「うん 大事な人だ。優しい人だ」

久しぶりに家族の話をした。
母の記憶は曖昧だけれど…それでも家族の名前を出してあげるととても穏やかになって行くのが見えた。

それでいいんだよね。お父さん!


2005年03月09日(水) パーマをかけて…


 自分の用で母の所に向かうスタートが遅れた。
昼食は抜いて母の所に向かった。
施設では 職員とテーブルを囲み食事中だった。
ニコニコしている母を見てから 居室に入り少し整理した。

母に向けて職員が声がけしていたので いる時くらい見守ろうと母の側に座った。
母は 相変わらずニコニコと機嫌が良い。
すると 最高齢者の方が「あんなに穏やかで過ごして 娘さんも良い方なのに…どうして私に罵声を発するのでしょうね」と話されていた。
「やはり 迷惑な存在か?」とチクリと胸が痛む。
直ぐ側にいる方が「さっきまで 泣いていたんですよ。娘さんの顔を見たら笑顔になった」と話してくれた。そういえば 目の周りが少し赤いね。
「母は 昔から泣き虫だったのですよ」と言うと笑っていらした。
母は自分の事について話していると視線で感じたようで「私の事 話しているのでしょ」と嫌がった。
「○○ちゃん 可愛いって!嬉しいね」と言うとそれだけで多少改善された様子だった。
職員が「おつゆ飲んでね」と声をかけてくれたら「美味しくないのよ」とはっきり言った。冷や汗が出た。
そういえば この所率直に物を言う時が多いかな?危ないなぁ〜。

今日は美容院に行く予定なので 食後直ぐトイレ誘導。
トイレに入ると条件反射のようにズボンに手をかけて下げようとした。
「ほほぉ〜」と見守ってみたが 結局下着まで下げ切れなかった。
どうも下着を下げる事に羞恥心が働くようである。
トイレと言う認識が足りないように感じた。

外に出ても母のにこやかさは変わらなかった。
バスが見えたので小走りになったが 母も頑張った。
バスに乗れると分った時「間に合った」と言っていた。
こういう時の感覚は表現できるんだなぁ〜。

「今日は 髪結いさんに行くけど いいかな?」と聞くと 分ったようにニッコリとした。ちゃんと認識できているという笑い顔だった。
美容院に入って「こんにちは♪」と挨拶できた。
これだけ調子よければ パーマも平気そうなのでかけてもらう事にした。
暮れにかけた時は シャンプー台に寝て椅子を高く上げると非常に怖がったり薬を嫌がったりだったのでフォローが必要だろうと思っていた。
が 今日は 落ち着いていた。
母自身が「綺麗になる」という事を意識しているように見えた。
良い時も有れば悪い時も有るのだと また感じた。
諦めない事、決め付けない事が大切なのだろう。。。
しかし一気に悪くなると どうにも諦めが先に立ってしまう。。。
見極めるって ホントに難しいなぁ〜。

最後の最後まで 母は落ち着いていた。
パーマ液の定着の時間には お茶や飴を渡した。
おやつと言うほどの量は渡さなかったので 美容院をでて ちょっとだけおやつを食べてもらった。紅茶を飲ませたが「美味しくない」と少しだけしか飲まなかった。
今日は「美味しくない」が良く出るなぁ〜。

こういう日は被害妄想も多くなるかな?と思っていたら案の定帰路の道すがら 始まった。バスに乗ろうとしたら「あの人 追いかけてくる」「あの人こっちをみている…」と嫌がった。

施設に戻って居室に入ると またもや嫌な顔。。。
「…この宿屋に泊まるの…」思っている言葉を使えないもどかしさが有るような言い方だった。
「…ここに泊まるの…」と幾度も言いかけた。
言いたい事は伝わってくる。
「じゃ 今日は家に泊まろう!」と言い出せない後味の悪さ。。。

「ごめん 明日までに しなければならない事が有るんだ…」と心の中で謝った。親不孝な娘である。


2005年03月08日(火) 纏まりませんが とりあえず更新

 
 利用者さん訪問。
3月に入って 初訪問である。
「昨日は1日疲れてグッタリだったけれど…今日は疲れが取れたような気がする。年を取ると数日置いてから疲れが出るってホントね」と言われた。
それでも 初めて訪問した時と比べれば 大分快復しているなぁ〜と感じる。「疲れた」と言われながらも 今日は洗濯物を自力で干して 庭に出て植物たちにお水をあげていらした。
ちょっと お休みすると どれ程の速さで仕事をしていたかと言う感覚を失っていて…後半 慌ててしまった。

昨夜 娘が帰宅途中で気分が悪くなり電車を諦めてタクシーで帰宅した。
いつもは 駅まで車で出かけていて どんなに遅くともタクシーで駐車場に向かわせて自分の車に乗って帰宅するのだが…。
昨夜は タクシー直行だった。
今朝も調子が戻らず休んだ。
私が家に戻った時 娘もようやく起き出してきた。
「あ グラジオラスがいいね」「!!★?」
テーブルの上には ヒヤシンスをコップに挿していた。
水栽培で育てて 重くなって倒れそうなので切花にしたのだった。
「あのねぇ〜。グラジオラスって?これはヒヤシンスよ。グラジオラスってもっと茎が長くて…咲く時期も違うでしょ!」
「そうか ヒヤシンスね。そうだわ♪」
先日もなんかおかしな事言っていたんだわ♪
 
この娘 時折 当たり前の事が分らない時があり 親として愕然とする事がある。ちゃんと教えてきたつもりだったけれど…教えなかったのかな?

今朝 朝日新聞の朝刊を読んでいたら…。
グループホームの記事が目に留まった。
気にはなっていて 追加の記事には目を通すようにしていた。

いつも自分の施設勤務と比較する事が多い。
施設と言う所は 24時間体制だから同じ人がずっと見ていると言う訳には行かない。日勤と夜勤の間には 引継ぎと言う物がある。
その時 どうだったかと思うのである。

夜勤専門のパートというのは けして 特別なシフトではないのだなという事は母を託してみて知った事である。
母の施設ではないけれど この夜勤専門が外国の人だったりもする。

必ずと言う訳では ないけれど 日中の過ごし方が夜に影響する事は多い。
例えば 昼十分にお日様を浴びたり 身体を使ったり 頭を使ったりの程よい刺激を受けると夜間は割りにゆっくり眠れる。
適度の刺激の場を作る事は 日勤者の務めでもある。
夜間は勤務者が手薄になるから…夜勤者に対しての配慮である。
勿論 一番は入所している人の事が最優先だが…。

だから夜勤経験の浅い人の時は 日中はあまり付加を掛けないように配慮したしベテランなら 受け止められると判断した。
引継ぎ時には「今日は 少し興奮しているかも…」とか昼の感情の動き等も詳しく申し送った。

トータルで何ぼの世界であって 夜勤と日勤は切り離せる物でないという感覚があった。

今の施設はどうなのだろう?
特に高齢者介護施設において…。

人の命を預かる施設である。病院とは違うけれど…。

日勤者が夜勤者をいたわる気持ちがあっただろうか?そして それがうまく伝わっていたのだろうか?

認知症の人は 昼は比較的対処しやすいが 夜間は 不穏さが増す事もある。日中の過ごし方で 寝かせきり…という事はなかったのだろうか?
認知症の場合 日中起きているから 夜は安眠と一概には言えないけれど
それでも 適度の刺激があったのとないとでは 多少事情が違うかも知れないと感じている。

在宅で 1人で対処している時に 落ち着くまで寄り添っている事が多かった。やっと寝たと思っても 直ぐまた起き出してしまう事も多い。

1人が騒ぎ出せば それが伝染してしまう事だって有るだろう。
母の夜間の目覚めは 深夜に帰宅した家人の影響という事もあったから…。

母を施設に託している身で考えさせられる事の多い事件だった。

夜勤をしていて 辛かったのは明け方である。
牛乳配達する音 朝刊配達の音を聞きながら 6時と言う早出の人を待つ時が疲れのピーク。。。
施設と病院の勤務シフトは違う。。。

病院は3交代制である。
施設は変則2交代だった。でも普通と遅出と早出と夜勤と言う体制だ。
高齢者の施設では 職員の人数が少ないのだろう。そういった体制を組む事は出来ないのだろう。
変則2交代でも 看護士さんのシフトの方が安全だねと話したことが有る。

施設での夜勤は もっと後の時間まで一人の筈である。
どんなに大変か…安易に想像が付く。

新聞を読む限り 現場から夜勤体制を変えて欲しい…と言う声があがりつつ有るようである。
より良い施設となるために 意見を発して行かねばならないのだろう。
責任を問うていくと言うよりも 共に考えてより良い介護を考えていく事が良いと思う。
託す一方では 施設は育たないと思う。
認知症の人が心豊かに過ごせる場所に育て上げるのは 職員と家族の力が必要なのだと感じている。
何よりも 何れ老いていく先に 利用させてもらう事も有るはずである。








2005年03月07日(月) こんな時 迷うのです♪


利用者さん訪問
少し早めに着き過ぎて 近くで春をデジカメでパチリ。。
周囲より早めに咲く桜のつぼみが赤く膨らんでいた。ボケの花も咲いていた。ボケの花は 雪を幾度も被ったせいか 花弁が茶色になっていた。
いつもより ゆっくりのペースの春だけれど…確実に春になりつつある。
だって 今朝は 冷え込んでいたけれど…晴れているのに霞んでいた空だったもの…。

利用者さんのお宅に入ると ハンバーグを焼いたような匂いがした。
今朝もしっかり朝食を召し上がったのだなと嬉しくなる。
何の話からだったろう…利用者さんが倒れた時のお話になった。
夕方にパタッと倒れた。手を動かそうと思っても動かない。仕方ないのでそのままじっとしていたら眠ってしまったらしい。
その間 ケアマネさんが偶然訪問なさったようである。
しかしチャイムを鳴らしても反応がないので 帰られてご家族に留守だったと連絡をなさったらしい。
ご家族は幾度か電話したけれど 出ないので利用者さん宅に向かわれた。
その頃 利用者さんが目が覚めて 腕をそうっと上げてみると上がったのでそろりとベットに入ラれまた眠られたそうだ。
其処にご家族が見えて異常を感じ通院という事になったようだ。
それから 緊急で入院という事になったという事だった。

病院に入院している間に ご家族はこれからの事を考えて「正直 何処に住みたいか考えて欲しい」と言ったそうだ。
その言葉はしっかり利用者さんに届いていて 応えようとするけれど言葉が出ないし思いを伝えられなかった。
それを見た家族が「分らなくなってしまったんだな」と言ったそうである。
「違う」と言いたいけれど…それも出来なくて悔しい思いがした。
そんな お話をなされた。
母も似たような経過と思っていたので 分っているのに言葉が出ないって辛いですよねぇ〜と言うと「そうなのよ」と言われた。
利用者さんも母も 幸い 想定される最悪な状態にならずに元気を取り戻して歩けるようになったので「それが良かったね」と言う話となった。
母の場合は それ以来 病はゆっくりと次のステージに移りつつ有る。

利用者さんは 3日間で冷蔵庫内の物とお芋の類を全てお料理なされていらした。「今日は食料調達に行きたい」と言われ買い物同行。
沢山の食材を買った。

洗濯・掃除等を終えて 活動終了。

家に戻ってから母の所に向かった。
家の近くで民生委員さんとパッタリ出会った。
丁度同じ方向に歩くのでお話しながら行った。
お話する機会がないかなと思っていたので良かった。
民生委員さんが「お母さんと散歩する姿を見ました。お元気ですね」と言われた。「お蔭様でね…」と応えた。
近くの人が母と同じGHに入所しているので その方の様子を聞かれたので軽くお話をした。「近いうち 面会に行きたい」とも言われた。
「地域の集会所を介護予防のために使えないと言われているけれど…どうでしょうね?」と聞いてみた。
「あ〜伺っているわ」と民生委員さん。
いろんな事を話して「是非 動いてみましょう」と言われた。
「私ができる事もあると思いますので 協力しながら行きましょう」という事になった。
頼まれた事がちょこっと動いた。

母を美容院に連れて行こうと思っていた。
が付いてみるとそうも行かない状態だった。
家で洗濯したものをロッカーに入れようと思い開けてみたら「ぷ〜ん」と臭った。パジャマが濡れていた。そのパジャマは洗い終えたズボンの上に置いてありズボンにまでにおいは移っていた。それらを取り出してみたけれどまだ臭う。布団を広げるとパットも臭った。その下のシーツは濡れた後があり
布団も臭っていた。
布団を風に当てて シーツを取り外したものの これから家に戻って洗濯して戻る時間の余裕はない。
仕方がないので 近くのコインランドリーに出かけることにした。
その時に職員がきて「お出かけですか?お風呂どうなさいますか?」と言われた。「美容院に行く予定でしたが 洗濯が有るのでいけそうもありませんのでお風呂御願いします」と伝えた。
母は 私と離れるのを少し渋ったが「○○ちゃんは 体洗いにお風呂に…。
私は 川に洗濯に…」と言ってお風呂に送った。
急いでコインランドリーで洗濯を始めた。ついでチョコチョコ買い物をしてコインランドリーに戻ると…。
また お会いして話したい方がコインランドリーに駆け込んできた。
「あらっ!」とお互い驚いてしまった。
お互いの洗濯事情を話した後で…「これから有償ボランティアどうなさりますか?」と切り出してみた。先日の説明会にも見えてなかったので気になっていた。
「もう どうしてよいか判らなくなってしまったのですよ」と言われていた。今後の事も含めて お互いいろいろお話をした。
ついでに「この近所で畑を貸してくれる人居ないかしら…GHの入所者が畑に出ると活き活きとなさるので近くに借りれないかな…と思って…」と言うと「聞いてみます。。。」と言ってくれた。

民生委員さんもこの方も特に親しい間柄ではない。それでも顔見知りである。向いている方向も似ている。
必ず実行できると言う保障はないけれど こうやって種を撒けば何とかなって行く事もある。「だめもと精神」でやっていくしかない。。。

洗濯を終えて 施設に戻った。
母も落ち着いていた。

実は 洗濯前に母をトイレに誘導した。
下着を下げて便座に座った時「お便所臭い」と母が言った。
トイレが汚れていた訳ではない。
母の下着や臀部がにおったので有る。。。
こういう匂いだって やっぱり感じるし嫌なんだな。それでも1人で着替えられないし洗濯も出来ない。
いつも匂っている訳ではないけれど…。

誰が悪いと言う責任を問うつもりは ないけれど…。
こういった事は どう処理すべきか…。
いつもじゃないのだし 認知症で託していて苦労をかけているから言うべきじゃないと考えるべきだろうか?
それとも母の立場に立って御願いすべきだろうか?


2005年03月06日(日) キッチンで…♪


この数週間 無線LANに振り回されていた。
と言うのもプロバイダーの説明が どう考えてもおかしい。

Macと繋ぐにはエアマックが必要と説明を受け エアマックを購入。
しかし 繋ぎ方がイマイチ分らず サポートセンターへ。。。
すると「Macの事はMacに聞いてくれ」と言う。
アップルのサポートセンターに繋いで 細かくチェックして貰う。
懇切丁寧な対応だったし途中プロバイダーにも連絡を取ってくれたが生憎繋がらず…事情を詳しく説明してくれてプロバイダーへの言い方も教えてくれ最後に「解決できなくてごめんなさい」と謝ってくれた。
それから 時を経て プロバイダーからの説明で 何とか繋がった。
しかし金曜からパタッと繋がらなくなってしまった。

プロバイダーに電話すると また話が違っていた。
前回繋がったのは どうやら近所の家の無線LANに乗っかって使えていたらしい。つまり不正アクセスである。

サポートに従い 作業をしてようやくちゃんと作動するようになった。
勿論 不正アクセスできないようにもした。

この件で 買う必要のないエアマックを購入した事になるので「お宅でそういったから買ったんだけれど…何とかなりません?」と聞いてみたが「記録して残っていませんから無理です」という事だった。

もう!最初からトラブル続きのこのプロバイダー。。。
自分の所の責任は?

日記を読んでいると さも 私が取り組んだように感じるかも知れないのですが…。これは娘が取り組んだ事で 私は傍観していました。

さて 今日の日曜 夫は出勤。
夫を送り出してから ラジオを聞きながら家事をした。 
おやつも2種作った。
ひとつは「大根餅」もうひとつは「ケーキ」
別に大層なこともなく 記憶を辿っての作業。作り方は 簡単なので最後に記す事に。。。

ラジオはTBSのキューブ。。。いやずっと聞いていたのだけれど 乗ってしまったのがキューブだった。
戦後の歌という事で…。のっけはロスプリモスの「東京砂漠」だった。
そうだ そんな歌が流行ったなと思っていたら…♪あの娘 かわいや カンカン娘 赤いブラウスサンダル履いて…♪
女子アナが生まれる前で「どうして カンカンなんですかぁ〜」
「いやね 戦後は何もなくてね…みんな明るさを求めていたのよ…」と鳥越さん。。「赤いブラウスは おしゃれの代表だったのさ」
「サンダルだって みんな履いていた訳じゃないよ。俺ら 雨の日は裸足で学校に行ったよ」
「どうして?」
「下駄の鼻緒はね 雨に濡れると切れやすいからさ」
「じゃ 挿げればいいでしょ」
「おいおい 鼻緒を挿げるってそう簡単な事では無いんだよ」
「へぇ〜」

そんなやり取りを聞いているうちに 自分の重ねた年を感じてしまった。
明らかに 鳥越さんの話しのほうが身近である。

鳥越氏は 歌が掛かる度に重ねて唄った。
不思議な事に私も歌える。「あれぇ 好きと言うわけでもなかったのに…」
「余程 お好きだったのですねぇ〜」と女子アナ。
「いや そうじゃないよ。昔の歌のヒットなんて今と比べれば数的に大した事ないけれど…流れる回数は今とは比較に成らないよ」
「昔はむやみに英語が入ってないからね。耳によく入ったんだよな。今の音楽は なかなか 覚えきれない」
そうなんだよね。娯楽なんて今ほど多くないし…。

「テレビだって 一台を家族みんなで観ていたよ。街頭テレビなんて 鍵まで付いていたんだから…。今の状態からは想像できないよ。。。」
そうだった。学校のテレビだって箱に入って扉が付いていたなぁ〜。

会話の度に 自分の昔と比較してしまった。
これぞ タイムスリップである。

その後も糸井重里の話しも引き込まれた。
特に映画館の話しに「そうだったな」と…。
映画館なんて入り口が閉じられる事がなくて…だってさ いつも行列が出来ていて…人が入りきらないんだよ…ギューギュー詰めで立ち見。。。」
あの頃が 映画全盛期だよね。

戦後60年…と言うタイトルだったなぁ〜。
自分の通った時代が 知らない人がいる。。。

楽しいひと時だった。

さて「大根餅」
今日は大根を摩り下ろしてニラと青葱のみじん切りと生の桜海老と塩少々を入れて 其処に小麦粉をざざっと入れる。
耳たぶ位の固さに混ぜて フライパンにゴマ油を引いて 手のひら位の大きさに伸ばして焼くのである。
大根と小葱と塩でも美味しいけれど…先日 なんかの雑誌にニラや海老を入れるって書いてあったから試してみた。
これにキムチなんかをのせても美味しいかも。。。

ケーキは 生クリームを入れすぎて柔らかな物になってしまったが それでも美味しかった。私流って 時折そういうアクシデントが起きてしまう。
生の林檎とブランデーに漬け込んだレーズンを入れた焼き菓子である。
長くなるので これはカット。
型に入れる訳でなく天板に伸ばして焼くだけの簡単なものである。
ちょっと 甘いものが欲しくなるとチャチャと作るが気持ちが乗らないと腰が上がらない。。。

そういえば…娘も珍しくキッチンに立って作っていたな。
タコソースでひき肉と豆を煮込んでいた。。。
明日のお弁当にするそうだ。
よく雪降らなかったな!

そんな事で 一日を終えた。
夕食も7時前に食べた。家族が顔をあわせての食事は久しぶりだし7時前の食事なんて…最近なかった。











2005年03月05日(土) 飛び上がりたい気分よ


母は少し暗い顔をしていた。「下」だろうなと想像できた。
いつものようにトイレ誘導。
今日は いつもと違う形を試みた。
居室に入った時「ここは 誰の部屋?」と聞いた。きょとんとする母。
「ここは○○ちゃん(母)の部屋でしょ」「うん」
「トイレは何処かしら?」トイレの表示を見て「ここ」と言ってから「ここに入るの?」と聞いてきた。「そうよ」
「用を足すんだけれど…」「あなたが?」「私は今用がないのよ。○○ちゃんはどう?」
ズボン着用の儘 便座に座ろうとしたので「ズボン 下げなくちゃ」と言ってみたが 逆にズボンを上に上げてしまった。
「用を足す時は ズボンさげなきゃ。。。」とちょっとズボンを下げると自分でズボンだけ下げた。
「ありゃりゃ。。。パンツも下げよう」と声を掛けたが通じない。結局 下げてあげる事になってしまった。
もう少し ゆっくり取り組めば 1人で下ろせたかなと反省。

お腹をマッサージして排便を促した。
石ころみたいな小さな物がコロンと落ちた。「やったねぇ〜 もう少しがんばれる?」更にいきむ母。自力で出せた。落ちたという感覚も有るようだった。「偉いね」と言うとニッコリした。

母に持参したおやつとお茶を上げて 居室に掃除機を掛けた。
ゆっくりと食べているので 掃除機をホールに持ち込み掃除機を掛けた。
時折 母の様子を見ながらいると…持参したスイートポテト2個とミニウインナーロールとお茶(500ミリリットル)全量摂取していた。
ホールでは 最高齢のご婦人が「お姉ちゃん ちょっと…」と言われた。
「ひぇ〜また文句かな?」と思ったら 今日は少し様子が違っていた。
「あなたの お母さんね 今朝『てめぇ〜起きろ!』と起こしに来たのよ。時計を見たら5時だったわ。1人で寂しいのだろうと思って起きてあげたのよ」それからずっと起きているから疲れるわ」と言われた。
「あらごめんなさいね」と言うと「しようがないのよね。病気だもの…」
「有難うございます。そう言って戴けると母も幸せです。ほんとに有難う」と言うと「頭なんか下げないでよ…」と言われた。
「私には娘が居ないから…」
「あら 素敵な息子さんおいでじゃありませんか…」と言うと「そう いい息子なのよ…でもね 娘が欲しい…羨ましい…」
 
みんな 寂しさを我慢している。。。そう感じた。
でも 母は決して「てめえ 起きろ」なんて言わないと思う。
「てめえ」と言う言葉は使わないと思っている。
人を探して部屋を訪問は 有るかもしれない。。。
「起きろ」とも言わないと思う。。。
「寝ているの?」とは言うかも。。。

その人とのやり取りを母は遠くから見ていた。
会話までは聞こえて居ないはずだ。

玄関前に掃除機を移動したら 母がツカツカとやってきた。
人とお話して怒っているかな?と思ったら…「教えて頂戴」と言った。
どうやら 掃除機の使い方を教えてという事らしかった。(言葉はない)
元気な頃はちゃんと使えていたけれど…いつの頃からか掃除機は使えなくなっていた。使わない暦。。。8.9年だろう。。。
持ち方すら忘れているような気配だったが 手を取って取っ手を持たせてみた。するとスーイスーイと掃除機を掛けだした。じゅうたんの上も上手に…。ゴミのある所を指してあげると それも上手に吸い取った。
とても嬉しかった。母だって嬉しかろう。。。
ここまで混濁している状態で こんな作業が出来るなんて考えてもいなくて…。ほんとは 1人飛び上がりたくなる気分になった。

母の眼科通院の準備をしている。
トイレに入った時がチャンスかなと思って取り組んでいる。
顎を軽く押えて「横目して見て…」と向き合う私が横目をしてみせる。
母は 指示に従って動かす。
それから顔の前に指を持って行き 左右上下に動かしてみる。
母の視線は 指先の動きを見つめる。
今日は 大分うまく出来た。
最後に 点眼する。
初めの頃は「何するの?痛い」と言う母だった。
「これは目薬。分る?これからちょっと目に差すからね」としっかり断ってから点眼。一度目より二度目。。。とだんだんわかり始めている。
後もう少しかなぁ。


2005年03月04日(金) 心 届いています♪

予報通りの雪の朝だった。
今年は よく降るわ!
北国の友人のメールやお便りには「雪下ろしや除雪が大変」と言う話題が多い。例年なら 雪下ろしするほど大量にふる所でもないのに…という但し書きも多い。
それなのに…今年は暖冬だったというではないか?
平均値と現実のギャップ。。。そろそろ 別の尺度からの寒さの実感値みたいなものが出れば良いのに…。

雪の降りしきる中 タッタカ タッタカ利用者さん宅に向かった。
そろりそろりと歩く人を追い越していく快感。。。
いつもより遅くに出て 早く着いた。記録など取ってないけれど…きっと今日は新記録の筈。。。
北国育ちの力量(?)発揮と言う所でもある。こんな事 自慢にもならないが…。とにかく 半ば楽しみながらの雪道だった。

利用者さん宅に着くと…
「まぁ〜 こんな雪の中でも来て下さったのですねぇ〜。お休みなさっても良かったのに…」と出迎えてくださった。
「ねっ 見てください」の言葉に視線を移すと…。
折紙で作ったお雛様 昨年デイで作られたお雛様 5体の茶坊主 スノウマンの人形が並べてあった。

折紙のお雛様は利用者さんが作られたものと思ったが違っていた。
利用者さんは週1弁当の配食サービスを受けて居られ そのお弁当に付いて来たという事だった。
配食の単位は千を越えている筈。。。
個々のお宅に配られたのだろう。
台紙も綺麗に縁取りして段飾りをイメージできるほどであった。折紙も丁寧に折られてあった。その手間暇心配りに心打たれたし利用者さんも感激なさっていた。
更に その献立。。。
「五目散らしでしょ。ほぐした蟹や海老も散らしてあってとても綺麗でね。味も良いのよ」
「雛あられがちょこっと包んであってね。蛤のお澄まし。水菜のサラダがシャキシャキしていてね。他に桜の花の入ったゼリーも有ったの」

利用者さんから お弁当の美味しさは常々伺っていたが…そのきめ細かな心配りに「有難う」と思った。
自分の親ではないけれど これほど元気をくれるお弁当。。。他に有るかしら…?

利用者さんは お弁当を食べてから お雛さまの存在を思い出して並べられたのである。
それに 水菜のサラダの美味しさに ご自分でアレンジなさって作られてもいらしたのだ。
お弁当効果…。これは 配食している業者さんに是非とも伝えたいと思った。出会うときも有るので…忘れないで伝えてよう。。。
コンビニ弁当には あり得ないもの。。。

利用者さんが お雛様を出さないのには訳があった。
今年もデイでお雛様を作られた。
ねんどで綺麗に作られたのだけれど…仕上がりが満足できていなかったのである。私から見れば 味の有る良い作品に思えたのだけれど…。
作ったものを持ち帰って 数日後 紙に包んでゴミ箱に入っていたのだった。気が付かぬ振りをしてゴミとして処分させて貰ったけれど…。
だから あえてお雛さまの事には触れないで来たのだった。

利用者さんは 運動を兼ねて 雪道を歩かないで行けるスーパーに買い物に行きたいという事だったので 同行させて戴く。






2005年03月03日(木) ひな祭りなんだけれど…


忘れない内に 記しておこう!
◎先日の家族の会で有る方が言われた。
「日にちが分らない。番組表は見るけれど 理解で来ていないからチャンネルを合わせられない。それなのに…競馬や競輪の放送の有る日はちゃんとチャンネルを合わせられるの。『わかるの?』と聞くとニヤニヤしている」
◎ある保健士さんの言葉
認知症で寝たきり イロウを作って食べさせてもらう日々 言葉も発せない。それなのに家族が『大変なんだぁ〜』と言うとベットの上で両目から
ツーと涙が零れている。聞こえているし 感情が残っているんだよね」と涙ぐみながら話してくれた。

そういう事だと思う。
確かに介護は楽じゃない。だから 無理は禁物。
けれど 介護を受ける側も苦しんでいるという事を心に留めておきたいと思う。

昨日 母の事に触れなかったが…。
夕方なった頃「ここに泊まるの嫌だなぁ〜」と言った。
「何処に泊まりたいの?」と聞くと遠くを見ていた。
分っているんだけれど…どうしよう!

今日はリハビリの日。
母の所に向かった。
母は ヨーグルトとお茶がまだだった。
悪いと思ったけれど 療法士さんのみえる時間になるので スプーンでヨーグルトを口まで運んであげた。条件反射で口をアーンとあける母。
「ごめんね」と幾度も謝った。

居室に入ってトイレ誘導 既に出た後だった。
オムツを替えて 着替えて貰って手を洗っていたら療法士さんが見えた。
今日は 静かに横になりウトウトした。
ホールでは ひな祭りの散らし寿司の準備の様子が聞こえてくる。
「丁寧な仕事 有難う」と職員の声。
「私は女だから こんな事出来て当たり前 出来ないのは恥ずかしい事」と入所の声。
これは 明らかに認知症が進んで出来ない人に対してのあてつけの言葉だ。
こういう場面がちょっぴり辛い。

他の方はお互いを受け容れられるようになってきているのだけれど…。
昼食時等 麻痺のために入所している若い方が 隣に座った方がテーブルの上で手を動かしていると ニコニコしながら その方の手に触れていた。触れられた方は 相手を見てニコッとしながら手を引っ込めた。
たったそれだけの事だけれど…入所時には そういう場面すらなかったのだ。

先の方は今日は特別機嫌が悪かった。
「あたしね あの人に朝5時に起されたの!」と…。あの人とは…母だった。

施設で暮らすという事は こういうプラスとマイナスとがある。。。

昼食を途中まで見守ってから 今日は施設を後にした。
今日は 事業所の集まりがある。
家で食事をして お節句の五目散らしの下ごしらえだけをして開場に向かった。ついでに講演会のチラシがどうなったかと見たら 一枚も残っていなかった。他のチラシはたっぷり有るのに…。さて 参加希望者は どの程度になるんだろう???

そして 事業所の会合
新年度より 事業所の形態や活動形態が変わる。
それも踏まえての話し合いである。
予算が削減されるので その対応策も考えなければならない。
役所の予算予算削減だから致し方ないが…。
それでも 議会に陳情して願い出た事は 残してもらえただけ良かったのだが…。
役所の方針変更の度に ボランティア協力者が減って行く。
それでも 利用したい方はいる訳で このボランティア力は 利用している人にとってとっても魅力に感じてもらっているのも確かな訳で…。

新年度は移行期で 18年から本格移行とになるようだった。
これは 介護保険改革と同じ形であるんだな。
やはり 準役所みたいだなぁ〜。

もどかしさを覚え「他の地域ではもっと活発なのですよ」と小さな子声で言ってみた。すると「どの地域?」と聞かれてしまった。。。
「○×ですよ」と言うと「そうなんですか?」と…。
「おいおい 同じ立場でしょうにぃ〜」と言う言葉を飲み込み「そうなんですよ先日 直接うかがって驚きました」とだけ伝えた。

最終的にどのくらいの人が参加するか分らないけれど 日祭日対応で取り組んで欲しいし その協力は惜しまないと申し出ている。
当分は できる人が取り組む…それでよいのだろうなぁ〜。 

会終了後 急ぎ家に戻り五目散らしを作った。ひな祭りですから…。




2005年03月02日(水) お〜っ!!


 今朝は 家でチョコチョコとパソコンに向かっていた。
3月末に開催するチラシをどう配るか…もチラチラ考えていた。
「役所の介護の課まで行くの面倒だなぁ〜」「でも やっぱり出向くのが筋だよね」と自問自答。
「役所に寄ってから 母の所に出向くか」と決め 昼食後家を出た。

在宅中 御世話になり 家族の会の事も見守り励ましてくれる支援センターに先に寄った。ここでチラシを配れば きっと会に繋がっていない介護者にも知らせてくれるだろう。。。
玄関を入ると「あら〜」と歓迎を受けた。
忙しいのにお茶まで入れてくださった。

「御願いがあります。これを置かせてください」と言うと「あ やるんだねご苦労様…」と言ってくれた。
「私も行っていい?」「どうぞ いらして下さい。ただ収容できる人数に限りが有るので ご家族優先にさせて戴きます…」「ハイ そうなさってください」という事になった。
そして 厚顔にも「役所に行く時ありますか?」と聞いてみた。
「あ 今から会議で出かけるわよ」
「じゃ これ 係りに人に渡してもらえます?ほんとは行くべきなんだけれど…横着ごめんなさいと伝えてください」と言うと「了解」という事で決まった。さて 私も母の所に行こうかなと立ち上がったら…。

「はなさんお急ぎ?お話してもいいかしら?」と別のケアマネさんが言った。「はい なんでしょう?」と訳もなくちょっとドキリとした。
が お話と言うのは想像とは違っていた。
アルツハイマーになって5年ほど経過した76歳の人の話しだった。
その方が 今もショーをなさって居られると言うのだ。
それも入場料を2000円くらい戴いているというのだ。

認知症という事は ご本人も気が付いていて…。
有る所に所属なさっていらした方らしい。(ある所と言うというのは私も知っている位有名な所だった)
一度は駄目と思ったけれど どうも反応するので 取り組み始めたらどんどん思い出して行くのよ。いわゆる回想療法ってもののようだ。
今では 乗ってくると 自分で他の人を指揮出来るほどになるんだそうだ。
その人がショーに取り組めるのは 実は多くの人の支えが有るからだとも言われた。
「素晴らしいですね。結局のところ認知症って そうやって 社会に認めてもらう方向に動かないとこの先どうにもならないですよね。そうしないと共に生きるなんて事出来っこないですからね」
「そうでしょ。はなさんなら 理解してくださると思って…。今度ショーの有る時 案内状を出して良いですか?」
「勿論ですよ。是非とも見せて戴きたい。できうるならこの町でも取り組めればいいですね」とお話をした。
そのケアマネさんも その方のボランティアとして関って居られる様だった。わが町とは違う場所に住まわれているのだ。

その後 母の所に向かった。
ここでも講演会のチラシを配って貰おうと施設長に御願いした。
その前にも 施設案内のパンフレットを相当数戴いたので「活動レポート どうでした?」と先に聞かれた。
「お蔭様で いろいろ 話題となって 考えるきっかけ作りになりましたよ」と細かく説明した。

その後 今の施設の話しになった。
実は この所 母のフロアが入所者同士の連体感が生まれ始めているのである。勿論 まだの部分も有るけれど…。
それが 他のフロアと確実に違ってきていて 担当の職員もその事に気が付き始めて羨ましがられているという事だった。
ご家族も 変わっていらして…とも言われた。
このフロアは 自分の家族のみでなく他の方にも心を向け始めてきていて…それがよい影響を与えていると思うとも言われた。

フロアの担当職員も少し鼻が高いようですよ…とも言われた。
これから更に 工夫を重ね ご家族の協力を得たいと思っているんです。
無理のない範囲で 協力戴く事が施設がよくなっていくんですね。

とそんなお話だった。
「うるさい 面倒なおばさんだから 相当疲労したでしょうね」と笑いながら言うと「いえ そういう家族がいないと…」と笑っていらした。

先日の介護者ネットワークの会でも話題になった。
施設と家族がうまく協力できるように 工夫を重ねて育て上げる事が大切でしょうね…と。
グループホームだけでは ない。特養も同じだとネットワーク所属の家族が言われていた。その方も特養で いろいろ職員と入所者を含めて交流を計っている。何れも職員の理解がないとできない事でもある。

そういえば…。
最初に立ち寄った支援センターにも特養が有るが 支援センターの職員が「講演会のチラシ 特養にも持って行くからね。利用者本意の勉強してもらわなきゃ」と言っていた。

母の施設がよくなる事は嬉しい。そして 認知症の人が 社会に溶け込み更には 収入も得られるようになったら…更にいい。
そういう方向に 動き始めている事を肌で感じた一日だった。



2005年03月01日(火) 介護者のストレス


 介護の形は それぞれ身の丈にあわせて行くのがベストだろう…といつも思う。身の丈以上の事に挑む時 ストレスに見舞われることが多々有るからである。

今日の家族の会では 様々な貴重な話を聞かせて戴き 考えさせられた。

介護する上で 介護者以外の人とのトラブル。。。
これは 本当に苦慮してしまう。

「黙って見ててよ」「ちょっとは手伝ってよ」と感じ方はさまざまで有る。
介護する方が違うように 見守る家族の思いは 立場によっても異なって行くのだろうから 感じ方も更に多岐に分かれるだろう。。。

私は その事に気が付くのが遅かった。
もう少し 気持ちにゆとりにあったなら今とは違う形で協力体制が取れていたかも…とも思う。
今更 戻ろうと思っても 元に戻れる訳ではない。
出来た溝をこれ以上深く大きくさせないように…それだけが 課題である。
簡単そうで 実に難しい課題だ。
「兄弟って 何だろう?」「親子って 何だろう?」

「在宅で看取る」と言っていた介護仲間が 看取り終えた。
在宅で大変だった事は 危篤に陥った時 救急を依頼するかしないか…と言う所での攻防が有ったようだ。
同居している家族がリスクを覚悟していても 立場の違う家族が「救急…」と言いしたら 責任問題も絡んで更に窮地に追い込まれるようだ。

危篤状態の人を在宅で看取るという事は 命を預かると言う形でもある。
その責任を負う時の緊張は大変なものだろう。

責任をまっとうできても その後の気持ちの整理…。
「これでよかったのだろうか?」と言う思い。。。

命を重さを改めて感じさせられた。

また 印象に残った言葉として…。
介護されている方は 食べたい物の選択が出来ないで 可哀想と思うというような事を話された方がいた。
本当にそうだ。
私も 母の笑顔で「これで良かったんだ」と思うけれど…。
それは 勝手な解釈かも知れないのだ。
ひょっとすると 介護する側の気持ちに沿うように笑顔を発しているのではないかと感じてしまう事が時折有るから…。
言葉をなくした人を介護していく時 ぶつかる壁である。

そして 排泄がうまく行かなくなって大変だ出たという事はわかっているようだけれど…と言う話を聞いた時 「出たと認識できるうちはまだ良い。
出たのかすら 認識できなくなる時が有るのだから…」と重症になった家族を介護している家族が言った。

介護はその進行具合で 対処の仕方が変わってくるなぁ〜。


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