母のタイムスリップ日記
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2005年01月31日(月) きっと大丈夫でしょ


利用者さん訪問
「今日は ちょっとお薬がなくなるので通院してきます」と言われた。
訪問した頃は通院も介助したが 今日はお1人で行かれると言う。
「混雑していたら 帰って来れないと思うから鍵は持って行きます」と言われたけれど…。活動終えて私が鍵を掛けたら その鍵はどうするんだろう…と思いながらきっと帰って来られると信じて 何も聞かなかった。

「今日は 買い物をして お料理も御願いしたい」という事でひじき煮と切干煮を御願いされた。
お野菜をチェックしてじゃが芋が芽を出しているのしかなくなっていたので買い足す事にした。芽の出たじゃが芋は大きめに切って茹でておいた。
そうすれば ソーセージ等と炒めてもいいし サラダにも使える。
小松菜は軽く茹でておいた。そうすれば直ぐに使える。

切干には 希望通り お揚げとさつま揚げと干ししいたけを使った。
ひじきは 時間がないのでお湯で戻した。
利用者さんは芽ひじきより長ひじきが好きなのだ。
煮物はコトコト煮ればよい所まで支度をしてからお掃除をした。
洗濯物も干せた。

その頃に利用者さんが戻られた。
テーブルの新聞を畳んでいるとポロリと薬が1錠落ちた。
飲み忘れだ。一応 そのことだけお伝えした。
おそらく飲み忘れて困る薬ではないと思うので追加して服用は勧めなかった。

活動を終えて 家に戻り昼食。
食後眠くなりそうな気配だったので 直ぐ家を出て母の所に向かった。

母は、テーブルに突っ伏していた。
お腹がおかしいのだろう。
居室に連れて行く。
ちょっと臭ったので直ぐトイレ誘導。
きゃっ 汚れていた。 お尻を拭いていると職員が見えて「今朝排便後から3度出ている腹痛も有る様子 食欲は普通です」と言われた。
「通院しましょうか?」と言うと「大丈夫と思います。様子を見ましょう」という事だった。
暫くトイレでお腹をさすって上げる。
排尿 排便 ガスと数回あった。お腹はキュルキュルしている。
出るまで待つしかないので暫くトイレにいた。
頃合を見て トイレを出た。

今日は お芋のおつゆを持ってきている。
母の好物なので食べさせたかった。
家を出るときに温めてきたのだ。「どうしよう?」と思ったけれどお腹に悪い物でもないので食べさせる事にした。
その時母と同じ年の方が遊びに来た。
職員が他の方の入浴介助をなさっているので「いいですか?」と聞いてきた。「ハイ 大丈夫ですよ。これお汁だけ飲ませていいでしょうか?」と聞くとOKが出たので…コップに移して飲んでもらった。
職員が「こんなに早く飲まないのに…気に入ったのですね」と言われたのでホッとした。
母は黙々と芋汁を食べ続けた。
レモンティーも持参しているので 二人に飲んで貰った。
「甘〜い」とご満悦だった。

それから居室で手遊びや腰の屈伸 足の屈伸等を3人で手をつないで取り組んだ。あははっと大きな笑い声を出して。。。

彼女は母と同じ年で 我が家の近くにお住まいだった。
顔を知るほどの近い距離ではないけれど…。

だから窓辺から外を見ている時に「○△公園見える?」と聞くと「どこだろうね?」と探された。「××ゴルフ場は?」と聞くと「う〜ん」と言われた。

職員が「この間 家の近くまでお連れしてお店に寄ったら『此処で毎日パン買ってたよ』『妹が待っているから パン買わなくちゃ』とも言ってね。覚えているんですよね」と言われた。
彼女の妹さんも最初は同室にいらしたが今は別の所に移られている。
おそらく妹さんの方が先に病になられて一緒に住みだされたのではないだろうか?お子様は離れた所にお住まいで 面会も少なくなっている。

それでも職員との会話にお出かけしたお話を聞くと安堵感が生まれる。
いつも母は連れ出せるけれど…他の方は母ほど外出で来ていないし…。
まして家の近くまでも出る事はないだろうから…。

今日は 内緒で飴やチョコを食べてもらった。
勿論何か有ってはいけないので 目を放すことなく口の中の飴が小さくなり溶けてなくなるまで見守りをした。

「おやつですよ」と職員が呼びに来たのでホールに出てみんなとお茶を飲ませて戴く。

散歩は今日も断念。
お腹は 大分落ち着いたようで少しお尻が汚れるくらいで済んでいた。



2005年01月30日(日) ラジオを聴いて


家でのんびりラジオを聴いていた。
環境キャンペーンという事でいろいろの取り組みがピックアップされているのだが…。
昨日 「土曜ワイド」ではミミズ博士がいらして…ミミズに生ゴミを食べて貰って土に返すという話があった。
ミミズ入りのゴミ箱(コンポストみたいなものらしい)があるそうだ。
お値段がいくらかはわからなかったが…少し興味が湧いた。

今日の番組では「日曜の秘密基地」
やはりゴミ処理の製品の案内があった。
なにやらゴミ箱に特殊な木屑のような物を入れるとゴミが90パーセント消えてしまうそうである。
入れてはいけないゴミも有るそうだが。
そのお値段4.5万円らしい。
ただ木屑を2ヶ月に一度入れなければならないとか…そのお値段は言ってなかった。

先日 友人と電話でお話をした時 畑の話となった。
友人は田舎に居を移し 染色やら機織等をなさっている。
野菜はお庭で育てておられる。
作物を収穫した後 石灰を入れて土を改良するのだが…ストーブから出る灰が一番良いと言っていた。
ご近所の農家の人からも羨ましがられるそうだ。
昔 畦で火を焚いたものだが…今ではそれも許されない。
野火だって 意味有るものだった筈だが…。

自然リサイクルは昔の方がはるかに良かった筈なのに…と思う。

我が畑でも倒した作物の小枝(?)が畑の隅に置いてある。
これは個人で処理するように言われている。
未だ処理してない。
本当は燃やしてしまいたいのだが…それは許されない。
細かくして土に戻そうと思っているのだが…。
今は寒いので時期を見て…と思う。

一方で 介護仲間の1人が電熱を使って種から育ててみようと企画中と言っていた。今 下準備中で…と言われていた。
介護も大変な事なのに…。よく考えて居られると感心した。
「装置が仕上がったら 私のも御願いしてよいですか」と聞くと「いいですよ」と言ってくださった。
春が待ちどうしい。

今は畑も成長が遅く ビニールのトンネルを作ろうと材料は買って有るのだが…寒さに負けてしまっている。
お天気の穏やかな日を選んで 取り組んでみよう。。。
折角咲いたスナップエンドウ。。。凍っているのでは…と見に行くのが怖いのである。

未だ自分で堆肥を作る所までは取り組んでいないが…いろんな情報を集めながらやってみるのも楽しいかもしれない…とラジオを聴いて感じた。


2005年01月29日(土) 歩きながら…

 
 娘を送り出して レモンティーを淹れて 母の所に出向いた。
母が居室から出てきた所で目があった。
「何か 困っているな」と直感。
母の居室に行くと居室のドアを自分で閉じた。
この所満面の笑顔が多かったので少し驚く。
「おしっこ?」と聞くとコックリするのでトイレに出向く。
がどうも小ではない様子。切迫するほどの尿量はなかった。
母は泣いている。
「おかちゃん おかちゃんの所に行く」と。
「おかちゃん どこに居るの?」「家に居るよ」
会話が途切れるとまた「おかちゃん おかちゃん」と呼ぶ。
「私?」と聞くと「このおかちゃんでない。ほんとのおかちゃん」
「お腹痛い?」と聞くと「痛くない」
有る程度会話が成立するけれど 何故泣いているのかが見当が付かなくて困った。「ちょっと立ってね」と排泄の後始末をするとコロッと豆便が付いてきた。慌てて座ってもらいいきんで貰った。
4.5回程いきんで貰ったら 出てきた。「もう一息だね」と言うと「うん」と排泄が理解できてきた。
一度では流れないほどの便が出た。
ようやく 落ち着きを取り戻せた。
トイレの中を見せて「出たね」と言うと それが何であるか判らなかった。
「ん〜む。。。」未だ落ち着いてなかったせいだろうか?

その後居室でレモンティーを飲んで貰う。

出かける支度をしていると「お風呂どうしましょう?」と職員が聞いてくださった。家に連れて行く気力もないので「御願いします」と頼んだ。
母の入浴中は 他の入所者の方と遊んだ。室内歩行をしたりトイレ誘導したり…風船遊びをしたり…。
今日はみんなとても良い表情をなさっていらした。
のりも良かった。

母が風呂から上がってきて仲間に入り お茶を一緒に戴いた。

雨が降り出しそうなので帰路につく。
でも 外は曇っているのに以外に温かくて…久々に徒歩で帰宅してみようと歩き出した。
歩きながら 先日職員の車でコーヒーを淹れる時のろ紙を取りに行った時に会話した事を思い返していた。
職員はご主人のお母様を施設に送り込まれたそうである。
其処に到るまで兄弟間でかなりもめて 仲裁する形で施設入所に踏み切ったそうである。「鬼嫁よ」と笑っていらした。
「介護に纏わる揉め事は面倒ね」とも話していらした。
「でもね。入所させてみるとやはりいろいろ有ってね。介護の仕事しているから施設の内情もわかるし…」と零されていた。
以前にも 別の施設の職員がお母様を施設に送られて家族して複雑な思いをした…と言っておられた。

それぞれの思いや事情を抱えながら 介護に関る…。
出来る限り入所する人の立場になって 職員も家族も関れればいいなぁ〜と思う。
私ももっと母と向き合って 前向きに介護して行かなければ…と思ったところで雨足が早まってきたのでバス停まで走った。





2005年01月28日(金) 下世話なお話

 午前中は利用者さん訪問。
「今日は デパートの美味しいもの市に連れて行ってください」と言われご一緒した。
開店 早々なのに目玉のお店には 行列が出来ていた。
並んでまで買いたいとは思わない利用者さん(勿論 私も同じ)は混雑を避けてお買い物をなさった。
以前のデパートの美味しいもの市は 人を捕まえて売り込むような事はなかったけれど…今日は 前に出てきて客を捕まえようとしていて不快に感じた。利用者さんが 振り切ろうと「興味なくて…」と言うと更にしつこく付きまとった。利用者さんを守る形で「失礼します」と間に入り逃げ切った。
「いやはや 賑やか過ぎますねぇ〜」と閉口なさっていた利用者さん。
家に戻られた利用者さん 「買いたい物が買えてよかった」とホッとなさっていらした。

今日は 夫がお通夜に出かけている。
着替えに戻った時に…。
「いやぁ〜 ゴタゴタしているよぉ〜」と行き先の話をした。
詳しい経緯は知らないが…お母様が細腕で事業を続けてきて凄い財を築かれたとは聞いていた。
そのお母様が 認知症+病で長く入院なさっていた。月々の入院費100萬を越えていたそうだ。
そのお母様が亡くなられ 葬儀となった。

先祖伝来の宗教(お寺)とお母様の信仰する宗教とお子様の信仰する宗教と三つ巴の葬儀となるそうだ。
お母様の信仰する宗教が先に戒名を準備され お寺の葬儀に持ち込む事になりそうになって もめたらしい。
結局の所 葬儀は宗教ごとにやって 他の宗教に持ち込まないという事に落ち着いたようである。

いやはや 1人の人の葬儀にいろんな宗教がなされて…大変だなぁ〜と思った。

更に下世話なお話…。
お母様の残された遺産は20億位らしい。その内現金が数億。
「早く 節税対策をした方がいいよ」と税理士さんにも言われていたそうだが…お子様は全く耳を貸さなかったそうだ。
相続税…家の一年の収入の何倍だろう…。

あまり書きたくないけれど…。
「これで毎月の入院費用から解放される」と言われるお子様だと言うのだが…。相続税で持っていかれる額とは比べようもないだろうし…。
第一 お母様を亡くされた哀しみは ないのだろうか…とも思う。

亡くなったお母様 お気の毒…と思う。
とは言っても 面識もない方なのだけれど…。

人様のお話だけれど…はて 我が家のご子息様方…何を考えて居られるのだろう。。。母の事 少しは気に掛けているのだろうかなぁ〜。
母のお金を借りる時は 電話もあったし 会いにも来たけれど…。
考えれば 用が済んだら無しのつぶて。。。
返済の方法まで きちんと明言していたけれど…未だに動く気配なし。。。

おっと 愚痴にになりそうだ。。。


2005年01月27日(木) 明るさの中に…


今日は しみじみと感じ入ってしまった。
と言うのも 実に大勢の入所者とお話したからである。

施設は 業者さんが入ってワックス掛けの有る日で 他のフロアの方が母のフロアに見えていたからである。

この中には 私の知り合いもいるし母と同じ時期に入所なさって居られる仲間も。。。
みんな認知症(痴呆)と言う病を抱えている。

帰宅願望の強かった方々も 少しずつ慣れていらして現況を受け容れ始めて居られる。
でも おそらく それぞれ帰りたい場所はみんなお持ちの筈である。
母が生家に帰りたいように…。
施設と認識している人は ほんの僅か。
此処が何処であるかなんて どうでもよいのである。

午前中は 母と同じ仕事をして居られた同じ信仰を持つ方である。
その方は 自分のフロアに戻りたくて落ち着きを失い始めていらした。
だから リハが済んだので母の居室にお連れした。勿論職員の了解を得て。
一緒に子供賛美歌を歌う。
「あら 何故ご存知なの?」と驚かれた。「同じお仕事 お役目だったのですよ」と伝えると驚かれた。「何処で?」等矢継ぎ早の質問。これが延々と同じ質問に変わる。幾度も同じ返事を繰り返す。
「あれ 何年生まれでしたかしら?」とこちらから質問すると明確に答えられた。母より3歳上。
「教え子さんが先生お元気ですか?と聞かれます」と言うと「あら その方何歳になられたかしら…」と言われた。
こんな会話をしていたら「あら 私 仕事辞めて何年経ったのかしら…」と考え込まれた。「あら すっかり判らないわ。今度書き出して思い出しておかないと…」と言われた。

母とこういう会話が出来たのは いつ頃までだったのだろう。。。
随分 深くタイムスリップしてしまっている事に今更ながら気が付いた。
お話している時母も直ぐ隣にいたのだけれど…唄えても 会話は全く出来ない。耳は聞こえている。でも話しに付いていけないのだ。

昼食が始まり 早めの方が食べ終えているのを確認してその方をホールにお連れした。

それから母と共に我が家に向かった。
今日はお掃除デイの様子なので入浴は無理と判断したからである。
母のお尻が荒れているのが 気になっていた。
綺麗に消毒して薬を塗布しているけれど…なかなか直らないのである。

家で昼食を摂り 入浴。洗髪 身体を洗う。
洗いながら「ごめん」と謝る。
母は何を言われたか判らない。でも 謝らずに要られない。。。
「早く治って…」と祈りながら薬を塗りこむしかない。
トイレ誘導。。。仕方ないんだろうねぇ〜。ごめん ほんとにごめんね。

風呂上りに 爪切り。これも入浴度に切る事にしている。
一時はかなり伸びていた足の爪が 様子を見ながら少しずつ切って 大分短くなってきた。それでも まだちょっとだ。
爪を切る時 母は身体を硬くする。「痛い?」と切る度に聞いてみる。
「大丈夫」とニッコリの笑顔で終えた。

気温が下がらないうちに 沢庵のお土産を持って施設に戻った。
沢庵は 義兄のお嫁さんが送ってくれたものである。
沢庵を付け損なったので 嬉しい贈り物なのだ。でも 沢庵は桶から出すと味が劣化していく。だから美味しいうちに施設の人にも味わってもらおうと思った。
施設に着いて直ぐ職員に渡すと 機転を利かせてくれて「お茶と沢庵」の味見となり みんな「美味しい」と食べてくれた。
笑顔が広がるのは嬉しいものだ。

みんながテーブルを囲んでいるので 動く玩具を母の居室から持ち出した。
以前なら ちょっとした時に母も楽しめたのだが…今はぬいぐるみと変わりなくて…話し相手にしかならないのだ。
テーブルの上の動く玩具には みんな興味を示した。
実際に動かしてもらった。
紐を引っぱって動かす亀さん。新幹線のチョロQである。
人の動かす様子を見ながら みんな触れて動かせた。笑いが広がり同じ物の会話も広がった。
頭のどこかで子供の玩具と判るようだが…でも十分楽しめたように見えた。

午後のホールは 午前中の方たちと違うフロアの方がいらしていた。
割りに顔見知りの多いこのフロアの方。。。
嫌がらない方を中心に頭を撫でてて手を握り会話をした。
「あんたは 明るい。良い人だって判るよ」等とお世辞まで飛び出した。

古くからの知り合いもいるので 母の居室にお連れした。
ドアは開け放っておいて 誰でも入れるようにしておいた。
そこで 歌を唄った。ホールで歌うとテレビを観ている方も居られるし 嫌がる人もいるからだ。
でも歌声は 聞きたい人には響いて行く。
「ね あんた ふるさと一緒なら この民謡知っている?」とドアの向こうから聞いてきた。
「ハイ知ってますよ」と唄いだすとその方も歌いだした。
母も手拍子を打つ。
こんな調子で 笑顔が広がった。
「あんたは何でも知っているのね」と言われた。
「いや 知らない事は 知らないんですよ」と言うと「そりゃ そうだ!」とまた笑う。

「私ね 駄目なのよ。聞けば判るけれど…1人では唄い出せないのよ。判らなくなってしまってね」と言われた。
母も数年前 そう言っていた。
今の母は そういった事さえ 言えなくなっているので有る。
「あのね 私もそうなのよ。すっかり忘れっぽくなってしまって 困ったモンなんだわ。みんな仲間だわね」というと母も知り合いも ドアの傍にいた人も大笑いをした。

笑った後に 1人哀しくなった。
あまりに明るい笑い声と事の深刻さのギャップ。。。

お元気な頃を知っているし 母だってそうだし…。
病の為す物忘れがちょっと恨めしく思ったりもした。

そう遠くない過去に 介護する事に途方もない気持ちになっていた。
忘れっぽい母の対処に苦慮していた日…あの日に抱いた母へのイライラ。
きっと あの時の母は いろんな事が判るだけに もっと辛かったんだろうと今になって思う。
やっぱり「ごめんね♪」だね。
認知症は 介護する方も介護受ける方も ほんとに霧の中に迷い込んでしまうものだとつくづく感じ入った。
いや 皆さん立派に介護なさって居られて 情けないのは私1人かも知れないけれど…。




2005年01月26日(水) 早く取り組めばよかった!(爆笑談 追記)

 娘は今度は大阪出張。でも明日には帰ってくる。。。
「これが仕事でなかったら…」ときっと思っている筈。
「何でも思うように行かないから 生きる事が楽しい」って気が付いているかな?

今日は利用者さんの都合で活動はお休み。
母の所に出向く。
出掛けにケメックスのコーヒーメーカーとコーヒーミルを準備。
イノダの豆を持って行こうと思ったけれど…。残りが僅かになってきたのでちょっと惜しい気がして 途中で豆を仕入れることにした。
全くしみったれの私だ。

意気揚々と「今日は コーヒー淹れるよ」と荷物を広げると…。
な なんとフィルターを忘れていた。
ちゃんと3枚出しておいたのに…。
オロオロしていると職員が「折角だから 家まで取りに行きましょう」と車を出してくれた。
入所者の人には ちょっと「お預け」となってしまった。
実は他にも忘れ物があった。母の洗濯物と腕時計。。へへっ。
全く 困ったものである。

施設に戻って 早速豆を挽いて コーヒーを淹れた。
職員が気を利かせて コーヒーカップも出してくれた。
ホールにコーヒーの香りが漂った。
入所者の方は 皆さんコーヒーを飲まれる。
いつもインスタントなので「その内に…」と思っていたのだが 面倒が先に立って実行しなかった。
香り立つコーヒー…の念願が叶った。

コーヒーが大好きな方は ほんとにもう溢れんばかりの笑顔。
それを見ただけで こちらまで感激してしまった。
「美味しいコーヒーにお菓子がないかな…」と職員が言って「あっ」とクッキーを持ってきてくれた。
みんな「美味しい」と飲んでくれた。
折角なので職員のかたにも飲んでいただいた。

その後 懐かしのメロディーを見繕って歌詞をプリントして行ったので みんなで歌った。
実は先にリサーチしていた。
ちょこっとメロディーを口ずさみ入所者の反応を見ていたのだ。
反応の良いものをリストアップしたのだった。
案の定 普段は歌わない方も笑顔いっぱいで歌いだした。

母に「影を慕いて」の歌詞を渡すと唄い始めた…唄うにつれて声が湿ってきて感極まって唄えなくなってしまった。
母は歌詞をよく読みこむ…だからその世界に入り込んでしまうのである。。。でもね こういう涙って癒し効果も有るだろうし…。
「泣くな!」なんて言えないし…職員と目を合わせて様子をみた。
それから みんなで「影を慕いて」「隣組」「旅の夜風」「誰か故郷をおもわざり」「篭の鳥」等を唄った。
母もみんなと歌いだした。見ると歌詞を見なくても唄えるのも有った。
やはりメローディーを引き出せると覚えていた歌詞は自然に出てくるものだとほんとに驚いた。

歌が一段落したのを期にお散歩にでた。
今日は雪が舞ったりしてとても散歩は無理と思ってコーヒーや歌詞カードを持って出掛けたが…お日様が顔を出してくれて良かった。
歩いている時も歌い続けた。
施設に戻ると 未だホール内にコーヒーの香りが立ち込めていた。

この所 母を中心にしていたけれど…みんなの喜ぶ顔に出会って もっと早くに取り組めばよかったとつくづく感じた。

家に戻ると 夫のふるさとから荷物が届いていた。
あれこれぎっしり詰まっていた。
 
恐縮するけれど 有り難くもある。

追記
そうだ。懐かしのメロディーで付記すべき事があった。
「銀座のカンカン娘」を歌ったときの事。
職員2人と私が加わり ラインダンスを披露した。
若い職員はラインダンス等知る善しもなくて…。びっくりしていたが…。
入所者の爆笑を得たのだった!




2005年01月25日(火) おれおれ詐欺


 朝 友人から電話。
「いやぁ 福祉全般 混迷の様子で…参ってしまう。。。議員さんには賛成・反対それぞれの人から御願いが行くんだろうね。実はね 議員さんが間違って電話してきて『賛成派でしたっけ?』と聞くのよ。ほへっとなってしまったわ」と言っていた。

住民に直接関るのだから そんな事も有るんだろう。

でも 少なくともその議員さんは 自分の方針が明確にされてないという事だろう。悪く言えば どっちからも票を得たいのだろうなぁ〜。

更に電話
今度は家族の会の人だ。
昨年奥様をなくされたその方 時折お電話を下さる。もう80歳を越えておられる。その方が「在宅 老健 病院」と言うシステムを全て利用なさっておられた。
介護をしてみて 施設での様子 病院での様子等は折有るごとにお話くださったが…トータル的にお話してくださると言っていたのだった。

先日 納骨を済ませたよという事で ちょっとお出かけもなさったり始めておられるようだったので 今度の会にお誘いしてみた。
「いつでも協力させてもらう」という言葉に甘える形で御願いしていたのが実現できそうである。

午後はボランティアの話し合い。
頭が痛いところだが もう一頑張り。
踏ん張って出かけた。
しかし 意見を発しても 聞く姿勢はあるものの意見反映はほんとに難しくて苦慮しており 本音から言えば 無駄な努力。。。と思えて萎えて要るのも事実だ。
今日も 案として出された物を見て「?」となる。
「案」なのに事実上決まっている扱いのように感じた。
怒らないように深呼吸しながら ゆっくりと意見を発した。
事業所の人に腹を立てても仕方のないことだけれど。。

ボランティアのメリットと言うか…取り組んだ結果のメリットを出さないと参加者はますます減っていくだろう。
どうにもパートならやるけれど ボランティアは…という方が案外多い。
でも これからボランティアへの依存度は高くならざろう得ないのが現実。
現支援センターだって 包括されて少なくなり 介護予防対策に取り組むようになる事は 全国的に決まっている筈だ。

「お金でないメリット…もう少し考えて見ます。皆さんも考えてください」という言葉を引き出せた。
ちょっとだけ先が明るくなった。

さて 家に戻るとふるさとの友人から荷物が届いていた。
そこでお礼の電話を入れたら…。
な・なんと「オレオレ詐欺(と言うより誘拐電話)があったと言う。
「娘さんを預かっている 外国に売り飛ばす 嫌なら保証金を出せ」と言う物だったらしい。
ご主人も丁度戻られて 事なきを得たと言ってたが…。
お嬢さんと連絡が取れるまでは カタカタと震えが来たと言っていた。
話を聞きながら こちらもドキドキした。

娘に話すと 案外この経験者は多いという。
皆さん 事なきを得ているようである。
と言うのも家族が全員揃っているところへの電話だったりも有るらしい。

しかし こんなことが蔓延しているなんて やっぱりおかしな世の中だなぁ〜。でも 私は基本的に悪い人はごく一部であろうと信じている。
人を信じて生活したいし その為には 嘘を見抜けてするりと抜けられるように…と思っている。「甘いよ♪」と言われるかな?



2005年01月24日(月) 嬉しい!


 利用者さん訪問。
「昨日ね 孫がひ孫3人連れて来てくれたんです♪」と明るい顔で報告してくださった。
その様子を娘さんの思い出話と共にお話くださった。
曾孫さんのお相手をするのは お孫さんの奥様。お孫さんは キッチンに入って洗い物をなさったそうである。
「う〜ん 夫婦仲良く分業できるなんて…いいですね。亡きお嬢様 上手にお子様をお育てになったのですね」と。

「今日は煮物を御願いしたいです」と。
足りない物を買い求めにスーパーまで同行させて戴く。
この所 お料理はご自分で作られていらしたが…ちょっとお疲れかも…。

キッチンに立って煮物を作っていると 珍しく利用者さんウトウトなさっていらした。洗濯物を干す時は そ〜っとそ〜っと物音を出さないようにした。キッチンから煮物の香りが届く頃パッと目を覚まされて「あ〜いいにおい♪」と。

テレフォンラックの引き出しがギシギシとして開け難かった。
「ろうそくあります?」と聞くと「有ります」と出してくださった。
レールをろうそくでこすったら…うまく開けられるようになった。
「直らないだろうと思っていたけれど 良かった」と利用者さん。

残る時間でザザッと掃除機をかけた。
お客様がいらした後なので…少し汚れが目立っていたから…。
やはり人数が増えるとそうなる物です。

昨夜の電話の利用者さんは 別の人で有る。
昨夜 夜間診療を受けた後「診察を受け お薬を頂き 明日きちんとかかりつけの医師に診療していただくように…」と言う指示が有ったと電話くださった。
もう慌ててしまって ご心配かけました。ご近所と言っても皆さん似たような年齢なので 「そうだ はなさんだ」と思いまして…と言われた。
「ご近所なのですから どうぞご遠慮なく…。遅い時間でも遠慮なさらないで下さい」と伝えた。
パニックは人に言えば 多少落ち着くものである。
冷静になれば 自然にいい知恵も浮かぶのだと思う。

午後は 母の所に出かけた。
職員から「肛門付近にコロコロと有るんですが…お散歩行かれますか?」と聞かれた。「今日は風が冷たくて…無理しない方が良いような気がします」と伝えた。
当然 母をトイレ誘導。暫くいきんでもらった。
でも いきむ前に笑ってしまう。
こりゃ きちんと説明せねばならないなと思った。
「あのね。今 肛門の出口まで出てきているから う〜んと頑張って出してしまおうよ」と耳元で言った。
母は しっかり頷いていきんでくれた。無事 排出できた。

トイレを出てしっかり手を洗った。
これから入浴だ。職員と共に浴室に出向いた母。
その間 居室に掃除機をかけた。押入れのお布団もちょっと干して押入れにも掃除機をかけた。
ロッカーも整理した。
トイレ・洗面台も拭き掃除した。

布団も押入れに戻し終えた頃 母は職員と歌を歌いながら戻ってきた。
♪いまは やまなか いまは はま。。。♪と。
そういえば…これは手遊びもあったなぁ〜と母と向き合い…。
♪せっせっせ〜のよいよい いまは やまなか いまは はま…♪と手遊びをすると「?」といった風の母のリアクション。
「あれぇ〜 出来なくなったかぁ〜」と思った。
歌声は出るのに 手が動かない。
それでも 休息しながら何回か繰り返してやってみたら思い出せた。
周りで見ていた1人の視線を感じて「やってみる?」と聞くと「うん」と頷いたのでこちらもチャレンジ。母ほどに思い出せなかったけれど…それでも少し出来た。
母が感覚を取り戻してくれて…嬉しかった。

その後 職員も知らないと言うので職員と共にチャレンジ。
「覚えたぁ〜」とニコニコ。
職員とは ピッチを早めてチャレンジした。
入所者もじっと見つめていた。
見ているだけでも楽しそうだ。直ぐ動き出せる人 見て楽しむ人 それぞれいる。何もしないでいるよりも 出来ないなりに楽しんだ方がきっと良い…
そう感じる。

今日は 他にもみんなで歌を歌ったり…も出来た。
外に出ない日は こうやってみんなと遊ぶ事もいいんだなぁ〜。


2005年01月23日(日) お見舞い


 お天気は 夕方から雪の予報。
でも 家族は今日なら動ける…。
「今日 行って置かないと いつ行けるか…」と娘。
夫の腰は重たかったが…弱みに付け込んで背中を押した。

午前中に出ないと雪に巻き込まれる…。
早々に家を出た。
娘が機転を利かせてmacを積み込む。
カーナビがないので 初訪問の病院の場所は判りにくい。。。

行く道から 高速道で雪が舞い始めていた。
少し焦ったけれど 空の明るさから未だ大丈夫と思った。

行き先は 義姉のお母様の入院なさっている病院。
車で下の兄に電話をすると集中治療室を抜けられたという事だった。
気持ちが少し軽くなった。
病院について お母様と対面。
お義姉は付き添っておられた。

お母様とお会いしたのは 10月である。娘も10月末のはずである。
その時は お元気に車椅子でお手伝いなさっていらして。。
我が母と年齢が近いので お元気な様子が羨ましく感じたのであった。

病院にいるお母様は 意識が朦朧となさっており栄養も点滴で…という状態。お顔もお元気な頃の面影は見られなかった。
この数ヶ月での 様変わりに驚いてしまった。
父の場合は もう長い闘病の末の入院だったのでこれ以上痩せる所もないという感じだったが…お母様は普通にお過ごしだったのでまだふくよかであった。
とは言っても 手足にはかなり浮腫みが出ていて 痛々しい。。。

それにしても 数ヶ月の間に母と比べることも出来ない状態になってしまうなんて…。

お母様は母より4歳ほど年下と知った。

毎日 付き添いに行かれて家事もなさって義姉もかなり疲れているように感じた。昨日は義兄に付き添いを変わって貰ったそうだ。

母も身体的に変化が起きれば 私も同じようになるんだな。
義姉は 弟さん 妹さんとシフトを組めるけれど…。
わわっ!こりゃ 母に踏ん張ってもらわねば…。

お母様の手足を擦り 頭を撫でているとご近所の方がお見舞いに見えたので引き上げる事にした。

此処まで来て 実家を素通りできず 下の兄の家に顔を出して 積雪にならないうちに帰路についた。

家に着くと利用者さんから電話が入った。
水曜 土曜は通院が有るのでお休みという事で了解した。

が 今さっき また利用者さんから電話が入った。
どうもご主人が具合悪くなったらしい。「夜間診療所 ご存知ないですか?」と言う電話だった。急ぎ調べて電話をした。
それでも 近所なので出かけたほうが良いかと思い 再度電話するとご主人が「これから出ます」と言うお話なさったので 行かないでも良さそうと判断した。
いつも「高齢二人は何かと不安。。。」と言われていた。
やはり お近所の助け合い…整備が必要かも…。

緊急診療の場所は 電話の前に貼り付けて置いた方がよさそうだ。

話しはがらりと変わるが…。
昨日 娘が友人のために電車を借り切って誕生日祝いをした。
企画の段階で友人が「お母さん リクエスト」と言ったらしい。
「でもね おかんを晒すのは ちょっと…」と判断したようである。
参加する人はみんな顔見知りで有るけれど…。
昨夜 写真を見せてもらって 話しも聞いてみんなとても楽しそうだった。
参加者のお母様が「わっ 行って見たい…乗って見たい…」と興味深々の方もいらしたそうだ。
そうだね。それもいいかも。。。
なんかの時に利用してみようっと!



2005年01月22日(土) ゆっくりで良いのよ 極楽への道は…


 利用者さんの訪問がお休みなので 午前中から母の所に出向いた。
トイレ誘導時「おしっこでた?」と聞くと「出たよ ここから…おしっこが…」と両目を指した。
母とのやりとりは こんな風な事が多い。

それでも 今日母と一緒の時は排尿の失敗はゼロ。
母の自発性は一度。
それも トイレで排尿を済ませた後立ち上がってもらった時に「あ 未だだ」と言ったので慌てて座って貰って再度排尿。
他3回は何れも誘導で成功している。
ただ 施設でトイレ誘導しパンツを下げた時「また 濡れている?」と聞いてきた。「大丈夫よ」と言うとホッとした顔をした。
自分では排泄のタイミングをつかめないけれど…失敗は嫌なのだろう。。。
神経質になっても良くないけれど…気使いだけは必要みたいだ。

施設を出てアチコチ歩いた。
電車にも乗った。
ホームに要る時 電車が入ってくると「長いねぇ〜」と言った。
そういえば 電車に乗るのは久しぶりなんだなと思った。
この所 車での移動が多くなっていた。

母は電車の長さを一両ずつ数えて「長い」「短い」と言う時期があった。
散歩の時 鉄橋を渡る電車の車両を数えているのだった。
「あの電車はふるさとまで行くの?」とも聞いてきた。
「いや ターミナル駅で乗り換えないとね」と言ってみても判ったり判らなかったりが数年前。。。
「今 そんな事を考える時が有るのかな?」と思う。

電車で移動しても 故郷への道を考えるような言葉は全くでなかった。
エレベーターを使わずに 階段を上り下りしてみた。
1.2階使っただけで 太ももが痛いと訴えるので無理はしなかった。

空を見上げたり 木々を見つめると「あ〜」と言う。
「そうね 綺麗な青空ね」「大きな木ね」と言うとコックリと頷く。
出来る限り母の思いに沿うように言葉にしてあげないと言葉すら忘れてしまいそうで…。

来た道をまた電車で戻って 家に向かった。
言葉はないけれど当たり前のように門を開けてドアノブに手をかける。
判っているんだなと思う。

今日はお風呂に入れる。
湯船にお湯を貯めて浴室暖房を入れる。
温まったのを見計らって浴室に入る。
「お腹が痛い」と言っていたので 入浴を渋った。
それでも着ている物を順番に脱がせると逆らう事はなかった。
洗髪を済ませ身体を洗ってお湯で流す時が一番気を使う。
身体が冷えてきているので適温でも熱く感じてしまうので有る。
「ちょっと熱いけれどごめんね」と繰り返し声をかけていると…。
「『ごめん』って言わないで頂戴涙が出てしまうから…」と言われた。
それでも そう言って置かないと「熱い!」と大騒ぎになってしまうだものね。「熱いかも。水入れるからね」と声をかけながらお湯に慣れてもらって無事湯船に浸かってもらった。

と突然
「私 遅いから…」と母が言った。
何のことかいな?と思いながら「何が?」と聞くと…。
「極楽に行くのが遅くて…のろのろしているんだ…」
「?」と母の言葉を確かめるように「誰が?」と聞くと「私が」と言う。
耳を疑い何かの勘違いだろうと思い「何が遅いの?」と聞くと…
「極楽に行くのが…」と言うのだ。
母の表情を盗み見るが特に悲しそうな表情はない。

「極楽への道は あまり急がないでよ。大事な人なんだから…」と言うと
母の目にじわり涙が滲んでいた。

「母は長生きしすぎている…」と感じているのだろうか?
あまりにも透明な母の言葉にこちらが切なくなってしまった。

それにしても 母は いつもそんな事を考えているのだろうか?
死に関する言葉が ほんとに多くなっている。
昨年も「このままお棺に…」と言ってこちらがひやりとしたのだもの…。

お棺にしても極楽にしても 母はあまり口にしないたちである。
だからこそ ただならぬ気配を感じてしまうので有る。
まして 言葉すら曖昧で自分でも表現できなくて 考えて考えて言葉を発したり 言えなくて諦めたり…の日々なのだ。
勿論 駆け引きなど有る筈もなくて…。
ポツリと出る言葉が 本音でも有るように感じたりになってしまうと…ほんとに切ない。
「どうか これ以上言葉を忘れさせないで下さい…」と祈ってしまうのである。

施設に送り届けた時 窓から外を眺めていた母が「○○ちゃん(従妹の名前だ)見てご覧」と私を呼んだ。知らない人が車に乗り込むところだった。
具体的名前で私を呼ぶのは久しぶりだった。
いつも「おかちゃん」が代用言葉になっているのだ。
たとえ従妹の名前であっても 少し前の母に戻っているなら それで十分だ。いや「おかちゃん」と呼んだとしても不満はないけれど…。

それにしてもね。。。お母さん♪
お母さんの行く先は極楽って決まっているのかいなぁ〜。
クリスチャンなんだから 行き先は約束の地の天国だからなぁ〜。
母の頭は極楽=天国って認識されているのかな?


2005年01月21日(金) 誘惑

 利用者さん訪問
「ドジってしまったんですよ」と開口一番に言われた。
どうやら自動振込みの口座にお金がなくなっていたようである。
「これって正解じゃない」とふと思った。
万が一 偽の請求だと直ぐには引き出せないもの…。
スキミングの被害が拡大の一路を辿っているもの…。

今朝 TBSラジオの森本毅朗のスタンバイで小澤遼子さんが言っていた。
彼女は昨年末 キャッシュカードを銀行で抜き取られる被害に遭った。
その後 銀行のお知らせで「貴方のお使いになった金額は○○円です」と言う明細が届いたそうだ。
その明細に盗まれて引き落とされた分までの明細があったそうだ。
「既に銀行でも盗難が判っているのに…なんで自分が引き落とした物でないのにその明細までのせるのよね。忘れかけていた怒りが沸々と思い出されて釈然としなかった。」と言われていた。

スキミングの話題が続いている。
便利な社会になって背負うリスクが多くなっているような気がした。

利用者さんのお話を聞きながら その請求は本物かと言う疑問がでた。
よくお話を伺い 請求書も見せて頂き 本物と確認できてホッとした。

今日は ちょこっとデパートに出向いた。
雅加栄の明太子が有るというチラシを見たからである。
地元で切子であっても買えるならラッキーと思ったのだった。
が 出向いてみたら…売り切れだった。どうやら午前中に行かないとなくなるようだ。みんな狙うんだなぁ〜。

出かけたついでにクルクルデパートを歩いた。
冬物バーゲン中だもの…。
ジョコンダにハイネックのセーターが「貴方のために此処にありますよ」と光っていた。。お店の人もサッと私を見たのだろう「体型・好みから押してぴったりですよね」と声をかけてきた。クラクラッと着たけれど「有れば嬉しいけれどなくとも間に合う…」と言い聞かせ「もう少し他を見てからにします」と逃げた。ちょっと惜しかったかな?

探しているものとぴったりする物がなかったので衣類は買わなかった。

さてさて デパートに行ったら衣類が終われば…何処に行くでしょう。。。
ご多分に漏れず デパ地下です。
手抜きしたい時も有るけれど 献立のヒントも得られる。。。
野菜のスティックサラダ等は 10年以上も前に真似っ子している。
オリーブのアンチョビ和えもそうだ。
今日 思わず手が出そうになってやめたのは モズクと山芋のトロトロ酢の物だ。根昆布と山芋をお蕎麦にかけるのは知っていたけれど…。

家の冷蔵庫を思い浮かべた。
モズクは冷凍してある。根昆布はある。山芋も有る。
「だったらできるねぇ〜」と言う結論に達した。

と言う訳でいろんな誘惑を振り切って我が家に戻った。
勿論 根昆布と山芋のトロトロ酢の物を作ったのだった。


2005年01月20日(木) 昔の歌

リハに立ち会うため 施設に向かう。
母は ゆっくりと朝食を摂っていた。今日はかなりスローペースみたい。
私の顔を見ては笑って周囲の人をも笑いに巻き込む。。。
最近は そういう事が多いような気がする。

私たち親子が笑いを振りまくなんて考えた事なかったなぁ。
母はもう生真面目を絵に描く様な人だったし…。
時に笑いを誘う冗談聞くのは 身内に限られていたし…。

母の病に出会ってから 私は輪をかけて明るくなって来ているような気がする。母は、心配性だったので 意識的に楽天的になっているような気がしないでもない。
「あんたは良く笑うね」と母が驚くほど 笑う時が多くなった。
介護しているのに ほんとに明るいねぇ〜と友人は言った。

今になって気が付いたが 友人は私の明るさを引き上げてくれたのだ。
いつも明るかった訳じゃない。でも笑っている時にいつもそう言ってくれたからこそ 明るくなれたのだと思う。
そういう人達に 支えて貰って此処まで来たんだと思う。

今日は 昔の文部省唱歌をコピーして持って行った。
いつも訪問するネット友達のホームページに貼り付けて有ったページに飛んで引き出したのだ。
母が歌っていたと思われる歌詞を選んだ。
でも 歌詞を見ても母は歌えなかった。以前はちゃんと唄えたのに…。
それでも 辛うじて私が覚えている歌を口ずさむと母も口ずさむ。
周囲の方も同様だった。
ところが 私と年代が比較的近いと思われる職員や家族は その歌を知らなかった。これには 驚いた。
知っている私が特殊なのだと感じた。

何故覚えているのだろう?と暫く考えていたら…。
父の影響かなと。
以前 日記にも書いたと思うが…。
父は亡くなる数年前から 絶えず唄っていた。
歌が止まった時が寝入ったのだなというほど唄い続けた。
母は「うるさくて眠れないんだ」と愚痴を零すほど。
私たちが実家に泊まっている時も隣の寝室から歌声が聞こえ眠れなかった事もある。我が家に泊まっても同様だった。
有る時「お父さんは 苦しい時に歌で気持ちを紛らせているんだね」と母が言った。

父の歌は ピンカラ兄弟の歌から民謡 童謡 唱歌と様々だった。
その時にかなりの歌を覚えたのだろう。
娘だって♪濡れた子馬の鬣を…♪なんて唄えてしまうのである(笑)

メロディーを思い出せない歌もある。
だから 職員に未だ唄える人からメロディーを引き出せないかな?と御願いしてみた。
出来るかわからないけれど 努力してみますという返事を戴いた。

ついこの間まで 懐かしのメロディー等で唄われていたと思っていたけれど…今は「懐かしの…」は時代が変わり始めているのかな?
殆ど聴かないもの…。

今日の外出は アチコチ忙しかった。
母もかなり疲れたようだ。
「疲れた?もう帰る?」と聞くと「未だ大丈夫」と幾度も言った。
今晩は きっとぐっすり眠れているのではないだろうか?


2005年01月19日(水) 深い思いやり


利用者さんを訪問すると…。
利用者さんは パソコンの前に座っていらした。
「判らない所が有るんだけれど…」と言われて 慌ててめがねを取り出した。
お気に入り登録の仕方やページの印刷(必要な所のみを印刷したい)等だった。私の理解している範囲で説明し 実行してもらって理解していただけた。こりゃ また娘から言われるだろう…「お母さんが教えられるなんて奇跡だ」と。。。
更に質問は続いた。
「娘が『1回ずつ切らないでもつけっ放しにしていれば良いのよ』と言うけれど 画面が真っ黒になってしまうでしょ…。そしたらどうにも出来ないのよ」と言われたのだった。
それも 使い方を説明した。
考えてみれば パソコンを始めた頃は 何をやるにもドキドキしていた。
他の人に教える事が出来るようになるなんて 思いもしなかった。
まだまだ 判って居ない事が多くて 初心者マークが外せないのだけれど…。人から頼られ 考えていると自分の勉強にもなっているのだなぁ〜。

パソコン終了後 いつもの活動をする。
次の土曜日は 利用者さん 歯科通院のため活動休止。

午後 介護者のためのパソコン教室に出向く。
これで 終了と思いきや更に続く事になった。
ようやく ネットの検索の所まで終了。
これから フォルダの振り分け 整理となる。

2月にまた…だそうだ。
皆さん意欲的で素晴らしい。

介護仲間の1人が お義母様を在宅で看取るという決心をなさった。
今 お義母様は 入院すべき状態である。
それでも 入院を希望しない事も彼女は知っている。

その彼女が在宅で看取ると決心する時…。
ご主人や近くに住む姉妹の意志を確認を取ったという事だった。
在宅介護中 不幸にしてなくなってしまうという事も有るので その辺の事をお話なさったようである。
お義母様にも こう聞かれたそうで有る。
「私の介護で良いの?優しくないよ。機嫌が悪い所だって有るよ。それでも良いの?」と。
するとお義母様はコックリと頷かれたそうである。

準備は家族のことばかりではない。
デイも状態が悪いと断られてしまう。デイに出向いて相談なさっている。
職員は「此処まで 在宅で看たんだから踏ん張りなさい」と言ったそうだ。
「言うのは簡単 でも ちゃんと看て貰えるなら…」と彼女も聞かれたそうだ。普通 こんな会話なんかなかなか出来ない筈。
先の予想などなかなか出来ないし 素直に話せないのが現実である。

経験豊富な彼女でも 在宅介護は 重たい。
行動の制限は 当然。やりたい事等 出来ないだろう毎日。
ご主人やお子様も居られるので家事もある。
おそらく 家に張り付き…の状態だろう。。。
愚痴の数なんて 限りなく続くだろう。

彼女のため息と「しようがないやね」という言葉の裏に 何かとても心地よい温かさを感じる。
率直な言葉に深い思いやりを感じる。

介護の形は様々だ。
でも 彼女を見ていると勇気をもらえる。
きっと 私より若い筈。。。


2005年01月18日(火) 気力不足だぁ〜


自分を騙しながら動き回っていても 時に腰が重くなってしまう。
「母を誰が連れ出すの?」「貴方の介護の度合いなんて楽な方でしょ」そんな会話が自分の内部で起きてくる。
「ク〜ッ」と思いながら 出るしかないなと家を出た。
長い坂を降りて 風に吹かれ景色を眺めているうちに 出掛け前の重たい気分が少しずつ溶けていくのがわかる。
動き始めると 何とかなるのだけれど…腰を上げるまでのちょっとした時間…これがちょっぴり辛い。贅沢な話しだ。

バスターミナルに着いた時 バス会社の人が「来ない…別の…」と叫んでいる。近くで耳を傾けると「○○方面は通行止めです。復旧は未定です。別のルートでのご利用に切り替えて下さい」という事だった。
「地震?」という事ないものね。
「事故ですか?」と聞くと「そうです」と言う。
通行止め 復旧の見通しはたたないとなると大きい事故だな。
「あやっぱ 行くなってことかな?」と思ったりした。
けれど もう行くと決めて動き出しているんだもの…。
おそらく母の施設までの間の事故ではないと感じて タクシーに乗り込む。

施設に付き母の居室に入ると 母も後ろから付いてきた。
排泄は失敗直後だったみたいでササッとトレパン交換。その後お腹をマッサージして排便を促す。今日は息み方がうまい。空振りだったけれど排泄の回路は繋がっているようであった。
タオルや靴下を洗濯してパジャマをチェック どうやら洗ったほうが良さそうだった。
実は先日は ぬれたパジャマがロッカーに入っていて ぬれた所を拭き取りパジャマを持ち帰り 洗ってから戻したばかりである。
今日は 近くのコインランドリーで処理しようと思った。
母を連れて散歩してその間に洗って 戻って乾燥のパターンに。

外に出る時職員から「今日は1月の誕生会ですから…」と言われた。
バスも止まっているだろうから 近場で散歩を済ませることにした。

コインランドリーに入ると張り紙があった。
使用量値下げされたようである。
昔のコインランドリーは洗剤持参だったが 今は自動的に洗剤や仕上げ剤が投入される。それより使う前に洗濯機内を水洗いできるのだ。
随分手軽になったなぁ〜と思う。

機械が回り始めて直ぐ外に出た。
コンビニに立ち寄り おやつとお茶を買い求めた。
それからゆっくり歩いた。
今日は何故だか♪キューピーさん キューピーさん ♪とうたってみた。
すると母がその続きをうたい始めた。
考えれば 母が私達に うたって聞かせただろうこの歌。嫌いだったら母だって歌うはずもないから…好きな歌だったのだろう。
歩く足取りも今日は安定している。

大回りしてコインランドリーに戻り洗い終えた物を乾燥機に突っ込み そこでおやつタイム。
此処には手を洗うところもある。勿論トイレも。そしてお子様用には遊ぶスペースだって有るのだ。軽めにおやつ。
乾燥を済ませて 施設に戻った。

誕生会には ケーキが準備されて ろうそくも立てられていた。
1月生まれの人がろうそくを消した。
それだけで「主役」を理解できるようである。
ご家族が手品のボランティアをしてくださった。

入所者が一番喜んだ手品は取り出した白い綿のロープが一瞬にしてピンクのスカーフに変わった時だった。
トランプやおさつの手品は 記憶が付いて行かない様子だった。

今日は早めに施設を後にした。
バスも動き始めていた。
途中下車をしてイチゴ大福の美味しいお店に寄ってみたら 定休日だった。
仕方ないので 気分変えにスーパーに立ち寄り 黒ゴマプリンを作ろうとゴマペーストとすりゴマを買った。

折角買ったのに どうしても作る気力が出なくて冷蔵庫に収納。

どうにも気力が足りないみたいだ。季節のせいかな?


2005年01月17日(月) 介護保険って…どうなって行くのだろう


 利用者さん訪問
「今日はお買い物に付き合ってください。はなさんが来る日はデートするような気分です」と利用者さんが言われた。
なるほど デートね…。楽しみという事だからいいんだろうなと勝手に解釈する事にした。
「相談なんだけれど…。お餅を食べるのにね 海苔だけというのも芸がないように思えて 小豆のお餅を食べたいの。でも 缶詰を使うと甘すぎるしさりとて下準備してコトコト煮る気にもなれなくて…」と言われた。
「そうですね。簡単に好みの味に仕上げるには 味のない茹で小豆と言うのがスーパーに有るんですよ」値段は少し高め 風味も多少落ちますが…それでもちょっとの楽しみにはなると思いますよ」と言って スーパーに案内した。何処でも扱っている訳ではないのだけれど…。
急に食べたくなった時に重宝する。

「後はね 寒い季節に丸首のセーターだと首筋が寒いの。スカーフは面倒だし…。ハイネックだと首がなくなってしまうし…厚みの有るものだとゴロゴロしてしまうし…」と言われた。
「デパートで探してみましょう。私もこの季節 薄手のハイネックを買い求めて重宝しています」とデパートにも寄った。
数点みて「これなら…」というものを探せたようだ。
ハイネックの半分くらいの高さで薄手 首にもフィットする物である。
利用者さんが納得なされた。良かった。

他にお野菜等を買って 戻った。
「最近 寒いでしょ。外に出るのが嫌になるの。でも何もしないとつまらないから 冷蔵庫のお野菜使ってお料理して 食べる事楽しんでいるんです」と言われた。

落ち着いてくると 自分で出来る事を探して取り組まれる。
この所医師から言われた通りに「いわし1匹」を目標になさっていらしたがどうやら飽きてきた御様子。「ね お魚なら少し浮気してもいいですよね」と言われたので「食べる楽しみも大切な事ですもの…」と言うと「そうよね」とぶりの切り身を買われた利用者さん。
いわしと言っても丸干しイワシなので塩分もかなり有るので 丁度良いと思った。

「あのね 通院した時に『この所随分変わりましたね。はっきり しっかりなさってきて…』と医師にも看護士さんに言われたんですよ」と利用者さん。「そうですね。一層前向きになられたと感じますよ」と言うと みんなそう感じていっらっしゃるのね。私も毎日 メリハリが付いて気分がいいんですよ」と話された。

そんなお話をしながら キッチンやトースターのお掃除をした。
トースターでお魚もパンも焼かれるので 綺麗にしておかないと生臭いトーストになってしまいそうだから…。
トースターの掃除は 案外面倒なのでお掃除してあげた方が良いような気がした。

活動を終えて 家に戻り今年初の役所で行う家族会に出向いた。
此処で いろんな話となった。
来年度に向けての課題も与えられた。
役所の家族会を縮小して 自主グループの家族の会にフォローを任せる…という方向性であった。
しかし わが町に限って言うならほぼ全員が家族に介護を要する人がいる。
「そんな不安定な状態での運営はちょっと荷が重いですね」と率直に語った。確かに介護者の拾い上げは役所の方でやって フォローは自習グループと言う図式が出来上がってはいるのだけれど…。役所等のバックアップがあればこそ…でもある。

18年に向けて いろいろ試行錯誤が始まっている事を実感する。
地域の支援センターも今までとは形態を変える筈だ。
数ヶ所に統括され 要支援が抑制された人の介護予防の役割を果たすようになるらしい。
それに 厚生省から「痴呆症を認知症と表記するように…」と言う通達が来ているそうである。という事はもう「認知症」に決定したという事だろう。
医師は「老人性痴呆」と言う病名はどう変わるのだろう…といわれていた。
病名も変えていくのか?

介護予防に付いても いろいろ話し合いを重ねた。
高齢者の介護予防と言っても生活習慣を変えてもらうのはなかなか大変で またその予防に引っ張り出すのもかなり難しい。
それより 団塊の世代に認知症は怖くない 対応によって普通の状態を長く続けられるのだからと「認知症」を広く理解してもらう事の方が良いのでは…という話となった。

これから先は 介護から外れるけれど…。
今日は阪神大震災から10年…。
あの日の事は 映像で見るだけだった。そして手助け出きる事として募金に協力。友人の知り合いが被災し 現地で欲しいもののリストを送って来たので家に有る物資を送らせて貰った位が私の小さな行動であった。
実は最近 活断層についていろいろ調べている。
被害の多きかった所は 活断層の上だったと言う事だったので 自分の住んでいる所に活断層は有るのか?という事を調べていた。
活断層の上でも 地震の周期から影響が少ない所も有るという事らしいけれど…ほんとにそうなのかな?周期ってそんなに当てになるのかな…なんて事をボンヤリ考えてみた今日の日。。。


2005年01月16日(日) 遊んで貰っちゃった!


 朝7時に電話がなった。
「これから市場に出かける」と言う電話だった。
その後も電話有り「蟹 蕎麦 縞ホッケゲット 待っとれや♪」と。
遅寝遅起きの娘が 土産物のために早起きかぁ〜(ウルウル)

お土産を楽しみに…母の所に出向く。
昨日 何かに「新聞紙を丸めてガムテープで止めてボールを作って ひとつ先にボールをあげてそれにボールを当てる」という高齢者の遊びが書いてあったのをみた。
行く道すがら それだと施設の人には無理だなぁ〜。俊敏さが今ひとつだものね…と他に良い方法がないかと考えていた。
そうだ「射的だ」
幸い 母の居室にはぬいぐるみが沢山有るから あれを使えばいいんだと気が付いた。

施設に付いて暫くすると ピーチボールでのキャッチボールを職員の1人が始めた。
暫く楽しむ様子を眺めてから「あの〜新聞丸めて ぬいぐるみ使って射ごっこしてもいいかしら?」と聞いてみた。
即座にOK。
みんなで新聞を丸める所から始めた。
多めにボールを作ってテーブルの並びを少し変えて ぬいぐるみを並べて始めた。「ぬいぐるみでは抵抗が有るかな?」と思ったが 直ぐに適応した。
初めこそ 加減が判らなくて苦労したけれど 要領を得るとわっははと声を出して楽しめた。
普段 あまり話さない方も言葉が出た。
メンバーの入れ替え等も有ったけれどトータルで1時間半は楽しめた。
後半 眠っていた人も起きてきて…「僕を狙ってもいいよ」と手を振って見せてくれたりもした。

それからおやつ。
おやつの時も「猫舌」で盛り上がった。
始めは 多少熱くても気にせずにお茶を飲まれていらしたのに…。
猫舌だった人の事を思い出して「猫さん大丈夫?」と聞きお茶碗を持って「あちちち」と耳に手をやって見せたら 自分の猫舌を思い出したように茶碗を持っては「あちちち」「熱くて飲めないよ」となってしまった。

結局は ちゃんと飲めたけれど…。
猫舌で15分以上の時を楽しんだ。

この間 母を3回トイレに誘導。
2回は小水成功。後の1回は排便成功。
今日の確立100パーセント成功だった。

今日の母は 私が他の方の相手をしていてもやきもちを焼く事もなかった。
と言うのも 職員の方が母のカバーになってくれたからである。

射的ごっこから ヒントが生まれた。
これでビー球風に遊べそうである。
星型にするのは大変だろうから ビニールテープで円を作って 持ち玉で当てて見る…こんな事なら難しくない筈である。
射的ごっこだと 残っている能力で当てる人形の距離を変えていかなければならないし…自分だけ近い距離と言うのも敏感に感じるような方も要らした。ビー球風なら 力もそう要らないし平等感が有るかも知れない。

ひとしきり遊び 歌など一緒に歌って 施設を後にした。

夕方の便で娘が帰る筈で。
それまでに夕食を準備。。。
主菜は当然「蟹」タラバ1杯だ。
空港についてリムジンで着くまでの時間を予測して支度をする。
珍しく 夫が駅まで車を出した。
「ただいまぁ〜」「お帰り かにさん!」
「げっ 家の親 私より蟹を待っていた!」「そうよ 決まっているでしょ」 
お皿にのせた 蟹さん 鋏でカットされて 10分足らずであらかたみんなのお腹に納まった。
普段は蟹等見向きもしない夫までが「美味しい」と黙々と食べていた。

「お嬢さん 貴方の蟹の選び方 とてもお上手でした。ご馳走さん」
自分が動きもせずに 地方の美味しい食べ物にありつける…。これぞ至福じゃないか…とも思った。

娘の仕入れてきた情報に寄れば 北海道はこの1月 つまり雪祭りの前こそがオフシーズンで 楽しめるらしい。。。
来年の冬は 行くぞ北海道!
北海道の友人にも宣言したから…後には引けない。。。

娘は娘で北海道に行ったなら 必ずやってみたい小さな野望が有ったらしい。六花亭とROYCE'の買い物袋を手にタラップを降りる…というちっちゃな野望。それを叶えられたらしい。
そして何よりマイナス10度の世界から戻って「こっちは温かい」と飛行場からの一言だった。
「叔母ちゃん これで朝5時 夜8時の早遅勤務…尊敬してしまう…」と言っていた。
私も 改めてそう感じて友人宛にファクシミリを送信したばかりだった。


2005年01月15日(土) 予報にビクビク


 娘が札幌出張。
天気予報では雪それも暮れのような積雪だと言っていた。
だから昨夜は リムジンバスの予約の変更等遅くまで様子見していた。
体感で「雪は案外 大丈夫そうかな?」とも思っていた。

今朝は雪交じりであっても交通機関に影響はなかった。
それでもフライトが有るかどうかは行き次第で…。
とりあえず リムジンに乗って出かけた娘。
その頃には 雨となり一息つけた。
無事 札幌に着き「温かいよ」と言う電話。

でも明日の予報はこれまた 雪か荒れ模様のお天気らしい。
帰って来れるのかな?
あいつは 今頃美味しいものを食べているだろう…。
食いしんぼの私には 羨ましいお話。
でも 仕事では やっぱり嫌かな?

今日は利用者さん訪問。
何時も通りの活動。
お掃除の時 ドアの格子が外れかけているのを見つけた。
放置すれば ガラスが落ちるのは目に見えている。
見ると木ねじが緩んでいた。
「ドライバーお借りできますか?」と聞くと「なんでしょう?」と利用者さん。説明すると「全く気が付かなかった。数日前 ドアの蝶番が緩んでいたので調整したのでその時に何かしたのでしょうね」と言われた。
水曜日には 問題がなかったのだから 当たっているのだろう。

「年を重ねると ちょっとした事に気が付かなくて やっぱり若い人に来てもらうと助かるわ」と言われた。

そうかもしれない。
自分だって 若い頃と比べるといろいろ注意力が落ちてきているものね。
老いていく先のわが身をふと思った。

母のオムツの利用状況を書いたり 喪中の方へのはがきを書いたりで一日が過ぎてしまい母の所には行けなかった。
明日は 行こうと思うけれど…お天気もかなり悪いらしい。
そんな日は 施設内だってそうだろうから…みんなと遊ぶつもりで出かける事にしよう。。。


2005年01月14日(金) 我慢はわかったから もう辞めて!


 昨日 ようやく耳鼻科に通院できた。
前回の時も かなり「いたいいたい」と騒いだので 今回もそうだろうと覚悟していた。
耳鼻科と言ってないのだが 待合室に座っていると「ここは?」と聞いてきた。こりゃ 後で面倒になるより良いかと「耳のお医者さん。耳のお掃除してもらうのよ」と言ってみたが 自分が受けるとは思ってない様子だった。

かなり記憶が抜け落ちているんだなと理解できる。
名前を呼ばれて 診察室へ入った。
中では3歳くらいの子が診察を受けていたので 母には何も話しかけないでいた。若し 話したら「嫌だ」と言い出しそうな感じがしたのだ。
幼い子がじっと診察を受けている時母の「嫌」が始まったら 幼い子に伝染しそうな気がしたから…。

母の番が来た。
「何時も御世話になります。宜しく御願いします」と言うと「ハイ」と医師。ベットに横になるまでは良かったが…。
耳の穴に器具を入れた途端 不安な表情になる。
慌てて 母の両手を握り締めた。
「ちょっとだけ我慢ね」と言うとちょっとだけは静かにしていたけれど…。
直ぐに「痛い もうやめて」「辞めて頂戴」「痛い」とエスカレートしていく。やはり 今の母にちょっとの我慢も出来なくなりつつあるのかも知れない。「ごめんね。お口を閉じて我慢してね」と言うと「我慢はもうわかった!痛いの!もう辞めて!」と大変だった。
「チクチクして痛いの」と言えるのだから 痛みの表現は未だできるんだなと思ったりもした。
そして 前回は頭まで起し看護婦さんも頭を押えに入ったくらいだったが 今回はそういうところまでは行かなかった。
右耳の方が耳垢が多く左は少なめだった。
処置を終えると 静かになった。
「済みませんでした。何時も何時も面倒掛けます」と言うと「大丈夫ですよ」と医師は言ってくれた。
今度は歯科通院を予約しなくちゃだけれど…どうなるだろう。。。

今日は利用者さん訪問。
チャイムを押しても反応がなくて 心配になったけれど…。
間もなく銀行から帰っていらした。
何事もなくてホッとした。
「今日はお散歩に出かけたい。バスを降りるのが大変だから少し足を鍛えなくちゃ」と言われた。
今まで歩いてない所を選んで散歩。
「此処は昔…」とこの町に越して入らした頃の様子をお話くださった。
有る程度まではわかるけれど…古い傾きかけた建物が唯一この町の商店街だったと聞いた時 なるほど…と思った。
町並みの歴史を知る良い機会となった。


2005年01月13日(木) いのちは誰のものなのか

朝日新聞 1月11日「宇宙の底で」柳澤桂子より
…1人のいのちは 多くの人の人々の心の中に分配されて存在している。
分配されたいのちは 分配された人のものである。
また「私」と言う存在は 40数億年の間 とぎれることなくDNAが複製され続けて生まれたものである。
いのちは 自分だけのものではないということと 想像を絶する長さの歴史を持っているということが いのちの尊いゆえんであると思う。…

今日は友人のオペ日だった。
朝 メールを交わした。

母のリハの立会い 我が家での食事 入浴 そして施設に送る…そうしながら 友人の手術からの生還を祈り続けた。

夕刻から友人宅に電話して…応答がなくてひやりとし 慌てて否定する…そんな風に過ごしていた。
やっと 家族と連絡がとれて「無事生還」ににんまりとする。

気がかりな事情があったから…医療職の彼女は 分っていたと思う。
だから 私も敢えて 気が付かない振りをしていた。

ご主人が「これからが痛みとの闘いでしょう…」と言われていた。
「頑張って!」ご家族のために 私のために…と祈り続ける。


2005年01月12日(水) 意地悪な思い?

今日は 利用者さん訪問日であった。
今年に入り2回キャンセルがあった訳だが…。
訪問すると やはりふわふわと埃が目についた。
利用者さんは「今日は 少し眩暈がするのよ」と言われた。

丁度 洗濯物を干す所だったのでお手伝いしてから お掃除に入った。
椅子の足に埃が付いていて 我が家と似たような状況に1人苦笑した。
埃って ほんとに冬場は目立つ。
衣類にも付着して運んでしまうので 利用者さん宅では 時折わが身を払いながら…だった。
活動を終えて家に戻った。

丁度 娘が家を出たばかりだったのだろう…。
坂の方で娘の車の走る音がして 家に入ると暖房つけっ放しだった。
私が出る時 確か切った筈で 家で少し仕事したのかも知れない。

話しは介護から逸れる。
10日の月曜 娘の車にご近所の車が接触した。
娘が自宅前に邪魔にならない様にして10分近く駐車していた。
其処に車庫入れする近所の車が接触したのである。
ご近所さんの電話で接触を知った訳である。

腑に落ちない事も有るけれど…其処は置いておいて…。

「申し訳ない」という言葉は有った。
「保険に入っていますから 大丈夫です」とも。
こちらは そんな事など気にしていなかった。
ご近所さんの普段の生活が分るので疑う事ない。

ただ その後 あれこれ電話が入る。
「事故なんて 始めてで…」と誇らしげである。
「保険会社に電話したら 補修の見積もり出して下さいという事でした」と言ったかと思えば
「これって 警察に届ける物なんですってね。(運転者が娘さんだった事もあり)『警察』と聞いた娘はすっかり落ち込んでしまって…」とか
「無事故で来たので 保険料が安かったのに これで保険料が高くなるので 保険会社と相談してみますから待ってください」とか。

私も娘も ただただ 驚くばかりである。
「免許 持って居られるんですよね」と確かめて見たくなる衝動に駆られている。
教習所で何を習ったのかしら…?
これって 必ず触れることですよ。事故を起さなくとも知っていなければならない事と違うの?
「交通事故だって 場合によっては前科一犯になるんですよ…」

腑に落ちない事のひとつに…。
擦ったと感じた時に自分の車を先に見て 後から「お宅の後方に擦ったと思うのですけれど…」といってきている。そして その傷も今日 車のこと等分らない奥さんが見に来た事。
「あ 案外軽いのね。良かった。もっと酷いと思っていた」には また驚いてしまった。

いや 近所だし 運転だって初心者であるし…。
だから 事故を責めるつもりはないけれど…。

普段からご近所に厳しい一言を放って権利意識の高いお宅なのに… どうした事でしょう…。

もうひとつの腑に落ちない事。
それは 助手席に乗って居られたご主人様。
接触には気が付いていらしたので 自分の車優先に見ていた。
接触など全く気が付かない娘が 用があって車に戻って 車庫入れ中のご近所さんに「済みません。邪魔になりませんでしたか?」と声を掛けたその時に「いいえ」とお返事したご主人。接触の事等全く触れていない。
娘が家を出た後での電話連絡だった。
これも 動転を考慮しても解せない…。

こんな風に考える私は 意地悪だろうか?

そして 夫にはこの事は教えていない。
ご近所であるため この後面倒な事になるのは嫌だから…。
夫は 接触した相手に正当な要求をするのは目に見えているから…。
正しくとも言い通せないと言う 暗黙のご近所のお付き合い方が有る。

午後は 介護者のためのパソコン教室の追加講習会である。
希望者が多かったので…。
1人の方が お義母様の容態の変化で参加できなくなった。


2005年01月11日(火) スワッ!救急車だ!


 初めに 今 今NHKBSで「どう変える 介護保険制度」というディベートアワーの取材が行われています。
そこでウェブ上の意見が書き込めます。
普段の介護で感じる所やどうすべきか等 意見を書き込まれてはいかがでしょうか?
NHKの回し者では有りません。
ただ 意見が届かないと感じておられる方は是非とも…です。
厚生労働省の方も読んでいると思いますから…。

この情報は ネット仲間に取材が入り 連絡を受けました。
詳しい事を知りたい方は メールください。
エンピツのメールからお入りください。

日記に戻ります。
娘を送り出して 直ぐ母の所に向かった。

この所母の尿漏れパットが起きている間も使われているので パットを必要より少し大目くらいだけ出して置くようにしていた。
時に施設のパットが入っていたりで恐縮しながら続けていたら…。
今日はパットが2枚残っていた。
気持ち通じたかな?
昼の間は下痢でない限りトレーニングパンツで対応したいからである。
グループホームだからこそ こんな事が許される筈だ。
職員には迷惑かなぁ〜と思いながら もう少しだけこちらのペースを守らせて欲しい。。

母をトイレに誘導。
少し臭ったが排泄の汚れはなかった。チャンスとばかりにお腹をマッサージする。いつものごとく「お腹に力いれてね」と繰り返した。
10数分後 無事排泄できた。
排泄後 必ず便器を見るように母に言っている。
今日も見てもらった。「お 立派」と言った。
排泄を思い出して貰いたいから…。これは 子供のオムツ離れの時にも同じ事をした。快は出来る限り記憶してもらいたいという切なる娘の願い通じるかな?
今日は その前にも下着を下げた時「冷たい?」と聞いてきた。
「いいえ 冷たくないよ」と応えると「良かった」と言う。
やはり 混濁しながらも分っているんだと確信した。

「お出かけしたい?」と聞くと「ここ 片付けてから…」と言うのでチャチャッとお方付けし床を拭いた。タオルも洗濯した。

外に出ると 道路を走る車に向かって「頑張れぇ〜」と声援を送る母。
レースでもないのに…(ふふっ)

デパートで靴とパンツを探したが適当な物が見当たらなかった。
いや母が気に入った物が有ったけれど サイズがなかった。
なんたって バカの大足でおまけに外反母趾と来ているからねぇ〜。
パンツだって 足は長いしおなかだけはちょっと太めで…。
今日は諦めた。
耳鼻科に通院しようとお昼は外食にした。家に戻ると連れ出すまでまた大変だから…。
今日は お肉大好きの母にしゃぶしゃぶにした。お肉屋さんのレストランなので品質も信頼できるし…。
しゃぶしゃぶのたれが先にテーブルに置かれた時はひやっとした。
たれの器を手に持ったからだ。
「未だよ」と言うと今日はすんなり理解してあたりの様子をきょときょと見ていた。お鍋が来て点火されてからは 大忙し。
しゃぶしゃぶは母だけで…。
でも美味しかったらしく ご満悦のお顔でホッとした。

耳鼻科の午後の診察時間までに間があったので 書店でお花の雑誌を買い求めた。母がとても嬉しそうに見ていたから…。
文字も読めなくなりつつ有るので これからはきれいな写真がいいだろうと思っている。
私も本を探しており お目当ての本が見当たらず図書館まで足を伸ばした。
パソコンで書籍を検索したけれど 該当なしだったので取り寄せだなぁ〜。

耳鼻科に通院しようと思ったが 母の頭も気になり 先に美容院を回ったが何処も待ち時間が微妙に長く諦めた。やはりいつものところが一番だな。
ようやく耳鼻科に回ろうとしたら 今度は母の気力がなくなった。
仕方ないので今日は諦め 施設に戻った。

明日洗髪できればやります…と職員が言ってくれた。

家に帰ってからの事。
遅い夕食を1人済ませた頃 救急車の音がした。
そんなに珍しくないが 音の行方に耳を凝らしたが直ぐ消えた。
角を曲がったかな?と思っていたら…どうも玄関のガラスに赤い点滅が写った。これにはビックリしてしまった。
今一軒が留守なので 2軒有るうちのどっちかだ。
すわっと飛び出すと ご夫婦だけの世帯の方だった。
ご主人が心臓で通院なさっていると聞いていたのでてっきりご主人と思ったら奥様の方だった。
奥様が倒れたという事だった。

この救急体制…入院先が思うように行かなかった。
大きな病院は周囲には有るけれど 入院したい病院は限られる。
どうも行きたい病院に通院履歴がなかった。
そこでカットされる。
結局 希望しない病院に運ばれる事になった。
こういう場合 かかりつけ医から紹介で希望の病院に搬送できるのだけれど…。でもご主人は 動転していて…。
娘さんも急ぎ駆けつけられたが…相談を受けたのはあとだったので役に立てなかった。
それよりもご主人が付き添って行かれるのに鍵のありかが分らなくて…開けっ放しで行かれた。暫くして息子さんも見えて…。

先ほど娘さんが戻っていらして 今日は検査のためお泊りとなったと言われた。なぜ倒れたかは 未だ分らないらしい。
意識はあり手足も動くというので 大丈夫と思うけれど…。

救急。。。これは もう他人事ではない。
自分の事も家族の事もしっかり準備しておかないと…。
もう 母の事だけではないような気がした。
だって老夫婦というほどの年齢ではないのだもの…。60前だった思うもの…。




 


2005年01月10日(月) 家の事情という言い訳?


 実は年末から 義姉のお母様が緊急入院している。
この事を知ったのは 降雪で夫のふるさとに出向けなかったので 母を施設に送った後  夫の実家に新年のご挨拶がてらの電話を入れて知ったのだった。

その後の容態は随時 直ぐ近くに住む下の兄の所で聞いていた。
と言うのも看護をしているとかなり疲れると思うから…。
肺炎を起しているらしく命のタイムリミットを医師に宣言されたと知ったのは先週の事である。
お見舞いは 意識がないから…来なくて良いよと言われていた。
そう決めて有ったけれど…。

その後 特に連絡がないので下の兄の所に電話した。
「肺炎が更に悪化とは聞いてないけれど…小康状態らしい」という事だった。

「それなら 連休の最終日混雑を避けて一度お見舞いに出かけたほうが良いのでは…」と夫に話した。
夫の口癖は「姉さんには親を看て貰った恩義がある。お姉さんの家に何かあったらすぐに行かなくちゃ…」なのだ。
だから 今回の事で当然行くべきと判断して夫に聞いたのだが…。
この判断が なかなかつかないらしかった。
母の面会も気になるけれど 夫の同行となるとそうも言っていられないし…。そんな状態で待ったが「行かない」と決まったのは3時を回ってからだった。「う〜ん」って感じだ。
おまけに夕刻近くなって「会社の人が来るかも知れない」と言い出した。
「エッ何にも準備ないよ」「いいんだよ 酒さえあれば…」と夫。
でも 聞いたら 放って置けないではないか。
冷蔵庫をのぞいて ちょっとしたおつまみを作り始めた。
「いくらと大根のおろし和え」「アサヅキと烏賊の酢味噌和え」「切干の酢の物」等5品程を作った。
待てど暮らせど「待ち人来たらず…」だった。

きっと 用が出来て来れなかったのでしょう。
夫の聞き方も不味かったのでしょう。
こういう事もたまにはあります。

夕食後 娘とお風呂に行く予定だった。
夫は「気にせず言っておいで…」というので 出かけた。

それでも気が気でなくて 早々に戻った。
が来訪者はなかった。
でも 久しぶりにゆっくりお湯に浸かれて良かった。

母をグループホームに託してからも そういう場には連れて出かけたけれど…。最近はない。
これから温泉などに行く時は 手すり等高齢者に配慮の有る施設出ないと無理だろうなぁ〜。
夫の故郷の近くには そういう温泉がある。
其処には デイの施設も併設されている。そういう場所なら安心できる。
ほんとはそういう 施設が近隣に有れば良いのだけれど…。
今年は是非とも連れて行こう…。
これも課題のひとつにしておこうと思う。

そんなこんなで 母の所に行けなかった。
無理に行かなかったのは…明日なら家族もいないし私の時間も有るので一日たっぷり母と過ごせると分っていたからである。

今回の連休は在宅で介護なさって 月曜デイ利用の家は大変だろうなぁ〜。
施設は どうなんだろう?
祝日勤務体制でないだろうか?
母の施設はそういうシフトは取っていないと聞いているけれど…。それじゃ勤務している人の振り返え休日はないのだろうか?
 
介護サービス利用していると職員の事も気になるし…。
先日の朝日新聞でも介護職の待遇が低いと現場で働く人は感じているという記事が有ったしなぁ〜。

この数日 ノロウィルスがニュースになっている。
このウイルス事態は死に到るケースは少ないし 特に感染力が強い訳ではないらしい。そして以前から存在していたものでノロと名ずけられたのは2000年に入ってからという事らしい。
それまでは食中毒の類に入っていたという。
それが何故 今回特に衝撃のニュースとなったのか?
おそらく 特養で死者が出たからだろう。
いろんな問題を孕んでいそうなので 軽々しく表現する事は避ける事に。
 
ちょっと 問題から離れるけれど…。
このニュースを聞きながら ふと「特養等施設入所者と児童の施設入所者とどちらが多いのだろう。。。」と気になった。
子供達は 元気だから 2.3日で快復するのだろうから問題にならないのかな?
詳しく調べた事がないけれど…。
何となくだけれど…どうも高齢者の施設が多いような気がするのは 高齢者を抱えて立場のせいだからだろうか?






2005年01月09日(日) あいつって奴は…


 今日は珍しく家族揃っての休日。
ちょっとお寝坊。。でも昨夜寝付いたのは午前三時だからなぁ〜。
母が居なくともこんな感じになる日もある。
私は 午前零時過ぎにお布団に入ったけれど…。
なかなか寝付けなかった。
と言うのも母の行く先の不安が大きくなっているので有る。
病の事は仕方ないと思っていても いろんな昨日が低下して来ていて…母にとってどうなのだろう…という不安で有る。
若し食べる行為を忘れてしまったら…と思ってしまったのである。

飲み込むと言うのは反射的な事と思っているけれど…でもやっぱりこれも能力と関係有るのだろうか…。
この反射能力…いくら首の筋力を鍛えてみても能力そのものがなくなったら…。
そしたら歩く能力が残されていても意味がないのじゃないか…等と取り留めのない事を考えてしまった。

もう少しこの辺の事を知っておく必要がありそうである。
何だか急に闇の中に突っ込んでいくような…そんな気がしてしまった。

それでも 家族が帰宅して ちょこっと話しているうちに気が紛れて眠れた。これを1人で背負っている人は如何に苦しいか…。

昼過ぎに 友人からファクシミリ。
ご家族が「荷物が届いた」と知らせてきたのだろうと思っていた。
だのに…ファクシミリの文字は友人のものだった。
「げっ あいつ…」と思った。
どうやら外泊願いを出して家に戻っているのだった。
全く あいつらしいわ!
「やっぱり家が一番」だって。
明日には 病院に戻るようだけれど…。

午後 1人河原に散歩に出た。
見事に晴れ渡って青空がとても綺麗。。。
でも北風が予想以上に強くて 驚いた。
ポケットに手を突っ込んで肩をすぼめて河べりを歩いているうちに思い出した。

母が在宅の頃は こんな日だって母と連れ立って歩いていた。
これに夫も加わって3人で歩いたのだ。
母は80を越えていた。
歩きながら「寒い」と感じて引き返そうかな…と思ってしまったけれど
これを母に強いていたのだから…引き換えしたら 何だか母に悪いなと思った。少なくとも80までは 私も負けないようにしなくちゃね。

デジカメを取り出してチョコチョコと撮影。
でも 護岸工事をしていて冬鳥の姿は向こう岸だ。
遠くで川鵜や青鷺が群れて飛び立った。
カメラを向けたけれど あまりに遠すぎた。
冷たく強い風の中で 工事をしている人の姿が有った。
工事の機材には青いシートが掛けられていた。そのシートが風を受けて大きくはためいている。。。
いつもの散歩道は 工事のために通行禁止 従い迂回せねばならなかった。

散歩道には 高齢に差し掛かって居られる方も多かった。少なくとも私よりは10歳以上年が上の方と思しき人たちが トレーニング姿で汗をかいて走って居られた。
こりゃ「さぶい」なんて言えませんわ。。。
歩いているうちに身体はホカホカしてくるけれど…顔に当たる風は冷たい。
2時間近く歩いて今日は終了。

今の母と一緒に歩く事はもう無理だ。
でも 母が好きだったこの景色…あったかな日を選んでちょこっと岸辺に立ってみるくらいは出来そうである。

夕方幼馴染から電話が入った。
そういえば賀状が来ていない。お母様がどうかなと直接聞き出せなくて…。
「かわりない?」と聞いてみた。
電話の向こうでグッと詰まった声がした。
「姉が…亡くなったの…」と。
「昨年の2月だから…もう大分気持ちも静まったけれど…」
お姉さん?未だ若いのに…。60前だよ…。
「母が辛かったと思う」とも。
そうだよね。ふるさとでお母様の事を見守っていらしたのはお姉さまだったものねぇ〜。
幸い一番下の弟さんが お休みの度にお母様を外に連れ出してくれているって言っていた。良かったねと胸をなでおろした。


2005年01月08日(土) 危うい一瞬だった


 一昨日の晩 深夜にファクシミリがあった。
友人に朝 ファクシミリを送信し その返事だった。
「未だ入院の準備が完了しない」とあった。
それから 2.3度ファクシミリ交換。
寝入るのが早い彼女と深夜のファクシミリなんて考えても見なかった。

利用者さんを訪問すると お留守だった。
2度チャイムを鳴らしたが反応がない。車庫を覘くと車がなかった。雨戸はあいている。急用でお出かけだろうと思いメモをポストに入れて家に戻った。
それでも やっぱりひょっとして…と思い 電話を入れる。
留守番電話が作動した。やっぱりお出かけだな。
でも戻られたら…と思いファクシミリを送信。
暫くしても反応がないので 一応 事業所に連絡を入れておいた。

少しして事業所から連絡が入った。
「歯科通院だそうです。ご主人がお買い物から戻られていらしたので その旨報告しておきました」
何事もなくて良かったと思う。

午後 母の通院。
施設に着くと丁度お風呂から上がってきた母とばったり。
タイミングが良い。

それから通院。
施設を出る時「外に行くんだね」と言いとても喜んでいた。
娘の車に乗り込む。母はとても機嫌がよくアルフのぬいぐるみとしきりに話していた。最近 車の中でぬいぐるみと話す事がなかったので 娘と「今日はとっても調子が良いね」と話した。

待合室で待っている時 医療のポスターを読んでいたが…。
高脂血症 心筋梗塞などの漢字が読めなくていた。
次々に読んでいくのだが…漢字でひっかかり 飛ばし読みをするので何処を読んでいるかと クイズをしているような錯覚に陥る。
しかし これは遊びではなく 母の現実で有る。
通院先の診察室に入るときは「怖い事ないよね」と気にしていた。

「血圧が高め…薬を変える」と医師は言った。
「文字が読めなくなりましたよ」と医師に話している間も外の看板の文字を読んでいる。アルファベットなら読めるので…丹念に読んでいた。
それをみた医師は「偉いぞ」と母の頭を撫でた。

「もう 診察終わったよ」と言うと「早いね」と母。
「じゃ もう一回みようか?」と医師。
「うんそうだね」と母。
「じゃ この次に…」と診察室をでた。
母自身 どれ程 今のやり取りを把握しているだろう。。。

帰りの車に乗った時 ひやっとする出来事が起きた。
動き始めた車のドアを母が開けたのである。幸いドアは全開しなかったし スピードも出ていないので良かったけれど 道路には出ていた。。。
後続車がなく車を止めてドアを閉めなおしロックした。

十分注意しているのだけれど…ちょっとした油断があった。
何事も起きなくてほんとに良かったと娘と二人胸をなでおろした。

帰路はファミレスでおやつ。
隣に座った1歳半くらい?の赤ちゃんに遊んでもらった。
とても愛想の良い子で 可愛い笑顔を母に向けてくれ 母が手を振るとそれに応えて手を振り返してくれる。私たちがいる間中 愛想を振りまいてくれて…母の笑顔は輝いていた。
おそらく この子の親たちは 子供の声や仕草に何時も何時もきちんと喜びを持って 対応なさって居られるのだろう…。親と子供の一体感を感じた。
虐待などの話しも多い昨今 心が緩む風景だった。



2005年01月07日(金) ボチボチ やるしかないのかぁ〜


 今日は 今年初の利用者さん訪問日。
どんな年越しをなさっただろう…お元気かな?と思いながら…
♪あけましておめでとうございます♪とインターホン越しにご挨拶。
♪はぁ〜い♪
明るく元気な声が聞こえてドアが開いた。
「今年も宜しく御願いします」とお互いにご挨拶。
「あのね…とても良い年越しだったのよ」とニコニコなさってお話してくださった。

「お正月家族に話す」と言って居られたので 少し心配だったが何事もな買った様子にホッとした。
寒い時期にあれこれ心配すると体調も悪くなるのは見えているし 訪問活動もなく聞いてあげる事も出来ないから。

ご家族が大晦日に「雪だけれど…迎えに行こうか?」の電話から始まり ご自分ひとりでタクシーに乗られて ご家族と共に過ごされた様子だった。
「やっぱり 家族は それぞれの事で忙しいんですねぇ〜。貴方の言う通りだったわ」とそして「何も話さなくとも よく判ったから…これでいいのよね」とも言われた。

年を重ねていくと 行く先の心配は出てくるだろうけれど…其処は やはり最終的に家族を頼るしかないのだろうし…。
言って変わる事なら良いけれど 大概にして反発こそあれ好転する事等殆どないのだから…。と自分を振り返りながら思った。

長いお話の後
「あのね。今日は役所に連れて行って貰いたいの…」と固定資産税の通知書を開かれた。
どうやら 自分の持分の不動産の範囲とその評価額を知りたい様子だった。
しかしなぁ〜 そんな場所は 私と一緒だと誤解されない?
財産泥棒とか騙し屋とか…。
「危険ですよ。私で良いのですか?」と一応念を押した。
「大丈夫 貴方は…大丈夫」といわれるけれど…これが危険なのですよ。。。
それでも 案内くらいは出来るかと役所のその場所までは案内させて戴く。

役所の人から不審がられないように 離れて待った。
でも 待ちながら帰路にその情報を得るって事も有るんだなぁ〜。だったら余計不審者だねぇ〜と1人で勝手にドキドキしてしまった。
自分から役所の人に名乗って置いたほうが良いのかなぁ〜等とも考えた。
でも 結局 特に何もしなかった。
別に悪い事をする訳でないし…利用者さんだって判断できると分るだろう。。。

調べ終えた利用者さん 安心した様子だった。
家族に言って調べるのもいろいろ波紋が出るだろうから…言えなかったのだろう。。。こういうのって 難しいなぁ〜と思った。

役所を出ると事業所の方とパッタリ出会った。
利用者さんもご存知なので 立ち話。。。
「お元気そうで…」といわれると「お蔭様で…」と返されていらした。

事業所の方が「今月は25日に…集まる予定です。後でお知らせ廻します」という事だった。これからの事の話し合いである。
気のせいか 私の空いてある時間にぶつけて有る。。。
「何も言うまい。。。」と思いながらも ついつい 介護の現状からいろいろ物申してしまう…。皆さん「よく言ってくれた…」とは言うけれど でもねぇ〜。
いろいろ問題もはらんでいるので…気持ちは 複雑である。
そういえば 年賀状にも「諦めずに頑張って」と立ち上げた職員と議員さんから一言書いてあったなぁ〜。
今年も やっぱり重たいお役目背負わなきゃいけないかのか〜。
しょうがないんだねぇ〜。ほどほどに取り組みましょう。。。ボチボチと。


2005年01月06日(木) どうも 空腹感がないみたい。。。


今朝 リハに立ち会うために出かけると未だ朝食が済んでいなかった。
母の食事時間 最近時間がかかるな。
何か 有るのかな?

療法士さんの見える時間が近いので 食事介助。
何とか全量食べきった。
お薬は どうしたのだろう?

朝食後 投薬の筈だけど…。

入浴の形跡もない。
シーツの髪の毛を払うため ベランダでシーツを払った。
頭をトニックでマッサージ。
「髪の毛 よく梳かしてね」と言うと「これくらいでいいかね」と綺麗に梳かした頭を見せた。
洗面 歯磨き…順繰りにする。
勿論 指示をしながらだ。

リハは 初めこそ 多少の違和感が有る様子だったが その内軽い寝息を立てていた。
療法士さんに「この所立ち上がりが大変で…腰が弱っていると思ったけれど
どうやら腕の筋力も落ちているような気がするのです」と伝えると…。
「次の時まで 腕の筋力アップのプログラムを考えてきます」と言ってもらえた。勿論 私なりに 取り組んでは見るけれど…。
母の状態では 言われた通りに腕を動かす事は困難だろう。
上したり少し捻ったり…そんな事が 良いかもしれないなぁ〜。
立ち上がりの介助も手を貸すだけで こちらが引き上げるのは極力避けてみよう。。。

リハ終了後 居室の整理とお掃除をした。
床を拭いていると「わぁ〜ピカピカ光っている」と言ってくれた。
母の精一杯の感謝の言葉と受け止めた。
だって ただきつく絞ったタオルで拭いただけだもの…。光る筈ないよね。
それから 本格的寒さに備えて 長袖シャツや下ズボンを出した。
床に置くと母なりに畳み始めた。
トイレもお掃除した。
居室の観葉植物にも水遣りをした。
家のヒヤシンス持ってくるの忘れちゃったなぁ〜。

着替えて 外出。
今日は 少し機嫌が悪い。
すれ違う人が 自分をを睨めると感じるらしい。
だから 睨み返してやったという。
「怖い顔しないで ニコニコしようよ」と言うと「そうだね」と言ってくれた。その後 そういう話をしないので理解してくれたんだろう。。。
小さな子を見ると 目が溶けてしまいそうな顔になるのに…。特に 男性や高齢者の方に対しての視線が厳しいみたいだ。
歩く事は 楽しいようで せっせと歩いて「疲れない?」と聞いても「大丈夫」と息を切らせながら返事していた。

食事は外食にした。
でも あまり嬉しそうでなかった。唯一 コーヒーフロートだけは 美味しそうだった。 熱はなさそうだったけれど…風邪かな?
「喉痛くない?」と聞いたけれど「痛くない」と言っていたけれど…。
何処まで理解しているのか…。

母に対して挨拶する人は顔見知りでない限り居ないけれど…。
バギーを押している米国の男性が「コン二チワ」とすれ違いざまに挨拶してくれた。母の耳には届かなかったみたいだ。

今年に入って「○○ちゃん 今年3月が来ると89歳だね」と話しかけている。
母は 暫く考えてから「ほう そんなに?」といつも反応している。
89歳と聞くと「長生きしている」と感じるようである。
未だ 多少分るんだな。

そういえば 役所から誕生検診の封書が届いている。
様子を見ながら検診しなければ…。


2005年01月05日(水) 一丁あが〜り〜


訪問に出ようとしたら電話があった。
「急用が出来たので お休みさせてください」という利用者さんからの電話だった。本来電話は直接しない事にはなっているのだが 何せほんとにご近所で 町内会名簿が有るもので…こうなってしまう。
それくらいは 事業所も承知していて 緩やかで有る。

「あ〜 儲けたな」という気分。
利用者さんはお元気で お休みならいう事はない。

ところが 直ぐに電話が入り「今日 高速通信の作業に入ります」というものだった。「ぎょぎょ…じゃ母の所に行けないよ」
「それに『機材を年内にお届けします』って言ってたのに…届いてないし」
突然の電話にパニクってしまった。

だっていきなり「壁に有る電話線を外して 直接電話とつないでください」といわれても…どうやれば外れるのやら…何の説明もないので「エッ外れませんよ」というしかない。すったもんだの末に「じゃ工事は延期しますので申し訳ありませんが 所轄のところに電話を入れてください」だと。

工事日が事前に分れば それぞれの説明書を手に何とか対応できたのに…と1人ブツブツ文句をいってみる。

所轄に電話すると 電話線の外し方を丁寧に説明してくれた。
そうそう そういう説明をしてくれれば メカ音痴の伯母はんでも理解できるのよ。今時は何処でもそういう説明してくれるものよ…とまた1人ブツブツ。

結局 工事は再開された。
が機材が来ていない。さて どうすべいか…。
とりあえずサーバーに電話してみると「工事日にお届けする事になっています」と言われた。謝る気配なし…。
こちらは客なのに…とまたブツブツ1人愚痴。。。
「あのですね。そちらの○さんが 年内に機材お届けと言っていたんですよ。あれは間違いという事なんですね」と言うと「誠にあいすみません」と機械的に謝られた。プンプンと言う感じだ。
「じゃ 今日の何時に機会は届くのですか?それまではパソコンが使えないという事ですよね」と言うと
「配送会社の伝票番号がありますのでお知らせします。電話で問い合わせてください」だと。
メモって配送会社に電話して 聞いてみると午前中の便には乗っていないという事だった。そして「調べて折り返し電話します」となった。
それから 大分時間が経過して配送会社の別の人から電話で配送時間が知らされた。

時間通りに配送されて…。それから 線をつないだ。
今までは知り合いの電気屋さんに御願いしていたので 初めての作業である。不安を抱えながら説明書を読みながら何とか繋ぐ事が出来た。

試運転にパソコンを立ち上げるとちゃんと繋がった。早かった。
「一丁あが〜り〜」

いや こんな事は誰でも簡単に出来るのだろうけれど…私にとっては大変な作業でありました。
これで無線LANが出来 晴れて 娘はこのパソコンから出て行くだろう。。。ようやくマイパソコンになる筈だ。

でもあいつ 未だ自分のほうのパソコンの補助機材買ってないんだった。
あちゃ 後何日同居だろう。。。

これから 少しずつ いろんな事変えていこう。。。それが楽しみ。。。








2005年01月04日(火) メールを戴いて…


大晦日の日だったと思う 母が「おかちゃん 御願いがある。上履き買って頂戴」と突然ポツリと言った。
初めは 何か空想でもしているか…と思った。
でも 母はとても真剣にそして切なそうに言ったのだ。

考えてみれば 家での母の上履きは すりきれ始めていた。
たまにしか来ないし 間に合えば良いかと思っていた。

でも 考えれば母は介護を受ける身になってから「買おうね」と言っも「いらないよ」という事が多かったし自ら「買って頂戴」等という事はなかった。何だかとても可哀想になった。
母1人では買い物は出来ないのだし…。
施設の上履きは順次買い換えて来ているので「いいかな」と言う気持ちもあった。

そんな経緯があって2日の初売りの日 デパートまで出かけて介護用品売り場で上履きを買い求めた。
ね」と言った物があったので買い求めた。
母の記憶に購入したと言う記憶は残っては居ない。
でも家で荷物を広げて母に「こっちのを履いてね」と渡すと「あら 新しいのだね」と嬉しそうだった。
買って頂戴と言った事等も全く記憶されていないだろう…。
それでも そんな瞬間な思いも叶えてあげられる事もこちらの幸せだから…。

今日は 家族の会の日であった。
まだお正月気分の中で参加者はどうかなと思っていたけれど…いつものメンバーが揃った。
今日は 排泄後の手当ての仕方や夜間のオムツの当て方を実際のに見てもらう予定だったのだ。
それでも ひとつきの介護の報告は ほんとに山のようにあった。
介護で足首のくるぶしにジョクができて諦めていた方が「手当てすれば直るよ」の言葉を受けて手当てを始めたら ほんとに良くなってきたと報告してくれた。デイでも処置して下さっていたそうだが「良くなって来ていますから 大丈夫ですよ」と言われていたそうである。
「でも自分で手当てを始めたらほんとに良くなって教えて貰ってほんとに嬉しかった」と言われた。
職員の目と介護者の目は 少し違う。
仕方のないことだけれど…。在宅だから出来る事って他にも沢山有る。
職員は その日のうちに片付けなければならない事に追われてしまう事が有るのだから…。

施設介護の話題も上った。
今の施設介護は 昔と比べればほんとに良くなってきてはいる。
でも まだまだ 個を尊厳するという所ではまだまだである。

以前にも書いたが 洋服を着せたりする事も入ったら最後施設任せにならざろう得ない部分が出てくる。
私が気になっていた事のひとつに施設に入ると冬でもパンツ ズボンというパターンである。でも動かない入所者で血の巡りも悪くなっている入所者には かなり寒い筈である。
このお正月 母には パンツ3分パンツ 長ズボン下 ズボンを着用してもらった。半そでシャツ 長袖シャツ 薄手のセーター 中薄手のセーターを着せて それでも朝日の入ってくるまでは 厚手の裏つきカーディガンを羽織ってもらった。それだと寒いと言わない。
全て薄手を中心なので着ていてもゴロゴロしない。
こういう事を施設に望むのはなかなか難しい。
でも 人権重視の障害者たちの施設では もっと個に対しての配慮がきめ細かい。障害者に出来る事は おそらく高齢者対象の施設でも出来るだろう…と思う。この辺りが もう少し工夫できればいいのに…と思う。

高齢者とておしゃれする心は有ると思うから…。

施設ついでに…。
このお正月に 有る方の介護ウェブ日記で知り合った男性からメールを戴いた。時折 その後の報告を下さるのである。
家庭を持ち 仕事もなさるその方が 今 ヘルパー2級の講習を受けて居られるというメールだった。介護からは程遠い所に自分がいると思ったけれど…とも書いてあった。
それでも 介護実習を通して施設介護の足りない面が見えてきたので 出来る範囲で施設ボランティアに入ってフォローして行きたい…と書いてあった。お仕事があり 家庭もあり…楽ではないとおもう。
それでも チャレンジなさる姿 また こんな私にそういった報告メールを戴いて とても嬉しく思った。
「頑張って」とは言えない。でも「無理をなさらず 出来る所まで…頑張ってください」と思う。
若し 日記を読んでくださっていらしたら…メールのお返事未だでごめんなさい…ね。

ふと考えると お母様の介護をなさっていて介護職に着かれた方が2人ほど知っている。更に今日の日記に登場なさった方のように介護ボランティアに着かれた方が2名。。。
1人は現在老健で送迎バスの運転手さんをなさっておられる。
この方は 私の住む町の方で 今でも母と私の姿を見るとクラクションを鳴らして声をかけて下さるのである。在宅介護中もまた現在も その方に随分励まされている。


2005年01月03日(月) プライド


 母の事を日記に書く時 ちょこっと母のプライバシーを犯していると感じる時がある。でも これが 介護のヒントになればと自分の反省も含めて書き記している。
今日の日記は特にそう感じる。。。

昨夜から今朝までは穏やかに眠っていた。
深夜の排尿も無事トイレでできた。

朝の洗面もちゃんとできた。
朝食も家族全員で揃って食べる事が出来た。

昨夜 夫が母の作品(塗り絵や書初めや折紙)をみて「此処まで出来るんだからたいしたものだね」と周囲の先立った方たちと比較しながらしみじみと話していた。
元気な頃と比べれば 相当に能力が落ちてはいるのだが…それでも尚プラスに見えるようである。
4泊5日の間 久しぶりに母を近くでみて感じたようである。

食後は 今日も布巾を洗ってもらった。
少しの食器も洗ってもらう。
割りに落ち着いているので 洗濯をしたりしながら母の様子を見守った。
洗濯後に母の頭を洗髪。
夜の入浴の時は 体のみ洗って温まってもらうようにしているので、日の有る時に髪を洗うのである。
その後 料理の本を渡すと声を出して読んでいた。
母のオムツをひとつに纏めるためにそばを離れて戻ったら 窓から入るお日様を浴びながら椅子でコックリコックリしていた。

ゆっくりとキッチンでお昼の支度を始める。
小さなクワイを素揚げにして それから金平ゴボウを作る。
出来た物を順にテーブルに並べる。母は、それを小皿にとってつまんでいる。傍らで娘が卸し餅の大根をすっている。
そんな平和な光景だった。
食事も滑り出しは良かった。
が 朝から立ったりする度にガスが出ていた。トイレに立つ度にチェックはしていたが 何の予兆もなかった。昨日 しっかり排泄できているから大丈夫だろうとも思っていた。
食事前 ちょっと臭ったようなような気がしたのだが…ガスのせいだろうと思っていた。

食事が急にのろくなり「食べられる?」と聞くと「うん 食べる」というので様子を見ていたが やはり無理なような気がしたのでほんの少しキンピラが一口分くらいは残して切り上げて貰った。
テーブルを片付けて「トイレに行こうね」と誘導して「ひょっとしたら…」と思って排泄の処理の準備をしようとトイレに母を置いて離れた。
ほんの1.2分の事である。
戻ってみると…ドアの前に手を汚して何処に触れようかと右往左往している母がいた。「あ〜やってしまった」
母も私の驚く姿に驚いてしまい萎縮状態。其処に娘がぬれたぼろ布をレンジで温めて持ってきてくれ やっぱり驚く。母は更に萎縮。

急いで洗面所に行き 手をしっかり洗ってもらう。
「これは何?」と合点が行かぬ母。本当に短い時間なのだけれど フイルムがコマ送りされるような雰囲気。。。
其処へパタパタしている雰囲気に夫も「何かな?」と出てくる。。。
母をトイレに入れようとした時だったが…母は更に落ち込む。

トイレでの処理もかなり難航した。下着を全て下ろしたので母は寒がった。
気持ちが萎縮しているのに寒いと…落ち込み方も激しかっただろう。
「分らない」を連発。
排泄もきちんと終わっていないので 幾度もお尻をお湯で流した。
その辺りから「自分で拭くからいい!」と怒り始める。
でも 母1人でこれの処理など出来ない。
母を納得させようと「ホラ まだ汚れているから…お尻が荒れてきたら痛くなるのよ」というと「痛くなってもいい。自分でやる」の一点張り。
完全に母のプライドを傷つけてしまった。
それでも放置も出来ずに「ごめんね。私が悪かったね。。。」と謝り続けて何とかきれいにして軟膏を塗布。これも更に母を傷つけてしまったようである。いつもなら 何事もなく過ぎていく場面なのに…。
食事前に感じた時 直ぐトイレに連れ出せば…と悔やまれるばかりである。
あの時 トイレに行って10分も経過してなかったからなぁ〜。

あまりに機嫌が悪いので熱でも有るかなと検温。
これも悪かった。早く分った方が良いと思い耳で検温した。
「耳が痛くなる」と両耳を塞いだ。「これは 検温計で痛くないよ」といってももう絶対に耳に入っていかない。「私 もう家に帰りますから…」と大きな声を出す。
帰る時間も迫ってきていて…でも此の儘帰せば私も母もあまりに辛い。

近くを散歩に出て気分を紛らせようとした。
ちょっとは気持ちも落ち着き 車に乗って施設に向かう。
が 母はだんだん沈み込んでいく。

施設に着いても押し黙った儘。。。
娘もとりなしてくれて 少し気が紛れ始めるが…。

トイレに行き 再度お尻を点検。
やはり まだ 少し落ち着かない様子であった。

其処に施設長が「どうでしたか?」と来てくれた。
母は一度差し伸べられた手を振り払った。
家での様子や書初めを見ていただいた。
「あら しっかりかけてますね」とも言ってくれた。
施設長は 懲りずに母の気持ちに寄り添うように本を持ってきて「読んで頂戴」と頼んでいた。母がゆっくりと本を読み始めた。

それから そうっと帰り支度をして施設を後にした。

母は一連の事を繋がって記憶しては居ないだろう。でも まだ嫌な思いをした事は覚えているだろう。
「夜は思い出して 少し大変かなぁ〜」と言っていた。

はて 母を家に呼んでお正月を過ごさせた事は不味かったかな?
母は どんな気持ちでいるだろう…。


2005年01月02日(日) 書初め


 今日も とってもミョウチクリンの母だ。
会話がかみ合わない。聞こえない事もかなり影響している筈。
これも 私の責任だ。
昨年のうちに耳鼻科通院しなかったから。
30日に耳鼻科に電話したら 年末年始休暇に入ってしまっていた。
病気じゃないから どうしても後回しになってしまう。
耳元でゆっくり話をして理解を得るように努力した。
こりゃ 自業自得だからなぁ〜。

朝は早く目覚めていた。
早起き夫に起してもらうようにしていたのだが…「ばあちゃん 静かだよ」と言われて寝ぼけ眼で聞いてから「すわっ」と起き出す。
「やってももうた」パジャマがぐしょぐしょ。
「さむいよ」と言われながら着替えて貰い トイレ誘導。
起き出すには少し早いので 隣で添い寝。

それから キッチンと寝室を行ったりきたりしながら 朝食の支度と着替えを済ませた。朝は快調だった。
食事もしっかり取れた。

母の好物は 酢蓮と膾と栗きんとんだが あんころ餅も大好きだ。
今年の栗きんとんは 甘栗を使った。それにレモンの汁も入れて有る。
口飽きしないように…と思ったから。
黒豆も食べている。汁はもっぱら夫が飲んでいる。
全体に甘さ控えめ…母には物足りない味かも知れないのだが…。
今日はあんころ餅を出した。夫と母は嬉しそうに食べていた。

お昼は夫のリクエストでお蕎麦。
母は もともとお蕎麦が好きではない。大晦日も全量食べたけれど…。これは 夫に我慢してもらって 温かな鳥蕎麦にしたので 今日は盛り蕎麦。
母の事が気になり 山の芋を摩り下ろしてお蕎麦にかけた。山かけ蕎麦である。これが良かったらしく「美味しい」と喜んで食べていた。

排泄も今日はうまく行った。
かなり時間がかかったけれど合格である。
やはり「かま」を使った方が良いのだろうか…もう少し様子を見てみようと思う。
お小水もこの所 トイレに行って下着を下げた途端チョロチョロと流れ出して後始末に追われる事が多かった。でも家にいる間 たっぷりの水分を取ったせいで ちゃんとメリハリの有るお小水になった。
子供もそうだが 摂取量と時間が分れば 排泄は読める。
時間で排泄誘導が出来れば 失敗は少ないようである。

午後は 歩いて買い物に出た。
二人並んで歩くのだが…階段等は雪が凍っていてこちらが滑るのではと冷や冷やした。
母は かなり疲れたようだが休息無しだった。気温が低いので立ち止まったり座ったりは 避けたい。

帰路につく頃には 少し不穏になった。夕暮れ症候群かな。
「あの人がこっち見てる」とかかなり疑心暗鬼になっていた。
バスに乗ったのだが…あまりに不穏でちょっとウンザリ。。。他の方が不快にならないかと気を揉んでしまった。
やっぱり 夕暮れ時はバスは避けた方が良い見たいだ。

家に戻ってから 書初めをして貰った。
これが賀状を書くよりのってくれた。
小さな色紙に筆で聖書の言葉を書いてもらったのである。
書いて貰う文字はこちらで準備。
母なりの文字…もう達筆とは言えないけれど…。
暫くして「思い出すように教えて頂戴ね」と私に向けて言葉を発した。
何かが母の心に触れたのだ。。。

その上に「直ぐに言わなくてもいいから…」とも。
というのも 母は数分ごとに「おかちゃん」を連発。これが一日中続いている。その度に「はい なぁ〜に?」と返事を返している日々だった。
これも直ぐに反応しなくて良いのだから…という意味なのだろう。。

食事を終えるとキッチンに立ち洗い物をしようとする。
きのうは うるし塗りのおわんを洗ってから 乾いた布巾で拭いてもらった。これなら壊れないものね。
母なりに丁寧に拭いてくれるので…仕事をしている時は穏やかになるので その方がこちらは助かる。
今日も食事の度に布巾を洗ってもらった。

3時のおやつは友人に教えてもらった黄な粉餅を作る。
白玉粉で作り中にアンを入れて外側は黄な粉をまぶす。
これは 母にも夫にも受けた。
一年に数回しか登場しないのだけれど…。

明日は母を施設に帰す。ちょっと寂しいけれど…またいつも通りの日々が始まるから仕方がない。

腰痛はやっぱり雪かきによるもののようだ。
今日は 腰の痛みはない。ほっ。


2005年01月01日(土) 何とかお正月…


 あけまして おめでとうございます。
昨年中は 拙い日記をお読み下さいまして有難うございました。

昨夜のお天気が嘘のような今朝の青空。

元日の朝は みんなでお雑煮を戴く。
いつもより ずっと品数が少ないおせちだけれど それもまた良いではないかと思う。

正月飾り お花。。。忘れていた!
でもいいんだ。
昨夜 慌てて咲き始めた蘭を玄関前に置いた。

今日は母に張り付いた。
割りに穏やかだった。でも おそらくお腹がイマイチなのだと思う。
おしゃべりしたり 笑ったり 時に今いる場所を何処かと真剣に考えたり…
と一日の中で大波小波が繰り返された。

母が言葉を失いつつ有るのは 歌を歌うときに歌詞が伴わなくなっている事だけでも分る。
母は歌詞を流れで覚えている。
状況を思い浮かべて其処から歌詞を思い出していた。
それが時に動作だったりしていた。
これが たまにしかでない。
歌詞が分らなくてもリズムが分るようで 首を振って楽しんでいる。

母がいろんな能力を失いつつ有る事は自覚しているようである。
でも 以前のように哀しまない。
「忘れてしまったなぁ〜」「教えて」「あんたやって」そういう言葉で依存してくる事が多くなったような気がしている。
そして 適切な言葉ではないかも知れないが とても可愛くなった。
「快」と感じれば それに応じてくれる。

その代わり 直感的に駄目と思った事は 変えられなくなっている。
お風呂がそうだ。
瞬間「熱い」と思った事は ぬるめであっても何時までも熱い。
特に熱さを感じるのはつま先で…。
どういう訳か つま先の足裏は真っ赤になっている。
(傷とかただれではない。血行が悪いのかなぁ〜。それなら紫色になると思うのだけれど…)
浴槽に一番先に入れるのはつま先であるから…。ちょっと苦労だ。
でも 介助すればまだ入れるのだから…良いと考えておく事にしよう。

また 食事の後半で下の入れ歯を出してしまう。
出すのは良いのだけれど それが入れ歯だとは理解できないようである。
食べたりはしないから良いけれど…。
おそらくこれは 私の怠慢で 歯科通院で直るような気がしている。
これも まだちゃんと普通の食事が出来るのだから よしとしよう。

体の不調を訴える事が全くというほど出来なくなっている。
時折喉に手をやるので「喉が痛いの?」と聞いても「少し」とは言うけれどそれが果たしてどの程度の信憑性が有るか疑問が残る。
腹痛にしてもそうである。
つま先のように外から見える所は 判断が付くけれど…。中の事はわからない。ただ 訳も判らず不穏になる時は やっぱり何処か調子が悪いのだという事だけはわかる。此処は 介護者にとって正念場だと感じる。
これからは 衛生面でかなり留意していかないと「うっかり」が起きそうで怖い。

「頑張る」「頑張る」という母の言葉がとても印象的である。
おそらく 自分を奮い立たせているのだ。
母の内側に頑張ろうとする意欲が残っているだけで こちらは救われる。

年賀状も 何とか自筆で書き上げた。
戴いた年賀状にお返事を書けた。とても拙くなった文字だけれど…今尚 母に賀状を下さる方々に 少しばかりのお礼と報告をさせて戴くためにも良い事だと思う。賀状をみて母の記憶が少し甦ってくる。
これは 家族にとって励みになる。

洗面や歯磨きは誘導すれば 辛うじて自力で出来る。

今日で2日目の滞在。
雪かきのせいか 母の介助のせいか やっぱり腰に痛みが来る。
腕はしびれっぱなし。(これは、年末の掃除のせいと思う)
母のいる時は お手伝いが欲しいと今回は特に思っている。
家事と介護とを背負うのは だんだん無理になってきている。

母の状態は やはり落ちて来ている。
介助が今まで以上に増えてきている。

母が眠るとホッと一息である。
今夜は 眠くて眠くて 10時ギリギリに眠ってしまったが どんな夜になるのだろう。。昨日は2時就寝で 5時にトイレに起して それから添い寝だったけれど…。



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